澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

被害者本人を抜きにした国家間の協議と妥協では真の解決になるはずがない

ときどき吉田博徳さんから電話をいただく。たいていの場合、「サワフジさん、教えていただきたいことがあるんですが」という言葉から始まる。私は緊張して、次の言葉を待つ。さて、今回は何のことだろうか。

吉田さんは、私より22歳も年上。元は全司法労働組合の委員長だった方。その任を降りた後は、平和運動一筋。ごく最近まで日朝協会東京都連の会長でもあった。かつては日本領だった韓国の生まれで、その地で育った方でもある。その吉田さんの質問は、韓国大法院の徴用工判決についてのことだった。

 韓国の最高裁が元徴用工の訴えを認めて、新日鉄住金に賠償金を支払えという判決を出しましたでしょう。ところが、日本の政府は、あり得ないとんでもない判決だという。どうしてそんなことが言えるのでしょうかね。

政府の言い分をまとめるとこんな具合でしようか。
日本の敗戦によって終了した植民地統治時代の諸問題を解決するための日韓会談が長く続けられて、1965年に日韓基本条約が成立しましたよね。ここから、独立国同士の新たな国交が始まった。同時に、「日韓請求権協定」が締結されて、それまで未解決だった両国間の財産関係だけでなく、植民地時代の両国民間の財産問題やあらゆる請求権問題が、「完全かつ最終的に解決した」というんですね。すべての請求権は、有償2億、無償3億(ドル)の経済援助を見返りに消滅した。それを今さら蒸し返すとは怪しからん、国際の信義に悖る、という言い分ですね。

 国家と国家の間の協定で、国家の権利を処分できるのはともかく、国家が国民に代わって国民の権利を値切ったり処分してしまうなんてことができるものでしょうか。

おっしゃるとおり、大いに疑問の残るところです。少なくとも、この日韓請求権協定では、日韓両国とも個人請求権が消滅したとは言っていません。

 国の権利と国民個人の権利とをきちんと分けて考えなきゃならんということですね。

国会での外務省の答弁も、一貫して「両国間の請求権の問題」と「個人の請求権の問題」とを意識的に分けて、協定の効果を考えています。たとえば、「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」というふうに。

 つまり、解決済みというのは、「日韓両国が国家として持っている権利」であって、個人の民事的請求権ではないというわけですね。

そのとおりです。この場合、原告が旧日本製鉄に対してもっている慰謝料請求権と、韓国が日本に対してもっている外交保護権とは本来別物で、「最終かつ完全に解決した」のは外交保護権だけというわけですから、韓国の裁判所が元徴用工の旧日本製鉄に対してもっている慰謝料請求権自体はこの協定でなくなったというわけではない。

 外交保護権とは、韓国が韓国民の後ろ盾になって、日本に対して、この問題何とかしなさいと要求する権利ですね。日本の企業が徴用工にひどいことしたじゃないか、日本が責任もって善処しなさい、と被害者本人に代わって交渉する権利ということですね。

もちろん立場を逆にした関係でも同じです。日本から韓国に対して、「日本国民の財産を韓国に残してきた。その補償を韓国として善処していただきたい」という権利も考えられる。この外交保護権はお互いチャラにした。でも、それ以上に、それぞれの国民の個人としての実体的な権利がなくなったということではない。日本の政府だけでなく、最高裁も同様の考え方を取っています。今回の大法院判決は、元徴用工の「強制動員慰謝料請求権」については請求権協定で消滅していない、と認めた。今回の韓国大法院の判決がおかしいとは言えない。これをおかしいということの方がおかしい。

 でもね、サワフジさん。わからんのは、安倍首相が「国際法に照らしありえない判断」と言っていますね。「国際法に違反した判決」ともね。この国際法っていったいなんでしょうかね。

私も弁護士ですが、弁護士なんて国際法はろくに知りません。この場合に最高裁が従うべき「国際法」ってなんだろうって考えていたんですよ。結局のところ、実質的には、日韓請求権協定の存在を「国際法」って言い換えているだけのようですね。それだけのこと。

 一国の首相が他国の最高裁の判決を批判しての発言なんだから、なにかそれらしい「国際法規」があるんじゃないですか。今日はそれを聞きたくて、電話を差し上げた。

「一国の首相」の発言という思い込みが間違いの元。ウソとごまかしの安倍晋三の発言と思えば、おわかりでしょう。

 でも、何かあるでしょう。たとえば、国と国との約束は守りなさい、という程度の国際慣習でも。

調べてみたら、それならあります。「ウィーン条約法条約」という名前。国連国際法委員会が条約に関する慣習国際法を法典化したものだそうです。1969年に採択されています。その第26条に、「効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない」と、当たり前のことが書かれている。もしかしたら、安倍首相がいう「国際法」というのは、このことかも知れません。

 今回の判決では、日本のマスコミが一斉に韓国批判の立場を取ったでしょう。どの新聞も安倍首相の言うとおりに書いた。もったいぶった安倍首相の「国際法」も一役買ってますよね。その正体がこれですか。

1965年日韓請求権協定の「完全かつ最終的な解決」とか、2015年慰安婦問題日韓合意の「最終的かつ不可逆的な解決」とか、加害者側の押しつけがましい文言が、結局混乱と紛糾のタネになっていますね。

 やっぱり、加害者側に真に謝罪の気持と誠実さがないからですよ。それに被害者本人を抜きにした、国家と国家の話し合いと妥協ですから、これでは真の解決になるはずがない。

おっしゃるとおりですね。今日はこれくらいにして、続きは日民協の司法制度研究集会でお目にかかった際にいたしましょう。それから、11月25日午後の吉田さんの日朝問題の講義を楽しみにしています。午後1時半から小平市中央公民館で、今回のテーマは「明治維新後の日朝関係史」でしたよね。勉強させていただきます。
(2018年11月13日)

控訴審では真っ当な判決で悪夢を晴らそう ー 植村勝訴の逆転判決を

植村隆元朝日新聞記者が、無茶苦茶なバッシングを受けて、やむにやまれずの提訴に踏み切った2件の名誉毀損損害賠償請求訴訟。1件は札幌地裁、もう1件は東京地裁係属事件。いずれも、「私は捏造記者ではありません」と、痛切な声を上げての訴え。櫻井よしこらに対する札幌地裁訴訟が先行して判決となった。私も原告訴訟代理人の一人として、11月9日判決の勝訴を確信していた。敗訴の報告に、いまだに信じられない思いである。これほど押していても勝てないのか。

とは言え、さすがにこの「不当判決」も、櫻井の名誉毀損言論の最重要部分について真実とは認定していない。「金学順氏が慰安婦とされるに至った経緯に関する部分が真実であるとは認めることは困難である」としつつも、「被告櫻井が上記のように信じたことには相当の理由があるということができる」とした。櫻井は、その程度の確度の記事で、植村の新聞記事を「捏造」と決めつけたのだ。その背景には、抜きがたい歴史修正主義のイデオロギーがある。

判決批判については、「植村裁判を支える市民の会」のホームページをお読みいただきたい。URLは以下のとおり。ここに、法廷の経過報告、判決要旨、判決全文、弁護団声明、「支える会」声明などのすべてが掲載されている。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトから引用しておきたい。
 闘いは再び始まった!
 控訴審に向け あふれる判決批判、闘う決意

 植村さんが立った。「悪夢のような判決でした。私は法廷で、悪夢なのではないか、これは本当の現実なんだろうかとずっと思っていました。今の心境は、言論戦で勝って、法廷で負けてしまった、ということです。櫻井氏は3月の本人尋問ではいくつもずさんな間違いを認めていった。あの法廷と今日の法廷がどうつながるんだろうか」「激しいバッシングを受けたとき、これは単に植村個人の問題ではないということで、様々なジャーナリストが立ち上がってくれました。いまも新聞労連、日本ジャーナリスト会議、リベラルなジャーナリストの組織も応援してくれています」「この裁判所の不当な判決を高等裁判所で打ち砕いて、私は捏造記者でないということを法廷の場でもきちんと証明していきたいと思っています」。

まったく同感である。

ぜひご覧になっていただきたいもう一つのサイトがある。
捏造したのは櫻井よしこのほうなのに…『慰安婦報道を捏造』と攻撃された元朝日記者・植村隆の名誉毀損裁判で不当判決」という、リテラ(編集部)の記事。いつもながらの、問題に真正面から切り込む熱のこもった緻密な内容。
https://lite-ra.com/2018/11/post-4354.html

私は、この微妙な判断をした判決に櫻井よしこがどう反応するか、この人のホームページでのきちんとした発言に注目しているのだが、本日(11月11日)夜までのところ音沙汰なしである。訴訟の過程で、自分の記事の間違いを具体的に指摘されて訂正している。それでも、判決主文では勝訴した櫻井がなんというのだろうか。いまだに、植村記事を捏造と言えるのか。

おそらく、櫻井よしこは安部英(元帝京大学医学部教授)から名誉毀損で訴えられた訴訟の高裁判決の悪夢を思い出しているに違いない。
2003年当時、櫻井自身が、「高裁判決での逆転敗訴はジャーナリズム全体への冒涜」という標題で次のような記事を自分のサイトに掲載している。

「2月26日、東京高裁大藤敏裁判長、高野芳久、遠山廣直両裁判官によって、私は逆転敗訴の判決を言い渡された。元帝京大学副学長安部英氏から名誉毀損で訴えられていた件である。
 高裁判決は、地裁判決とは正反対の内容だった。一審判決で真実、あるいは真実と信ずるに相当の理由があったとして認められた記述が、ことごとく否定された。
 ひと言でいえば、このような判決を出されたのでは、調査報道は成り立たなくなる。事は私一人の問題にとどまらず、日本のジャーナリズム全体に影響する問題と言わざるを得ない。
 大藤裁判長らは、私の取材した薬害エイズ被害患者の言葉も、信じられないとして退けたが、本当に彼らの言葉は信ずることができないのか。」

 札幌地裁判決には札幌控訴審が続くことになる。その高裁判決が「地裁判決とは正反対の内容となり、一審判決で真実、あるいは真実と信ずるに相当の理由があったとして認められた記述が、ことごとく否定される」逆転判決となる可能性は、けっして小さくない。日本の民主主義のために、その日の来たらんことを切望したい。

なお、ウィキペディアが、安部英対櫻井よしこの訴訟経緯をこう簡潔に紹介している。

「フリージャーナリストの櫻井よしこが『安部元副学長が製薬会社、ミドリ十字のために加熱製剤の治験開始を遅らせた』などと記述したことについて、安部は損害賠償などを求め民事訴訟を起こしたが、一審は記事内容に真実性があるとして安部の全面敗訴、二審は記事内容を真実ではなく真実相当性もないとして安部の逆転勝訴、最高裁は真実相当性があったとして安部の逆転敗訴となった。」

 本件植村対櫻井訴訟も、真実性の有無ではなく、相当性存否の判断で微妙に結果が分かれた判決例である。櫻井の植村に対する批判の言論の真実性が否定された点で、櫻井はジャーナリストとしては大きな顔のできる立場にはない。傲岸な態度をとり続けることは不可能だ。
にもかかわらず、櫻井よしこや西岡力らが、「捏造」と断定して記事を書けば、付和雷同のネトウヨたちが、人権侵害のバッシングを積み重ねる。右翼言論人の責任は大きいのだ。控訴審での、植村逆転勝訴判決を期待する。植村の悪夢を晴らして、櫻井にこそ、その無責任言論に相応の悪夢がふさわしいのだ。
(2018年11月11日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その3) ― 弁護士有志声明と判決文(仮訳)全文

10月30日韓国大法院の徴用工訴訟判決が、原告(元徴用工)らの被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。この判決言い渡し自体は「事件」でも「問題」でもない。主権国家である隣国司法部の判断である。加害責任者は我が国の企業、まずは礼節をもって接すべきである。
この判決に対する政権と日本社会の世論の感情的な反応をたいへん危ういものと思わざるを得ない。私たちの社会の底流には、かくも根深く偏狭なナショナリズムが浸潤しているのか、肌が粟立つ思いを禁じえない。

1923年9月関東大震災後の在日朝鮮人大量虐殺は、日本人による朝鮮民族への差別意識が生んだ残虐な蛮行であった。多くの「普通の日本人」が、流言飛語に踊らされて、数千人の無抵抗の人々をなぶり殺しにしたのだ。

その後も、日本人は、侵略先の人々を、暴支膺懲・不逞鮮人などと言い続けてきた。戦後70年余。従軍慰安婦問題も解決し得ていない。そして、今またおぞましい差別意識の跳梁を危惧せざるを得ない。

われわれの父祖は、いつの時代にもそれなりの理由付けで「自分たちが正しい」と思い込み、あるいは思い込まされて、排外意識を正当化し続けてきた。この歴史の苦い教訓を思い起さねばならない。過ちを繰り返してはならない。

もっとも、自国の判決であれ他国の判決であれ、当然に批判や論評の自由はある。しかし、その論評は判決の内容を正確に理解してのものでなくてはならない。的はずれの感情論は、事態を混乱させる。無用の軋轢を生み、深刻化させる。我が国の政府は、この判決の理解を意識的にミスリードしているとしか思えない。

もしかしたら、政権は内政の失敗による不人気を、ことさらに韓国への不満を煽ることで挽回しようとしているのではないか。こんな思惑に乗じられてはならない。

大切なことは、冷静に事態を認識することだ。本日は、そのために二つの資料を急ぎ掲載する。この問題を論じる出発点としていただきたい。

一つは、昨日(11月5日)発表の弁護士109名と研究者7名の共同声明。私も賛同者の一人だが、よく練れた内容となっている。現在、さらにこれに対する賛同者を募っている。

もう一つは、10月30日判決の日本語版(仮訳)である。仮訳だが信頼のできる内容。判決に賛成するにせよ、反対するにせよ、まずは判決の正確な理解から出発していただきたい。
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弁護士有志声明の骨格

声明は下記の4節からなる。
1 元徴用工問題の本質は人権問題である
2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的な解決を行うべきである

 以上の各節のタイトルが、その内容を適切に表している。
 元徴用工問題の本質は人権問題であって、本件「強制動員慰謝料請求」は奪うことのできない人権侵害に対する救済金として、日韓請求権協定によって消滅させられていないとするのが今回判決(多数意見)である。日本の最高裁判決も、個人請求権が協定によって消滅していないとする点では同様である。
 この判決は、被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決として評価すべきものである。日韓両国は本判決を機として、問題の本質が人権問題であることを確認し、被害者の立場を尊重しつつ、根本的な解決に向けて取り組むべきである。
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2018年11月5日

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明

 韓国大法院(最高裁判所)は、本年10月30日、元徴用工4人が新日鉄住金株式会社(以下「新日鉄住金」という。)を相手に損害賠償を求めた裁判で、元徴用工の請求を容認した差し戻し審に対する新日鉄住金の上告を棄却した。これにより、元徴用工の一人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。
 本判決は、元徴用工の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるとした。その上で、このような請求権は、1965年に締結された「日本国と大韓民国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下「日韓請求権協定」という。)の対象外であるとして、韓国政府の外交保護権と元徴用工個人の損害賠償請求権のいずれも消滅していないと判示した。
 本判決に対し,安倍首相は、本年10月30日の衆議院本会議において、元徴用工の個人賠償請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決している」とした上で、本判決は「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然として対応していく」と答弁した。
 しかし、安倍首相の答弁は、下記のとおり、日韓請求権協定と国際法への正確な理解を欠いたものであるし、「毅然として対応」するだけでは元徴用工問題の真の解決を実現することはできない。
 私たちは、次のとおり、元徴用工問題の本質と日韓請求権協定の正確な理解を明らかにし、元徴用工問題の真の解決に向けた道筋を提案するものである。

1 元徴用工問題の本質は人権問題である
 本訴訟の原告である元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられていた。提供される食事もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を加えられるなど極めて劣悪な環境に置かれていた。これは強制労働(ILO第29号条約)や奴隷制(1926年奴隷条約参照)に当たるものであり、重大な人権侵害であった。
 本件は、重大な人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている問題である。したがって、この問題の真の解決のためには、被害者が納得し、社会的にも容認される解決内容であることが必要である。被害者や社会が受け入れることができない国家間合意は、いかなるものであれ真の解決とはなり得ない。

2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
 元徴用工に過酷で危険な労働を強い、劣悪な環境に置いたのは新日鉄住金(旧日本製鐵)であるから、新日鉄住金には賠償責任が発生する。
 また、本件は、1910年の日韓併合後朝鮮半島を日本の植民地とし、その下で戦時体制下における労働力確保のため、1942年に日本政府が制定した「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による官斡旋方式による斡旋や、1944年に日本政府が植民地朝鮮に全面的に発動した「国民徴用令」による徴用が実施される中で起きたものであるから、日本国の損害責任も問題となり得る。
 本件では新日鉄住金のみを相手としていることから、元徴用工個人の新日鉄住金に対する賠償請求権が、日韓請求権協定2条1項の「完全かつ最終的に解決された」という条項により消滅したのかが重要な争点となった。
 この問題について、韓国大法院は、元徴用工の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれていないとして、その権利に関しては、韓国政府の外交保護権も被害者個人の賠償請求権もいずれも消滅していないと判示した。
 他方、日本の最高裁判所は、日本と中国との間の賠償関係等について、外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」と判示している(最高裁判所 2007年4月27日判決)。この理は日韓請求権協定の「完全かつ最終的に解決」という文言についてもあてはまるとするのが最高裁判所及び日本政府の解釈である。この解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は法的障害にならない。
 安倍首相は、個人賠償請求権について日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」と述べたが、それが被害者個人の賠償請求権も完全に消滅したという意味であれば、日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた説明であり誤っている。他方、日本の最高裁判所が示した内容と同じであるならば、被害者個人の賠償請求権は実体的には消滅しておらず、その扱いは解決されていないのであるから、全ての請求権が消滅したかのように「完全かつ最終的に解決」とのみ説明するのは、ミスリーディング(誤導的)である。

3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
 本件のような重大な人権侵害に起因する被害者個人の損害賠償請求権について、国家間の合意により被害者の同意なく一方的に消滅させることはできないという考え方を示した例は国際的に他にもある(例えば、イタリアのチビテッラ村におけるナチス・ドイツの住民虐殺事件に関するイタリア最高裁判所(破棄院)など)。このように、重大な人権侵害に起因する個人の損害賠償請求権を国家が一方的に消滅させることはできないという考え方は、国際的には特異なものではなく、個人の人権侵害に対する効果的な救済を図ろうとしている国際人権法の進展に沿うものといえるのであり(世界人権宣言8条参照)、「国際法に照らしてあり得ない判断」であるということもできない。

4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的な解決を行うべきである
 本件の問題の本質が人権侵害である以上、なによりも被害者個人の人権が救済されなければならない。それはすなわち、本件においては、新日鉄住金が本件判決を受け入れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることである。
 例えば中国人強制連行事件である花岡事件、西松事件、三菱マテリアル事件など、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証として企業が資金を拠出して基金を設立し、被害者全体の救済を図ることで問題を解決した例がある。そこでは、被害者個人への金員の支払いのみならず、受難の碑ないしは慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みを行ってきた。
 新日鉄住金もまた、元徴用工の被害者全体の解決に向けて踏み出すべきである。それは、企業としても国際的信頼を勝ち得て、長期的に企業価値を高めることにもつながる。
 韓国において訴訟の被告とされている日本企業においても、本判決を機に、真の解決に向けた取り組みを始めるべきであり、経済界全体としてもその取り組みを支援することが期待される。
 日本政府は、新日鉄住金をはじめとする企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚したうえで、真の解決に向けた取り組みを支援すべきである。
私たちは、新日鉄住金及び日韓両政府に対して、改めて本件問題の本質が人権問題であることを確認し、根本的な解決に向けて取り組むよう求めるとともに、解決のために最大限の努力を尽くす私たち自身の決意を表明する。

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2018.10.30新日鉄住金事件大法院判決(仮訳)

(なお、翻訳者は、張界満(第二東京弁護士会)・市場淳子・山本晴太(福岡県弁護士会)である。

事 件 2013タ61381 損害賠償(キ)
原告・被上告人 (略)
被告・上告人  新日鉄住金株式会社
差戻し判決 大法院 2012. 5. 24. 宣告 2009タ68620 判決
原審判決 ソウル高等法院 2013. 7. 10. 宣告 2012ナ44947 判決
判決宣告 2018. 10. 30.

