昨日(6月26日)、第198通常国会が150日の会期を終えて閉会となった。既に7月4日公示・同月21日投開票の参院選挙日程が確定している。いよいよ、日本国憲法の命運を左右する選挙戦の到来だ。
この国会会期中、改憲審議は1ミリの進行もなかった。衆参両院とも議席数では3分の2を上回る改憲派が、この千載一遇のチャンスを生かすことができなかったのだ。これはまさしく、民意のしからしむところ。議席分布と、改憲世論とはけっして相関していない。数では勝る自・公・維の改憲派議員も、改憲ゴリ押しの無理はできないことがよく分かっているからなのだ。
しかし、自民党は今回の選挙公約6本の柱の最後に、「憲法改正を目指す」を掲げた。自民党がこの選挙で「勝利」することとなれば、改憲への弾みとなり得る。
また、市民連合と5野党会派の「共通政策」も、その筆頭に「安倍政権が進めようとしている憲法『改定』とりわけ第9条『改定』に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと」を挙げた。野党陣営の「選挙勝利」は、改憲阻止の大義となる。
憲法の命運がかかる選挙ではあるが、実は必ずしも選挙の勝敗が憲法に関する民意如何で決せられるわけではない。選挙では、多くのイシューをならべて有権者の支持が競われるからだ。
いま、民意が改憲を望んでいるわけではない。だから、改憲勢力が、改憲提案を大きく前面に掲げて民意を問おうとすることはしない。安倍晋三が、昨日の記者会見で言ったことは、「(参院選の)最大の争点は安定した政治のもとで新しい改革を前に進めるのか、あの混迷の時代に逆戻りさせるのかだ」というものだった。必ずしも、改憲を前面に押し出し、改憲是非で、民意を問おうなどというものではない。
安倍は、民主党政権時代を極端に暗い世相に描き、経済の振興こそが最大の課題だとする。
「経済は低迷し、中小企業の倒産。今よりも4割も多かった。高校卒業し、大学を卒業して、どんなに頑張ってもなかなか就職できなかった。今よりも有効求人倍率が半分にしか過ぎなかったあの時代。全てのきっかけはあの参院選挙の大敗であります。まさに私の責任であり、そのことは片時たりとも忘れたことはありません。令和の新しい時代を迎え、あの時代に逆戻りをさせてはならない。そう決意をしております」
つまりは、安倍自民が前面に押し出すのは、経済問題であり、アベノミクスの「成果」なのだ。もちろん、アベノミクスが息切れし、その「成果」への実感が多くの人に乏しいことはアベ自身も良く知るところ。だから、「前政権の時代はひどかった」ことを強調して、「あれよりは今ずいぶんマシでしょう」となり。「あの時代に戻ってもよいとでも思っているのですか」と畳み込んでいるのだ。それが「政治の安定」か、「不安定な決められない政治」に戻すのか、という二者択一を突きつける問題設定となっている。
アベの戦略は、言わば「経済で票と議席を取って」、「その議席獲得の成果を改憲実現に生かす」というものだ。だから、改憲阻止を我がことと思う者は、今経済についても語らなければならない。アベノミクス批判の立場で。
この参院選は、「年金選挙」であり、「消費税選挙」である。総じて、経済や財政・税制のありかたが主たる問題となる。経済に関する論争を避けて通れない。
いまは、資本主義爛熟の世である。市場経済は、見えざる神の手による合理的な調和をもたらすとは、世迷い言。実は、この見えざる神は、多くの人を不幸に突き落とす死に神でしかない。
資本主義経済とは、これを野放しにしておけば、飽くなき資本の利潤追求欲求が多くの人々を搾取し収奪し尽くすことになる危険な存在である。富める者と貧しき者との不公正な格差は無限に広がり、長時間労働も幼児労働も蔓延し、植民地支配や好戦国家をも産み出す。その弊を除去するためには、経済の外からの別の理念による統制が必要なのだ。
民主主義の統治は、資本の搾取や収奪の自由を規制する。民主制国家の租税は、資本主義が原理的に作り出す貧富の格差を緩和するための、所得や富の再分配機能をもたなければならない。具体的には、徴税の場面では、担税能力の格差に対応する応能主義が原則となり、累進課税でなくてはならない。また、税の使途の局面では、国民の生存権を全うする福祉政策に適合するものでなくてはならない。
われわれ戦後教育を受けた世代は、福祉国家論を当然の常識として育った。国家は国民の自由を妨げてはならないと禁止されるだけでなく、富裕者からの富を集めて福祉政策を行うべく命令され、これを実行すべき任務を負っている。国家とは、財政とは、税務とは、そのように資本主義の矛盾を緩和して、資本の論理に対置される、人間の尊厳擁護の論理に奉仕するためにある。
このような視点から消費税を見れば、応能主義でもなければ、累進制でもない。むしろ、逆進制ではないか。どうして、こんな制度が、今の世に許されるのか。さらに、消費増税とは許しがたい。
そして年金制度。これも、所得と富の格差を緩和し、多くの人の老後の安泰を確保すべきものとして、年金支給原資に国庫資金を大きく組み入れてしかるべきなのだ。自助努力を強調する与党は、そもそも国家の成り立ちについての自覚に乏しいといわねばならない。
さて、これから、追々と参院選における経済的な論点の各論について書き継いでいきたい。改憲阻止のために、消費税・年金を論じようということだ。
(2019年6月27日)
何度も繰り返すことになるが、元号という代物。使用期間限定、使用地域限定という致命的欠陥をもった紀年法。日常生活にもビジネスにも、不便極まりない。こんな欠陥製品、みんなでボイコットするに如くはない。
ところが、国家は国民に、こんな不便な欠陥製品を使わせたくてしょうがない。事実上の使用強制である。なぜか。元号が天皇制と結び付いているからだ。天皇制という、統治の道具の一部として極めて有用だからなのだ。権力にとっての有用性は、被治者国民にとっての有害物である。
だから、元号とは、不便であるだけでなく、有害なのだ。国民主権に、民主主義に、精神の自由保障に有害なのだ。
大上段に、天皇制イデオロギーの危険やナショナリズムへの警戒を前面に出しても、通じない人には通じない。そのような人にも、元号の欠陥性、元号を使用することの不便は、よくわかってもらえる。
本日(6月26日)、ある消費者関係の弁護団メーリングリストに、こんな投稿が掲載された。その弁護団で共通に使用している書式の日付欄を、「平成」から「令和」に変更するという事務手続に関しての意見。
△▼先生、お疲れ様です。茨木です。
書式の微修正の中味は「平成」を「令和」に変更したということのようですが、純粋に合理的に考えれば、元号表記より西暦表記の方が容易(4桁の数字だけだ)且つ便利ですから、元号部分を省いたらどうでしょうか。4桁の数字では、何か不都合がありますか。
例えば、平成29年に受任した事件が、令和2年に解決したという場合、何年かかったんだ、とすぐわかりますか。頭の中で「平成29年を西暦に換算すると2017年だな、令和2年を西暦に換算すると2020年だな、すると2020から2017を引くと3だから、3年もかかったんだ」と、無駄な作業を強いられるのではないですか。西暦をつかわないことを徹底するならば、何年かかったんだということを、頭の中といえども、西暦に換算することなく算出する必要があります。面倒ではないですか。元号表記を徹底するという人は、多分、「2020年オリンピック」と言わず、本年4月迄は「平成32年五輪」、5月からは「令和2年五輪」とでも言ってるのでしょうが、そこまでこだわる意味がわかりません。
書式の話に戻ると、上記の意見は、純粋に合理性の観点からの意見であって、ここでは、その観点からだけで決めても特に不都合はないのではないか、西暦表示にすれば△▼先生がわざわざ時間と神経を使って微修正作業をする必要もないのではないか、と愚考するものです。
年の前を空白にしておけば、どうしても元号を使いたい人は、4桁の数字の代わりに、2文字の元号と1又は2桁の数字も記載できますから、不都合はないでしょう。
ちなみに、みずほ銀行の預金口座の入出金年月日の表記も、元号から西暦に移行しました。三菱UFJ銀行は、依然、元号ですから、31年から1年に戻りました。ある程度時間がたった時点で、三菱UFJ銀行の預金口座入出金年月日を見ただけでは、平成なのか令和なのか判断に迷う事態が生ずる可能性があります。
なるほど、分かり易い。わざわざ、「上記の(私の)意見は、純粋に合理性の観点からの意見」と強調するなど、心憎い。投稿者は、親しい茨木茂さん。私も見習いたい。
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茨木さんの発言は、端的に「不便な元号使用を止めよう」というもの。似て非なるものに、「国の機関は『西暦併用を認めよ』」とする要求の運動もある。そのような運動体から、6月23日に次のような連絡があった。
