澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「瑞穂の國記念小學院」入学予定の生徒と父母の皆さまへ

よい子のみなさん、お集まりなさい。お父さまお母さま方も、ご参列ください。

さあ、まずは天皇陛下のいらっしゃる宮城に向かって、みんなで遙拝しましょうね。それから、いつものとおり教育勅語を唱えて、「君が代」と「海ゆかば」を合唱しましょう。天皇陛下や皇室を敬い、立派な日本人になる気持ちを込めて唱うのですよ。

みなさんは、塚本幼稚園を卒業して、この春から新しくできる「瑞穂の國記念小學院」の一年生になります。その学校では、ほかの学校とは違った正しい日本人になるための教育をうけることになります。その正しい日本人としての心得を、これから安倍昭恵名誉校長先生がビデオメッセージでお話しになります。みなさん、しっかりお聞きしましょうね。

ご存じのとおり、安倍昭恵名誉校長先生は安倍晋三首相の奥様でいらっしゃいます。安倍晋三首相は、常々「今の時代はまちがっている。戦争に負ける以前の強く正しい、立派な日本を取り戻さなければならない」とおっしゃって、これまでの塚本幼稚園の教育をお褒めいただいてまいりました。奥様には、新設の小学校の名誉校長就任までお引き受けいただき、当学校法人森友学園にはいろいろ便宜をはからってただいたことを、心から感謝申し上げます。では、名誉校長先生のお話しのビデオのスイッチを入れます。

私が、「瑞穂の國記念小學院」名誉校長の安倍昭恵です。夫・安倍晋三は、右翼だ、軍国主義者だ、歴史修正主義者だと悪口を言われておりますので、本校のような、真正の右翼で、軍国主義で、歴史修正主義の教育支援をすることはなかなか難しいのです。そこで、妻である私が代わってお引き受けし、右翼の皆さまに安倍の本心を察していただくとともに、リベラルの皆さまから安倍への直接の攻撃を避けているわけでございます。

「瑞穂の國記念小學院」は、清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくることを目的としています。教育勅語を教育の基礎に据えて、教育勅語に書かれた理想のとおりの民草を育てることが校是です。生徒は教育勅語と五箇條のご誓文を暗記して毎日奉唱いたします。けっして、日本国憲法の条文を暗記させるなどいたしません。こうしてこそ、天皇陛下や皇室を敬い尊ぶ立派な日本人が育つのです。

たまたま、今日は紀元節です。日本という國の誕生日というおめでたい日。日本という國は万世一系の天皇がしろしめす國ですから、初代の天皇が即位した日をもって國の誕生日と定めたのです。

古事記には、次のように書かれています。
神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこ)の命、その同母兄(いろせ)五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議(はか)りたまはく、「いづれの地(ところ)にまさば、天の下の政を平けく聞(きこ)しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向(ひむか)より發(た)たして、…… かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやはし、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。

分かりやすく言えば、こういうことです。
昔むかし、「かむやまといはれびこ」という神様がいらっしゃって、日向の高千穗から東に征伐の旅を続け、土地土地の悪い神と闘い、苦労してやっつけて、畝傍の橿原宮まできて天下を治めた、というのです。

日本書紀には、「かんやまといわれひこのすめらみこと」が、即位して、「はつくにしらすすめらみこと」と称したとなっています。この方が、初代・神武天皇で、以来皇統が連綿と続いているのでございます。古事記にも日本書紀にも、これがいつのことかは、書いてありません。しかし、明治時代に、きっとこの日に違いないと、2677年前の2月11日に決めたのです。特に、大した根拠はないのですが、立派な日本人はそんなことは問題にしません。縄文期に国家の形成はあったのかしら、などと不敬なツッコミをしてはなりません。隣国朝鮮の檀君神話などは非科学的だと攻撃してもよいのですが、日本の皇室の尊厳をおとしめてはならないのです。

なぜ、皇室が尊いか。それは、皇室が神様の子孫であるからです。古事記には、こう書かれています。

天照らす大神の邇邇藝の命(ににぎのみこと)へのお言葉として、「豐葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあきの)水穗(みづほ)の國は、汝(いまし)の知(し)らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降(あもり)ますべし」

アマテラスオオミカミの孫がニニギノミコトで、その子孫が神武天皇なのです。「水穗(みづほ)の國」とは日本のことで、アマテラスオオミカミがおっしゃったとおり、「水穗(みづほ)の國・日本」は、ニニギノミコトの子孫である万世一系の天皇が永遠に治める国とされたのです。神様がそうおっしゃったのだから、絶対に間違いありません。このことを少しでも疑うものは、立派な日本人とは言えないのです。

私が名誉校長となった、「瑞穂の國記念小學院」の名前は、この古事記や日本書紀の「みづほの國」から取ったものです。この学校では、その名前のとおりの、立派な日本人を育てようというのですから、日本の国が便宜を払ってくれてよいはずと思います。

この学校の敷地は、近畿財務局から国有地を払い下げていただいて取得しました。この払い下げの件について、一昨日(2月9日)の朝日新聞が、あたかも裏に重大な疑惑があるような悪意の記事を書いています。今日(2月11日)の赤旗新聞もこれに続いています。

朝日も、赤旗も、敬神尊皇の心をもたない荒ぶる輩ですから、書いてあることを信用してはいけません。たとえ記事が真実と証明されてもです。真実などには、大した価値はありません。大切なのは、皇室と日本を敬い尊ぶ心であり、政権を支えようとする善意なのですから。

朝日の記事の見出しは次のとおりです。
「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」
国が本校の敷地を払い下げるにあたって、汚い裏工作があったのだろうと思わせる、意地悪な見出し。問題は3点ほどとなっています。

第1点。払い下げ価格が隠されていたこと。
国有地の払い下げ価格は公表が原則なのに、本件では公表されなかった。不審に思った、地元の豊中市会議員が情報開示を求めたが、却下された。朝日新聞も情報開示を求めて却下された。近畿財務局管内の類似払い下げ案件は36件あり、他の35件は全て公開されているのに、本件だけが非公開。これは、意図的な隠蔽ではないのかという指摘にほかなりません。常識的には、後ろ暗いところがあるから、値段を非公開に隠蔽したのだろうと思われても仕方がないようですが、けっして朝日や赤旗の尻馬に乗ってはいけません。

第2点。払い下げ価格が安すぎるという点。
報道のとおりだと、相場の10分の1程度の安い価格での払い下げだったようです。そして、財務当局は、朝日新聞の取材に対して、「価格は土地の個別事情を踏まえたもの。その事情が何かは答えられない」と話しているそうです。これだけ聞くと、朝日や赤旗の多くの読者が、何か不正なことが行われているのだろうと思うことになるでしょう。しかし、立派な日本人を育成するための小学校の敷地の払い下げなのですから、安ければ安いほどいいんじゃございません。

朝日の記事では、同じ土地について、「別の学校法人が森友学園より前に校舎用地として取得を希望し、路線価などを参考に『7億円前後』での売却を財務局に求めていた。これに対し、財務局から『価格が低い』との指摘を受け、12年7月に購入を断念したという。それから約4年後、近畿財務局は同学園(学校法人森友学園)に1億3400万円でこの国有地を売却したとみられている。」と意地の悪いことを書いています。どうせこの別の学校では、皇室の尊厳など教えないんだから、結果はよかったんじゃないでしょうか。

なお、その後の報道では、払い下げ土地内の廃棄物の除去費用をいくらに見積もるべきかが問題になっているようです。情報開示を求める裁判で、いずれは明確になることなのでしょうが、財務局や学校法人側の説明がいかにも歯切れが悪く、心配でなりません。

そして、第3点。この土地払い下げを受けた学校法人が、右翼的思想で安倍首相と通じて、特別のはからいを受けたのではないか。それでなくては、こんなに安くし、こんなに秘密にした理由の説明はつかない、という政治的なものです。

朝日も、赤旗も、あからさまにそこまで書いてはいませんが、普通の人が読めばそう読める記事の内容になっています。

朝日の記事は、「森友学園の…籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、ホームページによると、同校は『日本初で唯一の神道の小学校』とし、教育理念に『日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる』と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏」としています。