主    文

上告を全て棄却する。
上告費用は被告が負担する。

理    由

 上告理由(上告理由書の提出期間が過ぎた後に提出された上告理由補充書等の書面における記載は上告理由を補充する範囲内で)を判断する。

1. 基本的事実関係
差戻し前後の各原審判決及び差戻し判決の理由と差戻し前後の原審が適法に採択した各証拠によれば次のような事実が認められる。
ア. 日本の韓半島侵奪と強制動員など
日本は1910.8.22.韓日合併条約以後、朝鮮総督府を通じて韓半島を支配した。
日本は1931年満州事変、1937年日中戦争を起こすことで徐々に戦時体制に入って行くようになり、1941年には太平洋戦争まで起こした。日本は戦争を経験しながら軍需物資生産のための労動力が不足すると、これを解決するために1938.4.1.「国家総動員法」を制定・公布し、1942年「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を制定・実施して韓半島各地域で官斡旋を通じて人力を募集し、1944年10月頃からは 「国民徴用令」によって一般韓国人に対する徴用を実施した。太平洋戦争は1945.8.6.日本の広島に原子爆弾が投下された後、同月15日、日本国王が、アメリカをはじめ連合国に無条件降参を宣言することで終った。
イ.亡訴外人と原告2、原告3、原告4(以下「原告ら」という)の動員と強制労動被害及び帰国経緯
(1)原告らは1923年から1929年の間に、韓半島で生まれ、平壌、保寧、群山などで居住した者らであり、日本製鉄株式会社(以下「旧日本製鉄」という)は1934年1月頃に設立され、日本の釜石、八幡、大阪などで製鉄所を運営した会社である。
(2)1941.4.26.基幹軍需事業体にあたる旧日本製鉄をはじめとする日本の鉄鋼生産者らを総括指導する日本政府直属機構である鉄鋼統制会が設立された。鉄鋼統制会は韓半島で労務者を積極拡充することにして、日本政府と協力して労務者を動員し、旧日本製鉄は社長が鉄鋼統制会の会長を歴任するなど鉄鋼統制会で主導的な役割をした。
(3) 旧日本製鉄は1943年頃、平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが、その広告には大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ、技術を習得することができ、訓練終了後、韓半島の製鉄所で技術者として就職することができると記載されていた。亡訴外人、原告2は、1943年9月頃、上記広告をみて、技術を習得して我が国で就職することができるという点にひかれて応募した後、旧日本製鉄の募集担当者と面接をして合格し、上記担当者の引率の下、旧日本製鉄の大阪製鉄所に行き、訓練工として労役に従事した。
亡訴外人、原告2は、大阪製鉄所で1日8時間の3交代制で働き、ひと月に1、2回程度外出を許可され、ひと月に2、3円程度の小遣いを支給されただけで、 旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をあげ、亡訴外人、原告2の同意を得ないまま、彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。亡訴外人、原告2は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、鉄パイプの中に入って石炭の残物をとり除くなど火傷の危険があり、技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが、 提供される食事の量は非常に少なかった。また、警察がしばしば立ち寄り、彼らに「逃げても直ぐに捕まえられる」と言い、寄宿舎でも監視する者がいたため、逃亡を考えることも難しく、原告2は逃げだしたいと言ったのがばれて寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けたりもした。
そうする中、日本は1944年2月頃から訓練工たちを強制的に徴用し、それ以後から亡訴外人、原告2に何らの対価も支給しなかった。大阪製鉄所の工場は1945年3月頃、アメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され、この時、訓練工らのうちの一部は死亡し、亡訴外人、原告2を含む他の訓練工らは1945年6月頃、咸境道清津に建設中の製鉄所に配置され清津に移動した。亡訴外人、原告2は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金されていた貯金通帳と印鑑をくれるようと要求したが、舎監は清津に到着した以後も通帳と印鑑を返さず、清津で一日12時間もの間、工場建設のために土木工事をしながらも賃金を全くもらえなかった。亡訴外人、原告2は1945年 8月頃、清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると、ソ連軍を避けてソウルに逃げ、ようやく日帝から解放された事実を知った。
(4) 原告3は1941年、大田市長の推薦を受け、保局隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率によって日本に渡り、旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れ溶鉱炉から鉄が出ればまた窯に入れるなどの労役に従事した。上記原告は、酷いほこりによる困難を経験し、溶鉱炉から出る不純物によって倒れてお腹を怪我し3ヶ月間入院したりもしたし、賃金を貯金してくれるという話を聞いただけで、賃金を全くもらえなかった。労役に従事している間、最初の6ヶ月間は外出が禁止され、日本憲兵たちが半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者には「悪知恵が働くやつだ」と足蹴にしたりした。上記原告は1944年になると、徴兵され軍事訓練を終えた後、日本の神戸にある部隊に配置され米軍捕虜監視員として働いていたところ解放になり帰国した。
(5)原告4は1943年1月頃、群山部(今の群山市)の指示を受け募集され、旧日本製鉄の引率者に従って日本に渡り、日本製鉄の八幡製鉄所で各種原料と生産品を運送する線路の信号所に配置され線路を切り替えるポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物除去などの労役に従事したが、逃走がばれ、約7日間ひどく殴打され、食事の提供も受けられなかった。上記原告は労役に従事する間、賃金を全く支給してもらえず、一切の休暇や個人行動を許されず、日本の敗戦後、帰国せよという旧日本製鉄の指示を受け故郷に帰って来るようになった。
ウ.サンフランシスコ条約締結など太平洋戦争が終わった後、米軍政当局は、1945. 12.6.公布した軍政法令第33号に在韓国日本財産をその国有・私有を問わず米軍政庁に帰属させ、このような旧日本財産は大韓民国政府樹立直後の1948.9.20.に発効した「大韓民国政府及びアメリカ政府間の財政及び財産に関する最初の取決め」によって大韓民国政府に移譲された。
アメリカなどを含む連合国48ヶ国と日本は、1951.9.8.戦後賠償問題を解決するためサンフランシスコで平和条約(以下「サンフランシスコ条約」という)を締結し、上記条約は1952.4.28.発効した。サンフランシスコ条約第4条(a)は、日本の統治から離脱された地域の施政当局及びその国民と日本及びその国民の間の財産上の債権・債務関係は、上記当局と日本の間の特別約定として処理するという内容を、第4条(b)は、日本は上記地域で米軍政当局が日本及びその国民の財産を処分したことを有効だと認めるという内容を定めた。
エ.請求権協定締結の経緯と内容等
(1) 大韓民国政府と日本政府は1951年末頃から国交正常化と戦後補償問題を論議した。1952.2.15.第1次韓日会談本会議が開かれ関連論議が本格的に開始されたが、大韓民国は第1次韓日会談当時 「韓・日間財産及び請求権協定要綱8項目」(以下「8項目」という)を提示した。8項目の中で第5項は「韓国法人または韓国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」である。その後7回の本会議と、このための数十回の予備会談、政治会談及び各分科委員会別会議などを経て1965.6.22.「大韓民国と日本国間の基本関係に関する条約」と、その付属協定である「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(条約第172号、以下「請求権協定」という)などが締結された。
(2)請求権協定は前文で『大韓民国と日本国は、両国及び両国国民の財産と両国及び両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して次のとおり合意した』と定めた。第1条で「日本国が大韓民国に10年間にわたって3億ドルを無償で提供し、2億ドルの借款を行うことにする」と定め、続いて第2条で次のとおり規定した。
1. 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益と両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたことを含め、完全かつ最終的に解決されたことを確認する。
2. 本条の規定は次のこと(本協定の署名日までにそれぞれの締約国が取った特別措置の対象になったものを除く)に影響を及ぼすものではない。
一方の締約国の国民として1947年8月15日から本協定の署名日までの間に他方の締約国に居住した事がある者の財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益として1945年8月15日以後においての通常の接触の過程において取得され、または他方の締約国の管轄下に入ったもの
3. 2.の規定によることを条件に、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益として本協定の署名日に他方の締約国の管轄下にあることに対する措置と、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権として同日付以前に発生した事由に起因することに関しては、如何なる主張もできないことにする。
(3)請求権協定の同日に締結され1965.12.18.発效した「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定に対する合意議事録(Ⅰ)」[条約第173号、以下「請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)」という]は、請求権協定第2条に関して次のとおり定めた。
(a)『財産、権利及び利益』とは法律上の根拠に基づいて財産的価値が認められる全ての種類の実体的権利をいうことで了解された。
(e) 同条3.によって取られる措置は同条1.でいう両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題を解決するために取られる各国の国内措置をいうことで意見の一致を見た。
(g) 同条1.でいう完全かつ最終的に解決されたことになる両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題には、韓日会談で韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。
オ.請求権協定締結による両国の措置
(1)請求権協定は、1965.8.14.大韓民国国会で批准同意され、1965.11.12.日本衆議院及び1965.12.11.日本参議院で批准同意された後、まもなく両国で公布され、両国が 1965.12.18.批准書を交換することで発效した。
(2)大韓民国は、請求権協定によって支給される資金を使うための基本的事項を定めるために1966.2.19.「請求権資金の運用及び管理に関する法律」(以下「請求権資金法」という)を制定し、続いて補償対象になる対日民間請求権の正確な証拠と資料を収集するために必要な事項を規定するため、1971.1.19.「対日民間請求権申告に関する法律」(以下「請求権申告法」という)を制定した。ところで請求権申告法で強制動員関連被害者の請求権に関しては「日本国によって軍人・軍属または労務者として召集または徴用され、1945.8.15.以前に死亡した者」のみを申告対象として限定した。以後、大韓民国は請求権申告法によって国民から対日請求権申告を受け付けた後、実際補償を執行するために1974.12.21.「対日民間請求権補償に関する法律」(以下「請求権補償法」という)を制定し、1977.6.30.まで総83、519件に対して総 91億 8、769万3、000ウォンの補償金(無償提供された請求権資金3億ドルの約 9.7%にあたる)を支給したが、そのうち被徴用死亡者に対する請求権補償金として総8、552件に対して1人当り30万ウォンずつ総25億6、560万ウォンを支給した。
(3) 日本は1965.12.18.「財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する日本国と大韓民国の間の協定第2条の実施による大韓民国などの財産権に対する措置に関する法律」(以下「財産権措置法」という)を制定した。その主な内容は、大韓民国またはその国民の日本またはその国民に対する債権または担保権として請求権協定第2条の財産、利益に該当するものを請求権協定日である1965.6.22.消滅させるというものである。
カ.大韓民国の追加措置
(1) 大韓民国は2004.3.5.日帝強占下強制動員被害の真相を糾明し、歴史の真実を明らかにすることを目的に「日帝強占下強制動員被害真相究明などに関する特別法」(以下「真相究明法」という)を制定した。上記法律とその施行令により「日帝強占下強制動員被害」に対する調査が全面的に実施された。
(2) 大韓民国は、2005年1月頃、請求権協定と関連した一部文書を公開した。その後構成された「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(以下「民官共同委員会」という)では、2005.8.26.「請求権協定は日本の植民支配賠償を請求するための交渉ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、日本軍慰安婦問題等、日本政府と軍隊等日本国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っており、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」という趣旨の公式意見を表明したが、上記公式意見には下記の内容が含まれている。
〇韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償、補償を認定しなかったことにより、『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づき政治的補償を求め、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたと見なければならない。
〇請求権協定を通して日本から受けた無償3億ドルは、個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見なければならない。
〇請求権協定は、請求権の各項目別金額決定ではなく、政治交渉を通じて総額決定方式で妥結されたため、各項目別受領金額を推定するのは難しいが、政府は受領した無償資金のうち相当金額を強制動員被害者の救済に使用しなければならない道義的責任があると判断できる。
〇しかし、75年、我が政府の補償当時、強制動員負傷者を保護対象から除外する等、道義的次元から見た時、被害者補償が不十分であったと見る側面がある。
(3) 大韓民国は2006.3.9.請求権補償法に基づいた強制動員被害者に対する補償が不十分であることを認めて追加補償方針を明らかにした後、2007.12.10.「太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者等支援に関する法律」(以下「2007年犠牲者支援法」という)を制定した。上記法律とその施行令は、①1938.4.1.から1945.8.15.間に日帝によって軍人・軍務員・労務者などで国外に強制動員され、その期間中または国内に帰って来る過程で死亡したり行方不明となった「強制動員犠牲者」の場合、1人当り2、000万ウォンの慰労金を遺族に支給し、②国外に強制動員されて負傷により障害を負った「強制動員犠牲者」の場合、1人当り 2、000万ウォン以下の範囲内で障害の程度を考慮して大統領令で定める金額を慰労金として支給し、③強制動員犠牲者のうち生存者または上記期間中国外で強制動員されてから国内に帰って来た者の中で強制動員犠牲者にあたらない「強制動員生還者」のうち生存者が治療や補助装具使用が必要な場合に、その費用の一部として年間医療支援金80万ウォンを支給し、④上記期間中で国外に強制動員され労務提供などをした対価として日本国または日本企業などから支給を受けることができたであろう給料
などを支払ってもらえなかった「未収金被害者」またはその遺族に未収金被害者が支給を受けることができたであろう未収金を当時の日本通貨1円に対して大韓民国通貨 2、000ウォンに換算して未収金支援金を支給するよう規定した。
(4) 一方、真相糾明法と2007年犠牲者支援法が廃止される代わりに2010.3.22.から制定され施行されている「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法」(以下「2010年犠牲者支援法」という)はサハリン地域強制動員被害者等を補償対象に追加して規定している。

2.上告理由第1点に関して
差戻し後の原審は、その判示と同じ理由をあげ、亡訴外人、原告2が本件訴訟に先立ち、日本において被告を相手に訴訟を提起し、同事件の日本判決で敗訴・確定されたとしても、同事件の日本判決が日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法的であるという規範的認識を前提に日帝の「国家総動員法」と「国民徴用令」を韓半島と亡訴外人、原告2に適用することが有効であると評価した以上、このような判決理由が込められた同事件の日本判決をそのまま承認するのは大韓民国の善良な風俗や、その他の社会秩序に違反するものであり、したがって、我が国で同事件の日本判決を承認して、その効力を認定することはできないと判断した。
このような差戻し後の原審の判断は、差戻し判決の主旨によることとして、 そこに上告理由の主張とともに外国判決承認要件としての公序良俗違反に関する法理を誤解する等の違法はない。

3. 上告理由第2点に関して
差戻し後の原審は、その判示と同じ理由を引いて、原告らを労役に従事するようにした旧日本製鉄が、日本国の法律が定めたことによって解散され、その判示の「第2会社」が設立された後、吸収合併の過程を経て被告に変更されるなどの
手続きを経たとしても、原告らは旧日本製鉄に対する本件請求権を被告に対しても行使することができると判断した。
このような差戻し後の原審の判断は、差戻し判決の趣旨によるものであり、そこに上告理由の主張のように、外国判決承認要件としての公序良俗違反に関する法理を誤解する等の違法はない。

