澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』」を読む

周知のとおり、日本国憲法は、1947年5月3日に施行された。その年の8月、文部省は新憲法の解説書をつくっている。よく知られている「あたらしい憲法のはなし」である。新制中学校1年生用社会科の教科書として発行されたもの。当時まだ教科書検定制度はなかった。

「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の15章からなるもの。《再軍備》《逆コース》が災いして、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなった。そういわれている。

ときに礼賛の対象とされてきた「あたらしい憲法のはなし」だが、今見直して、その内容は時代の制約を受けたものと言わざるを得ない。とりわけ、天皇に関する解説は、萎縮して何を言っているのかよく分からない。こんなものを戦後民主主義の申し子のごとく、褒めそやしてはならない。以下に、第5章『天皇陛下』の全文とその批判を掲記しておきたい。

五 天皇陛下
 こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。

 えっ? 「こんどの戰爭で、天皇陛下は、国民の皆様にたいへんごくろうをかけてしまいました」のお間違いではありませんか。天皇(裕仁)もその家族も苦労なんかしていませんよ。国民は、天皇が始めた戦争で、文字通り辛酸を嘗めたのです。「苦労しました」なんてものじゃない。徴兵され、あるいは徴用され、上官からのビンタを受け、戦地で死の恐怖に曝され、ジャングルの中で飢えに苦しみ、空襲で焼け出され、実に310万人もの死者を出したのです。天皇(裕仁)とその家族は、戦地へ行くことも死の恐怖に怯えることもなく、なによりも飢えていないじゃないですか。

 なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戰爭になったからです。

 「なぜならば」って、「なぜ、天皇が、こんどの戰爭でたいへんごくろうをなされたのか」という理由ですよね。そんなこと、わざわざ教科書に書くことじゃないでしょう。でも、「天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかった」だけは、多分正しい。たとえば、東条英樹に組閣を命じたのは、國民ぜんたいではなく、天皇(裕仁)自身だったのですからね。

 そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

「二度とこのようなことのないように」って、日本語の正確な読み方では、「二度と天皇陛下が、たいへんごくろうをなさるようなことのないように」ってこと。そんなことのために、憲法をこしらえたの? そんなふうに憲法をこしらえるために苦心したというの? ヘンなの。でも、「天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。」は、そのとおり。ここだけ、天皇に「陛下」が付いていませんね。これは偶然?

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

 こんな説明で分かるはずはありません。「天皇は『日本の國をあらわされるお方』」って言うんですか。それって何のことだか分かりません。ほんとうは、この文章を書いた人もさっぱり分かっていないんですね。天皇自身だって、なんだか分からない。だから、「はっきり知らなければなりません。」といわれても、「なんだか分かりません」としか言いようがない。分かったふりをする必要はありませんよね。
それぞれの学校にバッジがあり校旗があって、バッジを付けていたり校旗を掲揚していれば、どこの学校の生徒かがわかります。象徴の説明としてはよく分かりますね。でも、天皇って本当にバッジみたいなもんですか。校旗みたいなもんですか。アメリカにも、フランスにも、中国にも韓国にも、天皇はいません。なぜ戦後の日本に天皇がまだいるのか、本当に必要なのか、ここには何も書いてありません。書けないんですよね。なんだか得体が知れないけれど、否定しがたくともかく存在するもの。語るときには、敬語を使わなければならないもの。それが天皇ですね。天皇ってなんだ、と説明しなければならないので、憲法に書いてあるとおり、「象徴」と書き込んでみただけ。でも、本当にはなんの説明にもなっていない。そんなものですよね。

 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

この辺が、文部省の本音でしょうか。「一つにまとまっている」のが良いことだと考えているんですね。戦時中、日本の国民は「一億火の玉」となり、「一つにまとまって」侵略戦争に邁進しました。その「火の玉」の中心にいたのが天皇ですが、その反省はないのでしょうか。日本の国民を、もう一度天皇中心の「一億火の玉」にしたいのでしょうか。どうしてまた、あらためて日本國民ぜんたいがこんなにも危険な天皇を中心にまとまらなければならないというのでしょうか。

 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。

 おや、そうでしょうか。天皇制をなくそうという意見もあったはずです。多くの国民が天皇の名による戦争で苦しみ、10万もの人が、治安維持法によって天皇の警察に逮捕されひどい目に遭わされたのですから。けっして、「日本國民ぜんたい」の考えであったはずはないとおもいますが。

 天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

 これって、教科書の文章ですよね。とてもヘン。二つの文を結ぶ順接の接続詞「ですから」が理解不能です。前の文は「天皇は神でない」ということで、後の文は「天皇にごくろうのないようにしなければなりません」ということ。なぜ、「天皇は神でない」ということを理由ないし根拠として、「ですから、私たちは、天皇を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」と言えるのでしょうか。論理として成立し得ません。「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。」と言われたって、金輪際分かるはずがない。

非論理的で出来の悪い文章。当時の文部省のお役人は、こんな程度だったのでしょうかね。もしかしたら、結論が先に決まっていたのかも知れません。「ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」とまとめる必要があったのでしょうね。また、もしかしたら「ですから」って付けたのは、わざと子どもたちへの突っ込みどころをこしらえたのかも知れません。わざわざヘンな文章をこしらえて、子供たちに天皇の存在に対する疑問を醸成するよう深謀遠慮があったのかも。これも文部官僚による面従腹背の伝統だと思えば、当時の文部省のお役人の優秀さがよく分かります。

**************************************************************************
 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時~ 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html
ぜひ、これをメールやツイッタ-で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。もちろん、メッセージを割愛して、ネット署名だけでも結構です。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
**************************************************************************

財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月8日)

アベ君、ダメじゃないか。しっかりと反省し、きちんと勉強しなくっちゃ。

アベ君、キミは昨日(11月4日)明治神宮に参拝したそうじゃないか。しかも、公用車で乗り付けて、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書き記帳し、本殿ではしっかりと二礼二拍手一礼の神道形式の礼拝を行った。これは、やってはいけないことだ。キミが守らなければならない日本国憲法というルールの違反だ。

キミの大好きな教育勅語。キミとその仲間は、「全部が間違っているのではない。普遍性を持つ部分もある」などと言っている。自分に都合良さそうな部分のつまみ食いはもちろんいけないが、その教育勅語をキミは読んだことがあるのかね。

そのなかに、「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」とある。いったいキミは、いささかなりとも「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ」したことがあるか。ウソとごまかしで高名となったキミが、「德器ヲ成就シ」ていないことは公知の事実だ。「進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」も、ゴリゴリの私益第一主義のキミのこと、キミの信奉する勅語に照らして恥ずかしくはないか。

それはともかく、問題は「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」の部分だ。いうまでもなく「國憲」とは憲法のことだが、勅語の時代には大日本帝国憲法で、普遍性を持つというなら今は日本国憲法を指すと考えねばならない。この違いをキミはよく理解しているだろうか。先日の11・3憲法集会で、体育大学の学生に憲法を教えている研究者が、「首相は憲法を理解していない。私の生徒なら明らかに落第」とスピーチし、満場がさもありなんと肯いていた。嘆かわしいが、国民はそのようにキミを理解しているのだ。

大日本帝国憲法は、「朕」が「臣民」に与えた法規範だ。だから、勅語では上から目線の「朕」が「臣民」に「憲法と法律を守りなさい」とエラそうに言っている。しかし、日本国憲法はまったく構造を異にする。主権者国民が権力の委託先に遵守を命じた制限規範なのだ。すべてお任せしますから、ご自由に権力の行使をしてくださいと、全面委任があったのではない。権力の行使はこの限りでせよ、とシバリが掛けられている。そこのところを一番大切なものとして、キミは肝に銘じなければならない。

つまり、キミは大日本帝国憲法下の教育勅語では臣民として、日本国憲法下では権力を付託されたものとして、いずれにしても「常に國憲を重んじ」なければならない立場なのだ。

キミは、日本国憲法99条によって「日本国憲法を尊重し擁護する義務」を負っている。一瞬たりとも、このことを忘れてはならない。キミの本心が、「日本国憲法大嫌い。人権尊重も民主主義も平和主義も、可能な限り軽視したい」「嫌いな憲法を、私好みに変えたい」というものだとはみんなが知っている。しかし、ことはキミの好き嫌いの問題ではない。キミが首相という地位にある限りは、面従腹背でも、憲法を遵守しなければならないのだ。