赤旗は、大きな見出しで、「名誉小学校長は安倍首相夫人」とし、「同小学校の名誉校長には、安倍晋三首相夫人の昭恵氏が就いています」と、私の写真まで載せています。政治的意図がありありですね。

なお、朝日は、「昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない」と意地悪を重ねています。確かに、質問状は届いていますよ。でも、何と答えても、次の矢が来ることになるではありませんか。じっとしているのが、一番利口なやり方でしょう。どうせみなさん、理解ある日本人。その内、忘れてくれますよ。

でも思うのです。この学校の教育の表向きは、「清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくる」こと。でも、「だんまり、ごまかし、不正直、裏工作」も上手にできなけれは世渡りなんてできませんよね。今回のこと、学校の姿勢や安倍政権の実態、世の中の裏表がよく見えて、生徒たちには、とてもよい勉強になったのではないでしょうか。プツリ。(ここでビデオメッセージは中断)
(2017年2月11日)

DHCにもアパホテルにも不買運動こそが有効な対応だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第95弾

昨日(1月18日)の当ブログの結論部分を再掲しよう。
消費者のDHC商品の購入が、DHCを太らせ、デマとヘイトの番組作りの資金となる。そこで、消費者諸君に呼びかけたい。とりわけDHCの顧客層に。
「あなたがDHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義を一歩後退させることになる。反対に、あなたがDHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義を一歩前進させることになる。」
DHC商品不買の運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだ。

この理は、当然のことながらDHCを標的とするものに限らない。また、「スラップ」「デマ」「ヘイト」問題にも限らない。民主主義社会での国民が、投票行動によらず消費者としての市場の選択権を行使して日々なし得る民主主義運動として、幅広いテーマでの有効性をもつ。このようにして、消費者が政治や社会を動かし得る側面に注目して、消費者主権という概念が生まれている。

消費者主権の担い手である自覚的な消費者は、ダボハゼの如く安い商品に飛びついてはならない。いかがわしい商品宣伝に踊らされてはならない。日々購入する商品が安全なものであるか、環境問題に配慮した商品であるか、フェアトレードを遵守したものであるかを吟味しなければならない。その選択が、商品の安全性だけでなく、環境問題、途上国の少年労働の問題にまで、影響を及ぼすのだ。

ブラック企業として名の出た企業の製品は買わない。そのような企業が経営する店には行かない。そのような振る舞いが、ブラックのままでは経営の継続ができないという教訓を社会に行き渡らせ、自身の労働条件の向上に資することにもなるのだ。さらには、ヘイトやデマを宣伝し、裏金で政治を操ろうとする経営者や企業の反憲法的行動に歯止めを掛けることも可能となる。スラップも同様だ。スラップ常連の企業の商品のボイコットが、この社会の言論の萎縮を回避することになるのだ。

DHCによく似た企業のよく似た経営者が、俄然話題となっている。アパホテルの歴史修正主義書籍問題だ。

「『アパホテルの全客室に、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき』と伝える動画が中国のSNS『微博』に投稿され、中国で大きな話題となっている。これについて、アパホテル親会社のアパグループが1月17日見解を発表した」と報じられている。

問題になった書籍は、アパグループ代表者の著書「本当の日本の歴史 理論近現代史 II」というもの。アパグループのホテルの各客室に置かれており、「南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである」などの主張が盛り込まれている、という。

この書籍を読んで「ショックを受けた」として、問題提起した米国人大学生の言が行き届いている。
彼(アパグループの元谷代表)には自分の本をホテルに置いたり言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客からお金を取っているのは不誠実」「彼の思想を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」というのだ。まったくそのとおりだ。

この本の内容はお粗末極まる。「いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです」というものなのだが、「定説と言われるものに囚われず」とは、定説の根拠を徹底的に分析し検証しようということではない。定説の根拠は一切無視して、結論ありきで素人見解の自説を述べるのだ、と言っているに過ぎない。

興味深いのは、「元谷は、『異なる立場の方から批判されたことをもって書籍を客室から撤去することは考えていない。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない』と、今後も書籍を客室に起き続けると表明した。」と報道されていること。

そのとおりだ。日本には言論の自由が保障されている。だから、このようなお粗末で劣悪な言論と言えども、公権力が取り締まることはできない。歴史修正主義者も、日本国憲法による基本権擁護の恩恵に与っているのだ。

かの動画投稿の大学生は、ネットでこう語っているという。
ここに泊まれば、彼の懐にお金が入る。事実を知って泊まるかどうか決めてほしい
これこそ、消費者主権行使の呼びかけなのだ。

「この動画は18日夕までの3日間で9500万回以上再生され、中国メディアは『右翼ホテル』などと一斉に報道。ネット上では『会員カードを切り刻み、友人に泊まるなと伝えた』『日本旅行はよいが、このホテルには泊まらないで』などの書き込みが続く(朝日)」。

アパホテルは、歴史修正主義宣伝とセットでの宿泊を勧誘している。その行為は自由だ。しかし、顧客の拒否の選択ももとより自由である。かの動画投稿の大学生は、多くの消費者に「正確な選択の前提条件」を提供したのだ。典型的な歴史修正主義言説としての「南京事件はなった」「中国のでっちあげだ」という言論を不快に思う人は、アパホテルに泊まってはならない。

資本主義というものは、それなりの合理性をもった制度である。DHCやアパホテルなどの非合理で憲法理念に反する企業に対しては、消費者主権を有効に働かせなければならない。まずは、その商品の不買運動が有効な第一歩である。
(2017年1月19日)
**************************************************************************
     「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

石田雄「『だれの子どももころさせない』ために」紹介

郵便受けにコトリと音がして、月に一度の「しのばず通信」が届いた。鶏のカットに「2017年迎春」の文字が添えられた1月7日付の新年号。「根津・ 千駄木地域憲法学習会」の会報で、A4・一枚裏表の超ミニコミ紙だが、133号と11年も継続しているのだからたいしたもの。

今号には、「『だれの子どももころさせない』ために」との標題で、石田雄さんが寄稿している。肩書は、「文京・九条の会」呼びかけ人。

念のために石田雄(いしだ たけし)さんをご紹介しておこう。1923年6月7日のお生まれだから、御年93歳である。著名な政治学者で東京大学名誉教授。学徒出陣の経験者として、「その生涯をかけて、どうしたら二度と戦争を繰り返さないか、を研究してきた学者」と紹介される方。

その石田さんの、時代への警鐘に耳を傾けたい。以下は、その抜粋である。

「今年は改憲への地ならしとして安倍政権が強行する既成事実としての軍事化に歯どめをかけることが、主権者としての私たちの課題となる。…安倍政権が「積極的平和主義」の名の下に海外での軍事力行使を敢行しようとする姿勢は、南スーダンヘの自衛隊派遣に関してもみられる。…軍事化にむけた既成事実のつみ重ねは、軍事力行使への警戒感を弱め、九条改憲反対の世論を変える役割を果たす。」

戦中派として考える
「アジア太平洋戦争に応召軍人として参加した者の反省として、このような軍事化への既成事実のつみ重ねは、1930年代後半に中国への武力行使拡大過程を想起させられる。この時期には昭和恐慌後の不満を排外的ナショナリズムに誘導した点でも、今日格差社会の不安を反中嫌韓に利用する方向との類似性を示す。
憲法に対する安倍政権の態度にもこの時期と共通性がある。自民党改憲案をみれば「和を尊び」「家族は、互いに助け合わなければならない」と道徳の要素強調がみられる点で、明治憲法より古い感じがする。実は1935年天皇機関説問題を通じて憲法に対する教育勅語の優位性が示された「国体の本義」(1937年)の考え方に近い。当時義務教育では憲法を教えず教育勅語だけを教え、軍人はその後軍の学校では軍人勅諭を教えられるが憲法は学はなかった。今日の国家主義者たちは、大正デモクうシーにも利用された明治憲法よりもむしろ「国体の本義」の考え方に親近感を持つといえよう。

