澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

《東電の天皇》の責任と、《本家の天皇》の責任と。

《東電の天皇》と異名をとって業界に君臨し、原発を推進してきたのが勝俣恒久元会長。福島第1原発事故の未曽有の規模の被害について、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが一審無罪の判決を得た(9月19日)。

 「被害者らが提起した民事訴訟では、東電の過失を認める判決が相次ぐ。一方、個人に刑罰を科す刑事裁判では、具体的な予見可能性や結果の回避可能性など、より厳格な立証が求められる。判決は、個人の過失を問う刑事裁判のハードルの高さを改めて印象づけたとも言える(河北新報社説)」ことはそのとおりだが、何とも納得しがたい。

「政府の事故調査委員会は、事故の背景について政府や東電に『複合的な問題点があった』と指摘した。国会事故調などは『人災』と判断した。今回の判決でそれがくつがえるわけではない(東京新聞社説)」こともそのとおりだが、何ともおさまりが悪い。

これだけの規模の大災害である。原発とは管理をあやまれば壊滅的被害あるべき危険物であるとは、誰もが知っていること。あの規模の津波の発生も、設備の浸水にともなう事故の発生も警告はされていた。そして、その結果回避も可能ではあった。しかし、判決は、さらに具体的なレベルでの予見可能性を要求しているようだがその判断に疑問なしとしない。

検察官役の指定代理人の下記コメントに賛同する。
「国の原子力行政をそんたくした判決だといわざるをえない。原子力発電所というもし事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか。原発には絶対的な安全性までは求められていないという今回の裁判所の判断はありえないと思う」

案の定、この判決はすこぶる評判が悪い。巷の声は、次のようなものだ。

 「ふざけるな」「不当判決だ」「市民常識とかけ離れている」「被災として怒りと失望を感じる」「ふるさとに帰りたいと思って亡くなった方がたくさんいることを考えれば、こんな判決は受け入れることができない」「裁判官の常識と一般市民の常識が違う」「裁判所は福島の被害者に真摯に向き合ったのか」「司法が死んでいることが証明された。世界中に恥ずかしい」「あれくらいの事故を起こして無罪ということはない」「それだけの責任ある立場の方々です」「それが知らなかったでは済まされないと思う」「とうてい理解できない判決だ。被災者の思いを東京電力も裁判所も受け止めてくれない結果」「誰も責任を取らないなんて納得いかねえよ」「事故を繰り返さないため、トップの責任をはっきりして欲しかった」「本当に残念でなりません」…。

「これだけのことをしでかして、トップが責任を取らなくていいのか」という声が日本中に渦巻いている。その市民感情は健全で、当然のことと思う。私が注目したのは、誰も責任を取らない日本社会の文化が続いてしまう」という、市民のコメント。当然に天皇(裕仁)の戦争責任を念頭に置いての一言。

《東電の天皇》ならぬ《本家本元の天皇(裕仁)》の戦争責任も、同様のトップの責任。「あれだけのことをしでかして、トップが責任を取らなくていいのか」という声が日本中に渦巻いてよいのに、そうはならなかった。これが不思議。戦後最大のミステリー。おそらく、天皇本人も戸惑っていたに違いない。次のような声が飛びかってもよかったのだ。

 「天皇無責とは到底考えられない」「戦争被災者として怒りと失望を感じる」「望郷の念にかられながら果たせず、外地で亡くなった方がたくさんいることを考えれば、天皇無責は受け入れることができない」「天皇は、国内外の戦没者に真摯に向き合ったのか」「天皇無責は、日本社会の秩序が崩壊していることの証明だ。世界中に恥ずかしい」「あれだけの戦禍を引き起こして無責ということはない」「それだけの責任ある立場の方です」「それが知らなかったでは済まされないと思う」「天皇の免責は、とうてい理解できない。戦没者の思いを受け止めてくれない結果」「天皇が責任を取らないなんて納得いかねえよ」「戦争の惨禍を繰り返させないために、天皇の責任をはっきりして欲しかった」「本当に残念でなりません」…。

原発の責任と戦争の責任。企業トップの責任と天皇の責任は、実によく似ている《東電の天皇》を免責したのは裁判所。《本家の天皇》を免責したのはマッカーサーだ。せめて、《東電の天皇》の責任については、健全な世論の追及が続けられることを期待したい。

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ところで、日課にしている早朝の散歩。この3か月、不忍池の蓮の華を愛でてきた。昨日最後の一華を見つけたが、今日はなくなっている。9月19日をもって、岸辺から目視の限りだが、今年の華との別れの日としよう。

実は、不忍池には、折々に薀蓄オジさんが出没する。桜の時期には「桜の薀蓄オジさん」、水鳥の時期には「水鳥の薀蓄オジさん」、そして当然のことながら「蓮華の薀蓄オジさん」も。

このオジさんによると、今年の蓮の開花は6月11日だった。昨年の最後の華は、9月17日だったという。このあたりを諳んじているのが、薀蓄オジさんたる所以。

今年の華の命は去年よりも2日長かったということになるが、華のない不忍池はまことに寂しい。サルスベリも、カンナも、キョウチクトウも終わった。季節は、確実に遷っている。政権も遷ればよいのだが。

(2019年9月20日)

よりによって,私の誕生日は「韓国併合の日」

8月29日から10日が経過した。
8月29日を意味ある日として記憶されている人がいるだろうか。この日は、私の誕生日である。夏の盛りを過ぎ、もうすぐ夏休みも終わろうというこのころ。私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。

ところで、8月29日とは、韓国併合の日として記憶される日である。手許の「日本史総合年表(吉川弘文館)」には、1910年8月22日のこととして「韓国併合に関する日韓条約に調印(29日公布施行,同日併合に関する詔書)」とあり、8月29日欄には「韓国の国号を朝鮮とあらためる件、朝鮮総督府設置に関する件を各公布」とある。

この8月22日と29日の関係について、アリの一言」というブログに読むべき書き込みがあることを教えられた。「『8・29』は忘れてならない歴史の日」というタイトル。執筆者は、「K・サトル」氏。1953年広島県生まれで、政党機関紙記者・論説委員、夕刊紙報道部長・編集委員、業界紙編集長などの経歴がある方だという。その記事の抜粋を引用させていただく。
引用元の記事のURLは以下のとおり。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d4f122a66c81f3bf1de888561dc6d064

きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。
 「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)

 「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです。

 「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)

 「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
 韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
 この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。

 この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
 「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910~45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)

 1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
 日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。

なお、周知のとおり、1910年日韓併合条約の効力の有無が戦後日韓関係での懸案事項となり、1965年日韓基本条約第2条の文言は、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となった。明確に、日韓併合条約も『もはや無効』が確認されている。

しかし、その解釈は両国で異なる。韓国政府は「日韓併合条約は当初から無効であった」という立場であり、日本は65年条約締結によって無効になったとする。両国の歴史認識のズレは戦後も一貫してあり、現在なお大きいのだ。
(2019年9月8日)

表現の自由に対する脅迫行為に抗議し,権力者の介入を許さない声明(自由法曹団)

1 本年8月1日に開幕した国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が,テロ予告や脅迫,公権力の介入により,わずか3日で中止に追い込まれた。
 そして,中止から1ヵ月が経過した現在も展示再開の目途は立っていない。「表現の不自由展・その後」は,「慰安婦」問題,天皇と戦争,植民地支配,憲法9条,政権批判など,2015年の「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え,同年以降,新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を,当時いかにして「排除」されたのか,実際に展示不許可になった理由とともに展示する企画であり,愛知県美術館で本年10月14日まで開催される予定であった。ところが,日本軍「慰安婦」を題材にした少女像や昭和天皇の写真を使った作品などの展示が公表されると,テロ予告や脅迫を含むファックスや電話が祭典実行委員会や愛知県庁などに殺到したため,本年8月3日に企画を中止せざるをえなくなったのである。

2 多様な考えを持つ人々の存在を前提とする民主主義社会を維持・発展させるためには,各人が自由に自らの思想・意見を表明できることが必要であり,憲法21条で保障された表現の自由は,その手段を保障するものとして不可欠なものである。とりわけ政治的表現の自由を保障することは重要であり,どのような表現であっても,当該表現それ自体が犯罪となる場合等を除いて,原則として保障されなければならず,表現に対する批判は言論・表現行為でなされるべきである。今回のようにテロ予告や脅迫という犯罪行為を用いて,表現の自由を脅かしたことは許されないことである。

3 また,公権力を担うべき者が展示内容に介入する発言を行っていることも看過することはできない。河村たかし名古屋市長は本年8月2日,展示を視察した後,少女像の展示について「日本国民の心をふみにじるもの」「税金を使った場で展示すべきでない。」などと述べ大村知事に即時中止を求める公文書を送付した。また,菅義偉官房長官は同日の記者会見で,芸術祭が文化庁の助成事業となっていることに言及し,「補助金交付の決定にあたっては,事実関係を確認,精査して,適切に対応していきたい。」と発言した。その他にも「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ,たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」(松井一郎大阪市長),展示内容は「明らかに反日プロパガンダ。」(吉村洋文大阪府知事),「表現の自由から逸脱しており,もし神奈川県で同じことがあったとしたら絶対に開催を認めない」(黒岩祐治神奈川県知事)などと展示内容を批判する首長の発言が相次いでいる。前記のとおり,表現の自由は民主主義社会に不可欠なものとして,憲法21条で保障されており,その裏返しとして,国や自治体は憲法上,表現の自由を保障する責務を負っている。また,憲法21条2項は,戦前の日本で政府が芸術・文化や学問・研究の内容を検閲し,多様な価値観を抑圧して民主主義を窒息させ,国民を戦争に動員したことへの反省に立って,公権力による検閲を絶対的に禁止している。河村市長らの上記発言は,表現の自由を保障する責務を負うべき立場にある者が,表現内容に介入して,気にくわない表現は禁止,抑制しようとするものであり,憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反し,検閲を彷彿させるものである。大村愛知県知事が,河村市長の上記発言を「検閲ととられても仕方がない。憲法違反の疑いが濃厚だ」と批判したのも当然である。4 自由法曹団は,表現の自由に対する脅迫行為に抗議するとともに,公権力を担う者が表現内容に介入したことに抗議し,発言の撤回を求める。
 そして,一日も早い展示の再開を望むものである。

2019年9月5日
自由法曹団団長 船 尾  徹  

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以上が、あいトレの企画展「表現の不自由展・その後」中止問題に関する、本日付の自由法曹団声明である。問題点がよく整理されていると思う。
自由法曹団は、戦前からある老舗の弁護士団体で、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」を目的としている。もちろん、私も、登録以来の自由法曹団団員弁護士である。

この声明が述べているとおり、大きな問題が二つある。
一つは、表現の自由に対する脅迫行為を許してはならないということである。この企画展に展示された16点の作品は、いずれもその展示に不自由を強いられた経歴を持つものばかりである。すべての人に心地よい創作というわけではない。これに対する批判はあろう。批判の見解をもつことも、批判の言論を表明することも自由である。しかし、制作者や展示に関わるものを脅迫して、展示を妨害することは許されない。

展示の妨害は、行為の態様次第で、脅迫罪にも強要罪にも、威力業務妨害罪にもなり得る。また、展示の妨害を煽ってはならないことはもちろん、企画展の威力による妨害を傍観しているのも感心した態度ではない。教室でのイジメ行為を見て見ぬふりの傍観者と同じく、消極的な違法行為加担者というべきなのだ。

二つ目は、権力を有する立場の者が、表現の自由抑圧に加担し介入してはならないということである。この点は、上記の声明に詳しい。ここに名の出た、河村たかし名古屋市長・菅義偉官房長官・松井一郎大阪市長・吉村洋文大阪府知事・黒岩祐治神奈川県知事らは、その不明・不名誉を恥じなければならない。

私は強調したい。表現の自由の保障を最も手厚く受けるべきは、時の権力から疎まれ憎まれる内容の表現である。あるいは時の多数派が嫌う内容の表現である。まさしく、「表現の不自由展・その後」に展示されたこの16点こそが、その典型である。権力に迎合し、社会の多数派に快い表現は、その表現の妨害に遭うことは考えがたく、ことさらに自由を保障する必要がない。そのような少数意見こそが貴重なのだ。行政が公金を用いて、貴重な少数意見の発表の場を作ることに何の問題もない。行政は、そのような環境整備に徹するべきで、「金は出しても、口は出さない」姿勢を貫かねばならない。