その憲法に、政教分離を命じた20条と89条がある。キミのために、条文を引いて、分かり易く解説しておこう。

第20条(信教の自由・政教分離)
1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第89条(公の財産の支出・利用の制限)
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…に、これを支出し、又はその利用に供してはならない

ここには、人権としての信教の自由(信仰の自由・宗教活動の自由・宗教的強制を受けない自由)と、その人権を保障するための制度として、政教分離原則が規定されている。政教分離は、首相であるキミに、神社参拝などしてはならない、と命じている。そこを弁えなければ、いつまでも憲法は落第点だ。

これまで、首相や天皇の公式参拝の可否は、靖国神社について論じられてきた。政治的、外交的、歴史的理由からのことだ。しかし、日本国憲法の政教分離の本旨は、神権天皇制の復活を許さないことを目的とするもの。戦前の天皇制は、天皇崇拝の宗教的な情念を臣民に注入することで、国民的規模のマインドコントロールに大きな成果を上げた。その反省が、「政」(政治権力)と「教」(天皇を神とする宗教)との分離を命じる憲法20条である。比喩的にいえば、人間宣言において生身の人間となった天皇を、再び神に戻さぬための、歯止めである。

だから、靖国だけではない、神社神道の本宗である伊勢神宮参拝もしてはならない。明治天皇(睦仁)を神として祀る明治神宮参拝など、もってのほか。キミは、参拝後、記者団に「明治150年にあたり参拝した。日本国の平和と繁栄、安寧、皇室の弥栄をお祈りした」と述べた、と報じられている。これは個人的イデオロギー吐露と言って済ませられる問題ではない。「天皇を神として祀る神社に参拝して、皇室の弥栄をお祈りする」などは、憲法違反も甚だしい。

政教分離には厳格な判例がある。岩手靖国違憲訴訟控訴審(仙台高裁)判決は、「首相や天皇が、その公的資格において靖国神社を参拝するのは国家が他の宗教団体に比して靖国神社を特別視しているとの認識を国民に与える」ことをメルクマールとして違憲であると述べている。

また、愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決は、いわゆる目的効果論に拠りつつ、愛媛県が護国神社に合計9万円の公金を支出して奉納したことは、「一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法20条3項、89条に違反する。」と明快に述べている。

キミの理解のために解説すれば、こんなことだ。
明治天皇(睦仁)とその配偶者(美子)の崇敬者において、この両名が死後神になったと信じてこれを祀る信仰の自由は憲法が保障するところ。この二柱を祭神として神社を創り運営することも、宗教法人明治神宮を組織して布教活動を行い宗教行事を行うことも、さらには国民が個人してこの宗教施設に参拝することも、いずれも憲法が大切な人権として保障している。しかし、信仰も宗教活動も、私的なものでなくてはならない。いささかなりとも、公権力が関わってはならないのだ。

「首相の神宮参拝は、国が明治神宮との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これが、一般人に対して、国が明治神宮を特別に支援しており明治神宮が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、明治天皇夫妻を神とする宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないので、憲法20条3項に違反する」

キミが明治神宮に納めた玉串料は私費からということだが、「玉串料を私費から支出さえすれば、違憲を免れる」というのでは、憲法の授業での単位は取れない。メルクマールは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるか否かなのだから。しかも、キミの場合、その私費の出所も、もとをたどれば税金であることを弁えねばならない。
(2018年11月5日)

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」

1868年10月23日、150年前の今日。「明治改元の詔」なるものが出たのだという。「それがどうした?」「だからなんだ?」「改元が目出度いか?」と言いたいところだが、政府は8月10日の閣議で、政府主催の記念式典を行うことを決定。本日(10月23日)永田町の憲政記念館で「明治150年式典」が開催された。安倍政権は、明治150年を祝賀しようという。ならば、われわれは「天皇専制と戦争の近代史」を思い起こす日にしようではないか。

2003年10月23日、15年前の今日。都内公立学校の全教職員に、学校儀式における「日の丸・君が代」への起立・斉唱をを強制する「10・23通達」が発出された。当時の都知事は石原慎太郎。以来、不起立・不斉唱での懲戒処分件数は、延べ483件に上っている。都内の公立校に、思想・良心の自由はない。教育現場は荒廃している。今日は、学校現場における思想・良心の自由獲得の重大さを思い起こすべき日でもある。

100年前の今日、制度が変わったわけではない。法が制定されたのでもない。先代天皇(孝明)の死亡の日ですらない。それまでの慶應が、幾つかの候補(一説に7案)の内から、明治と決められたというだけの日。しかも、当時は旧暦で(慶応4年)9月8日だった。そして、改元の効果は、その年の旧暦1月1日に遡るとされた。10月23日に、いったい何の意味があるのか分からない。

問題は、何ゆえ明治150年が記念に値するのか。国費を投じて式典まで行う必要があるのか、ということ。

この点、8月時点で菅義偉官房長官は、明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べたにとどまる。「明治以降のわが国の歩みを振り返り」「未来を切り開く契機」との関係がさっぱり分からない。

「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、天皇を国民統合の中心と戴いて国威を発揚してまいりました輝かしい時代であったと申せましょう。この我が国固有の歴史に誇りをもって、国の未来を切り開く契機にいたしたい」なのだろうか。

あるいは、「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、その前半は天皇制官僚と軍国主義者との横暴が猖獗を極めた専制と戦争の時代でありました。また、その後半は、専制や戦争あるいは差別を克服しようとして道半ばの時代と言わねばなりません。総じて、150年を徹底して反省することをもって、これからのくにの未来を切り開く契機にしなければなりません」ということなのだろうか。

同様のことは、「明治100年」の際にも問われた。このとき(1868年10月23日)にも政府主催の記念式典が開催された。会場は北の丸公園の日本武道館、天皇・皇后(先代)も出席してのこと。今回の式典は盛り上がりに欠ける。天皇(明仁)の出席もなかった。

ところで、本日の赤旗第2面。下記の記事が掲載されている。明治150年記念式典・出席せず」「小池氏・趣旨に同意できない」という見出し。

 小池晃書記局長は22日の記者会見で、23日に開かれる政府主催の「明治150年記念式典」について問われ、「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」として、式典に参加しないと表明しました。
 小池氏は、「閣僚の『教育勅語』容認発言のように戦前を美化したり、9条改憲によって『戦争をする国』に向かおうという安倍首相の意向が背景にある」と強調し、「式典の趣旨そのものに同意できない」と述べました。

 産経が、これを記事にしている。「共産、明治150年式典欠席へ」「前半は負の歴史」という見出し。

 共産党の小池晃書記局長は22日の記者会見で、東京・憲政記念館で23日開かれる明治改元150年記念式典に同党として欠席すると表明した。「150年の前半は、侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史がある。明治以降を丸ごと祝い、肯定するような行事に参加できない」と語った。
 関係者によると、会場には国会議員向けの席が用意される予定。小池氏は式典について「教育勅語の礼賛や、憲法9条改定により戦争する国造りを進めようという安倍晋三首相の強い意思が働いている」と指摘した。

 この「改元150年記念式典出席拒否」には全面的に賛同の意を表したい。「儀礼的なものに過ぎないから」「国会議員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なことだから」「他の野党との連携上、やむを得ない」などといわずに、きっぱりと出席を拒否したことを評価したい。

明日(10月24日)が臨時国会の開会式。望むべくは、玉座の天皇が議場の国民代表を見下して「開会の辞」を述べるという、国民主権に屈辱的な、あの儀式への参加もきっぱりと拒否してもらいたいところ。

東京新聞(こちら特報部・2018年10月17日)は、150年祝う政府式典 反対集会23日に同日開催 『明治礼賛』に異議あり」を特集している。下記のとおり、立派な姿勢だ。

 「明治150年」を記念する政府の式典が23日、東京都内で開かれる。近代国家の礎を築いた栄光の時代をたたえる趣旨だが、同じ日、アジア侵略につながった負の歴史を批判する団体も反対集会を開く。平等を説きながら差別をなくせなかった時代を礼賛するとして、沖縄の人々やアイヌ民族も複雑な思いを抱く。改憲に前のめりの安倍政権で迎える節目は、どんな意味を持つのか。