これからどうする
「このように一方では時代錯誤的に古い要素を持ちながら他方ではトランプ現象とも共通した新自由主義による強者の権利と差別を主張する今日の国家主義政権の軍事化を阻止するために主権者は何を為すべきか。
60年安保の時、安倍の祖父岸信介をなやませた「安保改定阻止国民会議」の中核となった労働組合は、もはや動員力を失っている。それにかわって権力の軍事化に抵抗する新しい運動が生まれている。常に一人称単数を主語にに自分の考えを述べる「シールズ」(自由と民主主義のための学生緊急行動)、憲法を主題として地域の「憲法カフェ」で対話を進める「あすわか」(明日の自由を守る若手弁護士の会)、そして「だれの子どももころさせない」と世代をこえ国境をこえた平和の実現のために権力規制をしようとする「ママの会」(安保関連法に反対するママの会)などである。参院選ではこのような市民の連合が野党統一候補を支持しかなりの成果をあげた。
このように排外主義が感情に訴える同調性による動員に対抗して、個人の理性的判断による運動は日常的対話を基礎に徐々に広がっている。危機を叫んで短期的解決を求める企ては、不安を危険な方向に誘導される危険性がある。対話による知性的判断の拡大は時間を要するが着実に浸透し定着する。これをめざそう。
(いしだたけし「文京九条の会」よびかけ人)

石田さんの言う「排外主義が感情に訴え、社会的同調性による動員を呼び起こしている」現実が眼前にある。日韓慰安婦合意と釜山「平和の少女像」撤去問題をめぐっての、駐韓大使一時帰国の事態となった。また、非友好的で排外主義的な言説の蠢動が思いやられる。冷静な対応を呼びかける努力をしなければならない。

この一年、私も心しよう。「危機を叫んで短期的解決を求める」のではなく、時間を要するとしても、「対話による知性的判断の拡大」の浸透と定着をめざそう。それこそが、着実で確実な唯一の方法なのだから。
(2017年1月9日)

耳を澄ませば~「少女A(ソウル)」と「少女B(釜山)」のつぶやき

少女像A 釜山のBさん。こんにちは。私が、ソウルの日本大使館前で坐り続けている「平和の少女A」よ。

少女像B あら、ソウルのお姉様。私が、釜山の日本領事館前で坐りはじめた、「平和の少女B」です。よろしくね。

少女像A  暮れにはハラハラしてたのよ。せっかくのあなたのデビューの日に、強制撤去されて、運び去られたと聞いたものですから。

少女像B そうなんです。12月28日「日韓慰安婦問題合意」1周年抗議の日が、私の最初のお目見えの日。この日の午後1時前に私は、初めて公使館前に姿を現したの。でもね、4時間後には釜山市と東区の職員40人もが「違法だから撤去する」と、人々を蹴散らして私をトラックに乗せて運び去ったんですよ。とてもこわかった。

少女像A 恐かったでしょうね。でも、国中の人が声を上げてあなたを帰せと言ったのね。

少女像B  その電話やメールの数がすごかったみたい。釜山市のインタネットサイトがパンクしてしまったほどですって。

少女像A それで、30日には元の場所に戻されたのね。

少女像B 12月31日の午後9時から除幕式を行うことが決められていたの。もしかしたら、私のいないさびしい除幕式になるかも知れないと悲しい思いだったけど、市民の力で像を取り返して領事館前に設置できるとなって、釜山は55000人の大集会で盛りあがった。その集会参加者がデモ行進して除幕式に駆けつけてくれたの。とても感動的で素敵なセレモニーだった。

少女像A あなたが連れ去られた12月28日は水曜日で、ソウルの私のまわりにもたくさんの市民が「水曜デモ」に集まっていた。その皆さんが、あなたのことをとても心配していたわ。その人たちも、釜山市や東区に電話でお願いや抗議をされたのでしょうね。

少女像B ところで、ソウルのお姉様はいつから、日本大使館の前に坐っていらっしゃるの?

少女像A 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、日本軍「慰安婦」問題解決のために、日本大使館前で水曜デモをはじめたのが1992年1月8日。2011年12月14日がその1000回目を迎えたときに私がつくられ、それ以来私は坐り続けているの。ただ黙って、大使館をじっと見ているだけなのだけど。
歩道に埋め込まれた石碑には、「水曜デモ1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する」と韓国語・日本語・英語で刻まれてるのよ。

少女像B お姉様も私も、キム・ソギョン、キム・ウンソンご夫婦が制作されたブロンズ像よね。姉妹は今なん人いるのかしら。

少女像A 私とあなただけが有名だけど、それだけじゃない。韓国内に55人。アメリカのグレンデール市など、国外にも15人がいるそうよ。その中で、あなたが一番若いことになるけど、12月28日前には、あなたは秘密だったの?

少女像B  そうではないのよ。2015年12月に日韓慰安婦合意が「成立」した直後に、若い世代を中心に「未来世代が建てる平和の少女像推進委員会」が立ち上げられて、16年1月から募金活動をはじめているの。多くの人が、当事者を抜きにしたままで、両国の政府と政府が勝手なことをしたという怒りが大きかったのだと思う。

少女像A カンパはどのくらい集まったの?

少女像B  目標が7500万ウォン(724万円)だったけど、8500万ウォン(820万円)が集まったの。カンパをしてくれたのは168団体、19学校、そして5138人の個人。

少女像A 私はまったく無許可だったけど、あなたの方は、像を領事館前に置くことの許可は得なかったの?

少女像B 委員会は昨年の3月から東区に対して、日本領事館前の歩道に少女像の設置を許可してほしいと要請したの。釜山市民8100人の署名を提出もした。でも、東区は少女像が道路法上の施設には該当しないという理由で建設を許可しなかった。

少女像A 本当の理由はどんなことでしょう。

少女像B 委員会と交渉した東区の区長は、最初は「日本領事館前ではダメだ。それ以外のところならどこでも許可する」と言っていたんだけど、この区長さん日本領事と面会してからは、「どこもダメ。一切ダメ」となったんですって。

少女像A それで、私と同じように、許可の無いままの設置となったというわけね。

少女像B たくさんの人の電話やメールのおかげで、立派な除幕式ができてとても嬉しい。

少女像A 年が明けてからの日本政府の対応を、あなたどう思う。

少女像B 私、日本の政府って恐い。特に、あの日本の首相は恐い。

少女像A 大使と公使を一時本国に引き揚げる、と言って実行したものね。

少女像B 「約束を実行しない韓国の方が悪い」と言うんだけど、ヘンな約束をしたのは、日本の政府と韓国の大統領でしょう。韓国の国民は、大統領のやり方を認めていない。国民も当事者も関与してないのに、「最終的かつ不可逆的に解決される」ってあり得ない。おかしいですよね。「日本大使館近くの少女像については、韓国政府が適切に解決されるよう努力する」って、これもおかしい。政府の努力ではどうにも解決できないことでしょう。

少女像A 日本の首相のものの言い方を聞いていると、「謝ってあげた」「ホントは悪いと思っていないけれど、問題を解決しなければならないから謝ることにする」「謝ったから、もうこれで終わりだ」「これ以上、うるさいことを言うな」と聞こえるのよね。この人、日本が朝鮮や韓国に何をしてきたかを真面目に知ろうとしたことがあるのかしら。

少女像B 「いいか、一回だけ謝るぞ。一回こっきりだぞ」「二度とは謝らないから、蒸し返さないと約束しろ」と、こう言うんでしょ。これ、本当に謝る人の言葉ではあり得ない。

少女像A 問題は、従軍慰安婦だけのことではないのよね。日本は、国を奪い、文化を奪い、姓や言葉まで奪おうとした。植民地化以後の独立運動に対する大弾圧、関東大震災後の在日朝鮮人の虐殺…、そのすべてを「未来志向での解決を」という言葉でごまかそうとしてもね…。

