人間を愛する人たちへの贈り物ー「原爆の図」と「原爆詩集」
一昨日(9月18日)、東松山の丸木美術館を訪れた。常設展の『原爆の図』連作と、画家・四國五郎の企画展を見るために。
高名な『原爆の図』は圧倒的な迫力をもつものだった。これは、第1部から第15部までの連作である。丸木位里・俊夫妻が、1950年から1982年までの32年間をかけて書き上げたという大作。悲惨で残酷なテーマではあるが、目を背けさせるものではない。むしろ、悲惨な被害者も「美しく」描かれて、この惨状を見つめなければならないことを訴えている。
連作は、次のように標題がつけられている。
第1部 幽霊
第2部 火
第3部 水
第4部 虹
第5部 少年少女
第6部 原子野
第7部 竹やぶ
第8部 救出
第9部 焼津
第10部 署名
第11部 母子像
第12部 とうろう流し
第13部 米兵捕虜の死
第14部 からす
第15部 長崎(長崎原爆資料館所蔵)
この連作の作成について、館は次のように説明している。
「広島は位里のふるさとです。親、兄弟、親戚が多く住んでいました。
当時東京に住んでいた位里が知ったのは『広島に新型爆弾が落とされた』ということだけでした。いったい広島はどうなってしまったのか。
位里は原爆投下から3日後に広島に行き、何もない焼け野原が広がるばかりの光景を見ました。俊は後を追うように1週間後に広島に入り、ふたりで救援活動を手伝いました。
それから5年後、『原爆の図 第1部 幽霊』が発表されます。数年間描きあぐねた「原爆」を、水墨画家の位里と油彩画家の俊の共同制作で、やっとかたちにすることができたのです。
はじめは1作だけ、その後は3部作にと考えていた「原爆の図」は、とうとう15部を数えました。最後に〈長崎〉が描かれた1982年までの32年間、夫妻は「原爆」を描き続けたのです。」
その一貫した揺るぎない姿勢には脱帽するしかない。
「第9部焼津」「第10部署名」は、第五福竜丸被曝後の原水爆禁止運動の高まりを描いたもの。さらに丸木夫妻は原爆だけでなく、「南京大虐殺」、「アウシュビッツ」の大作を描いている。そして「水俣・原発・三里塚」に及ぶ。
最初は被害の実相を描き、やがて被害加害を超えた戦争の悲惨と悲惨をもたらしたものへの民衆の怒りを描き、さらに戦後の公害や権力の横暴を、民衆を不幸にする憎むべきものとする立場から描いたのだろう。原水爆だけではなく、反原発の立場を明確にした先見性には敬意を表せざるを得ない。
なお、館内の展示はけっして悲惨な呻きに満ちているわけではない。祈りのような雰囲気、そして明るい未来を展望する絵、ホッとする穏やかな絵も。
ミュージアムショップに峠三吉の「原爆詩集」(初版)の復刻版があったので買い求めた。
B6サイズ横長ガリ版刷りの74頁。「著者 峠三吉」「装幀 四国五郎」「頒価80円」、発行が1951年9月20日となっている。65年前の今日である。
同年6月1日付となっている長い「あとがき」の次の一節が胸を打つ。
「私はうす暗い広島療養所の一室でこの稿をまとめた。まとめてみながら、此の事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、此の出来事の実感を傅えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来えの単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。」
あとがきの最後は、次のように締めくくられている。
「尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和えのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争えと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
又私はいつておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
此の詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々えの警告の書でもある。」
共産党員として活動した峠三吉の面目躍如たる宣言ではないか。
私も、人間を愛する人たちの一人として、「此の詩集」を峠からの贈り物として受けとりたい。受けとった記念に20編の詩のまえにおかれた「序」を記そう。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
「原爆の図」を見、「原爆詩集」を読んだ以上は、私も「にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」と叫び続けよう。あらためてそう思う。
(2016年9月20日)