憲法記念日の読売社説に反論する
憲法記念日の読売社説は、「集団的自衛権で抑止力高めよ」と標題したもの。憲法を記念するでもなく、その意義を確認するのでもなく、現行憲法に敵意を燃やす内容。「集団的自衛権行使容認は、米国との防衛関係を強化して抑止力を高めることになり、領土の保全と国民の生命財産を守ることにつながる」として、安倍政権の解釈改憲路線を擁護する見解を披瀝している。
もちろん、荒唐無稽の論旨ではない。しかし、大新聞の社説としてはまことに出来が悪い。格調などは望むべくもないが、論理の展開に滑らかさを欠き、説得力がない。多くの人に賛意を得ようという熱意の感じられない文章となっている。
小見出しは次の4本。
◆解釈変更は立憲主義に反しない
◆日米同盟に資する
◆限定容認で合意形成を
◆緊急事態への対処も
以上の4本の小見出しをつなげれば、次のような論旨となろうか。
「集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更は、立憲主義に反するものではない」。だから解釈変更に遠慮は不要で、「集団的自衛権の行使容認という日米同盟の強化に資する」手段を選ぶべき。もっとも、国会内の意見はさまざまだから「限定容認で合意形成を」することが望ましい。なお、集団的自衛権の問題だけではなく、「緊急事態への対処も」お忘れなく。
この社説、一読しての論旨の把握は容易ではない。以上の小見出しと、各小見出しに続く文章とが整合していないので、読みにくいことこの上ない。一般に、記者の書く文章は、要領よく読みやすいものなのだが…。
以下、小見出しを付された文章を、第1?4節として、順次反論してみたい。
第1節は、以下のとおりである。
『◆解釈変更は立憲主義に反しない
きょうは憲法記念日。憲法が施行されてから67周年となる。
この間、日本を巡る状況は様変わりした。とくに近年、安全保障環境は悪化するばかりだ。米国の力が相対的に低下する中、北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルの開発を継続し、中国が急速に軍備を増強して海洋進出を図っている。
領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るため、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化することが急務である。』
この節には、「解釈変更は立憲主義に反しない」という見出しに対応する主張は述べられていない。述べられているものは、防衛力依存至上主義ともいうべき抜きがたい基本姿勢である。「領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るためには、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化すること」が必要であり急務であるという。これは「危険思想」というべきではないか。ここには、あからさまに中国と北朝鮮を仮想敵と名指しされている。危険な敵の侵犯から、領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るためには、自国の防衛力を整備し増強することとならんで、アメリカとの軍事同盟関係を強化すべきだとされているのである。
ある一国が隣国に対してこのような姿勢を有していれば、隣国も同じ対応をせざるを得ない。不信が不信を生み、恐怖が恐怖を再生産して、愚かな軍拡競争を引きおこすことになる。これまで、改憲勢力が「安全保障環境の悪化」を言わなかったことがあっただろうか。安全保障環境の悪化を口実とした9条改憲の主張は、「特に近年」において始まったことではない。いつもいつも、隣国の不信や危機を煽るのが、改憲勢力の常套手段である。中国も北朝鮮も、あるいは韓国の国防も、「日本の好戦的姿勢」「いつかきた道を繰りかえしかねない恐怖」を口実にしている。その口実を封じることこそが「急務」ではないか。お互いに、軍備増強の口実を与え合う愚を犯してはならない。
第2節は以下のとおり。
『◆日米同盟強化に資する
安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい。憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断だ。
集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が攻撃を受けた際に、自国が攻撃されていなくても実力で反撃する権利だ。国連憲章に明記され、すべての国に認められている。
