澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

憲法の構造として「卵黄と卵白」をイメージしよう。

日本国憲法の全体像を図形的にどうイメージするか。こういうことを考えてみることは、楽しい作業である。もちろん飽くまでもイメージに過ぎないものだが、憲法の基本構造をどう把握し、憲法各パートの関連をどう理解するか、自分なりの憲法観の確認でもある。いったい、象徴天皇制とは、その構造のどこにどのように位置するものか。

憲法の基本構造を「3本の柱」の構築物と捉えることが、「新しい憲法のはなし」以来のスタンダードではないだろうか。この教科書では、「いちばん大事な考えが三っつあります」として、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」を挙げている。

この憲法体系イメージのミソは、「(象徴)天皇」という柱のないことである。「主権在民」の柱は、天皇主権を否定してそびえている。「民主主義」も「国際平和主義」も、大日本帝国憲法の体系を否定し、そのアンチテーゼとして確立されたもの。「新しい憲法」の解説としては、優れものだったろう。

しかし、この3本柱イメージは、「人権」が欠落している点で、違和感を禁じえない。近代立憲主義の視点からの整理がなされているともいいがたく、体系性に欠けるといわざるを得ない。

私の世代は、「国民主権」・「恒久平和」・「基本的人権」の3本の原理を柱として、憲法体系が成り立っているという憲法構造の把握に馴染んできた。この3本柱の構造も、天皇制の旧憲法とは異なる「新憲法の特徴」を取りあげて「重要な柱」として列記したもの。そのとおりではあるが、各柱それぞれの位置づけや関係性には無頓着で、これも体系的なものとは言いがたい。

私は、卵の形と把握したい。もう少し正確に言えば、卵の内側の構造。黄身(卵黄)と白身(卵白)の関係のイメージ。大切な黄身を壊さぬように、白身が優しく包んで支えているという構造。黄身が人権である。ここに憲法価値が凝縮されている。白身が統治機構である。黄身を支え、黄身を保護するものとしての役割を担っている。白身がなければ、黄身は保護されない。だから、白身もとても重要である。が、もとよりその重要性は、黄身を守るためのもので、それを超えての価値があるわけではない。

白身が肥大して、黄身を押し潰してはならない。白身は、自制のためのいくつものサブシステムをもっている。それが、三権分立であり、民主主義であり、戦力の不保持であり、検閲の禁止であり、学問の自由であり、教育への支配の禁止であり、司法の独立であり、平和主義であり、租税法定主義等々である。

天皇制はもちろん黄身の一部ではない。白身の一部として端っこに紛れ込んではいるが、人権を支える役割を担うものではないから、明らかに異物である。黄身を保護すべき白身の機能の邪魔にならない限りで存在が許容されるが、次第に器質的にも機能的にも縮減していくことが望ましい。

「憲法を護る」とは、この黄身である基本的人権を護ることである。それに資する限りで、白身の機能を護ることである。憲法体系の端っこに天皇制が書き込まれているからという理由で、天皇制を擁護することが体系としての憲法を護ることではない。むしろ、天皇制を廃絶に向かわしめることこそ、異物を排して憲法を護ることなのだ。

この至高の価値としての人権とこれを支える統治機構の関係の比喩は、卵黄と卵白でなくてもよい。貝の身と貝殻でも、カンガルーの赤ちゃんと母親の袋でも、ウニとトゲでも、ひなと鳥の巣でも、小銭と財布でも、果実のタネと果肉でも、あるいは電力と送電線でも、コンテンツと通信手段でも、なんでもよいのだ。が、大切に黄身を抱く白身のイメージがふさわしいように思われる。

どのようにイメージしても、天皇の存在は、憲法の番外地でしかない。そのことを、国費を投じた大嘗祭の挙行に際して確認しておきたい。
(2019年11月15日)

大嘗祭を国家の行事としてはならない。国費を投じてはならない。

本日(11月14日)の夕刻から明日未明にかけて「大嘗祭」の中心行事だという「大嘗宮の儀」が催される。実のところ、大嘗宮の奥まった密室で新天皇が何をするのかは窺い知れない。何しろ、「秘儀」とされているのだから。「秘儀」ではあるが、最も重要な宮中神事だという。

「秘儀」ともったいぶるのは、神秘と権威をひけらかす常套手法。新天皇が神と一体になり、新天皇に神の霊力が備わるという、通常人の理解を超えた宗教儀式には神秘性がなくてはならない。白昼、群衆の目に曝されるところでは、神秘の儀式は成立し得ない。深夜、密室での、秘儀であればこそ、荒唐無稽な意味づけの神事も成立しうる。都合のよいことに、「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と言ってくれる下々が大勢控えているのだ。

この秘儀に、27億円の国費が費やされる。皇室にどんなに重要なものであっても、いや重要なものであればこそ、憲法は公的な宗教行事は一切認めない。神事に公費の支出は違憲である。もちろん、大嘗祭の費用を宮廷費から支出するなど明らかに違憲。もってのほかというしかない。

もっとも、天皇にも純粋に私人としての信仰の自由は認められてよい。天皇の神事は、天皇が身銭を切って、身の丈に合わせて、身内の行事として、ひっそりとやっていればよいはずのもの。

秋篠宮発言は、下記のとおりの具体的な具体的な提案となっていた。
「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか」「大嘗祭には天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てるべきだ。身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」「大嘗祭のために祭場を新設せず、毎年の新嘗祭など宮中祭祀を行っている『新嘉殿』で行い、費用を抑える」

「身の丈に合った」「内廷費での」大嘗祭挙行は、おそらく皇室・皇族の一致した希望なのだろう。でなければ、秋篠宮があれだけはっきりと発言できるはずはなかろう。できるだけ世論に反発を受けない、出過ぎない皇室の在り方をめざすもの。しかし、為政者にとって大事なのは、国民の統合や、保守政治の道具として使える天皇制でしかない。皇室や皇族の意向を無視して、「身の丈を遙かに超えた」大嘗祭となっている。

大嘗祭に使用だけの目的で大嘗宮関連建築物を建設し事後速やかに取り壊すという税金の無駄遣いが20億円。この深夜の無駄遣い儀式に、三権の長以下700人が参列するという。何をするのか訳の分からぬ行事のために、なんという大仰な馬鹿馬鹿しさ。