少女像B  日本政府もひどいけど、韓国大統領も問題よね。よく分からないのは、朴大統領が、どうしてこんな「合意」を承諾したのかしら。

少女像A きっと、雲の上にいて、国民の気持ちが分からなくなってしまっているんだわ。

少女像B ね、私たちいつまで、ここに座り続けなけれぱならないのでしょうか。

少女像A 日本が、ドイツのような誠実な姿勢を見せてくれれば、私たちは、博物館か農家の庭先にでも引っ込んで余生を送ることができるんだと思うよ。私たちのとなりには、一脚の椅子があるでしょう。作者は、老いた元慰安婦の座るべき場所を象徴したそうだけど、そこに、子どもでも老人でも休ませてあげる。

少女像B でも、日本の今の首相じゃあ見込みはなさそうね。今の日本の保守政党が政権を握っているうちも無理のようね。

少女像A しばらくはこのまま、市民に守られてじっとしていましょうね。もうすぐの大統領選挙で、もう少しマシな政権になるでしょうし。

少女像B 日本の政権も変わってほしいわね。そして、韓国の国民だけでなく、日本の国民もご一緒に、私たちを暖かく見守ってくださると、とても嬉しいわ。
(2017年1月7日)

パールハーバーでのアベ晋三演説の違和感

パールハーバーでのアベ晋三の、なんとも面妖な17分間の演説。朝、ラジオで聞いていて、神経に障った。不愉快極まりない。

なるほど、詐欺師と総理大臣とは、平気で嘘をつかねば務まらない。「アンダーコントロールでブロック」のときも呆れたが、今度は戦争と平和についての問題として、さらに深刻だ。

演説の内容は、3つの部分からなる印象。
(1) どうでもよい、情緒的で無内容なつまらぬ部分。
(2) それ自体間違ってはいないが、「そんな演説をする資格があるのか」と突っ込まねばならない部分。
(3) そして、本音の問題発言部分。

(1) 「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入江。」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった…」

誰が書いた文章なのかは知らないが、こんな浮わついた駄文の朗読を聞かされる身にもなって見よ。耳が痒くなる。尻が落ち着かない。それが、「日本国民を代表して」と繰り返されての発言なのだから、目から火が出るほどに恥ずかしい。日本とは、この程度の首相しか出せない国なのだ。

それはともかく、驚いたのは次のくだりだ。

(2) 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

「日本国総理大臣として」の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。「不戦の誓いを貫いてまいりました」と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。

「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」などと言えるのか。

(3) さらに、「勇者は、勇者を敬う」の引用が愚かしくも危険極まりない。アベは、奇襲した側の皇軍の兵士も、奇襲を受けたアメリカ軍の兵士も、ともに「勇者」として称えているのだ。靖国の思想に通底する。戦争を徹底して愚かなものと見ないのだ。それぞれの祖国のために勇敢に闘った勇者と勇者。そのように美化する戦没兵士観。これは同盟国同士の戦意高揚演説ではないか。

最大の問題点は、平和を語っていたのが、いつの間にか日米の同盟の賛美を語りはじめる点だ。この演説の本音はここにある。同盟(alliance)とは、軍事に関わる用語ではないか。共通の仮想敵国を想定しての軍事同盟(military alliance)を意味しているのだ。そのような理解で読めば、文意が明瞭になる。

「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた(軍事的)同盟国となりました。」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の(共通の仮想敵国がもたらす)困難に、ともに立ち向かう(軍事)同盟です。明日を拓く、『(軍事的勝利という)希望の同盟』です。」というもの。

こんな軍事同盟はやめて、どこの国とも積極的に友好関係を結ぶべきではないか。そうすれば、特定国との軍事同盟の必要は無くなる。そのような姿勢こそ、「不戦の誓いを貫く」ものとして、誇るに足りるものではないか。

ところで、この演説の中に何度も出て来る「日本国民」とは、はたして沖縄県民を含んでいるのだろうか。いや、沖縄県民に共感してアベ政権を批判する多くの全土の国民を含んでいるのだろうか。アベ政権は、「不戦の誓いを貫く」とは正反対の行動として、沖縄に新軍事基地を建設しようと狂奔している。アベのパールハーバー行の最中に、名護市辺野古大浦湾埋め立て承認の「取り消し処分」が取り消され、日米軍事同盟を強化して、戦争のための基地建設工事が再開された。

こうしてアベ政権と沖縄県民との基地建設の工事をめぐる攻防も再開された。到底、ここに「自由で民主的な国」の姿はない。「法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは、ぬけぬけとよくも言ったもの。「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ」る事態とはほど遠い。

翁長知事は今後も、あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する考えに変わりないことを強調している。地元の理解や協力なくして、防衛も安全保障もあり得ない。

これを見れば、米軍とアベ政権のパールハーバーでの共同セレモニーは、結局のところ、国民を無視しての支配層同士・軍部同士の、日米軍事同盟強化のパフォーマンスだったと言うべきではないか。
(2016年12月28日)

パールハーバーで歴史認識を問われるアベ

ワタクシ、おなじみのアベです。いま、パールハーバーを訪問しています。
「右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、そう呼んでいただきたい」と大見得を切ったこともあるワタクシです。歴史修正主義グループの頭目と批判され続けてきたワタクシでもあります。何ゆえ、今頃、パールハーバーへ。いったい何をしに来たのか、と不審に思われるのももっともでゴザイマス。これには深いわけがあるのでゴザイマスが、なかなか自分でも上手にお話しできません。アチラを立てればコチラが立たずなのでゴザイマス。その辺はお察しください。

ワタクシの歴史認識においては、中国との戦争は五族協和の大東亜を作るための聖戦であり、アメリカとの戦争は自存自衛のやむを得ざる防衛戦争だったのでゴザイマスから、パールハーバーが卑怯なだまし討ちだったとしても、その犠牲者に謝罪の必要は認めません。ワタクシは、東条内閣の商工大臣だったお祖父さまの教えのとおり、東京裁判史観全面否定を貫く覚悟なのです。靖国派と言われる人々からのご支援あればこその今のワタクシであることをよく心得て、飽くまでも靖國神社参拝にこだわらざるを得ないこともご承知のとおり。そのワタクシが、よりにもよって、なぜパールハーバーなのか。

「真珠湾の前に、まず南京だろう」「柳条湖ではないか」「平頂山にせよ」「いやタプコル公園にこそ行くべきだ」。いろいろ、ご意見のあるところでゴザイマショウ。いろんな疑問や議論の全部にお答えすることは到底できません。たまたま、日米の著名な歴史学者ら53人が、12月25日付でワタクシの歴史認識を問いただす「公開質問状」を発表しています。質問は、かなり意地の悪い3点。これにお答えすることで責めを塞ぐことといたします。

公開質問状質問事項(1)
 あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。この連盟の1995年4月13日の運動方針では、終戦50周年を記念する国会決議に謝罪や不戦の誓いを入れることを拒否しています。1995年6月8日の声明では、与党の決議案が「侵略的行為」や「植民地支配」を認めていることから賛成できないと表明しています。安倍首相、あなたは今でもこの戦争についてこのような認識をお持ちですか。

これはまた、政治家に思想・信条をお訪ねになろうという野暮なご質問。普段は、大嫌いな日本国憲法ですが、こういう場合には19条をしっかりと援用させていただきましょう。
「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」とは、内面の思想や良心の表白を強要されない権利と考えられています。ワタクシの歴史認識を問い質そうということが憲法違反の野暮というものなのです。

ワタクシは政治家ですから、自分の思想や信条のままに動くことはありません。状況次第で、右ともいい、左とも言うのです。第1次アベ内閣の時代には、ワタクシは未熟だった。ワタクシの歴史認識や信条を前面に出すことに性急で、結局失敗したわけでゴザイマス。で、今は当時と比べれば老成し柔軟になっていることはお認めいただけるものと自負しております。政治家などというものは、結局は国民次第。ワタクシが、皇国が反省すべき「侵略的行為」や「植民地支配」を行ったと認めるわけはありませんが、今そのようなことを口にして支持率を落とすがごとき愚をおかすこともいたしません。

仮にワタクシが侵略戦争や植民地支配の誤りを認めて謝罪したとしましょう。たちまちワタクシは、強固な支持層である右翼・国家主義者たちの離反によって、今の地位を危うくします。もし、ワタクシがその反対に、反省も謝罪も不必要と明言すれば、国民の過半を占めるリベラル層からの厳しい指弾を受けざるを得ません。