「西暦併用を求める会」は、「西暦併用を求めるアピール」を2019年6月6日に議員会館において記者会見して発表し、東京新聞、しんぶん赤旗、クリスチャン新聞、社会新報でその模様は広く報道されました。
「元号さよなら声明」への賛同者は833人に及びました。当初は賛同者数が数万のオーダーで増えていくと思っていましたが、なかなか賛同者数が伸びない結果となりました。
しかしながら、私たちの以下の3項目要求は2番目の項目が眼目であるという理解がじわじわと広まっていき、多くの仲間を得て、新たに「西暦併用を求める会」として出発していくことになりました。
1.届出や申し込みの用紙、Web上のページなどにおける年の記載は、利用者が元号を用いなくても済むものとし、また利用者に元号への書き直しを求めないこと。
2.公の機関が発する一切の公文書、公示における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。
3.不特定多数を対象とする商品における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。
立法・行政・司法の三権の国家機関、地方公共団体の元号のみの年表示をやめさせ世界標準の西暦表示にさせていくことを最終目標にしながら、まず西暦の併用を実現していくことを、粘り強く、様々な団体や市民の有志のみなさんとともに運動を今後とも進めていきたいと思います。
Changeキャンペーンによって、みなさまのご賛同をいただいたことは大きな支えです。今後の運動の発展と継続を決意することができました。特定の立場や団体をベースにしたものではない、市民発の運動を作っていく契機や基盤が構築できたという面では、今回のキャンペーンは成功を収めたと考えます。
何十年もの間元号のみを年表示として恬として恥じない公的機関(国会・内閣・政府・裁判所や諸々の地方自治体)の頑な姿勢を改めさせ、西暦表記もあわせてすることを実現していくという私たちの運動はまだまだ多くの方々の協力と知恵が必要です。
引き続き、「西暦併用を求める会」として活動していきますので、「西暦併用アピール」へのご賛同・ご支援をお願いします。
Changeキャンペーンも、「西暦併用を求めるアピール」として続けていきます。よろしくお願いします。
いろんな人が、いろんな場で、いろんなやり方で、「元号不使用」の声を上げていくことを期待する。
なお、「西暦併用を求める会」は、賛同署名を継続している。趣旨に賛同していただける方は、下記の西暦併用を求める会ブログをご覧になっていただき、ネット署名を。
https://seirekiheiyo.blogspot.com/p/blog-page.html
(2019年6月26日)
「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」から、『厭戦庶民』の32号と33号が届いた。小さなパンフだが、とても面白い。充実している。肩肘張らないつぶやきもあれば、肩肘張った論文もある。石川逸子さんの詩もあり、みごとな替え歌もあり、言葉遊びもある。肩書を「弁護士・平和委員会代表理事」として内藤功さんも書いている。多くは、神奈川県内の活動家、それも元気溢れる高齢の方の発言集。
この会は、名物活動家・信太正道さんが主宰していた。元特攻隊員だったが出撃寸前に敗戦となって命ながらえた方。戦後は海上保安庁職員、海上自衛隊、航空自衛隊をへて日航機長となった。徹底した非戦論者で、9条改憲阻止の信念と活動に揺るぎがなかった。
信太さんは2015年11月10日に亡くなられたが、その遺志を継ぐ人々が「戦争屋にだまされない」とする、「厭戦庶民の会」の活動を続けているのだ。ひとりの人の熱意が、その人の死後にも他の人に受け継がれる好例。
この会の会則は、9か条ある。その第9条が、以下のとおりである。
「(不戦の誓い)私たちは、戦争を放棄し、軍備および交戦権を認めません」
「改憲的護憲論」には反対を明確にしたうえ、反アベ政権の運動においては、そういう人とも批判的に共闘を、という学習会の報告もなされている。
時節柄、天皇や天皇制、元号に関わる論稿が多い。象徴天皇制を厳しく指弾する意見もある。こんな記事が目を惹いた。
「私は天皇制は勿論、天皇の存在そのものに絶対反対なのです。」という立場を明確にした方の、かなり長い論文の次の一部分。
「戦直後、当時の共産党を中心に、天皇制打倒が叫ばれた。しかし、そこには天皇制の捉え方について、二つの意見があった。
一つは、徳田球一書記長のとらえ方=天皇とは、どう言い繕っても、排他的民族主義・侵略性の思想を秘めた国のトップである。今こそ(この敗戦という大転換期に)即これを無くさないかぎり、いかなる共和的民主国家も出来得ない。というもの。
今一つは、野坂参三に代表されるとらえ方=天皇には二つの側面がある。一つは絶対的天皇制権力機構であり、他方は宗教的側面である。天皇制権力機構は即廃絶すべきであるが、他の天皇の宗教的側面は国民が天皇を慕っているのだから、今、それをも即打倒というべきでなく、後の、国民投票によるべきだ。 そして結果的に…いろんな経緯はあるとしても日本の新憲法に、この野坂泰三氏の思想が取り入れられた。
天皇の制度権力機構は廃止する。しかし日本国の象徴として天皇を残す。である。」
「天皇制の忌まわしさにおいて、その独裁的権力機構と、その宗教的といえる精神的なもの象徴天皇制とどちらが恐ろしいか、私に言わせれば後者です。」
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そして、紹介したいのが、疎開世代の「戦争体験」。
美空ひばり「一本の鉛筆」と
「日米安保闘争」
私の「厭戦」の原点です
長谷川徑弘(84歳)
毎年5月の「平和のための戦争展inよこはま」に「美空ひぱり?一本の鉛筆」の展示を担当して久しくなります。
◇
これには、私が「太平洋戦争」下、横浜から箱根に集団疎開していた時に、母親が「粗末な便箋に鉛筆書きの手紙」を毎月1通出してくれた思い出があるからです。
今年(2019年)6月24日は美空ひぱり没後30年です。
新聞・TVなどで、回顧番組があるでしょうが、「一本の鉛筆」の紹介があるかどうか。若い人たちには、「ひぱり」が、忘れられてきているかも、気がかりです。
◇
「一本の鉛筆」のメロディも歌詞も、淡々としていますが、共に彼女の心情をこめた最高のものです。メロディは低音域でゆったりした3拍子。
歌詞には
「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」
「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く」
「一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く」
「人間の命と書く」
「ザラ紙」は「わら半紙=上質紙に対して下等紙」の事。
◇
こうした歌詞が、私が疎開先で受け取った母からの「便箋に鉛筆書き」の手紙とダプルのです。
その母は、5・29横浜大空襲の後の6月9日、産後の体を壊して他界。赤子も後を追う。私と妹は集団疎開先に居て、母の死に顔を見られなかった。
「母を返して」。
こんな事も。戦後、親戚預けになった弟2人が、他人様への気苦労人生でか、数年前に病み他界。今、残りは、年長組の兄・私・妹の3人。人生が逆さまになった。
◇
「戦争体験者」は、「戦争体験」を語り続けなければなりません。「過去」の先に「現在と未来」があるから。
ひばりさんは、横浜大空襲の前、4月16日の磯子地区の“はみ出し爆撃”で被災して。
◇
私の住まいの玄関脇に「一本の鉛筆?ひばり」の手製ボード、メーデーなどには手製プラカー
ドを抱えて出かけます。どこかで見かけたら、私です。
私のもう一つの。“厭戦”は、「日米安保条約」です。
?1952年「旧安保」(「起ちあがれ(安保破棄の歌)」、
?1960年「新安保」(子ども遊び「アンポハンタイ」/6・23全国統一行動)、
?1970年「10年固定期限終了・安保廃棄6・23集会各地で盛り上がる」。
◇
この後、「安保闘争」は影が薄くなって、はや50年・半世紀になろうとしています。
私は、「諸悪の根源・日米安保条約」と指摘する畑田重夫先生(95歳)からいただいた「生涯学習・生涯青春」の直筆色紙を、机前に貼りつけ、がんぱっています。今、84歳。
今、このような無数の先輩たちが、「改憲阻止」「安倍ヤメロ」の運動の先頭にいる。
(2019年6月25日)
昨日(6月23日)は、「沖縄・慰霊の日」。本土決戦の時間稼ぎのためとされる旧日本軍の組織的戦闘が終結した日である。これで戦争が終わったわけではない。多くの悲劇がこのあとに起こる。沖縄県民にとっは、新たな形の悲劇の始まりの日でもあった。