共産党は、こう言って、大嘗祭への出席を拒絶している。
「大嘗祭」は、天皇が神と一体になり、そのことによって民を支配していく権威を身につける儀式として古来より位置づけられてきた。国民主権の原則にも、政教分離の原則にも明らかに反する。
社民党も同様の見解で出席しない。常識的な憲法感覚を持つ者にとっては当然のこと。

問題は公明党。創価学会という宗教団体をバックとする同党が、どうして「他宗教の行事」に参加できるのだろうか。
もちろん、宗教の教義は無限に多様である。他宗にひたすら寛容で無原則の宗教団体もありうる。しかし、創価学会は日蓮の教えの正統な承継者を自負して、他宗には非寛容の厳格さで知られる。戦前には、創価教育学会が国家神道に弾圧された歴史もある。それでも公明党を、秘儀なる神事に参列させるのだ。天皇制恐るべし、というほかはない。

大嘗祭に国が関わり国費を支出することは、たまたま憲法に政教分離条項があるから違憲となるのだなどという底の浅いものではない。日本国憲法は、戦争の惨禍をもたらした神権天皇制の復活を絶対に認めないという大原則のもとに,象徴天皇制を容認した。象徴天皇とは、権力を持たないと言うだけではなく、いかなる意味でも神ではない一介の公務員職としての天皇を意味している。しかるところ、大嘗祭とは天皇を神とする意味づけの儀式ではないか。ことは、憲法の根幹に関わっている。けっして、いささかも、国家の関与は認められない。

繰り返し、言わねばならない。

 日本国憲法の政教分離原則とは、再び天皇を神としてはならないということであり、天皇を神にする儀式である大嘗祭に国家が関与してはならない。
(2019年11月14日)

王妃に対する国民の熱狂とその後

昨日(11月10日)のこと。普段の日曜日には都心を散歩するのだが、この日の都心の空気は穢れているとの思いもあり、不愉快な警備や人出も避けたくもあって、早朝から郊外に疎開していた。もうよかろうと疎開先からの帰途、貴重な経験に遭遇した。

夕刻5時過ぎ、東京駅から丸の内線に乗ったら、例のパレード見物帰りと思しきオバサン連の座席の前に,対面して立つ羽目となった。そのオバサン連の、周りを憚らぬ会話が耳にはいってくる。「とても、可愛らしかったわね。」「見に行ってよかったね」。どこかからか都心まで「見に来た」人たちなのだ。

そのうちの一人が、少し遠くの座席の人を指さして、「あら、号外を読んでいる人がいる。どこでもらえたのかしら」と大きな声。このタイミングで、私も声を上げた。「号外って、何か事件があったのですか」。案の定、「ほら、天皇陛下の祝賀のパレードよ」とのたまう。「わざわざ号外が出たというのは、パレードに事故でもあったんですか。まさか爆弾でも?」「なにもないわよ。みんなでお祝いしましょうということ。」「お祝いだけで、号外まで出たんですか」。そんなつまらないことで「号外」ですか,とまでは口にしなかったが、さすがにその雰囲気は伝わって、場は白けた。オバサン連の表情は硬くなった。

どういう反応があるのだろうと、敢えて言ってみた。「ボクには、まったく理解できない。どうして、税金だけで暮らしている夫婦を、みんなでチヤホヤしようというんでしょうかね」
誰からも返答も反論もなかった。「ヘンクツなオジさんが、ヘンなことを言っている」と、そう思われたに違いない。それ以上の会話は続かなかった。しばらくの沈黙のあと、オバサン連は小さな声で内輪の話をはじめた。
「写真はどこかで手に入るしら」「もうすぐ、皇室カレンダーが発売になるでしょ。あれに載っているよ」「皇后様は、皇后になってからきれいになったんじゃない?」「堂々としているように見えたわね」「やっぱりオーラを感じるよね」…。もっぱら関心は、新皇后の容貌や振る舞いに集中している様子。普段付き合う人からは聞かれぬ言葉を生で聞いた思いだった。

こんなとき、私は上手に会話ができない。もう少しやわらかく、パレードの様子を聞き、彼女たちの感動に耳を傾ければ会話がつながっただろうと思う。そうすれば、もっと、貴重なホンネを聞けたかも知れない。どうして、どの程度に、皇室に親近感を持っているのかを。そのミーハー的感覚が、象徴天皇制支持にどうつながっているのかを。

本当に私には理解し難いのだ。若い有名人カップルのパレードなら、ミーハー連が群がる心理も分からぬではない。しかし、59才のオジさんと55才のオバサン夫婦が若作りをしたお色直しを、10万人余がわざわざ見物に集まるということの訳が分からない。

ホンネのところでは、この観衆は意地が悪いのではないか。皇后に注目が集まったのは、これまで噂されたいろんな理由からのストレスを抱えて苦しんできたという彼女を「見に来た」のではないだろうか。そんなホンネがあるのかないのか、聞いてみたかったようにも思う。

が、間もなく、私は下車した。オバサンたちは、ヘンなオジさんがいなくなって、再び大きな声でその日に見てきたことの感想を述べあったであろう。誰かは、「いるのよね。ああいう非国民が」と述べたかも知れない。

ところで、1770年5月マリーアントワネットがハプスブルク家からフランスの王太子ルイに嫁いだときは、14才だった。このとき、ルイは15才。その結婚式は、ベルサイユ宮殿で盛大に挙行され、フランス国民は熱狂して美貌の王太子妃を歓迎した。ルイはその4年後に戴冠してルイ16世となり、マリーアントワネットは王妃となった。

そして、1789年7月の大革命を迎えたとき、マリーアントワネットは国民の怨嗟の的となっていた。入牢生活の後、1993年10月彼女は広場の大群衆が見守る中、ギロチン台の露と消えた。熱狂して彼女を王国に迎えた同じ国民が、彼女の処刑場では熱狂して「共和国万歳」を叫んだのだという。

もちろん時代も国も異なる話だが、民衆の熱狂は移ろい易くもあり、冷めやすくもあるのだ。
(2019年11月11日)

「ニントク君の回想ーボクって何者?」に重ねて。

ネットを検索していると、時に昔自分が発信した記事に出会うことがある。そして、希にそれが面白いと思うこともある。下記は、そのようなものの一つ。投稿の日付は2016年2月27日、3年10か月ほど以前のもの。

「ニントク君の回想ーボクって何者? ボクってなんの役に立っている?」
http://article9.jp/wordpress/?p=6490

新天皇のパレードという本日(11月10日)、このアーカイブを多少アレンジして、再掲したい。

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恐れ多くも畏くも、第16代の天皇となられたオホサザキノミコトには「仁徳」の諡が献じられています。本日パレードの126代とされる天皇のお名前は「徳仁」。偶然とはいえ、「仁徳」と「徳仁」、とてもよく似ているではありませんか。

