澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

そりゃオカシイ ― 「大嘗祭は宗教行事だが重要な儀式だから公費支出を認める」って?

来年(2019年)、現天皇(明仁)がその職を辞して、長男(徳仁)がその地位を承継する。次期天皇の就任は2019年5月1日と予定され、その後一連の代替わり儀式が行われる。天皇がかつて宗教的権威を体現する者とされていたため、伝統に基づく代替わり儀式に固執するとなれば、どうしても宗教性を帯びることになり、憲法に抵触することになる。その最たるものが、11月に予定されている大嘗祭にほかならない。

その大嘗祭に関して、一昨日(8月25日)の毎日新聞朝刊に、目立つ大きな記事。「大嘗祭『公費支出避けるべきでは』秋篠宮さまが懸念」の見出しで、以下の内容。他紙に後追いのないことも含めて、これは興味深い。

来年5月に即位する新天皇が五穀豊穣を祈る皇室の行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えられていることが関係者への取材で判明した。大嘗祭は来年11月14日から15日にかけて皇居・東御苑での開催が想定されている。政府は来年度予算案に費用を盛り込む。

 宗教色が強い大嘗祭に公費を支出することには、憲法で定める政教分離原則に反するとの指摘がある。政府は今年3月に決定した皇位継承の儀式に関する基本方針で、「宗教的性格を有することは否定できない」としながらも、「皇位が世襲であることに伴う重要儀式で公的性格がある」と位置付けた。費用は平成の代替わりの際と同様、皇室行事として公費である皇室の宮廷費から支出する。

 平成の大嘗祭では、中心的な行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」の祭場建設のための約14億円を含めて費用は総額約22億5000万円に上った。関係者によると、同程度の儀式を行った場合、物価の変動などを考慮すると、費用は大幅に増える可能性がある

通常の皇室祭祀は、天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の私的生活費である内廷費で賄われる。これに対して、皇室の公的活動は宮廷費から支出される。政府は大嘗祭について宮廷費で予算措置を講じる方針だが、秋篠宮さまは宮内庁幹部に対して多額の宮廷費が使われることへの懸念を示したうえで「内廷費で挙行できる規模にできないだろうか」とも話しているという。今年度の内廷費は3億2400万円だった。

 秋篠宮さまは、新天皇が即位すると、皇位継承順位第1位の皇嗣となる。同庁幹部は秋篠宮さまの懸念について、毎日新聞の取材に「承知していない」としている。

 皇室祭祀などに詳しい宗教学者の島薗進・上智大学教授は「皇嗣となる方の素直な意見として歓迎したい。大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れがあり、本来好ましくない。政府は多様な意見を踏まえて、慎重に皇位継承儀式を進めてほしい」と話している。

島薗教授のいうとおりだ。真面目にものを考えようという人で、この意見に反対は考えられない。ただ、話者によってニュアンスの違いは避けられない。私なら、「大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れが強く当然に避けるべきだ。政府は違憲の恐れの指摘を無視して、敢えて公的費用を投じての大嘗祭を強行すべきではない」と言いたいところ。

ところで、大嘗祭は秘儀とされ、その内容には諸説ある。これを政府はどう説明しようとしているか。本年(2018年)4月3日、政府は「大嘗祭の挙行については、『「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月21日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう準備を進めるものとする。」と閣議口頭了解している。

日本国憲法施行以来天皇代替わりは1回しかない。その際の「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」1989(平成元年)年12月21日閣議口頭了解における整理とは以下のとおりである。

大嘗祭の意義
大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。

儀式の位置付け及びその費用
大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。

次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。

以上の政府説明を要約するとこういうことになる。
(1)大嘗祭の宗教的性格は否定しがたい。
(2)しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式として公的性格がある。
(3)だから、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当だ。

そりゃオカシイ。無理だろう。こんな屁理屈を認めると、際限なく天皇の行為の公的性格が広がる。憲法は、政府がこんな無茶を言い出さないように、国事行為を限定し、政教分離規定を置いたのだ。大嘗祭に宗教的性格が認められる以上は、公的な性格のものとしてはならない。公的性格の範囲をズブズブにして公的支出を認めてはならない。政教分離の実効性がここで問われているのだ。

どうしても大嘗祭をやりたければ、天皇家の私的な行事として、内廷費でやればよいだけのことだ。どこの家庭の行事も同じこと、財布の許す範囲でやりくりすればよい。あきらかに、秋篠宮の言い分の方が真っ当だ。案外、手強い人が皇族の中にもいる。
(2018年8月27日)