戦前の日本には、表現の自由はなかった。時の権力や社会の多数派が神聖なものとする、天皇や天皇制を批判する言論の自由がなかった。その反省から、日本国憲法21条が生まれた。しかし今なお、「戦前」は今につながっているということなのだろうか。

自由法曹団声明の結語のとおり、私も、強く「一日も早い展示の再開を望む」ものである。
(2019年9月5日)

鴻毛より軽い責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」

「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」。これが、「朕」が兵士に下した軍人勅諭の一節である。230万人もの「兵」が、この勅諭にしたがって、鴻毛より軽い死を余儀なくされた。

一方、上から目線で勅諭をたれた「朕」の責任はどうだったか。古来戦のあとには、敗軍の将は死をもって敗戦の罪を贖った。兵を語らず、言い訳をすることなく。敗戦時自決した軍人は少なくない。そんな政治家もあった。自決は忌むべき野蛮な風習だが、自己を一貫するための痛ましい選択であったことは、理解し得ないではない。それほどにも、自らの責任の重さを感じていたということなのだ。最高責任者である「朕」の場合はどうだったのか。ヒトラー・ムッソリーニと並び称されたヒロヒト本人に、いったいどれだけの責任の自覚があったか。

「朕」は、230万の英霊だけにではなく、「朕」のために犠牲になった民間人80万人に対しても、アジア太平洋戦争で皇軍によって殺戮された2000万人の人の死にも責任を取らねばならない。その責任の重さ心苦しさには計り知れないものがあるに違いない。そう考えるのが常識というもの。いや、下々の浅知恵というもの。

初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」公開が話題となっている。昭和天皇(裕仁)の「生の声」が甦ったとされる。NHKは、番組のサブタイトルに「語れなかった戦争の悔恨」とつけた。さぞかしの、慚愧・苦悩・悔恨の「肉声」かと思いきや、何のことはない。責任転嫁・見苦しい弁明をしようとして、許可されなかったというだけのこと。

彼がいう「反省」とは、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などいう程度のもの。「国民皆に反省すべき悪い点があった」とは、「私だけじゃない」という開き直りの弁明。これを毎日社説は「天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。」という。そのとおりだ。

それだけではない。朕」は、再軍備と憲法改正の必要性にまで、言及していたのだ。およそ新憲法の精神を理解せず、君主意識をもったまま。主権が国民に移行した意味すら、分かってはいなかったのだ。

「英霊」諸氏よ。武器も食糧もなく戦場をさまよって餓死した英霊の諸氏よ。特攻という名の自殺を強いられた英霊の諸氏よ。あなた方に死を命じた人は、このような、この程度の人物なのだ。

とりわけこう言っていることが驚きではないか。

「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」

これは、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った1951年8月のこと。「退位したら、『私の場合むしろ好む生活のみがやれる』『むしろ楽』」と考えていたのだ。これが、多くの人を死に追いやった人の発言だろうか。こんな人物のために多くの人が殺し合い、尊い命を失った。

この「朕」の信じがたいほどの無責任ぶりをいかがお考えだろうか。都合の悪いことは国民に知らせず、ベールに包まれた一握りの権力者による忖度の政治。権力や権威に対する批判の言論が封じられた政治の行き着く先が、このような無責任の横行なのだ。実体のないものを有り難がったり、畏れいったりすることをやめよう。昔のこととして看過せず、今の教訓として、よく噛みしめようではないか。
(2019年8月20日)

安倍改憲阻止のために(その2)

8月17日学習会の続きです。事前のご注文が下記のとおり。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと

「第1 改憲の危機・情勢等」は、昨日のブログに。以下は、その続きです。

第2 立憲主義・個人の尊厳等
1 近代憲法の根源的価値は、人権(個人の尊厳)です。この公理を揺るがせにしてはなりません。
人権という法概念は、市民社会が生み出した歴史的所産で、様々な人権のカタログと、その再整理の方法が提案されています。
自由権・平等権・参政権…社会権・受益権・平和的生存権など

2 憲法の形(イメージ化) 人権第一主義の立場から
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」と「統治機構」の両部門から成ります。「人権」という価値本体を、この価値を損なわぬよう権力分立という原理を持つ「統治機構」が支えています。
⇒近代立憲主義に適合の構図
自由主義(国民の自由を国家機構が侵害してはならない)

3 さらには、自由主義を基本としつつ、
⇒現代立憲主義
福祉国家主義(国家機構が、国民の福祉増進の役割を持つ)

4 立憲主義とは、一面権力行使を正当化し、一面権力行使の限界を画するために、憲法を制定するという考え方。欽定憲法とも相性はよく、戦前もてはやされた。
天皇主権下では、民主主義という言葉は使えない。主要政党は政党名に「立憲」を冠しました。(立憲政友会・立憲改進党・立憲革新党・立憲国民党・立憲帝政党)
寺内正毅は、憲法に忠実でないことで、「ビリケン(非立憲)宰相」「ビリケン内閣」と揶揄された。旧憲法にも、不十分ながら、権力を分立して人権を擁護する側面はあったわけです。
日本国憲法下では、久しく立憲主義が大きな話題となることはなかった。護憲運動の側から、立憲主義を掲げ、マスコミもこれに呼応するようになったのは、安倍政権成立以来のこと。権力の主体が改憲に性急な事態を、立憲主義の基本に立ち帰って、「憲法とは、主権者国民が発した、権力者に対する命令である」「その命令に縛られる立場の権力者が、憲法を気に染まぬとして改正しようとは自己矛盾」と批判しました。

5 日本国憲法の基本性格と改憲問題の構図
日本国憲法は不磨の大典ではありません。もちろん、理想の憲法でもない。
飽くまで、歴史的な所産として、
「人類の叡智の結実」の側面を主としてはいるが、
「旧制度の野蛮な残滓」をも併せもっています。
すべての憲法条文は普遍性をもつとともに、特異な歴史性に彩られてもいます。
憲法のすべての条文は、歴史認識を抜きにして語ることができません。
☆戦後の革新勢力は、憲法をあるべき方向に変える「改正」の力量を持たない。
さりとて、「改悪」を許さないだけの力量は身につけてきました。
これが、「護憲」「改憲阻止」という革新側スローガンの由来です。
☆政治的なせめぎ合いは、いずれも革新の側が守勢に立たされています。
「改憲(憲法改悪)阻止」と「壊憲(解釈壊憲)阻止」