「仁」とは古代中国における為政者としての最高の徳目ですから、仁徳天皇こそが古代日本の帝王の理想像なのであります。

その仁政と人徳を象徴するものが、「民の竈は賑わいにけり」という、あのありがたくもかたじけない逸話でございます。あらためて申しあげるまでもないのですが、あらまし次のような次第でございます。

ある日、ミカドは難波高津宮の高殿から、下々の家々をご覧になられたのです。賢明なミカドは、ハタと気が付きました。ちょうど夕餉間近の頃合いだというのに、家々からは少しも煙が上がっていないではありませんか。慈悲に厚いミカドは、こう仰せられました。

「下々のかまどより煙がたちのぼらないのは貧しさゆえであろう。とても税を取るなどはできることではない」

こうして3年もの長きの間、税の免除が続きました。そのため、宮殿は荒れはてて屋根が破れ雨漏りがするようなことにもなりました。それでもミカドはじっと我慢をなさいました。

そして、時を経てミカドが再び高殿から下々の家々をご覧あそばすと、今度は家々の竈から、盛んに煙の立ちのぼるのが見えたのでございます。

ミカドは喜んで、こう詠われました。

高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり

こののちようやく、ミカドは民草が税を納めることをお許しになり、宮殿の造営なども行われるようになったのです。なんと下々にありがたい思し召しをされる慈悲深いミカドでいらっしゃることでしょう。

これが、天皇親政の理想の姿なのでございます。何よりも下々を思いやり、下々の身になって、その暮らしが成り立つことを第一にお考えになる、これこそ我が国の伝統である天皇の御代の本来の姿なのでございます。消費増税によって、民の竈を冷え込ませたアベ政権には、仁徳天皇の爪の垢でも呑ませたいところでございます。

でも、この話には、いろいろとウラがございます。仁徳ことオホサザキノミコトご自身が、のちに次のような回想をしていらっしゃいます。ここだけの話しとして、お聞きください。

ボクって、天皇職に就職して以来、下々の生活なんかにゼーンゼン関心なかったの。何に関心あったかって。不倫。一にも二にも不倫。二股、三股。もっともっと。ボクって美女に目がないの。古事記にも恐妻の目を逃れての好色ぶりが描かれているけれど、まあ、あれは遠慮して書いてあの程度のこと。ホントはもっと凄かった。で、不倫って結構金がかかるんだ。それでもって、使い込んで…。結局民の竈の煙が立たなくなっちゃったんだ。

ある日ハタと気が付いたのは、下々の竈からの煙がなくなったってことじゃないんだ。毎日、上から目線で見慣れた景色だから、竈の煙が薄くなり消えそうになっているのは、前々から分かってた。

でも、ある日考えたんだ。このままだと、下々から税を取ろうにもとれなくなるんじゃないか、ってね。竈から煙が立たないって、民草は飢餓状態じゃん。これまで天皇や豪族が民草を「大御宝」なんて言ってもちあげてきたのは、ここからしか税の出所がないからさ。文字どおり金の卵を産み続けるニワトリだからなの。その民草が飢えて死にそうじゃ、税も取れなくなっちゃうじゃん。税が取れなきゃ、ボクの不倫経費も捻出できない。

もう一つ考えたのは、少し恐ろしいことになっているんじゃないかってこと。これまでは、下々や民草は、搾ればおとなしく言われたとおりに税を払うと思っていた。だけど、竈に煙も立たない状態となると、窮鼠となって反抗しないだろうか。考えてみれば、ボクと下々の格差はすさまじい。民草が怒っても、当然といえば当然。何も失うもののない民草が捨て鉢になって、団結して立ち上がってしまうことになるのではないだろうか。そして、宮殿に押し入って、火を付けたり公卿堂上や天皇にまで危害を加えたりしないだろうか。彼らが、突然にテロリストに化し、いままで甘い汁を吸ってきた私たちが、テロられることにはならないだろうか。

それで、方針を変えてみたんだ。金の卵を産むニワトリがやせ細ってきたのだから、しばらく卵をとるのは我慢して、ニワトリを太らせなくっちゃ。そして、よいテンノーを演出して、下々から攻撃されないよう安全を確保しなくっちゃというわけ。宮殿が荒れ果てたって雨漏りしたって、火を付けられるよりはずっとマシ。

こうして、税を取らないことにしたんだけど、誰でも思うよね。その間、何をしていたのかってね。もちろん、不倫はどうしてもやめられなかった。でも、ボクなりに相当の努力はしたんだ。不倫相手の数も減らして、出費も縮小した。そうして蓄えを少しずつなし崩しに減らしていった。とうとう金庫が底を突いたから、もう一度高殿に登って、「民の竈はにぎはひにけり」ってやったんだ。ニワトリは、もう十分に太った頃だろうからね。この程度で「仁政」だの「聖帝」だのといわれているんだから、ま、楽な商売。

でも、ここからは真面目な話し。この件のあと、いったいボクってなんだろう、天皇ってなんだろうって真剣に悩むようになった。自己肯定感の喪失っていうのだろうか。自分の存在意義に自信がなくなったんだ。ボクが税をとっているから、その分民が貧しくなる。3年でなく、ずっと税を取らなけりゃ、民の竈はもっともっといつまでも賑やかになっているはず。ボクって、実はなんの役にも立っていないことに気が付いたんだ。

おとなしい民草から、税を取り立てるだけのボク。自分じゃ働かず、人の働きの成果をむさぼっているだけのボク。おべんちゃらだけは言われているけれど、実は世の中にいてもいなくてもよいボク。いや、不倫の費用分だけ、いない方がみんなのためになるボク。こんなボクって、いったい何なのだろう。

ちょっぴりだけど反省して、河川の改修や灌漑工事など公共工事なんかやってみた。やってみたと言ったって、「よきにはからえ」って言うだけだったけど。それが、記紀に善政として出ている。せめてもの罪滅ぼし。それでも、不倫は生涯やめられなかったんだ

ところで、仁徳ならぬ徳仁、つまり本日パレードの新天皇のことでございます。台風19号の被災者を慮って、予定されていた10月22日のパレードを20日ばかり先に延ばしたのは、大先輩の故事に倣ってのことでございましょうか。4回もございました飲み食いの饗宴は予定どおりにしておいて、パレードだけは形ばかりの先延ばし。本日は19号被災者の復旧を確認されたわけでもなく、大がかりな警備の下、華やかに挙行されたご様子でございます。