次の天皇の即位の礼は、国民主権にふさわしい式次第とせよ

昭和天皇と諡された裕仁の死去が、1989年1月7日。即時に現天皇(明仁)がその地位を承継した。「(旧)国王は死んだ。(新)国王万歳!」というわけだ。法的には、天皇の死だけが皇位承継の要件である。法的には、天皇という公職に就いていた公務員が死亡し、その地位を襲うことが予め定められていた候補者が、就位したというだけのこと。

しかし、憲法には規定のない代替わり儀式が麗々しく行われた。儀式は多様ではあるが、大きくは二種類。その一つは、天皇という公務員職を引き継ぐことのお披露目の儀式。謂わば俗の儀式。皇室典範24条が「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と言っている「即位の礼」に当たるもの。もう一つが、「天皇としての霊力の承継」という神秘的な宗教行事である。謂わば聖の儀式。秘儀とされる「大嘗祭」を中心とするもの。天皇制とは、この聖と俗とが分かちがたく結びついているからことが面倒となる。本日取りあげるのは、俗の儀式である「即位の礼」についてだけ。

現天皇(明仁)の「即位の礼」は、大袈裟でもったいぶった儀式だった。いい齢をした大人たちが、恥ずかしげもなく、なんと大仰なことを。

王にせよ、天皇にせよ、その役割は被治者に対する虚仮威しにある。生身の人間にはない権威や血統の神聖への信仰に支えられた虚仮威しによって、国民を恐れ入らせ、権威主義的に統合することで、時の政権の政治支配に奉仕する。人間宣言した以後の天皇も同様である。むしろ、政治権力から切り離された天皇は、その機能を純化していると言えよう。

とりわけその代替わりの際には、天皇は、宗教的権威や文化的道徳的権威、あるいは万世一系という神話的な演出の要請に応えなければならない。俗の儀式といえども、虚仮威しの効果十分なものでなくてはならない。だが、これは普遍性を持たない。天皇の権威や神聖を認めないものの目から見れば滑稽な儀式における滑稽な所作となるだけのこと。

その滑稽の極みが、1990年11月12日「即位礼正殿の儀」であった。国事行為として行われたその式次第は、下記のような「今の世に信じがたい」ものだった。
 1.天皇が高御座に昇る。
 2.皇后が御帳台に昇る。
 3.参列者が鉦の合図により起立する。
 4.参列者が鼓の合図により敬礼する。
 5.内閣総理大臣が御前に参進する。
 6.天皇の「おことば」がある。
 7.内閣総理大臣が寿詞を述べる。
 8.内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
 9.内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
 10.参列者が鉦の合図により着席する。

この式次第、日本国憲法下に正気の沙汰とは思えない。天皇が高御座(たかみくら)に昇って、総理大臣以下の群臣を見下ろす。群臣は起立して「敬礼」させられるのだ。天皇は上から、「おことば」を述べ、内閣総理大臣が御前に参進し、天皇を仰ぎ見て「テンノーヘイカ・バンザイ」を三唱した。よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな愚行をやったのは海部俊樹という当時の総理大臣。彼の名はこの一事で歴史に残るだろう。なるほど、この日のために、「大臣」という語彙が残されているのだ。

昭和天皇(裕仁)の侍従だった故小林忍の日記が公開されて話題となっている。共同通信の第一報が、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経見出し)という記事だった。第二報が、現天皇の「即位礼正殿の儀」について、「ちぐはぐな舞台装置」「新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と当時の政府対応を批判する見解を日記に記していた、と共同通信が配信している。

「日記は政教分離の在り方に直接触れていないが、小林氏本人が参列した儀式の所作や内容について、費用も含めて手厳しい意見を記している。」「戦後初めて行われた即位の礼は、政教分離を巡り違憲論議も起きた。政府は宗教色を抑えようと配慮したが、一貫性がないとして宮内庁内に不満があったことがうかがえる。」「政府は、来年十月に予定されている新天皇の「即位礼正殿の儀」も基本的に前例踏襲とする方針で、今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある。」という以上の記事だけでは、小林忍が何をどう不満を持ったのか、分からない。

