澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「沖縄県民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地を建設できるのか」ー沖縄弁護士会決議の重い問

10月27日、石井啓一国交大臣は辺野古新基地建設問題で、沖縄県の翁長知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しについて、国(沖縄防衛局)の申し立のとおりに執行停止を決定した。併せて代執行の手続をとる方針まで発表した。懸念したとおり、「右手(沖縄防衛局)の悪さを、左手(国交相)が止められるはずはなかった」のだ。右手も左手も、所詮は同じ穴の貉に過ぎないのだから。いや、左手の右手に対する熱烈支援のボルテージの高さは、予想を超えたものとなっている。その熱の入れ方が、本来私人のための手続である審査請求の制度を国が使用する不自然さと不合理を際立たせることになっている。

その同じ10月27日、沖縄弁護士会が臨時総会を開いて、翁長雄志知事の辺野古埋め立て承認取り消しを尊重するよう国に求める総会決議を採択した。
 http://www.okiben.org/modules/contribution/index.php?page=article&storyid=136

「決議は、米軍基地の過重負担や環境保全の重要性から新基地建設に懸念を示した。基地建設には住民の同意が必要とし、県民が基地被害に悩まされた歴史を踏まえ『今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない』と指摘した。政府が行政不服審査法を用いたことには『地方公共団体の判断を無視するものであり、地方自治が危機にひんしていると言わざるを得ない』とした」(琉球新報)。この新報の記事は、「住民の意思」をキーワードに「地方自治が危機にひんしている」とまとめている。

会長声明ではなく、わざわざ臨時総会を開催しての弁護士会の総意を表明する決議である。表題は、「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」というもの。相当の長文だが、とても読み易い。多くの人に読んでもらおうという気持で執筆されているからだろう。法的に緻密な議論を展開しようとの趣旨ではなく、骨太に理念を説いている。

冒頭で、「本件取消処分には単に公用水面埋立法上の問題にとどまらず、『住民の同意なくして国が新たな米軍基地を建設できるかどうか』という根本的な問題がある。これは沖縄の将来と日本の民主主義・地方自治等の観点から重要な憲法問題である」と問題提起されている。

「沖縄住民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地の建設を強行できるのか」
これが、沖縄弁護士会が発した重い問である。このことこそが、憲法の根幹に関わる問題との認識なのだ。

この長い決議のサワリは、以下の個所である。
「3 沖縄県内への新たな基地の建設には、沖縄県民の同意が求められるべきこと
 日本国憲法は、地方自治を保障し、地方自治体が「地方自治の本旨」に基づいて組織、運営されねばならないと定めている(92条)。この「地方自治の本旨」とは、国から独立した団体において自らの意思にもとづいて運営されるという団体自治と、住民自らの意思に基づいて地域の事項を決定するという住民自治を内容とする。基本的人権の尊重と国民主権の原理のもとにおいて、団体自治は地方分権を通じた自由を、住民自治は地方での民主主義を制度的に保障するものとして、統治機構の根幹を構成している。したがって、住民の生命や身体、財産に大きな影響を及ぼす新しい米軍基地の建設という極めて重大な問題が住民の意思に基づいてなされなければならないということ、そしてそれが地方の判断として尊重されるべきことは、まさに憲法上の要請であるというべきである。
 とりわけ沖縄県における米軍基地は、戦時下において接収された土地と1951年のサンフランシスコ講和条約後に「銃剣とブルドーザー」によって強制的に奪われた土地に建設されたもので土地の所有者あるいは沖縄県民の意思に基づいて建設されたものでは決してない。
 しかし今、国は、沖縄県内の世論調査では反対が多数を占め、県と地元市の首長が反対の意思表示をしているにもかかわらず、建設工事を進めようとしている。
 過去と同じように住民の意思に基づかずに基地建設を進めるということはあってはならない。今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない。」

いま、明らかに沖縄の圧倒的民意が、「辺野古新基地建設反対」「辺野古沿岸・大浦湾の環境を守れ」「翁長知事支持」にある。これを無視しての新基地建設がどうして出来るのか。

おそらく、「価値観を異にする国」「民主主義や人権が軽んじられる政権」ではこのような発問はありえない。国家や党の決定に住民が逆らうことができるとは、考えがたいからだ。安倍政権とは、明らかに「日本国憲法の民主主義とは価値観を異にする国」を作っており、自民・公明の与党は「民主主義や人権を軽んじて平然たる政権」を支えているのだ。

安倍政権と与党とは、沖縄の民意を、暴力と金の力で徹底して押さえ込もうとしている。到底近代以降の普通の民主主義国のありかたではない。

本日(10月30日)の東京と朝日の社説が、期せずして同じ論点に触れている。
「なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、『抑止力』を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。」(東京)

「辺野古に最新鋭の基地が造られれば、撤去は難しい。恒久的な基地になりかねない。それに「NO」を告げる沖縄の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の四つの小選挙区で反対派が相次いで勝利したことで明らかである。政府にとって沖縄の民意は、耳を傾ける対象ではないのか。」「ひとつの県の民意が無視され続けている。民主主義国として、この現実を見過ごすことはできない。日本は人権を重んじる国なのか。地域の将来に、自分たちの意思を反映させられる国なのか―。私たちの日本が、普遍的な価値観を大事にする国であるのかどうか。そこが問われている。」(朝日)

この国の政権は、いまや民主主義にも人権にも理解なく、立憲主義をも蹂躙して恥じない、ひどく真っ当ならざる存在に堕してしまっている。国民が、抵抗をあきらめたら、文字どおりこの国に未来はない。戦争案阻止の闘いに続いて、全国民こぞっての辺野古新基地建設反対の運動を通じて、ぜひともこの国の政権をまともなものに取り替えようではないか。
(2015年10月30日・連続第943回)

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