澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

徴兵検査のない成人を迎えた若者に訴える。ぜひ主権者として、平和憲法擁護の自覚を。

本日(1月14日)は「成人の日」。数少ない、天皇制とは無縁の、戦後に生まれた祝日。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日(祝日法)とされている。関東は天気も晴朗。「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」にふさわしい日となった。私も、この日に、若者諸君に祝意と励ましの言葉を贈りたい。

何をもって「成人」であることを自覚するかは、社会によって時代によって異なる。かつての日本では徴兵検査だった。その時代、すべての成人男子には否応なく兵役の義務が課せられた。男子にとって大人になるとは、天皇の赤子として、天皇の軍隊の兵士になる義務を負うことだった。軍人勅諭を暗唱し、行軍と殺人の訓練を受けた。戦地に送られ、命じられるままの殺戮を余儀なくもされた。

その時代、主権は天皇にあって国民にはなかった。立法権も天皇に属し、帝国議会は立法の協賛機関に過ぎなかった。女子には、その選挙権も被選挙権もなかった。その時代、天皇制を支えた家制度において女性は徹底的に差別され、民事的に「妻は無能力者」とされていた。

あり得ないことに、天皇は神を自称していた。もちろん、神なる天皇は操り人形に過ぎなかった。この天皇を操って権力や富をほしいままにした連中があって、その末裔が今の日本の保守政治の主流となっている。

天皇、戦争、女性差別は一体のものだった。そのような非合理な国は亡ぶべくして亡びた。国の再生の原理は、新しい憲法に確固として記載された。国民主権、平和、そして自由と平等である。徴兵制はなくなった。天皇に対する批判の言論も自由である。女性差別もなくなった…はずである。その憲法の「改正」をめぐって、いませめぎ合いが続いている。

平和も、国民主権も、性差のない平等も、言論の自由も、昔からあったものではない。これからずっと続く保障もない。現実に、憲法は一貫して「改悪」の攻撃に曝されている。徴兵検査のない成人式も、主権者の意識的な努力なければ、今後どうなるか定かではない。

私たち戦後間もなくの時代に育った世代は、日本国憲法の理念を積極的に受容して、今日までこの憲法を守り抜いてきた。しかし、この憲法をよりよい方向に進歩させることは今日までできていない。いま、せめぎ合っているのは、憲法を進歩させようという改正問題についてのことではない。大日本帝国憲法時代の「富国強兵」の理念を復活させようという勢力が力を盛り返そうとしているのだ。言わば、「成人男子には徴兵検査を」という時代への方向性をもった「憲法改悪」なのである。

今の若者は保守化していると言う言葉をよく聞く。しかし、今のままでよいじゃないかというほどの社会はできていない。今のままでは将来が不安だと若者たちも気付いているはずだ。

この世の不正義、この世の不平等、権力や資本の横暴、人権の侵害、平和の蹂躙、核の恐怖、原発再稼働の理不尽、沖縄への圧迫。格差貧困の拡大、過労死、パワハラ、セクハラ…。この世の現実は理想にほど遠い。若さとは、この現実を変えて理想に近づけようという変革の意志のことではないか。

若さとは将来という意味でもある。社会がよりよくなればその利益は君たちが享受することになる。反対に社会が今より悪くなればその不利益は君たちが甘受しなければならない。

君たちには多様な可能性が開けている。未来は、君たちのものだ。君たち自身の力で、未来を変えることができる。これから長く君たちが生きていくことになるこの社会をよりよく変えていくのは君たちだ。

さて、今年は、選挙の年だ。君たちの一票が、この国の命運を決める。とりわけ7月に予定の参院選。いまは、自・公・維・希の改憲勢力が、かろうじて議席の3分の2を占めている。この3分の2の砦を突き崩せば、安倍改憲の策動は阻止することができる。君たちの肩に、主権者としての責任が重くのしかかっている。

投票日だけの主権者であってはならない。常に、主権者としての自覚をもって、民主主義や人権・平和のために何ができるかを考える人であって欲しいと思う。

一つ、主権者としての自覚における行動を提案したい。DHCという、サプリメントや化粧品を販売している企業をご存知だろうか。その製品を一切購入しない運動に参加して欲しい。商品の積極的不買運動、ボイコットでこの企業に反省を迫ろうというのだ。

DHCとは、デマとヘイトとスラップをこととする三拍子揃った企業。その会長である吉田嘉明が在日や沖縄に関する差別意識に凝り固まった人物。電波メディアを使って、デマとヘイトの放送を続けている。そして、吉田嘉明とDHCは、自分を批判する言論に対するスラップ(言論抑圧を動機とする高額損害賠償訴訟)濫発の常習者でもある。詳しくは、当ブログの下記URLを開いて、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズをお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

あなたがなんとなくDHC製品を買うことが、デマとヘイトとスラップを蔓延させることになる。あなたの貴重なお金の一部が、この社会における在日差別の感情を煽り、沖縄の基地反対闘争を貶める。また、安倍改憲の旗振りに寄与することにもなる。

言論の自由を圧迫するスラップ訴訟は、経済合理性を考えればあり得ない。しかし、DHCの売り上げの一部が、こんな訴訟を引き受ける弁護士の報酬にまわることにもなる。

DHC製品不買は、「消費者主権」にもとづく法的に何の問題もない行動。意識的にDHC製品を購入しないだけで、この社会からデマとヘイトとスラップをなくすることができる。若者たちに訴える。ぜひ、主権者としての自覚のもと、「DHC製品私は買わない」「あなたも買っちゃダメ」と多くの人に呼びかけていただきたい。投票日だけの主権者ではない、自覚的な主権者の一人として。
(2019年1月14日)

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝から

皆様、安倍晋三でございます。明けましておめでとうございます。
内閣総理大臣としての年頭記者会見に当たり、天皇陛下と皇族の方々、そして国民の皆様にも謹んで新年のご挨拶を申しあげます。

平成31年、平成最後となる新年の仕事始めとして、先ほど伊勢神宮を参拝し、皇室の弥栄と我が国の安寧、発展をお祈りいたしました。国民主権とは申しますが、なんといっても、我が国の国柄からすれば、国家あっての国民であり、皇室あっての国家ではありませんか。ことの順序として、まずは皇室の弥栄をお祈り申しあげ、次いで国家の安寧・発展を願った次第です。国民の幸せは、特に祈念いたしませんでしたが、それは皇室の弥栄と、国家の安寧・発展に付録としてくっいてくるものですから、安倍内閣が国民の福利を無視するものというような印象操作の発言は慎んでいただくようお願いいたします。

今年は、ほぼ200年ぶりに天皇の生前退位によって皇位継承が行われる歴史的な年であります。その年頭に、皇室の祖先神をお祀りされている伊勢神宮を参拝いたしますと、神鎮まりいます境内の凜とした空気に、いつにも増して身の引き締まる思いであります。

