日本の司法制度と裁判官:何故おかしな判決が相次ぐのか 司法のあり方を論争的に考える―講演会レジメ
2月13日に、司法問題での講演を引き受けた。下記の内容である。すこし変わった形のレジメを掲出しておきたい。これをお読みいただいて、なるほど面白そうだと思われた方には、ぜひお越しいただきたい。
ところで、判決は裁判官が言い渡す。裁判官ヒエラルヒーの最上位にあるのが最高裁裁判官である。彼らは裁判体として全判決を統制し憲法と法律の解釈を一元化する役割を担う。それだけでなく、司法行政の主体ともなり、最高裁事務総局を通じて下級裁判所の全裁判官を統制する。
その最高裁裁判官15人が,すべて安倍内閣の任命となった。問題は、その任命方法がはなはだ不透明で、合点がいかないことだ。
新憲法ができて、司法が天皇の裁判所から人権の砦に切り替えられたとき、最初の15人の最高裁裁判官をどう選んだか。これが興味深い。憲法では内閣に任命権が与えられているが、新らしい裁判所法は内閣の専断を防止するために、「最高裁判所裁判官任命諮問委員会」を設けた。その構成は、衆参両院の議長、裁判官4名、弁護士4名、検察官1名、首相指名の学識経験者4名の計15名である。この諮問委員会が、30人の候補者を推薦して、その中から内閣が15名を任命した。この諮問委員会はこのときだけ語り草となる働きをして、その後は消えた。度々、復活すべき声が上がるが具体化しない。
そして、今、最高裁裁判官がどのように選任されるのか、外部からは窺い知れない。いまや、事態は忖度判決がまかり通る危険水域に達しているのではないか。そんな問題意識での報告である。
講 師:澤藤統一郎(さわふじ とういちろう)弁護士
1971年東京弁護士会に登録。靖国神社問題関連訴訟、自衛隊海外派遣違憲訴訟(湾岸戦争戦費支出差止請求事件)、東京日の丸君が代強制違憲訴訟などに関わった。元日弁連消費者委員長。
次 第
日 時:2月13日(木)18時?21時(開場17時30分)
会 場:スペースたんぽぽ 参加費(資料代含む):800円(学生400円)
たんぽぽ舎のあるダイナミックビルの4階 JR水道橋駅西口から5分
水道橋西通りを神保町方面に向けて左折、グローバルスポーツビル、
GS跡地(セブンイレブン)を過ぎて鉄建建設本社ビルを過ぎたら左折。
東京都千代田区神田三崎町2-6-2 tel 03-3238-9035 fax 03-3238-0797
Email: nonukes@tanpoposya.net URL: http://www.tanpoposya.com/
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☆司法の使命は?
A そもそも、憲法の理念を実現するのが司法本来の使命。立法からも、行政からも、時の政治勢力からもきっぱりと独立した司法が、憲法の平和主義、国民主権、人権保障を実現しなければならない。そのために実効性のある裁判所が必要で、違憲判断に躊躇しない積極姿勢の裁判官が求められている。
B そう力むこともなかろう。司法ばかりが目立つようでは困るのだ。この国の基本は民主主義ではないか。国会は国民の意思によってつくられ、議院内閣制をとる行政も民主的手続で出来ている。しかし、司法は民主的な基盤を持たない。司法がしゃしゃり出ることは、けっして望ましいことではなく、立法や行政の違憲審査に関しては、できるだけ消極的な司法の姿勢が望ましい。
C 司法消極主義は三権分立のタテマエに適合しているようで、実は、日本の政治状況に照らすと、憲法理念に理解のない保守政治をのさばらせている結果を招いている。こと人権侵害の問題については司法積極主義を大胆に貫きつつ、それ以外の問題では司法消極主義でよいのではないか。
B それはおかしい。日本の政治状況が保守に傾いているのは国民意識を反映しているだけのことで、司法のありかたとは無関係だ。それに、司法の守備範囲は原則として人権に関わる分野についてだけのはず。その他の憲法分野に司法が介入できるのは人権侵害を救済する必要あっての最小限度に限られる。司法積極主義か、司法消極主義かの争いは、そもそも人権論に関しての論争で、Cの意見はAと変わらない。
A 人権と制度(統治機構)とは、密接に絡み合っている。Bのように、厳格に人権救済だけを司法の役割と限定すると、実は、平和や国際協調や民主主義などの憲法理念の破壊あっても、その予防も修復もできなくなってしまう。それでよいのかという問題だ。私は、人権救済を基本としつつも、関連する制度運営に関しても、幅広に司法の役割を認めるべきだとする司法積極主義を支持する。
C 私は、日本国憲法の司法の役割は、あくまで人権というキーワードが最重要で、司法は人権擁護に徹すべきだという立場だが、人権侵害の予防・救済には、裁判所は積極的であるべきだと考えている。制度運営の違憲・違法が人権侵害の原因になっているとすれば、制度運用の違憲・違法を糺すのが司法の役割だろう。
☆現実の司法のあり方は?
