澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

忠と孝とについて

長谷川伸といえば、股旅物のジャンルを確立し、義理と人情の世界を描いて一世を風靡した大衆作家。佐藤忠男の「長谷川伸論」(中公文庫)が面白い。

佐藤は、長谷川伸の描く「義理と人情」に関連して、「忠と孝」の考察に頁を割く。そして、天皇制について的確な論評をしている。

「日本近代史最大の思想的発明は、天皇は国民の親である、というテーゼであろう。ここから、ナショナリズムの日本独自のありかたが生れた」「親と子の関係は自然の関係である。ふつう、ごく自然に愛情が存在する。しかし、天皇と国民の関係は、自然の関係ではない。人為的につくられた関係である。近代の日本国家は、この人為的な関係を、親と子のような緊密な愛情で結ばれた関係とみなそうとし、そのために学校を通じて組織的な教育を行った。天皇は国民の親であり、国民はその赤子であるという考え方は強力に浸透した」

佐藤は、忠義とは「義理」の関係でしかないもの。これを、血肉化するためには、天皇を親と思え、という「人情」の関係として把握させる訓練が必要だという。しかし、義理と人情はなかなかに一致し得ない。天皇を親と思って戦場に赴いた兵士の戦後になっての葛藤が、長谷川伸のシナリオを通して語られる。

ところで佐藤は、その著で教育勅語の起案者である元田永孚の「幼学要綱」という書物(修身教科書)を紹介している。1882(明治15)年に天皇から全国の学校に下賜されたこの書の徳目筆頭に挙げられているのは「孝」であって、「忠」ではないそうだ。このことについて「私はこの順序を見たとき、一瞬、自分の目を疑った」という。おそらくは、士族層を除いては当時の国民全体の規範意識として、孝が忠に優先するものであったろう。それが、1890(明治23)年の教育勅語では、「我が臣民克(よ)く忠に、克(よ)く孝に」と、「忠孝の序列」となって確定する。以後は、忠と孝とが矛盾した場合には、忠が絶対優先するものとしてこの順序は狂わない。

浮き世の「義理」と、人間自然の「人情」とは、本来対立するものではあるが、大衆はその関係の一致を理想と考えてきた。そして、その一致がならないときの深刻な悲劇に涙した。佐藤はそう解説する。私は、その着眼点に敬意を表する。ここに陥穽があり、問題の本質があると思う。

誰も皆、人情を貫き通すだけでは生きていけないことを知っている。どこまで義理と折り合いをつけざるを得ないか、そのことを計りながら生きている。義理は強者の論理として押し付けられる。その押しつけは、「義理」と「人情」との円満な一致を求める大衆の心情に付け入ることによって成功する。

義理とは、典型的には「忠」である。封建的身分秩序における「君君たらざるとも、臣は臣たれ」という主君への無限定の忠義であり、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ皇運を扶翼すべし」とする天皇に対する絶対忠誠でもある。この「忠」を支えるモデルが「孝」とされた。孝は人情の世界における自然の感情。これに付け入って、「天皇を親と考え、国民を子と考える強力な義理の観念が教育を通じて叩き込まれた」のである。

さらに、「義理」を社会規範、「人情」を個人の尊厳と理解すれば、権力機構や企業社会における個人の自律という問題ともなり、集団と個人との関係についての普遍にして永遠のテーマともなる。

義理と人情、忠と孝、社会規範と個人の尊厳。極めて今日的なテーマではないか。

新ブログ新装開店記念サービス第4弾のエッセイ
春のうららの本日にふさわしく
 『木の芽のこと』
 早蕨(さわらび) 白緑(びゃくろく) 蕗の薹(ふきのとう) 萌葱(もえぎ) 水浅葱(みずあさぎ) 茎立(くくたち) 檸檬(レモン) 鶸(ひわ) 鶯(うぐいす) 枝垂柳(しだれやなぎ) 裏葉柳(うらはやなぎ) 若竹(わかたけ) 
 これらはみんな日本の色の名前。それも若芽から若葉になっていく葉っぱの若緑の名前。弱々しくて、初々しいけれど、立ちはだかるものを押し破っていく力強さを秘めた希望の色。人間は繰り返される自然の営みに魅了され、その細部に目を奪われて、それに順化したいと願いながら生きてきたのだろう。これらの若緑が、風雨にさらされて強さと深みを増し、秋になると目も奪う錦に変わる。そして、その錦繍に恋々とすることなくあっさりと色失って大地に帰って行く。こうした葉の移り変わりゆく時々の色にもそれぞれ美しい名前がつけられている。そんな名前のついた色とりどりの衣装を身にまとって、あこがれの自然に同化したいと人々は願ったのだろうか。
 そこで若葉の話。桜が散ったからと言ってがっかりしている暇はない。ベランダでも公園でも、枯れ枝の先にいつの間にか小さな芽が出てきて、景色は遠目にも緑がかつてくる。早く見ないと、何回か冷たい雨が芽を潤しているうちに、芽はほどけて普通の葉っぱになってしまう。茶色の芽の先にぽっちり緑が見え、それがポップコーンのように膨らんで、やがて小さな葉っぱの形になる。冬の間しっかりと折りたたまれていたので、折り紙のようにヤマとタニの折り目がくっきりと残っている。たいてい裏と表の色が違う。裏は冬の寒さから身を守るために、ビロードのように滑らかな毛が生えていたり、小さな鱗片で覆われてメタリックな金属の作り物かと思うような若葉が多い。そこまで武装していないものも、不純なものはみな跳ね返してやるとばかりに、ガラス細工のようにピカピカまぶしく光っている。
 ハナミズキ、グミ、カエデ、アジサイ、これらは気の早いことに小さな葉の中に大事そうに花の蕾を抱いている。枝垂れ柳なんかは葉が見えるか見えないあいだに、きなこまぶしになった毛虫のような花をプラプラぶら下げて風に揺られている。ツタはちっちゃな掌のような葉をつけて、その手で壁をはい上っているようにみえておかしい。
 コナラやケヤキやイチョウの芽生えはちょっと遅い。だから今からでもまだまだ見るのに間に合う芽生えもある。
 クスノキやキンモクセイなどの常緑樹も盛大に若芽を出している。その若葉は鮮やかな黄色やオレンジ色をしているので、遠目には木全体に花が咲いたように見える。ツバキもピカピカしたとんがった若緑の巻き葉を出して花の終わりを告げている。
 食べられる若葉も忘れてはならない。サンショウはその代表。ベランダに鉢植えを一本置いておけば、佃煮にできるほどの量の葉っぱは採れなくても、若竹煮や冷や奴には大活躍をしてくれる。もしかしたら、アゲハチョウが卵を産んでくれる幸運があるかもしれない。この場合、大食らいの幼虫がサンショウの木を丸坊主にして人間様には葉っぱ一枚残してくれないという不幸も起こりうる。日当たりが悪くて使い道のない垣根にウコギを這わせておけば、クルミと味噌漬け大根のみじん切りを混ぜ合わせて熱々ご飯にのせたウコギ飯が2,3回は楽しめる。この頃はスーパーマーケットに行けば蕗の薹やコゴミやタラの芽も容易に入手できる。クマも冬眠から覚めると、まずこれら苦みのある春の芽を食べるという。このように若芽は生物史上お試し済みの健康食品なのだから、この春一食ぐらいは召し上がれ。

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Published in 木曜日, 4月 4th, 2013, at 23:43, and filed under 未分類.

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