 10月21日、「10・23通達」抗議の集会が開催されている。明治150年、その前半は暗黒の時代だった。後半も人権や民主主義にとってけっして明るいばかりの時代ではないことを「10・23通達」による「日の丸・君が代」強制の実態が教えている。常に、権力に対する抗議が必要なのだ。

日の丸・君が代の強制を合理化してはならない。「儀礼的なものに過ぎないから」「教員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なこと」「世論状況でやむを得ない」などといわずに、きっぱりと「日の丸・君が代」強制に抗議の声を上げていただきたい。
**************************************************************************
下記は、本日付赤旗の「主張」。明治150年・近代日本の歩み検証する視点」というタイトル。さすがに赤旗、この論説は、行き届いた正論である。赤旗とは無縁な人のために、全文を紹介しておきたい。

 「上からは明治だなどというけれど 治明〈おさまるめい〉と下からは読む」―徳川幕府が倒れて明治新政府ができたとき、東京と改称された江戸の民衆はこんな狂歌をよんだと伝えられています。

 150年前の1868年、旧幕府側と薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍との間で戊辰戦争が始まり、新政府は「五箇条の誓文」を公布し、江戸城が無血開城されました。そして、年号が慶応から明治に改元されました。

特異な一面的礼賛の姿勢

 きょう政府は都内で「明治150年記念式典」を開催します。1868年10月23日に明治改元があったことを記念し「明治以降の我が国の歩みを振り返り、これからの未来を切り開く契機とする」(菅義偉官房長官)との触れ込みです。安倍晋三政権は2年前から「明治150年」キャンペーンを展開してきました。

 首相自身、今年の年頭所感で「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました」「近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人」と強調しました。きわめて一面的な「明治」礼賛です。戦前と戦後の違いを無視した時代錯誤の危険な歴史観がにじんでいます。
明治維新によって身分制が改められるなど、政治変革の激動のもとで急速な近代化が進んだのは事実です。しかし、明治政府がおこなったのは「富国強兵」「殖産興業」の名のもとに、資本主義化を推進し、労働者や農民から搾取と収奪をすすめることでした。

 それと並行して、欧米列強に対抗するために徴兵令(1873年)を公布し、台湾出兵(74年)や江華島事件(75年)などアジアへの侵略の歩みを進めました。また、蝦夷地(えぞち)を「開拓」してアイヌ民族を差別し、琉球処分を強行して沖縄を一方的に支配下に組み込みました。国民の政治参加を求めた自由民権運動は抑え込まれました。

 明治政府がうちたてたのは、大日本帝国憲法(1889年)のもとで、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治でした。そのうえ教育勅語(90年)を制定し、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」―つまり“国家危急の時は天皇のために命をささげよ”と国民に強要しました。

 戦前の日本共産党幹部で1934年に獄死した野呂栄太郎は、著書『日本資本主義発達史』(30年刊行)で、明治維新を「資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につかしむるための強力的社会変革」と指摘し、それによって生まれた政治権力を「絶対的専制政治」と明快に特徴づけています。

 明治政府は、日清・日露戦争を経て台湾や朝鮮半島を植民地化しました。昭和に入り1931年から中国への侵略戦争を開始、45年の敗戦までにアジア2000万人以上、日本国民310万人以上の犠牲をもたらしたのです。

根本に侵略戦争の肯定が

「明治150年」キャンペーンは、安倍政権が「日本会議」など過去の侵略戦争を肯定・美化し、歴史を偽造する勢力によって構成され、支えられていることと深く結びついています。過去の戦争の反省に根ざした日本国憲法の精神にたち、近代日本の歩みを検証することが強く求められています。

(2018年10月23日)

むき出しとなった権力の正体

1933年2月20日、天皇制警察は小林多喜二を虐殺した。文字通りの残虐ななぶり殺しだった。

陰惨極まりない拷問死の死体の解剖はどの病院からも拒否され、遺族に返された遺体を医師・安田徳太郎が検死している。権力批判のペンを握っていた多喜二の右人差し指は、手の甲の方向にへし折られていた。明らかにこの虐殺は、天皇制国家による作家多喜二の言論活動に対する報復であり、見せしめであった。

母親(セキ)は多喜二の身体に抱きすがった。「ああ、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。やがて涙は慟哭となった。「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」。

この母の慟哭を忘れてはならない。これが権力の本性だ。遠いどこかの世界のできごとではない。わが国に現実に起きた無数の類似の事件を象徴する最も知られた権力の犯罪。

ジャマル・アフマド・カショギは、メディアで「反体制派のサウジ人著名ジャーナリスト」と紹介される人。本年(2018年)10月2日、イスタンブールにあるサウジアラビア領事館の総領事室で殺害された模様である。これも、多喜二同様の陰惨な虐殺であったことが、次第に明らかになりつつある。

忘れてはならない。これが権力の本性だ。昔話ではない。まさしくたった今、現実に起きた、権力批判の言論活動への報復としての国家犯罪。

「有効な国民の制御がないところでは、権力は暴走する」というのは不正確な言い回しではないか。「権力は暴走する」のではない。「権力は本性をむき出しにする」のだ。多喜二もカショギも、その権力批判の言論活動のゆえに、権力の憎悪の対象となり虐殺された。

忘れてはならない。権力の正体の恐ろしさを。常に権力を監視し批判し続ける必要性を。そして、多喜二やカショギを虐殺した権力を支持する勢力は、今なお、わが国にも厳然として存在し続けていることも。
(2018年10月18日)

靖国神社宮司「不敬発言」が意味するもの

第4次安倍改造内閣をどう呼ぶか。「靖国派内閣」でピッタリではないか。何しろ、「神道政治連盟」の議連には19人全員に加盟歴があり、「日本会議」の議連には15人もが加盟しているからだ。

これを「神政連内閣」とも、「日本会議政権」とも言わず、「靖国派内閣」というのにはそれなりの理由がある。靖国神社こそが、先の大戦を「自存自衛の聖戦」とする歴史修正主義の本宗(仏教用語をつかえば「総本山」)だからだ。靖国神社が、戦死者の慰霊を独占する地位にあると主張して、今なお多くの戦没者遺族との精神的紐帯を保っているからでもある。

靖国神社とは何であるか。歴史的には、天皇制が生み出した軍事的宗教施設であり、宗教的軍事施設でもある。天皇のために死ぬことを美徳とし、戦死者を神として顕彰する装置であって、戦没者顕彰を通じて天皇が唱導する戦争を美化し次に続く戦死者を作る施設でもあった。つまり、軍国神社であり天皇神社なのだ。

戦後、神道指令と新憲法によって政教分離を余儀なくされた宗教法人靖国神社は、軍との関係も国との関係も切断された。しかし、軍国主義と天皇崇敬の思想はまったく変えていない。あの戦争を聖戦とする姿勢は、神社境内に位置する軍事博物館「遊就館」の展示を一見すれば明白である。そして、その出自が天皇神社である以上、天皇崇敬の思想は変えようがない。軍国主義を聖戦思想が支え、聖戦思想は天皇崇敬から導かれる。

だから、靖国神社の神職といえば、定めし天皇崇敬の念が篤い者ばかりであろうと考えるのが常識で、私もそう思い込んでいた。が、常識とは、往々にして根拠に欠ける虚妄であることが少なくない。常識の誤りに遭遇して衝撃を受けることが、間々ある。靖国神社宮司の「不敬発言」は、まさしくそのような衝撃のニュースである。ネトウヨ文化人や評論家諸氏が、ご都合主義の天皇(制)利用者であることには驚かない。しかし、靖国神社の神職、なかんずくそのトップである宮司の天皇批判発言には、少なからぬ驚きを禁じえない。

が、よくよく考えてみれば、近代天皇制とは、藩閥や財閥・右翼・戦争推進勢力の操り人形として創設された。彼らにとって利用できる限りでの天皇制や天皇の神聖性であり崇敬なのだ。けっして心底から天皇を敬しているわけではない。神聖なものと多くの者から信じられている虚妄こそが大切なのだ。言わば、靖国神社の宮司をはじめとする天皇制利用者が、天皇を崇敬しているフリをしているだけのものなのだ。そのことをよく分かるかたちで表わしたのが、このたびの宮司「不敬発言」なのだ。

さて、昨日(10月10日)のこと。靖国神社社務所は報道機関宛てに下記の通知を発した。

 平成30年10月10日

報道関係各位

靖國神社社務所

靖國神社宮司退任について

今般、当神社小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました。
この件に関し、宮司が直接、宮内庁へ伺い陳謝するとともに、宮司退任の意向をお伝えしました。尚、後任宮司につきましては10月26日の総代会にて正式決定した後、改めてお知らせいたします。