今年も、美しく強い国を取り戻すために、内閣総理大臣としてしっかりとことをなそうと決意を新たにした次第です。いうまでもなく、国の理想を語るものは憲法でございます。何よりも必要な喫緊の課題と憲法改正を位置づけなくてはなりません。皇室を戴く我が民族の歴史と文化にふさわしい憲法を実現しなければ、美しく強い国を取り戻すことはできないのです

しかし、皆さん。ご存じのとおり、この国には「美しく強い国を取り戻す」という自明な正しい目的を理解できない「あんな人々」が少なくありません。憲法改正を喫緊の課題と考えない、非国民同然の「あんな人々」に負けるわけにはいかないのです。

今年の干支にちなんで、改憲に猪突猛進とまいりたいところですが、「急いては事を仕損じる」ともいうではありませんか。いのししの動きは、自由自在。障害物があれば左右によけたり、ひらりとターンすることができる。意外と身のこなしがしなやかな動物だそうであります。私も本年は、いのししのようなスピード感としなやかさを兼ね備えながら、ときには寝たふりもして「あんな人々」を欺いて、憲法改正に邁進いたします。もとより、ウソとごまかしは、私の最も得意とするところですから、これを存分に駆使したい。亥年の年頭に当たって、そう決意しています。

ですから、街頭で日の丸や旭日旗を振る右翼の各位、匿名に隠れてヘイトを垂れ流すネトウヨの諸君、そして改憲陣営・歴史修正主義派、反中嫌韓の皆様には、現政権に相変わらぬ御理解と御支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

さて、今年5月1日には皇太子殿下が御即位され、改元が行われます。新しい元号は、これまでは先帝の死後に新帝が決定し公表する慣わしとなってきました。しかし、今回もこれを貫こうとすれば、国民生活への多大な混乱が生じます。実は国民生活の混乱などは些事でどうでもよいことなのですが、大きな混乱を機に元号不使用の国民世論が爆発的に増えることが予想され、そのことが看過し得ません。

政治を与る者として痛感するのは、天皇制とは便利なものだということです。ナショナリズムの中核にあって、国民の統合を支え、何の根拠もなく国民の情緒的一体感をつくってくれる。天皇が被災地へ行って、被災者に慰めの言葉をかけてくれると、補償や復興の実現なくても政治の失敗に対する怨嗟の声が上がることを防止してくれる。対策を安上がりにすることもできるのです。

かつて、靖国神社について、その最大の存在理由は「最も安上がりな戦没将兵の遺族対策にある」と言われていたそうです。「もったいないことに、天皇陛下様が、戦死したウチの息子のためにお祈りしてくれる」という遺族臣民の心情あってこそ、戦没将兵の遺族補償を安価に切り捨てることができたのです。臨時大祭のたびに、時の天皇は必ず親拝されましたが、その経済効果は莫大なものであったわけであります。今の天皇陛下の被災地訪問も、同様の経済効果を有しているものとして、ありがたくてなりません。

そのように天皇制が機能するのも、国民が天皇制を支持している限りのことです。国民から冷たい目で見られる天皇、国民から見離された天皇制は、惨めな存在となるだけでなく、政権にとって何の利用価値もないものとならざるを得ません。存在の必然性を欠く天皇制を維持するのですから、あの手この手の工夫が必要ですが、その最大級の手立てが、元号です。年の数え方を天皇の在位に合わせて、いつもいつも国民に天皇の存在を意識させる優れものにほかなりません。

この元号を、国民生活に不便なものとすれば、一斉に国民の元号使用は遠のいてしまいます。それは象徴天皇制の危機であり、政権が便利な道具を失うことでもあるのです。だから、国民生活への影響を最小限に抑える観点から、即位に先立って4月1日に新元号を発表する考えです。「1か月前では遅すぎる。もっと早期に新元号の発表を」という声の強いことは承知しています。もちろん、元号廃止の声があることも。しかし、それでは、私の固有の支持基盤である保守層が納得しないのです。このあたりが、ぎりぎりのところ。私も苦しいのです。その辺のところをご了解ください。

なお、最後に申しあげますが、私の仕事始めは伊勢神宮参拝から、そして年頭記者会見はこの伊勢の地で行うことが、恒例でございます。これを、宗教団体や一部偏向した市民団体が、「政教分離に反する」「憲法違反だ」と抗議することも恒例となっています。彼らの主張は、こんなところです。戦前、国家と神道の癒着がもたらした国家神道なるものが、天皇を神とし、日本を神国とする誤った狂信をもたらした。その独善的な狂信が近隣諸国への侵略戦争や植民地主義の精神的土台ともなって、結局は国を滅ぼした。また、国民に筆舌に尽くしがたい惨禍をもたらした。だから、現行日本国憲法は、国家と宗教との間に厚く高い壁を築いて、再びの癒着を禁じた。それが政教分離だ、と。おそらく、それが正しいことだから、やっかいだとは思うのです。

しかし、皆さん、日本は皇室あっての日本ではありませんか。憲法あっての日本ではない。厳格に憲法を守ることで、皇室の尊厳を損なうようなことがあれば、憲法をこそ変えなければならないと考えるべきではありませんか。

それだけではありません。世論も近隣諸国も、私が靖国神社に参拝することには、大騒ぎで反対しますが、伊勢参拝に騒ぐのはごく一部の原理主義者だけではありませんか。確かに、靖国神社は、戦争に関わる軍国神社と言われればそのとおりです。しかし、この伊勢神宮の平和なたたずまいをご覧いただけば、靖国神社との違いは明白ではありませんか。

昭和天皇も、靖国神社については、次のような御製を遺しておられます。

 この年のこの日にもまた靖国の 宮しろのことにうれひはふかし

これは、昭和天皇が、靖国にA級戦犯が合祀されたことについて「うれひはふかし」とおっしゃったものとされています。昭和天皇も、靖国神社に参拝することには、大いに問題があるとお考えだった。しかし、伊勢神宮については、「うれひはふかし」と言ってはいません。それなら、なんの問題もありません。要するに、私は、反対の声が強くなければ憲法など歯牙にもかけないのです。

年頭に、内閣総理大臣が皇室の祖先神に詣でて、皇室の弥栄と国家の繁栄を祈る。万世一系連綿と皇統の続く単一民族の国家日本の歴史と文化に鑑みて当然のことではありませんか。これが違憲なら違憲で結構。今年も、日本国憲法よりは民族の歴史を重んじる姿勢を貫く決意を重ねて申しあげて、年頭のご挨拶といたします。
(2019年1月5日)

「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。

本日(1月3日)の各紙社説のうち、産経と毎日が天皇代替わりのテーマを取りあげている。極右路線で経営危機を乗り切ろうという産経の相変わらずの復古主義の論調には、今さら驚くこともない。言わば、「犬が人に噛みついた」程度のこと。仮に産経が国主権原理から天皇を論じることになれば、「人が犬に噛みついた」大ニュースとして注目を集めることになるだろうが。

