教育勅語とは
春はセンバツから。毎日新聞がつくったキャッチフレーズであろうが、しばらく前までは心地よい響きをもっていた。私の母校は、甲子園の強豪校で、春の甲子園での14連勝の記録をもっている。かつて、母校が首里高校と対戦して21奪三振の記録を作った。私は、その試合を観戦していたが、武士の情けを知らぬ母校ではなく、健気な首里高に声援を送った。ところが今、そのような余裕はなく、「春はセンバツから」というフレーズがむなしい。今日の日記は、わが母校、最近不振の愚痴であり、八つ当たりである。
今年のセンバツも本日でおしまい。特に関心をもたなかったが、準優勝校の校名が済美(サイビと読むようである)であるという。済美の原典は漢籍の古典にあるのだろうが、教育勅語の一節として知られる。該当箇所は「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」というところ。同校のホームページには、その前身である済美高等女学校の開校が1911年とされている。教育勅語の発布から20年ほど後のこと。
「世世、その美を済(な)せる」の内実は、「我が臣民が、よく忠に、よく孝に、心を一つにしている」ことだという。そして、臣民の忠孝の精神こそが、天皇をいただく我が国柄のすばらしさであり、教育の根源がここにある、という。
戦前、忠と孝とが、臣民としての道徳の中心だった。これを「美をなす」ものとし、国体の精華であり、教育の淵源とまで言った。儒家では、おなじみの「修身・斉家・治国・平天下」(「大学」)という。孝という家の秩序と、忠という国家の秩序との整合が求められた。孝の強調は忠のモデルとしてのものである。
勅語は、さらに臣民の徳目を語るが、最後を「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と結ぶ。
「常に国憲を重んじ」とは、天皇が国民に与えた欽定憲法の遵守を命じているのだ。「憲法とは、人民が君主の横暴を縛るために生まれた」「近代憲法とは、主権者国民が国政を預かる者に対する命令である」という考えの片鱗もない。
当然のことながら、この勅語には人権も民主主義も出てこない。人が平等という観念もない。ひたすらに天皇制の秩序に順応して、いざというときには天皇に身を捧げよ、という「臣民根性」を叩き込もうとしている。
天皇制政府は、これを津々浦々の小学校で暗唱させた。「教育の内容・目的を国家が決めるのは当然」との考えに基づいている。しかし、そのような考え方は民主主義社会の非常識である。公権力は、国民に対して教育条件整備の義務を負うが、教育内容を定める権限はない。日本国憲法と教育基本法の採る立場でもある。最高裁判例(旭川学テ事件・大法廷判決)も基本的に同様の立場である。
当然のことながら、今の済美高校に勅語教育の影は見られない。私学経営の常道として、進学率の向上とスホーツの成績に熱心の様子である。
甲子園では、ときに思わぬことに出くわす。これもかなり昔のこと。盛岡一高が甲子園に出場し、勝者となってその校歌が全国に響いた。歌詞は何を言っているのか分からなかったが、そのメロディは明らかに軍艦マーチであった。さすがに米内光政の出身校、と感心した次第。いまでも、変わらないのだろうか。
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さて、新装開店記念のエッセイ第3弾。
『ツバキのこと』
春は桜ばかりがもてはやされるけれど、今の時期、どこの植物園や公園に行ってもツバキが盛大に咲いている。桜は日当たりのよい真ん中で華やかに目を引くが、ツバキは端っこの日陰に押し込められているので目立たない。常緑の葉っぱが黒々として花を隠してしまうのも不利にはたらく。
ツバキは素人園芸家にとっては様々な利点を持っている。切りつめに強いので場所をとらない形で栽培できるし、乾燥にも強く丈夫で、初心者でも簡単に花を咲かせられる。日陰のベランダでもコンパクトな鉢植えで育てられる。鉢に植えて根っこを窮屈な状態にしておいた方がかえって蕾を持ちやすいのだ。それに、桜の花期が寒桜から八重桜までせいぜい二、三ヶ月なのに対して、ツバキは上手に種類をとり混ぜれば、9月から4月まで八ヶ月もの長い間花を咲かせることができる。丈夫でながもちというところが日本人好みではないと言われてしまうと困るのだが。
色は、白、クリーム、黄、ピンク、赤、紅、紫、紺、黒と多彩。配色も単色、絞り、覆輪、斑入りなど無数の組み合わせがある。花形も花弁が5から6枚の一重咲きから100枚もの花弁を持った千重咲きまである。花の大きさも開花時の直径4?の極小輪から20?もある極大輪まで様々。雄しべについての分類も詳細である。葉の形状も面白くて、柳葉、柊葉、鋸葉などは想像しやすいが、盃葉や金魚葉などという変わりものもある。香りの追求もされている。室町時代から茶道、生け花とともに発展してきた花木なので、愛玩のされ方も生易しいものではないのだ。
容易に交配して種ができ、それを蒔いて5年もすれば花が咲く。だから、種類は際限もなく増えていく。日本では花が小ぶりの侘助ツバキが好まれているけれど、西洋では大きくて、花びら数も多いバラやボタンに見まごう豪華絢爛な花が競って作出された。デュマの「椿姫」のカメリアのイメージはどうしても「白侘助」というわけにはいかない。
一時、ツバキ狂いをして100種類近く集めたことがあった。寝ても覚めても、あれもこれも欲しくて、椿図鑑をめくってはため息をついていたことがあった。一説には日本で4000種、世界で10000種もあると言われているのだから、頭がクラクラした。でも幸い、私は熱しやすく冷めやすいたちなので、今は回復している、と思う。
好きなツバキをふたつ。
「酒中花は掌中の椿 ひそと愛ず」 石田波郷
酒飲みにはこたえられない図でしょう。
“しゅちゅうか”は白地に紅覆輪、牡丹咲きの中輪。江戸時代から伝わる。
「落ざまに水こぼしけり花椿」 芭蕉
この落ち椿はぜったいに真っ赤な五弁のヤブツバキでなくてはならない。普通ツバキといえば第一番にこの花姿がうかぶし、事実圧倒的な人気を誇っているけれど、園芸分類上はヤブツバキという名前は出てこない。これこそヤブツバキとおもわれる、よく似たツバキがたくさんあって立派な名前がついているけれど、素人にはほとんど見分けがつかない。出雲大社藪椿、富泉院赤ヤブ、専修庵、森部赤ヤブ、信浄寺紅、等々日本各地に保存されているとのことである。似ているはずである。みな親がヤブツバキなのだから。
以上はツバキについてほんのさわりで、話は奥が深くて、混沌として、ヤブノナカなので、またまた迷ってはいけないのでこのくらいで終わり。