小林が問題としたのは、具体的には以下の2点のようである。
第1点 「陛下が儀式の際に立った高御座(たかみくら)に、三種の神器の剣と勾玉(まがたま)に加え、宗教色を抑えるために国の印の国璽(こくじ)と天皇の印の御璽(ぎょじ)を目立つ位置に置いたことに言及。内閣法制局の幹部が『細かなくちばしを入れてきた』と不快感を示し『持ち込めば十分であって、目立たない所に置くと(中略)目的が達成されないというのだろうが、何と小心なることか』と私見をつづっている。」

これは、宮内庁の愚痴に過ぎない。内閣法制局は「即位礼正殿の儀」から、できるだけ宗教色を薄めることで、政教分離違反という批判を免れようと腐心したのだ。高御座も三種の神器も天皇夫妻の服装も、宗教的色彩夥しい。せめてここに、宗教的色彩の希薄な国璽と御璽を目立つように配置しようとしたのだ。宮内庁側は、これを姑息として不満を表明している。これが、天皇や側近たちの本音なのだろう。来年(2019年)10月とされる、新天皇代替わり儀式に注目せざるを得ない。

第2点 「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束を身にまとっていたのに対し、宮殿のデザインや当時の海部俊樹首相ら三権の長がえんび服だったことを「現代調」と表現。「全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典」と皮肉り、全員が三権の長らと同じ洋装にすれば「数十億円の費用をかけることもなくて終る」と指摘している。

全員洋装で揃えりゃいいじゃないか、という趣旨のよう。たしかに、「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束」は、滑稽と言うほかはない。これを全員洋装で揃えることに反対はなかろう。当たり前のことだが、私服でよい。「数十億円の費用をかける」必要はさらさらない。

費用もさることながら、国民主権原理にふさわしい即位の礼でなくてはならない。
来年の10月だれが首相であるにせよ、衆人環視の中で、酔余の所業というでもなく、「テンノーヘイカ・バンザイ」はやめてもらいたい。
(2018年8月25日)

「あの無謀な戦争を始めて、我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか」 ― 天皇(裕仁)の戦争責任を追及する正森成二議員の舌鋒

 人は兵士として生まれない。特殊な訓練を経て殺人ができる心身の能力を身につけて兵士となる。人は将校として生まれない。専門的訓練によって躊躇なく部下を死地に追いやる精神を身につけて将校となる。人は帝王として生まれない。「だれもが自分のために死ぬことが当然」とする人倫を大きく逸脱した帝王学によって育てられて帝王になる。

 兵士は戦場で死ぬことを覚悟しなければならない。将校は作戦の失敗に責任をとらねばならない。帝王は帝国と運命をともにしなくてはなららない。革命や敗戦によって帝国が滅びるとき、当然に帝王も死すべき宿命を甘受する。が、ごくまれにだが、おめおめと生き延びる例外がないでもない。

天皇(裕仁)が、自分の戦争責任についてどう自覚しているかについて、国民に語る機会はほぼなかった。もちろん、詫びることもない。唯一、その肉声が漏れたのは、1975年10月31日皇居「石橋の間」で行われた日本記者クラブ主催の記者会見での発言である。彼が、常に何を考えていたのかが垣間見えて、印象的であった。

その問答の記録の全文が以下のとおりである。
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。 

戦争責任を「言葉のアヤ」程度の問題と捉え、原爆投下を「戦争中のことですから、…やむを得ない」と言ってのけたのが、敗戦後も生き延びた帝王の見解。こんな人物の名において行われた戦争で、無数の人々が死に、数え切れない悲劇が生まれた。人間らしい感情を持たない鉄面皮な人、というのが彼に対する私の印象だった。

が、その印象とはやや異なる面もあったようだと本日の各紙が伝えている。

昭和天皇(裕仁)85歳時の心情吐露の新資料発掘の記事。「故小林忍侍従の日記」を共同通信の記者が入手し、これを記事にして配信したもの。各紙とも記事の内容は同じで、以下のとおり、見出しだけが多少異なっている。

「昭和天皇『戦争責任のことをいわれる』 侍従が発言記す」(朝日)
「晩年の昭和天皇吐露『戦争責任言われつらい』」(毎日)
「『長く生きても…戦争責任いわれる』 昭和天皇85歳 大戦苦悩」(東京新聞)
「戦争責任『言われつらい』 晩年の昭和天皇が吐露」(日経) 
「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経)

 昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

 87年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の2月には弟の高松宮に先立たれた。

 小林氏はその場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました。
 
 既に公表されている先輩侍従の故卜部亮吾氏の日記にも、同じ4月7日に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」とつづられており、小林氏の記述と符合する。

