澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

首相ではなくなった安倍晋三の靖国神社参拝への批判の視点。

(2020年9月20日)
昨日(9月19日)の午前、安倍晋三が靖国神社を参拝した。「内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告」のための参拝であったという。

彼は、首相在任中に1度だけ靖国を参拝している。2013年12月26日、虚を衝くごときの突然の参拝だったが、これに対する内外の囂囂たる非難を浴びて、その後自ら参拝することはなかった。しかし、「もう首相でも閣僚でもなくなった」から、「参拝に批判の声はそう大きくはあるまい」、「7年前は厳しく批判したアメリカも、今はオバマではなくトランプの時代だ。参拝しても差し支えなかろう」という思いなのだろう。

右翼が褒めてくれたから だから12月26日はヤスクニ記念日
http://article9.jp/wordpress/?p=4110

それにしても、首相在任時の参拝も、昨日の参拝も、自分の支持基盤である、保守派ないし右翼陣営に対するポーズであるように見える。自分の政治的な影響力を保っておくためには靖国参拝が必要だ、という判断なのだ。まさしく、アベお得意の、印象操作であり、やってる感の演出である。この男、まだまだ生臭い。

当然のことながら、党内の右翼・保守派は首相退任から3日での参拝を歓迎している。戦後75年を迎えた今年8月には、自民党の右派グループ「保守団結の会」(代表世話人・高鳥修一)などから、当時の安倍首相自身による参拝を求める声が上がっていたという。時機は遅れて退任後とはなったが、今回のアベの参拝はこれに応えた形となった。

アベに近い右翼の衛藤晟一は、記者団に「非常に重たく、素晴らしい判断をされた」と褒め、右翼とは言いがたい岸田文雄までが、「(参拝は)心の問題であり、外交問題化する話ではない」と訳の分からぬことを述べている。

岸田の発言は下記のとおりで、恐るべき歴史感覚、国際感覚を露呈している。これが、外務大臣経験者の言なのだ。そして、自民党議員の平均的な靖国観というところでもあろうか。

「国のために尊い命を捧げられた方々に尊崇の念を示すのは、政治家にとって誠に大事なことだ。尊崇の念をどういった形で示すかというのは、まさに心の問題だから、それぞれが自分の立場、考え方に基づいて様々な形で示している。これは心の問題だから、少なくとも外交問題化するべき話ではないと思っている。政府においても外務省においても、国際社会に対して心の問題であるということ、国際問題化させるものではないということを丁寧にしっかりと説明をする努力は大事なのではないか。」

さて、中国が、どのように今回の安倍参拝を批判しているか、実は報道が不足してよく分からない。多くのメディアが、下記の共同配信記事を引用しているが、まったく迫力に欠ける。

 中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)は19日、安倍晋三前首相の靖国神社参拝を速報した。中国外務省が昨年、日本の閣僚の参拝について「侵略の歴史に対する誤った態度だ」と非難したことにも言及した。(共同)

 また、産経は、環球時報(電子版)掲載の「過去長年にわたって参拝していなかったことへの一種の償いだ」とする『専門家の論評』を紹介している。

 外交学院の周永生教授は同紙に「安倍氏は2013年の靖国参拝以降、中国と韓国から強烈な批判を受けて参拝しなくなったために日本の右翼を失望させた」と指摘。現在は日本政府を代表する立場ではなくなったため、首相辞任後すぐに参拝したと分析した。

 こんな見解は、「専門家の分析」というに値しない。このようなものしか紹介されていないのは、今、中国自身が香港や台湾、ウィグル、内モンゴル問題で濫発している「内政干渉」と言われたくないのだろうか。切れ味に欠けること甚だしい。

これに比して、韓国は鋭い。【ソウル聯合ニュース】配信記事では、「韓国外交部は19日に報道官論評を発表し、日本の安倍晋三前首相が太平洋戦争のA級戦犯が合祀(ごうし)されている東京の靖国神社を参拝したことについて遺憾の意を表明した。」としている。その論評とは、次のように紹介されている。

 「安倍前首相が退任直後に、日本の植民地侵奪と侵略戦争を美化する象徴的な施設である靖国神社を参拝したことに対し深い憂慮と遺憾の意を表する」とし、「日本の指導者級の人たちが歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で見せることで、周辺国と国際社会が日本を信頼することができる」と指摘した。

 簡潔ではあるが、要を得た的確な批判になっている。「政教分離」や「公式参拝」という面倒な言葉は使わない。あくまでも、《植民地侵奪と侵略戦争の被害国》の立場から、日本人の歴史観・戦争観を問うものとなっている。

靖国神社を、「日本の植民地侵奪と侵略戦争を美化する象徴的な施設」という。みごとなまでに、靖国問題の本質を衝いた定義である。「日本の指導者級の人たち」による靖国参拝は、「歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省」に逆行する行為なのだ。

言うまでもなく靖国神社とは、天皇軍の将兵と軍属の戦没者をその功績ゆえに「英霊」と讃えて、祭神として合祀する宗教的軍事施設である。全戦没者を神として祀ることは、聖戦としての戦争を無条件に肯定することにほかならない。「英霊」に対して、「あなたが命をささげた戦争は、実は侵略戦争だった。」「植民地侵奪と不法な支配、国際法に違反した不正義の戦争だった」とは言いにくい。ましてや、「あなたやあなたの戦友たちは、被侵略地の人々に、人倫に悖る残虐な犯罪行為を重ねた」とは批判しにくい。むしろ、そう言わせぬための、靖国神社という装置であり、祭神を祀る儀式であり、要人の靖国参拝なのである。

靖国に参拝することは、戦争に対する無批判無反省をあからさまに表明することである。「歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省の姿勢に立てば、靖国への参拝などできるはずはない」。韓国外交部の論評は、「日本の指導者級の人たち」に、そう語りかけている。

侵略戦争の加害行為を担わされた兵士たちも、実は誤った国策の犠牲者である。国を代表する資格のある者は、全ての戦没者に謝罪しなければならないが、その場所は決して靖国神社であってはならない。

「九一八事変」の日に、日本の罪を思う。

(2020年9月18日)
9月18日である。中国現代史に忘れることのできない日。そして、日本の歴史を学ぶ者にとっても忘れてはならない日。満州事変の端緒となった、柳条湖事件勃発の日である。

柳条湖事件とは、関東軍自作自演の「満鉄爆破」である。1931年の9月18日午後10時20分、関東軍南満州鉄道警備隊は、奉天(現審陽)近郊の柳条湖で自ら鉄道線路を爆破し、それを中国軍によるものとして、北大営を襲撃した。皇軍得意の謀略であり、不意打ちでもある。

満州での兵力行使の口実をつくるため、石原莞爾、板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだもので、関東軍に加えて林銑十郎率いる朝鮮軍の越境進撃もあり、たちまち全満州に軍事行動が拡大した。日本政府は当初不拡大方針を決めたが、のちに関東軍による既成事実を追認した。「満州国」の建国は、翌1932年3月のことである。

こうして、泥沼の日中間の戦争は、89年前の本日1931年9月18日にはじまり、14年続いて1945年8月15日に日本の敗戦で終わった。その間の戦場はもっぱら中国大陸であった。日本軍が中国を戦場にして戦ったのだ。これを侵略戦争と言わずして、いったい何と言うべきか。

この事件の中国側の呼称は、「九一八事変」である。「勿忘『九一八』」「不忘国耻」(「9月18日を忘れるな」「国の恥を忘れるな」)と、スローガンが叫ばれる。「国恥」とは、国力が十分でないために、隣国からの侵略を受けたことを指すのであろうが、野蛮な軍事侵略こそがより大きな民族の恥であろう。日本こそが、9月18日を恥ずべき日と記憶しなければならない。

ネットに、こんな中国語の書き込みがあった。

「九一八」,是國恥日,也是中華民族覺醒日。面對殘暴的侵略者,英勇頑強的中國人民從來不曾低下高昂的頭!

