澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「人間はみな平等やいうのに、なんで天皇だけは別やねん?」

2021年12月24日)
 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、福沢諭吉の「学問のすゝめ」冒頭の一節として知られる。その福沢が、「帝室論」においては、「帝室は尊貴にして全ての臣民に等しく君臨する」趣旨を述べている。天皇・皇族を人と解する限りにおいては、この2命題の絶対矛盾を解くことはできない。野蛮社会に特有の特定人物を人の形を借りた神とする迷妄が、かろうじて両命題を矛盾のないものとして説明することができようか。

 かつて国民の迷妄によって現人神とされた天皇(裕仁)が、敗戦後に「人間宣言」をして以来、この絶対矛盾が解かれぬ難問となって主権者国民の前に投げ出されている。

 私は中学生の頃に、社会科の教師と何度かこんな質疑を繰り返したことを覚えている。

 「先生、天皇は人間やな」

 「そや。天皇も人間や。昔は神さまや言われてはったが今はちゃう」

 「人間はみな平等やいうのに、なんで天皇だけは別やねん。なんであなにえばってんや。なんでまわりがヘイコラしてんのや。なんであのオッサン、税金で喰えるんや」

 「ものにはな、必ず例外ちゅうもんがあるんや。人間平等いうても天皇だけは例外やねん」

 「センセ。なんで例外や。みんな平等にしたらええやんか。あのオッサンも働いて自分のカセギで食うて見たらどないや」

 「みんなが、天皇だけは例外て認めとんのや。天皇が勝手に決めたんやのうて、みんなが天皇だけは例外と決めて認めてんやから、それでええんやないか」

 「ホンマに天皇だけは例外でかまへんてみんな納得してんのやろか。昔は神さまやいうことで欺されて、今はまた例外いうて欺されてんとちゃうか」

 「サワフジなあ、あんまりそういうことは大きな声で言わん方がええんや」

 「ほんでな先生。こんなおっきな例外を大っぴらに認めとったらな、人間平等はウソちゅうことにならへんやろか」

 「サワフジなあ。悪いこと言わんから、今はそんなん言わん方がええ。ホンマに、気ぃつけなあかんで」
 
 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に関する有識者会議」というとてつもなく長い名前の諮問会議が、一昨日(12月22日)最終報告を答申した。毒にも薬にもならないこの答申を出した会議の座長が、清家篤・慶應義塾元塾長である。小泉信三の例もある。慶應は、天皇にとっての安全パイなのだ。そう思われていることに、慶應出身者は恥じなければならない。

 私は、中学生当時に抱いた天皇についての素朴な疑問を持ち続けて今に至っている。福沢諭吉はもちろん、小泉信三も、清家篤も、その疑問に答えてはくれない。疑問は疑問のままだが、天皇制に疑問を呈し、あるいは批判する言論には、脅迫や暴力による制裁があることを知るようになった。中学の社会科の教師が、「大きな声で天皇の批判はせん方がよい」と言ったことの意味を長じて後に知ることになる。天皇制維持の半分は、右翼暴力への恐怖によって支えられているのだ。

 通称「安定的な皇位継承のあり方・有識者会議」の報告は、皇位継承の具体策については特に示すことなく、皇族数の確保が喫緊の課題だとして、次の検討を求めている。
?女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する
・子は皇位継承資格を持たず、配偶者も一般国民
・現在の女性皇族には十分留意する
?旧宮家の男系男子が養子になり皇族に復帰する
・旧11宮家の子孫を想定
・皇位継承資格は持たない
?旧宮家の男系男子を法律で直接皇族にする
・?と?で皇族数を確保できない場合に検討する
という、「2案+1」の検討を求めた内容となっている。

 報告書を受け取った岸田首相は「国家の基本に関する極めて重要かつ難しい事柄について、大変バランスの取れた議論をしていただいた」と述べたという。わたしには、「国家の基本に関する極めて重要なことがら」とはとうてい思えない。また、「安定的な皇位継承」が必要という前提自体が大きくバランスを欠いたものとなっている。「果たして、皇位の継承は必要か」という問題意識をもたねばならない。

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