結局のところは、「謝罪」「反省」「責任」などの言葉を禁句とし、「未来指向の和解による平和の構築」とか、「両国の戦没者を慰霊し、その尊い犠牲を無にすることなきよう不戦を誓う」くらいの無難なことをいうしかないのです。

繰り返しますが、ワタクシの本心などは問題ではありません。飽くまで、ワタクシが何を言うか、何を言えるかだけが問題であって、それはひとえに国民の意識にかかっているのです。

質問事項(2)
 2013年4月23日の国会答弁では、首相として「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しています。ということは、あなたは、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか。

 前問の回答とも関連しますが、この問にイエスかノーのどちらかで答える愚は避けたいと思います。風姿花伝の世阿弥の言葉を引用しましょう。「秘すれば花」ではありませんか。まさしく、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」なのです。この分け目を知ることが、政治の要諦なのです。

同行のイナダ防衛大臣は、ワタクシに劣らぬ靖國神社参拝推進派として知られていましたが、秘することなく露骨に靖國神社参拝強行を説いていたばかりに、野党議員から「閣僚になった途端に信条を曲げて靖国参拝を見送るのは言行不一致」と追及されて泣きべそをかいたことは皆さまご存じのとおりです。ですから、勢いに任せて勇ましいことは言わぬが花なのです。

なお、この質問は、過去の戦争を侵略と認めて反省することなしには、将来の平和の構築はないというドグマを前提とするものの如くです。しかし、はたして「過去に目をつむるものは現在に盲目」でしょうか。過去は不問に付して、将来を見つめることだって、できないはずはない。それがワタクシの信念です。今回のパールハーバー行も、それでよいのだという事前の確認があつたからこそ実現したことを申しあげておきます。

このくらいで、十分なお答えになっていると思います。あとはどのように忖度していただいても結構です。

質問事項(3)
 あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。

これも、ワタクシではなく、主権者である国民が決めることです。ワタクシの身体は私のものであって私のものではない。国民の意思が、明確に望むことであれば、そのようにしたいと思いますが、いま、必ずしもそのような判断には躊躇せざるを得ません。国民は、何よりも日本人戦没者の英霊に尊崇の誠を捧げることを望んでいると思います。

靖國神社が軍人軍属の死者だけを祀るものとなって、民間の戦争犠牲者には何の儀礼もなく、死者の遺族にも補償もないことが著しい差別と批判されますが、これも国民が選択してきたことではありませんか。

今回の「慰霊行」が、アメリカだから国民に違和感がないという側面は否定し得ないと思います。なにしろ、ヘイトスピーチの横行を許している国民ではありませんか。中国や韓国・北朝鮮の戦争被害者の「慰霊行」を国民感情が許すかどうか。ワタクシには見極めがつきかねます。

要は、正しいか否かではなく、国民の支持を取り付けられるかどうかだけが、メルクマールなのです。それがナニカ?

なお、53氏の質問状の最後はこう締めくくられています。

首相としてあなたは、憲法9条を再解釈あるいは改定して自衛隊に海外のどこでも戦争ができるようにすることを推進してきました。これがアジア太平洋戦争において日本に被害を受けた国々にどのような合図として映るのか、考えてみてください。

考えてみましたよ。その結論は、「日本による被害を受けた国々の国民」よりは、日本国民の感情を優先しなければならないということでゴザイマス。「アジアへの侵略を認めて謝罪をする」ことは、ワタクシの拠って立つ政治基盤を自ら掘り崩すこと。到底できることではありません。これだけは明確に申しあげておきます。だいたい、アメリカに頭を下げるのは昔から慣れていることでもありますしね。えっ? それがナニカ?
(2016年12月27日)

「戦争の狂気」はいかに人を蝕むか

東京新聞に、「ドナルド・キーンの東京下町日記」という毎月1回掲載の連載コラムがある。これが毎回なかなかに読ませる。本日(12月4日)は「玉砕の悲劇 風化恐れる」という標題。彼が戦争中通訳として付き合いのあった軍医の思い出を通じて、「戦争がもたらす狂気」の一端を記している。必要なところだけを抜粋して紹介したい。

「太平洋戦争時、米海軍の通訳士官だった私(キーン)がハワイの日本人収容所で知り合った、元日本兵の恩地豊さんが亡くなった。享年百三歳。戦後、敵味方のわだかまりを越えて付き合った元捕虜は何人かいた。一人減り、二人減り、恩地さんが最後の一人。」「戦争末期、恩地さんが陸軍の軍医として派遣されたパラオ諸島ペリリュー島は、最悪の激戦他の一つだった。兵力、装備で米軍は圧倒的。日本軍は押されながらも徹底抗戦して、最後は玉砕した。一万人以上が戦死。恩地さんは奇跡的に生き残り、捕虜になった。」
「収容所は不思議な場所だ。命を懸けて戦った敵国から、戦地よりも快適な生活環境が与えられる。『生きて虜囚の辱めを受けず』と洗脳されていた捕虜のほとんどは『死にたい』『日本には戻れない』と頭を抱えた。だが、恩地さんは堂々としていた。戦前から、海外の医学論文を読んでいたインテリだから、海外事情に通じ、捕虜の扱いを定めたジュネープ条約も知っていたのだろう。尋問にも冷静に応じた。」
「(恩地さんは、戦後)『何であんな戦争をしたのか。国力、科学力の差からして勝てるはずがなかった』『少しでも海外事情を知っている人は、戦争を始めた東条英樹を嫌っていた』とつぶやくことが多かった。同島の激戦は狂気の沙汰だった。日本軍には、本土への攻撃拠点にさせまいとの防戦だったが、より本土に近いフィリピンの島が米軍に占領された段階で戦略的に抵抗は無意味になった。それでも日本兵は『バンザイ』と突撃して、散った。」「その矛盾を恩地さんは頭で理解しながらも、自らの戦いは肯定した。『三日で決着する、と言っていた米軍相手に、三カ月粘った』『捕虜になるまでの二カ月は飲まず食わずで頑張った』」

キーンの筆は冷静に最後を次のように締めくくっている。
「目の前で多くの僚友を失った彼の複雑な心境は分からないではない。だが、そう思ってしまうのも狂気の一部なのだろう。私たちは先の戦争から多くを学んだ。恩地さんのような体験者の死で、それが少しでも風化することを私は恐れる。」

「狂気」は、戦略的に無意味で勝ち目のない戦闘での突撃だけをいうのではない。「粘った」「頑張った」「よく闘った」と自らの戦いを肯定するその姿勢をも「狂気の一部」というキーンの見解が重い。東条を嫌い、国際事情にも通じているインテリにおいて、この「狂気」から逃れられないというのだ。

このキーンのいう「狂気」こそが、実は靖國を支える心情なのだ。戦没者の遺族だけでなく、その戦いでの生存者も、戦死者を貶めたくはない。その死を無意味な犬死とはしたくない。できれば、大義のある死であって欲しいとの思いが、戦闘をあるいは戦争をも意味づけせずにはおかれぬことになる。戦死者を英霊と称えるには、戦争を美化するしかない。歴史を歪曲する心情がここから生まれる。

私は、日本兵の捕虜といえば、盛岡の柳館与吉さんを思い浮かべる。
私の父と同世代で、私が盛岡で法律事務所を開設したとき、「あんたが盛祐さんの長男か」と手を握ってくれた。戦後最初の統一地方選挙で、柳館さんも私の父(澤藤盛祐)も、盛岡市議に立候補した間柄。二人とも落選はしたが善戦だったと聞かされてはいる。柳館さんは共産党公認で、私の父は社会党だった。

その後、柳館さんと親しくなって、戦時中のことを聞いて仰天した。
彼は、旧制盛岡中学在学の時代にマルクス主義に触れて、盛岡市職員の時代に治安維持法で検束を受けた経験がある。要注意人物とマークされ、招集されてフィリピンの激戦地ネグロス島に送られた。絶望的な戦況と過酷な隊内規律との中で、犬死にをしてはならないとの思いから、兵営を脱走して敵陣に投降している。

