澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「夫婦別姓確認訴訟」判決が、「婚姻届出のない(別姓)婚」成立を認めたインパクト

(2021年4月22日)
 注目されていた東京地裁「夫婦別姓確認訴訟」。想田和弘さんと柏木規与子さんの夫妻が原告になって、被告国に対して、「両原告が夫婦であることの確認」を求めた訴えに、昨日(4月21日)判決が出た。報道の限りでのことだが、形式的には敗訴でも、その理由中の判断では「実質勝訴」と評価してよいだろう。「実質」における判決勝敗の基準は、夫婦同姓強制の不都合をあぶり出し、制度改正のインパクトを持つかどうかという点にある。

 判決報道は難しい。速報は「敗訴」というだけのものであった。一夜明けて今朝の毎日新聞朝刊社会面(第22面)の片隅に、「別姓、戸籍認めず 東京地裁判決 米婚姻の夫婦に」という見出しでの小さな記事。この位置、この字数、この見出しでは、読む気にもならないという体の扱い。

 だが、記事の末尾には、想田さんの「実質的な勝訴だと思っている」というコメント。そのコメントを読み直して判決の印象を変えた。

 ネットで検索すると、この毎日の記事がヒットする。ところが、その見出しが、「想田和弘さん『実質勝訴』 別姓婚訴訟棄却 判決文で『婚姻成立』」となっている。記事の内容は、まったく変わらないのに、である。

 「別姓、戸籍認めず」と、「実質勝訴 判決文で婚姻成立」とでは、天と地ほどの印象の差ではないか。当初は記者が主文だけの印象で「戸籍認めず」と見出しを打ち、その後の取材で、「実質勝訴」に書き換えたのだろうと思ったのだが、あに図らんやその反対。「実質勝訴」が 2021/4/21 21:24の送稿と先で、「戸籍認めず」が2021/4/22 02:06とあとの記事なのだ。記事を書く記者と見出しを付ける編集者とで判決内容の理解に齟齬があったのではないか。この判決の評価はそれほど単純ではなさそうなのだ。以下は、その毎日記事。

 米ニューヨーク州法に基づき別姓で婚姻し、同州で暮らしていた映画監督の想田(そうだ)和弘さん(50)と妻の柏木規与子さんが、日本でも別姓のまま婚姻関係にあることの確認などを国に求めた訴訟の判決で、東京地裁(市原義孝裁判長)は21日、別姓で戸籍に婚姻関係を記載することは認めず、請求を棄却した。

 2人は1997年、別姓婚が認められるニューヨーク州で婚姻し、2018年6月に東京都千代田区に別姓のまま婚姻届を出したが、夫婦同姓を定めた民法の規定に従い受理されなかった。海外で別姓で婚姻した日本人夫婦について、婚姻関係を戸籍に記載できる規定のない戸籍法には不備があるなどと訴えていた。

 判決は、海外では別姓での婚姻が認められていることから、日本で同姓の婚姻届が受理される前の状態でも「2人の婚姻自体は有効に成立している」と述べた。一方で、別姓での婚姻が戸籍上認められないことで各種手続きで不利益が生じるとした原告側の主張は「抽象的な危険にとどまる」と退けた。戸籍法の不備に関する主張も「規定を設けないことが不合理とは言えない」と棄却した。

 判決後にオンラインで記者会見した想田さんは「請求は退けられたが、判決文の中で夫婦だと明確に述べてくれている。実質的な勝訴だと思っている」と述べた。柏木さんは「選択的夫婦別姓に向けた大きな一歩だと思う」と評価した。

 「週刊金曜日」編集委員の一人である想田さんは自らの「夫婦別姓確認訴訟」を同誌4月2日号の冒頭「風速計」欄の記事にしている。その記事で、私は、初めて「法の適用に関する通則法24条2項」という規定の存在を知った。外国で現地の法律に基づいて結婚した夫婦は、国内で改めて婚姻届を提出しなくても、婚姻が成立しているとみなされるという内容。

相田さんはこう訴えた。「海外で結婚する場合、現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも適法に婚姻が成立する」のだから、「別姓で現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも適法に別姓のまま婚姻が成立する」。従って、国は別姓のまま夫婦として認めよ。別姓のまま婚姻届を受理せよ。この想田さんの要求は、至極もっともなものではないか。

 国はどう争ったか。「海外で結婚する場合、現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも婚姻が成立する」ことはそのとおりだが、別姓婚の場合は別だ。国内で別姓婚が認められていない以上は、外国で受理された別姓婚は、国内では認められない。「原告らが『夫婦が称する氏』を定めていない以上は、日本国内においては婚姻が成立していない」と主張したのだ。

 これに対して、判決は前述のとおり、「日本で同姓の婚姻届が受理される前の状態でも、2人の婚姻自体は有効に成立している」と認めた。別姓の婚姻届が受理されるべきだとは言わない。しかし、「婚姻届けなくとも婚姻自体は有効に成立している」ことを認めた。これを、当事者は「形式敗訴・実質勝訴」と評価した。

 法律婚は、婚姻届によって成立する。この常識が覆された。「婚姻届けがなくとも婚姻自体は有効に成立している」ことが確認されたインパクトは限りなく大きい。

 判決は、外国が別姓婚を採用している場合も「当然に想定される」として、通則法24条2項により婚姻自体は成立していると原告側の訴えを認めた、と報じられている。であれば、外国が同性婚を採用している場合も「当然に想定される」のではないか。

 本件判決の「形式敗訴・実質勝訴」のネジレは、立法によって解決されなければなない。ネジレ解消の方向は形式論理としては2方向ある。しかし、原告から見ての「形式敗訴・実質敗訴」の方向は、世界の趨勢からも日本の社会意識の動向からもおよそ考えられるところではない。ネジレ解消の立法解決は、「形式勝訴・実質勝訴」の方向でしかあり得ない。本判決は、そのことを意識させたことにおいて、意義あるものと言えよう。

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