第3 天皇交代における憲法問題
1 いったい何が起きつつあるのか。
4月1日 元号発表
4月末日 天皇(明仁)退位
5月1日 新天皇(徳仁)即位 剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
10月22日 安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
11月13日~14日 宗教行事としての大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。

2 憲法における天皇の地位
天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではありません。象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを消極的に表現するだけのもので、象徴から、何の法律効果も生じません。
本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはなりません。
天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能です。  憲法改正の限界に関しては諸説あるものの、天皇・天皇制を廃止しうることは通説です。また、皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではありません。

3 憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物です。
憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げているところであって、憲法解釈においても、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければなりません。

4 近代天皇制とは、国民統治の道具として明治政府が拵えあげたものです。旧憲法時代の支配者は、神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を、この上なく調法なものとして綿密に使いこなし、大真面目に演出して、国民精神を天皇が唱導する聖戦に動員しました。
そこでの政治の演出に要求された天皇像とは、神の子孫であり現人神でもある、徹底して権威主義的な威厳あふれる天皇像でした。「ご真影」(油絵の肖像を写真に撮ったものでホンモノとは似ていない)や、白馬の大元帥のイメージが臣民に刷り込まれました。
天皇の権威は、教場と軍隊とで、国民に刷り込まれた。
教育勅語と軍人勅諭。「上官の命令は天皇の命令」。

5 敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っています。しかし、初代象徴天皇は、国民の戦争被害に責任をとろうとはしなかった。戦争責任を糊塗し、原爆被害も「やむを得ない」とする無責任人物としての天皇像。それが、代替わり後次第にリベラルで護憲的な天皇像にイメージを変遷してきた。
現在、国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはなりません。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、「非権威主義的な権威」をもつ象徴天皇であって、はじめてそれが可能となります。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのです。これを「リベラル型象徴天皇像」と名付けておきましょう。
国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の国民主権を形骸化する危険を増大することになります。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならないのです。

6 天皇代替わりにおける政教分離違反問題
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めの装置です。
「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」の利用を許さないとする、国家に対する命令規定です。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟

7 天皇交代劇に見る国民主権と主権者意識の実態。
※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
※日本国憲法における天皇とはロボット(宮沢俊義)です。
※象徴天皇制を支える小道具の数々
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園…

(2019年8月18日)

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう ― 74年目の敗戦記念日に

8月15日である。74年前のこの日に戦争が終わった。

日中戦争・太平洋戦争が手痛い敗北によって終わったというだけでなく、明治維新以来幾たびも繰り返された、飽くなき侵略戦争もこの日以後はない。あの日以来74年、曲がりなりにも、日本は平和を享受してきた。

戦争こそ、最大の人権侵害であり、最大の環境破壊である。そして、最大最悪の凶悪犯罪でもある。明治維新以来今日まで、およそ150年の前半は、我が国が戦争に明け暮れた歴史だった。野蛮な天皇制が支配する軍国主義国家として侵略戦争を繰り返してきたのだ。富国強兵のスローガンのもと、国民には滅私奉公が強いられた。故なく、近隣諸国民を憎悪し侮蔑する差別感情が煽動される国家でもあった。

74年前の8月、敗戦とともに国家の原理は転換した。ポツダム宣言第6項は、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。」という。この「勢力」の頂点に天皇が位置することに争いの余地はない。8月14日ポツダム宣言受諾をもって、主権は天皇から国民に転換したものと考えられる。

74年前の敗戦の日は、日本の近代を分かつ日であった。戦争と平和と。天皇主権と国民主権と。国家主義と人権尊重と。戦争終結の記念日は、天皇支配終焉の記念日でもあり、国民主権・民主主義・人権尊重の国家が再出発した記念日とも重なる。

本日。戦争責任を自覚することも表明することもないままに亡くなった当時の天皇(裕仁)の孫が、天皇(徳仁)として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに前天皇(明仁)の式辞とほぼ同文の次の一節がある。

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

この文言が、内閣の助言と承認を経てのものであるかについて疑義なしとしないが、「深い反省」の言葉があることは、注目に値する。同じ場での首相・安倍晋三の式辞には、反省も責任の一言もないのだから、印象際だつものがある。憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることも、同様である。

ただし、天皇の「深い反省」は曖昧模糊としたものである。天皇は、「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べたが、過去を顧み」とは、どのような過去の歴史をどのように顧みたのだろうか。戦争の惨禍をもたらした天皇の責任についての自覚はあるだろうか。過去の侵略戦争が、天皇が唱導した聖戦とされていた歴史的事実を十分に顧みているだろうか。「上官の命令は天皇の命令」として軍規を律した過去についてはどうか。天皇制否定の思想を死刑に値する犯罪とした治安維持法をもって平和運動を弾圧した過去などは、天皇の脳裏にあるだろうか。

「深い反省」とは、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことの反省でなくてはらない。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべきだと考えているのだろうか。

今、私たちは、再び戦前の過ちを繰り返してはならないことを自覚しなければならない。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。

かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者からも、権威あるとされる者からも、操られることを厳格に拒否しよう。

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう。そして、一切の差別につながる言論を拒否しよう。平和を擁護するために。次代に、平和な社会を手渡すために。
(2019年8月15日)

天皇の靖国神社参拝を許してはならない。

下記は、昨日(8月13日)配信の共同記事(但し、過剰な敬語は省いている)。
靖国神社が昨秋、当時の天皇(現上皇)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。
天皇の参拝は創立から50年ごとの節目以外でも行われていたが、1975年の昭和天皇が最後。78年のA級戦犯合祀が「不参拝」の契機となったことが側近のメモなどで明らかになっている。

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「行幸請願」とは、天皇の公式参拝要請以外のなにものでもない。天皇の公式参拝を違憲と名言したのが、岩手靖国訴訟控訴審判決(仙台高等裁判所・1991年1月10日)である。同判決は、詳細な理由を付して、「天皇、内閣総理大臣等による靖國神社公式参拝が実現されるように要望する旨の岩手県議会議会の議決」を違憲違法とした。靖国神社による天皇参拝要請と軌を一にするもの。