戦友を語らって、味方に見つからないように、ジャングルと崖地とを乗り越える決死行だったという。友人とは離れて彼一人が投降に成功した。将校でも士官でもない彼には、戦陣訓や日本人としての倫理の束縛はなかったようだ。デモクラシーの国である米国が投降した捕虜を虐待するはずはないと信じていたという。なによりも、日本の敗戦のあと、新しい時代が来ることを見通していた。だから、こんな戦争で死んでたまるか、という強い思いが脱走と投降を決断させた。

柳館青年は、国家のために命を捨てるか国家に叛いて自らの生を全うするか、国家と個人と極限的な状況で二者択一を迫られた、という葛藤とは無縁だったようだ。

戦争とは、ルールのない暴力と暴力の衝突のようではあるが、やはり文化的な規範から完全に自由ではあり得ない。ヨーロッパの精神文化においては、捕虜になることは恥ではなく、自尊心を保ちながら投降することが可能であった。19世紀には、俘虜の取扱いに関する国際法上のルールも確立していた。しかし、日本軍はきわめて特殊な「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓のローカルなルールに縛られていた。

しかも、軍の規律は法的な制裁を伴っていた。1952年5月3日、新憲法施行の日に正式に廃止となった陸軍刑法(海軍刑法も同様)は、戦時中猛威を振るった。その第7章「逃亡罪」は以下のとおりである。

第七章 逃亡ノ罪
第七十五条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
 一 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第七十六条 党与シテ前条ノ罪ヲ犯シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
 一 敵前ナルトキハ首魁ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ死刑、無期若ハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ首魁ハ無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ一年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ首魁ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第七十七条 敵ニ奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処ス

第七十八条 第七十五条第一号、第七十六条第一号及前条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
(以上はhttp://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-46.htm「中野文庫」で読むことができる)

敵前逃亡は「死刑、無期もしくは5年以上の懲役または禁錮」である。党与して(徒党を組んで)の敵前逃亡の首謀者は「死刑または無期の懲役もしくは禁錮」とされ、有期の選択刑はない。最低でも、無期禁錮である。さらに、「敵に奔(はし)りたる者」は、「死刑または無期懲役・禁錮」に処せられた。単なる逃亡ではなく、敵に投降のための戦線離脱は、個人の行為であっても、死刑か無期とされていたのだ。未遂でも処罰される。もちろん、投降現場の発覚は即時射殺であったろう。

世の中が「鬼畜米英」と言い、「出て来い。ニミッツ、マッカサー」と叫んでいた時代のことである。刷り込まれた戦陣訓や軍の規律への盲従が、死の恐怖にも優越する選択をさせていた「玉砕」の時代のこと。インテリの軍医ですら、最後まで闘ったその時代。当時20代の若者が、迷いなく国家よりも個人が大切と確信し、適切に状況を判断して生き延びたのだ。見つかれば、確実に死刑となることを覚悟しての、文字通り決死行だった。

「予想のとおり、米軍の捕虜の取扱いは十分に人道的なものでしたよ」「おかげで生きて帰ることができました」と言った柳館さんの温和な微笑が忘れられない。ドナルド・キーンのいう、「戦場の狂気」から逃れることは難しいことだ。しかし、一億一心が狂気となった時代に、柳館さんはこの狂気に染まることはなかった。

私は、「貴重な体験を是非文章にして遺してください」とお願いした。その柳館さんも今は亡い。さて、「ネグロス島・兵営脱走記」は書かれているのだろうか。
(2016年12月4日)

月とスッポン、ドイツと日本。ー過去と向き合う姿勢について

11月26日土曜日の夕刻、石田勇治講演を聴講した。「ナチ時代から現代のドイツへー過去と向き合うことの難しさ」という壮大なタイトル。この集会の主催は、「良心・表現の自由を! 声をあげる市民の会」。君が代処分と闘っている渡辺厚子さんを支援の市民グループ。日の丸・君が代の強制に、時代の不気味な雰囲気を感じている感性鋭い市民が、ドイツの歴史を学び、ドイツの歴史に照らして今の日本を考えたいとこの企画を建てたのだ。だから、今の状況を反映して聴衆の熱気が高かった。聴衆の熱気が講演者にも伝わって、実に熱のこもった講演となった。

予定を大きく超えて、2時間たっぷりの長丁場。小さな活字で、A4・12頁のレジメにしたがって、現代ドイツの「想起の文化」から説き起こし、次の二つの問が設定される。
1 なぜ民主的なヴァイマル憲法をもつ文明国ドイツで、独裁への道が拓かれたのか?
2 戦後のドイツはナチ時代の過去とどのように向き合ってきたか?

この二つとも、私たちが今切実に知りたいことではないか。まずは戦前のドイツについて。「最も民主的な憲法をもつ共和国」から、「最も野蛮な独裁国家」に、どのように変身したのだろうか。今の日本に似てはいないか。最も民主的な平和憲法をもつ国ではあるが、その憲法が政権からの攻撃に曝されている。戦前のドイツの轍を踏むことになるのではないかとの危惧を拭うことができない。

そして、戦後のドイツについても知りたい。真摯に国家の加害と差別の責任を認めて謝罪し賠償するドイツと、歴史を改竄してまで侵略戦争と植民地支配の責任を認めようとしない日本と。この、月とスッポンの落差はどこから来たものなのであろうか。今の日本にとって、戦前のドイツは反面教師であり、現在のドイツは文字通りの学ぶべき教師なのだから。

この問に答えるべく、講演は「第一部(戦前編) 議会制民主主義の崩壊とヒトラー独裁の成立」、「第二部(戦後編) 戦後のドイツー『負の過去』との取り組み」という二部構成になって、ヒンデンブルクの時代からヒトラーの台頭と崩壊、そして戦後アデナウアー時代の「駄目なドイツ」が、真摯に加害の責任を認める国となるまでの通史にわたった。このように連続した形でドイツ史を学ぶ機会を得たことは、好運だったと思う。

幾つか印象に残ったことを書き留めておきたい。

ヴァイマル時代の議会は、完全比例代表制だったという。ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、けっして議席の多数を握って政権についたわけではない。

その得票率は以下のとおりに推移した。
1928年5月【2.6%】→30年9月【18.3%】→32年7月【37.3%】→32年11月【33.1%】

1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任した当時、その議席占有率は3分の1にしか過ぎなかった。しかも、党勢伸長の真っ最中というわけでもなく、直前の32年11月選挙はナチ党の低落と共産党続伸を特徴とした。ここで、共産党の台頭に危機感を覚えた財界はヒトラーを首相とするよう大統領(ヒンデンブルク)に働きかけ、結局はこれが実現することとなった。

ヒンデンブルク(伝統的保守派)とヒトラー(新右翼)を結びつけた共通の目標(連立の動機)とは、
a)議会制民主主義を終わらせ、
b)共産党を粉砕し、
c)再軍備を実行する、
ことを通じて「強いドイツを取り戻す」ことだった。

当時ヒトラーは3つの道具をもっていた
a)大統領緊急令
b)突撃隊・親衛隊
c)大衆宣伝組織

憲法48条2項に基づく「大統領緊急令」は主として共産党対策のために濫発された。自由な選挙が封じ込められる局面において、国会議事堂炎上事件が起き、通称「議事堂炎上令」が公布されて、ドイツ全土で国民の基本権が停止、共産党国会議員や左翼運動・労働運動の指導者が拘束された。

そのような事態で、授権法が成立。授権法体制下で続々と新法(「ナチ法」)が制定され、ナチズムのイデオロギーが易々と政策化された。

この経過でとりわけ印象的なことは、当初は「到底何もなしえないだろうと思われていたヒトラー」のまさかの台頭、ということ。これを可能とした要素として、「決められない政治に業を煮やした民衆が、果敢に決めるヒトラーの政治」を支持した面があるという。乱立する少数野党が意見の対立を克服できず、当面の対立する利害にとらわれている状況で、3分の1の勢力しか持たないナチ党の独裁を許したのだ。

