「日の丸・君が代」と戦争との結びつきの切実なリアリティ
本日は、第13回の「被処分者の会」定期総会。会の正式名称は、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」である。
石原第2期都政下での悪名高い10・23通達の発出が、2003年10月23日。2004年3月と4月の卒業式・入学式以来今日まで、思想・信条や信仰から、あるいは教員としての良心において「日の丸・君が代」強制に服することができないとして懲戒処分を受けた教員は延べ474名。
その処分に承服することはできないとし、処分取消の集団訴訟を主たる目的に「被処分者の会」が結成された。自覚した個人が明確な目標をもって結成した自律的な組織である。その会の毎年1度の定期総会が今年で13回目となった。思えば、これまで既に長い闘いである。しかも道は半ば。まだ先は遠い。
しかし、被処分者の総会は今年も明るい雰囲気であった。総会議案書の中の次の一文が目を惹いた。
「今次総会は、安倍政権が憲法違反の戦争法を強行成立させた直後に、各裁判が新たな裁判を迎える中で行われます。私たちは、『子どもたちを戦場に送らない』決意のもと、憲法を守る闘いと、『日の丸・君が代』強制反対の闘いを一体のものとして闘い抜きます。再雇用二次訴訟の地裁での勝訴、河原井さん・根津さんの停職処分取消と損害賠償を命じた東京高裁の逆転勝訴判決などこの間の各訴訟での私たちの不屈の闘いは、都教委を確実に追い詰めています。」
事務局長報告の中では、次のように語られた。
「都教委のやり方は、あまりに独善的で強引なんです。だから、このところ都教委は裁判に負けつづけています。いまは、1引き分けをはさんで、都教委は裁判に6連敗です。1引分けを0.5に数えれば、6.5連敗です。
13年12月 「授業をしていたのに処分」福島さん東京地裁勝訴
14年10月 再任用拒否(杉浦さん)事件 東京高裁勝訴
14年12月 条件付き採用免職事件 東京地裁勝訴
(15年1月 東京君が代第3次訴訟 東京地裁判決 減給以上取消)
15年 2月 分限免職処分事件 東京地裁執行停止決定
15年 5月 再雇用拒否第2次訴訟 東京地裁勝訴判決
15年 5月 根津・河原井さん停職処分取消訴訟 東京高裁逆転勝訴
すべてが、『日の丸・君が代』強制関連事件ではありませんし、またすべてが被処分者の会の事件でもありません。しかし、これは私たちが一体となった闘いの粘り強い闘いの成果で、都教委は明らかに追い詰められています。私たちは自信をもって奮闘し続けます」
都教委の訴訟での連敗記録は、大阪と並ぶ恥ずべきものと言わねばならない。東京都の教育行政は明らかに暴走しており、裁判所から警告が発せられ、ブレーキがかけられているのだ。10月中にまた2件の判決が予定されている。都教委の連敗記録はさらに続くことになるだろう。
また、戦争法案反対の集会やデモには、被処分者の会から連日多数が参加したと報告された。多くの人が、日の丸・君が代を戦争の歴史と関連づけて、その強制を受け容れがたいとした。いま、はからずもその認識の先見性が明確化される事態を迎えている。
次のような発言があった。
「10年前には、『日の丸・君が代を戦争と結びつけるなんて、今どき何と大袈裟な』と思われるような雰囲気があった。でもいまや、日の丸・君が代強制と戦争との結びつきは、切実なリアリティをもって実感される時代となった」
闘いには、旗と歌が必要だ。
一揆の押し出しの先頭には、小丸のむしろ旗が掲げられた。
官軍は誰も見たことのない錦の御旗を捧げ持った。
大元帥は、各連隊に連隊旗を親授した。
そして、日の丸と君が代は、皇国の軍国主義と侵略主義の象徴となり、億兆心を一にし戦意を鼓舞する小道具となった。
彼の地ドイツで1935年国旗とされたハーケンクロイツは、45年の敗戦とともに旧時代の象徴とされて、いまに至るもその掲揚が禁止されている。しかし、旧体制を徹底して克服し得なかったここ日本では、「日の丸・君が代」が国旗国歌として生き残っている。
「日の丸・君が代」と戦争との大いなる関わり。これまでは、過去の戦争との歴史的関わりだけを問題にしてきた。これからは、日の丸・君が代と近未来の戦争との関連を現実のものとして問わなければならない。
(2015年10月3日・連続916回)