4. 上告理由第3点に関して
ア.条約は全文・付属書を含む条約文の文脈および条約の対象と目的に照らして、その条約の文言に付与される通常の意味に従って誠実に解釈されなければならない。ここにおいて、文脈は条約文(全文および付属書を含む)の他に、条約の締結と関連して当事国間に成立したその条約に関する合意などを含み、条約の文言の意味が模糊としていたり曖昧であったりする場合などには、条約の交渉記録および締結時の事情などを補充的に考慮して、その意味を明らかにしなければならない。
イ.このような法理に従って、先に見た事実関係および採択された証拠により知ることが出来る次のような事情を総合してみれば、原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれると見ることはできない。その理由は以下のとおりである。
(1)まず、この事件で問題となる原告らの損害賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」という)という点を明確にしておかなければならない。原告らは被告を相手に未支給賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである。
これと関連した差戻し後の原審の下記のような事実認定と判断は、記録上これを十分に首肯することができる。即ち、① 日本政府は日中戦争や太平洋戦争など、不法な侵略戦争の遂行過程において基幹軍需事業体である日本の製鉄所に必要な人力を確保するために、長期的な計画をたてて組織的に人力を動員し、核心的な基幹軍需事業体の地位にあった旧日本製鉄は、鉄鋼統制会に主導的に参加するなど、日本政府の上記のような人力動員政策に積極的に協力して、人力を拡充した。② 原告らは、当時、韓半島と韓国民らが日本の不法で暴圧的な支配を受けていた状況において、その後、日本で従事することになる労働内容や環境についてよくわからないまま、日本政府と旧日本製鉄の上記のような組織的な欺罔により動員されたと見るのが妥当である。③ さらに、原告らは成年に至っていない幼い年齢で家族と離別し、生命や身体に危害を受ける可能性が非常に高い劣悪な環境において、危険な労働に従事し、具体的な賃金額も知らないまま強制的に貯金をしなければならず、日本政府の苛酷な戦時総動員体制のもとで外出が制限され、常時、監視され、脱出が不可能であり、脱出の試みが発覚した場合には苛酷な殴打に遭いもした。④ このような旧日本製鉄の原告らに対する行為は、当時の日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に該当し、このような不法行為によって原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白である。
(2)先に見た請求権協定の締結経過とその前後の事情、特に下記のような事情によれば、請求権協定は日本の不法な植民支配に対する賠償を請求するための取り決めではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであったと考えられる。
① 先に見たとおり、戦後賠償問題を解決するために1951.9.8.米国など連合国48ケ国と日本の間に締結されたサンフランシスコ条約第4条(a)は、「日本の統治から離脱した地域(大韓民国もこれに該当)の施政当局およびその国民と日本および日本の国民間の財産上の債権・債務関係は、これらの当局と日本間の特別約定によって処理する」と規定している。
② サンフランシスコ条約が締結された後、ただちに第一次韓日会談(1952.2.15.から同年4.25.まで)が開かれたが、その時、韓国側が提示した8項目も基本的に韓日両国間の財政的・民事的債務関係に関するものであった。上記の8項目中第5項に「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」という文言があるが、8項目の他の部分のどこにも、日本植民支配の不法性を前提とする内容はないため、上記の第5項の部分も日本側の不法行為を前提とするものではなかったと考えられる。従って、上記の「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」に強制動員慰謝料請求権まで含まれると考えることは難しい。
③ 1965.3.20.大韓民国政府が発刊した『韓日会談白書』(乙第18号証)によれば、サンフランシスコ条約第4条が韓日間の請求権問題の基礎になったと明示しており、さらには「上記第4条の対日請求権は戦勝国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国でないために、第14条の規定による戦勝国が享有する『損害および苦痛』に対する賠償請求権を認められなかった。このような韓日間の請求権問題には賠償請求を含ませることはできない。」という説明までしている。
④ その後に実際に締結された請求権協定文やその付属書のどこにも、日本植民支配の不法性に言及する内容は全くない。請求権協定第2条1.においては、「請求権に関する問題は、サンフランシスコ条約第4条(a)に規定されたことを含み、完全かつ最終的に解決されたもの」として、上記の第4条(a)に規定されたこと以外の請求権も請求権協定の適用対象になりうると解釈される余地があるにはある。しかし、上記のとおり、日本の植民支配の不法性が全く言及されていない以上、上記の第4条(a)の範疇を越えて、請求権、すなわち植民支配の不法性と直結する請求権までも上記の対象に含まれると見ることは難しい。請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)2.(g)においても「完全かつ最終的に解決されるもの」に上記の8項目の範囲に属する請求が含まれていると規定しているだけである。
⑤ 2005年、民官共同委員会も「請求権協定は基本的に日本の植民支配の賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものである」と公式意見を明らかにした。
(3)請求権協定第1条により日本政府が大韓民国政府に支給した経済協力資金が第2条による権利問題の解決と法的な代価関係があると考えられ得るかも明らかではない。
請求権協定第1条では「3億ドル無償提供、2億ドル借款(有償)の実行」を規定しているが、その具体的な名目については何の内容もない。借款の場合、日本の海外経済協力基金により行われることとし、上記の無償提供および借款が大韓民国の経済発展に有益なものでなければならないという制限を設けているのみである。請求権協定の全文において、「請求権問題の解決」に言及してはいるものの、上記の5億ドル(無償3億ドルと有償2億ドル)と具体的に連結する内容はない。これは請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)2.(g)で言及された「8項目」の場合も同様である。当時の日本側の立場も、請求権協定第1条のお金が基本的に経済協力の性格であるというものであったし、請求権協定第1条と第2条の間に法律的な相互関係が存在しないという立場であった。
2005年、民官共同委員会は、請求権協定当時、政府が受領した無償資金のうちの相当額を強制動員被害者の救済に使用しなければならない「道義的責任」があったとしたうえで、1975年の請求権補償法などによる補償は「道義的次元」から見る時、不充分であったと評価した。そして、その後に制定された2007年の犠牲者支援法および2010年の犠牲者支援法の両方が、強制動員関連被害者に対する慰労金や支援金の性格が「人道的次元」のものであることを明示した。
(4) 請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を徹底的に否認し、これに伴い韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかった。このような状況で強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたと見るのは.難しい。
請求権協定の一方の当事者である日本政府が不法行為の存在およびそれに対する賠償責任の存在を否認する状況で、被害者側である大韓民国政府が自ら強制動員慰謝料請求権までも含む請求権協定を締結したとは考えられないためである。
(5) 差戻し後の原審において、被告が追加で提出した証拠なども、強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれないという上記のような判断に支障を与えるとは考えられない。
上記の証拠によれば、1961.5.10.第5次韓日会談予備会談の過程で、大韓民国側が「他国民を強制的に動員することによって負わせた被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償」に言及した事実、1961.12.15.第6次韓日会談予備会談の過程で大韓民国側が「8項目に対する補償として総額12億 2、000万ドルを要求しながら、そのうちの3億 6、400万ドル(約30%)を強制動員被害補償に対するものとして算定(生存者1人当り200ドル、死亡者1人当たり1、650ドル、負傷者1人当り2、000ドル基準)」した事実などを知ることもできる。
しかし、上記のような発言内容は大韓民国や日本の公式見解でなく、具体的な交渉過程で交渉担当者が話したことに過ぎず、13年にわたった交渉過程において一貫して主張された内容でもない。「被徴用者の精神的、肉体的苦痛」に言及したのは、交渉で有利な地位を占めようという目的から始まった発言に過ぎないものと考えられる余地が大きく、実際に当時日本側の反発で第5次韓日会談の交渉は妥結されることもなかった。また、上記のとおり、交渉過程で総額12億2、000万ドルを要求したにもかかわらず、実際には請求権協定は3億ドル(無償)で妥結した。このように要求額にはるかに及ばない3億ドルのみを受けとった状況で、強制動員慰謝料請求権も請求権協定の適用対象に含まれていたものとは、とうてい考えにくい。
ウ.差し戻し後の原審がこのような趣旨から、強制動員慰謝料請求権は請求権協定の適用対象に含まれないと判断したのは正しい。その点において、上告理由の主張のように請求権協定の適用対象と効力に関する法理を誤解しているなどの違法はない。
一方、被告はこの部分の上告理由において、強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれるという前提の元に、請求権協定で放棄された権利が国家の外交的保護権に限定されてのみ放棄されたのではなく、個人請求権自体が放棄(消滅)されたのだという趣旨の主張もしているが、この部分は差し戻し後の原審の仮定的判断に関するものとして、さらに検討してみる必要はなく、受け入れることはできない。

5.上告理由第4点に関して
差し戻し後の原審は、1965年に韓日間に国交が正常化したが、請求権協定関連文書がすべて公開されていない状況において、請求権協定で大韓民国国民の日本国または日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたとする見解が、大韓民国内で広く受け入れられてきた事情など、その判示のような理由を挙げて、この事件の訴訟提起当時まで原告らが被告を相手に大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由があったと見ることは相当であるため、被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶することは著しく不当であり、信義誠実の原則に反する権利の濫用として許容することはできないと判断した。
このような差戻し後の原審の判断もまた差戻判決の趣旨に従ったものであって、そこに上告理由の主張のような消滅時効に関する法理を誤解するなどの違法はない。

6.上告理由第5点に関して
不法行為によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料の金額に関しては、事実審の裁判所が諸般の事情を参酌して、その職権に属する裁量によってこれを確定できる(大法院1999.4.23.宣告 98ダ41377判決など参照)。
差戻し後の原審はその判示のような理由で原告らに対する慰謝料を判示金額に定めた。差戻し後の原審判決の理由を記録に照らし検討すれば、この部分の判断に上告理由の主張のような慰謝料の算定における著しく相当性を欠くなどの違法はない。

7.結論
したがって、上告をすべて棄却し、上告費用は敗訴者が負担することとし、主文の通り判決する。この判決には上告理由第3点に関する判断について、大法官李起宅の個別意見、大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見が各々あり、大法官権純一、大法官趙載淵の反対意見がある他には、関係判事の意見は一致し、大法官金哉衡、大法官金善洙の多数意見に対する補充意見がある。

8.上告理由第3点に関する判断に対する大法官李起宅個別意見
ア.この部分の上告理由の要旨は、原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれ、請求権協定に含まれている請求権は国家の外交的保護権のみでなく個人請求権まで完全に消滅したものと見なければならないというものである。
この問題に関して、すでに差戻判決は、「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれなくておらず、含まれるとしても、その個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅せず、ただ請求権協定でその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されただけである」と判示し、差戻し後の原審もこれにそのまま従った。
上告審から事件を差戻された裁判所は、その事件を裁判する時に、上告裁判所が破棄理由とした事実上および法律上の判断に拘束される。このような差戻判決の拘束力は再上告審にも及ぶのが原則である。従って、差戻判決の拘束力に反する上記のような上告理由の主張は受け入れられない。具体的に検討すれば次のとおりである。
イ.裁判所組織法第8条は「上級裁判所裁判における判断は該当事件に関して、下級審を拘束する。」と規定しており、民事訴訟法第436条第2項は「事件を差戻されたり移送された裁判所は再び弁論を経て裁判しなければならない。この場合には、上告裁判所が破棄の理由とみなした事実上および法律上の判断に拘束される。」と規定している。従って、上告裁判所から事件を差戻された裁判所は、その事件を裁判する時に上告裁判所が破棄理由とした事実上および法律上の判断に拘束される。ただし、差戻し後の審理過程で新しい主張や証明が提出されて、拘束的判断の基礎となった事実関係に変動が生じた場合には、例外的に拘束力が及ばないこともある(大法院1988.3.8.宣告87ダカ1396判決など参照)。
この事件で、仮に差戻し後の原審の審理過程で新しい主張や証明を通して、差戻判決のこの部分の判断の基礎になった事実関係に変動が生じたと評価しうるならば、拘束力が及ばないと考え得る。
しかし、まず多数意見が適切に説示した通り、差戻し後の原審で被告が追加で提出した証拠により知りうる第5次および第6次韓日会談予備会談の過程での大韓民国側の発言内容だけでは、とうてい「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれない」という差戻判決の拘束的判断の基礎になった事実関係に変動が生じた場合だと見るのは困難である。
また、差戻判決の仮定的判断、即ち、「個人請求権自体は請求権協定だけで当然消滅せず、ただ請求権協定でその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されたのみである」という部分も、その判断の基礎になった事実関係に変動が生じたと見るのが困難なのは同様である。これと関連して、差戻し後の原審で新たに提出された証拠は、主に請求権協定の解釈についての各自の見解を明らかにしたものに過ぎず、「事実関係」の変動だと評価することも難しい。
ウ.差戻判決の拘束力は差し戻し後の原審だけでなく再上告審にも及ぶのが原則である(大法院1995.8.22.宣告94ダ43078判決など参照)。
ただし、大法院2001.3.15.宣告98ドゥ15597の全員合議体の判決は「大法院は法令の正当な解釈適用とその統一を主たる任務とする最高法院であり、大法院の全員合議体は従前に大法院で判示した法令の解釈適用に関する意見を自ら変更できるものでるところ(裁判所組織法第7条第1項第3号)、差戻判決が破棄理由とした法律上の判断もここで言う「大法院で判示した法令の解釈適用に関する意見」に含まれるものであるから、大法院の全員合議体が従前の差戻判決の法律上の判断を変更する必要があると認める場合には、それに拘束されず、通常の法令の解釈適用に関する意見の変更手続きにより、これを変更できると見なければならないだろう。」として、差戻判決の拘束力が再上告審の全員合議体には及ばないという趣旨として判示したことがある。
しかし、上記の98ドゥ15597の全員合議体判決の意味を「全員合議体で判断する以上、いつでも差戻判決の拘束力から抜け出せる」というものとして理解してはならない。「差戻判決に明白な法理の誤解があり、必ずこれを是正しなければならない状況であったり、差戻判決が全員合議体を経ないまま従前の大法院判決が取った見解と相反する立場を取ったりした場合のような例外的な場合に限り拘束力が及ばない」という意味として解釈しなければならない。このように見ない場合、法律で差戻判決の拘束力を認めた趣旨が没却される恐れがあるからである。実際に、上記の上の98ドゥ15597の全員合議体判決の事案自体も、差戻判決に明白な法理誤解の誤りがあったのみならず、差戻判決が全員合議体を経もしないまま、既存の大法院判決に抵触する判断をした場合であった。
このような法理に従って、この事件に立ち返って検討するなら、請求権協定の効力と関連して、差戻判決が説示した法理に明白な誤謬があるだとか、従前の大法院判決に反する内容があるとは考えられない。従って、この事件を全員合議体で判断するとしても、おいそれと差戻判決が説示した法理を再審査したり、覆したりすることができると見ることはできない。
エ.結局どの角度から見ても、この部分の上告理由の主張は差戻判決の拘束力に反するものとして受け入れられない。
一方、先に見た上告理由第1、2、4点に関する判断の部分において、「差戻し後の原審の判断は差戻判決の趣旨に沿うものであって、上告理由の主張のような違法はない」と判示したのは、上記のような差戻判決の拘束力に関する法理に沿うものと考えられるので、この部分の判断に対しては、多数意見と見解を異にしないという点を付け加えておきたい。
以上の通りの理由で、上告を棄却するべきであるという結論においては、多数意見と意見を同じくするが、上告理由第3点に関しては多数意見とその具体的な理由を異にするために、個別意見としてこれを明らかにしておく。