以上

靖國神社宮司といえば、かつては陸海軍大将が務めた。戦後は、元皇族や元華族が務め、今年の2月までは徳川家の末裔(徳川康久)がその任にあったが、「賊軍合祀」発言で職を退いた。代わって3月1日就任の小堀邦夫は、伊勢神宮禰宜からの転身。手堅い人事のはずが、靖国神社創建150年を直前に、この失態は痛手だ。痛手は、靖国神社だけではなく、靖国派や靖国派内閣にも、代替わりの天皇制にも及ぶことになろう。

「当神社小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣い」とは、本年6月20日に靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」での席のことだという。第12代靖国神社宮司の小堀邦夫が、靖国神社創建150年に向けて「教学研究委員会」を組織。その第1回の会議に、小堀宮司以下権宮司など幹部神職10人が参加して行われた。

その会議の110分に及ぶ録音が漏洩した。週刊ポストがこれを入手したとして、詳細な報道をした。もちろん、ニュースソースは秘匿されているが、この会議出席者10人の幹部神職の一人の内部通報なのであろう。問題とされている具体的な宮司発言の内容は以下のようなものである。

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」

なるほど、天皇を神聖なものとし、天皇崇拝を建前としている者の言葉遣いではない。「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました」は、そのとおりなのだろう。そして、「(天皇が)どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。」というのが、「不敬発言」内容の本領である。靖国参拝を拒絶する天皇に対する不快感の表明である。戦没者霊魂の独占を主張する靖国神社教義の根幹を天皇が意識的に妨害しているという焦慮なのだ。

また、神社本庁では、田中恆清総長の辞意表明やその撤回の背景に不動産不正取引など数々の疑惑があるとの報道もなされている。

リテラは、「有名神社の相次ぐ離脱・後継問題、富岡八幡宮殺人事件、そして、本サイトでも追及してきた「神社本庁・不動産不正取引疑惑」などで、いま、大きく揺れている神社界。全国約8万社を包括する宗教法人・神社本庁の上層部に、その責任が問われている。」と記事にしている。

「靖国」も「神社神道」も大きく揺れて、その権威を失墜している。もちろん、「靖国派内閣」も「神政連」も、元気が出ようはずはない。この事態、落ち目のアベ政権には小さくない手傷だが、日本国憲法改正阻止勢力には望外の敵失。オウンゴールと言うほどのことではないのだが。
(2018年10月11日)

49年前は「司法反動阻止」、今や「安倍改憲阻止」。

10月3日気の置けない友人弁護士10名余と函館に宿泊して旧交を温めた。49年前に司法修習同期をともにした同窓会である。「司法反動阻止」や「阪口君罷免撤回」の運動をともにした親しい仲間だけの集まり。

思いがけなくも、集合は立派な会議室だった。宴会の前にまずは「会議」のスケジュール。その議題は二つ。一つは、「森友事件告発」問題。そして、「安倍改憲阻止」の課題。

なぜ、森友事件関連の諸告発がいずれも起訴に至らなかったのか。どうしたら、検察審査会で起訴相当の決議を得ることができるか。有益な情報交換と議論が交わされた。

そして、「安倍改憲」の情勢をどう見るか。阻止の展望がもてるか。その阻止のために、われわれは何ができるか、何をなすべきか。大幅に時間を超過して宴会の開始が遅れた。

それぞれの近況報告が各自各様で面白い。求道者のごとく(ペイしない)仕事に没頭している者もいれば、仕事は妻と子に任せて主夫業専念者もいる。が、初心を忘れている者はない。今の共通の関心は、徹底してアベを叩くこと。アベを叩くことで改憲の危機を乗り越えなければならないということ。深夜まで久しぶりに青くさい議論が続いた。

宿は、湯の川温泉の立派な旅館だったが、ギョッとするものを見せられた。イヤでも見ざるを得ない場所に誇らしげに飾られた黄綬褒章の額装である。珍しいものでもなかろうが、私には初めて見る物。しげしげと眺めた。

この宿の経営者であろう者が、天皇から「褒められたシルシ」として与えられたリボンと賞状。「農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する者」に対して授与されるという「黄綬褒賞」。

芥川の「侏儒の言葉」の一節が思い起こされる。「わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」
私にも実際不思議である。なぜこの旅館主は、酒にも酔わずに、こんなオモチャをありがたがって受け取り、飾って人にまで見せることができるのであろう?  接客業者のあまりに無神経なオモテナシ。

褒賞授与状の主語は、「日本国天皇」であった。さすがに、今どき「朕」とは言わないのだ。
「日本国天皇は、某が××として、よく職務に精励したことについて黄綬褒章を授与する」という上から目線の、まことに素っ気ない文章。せめて、「あなたが永年職務に精励され多くの人に尽くされたことに敬意を表し、国民を代表してこの章を授与します」くらいのことが言えないのだろうか。もっとも、こんな物をもらってありがたがる者の支えあっての「象徴天皇制」なのだ。

御名すなわち明仁の署名はなく、国璽が押捺されていた。そして、内閣総理大臣安倍晋三と内閣府勲章局長の副書。

もらう人によっては有り難いのだろうが、こんな物を見せつけられて、私は不愉快。この宿には二度と来るまいと決意を固めた。

もう一泊、少人数で白老の虎杖が浜へ。こちらは、天皇も皇族も無関係。素晴らしい好天と、入り日と星空。そして、翌朝の水平線からの日の出。こちらのホテルは、大いにまた来ようという気になった。
(2018年10月7日)

柴山昌彦くん、愚かなキミには文科大臣は務まらない。

第4次安倍内閣への呼称が定まらない。
「もり・かけ反省拒否宣言内閣」「論功行賞内閣」「旧友復活内閣」「旧悪再生内閣」「在庫一掃内閣」「閉店セール内閣」「全員右投げ右打ち野球内閣」「右側エンジン全開内閣」「無適材不適所内閣」「レームダック内閣」…。いずれも一面の真実を衝いて甲乙付けがたい。

呼称は定まらないが、世評の低さは定まった。「信頼挽回内閣」にも、「人気回復内閣」にもなり得ない。提灯持ちメデイアのご祝儀記事も力がない。なにせ安倍商店が国民の前に並べた商品は、まことに魅力に乏しいのだ。早くも欠陥商品が見つかってもいる。

文科大臣就任の柴山昌彦なる人物。アベの候補者公募に応募したのが政治家稼業の始まりという、アベチルドレンの典型だという。宮本岳志から、「また愚かな人が文部科学大臣になった。教育勅語を研究もせずに教育勅語を語るな!」と、みごとな叱責を受けて、これはその評価が定まった。

ほかならぬ文部科学大臣である。「愚かな人」が就くべきポストではない。「愚かな人」とは、日本国憲法の理念を知らぬ人、弁えぬ人のこと。アベ晋三も柴山昌彦もこの範疇。日本国憲法下の教育行政担当官である以上は教育基本法をこそ熱く語るべきであって、大日本帝国憲法とともにあった教育勅語を肯定的に語ってはならない。ましてや、文部科学大臣が、教育勅語を研究もせずに「教育勅語を使える」などと言ってならないのは理の当然。

「普遍性を持っている部分」を取り出すとすれば、ヒトラーの演説からも、スターリンからも、ネロからも、東条英樹からも、アルカポネや石川五右衛門からだって、「道徳的教訓」を得ることができる。それをなぜ、ことごとしく教育勅語を持ち出すのか。意図は見え々えではないか。

柴山は大臣就任記者会見でどう語ったか。この大臣の「愚かな人」ぶりを引き出した質問は、朝日や共同通信や東京新聞ではなく、NHKの記者によるものである。

NHK:大臣はご自身のTwitterで今年の8月17日に、「私は戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じています。」とツイートされていますが、戦後教育や憲法や在り方がどのようにバランスを欠いていたと感じていらっしゃるんでしょうか。