(「9・18」は、国恥の日であるが、中華民族目覚めの日でもある。勇敢な中国人民は、暴虐な侵略者を見据え、けっして誇り高き頭を下げることはない。)

中国は、9月21日に事件を国際連盟に提訴している。国際連盟はこれを正式受理し、英国のリットンを団長とする調査団が派遣されて『リットン報告書』を作成した。これは、日本側にも配慮したものであったが、日本はこれを受け容れがたいものとした。

1933年3月28日、国際連盟総会は同報告書を基本に、日本軍に占領地から南満州鉄道付近までの撤退を勧告した。勧告決議が42対1(日本)で可決されると、日本は国際連盟を脱退し、以後国際的孤立化を深めることになる。こうして、国際世論に耳を貸すことなく、日本は本格的な「満州国」の植民地支配を開始した。

今、事件現場には「九一八歴史博物館」が建造されている。その展示は、日本人こそが心して見学しなければならない。そして、1月18日(対華21か条要求)、5月4日(五四運動)、7月7日(盧溝橋事件)、9月18日(柳条湖事件)、12月13日(南京事件)などの日は、日本人こそが記憶しなければならない。

ところで、89年前と今と、日本と中国の力関係は様変わりである。中国は、強大な国力を誇る国家になった。しかし、国内に大きな矛盾を抱え、国際的に尊敬される地位を獲得し得ていない。むしろ、力の支配が及ばない相手からは、警戒され恐れられ、あるいは野蛮と軽蔑され、国際的な孤立を深めつつある。

かつての日本は、国際世論に耳を傾けることなく、孤立のまま暴走して破綻に至った。中国には、その轍を踏まないよう望むばかり。国際的な批判の声に中国の対応は、頑なに「内政干渉は許さない」と繰り返すばかり。然るべき相互の批判はあって当然。真に対等で友好的な日中の国交と、そして民間の交流を望みたい。

皇軍の蛮行を擁護する高校生の意見に衝撃

(2020年9月4日)

第2回「平和を願う文京戦争展・漫画展」コロナ禍に負けず成功!
皆様の財政的ご支援に感謝申し上げます

というご通知をいただいた。
この企画については、下記のURLを参照されたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=15387

 コロナの感染者が増加している中、開催された「第2回平和を願う戦争展・漫画展」は、8月10日~12日文京シビックセンターアートサロンで行われ、約500人の方々に見に来ていただきました。
 アンケートも100人の方から回答していただき「初めて加害の実態を知った」「これからも続けてほしい」「もっと若い人に働きかけてほしい」等の意見が、今年もまた寄せられています。
 戦争を知らない若い世代に見てほしいと思って、文京区教育委員会に“後援”の申請を出し、努力をしましたが今年もまた「不承認」となりました。
 日本の侵略戦争の加害の実態を克明に告発する、村瀬氏の写真は戦争を知らない若い世代の多くの人に見てもらいたいと思っています。そのためにも来年は教育委員会の“後援”を取れるよう頑張りたいと思います。
 財政的にも皆様のご協力で黒字になりました。残金は来年の展示に役立てるためプールしておくことを実行委員会で決めさせていただきました。
 ご協力本当にありがとうございました。今後とも引き続くご協力よろしく
お願いします。

     2020年9月

「平和を願う文京戦争展」実行委員会
支部長  小 竹 紘 子

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コロナ禍の中で、慎重に感染防止に配慮した展示企画となった。一時は入場制限もせざるを得ない運営だったが、3日間で入場者数は、ほぼ500人になったという。そして、今年もまた、文京区教育委員会に「後援申請」をしたものの、「不承認」となったのだ。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に追悼文送付を拒否している小池百合子並みの文京区教育委員会である。なお、同様の企画で他区では承認になっているという。

 同封された中学生・高校生によるアンケートがとても興味深い。いくつか、ご紹介しておきたい。

中学生
 こんなにも恐ろしい現実を写した写真があると知って驚きました。
 この戦争展に来た人だけでなく、もっと沢山の人に、この現実を見て知ってほしいと思いました。ありがとうございました。

中学生
 原爆詩集序にかいてある文字が、ところどころ太く書いてあって平和への願いが強く感じられました。写真がとても痛々しかったけれど、これも現実にあったことなんだと思いました。

中学生
 漢字で読めない部分が少しあったが、写真で大体想像ができた。
 当時はとれほど人の命が軽く見られていたのかを知り、日本人として恥ずかしかった。罪のない人々を大勢殺してそれでも平然としていた人達がいたと言うことを知り、戦争は良くないと改めて学んだ。

中学生
 中国の強制連行のDVDを見ましたが、とても激しい暴力を受けていたこと、とてもかこくな労働をさせられていたことを知り、とてもつらくなりました。

中学生
 今では考えられない、考えたら恐怖でしかないことが現実に起こっていたと思うと本当に怖い。二度とこんなことを起こしてはならないと強く思った。
 また後世にどう伝えるかをもっと考えていくことが大切だと思う。

中学生
 私の身内には戦争を経験した人がいますが、誰も戦争に話を避けています。
 それほど辛く、苦しい出来事であると毎回実感します。今、学校で戦争について学んでいますが、心が苦しくなることばかりです。私は、戦争を知ることがとても重要だと思っています。これからも引き続き受継いでいきたいです。

中学生
 残酷な写真も多くありましたが、中でもお正月の少しだけ楽しそうな雰囲気の写真もあって、戦場でもお正月を楽しんでいる様子がよくわかりました。
 このような写真は見て、とても印象に残る物ばかりで、とても貴重なものが多かったので、ぜひこれからも、展示会などで広めていってほしいです。

高校生
 私はふだん、東京高校生平和ゼミナールというところで活動していて、平和ゼミで学ぶことは、日本が被害者であるということです。しかし、日本は被害者であると共に、加害者であることを知るということが、とても少なく、原爆は危険であって核兵器はいらない! それだけでなく、日本がどんなことをして、どんな人がどういうふうに、傷ついてきたのか知る機会を増やすべきだと思う。
 もちろん、核兵器のない世界をつくるために沢山の人が、様々な事を学ぶべきだとも思う。

高校生
 これを見て日本がひどい国だな、という結論で終わってしまうのではないかと不安だ。虐殺等々の行為というのは日本だけでなく、どの国も行っていることだ、実際在日米軍も、交戦国でない日本人に対しひんぱんに非道な行いを行ってきたわけであるし、戦争中であればなおさら多い、どの国でもどのような状態でも、軍隊では起こり得ると言うことをよく理解してほしいと思う。
 そして軍の上層部は、後の世代の人間が、この非道な行いによって迷惑をこうむることになることをよく理解した上で、現場を指揮してほしいと思う。
 ただ日本が悪いという感想で終わりそうな展示を改めてほしい。

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 問題は、最後の「高校生」のメッセージである。企画に対する意見であるとともに、戦争というものに対する見解でもある。そして、過剰なまでに「日本」にこだわるコメント。人々の意見が多様であることは当然だとは思うのだが、私には、どうしても理解しかねる。

「これを見て日本がひどい国だな、という結論で終わってしまうのではないかと不安だ。」「ただ日本が悪いという感想で終わりそうな展示を改めてほしい。」この2行が、意見の骨格をなしている。素直に論理を運べば、「日本がひどい国だな、という結論で終わってはならない」「日本が悪いという感想で終わりそうな展示は改めるべきだ」というのだ。

