「昭和の日」に戦争と戦争責任を考える。
コロナ禍のさなか、世の人の憂いをよそに季節はめぐる。里桜も終わってツツジが咲き、蓮の浮き葉が水面を覆い始めた。少し歩くと汗ばむ陽気。天気も申し分ない本日、「昭和の日」だという。いったい、それは何だ。
1948年制定の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)は、その第1条で、「国民の祝日」の趣旨を述べる。
第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。
なかなか意味深長ではないか。日本国民は、「自由と平和を求めてやまない」というのだ。自由も平和も、富国強兵の戦前にはなかった。挙国一致・滅私奉公は、臣民の自由を抹殺した。天皇の神聖性を否定する思想も信仰も言論も結社も弾圧された。そして、戦前の日本は軍国であった。侵略戦争も植民地主義も国是であった。
天皇は国民皆兵の臣民に向かって、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」などと、超上から目線でエラそうに言って、臣民には死ねと命じて、自らは生き延びた。こんな不条理に怒らずにはおられない。
「自由と平和を求めてやまない」という、この国民の祝日の趣旨は、明らかに戦前の不合理を否定した新憲法の価値を謳っている。
その祝日法は数次の改正を経て、現行法では「昭和の日」をこう定めている。
第2条 「国民の祝日」を次のように定める。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
これも意味深である。「激動の日々」とは、あの戦争のこと以外に考えようがない。敢えて「戦争」と言わないのは、「戦争の日々」だけではなく、「戦争を準備し、戦争に突き進んだ戦前の日々」を含むとの含意であろう。日本国憲法の言葉を借りれば、「政府の行為によって戦争の惨禍を起した」反省の対象たる日々である。
昭和の日の定めの文言は、昭和という時代を「戦前」と「戦後」に二分して対比し、戦前を否定し戦後を肯定している。しかし、戦前を「激動」としか言わず、戦後を「復興を遂げた」としか言わない。国民主権も、民主主義も、人権尊重も、天皇制も、自由も、平和も出てこない。なんとも、いいかげんで不満の募るところではある。
何よりも、どうして昭和の日が4月29日なのか。それが語られていない。戦前と戦後を対比するにふさわしい日は、8月15日であろう。あるいは、ポツダム宣言受諾の8月14日。この日を境に、日本という国の拠って立つ基本原理が大転換したのだ。
昭和を戦争の時代と顧みるならば、8月6日の広島市民の被害の日、あるいは12月13日の南京市民に対する加害の日がふさわしかろう。
昭和を戦争開始の責任反省の観点から顧みるならば、9月18日か、7月7日か、あるいは12月8日となるだろう。
なぜ、4月29日なのか。なぜ、国民を不幸に突き落とした最高戦争責任者の誕生日なのか。なぜ、戦前天長節として臣民に祝意表明を強要された日が昭和の日なのか。
コロナ禍で、外出自粛を要請されている今日の「昭和の日」である。昭和という時代をよく考えてみたい。自ずから、戦争を考え、戦争の責任を考え、とりわけ天皇の戦争責任を考え、戦後国民が手にした貴重な自由や平和の価値を考えなければならない。
(2020年4月29日)