あれから74年。糸満市摩文仁の平和祈念公園で、恒例の「沖縄全戦没者追悼式」(主催は沖縄県)が挙行された。敵味方なく、軍民の隔てなく、すべての戦争犠牲者を追悼するという次元の高いコンセプト。未来の平和を指向するものでもあり、国民感情にピッタリでもあろう。この点、「皇軍の戦没者だけを、天皇への貢献故に神として祀る」という、偏狭な軍国神社靖国の思想と対極にある。
全戦没者名を刻する「平和の礎」には、新たに韓国籍2人を含む42人の名前が刻銘された。二重刻銘による削除者も1人いて、総刻銘数は24万1566人となったという。24万1566人の一人ひとりに、それぞれの悲劇があり、その家族や友人の悲劇があったのだ。
玉城デニー知事の「平和宣言」は、うちなーぐちと英語を交えてのスピーチ。辺野古新基地建設を強行する政府を強く批判し、「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにするものだ」とまで言っている。
そして、今年も「平和の詩」の朗読があった。糸満市兼城小6年山内玲奈さんの「本当の幸せ」と題するもの。次いで、これまた恒例の安倍晋三の首相としての官僚作文の朗読である。
安倍晋三の参列と式辞は、明らかにこの式典のトーンと異なるもので、違和感に包まれていた。案の定、首相挨拶の途中、会場から野次というレベルではない怒声が飛んだ。
「安倍は帰れ!」
「安倍はやめろ!」
「(近年の沖縄の発展は)あんたがやったわけじゃないよ」
「(基地負担軽減は〕辺野古を止めてから言え」
「戦争屋!」
式辞の朗読が進むとともに、ヤジは大きくなり、安倍首相が「私が先頭に立って、沖縄の進行をしっかり前へ進めたいと思います」と述べた途端に、「やめてくれー」と大声が上がり、会場がどよめいたという。チヤホヤされるのが大好きで、忖度文化の頂点に立つ居心地を満喫している彼には、不愉快な体験だったろう。
日本は民主主義国家だという。民主的な手続で選任された日本のトップが首相であって、今その地位に安倍晋三がいる。しかし、日本の首相とは不思議な存在だ。国民を代表する立場で重要な式典に臨んで、「来るな」「帰れ」と猛然と野次られ罵られる。警察が式場を取り巻いて威圧し監視する中でのことだ。ウソとごまかしにまみれ、国政私物化の疑念を払拭できない人物が、長期政権を継続している。この「来るな」「帰れ」と野次られるトップを国民自身が選んでいることになっている。日本の民主主義が正常に作動していないのだ。
6月23日、8月6日、8月9日は、いずれも国民が記憶すべき日として、式典が行われる。晴れやかな日でも、勇ましい想い出の日でもない。民族や国家が、独立した日でも戦勝の日でもない。自ら起こした侵略戦争に破れて、多くの国民が犠牲になったことを改めて肝に銘記すべき日である。
安倍晋三個人としては、そんなところに出たくはない。しかし、いやいやながらも出席せざるを得ない。その席で、辺野古新基地建設強行を語ることもできず、悪役ぶりを披露し、じっと野次に耐えるしかない。「安倍は帰れ!」と野次られても、帰るわけにはいかないのは、あたかも安倍とその取り巻きが日本国憲法大嫌いでありながらもこれに従わざるを得ないごとくである。安倍は6・23、8・6、8・9の各式典に、「帰れ!」と野次られつつも、出席を続けなくてはならない。そう、「悔い改めて、方針を転換します。新基地建設強行は撤回しました」と報告できるその日まで。
さて、いつも話題の平和の詩の朗読。今年も素晴らしいものではあった。引用しておきたい。
本当の幸せ (沖縄県糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈)
青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように
お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも
素晴らしい詩だとは思う。しかし、引っかかるところがある。「平成時代」「令和時代」というフレーズである。沖縄の小学生が、こんなにもあたりまえのように、無抵抗に元号を使わされているのだ。
昨年(2018年)12月13日の毎日新聞に、「沖縄と元号」という興味深い記事が掲載されていた。「代替わりへ」という連載の第1回。「1960……昭和35年!4月1日!」 という表題。「米占領下、センバツ出場 宣誓、西暦で言いかけ」という副見出しがついている。
兵庫県の甲子園球場で1960年4月1日にあった第32回選抜高校野球大会の開会式。戦後初めてセンバツに沖縄勢として出た那覇高主将の牧志清順(まきしせいじゅん)さんは、選手宣誓で日付を西暦で言いかけ、すぐに元号で言い直した。当時、米国統治下の沖縄の住民の多くは西暦で年代を考えていた。
本土復帰(72年)後の80年に膵臓(すいぞう)がんのため37歳で亡くなった牧志さん。大会直後の手記に、本田親男・大会会長(毎日新聞社会長)の「いまだ占領下にある沖縄から参加した諸君たちに絶大な拍手を送ろうではないか」とのあいさつを聞き、「感激の涙がとめどもなく流れた」と記していた。その日の毎日新聞夕刊は「七万の観衆の万雷の拍手。那覇ナインはひとしお深い感激にひたっているようだった」と描写している。
牧志さんの妻愛子さん(70)は「このあいさつの後の宣誓でしょ。いろんな感情がこみ上げて、緊張と感動で素に戻っていつもの西暦がスッと出てきたんじゃないの?」と推測する。愛子さんが大切に保存するアルバムには牧志さんの自筆コメントが残る。出場校の整列写真には「チョット恐ろしかった」との感想も。数カ所ある開会式の日付は「1960……!!昭和35年」と記され、言い直しを意識していたようだ。
当時、アルプススタンドで応援した同級生の伊藤須美子さん(76)は「友達と『そもそも、なんで昭和と言わなきゃいけないの』と話していた。言い直しを聞き、沖縄と本土は違うと実感した」と語る。法政大の上里隆史・沖縄文化研究所研究員(42)は「元号は、その土地が元号を定めた主体に支配されているという目印」と指摘する。西暦か元号か。米国か日本か。牧志さんの宣誓は、当時の沖縄の状況を浮き彫りにしていた。
なるほど、復帰前の沖縄にとっては、「西暦か元号か」は、「米国か日本か」であったろう。しかし、復帰を実現してから47年の今、事情は異なる。「西暦か元号か」は、象徴天皇制の本土体制を容認するか否かではないか。
「『戦争終わったよ』投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺」という記事が、6月22日の琉球新報(デジタル)に掲載されている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000006-ryu-oki
沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。
? 当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。
渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。
「一番怖かったのは日本兵だった」という述懐が、印象に残る。沖縄を本土防衛の捨て石とし、県民の4人に一人を殺した戦争を唱導したのが皇国日本だった。独立後も沖縄の占領を続けるようアメリカに提案したのが、天皇(裕仁)だった。そして今、本土復帰後も続く保守政治の中で、沖縄の人権も平和も蹂躙され続けている。その本土の保守政権は、象徴天皇制と積極的に結び付き、これを積極的に利用しようとしている。客観的に見て、天皇制は沖縄民衆の敵というべきであろう。しかも沖縄は、一度は元号離れの経験をしているのだ。
国民生活のレベルへの象徴天皇制の浸透が元号である。元号の使用は象徴天皇制の日常化と言ってよい。「平成の時代」「令和の時代」という言葉が、小学生の詩の中に出てきて、これが平和の式典に採用されるこの状況を深刻なものと受けとめなければならない。
(2019年6月24日)
複数の友人から、教えられた。《子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会》が、ネットで次の訴えをしている。
憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文に賛同をお願いします!
https://blog.goo.ne.jp/text2018
確かにこれはひどい。こんな事態を看過して極右ナショナリズム勢力をのさばらせてはならない。しかも、こういうバカげたことの中心にいるのが、維新政治の申し子というべき「民間人校長」(小田村直昌)である。広く、抗議の声を集約して、インターネット署名を集めたい。ぜひご協力を。以下は、拡散・転載大歓迎というネット記事の転載である。
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抗議文への団体・個人賛同をお願いします!
憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での
『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文
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5月8日(水)、大阪市立泉尾北小学校において全校の子どもたちが参加する『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』(以下、「児童朝礼」)が行われました。「児童朝礼」では、まず小田村直昌校長が代替わりと新元号の説明をしました。なんと新天皇を「126代目」とまで紹介しています。
その後、「愛国の歌姫」と呼ばれている山口采希(あやき)氏(「教育勅語」を歌にし、塚本幼稚園でも歌ったことがある)がゲストとして登場しました。そこでは、明治時代の唱歌「神武天皇」「仁徳天皇」を歌いました。どちらも神話上の天皇を賛美し、「万世一系」を印象づける国民主権に反する歌です。さらに「仁徳天皇」を歌う前には、教育勅語児童読本(1940年)や修身教科書に登場する「民のかまど」の話をしました。
さらには、自身のオリジナル曲「行くぞ!日の丸」「令和の時代」も歌いました。「行くぞ!日の丸!」は、「日の丸」を先頭にしてアジア諸国に侵略した戦前の日本軍の姿を彷彿とさせます。外国籍の子どもたち、中でもかって日本が侵略・植民地支配した国々にルーツを持つ子どもたちは、この歌によって深く傷つくのではないかと私たちは憂慮します。
小田村校長は同校のHPで山口氏の歌や話を「とてもいいお話」「とても素晴らしいゲストでした」と絶賛しました。このような「児童朝礼」は、戦前の教育勅語教育を小学校に露骨に持ち込もうとした森友学園の「瑞穂の國小學院」に通じるものがあり、明らかに憲法違反です。公立学校でこのような集会が行われていること自体、全国的に例を見ません。
私たちは、憲法に反する内容を子どもたちに押しつけた「児童朝礼」を行った小田村校長と、同校長を任命した大阪市教育委員会に対して厳しく抗議したいと思っています。そして同校の保護者・子どもに対してはもちろんのこと、大阪市民に対する説明と謝罪を求めたいと思います。
大阪市教委に対して抗議の申し入れを行いたいと思っています。
それまでに出来るだけ多くの団体・個人賛同を集めたいと思っています。
ぜひ、ご協力をお願いします。
■下記の要望書への団体・個人賛同を呼びかけます。
◇団体賛同の場合
団体名をお知らせください。
◇個人賛同の場合
お名前
お立場(教職員、保護者、生徒、学生、研究者、弁護士、市民など)
できればで結構です。
お名前の公表(インターネットを含む)の有無
◇締め切りは7月7日(日)
◇送り先
メール iga@mue.biglobe.ne.jp
◇PC・スマホ用署名ページ
http://form01.star7.jp/new_form/?prm=6a6b423%2F2–21-0583fb*********************************
■憲法を無視した大阪市立泉尾北小学校での『「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼』に対する抗議文
5月8日(水)、大阪市立泉尾北小学校において全校の子どもたちが参加する「5天皇陛下ご即位記念」児童朝礼(以下、「児童朝礼」)が行われました。「児童朝礼」では、小田村直昌校長が「天皇陛下がお代りになった話と126代目であること、元号も日本古来から続いているお話」(泉尾北小HP)をしています。新天皇を「126代」とすることは、神話上の神武天皇なども含む数え方をしており、歴史的事実に反し皇室が「万世一系」であるかのように教えることに他なりません。
その後、「児童朝礼」では「愛国の歌姫」と呼ばれている山口采希(あやき)氏(「教育勅語」を歌にし、塚本幼稚園でも歌ったことがある)がゲストとして登場しました。そこで山口氏は、明治時代の唱歌「神武天皇」「仁徳天皇」を歌いました。どちらも神話上の天皇を賛美し、「万世一系」を印象づける国民主権に反する歌です。さらに「仁徳天皇」を歌う前には、教育勅語児童読本(1940年)や修身教科書に登場する「民のかまど」の話をしました。これは、戦前の皇国臣民化教育の定番教材で、子どもたちを「臣民」に仕立て上げていったものです。2015年2月、愛知県一宮市教育委員会は、「建国記念の日」を前にした全校朝会で「民のかまど」の話をした市立中学校校長を注意をしたこともありました。
しかし、大阪市立泉尾北小学校のHPには、この「児童朝礼」の様子が紹介されており、小田村校長は山口氏の歌・話を「とてもいいお話」「とても素晴らしいゲストでした」と絶賛しました。HP記事の最後には、小田村校長が山口氏の書いた色紙をもった写真も掲載されています。その色紙には、「皇紀2679」と書かれています。「皇紀」は神話上の天皇である神武天皇に由来するもので、戦後は公教育でも行政文書でも一切使用されていません。「皇紀」を使った色紙の画像を公立小学校のHPに載せることは不適切です。
山口氏は、自身のオリジナル曲「行くぞ!日の丸」「令和の時代」も歌いました。「行くぞ!日の丸!」は、「日の丸」を先頭にしてアジア諸国に侵略した戦前の日本軍の姿を彷彿とさせます。外国籍の子どもたち、中でもかって日本が侵略・植民地支配した国々にルーツを持つ子どもたちは、この歌によって深く傷つくのではないかと私たちは憂慮します。大阪市がめざす「多文化・多民族共生教育」に反するものです。
公立学校の児童朝会での山口氏の歌や話は、戦前の教育勅語教育を小学校に露骨に持ち込もうとした森友学園の「瑞穂の國小學院」に通じるものがあり、明らかに憲法違反です。公立学校でこのような集会が行われていること自体、全国的に例を見ません。
泉尾北小に山口氏を呼び、「天皇陛下ご即位記念」児童朝礼を行ったのは小田村校長です。小田村校長は大阪市の民間人校長として5年目(泉尾北小では2年目)で、任命したのは市長と教育委員会です。小田村校長は、大阪市立小学校校長になってから、右派団体である「学ぼう会北摂」で講演をしたり、龍馬プロジェクト会長の神谷宗幣氏のインターネット番組に登場し、大阪市の人権教育や歴史教育を「偏向教育」と批判している人物です。今回の「児童朝礼」は、小田村校長が意図的に実施したことは明らかです。
私たちは、憲法に反する内容を子どもたちに押しつけた「児童朝礼」を行った小田村校長に対して抗議します。小田村校長を任命し、「児童朝礼」を実施させた大阪市教委の責任を追及します。小田村校長と大阪市教委は、同校の保護者・子どもに対してはもちろんのこと、大阪市民に対する説明と謝罪を行ってください。
(資料)
■山口采希氏が歌った曲
□「行くぞ!日の丸!」
喜びと悲しみに
情熱が肩を組む
うつむいた日は過ぎた
時が来た まっしぐら
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
ああ勇ましく 日の丸が行くぞ
ひたぶるに駆け抜けた
根こそぎのなにくそで
どん底も手を伸ばし
風一つ 掴んだる!
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
揺るがぬ魂 日の丸が行くぞ
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
ああ勇ましく 日の丸が行くぞ
行くぞ!行くぞ!日の丸が行くぞ!
白地に赤く 日の丸が行くぞ
□「令和の御代」
春の訪れ 風も和やかに
薫り高く 梅の花のように
うるわしき日々を
ありのままに
咲き誇る
令和の御代に
和らぎの日々を
それぞれの心
満ち足りて
咲き誇る
令和の御代に
心寄せ合う
令和の御代に
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いやはやなんとも、というほかはない。
大阪市教委は、事態を把握していないのだろうか。見て見ぬふりなのだろうか。府教委はどうなのだろう。
内閣が天皇賛美一色であり、それを可視化した儀式を行うから、こんな校長が出て来るのだ。衆参両院が、全会一致で天皇就任の賀詞決議などするから、こんなことが許されると思う輩が出てくる。
この公立小学校の天皇礼賛行事。ごく例外的な跳ね上がりの孤立した行動と軽視できないのではなかろうか。これを許す時代の空気の反映とすれば、怖ろしいことなのかも知れない。
(2019年6月23日)
吉田嘉明が経営するDHCとは、
D デマと
H ヘイトの
C カンパニー
である。のみならず、デマとヘイトにスラップまでが加わった、稀有の三位一体企業というほかはない。
人権感覚のある人、民主主義や平和を大切に思う人は、けっしてDHCの製品を買ってはならない。
これまで、このことを繰り返してきたが、本日は、「H ヘイト」を取りあげたい。
昨日(6月21日)、国連広報センターのホームページ(日本語版)に、下記のプレスリリース記事(抜粋)が掲載された。
「アントニオ・グテーレス国連事務総長、 ヘイトスピーチに関する国連の戦略と計画を発表(プレスリリース日本語訳)」
https://www.unic.or.jp/news_press/info/33636/
ニューヨーク、6月18日?事務総長はきょう、加盟国に対する非公式ブリーフィングで「ヘイトスピーチに関する国連戦略・行動計画」を発表しました。この戦略の目的は、ヘイトスピーチが知らず知らずのうちに及ぼす影響や、それぞれの活動の中で、ヘイトスピーチにさらに効果的に対処する方法について、国連のあらゆる主体による理解を深めることにあります。また、加盟国に対する支援の強化と、民間企業や市民社会、メディアとの連携の強化も求めています。
戦略は、ヘイトスピーチの根本的な原因と推進要素にいかに取り組むべきか、そして、その社会に対する影響をいかに弱めるべきかに関するアイデアを提供するものとなっています。
「ヘイトスピーチは寛容や包摂、多様性、そして私たちの人権規範と原則の本質に対する攻撃に他なりません。さらに幅広い意味で、ヘイトスピーチは社会的一体性を損ない、共有の価値を侵食し、暴力の基盤を作り上げることにより、平和、安定、持続可能な開発、あらゆる人の人権実現という理想を後退させかねません」アントニオ・グテーレス事務総長は加盟国へのブリーフィングの中で、このように述べています。
これまで75年間、ルワンダからボスニア、さらにはカンボジアに至るまで、私たちはヘイトスピーチが残虐な犯罪の前兆となる様子を目の当たりにしてきました。最近では、中央アフリカ共和国やスリランカ、ニュージーランド、米国をはじめ、世界各地で大量殺人をもたらした暴力との強い関連性が見られます。各国政府もテクノロジー企業も、オンラインで組織的にまき散らされる憎悪の予防と対策に苦慮しているのが現状です。
グテーレス事務総長は「新たな経路によってヘイトスピーチがこれまで以上に幅広い人々に、瞬時に届いている中で、私たち国連や各国政府、テクノロジー企業、教育機関はすべて、対応を強化する必要があります」と語っています。