彼の心情の根底にあるものは、一人ひとりの生身の戦争被害者の悲嘆の感情に対する共感ではない。戦争被害の惨状や悲嘆よりは、「日本がひどい国、悪い国と思われてはならない」という配慮こそがそれ以上の重大事なのだ。これは、恐るべきことではないか。

人には、生まれながらに備わった惻隠の情があり憐憫の情もある。他人の痛みや悲しみへの共感は、太古の昔から生得のものである。殺人を禁忌とする規範も、文明とともに確立している。これに比して、「日本がひどい国、悪い国と思われてはならない」というナショナリズムは生得のものではない。教え込まれて初めて身につけるものではないか。

写真であるいは動画で、戦争の悲惨を突きつけられれば、「こんなにも不幸な人を作り出す戦争を繰り返してはならない」と思うのが、真っ当な人間の心性ではないだろうか。反対に、「こんなに戦争の悲惨さを強調したのでは、日本がひどい国、悪い国と思われてしまうではないか「そう思われないように配慮すべきだ」。どうしてそうなるのか、私にはどうしても理解できない。

もちろん戦争は日本だけが起こしたものでなく、戦争犯罪も日本に限ったことではない。だからと言って日本軍の「虐殺等々の行為」が免責されるわけでも相対化させてよいことにはならない。

どこの国の誰もが、それぞれの立場で、悲惨な被害をもたらす戦争そのものをなくす努力を尽くさなければならない。日本の国民は、日本が行った戦争の加害責任から目を背けてはならない。苦しくとも逃げることなく、自分の父祖の時代に、日本人が他国の民衆した加害行為を事実として正確に見つめなければならない。

「実際在日米軍も、交戦国でない日本人に対しひんぱんに非道な行いを行ってきたわけであるし、戦争中であればなおさら多い、どの国でもどのような状態でも、軍隊では起こり得ると言うことをよく理解してほしいと思う。」は、文意必ずしも明晰ではないが、皇軍が大陸でしたことは、格別非難に値するほどのことではないと、「よく理解してほしい」という趣旨の如くである。

戦争である以上、住民に対する殺戮も、略奪も、陵辱も、「起こり得ると言うことをよく理解して」、非難は避けよとしか読めない。これが高校生の意見だというのが、一入恐ろしい。

さらに、この高校生は、「軍の上層部は、後の世代の人間が、この非道な行いによって迷惑をこうむることになることをよく理解した上で、現場を指揮してほしいと思う。」というのだ。明らかに、これから起きる戦争を想定して、これから起きる戦争指導者に対する注文である。この高校生は、これからの戦争を絶対起こしてはならないものとせず、むしろ肯定しているようなのだ。

彼が語っているのは、戦争による「迷惑」である。「迷惑」という表現にも驚かざるを得ないが、誰に対する「迷惑」かと言えば、南京で虐殺された無辜の住民ではないのだ。後の世代の日本の人間、つまりは自分たちが世界の良識から非難を受けるという「迷惑」だという。感覚がおかしいとしか言いようがない。

改めて考える。この高校生は、戦争によって理不尽に人が殺される、家が焼かれる、財産を奪われる、弱い立場の者が陵辱される、ということのリアルな受け止めができていないのだ。ゲーム感覚でしか、戦争を理解できないのではないか。

リアルな戦争の実相を伝えることが大切なのだ。改めて、文京区の教育委員各位にお願いしたい。せめて写真や動画で、戦争の現実の一端に触れることを奨励していただきたい。

来年こそは、この戦争展に関する“後援”の申請に対して「承認」していただきたい。各位のご氏名を特定して、お願い申し上げる。

教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

関弁連から、アパホテル問題についての「公開質問状に対する回答」

(2020年8月30日)

関東弁護士会連合会が発行する、「関弁連だより」に掲載されたアパホテル専務インタビュー記事。何の問題意識もなく、あたかもアパホテルグループを普通の企業のように扱うその編集者の感覚に驚愕せざるを得ない。

南京大虐殺はなかったという歴史修正主義、そして改憲論、また非核三原則の否定や核武装推進論の姿勢においても、アパホテルグループは余りにも突出した存在である。とうてい、弁護士会がまともに相手にできる代物ではない。弁護士会が、こんな企業を他と同様に扱ってはならない。それこそ、弁護士の社会的信用に傷が付くことになる。

この問題について、関弁連管内弁護士の有志65名が連名で、関弁連宛に公開質問状を出した。8月17日のことである。弁護士会は、日本国憲法を擁護し憲法理念を大切にしようとする姿勢のはず。アパホテルのような反憲法的信条を露わにしている企業を無批判に取りあげることは、弁連の姿勢に悖るものではないか。弁護士会の使命から問題ではないか、弁護士会の信用を傷つけるものではないか、という問いかけ。

公開質問状の内容は、下記のURLを参照されたい。

アパホテル記事について、関弁連に対する公開質問状。
http://article9.jp/wordpress/?p=15444

不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事。
http://article9.jp/wordpress/?p=15193

関弁連から、これに対する8月28日付回答を昨日(8月29日)受領した。下記のとおり、「2020年8月17日付け公開質問状に対する回答」と表題されたもので、個別の質問事項への回答はないが、「当該記事の掲載を継続することは適切ではない」との判断は示されている。これから、この回答の評価を検討することになる。

なお、弁護士会の在り方は、決して私事ではない。弁護士会の中での出来事や意見交換の在り方は、できるだけ広く市民に知ってもらうことが望ましいと思う。常に市民からの批判の目のあることが、弁護士会にあるべき姿勢を堅持させることになる。そのことは、弁護士自治の保障にも重要な役割を果たすことになるだろう。

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2020年8月17日付け公開質問状に対する回答

2020年8月28日

質問者65名代表者
弁護士 澤 藤 統一郎 様

関東弁護士会連合会
理事長 伊 藤 茂 昭

 日頃より,関東弁護士会連合会の活動にご助力・ご理解を賜りありがとうございます。貴職らよりいただきました2020年8月17日付け公開質問状に対して,以下のとおり回答いたします。

当連合会は,「2020年度関弁連の重点課題と施策」において,「立憲主義の尊重と行政権に対するその遵守の要請」「司法の独立の堅持」を掲げ,憲法問題に関しては「立憲主義を堅持し,恒久平和主義を擁護する立場」を鮮明にしています。このような当連合会の重点施策に基づく理事長声明などの活動について,貴職らからいただいた力強いご支持について,こころより御礼申し上げるとともに,今後も一層のご支援をお願いする次第です。

一方,当連合会の本年6月30日付け「関弁連だより」における冒頭記事 「関弁連がゆく」に取り上げたアパホテル株式会社代表取締役専務に対するインタビュー記事については,責職らの本公開質問状以外にも,この掲載自体を問題視する意見が寄せられ,執行部としては,弁護士法に基づく公的法人である構成弁護士会の連合会として,この記事の掲載を継続することは適切ではないと判断し,7月10日をもって当連合会ホームページから当該記事を削除いたしました。

そして,そのホームページからの削除については,理事長名において,アパホテル株式会社に対しても文書にて責任ある説明を行い,常務理事会にもその旨報告してご了承を得たところです。

また,当連合会内において,会報広報委員会及び常務理事会においても,本件の経営者一族の思想信条は関弁連の基本方針ととは異なるものの,何らその点には触れておらず,記事そのものについては問題ない以上,掲載を続けるべきであるとの意見もございました。そのような経緯ですが,本件については,執行部の判断で上記措置を執ることについての了解を得た次第です。

