勿忘九・一八
本日は「九・一八」。中国では「国恥の日」とされる。1931年9月18日深夜、審陽(当時「奉天」)近郊の柳条湖村で南満州鉄道爆破事件が起き、続いて日本軍が動いた。これが「満州事変」のきっかけとなり、15年戦争のきっかけともなった。
何年か前、事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったもの。そのカレンダーの日付が「九・一八」となっており、「勿忘国恥」と書き添えられていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。関東軍は、鉄道爆破の直後に「張学良を中心とした中国側の攻撃が行われた」として本格的な戦闘を開始し、直ちに奉天の兵営を攻略した。そして、この日の鉄道爆破が関東軍の謀略であることは、日本の国民には終戦まで知らされなかった。いわば、最高の国家秘密であり続けたのだ。リットン調査団の報告は、政治的な思惑からこの点必ずしも明確にされていない。
この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。安倍内閣のたくらむ「特定秘密保護法」は、同様の国家秘密保護の役割を期待されている。
この事件は、中央政府からみて関東軍の独走であり暴走であった。事件を知った奉天総領事館側は、その日のうちに事件首謀者の板垣征四郎をいさめようとしたが、「統帥権に容喙する者は容赦しない」と、抜刀しての威嚇を受けたと伝えられている。これこそ、国防軍というものの正体とみなければならない。また、天皇の権威はこのような形で利用された。中央政府は事変不拡大の方針を決めたが、現地軍の暴走を止めることができなかった。
その背景に、熱狂した国民の支持があった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「軟弱な外交が怪しからん」「満州も中国も日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な「世論」だった。
軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そして、真実の報道と冷静な評論が禁圧される。巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
さて、翻って今。国防軍創設の提案、天皇元首化の動き、日の丸・君が代の強制、秘密保護法の制定、ナショナリズム復活の兆し、ヘイトスピーチの横行、朝鮮や中国への敵視策…、1930年代と似ていると言えば似ている。そう言えば、関東軍参謀長であった東條英機の時代に官僚として満州経営の衝にあたったのが岸信介。その岸を尊敬するという孫が首相になっているのも、不気味な暗合である。
隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムの抑制に努めよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、安倍や石原や橋下などの煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、力を合わせよう。
(2013年9月18日)