靖国神社が天皇に「違憲の公式参拝」を求めたというのだから、これは大きな事件なのだが、実は内容がよく分からない、いらいらさせる記事となっている。

「昨秋」の請願と拒否が、なぜ今頃報じられるに至ったのか。このニュースは、誰がどのようにリークしたのか。なぜこれまで伏せられていたのか。何よりも知りたいのは、宮内庁ないしは内閣がどのように関わり、どのような理由で拒否をしたのか。閣議にかけられたのか、宮内庁ではいかなる稟議書が作成されたのか。決裁の文書にはどう記載されているのか。宮内庁長官宛と思われる「行幸請願書」は誰も情報公開請求をしていないのか。

いったい、「昨秋」とはいつのことなのか。小堀邦夫前宮司が、「陛下は靖国神社を潰そうとしていらっしゃる」発言で物議を醸し、退任したのが2018年10月末日。山口建史現宮司就任が11月1日付である。「行幸請願」と「拒否回答」とは、宮司交代時期とどう関わっているのか。

今朝(8月14日)の東京新聞は、こう報じている。(敬称は略)

 上皇は在位中に参拝しておらず、平成は天皇参拝のない初の時代となった。関係者によると、靖国神社は昨年九月、平成中の参拝を促すため、宮中祭祀を担う宮内庁掌典職に過去の天皇の参拝例を示し、参拝を求める行幸請願をした。

 掌典職は代替わりを控えた多忙などを理由に、宮内庁長官や天皇側近部局の侍従職への取り次ぎも「できない」と回答したという。共同通信の取材に対し、掌典職は「参拝について判断やコメントをする立場にない」としている。

 靖国側は「断られた」と判断、創立二百年の参拝も確約されないことから「将来も参拝は難しくなった」と受け止めた。代替わり後の再要請について取材に「(陛下の参拝を)お待ち申し上げる立場」と回答し、行わない方針だ。

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靖國神社は、1969(明治2)年6月29日の東京招魂社鎮座・第1回合祀祭の日をもって創建の日としている。函館戦争終結(5月18日)直後のこと。周知のとおり、幕末の騒乱から戊辰戦争にかけての官軍側の戦死者だけを合祀している。日本国民を、天皇に服属する者としからざる者とに分断する思想にもとづいてのことであるが、死者をも未来永劫に差別しようという天皇制の苛烈な一面をよく表している。怨親平等という、古くから日本人に馴染んだ感性とはまったく異質なもの。日本の伝統的死生観とは、およそ相容れない。

以来、150年。靖国神社は、敗戦を挟んで天皇のために戦死したものを祀る天皇の神社であり、軍国の神社であり続けた。その神社が、天皇に行幸を請願して断られたという。まことに皮肉な話ではある。泉下の《英霊》たちも、さぞかし戸惑っているのではないか。

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問題は幾重にもあるが、前掲の岩手靖国訴訟控訴審判決から、関係する判示の一部を抜粋引用しておきたい。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=16653

《戦前における天皇の靖国参拝》
戦前における天皇の参拝は、国の公式儀礼としての参拝であり、内閣総理大臣の参拝は、いわば天皇の随臣としての性格を有するものであった。

《戦後における天皇の靖国参拝》
☆戦前における天皇、内閣総理大臣の靖國神社参拝は、国の機関として行われたものであるが、戦後における参拝については、新憲法が定めた信教の自由、政教分離との関係で、さまざまな問題が生じた。
☆昭和二七(1952)年四月二七日、日本国との平和条約の発効により、連合国の占領が終了して我が国が独立を回復し、神道指令が効力を失った後、現在の日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟を中心に、国民の間に、靖國神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が起こった。
☆昭和五〇(1975)年頃からは、右運動に代わり、従来、天皇及び内閣総理大臣その他の国務大臣が靖國神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されるに至った。しかし、天皇の靖國神社参拝に関する質問主意書に対する昭和五〇年一一月二八日付け政府答弁書で、従来行われた天皇の靖國神社参拝はいずれも私的参拝にとどまることが確認されて以後、公式参拝の働きかけは、内閣総理大臣その他の国務大臣に対し集中的に行われるようになった。

《天皇の参拝の法的性格について》
天皇の公的行為は私的行為ではないから、原則として自由に委ねられているものではなく、政治的な意味のない儀礼的行為といわれるものについても、それが宗教とのかかわり合いが問題とされる場合には、政教分離原則の適用を受けるものと解するのが相当である。したがって、…天皇の公式参拝については、その公的行為性をひとまず是認したうえで、それが憲法二〇条三項によって禁止される宗教的活動に当たるかどうかについて判断するのが相当である。なお、同法条の規定する「国及びその機関」の概念は、必ずしも明確ではないが、その立法の趣旨にかんがみれは、天皇もその機関に含まれると解される。

《天皇参拝の違憲性》
☆靖國神社が宗教法人になってからの天皇の公式参拝はなされていないから、その方式及び規模がどうなるかは定かでないが、天皇の公式参拝が行われるとすれば、天皇の公式儀礼としてふさわしい方式と規模を考えなければならず、また、天皇が皇室における祭祀の継承者でもある点をも視野にいれなくではならないであろう。右のような点を考え合わせると、天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易に推測されるところである。

☆以上、認定、判断したところを総合すれば、天皇、内閣総理大臣の靖國神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖國神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし相当とされる限度を超えろものと断定せざるをえないしたがって、右公式参拝は、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。

以上のとおり、天皇の靖国参拝は、首相の参拝以上の大きな違憲問題なのだ。けっして、天皇を靖国に「行幸」させてはならない。
(2019年8月14日)

産経社説の妄論を駁す ― 「表現の不自由展・その後」について

「表現の不自由展・その後」の中止問題について、メディアがどんな見解を出しているか。すこし検索してみて、右派メディア状況の一端を見た。日本のメディアは、いつころからこんなにも劣化してしまったのだろう。

8月7日【産経主張】(社説)のタイトルにはすこし驚いた。「愛知の企画展中止 ヘイトは『表現の自由』か」これに反論の形で、私の意見を語りたい。

ヘイトと言えば、嫌韓・反中、そして在日バッシング。当然に右翼の専売である。一瞬、産経も改心して、「嫌韓・反中、在日バッシングのヘイト表現を許さない」立場を宣言したかと錯覚したが、どうもそうではない。産経の言うヘイトとは、日本や日本人に対する批判の言論をいうものの如くなのだ。書き手によって、言葉の意味まで違ってくる。