なお,今回の件を受けて,インタビュー記事において私企業の経営者を取り上げることについて,執行部と会報広報委員会の協議の上,編集方針を一部変更いたしました。インタビュー記事については,「関弁連がゆく」とのタイトルと併せて,その記事の内容を超えて,その私企業の経営者の思想信条を支持するかのような誤解を与える可能性があり,さらに,当該私企業が,公的団体のインタビュー記事があるという事実を広告宣伝に過度に利用する危険性も存することから,私企業の経営者のインタビュー記事は,当連合会の記事としては適切でない場合もありうるということで,8月12日には,ひとまず,過去の掲載記事の内,14の記事について当連合会ホームページから削除いたしました。

以上が,本件について当連合会執行部が執った結論であります。
当連合会執行部としては,今後は,会員の皆様からインタビュー記事について,疑義が述べられるような事態が発生しないよう,人選,記事内容について,慎重に取り組む方向で,執行部と会報広報委員会で引き続き協議を尽くす所存です。

以上の措置の御報告により,質問の各項目に対する回答に替えさせていただき,個別の各項目についての回答は,省略させていただきます。

併せて今回は,質問者の先生方をはじめ,多くの会員の方々に多大なご心配をおかけいたしました。こころよりお詫び申し上げるとともに,今後もよりよい「関弁連だより」の作成に努力する所存です。

当連合会が永続的かつ安定的に発展できるために,今後も力をお貸しいただきたいということをお願いし結びといたします。

私が生まれたのは、戦時中だった。

(2020年8月29日)
本日は私の誕生日。私は、1943年の今日(8月29日)盛岡で生まれた。その日、母が龍を呑んだ夢を見たとか、白虹が日を貫いたとかの奇瑞はまったく生じていない。ごく普通の暑い日だったようだ。

言うまでもなく、戦時中のことである。母が繰り返し語ったのは、終戦の年(1945年)の夏のこと。盛岡にも空襲があり、炎天下2歳に満たない私を負ぶって何度も防空壕に駆け込んだという。そのとき、私はハシカがひどくて泣き止まず、母の方が心細くて泣きたい思いだったと聞かされた。

戦争が終わってその年(45年)の秋に父は帰宅している。が、さて私が生まれた43年8月に、父は私という長男の誕生に立ち会っているのだろうか。

先日、この点について従兄弟の澤藤範次郎(金ケ崎在住)から、私の父(澤藤盛祐)が書き残したもののなかに、次の記録があると教えられた。私は散逸してしまったものである。

昭和14年5月に召集。弘前歩兵隊に入隊。幹部候補生に採用されたものの、駆足すれば落伍する、足首を捻挫するで、候補生仲間の世話になる。乙種で軍曹に任官。
 
昭和16年8月、弘前の部隊あげて満州国黒河省璦琿に駐屯、演習につぐ演習、行軍に強くなる。銃剣術大会のとき、ひとのみちの教えのことを思いだし、中隊優勝の因をつくったという武勇伝あり。タライのように大きい中秋の名月を二度見、零下45度の極寒を体験。ソ連が攻めてきたらひとたまりもないなあと思いながら、17年末召集解除。

今度は横須賀海軍工廠造兵部へ徴用されました。18年9月。浦郷寄宿舎の寮長となる。海軍工廠の弁論大会で優勝したことと、15歳の少年工員が脳脊髄膜炎を患った折、ひとのみちの話をしてあげ、奇跡的に全快したのが思い出。胃潰瘍を患い、20日ほど入院。

19年7月、二度目の召集で弘前へ。曹長となる。青森県三本木に駐屯。急性肺炎にかかり、危うく命を取りとめる。夏終戦。秋帰宅。足掛け7年のうち、家にいたのは十か月。

そうなのか。父は、私の出生時には家族とともにいたのだ。そして、8月29日に生まれた嬰児と妻を残して、翌9月には横須賀に出立せざるを得なかったのか。「お国のため」に勇躍して出かけたはずはない。生まれたばかりの我が子と出産直後の妻を気遣って、後ろ髪を引かれる思いであったろう。が、父の生前その思いを聞かされたことはない。それにしても「足掛け7年のうち、家にいたのは十か月」というのが、戦争適応世代であった大正生まれの貧乏くじだったのだ。

母は、自説を押し通すというタイプではなかったが、「戦争だけは絶対にイヤだ。あんな目には二度と遭いたくない」と、この点は断固として譲らず、揺るがなかった。夫のいない心細さだけでなく、子育ての苦労は一入だったのだろう。語らない苦労も多くあったに違いない。この母の思いは、私が受け継いでいる。

母の妹は、東京日本橋で恵まれた結婚生活を送っていたが、夫が戦争の最終局面で遅い招集となり戦死した。サイパン行きの輸送船とともに爆沈されたという。妹の悲しみも、母が「戦争だけは絶対にイヤ」という大きな理由だった。

母が語る銃後の戦争と、上記の父が兵歴を語るトーンには明らかなズレがある。幸いに実戦に遭遇する機会なく無事帰還した父には、兵役や徴用は「貴重な思い出」でもあったようなのだ。戦後、「戦友」との友情を暖めてもいた。もちろん、「戦争は絶対に繰り返してはいけない」とは言っていたが、その言葉に母ほどの迫力は感じられなかった。戦後の国民感情における反戦・厭戦意識の濃淡の差を考えさせられる。

陸軍の旧軍人軍属の兵籍は、本人の本籍地のある都道府県庁が保管して照会に応じている。海軍の方は、厚労省だという。この際、父の軍歴を徹底して調べてみようと思う。一人の日本国民と家族に、徴兵や徴用がどれほど負担だったかという視点をもって。

ところで、8月29日とは、夏の盛りを過ぎたころで秋未満である。活動的な夏のスケジュールが終わって一息の頃で、秋はまだ始まっいない頃。子どもにとってはもうすぐ夏休みも終わろうというころだが、二学期はまだ始まっていない。そんな中途半端な夏と秋との端境期。だから、私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。

が、今日は特別だった。夕餉に鯛の煮付けが出た。

アパホテル記事について、関弁連に対する公開質問状。

公 開 質 問 状

2020年8月17日

関東弁護士会連合会
理事長 伊藤茂昭殿

質問者 別紙に記載の弁護士 計65名

私たちは、関東弁護士会連合会傘下の単位会に所属する弁護士の有志です。
連合会執行部におかれては、弁護士・弁護士会の使命に則り会務に精励しておられることに謝意を表します。
とりわけ、昨年9月の第66回定期大会(新潟市)における、「日本国憲法の恒久平和主義と立憲主義を尊重する立場からの決議」や、本年5月11日の「東京高検黒川弘務検事長の勤務延長閣議決定の撤回を求め、検察庁法改正案に反対する緊急理事長声明」など時宜を得た機敏な見解の表明には深甚の敬意を惜しまないところです。
しかし、連合会が本年6月30日付で発行された「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭記事「関弁連がゆく」の内容が、極端な反憲法的姿勢や行動で知られる企業体を取りあげていることにおいて違和感を禁じえません。弁護士や弁護士会の在り方はけっして私事ではなく、優れて公的なものとして公益に適うものでなければならないと考えますが、問題の記事は、この点において連合会会報記事として決してふさわしいものではなく、弁護士会に対する社会的な信頼を傷つける恐れがあると疑義を呈せざるを得ません。
よって本状をもって、以下の質問を申し上げます。本書到達後2週間以内に、下記質問者代表の弁護士澤藤統一郎までご回答いただくようお願いいたします。
なお、本質問は、公開質問状として、質問とご回答を公表させていただきたいと存じますので、この旨ご了承ください。