柴山:はい。その私のツイートの趣旨は、やはり教育というのは当然のことながら私たちの権利とともに、義務や規律ということについても教えていかなければいけないと、これは当然のことだと思っております。ただ、戦前、その義務とか規律が過度に強調されたことへの、これもまた大きな反動として、個人の自由とか、あるいは権利ということに重きを置いた教育、あるいは個人の自由を非常に最大の核とする日本国憲法が制定をされたということだと思っております。
 そういう中で、憲法についてはわれわれ憲法尊重擁護義務がある公務員ですから、ちょっとここではその在り方について言及をすることは避けたいというふうに思うんですけれども、少なくとも教育においては権利や義務、あるいは規律ということを、しっかりバランスを良く教えていく、こういったことがこれから求められるのではないかと、そういう趣旨でツイートしました。

NHK:関連してなんですけども、教育勅語について、過去の文科大臣は中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけども、大臣も同様のお考えなんでしょうか。

柴山:はい。教育勅語については、それが現代風に解釈をされたり、あるいはアレンジをした形で、今の例えば道徳等に使うことができる分野というのが、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れるんではないかというふうに思います。

NHK:それはどの辺が十分今も使えるというふうに考えてらっしゃるんでしょうか。

柴山:やはり同胞を大切にするですとか、あるいは国際的な協調を重んじるですとか、そういった基本的な記載内容について、これを現代的にアレンジをして教えていこうということも検討する動きがあるというふうにも聞いておりますけれども、そういったことは検討に値するのかなというふうにも考えております。

このNHK記者の質問は立派なものだ。表面的な回答に満足せず、的確な質問を重ねて、この大臣の重要な内面をえぐり出した。「愚かな人」ぶりをさらけ出させたと言ってもよい。

柴山の教育勅語を語る姿勢における本質的な問題点は措くとして、「愚かな人が、教育勅語を研究もせずに教育勅語を語っている」ことだけに触れておきたい。

柴山が、普遍性ゆえに今の道徳(教育)にも使うことができるという、教育勅語の個所として挙げたのは、「同胞を大切にする」と「国際的な協調を重んじる」の2個所である。

おそらく、柴山は教育勅語を読みこんだことがない。勅語成立の背景事情もそれがどのように使われてきたかに関心をもったこともなかろう。ただ、アベが右翼である以上は、自分も右翼的でなければならないと思い込んでいるに違いない。右翼的であるための証しとして、教育勅語を肯定的に語らねばならないと考えたのだろう。そう考えざるを得ない。

まず、「同胞を大切にする」なんて、教育勅語には出てこない。そもそも、「同胞」という言葉がない。柴山がこうしゃべった根拠の可能性は二つ。

一つは、「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」の「兄弟」を同胞と間違えて記憶していたものと考えられる。いうまでもなく、「同胞」とは、訓読みすれば「はらから」、兄弟姉妹のこと。柴山が、うろ覚えで、「教育勅語には同胞(兄弟)を大切にせよ」という文句があったと間違えていたとしても無学の者にはありがちなことで、「文科大臣たる者が」という肩書を外せば、恥ずかしいというほどのことではない。「ミゾユウ」や「でんでん」「せご」などとは明らかに次元が異なる少々の間違い。

しかし、「兄弟ニ友」を、「同胞ニ友」と読み替えたところで、「兄弟仲良くせよ」でしかなく、「現在なお道徳等に使うことができる普遍性をもった徳目」として抜き出して論じるほどのものではない。

もう一つの可能性は、柴山の頭がナショナリズムに凝り固まっていて、「同胞」を「原義から転じて同じ国民や民族を指す」語彙として使っていること。「教育勅語には民族主義礼賛の言葉がどこかにあっただろう」「同胞すなわち日本民族を、お互い大切にしなさい」という徳目があったに違いない。愚かにも、そのように考えたのではないか。いずれにせよ、いい加減で不正確も甚だしい。戦前なら、「不忠」「不敬」と指弾されたところ。

柴山が言った「今の道徳(教育)にも使うことができる2番目の徳目」は、「国際的な協調を重んじる」だが、これは当てずっぽう。「愚かな人」が無知をさらけ出したと言うしかない。教育勅語にそんな言葉はない。そもそも、そんな理念を国民に教育しようという発想がなかった。

柴山が「国際的な協調を重んじる」ことを大切な徳目として道徳教育で教えたいというのなら、教育勅語を持ち出すことはできない。どんなにアレンジしたところで、教育勅語から導かれるものは「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する戦争でしかない。

もちろん、国際協調主義は現行憲法の重要な原則である。国際協調主義を教えるのなら、教育勅語の出る幕はない。現行憲法をそのまま教えればよいのだ。たとえば、次の前文。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる

あるいは9条。

第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

そもそも、教育基本法には教育の目的と目標が書き込まれている。その意味でも教育勅語なんぞの出る幕はない。1947年教育基本法は、崇高な教育の精神を語っていた。第1次アベ内閣が2006年にこれに傷をつけ、そのときから私はアベを民主主義の敵、人権の敵、平和の敵と確信して揺るがない。もっとも、アベに傷つけられた教育基本法だが、教育勅語に比較すれば、格段に立派な内容となっている。引用しておこう。

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

柴山くん、まずは日本国憲法の理念と教育基本法をきちんと学習したまえ。何年か先に、学が成って憲法・教基法の精神を会得するまで、キミには文科大臣は無理だ。務まらない。さらに、「愚かな人」ぶりをさらけ出して恥の上塗りを重ねるよりは、潔く職を辞するが身のためだと思う。キミの身のためであるだけでなく、それが日本国民のためなのだ。お分かりいたたけないだろうか。
(2018年10月6日)

そりゃオカシイ ― 「大嘗祭は宗教行事だが重要な儀式だから公費支出を認める」って?

来年(2019年)、現天皇(明仁)がその職を辞して、長男(徳仁)がその地位を承継する。次期天皇の就任は2019年5月1日と予定され、その後一連の代替わり儀式が行われる。天皇がかつて宗教的権威を体現する者とされていたため、伝統に基づく代替わり儀式に固執するとなれば、どうしても宗教性を帯びることになり、憲法に抵触することになる。その最たるものが、11月に予定されている大嘗祭にほかならない。

その大嘗祭に関して、一昨日(8月25日)の毎日新聞朝刊に、目立つ大きな記事。「大嘗祭『公費支出避けるべきでは』秋篠宮さまが懸念」の見出しで、以下の内容。他紙に後追いのないことも含めて、これは興味深い。

来年5月に即位する新天皇が五穀豊穣を祈る皇室の行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えられていることが関係者への取材で判明した。大嘗祭は来年11月14日から15日にかけて皇居・東御苑での開催が想定されている。政府は来年度予算案に費用を盛り込む。

 宗教色が強い大嘗祭に公費を支出することには、憲法で定める政教分離原則に反するとの指摘がある。政府は今年3月に決定した皇位継承の儀式に関する基本方針で、「宗教的性格を有することは否定できない」としながらも、「皇位が世襲であることに伴う重要儀式で公的性格がある」と位置付けた。費用は平成の代替わりの際と同様、皇室行事として公費である皇室の宮廷費から支出する。

 平成の大嘗祭では、中心的な行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」の祭場建設のための約14億円を含めて費用は総額約22億5000万円に上った。関係者によると、同程度の儀式を行った場合、物価の変動などを考慮すると、費用は大幅に増える可能性がある

通常の皇室祭祀は、天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の私的生活費である内廷費で賄われる。これに対して、皇室の公的活動は宮廷費から支出される。政府は大嘗祭について宮廷費で予算措置を講じる方針だが、秋篠宮さまは宮内庁幹部に対して多額の宮廷費が使われることへの懸念を示したうえで「内廷費で挙行できる規模にできないだろうか」とも話しているという。今年度の内廷費は3億2400万円だった。

 秋篠宮さまは、新天皇が即位すると、皇位継承順位第1位の皇嗣となる。同庁幹部は秋篠宮さまの懸念について、毎日新聞の取材に「承知していない」としている。

 皇室祭祀などに詳しい宗教学者の島薗進・上智大学教授は「皇嗣となる方の素直な意見として歓迎したい。大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れがあり、本来好ましくない。政府は多様な意見を踏まえて、慎重に皇位継承儀式を進めてほしい」と話している。

島薗教授のいうとおりだ。真面目にものを考えようという人で、この意見に反対は考えられない。ただ、話者によってニュアンスの違いは避けられない。私なら、「大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れが強く当然に避けるべきだ。政府は違憲の恐れの指摘を無視して、敢えて公的費用を投じての大嘗祭を強行すべきではない」と言いたいところ。