 芸術であると言い張れば「表現の自由」の名の下にヘイト(憎悪)行為が許されるのか。そうではあるまい。だから多くの人が強い違和感や疑問を抱き、批判したのではないか。憲法は「表現の自由」をうたうとともに、その濫用をいさめている。

 「芸術であると言い張れば『表現の自由』の名の下にヘイト(憎悪)行為が許される」と言っている誰かがいるのだろうか。芸術であるか否かに関わらず、「表現の自由」が保障されるべきは当然だし、民族差別や蔑視のヘイト言論が違法になることも論を待たない。

産経その他の右派が、「表現の不自由展・その後」の展示中止を支持する根拠は、「多くの人の強い違和感や疑問」あるいは「批判」だという。その当否はともかく、ここで語られているものは、「少数派には多数派を不快にする表現の自由はない」という露骨な傲慢である。「自由を保障されるべきは、権力や多数派が嫌悪する表現である」という、自由や人権の基本についての理解が欠けている。

産経はまことに乱暴に、「表現の自由の濫用」を濫用している。「表現の自由も濫用にわたる場合には制約を免れない」という一般論から、中間項を省いて唐突に「表現の不自由展・その後」の展示も制約しうるとの結論に至っている。「表現の自由の濫用として例外的に規制が可能なのは、いかなる場合に限られるか」を検討し吟味し続けてきた、学問的な営みにまったく関心も敬意も持っていない。粗雑というよりは、没論理。安倍首相のいうところの「印象操作」をしているに過ぎない。

 愛知県などが支援する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕から3日で中止された。直接の理由は展示内容に対する脅迫だとされる。暴力や脅迫が決して許されないのは当然である。

 産経が「暴力や脅迫が決して許されないのは当然である」という枕詞のごとき一言には、怒りも本気も感じられない。はたして産経は、「暴力や脅迫が決して許されないのは当然である」と本気で思っているだろうか。怒っているだろうか。展示内容に対する賛否の意見はともかくとして、「暴力や脅迫によって、平穏な企画が中止に追い込まれた」という、この事態をどれほど深刻な問題として受けとめているだろうか。言論機関として、「暴力や脅迫による表現への攻撃」にこそ、由々しき事態として問題提起し、暴力の再発を戒めるべきではないのか。

 一方で、企画展の在り方には大きな問題があった。「日本国の象徴であり日本国民の統合」である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。

 まるで、企画展に問題があったから暴力を招いたと論じているごとくである。のみならず、産経は、表現の自由のなんたるかをまったく理解していない。
表現の自由とは、何よりも権力と権威を批判する自由を意味する。安倍政権も安倍政権支持者も、国民の政権批判の言論を甘受しなければならない。同様に、天皇も天皇支持者も、天皇制批判の言論を甘受しなければならない。それが、表現の自由保障の本来の意味である。憲法には、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるとする記載がある。しかし、「日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」を批判してはならないとする法理はあり得ない。表現の自由を含む基本的人権の尊重は、天皇存置よりもはるかに重い憲法理念である。むしろ、天皇は「日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」であればこそ、国民の批判を免れない立場にあると考えねばならない。

 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。

 大日本帝国憲法は、天皇を「神聖にして侵すべからず」とした。その憲法下、刑法に不敬罪や大逆罪まで設けた。国体(天皇制)の否定は治安維持法でも苛酷に処罰された。出版法、治安警察法が、天皇批判のあらゆる言論を取り締まった。そのような暗黒の時代の再来を許してはならない。産経が、いかに天皇に敬愛の念深くとも、天皇や天皇の戦争責任追及の表現を中止に追い込む事態に賛意を表してはならない。それは、自らが拠って立つ、言論出版事業の自由の否定につながるからである。

 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げた表現である。

 「史実をねじ曲げた表現」は当たらない。皇軍が、進軍するところに慰安所を設置し、組織的に「慰安婦」を管理したことは、否定することができない歴史的事実である。「史実をねじ曲げた表現」と決めつける前に、展示の内容に謙虚に耳を傾けてみるべきであろう。

 同芸術祭実行委員会の会長代行を務める河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として像の展示中止を求めた。これに対して実行委会長の大村秀章愛知県知事は、河村氏の要請を「表現の自由を保障した憲法第21条に違反する疑いが極めて濃厚」と非難した。これはおかしい。

 おかしいのは、明らかに河村たかし名古屋市長であり、大村秀章愛知県知事の批判は、常識的で真っ当なものである。これは、水掛け論ではない。憲法の定めがそうなっているのだ。

憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市、文化庁の公金支出は論外である。

ものには、原則と例外とがある。これを取り違えてはならない。「表現の自由の保障」が幅の広い原則で、「表現の自由の濫用」が極めて限定された例外である。まず原則を語るべきが常識で、例外から語り始めるのは、何とか表現の自由を圧殺しようという予めの下心あっての論理の運び以外のなにものでもない。言うまでもなく、例外に当たるというためには挙証の責任を負担するが、「到底、理解しがたい」では、到底挙証責任を果たしているとは言えない。また、公金支出は、特定の政治思想の表現のためになされているのではなく、民主主義の土台をなす表現の自由の現状を世に問うためという公共性高い事業になされており、なんの問題もない。むしろ、公金の差し止めが、恣意的に国策に反する見解を狙い撃ちするものとして問題となろう。

 芸術祭の津田大介芸術監督は表現の自由を議論する場としたかったと語ったが、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。

 これは、産経流のものの見方。理由のない結論は、まったく説得力をもたない。

 左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。当然の常識を弁えるべきである。

 この産経論説の一番のイヤミは、「左右どちらの陣営であれ」と、公平を装っているところである。自他共に最右派をもって任じる産経が、中立を装っていることが、胡散臭いというよりは滑稽というべきだろう。

産経論説子は、およそ日本国憲法のなんたるかを知らず、大日本帝国憲法への郷愁を「当然の常識」としてものを語っているに過ぎない。新聞の社説としては論証に欠けたお粗末なものというほかはないが、産経は、社説を読む読者を軽侮しているのではないか。