第1 問題の記事の特定
本年6月30日発行の「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭に、「関弁連がゆく」と表題されたシリーズの第33回として、第1面及び第2面の全面を占める、「アパホテル株式会社 代表取締役専務 元谷拓さん」のインタビュー記事。以下、これを「アパホテル記事」といいます。

第2 質問事項
1 「関弁連だより」に「アパホテル記事」を掲載されたのは、どのような趣旨によるものでしょうか。その趣旨は、アパホテル記事のどこにどのように表現されているでしょうか。また、その趣旨が連合会の会報にふさわしいとお考えになった理由をお伺いいたします。

2 アパホテルの全室には「真の近現代史観」という表題の書籍が備え付けられていることで知られています。その書籍の内容は、「南京虐殺」も「従軍慰安婦強制連行」も事実無根であり、日本は謂れなき非難を受けて貶められているというものにほかなりません。
また、2008年以来、アパホテルグループは、「真の近現代史観」懸賞論文を募集しています。その第1回大賞受賞が当時現役の航空幕僚長・田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」でした。以来、竹田恒泰氏、杉田水脈氏、ケント・ギルバート氏など日本国憲法の理念を否定する傾向をもつ諸氏が続き、アパホテルの強固な反憲法的姿勢のイメージを形作ってきました。
「関弁連だより」の編集者は、同「たより」に「アパホテル記事」を掲載するに際して、以上の事実をどう認識し、どう評価しておられたのでしょうか。

3 また、アパホテルグループの創業者で代表でもある元谷外志雄氏は、「我が国が自虐史観から脱却し、誇れる国「日本」を再興するため」として勝兵塾という政治塾を主宰しており、同塾の講師には多くの改憲派政治家が名を連ねています。さらに同氏は、憲法改正、非核三原則撤廃、核武装論者としても知られ、事業活動と言論(政治)活動とは相乗効果を発揮しており、今後も『二兎(事業活動と言論活動)を追う』と広言しています。
反憲法的な思想や行動と緊密に結びついたこのような企業を、弁護士会連合会の会報に無批判にとりあげることが適切とお考えでしょうか。

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(2020年8月17日)
本日、上記の公開質問状を、関弁連に郵便で発送した。
関弁連とは何か、アパホテル記事とは何か、については当ブログの本年7月5日付下記の記事をご覧いただきたい。

「不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事」
http://article9.jp/wordpress/?p=15193

もちろん、全ての人には思想の自由も表現の自由もある。関弁連にも編集の権限がある。そのことは当然として、弁護士会の広報紙でアパホテルを取りあげることには大きな問題がある。

弁護士会は現行憲法の理念を遵守して人権と平和と民主主義擁護を宣言している。一方、アパホテルグループといえば、歴史修正主義の立場を公然化し、改憲の必要を説いて、非核三原則を否定し核武装総論者としても知られている。両者は、言わば水と油の関係にある。

その弁護士会が、あたかもなんの問題もないごとくに、アパホテルを取りあげては、世間に誤解を生む。アパホテルが変わったのか、あるいは弁護士会が変質したのか、と。

まさか、「関弁連だより」の編集者が、アパホテルについてなんの問題もない企業と考えていたわけではあるまい。どんな事情があって、あれだけのスペースを割いて改憲勢力の一角をなす企業の提灯記事を書いたのだろうか。まずは、礼を失することにないように、質問をしてみようということなのだ。

この公開質問状は、是非、転送・拡散をお願いしたい。関弁連からの回答あり次第、またお伝えする。

いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜

(2020年8月5日)
関東学院大学に、宮本弘典さんという刑事法の教授がいる。
この方が、紀要「関東学院法学」(第28巻第2号)に、「ニホン刑事司法の古層・再論 1:思想司法の系譜」という論文を掲載されている。貴重なものである。

B5で40ページ余の分量だが、これに126項目、20頁余の引用資料が充実している。ありがたいことに、その全文がネットで読める。関東学院に感謝しつつ、司法問題に関心のある方には、閲覧をお勧めしたい。

https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI30003367&elmid=Body&fname=007.pdf

研究者の論文を読むのは骨が折れて億劫だと仰る方は、せめて下記の私の拙い要約に目を通していただきたい。

宮本論文の主題は、「ニホン刑事司法の古層には、今なお、過去の《思想司法=モラル司法》が脈々と永らえている」という表題のとおりのもの。言うまでもなく過去の《思想司法》とは、「万世一系の國體護持」という「思想」(ないしは信仰)の擁護を主柱とする刑事司法である。天子様に弓を引く極悪な非国民をしょっぴいて処罰する糾問型司法制度を言う。のみならず、《思想司法》は《モラル司法》でもあったというのが、政治学者ではなく刑事法学者である論者の重要な指摘。《モラル司法》とは、皇国臣民としての道徳を規範とした刑事司法といってよいだろう。転向し反省して、皇国臣民としての規範を受容する恭順者に対しては、畏れ多くも皇恩が寛大なる処遇を賜るであろうという文字どおり、天皇の天皇による天皇のための刑事司法なのだ。そのかつての刑事司法の抜きがたい伝統は、今なお古層として現在も生き続けているというのだ。

この点、論文の最後の一文が要旨を適切にまとめて、分かり易い。

行為に対する法的裁きにとどまらず,被告人の人格そのものに対する道徳的裁きとなれば,日本国憲法による防御権の保障は画餅に帰し,捜査と公判と行刑の全過程が反省と謝罪の追及の場となろう。思想司法/モラル司法を牽引した検察官司法の貫徹はたしかに「凡庸な悪」「陳腐な悪」ともいうべき悲劇であった。しかし,「凡庸な悪」「陳腐な悪」は時代と状況を超えて再現する。現に本稿で概観したとおり,思想司法/モラル司法のモードとエートスは,「古層」をなして日本国憲法の下でもなお2度目の笑劇として存(ながら)えている。それは裁判官や検察官のみの罪ではない。我われ自身の罪でもあろう。

また、「プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶」の中に次の一節がある。

権威主義国家における(戦前の)このような刑事裁判は,被告人から法的権利と道徳的資格の双方を剥奪して「非国民」を生産する場であった。そのような裁判において自白とは,「反省と悔悟」による被告人の「道義の回復」の必須の条件であり,天皇の赤子たるニッポン臣民の――お上の恩情・恩寵としての――道徳的資格の回復に欠くべからざる条件であった。…権威主義国家の自白裁判は,治安維持法の思想犯/政治犯裁判に明らかなとおり心情刑法の色彩を濃くしてすべての被告人を政治犯化し,反省と悔悟あるいは転向を迫りつつ,被告人を法的のみならず道徳的にも断罪する荘厳の――しかし内容空疎な――裁きとして機能した。現在も続く反省・謝罪追及型のモラル司法の原風景である。

さて歴史を鑑とするときニホン刑事司法の「真実」と「正義」を語りうるだろうか。否であろう。ニホン刑事司法の古層をなし,ニホン刑事司法の底流を通貫するモードとエートスは,検察官司法による思想司法/モラル司法のそれだからである。現に,敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手のなかにも,思想司法の系譜に属する人びとがいる。本稿は,先行研究によりつつ若干の固有名詞によってそれを確認し,ニホン刑事司法の改革に不可欠な歴史的省察の一端を照射しようとするものである。