ところで、大嘗祭は秘儀とされ、その内容には諸説ある。これを政府はどう説明しようとしているか。本年(2018年)4月3日、政府は「大嘗祭の挙行については、『「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月21日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう準備を進めるものとする。」と閣議口頭了解している。

日本国憲法施行以来天皇代替わりは1回しかない。その際の「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」1989(平成元年)年12月21日閣議口頭了解における整理とは以下のとおりである。

大嘗祭の意義
大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。

儀式の位置付け及びその費用
大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。

次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。

以上の政府説明を要約するとこういうことになる。
(1)大嘗祭の宗教的性格は否定しがたい。
(2)しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式として公的性格がある。
(3)だから、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当だ。

そりゃオカシイ。無理だろう。こんな屁理屈を認めると、際限なく天皇の行為の公的性格が広がる。憲法は、政府がこんな無茶を言い出さないように、国事行為を限定し、政教分離規定を置いたのだ。大嘗祭に宗教的性格が認められる以上は、公的な性格のものとしてはならない。公的性格の範囲をズブズブにして公的支出を認めてはならない。政教分離の実効性がここで問われているのだ。

どうしても大嘗祭をやりたければ、天皇家の私的な行事として、内廷費でやればよいだけのことだ。どこの家庭の行事も同じこと、財布の許す範囲でやりくりすればよい。あきらかに、秋篠宮の言い分の方が真っ当だ。案外、手強い人が皇族の中にもいる。
(2018年8月27日)

次の天皇の即位の礼は、国民主権にふさわしい式次第とせよ

昭和天皇と諡された裕仁の死去が、1989年1月7日。即時に現天皇(明仁)がその地位を承継した。「(旧)国王は死んだ。(新)国王万歳!」というわけだ。法的には、天皇の死だけが皇位承継の要件である。法的には、天皇という公職に就いていた公務員が死亡し、その地位を襲うことが予め定められていた候補者が、就位したというだけのこと。

しかし、憲法には規定のない代替わり儀式が麗々しく行われた。儀式は多様ではあるが、大きくは二種類。その一つは、天皇という公務員職を引き継ぐことのお披露目の儀式。謂わば俗の儀式。皇室典範24条が「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と言っている「即位の礼」に当たるもの。もう一つが、「天皇としての霊力の承継」という神秘的な宗教行事である。謂わば聖の儀式。秘儀とされる「大嘗祭」を中心とするもの。天皇制とは、この聖と俗とが分かちがたく結びついているからことが面倒となる。本日取りあげるのは、俗の儀式である「即位の礼」についてだけ。

現天皇(明仁)の「即位の礼」は、大袈裟でもったいぶった儀式だった。いい齢をした大人たちが、恥ずかしげもなく、なんと大仰なことを。

王にせよ、天皇にせよ、その役割は被治者に対する虚仮威しにある。生身の人間にはない権威や血統の神聖への信仰に支えられた虚仮威しによって、国民を恐れ入らせ、権威主義的に統合することで、時の政権の政治支配に奉仕する。人間宣言した以後の天皇も同様である。むしろ、政治権力から切り離された天皇は、その機能を純化していると言えよう。

とりわけその代替わりの際には、天皇は、宗教的権威や文化的道徳的権威、あるいは万世一系という神話的な演出の要請に応えなければならない。俗の儀式といえども、虚仮威しの効果十分なものでなくてはならない。だが、これは普遍性を持たない。天皇の権威や神聖を認めないものの目から見れば滑稽な儀式における滑稽な所作となるだけのこと。

その滑稽の極みが、1990年11月12日「即位礼正殿の儀」であった。国事行為として行われたその式次第は、下記のような「今の世に信じがたい」ものだった。
 1.天皇が高御座に昇る。
 2.皇后が御帳台に昇る。
 3.参列者が鉦の合図により起立する。
 4.参列者が鼓の合図により敬礼する。
 5.内閣総理大臣が御前に参進する。
 6.天皇の「おことば」がある。
 7.内閣総理大臣が寿詞を述べる。
 8.内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
 9.内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
 10.参列者が鉦の合図により着席する。

この式次第、日本国憲法下に正気の沙汰とは思えない。天皇が高御座(たかみくら)に昇って、総理大臣以下の群臣を見下ろす。群臣は起立して「敬礼」させられるのだ。天皇は上から、「おことば」を述べ、内閣総理大臣が御前に参進し、天皇を仰ぎ見て「テンノーヘイカ・バンザイ」を三唱した。よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな愚行をやったのは海部俊樹という当時の総理大臣。彼の名はこの一事で歴史に残るだろう。なるほど、この日のために、「大臣」という語彙が残されているのだ。

昭和天皇(裕仁)の侍従だった故小林忍の日記が公開されて話題となっている。共同通信の第一報が、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経見出し)という記事だった。第二報が、現天皇の「即位礼正殿の儀」について、「ちぐはぐな舞台装置」「新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と当時の政府対応を批判する見解を日記に記していた、と共同通信が配信している。

「日記は政教分離の在り方に直接触れていないが、小林氏本人が参列した儀式の所作や内容について、費用も含めて手厳しい意見を記している。」「戦後初めて行われた即位の礼は、政教分離を巡り違憲論議も起きた。政府は宗教色を抑えようと配慮したが、一貫性がないとして宮内庁内に不満があったことがうかがえる。」「政府は、来年十月に予定されている新天皇の「即位礼正殿の儀」も基本的に前例踏襲とする方針で、今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある。」という以上の記事だけでは、小林忍が何をどう不満を持ったのか、分からない。

小林が問題としたのは、具体的には以下の2点のようである。
第1点 「陛下が儀式の際に立った高御座(たかみくら)に、三種の神器の剣と勾玉(まがたま)に加え、宗教色を抑えるために国の印の国璽(こくじ)と天皇の印の御璽(ぎょじ)を目立つ位置に置いたことに言及。内閣法制局の幹部が『細かなくちばしを入れてきた』と不快感を示し『持ち込めば十分であって、目立たない所に置くと(中略)目的が達成されないというのだろうが、何と小心なることか』と私見をつづっている。」

これは、宮内庁の愚痴に過ぎない。内閣法制局は「即位礼正殿の儀」から、できるだけ宗教色を薄めることで、政教分離違反という批判を免れようと腐心したのだ。高御座も三種の神器も天皇夫妻の服装も、宗教的色彩夥しい。せめてここに、宗教的色彩の希薄な国璽と御璽を目立つように配置しようとしたのだ。宮内庁側は、これを姑息として不満を表明している。これが、天皇や側近たちの本音なのだろう。来年(2019年)10月とされる、新天皇代替わり儀式に注目せざるを得ない。

第2点 「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束を身にまとっていたのに対し、宮殿のデザインや当時の海部俊樹首相ら三権の長がえんび服だったことを「現代調」と表現。「全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典」と皮肉り、全員が三権の長らと同じ洋装にすれば「数十億円の費用をかけることもなくて終る」と指摘している。

全員洋装で揃えりゃいいじゃないか、という趣旨のよう。たしかに、「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束」は、滑稽と言うほかはない。これを全員洋装で揃えることに反対はなかろう。当たり前のことだが、私服でよい。「数十億円の費用をかける」必要はさらさらない。

費用もさることながら、国民主権原理にふさわしい即位の礼でなくてはならない。
来年の10月だれが首相であるにせよ、衆人環視の中で、酔余の所業というでもなく、「テンノーヘイカ・バンザイ」はやめてもらいたい。
(2018年8月25日)

「あの無謀な戦争を始めて、我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか」 ― 天皇(裕仁)の戦争責任を追及する正森成二議員の舌鋒

 人は兵士として生まれない。特殊な訓練を経て殺人ができる心身の能力を身につけて兵士となる。人は将校として生まれない。専門的訓練によって躊躇なく部下を死地に追いやる精神を身につけて将校となる。人は帝王として生まれない。「だれもが自分のために死ぬことが当然」とする人倫を大きく逸脱した帝王学によって育てられて帝王になる。

 兵士は戦場で死ぬことを覚悟しなければならない。将校は作戦の失敗に責任をとらねばならない。帝王は帝国と運命をともにしなくてはなららない。革命や敗戦によって帝国が滅びるとき、当然に帝王も死すべき宿命を甘受する。が、ごくまれにだが、おめおめと生き延びる例外がないでもない。