 おそらくは、社の大方針の下、結論ありきで書いている社説である。この論調なら、今の社会で、権力に叩かれることも、脅迫にも暴力も遭遇することはない。そういう、温々とした、安全地帯の雰囲気芬々の表現。だから、読者の心を打たない。これに比して「表現の不自由展・その後」の表現者たちは、批判を覚悟、場合によっては脅迫や暴力にさらされることをも覚悟で、必死の表現をしているのだ。それだけで、その表現は貴重であり、表現者は尊敬に値する。
(2019年8月11日)

札幌地裁、書記官の「令和」使用強制に謝罪。

「令和」は使いたくない。使用強制はまっぴらだ。

「令和」という文字を見るだけで、神経がざらつく。そもそも元号にアレルギーではあるが、「令和」の採択に安倍や菅など現政権が関わっていることも、嫌悪感の大きな一因となっている。何の違和感もなく、「令和」を使用している人のセンスを疑う。この場合のセンスとは、歴史に対する感覚、政治に対する感覚、体制との間合いの取り方についての感覚、つまりは憲法感覚を指している。

先月の参院選で野党統一候補として当選したある弁護士が、立候補前だったが5月になるやさっそく「令和」で書面を送ってきたのには驚いた。えっ? 「革新」の候補者が? 私は、この人の憲法感覚を信用しない。

反対に、「これは立派だ。この人たちなら信頼できる」というのが、北海道合同法律事務所の姿勢。8月1日の同事務所ホームページに次の記事。
http://www.hg-law.jp/news/entry-3078.html

札幌地方裁判所の元号の強制問題についての当事務所の取り組み

北海道合同法律事務所

1 2019年5月1日、天皇が明仁天皇から、徳仁天皇に代わり、元号も平成から令和に代わりました。こういった矢先に、札幌地方裁判所で元号の使用を強制するという事件が起きました。
具体的には、本年7月初め、私たちの事務所の事務職員が、札幌地方裁判所の破産係の受付に自己破産申立書を提出したところ、対応したA書記官は、事務職員に対して、申立書の「申立日」や「申立人の生年月日」の年数を西暦表記ではなく元号で表記するように訂正を求め、以後、「報告書の年月」や「債権者一覧表の借入日」等も元号表記することを要求しました。このことについて、あらためてその趣旨と理由を確認しに出向いた私たちの事務所の事務局長に対して、「合同さんはそういう主義主張だとわかっていますから、もういいです。合同さんに対してはもう言いません。」との返答をしました。
元号法が制定された1979年の国会において、元号法は「一般国民に元号の使用を義務づけるものではない」と国務大臣が答弁していますが、このようなA書記官の対応は、元号使用のお願いの範囲を超えて、強制に至るものと評価せざるを得ませんし、それが、A書記官の個人的な対応なのか札幌地方裁判所としての対応なのかも判然としませんでした。
そこで、以下の公開質問状を提出しました。

2019年7月22日

札幌地方裁判所長 本多知成 殿

公 開 質 問 状

〒060-0042 札幌市中央区大通西12丁目       
北海道合同法律事務所 

              
弁護士 池田賢太  弁護士 石田明義  弁護士 内田信也
弁護士 小野寺信勝  弁護士 加藤丈晴  弁護士 川上有
弁護士 笹森  学  弁護士 佐藤博文  弁護士 佐藤哲之 
弁護士 中島  哲  弁護士 長野順一  弁護士 橋本祐樹
弁護士 桝井妙子  弁護士 三浦桂子  弁護士 山田佳以
弁護士 横山浩之  弁護士 渡辺達生   以上18名                           

本年7月2日及び同月5日、当事務所の事務職員が、貴庁民事第4部商事部受付に自己破産申立書を提出しました。対応したA書記官は、事務職員に対して、申立書の「申立日」や「申立人の生年月日」の年数を西暦表記ではなく元号で表記するように訂正を求め、以後、「報告書の年月」や「債権者一覧表の借入日」等も元号表記することを要求しました(以下、「本件元号使用要求」といいます。)。このことについて、同月5日、あらためてその趣旨と理由を確認しに出向いた事務職員に対して、「合同さんはそういう主義主張だとわかっていますから、もういいです。合同さんに対してはもう言いません。」との返答をしました。
あらためて、年数の表記方法について、公開質問状を提出いたしますので、1週間以内に文書でご回答ください。
(※ 実際の公開質問状では書記官の実名を記載していますが、この書面の公開に当たっては実名である必要がないので、A書記官と記載しています。)

2 この質問状に対し、7月29日、札幌地方裁判所の民事次席書記官と総務課長が私たちの事務所に来て、裁判所の見解を口頭で説明をしてくれました。
その説明の要旨は次のとおりです。

・ 今回の元号使用要求が札幌地方裁判所の方針なのか否かについて
今回の元号使用要求は、A書記官の個人的見解であり、札幌地方裁判所としての方針ではないし、破産係を所管する民事第4部としての方針でもない。
・ 元号使用要求の法的根拠について
指摘された国務大臣の答弁のとおり、元号の使用を強制する法的な根拠は一切なく、あくまでも出来るのはお願いであり、今回のA書記官の対応はお願いを越えたものであり、元号の使用を強制したと評価されても仕方がないものである。
ただ、A書記官としては、生年月日について戸籍との照合の便宜も踏まえると元号で記載したほうが良いとの思いがあった。
・ 裁判所の対応
A書記官が元号の使用を強制したことについて謝罪すると共に、今後、このようなことがないように職員に対して指導を徹底する。

書面による回答はいただけませんでしたが、回答期限までに裁判所のしかるべき方が上記のとおり説明をすると共に謝罪もしてくれましたし、回答等を公開することも了解してくれました。私たちは、このような札幌地方裁判所の対応は責任ある対応と評価します。
このような事件が他の裁判所や他の役所等で起きることがないよう、社会に訴えることも含め、この事件を社会に公表いたします。 以上

 

北海道合同の弁護士諸君の姿勢は立派だし、札幌地裁の対応も適切だったと思う。皆さん、あらゆるところで、「令和」使用強制をきっぱりと拒否しようではありませんか。

(2019年8月3日)