こうして、《敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手となった,思想司法の系譜に属する人びと》を洗い出そうというのが、この論文の狙いである。ターゲットにされたのは、著名な、研究者・実務家の6名。戦前の天皇の刑事司法と戦後の人権擁護の刑事司法を架橋して、戦後刑事司法に古層としての戦前司法を埋め込んだ「戦犯6人集」の罪状である。その6名とは、小野清一郎・団藤重光・池田克・斎藤悠輔・石田和外・岡原昌男である。

この6名の罪状が次のとおりに目次建てして論じられている。

プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶
1.戦時刑事法のイデオローグ・小野清一郎
2.戦後刑事法学の泰斗・団藤重光
3.思想司法の中核の復権・池田克
4.硬骨/恍惚の戦時派裁判官・斎藤悠輔
5.ミリタントな保守によるリベラル排斥・石田和外
6.思想検事の末裔・岡原昌男
エピローグ:司法の廃墟

私の主たる関心は、「ミリタントな保守」とされた石田和外にある。「ミリタント」の意は「居丈高で好戦的な」ということであろうが、退官後の石田の言動を見ると、「軍国主義者」の意でもあろうかと思われる。この石田のことは後日述べたい。

恐るべきは、宮本論文のトップ出てくる、小野清一郎である。盛岡では、郷土の偉人の一人に数えられている。近江商人の出である小野組の一族の人で、浄土真宗の信仰に厚いことでも知られる。親鸞と天皇信仰とどう関係するのかは余人には窺い知れないが、彼はこんなことを書いている、と宮本論文が紹介している。

「我が日本の國軆は肇國以來の歴史を離れたものではないと同時に,其の精華は日本道義の顕現以外に之を求めることは出來ない。この國軆の精華たる億兆一心の道義は「教育ノ淵源」たると同時に亦法の淵源でもある。何故なら,日本においては法と道義とは一如であり,法とは道義の政治的實現に外ならないからである。…我が國軆は神ながらの絶對なる道に基礎づけられてゐる。萬世一系の天皇の御統治は唯一にして絶對のものであり,天壌無窮の意義を有するものである。其處には限りなき嚴しさを感ぜしむるものがある。其は正に人間以上の嚴しさである。まことに限りなき御稜威である。しかし御稜威といふものは單なる「權力」といふ如きものではない。また單なる「權威」といふ如きものでもないと思ふ。權威でもあり,又權力でもあるが,しかしそれよりも深く一切をはぐくむ生成力であり,光明である。御仁慈である。限りなき御稜威も,光華明彩なる皇祖天照大神の和魂に基く生成の力である。…されば天皇と臣民との關係も單なる權力服從の關係といふ如きものではない。「詔を承けては必ず謹め」といふ,絶對なるものへの随順であり,歸一である。しかも其は上下の和諧であり,億兆の一心を實現する所以である。日本の法は斯の如きいはば宗敎的道義的な基本原理において把握され,形成され,實践されなければならないのである」(小野清一郎『日本法理の自覚的展開』(有斐閣・1942年)92‐94 頁)

宮本は、この小野の言を、「要するに天皇主権国家を「道義」の顕現=権化とする信仰告白であり,そのような「国体」の実現が法の基本原理だというのである。ゆえに法の性質も目的も「道義」の外に求めることはできない」と研究者らしく評する。

私の感想はひとこと、「バカジャナカロカ」というほかはない。この人も、戦前の一時期、検事だったこともあるという。知性や理性が、醜悪な信仰と迷妄なる野蛮に裁かれていたのだ。

小野の没年は1986年。その晩年、法務省の特別顧問となり刑法「改正」問題で影響力ある人とされていた。宮本論文に依れば、今なお刑事司法の古層に永らえているという《思想司法=モラル司法》の実質とは、こんな小野思想だというのだ。

蛇足だが、一言。小野は、秀才伝説の人である。得てして、秀才とは、「醜悪な信仰と迷妄なる野蛮」に親和性が高い。おそらくは、今も。

「第2回 平和を願う 文京戦争展・漫画展」開催のお知らせ

(2020年8月4日)
期間:2020年8月10日(月)~12日(水)
時間:8月10日 13:00~18:00
   8月11日 10:00~18:00
   8月12日 10:00~16:00
場所:文京シビックセンター1階 アートサロン(展示室2)
最寄り駅 後楽園(丸の内線・南北線)、春日(三田線・大江戸線)
入場無料

文京・真砂生まれの村瀬守保写真展

村瀬守保さん(1909年~1988年)は1937年(昭和12年)7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦。カメラ2台を持ち、中隊全員の写真を撮ることで非公式の写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しました。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルビンと、中国各地を第一線部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真は、日本兵の人間的な日常を克明に記録しており、戦争の実相をリアルに伝える他に例を見ない貴重な写真となっています。一方では、南京虐殺、「慰安所」など、けっして否定することのできない侵略の事実が映し出されています。

一人一人の兵士を見ると、
みんな普通の人間であり、
家庭では良きパパであり、
良き夫であるのです。
戦場の狂気が人間を野獣に
かえてしまうのです。
このような戦争を再び
許してはなりません。
村瀬守保 

漫画家たちの満州引き上げ証言

中国からの引揚げを体験した漫画家たちの記録
赤塚不二夫、ちばてつや、古谷三敏、北見けんいち、森田拳次、高井研一郎、山口太一など中国から引き揚げてきた漫画家たちが、少年時代の忘れようとして忘れられない過去をまとめてマンガに描いた作品を展示しています。

DVD上映

1 侵略戦争
2 中国人強制連行
3 20世紀からの遺言

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8月は、あの戦争を語り継ぐべきときである。75年前の8月、日本の国民は塗炭の苦しみを経て敗戦を迎えた。夥しい人命が失われ、生き残った人々も愛する多くの人を失った。8月は凝縮された悲しみのとき。忘れてはならないのは、その悲しさ切なさは、日本によって侵略を受けた隣国の人々には、さらに深刻で大規模なものだったことである。

この戦争の惨禍を再び繰り返してはならない。被害者にも加害者にもなるまい。そのような国民的合意から、平和憲法が制定され、我が国は平和国家として再出発した、…はずなのだ。

今あるこの国の再出発の原点である「戦争の惨禍」を、絶対に繰り返してはならないものとして、記憶し語り継がねばならない。平和を維持するための不可欠の営みとして。とりわけ、8月には意識して戦争を語ろう。戦争の記憶を継承しよう。

そのうえで、なぜ戦争が起きたのか。なぜ日本は朝鮮を侵略し、満蒙を日本の生命線だと言い募り、華北から華中、華南へと戦線を拡大したのか。あまつさえ、英・米・蘭にまで戦争を仕掛けたのか。敗戦必至となっても戦争を止めず、厖大な犠牲を敢えて積み重ねたのはどうしてなのか。

できれば、さらに考えたい。この戦争を主導した者の責任追及はなぜできなかったのか。最大の戦犯・天皇はなぜ戦後も天皇であり続けたのか。

8月の戦争を語る企画として、昨年文京では、日中友好協会を中心に「平和を願う文京・戦争展」が開催された。内容は、「日本兵が撮った日中戦争」として、文京・真砂生まれの村瀬守保の中国戦線での写真展を中心に、DVD上映(「侵略戦争」「中国人強制連行」)、そして文京空襲についての体験者の語りが好評だった。思いがけなくも、3日間で1500人もの来観者を得て、大盛況だった。

この盛況の原因は、実は文京区教育委員会のお蔭だった。実行委員会は、文京区教育委員会に後援申請をした。「区教育委員会の後援」とは名前を使ってもよいというだけのこと。「平和宣言」をもつ文京区である。平和を求める写真展を後援して当然なのだが、文京教育委員会はこれを不承認とした。事務局の承認原案を覆しての積極的不承認である。