産経主張の表題が、御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものにという時代がかった大袈裟なもの。産経はこれまでも「御代」「御代替わり」なる語彙をたびたび使用してきた。恐るべき時代錯誤の感覚である。そして恐るべき臣民根性の発露。

産経は、「天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。」という。これはまさしく信仰の世界の呪文に過ぎない。天皇教という信仰を同じくする者の間でだけ通用する呪文。その信者以外には、まったく通じる言葉ではない。

天皇の代替わりとは、「天皇」という公務員職の担当者が交代するだけのこと。しかも何の国政に関する権能も持ってはならないとされている天皇の地位である。その地位にある者の交代が、「歴史的な」「重要事」ということは、日本国憲法の基本理念の理解を欠くことを表白するものにほかならない。

また、産経は、「長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。」ともいう。

こういう、「感謝」「敬愛」「寿ぎたい」などの押しつけは、迷惑千万このうえない。このようなメディアの言説は、天皇にまつろわぬ人々を「非国民」として断罪した集団ヒステリーの時代を彷彿とさせる。

産経の論調の中で看過できないのは、「新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。」というくだり。

産経に限らず、「天皇の本質は『祈り』である」などと言ってはならない。それこそ、憲法が厳格に禁じたところなのだ。かつて天皇は、神の末裔であるとともに最高祭司でもあった。天子とは、天皇の宗教的権威に着目した呼称である。大日本帝国憲法は、天皇の宗教的権威を積極的に認めて、これを天皇主権の根拠とした。国民主権を宣言した日本国憲法は、天皇からいっさいの政治的権能を剥奪しただけでなく、その宗教的権威を認めてはならないことを明定した。それが政教分離の本質である。天皇は公に祈ってはならない。国民国家のために祈るなどは、天皇の越権行為であり、違憲行為なのだ。家内の行事として、私的に祈る以上のことをしてはならない。

毎日の社説には正直のところ驚いた。あらためて、「象徴天皇制の有害性恐るべし」の感を深くせざるを得ない。産経の主張は看過しても、毎日のこのような論調を看過してはならない。積極的批判の必要性を痛感する。

毎日社説の表題は、「次の扉へ ポスト平成の年に 象徴の意義を確かめ合う」というもの。天皇は国民が選挙によって選任する対象ではない。次の選挙で取り替えることも、弾劾裁判もリコールの制度もない。そのような天皇の存在に積極的な意味を与えてはならない。「象徴」とは、存在するだけで積極的な意味も内容もない地位を表しているに過ぎない。「平成からポスト平成へ」で何も変わることはないし、変わってはならない。「次の扉へ」などと、なにかが変わるような国民心理の誘導をしてはならない。

「戦後しばらくは、民主主義と天皇制との併存について疑問視する声が相当程度あった。だが、陛下は国民主権の憲法を重んじて行動し、天皇と国民の関係に、戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた。平成は民主主義と天皇制が調和した時代といえる」

これが、毎日社説のメインテーマであり最も罪深い世論の誘導である。産経のような一見バカげた論調ではないだけに影響力を無視し得ない。

毎日は、次のように時代を区分して、天皇制と国民の関係を整理して見せた。
1 戦前 天皇制と国民との関係は暗い時代
2 戦後しばらく 民主主義と天皇制との併存が疑問視された時代
3 平成 民主主義と天皇制が調和した時代

しかも、毎日は、「天皇が戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた」と評価する。

私には、「民主主義と天皇制」とは対立し矛盾するのみで、その両者が調和することは到底あり得ないと思われる。ましてや能動的に行動する象徴天皇においてをや、である。民主主義とは、自立した主権者の存在があってなり立つ政治制度ではないか。天皇の存在は、主権者の自立の精神を阻害する最大の敵対物にほかならない。

主権者の精神的自立を直接妨げるものが権威主義である。権威を批判しこれに逆らう生き方は困難であり、安易に権威を認めて権威に寄り掛かることこそが安楽な生き方である。したがって権威の存在する社会では個人の精神的自立が容易ではない。天皇の存在自体が権威であって、天皇を受容する精神が権威主義そのものである。天皇とは、この社会において敬語の使用が強制され、天皇への批判が封じられる。そのような天皇という権威の存在は、民主主義にとって一利もなく、百害あるのみと言わねばならない。「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。
(2019年1月3日)

2019年を「アベ改憲阻止の年」に

あらたまの年のはじめ。2019年の元日に、それらしいことを書き留めておきたい。

まずは、今年の願い。何よりも、今年を「アベ改憲阻止の年」としたい。改憲勢力の側からすれば、「改憲断念を余儀なくされる年」。改憲派にとっては、「アベのいるうち、改憲派が両院ともに3分の2の議席あるうち」が、千載一遇の改憲のチャンスなのだ。「アベを降ろす」か、衆参どちらかの議院で自・公・維の合計議席数を3分の2以下にすれば、改憲を阻止できる。その展望は大いに開けている。

アベ晋三の総裁任期は2021年秋までではあるが、選挙の顔として使えなくなれば、冷酷に取り替えられることになろう。一強政治の驕慢に対する国民的批判は大きなうねりになっている。未解明のままくすぶっているモリ・カケ両事件で露呈された、アベ政権の政治私物化や隠蔽の体質、説明すっとばし手法への批判は抜きがたい。「信なくば立たず」の信が決定的に欠けているのだ。また、新自由主義の基本政策に大きな破綻が見えつつある。露骨な軍事力増強路線への危惧も拡がっている。アベが政権にしがみついたにしても、改憲どころではなくなりつつある。もうすぐレームダック化という様相ではないか。

今年7月の参院選が、当面の決戦のとき。これで市民運動が結節点となった立憲野党共闘が勝てれば、勝負あったとなる。その成否は、各選挙区ごとでの野党共闘ができるか否か、それを通じての政権打倒の雰囲気を作れるかにかかっている。また、その前哨戦としての4月の統一地方選挙の取り組みと結果が、参院選に大きく影響する。年明け早々からの野党共闘の具体化に目が離せない。

防衛大綱論議で年を越したが、2019年は、「3・1朝鮮独立運動」「5・4運動」から100周年の年である。3・1の直前に、日本での「2・8独立宣言」もあった。中国や北朝鮮・韓国との軋轢を語るよりは、日朝・日中関係の歴史を繙く年になる。歴史修正主義者の跳梁と、中国・朝鮮脅威論とが結びついている。この動きと対峙しなければならない。

そして、今年は天皇の生前退位と次期天皇の就位の年でもある。国民主権を支えるものは、国民の主権者意識の確立である。天皇主権から脱して国民主権を獲得した日本国民が、天皇の言葉をありがたがってどうする。国民意識は天皇の言動に影響されてはならないし、天皇の言動に影響されるようなヤワな主権者意識であってはならない。