国会の開会式に、なぜ天皇なのか。

戦前の話だ。天皇が神であり統治権の総覧者でもあったころにも、貴衆両院からなる帝国議会というものがあった。が、帝国議会は立法権の独立した主体ではなかった。当然のこととして、立法権は天皇に属し、帝国議会はその協賛機関に過ぎないとされた。
そのことを、臣民どもによく分からせるために、会期の冒頭には貴族院で開院式が行われ、ここで毎回天皇が勅語を述べた。貴族院本会議場の正面、議長席真後ろの奥、一段と高いところに天皇の玉座がしつらえられた。天皇が議員を見下ろす位置にである。勅選の貴族院議員も、選挙を通じて議員となった衆議院議員も、天皇を仰ぎ見、天皇に低頭して拝謁した。

その開院式における勅語。その典型的な一例を引用しておこう。第79回帝国議会(1941年12月26日)太平洋戦争勃発直後の時期におけるものである。

 朕茲に帝國議會開院の式を行ひ貴族院及衆議院の各員に告く
 朕か外征の師は毎戰捷を奏し大に威武を中外に宣揚せり 而して友邦との盟約は益益固きを加ふ朕深く之を欣ふ 朕は擧國臣民の忠誠に信倚し速に征戰の目的を達成せむことを期す 朕は國務大臣に命して昭和十七年度及臨時軍事費の豫算案を各般の法律案と共に帝國議會に提出せしむ卿等克く時局の重大に稽へ和衷審議以て協贊の任を竭さむことを期せよ

 これが、帝国議会開会式での天皇の発言。天皇制の時代の雰囲気がよく伝わってくるではないか。あれは、昔のことか。いや、実は今もたいして変わってはいないのだ。
貴族院が参議院に変わり、勅語が「お言葉」に変わりはした。その余は、今も昔も大きくは変わっていない。

昨日(8月1日)が臨時国会開会。その開会式で、新任の天皇が原稿を読みあげて発語した。その朗読原稿は、下記のとおりと報道されている。

 本日、第199回国会の開会式に臨み、参議院議員通常選挙による新議員を迎え、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
 ここに、国会が、国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します。

 これは、開会宣言ではない。開会の式辞でもない。開会式に参加して、一言感想と希望を述べたという発言に過ぎない。なぜ、こんなものが必要なのだろうか。

通常の言語感覚からは、やや奇妙な物言いである。公的な場では「全国民を代表する皆様」と言うのが普通の日本語だろうが、天皇たるもの、国民に「様」付けはできないようだ。おそらくは、「さん」までが許容範囲なのだろう。「私の深く喜びとするところであります」も、もってまわった、ヘンな言い方。単に「皆さんと一堂に会する」程度のことを、「深く喜びとする」というのが、いかにもわざとらしくて不自然。勅語の時代の「朕深く之を欣ふ(これをよろこぶ)」の名残なのかも知れない。

後半の「国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」というのは、この上なく徹底した無内容。

もちろん、内容のある発言では、あちこちに問題が生じることになるから、無内容に徹することにならざるを得ない。ならば、こんな無内容なことをなぜ言わねばならないか、聞かされなければならないか、また見せつけられなければならないのか。それが大きな問題なのだ。

憲法には、天皇のなし得る行為が限定列挙されている。そのなかに、国会の開会式への出席も、そこでの発言も書かれてはいない。当然のことながら、天皇は憲法に書かれていないことをするべきではない。

憲法第4条1項には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と明記されている。「この憲法の定める国事に関する行為」というのが、憲法第6条と7条に列挙されている国事行為のことであって、天皇がなし得るのはこれのみ。これ以外のことをしてはならない。だから、本来は国会の開会式に出かけたり、発言したりしてはいけないのだ。内閣が呼び出してはいけないわけだ。

もちろん、天皇にも人格はあり、制約・制限は大きいが一応人権の保障もある。天皇の私的な生活は認められ、そのための金銭の支給もなされている。国の関与と切り離されたところでなら、家代々の宗教儀式だってできるのだ。たとえば、大嘗祭だって、政府と関わりなくひっそりと、私的な収入と貯金を使ってやる分には問題はない。

つまり、天皇の行動には、「国事行為」「私的行為」の2種類だけがある。それが原則のはずだった。ところが、その中間領域があるという解釈がある。解釈があるというのは不正確で、そのような既成事実が積み重ねられて、これを追認する解釈が生まれたのだ。

この、私的領域の行為ではないが国事行為でもないという、中間領域の天皇の行為を「公的行為」とか「象徴としての行為」と名付けられている。前天皇(明仁)は「象徴としての行為」の実績作りに熱心だった。見方によれば、違憲行為の実績作りに熱心だったことになる。

問題の核心は、天皇という存在の位置づけにある。大日本帝国時代と同様に、天皇が議会正面上階の玉座から、国民の代表を見下して、無内容なことを述べることが、国会の開会式に権威を付与することになる、という考え方がある。これが、時代錯誤の危険な考え方だといわなければならない。

かつて、人の理性が覚醒に至っていなかった時代、権力の正当性の根拠は宗教的権威に求められた。あるいは、血統への信仰にである。古代エジプトでも、ヨーロッパ近世の絶対主義王政でも。近代市民社会の理性は、このような蒙昧を排して、統治の正当性を人民の意思のみに求めるに至った。

大日本帝国憲法は神聖なる万世一系の天皇が統治した宗教国家であった。統治の正当性の根拠は、8世紀に成立した神話に求められ、神なる天皇の権威に臣民らがこぞってひれ伏すことによって成立した。これに対して、日本国憲法は、神なる天皇の権威を否定し、主権者国民の意思のみを統治の正当性の根拠とした。が、徹底していない。その不徹底の部分が、歴史の産物としての、象徴天皇制である。

日本国憲法下の日本社会の歴史は、この象徴天皇制という曖昧模糊なるものの肥大化を許すか、極小化してゆくか、常にその岐路に立ち続けてきたのだ。

無内容でも国会の開会式に天皇を招いて発言させることが、有権者の意思のみによって成立したはずの国会に、有権者の意思を凌駕する天皇の権威を国会に付与することになるというのが、今の国会開会式の慣行を支える思想なのだ。天皇が上から目線で国民代表を見下ろし、国民代表が天皇に頭を下げる。どうして、こんなとんでもない構図が、戦後からこれまでも生き続けているのだろうか。

少なくとも、私が一票を投じた議員や政党には、こんな開会式に出席して、天皇に頭を下げてもらいたくはない…のだが。
(2019年8月2日)

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