これを東京新聞が取りあげて後掲の記事にした。この記事を読んで、後援申請を不承認とした文京区教育委員会に抗議の意味で参加という人が多数いて、大盛況だったのだ。

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昨年(2019年8月)の顛末を記しておきたい。
この企画の主催者は、日中友好協会文京支部(代表者は、小竹紘子・元都議)である。同支部は、2019年の5月31日付で、文京区教育委員会に後援を申請した。お役所用語では、「後援名義使用申請書」を提出した。

その申請書の「事業内容・目的」欄にはこう記載されている。

「保護者を含めて戦争を知らない世代が、区民の圧倒的多数を占めています。従って子どもたちに1931年から1945年まで続いた日中戦争、太平洋戦争について語り伝えることも困難になっています。文京区生まれの兵士、村瀬守保氏が撮った日中戦争の写真を展示し、合わせて文京空襲の写真を展示し、戦争について考えてもらう機会にしたい。」

なんと、この申請に対して、文京区教育委員会は「後援せず」と決定した。このことが、8月2日東京新聞朝刊<くらしデモクラシー>に大きく取りあげられた。

同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。

 日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。

 同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」(春日一)で八~十日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(一九〇九~八八年)が中国大陸で撮影した写真五十枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。

 同支部は五月三十一日に後援を区教委に申請。実施要項には「戦場の狂気が人間を野獣に変えてしまう」との村瀬さんの言葉を紹介。「日本兵たちの『人間的な日常』と南京虐殺、『慰安所』、日常的な加害行為などを克明に記録した写真」としている。

 区教委教育総務課によると、六月十四日、七月十一日の区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。

日中友好協会文京支部には七月十二日に区教委が口頭で伝えた。支部長で元都議の小竹紘子さん(77)は「慰安婦の問題などに関わりたくないのだろうが、歴史的事実が忘れられないか心配だ。納得できない」と話している。

 村瀬さんの写真が中心の企画もあり、二〇一五年開催の埼玉県川越市での写真展は、村瀬さんが生前暮らした川越市が後援。協会によると、不承認は文京区の他に確認できていないという。

 協会事務局長の矢崎光晴さん(60)は、今回の後援不承認について「承認されないおそれから、主催者側が後援申請を自粛する傾向もあり、文京区だけの問題ではない」と話す。「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」と懸念を示した。

なんと言うことだろう。戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」不承認いうのは、あまりの不見識。「南京虐殺」も「慰安所」も厳然たる歴史的事実ではないか。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得して、後援実施してこその教育委員ではないか。

「戦争の被害実態はともかく、加害の実態や責任に触れると、右翼からの攻撃で面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられてていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。

文京区教育委員会事案決定規則(別表)によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。

すこしは、恥ずかしいと思っていただかねばならない。そして、ぜひとも、今年こそ汚名を挽回していただきたい。

教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

朝日社説「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」に敬意

(2020年7月25日)
本日(7月25日)の2本の朝日社説。ひとつは、「朝鮮人犠牲者追悼式」に対する小池知事の姿勢を批判するもの。そうして、もう一つが「検察刷新会議」の議論の在り方についてのもの。いずれも、分かり易く説得力があり余計な忖度のない、優れた内容である。

そのうち、「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すなと表題する小池知事の姿勢についての社説を取りあげて紹介したい。

「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」という表題が立場を明確にしている。「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は「揺るぎない史実」なのだ。小池都政は、「その史実の改ざんに手を貸してはならない」と警告している。

冒頭の一文が、次のとおりである。

「こうしたおかしな行いが自由な社会を窒息させ、都政に対する不信を膨らませると、小池百合子知事は気づくべきだ。」

「史実の改ざんに積極的に手を貸す、こうしたおかしな行い」は、「自由な社会を窒息させ」る罪の深い醜行である。にもかかわらず、小池百合子は自分の生来の歴史修正主義思想や差別意識から、あるいは支持勢力への慮りから、敢えて「こうしたおかしな行い」をしようとしているが、そのことは、結局のところ、都民の小池都政に対する不信を膨らませることになるのだから、「結局あなたの得にはならないことに気づくべきだ」と、説得を試みているのだ。

「関東大震災後の混乱の中で虐殺された朝鮮人や中国人の追悼式典を開いてきた団体が、会場の公園を管理する都から「誓約書」の提出を求められている。
 (提出を求められている誓約書の)内容は、
▽参加者に管理の支障となるような行為をさせない
▽順守されなければ都の式典中止指示に従う
▽次年度以降、公園利用が許可されなくなっても異存はない、というものだ。」

この「誓約書」提出の要求が、「自由な社会を窒息させるおかしな行い」であり、都政に対する都民の不信を膨らませる」問題の行為なのだ。

 なぜ問題か。虐殺の事実を否定する団体が3年前から式典と同じ時間帯に「犠牲者慰霊祭」と称して集まり、大音量で「虐殺はでっち上げだ」などと演説を行っているためだ。昨年はこれに抗議する人たちとの間で衝突もあった。
 同様のことが起きれば来年から式典を開けなくなる恐れがある。否定派の団体の関係者はブログで「目標は両方の慰霊祭が許可されないこと」だと公言している。その思惑に手を貸し、歴史の改ざんにつながる「誓約書」になりかねない。

「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、検証された史実である。しかし、この史実を認めたくない人々がいる。「常に清く正しい日本人がそのような悪逆非道の行いをするはずはない」「存在しない虐殺をあたかも存在したように吹聴するのは、悪意の陰謀である」「仮に、朝鮮人殺りくがあったとしても、それは悪行に対する懲罰に過ぎず、朝鮮人の自業自得で日本人に責任はない」と言いたいのだ。史実を直視しようとしない、歴史修正主義派の一群。その典型である「そよ風」というグループが、小池百合子の知事就任直後から、追悼式典にぶつける形で集会をもち、大音量で「虐殺はでっち上げだ」と演説を始めたのだ。

 そもそも地方自治法は「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と定め、安易な規制は許されないとする最高裁の判例もある。都の対応は集会や表現の自由への理解を欠き、いきすぎと言わざるを得ない。

この問題に関する東京弁護士会の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明」(本年6月22)の次の一節を引用しておきたい。
言うまでもなく、集会の自由(日本国憲法第21条第1項)は、民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものである。これを受けて公共施設の利用について、地方自治法第244条第2項は、「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである(最判平成8年3月15日・民集第50巻第3号549頁)

 知事の姿勢が影響していることはないだろうか。小池氏は歴代知事が式典宛てに出してきた追悼文をとりやめ、虐殺について「様々な見方がある」などとあいまいな発言を繰り返す。

「知事の姿勢が影響していることはないだろうか。」は、反語表現である。明らかに影響しているのだ。小池の姿勢が、歴史修正主義派、ヘイトスピーチ派の跳梁を誘発している。しかし、かろうじて、小池自身にあからさまにホンネを語らせないだけの世論状況にはある、ということなのだ。

 だが「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げ込んだ」といった虚偽の話が広がり、市民や軍、警察によって各地で虐殺が行われたのは厳然たる事実だ。多くの公的記録や証言があり、内閣府中央防災会議の報告書にも明記されている。にもかかわらず、否定派の団体は差別的表現を使いながら、暴動やテロがあったと言い募る。

歴史の修正は一種の信仰である。「神聖なる陛下ご親政の御代の日本人が、理由もなく他国の民を虐殺することなどあり得ない」「伝えられる自警団の朝鮮人への懲罰は、あったとしてもやむを得ない正当防衛に過ぎない」。明治維新後権力者によって意図的に作られたこのような信仰が、いま息を吹き返しつつあるのだ。恐るべきことではないか。