9. 上告理由第3点に関する判断についての大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見
ア. 請求権協定にもかかわらず、原告が被告に対して強制動員被害に対する慰謝料請求権を行使することができるという点については多数意見と結論を同じくする。ただしその具体的な理由は多数意見と見解を異にする。
多数意見は、「原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用の対象に含まれるとはいえない」との立場をとっている。しかし請求権協定の解釈上、原告の損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれるというべきである。ただし原告ら個人の請求権自体は請求権協定により当然に消滅するということはできず、請求権協定によりその請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴訟により権利を行使することができる。
このように解すべき具体的な理由は次の通りである。
イ. まず条約の解釈方法について多数意見が明らかにした法理については見解を異にしない。これらの法理に基づき、差戻し後の原審で初めて提出された各証拠(乙第16乃至18、37乃至39、40乃至47、50、52、53、55号証)も含めて原審が適法に採択・調査した各証拠によって明らかになった事実関係を検討すると、多数意見とは異なり原告らの被告に対する損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると見ることが妥当である。
(1)差戻し後の原審で提出された各証拠をはじめとする採用証拠によって明らかになった請求権協定の具体的な締結過程は次の通りである。
(ア)前記のように1952年2月15日に開催された第1回韓日会談当時、大韓民国は8項目を提示したが、その後日本の逆請求権の主張、独島と平和線問題(訳注 日本で言う『李承晩ライン問題』)についての意見の対立、両国の政治的状況などにより第4回韓日会談では8項目についての議論が適切に行われなかった。
(イ)第5回韓日会談から8項目の実質的な討議が行われ、第5回韓日会談では以下のような議論があった。
①1961年5月10日の.第5回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第13回会議で大韓民国側8項目のうち、上記第5項(韓国法人または韓国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求)と関連して、「強制徴用で被害を受けた個人に対する補償」を日本側に要求した。具体的には「生存者、負傷者、死者、行方不明者及び兵士・軍属を含む被徴用者全般に対して補償を要求するもの」であるとして、「これは他国の国民を強制的に動員することにより被った被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償を意味する」という趣旨であると説明した。これに対し日本側が個人の被害に対する補償を要求するものか、大韓民国として韓国人被害者の具体的な調査をする用意があるか等について質問すると、大韓民国側は「国として請求するものであり、被害者個人に対する補償は国内で措置する性質のもの」との立場を表明した。
②日本側は大韓民国側の上記のような個人の被害補償の要求に反発し、具体的な徴用・徴兵の人数や証拠資料を要求したり、両国国交の回復後に個別的に解決する方法を提示するなど、大韓民国側の要求にそのまま応じることができないという立場を表明した。
③第5回韓日会談の請求権委員会では、1961年5月16日の.軍事政変によって協議が中断されるまで8項目の第1項から第5項までについて討議が行われたが、根本的な認識の差異を確認するにとどまり、実質的な妥協を行うことはできなかった。
(ウ)第6次韓日会談が1961年10月20日に開始された後は、請求権の細部についての議論は時間がかかるばかりで解決が長引くとの判断から政治的な側面の妥協が探られ、下記のような交渉過程を経て第7次韓日会談中の1965年6月22日、ようやく請求権協定が締結された。
①1961年12月15日の第6回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7回会議で大韓民国側は日本側に8項目に対する補償として合計12億2、000万ドルを要求し、強制動員に対する被害補償として生存者1人当たり200ドル、死亡者1人当たり1、650ドル、負傷者1人当たり2、000ドルを基準として計算した3億6、400万ドル(約30%)と算定した。
②1962年3月頃の外相会談では、大韓民国側の支払要求額と日本側の支払準備額を非公式に提示することにしたが、その結果大韓民国側の支払い要求額である純弁済7億ドルと、日本側の支払準備額である純弁済7、000万ドル及び借款2億ドルの間に顕著な差があることが確認された。
③このような状況において日本側は、初めから請求権に対する純弁済とすると法律関係と事実関係を厳格に解明しなければならないだけでなく、その金額も少額となり大韓民国が受諾できなくなるであろうから、有償と無償の経済協力の形式をとり、金額を相当程度引き上げ、その代わり請求権を放棄することにしようと提案した。これに対して大韓民国側は請求権に対する純弁済を受けるべきであるという立場であるが問題を大局的見地から解決するために請求権解決の枠内で純弁済と無相照支払の2つの名目で解決することを主張し、その後再び譲歩して請求権解決の枠の中で純弁済と無相照支払の2つの名目とするが、その金額をそれぞれ区分して表示せず、総額だけを表示する方法で解決することを提案した。
④その後、当時の金鍾泌キムジョンピル中央情報部長は日本で池田首相と1回、大平日本外相と2回にわたって会談し、大平外相との1962年11月12日の第2回会談時に請求権問題の金額、支払細目及び条件等について両国政府に提案する妥結案に関する原則的な合意をした。その後の具体的調整過程を経て、第7回韓日会談が進行中であった1965年4月3日、当時外務部長官であった
李イ東元ドンウォンと日本の外務大臣であった椎名悦三郎の間に「韓日間の請求権問題の解決及び経済協力に関する合意」が成立した。
(2)前記のように、請求権協定の前文は「日本国及び大韓民国は、両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権以下「請求権協定上の請求権」という)に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した。」と述べ、第2条1は「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と定めた。
また、請求権協定と同日に締結され請求権協定の合意議事録(Ⅰ)は、上記第2条について「同条1.でいう完全かつ最終的に解決されたことになる両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題には、韓日会談で韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。と定めたが、8項目の第5項には、「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権(以下「被徴用請求権」という)の弁済請求」が含まれている。
このような請求権協定などの文言によれば、大韓民国と日本の両国は、国家と国家の間の請求権についてだけでなく、一方の国民の相手国とその国民に対する請求権も協定の対象としたことが明らかであり、請求権協定の合意議事録(Ⅰ)は請求権協定上の請求権の対象に被徴用請求権も含まれることを明らかにしている。
(3)請求権協定自体の文言は、第1条に従って日本が大韓民国に支給することにした経済協力資金が第2条による権利問題の解決に対する対価であるのかについて明確には規定していない。
しかし、前記のように、①大韓民国は1961年5月10日の.第5回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第13回会議において被徴用請求権について「生存者、負傷者、死亡者、行方不明者及び兵士・軍属を含む被徴用者全般に対する補償」を要求し、他国の国民を強制的に動員することにより被った被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償」までも積極的に要請しただけでなく、1961年12月15日の第6回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7回会議で強制動員被害補償金を具体的に3億6、400万ドルと算定し、これを含めて8項目の合計補償金12億2、000万ドルを要求し、②第5回韓日会談当時、大韓民国が、上記要求額は国家として請求するものであり被害者個人に対する補償は国内で措置するものであると主張したが、日本は具体的な徴用・徴兵の人数や証拠資料を要求して交渉が難航し、③これに対して日本は証明の困難などを理由に有償と無償の経済協力の形式をとり、金額を相当程度引き上げ、その代わりに請求権を放棄する方式を提案し、大韓民国が純弁済及び無相照の2つの名目で金員を受領するが具体的な金額は項目別に区分せずに総額のみを表示する方法を再提案することによって、④以降の具体的な調整過程を経て1965年6月22日、第1条では経済協力資金の支援について定め、第2条では権利関係の解決について定める請求権協定が締結された。
これらの請求権協定の締結に至るまでの経緯等に照らしてみると、請求権協定上の請求権の対象に含まれる被徴用請求権は、強制動員被害者の損害賠償請求権まで含んだものであり、請求権協定第1条で定めた経済協力資金は実質的にこれらの損害賠償請求権まで含めた第2条で定めた権利関係の解決に対する対価ないし補償としての性質をその中に含んでいるように見え、両国も請求権協定締結当時そのように認識したと見るのが妥当である。
(4)8項目のうち第5項は被徴用請求権について「補償金」という用語を使用し、「賠償金」という用語は使用していない。しかしその「補償」が「植民支配の合法性を前提とする補償」のみを意味するとは考えがたい。上記のように交渉の過程で双方が示した態度だけを見ても、両国政府が厳密な意味での「補償」と「賠償」を区分していたとは思えない。むしろ両国は「植民支配の不法性を前提とした賠償」も当然請求権協定の対象に含めることを相互認識していたと思われる。
(5)それだけでなく、大韓民国は請求権協定によって支給される資金使用の基本的事項を定めるために請求権資金法及び請求権申告法などを制定・施行し、日本によって労務者として徴用され1945年8月15日.以前に死亡した者の請求権を請求協定に基づいて補償する民間請求権に含め、その被徴用死亡者の申告及び補償手続を完了した。これは強制動員被害者の損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていることを前提としたものと思われる。
そして請求権協定に関するいくつかの文書が公開された後に構成された民官共同委員会も2005年8月26日、請求権協定の法的効力について公式意見を表明したが、日本国慰安婦問題など日本政府と軍隊などの日本国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたと見ることができないとしながらも、強制動員被害者の損害賠償請求権については「請求権協定を通じて日本から受けた無償3億ドルに強制動員被害補償問題を解決するための資金などが包括的に勘案された」とした。
さらに大韓民国は2007年12月10日の請求資金法等により行われた強制動員被者に対する補償が不十分であったという反省的な考慮から2007年の犠牲者支援法を制定・施行し、1938年 4月1日から1945年8月15日までの間に日帝によって労務者などとして国外に強制動員された犠牲者・負傷者・生還者等に対し慰労金を支給し、強制的に動員されて労務を提供したが日本企業などから支給されなかった未収金を大韓民国の通貨に換算して支給した。
このように大韓民国は請求権協定に強制動員被害者の損害賠償請求権が含まれていていることを前提として、請求権協定締結以来長期にわたり、それ従って補償などの後続措置をとってきたことが分かる。
(6)以上の内容、すなわち請求権協定及びそれに関する了解文書などの文言、請求権協定の締結経緯や締結当時の推定される当事者の意思、請求権協定の締結に従った後続措置などの各事情を総合すると、強制動員被害者の損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれると見るのが妥当である。
それにも関わらず、これと異なり原告らの被告に対する損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていたとは言いがたいとする本件差戻し後の原審のこの部分の判断には条約の解釈に関する法理などを誤解した誤りがある。
ウ. しかし、上記のような誤りにもかかわらず、「原告らの個人請求権自体は請求権協定のみによって当然に消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によりその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置で当該請求権が日本国内で消滅しても、大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである」という差戻し後の原審の仮定的判断は下記の理由から首肯することができる。
(1)請求権協定には、個人請求権消滅について、韓日両国政府の意思合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。
過去に主権国家が外国と交渉をして自国の国民の財産や利益に関する事項を一括的に解決する、いわゆる一括処理協定(lump sum agreements)が国際紛争の解決・予防のための方式の一つとして採用されてきたとも見ることができる。ところが、このような協定を通じて国家が「外交的保護権(diplomatic protection)」、すなわち「自国民が外国で違法・不当な取り扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続などを通じて外国政府に対して自国民の適切な保護や救済を求めることができる国際法上の権利」を放棄するだけでなく、個人の請求権までも完全に消滅させることができるというためには、少なくとも該当条約にこれに関する明確な根拠が必要であると言わねばならない。国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は国際法上も受け入れられているが、権利の「放棄」を認めようとするならその権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によれば、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをより厳しく解さなければならないからである。ところが請求権協定はその文言上、個人請求権自体の放棄や消滅については何の規定も置いていない。この点で連合国と日本の間で1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ条約第14条(b)で、「連合国は、すべての請求、連合国とその国民の賠償請求及び軍の占領費用に関する請求をすべて放棄する」と定めて、明示的に請求権の放棄(waive)という表現を使用したことと区別される。もちろん請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたことになる」という表現が用いられはしたが、上記のような厳格解釈の必要に照らし、これを個人請求権の「放棄」や「消滅」と同じ意味とは解しがたい。
前述の証拠によれば、請求権協定締結のための交渉過程で日本は請求権協定に基づいて提供される資金と請求権との間の法律的対価関係を一貫して否定し、請求権協定を通じて個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみが消滅するという立場を堅持した。これに対し大韓民国と日本の両国は請求権協定締結当時、今後提供される資金の性格について合意に至らないまま請求権協定を締結したとみられる。したがって請求権協定で使用された「解決されたことになる」とか、主体などを明らかしないまま「いかなる主張もできないものとする」などの文言は意図的に使用されたものといわねばならず、これを個人請求権の放棄や消滅、権利行使の制限が含まれたものと安易に判断してはならない。
このような事情等に照らすと、請求権協定での両国政府の意思は個人請求権は放棄されないことを前提に政府間だけで請求権問題が解決されたことにしようというもの、すなわち外交的保護権に限定して放棄しようというものであったと見るのが妥当である。
(2)前述のように、日本は請求権協定の直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。こうした措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解することができる。すなわち前記のように、請求権協定当時、日本は請求権協定を通じて個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみが放棄されると見る立場であったことが明らかあり、協定の相手方である大韓民国もこのような事情を熟知していたと思われる。したがって両国の真の意思もやはり外交的保護権のみ放棄されることで一致していた見ることが合理的である。
大韓民国が1965年7月5日に発行した「日本国と大韓民国との間の条約と協定解説」には、請求権協定第2条について「財産及び請求権の問題の解決に関する条項により消滅する当方の財産及び請求権の内容を見ると、我々が最初に提示した8項目の大対日請求要綱で要求したものはすべて消滅することになり、従って被徴用者の未収金及び補償金、韓国人の対日本政府及び日本国民に対する各種請求などがすべて完全にそして最終的に消滅することになる。」とされている。これによると当時の大韓民国の立場が個人請求権も消滅するというものであったと見る余地もないとは言えない。しかし、上記のように当時の日本の立場が「外交的保護権限定放棄」であることが明白であった状況において大韓民国の内心の意思が上記のようなものであったとしても、請求権協定で個人請求権まで放棄されることについて意思の合致があったと見ることはできない。さらに後の大韓民国で請求権資金法などの補償立法を通じて強制動員被害者に対して行われた補償内容が実際の被害に比べて極めて微々たるものであった点に照らしてみても、大韓民国の意思が請求権協定を通じて個人請求権も完全に放棄させるというものであったと断定することも困難である。
(3)一括処理協定の効力と解釈と関連して国際司法裁判所(ICJ)が2012年2月3日に宣告したドイツのイタリアの主権免除事件(Jurisdictional Immunities of the State、Germany v. Italy:Greece intervening)が国際法的観点から議論されている。しかしながら、他の多くの争点はともかくとしても、1961年6月2日にイタリアと西ドイツの間で締結された「特定財産に関連する経済的・財政的な問題の解決に関する協定(Treaty on the Settlement of certain property-related、 economic and financial questions)」及び「ナチスの迫害を受けたイタリアの国民に対する補償に関する協定(Agreement on Compensation for Italian Nationals Subjected to National-Socialist Measures of Persecution)」が締結された経緯、その内容や文言が請求権協定のそれと同じではないので、請求権協定をイタリアと西ドイツの間の上記条約と単純比較することは妥当ではない。
エ. 結局、原告らの被告に対する損害賠償請求権が請求権協定の対象に含まれて
いないとする多数意見の立場には同意することができないが、請求権協定にもかかわらず、原告らが被告に対して強制動員被害に関する損害賠償請求権を行使することができるとする差戻し後の原審の結論は妥当である。そこにはこの部分の上告理由の主張に言うような請求権協定の効力、大韓民国国民の日本国民に対する個人請求権の行使の可能性に関する法理などを誤解した誤りはない。

10. 大法官権純一、大法官趙載淵の反対意見
ア. 大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見(以下「個別意見2」という)が上告理由3について、請求権協定の解釈上原告らの損害賠償請求権が請求権協定の対象に含まれるという立場をとったことについては見解を同じくする。
しかし、個別意見2が請求権協定では大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたとして、原告らが大韓民国において被告に対して訴訟によっての権利を行使することができると判断したことには同意できない。その理由は次の通りである。
イ. 請求権協定第2条1は、「…両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する。」と規定している。ここにいう「完全かつ最終的に解決されたことになる」という文言の意味が何なのか、すなわち請求権協定によって両締約国がその国民の個人請求権に関する外交保護権だけを放棄したことを意味するのか、またはその請求権自体が消滅するという意味なのか、それとも両締約国の国民がもはや訴訟によって請求権を行使することができないことを意味するのかは、基本的に請求権協定の解釈に関する問題である。
(1)憲法により締結・公布された条約と一般的に承認された国際法規は、国内法と同等の効力を有する(憲法第6条第1項)。そして具体的な事件において当該法律又は法律条項の意味・内容と適用範囲を定める権限、すなわち法令の解釈・適用権限は司法権の本質的内容をなすものであり、これは大法院を最高法院とする裁判所に専属する(大法院2009年2月12日宣告2004.10289判決参照)。
請求権協定は、1965年8月14日に大韓民国国会で批准同意され、1965年12月18日に条約第172号として公布されたので、国内法と同じ効力を有する。したがって、請求権協定の意味・内容と適用範囲は、法令を最終的に解釈する権限を有する最高法院である大法院によって最終的に定める他はない。
(2)条約の解釈は、1969年に締結された「条約法に関するウィーン条約(Vienna Convention on the Law of Treaties、以下「ウィーン条約」という)」を基準とする。ウィーン条約は大韓民国に対しては1980年1月27日、日本に対しては1981年8月1日に各々発効したものであるが、その発効前に既に形成されていた国際慣習法を規定したものであるから、請求権協定を解釈する際にウィーン条約を適用しても時制法の問題はない。
ウィーン条約第31条(解釈の一般規則)によれば、条約は全文及び附属書を含む条約文の文脈及び条約の対象と目的に照らしてその条約の文言に付与される通常の意味に従って誠実に解釈しなければならない。ここにいう条約の解釈上の文脈とは、条約文の他に条約の締結に関して締約国間で行われたその条約に関する合意などを含む。そしてウィーン条約第32条(解釈の補充的手段)によれば、第31条の適用から導かれる意味を確認するため、又は第31条の規定により解釈すると意味が曖昧模糊となる場合、明らかに不合理または不当な結果をもたらす場合には、その意味を決定するために条約の準備作業または条約締結時の事情を含む解釈の補充的手段に依存することができる。
(3)請求権協定の前文は、「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し」と述べ、第2条1は「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定しており、第2条3は、「…一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって…いかなる主張もすることができないものとする。」と規定した。また、請求権協定の合意議事録(Ⅰ)は請求権協定第2条について「同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。」と規定し、対日請求要綱8項目の中には「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が含まれている。
上記のような請求権協定第2条、請求権協定の合意議事録(Ⅰ)などの文言、文脈及び請求権協定の対象と目的等に照らし、請求権協定第2条をその文言に付与される通常の意味に従って解釈すれば、第2条1で「完全かつ最終的に解決されたもの」は、大韓民国及び大韓民国国民の日本および日本国民に対するすべての請求権と日本及び日本国民の大韓民国及び大韓民国国民に対するすべての請求権に関する問題であることは明らかであり、第2条3にすべての請求権について「いかなる主張もできないものとする」と規定している以上、「完全かつ最終的に解決されたことになる」という文言の意味は、両締約国はもちろん、その国民ももはや請求権を行使することができなくなったという意味であると解さなければならない。
(4)国際法上国家の外交的保護権(diplomatic protection)とは、外国で自国民が違法・不当な扱いを受けたが、現地の機関を通じた適切な権利救済が行われない場合に、最終的にその国籍国が外交手続や国際司法手続を通じて外国政府に対して自国民に対する適切な保護や救済を求めることができる権利である。外交的保護権の行使主体は被害者個人ではなくその国籍国であり、外交的保護権は国家間の権利義務に関する問題に過ぎず国民の個人の請求権の有無に直接影響を及ぼすことはない。
ところが前述のように請求権協定第2条は大韓民国の国民と日本の国民の相手方の国とその国民に対する請求権まで対象としていることが明らかであるから、請求権協定を国民個人の請求権とは関係なく両締約国が相互に外交的保護権を放棄するだけの内容の条約であるとは解しがたい。また、請求権協定第2条1に規定する「完全かつ最終的に解決される」という文言は請求権に関する問題が締約国間ではもちろんその国民の間でも完全かつ最終的に解決されたという意味に解釈するのがその文言の通常の意味に合致し、単に締約国の間で相互に外交的保護権を行使しないことにするという意味に読むことはできない。
(5)日本は請求権協定締結後、請求権協定で両締約国の国民の個人請求権が消滅するのではなく両締約国が外交的保護権のみを放棄したものであるという立場をとってきた。これは日本政府が自国の国民に対する補償義務を回避するために「在韓請求権について外交的保護権を放棄した」という立場をとったことから始まったものである。しかし下記のように大韓民国は最初から対日請求要綱8項目を提示し、強制徴用被害者に対する補償を要求し、請求権資金の分配は全的に国内法上の問題であるという立場をとり、このような立場は請求権協定締結当時まで維持された。
前述の事実関係及び記録によれば次のような事実を知ることができる。つまり、①大韓民国側は1952年 2月15日の.第1次韓日会談から8項目を日本側に提示し、1961年5月10日の第5回日韓会談予備会談の一般請求権小委員会第13回会議で、8項目のうち第5項について「強制徴用により被害を受けた個人に対する補償」を日本側に要求し、個人の被害に対する補償を要求するのかという日本側の質問に対し「国として請求するものであり、被害者個人に対する補償は国内で措置する性質のもの」という立場を表明した。 ②1961年12月15日の第6回日韓会談予備会談一般請求権小委員会の第7回会議で大韓民国側は日本側に8項目の補償として合計12億2、000万ドルを要求し、その中で強制動員に対する被害補償金を3億6、400万ドルと算定して提示した。 ③請求権協定締結直後の1965年7月5日に大韓民国政府が発行した「大韓民国と日本国との間の条約及び協定解説」には、「財産及び請求権問題の解決に関する条項により消滅する当方の財産及び請求権の内容を見ると、当方が最初に提示したところの8項目の対日請求要綱で要求したものはすべて消滅するところであり、したがって…被徴用者の未収金及び補償金、…韓国人の対日本政府及び日本国民に対する各種請求などがすべて完全かつ最終的に消滅することになるものである。」と記載されている。 ④1965年8月、チャン・キヨン経済企画院長官は、請求権協定第1条の無償3億ドルは実質的に被害国民に対する賠償的な性格を持ったものであるという趣旨の発言をした。 ⑤請求権協定締結後、大韓民国は請求権資金法、請求権申告法、請求権補償法、2007年および2010年の犠牲者支援法などを制定して強制徴用被害者に対する補償金を支給した。 2010年の犠牲者支援法に基づいて設置された「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者など支援委員会」の決定(前身である「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者支援委員会」の決定を含む)を通じて2016年9月頃まで支給された慰労金等の内訳を見ると、死亡。行方不明慰労金3、601億ウォン、負傷障害慰労金1、022億ウォン、未収金の支援金522億ウォン、医療支援金1人当たり年間80万ウォンなど約5、500億ウォンになる。
このような事実を総合してみると、請求権協定当時大韓民国は請求権協定により強制徴用被害者の個人請求権も消滅するか、少なくともその行使が制限されるという立場をとっていたことが分かる。したがって、請求権協定当時の両国の真の意思が外交的保護権のみ放棄するということで一致していたわけでもない。
(6)一方、国際法上戦後賠償問題などについて主権国家が外国と交渉をして自国国民の財産や利益に関する事項を国家間条約を通じて一括的に解決するいわゆる「一括処理協定(lump sum agreements)」は、国際紛争の解決予防のための方法の一つとして請求権協定締結当時国際慣習法上一般的に認められていた条約の形式である。
一括処理協定は国家が個人の請求権などを含む補償問題を一括妥結する方式であるから、その当然の前提として一括処理協定によって国家が相手国からの補償や賠償を受けた場合にはそれに応じて自国民個人の請求権は消滅するものとして処理され、この時その資金が実際には被害国民に対する補償目的に使用されなかったとしても同様とされる[国際司法裁判所(ICJ)が2012年2月3日に宣告したドイツ対イタリア主権免除事件(Jurisdictional Immunities of the State、Germany v。Italy:Greece intervening)、いわゆる「フェリーニ(Ferrini)事件」判決参照]。
請求権協定についても、大韓民国は日本から強制動員被害者の損害賠償請求権を含む対日請求要綱8項目について一括補償を受け、請求権資金を被害者に補償の方式で直接分配したり、または国民経済の発展のための基盤施設の再建等に使用することによりいわゆる「間接的に」補償する方式を採択した。このような事情に照らしてみると、請求権協定は大韓民国及びその国民の請求権などに対する補償を一括的に解決するための条約として請求権協定当時国際的に通用していた一括処理協定に該当するということができる。この点からも、請求権協定が国民の個人の請求権とは関係なく、単に両締約国が国家の外交的保護権を放棄することだけを合意した条約であるとは解釈しがたい。
ウ. 請求権協定第2条に規定している「完全かつ最終的な解決」や「いかなる主張もできないこととする」という文言の意味は、個人請求権の完全な消滅まででなくとも「大韓民国国民が日本や日本国民に対して訴訟によって権利を行使することは制限される」という意味に解釈するのが妥当である。
(1)請求権協定はその文言上の個人請求権自体の放棄や消滅について直接定めてはいない。この点でサンフランシスコ条約第14条(b)で、「連合国は、すべての補償請求、連合国とその国民の賠償請求および軍の占領費用に関する請求をすべて放棄する」と定めて明示的に請求権の放棄(waive)という表現を使用したものとは区別される。したがって請求権協定により個人請求権が実体法的に完全に消滅したり放棄されたとは解しがたいという点では個別意見2と見解を同じくする。
(2)請求権協定第2条1は請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」と規定しており、「完全かつ最終的な解決」に至る方式は第2条の3に規定している「いかなる主張もできないものとする。」との文言によって実現される。つまり「どのような主張もできないこと」という方法を通じて請求権問題の「完全かつ最終的な解決」を期している。ところで「いかなる主張もできないものとする」という文言の意味は前述したように請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみを放棄するという意味に解釈することができず、かといって請求権自体が実体法的に消滅したという意味である断定することも困難である。そうであれば、「いかなる主張もできないものとする。」という文言の意味は、結局「大韓民国国民が日本や日本国民に対して訴訟によって権利を行使することが制限される」という意味に解釈するほかはない。
(3)先に見たように大韓民国は請求権協定締結後、請求権補償法、2007年及び2010年の犠牲者支援法などを制定し、強制徴用被害者らに補償金を支給した。これは請求権協定によって大韓民国の国民が訴訟によって請求権を行使することが制限された結果、大韓民国がこれを補償する目的で立法措置をしたものである。「外交的保護権限定放棄説」に従うと大韓民国が上記のような補償措置をとる理由を見出しがたい。
エ.(1)個別意見2が大韓民国で請求権資金法などの補償の立法を通じて強制動員被害者に対して行われた補償内容が実際の被害に備えて非常に不十分であったという点を請求権協定の効力を解釈する根拠に挙げていることも受け入れがたい。前記のように「一括処理協定(lump sum agreements)」によって国家が補償や賠償を受けたなら、その国民は相手国及びその国民に対して個人請求権を行使することができないのであり、これは支給された資金が実際には被害国民に対する補償の目的に使用されてなくとも変わることはないからである。
(2)日帝強占期に日本が不法な植民支配と侵略戦争遂行のために強制徴用被害者らに与えた苦痛に照らしてみると、大韓民国が被害者らに行った補償が非常に不十分なことは事実である。大韓民国は2006年3月9日の請求補償法に基づく強制動員被害者の補償が不十分であることを認め追加補償の方針を表明した後、2007年の犠牲者支援法を制定し、その後2010年の犠牲者支援法を追加制定した。しかしこのような追加的な補償措置によっても国内強制動員被害者は当初から慰労金支給対象に含まれず、国外強制動員生還者に対しては2007年の犠牲者支援法の制定当時、1人当たり500万ウォンの慰労金を支給する内容の法案が国会で議決されたが、追加的な財政負担などを理由に大統領が拒否権を行使し、結局彼らに対する慰労金支給は行われなかった。
(3)日本政府が請求権協定の交渉過程で植民支配の不法性を認めていなかった状況で大韓民国政府が請求権協定を締結したことが果たして正しかったのか等を含め、請求権協定の歴史的評価については未だ議論があることは事実だ。しかし請求権協定が憲法や国際法に違反して無効であると解するのでなければ、その内容の良否を問わずその文言と内容に従って遵守しなければならない。請求権協定により個人請求権をもはや行使できなくなることによって被害を受けた国民に、今からでも国家は正当な補償を行うべきである。大韓民国がこのような被害国民に対して負う責任は法的責任であり、これを単なる人道的・恩恵的措置とみることはできない。大韓民国は被害国民が訴訟を提起したか否かにかかわらず正当な補償がなされるようにする責務があり、このような被害国民に対して大韓民国が訴訟においてその消滅時効完成の有無を争うことはないと考える。
オ. 要するに、大韓民国の国民が日本及び日本国民に対して有する個人請求権は請求権協定によって直ちに消滅したり放棄されたわけでないが、訴訟によってこれを行使することは制限されることとなったので、原告らが日本国民である被告に対して国内で強制動員による損害賠償請求権を訴訟によって行使することもやはり制限されると解するのが妥当である。
これと異なる趣旨により判示した原審の判断には請求権協定の適用範囲及び効力等に関する法理を誤解した誤りがあり、原審が根拠とした差戻判決の請求権協定に関する見解もやはりこれに背馳する範囲内で変更すべきである。
以上のような理由から、多数意見に反対する。