また濫発された大統領緊急令が、次第に肥大化して授権法にまで至って、遂に議会政治を葬り、国民の人権を抑圧して独裁を完成させたということ。今の日本の状況に照らして、実に示唆的ではないか。

戦後編の冒頭は、「ドイツも最初は駄目だった」という話から始まった。
ナチ時代の責任のとりかたに関しては、次の5側面(5つの柱)があるという。
a被害補償
b司法訴追
c再発防止(ネオナチ対策)
d啓蒙・教育(歴史教育・歴史学)
e想起の文化

戦後の各時期によって、それぞれに異なる力点か見られるというが、「何より駄目なドイツ」が曲折を経ながら、そして常にせめぎあいを繰りかえしながら、近隣諸国からも信頼されるドイツになっていったという。

この間、「終止符論争」が何度も繰り返された。「いつまで謝罪を続けなければならないのか」「もう、これで謝罪は十分だろう」との意見は常にあった。今日の状況はそれを乗り越えてきた結果である。

ドイツの指導者の被害者に対する謝罪は、極めて具体的で個別的である。そして、現場まで出向いて膝をついてまでしての真摯な謝罪をしている。日本の指導者の、東京での抽象的で包括的な言葉の羅列は、被害者や遺族の胸に届くはずもない。

ドイツでは、「罪」と「責任」の区分が受け容れられている。「罪」は当時のドイツ人が負うべきものであるが、被害者がいる限りその被害を回復すべき「責任」は後の世代にも受け継がれるものと言う考え方。ドイツ人がけっして、この責任からは逃れられないという道義上的な責任。

この罪や責任にどう向かい合うべきかについて、政治指導者も世論も「促す力」と「押しとどめる力」の絶えざるせめぎ合いのなかにある。もちろん今も。

歴史修正主義者が政権を握っている日本に比較して、ドイツの道義性は格段に高い。同じ侵略戦争の加害国にして敗戦国、特定民族に差別的政策を弄した点においても同じ。現在までの、その反省のあり方に、かくも隔たりが生じたのは、いったい何ゆえなのであろうか。

EUの中で指導的立場を勝ち得ているドイツは、経済的優位性だけでなく、今や道義的尊敬をも勝ち得ている。一方、アジアにおける日本の地位は極めて危うい。加害責任への謝罪を抜きにした経済的援助だけでは、冷え切ることのない被害感情の熱いマグマがことあるごとに吹き出てくることを防止し得ない。ドイツに倣って、このことを心しなければならない。
(2016年11月30日)

被侵略国の被害者の立場で戦争を見つめなおすという試み

晩秋。雲の厚い陰鬱な勤労感謝の日である。晴天に恵まれた文化の日に神保町の「神田古本まつり」の露店で購入した本をひろげている。「神聖国家日本とアジアー占領下の反日の原像」(鈴木静夫・横山真佳編著、勁草書房1984年8月の刊)。消費税のない時代の定価は2200円と付けられているが、古書として300円だった。

この本の惹句は、「第二次大戦下,日本はアジアの占領地域で何をしたか,相手側はどのように受けとめたか。現地調査と綿密なデータ収集で掘り起こし,現在も深い影を落している事を明かにした。」というもの。現地をよく知る6人の毎日新聞(元)記者が精力的な調査結果をまとめている。3年掛かりの作業だったそうだ。

この書のキーワードは、アジアの人びとがもつ「対日不信の原像」である。帯には「これはすぐれた日本人論でもある。現地調査と研究が浮彫りにした日本の原像。この水準を越えるものは当分出ないだろう」と記されている。この書に記された独善と狂気と残酷を「日本の原像」というのか。アジアの占領地に「呪縛と支配の思想」を押しつけた、私より一世代前が「日本人の原像」だというのか。ますます陰鬱な一日となってしまった。

私がこの本を買う気になったのは、以下の「あとがき」(鈴木静夫)に目が行ってのこと。大切な視点だと自分に言い聞かせるつもりで、引用しておきたい。

「東南アジアの対日不信」の調査、研究は一つの衝撃的な新聞記事との出会いから始まった。その記事は「東南アジア『懺悔』行」と題された一九八〇年五月十九日付の毎日新聞夕刊の記事である。新日本宗教団体連合会に所属する二十六人の青年たちが、三度目の東南アジアの戦跡めぐりをしたという囲みものの報告記であった。東南アジアの戦跡めぐりをする旧軍人やその家族はたくさんおり、そのこと自体は珍しくはないが、この記事が伝える内容は私を激しく揺り動かした。彼らは古戦場や軍人墓地を訪問したのだが、その訪問の仕方がまるで違っていたからである。もちろん、すべての慰霊団の旅行がそうだとはいわないが、それらは必ずしも懺悔行ではなく、戦争の反省や現地の人たちへの配慮が中心的課題になっている場合は少ない。その結果、地元民の感情にはおかまいなく、激戦地にやたらに日本式の慰霊塔や観音像を建ててくることになる。ところがこの青年たちは、まず何より先に現地の人たちの墓や連合軍の共同墓地を訪れ、現地の人だちとの交流の中で慰霊をしたのだという。一行の中には僧侶も多くまじっていたが、日本式の慰霊は一切行なわず、タイではタイのお坊さん、フィリピンでは地元のカトリック神父を招いて、慰霊式をあげた。「戦争で現地の人たちにどんな苦難がふりかかったのか、とにかく事実を知りたい」というのが彼らの基本的な姿勢だったという。出発に当たって「『懺悔』行」の団長(立正佼正会の天谷忠夫氏)が「一度、現地の人の立場に立って考えてみたい」と決意を表明していた、とこの記事は伝えていた。

……東南アジアの古戦場を、日本兵の辿った側からでなく、その反対側から辿るという発想は、実に大変なことなのである。まず、事実関係からみて、どんな戦跡めぐりの団体も、現地住民や『敵』の墓を探しては歩かない。また、仮りにあったとしてもその数は少ない。現地の学校に何かの縁でオルガンや運動用具を贈っても、墓までは行かないのである。さらに、戦跡めぐりの人たちは、戦争を「現地の立場に立って」考えたりはしない。だからこそ『懺悔行』の団長さんは「一度」そうしてみたいと思ったのである。
……
これは私にとって、アジア再発見ともいえた。東南アジアを、『現地の側』から見直すこと、こんな簡単なことが決定的に欠けていたのである。『懺悔行』の人たちは、日本とアジアの戦時中の関係、すなわち『対日不信』の問題を現地の側から包括的にみる試みがまだ行なわれていないことを私に気づかせてくれた。…日本軍政を現地の民衆はどう受けとめたのか。そして大東亜共栄圈構想、日本語教育、皇道思想、神聖国家の押しつけに彼らはどう反応したのか。私は『懺悔』の人たちのように、『裏側』からこの問題に迫ってみようと思い立った。そこから東南アジアの人々が持つ「対日不信の原像」が浮彫りにされると思ったのである。

ここで指摘されているのは、「戦争を被害者としての視点からだけではなく、自らを加害者として見つめ直すこと」、「侵略戦争を被侵略国の民衆の立場からありのままに見るべきこと」、そして「戦争がもたらした長く癒えぬ傷跡をあるがままにとらえること」である。この基礎作業なくして、対話も謝罪も、関係の修復も、真の友好と将来に向かっての平和の構築もあり得ない。

このような考え方は、靖国の思想と真っ向から対立する。靖国は死者を、敵と味方、軍人と民間人に、徹底して差別する思想に立っている。天皇や国家のための忠死故に「英霊」と顕彰するとき、既に戦争が美化されている。その戦争が醜い侵略戦争であったこと、皇軍は加害軍であったことが隠蔽される。靖国の思想とは、戦争を美化して次の戦争を準備する思想といってよい。靖国史観に、侵略された国々の民衆の歴史を対峙させることの意味は大きい。

**************************************************************************
ところで、11月13日に亡くなられた池田眞規さんの、おそらくは絶筆となったであろう「反核法律家・2016年秋号」(10月15日発行)の「人生こぼれ話」第9話をご紹介したい。「韓国が拘る『歴史問題』は『慰安婦』問題だけではないというお話」と標題されている。