そもそも、「天皇の象徴としての行為」など認めてはならない。その肥大化に努めた現天皇(明仁)の越権への批判が必要なのだ。そして、臣民根性の抜けきらない人々を政治的に利用しようという支配層の思惑を糺弾し続けなくてはならない。その上で、今年4月1日に発表されるという新元号を使用しないことを心がけるとともに、使用強制に反対を貫ぬきたい。

なお、今年の10月、消費増税が予定されている。8%を10%に、である。今、世論調査では、増税に反対が上回っている。それでは財政か逼迫する? バカげた話しだ。金持ちから、大企業から、応分に取ればよいだけのことではないか。あるいは、「いずも」だのF35Bだの、あるいはイージスアショアだの、無駄な軍事費を削ればよい。庶民増税で金持ち減税、福祉を削って軍事費拡大、では本末転倒も甚だしい。今年は、経済政策や財政問題を避けて通れない年になる。

ところで、元日は目出度いだろうか。どのように目出度いのだろうか。こどもの頃、小学唱歌『一月一日』を唱った。この印象が強い。実はこれ、1893(明治26)年に文部省が「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表されたもの。作詞者は千家尊福(出雲国造)である。

 年の始めの 例とて
 終なき世の めでたさを
 松竹たてて 門ごとに
 祝う今日こそ 楽しけれ

私のこどものころは、既にこの1番だけだった。誰からも歌詞の意味や由来などは教えられなかった。漠然とだが、「終なき世」とは、戦争や原爆でこの世が終わることなく平和が続いていくこと、だと思っていた。だから、毎年の始めに平和を祝い、平和を願うのだと思い込んでいた。私が、戦後の広島で小学1年生になったからなのかも知れない。

しかし、原意はまったくそうではない。この歌、天皇の御代の頌歌なのだ。「終なき世」とは、「天壌無窮の天皇の世」のことである。この歌には2番がある。千家が作詞したのは次の歌詞だった。

 初日のひかり 明らけく
 治る御代の 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

「明」と「治」とを読み込んだ明治の御代讃歌。読みようによっては、明治天皇(睦仁)へのへつらい歌。これだと「君がみかげ」の「君」は、万世一系の個性のない天皇ではなく、当代の睦仁を指すことになろう。それあってか、睦仁死後間もなく2番の歌詞が変えられ、敗戦まで次のように唱われた。

 初日のひかり さしいでて
 四方に輝く 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

新年も、初日も、ひかりも、輝く空も、何もかも天皇の姿のごとくに尊いという。そんな歌を唱わされた時代だったのだ。一天四海の天地万物・森羅万象すべてが、天皇の御稜威に結びつけられた奇妙奇天烈な時代。しかも、そんな歌を唱わされたことに対する批判の自覚は国民殆どになかった。今にして恐るべき時代というべきではないか。敗戦で本当にそんな時代は、過去のものとして清算され終わたのか。実は、曖昧に連続しているのではないか。その時代と現在の関係は、「断絶」なのか「連続」なのか。常に問い続けなければならない。

同じ敗戦国ながら、ドイツはナチスの時代を徹底して反省し責任を追及することで、「断絶」に成功しているように見える。日本は、自らの手で戦争責任を追求しなかった。天皇の責任も不問に付され、「連続」の色彩が濃い。その「断絶」と「連続」の対照を象徴的に視覚化しているものが、ハーケンクロイツと日の丸の取り扱いの差異である。

日本では、その「連続」の部分から改憲指向が芽生えている。天皇の元首化、秩序偏重、ナショナリズム、軍事大国化、個人の尊厳の軽視…。憲法を尊重することは、明文改憲を阻止するだけのことではない。大日本帝国憲法と日本国憲法との「断絶」を意識し、復古を許さぬことなのだ。

天皇代替わりの年の元日に、改めてそう思う。
(2019年1月1日・連続更新2102日)

原敬とアベ晋三、100年間の進歩はあったか。

昨日(12月27日)は盛岡だった。少し時間に余裕があったので、原敬記念館に足を運んでみた。初めての見学。年末だからであろうか、閑散として見学者は他になかった。

館自身の案内はこうなっている。

 「大正時代に平民宰相として活躍した原敬(はらたかし)の生家に隣接して建設された記念館です。
 原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立に命をかけて活躍しました。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記(はらけいにっき)、遭難時の衣服、遺品、遺墨等を展示しています。」

 郷土の有名人を顕彰したいという気持はよくわかる。できるだけ偉人として讃えたいのだ。そのキャッチフレーズが、終生爵位を受けなかったところからの「平民宰相」だ。が、「民主政治の確立に命をかけて活躍し」は本当だろうか。さて、讃えるほどの業績として、いったい何があるのだろうか。

盛岡出身の私だが、地元に原敬人気というものを感じたことはない。盛岡ゆかりの人として啄木や賢治を熱く語る人は無数にいる。しかし、「原敬を慕う」「尊敬する」などという風変わりな人物の存在は寡聞にして知らない。むしろ、「利益誘導型保守政治家の原型」「徹底して普通選挙に反対した宰相」というイメージが強い。アベ政治の原型を作った政治家と言ってもおかしくはない。展示物の中には、「民衆からの人気はない」という辛口の記事もあった。

記念館のリーフレットにある原についての解説は次のとおりである。

安政3年(1856)に生まれる。15歳の時、戊辰戦争の敗戦の屈辱を心に秘めて上京し勉学に励んだ。新聞記者を経て主として外務省を中心に明治政府の役人となり、井上馨や陸奥宗光にその才能を認められて活躍し外務次官にまで昇進した。
 明治30年(1897)外務省を退官して再び言論界に戻り、大阪毎日新聞社長として論説及び経営に腕を振るった。明治33年立憲政友会の創設に関わり、政治家の道に入って、明治憲法のもとで政党政治の確立につとめた。明治35年、衆議院議員に立候補して以来故郷の盛岡より連続8回当選し、また中央政界では立憲政友会の幹事長から総裁となり、大正7年(1918)9月首相となった。
 新聞社時代には署名論文に筆をとる一方、数々の著書を残した。
 満19歳から、65歳の兇刃に倒れた当日までの記録「原敬日記」83冊は、学術上の貴重な文献となっている。
 趣味として俳句をたしなみ、「一山」や「逸山」の号でその時々の心境を託したすぐれた作品が数多く残されている。

「勉学に励んだ」「役人となり活躍」「外務次官にまで昇進」「新聞社長として腕を振るった」「政党政治の確立につとめた」「数々の著書を残した」「『原敬日記』は、学術上の貴重な文献」が、褒め言葉なのだろうが、具体的に何をしたのかさっぱり分からない。丹念に展示品を見て回ったがやっぱり分からない。

分かったことは、ちょうど100年前の1918年に原敬が初めて本格的な政党内閣を組織したこと。1921年に彼は暗殺され、早くも政党政治は揺らぐ。そして、政党内閣時代は1932年の5・15事件で終焉を迎える。わずかに15年たらずのこと。