11. 大法官金哉衡、大法官金善洙の多数意見に対する補充意見
ア. 原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権、すなわち「強制動員慰謝料請求権」が請求権協定の対象に含まれていないという多数意見の立場は条約の解釈に関する一般原則に従うものであって妥当である。その具体的な理由は次の通りである。
イ. 条約の解釈の出発点は条約の文言である。当事者らが条約を通じて達成しようとした意図が文言として現れるからである。したがって条約の文言が持つ通常の意味を明らかにすることが条約の解釈において最も重要なことである。しかし当事者らが共通して意図したものとして確定された内容が条約の文言の意味と異なる場合には、その意図に応じて条約を解釈しなければならない。
この時、文言の辞典的な意味が明確でない場合には、文脈、条約の目的、条約締結過程をはじめとする締結当時の諸事情だけでなく、条約締結以降の事情も総合的に考慮して条約の意味を合理的に解釈しなければならない。ただし条約締結過程で行われた交渉過程や締結当時の事情は条約の特性上、条約を解釈するために補充的に考慮すべきである。
一方、条約が国家ではなく個人の権利を一方的に放棄するような重大な不利益を与える場合には約定の意味を厳密に解釈しなければならず、その意味が明確でない場合には個人の権利を放棄していないものと解すべきである。個人の権利を放棄する条約を締結しようとするなら、これを明確に認識して条約の文言に含ませることにより個々人がそのような事情を知ることができるようにすべきであるからである。
1969年に締結されたウィーン条約は、大韓民国に対しては1980年1月27日、日本に対しては1981年8月1日に発効したため、1965年に締結された請求権協定の解釈の基準的としてこの条約を直ちに適用することはできない。ただし条約の解釈に関するウィーン条約の主な内容は既存の国際慣習法を反映したものであると見ることができるので、請求権協定を解釈においても参考とすることができる。条約の解釈基準に関する多数意見はウィーン条約の主な内容を反映したものであるから、条約の解釈に関する一般原則と異なるものではない。ただしウィーン条約が請求権協定に直接適用されるものではないから、請求権協定を解釈する際にウィーン協約を文言にそのまま従わねばならないものではない。
ウ. 本件の主な争点は、請求権協定の前文と第2条に現れる「請求権」の意味をどのように解釈するかである。具体的には上記「請求権」に「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配・侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する精神的損害賠償請求権」、すなわち「強制動員慰謝料請求権」が含まれるか否かが問題になる。
請求権協定では、「請求権」が何を意味するかを特に定めていない。請求権はきわめて多様な意味で使用することができる用語である。この用語に不法行為に基づく損害賠償請求権、特に本件で問題となる強制動員慰謝料請求権まで一般的に含まれると断定することはできない。
したがって請求権協定の文脈や目的なども併せて検討すべきである。まず請求権協定第2条でサンフランシスコ条約第4条(a)に明示的に言及しているから、サンフランシスコ条約第4条が請求権協定の基礎になったことには特に疑問がない。すなわち請求権協定は基本的にサンフランシスコ条約第4条(a)にいう「日本の統治から離脱した地域(大韓民国もこれに該当)の施政当局・国民と日本・日本国民の間の財産上の債権・債務関係」を解決するためのものである。ところで、このような「債権・債務関係」は日本の植民支配の不法性を前提とするものではなく、そのような不法行為に関する損害賠償請求権が含まれたものでもない。特にサンフランシスコ条約第4条(a)では「財産上の債権債務関係」について定めているので、精神的損害賠償請求権が含まれる余地はないと見るべきである。
サンフランシスコ条約を基礎として開かれた第1次韓日会談において韓国側が提示した8項目は次のとおりである。 「①1909年から1945年までの間に日本が朝鮮銀行を通じて大韓民国から搬出した地金及び地銀の返還請求、②1945年8月9日現在及びその後の日本の対朝鮮総督府債務の返済請求、③1945年8月9日以降に大韓民国にから振替または送金された金員の返還請求、④1945年8月9日現在大韓民国に本店、本社または主たる事務所がある法人の在日財産の返還請求、⑤大韓民国法人または大韓民国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求、⑥韓国人の日本国または日本人に対する請求であって上記①ないし⑤に含まれていないものは韓日会談の成立後、個別に行使することができることを認めること、⑦前記の各財産または請求権から発生した各果実の返還請求、⑧前記返還と決済は協定成立後直ちに開始し遅くとも6ヶ月以内に完了すること」である。
上記8項目に明示的に列挙されたものはすべて財産に関するものである。したがって上記第5項で列挙されたものも、例えば徴用による労働の対価として支払われる賃金などの財産上の請求権に限定されたものであり、不法な強制徴用による慰謝料請求権まで含まれると解することはできない。その上ここに言う「徴用」が国民徴用令による徴用のみを意味するのか、それとも原告らのように募集方式または官斡旋方式で行われた強制動員まで含まれるのかも明らかではない。また第5項は「補償金」という用語を使用しているが、これは徴用が適法であるという前提で使用した用語であり、不法性を前提とした慰謝料が含まれないことが明らかである。当時の大韓民国と日本の法制では「補償」は適法な行為に起因する損失を填補するものであり、「賠償」は不法行為による損害を填補するものとして明確に区別して使用していた。請求権協定の直前に大韓民国政府が発行した「韓日会談白書」も「賠償請求は請求権問題に含まれない」と説明した。 「その他」という用語も前に列挙したものと類似した付随的なものと解するべきであるから、強制動員慰謝料請求権が含まれるとするのは行き過ぎた解釈である。
請求権協定の合意議事録(Ⅰ)では、8項目の範囲に属するすべての請求が請求権協定で完全かつ最終的に「解決されるものとされる」請求権に含まれると規定しているが、前記のように上記第5項「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済請求」が日本の植民支配の不法性を前提としたものと解することができないから、強制動員慰謝料請求権がこれに含まれると解することもできない。
結局、請求権協定、請求権協定に関する合意議事録(Ⅰ)の文脈、請求権協定の目的などに照らして請求権協定の文言に現れた通常の意味に従って解釈すれば、請求権協定にいう「請求権」に強制動員慰謝料請求権まで含まれるとは言いがたい。
エ. 上記のような解釈方法だけでは請求権協定の意味が明らかではなく、交渉記録と締結時の諸事情等を考慮してその意味を明らかにすべきだとしても、上記のような結論が変わることはない。
まず請求権協定締結当時の両国の意思がどのようなものであったのかを検討する必要がある。一般的な契約の解釈と同様に条約の解釈においても、外に現れた表示にもかかわらず両国の内心の意思が一致していた場合、その真意に基づいて条約の内容を解釈するのが妥当である。仮に請求権協定当時、両国とも強制動員慰謝料請求権のような日本の植民支配の不法性を前提とする請求権も請求権協定に含めることに意思が一致していたと見ることができるなら、請求権協定に言う「請求権」に強制動員慰謝料請求権も含まれると解することができる。
しかし日本政府が請求権協定当時はもちろん現在に至るまで強制動員の過程で反人道的な不法行為が犯されたことはもとより植民支配の不法性さえも認めていないことは周知の事実である。また請求権協定当時日本側が強制動員慰謝料請求権を請求権協定の対象としたと解するに足りる資料もない。当時強制動員慰謝料請求権の存在自体も認めていなかった日本政府が請求権協定にこれを含めるという内心の意思を持っていたと解することもできない。
これは請求権協定当時の大韓民国政府も同様であったと見るのが合理的である。多数意見において述べたように請求権協定の締結直前の1965年3月20日に大韓民国政府が発行した公式文書である「韓日会談白書」ではサンフランシスコ条約第4条が韓・日間の請求権問題の基礎になったと明示しており、さらに「上記第4条の対日請求権は、戦勝国の賠償請求権とは区別される。大韓民国はサンフランシスコ条約の調印国ではないため、第14条の規定により戦勝国が享有する損害と苦痛に対する賠償請求権は認められなかった。このような韓・日間の請求権問題には賠償請求を含めることができない。」という説明までしている。
一方、上記のような請求権協定締結当時の状況の他に条約締結後の事情も補充的に条約の解釈の考慮要素になりうるが、請求権協定に言う「請求権」に強制動員慰謝料請求権が含まれると解することができないということは、これによっても裏付けることができる。請求権協定以後大韓民国は請求権資金法、請求権申告法、請求補償法を通じて1977年6月30日までに被徴用死亡者8、552人に1人当り30万ウォンずつ合計25億6、560万ウォンを支給した。これは上記8項目のうち、第5項の「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が請求権協定の対象に含まれるによる後続措置に過ぎないと見ることができるから、強制動員慰謝料請求権に対する弁済とは言いがたい。しかもその補償対象者も「日本国によって軍人・軍属または労務者として招集または徴用され1945年8年15日以前に死亡した者」に限定されていた。また、その後大韓民国は2007年の犠牲者支援法などによりいわゆる「強制動員犠牲者」に慰労金や支援金を支給したが、当該法律では名目は「人道的次元」のものであることを明示した。このような大韓民国の措置は、請求権協定に強制動員慰謝料請求権は含まれておらず、大韓民国が請求権協定資金により強制動員慰謝料請求権者に対して法的支払い義務を負うものではないことを前提としているものと言わざるを得ない。
オ. 国家間の条約によって国民個々人が相手国や相手国の国民に対して有する権利を消滅させることが国際法上許容されるとしても、これを認めるためには当該条約でこれを明確に定めねばならない。その上本件のように国家とその所属国民が関与した反人道的な不法行為による損害賠償請求権、その中でも精神的損害に対する慰謝料請求権の消滅のような重大な効果を与えようとする場合には条約の意味をより厳密に解釈しなければならない。
サンフランシスコ条約第14条が日本によって発生した「損害と苦痛」に対する「賠償請求権」とその「放棄」を明確に定めているのとは異なり、請求権協定は「財産上の債権.債務関係」のみに言及しているだけであり、請求権協定の対象に不法行為による「損害と苦痛」に対する「賠償請求権」が含まれるとか、その賠償請求権の「放棄」を明確に定めてはいない。
日本政府の韓半島に対する不法な植民支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為により動員され、人間としての尊厳と価値を尊重されないままあらゆる労働を強要された被害者である原告らは、精神的損害賠償を受けられずに依然として苦痛を受けている。大韓民国政府と日本政府が強制動員被害者たちの精神的苦痛を過度に軽視し、その実像を調査・確認しようとする努力すらしないまま請求権協定を締結した可能性もある。請求権協定で強制動員慰謝料請求権について明確に定めていない責任は協定を締結した当事者らが負担すべきであり、これを被害者らに転嫁してはならない。
以上のような理由から、多数意見の論拠を補充しようとするものである。
裁判長 大法院長 金命洙
大法官 金昭英
大法官 曺喜大
大法官 権純一
大法官 朴商玉
大法官 李起宅
大法官 金哉衡
大法官 趙載淵
大法官 朴貞ファ(木へんに化)
大法官 閔裕淑
大法官 金善洙
大法官 李東遠
大法官 盧貞姫

(2018年11月6日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)

10月30日韓国大法院(最高裁に相当する)の徴用工判決。原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。

この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、「真摯な理解を」というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。

昨日のブログは、時間の足りないなか急いで書いた。文章が練れていない生硬な読みにくさがあるし、判決の全体像を語ってもいない。あらためて、大法院広報官室の本判決に関する「報道資料」(日本語)にもとづいて、紹介記事の続編を書き足したい。

同事件において、被告側は「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」と抗弁した。この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か(上告理由第3)」を判決は核心的争点と位置づけている。

この核心的争点における原告の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。これは、論理としては分かり易いもので、昨日のブログで詳細に紹介したとおりである。
http://article9.jp/wordpress/?p=11369

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴の意見。いま、日本政府や産経などが主張しているとおりの判断。

残る3人の意見は、違ったものである。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「解決済み」ではあるが、解決の済みの意味は、国家間の問題としてだけのことで、国の国に対する権利は放棄されているものの、「個々の個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。実は、この見解、日本政府の見解と同じなのだ。多数意見と理由を異にするが、上告棄却で原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。日本政府も反対しようがないのだ。

「報道資料」は、この3裁判官意見をこう紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

 この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。

『請求権自体』とは異なる、『外交的保護権』という、一般にはなじみの薄い概念がキーワードとなっている。

『外交的保護権』(あるいは、「外交保護権」)とは、大法院の広報部の「報道資料」の表現によれば、

「自国民が外国で違法・不当な扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続きなどを通じて、外国政府を相手に自国民の保護や救済を求めることができる国際法上の権利」と解説されている。

法律学小辞典(有斐閣)を引用すれば、

「自国民が他国によってその身体や財産を侵害され損害を被った場合に、その者の本国が加害国に対して適切な救済を与えるよう要求すること。国家がもつこのような権利を外交保護権という。」

この裁判官3人の意見は、

「原告らの個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によってその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置により当該請求権が日本国内で消滅しても大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである。」ということ。

つまり、国家は自国民の特定の権利については、国民に代わって相手国に対して救済を求める国家自身としての権利をもつ。まさしく、徴用工の日本企業に対する請求権はそのようなもので、韓国が日本に対して「自国民である徴用工の権利について適切な救済を与えるよう」要求する国家としての権利をもっていた。この権利が外交保護権。しかし、65年請求権協定によってその「国家(韓国)の国家(日本)に対する権利」は消滅したのだ。しかし、「この国家間の協定によって、個人の権利が消滅させられたわけではない」というわけだ。