 日記には昭和天皇がこの時期、具体的にいつ、誰から戦争責任を指摘されたのかについての記述はない。直近では、86年3月の衆院予算委員会で共産党の衆院議員だった故正森成二氏が「無謀な戦争を始めて日本を転覆寸前まで行かしたのは誰か」と天皇の責任を追及、これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。88年12月には長崎市長だった故本島等氏が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、波紋を広げるなど晩年まで度々論争の的になった。

 昭和天皇は、87年4月29日に皇居・宮殿で行われた天皇誕生日の宴会で嘔吐し退席。この年の9月に手術をし、一時復調したが88年9月に吐血して再び倒れ、89年1月7日に亡くなった。

 小林氏は人事院出身。昭和天皇の侍従になった74年4月から、側近として務めた香淳皇后が亡くなる2000年6月までの26年間、ほぼ毎日日記をつづった。共同通信が遺族から日記を預かり、昭和史に詳しい作家の半藤一利氏とノンフィクション作家の保阪正康氏と共に分析した。
**************************************************************************
以上の記事中にある、故正森成二の天皇の戦争責任追及の質疑は、天皇(裕仁)在位60周年祝賀行事の是非を巡っての論争である。該当部分の全文を引用しておきたい。

第104回国会 予算委員会 1986年3月8日(土曜日)午前9時開議(委員長 小渕恵三)

正森委員 次の質問に移ります。天皇在位六十年と恩赦の問題については、川俣委員がきょう午前中御質問になり、総理は明確に、恩赦は行わないということを答弁されましに。私どもはそれは当然のことであると考えております。
しかし総理は、我が党の不破議員の本会議答弁でも、あるいは松本議員に対する予算委員会の答弁でも、天皇在位六十年祝賀行事について、国民の自然の感情である、自然の感情を持たない人は不自然である、疑う方が不自然であるという旨の答弁をされております。私は、天皇の戦前二十年の地位と戦後四十年の地位というのは憲法上全く異なりますから、こういう理論的な問題を感情の問題にすりかえて事を行おうとするのは正しくないと考えております。けれども、もし国民の自然な感情と言われるなら、我々の方にも国民の自然な感情はどのようなものであったか、また現在あるかということについて申し上げなければなりません。
あの太平洋戦争が昭和十六年の十二月八日に始まりましたとき、私は中学校三年生の学生でありました。そのときに、我々は学校で宣戦の大詔を繰り返し読むことを教師から慫慂せられ、私どもはそれを暗記しました。現在、四十数年たった今でも、その大半は暗記しております。宣戦の大詔にはこう言っております。

 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭二忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ラ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家の総力ヲ挙ケデ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

私は、四十数年たってもこの宣戦の大詔を覚えております。
そして我々の先輩は、
  海行かば水漬くかばね
  山行かば草むすかばね
  大君の辺にこそ死なめ
と言って戦争に行き、死んでいったのであります。だれ一人、東条総理大臣のために、その辺にこそ死なめと考えた者はありません。
これが総理、自然な感情であり、国民は皆、天皇の御命令だから戦い、天皇のために死んでいく、こう思って戦ったのではありませんか。これが自然な感情ではないですか。
中曽根内閣総理大臣 立憲君主制下における天皇は、やはり内閣総理大臣あるいは国会というようなもので決めたことについては、君臨すれども統治せずという考え方に基づいて、それに従っていかれたのである。天皇陛下はあくまで平和主義の方であられ、戦争を回避するために全面的にも努力をされたと国民は知っております。しかし、それを持っていったのは、当時の主として軍部の開戦派の連中が持っていった、そのことを国民は知っております。また、終戦に際しましても、陛下の御英断によって終戦がもたらされたということも記憶しております。そしてその後においても、全国をお回りになって傷ついた人たちを慰められた、あるいは食糧がなかったときにも、またマッカーサー元帥のところへ行って食糧を要請した、あるいは今回の戦争についてこれは自分の責任である、そういうことを言って、国民諸君についてはぜひその点を了承してほしいとおっしゃった。
この間、朝日新聞の何とか三太郎という漫画がありましたね。あのときの漫画を見て、あれは国民がそういうふうに考えているからああいう漫画が出てくるので、つまり、マルコスさんがフィリピンからハワイへ行かれたのと対比して、日本の天皇はマッカーサーに対して自分の責任である、そう言っておられたと、あれは、朝日新聞がああいう漫画を出したということは画期的なことではないかと私は見ておるのであります。
しかし、それだけそのように国民感情があるということなのであって、その陛下の六十年の御在位をお祝いをし、かつまた、今まで最も長い御在世の天皇であられたということをお祝いするということは最も自然な感情であって、それに逆らうということは、私は不自然であると今でもかたく信じてやまない。これを聞いている全国民の皆さんも、そのとおりであるとお考えになっていらっしゃると思います。