本日になって、ネットで検索をしてみた。ウィキペディアが肯ける内容の解説をしている。興味深いところだけを引用しておきたい。

原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上(馨)に推薦を要請している。…また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。

この人、ジャーナリスティックな感覚に優れていたのだろう。「平民宰相」のネーミングを有効に活用したのだ。しかし、「平民」は彼にとってそれ以上のものではなかったようだ。所詮は無産階級や無産政党とは異世界に住み、実のところ、「ポーズだけの平民政治家」「普通選挙に反対しとおした平民宰相」であった。

また、つぎの一文が目についた。

首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の施行は、憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。

100年後のアベ政権はこうなるだろうか。

首相就任前の安倍への期待は右翼や改憲勢力や歴史修正主義者において大きく、国民の大半は民主党政権への失望からの消極的支持に過ぎなかった。就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが大企業や金持ち階級、そして歴史修正主義派向けのものであった。また、森友事件や加計学園問題など、度重なる政治の私物化事件の発生や、公文書の隠匿・捏造・改竄を特徴として、民意の失望を招いた。さらに、立憲主義を理解することなく、首相自らが明文改憲を提唱し、解釈の変更による壊憲に奔走して、平和と民主主義の衰退をきたす元凶と指弾された。

この100年、議会制民主主義に進歩はあるのだろうか。そして、アベ政治後の議会制民主主義の危機を心配しなくてもよいのだろうか。

ところで、同館のリーフに、みごとな筆の「遺墨」が掲載されている。盛岡での戊辰戦争殉難50周年慰霊祭のあとの書だという。

  焚く香の煙のみだれや秋の風

という句に添え書きがあり、「余は、戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓をひく者あらんやと云って、その冤を雪げり」と読める。

「冤を雪ぐ」(えんをそそぐ)は、「冤罪」を晴らして無実を明らかにすること。賊軍とされた南部藩の死者について、「官軍側と政治的見解の相違はあったが、どこにも天皇に刃向かう者などいるはずはない」と弁護してその無実を晴らした、という一文。

時代の制約と言えばそれまでだが、この人どっぷりと天皇制に浸りきった生涯を送った。それが、安全な時代だった。今の時代には恥ずかしい天皇を敬する歌や句を遺している。たとえば次のような。

  大君の御面にかへて御かたみを 年のはじめにをがみつるかな

  はれ衣着て御幸拝むや秋日和

同じくフランス語とフランス文化を学びながら、中江兆民と原敬との天と地ほどの落差はどこからきたのだろうか。肝に銘じたい。原敬なる勿れ、中江兆民たれと。

それでも、議会制民主主義にもとづく政党政治は大切だ。薩長藩閥政治よりも、軍閥政治よりも、よっぽどマシなのだ。今、原敬とアベ晋三とを比較して、この100年間の進歩のなさを確認しなければならないことが哀しい。
(2018年12月28日・連続更新2098日)

あたらしい憲法のはなし 『主権在民主義』を読む

「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

その第1章から15章までの各章は、出来のよしあしの落差が甚だしい。「第6章 戰爭の放棄」「第3章 民主主義」の出来が比較的よく、最悪なのが「第5章 天皇陛下」。本日紹介する『第4章 主権在民主義』は、最悪の部類ではないが、なんとも出来が悪い。まずは、さして長くない全文に目を通していただきたい。

四 主権在民主義
みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。

なんだ、このお説教口調は。「よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません」が、主権在民の論理的帰結だというのか。この文章が説くところは、主権在民の解説ではなく、主権在民の「履き違え弊害」防止説教なのだ。主権在民の世となったのだから、「民」である自分がエライと勘違いしてはいけない。そのことが著者の言いたいことなのだ。「じぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。…責任を感じなければなりません。」というのだ。およそバカげている。

この解説を読んで胸のつかえが治まらないのは、主権在「民」とは、主権在「君」の対立概念であることの説明がないからだ。天皇主権から国民主権への大転換の意義こそが熱く語られなければならない。天皇が主権者だった大日本帝国はなくなり、国民が主権を獲得した日本国が新たに生まれたことを、どうしてきちんと説明しないのか。こう言うべきのだ。

これまで天皇は、じぶんがいちばんえらいのだから、なにをしてもゆるされると思ってきました。そのような天皇を利用しようという人々にあやつられてもきました。国民は、いちばんえらい天皇が命じることに逆らってはいけないと教えられ、天皇に命令されれば、外国に出かけて行って天皇のために外国の人々を殺したり、天皇陛下万歳と言って死んだりしなければなりませんでした。これからは、そんなバカなことはいっさいない世の中に変わったのです。国民が主権者なのですから、天皇を認めるかどうか、国民の考え方次第で決めることができるようになったのです。

また、この解説には権力の概念がない。この解説の著者には、立憲主義の理解がないと言うべきなのだろう。「みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいか」という発題が、「國を治めてゆく力のことを「主権」といいます」と、どう結びつくのか、極めて分かりにくい。主権とは、「だれがいちばんえらいか」ではなく、政治権力の淵源がどこにあるか、である。「新しい憲法のはなし」では、端的にこう言うべきなのだ。

「これまでは、天皇を主権者と認めて、天皇には国民を治めていく力があるとしてきました。しかし、新しい憲法はこれを逆転しました。天皇を除いた国民に、国を治めていく力があり、天皇は国民にしたがわなければならないことになったのです」

(2018年12月25日)

天皇誕生日に昭和天皇の戦争責任を思う

本日は、天皇誕生日。読売の社説が、「天皇陛下85歳 平成最後の誕生日を祝いたい」とある。さて、何ゆえに「祝いたい」のだろうか。本当に目出度いのだろうか。

佛教では、人の逃れ得ぬ不幸を、生・老・病・死の「四苦」と教える。その生とは、そもそも生まれいづることなのだ。「生」は「苦」そのものというニヒリズムに徹した人生観。なるほど、生こそは、老・病・死の出発点であり、愛別離苦・怨憎会苦をはじめとする七難八苦の根源ではないか。とすれば、具眼の士には、人の誕生も誕生日も目出度くなんぞはないことになる。

しかし、凡夫の身には、人の誕生は目出度い。人の成長も目出度い。人の長寿もまた目出度い。苦が伴えども、生きていることは寿ぐべきことではないか。だから、親しい人の誕生日には、祝意が述べられる。

もっとも、赤の他人の誕生日にまで、祝意を述べてはおられない。親しい人であればこその心からの祝意であって、上辺の祝意や祝意の強制ほどいやみでやっかいなものはない。私にとって、天皇は赤の他人。面識もないし、メールのやり取りもない。世話になったことも、世話をしたこともない。多少の関係があるとすれば、私の納めた税金の幾分かが、彼の生活を支えているというくらいのこと。彼の誕生日は、彼の家族や友人には慶事であろうが、私にとっては格別に目出度いことではない。

一昨年(2016年)の今日の「日記」には、「天皇誕生日に思う」を書いた。以下は、その一節。
http://article9.jp/wordpress/?p=7870