A 具体的な問題で考えて見たい。多くの市民が原告となって「安保法制違憲訴訟」を提起している。憲法9条に照らして、集団的自衛権を容認する安保法制が違憲であることは明白ではないか。にもかかわらず、裁判所は、そのような実体審理に入ることもなく、合違憲の判断からも逃げて、形式的な却下判決や、国家賠償については法的な損害の存在を否定して棄却判決を繰り返している。これは、実質的に司法が政権の違憲政策に加担する図として許されない。しっかりと踏み込んだ違憲判断をして、憲法を活かすべきが司法の役割ではないか。
B そうではあるまい。原告の諸氏は、その訴えの窓口を間違えていると言わざるを得ない。一国の安全保障や外交・防衛政策は、民主的に国民全体の意思で決定すべき課題なのだから、裁判所ではなく国会に働きかけるべきがスジなのだ。あるいは、街頭でメディアで、世論形成に動くべきだろう。政治的な少数派が、選挙を通じての民主的手続を放棄して、裁判所に助力を期待するのは筋違いなのだ。
C 裁判所は「人権の砦」「憲法の番人」だ。国民の一人ひとりに、平和のうちに生きる権利がある。この紛れもない基本的人権が侵害された場合、あるいは危殆に瀕した場合には、裁判所に駆け込んで判決を求めることができるはずだ。安保法制違憲訴訟ではこの人権救済を求めている。それは、三権分立のありかたから見て裁判所の越権行為ではない。
B そういう個別の人権の立て方には無理がある。結局「?権」という人権があるという形を整えることによって、すべての憲法問題を裁判所マターにしてしまうことになる。これは憲法が想定していることではなかろう。
A いや、憲法は人権の体系なのだ。すべての制度違憲はそれに対応する人権侵害をもたらす。そう考えてこそ、「人権の砦」「憲法の番人」としての司法が機能することになる。立法・行政があまりに憲法を無視している現実があり、その是正を司法に期待して当然で、すべてのテーマに、可能な限り司法判断が及ぶことこそ望ましい。
☆では、憲法裁判所の設置はのぞましいか?
C なかなかに議論はまとまらない。日本国憲法での司法裁判所が違憲審査権を行使するには、どうしても附随的違憲審査制にしばられることになる。それなら、この制約を外したドイツ型の憲法裁判所設置という案はいかがだろうか。韓国の憲法裁判所の評判はよいようだし、野党の一部からの制度改正の要求もある。
A 日本での憲法裁判所の設置は、憲法改正を伴うものとして賛成しかねる。しかも、今の日本の政治情勢で憲法裁判所がつくられれば、立法・行政と一体となって、安易に違憲の立法や行政に、合憲のお墨付きを与える機関となりかねない。
B 具体的な紛争の有無に関わりなく、抽象的な違憲審査を可能とする憲法裁判所は、法や行政行為の合違憲を迅速に判断する機関として、歓迎したい。Aが、司法裁判所には広く憲法判断を求めながら、憲法裁判所の設置に反対するのはご都合主義ではないか。
☆権力分立における司法の位置づけは?