さて、新天皇がどのような心境でいらっしゃいますことやら、窺い知ることはかないません。象徴天皇という職について張り切られも困るのですが、自己肯定感に満ちておれることやら、あるいはニントク君のように自己喪失感に襲われているやら。そのことは、年を経た後に、主権者の一人として聞いてみたいところでございます。
(2019年11月10日)

改めて考える。沖縄にとっての天皇を。

昨日(11月3日)の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)に、北九州市・67才男性からの「よみがえった詩の一節」という投稿が掲載されている。

先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。昨年の沖縄の「慰霊の日」、糸満市摩文仁での「沖縄全戦没者追悼式」で、当時中学3年の相良さんは、平和の詩「生きる」を沖縄の穏やかな海風に黒髪をなびかせるように堂々と朗読した。その時の表情、詩のフレーズが、かすかによみがえった。 (略)
即位礼正殿の儀に出席した相良さんは「天皇陛下のおことばに、令和の時代を平和にしていく決意が感じられました」などと語った。素晴らしい感想で、私は胸に刻んだ。

私も、相良倫子さんの平和の詩「生きる」に感動した一人だ。その思いは、当日付下記の私のブログに書き留めてある。

この上なく感動的な「平和の詩」と、この上なく凡庸なアベ来賓挨拶と。
http://article9.jp/wordpress/?p=10581

投書子は、「先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。」というが、私はまったく別の感想を持った。わたしには、新天皇就任を祝賀する儀式へ参列して何とも凡庸な感想を述べたこの高校生と、素晴らしいきらめく感性で平和の詩を書いたその人とが、どうしても重ならない。あの凛とした気迫に溢れた詩が、私の気持ちの中で色褪せてしまった。残念でならない。

報道での相良さんの感想は、「平和の詩の朗読がきっかけで参列のお話をいただいたと聞き、本当にありがたく光栄に思います。天皇陛下のおことばを聞いていて、平和を希求する思い、令和の時代を平和にしていく決意が感じられ、とてもすてきなことだと思いました。天皇皇后両陛下がとても堂々とされていたのと、天皇陛下がずっとほほえんでいらっしゃった姿が印象に残りました。本当に貴重な体験をさせていただきました」「平和を希求する天皇陛下のお言葉に触れ、令和の時代を平和にしていく決意を感じられた。すてきな言葉だった。平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」などというもの。「『とても貴重な体験をさせていただき、ありがたい気持ちと光栄な気持ちがある』と感激した様子で話した。」というものもあった平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」「光栄な気持」というコメントが、胸に突き刺さる。

私は思う。彼女は、天皇制の承継を祝賀する場に行くべきではなかったし、天皇の賛美を語るべきでもなかった。改めて思う。ほかならぬ沖縄の若き感性をも呑み込んでしまう、天皇制というものの不気味さと怖さを。

相良さん、あなたの詩を反芻したい。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。

そのように自分の生を謳った相良さん。
あなたは、天皇の宮殿で、「私は今、生きている。」と実感していただろうか。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。

こう綴ったあなたは、天皇賛美の儀式のあとに「光栄な気持」と語ったあなたと、本当に同じあなたなのだろうか。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

あなたが愛する島をこの阿鼻叫喚の地獄に陥れたのは、天皇が唱道する侵略戦争だったのではないか。当時の天皇は、沖縄を捨て石とし、戦後も、米軍に沖縄を売り渡したではないか。
その天皇は、自分の名で行われた戦争の非道と悲惨に反省の弁はなく、責任を取ろうとはしなかった。
そして、その子も、孫も、天皇の戦争責任に触れることはない。
沖縄に謝罪する言葉もない。

そのような天皇の地位の継承を祝賀し賛美する行事に、あなたはどんな気持で出かけたのだろうか。
「テンノーヘイカバンザイ」と、あなたも唱和したのだろうか。

長い「平和の詩」の最後は、素晴らしい言葉でこう締めくくられている。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

過去を見つめなければ、現在も未来も語ることはできない。沖縄の過去を見つめることは、虐げられた沖縄の悲劇を心に刻むことだ。「鎮魂すべき悲しみの過去」をもたらしたのは天皇制の日本ではなかったか。武力による琉球処分に続いた皇民化教育、その末にもたらされたものが「鉄の嵐」だった。神なる天皇の名のもとにおこされた侵略戦争の最終局面での悲劇。沖縄を本土の捨て石とした地上戦は、単なる敗戦ではなかった。皇軍は沖縄の住民をスパイとして摘発し、避難の豪から追い出し、あまつさえ集団自殺まで強いたではないか。

しかし、天皇制の真の恐ろしさは、皇軍の軍事力にあるのではない。不敬罪・治安維持法を駆使した暴力にあるのでもない。むしろ、高貴の血への信仰に支えられた天皇の権威と仁慈の姿で「赤子」を慈しむ虚像にこそある。それあればこそ、天皇は荒唐無稽な神話に基づいて、臣民を洗脳し「神」となり得た。

いま、皇軍はなく、不敬罪・治安維持法を武器に天皇制を支えた特高警察も思想検事もない。しかし、血への信仰に支えられた天皇は残っている。その仁慈の姿で平和を語り、国民を慈しむ虚像こそ危険なのだ。そして、政権は天皇の権威を高めることに躍起となっている。そのことが、象徴天皇制の危険を象徴している。

沖縄の若い知性や感性は、国民主権の異物としての象徴天皇制の危険を、そして人間差別の根源としての象徴天皇制への不快を、肌で感じるのではないか。私はそう期待している。

相良倫子さん。私のような意見は、活字にはなりにくいだけで、けっして特別なものではなく、少なくはない者の見解であることを知って欲しい。
(2019年11月4日)

菊も動員された天皇信仰儀式の小道具

11月3日。明治天皇(睦仁)の誕生日で、かつては「天長節」とされ、その死後は「明治節」となった日。日本国憲法は1946年の明治節を選んで公布され、その半年後の1947年5月3日が憲法施行の記念日となった。その後、憲法公布の日である明治節は「文化の日」となって今日に至っている。