昭和天皇(裕仁)の第1子から第4子までは女児であった。女児の誕生は「失望」と受けとめられていた。第5子にして初めての男児誕生が、「日本中が大喜び」「うれしいなありがと」と、目出度いこととされたのだ。もっとも、今退位を希望している天皇である。男児として生まれたことを自身がどう思っているかは窺い知れない。

私の母は、自分の心情として「嬉しかった」とは言わなかったが、「みんなが喜んでいた。嬉しがっていた」とは言っていた。おそらくは、お祭り同様の祝賀の雰囲気が巷に満ちていたのだろう。

天皇制は、不敬罪や治安維持法、あるいは宮城遙拝強制・徴兵制・非国民排斥・特高警察・予防拘禁・拷問などの、おどろおどろしい制度や強制装置によってのみ支えられたのではない。天皇制を内面化した民衆の心情や感性に支えられてもいたのだ。

昨年(2017年)の今日の「日記」には、12月23日・A級戦犯処刑の日に。以下は、その一節。
http://article9.jp/wordpress/?p=9654

本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。

判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。

当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。

天皇は、本日の誕生日に記者会見用の談話を発表している。そのうちの下記の点について、最小限のコメントを付しておきたい。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

この人は出自の重荷を背負って生きてきた人なのだと改めて思う。端的に言えば、親のしたことの償いを自分の使命と考えて生きてきたのだろう。もちろん、昭和天皇(裕仁)の戦争責任を意識してのこと。天皇の戦争責任については、これまで何度も書いてきた。最近のものとしては、下記をご覧いただきたい。

「『あの無謀な戦争を始めて、我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか』」 ― 天皇(裕仁)の戦争責任を追及する正森成二議員の舌鋒(2018年8月23日)
http://article9.jp/wordpress/?p=10939
その書き出しは以下のとおりである。

人は兵士として生まれない。特殊な訓練を経て殺人ができる心身の能力を身につけて兵士となる。人は将校として生まれない。専門的訓練によって躊躇なく部下を死地に追いやる精神を身につけて将校となる。人は帝王として生まれない。「だれもが自分のために死ぬことが当然」とする人倫を大きく逸脱した帝王学によって育てられて帝王になる。

兵士は戦場で死ぬことを覚悟しなければならない。将校は作戦の失敗に責任をとらねばならない。帝王は帝国と運命をともにしなくてはなららない。革命や敗戦によって帝国が滅びるとき、当然に帝王も死すべき宿命を甘受する。が、ごくまれにだが、おめおめと生き延びる例外がないでもない。

昭和天皇(裕仁)は、沖縄地上戦で天皇の軍隊が沖縄の住民に加えた蛮行を知悉していたはず。また、「天皇メッセージ」によって、奄美・沖縄を占領軍に売り渡したことでも知られる。生前、沖縄を訪問することはできなかった。現天皇は、父に代わって贖罪の沖縄訪問を重ねたのだ。サイパンやパラオ、フィリピンの慰霊のため訪問も、贖罪の旅であった。惜しむらくは、自国民の犠牲に対する追悼が明確であったのに比して、加害責任と謝罪の意思は曖昧であった。
(2018年12月23日)

「天皇を再び神としてはならない」とする歯止めの装置が政教分離。だから、「天皇を神とする大嘗祭」への国の関与は違憲なのだ。

今話題の政教分離と大嘗祭の関係について伺います。まずは政教分離からご説明を。

「政・教」の「政」とは「政治権力」のこと、「教」は「宗教」です。どこの世界でも、かつてはこの両者が蜜月の関係にありました。相互に利用し合い、一体化してもいたわけです。

ヨーロッパの近代が、王権と教権とを分離したわけですね。

国家がもつ政治的権力と巨大宗教団体の権威とを切り離すことによって、欧米の近代市民社会が成立したと言って差し支えないと思います。ところが、日本は事情が違った。19世紀の後半に、時代錯誤の政教一致を掲げて、神聖国家を作りあげた。

それが、明治維新後の神権天皇制。

天皇は神の末裔であるとともに自らも神であると称しました。国家がこの信仰を臣民に布教し、徹底して臣民をマインドコントロールした。こうして、神なる天子が統治権の総覧者としての天皇となり、さらには大元帥として軍事力をも統帥しました。

その時代、天皇が宗教的権威でもあり、政治的主権者でもあり、かつ軍事力の統帥者でもあったと言うことですね。

単に、天皇が三層の権威・権力を掌握していたというのではなく、政治的・軍事的実力掌握の正当性が、宗教的権威によって根拠づけられていたという構造の把握が大事だと思います。

その辺をもう少し、具体的に。

大日本帝国憲法の文言が事態を良く説明していると思います。この憲法は、「告文(こうもん)」から始まっています。神への上奏文ということですね。憲法自体が明らかな宗教文書なのです。その冒頭の一文は、「皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク …」というまったくの祝詞、神道の教典そのものです。しかも、国民の方を向かずに、神様の方、自分の祖先神に語りかけているわけです。

さらに、前文にあたる「上諭」には、「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」「朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と書かれています。

ずいぶんとエラそうな態度ですね

何しろ、神様ですからね。万世一系ノ天皇がもつ大日本帝国統治の権限は、神話の世界で祖先神(アマテラス)がアプリオリに持ち、代々の天皇がこれを受け継いできた。だから、「我が家来ども、朕が制定したこの憲法に永遠に従え」というわけですね。

国家統治の権限は「祖先神⇒当代天皇⇒その子孫」と万世一系に受け継がれる、というわけですね。

権力の正当性の根拠は、国民多数の意思にあることが世界の常識であった時代に、敢えて祖先神の神話に求めたのです。このバカげたくわだてが、半ば成功したから恐ろしい。

それが、教育勅語による戦前教育だったのですね。

大日本帝国は、この非合理的な神話の上に成り立ってました。天皇は飽くまでも、神でなければならなかった。

戦後、その天皇が人間宣言をしますね。

天皇(裕仁)が最高の戦犯だったことは、公正にものを見ようとする誰の目にも明らかです。しかし、東条英樹以下の処刑を眺めながら、彼は生き延びました。さらに、諸悪の根源であったはずの天皇制も廃絶されず、彼は戦後も天皇として君臨することになります。その彼も、さすがに神のままではおられなかった。政治的権能と軍事力と、宗教的権威とを剥奪された形で、憲法上の存続を許されたということになります。これが象徴天皇制。

象徴天皇制と政教分離はどう関わるのでしようか。

各国の政教分離の在り方はそれぞれの歴史によって違います。私は、岩手靖国違憲訴訟を受任した40年前から、日本の政教分離とは、ふたたび天皇を神に戻さないための歯止めの仕掛けだと言ってきました。