Ⅰ 殴られた者はその痛みを忘れない。殴った者は殴ったことも忘れてしまう。
日本から殴られた韓国(本稿では百済、新羅、高句麗、近世の李王朝も含めます)では、殴られた痛みを忘れていません。殴った日本は忘れて平気な顔をしています。韓国の人々は昔から日本から受けた辛い痛みを子孫に語り継いでいます。
日本と韓国との関係の歴史をみると、韓国への大きな加害の主な例だけでも、1.神功皇后の韓国遠征(4世紀)、2.豊臣秀吉の韓国侵略(16世紀)、3.武力の威嚇で強行した韓国併合(20世紀)など一方的な侵略的行為ばかりです。日米戦争で負けた日本は、日本が被害国に与えた侵略犯罪の告発を怖れて、無法な侵略を裏付ける証拠は悉く破棄し、隠蔽しました。学校の義務教育でも、歴史の教科書には韓国側の被害を受けた人々の怒りや恨みについては殆ど触れていません。
そこで、日本から殴られた韓国の側の受けた被害の実情を検討したいと思います。

Ⅱ 神功皇后の韓国遠征(4世紀)について
4世紀の韓国遠征は古事記(福永武彦訳)に記載があります。それはひどい話です。
古事記によると、仲哀天皇の妻・神功皇后の時代の「新羅を伐つ」という見出しの項で長々と韓国遠征の経緯が綴られています。要するに、「西の方に金や銀をはじめ、まばゆいほどの宝物が多い国があるから、その国は神功皇后の御子が治めるべきである、という神のお告げがあったので、それを受けて皇后は韓国に侵入することになり、軍隊を招集して軍船を進めて韓国を討伐したところ、韓国の国王は降伏したという筋書きです。殴られた側の韓国にしてみれば、たまったものではありません、隣国の「神様のお告げ」で金銀の豊かで殆ど無防備な国に大量の軍隊で押し掛けて降伏させたというのです。この破廉恥な事実を、古典文学「古事記」に当たり前のように記述しているのです。昔話にしても余りにも侮辱した話です。
(以下、豊臣秀吉の侵略(16世紀)、韓国併合(20世紀)について略)

おそらくこれが最後となった、分かり易い眞規さんの筆。
なるほど、「神功皇后の三韓征伐」は、記紀以来日本の英雄譚として語り継がれて国民に違和感がなかった。昔は優れた勇ましい国家的リーダーがいた、というのが日本でのとらえ方。しかし、「神のお告げで隣家に侵入」すれば強盗である。被侵略側から見れば、神功とは、国家規模での強盗の頭目ということになる。国家の英雄か、強盗か。立場で評価は極端に分かれる。

日本と朝鮮、日本と中国、日本と東南アジア。アジア太平洋戦争に関しては、いずれも事情を同じくする。新宗連の「徹底して現地の被害者の立場から戦争の傷跡を見つめ直そう」という試みがもつ意義が、あらためてよく分かる。

**************************************************************************
なお、「神聖国家日本とアジア」目次を掲記しておきたい。
第1部 告発する東南アジア
 第1章 シンガポールの「血債の塔」
第2章 バターン半島の「死の行進」
第3章 残っていた「マニラ大虐殺」の現場
第4章 「泰緬」―死の鉄道と忘れられたアジア人労務者
第2部 皇国思想と宣伝工作
第1章 「神国日本」の輸出―天皇制国家の呪縛
第2章 望月中尉の皇道主義教育
第3章 「マナベ ニッポンゴ」
第4章 占領地のマスコミ活動
第3部 抗日の決意
第1章 批判されたフィリピン軍制
第2章 日本軍欺くマニラの演劇
第3章 フィリピンとタイにみる二つの抗日戦争
第4章 『親日」指導者たちの反日の選択
第4部 対日期待と「大アジア主義」
第1章 フィリピン独立戦争と国際連帯
第2章 日本に期待したサクダル党
第3章 傭兵部隊「マカピリ」の対日協力
第4章 「侵略」の論理としての「大アジア主義」
第5部 東南アジアの対日不信の原像
第1章 ヘレン・ミヤーズの日本擁護論
第2章 欠けていた「アジアの視点」    以上
(2016年11月23日)

9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典にて

9月1日は、単に大震災の日と記憶すべき日ではない。続発した、日本人の在日朝鮮人に対する集団虐殺が行われた日として、忘れてはならない日である。いったい何が起こったか、「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」の案内ビラは、簡明に次のとおり訴えている。

「93年前の関東大震災のとき、全く罪のない朝鮮人が6000人以上、中国人が700人以上も当時の天皇の軍隊・警察や自警団によって虐殺されました。日本の社会主義、労働運動の指導者たち10数人も国家権力によって殺されました。
 しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意を込めて追悼式を開きます。
 これを機会に歴史をしっかり学び、その教訓を現在に生かしたいと思います。」

起こったのは、日本人による朝鮮人(中国人を含む)虐殺である。実行委員会の式次第から、引用する。

「関東大震災に乗じた虐殺
1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」

「真相究明と謝罪求め
自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」

東京都墨田区の横網町公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。
そこには、次の碑文が刻されている。
 「この歴史
  永遠に忘れず
  在日朝鮮人と固く
  手を握り
  日朝親善
  アジア平和を
  打ちたてん
        藤森成吉」

この追悼碑は建立実行委員会の東京都への強い働きかけで墨田区横網の都立公園に建てられたもの。追悼碑建立の経過が次のとおり、書かれている。
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

本日、その追悼碑の前で、「関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼式典」がしめやかに行われ、私も参列した。式典の実行委員長として吉田博徳・日朝協会都連会長が開式の言葉を述べたほか、僧侶の読経があり、鎮魂の舞があり、そして各界からの追悼の辞が述べられた。追悼の辞は、東京都知事や墨田区長、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」、「亀戸事件追悼会」、朝鮮総聯、日本共産党、日本平和委員会、日中友好協会など。

挨拶は概ね次のような趣旨であった。
「93年前のこの事件は、過去のものとなっていない。日本政府は、これまで事件の解明にも責任の追及にも熱意を示さず、遺族への謝罪もしてこなかった。そして、民族的差別感情の醸成は、植民地支配と侵略戦争の準備行為でもあった。いま、憲法改正をたくらむ危険な政権下で、戦後経験したことのないヘイトスピーチやヘイトクライムが続発していることに警戒の目を向けなければならない。過去の歴史を正しく見つめるところから、民族間の信頼と平和が生まれる。この事件の教訓をしっかりと承継しなければならない」

この事件の最暗部は関東各地に無数に結成された「自警団」にある。自警団とは、町内会であり商店会であって、要するに一般民衆である。これが、虐殺集団となった。つまり、日本人の誰も彼もが、積極消極の虐殺事件加害者となったのだ。このことを歴史からも記憶からも抹消してはならない。

「随所で続発した朝鮮人虐殺事件は、各町々で結成された一般民衆による組織によって行われた。かれらは、日本刀、銃、竹槍、棍棒等を所持し、朝鮮人を探し出すことに狂奔し、朝鮮人と認めると容赦なくこれを殺害し、傷つけた。この虐殺事件は、大震火災で無法化した地に公然と行われた」(文春文庫『関東大震災』吉村昭)

姜徳相著『関東大震災』(中公新書)には、「自警団の活動」という章があり、そのなかに「自警団の殺し方」という項がある。「自警団の殺人は、人殺しをしたというだけの簡単なものではない」として、恐るべく残虐な集団虐殺の目撃談が連ねられている。以上の二書は、日本人必読の文献である。

異常な事態において人間一般の習性がかくも残虐なのか、あるいは日本人が特別に残虐なのかは、定かでない。しかし、日本人の一般民衆が、マイノリティとしての朝鮮人(ならびに中国人にも)に対して、集団で残虐な蛮行に及んだことを忘れてはならない。

なぜこんなことが行われたのか、どうしたら同様なことを防げるのか。誰にどのような責任があるのか、日本人として今どのように事件と向き合うべきなのか。戦争責任と同様に、考えることをやめてはならない。
(2016年9月1日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.