明治節は、四方拝・紀元節・天長節とともに、四大節のひとつとされた祝祭の日。四大節には、それぞれの唱歌がつくられて、祝賀の儀式に唱われた。「明治節」の1番と2番は以下のとおり。神なる天皇の讃歌であり、宗教歌である。天皇を神と信ずる者には大真面目で唱えるのだろうが、そのような信仰を持たない者にとっては、大仰で馬鹿馬鹿しい歌詞。

 亞細亞の東日出づる處
 聖の君の現れまして
 古き天地とざせる霧を
 大御光に隈なくはらひ
 教あまねく道明らけく
 治めたまへる御代尊(たうと)

 惠の波は八洲に餘り
 御稜威の風は海原越えて
 神の依せさる御業を弘め
 民の榮行く力を展ばし
 外つ國國の史にも著く
 留めたまへる御名畏(みなかしこ)

その3番が少し趣が変わって、やや興味を惹く歌詞となっている。

 秋の空すみ菊の香高き
 今日のよき日を皆ことほぎて
 定めましける御憲を崇め
 諭しましける詔勅を守り
 代代木の森の代代長(とこし)へに
 仰ぎまつらん大帝(おほみかど)

3行目の「御憲」(みのり)とは、大日本帝国憲法のこと。4行目の「詔勅」(みこと)は、言わずもがなの教育勅語。この二つが歌詞に取り入れられて、軍人勅諭が入っていない。

明治天皇制定の憲法を、臣民皆が崇めなければならないというのだから、欽定憲法の解釈としても本末転倒も甚だしい立憲主義への無理解。そして、上から賜る教訓を守りなさいというお説教。こんなもの、子どもが唱いたいか。

最後が、「今日のよき日を皆ことほぎて…代々とこしえに仰ぎまつらん大帝(おほみかど)」と、祝意と敬意の押し売りで締めくくられている。実は、これ昔のことでは済まされない。今また、新天皇就任で、祝意の押し付けが甚だしい。衆参両院が賀詞の決議をしている。地方議会でも、これに倣うところがある。主権者の矜持はどこにいったのだ。

ところで、この3番の歌詞に、「秋の空すみ菊の香高き」と、「菊」が読み込まれている。春なら桜、秋は菊。なんでも、天皇讃歌の小道具として動員されるのだ。

私の手許に、日本植物記」という東京書籍発行の一冊がある。著者は、本田正次。1897年生まれで、東京帝大を卒業して帝大(植物学)教授になった人。同大学理学部付属職植物園長、東大教授を経て、この書物発刊の1981年には、同大名誉教授という肩書だった。

この本、100話ほどの植物にまつわるエッセイ集で、けっこう面白い。この方、歴史や文学に造詣の深い人とは思えないが、さすがに植物に関する専門家として、素人が知りたいことをよく書いてくれている。

ところが、菊の解説でのけぞった。まず、表題が「“禁裏様の紋”と教えられたキクの花」というのだ。以下本文の抜粋である。はからずも、無自覚無批判に天皇信仰に取り込まれた愚かな臣民の独白となっている。

 私のような明治生まれの人間にとっては、十一月三日の天長節はとても懐しい思い出である。今の天皇誕生日と違って学校や役所などがただ休むだけの形式的な祝日でなく、その日は国民こぞって天皇陛下の万歳を心から慶祝したものである。そして学校、役所はもちろん、その他家庭でもどこででも黄ギク白ギクの花を飾ってお祝いをした。天長節とキクの花とは切っても切れぬ思い出が私には繋がっている。
 学校の講堂では演壇に一抱えもあろうという大きな花瓶に黄ギク白ギクの花束がぎっしりと活げてあって、せっかくフロックコートに威儀を正して立っておられる校長先生の姿さえ見えないくらい、そして講話を始めようと真顔になって、まず大きな咳払いをされる校長先生に初めて気がつくというありさまであった。
(略)
私が東大の学生のときに分類学の講義を聴いた松村任三先生はキクの属名Chrysanthemumを覚えるには禁裏様の紋といって覚えると覚えやすいといわれたキンリサマノモンとクリサンセマム、教えられた通り、自分で口に出して何度もいってみてなるほどと思った。そして同時に大学の先生というものは偉いことを知っているものだとつくづく感心したことがある。
 小学校のときは演壇のキクの花に隠れた校長先生、大学では分類学の先生から禁裏様の紋で学名を覚えたことなど、私にとってキクの思い出はなかなかつきない。

帝大の先生というものはまことにつまらぬことを教え、東大の先生になろうという人はまことにつまらぬことに感心するものと、つくづく呆れるよりほかはない。
(2019年11月3日)

政教分離とは、天皇を再び神とすることを防ぐための歯止めの装置である。

11月になった。
「戦争の8月」、「差別の9月」、「新天皇就任儀式の10月」を経て、「大嘗祭の11月」である。また、今年の8月から10月までは、「あいちトリエンナーレ」での、わが国の「表現の不自由」を見せつけられた3か月でもあった。

いうまでもなく、最高にして最大の戦争責任は天皇(裕仁)にある。国民主権下の戦後日本は、その天皇の責任を断罪し得ていない。いや、追及すらしていない。戦争の8月」において戦争の加害・被害両面の悲惨を語るとき、天皇と天皇制の果たした決定的な負の役割から目を背けるのは欺瞞も甚だしい。意識的にせよ無意識的にせよ、天皇の責任から目をそらすことは、ワイツゼッカーが言う「過去に目を閉ざす者」となることで、「現在にも将来にも盲目」の姿勢である。

「差別の9月」は私の造語であり、私の思いである。1923年9月、関東大震災後の日本人は、在日の朝鮮人・中国人を残酷に虐殺した。軍や警察だけでなく、自警団という名の一般人が、逃げる人を追いかけ追い詰め縛り、撲殺や刺殺をしたのだ。この歴史的事実は重い。この事実の重みを真摯に受けとめることなくして、近隣諸国との真の友好関係を築くことは難しい。

この国の国民の奥底にある対朝鮮・韓国差別意識は、対外侵略を国是とした天皇制権力が意図的に作りあげてきたものである。ここにも、天皇制が絡んでいる。なによりも、天皇制の存在こそが差別の根源である。人に貴賤の別などあるはずがない。天皇を貴と認めるから、その対極に賎が生じる。天皇を尊崇しあるいは容認する者は、必然的に人間の平等を認めない差別容認主義者である。

そして、天皇交替儀式の10月。主権者国民の「代表」が、国民の総意に基づいて存在するとされる天皇を下から仰ぎ見て、テンノーヘイカバンザイ」をやったのだ。今どきに信じがたい愚行。今なお天皇制のしがらみから解放されないわが国の現状を嘆かざるを得ない。