C 現在の司法の役割についても憲法裁判所の設置についても、Aは日本の現状におけるその機能を考え、Bは法体系の一般論として発言しているのが興味深い。A、Bそれぞれは、そもそも司法を、権力の全体構造において、政治的あるいは法的にどのような存在として位置づけているのだろうか。
A 政治学的には、所詮司法も権力機構の一部に過ぎない。司法が権力から独立しているという幻想に欺されてはならない。司法が相対的に権力から独立しているという側面はあるが、これに期待しすぎることが間違いの元なのだ。問題に満ちた今の司法のあり方は、その本質を露呈しているだけのことだ。
B 政治的な立論としてはそのような見解もあろうが、憲法論からは、独立した司法が立法や行政を監視し是正しなければならない。そうなっていない現実があれば、司法を正す努力をすべきが当然である。
C A論は、司法の現状を当然のこととして批判しないということか。また、B論は、立法や行政を直接に正すことと司法を正すことを、どう整理しているのか。
A 私は、権力の全体状況の中で、司法だけが取り立てて「反動化」することもなければ、「民主化」することもないのだろうと思う。その国民の水準に相応の国会がができ、内閣があり、その内閣が指名する最高裁裁判官が内閣を忖度した裁判をしている。なにより大切なのは、現安倍政権のごとき反憲法的権力に対する批判を集中することで、司法部批判はその一部と考える。
B それは、司法独自の課題をネグレクトする浅薄な考えだと思う。権力分立も司法の独立も、人類の叡智が生み出した貴重な理念だ。権力構造の中で、司法は独自の立場と課題をもっている。権力そのものとは異なる司法の本質に焦点を当てた批判が必要でもあり、有益でもある。
☆ 司法の独立の歴史と現状は?
C 司法特有の課題の中心にあるものは、「司法の独立」と言って異論はないだろう。
司法の独立には、「司法権が、他の立法権や行政権あるいは政治的圧力から独立している」ことと、「個々の裁判官が、司法上層部から独立している」ことの二重の意味がある。今の日本に司法の独立の理念は現実化しているだろうか。
A そんなものは影も形もない。かつてその萌芽はあったが、摘まれてなくなった。
戦前の「天皇の裁判所」を、新憲法は「国民の人権の砦」としたはずだった。しかし、裁判官には公職追放の適用はなく、治安維持法や不敬罪に親しんだ「天皇の裁判官」が戦後の司法を発足させた。
そして戦後司法の構造を決めた「ミスター最高裁長官」が2人いる。2代目の田中耕太郎(1950?1960)と5代目の石田和外(1963?1969)。どちらも、ゴリゴリの反共主義者。
それぞれに象徴的な訴訟を抱えた。
田中 砂川刑特法事件 伊達判決→砂川大法廷判決 安保合憲 統治行為論
石田 長沼ナイキ訴訟 福島重雄 平賀書簡 青法協攻撃 ⇒ 司法の危機
石田は定年退官後、「英霊にこたえる会」の初代会長となった。
裁判官の自主的な組織は潰され、最高裁当局から望ましくないとされる裁判官希望者は任官を拒否され、裁判官も出世や給与・任地に徹底した差別を受けている。その結果、上ばかりを見ている「ヒラメ裁判官」の「忖度」判決が横行している。
B それほど極端な状況でもなかろう。砂川大法廷判決も裁判所内のブルーパージ(青法協攻撃)も、立場によって評価の分かれるところだ。
最高裁当局の威光で判決の内容が決まるかというと必ずしもそうではない。愛媛玉串料訴訟では、後に日本会議の会長になる三好達長官が13対2の少数派にまわって敗れている。原発が国策であることは明確であっても、運転差し止めの判決も出ているじゃないか。総理のお友達の山口敬之に対する損害賠償請求事件では、原告伊藤詩織さん勝訴の判決となっている。消費者被害や医療事故に関する訴訟の救済水準も、まずまずというところではないか。