集団的自衛権は「国際法上、保有するが、憲法上、行使できない」とする内閣法制局の従来の憲法解釈は、国際的には全く通用しない。
この見解は1981年に政府答弁の決まり文句になった。保革対立が激しい国会論戦を乗り切ろうと、抑制的にした面もあろう。
憲法解釈の変更については、「国民の権利を守るために国家権力を縛る『立憲主義』を否定するものだ」という反論がある。
だが、立憲主義とは、国民の権利保障とともに、三権分立など憲法の原理に従って政治を進めるという意味を含む幅広い概念だ。
内閣には憲法の公権的解釈権がある。手順を踏んで解釈変更を問うことが、なぜ立憲主義の否定になるのか。理解に苦しむ。』
読売が、「安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい」というのは、結局のところ憲法遵守よりは防衛力増強を優先する軍事力至上主義の表れというほかない。「憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断」というに至っては、軍事力至上主義からの明文改憲を是としたうえで、ここしばらくは9条改憲の国民意識の成熟はないことを認めて、解釈改憲と立法改憲に右派の世論を誘導しようというもの。読売の発行部数を考慮すると、罪が深いというほかはない。
また読売は、集団的自衛権について、「国際法上保有するが、憲法上行使できない、とする内閣法制局の従来の憲法解釈を国際的には全く通用しない」という。しかし、国際的に通用しないというのは間違っている。現に、この解釈でこれまでアメリカに対応してきた。アメリカとの関係で、またNATOとの関係でも通用したからこそ、これまで数々の海外派兵の要請を断り続けて来られたのだ。安保条約5条1項にも、「各締約国は、…自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処する」と、憲法遵守が明記されている。
「内閣には内閣としての憲法解釈がある」ことは、一般論としては当然である。問題は、解釈にも限界があることであり、これまで積み重ねてきた解釈の継続性・安定性を放擲して突然に変更することの不自然さにある。集団的自衛権の行使容認は、文言解釈の限界を超えているのだから、憲法をないがしろにすること明らかで、立憲主義に反する。これまで、長く緻密に積み重ねられてきた解釈を強引に替えようとしているから、立憲主義に反するのだ。「納得しうる手順を踏んでの解釈変更」ではなく、法制局長官の首のすげ替えをしての乱暴な手口であり、安保法制懇という手の内にある安全パイの人物を使っての答申を使うという姑息なやり方が立憲主義の否定となるというのだ。理解に苦しむことはない。
第3節「◆限定容認で合意形成を」はやや長い。3個のパラグラフに分けて論じる。
第1パラグラフは以下のとおり。
『集団的自衛権の行使容認は自国への「急迫不正」の侵害を要件としないため、「米国に追随し、地球の裏側まで戦争に参加する道を開く」との批判がある。だが、これも根拠のない扇動である。集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある。
年末に予定される日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しに解釈変更を反映すれば、同盟関係は一層強固になる。抑止力の向上によって、むしろ日本が関わる武力衝突は起きにくくなろう。』
ここで展開されている「思想」は、「自国は正義、隣国は敵」「自国の軍備は常に防衛的で、隣国の軍備は常に攻撃的で危険」「自国の平和は軍備の増強によってのみ保たれる」というものである。
ここで言われている「集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある」は、まことに歯切れが悪い。「抑止力としての効果」は、いざというときには集団的自衛権の行使をなし得るからである。現実の集団的自衛権行使が予定されているのである。「主眼がある」とは、「戦争に加担」を排除していない言葉使いである。
要するに、武器を研ぎ澄まし、防衛力を増強すること、他国の戦争に加担することもためらわないとすることこそが、邪悪な隣国に対する抑止力となり、戦争を回避できるのだとする思考回路から抜け出せないのだ。
第2パラグラフは以下のとおりである。
『政府・自民党は、集団的自衛権を行使できるケースを限定的にする方向で検討している。
憲法9条の解釈が問われた砂川事件の最高裁判決を一つの根拠に「日本の存立のための必要最小限」の集団的自衛権の行使に限って認める高村自民党副総裁の「限定容認論」には説得力がある。