そして「大嘗祭の11月」。大嘗祭が行われる月。これから、その報道が溢れることになる。これは、天皇を現人神にする信仰上の皇室儀式。国が関わってはならない。大いに、政教分離の本質を語り合わなければならない。

ところで、ネット上に、政教分離の理解に関するこんな記事が目に留まった。この記事の掲載者は「小林よしのり」氏。一部の引用では不正確になりかねないので、全文を引用する。

  憲法20条の政教分離がおかしいのではないか 
神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも「政教分離」の問題が出てくる。これが本当にウザイ。
例え津地鎮祭判決(目的が宗教的意義を持たないなら許される)があっても、神道が宗教なら宗教的意義があるに決まってるだろと思ってしまう。
憲法20条に政教分離原則がある限り、最高裁も解釈で言い逃れをしているように感じる。だからこそ秋篠宮さまは「宗教色が強い儀式を国費で賄うことが適当か」と疑問を投げかけたのだろうし、昭和天皇も皇室の内廷費を節約して積み立ててはどうかと仰ったのではないだろうか?
権力は天皇を儀式的に仰ぎ見て高御座の下で、万歳三唱をするのだけれど、いつも儀式的に仰ぎ見ているだけで、天皇の言葉に耳を貸さないし、天皇の望みは一切聞かない。
天皇は「憲法」を守る存在で、あくまでも「立憲君主」に徹しようと努力なさる。
ならばわしはいっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいいのではないかと思える。
解釈改憲に対して、わしは警戒感が強いのだ。

文意明晰とは言い難いが、このような漠然とした政教分離に対する疑問を多くの人が持っているのではなかろうか。気になるので、コメントしておきたい。

まず、タイトルはとうてい容認できない。
「憲法20条の政教分離がおかしいのではないか」は、「わが国の憲法原則として、政教分離は不要」「いっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいい」という趣旨だが、政教分離は憲法原則の要の一つである。おそらくは憲法改正できない。この原則をなくせば、日本国憲法は,もはや日本国憲法ではなくなる。軽々に「なくせ」と言うべき対象ではない。

ただ、小林氏が言う「政教分離(という憲法原則)がおかしいのではないか」という根拠は、「本当にウザイ」という程度のもので、確信に裏付けられた見解ではなさそう。同氏には、ぜひとも、津地鎮祭訴訟の最高裁判決の全文をお読みいただきたい。よく知られているとおり、この著名な最高裁大法廷判決は、原審名古屋高裁の立派な違憲判断の判決を、10対5の評決で合憲判断にひっくり返した評判のよくない判決である。それでも、政教分離の本来の趣旨を、極めて微温的にではあるが書き込んでいる。その部分を,抜き書きして最後に引用しておく。

政教分離とは、形式的には「政治権力」と「宗教一般」の分離のように読めるが、実はその神髄は、政治権力」と「神道」との分離にある。戦前、神社神道が天皇制国家と結び付き、国家神道となって、神なる天皇に対する尊崇を全国民に強要した。全国の学校で、軍隊で、天皇の神性が国民に叩き込まれた。それでも、神なる天皇を受容しない者には、大逆罪・不敬罪・治安維持法というムチが用意されていた。

敗戦時には、天皇制廃絶の可能性もあった。が、GHQと支配層とは何とか天皇制を存続することに成功した。もちろん大日本帝国憲法時代の天皇制ではなく、国民主権や、平和主義・人権尊重と矛盾しない形に変えての「天皇」制としてのことである。

そのために新憲法制定上留意された主要なものは、天皇という三層の構造に相応した3点であった。大日本帝国憲法において、天皇とは主権者(=統治権の総覧者)であった。その地位は、統帥権の主体として軍事力に支えられていた。のみならず、「天皇は神聖にして侵すべからず」(旧憲法3条)とされた宗教的権威の体現者でもあった。

この天皇の3層構造を、日本国憲法はすべて否定することで、かろうじて象徴天皇制を維持し得たのだ。日本国憲法の国民主権原理が天皇の主権を奪い、憲法9条が天皇の軍事大権を無用のものとし、そして、政教分離原則が、国家神道を否定して天皇の宗教的権威の復活を許さないのだ。

だから、日本国憲法の政教分離原則とは、比喩的に言えば、「神から人になった天皇を、再び神にしてはならない」という歯止めの装置なのだ。国家神道とは、天皇を神とする「天皇教」のこと。政治権力の天皇教利用も、神道の政治権力利用もけっして許さないための、国家(自治体)と神道との完全分離が本来の姿。

だから、小林氏が言うように「神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも『政教分離』の問題が出てくる」のではない。神道こそが,憲法上政権と分離を要求される『宗教』なのだから、新天皇の即位式からは、厳格に神道色を排除しなければならない。」「大嘗祭は、新天皇を現人神にする皇室の宗教行事の最たるもので、これは皇室の家内行事として、『身の丈』の範囲でひっそりと行うしかない」のだ。

大嘗祭をめぐっては、今後も当ブロクで、何度も取りあげたい。
(2019年11月2日)
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http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/189/054189_hanrei.pdf
(津地鎮祭訴訟の最高裁判決からの抜粋)
一般に、政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから、世俗的権力である国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。
もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によつて異なるものがある。わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。
しかしながら、このような事態は、第二次大戦の終了とともに一変し、昭和二〇年一二月一五日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示された。
昭和二一年一一月三日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至つたのである。元来、わが国においては、キリスト教諸国や回教諸国等と異なり、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであつて、このような宗教事情のもとで信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた。
これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(以下略)

独白 ― 萩生田光一「身の丈発言」のホンネを語る。

人事の要諦は適材適所だよ。私が、文部科学大臣。これこそ理想の適材適所。安倍政権の傑作じゃないか。口さがない輩は、「加計学園にあれだけドップリ浸かって、疑惑を抱えた萩生田が文科行政のトップとはブラックジョークか」などと悪口を言うが、ためにする言いがかりで八つ当たりも甚だしい。森友・加計批判を強引に乗り切った私こそが、教育行政のトップを担うにふさわしい。一見して明白だよ。