憲法20条にはそのように書かれていませんが。

「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法20条第3項)、「公金は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、これを支出してはならない」(同89条)が政教分離の条文です。歴史的経緯からの憲法解釈が必要で、日本国憲法での政教分離における「教」とは宗教一般をいうのではなく国家神道のこと。国家神道とは、天皇と天皇の祖先を神として祀る「天皇教」にほかなりません。せっかく人間宣言をして生身の人間になった天皇を再び神に戻してはならない。そのような歴史の歯車を逆転させないための歯止めの仕掛け。それが日本型政教分離原則にほかなりません。

それで、政教分離と大嘗祭とはどう関わることになりますか。

大嘗祭とは、新天皇が、祖先神の霊力を受け継ぐ宗教儀式とされています。まさしく、天皇が神になるための宗教儀式。

 なるほど、「神なる天皇」を否定するのが日本国憲法の大原則なのだから、「神なる天皇」をつくる大嘗祭は、他の何よりも国が関わってはならない宗教行事というわけですね。

日本国憲法を制定する際に、天皇制を廃絶できれば問題はなかった。中途半端に象徴天皇制を残したから、再び天皇が戦前のごとき神格化を獲得して暴威を振るう恐れに歯止めを掛けなければならなかった。それが、日本の政教分離。だから、政教分離原則によって、国が何を禁じられているかといえば、まず何よりも大嘗祭といわねばなりません。

普通、政教分離は天皇や閣僚の靖国神社参拝を禁止するものだという印象が強いのですが。

靖国神社は、天皇制の軍国主義的側面と結びついた軍国神社ですから、これに敏感でなくてはならないのは当然です。しかし、政教分離本来の意味からすれば、大嘗祭をこそ国が関わってはならない宗教行事と考えなければならないはずです。

すると、秋篠宮発言は憲法に則ったものということになりますか。

極めて常識的な見解の表明ですね。皇族が抗議の形でこう言わねばならない状況が、憲法にとっての悲劇と考えざるを得ません。
(2018年12月6日)

天皇の人権と「退位の自由」を考える。

また、吉田博徳さんからお電話をいただいた。また、「オシエテいただきたいことがある」とおっしゃる。で、テーマは天皇の人権についてだという。またまた緊張することになった。

 いったい、天皇には人権というものがあるんでしょうか。

何とも、単刀直入である。吉田さんが、「天皇なんぞに人権を認めてはならない」というご意見でないことは承知しているから、話しはスムーズに運びそうだ。

天皇とて生身の人間ですから、個人として尊重されねばなりません。その意味では、当然のこととして「天皇にも人権はある」ことになりますね。

 でも、天皇には行動の自由というものがないでしょう。自由に街中を歩いたり、散歩も買い物もできない。それでも人権があると言えるんですか。

本来自由があることと、その行使に何らか事実上の支障があることとは分けて考えなければならないのでしょうね。

 天皇には本来的に自由があり人権がある。しかし、事実上行使できないものがあると考えるのでしょうか。

いや、そうではない。天皇の人権は制約されています。しかし、それは象徴という地位と両立しない範囲に限ってのもので、人格の尊厳という人権の大本は天皇にも保障されていると考えざるをえません。

 原則は天皇にも人権がある。ただ、象徴という地位と両立しない範囲では制約される。具体的にはどのように制約されるのでしょうか。

分かり易い例では、天皇には選挙権も被選挙権もない。職業選択の自由もありませんね。任意に住居を定める自由もない。婚姻の自由も制約されています。裁判を起こす権利もないとされています。

 信仰の自由や表現の自由はどうですか。

天皇が人間である以上は当然に精神生活があるわけですから、信仰の自由も思想・良心の自由もなければならない。これは人間としての根源的な存在に関わる自由であり権利なのですから。天皇がクリスチャンであろうと仏教徒であろうと、あるいはイスラム教徒であろうと、もちろん無神論者であろうとも、憲法上の問題はないでしょう。表現の自由も基本的には認められるはずですが、一部制約はありうるでしょうね。

 私はね。常々、天皇ほどかわいそうで不幸な存在はない、と思っているんですよ。どうして、もっと自由にのびのびと暮らしていけるようにしてあげられないのでしょうかね。天皇に、表現の自由があるといっても形だけ。実際は自由にしゃべれないでしょう。それに、天皇にたけは姓もない。

天皇は、国民の納めた税金を使ってそれなりの待遇を受けている、よいご身分じゃないですか。私は、天皇をかわいそうだとは思いません。不平等に苦しんでいる多くの人々がいるじゃありませんか。貴賤の「貴」を認めれば、その対極に「賤」の存在を許すことになる。

 わたしは、大いに同情していますね。こんなカゴの鳥同然の生活は、普通の人にはとても耐えられない。人権には例外を設けるべきではない。人権を大切にする立場の人が、何とかしてあげなければならないんじゃないでしょうか。

吉田さんの立場は、だから不合理な天皇制は廃止した方が良いということですか。

 すくなくとも、天皇が辞めたいときには、辞める自由を保障しなければならないと思っています。でなければ、生涯カゴの鳥でしょう。

ずいぶん前に、同じことを言った皇族がいましたね。確か三笠宮。退位の自由のない天皇は、奴隷的な苦役・拘束を強いられることになるという趣旨でしたね。

 天皇にも人間としての尊厳は保障されているというのであれば、最低限「退位の自由」は確保して、天皇という立場からの離脱の道をのこしてやるべきでしょう。生まれだけで、生涯の不幸な立場を強いられるのは余りにお気の毒。

世襲も身分的拘束も近代法の原理とは別次元の問題ですが、天皇位への就任を拒否する自由、退位の自由が保障されていれば、天皇としての負担も自分で引き受けたことになりますから、もう「かわいそう」と思わなくてもいいんでしょうね。

 やめようと思えば辞められる、それが大事なこと。憲法は、それを認めますか。

憲法には、天皇の退位についての規定はありません。任意に辞められるとも辞められないとも定めはありませんから、法改正次第ということになりますね。

 では、誰にも人権を保障するという立場から、天皇の任意の退位を認める法律を制定すれば良いわけだ。

私は、本来天皇制は廃絶すべきだと思っています。しかし、現行憲法下で、天皇個人の人権擁護のため天皇の退位を認める法改正案が出たとすれば、賛成します。問題は、そんな風に世論が盛り上がるかどうか。

 私のように、カゴの鳥の天皇をかわいそうと思っている人は少なくないと思うんですがね。

現天皇が生前退位の実績を作ったのですから、これをひろげて任意退位の制度を作ってもよいとは思います。

 天皇だって、いつでもやめられると思えば、のびのびと勤めを果たしていけるのではありませんか。

次々にみんな辞めれば、天皇制はなくなるわけですから、可哀想な人もなくなる。

 それに、今日本では年間3万に近い人が自殺していますね。貧困での自殺者を2万人として、その救済のために一人100万円を支給すると200億円かかる。天皇制がなくなれば、宮内庁費と皇室費、皇宮警察の220億円の費用が浮くわけですから、貧困自殺者をなくすることができると思いますよ。

 なるほど。自由がなくてかわいそうな人を救い、金がなくて自殺する人も救える。天皇制なくせば、よいことばかりじゃないですか。
(2018年12月5日)

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自民 12月6日衆院憲法審開催断念

=来年通常国会の発議、厳しい情勢

『憲法審査会強行開催糾弾! 自民改憲案「提出」許すな!