「報道資料」には、その理由としてこんな説明が付されている。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。よく引用されるのは、1991年8月27日参院予算委員会における、当時の柳井俊二外務省条約局長答弁。

大事なところだ。正確に引用しておこう。清水澄子委員の質問に対する、政府委員谷野作太郎アジア局長と柳井俊二外務省条約局長の各答弁。

○清水澄子 そこで、今おっしゃいましたように、政府間(日韓間)は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないこういう意味でございます。

極めて明瞭に、日韓請求権協定によって「最終かつ完全に解決し」「消滅した」のは、国家が有する外交保護権であって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないことが述べられている。だから、個人が国内法に基づいて訴訟提起することは、当然に可能ということになる。

1992年2月26日 衆議院外務委員会での柳井俊二外務省条約局長答弁は、さらに踏み込んでいる。質問者は土井たか子。さすがに切り込んだ質問をしている。

○柳井政府委員 … …
 しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

○土井委員 (あなたは、)るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、これは簡単に言えば、請求権放棄というのは、政府自身が持つ請求権を放棄する。政府が国民の持つ請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄する。このことであぅて、個人の持つ請求権について政府が勝手に処分することはできないということも片や言わなきやいけないでしょう、これは。今ここ(日韓請求権協定)で請求権として放棄しているのは、政府白身か持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。

○柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身か持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したかって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。
 ただ、先ほど若干長く答弁させていただきましたのは、もう緩り返しませんけれども、日韓の条約の場合には、それを受けて、国内法によって、国内法上の根拠のある請求権というものはそれは消滅させたということが若干ほかの条約の場合と違うということでございます。したがいまして、その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

同様の問題は、ソ連との間でも、中国との間でも起きている。
1991年3月26日参議院内閣委員会での、シベリア抑留者に対する質疑では、「条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか」という質問に対して、高島有終外務大臣官房審議官が、こう述べている。

私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることにはならない。このことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。

徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

また、政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2018年11月2日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に、真摯で正確な理解を

一昨日(10月30日)、韓国大法院(最高裁に相当する)は、元徴用工が新日鉄住金を被告として起こした訴訟で被告に賠償を命じた原審判決を支持して確定させた。6年前の差戻し判決時から予想されていたとおりの内容の判決であって、いまさら大騒ぎすることではない。自国の判決であれ、他国の判決であれ、言論による判決批判は自由ではある。しかし、偏狭なナショナリズムから、大仰にその不当を騒いでみせるのははしたない。

歴史認識の如何によって、この判決に対する評価が分かれている。朝鮮(韓国)に対する旧天皇制政府の苛酷な植民地支配を否定的に捉える立場からは冷静にこの事態を受けとめ、歴史の反省を欠く勢力がことさらに憤懣を煽ってことを大きくしようとしている。

昨日(10月31日)の産経「主張」が、右派勢力の判決批判の典型だろう。「『徴用工』賠償命令 抗議だけでは済まされぬ」。抗議だけでなく、何をしろというのだろうか。これに対する批判を試みたい。

 戦後築いてきた日韓関係を壊す不当な判決である。元徴用工が起こした訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じたが、受け入れられない。

 「戦後築いてきた日韓関係」とはいったい何だったのか。誰と誰が、どのような「日韓関係」を築いてきたというのだろうか。いま、あらためてその内実を問い直さねばなない。徴用工だけでなく、従軍「慰安婦」、在韓被爆者、3・1事件被害、関東大震災時の虐殺被害にも、そして、 現在なお続く在日差別やヘイトスピーチまで、真摯な謝罪や対応、被害補償の必要な問題は山積している。これを拒み続けた「戦後日韓関係」ではなかったか。清算できていない過去は、問われ続けざるを得ないのだ。

判決は、新日鉄住金に対するものである。同社は、この判決を受け容れざるを得ない。産経や右翼勢力が「受け入れられない」と言うのは、新日鉄住金に対して、「受け入れるな」という威嚇にほかならない。これは、明らかな越権行為である。

 河野太郎外相は「友好関係の法的基盤を根本から覆す」とし、韓国の駐日大使を呼び抗議したがそれだけで足りるのか。政府は前面に立ち、いわれなき要求に拒否を貫く明確な行動を取るべきだ。

 河野太郎の「友好関係の法的基盤を根本から覆す」はよく分からない言い回し。私の耳には、「お宅の国は、近代的な司法制度などは整備されていないお国ですよね。裁判の内容は、政府の意向によってどうにでもなるはずでしょう。あんな裁判を出させないようにすることが、お互いの国の権力者同士の友好関係の法的基盤なのですから、政府が手を回して判決を変えなさい。」との恫喝に聞こえる。

河野太郎は、砂川事件判決を思い浮かべていただろうか。1959年3月、東京地裁(裁判長・伊達秋雄)は、安保条約に基づく米軍の駐留を違憲とし、駐留軍のための刑事特別法の効力を否定した無罪判決を言い渡した。
この判決をアメリカは、「友好関係の法的基盤を根本から覆す」事態と受けとめ、駐日アメリカ大使を通じて田中耕太郎最高裁長官に働きかけた。この判決を覆す理論の提供までしたのだ。その結果、「友好関係の法的基盤を根本から覆す」事態は回避されて、最高裁はその年の内に全員一致の大法廷逆転判決を言い渡している。

これが河野太郎の言う、「友好関係の法的基盤」なのだ。しかし、21世紀の独立国韓国の司法は、「アメリカ植民地」下の20世紀日本の司法とは違うことを見誤っているのではないか。

 韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)を相手取った訴訟の差し戻し上告審で、「植民地支配や侵略戦争遂行と直結した反人道的な不法行為」などと決めつけ、個人の請求権を認めた。
 史実を歪(ゆが)め、国同士の約束を無視する判決こそ法に反し、韓国司法の信頼を著しく傷つける。

 同判決は、徴用工個人の請求権一般を論じていない。「日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とした強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」だけを論じている。そして、限定されたこの「日本企業に対する慰謝料請求権」は、日韓請求権協定の対象に含まれていないと判断したのだ。史実を歪めてもいないし、国同士の約束を無視する判決でもない。「同判決が法に反し、韓国司法の信頼を著しく傷つける」という産経の主張は、判決に対する嫌悪感だけは分かるが、そもそも何を言っているのか理解できない。同判決が反しているという「法」とは何のことだ。韓国司法が誰に対する信頼を傷つけているというのか。筆の勢いによる書き過ぎ以外のなにものでもなかろう。

産経は、2010年の日韓併合から45年8月までの天皇制日本による朝鮮支配は違法でも反人道的でもないとい言いたいのだろう。実は、このことが法的解釈を離れた最大の問題点なのだ。「戦時徴用は当時の法令(国民徴用令)に基づき合法的に行われた勤労動員であり、韓国最高裁の判断は明らかに誤っている」と言ってのける産経主張は、意見の違いの拠って来たるところを明らかにしてくれている。

 戦後賠償問題は、1965(昭和40)年の日韓国交正常化に伴う協定で、日本が無償供与3億ドル、有償2億ドルを約束し、「完全かつ最終的に解決された」と明記された。無償3億ドルに個人の補償問題の解決金も含まれる。

法的な問題はまさにここだ。「無償3億ドルに個人の補償問題の解決金も含まれるか」が、韓国の法廷で争われた。全員一致ではなかったが、大法院の多数意見が、「本件不法行為による慰謝料請求権は、日韓請求権協定における個人の補償問題の解決金に含まれない」と明確に判断した。6年前の大法院差戻し判決と同じ判断。旧日鐵は事実上この時に敗訴したのだ。

大法院広報官室は、判決言い渡し直後に報道資料として日本語による判決解説を発表している。A4・11頁の丁寧な内容。日本語としてはややこなれていない感もあるが、煩瑣を厭わず、できるだけ正確に要約しておきたい。

同判決の主要争点は4点に整理されている。
① 原告に対する日本の裁判所の判決の効力と既判力 (上告理由1点)
② 被告が旧日本製鉄の債務を承継して負担するのか否か (上告理由2点)
③ 日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か (上告理由3点)
④ 被告が消滅時効完成の抗弁をすることができるか (上告理由4点)

判決は、上記の「③ 日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか」を「核心的争点」とし、報道資料は丁寧な解説をしている。

上記③の争点については、下記のとおり大法官(最高裁裁判官)間で見解が分かれた。
● 請求権協定は、
 前文において、「大韓民国と日本国は、両国及び両国国民の財産と両国及び両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望し…”と定めた。
 第1条において、日本が大韓民国に3億ドルを無償で提供し、2億ドルの借款を行う事にすると定め、続いて
 第2条 1項で“…両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が… 完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する。”と定めた。
 第2条3項では“…一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする。”と定めた。
● 請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)では、“…請求権に関する問題には韓日会談で韓国側から提出された対日請求要綱‘8項目’の範囲に属する全ての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。”とした。
● このような請求権協定などの解釈上、
 1)原告らが主張する慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたと見ることができるのか、
 2)含まれるとしたら、それによる効力はどうなるのか、すなわち、権利自体が消滅するのか、外交的保護権だけが消滅するのか、そうでなければ実体法上消滅するのではないが、権利行使が制限されることになるのかなどが本件の争点である。

以上のように問題を整理して、判決の多数意見を次のように紹介している。
多数意見:原告らの慰謝料請求権は請求権協定の適用対象に含まれない
 本件で問題になる原告らの損害賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結された日本企業の反人道的な不法行為を前提にする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」)である(未払い賃金や補償金を求めるものではない)。これは下記のような差戻し後の第2審判決の事実認定に基づくものである
● 日本政府は日中戦争と太平洋戦争など、不法的な侵略戦争の遂行過程で、基幹軍需事業体である日本の製鉄所に必要な人力を確保するため、長期的な計画を立てて組織的に人力を動員し、核心的な基幹軍需事業体の地位にあった旧日本製鉄は、鉄鋼統制会に主導的に参加するなど、日本政府の上記のような人力動員政策に積極的に協力し人力を拡充した
● 原告らは当時韓半島と韓国民たちが日本の不法的で爆圧的な支配を受けていた状況で、将来日本で処することになる労働内容や環境についてよく分からないまま、日本政府と旧日本製鉄の上記のような組職的な欺罔によって動員された
● なおかつ原告らは成年に至っていない幼いときに家族と別れ、生命や身体に危害を被る可能性が非常に高い劣悪な環境で危険な労働に従事し、具体的な賃金額も分からないまま強制的に貯金をしなければならなかったし、日本政府の残酷な戦時総動員体制で外出が制限され、常時監視を受け脱出が不可能であったし、脱出を試みたのがばれた場合、残酷に殴打を受けたりもした
 このような「強制動員慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない
● 請求権協定は日本の不法的植民支配に対する賠償を請求するための交渉ではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意によって解決するものであった
 サンフランシスコ条約によって開催された第1次韓日会談で、いわゆる‘8項目’が提示されたが、これは基本的に韓・日両国間の財政的・民事的債務関係に関することであった。上記8項目のうち、第5項に‘被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求’という文句があるが、これも日本植民支配の不法性を前提にするものではなかった。
 1965.3.20.大韓民国政府が発刊した‘韓日会談白書’によれば、サンフランシスコ条約第4条が韓・日間請求権問題の基礎になった明示しており、更には“上記第4条の対日請求権は勝戦国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国ではなく第14条規定による戦勝国が享受する‘損害及び苦痛’に対する賠償請求権を認められることができなかった。このような韓・日韓請求権問題には賠償請求を含ませることができない。”と説明している
 請求権協定文やその付属書のどこにも日本の植民支配の不法性を言及する内容は全くない
● 請求権協定第1条によって日本政府が大韓民国政府に支給した経済協力資金(無償3億ドル、有償2億ドル)は、第2条による権利問題の解決と法的な対価関係があると見られるかも明らかではない
 2005年民官共同委員会の発表などを通じて分かる大韓民国政府の立場も、政府が受領した無償資金のうち、相当金額を強制動員被害者の救済に使わなければならない責任が‘道義的責任’に過ぎないということである
● 請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を基本的に否認し、これによって韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかったが、このような状況で強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたとするのは難しい。

要するに、「幼いときに家族と別れ、生命や身体に危害を被る可能性が非常に高い劣悪な環境で危険な労働に従事し、具体的な賃金額も分からないまま強制的に貯金をしなければならなかったし、日本政府の残酷な戦時総動員体制で外出が制限され、常時監視を受け脱出が不可能であったし、脱出を試みたのがばれた場合、残酷に殴打を受けたりもした」という態様の「強制動員慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない。だから、この条約締結によって消滅していないのだという。

あとは、多くを語る必要はない。主権国家の司法部による国際条約の解釈に批判の意見はあり得ても、受容し尊重するしか途はない。むしろ、あらためて日本の植民地支配の実態を見つめ直し、その負の歴史を清算し得ていないことを再認識すべきなのだ。

その上でのことだが、日韓両国の真摯な再協議で、両国関係の再構築に知恵を絞るべきが至当と言うべきだろう。その場合に、まず考えられるのは、日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続である。

念のため、抜粋しておこう。

第3条
1項 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。
2項 前項の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された仲裁委員が当該期間の後の30日の期間内に合意する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。
3項 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが30日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。
4項 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする

かつて韓国の憲法裁判所は、慰安婦問題について、下記のような決定を出したことがある(2011年8月30日)。事案は、元従軍「慰安婦」とされた人々が請求人(原告)となって、外交通商部長官・現外交部(外務大臣に相当))を相手に、 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続をしないことの違憲確認を求めたもの。

その主文が、以下のとおりである。
 請求人ら(原告・元「慰安婦」)が日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が「日韓請求権協定」第2条第1項により消滅したか否かに関する日韓両国間の解釈上の紛争を上記協定第3条が定めた手続に従い解決していない被請求人(外交通商部長官・現外交部(外務大臣に相当))の不作為は,違憲であることを確認する。

これは、憲法裁判所ならではの主文であり、韓国国内での効力しか持たない。いま、両国関係の再構築のために、この仲裁手続の活用を真摯に模索すべきではないだろうか。
(2018年11月1日)

日本軍「慰安婦」問題の本質とは何なのか

ずいぶんと以前のこと。同世代の親しい弁護士との雑談のなかで、お互いの父親の出征体験が話題となった。私の父も彼の父も、招集されて大陸での従軍を経験している。

彼の父親が亡くなって遺品を整理したら詳細な従軍中の日記が出てきたという。生前は見せなかったその日記に、心ならずも慰安所に通っていたという記載があって衝撃を受けたという。そのことを話す彼は、辛そうだった。

私の父は絵を得意として、従軍中の日記は絵ばかりだった。ソ満国境の街角、四季の風景や人物画、野生動物の写生もあった。軍人が出て来るのは隊内での演芸大会の模様だけ。その日記からは戦争や軍隊の陰惨さは窺えなかった。今にして、日記に書けないことが多かったのだろうと思う。

「終戦後」に育ったわれわれの世代は、子どもの頃、大人たちが中国大陸や南方で、「悪いこと」「後ろめたいこと」をしてきたことをなんとなく知っていた。知っていたが、表だって話すことはなかった。しかも、なんとはなく、殺人やレイプや慰安所通いなどの、「悪いこと」「後ろめたいこと」をやったのは、「軍隊」「軍人」「皇軍」という抽象名詞の仕業だと思い込むところがあった。

ところが、突然「お前の父のやったことだ」と突きつけられると、うろたえざるを得ない。戦争の加害責任は、日本人の精神の奥底に暗く沈潜した澱のようなものだ。従軍慰安婦問題とはそのような質をもった、できれば話題から避けたい、触れたくない問題だった。

だが、現実は重い。歴史を変えることはできない。逃げることはできない。再び繰り返してはならない過去であればこそ、ありのままの事実を認識しなければならない。歴史を修正したり、美化することは再びの犯罪にほかならない。

「従軍慰安婦」と言うにせよ、日本軍「慰安婦」と言うにせよ。平時にはあり得ない無惨なことが戦地だからこそ起きる。そのような問題として、「加害も被害も、戦争さえなければ」という視点で語られてきたように思う。ところが、その視点はけっして確かなものではない。もっと、本質を掘り下げよとの指摘がある。

私の法律事務所の間近に、「文京区男女平等センター」がある。地元の市民運動が大いに利用している様子で結構なことだ。昨日(10月27日)、そこで「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」が学習会を開いた。

その学習会で配布された機関誌「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナールNEWS(第33号)」のヘッドラインが、「なぜ日本人「慰安婦」は名のり出られないか」だった。これに考えさせられている。

恥ずかしながら、そのような問題意識を持ったことがなく、虚を衝かれた思いが強い。なるほど、日本人「慰安婦」は多数いたはずだ。でも、「どうして名のり出られないか」と考えたことはなかった。改めて、「名のりたくても名のり出られないのだろうか」「名のり出るべきなのだろうか」「名のり出るべき環境を整えるべきなのだろうか」「私のような鈍感さが名のり出を妨げているのだろうか」。いろいろと、考え込まざるを得ない。

「後ろめたいこと」をやったのを「皇軍」の誰かであるというよりは、固有名詞をもった誰かであることを特定することによって、格段のリアリティが生じる。被害者も同じことだ。金学順さんの「名のり」は、まぎれもなく印象的で感動的な行為だった。歴史を動かした「名のり出」だった。日本人慰安婦も同様だろうか。

この「NEWS」は、第27回ゼミとして行われた大阪大学大学院の藤目ゆき教授講演の報告をトップに載せている。その演題が「なぜ日本人『慰安婦』は名のり出られないか」なのだ。

なぜ、日本人「慰安婦」は名のり出られないのか。講演によれば、「それは誰も名のり出ることを助けようとしないからだ」という。
内務省、外務省と軍が連携して設立した「慰安所」は、公娼制度の最たるもの。「当時は公娼制度があり合法、当たり前だった」という言説に、だからこそ日本人は「悪法が横行し人権が無視されていた過去」を国家の非と認め、被害者に賠償し、世界に現在の日本は過去とは違う」と表明すべきなのだという。「戦時」の「強制」であろうとなかろうと、性にまつわる搾取を厳しく断罪する立場のよう。「公娼制度に則ったものだから違法ではない」ではなくて、公娼制度とは国家ぐるみの悪だという。それはそのとおりだが、だから「被害者よ、名のり出でよ」となるのだろうか。考え込まざるを得ない。

同教授の講演要旨がA4・2枚の紙面に、細かい字でびっしり書き込まれている。その締めの一文が、「(最後に)希望」として、次のとおり、問題意識をまとめたものになっている。

