「戦争当時は公娼制度があった。だから慰安婦は合法だった」のではない
「日本維新の会の幹部が、『大戦当時は公娼制度があって、慰安婦は合法の存在だった』と言っています。これについてご意見を伺いたい」
先日、IWJの憲法鼎談のさなかでの突然の質問。「当時の売春に関する法制度についてはまったく知らない。制度がどうであろうとも、女性の自由を奪って性的サービスを強要することが許されるはずがない」としか答えられなかった。で、少し調べてみた。以下の出典は主として、「注解特別刑法7『売春防止法』」(青林書院新社・佐藤文哉著)。
江戸期の遊郭制度は、「傾城町の外傾城屋商売致すべからず」(1617(元和3)年幕府掟書)として、一定地域(傾城町)の公娼を認めるとともに、それ以外の私娼による密売淫(傾城屋商売)を禁止するものだった。明治期になって、人身売買としての売春を禁ずる1872(明治5)年の芸娼妓解放令(太政官布告)が発せられたが、基本的に遊郭制度はそのまま維持されたという。
1900(明治33)年内務省令として「娼妓取締規則」が制定され、敗戦まで制度を形づくる根拠法となった。「大戦当時の公娼制度」はこの行政法規に基づく以外にない。
この法規は、いわば、「売春の登録制である」という。娼妓を所轄警察官署に備え付けた名簿に登録して警察の監督に服せしめる。娼妓への監督は次のように徹底している。これでは、まさしく「籠の鳥」である。
「第七条 娼妓は庁府県令を以て指定したる地域外に住居することを得ず
娼妓は法令の規定若くは官庁の命令により又は警察官署に出頭するが為め外出する場合の外警察官署の許可を受くるに非ざれば外出することを得ず但し庁府県令の規定に依り一定の地域内に於て外出を許す場合は此限に在らず」(原文はカタカナ)
そして、重要なことは、売春営業(娼妓稼)の場所が「貸座敷」内に限定されての公許であること。
「第八条 娼妓稼は官庁の許可したる貸座敷内に非ざれば之を為すことを得ず」
つまり、公許の売春は、「公許された貸座敷における、登録された娼妓の娼妓稼」に限られ、それ以外の「密淫売」は、違法であって警察犯処罰令で「30日未満の拘留」に処せられた。
軍慰安所の始まりは、第一次上海事変(1931年)の際に海軍が作ったものとされる。陸軍は翌年これを追った(吉見義明「従軍慰安婦」)。しかし、これが「官庁の許可した貸座敷」において「登録された娼妓の娼妓稼」としてなされたものとは考えがたい。少なくとも、内務省令「娼妓取締規則」は戦地における遊郭制度・公娼制度を想定してはいない。前記「注解特別刑法」における「売春防止法の沿革」の記事も、戦時における記載は一行もない。
戦争の激化と戦線の拡大に伴って、中国のみならず東南アジア、南方各地に広がった軍や軍周辺の慰安所が、「娼妓取締規則」に則ったものとしての合法性を獲得した公許の営業であったはずはなかろう。
日本維新の会の幹部が、「大戦当時は公娼制度があった」というのは、そのとおりである。しかし、その「公娼制度」でさえも売春一般を合法としたものではない。むしろ、警察的取締りと監督の制度を整えて、監督に服する公許の売春のみを合法とした。公許されていない売春一般は、違法であり犯罪であった。
「大戦当時は公娼制度があって、慰安婦は合法の存在だった」は、明らかに間違い。「公許の貸座敷で、登録娼妓が稼働していることを資料をもって立証できた限りにおいて、合法」の存在だったのだ。
なお、念のために付言しておくが、仮に当時は「合法」だったとしても、人倫において許されるものではない。また、刑法典においても、当時日本が加盟していた国際条約においても、強制を伴う売春が違法であったことは言うまでもない。
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『梅雨とアジサイ』
5月29日、関東地方が早々と梅雨入りした。もっとも、65年には5月6日梅雨入りという記録もあるそうだから、驚くほどではない。天保年間の随筆には「花葵の花咲きそむるを入梅とし、だんだん標(すえ)のかたに花の咲き終わるを梅雨の明くるとしるべし」とあるそうだ。子どもの頃にはあちこちでよく見た「タチアオイ」の花が、下の方から上の方に、だんだんに咲き上がっていくあいだが梅雨だといっている。今では「タチアオイ」を見るのは難しい。2メートル以上にまで丈高く育つので、狭い場所向きではないからだろう。そういえば「カンナ」も見なくなった。「ヒマワリ」も30センチほどの丈でで花をさかせるように改良されてしまった。陽の当たる広い庭がなくなり、植えられる植物の流行も変わってしまった。
変わらぬものもある。梅雨に付きものの「アジサイ」だ。あちこちの垣根の隙間から顔を出している。今は早咲きの「ヤマアジサイ」系が咲いている。全体に小ぶりで、茎も細く、せいぜい1メートルぐらいにしか育たない。花は真ん中に粟粒のような両性花をこんもりと付け、そのまわりに四弁の装飾花がちらばり、径10センチくらいにまとまる。ブルーか薄いピンクで、いかにも風通しが良さそうで、涼しげである。
本格的な梅雨時になると、「ヤマアジサイ」を一回り大きくしたような「ガクアジサイ」が咲き始める。装飾花も大きく、茎や葉もがっちりして、背丈も2メートルほどにもなる。公園などに広く植えられている、ブルーがかったボールのような、いわゆる「アジサイ」も色づいてくる。「アジサイ」には両性花はなく、装飾花だけが集まって、手まりのようにまるく咲く。咲き進むにつれて、色が七変化するので、見飽きることはない。
西洋で品種改良されて、日本に里帰りした西洋アジサイ(ハイドランジア)にいたっては、「アジサイ」とは別物のような豪華絢爛さだ。「ガクアジサイ」の粟粒のような両性花を人工授粉して、品種改良する。 毎年新しい花が園芸カタログに紹介されている。時々、庭にアジサイの実生がはえていることがある。花の咲くまで四,五年待ってみよう。びっくりするような花が咲くかもしれない。とにかくアジサイ類は種類が多いので、欲張りな私でも、集めようという気力がわかない。
そんななかで一番のおすすめは、草と木の中間のような「ヤマアジサイ」系だ。日陰でも、数多くは望めないが、かならず花を付ける。花は雨に打たれてもしっかり形が保たれて、次第に変わる色の変化が楽しめる。秋までほうっておけばドライフラワーが出来る。ほとんど害虫がいない。元々小ぶりなので、小さく育てられる。湿度の高い少々日当たりの悪い都会の庭にピッタリだ。水を切らさないように注意すれば、鉢植えでも花を咲かせられる。日当たりのよい場所に置けば、花がたくさんつく。香りがないのもかえってサッパリしていい。
ブルーの小ぶりの花の爽やかさは、梅雨時のうっとうしさを振り払ってくれる。うっとうしさは梅雨時だからというだけではない、モヤモヤとした世の中の、先行きの見えないうっとうしさの中で、この花は鬱屈した気分を慰める清涼剤となってくれている。
(2013年5月31日)