加盟国に対する国連の支援を強化するため、事務総長は、ヘイトスピーチに取り組み、これに対するレジリエンス(「対抗力」と訳すべきか)を築く上での教育の役割に関する会議を招集する予定です。また、ジェノサイド防止担当特別顧問を今回の戦略・行動計画の国連におけるフォーカルポイントに任命しました。特別顧問はこの資格で、より具体的な実施指針の策定を監督、促進することになっています。
この事務総長発言の認識に全面的に同意する。ヘイトスピーチは、「寛容や包摂、多様性、人権規範に対する本質的な敵対物である。しかも、暴力の基盤を作り上げることによって平和を破壊する」。ヘイトスピーチを看過してはならない。
6月18日、グテーレス事務総長が「ヘイトスピーチに対処する行動計画」を発表した際には、その演説の中の「自由民主主義体制下でも政治指導者がヘイトスピーチを広めている―」との発言が大きな話題となった。
この演説の内容は、かなり厳しい。たとえば、朝日はこう報じている。
「グテーレス氏はこの日、加盟国に向けた演説で、政治体制を問わず、『何人かの政治指導者が憎悪に満ちた考え方や言葉を広め、普遍化し、公の議論を荒らし、社会を弱体化させている』と指摘。ヘイトスピーチへの対処に国際社会が臨む重要性を説いた。」
「発言は移民らに向けられたトランプ氏の差別的な発言に釘を刺す形となり、演説後の会見で、記者から『(だれの行為か)名指しした方が、インパクトを与えられるのでは』との質問が出た。
グテーレス氏は『名前を公表すれば、それだけが広く伝わってしまう。私が望むのは、本質的な問題がしっかりと扱われることだ』と苦笑いしてかわした。」
トランプほどのスケールは欠くにせよ、我が国にも、「憎悪に満ちた考え方や言葉を広め、普遍化し、公の議論を荒らし、社会を弱体化させている」ヘイトスピーチの常習者は、少なくない。その典型が、DHCの吉田嘉明といってよい。
彼のヘイトの矛先は、在日である。在日を差別する点において紛れもない「不当な差別的言動」であり、違法行為である。
下記が、2016年2月12日付で、DHCのホームページに堂々と掲載された記事の抜粋である。「会長メッセージ」と標題があり、「株式会社ディーエイチシー 代表取締役 吉田嘉明」との肩書記名が明記されていた。但し、現在はこの記事はホームページから削除されている。さすがに恥ずかしいことを悟っての記事の抹消であれば、結構なことだ。反省文が公表されていればなお結構だが、それはない。
「時々とんでもない悪(わる)がいたりしますので、この点は注意が必要です。純粋な日本人でない人も結構います」「本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません。この場合の在日は広義の意味の在日です。いわゆる三、四代前までに先祖が日本にやってきた帰化人のことです。そういう意味では、いま日本に驚くほどの在日が住んでいます。」「問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩」「政界(特に民主党)、マスコミ(特に朝日新聞、NHK、TBS)、法曹界(裁判官、弁護士、特に東大出身)、官僚(ほとんど東大出身)、芸能界、スポーツ界には特に多いようです」「問題は、政界、官僚、マスコミ、法曹界です。国民の生活に深刻な影響を与えます。」「私どもの会社も…法廷闘争になるときが多々ありますが、裁判官が在日、被告側も在日の時は、提訴したこちら側が100%の敗訴になります。裁判を始める前から結果がわかっているのです。似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」
この文章には、論理も論証もない。「法曹界には、日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩が特に多い」「私どもの会社(DHC)が裁判に負けるのは、裁判官がそのような在日だから」という無茶苦茶な没論理。
DHCのホームページのヘイトスピーチは削除されたが、こちらは残っている。
産経のネット論壇である「iRONNA」に掲載された 【DHC会長独占手記】「『ニュース女子』騒動、BPOは正気か」という挑戦的なもの。
? 今、問題になっている放送倫理・番組向上機構(BPO)についてですが、まずこの倫理という言葉を辞書で調べてみると「善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの」(「大辞泉」)ということになっています。そもそも委員のほとんどが反日、左翼という極端に偏った組織に「善悪・正邪」の判断などできるのでしょうか。
沖縄問題に関わっている在日コリアンを中心にした活動家に、彼らが肩入れするのは恐らく同胞愛に起因しているものと思われます。私どもは同じように、わが同胞、沖縄県民の惨状を見て、止むに止まれぬ気持ちから放映に踏み切ったのです。これこそが善意ある正義の行動ではないでしょうか。
?今、私が最も危倶しているのは、日本の主要分野にあまりにも増えすぎた「反日思想を持つ在日帰化人」のことです。日本人になりきって、日本のためにこれからも頑張ろうという人たちを差別しては絶対にいけません。反日だからダメなのです。日本という国にお世話になっていながら、日本の悪口は言う、日本を貶めることだけに生き甲斐を感じているような在日帰化人は逆に許せません。
? 実業界で大企業の創業者の大半は在日帰化人です。私のように純粋な大和民族はその点では珍しい存在かもしれません。この類の実業家は、反日ではありませんが、やはり民族的な性格からか、その貪欲さは半端ではありません。昔からの人情味あふれた小売店が全国から消えていったのは、率直に言ってこの人たちのせいだと思っています。
政界、法曹界は特に在日帰化人が多いことで知られています。日本の全弁護士が所属している日弁連という団体がありますが、みなさんぜひ一度調べてみてください。本稿ではあえて触れませんが、驚くべきことが分かります。
この吉田の文章が、ヘイトスピーチであることについて、法務省のホームページを開いて、確認されたい。http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html
ヘイトスピーチ、許さない。(”Stop Hate Speech”)
? 令和元年6月3日(月)で「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)」,いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」の施行から3年を迎えました。
?我が国におけるヘイトスピーチ問題への理解は進んできてはいるものの,いまだ国民全体に理解が広まったとは言えません。
?法務省の人権擁護機関においては,ヘイトスピーチは許されないという意識をより一層普及させるため,引続き広報・啓発活動を行ってまいります。
ヘイトスピーチって何なの?
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に, 日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの 一方的な内容の言動が,一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています。
? 例えば,
(1)特定の民族や国籍の人々を,合理的な理由なく,一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
? (「○○人は出て行け」,「祖国へ帰れ」など)
(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
?(「○○人は殺せ」「○○人は海に投げ込め」など)
(3)特定の国や地域の出身である人を,著しく見下すような内容のもの
?(特定の国の出身者を,差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)
以上でお分かりのとおり、吉田嘉明の【DHC会長独占手記】は、典型的なヘイトスピーチなのだ。
もう一つ。国連の文書を挙げておこう。
2014年8月20日の自由権規約委員会「日本の第6回定期報告に関する総括所見」である。
そのなかに、「ヘイトスピーチ及び人種差別」と表題する章があり、次のようにしるされている。
「委員会は,韓国・朝鮮人,中国人,部落民といったマイノリティ集団のメンバーに対する憎悪や差別を煽り立てている人種差別的言動の広がり,そしてこうした行為に刑法及び民法上の十分な保護措置がとられていないことについて,懸念を表明する。委員会は,当局の許可を受けている過激派デモの数の多さや,外国人生徒を含むマイノリティに対し行われる嫌がらせや暴力,そして「Japanese only」などの張り紙が民間施設に公然と掲示されていることについても懸念を表明する。
締約国は,差別,敵意,暴力を煽り立てる人種的優位性や憎悪を唱道する全てのプロパガンダを禁止すべきである。また,こうしたプロパガンダを広めようとするデモを禁止すべきである。締約国はまた,人種差別に対する啓発活動に十分な資源を割り振り,裁判官,検察官,警察官が憎悪や人種差別的な動機に基づく犯罪を 発見するよう研修を行うようにすべく,更なる努力を払うべきである。
締約国はまた,人種差別的な攻撃を防止し容疑者らを徹底的に捜査・訴追し,有罪の場合には適切な処罰がなされるよう必要な全ての措置を取るべきである。」
これが、ヘイトスピーチについての国際的な合意点である。吉田嘉明は「BPOは正気か」と言ったが、国際常識からすれば、吉田嘉明自身こそが、「正気か」と問われなければならないのだ。
(2019年6月22日)
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以下は、6月23日の加筆である。
6月22日の毎日夕刊に、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)伊達寛社長の就任1年インタビュー記事が掲載されていることに今朝(23日)になって気が付いた。大きく「『ニュース女子』放送内容への責任 自戒に」という見出し。同社長は、18年6月に就任以来の「反省の一年」について真摯に語っている。なるほど、なんの反省もない吉田嘉明とは、月とスッポン、提灯と釣り鐘。こういう局面で、本物と偽物・似非物との差が表れる。以下は、その該当部分の引用。
伊達社長がMXの専務時代の17年1月には、別の番組「ニュース女子」で大きな問題が起きた。同番組が沖縄の米軍基地問題を扱い、基地反対派をテロップなどで「テロリストみたい」などと表現。「事実関係が違う」と批判が上がり、同年12月に放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から「重大な放送倫理違反があった」と意見書で指摘された。MXはその約3カ月後、同番組を終了した。