  日本人「慰安婦」問題を「戦時下の特殊な状況の中で発生した特殊な問題」として切り取るのではなく、その前後左右にある「人々に対する国家暴カシステム」の中に位置づけ、過去(天皇制警察国家時代)を制度的にも理念・思想的にも清算すること。

 これまで私は、「慰安婦」問題を、まさしく「戦時下の特殊な状況の中で発生した特殊な問題」として考えてきた。「戦時下においてこそ、かくも理不尽な人権侵害が起こる。諸悪の根源としての戦争を起こしてはならない」という文脈である。それが、問題の本質を衝くものではない。もっと根源的な「人々に対する国家暴カシステム」としてとらえよ、というのだ。「公娼・日本軍「慰安婦」・占領車「慰安婦」」と連続的に考察する視点は説得的で、軽いカルチャーショックである。

このことに関連して、大森典子弁護士が、この「NEWS」に、以下の囲み記事を掲載している。

「#MeToo」運動と「慰安婦」問題

8月12日、「全学順さんから始まった#MeToo」と言う集会が聞かれました。1991年8月14日に金字順さんが初めてテレビカメラの前で被害を告白してから、「慰安婦」被害者のカムアウトが続き、「慰安婦」問題は一挙に大きな社会問題になりました。そこでこの日(8月14日を「慰安婦」メモリアルデーにしようという運動が数年前から世界で広がっています。
 今年、日本では、この記念日のイベントとして[#MeToo]運動と[慰安婦]問題を結びつけて考えようという集会が開かれました。
 日本人の「慰安婦」被害者が極く数名の方以外、名乗り出ていないことは、最近、改めて関心を集めています。川田文子さんはそうした日本人被害者との交流とその中で感じた日本社会の問題を語り、被害者の名乗り出を阻んでいる実情を語りました。
 また、角田由紀子弁護士は日本の法制度が性暴力被害者のカムアウトを困難にしていること、その背景にある女性への差別が社会の様々なところに現れていること、この構造を維持するために、言い換えれば男性優位社会を維持するために被害女性の闘いがつぶされようとしているのではないか、という問題提起をしました。
 改めて日本社会の差別の根の深さを考えさせられ、また、そうであるならなおのこと、あらゆる場面に現れている差別をなくさせる運動の重要性を考えさせられた集会でした。」

 すこし時間をかけて、指摘を受けとめ考えてみたい。
なお、「NEWS」の講演要旨は長文である。私の恣意によるものではあるが、下記に抜粋を引用させていただく。

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大阪大学大学院教授・藤目ゆき氏講演要旨抜粋
日本人「慰安婦」問題と公娼制
「慰安婦」問題と現在の女性への暴力

 キムハクスンさんのカミングアウトに、千田夏光さんの本で「従軍慰安婦」を歴史的事実として知っていたが、性暴力をうけることが恥辱とされている中で、被害をうけた女性がメディアに登場し怒りを全身全霊でアピールされる姿に感謝と敬愛を感じた。様々な抑圧の中でレイプなど性暴力をうけた女性たち、性売買の場にいた公娼、「慰安婦」などの日本女性は公的に告発しようにも証拠がない。キムハクスンさんたちの性被害の実態を満天下に認めさせる闘いは、名乗れずにいる日本人女性たちの解放に繋がり、励ましになると受け止めた。「慰安婦」の運動が日本の女性の解放運動と捉えたものにならなかったのは、問題だったと思う。

☆ 日本軍「慰安婦」制度の根底に公娼制度がある

 かって朝鮮民主主義共和国のハルモニから、「日本人は、私達がお金をもらったと言うが、日本人はお金をもらえば、自分の姉、妹、娘たちにそういうことをさせていいんですか」と、反語の意味で問われたが、日本人は平気でそれをやってきたのだ。公娼制度を作り、娘が売り稼ぐのが親孝行だという社会だったから、朝鮮や台湾、東南アジアなど外国の女性たちを、レイプできたのだ。
 日本人「慰安婦」は売春婦、公娼だったが、アジアの少女たちは無垢な乙女がレイプされ気の毒だったというような話ではないだろう。日本人女性たちは自国の階級支配や人権蹂躙そのもの、反民主的な天皇制国家の抑圧の下で奴隷にされ、自分が奴隷であるという自覚もなしに外国への侵略戦争に駆り出されていったみじめさを問題にせずにどうするのか?
 日本の公娼制度は「慰安婦」制度の歴史的な根底である。それを根底から批判し、日本がそもそも公娼制度を持っていた罪を罪としてしっかり認識するということにもっていかなければならないと思う。まともな謝罪、国家賠償をしないままで「慰安婦」を逝かせてしまう日本政府のやり方を許してきた日本の実態は何なのか?そのことに私は嘆きと憤りを筧える。

☆ なぜ日本人「慰安婦」が名乗り出られないのか?
  ~日本人「慰安婦」が不可視化された構図

 「ヘイト言説たる『慰安婦=公娼論』」VS「対抗言説としての『慰安婦≠公娼』論
 日本人「慰安婦」が名乗り出られない理由ははっきりしている。日本の力ある市民が誰も名乗り出てと呼びか けもしないし、それを助けようともしない。「慰安婦」にされた女性だちと闘う準備のある人々の力は弱かった。
 それには、キムハクスンさんの名乗り出以来の一貫したバッシング、ヘイトスピーチがある。国会議員、文化人、自治体首長などが「慰安婦」は売春婦だと平気で主張し、マスコミがそれを報道する。これに対抗して「売春婦じゃありません」「公娼制度とは違って引っ張ってきた」「わが民族の少女たちは商売と関係なしに監禁され銃剣で脅された」という議論のなかで、どういうべきか悩んで慎重に議論しようとしてきた。
 日本軍「慰安所」は内務省、外務省と車が連携して設立した公娼制度の最たるものだ。「慰安婦」はある意味最も典型的な公娼だ。吉見義明先生は「慰安婦」は公娼でないという意見だが。運動側がたてている公娼の違法か合法かの論理が、日本人「慰安婦」たちの不可視化を一層深くしたと指摘しておきたい。「『慰安婦』は当時は合法で当たり前だった」というヘイト言説に対して批判側が日本には戦前から公娼制廃止運動があった、当時の法律でも違法だったと強調する人がいる。しかし本当なら「悪法が横行し、人権無視が当たり前の時代と今は完全に追う」と言うべきだ。公娼制度を非として認め被害者に謝罪、賠償することが過去を清算する道ではないか。

☆ なぜ日本人「慰安婦」はカミングアウトしなかったのかーなぜRAAが政治問題にならなかったのか一日本社会に受け皿がない(カミングアウトを求める主体が脆弱)
①今日に続く「公娼」に対する「醜業婦」観
 日本社会には「公娼」・「売春婦」といえば最大級の侮蔑用語となる社会通念がある。国際社会での売春禁止の意味を真逆の意味に変えて、「売春の禁止」と[他人の売春からの搾取の禁止」を混同し女性の行為を醜業とみなし、それを犯罪とした。
②ナショナリズムによる支えが存在しない
 日本人「慰安婦」は「愛国心があったから、被害者性が薄いから名乗りでない」という意見は理解できない。
 戦時下では植民地の女性達にも皇国臣民たれということが押し付けられた。被女たちは戦後日本の支配からの解放で、愛国心の呪縛から解放され、民族的に悲劇を代表する人物としてナショナリズムによって同胞に支えられている。日本社会では、こんなことを言えばぽこぼこにされる。日本人女性たちは被害が軽いから名乗り出ないのではなく、被害の重さ、同胞によって蹂躙された加重的な抑圧がある。

☆ 戦前・戦中の支配層・戦犯が君臨してきた戦後日本社会と政治
 公娼・日本軍「慰安婦」・占領車「慰安婦」に対する搾取と暴力を主導してきた内務官僚(警察官僚)特に特高畑が一時的な公職追放のみで日本社会にすぐ復活している。このような戦後の支配構造に日本軍「慰安婦」問題が解決できなかった一番の理由があり、日本人「慰安婦」が名乗り出られない一番の理由があるのではないか。

(2018年10月28日)

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」

1868年10月23日、150年前の今日。「明治改元の詔」なるものが出たのだという。「それがどうした?」「だからなんだ?」「改元が目出度いか?」と言いたいところだが、政府は8月10日の閣議で、政府主催の記念式典を行うことを決定。本日(10月23日)永田町の憲政記念館で「明治150年式典」が開催された。安倍政権は、明治150年を祝賀しようという。ならば、われわれは「天皇専制と戦争の近代史」を思い起こす日にしようではないか。

2003年10月23日、15年前の今日。都内公立学校の全教職員に、学校儀式における「日の丸・君が代」への起立・斉唱をを強制する「10・23通達」が発出された。当時の都知事は石原慎太郎。以来、不起立・不斉唱での懲戒処分件数は、延べ483件に上っている。都内の公立校に、思想・良心の自由はない。教育現場は荒廃している。今日は、学校現場における思想・良心の自由獲得の重大さを思い起こすべき日でもある。

100年前の今日、制度が変わったわけではない。法が制定されたのでもない。先代天皇(孝明)の死亡の日ですらない。それまでの慶應が、幾つかの候補(一説に7案)の内から、明治と決められたというだけの日。しかも、当時は旧暦で(慶応4年)9月8日だった。そして、改元の効果は、その年の旧暦1月1日に遡るとされた。10月23日に、いったい何の意味があるのか分からない。

問題は、何ゆえ明治150年が記念に値するのか。国費を投じて式典まで行う必要があるのか、ということ。

この点、8月時点で菅義偉官房長官は、明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べたにとどまる。「明治以降のわが国の歩みを振り返り」「未来を切り開く契機」との関係がさっぱり分からない。

「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、天皇を国民統合の中心と戴いて国威を発揚してまいりました輝かしい時代であったと申せましょう。この我が国固有の歴史に誇りをもって、国の未来を切り開く契機にいたしたい」なのだろうか。

あるいは、「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、その前半は天皇制官僚と軍国主義者との横暴が猖獗を極めた専制と戦争の時代でありました。また、その後半は、専制や戦争あるいは差別を克服しようとして道半ばの時代と言わねばなりません。総じて、150年を徹底して反省することをもって、これからのくにの未来を切り開く契機にしなければなりません」ということなのだろうか。

同様のことは、「明治100年」の際にも問われた。このとき(1868年10月23日)にも政府主催の記念式典が開催された。会場は北の丸公園の日本武道館、天皇・皇后(先代)も出席してのこと。今回の式典は盛り上がりに欠ける。天皇(明仁)の出席もなかった。

ところで、本日の赤旗第2面。下記の記事が掲載されている。明治150年記念式典・出席せず」「小池氏・趣旨に同意できない」という見出し。

 小池晃書記局長は22日の記者会見で、23日に開かれる政府主催の「明治150年記念式典」について問われ、「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」として、式典に参加しないと表明しました。
 小池氏は、「閣僚の『教育勅語』容認発言のように戦前を美化したり、9条改憲によって『戦争をする国』に向かおうという安倍首相の意向が背景にある」と強調し、「式典の趣旨そのものに同意できない」と述べました。

 産経が、これを記事にしている。「共産、明治150年式典欠席へ」「前半は負の歴史」という見出し。

 共産党の小池晃書記局長は22日の記者会見で、東京・憲政記念館で23日開かれる明治改元150年記念式典に同党として欠席すると表明した。「150年の前半は、侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史がある。明治以降を丸ごと祝い、肯定するような行事に参加できない」と語った。
 関係者によると、会場には国会議員向けの席が用意される予定。小池氏は式典について「教育勅語の礼賛や、憲法9条改定により戦争する国造りを進めようという安倍晋三首相の強い意思が働いている」と指摘した。

 この「改元150年記念式典出席拒否」には全面的に賛同の意を表したい。「儀礼的なものに過ぎないから」「国会議員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なことだから」「他の野党との連携上、やむを得ない」などといわずに、きっぱりと出席を拒否したことを評価したい。

明日(10月24日)が臨時国会の開会式。望むべくは、玉座の天皇が議場の国民代表を見下して「開会の辞」を述べるという、国民主権に屈辱的な、あの儀式への参加もきっぱりと拒否してもらいたいところ。

東京新聞(こちら特報部・2018年10月17日)は、150年祝う政府式典 反対集会23日に同日開催 『明治礼賛』に異議あり」を特集している。下記のとおり、立派な姿勢だ。

 「明治150年」を記念する政府の式典が23日、東京都内で開かれる。近代国家の礎を築いた栄光の時代をたたえる趣旨だが、同じ日、アジア侵略につながった負の歴史を批判する団体も反対集会を開く。平等を説きながら差別をなくせなかった時代を礼賛するとして、沖縄の人々やアイヌ民族も複雑な思いを抱く。改憲に前のめりの安倍政権で迎える節目は、どんな意味を持つのか。

 10月21日、「10・23通達」抗議の集会が開催されている。明治150年、その前半は暗黒の時代だった。後半も人権や民主主義にとってけっして明るいばかりの時代ではないことを「10・23通達」による「日の丸・君が代」強制の実態が教えている。常に、権力に対する抗議が必要なのだ。

日の丸・君が代の強制を合理化してはならない。「儀礼的なものに過ぎないから」「教員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なこと」「世論状況でやむを得ない」などといわずに、きっぱりと「日の丸・君が代」強制に抗議の声を上げていただきたい。
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下記は、本日付赤旗の「主張」。明治150年・近代日本の歩み検証する視点」というタイトル。さすがに赤旗、この論説は、行き届いた正論である。赤旗とは無縁な人のために、全文を紹介しておきたい。

 「上からは明治だなどというけれど 治明〈おさまるめい〉と下からは読む」―徳川幕府が倒れて明治新政府ができたとき、東京と改称された江戸の民衆はこんな狂歌をよんだと伝えられています。

 150年前の1868年、旧幕府側と薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍との間で戊辰戦争が始まり、新政府は「五箇条の誓文」を公布し、江戸城が無血開城されました。そして、年号が慶応から明治に改元されました。

特異な一面的礼賛の姿勢

 きょう政府は都内で「明治150年記念式典」を開催します。1868年10月23日に明治改元があったことを記念し「明治以降の我が国の歩みを振り返り、これからの未来を切り開く契機とする」(菅義偉官房長官)との触れ込みです。安倍晋三政権は2年前から「明治150年」キャンペーンを展開してきました。

 首相自身、今年の年頭所感で「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました」「近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人」と強調しました。きわめて一面的な「明治」礼賛です。戦前と戦後の違いを無視した時代錯誤の危険な歴史観がにじんでいます。
明治維新によって身分制が改められるなど、政治変革の激動のもとで急速な近代化が進んだのは事実です。しかし、明治政府がおこなったのは「富国強兵」「殖産興業」の名のもとに、資本主義化を推進し、労働者や農民から搾取と収奪をすすめることでした。

 それと並行して、欧米列強に対抗するために徴兵令(1873年)を公布し、台湾出兵(74年)や江華島事件(75年)などアジアへの侵略の歩みを進めました。また、蝦夷地(えぞち)を「開拓」してアイヌ民族を差別し、琉球処分を強行して沖縄を一方的に支配下に組み込みました。国民の政治参加を求めた自由民権運動は抑え込まれました。

 明治政府がうちたてたのは、大日本帝国憲法(1889年)のもとで、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治でした。そのうえ教育勅語(90年)を制定し、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」―つまり“国家危急の時は天皇のために命をささげよ”と国民に強要しました。

 戦前の日本共産党幹部で1934年に獄死した野呂栄太郎は、著書『日本資本主義発達史』(30年刊行)で、明治維新を「資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につかしむるための強力的社会変革」と指摘し、それによって生まれた政治権力を「絶対的専制政治」と明快に特徴づけています。

 明治政府は、日清・日露戦争を経て台湾や朝鮮半島を植民地化しました。昭和に入り1931年から中国への侵略戦争を開始、45年の敗戦までにアジア2000万人以上、日本国民310万人以上の犠牲をもたらしたのです。

根本に侵略戦争の肯定が

「明治150年」キャンペーンは、安倍政権が「日本会議」など過去の侵略戦争を肯定・美化し、歴史を偽造する勢力によって構成され、支えられていることと深く結びついています。過去の戦争の反省に根ざした日本国憲法の精神にたち、近代日本の歩みを検証することが強く求められています。

(2018年10月23日)

祝・「植村隆氏、金曜日の社長に就任」

「植村裁判を支える市民の会」のホームページが素晴らしく充実している。支援の質の高さを示して、さすがというほかはない。URLは以下のとおり。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトの昨日(9月26日)の記事に驚いた。「植村隆氏、金曜日の社長に就任」というもの。 金曜日とは、言わずと知れた「週刊金曜日」を発行する「株式会社金曜日」のこと。同誌は、これまでも植村訴訟支援の姿勢を堅持してきた。とは言うものの、植村さんがその出版社の代表取締役社長兼発行人に就任なのだ。私には、思いもよらなかったこと。明日(9月28日)、就任の記者会見をするという。

まずは、目出度い。祝意を述べねばならない。植村さんは、今わが国に跋扈している極右似非ジャーナリズムとの対峙の最前線に位置する人。政権ヨイショの御用文化人との厳しい対立関係にもある。その人が、孤立するどころか、有力メディアの代表者になった。植村裁判支援の輪も広がるだろうし、週刊金曜日の新たな読者層の開拓も可能になるだろう。それは目出度い。

とはいえ、目出度いばかりでもなかろう。雑誌メディアの経営は、今どこも順調ではない。もしかしたら、植村さんには経営環境改善の手腕を求められているのかも知れない。そうであれば大変なことだが、応援もしなければならない。

 

ところで、植村さんが原告となっている訴訟は2件ある。最初の提訴が東京地裁、次いで札幌地裁。いずれの訴訟も最終盤、間もなく判決期日を迎える。

東京訴訟の提起は2015年1月9日。朝日新聞の植村執筆記事を「捏造」とする西岡力(東京基督教大学教授)と、文芸春秋社を被告としての名誉棄損損害賠償請求訴訟。文芸春秋社が被告になっているのは、植村さんを捏造記者と決めつけてバッシングの端緒なったのが週刊文春の記事であったから。次回11月28日第14回口頭弁論で結審の予定。

札幌訴訟提起は15年2月10日。櫻井よしこと、週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊WiLLの発行元3社を被告とする同様の損損害賠償請求。本年(2018年)7月6、第12回口頭弁論期日をもって結審。11月9日(金)午後3時30分判決言渡しの予定である。

「支える会」は、2016年4月12日付で「設立趣意書」を公表している。
「植村さんとともに、さらに前へ」というタイトル。「さらに前へ」という呼びかけは、下記の共同代表7氏によるもの。
上田文雄(前札幌市長、弁護士)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授)