私は、予てからの教育勅語信奉者だ。日々、勅語の精神を政治に行政に体現しようと、議員会館の私の部屋には、勅語の額が掲げてある。掲げてあるだけではない。朝に夕に勅語を拝読三唱し、明治大帝の大御心の深さの一端でも、我が心にしようと誠心誠意努力を重ねている。そんな私なのだから、子どもたちに倫理を教える文科省の大臣にもっともふさわしいんだ。

往々にして、勅語は失効しただの、アナクロニズムだのという不敬の言動にお目にかかるが、ものを知らないということは恐ろしい。勅語の最後にはこう書いてある。

「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所。之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕、爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」

どう? おそれいらない? つまり、勅語の精神はだね、なんたって神さまがお示しになったものだから、正しいに決まっている。「古今の歴史を通じて、また世界のどこにおいても」けっして間違っていないと書いてあるんだ。勅語が示している道は、令和の御代においても、我等臣民の永遠に守るべきものなのだから、これを信奉している私こそが文科大臣に最もふさわしいわけだ。

その私の、「身の丈」発言だ。「身の丈」で生きることって、大切なことだよ。常々思っていることを口にしただけだが、形勢不利となれば、撤回も謝罪もなんでもありだ。これも、子どもたちに教訓的だろう。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というじゃないか。蟹だってオケラだって、身の丈に合わせて生きているんだ。ましてや知恵のある人間だもの、身の丈に合わせた生き方をしなくては苦しむだけさ。「身の程」を知り、「分相応」の生き方が大切なことを、道徳の時間に改めてよく教えなくてはならない。

人の平等だの、教育の機会均等だのというのは、そりゃ建前だけのこと。ほら、皇室をご覧なさい。畏れ多くも、皇室や皇族の皆様方が、われわれ臣下と平等であるはずはない。だから、安倍晋三首相が、臣下を代表して、高御座のお上を「仰ぎ見て」、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやったのだ。これが世の常識というもの。

そして、「テンノーヘイカ・バンザイ」をやった安倍晋三首相も、典型的な三代目政治家。下から這い上がった人ではない。麻生太郎財務大臣も同じ。何の苦労も知らないお坊ちゃんたち。このような,格差の上澄みが支配する世の中であるという現実を、しっかりと知らねばならない。それこそが教育の課題。

憲法が、人間差別の象徴としての天皇の存在を認めているとおり、人間の平等は観念論だ。現実には、人は差別を背負ってこの世に生まれ育つのだ。とりわけ、貧富の格差による差別は如何ともしがたい。この格差を無理に是正しようとすれば、共産主義の世の中になってしまう。それでもよいという覚悟はおありかな。

だから、大学入試の英語民間試験導入を巡る問題で、「お金や地理的に恵まれた生徒が有利になるのではないか」と聞かれて、私は「身の丈」が大切と答えたのだ。なにも、大学入試の英語の科目だけが教育差別というものではない。人は、生まれ落ちたときから、教育格差の中で生きているのだ。幼稚園から大学まで、すべて教育格差で貫かれた現実。自分の身の丈に合わせて勝負してもらう」以外にありようはない。

私は、「受験生に不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。おわびしたい」とは言った。もちろん、慎重に「受験生に不快な思いを与えた」とは認めていない。「説明不足」に過ぎなかったのだから、説明さえすればよいのだ。それで、身の丈に合わせてとは、「自分の都合に合わせて」の意味だと言ってはみた、我ながら上手くない。「身の丈に合わせて」は外部からの強制による余儀なくされた選択で、「自分の都合に合わせて」は強制性のない自発的な選択なのだから。

しかしだ、この程度のことで騒がれるのは、はなはだめんどうだ。やっぱり、教育勅語だよ。上から目線で、教育も教育行政も貫けるのだから、戦前はよかった。ここでうんと天皇の権威を高めて、政治も行政もやりやすくしてもらいたいものさ。
(2019年10月30日・連続更新2403日)

ムカ~シ、天子様と呼ばれる者がおっての。今だに、その末裔がおる。

ムカシ、ムカ~シのことよ。いつ頃とも分からぬほどの大昔。
天と地とが合体してな、子が生まれた。
そんな不思議なことも、大昔にはあったということだ。

天を父とし地を母をする子のことを、人びとは天子と呼んだ。あるいは、天子様と敬った。並みの人とはまったく異なる貴いお方。生まれながらに、国土と人民と、時をも支配する霊力を備えておられた。その聖なるお身体を玉体といい、お顔を竜顔、お言葉は綸言というたな。

天の子は、当然のこととして天命を受けて皇帝となり、万民がこれに従った。皇帝には陛下という尊称をたてまつって、百姓が皇帝を崇めた。皇帝の命には下々に至るまで喜んで従った。皇帝に弓を引くことは、天の命に逆らうこと。畏れ多くて、反逆などは考えられなんだ。

もちろん、皇帝の子は皇帝となった。なにせ貴い血筋だ。天子の子孫が天子であること,皇帝の子孫が皇帝であることを誰も疑わなかった。ところが、長い歴史の中には、とんでもない暴虐な皇帝も現れる。これは、天命に逆らった皇帝の所業。こういうときには、新たに天命を受けた者が現れて、皇帝の位を継ぐこととなる。これを易姓革命というた。こうして、天の命は、常に皇帝を通じて天下万民の利益を守るようにうま~くできているんじゃな。

問題は現皇帝が天命に従っているかどうか、その確認の方法がはっきりとせんことだ。とうてい常人には分からない。不便なことにな、天は自ら声を発することができんのだな。そこで、皇帝が天意に沿うて世を泰平におさめているときには、天はその喜びの証しとして瑞祥を現わすという。その反対の場合には、天譴として災厄が起こるそうじゃ。

念のためだが、もちろんこれは嘘っぱちの話だ。天の子も嘘、血の貴さも嘘。人間に貴賤があるというのがそもそもの大嘘。武力で政権を獲得した者が、自分に都合よく作りあげた荒唐無稽の嘘八百。罪のない嘘も、やむを得ない嘘もあるが、皇帝が天子だなどというのは、最大級の悪質な嘘っぱちでな。その害はとてつもなく大きい。

こんな嘘っぱちを、皇帝の国の周囲にあった蛮夷のミニ皇帝たちが,軒並み真似をしよった。皇帝を真似て、ミニ天子を天皇と造語した国もあった。それから年を経て、皇帝は今やなくなり、他のミニ皇帝たちも消えたが、天皇だけは生き残っている。権力者に使い勝手がよかったからじゃろうが、それにしても奇妙なことよのう。