「ニュース女子」はスポンサーが番組枠を買い取り、その子会社が制作した番組を流す「持ち込み番組」だった。スポンサーだった化粧品会社「DHC」は当時、MXにとって最大の取引先でもあった。伊達社長は「我々に深く反省すべきところがあった。放送で最も大事なことは信頼感。テレビ局は放送内容に責任を持たなければならない。多くのメディアから取材を受けたが、民放として答えづらいところもあり、(取材に対する)十分な対応ができず、さらに信頼を失った」と振り返る。
社長就任後、最大の仕事は信頼回復だった。「社員も反省の1年を過ごした」と言う。昨年後半からは、会社の方向性を示す「企業メッセージ」の策定にも取り組んだ。部署を超えた若手社員が議論し、生まれたのが「つなげるテレビ」というキャッチフレーズ。「あらゆる声に耳を傾け、視聴者や業務上のパートナーと未来をつくるという願いを込めた。東京のテレビ局として積極的に町に出て行き、東京が抱える課題や悩みの解決の一助となる仕事をしたい」と話す。
この反省の姿勢は、立派なものだ。この反省あればこそ、MXは真っ当な企業として、社会に受け入れられることになる。すこしは吉田嘉明にも、これを見習う姿勢が欲しいところだが、今のところ、その片鱗も見ることができない。
私は未見なのだが、映画「主戦場」が大きな話題となっている。2019年4月20日公開で、その2か月後の興行成績を朝日新聞は、「東京の映画館では満席や立ち見状態になり、上映後には拍手が起きる『異例のヒット』」と報じている。全国各地に上映館が拡大している。この種の映画としては、紛れもない「最大級の異例のヒット」。世論への影響も小さくない。
テーマは慰安婦問題。劇映画ではなく、多数者へのインタビューを重ねた地味なドキュメンタリー。これがなぜ異例のヒットとなったか。何よりも、異例の宣伝が功を奏したからだ。出演者自らが勤勉な宣伝マンとなって話題作りに励み、この映画の題名や内容や評判を世に知らしめ、多くの人の鑑賞意欲を掻き立てたのだ。制作者の立場からは、こんなにありがたいことはなかろう。
5月30日、この映画の出演者の内の7人が、共同で上映中止を求める抗議声明を発表した。そのうち、3人が共同記者会見をしている。これが、この映画の存在と性格を世に知らしめる発端になった。言わば、これが話題作りパフォーマンスの発端。多くの人は、この記者会見で、こんな映画があり、こんな問題が生じていることを初めて知ることとなった。
「主戦場」を異例のヒットに導いた7人の宣伝マンの名を明記しておかなくてはならない。多くは、おなじみの名だ。ほかならぬこの7名が、映画の出演者として自らが出演した映画の上映中止を求めている。それだけで、映画の宣伝としての話題性は十分。この声明と記者会見で、この映画を観るに値すると考え、映画館に足を運ぼうと思いたった数多くの人がいたはずである。
??? 櫻井よしこ(ジャーナリスト)
??? ケント・ギルバート(タレント)
??? トニー・マラーノ(テキサス親父)
??? 加瀬英明(日本会議)
??? 山本優美子(なでしこアクション)
??? 藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)
??? 藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)
「共同声明」は、彼らが映画の上映中止を求める理由を7項目にわたって書いている。その7項目のタイトルが下記のとおり。
1、商業映画への「出演」は承諾していない
2、「大学に提出する学術研究」だから協力した
3、合意書の義務を履行せず
4、本質はグロテスクなプロパガンダ映画
5、ディベートの原則を完全に逸脱
6、目的は保守系論者の人格攻撃
7、出崎(監督のデザキ)と関係者の責任を問う
上映や出版の中止を求める場合、普通は「事実が歪曲されている」「事実無根の内容によって名誉と信用を毀損された」とする。表現の自由も、「事実を歪曲する自由」を含まないからだ。しかし、この7項目に、そのような主張は含まれていない。具体的に、真実と異なる表現を指摘できないと理解せざるを得ない。
毎日「夕刊ワイド」が詳細に報じているとおり、「『主戦場』は、出演者の発言と表情を克明に追う。抗議声明に名前を連ねているケント・ギルバート氏は3月の試写会鑑賞後、毎日新聞の取材に対し『取り上げる意味のない人物の発言を紹介している』と批判を加えた一方で、自身の発言部分については『まともに取り上げてくれています。それは大丈夫です』と話している。」というのだ。
藤岡信勝は「学術研究とは縁もゆかりもない、グロテスクなまでに一方的なプロパガンダ映画だった」と強調したというが、本来プロパガンダ映画作りも、表現の自由に属する。
その上、「商業映画への出演は承諾していない」「大学に提出する学術研究だから協力した」「合意書の義務を履行せず」の主張は、彼らにとって旗色が悪い。
一方、デザキ氏と『主戦場』配給会社の東風は6月3日、東京都内で記者会見した。デザキ氏は、出演者が「撮影、収録した映像、写真、音声などを私が自由に編集して利用することに合意する合意書、承諾書に署名した」と指摘した。藤岡氏ら2人については、公開前の確認を求めたため、昨年5月と9月に本人の発言部分の映像を送ったという。その後、連絡がなかったため大丈夫だと考えたという。デザキ氏は、出演者には「試写会」という形で一般公開される前に全編を見てもらう機会を与えたとも強調した。(週刊金曜日)
にもかかわらず、6月19日、この7人のうちの5人(ギルバート、マラーノ、山本、藤岡、藤木)が原告となって映画の上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。どういうわけか、櫻井よしこ、加瀬英明の二人は、提訴をしていない。
いずれにせよ、勝ち目を度外視したにぎやかな提訴がまたまた話題を呼び、この映画の社会的関心を盛り上げることに成功している。有能な宣伝マンたちの、献身的な行為と賞讃せざるを得ない。
なお、朝日の報道に、原告らは「映画で『歴史修正主義者』『性差別主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損(きそん)された」とある。
フーン。彼らにも、『歴史修正主義者』『性差別主義者』などは、名誉を毀損する悪口だという認識があるのだ。
「歴史修正主義」とは、歴史的事実をありのままに見ようとせず、自らのイデオロギーに適うように歴史を歪めて見る立場をいう。イデオロギーに、事実を当てはめようという倒錯である。典型的には、「天皇の率いる日本軍が非人道的な行為をするはずがない」という信念から、「従軍慰安婦などはなかった」とする立場。あるいは、日本という国を美しいものでなくてはならないとする考え方から、日本の過去の行為はすべて美しいものであったという歴史観。原告ら5人は、この映画制作進行の過程で、こう指摘される結論に至ったのだ。その過程が示されていれば、名誉毀損にも侮辱にも当たらない。
また、「性差別主義者」についてである。「例えば、上映中止を求めている一人の藤木俊一氏。『フェミニズムを始めたのは不細工な人たち。誰にも相手にされないような女性。心も汚い、見た目も汚い』との内容を語る様子がスクリーンに映し出される。だが、記者会見でこの発言について確認を求められた藤木氏は『訂正の必要はない』と述べている。」(毎日・夕刊ワイド)
『主戦場』という映画のタイトルは、いまや日本でも韓国でもなく、当事国ではないアメリカこそが、この論争の主戦場になっているという、映画の中での右派の言葉からとったものだという。
あるいは、これまでの論争を総括し集約して、このスクリーンこそが従軍慰安婦問題の主戦場である、という主張なのかも知れない。いや、スクリーンにではなく現実の社会の論争喚起にこそ主戦場がある、との含意かも知れない。何しろ、安倍晋三を首相にしているこの日本の歴史認識状況なのだから。
この映画と映画をめぐる諸事件が、従軍慰安婦問題論争に火をつけ、活発なメディアの発言が続いていることを、歴史修正主義派を糾弾する立場から歓迎したい。
(2019年6月21日)
昨日(6月19日)の党首討論。正確には、「国家基本政策委員会合同審査会」というそうだ。メディアは注目しなかったが、志位和夫(共産党委員長)と安倍晋三との「討論」を振り返ってみたい。
以下が、その「討論」の議事速報(未定稿)からの引用である。本日の赤旗紙面には、おそらく発言のとおりの、もっと詳細な文字起こしが掲載されている。これによれば、安倍晋三の発言は、この議事速報のように滑らかなものではない。つっかえ、つっかえのよれよれ発言。
○志位和夫君
金融庁が、夫婦の老後資金として公的年金以外に三十年で二千万円が必要との報告書を公表したことが年金への不安を広げております。年金への不安は、これにとどまるものではありません。マクロ経済スライドによる給付水準の引下げという大問題があります。
直近の公的年金の財政見通しによれば、マクロ経済スライドは、現在四十一歳の人が六十五歳で年金を受け取れるようになるまで続き、これによって、受け取れる年金の水準は、平均的な高齢夫婦世帯で月額四万三千円、三十年間で約一千六百万円も減らされます。
先日の参院決算委員会で、我が党の小池晃議員がマクロ経済スライドはやめるべきだと求めたのに対し、総理は、年金は給付と負担のバランスで成り立っている、やめてしまうというのは無責任でばかげた政策と言いました。
しかし、今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策と言わなければなりません。
マクロ経済スライドを中止しても、給付と負担のバランスをとる手だては幾つもあります。私は、その手だての一つとして、高額所得者優遇の保険料のあり方を正すことを、きょうは具体的に提案いたします。
今の年金保険料は、月収六十二万円、ボーナスを含め年収で約一千万円を超えますと、保険料負担がふえない仕組みになっています。年収が約一千万円の上限額を超えますと、二千万円の人も、一億円の人も、みんな保険料は同じ、年間九十五万五千円です。
そこで、提案でありますが、約一千万円のこの上限額を、健康保険と同じ約二千万円まで引き上げる。そのことによって、約一・六兆円の保険料収入がふえます。その際、アメリカでやっているように、高額所得者の年金給付の伸びを抑制する仕組みを入れる。そうすれば、それによる給付増分を差し引いても、毎年約一兆円の保険料収入をふやすことができます。この一兆円を、マクロ経済スライドをやめ、減らない年金にする財源に充てる、これが私たちの提案であります。
総理に端的に伺います。
年収一千万円を超えますと、保険料がふえなくなる高額所得者優遇の保険料のあり方、これは正すべきではないですか。端的にお答えください、正すかどうか。
問題点の指摘、制度改正の提案、そして質問の内容。すべて、明瞭で具体的である。要約すれば、「給付額不十分な年金制度をさらに切り下げるのがマクロ経済スライド。これを廃止して金額が下がらない年金給付とすべきだ。マクロ経済スライドの廃止に代わる財源確保措置として、現行の高額所得者優遇の保険料のあり方について見直しを提案する。(高額所得者優遇の保険料のあり方)を正すか、どうか。」ということ。時間がない中で「質問に、端的にお答えください」は当然のこと。