☆最高裁裁判官の任命制度について
C 消費者被害や医療事故、労災・職業病訴訟のような政権の根幹に関わらない事件については、真面目な裁判が行われているという印象だ。しかし、政治の根幹にかかわる事件では、忖度判決となってしまう。沖縄と国との訴訟がその典型だろう。教員に対する「日の丸・君が代」強制の可否をめぐる裁判もそうだ。裁判官の独立がもっとも必要とされる事件で、裁判官の独立が感じられない。どうすればよいだろうか。
A 安倍政権が長期化したことで、15人の最高裁裁判官全員が安倍内閣の任命によるものとなった。とりわけ、第1小法廷にその矛盾が表れている。
池上政幸(大阪高検検事長) 小池裕(東京高裁長官) 菅野博之(大阪高裁長官) 木澤克之(弁・加計学園監事) 山口 厚(弁・弁護士会推薦無し)
結局、《政権⇒最高裁⇒下級審裁判官》という、統制の構造ができあがっている。最高裁は、裁判体として判例を作ることだけでなく、その下級審裁判官に対する人事権をもって統制している。政権の恣意的な意向次第で最高裁判事の任命ができる現制度に、歯止めを掛けなければならない。
日弁連が提案している、「最高裁判所裁判官任命諮問委員会」の設置はその一案だと思う。
B とは言うものの、憲法の規定が「最高裁長官は内閣が指名(任命は天皇)」「長官以外の最高裁裁判官は内閣が任命」することになっているのだから、これを制約するような制度作りは難しいのではないか。もともとが、憲法は理性的で憲法に親和的な内閣を想定していたのだろう。そうなっていない現実が嘆かわしいのだが、内閣の最高裁裁判官任命人事には透明性を確保し世論の批判と、国民審査を実効的なものとする以外に方法はないのではないか。
☆日本の司法にどう展望を見出すか。
A 現行の司法制度を、上から変えようという発想が最高裁裁判官の任命制度改革だとれば、裁判官を下から変えていこうというのが、法曹一元の制度だ。
現行のキャリアシステムにおいては、司法修習生から判事補を採用するが、これを改めて、まず法曹の第一歩はすべて弁護士とする。経験を積んだ弁護士の中から、在野精神を備えた適任者を裁判官として選任する。英米法はこうなっており、韓国も先年このように制度を改革した。こうすれば、ヒラメ裁判官を駆逐して、官僚統制に服しない裁判官の裁判を期待できる。
法曹一元の制度実現以外に,日本の司法の将来展望を描けない。
B 法曹一元は、誰もが表だって反対はしない。これまで何度も、「優れた制度」であり「望ましい制度」として議論され、意見も上げられてきた。しかし、いっこうに具体化しない。制度実現までの道筋が見えてこない。法曹一元熱は、間歇的に上がることがあってもやがて冷めてしまう。法曹内部にも切実な必要性が感じられず、なによりも国民的要求になっていない。それは、司法の現状に堪えがたいほどの不満がないからではないか。
C 現制度を前提の「司法の独立」問題にしても、現制度をこえての「最高裁裁判官」任命制度作りや、「法曹一元」にしても、それが必要と熱く語る人びとが、専門分野に限られて、国民的運動の高まりがない。
しかし、裁判所のありかたは、すべての国民の権利の実現に密接に結びついている。その裁判所のありかたが、国民の関心事でないはずはない。憲法の理念を実現するのも裁判所の役割なのだから、憲法に関心をもつ多くの人にとって、裁判所のありかたに切実な関心が寄せられるべきは当然のことではないか。
ぜひとも、多くの方に裁判所のありかたに関心を寄せていただき、真に司法の独立を実現する運動に助力をお願いしたい。
(2020年2月8日)