12・6早朝緊急抗議行動』
12/6(木)AM9:00~ 衆議院第2議員会館前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

 http://sogakari.com/?p=3911

大嘗祭への公費支出は憲法上の大きな問題です。聞く耳をもっていただきたい。

11月30日は私の誕生日でした。この日に放映される記者会見の録画撮りが11月22日に行われました。その際には、やや舌足らずと思われるところなどありましたので、これを補って少し整理して、改めて大嘗祭に関する私の考えを明確にしておきたいと思います。

陛下の退位に伴う代替わり行事には、いわゆる天皇の国事行為として行われるものと、皇室行事として行われるものがあります。この両者はまったく性格の違うものですから、きちんと分けて考えていただかねばなりません。

天皇が国事行為として行う儀式は、内閣の助言と承認にもとづいて行うことになっていますが、事実上国家が主催するもので、天皇も皇族も儀式進行担当者の指示にしたがう以外にはなく、陛下も私も、その式の在り方に何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないんですね。

一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは国家の行事ではありません。飽くまでも、皇室の私的行事ですから、本来は私ども皇族の宰領にお任せいただいてよろしいかと思うのです。これについては、私の考えというものもあってもよいし、それを述べることも許されるだろうと思います。

少し具体的に申しあげます。即位の礼。これは国事行為として行われるわけです。即位の礼に付随する一連の行事も国事行為です。その行事の在り方について特に意見があるわけでもありませんし、意見を述べる必要もありません。また、ことさらに意見を述べるべきでもないとおもわれます。

問題は大嘗祭についてです。これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味宗教色が強いものになります。これについては、本来であれば、国の行事ではなく、皇室の私的行事としてお任せ願いたい。それが許されないとしても、少なくも、私どもの考えというものがあってもよいし、それを述べる必要もあるのではないかと思うのです。

大嘗祭は、極めて宗教色の強い行事です。これを皇室の私的行事として、皇室の家計に当たる内廷費でまかなえば憲法上の政教分離原則に抵触することはありません。しかし、国家の行事とし、国費である宮廷費を支出するとなれば、当然に政教分離原則に抵触する恐れが出てきます。それは政府も天皇も、もちろん皇族も、憲法に従うべき立場にある以上、望ましいことではありません。陛下も、私ども皇族も、篤く日本国憲法を尊重し擁護したいと願う立場であることは今さら言うまでもないことです。

私は、平成の大嘗祭の時にも、これを国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきではないという立場でありましたが、そのころはうんと若かったので、明確な発言はできませんでした。

その私も今年で53歳、来年には皇位継承順位第1位の皇嗣という地位に就くことになっています。皇族の一員として一言述べなければならないと思うのです。来年に予定される大嘗祭についても、私の意見は変わりません。宗教色の強い大嘗祭を国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきでもないと言わざるを得ません。

しかし、結局、今回も平成の大嘗祭を踏襲することになったわけです。もうそれは決まってしまったわけで、今さら私の意見を言っても、事態を変えることはできないことになっています。しかし、私としては、やはりこのすっきりしない感じというものを今でも引き摺ったまま持っています。

大嘗祭を国家の行事とし国費を投じる理屈の整理の仕方としては、天皇の一代で一度きりの大切な儀式ということから、国もそれについての関心をもたざるを得ないし、公的性格が強い、ゆえに国費で賄うとされています。平成の時の整理はそのようになされました。

今回もそういう考え方を踏襲しているわけですけれども、国家に宗教行事との関わりを禁じた憲法の政教分離原則について思いをいたすとき、私はやはり大嘗祭に国費を投じる理屈は立たないと思うのです。飽くまで、内廷会計で行うべきだと思っています。この考えは、30年前も今も変わりません。

もちろん、私は大嘗祭自体は絶対にすべきものだと思います。大嘗祭を挙行するとなれば費用が掛かりますけれども、私は内廷費の許す範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすればよい、と考えています。22億円5000万円もの費用を掛けた大がかりな儀式をする必要はない。おそらく、国民の多くもそのように考えているものと思います。国民の多くが納得するように、質素な大嘗祭が望ましいと皇族の一人として意見を述べます。そもそも大嘗祭は皇室の行事なのですから、そういう皇室側の意見を基本とした在り方が本来の姿であろうと思います。

そのことは、私から宮内庁長官などにはたびたび言っているんですね。しかし、長官は話を聞く耳を持たなかった。そのことは私にとって非常に残念なことだったと思っています。

 

「聞く耳を持たなかった」と言われると、ちょっとつらいところがあります。そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ないとしか言いようがない。

でもね、前例踏襲の妥当性は十分にご説明してきたはずなんですよ。皇室は国民に受け入れられて初めて成り立つわけで、「国民の反発を招かぬよう、経済的負担をより少なくしたい」とのお考えは分からないでもない。しかし、政府はそう考えてはいないわけです。日本国の象徴である天皇の代替わりの行事となれば、それなりの規模と費用が必要なのです。前回を踏襲して同規模の儀式を想定して、約22億5千万円が必要だとしていますが、人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もあります。これは、ご不満でも受け容れていただくしかない。

また、前回1990年の大嘗祭では、国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」が支出されたことに対して、「政教分離に反する」という批判は当時から根強くありましたよ。そりゃあ、大嘗祭に宗教的性格があることは常識に属することでしょう。しかし、憲法の政教分離原則について、政府は従来から厳格な分離の立場を採っていません。どこまでも緩やかな分離で差し支えないとの立場ですから、「大嘗祭が極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」以上は、宮廷費を支出して差し支えないという考えです。これも、ご不満でも受け容れていただくしかありませんね。

天皇陛下からは、即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられていますが、その点は十分にご理解を頂いています。こちらに落ち度はないはずです。

それにね、皇族だからってなんでも口にして良いわけはないと思いますよ。私は、よく聞こえる耳をもっていますよ。でも、なんでもご言い分のとおりになるわけではない。お立場をよく弁えていただきたいところですね。既に決まったことに、記者会見の場であのような形で不満をおっしゃるのは穏当ではないと申し上げざるを得ません。

(2018年12月2日)

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ウソとごまかしの『安倍政治』総検証!

12月3日(月)18時~20時(開場17時30分)

衆議院第1議員会館 地下1階「大会議室」

最寄り駅は、丸ノ内線・「国会議事堂前」、または有楽町線・「永田町駅」です。
(集会にはどなたでもご参加いただけます。議員会館ロビーで、担当の者が入館証を配布していますので、お受け取りのうえ入館下さい。)

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