保険料を納付し給付を受ける立場の全国民が、こぞって耳を傾けたくなる質問ではないか。これに対する安倍の回答は、いく通りか考えられる。
想定回答その1は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は、やはり問題があると思いますので、正します」というもの。こうすれば、安倍政権の人気は急上昇の可能性があった。別に、高額所得者に犠牲を強いるという策ではない。高額所得者優遇措置を改めるというだけ。その結果として「非高額所得者層」の年金給付額を増やす(あるいは減らさない)ことができるのだ。
想定回答その2は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は変更することなく維持します」というもの。こうすれば、安倍内閣の人気は落ちるが、自ずと、政治姿勢や基本理念の対決点が明らかになる。ここを議論の出発点として、意見交換が始まることになる。
あるいは、どちらとも明確にせず、曖昧なままとする想定回答その3もありうる。たとえば、「政策の理念には賛同しますが、階層間の利害の調整は容易なことではありません。今後の課題として検討させていただきます」など。いわゆる、リップサービスだけの実質ゼロ回答。
さて、安倍の回答は、以上の想定回答のどのパターンだったか。驚くべし。どれでもないのだ。聞かれたことに答えない、いつもの不誠実極まる安倍晋三流。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この議論で大変残念なのは、先ほどの党首の議論で、年金のいわば積立金が枯渇するというときに拍手が起こったことであります。
私は、そういう議論はすべきではないですし…
…(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) お静かにお願いします。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) テレビを見ている方々がおられますから……(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) 静かにしてください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 大切なことも述べなければいけないわけでありまして、基礎年金の運用については、四十四兆円プラスになっているということははっきりと申し上げておきたいと思いますし、マクロ経済スライドについての御質問でございますが、マクロ経済スライドについても、先ほど来お話をさせていただいておりますように、これは平均寿命が延びていきますから、給付はふえていく。そして、生産年齢人口が、ふえていきますから、当然、これは被保険者は減っていく。その分を調整していく、そうしたファクターを調整していく数字によって、将来の受給者の所得代替率を五割を確保していくというものでありまして、それが今発動されて、しかも、それが〇・九から〇・二になったということは、まさに改善したということを申し上げているわけでありまして、先ほどさんざん毀損されましたが、そのことをはっきりと申し上げておきたいと思います。
その上において、共産党の主張は、マクロ経済スライドを廃止して、その上で、なおかつ将来の受給者の給付が減らないようにする上においては、これは七兆円の財源が必要でございます。皆さんはその財源がある、こうおっしゃっています。七兆円というのは巨大な財源であります。巨大な財源があるというのは、これはかつて聞いたことがあるような話でございますが、それはそう簡単には出てこないわけでございます。
いずれにいたしましても、私たちは、このマクロ経済スライドという形において、今の形で、マクロ経済スライドの形において、それを発動させていくことによって今の受給者と将来の受給者のバランスを図っていく、あるいは将来の給付と負担のバランスを図っていきたい、こう考えておりますが、今、志位委員がおっしゃった御提案については、これはまずはちゃんと検証しなければ、その数字は明らかでないわけでありますし、一兆数千億円で賄えるものではなくて、七兆円という、全く枠が違うわけでありますから。
いずれにいたしましても、マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、簡潔にお願いいたします。
こりゃなんじゃ。「端的にお答えください」とされた質問は、「高額所得者優遇の保険料のあり方を正すのか、どうか」ということ。これにはまったく答えようとせずに、他党党首との論争を持ち込み、「マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、これはばかげた案だと思います。」と締めている。あ?あ。議論するのが虚しくなる手合いなのだ。時間がない。最後の志位発言は次のとおりである。
○志位和夫君 私は、減らない年金にするための具体的提案をやった。それに対するお答えは一切ありません。七兆円というのは、私たちの暮らしを応援する政策のパッケージでやる財源の問題なんです。この問題……
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、終わりにしてください。
○志位和夫君 マクロ経済スライドをやるということは、今の年金の水準を六割から五割に、現役世代との所得代替率を減らすわけでしょう。これは減っていくんですよ。
○会長(佐藤勉君) 時間です。
○志位和夫君 私は、今政治に求められているのは、貧しい年金の現実を直視して、安心の年金に変えるための責任を果たすことだ、報告書を隠蔽することじゃないということを申し上げて、終わります。
○会長(佐藤勉君) これにて志位君の発言は終了いたしました。
安倍晋三という人物。まともな議論をする能力のないことを、政治家としての強みとしているのだ。
それでも、短い時間に、これだけは浮き彫りになった。
「今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策」というのが、志位和夫の共産党。
「自動的に年金給付額を減らす『マクロ経済スライド』を廃止せよ。そのための財源を真剣に検討せよ」という提案を「もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。」というのが安倍晋三。
これが、一握りの「高額所得者層」と、圧倒的多数の「非高額所得者層」との、それぞれの利益代表の「討論」なのだ。どちらに軍配を上げるべきかは、有権者の選択となる。自分に不利な政党選択をすることのなきよう、お間違えなく。
(2019年6月20日)
参院選が近い。総選挙との同日ダブル選はなくなった模様。
政権としては、「どうせこのままでは支持率はジリ貧。すこしでも勝てる見込みがあれば、今のうちにダブル選挙」だったであろうが、そこまで踏み切れなかったということだ。6月26日で今通常国会の会期を終了し、G20終了後の7月4日公示で、同月21日投開票がほぼ確定と伝えられている。
この参院選は日本国憲法の命運を左右する。自・公・維の改憲派議席を3分の2以下に押し込むことができれば、「安倍改憲」のもくろみは当面ついえることになる。何しろ、今が改憲派にとっての千載一遇のチャンスなのだ。このチャンスは、「安倍が首相でいるうち」「両院に改憲派議席が3分の2あるうち」のこと。参院選は、これを突き崩す護憲派のチャンス。
安倍自民は、「日本の明日を切り拓く」「令和新時代・伝統とチャレンジ」とのキャッチフレーズを掲げた上で、参院選公約として下記の6本の柱を建てている。
(1)力強い外交・防衛
(2)経済成長と所得引き上げ
(3)誰もが安心、活躍できる人生100年時代の社会保障
(4)最先端をいく元気な地方
(5)復興と防災
(6)憲法改正を目指す
6番目の柱の「憲法改正」だが、どの世論調査でも「安倍内閣での憲法改正には反対」が国民多数の世論である。与党が、改憲公約を前面に掲げて選挙ができる環境にはない。これを承知で、選挙戦での安倍自民の強調点は、「経済成長と所得引き上げ」の柱に寄り掛かることになる。
「圧倒的な国民には受益の実感がない」「むしろ格差を拡大してきただけ」「企業のための雇用条件切り下げではないか」と言われながらも、政権は数字をつまみ食いしてアベノミクスの効果を語り続けてきた。
「経済政策で票を集めて、獲得した議席で改憲を実現する」というのが、年来の安倍政権の改憲戦略。今回もそうせざるを得ないのだが、「経済政策で票を集める」ことが困難になりつつある。政権が選挙戦では頼みにしているアベノミクス効果が息切れし、崩壊寸前なのだ。
昨日(6月18日)の朝日に、「年収200万円未満が75% 非正規のリアルに政治は」「非正社員が働き手に占める割合は過去最高水準」という記事。あらためて、アベノミクスがもたらした国民生活の実態に驚かざるを得ない。これが、アベノミクス6年の「成果」の内実なのだ。
記事は、こう始まる。
「全都道府県で1倍超の有効求人倍率、高い大卒の就職率、歴史的な低失業率――。安倍政権は『アベノミクスの成果』として雇用の指標をよく語ります。でも、非正規雇用が10人に4人にまで増え、そのほとんどの年収が200万円に満たないことはあまり触れられません。安倍晋三首相が『非正規という言葉を一掃する』と言いながら、歯止めなく増え続ける非正規雇用も、参院選での論点になりそうです。
そして、就職氷河期を経験した非正規労働者の具体例を挙げて、こう言う。
安倍政権はこの春から、「働き方改革」の新制度を順次導入している。ただ、高プロのように働き手のニーズというよりも、企業目線、経営者目線で生産性の向上をめざす改革が際立つ。
首相があまり触れない数字もある。非正規雇用だ。この6年間で約300万人増え、2018年10?12月は2152万人になった。首相は「非正規という言葉を一掃する」と宣言したが、働き手に占める非正規の割合はいまや38%を超え、過去最高の水準にある。
総務省の2017年調査では、非正社員の75%は年収200万円未満。「働いても働いても生活が豊かにならない」、いわゆるワーキングプアに当てはまる。女性だけだと比率は83%に達する。
氷河期世代に象徴される非正規雇用が増え続けるのは、企業が人件費を抑えようと正社員よりもパートやアルバイトを雇ってきたことがある。加えて、1990年代後半以降、自民党政権が企業の求めに応じて派遣労働などの規制緩和を進めたことも背景にある。
平均賃金を上昇させるには、際限なく増え続ける非正規雇用に歯止めをかけることが欠かせない。目先の看板施策にこだわる今の政権にそうした機運は乏しい。直近では、最低賃金の大幅な引き上げを求める政府内の声が、企業側の強い反対でかき消された。
この先、多くの外国人労働者が「特定技能」の資格で入ってくると、平均賃金はさらに伸び悩む恐れがある。?