内閣が解釈変更を閣議決定しても、直ちに集団的自衛権を行使できるわけではない。国会による法改正手続きが欠かせない。法律面では、国会承認や攻撃を受けた国からの要請などが行使の条件として考慮されている。
自民党の石破幹事長は集団的自衛権の行使を容認する場合、自衛隊法や周辺事態法などを改正し、法的に厳格な縛りをかけると言明した。立法府に加え、司法も憲法違反ではないか、チェックする。濫用は防止できよう。』
砂川事件最高裁判決を集団的自衛権行使容認の論拠とすることについて、「説得力がある」などと言うべきではなかろう。およそ、なんの検討もせずに、ひたすら自民党におもねっているだけの姿勢を暴露することになるからである。しかも、読売社説の文脈は、「日本の存立のための必要最小限」への「限定容認論」の論拠として説得力があるというのだ。これまでは、自衛のための最小限度の実力であれば、9条2項の「戦力」には当たらないとされてきた。これもかなり苦しい「論理」。読売は、それを超えて「日本の存立のための必要最小限」の範囲なら集団的自衛権行使も容認される、という。こんな無限の拡大解釈の許容は言語による規範設定という法そのものの機能を奪うものとしか評しようがない。これを「説得力がある」とは、よくも言えたもの。
第3パラグラフは以下のとおり。
『集団的自衛権の憲法解釈変更については、日本維新の会、みんなの党も賛意を示している。
公明党は、依然として慎重な構えだ。日本近海で米軍艦船が攻撃された際は日本に対する武力攻撃だとみなし、個別的自衛権で対応すればいい、と主張する。
だが、有事の際、どこまで個別的自衛権を適用できるか、線引きは難しい。あらゆる事態を想定しながら、同盟国や友好国と連携した行動をとらねばならない。』
読売は、自民党安倍政権の解釈変更に賛意を表し、維新とみんなを、自民に同意見として評価している。「自・維・み」3党の改憲トリオは、読売のお気に入りというわけなのだ。
その上で、「慎重姿勢」の公明党に不快感を表明している。つまり、公明が「なにも集団的自衛権行使を容認せずとも、個別的自衛権で対処可能なことがほとんどではないか」と主張していることに異議を唱えて、「有事となれば、必ずしも個別的自衛権だけでは十分ではない事態も想定できるのではないか。そのときのために集団的自衛権行使ができるようにしておくべき」と言うのだ。同盟国や友好国と連携した軍事行動を可能にしておくことを最優先して、そのような方針の大転換が近隣諸国を刺激し日本の平和主義国家としてのブランド力を損なうことは考えていない。仮想敵を作り、軍備を増強することが、近隣諸国との緊張を高め、戦争の危険を増大することを考慮しないのだ。
第4節は以下のとおり。
『◆緊急事態への対処も
武力攻撃には至らないような緊急事態もあり得る。いわゆる「マイナー自衛権」で対処するための法整備も、検討すべきである。
先月、与野党7党が憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案を国会に共同提出した。今国会中に成立する見通しだ。
憲法改正の発議が現実味を帯びてくるだろう。与野党は共同提出を通じて形成された幅広い合意を大切にして、具体的な条項の改正論議を始める必要がある。
安倍政権には、憲法改正の必要性を積極的に国民に訴え、理解を広げていくことも求めたい。』
改憲勢力の国民投票法(改憲手続法)整備への期待と、その整備の手続きを通じての憲法改正案の成文化の期待が語られている。右派勢力大同団結だけでは突破できない。「幅広い合意を大切に」という言葉がものがたっているとおり、中道勢力を取り込んでの3分の2をどう作るか、彼らも悩んでいる。
以上の読売社説には、「今が好機」という高揚感と、「今のうちになんとかせねば」という焦躁感とが同居しているように見える。「議会内における自民党の圧倒的多数からは、解釈改憲など直ぐにでもできるではないか」としながらも、しかし、「それだけで終わらせてはならない。千載一遇の今のうちに、憲法改正を実現しなければ」という焦りも見える。鷹揚に、解釈改憲だけでよいとしていたのでは、明文改憲の機会を永遠に失いかねない、そう思っているのではないだろうか。
平和や人権、民主主義を大切に思い、そのために憲法を実効あらしめたいと考える者にとっては、ここはじっくりと腰を据えて、解釈改憲にも立法改憲にもそして明文改憲にも、さらには改憲手続き法の改正にも、一つ一つ反対の声を挙げ、運動を積み上げて行くしかなかろう。護憲派が焦る必要はない。最近の世論調査の動向を見れば、成算は十分と思われるのだ。
(2014年5月4日)