天皇(裕仁)が、自分の戦争責任についてどう自覚しているかについて、国民に語る機会はほぼなかった。もちろん、詫びることもない。唯一、その肉声が漏れたのは、1975年10月31日皇居「石橋の間」で行われた日本記者クラブ主催の記者会見での発言である。彼が、常に何を考えていたのかが垣間見えて、印象的であった。

その問答の記録の全文が以下のとおりである。
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。 

戦争責任を「言葉のアヤ」程度の問題と捉え、原爆投下を「戦争中のことですから、…やむを得ない」と言ってのけたのが、敗戦後も生き延びた帝王の見解。こんな人物の名において行われた戦争で、無数の人々が死に、数え切れない悲劇が生まれた。人間らしい感情を持たない鉄面皮な人、というのが彼に対する私の印象だった。

が、その印象とはやや異なる面もあったようだと本日の各紙が伝えている。

昭和天皇(裕仁)85歳時の心情吐露の新資料発掘の記事。「故小林忍侍従の日記」を共同通信の記者が入手し、これを記事にして配信したもの。各紙とも記事の内容は同じで、以下のとおり、見出しだけが多少異なっている。

「昭和天皇『戦争責任のことをいわれる』 侍従が発言記す」(朝日)
「晩年の昭和天皇吐露『戦争責任言われつらい』」(毎日)
「『長く生きても…戦争責任いわれる』 昭和天皇85歳 大戦苦悩」(東京新聞)
「戦争責任『言われつらい』 晩年の昭和天皇が吐露」(日経) 
「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経)

 昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

 87年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の2月には弟の高松宮に先立たれた。

 小林氏はその場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました。
 
 既に公表されている先輩侍従の故卜部亮吾氏の日記にも、同じ4月7日に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」とつづられており、小林氏の記述と符合する。

 日記には昭和天皇がこの時期、具体的にいつ、誰から戦争責任を指摘されたのかについての記述はない。直近では、86年3月の衆院予算委員会で共産党の衆院議員だった故正森成二氏が「無謀な戦争を始めて日本を転覆寸前まで行かしたのは誰か」と天皇の責任を追及、これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。88年12月には長崎市長だった故本島等氏が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、波紋を広げるなど晩年まで度々論争の的になった。

 昭和天皇は、87年4月29日に皇居・宮殿で行われた天皇誕生日の宴会で嘔吐し退席。この年の9月に手術をし、一時復調したが88年9月に吐血して再び倒れ、89年1月7日に亡くなった。

 小林氏は人事院出身。昭和天皇の侍従になった74年4月から、側近として務めた香淳皇后が亡くなる2000年6月までの26年間、ほぼ毎日日記をつづった。共同通信が遺族から日記を預かり、昭和史に詳しい作家の半藤一利氏とノンフィクション作家の保阪正康氏と共に分析した。
**************************************************************************
以上の記事中にある、故正森成二の天皇の戦争責任追及の質疑は、天皇(裕仁)在位60周年祝賀行事の是非を巡っての論争である。該当部分の全文を引用しておきたい。

第104回国会 予算委員会 1986年3月8日(土曜日)午前9時開議(委員長 小渕恵三)

正森委員 次の質問に移ります。天皇在位六十年と恩赦の問題については、川俣委員がきょう午前中御質問になり、総理は明確に、恩赦は行わないということを答弁されましに。私どもはそれは当然のことであると考えております。
しかし総理は、我が党の不破議員の本会議答弁でも、あるいは松本議員に対する予算委員会の答弁でも、天皇在位六十年祝賀行事について、国民の自然の感情である、自然の感情を持たない人は不自然である、疑う方が不自然であるという旨の答弁をされております。私は、天皇の戦前二十年の地位と戦後四十年の地位というのは憲法上全く異なりますから、こういう理論的な問題を感情の問題にすりかえて事を行おうとするのは正しくないと考えております。けれども、もし国民の自然な感情と言われるなら、我々の方にも国民の自然な感情はどのようなものであったか、また現在あるかということについて申し上げなければなりません。
あの太平洋戦争が昭和十六年の十二月八日に始まりましたとき、私は中学校三年生の学生でありました。そのときに、我々は学校で宣戦の大詔を繰り返し読むことを教師から慫慂せられ、私どもはそれを暗記しました。現在、四十数年たった今でも、その大半は暗記しております。宣戦の大詔にはこう言っております。

 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭二忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ラ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家の総力ヲ挙ケデ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

私は、四十数年たってもこの宣戦の大詔を覚えております。
そして我々の先輩は、
  海行かば水漬くかばね
  山行かば草むすかばね
  大君の辺にこそ死なめ
と言って戦争に行き、死んでいったのであります。だれ一人、東条総理大臣のために、その辺にこそ死なめと考えた者はありません。
これが総理、自然な感情であり、国民は皆、天皇の御命令だから戦い、天皇のために死んでいく、こう思って戦ったのではありませんか。これが自然な感情ではないですか。
中曽根内閣総理大臣 立憲君主制下における天皇は、やはり内閣総理大臣あるいは国会というようなもので決めたことについては、君臨すれども統治せずという考え方に基づいて、それに従っていかれたのである。天皇陛下はあくまで平和主義の方であられ、戦争を回避するために全面的にも努力をされたと国民は知っております。しかし、それを持っていったのは、当時の主として軍部の開戦派の連中が持っていった、そのことを国民は知っております。また、終戦に際しましても、陛下の御英断によって終戦がもたらされたということも記憶しております。そしてその後においても、全国をお回りになって傷ついた人たちを慰められた、あるいは食糧がなかったときにも、またマッカーサー元帥のところへ行って食糧を要請した、あるいは今回の戦争についてこれは自分の責任である、そういうことを言って、国民諸君についてはぜひその点を了承してほしいとおっしゃった。
この間、朝日新聞の何とか三太郎という漫画がありましたね。あのときの漫画を見て、あれは国民がそういうふうに考えているからああいう漫画が出てくるので、つまり、マルコスさんがフィリピンからハワイへ行かれたのと対比して、日本の天皇はマッカーサーに対して自分の責任である、そう言っておられたと、あれは、朝日新聞がああいう漫画を出したということは画期的なことではないかと私は見ておるのであります。
しかし、それだけそのように国民感情があるということなのであって、その陛下の六十年の御在位をお祝いをし、かつまた、今まで最も長い御在世の天皇であられたということをお祝いするということは最も自然な感情であって、それに逆らうということは、私は不自然であると今でもかたく信じてやまない。これを聞いている全国民の皆さんも、そのとおりであるとお考えになっていらっしゃると思います。

正森委員 総理はそういうように言われましたが、もちろん明治憲法下でも、総理以下国務大臣に輔弼の責任があったということはそのとおりであります。けれども、歴史の事実はそれ以上のものを示しております。総理あるいは法制局長官も御存じでありましょうが、その総理大臣を任命する人事権は、憲法上いかなる制約もなく天皇の任命によって行われたわけであります。近衛内閣の後、即時対米開戦を主張する東条陸相に組閣を命じたのもまた天皇ではないでしょうか。近衛氏でさえ、天皇が平和的対米交渉で頼りにならなかったと、次のように述べております。これは、「敗戦日本の内側――近衛公の思い出」と題する時の内閣書記官長富田健治氏の著書であります。

 それから陛下のことだが、陛下は勿論、平和主義で、飽く迄戦争を避けたい御気持であったことは間違いないが、自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもっと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達の意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない。(中略)こういう状態では自分の手の施しようもなかったのだ
こう言っています。

 あるいはここに「近衛文麿」という伝記を持ってまいりました。これは近衛文麿伝記編纂刊行会のあらわしたものであります。そこには、近衛内閣が辞表を提出したときに陛下にこのことを率直に訴えだということが、辞表の中に載っております。

 然るに最近に至り、東条陸軍大臣は、右交渉はその所望時期(概ね十月中――下旬)までには、到底成立の望みなしと判断し、乃ち本年九月六日御前会議の議を経て、勅裁を仰ぎたる「帝国国策遂行要領」中、三の「我要求を貫徹し得る目途なき」場合と認め、今や対米開戦を用意すべき時期に到達せりと為すに至れり。(中略)国連の発展を望まば、寧ろ今日こそ大いに伸びんが為に善く屈し、国民をして臥薪嘗胆、益々君国のために邁進せしむるを以て、最も時宜を得たるものなりと信じ、臣は衷情を披瀝して、東条陸軍大臣を説得すべく努力したり。
  之に対し陸軍大臣は、総理大臣の苦心と衷情とは深く諒とする所なるも、(中略)時期を失せず此の際、開戦に同意すべきことを主張して己まず、懇談四度に及びたるも、終に同意せしむるに至らず。
  是に於て臣は遂に、所信を貫徹して、輔弼の重責を完うすること能わざるに至れり。是れ偏えに臣が非才の致す所にして、洵に恐懼の至りに堪えず。仰ぎ願はくは聖慮を垂れ結い、臣が重職を解き給わんことを。臣文麿、誠惶誠忠謹みて奏す。
こう言って辞任をしております。