偶々、海外ニュースで目に留まったのが、スイス各地で行われた6月14日の女性労働者のストライキ。男女間の賃金格差是正や職場でのハラスメント根絶を求めての、ストライキ参加者は計50万人にのぼるという。スイスの全国人口は800万余。日本に当てはめれば、500万人を遙かに上回る規模のストライキとなる。
虐げられている者が声を上げ、立ち上がらねばならない。香港でも韓国でも、民衆の力が政治を変えることを教えている。日本でも、そうありたい。まずは、この不満を参院選で表したい。投票による「反安倍」「反自公」「反アベノミクス」「反改憲」の意思表示を。
(2019年6月19日)
本日、「松尾あきひろ後援会」から、立派な封書が届いた。内容は、「松尾あきひろ君を励ます会」開催のお知らせである。併せてこの人の宣伝チラシが入っている。どうして、私のようなものに、案内が来るのだろう。ややいぶかしい。
松尾明弘とは、立憲民主党の「東京都第2区総支部長」で、前回総選挙に2区から立候補して落選した人物。次回総選挙にも、出馬の意欲十分のようだ。それ故の「励ます会」なのだろう。
この人、前回総選挙では、結果的に、地元2区の野党共闘候補となった人。私も、恥ずかしながら、この人のことをよく知らないまま、「野党共闘候補」というだけで応援し、電話での票読みまでした。今は、後悔の極みである。
「出たい人より出したい人」とは、よくできた言葉。定めし、松尾明弘は「出たい人」の典型だろう。本気で、この人を「出したい」という人を見たことはない。
この人、弁護士だというが、弁護士として取り組んだ人権問題や民主的課題の売りは一切ない。なぜ弁護士を志したか、なぜ政治家を志しているのか。語るべきものをもたないのだ。
私は、以前何度かこの人を批判するブログを書いた。一番まとまっているのは、(2017年11月27日)の下記の記事。
市民と野党の共闘候補に「隠れ改憲派」はふさわしくない。
https://article9.jp/wordpress/?p=9523
私は、松尾を「隠れ改憲派」と考えている。その理由は、上記URLに詳しい。松尾は、堂々と9条改憲の持論を述べればよい。改憲論者であることは、罪でも恥でもない。しかし、有権者を誤解させることは、罪深い。改憲論者が立憲民主党から立候補し、あまつさえ野党共闘候補者となって、9条改憲反対の善男善女の票を掠めとろうとすることが問題なのだ。
下記の地元活動家の松尾評が、あまりにみごとなので、もう一度引用させていただく。私もまったく同感だからだ。
朝日新聞の候補者アンケート(10月14日)に対して、共闘候補の松尾明弘氏は、「憲法改正に『どちらかと言えば賛成』」、「防衛力強化に『賛成』」と答えています。ここまでは、東京新聞アンケートからすれば想定の範囲内でした。しかし「原発再稼働に『賛成』」には驚き(辻自民党候補、鳩山希望の党両候補は「どちらとも言えない」)、先制攻撃論に「どちらかと言えば賛成」にはぶっ飛びました。こんな回答をする立憲民主の候補はもちろん他に一人もいません。松尾候補は、希望のなかに入ってもかなり「右」ということになります。自民党候補ですらだれでも「先制攻撃に賛成」しているわけではありません。
新聞アンケートの回答について「政治家として未熟」という意見がありましたが、そんな次元の問題ではなく、これは松尾氏の国防に関する「信念」なのではないかと考えます。防衛力を強化し、先制攻撃までできるようにするには、日本は建前では防衛用の兵器しかもっていないので、今後は攻撃用の武力も整備することになります。「非核三原則堅持」(辻も同じ)とはいうものの、北朝鮮の核に対抗し、プルトニウムもあり余っているのだから、日本も核武装しようという道筋になるのではないかと思われます。
選挙期間中に不特定多数の文京・台東・中央・港の有権者に松尾候補を推薦したわたくし自身の責任を大いに感じています。
松尾氏が次回も立候補するというご意向なら、立憲や希望ではなく、自民党から立候補すべきだと思います。
松尾明弘の前回選挙におけるホームページには、「護憲」の2文字はなかった。「改憲阻止」も、「憲法理念の実現」もなかった。安倍改憲阻止が最大の政治課題となっているときに、これに触れるところがなかったのだ。
そして、本日(6月18日)届けられたカラーのチラシにも、憲法のケの字もない。このままそっくり、自民党の候補者のチラシに使えそうである。
このチラシに、「松尾あきひろ決意表明」が掲載されている。その全文が以下のとおりである。
平成から令和の時代に変わりました。
新しい時代に、日本は新しく変わっていかなければならないと誰もが思っています。
しかし残念ながら、政治の世界にだけは、何としても今まで通りの形で変えずに行きたい、問題解決を先送りにしたい、と頑張っている人たちがまだまだたくさんいます。
自分たちの世代で、世界に誇れる新しい日本の形を作り上げていく。
それこそが、自分の子供、孫の世代に対する、最大の責任の果たし方であると考えています。だからこそ私は、批判にさらされ、休みもなく、不安定であることを承知のうえで、国政にチャレンジします。
まっとうな政治を実現し、停滞する日本の政治を前に進めていくために、私はもう一度政権交代することを目指します。
なんと無内容な、なんと愚かな、人の心に響かない、切実さのない、わけの分からない言葉の羅列。憲法も人権も差別も貧困も格差も出てこない、みごとなまでの無内容。
「平成から令和の時代に変わりました」って、ものを考えない人の決まり文句。この人、企業法務をやっている弁護士のようだが、すべて元号表記なのが驚き。若いのに、もともとが保守の心情が染みついているのだ。
この人のキャッチコピーなのか、「自由を守り、みんなが一緒に暮らせる国へ」という標語が見える。「自由を守り」とはなんだ。誰のどんな自由なのか、最低限明らかにしなければ意味がない。企業の飽くなき利潤追求の自由、解雇の自由、ヘイトスピーチの自由、国家の武装の自由、先制攻撃の自由…なのかも知れない。自由を脅かしているものの特定も、それへの闘いの宣言もない。まったくの空理空論、かる?い言葉が心細げに踊っているだけ。
私が松尾あきひろを批判するのは、野党共闘候補にふさわしくない、ということだ。2度と、地元でこんな候補を担ぎたくはない。
もう一度、この度の参院戦一人区での市民と野党の共通政策を確認しておこう。13項目のうち、最初の6項目だけを挙げておく。
1 安倍政権が進めようとしている憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと。
2 安保法制、共謀罪法など安倍政権が成立させた立憲主義に反する諸法律を廃止すること。
3 膨張する防衛予算、防衛装備について憲法9条の理念に照らして精査し、国民生活の安全という観点から他の政策の財源に振り向けること。
4 沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行うこと。さらに、普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進めること。日米地位協定を改定し、沖縄県民の人権を守ること。また、国の補助金を使った沖縄県下の自治体に対する操作、分断を止めること。
5 東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止向けた対話を再開すること。
6 福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意などのないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と地域社会再生により、原発ゼロ実現を目指すこと。
松尾明弘は、遠くこの水準に達していない。仮に、立憲民主党の2区候補者となることはあり得ても、野党共闘候補としてはならない。東京2区の地域で、改憲阻止の立場に立つ多くの人に、訴えたい。無原則な野党共闘は、松尾のような「隠れ改憲派」を候補者にしかねない。それは、護憲運動に大きな負の遺産をもたらす危険な事態だ。
野党共闘の候補者は、「13項目の共通政策」を実行するにふさわしい人。そのように確認をお願いしたい。
(2019年6月18日)