以前、天皇の末裔が、その国を大いくさに巻き込んでな。国を破滅の寸前にまで陥らせた大事件が起きた。周りの国と国民にはこの上ない不幸をばらまき、自国の民にも塗炭の苦しみを味あわせた。それでも、臣民たちは畏れ多いなどと言ってな、天皇を裁くことはしなかった。これが、嘘っぱちの効用であり、罪深さだ。

さて、ここからはムカシのことではない。その戦犯の子が、天皇の地位を嗣いだ。そのとたんにバブルがはじけて、長期の不況とその国の衰退が始まった。それだけでなく、大地震・大津波も起こった。大津波に続いた深刻な原発事故もおきた。さなきだに、その国の現状はこんな具体だ。

「合計特殊出生率は世界最低クラスであり、自殺死亡率は世界トップクラスである。所得格差は、先進国の中でトップクラスにあると懸念され、特に母子世帯の相対的貧困率は最高である。また、税・社会保障による移転の前後で子どもの相対的貧困率を比べると、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で日本でのみ、移転後のほうが高い」(2010年学術会議提言)という、これまでにない情けない事態た。実は、これこそ天譴ではないか。

最近、その国では天皇がまた交代したという。それ以来半年が経過したが、碌でもないことばかり。とりわけ、台風と豪雨、河川氾濫の災害は過去に例のない規模だという。これもまた天譴ではないか。何に、天は怒っているのか。常人には分かりにくいところだが、忖度するに次のようなことではなかろうか。

今回の天皇交代にかける費用は166億円と予算計上されておる。前回比で、3割増だ。台風禍、豪雨禍の被災者をそっちのけで、大規模な「饗宴の儀」の繰り返し。「饗宴の儀」とは、要するに税金を使っての飲み食いじゃ。これが、4回も行われるというんじゃな。あと2回あるが、まだ中止と言わない。その無神経に、天は怒っているのじゃろうて。

考えて見れば、天の怒りが権力者には向かわず罪のない庶民に被害を及ぼすのだからひどい話だ。それでも、このままでは、もっと大きな天地鳴動の天譴が起きかねない。くわばらくわばら。
(2019年10月28日・連続更新2401日)

憲法と落語(その6) ― 「淀五郎」が問いかける忠臣蔵イデオロギー

忠臣蔵を扱った落語の演目の著名なものとしては、「淀五郎」「中村仲蔵」「庫丁稚(四段目)」「七段目」「九段目」…、あたりだろうか。いずれも、討ち入りの事件を直接の素材にしたものではなく、仮名手本忠臣蔵という芝居がテーマであり、芸談でもある。

抜きん出て知られるものが「淀五郎」であろう。昔は名人圓喬の持ちネタだったというがレコードに残る時代のことではない。録音が残る時代となってからは、「淀五郎」と言えば六代目圓生。特に圓生百席の「淀五郎」が極めつけか。また、正蔵の「淀五郎」も捨てがたく、さすがに芝居話として聞かせる。歌舞伎を知らない世代に、仮名手本忠臣蔵を上手に解説して,この点は親切で分かり易い。

よくできた芸談だが、忠臣蔵のイデオロギーを当然の前提としている点に注目せざるを得ない。正蔵の淀五郎が、大序「鶴が岡兜改めの段」の語りを述べる。これが、忠臣蔵イデオロギーの解説。

嘉肴(かこう)ありといへども食せざればその味を知らずとは。国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るゝに、たとへば星の昼見えず夜は乱れて現はるゝ、ためしをこゝに仮名書の…

よき武士とは、忠と武勇とを備えた者。乱世には、忠と武勇は自ずと目立つことになるが、泰平の世では目立つ機会がない。しかし、忠勇の武士は昼は見えない星のごとく、隠れてはいるがなくなったのではない。いったんことあれば夜に輝く星のごとくに現われて、褒むべき活躍をする。まさしくそれが、赤穂浪士の討ち入り、というわけだ。

身分制社会の支配者の側が、被支配者の側に求めるものが忠義・忠節という徳目。支配を力で押し付けるだけでなく、支配される側がこれを倫理上の徳目として受け入れてくれれば、こんなに都合のよいことはない。

武士階級だけでなく町民までもが、忠義という徳目を価値あるものと受容していた。だからこその討ち入り賛美である。それ故に、町人文化において、仮名手本忠臣蔵が名作とはやされ、落語「淀五郎」も成立しているのだ。

淀五郎が演ずる塩谷判官は、どうひいき目に見ても短慮のバカ殿以外のなにものでもない。法に反して殿中で抜刀し老人に斬りつけたのだ。切腹は自業自得としても、お家断絶は傍迷惑な話。大企業が突然破産するに等しく、夥しい数の従業員や関連下請け業者の失業者を生み、その家族を路頭に迷わせる。

四段目の腹切りの場面では、判官は「由良助はまだか」と死に際に焦る。家臣団を代表する筆頭家老に詫びをしたいというのではない。自分の引き起こした不始末の事後処理を委託するというでもない。ようやく間に合った由良助に、この九寸五分は汝へ形見。我が鬱憤を晴らさせよ」というのだ。さらに一騒動起こせと、テロを教唆して死ぬ。

こうして、47人のテロ集団が平和な江戸を騒がせることになる。ひとえに、バカ殿のせいである。ところが、芝居の見物人は「忠義なサムライの武勇談」として喝采を送る。座頭の団蔵は淀五郎に、忠臣由良助が主君の近くに擦り寄りたい心境を述べつつ、5万3千石の大名の風格の演技ができなければ、近寄ろうにも近寄れない、という。

演者も聴衆も、この支配者側のイデオロギーである忠義を当然の美徳として了解していればこその話の運びなのだ。ところで、圓喬も圓生も正蔵も、江戸時代の人物ではない。忠義・忠節のイデオロギーは、近世から近代にみごとに受け継がれた。それが、一君万民、すべての民草の天皇への忠誠と形を変えてのことである。

教育勅語では我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教えられ、軍人勅諭では「軍人は忠節を尽すを本分とすへし 」「只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」と叩き込まれた。

忠臣蔵に喝采した町人階級の無自覚な精神が、天皇制をも支えることとなったのだ。そして、天皇の代替わりを無自覚に慶事と受容する現代の国民の精神構造は、淀五郎の時代と基本的な変化がない。

淀五郎のオチは、「待ちかねたあ~」である。由良助の着到ではなく、忠義などという支配のイデオロギーの払拭についてこそ、待ち侘びねばならない。
(2019年10月26日)

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