 それにもかかわらず、この戦争を主張する東条内閣総理大臣に対して組閣の大命を下したのは、何物にも人事権を制約されない天皇ではありませんか。
あるいはまた総理は、戦争が終わったのは天皇の御意思によって行われた、だからあの朝日新聞の漫画のようなことになるのだ、こう言われました。けれども、これもまた史実に反します。例えば「終戦史録」の重光文書というのがあります。その重光文書を見ますと、

 結局、時機到来を見極めて天皇の絶対の命令(鶴の一声と当時吾々はこれをいっていた。)として終戦を行うの外に途はない。

あるいは「近衛日記」の十五ページを見ますと、

 いよいよ戦争中止と決定せる場合は、陸海官民の責任の塗り合を防止するため陛下が全部御自身の御責任なることを明らかになさせらるる必要ある事。

 こういうぐあいになっております。ほかにも文献があります。
つまり、天皇は決して開戦において平和主義者でなく、戦争終結においても、天皇が聖断を下されたというのは、一年も前から宮中あるいは外務大臣あるいは元老が、そういうようにしなければ軍部が反乱を起こしてまとまらないというようになっていた筋書きに基づいて行われたのであって、それのみをもって陛下が平和主義者であるというようなことは、私は断じて言えないのではないかというように言わざるを得ません。
総理、私はあなたが、国民全体の意思であり、我々のような主張は不自然であると言われましたが、そうではありません。戦争で被災し、夫や子供を死なせた国民は、政府だけでなく、天皇についても感情を持ちました。近衛文麿が昭和二十年七月十二日、宮中で天皇に会ったときに、天皇みずからこれを認めております。(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
正森委員 例えば、七月十二日に近衛文麿氏がソ連へ和平のための使節に行くことを天皇に話し合ったとき、近衛文麿が、「『今や皇室をお怨み申上げる事態にさえなって居ります』と申上げたるところ、全く御同感にあらせられた。」つまり天皇も、国民が恨みに思っておる、こういうことに同感されたということが、歴史の事実として明白に載っているわけであります。
だからこそ、戦争が終わったとき、南原繁東大総長は、天皇退位を国民感情とし、「私は天皇は退位すべきであると思う、これは私一人ではなく全国の小学教員から大学教授に至るまでの共通意見となっている、」昭和二十三年六月十三日、これは朝日新聞であります。
あるいは昭和二十三年の五月十六日の週刊朝日では、当時の三淵最高裁判所長官も週刊朝日の誌上で、「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、ということを非常に遺憾に思う。」こう述べ、佐々木惣一法学博士は、「まったくそうだ。」こういうように言っています。そして、三淵長官は、「公人としては自分の思慮をもって進退去就を決するわけにはいかないんだ。」「だけど、自らを責めることは妨げられない。だから、自分の不徳のいたすところ、不明のいたすところ、国民にかくの如き苦労をかけたということを、痛烈にお責めになれば、よほど違ったろうと思う」、こういうように最高裁長官が言っております。これが国民の自然な感情ではないでしょうか。
私どもは、こういう感情を無視して、戦前の二十年と戦後の四十年を無視して天皇の在位六十年を祝う、いわんや恩赦を行うなどということはもってのほかであると思います。恩赦については、総理はこれをしないということを明言されました。私どもは、在位六十年の記念行事についても、これを中止されることを心から総理に希望したいと思います。御答弁を願います。
中曽根内閣総理大臣 今のお話を聞いておりまして、共産党はそういう考えを持っているのかと今感じた次第でございます。大部分の国民の考えていることとはまるきり違うことを考えているということを発見いたしました。
当時の歴史でも明らかになっておりますが、開戦前におきましては、陸軍を抑えられる者でなければこの戦争を回避することはできない、そういう木戸さん等の助言があって、陸軍の一番の統率力があったと言われている東条氏を首相に任命して戦争回避を最後に考えられた、そういうことが言われておる。あるいは近衛・ルーズベルト会談を行って戦争回避をしようと一番期待して、まだ行われないのかまだ行われないかと言われておったのが陛下である、そういう記録も残っております。終戦に際しましては、軍部のあのような一部の過激な連中からいかに重臣を守りつつ、そして和平に順調に持っていこうかということをお考えになって、鈴木貫太郎氏を総理大臣に任命した。鈴木貫太郎氏を任命したのは、終戦を行うために陛下がおやりになったことです。そして、あうんの呼吸であの終戦をおやりになったという厳然たる事実があります。
そういう諸般のことを考えれば、一貫して陛下は平和主義者であって、この戦争を回避されるために最後まで努力をした。しかし、やはり当時は立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた。そういうことで、しかし国が滅亡するという危機に瀕しては、御聖断を発せられた。そういうことで今日の日本があり得るんだと私は確信してやまない。そういう国民の大多数の考えを無視して、あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持っておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑うのであります。そういう疑いを国民は持ってあろうということを私は申し上げたいのであります。

正森委員 国家を転覆する疑いがあるなどと言いますが、あの無謀な戦争を始めて、事実上我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか。それに対して、死刑も牢獄も恐れずに、断固として反対して平和を守り抜いたのは一体どの党ですか。それは自民党の教科書さえ、だから共産党は他の党にない権威を持っていたと書いているじゃないですか。
私どもは、時間が参りましたので、これで終わりますが……(発言する者あり)いろいろ当事者間の発言以外に発言するのではなく、お互いに本当に日本国家の将来のためにも、天皇の在位六十年について歴史を真剣に考えてみる必要があると思います。
私の質問を終わります。
○中曽根内閣総理大臣 正森君、御答弁を申し上げますが、ともかく大部分の……(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
中曽根内閣総理大臣 大部分の国民は、大多数の国民は、この二千年に近い伝統と歴史と文化を持っておる日本の国を愛惜し、そしてその一つの中心であった日本の天皇制というものを守っていきたい、それでそのためにあの終戦、あるいは終戦後みんな努力して天皇制を守ろうということで、今日日本があるわけであります。あのときに天皇制を破壊しよう、あるいは天皇制というものをこれで廃絶しようと考えたのは共産党でしょう。今でも共産党でしょう。しかし、そういうような国民はほんのわずかであって、それは絶無とは言いません。しかし大多数の、もう九九%の国民、九九%に近い国民は、やはり二千年近いこの伝統と文化を持っておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史とそれから我々の生活を守っていこうと考えておる。これは戦争に勝っても負けても、一貫して流れてきている氏族の大きな太い流れであります。私は、その流れを大事にしてきているがゆえに、今日の日本の繁栄があると思っておる。この繁栄がどこから来ているかということを考えれば、そういう国民の団結心にある。もしマルクス共産主義によって日本が支配されておったら、今日本はどうなっておるであろうか。これだけの繁栄があり得るであろうか。あるいはどこかの国の衛星国になっているのではないかとすら我々は考えざるを得ない。そのことをよくお考え願いたい、また御反省も願いたいと思うのであります。

正森委員 委員長、委員長。
○小渕委員長 時間でございますので、論議は尽きないと思いますが、これにて質疑を終わらしていただきたいと思います。
正森委員 私が終わると言っておるその後から、私が終わると言ってから総理が五分間も答弁したじゃないか。それに対して言うのは当たり前じゃないか。そんな不公平なことがあるか。
○小渕委員長 質疑者、委員長は、論議は尽きないとは思いますが、時間が参りましたので、以上をもって質疑を終わっていただきたいと思います。
これにて正森君の質疑は終了いたしました。
これにて締めくくり総括質疑は終了いたしました。
以上をもちまして、昭和六十一年度予算三案に対する質疑はすべて終了いたしました。

正森成二は先輩筋の弁護士である。その論理と気迫を見習いたいと思う。
(2018年8月23日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2018. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.