この呼びかけ文の抜粋で、事態を理解することができる。

 発端は、週刊文春2014年2月6日号の記事「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」でした。転職先に決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、植村さんは教授就任を断念せざるを得なくなりました。14年5月からは、非常勤講師を務める北星学園大学にも「国賊をやめさせろ」「学生をいためつける」など脅迫・嫌がらせのメールや電話が押し寄せ、ネット上に植村さんの長女(当時17歳)の写真と実名がさらされ「自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれる事態になりました。

 「大学、植村さん家族を脅迫から守ろう。私たちも北星だ」と立ち上がったのは市民です。北星学園大学に応援メッセージを送るなど大学を励ます「負けるな北星!の会」(略称・マケルナ会)には国内外の1000人が加わりました。全国の400人近い弁護士が脅迫者を威力業務妨害罪で札幌地検に刑事告発するなど、支援の輪は大学人、宗教者、市民グループ、研究者、弁護士、ジャーナリストなど各界に広がっていきました。この応援を力に、北星学園大学は14年12月、植村さんの次年度雇用継続を決めました。

 植村さんは「私は捏造記者ではない」と手記や講演で反論を続けています。朝日新聞の第三者委員会、歴史家、当時取材していた記者らによって完全否定されても、「捏造」のレッテル貼りは執拗に続いています。

 この間の異常ともいえる植村さん攻撃は、基本的人権、学問の自由、報道・表現の自由、日本の民主主義に向けられています。女性が生と性を蹂躙された日本軍「慰安婦」を、なかったことにし、歴史を書き換え、ものを言わせぬ社会に再び導こうとする黒い意志を、見逃すわけにはいきません。この裁判が植村さんの名誉回復のみならず、私たちの社会の将来に大きな影響を及ぼすと考える所以です。

 札幌訴訟が先行して証拠調べを実施し、櫻井よしこ尋問で、そのウソが明らかとなった。東京訴訟でも西岡力のウソが暴かれている。ウソで、人を「捏造記者」と決めつけ、恐るべきネット右翼のバッシングの導火線となったのだ。

以下は、「支える会」ホームページの本日(9月27日)付「西岡氏の批判広がる」の転載である。この訴訟に関心をよせていた人たちの櫻井・西岡に対する批判。植村バッシングとは何であるか。この問題の多面性が浮かびあがってくる。

以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野敬一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。

※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd
■望月衣塑子
めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
■佐藤 章
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。
■masa
慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。
■細かい情報?
西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
■まりーべる321
#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。
■World Peace Productions
#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎
■Hiroshi Takahashi
櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。
■佐藤 章
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
■渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。
■ Hiroshi Takahashi
櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。
■想田和弘
シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
■ソウル・フラワー・ユニオン?
西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。
■能川元一
西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。
■宋 文洲
嘘吐きはウヨの始まり
■m TAKANO?
植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。
■北丸雄二
「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。
■森達也(映画監督・作家)
ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。
■tany
<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。
■hiroshi ono
なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。
■西大立目
結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中
■デマを生む人信じる人の思考回路研究?
「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ?と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。
■you u you
これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?
■Kawase Takaya
人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。
■スワローヲタフク
西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww
■河原 淳
櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。
■akabishi2
司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー
■清水 潔
おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。
■T-T
櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。
■藤井 太洋
慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。
■河信基
この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。
■宿坊の掲示板ほぼbot
「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ
■Veem.atomic
朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?
■ウツボマン
しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。
■川上 哲夫
元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた
■toriiyoshiki?
「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。
■toriiyoshiki
朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。
■ryozanpaku
『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!

■Joshua Martin あたま抱え中?
2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた。
「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした!
「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした!
■根村恵介?
レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。
■omelette
【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」
■能川元一
あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。
■エリン
この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。
以下略

両訴訟の判決を楽しみに待ちたい。
(2018年9月27日)

東京都知事は、熊谷市の爪の垢を煎じて飲むべし。

毎日新聞・9月12日(水)夕刊の「特集ワイド」は、「関東大震災から95年 虐殺された朝鮮人の遺族来日」と題する文字通りワイドな記事。毎日は、いま日本のメディアがなすべき仕事をよくしていると思う。

中見出しに、「否定の動き、ヘイトスピーチ続く中… 伝える努力に希望」「『反省なき教育』が戦争になった」とある。井田純記者の署名記事だが、事件を見る視点に確かなものがある。

関東大震災から95年の今年、震災直後のデマで虐殺された朝鮮人の遺族、権在益(クォンジェイク)さん(62)と曺光煥(ソガンファン)さん(57)が韓国から来日した。事件ゆかりの地を訪ね、各地の追悼行事に参列しながら、市民と交流を重ねた。初めて日本を訪れた2人は、2代前の祖先が犠牲になった地を踏んで、何を感じたのか。

記事の一部を引用させていただく。全文は、(有料記事だが)下記を参照されたい。
https://mainichi.jp/articles/20180912/dde/012/040/006000c

権さんの母方の祖父は1923年、この寺(藤岡市・成道寺)の隣にあった藤岡警察署内で殺害された朝鮮人17人の1人。震災後、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を入れている」などのデマは群馬県内にも伝わり、各地で自警団が結成された。藤岡警察署は保護を求めてきた朝鮮人をかくまっていたが、9月5日、群衆が「朝鮮人を引き渡せ」と署に乱入、翌日にかけて竹やりや日本刀などで惨殺したという。
 安全が保証されていたはずの署内で起きた「藤岡事件」は、「藤岡市史」「群馬県警史」などにも記録が残る。事件後、地域住民らは犠牲者追悼の思いを込めて成道寺に慰霊碑を建立した。碑の裏には「今後再びこのような惨事の発生を断ち」と願う文言とともに、17人の犠牲者、建立に関わった藤岡市長らの名前が刻まれている。

震災後の関東一円で無数に生じた、民衆による朝鮮人虐殺事件の一断片である。このケースでは、朝鮮人を保護しようとした警察を群衆(自警団)が敢えて排除したのだ。無防備で無抵抗な朝鮮人に対する虐殺が警察署の庁内で行われたのだ。日本人の所業として「国恥」というしかない同胞による蛮行の一端である。

しかし、救いの一つは、「市史」「県警史」などに記録が残されていることだ。記録に残しておかねばならないとする良心の人が複数いたということなのだ。安倍政権の記録隠蔽改ざんの忖度官僚よりも、ずっと立派な人たちではないか。そして、地域住民らの手で犠牲者追悼の思いを込めた慰霊碑が建立され、成道寺では20年以上も慰霊祭が継続されているという。

だれがどのように殺戮をしたかを思いめぐらすと断腸の思いだが、他方、だれがどんなかたちで碑の建立を思い立ち、その思いがどんな風に広まって、どんな風に費用負担についての協議が調い、ことが実行されたのだろうか。その経過に日本人の良心を見ることができる。

同様の追悼行事は各地で続いているという。たとえば…、
埼玉県熊谷市では、95年から追悼行事を市が主催。市長、市議会議長が悲惨な出来事が二度と繰り返されないようにと追悼の言葉を贈る。だが、在日コリアンに対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)拡大の影響か、市に抗議電話やメールが寄せられることがあるという。市の担当者は「そういった方には、公的記録からも聞違いなくこの事件があったことがわかっている、と伝えています。犠牲者の冥福を祈り、再発を防止する趣旨の行事だとお話しします」と話す。

熊谷市。暑いだけでなく、人を思いやる心が熱い。いまだに国恥にまみれたままの東京都知事小池百合子は、この記事を読んだだろうか。この人には、熊谷市担当職員の爪の垢を煎じて飲ませたい。

横浜で震災後の朝鮮人虐殺の実態を調査している元教員が次のように語っている。この言葉は肝に銘じておこう。
「(デマと知っていたのに)デマだったと教えない教師、事件に対する反省のない教育が、次の時代の戦争を担う世代を準備したのです。」

この記事の最後は、こう締めくくられている。
先祖が殺された地を踏むことに抵抗があった、という曺さんは離日前にこう言った。「震災時の虐殺に関するフィールドワークや慰霊行事を続け、忘れずに伝えていこうとする日本のみなさんの努力に敬意を持っています。悪い日本人ばかりじゃない、ということを帰って伝えたい。韓国と日本が、力を合わせて記録と記憶を継承していきたいと願っています」

歴史的事実は消えない。民族差別を背景とした虐殺の「恥」は消えようもない。しかし、その事実を隠蔽し、あるものをないことにするのは、さらに恥ずべきことなのだ。痛みを伴う同胞の「恥」の事実を見据えるところからしか、未来は開けない。藤岡にも熊谷にも、良心の人がいたことに希望の光を見る思いである。

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9月10日に開始して、賛同者は本日(1 6日)6500筆を上回っています。

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(2018年9月16日・連続更新1995日)

9月1日は、「国恥の日」。

敗戦と平和を考える8月が去って、9月になった。本日は、個人的に「国恥の日」と名付ける9月1日。1923年の今日、関東地方をマグニチュード7.9の巨大地震が襲った。死者10万5千余といわれる、その甚大な被害はいたましい限りだが、震災は恥とも罪とも無縁である。3・11津波の被害を「天罰」と言った愚かで無責任な都知事がいたが、この言こそ不見識の極み。自然災害自体に可非難性はない。

私が「国民的恥辱」「日本人として恥を知るべき」というのは、震災後の混乱のなかで日本人民衆の手によって行われた、在日朝鮮人に対する大量集団虐殺である。これは、まぎれもなく犯罪であり刑罰に値する行為。人倫に反すること著しい。その事実から目を背け、まともに責任を追求しようとせず、反省も、謝罪もしないままに95年を徒過したことを「国恥」といわざるを得ない。そして、今なお、この事実に正面から向き合おうとしない日本社会の排外主義容認を「国恥」というのだ。

もちろん、日本の歴史に真摯に向き合おうという日本人も少なくない。日本の民衆が、民族差別と排外主義とによって在日の朝鮮人・中国人を集団で大規模に虐殺した事実を直視し、自らの民族がした蛮行を恥辱としてこれを記憶し、再びの過ちを繰り返してはならないと願う人々。

そのような思いの人々が、毎年9月1日に、東京都墨田区の都立横網町公園内の追悼碑前で、「朝鮮人犠牲者追悼式典」を開催している。今年も行われた、本日11時からの式典に参加した。多くの友人に遭って、挨拶を交わした。

「おや小竹さん、沖縄へお出かけと聞いていました。お忙しいのにご苦労様です」「忙しいんだけれど、小池都知事のあの態度でしょう。無理しても出席しなけりゃいけないと思ってね」こういう会話が多かった。

あの石原慎太郎でさえ、この式典には都知事としての追悼文を寄せていたのだ。ところが、小池百合子は昨年から敢えて朝鮮人犠牲者に対する追悼文の送付を中止した。歴史に向き合うことをせず、反省などするものか、という姿勢と批判されてもやむを得まい。今年も追悼文なしと報道されて、その都知事の姿勢への批判の高まりを反映して、追悼式参加者数は、昨年を大きく上回る700人に上った。メディアの取材もかつてなく規模が大きかった。

今年の式典での追悼の辞で特徴的だったのは、やはり小池知事の姿勢への批判。そして、朝鮮半島情勢変化の兆しの中で排外主義や民族差別を克服していこうという呼びかけ。参加者の真剣さを反映してか、いつにもまして感動的な追悼集会だった。

ところで、関東震災後の朝鮮人虐殺には、軍と警察が深く関わっていたことが広く知られている。軍と警察が民衆を煽った責任のあることは論を待たない。しかし、恐るべきことは、自警団という名の民衆が武装し、積極的に朝鮮人狩をして、無抵抗の人々を集団で撲殺し刺殺し縛って川に投げ込むなどの蛮行におよんだことである。特殊な右翼思想集団や狂信的国粋主義者の犯罪ということではない。犯罪者集団や犯罪傾向をもった集団が、殺人・傷害に走ったということでもない。平凡な普通の日本人民衆が、残虐な殺人・傷害を重ねたのだ。

関東一円に無数にできた自警団とは、町内会や自治会であり商店会にほかならない。ごく普通の地域住民がそのメンバーであった。つまりは、おぞましい集団虐殺の実行犯は私たちの父祖自身なのだ。なぜこんなことを起こしたのか。正確に知り、記憶しなければならない。そのための、「国恥の日」である。

この点に関して、東京新聞8月29日夕刊文化欄「大波小波」というコラムに、「『千田是也』の名の由来」という記事が出ている。これに、知人が「千田是也のペンネームの由来が、千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて虐殺されそうになった。という話は聞いたことがありましたが、千田是也が虐殺側の人間だったという事は知りませんでした」とコメントを寄せてきた。

同コラムは、「 劇団燐光群公演『九月、東京の路上で』(坂手洋二作・演出、今月5日まで)は、今の路上に溢れるヘイトと分断の禍々しい声から、95年前の朝鮮人虐殺という惨劇を黒々と呼び起こしてみせた。」と始まるが、中に次の記述がある。

「演劇人・千田是也の名が、震災直後の千駄ヶ谷で朝鮮人(コリアン)に間違えられ殺されそうになった体験に由来するのはよく知られている。ただし千田はそのとき、武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた。千田は被害者になりかかった加害者だったのである。」

なんとなく、朝鮮人狩や集団虐殺に踊らされたのは「無知な大衆」であって、知識階級は別だ、という思い込みがありはしないだろうか。多くの学者や文人が、そのような目でこの事件を語っている印象がある。しかし、千田是也までが実はそのとき、「武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた」となれば、事態はより深刻といわねばならない。

これについては、千田自身が書いた、詳細な手記が残されている。「潮」1971年9月号の『日本人100人の証言と告白』に掲載のものだという。千田の正直さと、問題の深刻さを教えられる。

「私のセンダ・コレヤという芸名の由来である(千駄ヶ谷をとって“千田” 朝鮮人つまりコーリアンをもじって“是也”というわけである)千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて殺されそうになった事件の起きたのは、大震災の二日目の晩だったとおぼえている。
 町々の炎が夜空を真っ赤にそめ、ときどきガソリンや火薬の爆発する無気味な音が聞こえ、余震が繰り返され、担架や荷車に乗せた負傷者たちの行列がつづく状況のなかで聞くと、朝鮮人が日ごろの恨みで大挙して日本人を襲撃しているとか、無政府主義者や社会主義者が井戸に毒を投げ込んだり、通り端で避難民に毒まんじゅうを配ったりしているとかいうバカバカしいデマが、いかにもほんとうらしく思えてくる。また、別な方面からの情報によれば、軍は目下、多摩川べりに散開して神奈川方面から北上中の強力な不逞鮮人集団と交戦中だという。
 そこで私も勇みたって、二階の長持ちの底から先祖伝来の短刀を持ち出して、いつでも外から取れるように便所の小窓のかげにかくし、登山ヅエを持ってお向かいの息子さんといっしょに家の前の警備についた。
 そのうち、ただ便々と待っているのも気がきかぬ気がして、敵情偵察かなにかのつもりで、千駄ヶ谷の駅にちかい線路の土手をのぼって行くと、後ろのほうで「鮮人だ、鮮人だ!」という叫びが聞こえた。ふりかえると、明治神宮の、当時はまだ原っぱだった外苑道路のヤミのなかを、幾つもの提灯が近づいてくるのが見えた。それを私はてっきり「不逞鮮人」をこっちへ追ってくるものと思い込んで、はさみ打ちにしてやろうと、そっちへ走って行くと、いきなり腰のあたりをガーンとやられた。あわてて向き直ると、雲つくばかりの大男がステッキをふりかざして「イタア、イタア!」と叫んでいる。
 登山ヅエを構えて後ずさりしたら「違うよ!違いますったら」といくら弁解しても相手は聞こうともせず、ステッキをめったやたらに振り回しながら「センジンダア、センジンダア!」とわめきつづける。
 そのうち、提灯たちが集まってきて、ぐるりと私たちを取り巻いた。見ると、わめいている大男は、千駄ヶ谷駅の前に住む白系ロシア人の羅紗ラシャ売りだった。そっちは朝鮮人でないことは一目でわかるのだが、私のほうは、そうもいかない。その証拠に、棍棒だの木剣だの竹ヤリだのマキ割りだのを持った、これも日本人だか朝鮮人だか見分けのつきにくい連中が「ちくしょう白状しろ」「ふてえ野郎だ、国籍をいえ」と私をこずきまわすのである。「いえ日本人です。そのすぐ先に住んでいるイトウ・クニオです。このとおり早稲田の学生です」と学生証を見せても、いっこう聞き入れない。
 そして、マキ割りを私の頭の上に握りかざしながら「アイウエオ」をいってみろだの「教育勅語」を暗誦しろだのという。まあ、この二つはどうやら及第したが、歴代天皇名をいえというのにはよわった。どうせ、この連中だってよく知っていまいと度胸をすえ、できるだけゆっくりと「ジンム、スイゼイ、アンネー、イトク、コーショー、コーアン、コーレイ、カイカ、スージン、スイニン、ケーコー、セイム、チューアイ……」
 もうその先は出てきそうもなくなったとき、ありがたいことに、誰かが後ろのほうから、「なぁんだ、伊藤さんのお坊っちゃんじぁねぇか、だいじょうぶです。この人なら知っています」といってくれた。近所の酒屋の若い衆である。すると、もう一人「そうだ、伊藤君だ」と青年団の服を着た男が前に出てきた。これは千駄ヶ谷教会の日曜学校にかよっていたころの友だちだった。
 私の場合のようにこうあっけなくすんでしまえば、ただのお笑いぐさだが、あの朝鮮人騒ぎではずいぶんたくさんの何の罪もない朝鮮人が殺された。朝鮮人に似ているというだけで――もともと大した区別はないのだから、その場の行きがかりで、ただ朝鮮人と思い込まれたというだけで多くの日本人が殺されたり、負傷したりした。いま思えば、あれは、ナチスのユダヤ狩りと同じように、震災で焼け出され、裸にされた大衆の支配層に対する不満や怒りを、民族的敵対感情にすり替えようとした政府や軍部の謀略だったのだろう。
 それにしても、私は一方的に被害者だったかのような事件の顛末であったが、その私自身も自警団のマネをして加害者たらんとした気持ちを動かしたのである。このときの経験から、朝鮮問題はあちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか、つくづくと思い知ったのである。(同氏の文章と談話をまとめた)」

改めて、日本人の中にある差別や排外主義の根深さを痛感するとともに、それを克服するために、「朝鮮問題は、あちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか」を実践しなければならないと思う。ことあるごとに、繰りかえし、辛い歴史を見つめ直し、語り継がねばならない。今日、9月1日はそのための「国恥の日」である。
(2018年9月1日)

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