 小池氏は先の知事選で、ヘイトスピーチ対策を盛り込んだ都条例の制定を1期目の成果に挙げた。そうであるなら、事実に基づかぬ差別的な言説を放置せず、適切に対応するのが知事の務めではないか。自らも歴史に誠実に向き合い、都民の代表として追悼文を出すべきだ。

まったく、そのとおりだと思う。ここで提言されているのは以下の2点である。
(1) 事実に基づかぬ差別的な言説を放置せず、知事の務めとして適切に対応すべきこと
(2) 自らも歴史に誠実に向き合う証しとして、都民の代表として追悼文を出すべきこと

(2) は、都知事独断でできることだ。追悼式実行委員会への「誓約書」要求は撤回して、改めて都民の代表として追悼文を提出するべきであろう。できることなら、ご自分で起案をされて、心情のあふれるものとしていただきたい。
(1) については、3年後に迫った100周年の記念史を編纂してはどうだろうか。史実に基づく生々しい過去の記録に留めず、この史実を踏まえて「共生の東京」の未来図を描くものとして。

朝日の社説は、ここで終わらない。関東大震災時に振りまかれ今に至る「災害時のデマ」に筆を進めて締めくくっている。この締めくくり方には、やや不満が残る。

 災害時のデマは過去の問題ではない。東日本大震災では外国人窃盗団が暗躍しているとの流言が広がり、現下のコロナ禍でも外国人の排斥や感染者へのいわれない攻撃が起きている。
 社会不安が広がるとどんなことが起き、そうさせないために日頃からどうすべきか。97年前の惨劇から学ぶことは多い。

97年前の軍・警・民間が一体になっての朝鮮人虐殺は、決して「災害時のデマ」一般の問題に矮小化してはならない。帝国日本の朝鮮侵略に伴う作られた差別意識と反抗への恐れの感情を基本に据えて読み解かれるべきであろう。

とは言うものの、この朝日社説の見識に敬意を表したい。

不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事。

(2020年7月5日)
昨日(7月4日)のこと、東京弁護士会から会報「リブラ」が届いた。それに、6ページの「関弁連だより」が同封されている。これを見て驚いた。巻頭を飾っている記事が、どうみても「アパホテルの宣伝」なのだ。百歩譲っても「アパホテル提灯インタビュー」だ。右翼・改憲派として名高い、あのアパホテルである。南京虐殺はなかったと言って憚らない歴史修正主義のあのアパホテル。人権擁護を使命とする弁護士会が取りあげる代物ではない。

関弁連ホームページに、「従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。」とある。その第1回の企画が、よりにもよって、アパホテルなのだ。不見識にもほどがある。

怒り心頭だが、関弁連とは何か。アパホテルとは何か。そして、何故アパホテルの提灯記事が、「関弁連だより」にふさわしくないのか、順を追って語らねばならない。

弁護士会は弁護士法にもとづく公法人であり、全弁護士が会員となる強制加入団体である。どの国家機関からも統制を受けることのない自治組織であることを特徴とし、個別の弁護士は、その業務の遂行に関しては弁護士会からのみ指導監督を受け、最高裁からも官邸からも法務省からも容喙されることはない。全国に、52の単位弁護士会があり、これを統括する日本弁護士連合会(日弁連)がある。

弁護士法にもとづく単位会と日弁連との間に、公法人ではない「中2階」の組織がある。通例「弁連」というようだが、全国8高裁の管轄内単位弁護士会の連合体である。

その8弁連のうち最大の規模をもつのが、「関東弁護士会連合会、略称「関弁連」である。東京高等裁判所管内13弁護士会によって構成されている。分かりにくいが、東京の三弁護士会(東京・第一東京・第二東京)と、神奈川県・埼玉・千葉県・茨城県・栃木県・群馬・山梨県・長野県・新潟県・静岡県の各弁護士会の連合組織。「関弁連に所属する弁護士の数は約2万人で,日本の弁護士の約60%が関弁連に属しています」という。

その歴とした弁護士団体広報紙のトップ記事、しかも新企画「関弁連がゆく」の第1回がアパホテルなのだ。いったい「関弁連はどこへ」ゆこうというのだ。

「たより」のトップに大きな顔写真、アパホテル創業者夫婦の次男で専務だという人物。冒頭に、「アパホテルと言えば,アパ社長こと元谷芙美子社長の笑顔のポスターで皆様にもお馴染みのことと思いますが,今回は,元谷芙美子社長のご子息であり,アパホテルで専務を務めていらっしゃる元谷拓さんに,アパホテルの色々をうかがってまいりました。」という、歯の浮くようなおべんちゃら。

2ページにわたるこのインタビュー記事には、人権も平等も、排外主義も歴史修正主義も、そして右翼政治家支持問題も改憲も、まったく出て来ない。要するに、アパホテルが問題企業とされてきた論点を全て素通りして、気恥ずかしいヨイショの質問に終始しているのだ。これは、弁護士会の品位に関わる。弁護士会の恥といっても過言ではない。この「たより」は、弁護士会の広報紙ではないか。アパホテルや右翼の宣伝チラシではない。

社会がアパホテルの存在を知ったのは、田母神俊雄の名と同時であったと言ってよい。2008年アパホテルは第1回「真の近現代史観」懸賞論文を募集、その大賞を獲得したのが当時現役の航空幕僚長・田母神であった。この件で田母神俊雄は更迭されてその地位を失うことになる。なお、この大賞は、「最優秀藤誠志賞」と名付けられていた。藤誠志とは、アパホテルの創業者元谷外志雄のペンネームである。

「真の近現代史観」というのが元谷外志雄の持論なのだ。通説の歴史は全て嘘だ。あれは、自虐史観でありGHQ史観だ。「日本は西洋列強が侵略して植民地化していたアジアの植民地軍と戦い、宗主国を追い払った植民地解放の戦いを行った。にもかかわらず、東京裁判において、日本が侵略国家であり、中国国民党政府軍が謀略戦としてつくった捏造の歴史によって南京大虐殺を引き起こした悪い国だと決めつけられた」という類の、典型的な歴史修正主義。

2017年1月、アパグループは客室に置いた歴史修正主義書籍『本当の日本の歴史 理論近現代史』で名を上げる。元谷外志雄が書いた、旧日本軍の南京事件を否定する内容。「いわゆる南京虐殺事件がでっち上げであり、存在しなかったことは明らか」というもの。この英語版を読んだ海外客の発信が大きな反響を呼び、国内外からの批判が殺到して、国際問題にまで発展したことが話題となった。

それだけではなく、元谷は「我が国が自虐史観から脱却し、誇れる国『日本』を再興するため…」として、「勝兵塾」を開設し、右翼人脈の改憲派政治家を支援している。稲田朋美やや下村博文など、安倍人脈の政治家が多く挙げられている。

もちろん、人の思想・信条は自由である。陰謀論も歴史学の定説批判も、他人に押し付けない限りは自由である。しかし、人権擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士会がその提灯を持ってはならない。日本国憲法とその理念の擁護から大きくはずれた企業を推薦し支援するような行為があってはならない。アパホテルのような問題企業の宣伝を買って出るような不見識があってはならない。

コロナ禍の時節、格差社会の底辺の人に手を差し伸べている献身的な活動を行っている優れた人々がいるではないか。強者による人権侵害に臍を噛んでいる人々が数多くいるではないか。不当な差別に悔しい思いをしている人も、あちこちにいる。弁護士会が寄り添うべきは、まずそのような人々であろう。断じて、アパホテルではないのだ。

弁護士も、弁護士会も、その社会的使命を忘れてはならない。

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