正森委員 総理はそういうように言われましたが、もちろん明治憲法下でも、総理以下国務大臣に輔弼の責任があったということはそのとおりであります。けれども、歴史の事実はそれ以上のものを示しております。総理あるいは法制局長官も御存じでありましょうが、その総理大臣を任命する人事権は、憲法上いかなる制約もなく天皇の任命によって行われたわけであります。近衛内閣の後、即時対米開戦を主張する東条陸相に組閣を命じたのもまた天皇ではないでしょうか。近衛氏でさえ、天皇が平和的対米交渉で頼りにならなかったと、次のように述べております。これは、「敗戦日本の内側――近衛公の思い出」と題する時の内閣書記官長富田健治氏の著書であります。

 それから陛下のことだが、陛下は勿論、平和主義で、飽く迄戦争を避けたい御気持であったことは間違いないが、自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもっと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達の意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない。(中略)こういう状態では自分の手の施しようもなかったのだ
こう言っています。

 あるいはここに「近衛文麿」という伝記を持ってまいりました。これは近衛文麿伝記編纂刊行会のあらわしたものであります。そこには、近衛内閣が辞表を提出したときに陛下にこのことを率直に訴えだということが、辞表の中に載っております。

 然るに最近に至り、東条陸軍大臣は、右交渉はその所望時期(概ね十月中――下旬)までには、到底成立の望みなしと判断し、乃ち本年九月六日御前会議の議を経て、勅裁を仰ぎたる「帝国国策遂行要領」中、三の「我要求を貫徹し得る目途なき」場合と認め、今や対米開戦を用意すべき時期に到達せりと為すに至れり。(中略)国連の発展を望まば、寧ろ今日こそ大いに伸びんが為に善く屈し、国民をして臥薪嘗胆、益々君国のために邁進せしむるを以て、最も時宜を得たるものなりと信じ、臣は衷情を披瀝して、東条陸軍大臣を説得すべく努力したり。
  之に対し陸軍大臣は、総理大臣の苦心と衷情とは深く諒とする所なるも、(中略)時期を失せず此の際、開戦に同意すべきことを主張して己まず、懇談四度に及びたるも、終に同意せしむるに至らず。
  是に於て臣は遂に、所信を貫徹して、輔弼の重責を完うすること能わざるに至れり。是れ偏えに臣が非才の致す所にして、洵に恐懼の至りに堪えず。仰ぎ願はくは聖慮を垂れ結い、臣が重職を解き給わんことを。臣文麿、誠惶誠忠謹みて奏す。
こう言って辞任をしております。

 それにもかかわらず、この戦争を主張する東条内閣総理大臣に対して組閣の大命を下したのは、何物にも人事権を制約されない天皇ではありませんか。
あるいはまた総理は、戦争が終わったのは天皇の御意思によって行われた、だからあの朝日新聞の漫画のようなことになるのだ、こう言われました。けれども、これもまた史実に反します。例えば「終戦史録」の重光文書というのがあります。その重光文書を見ますと、

 結局、時機到来を見極めて天皇の絶対の命令(鶴の一声と当時吾々はこれをいっていた。)として終戦を行うの外に途はない。

あるいは「近衛日記」の十五ページを見ますと、

 いよいよ戦争中止と決定せる場合は、陸海官民の責任の塗り合を防止するため陛下が全部御自身の御責任なることを明らかになさせらるる必要ある事。

 こういうぐあいになっております。ほかにも文献があります。
つまり、天皇は決して開戦において平和主義者でなく、戦争終結においても、天皇が聖断を下されたというのは、一年も前から宮中あるいは外務大臣あるいは元老が、そういうようにしなければ軍部が反乱を起こしてまとまらないというようになっていた筋書きに基づいて行われたのであって、それのみをもって陛下が平和主義者であるというようなことは、私は断じて言えないのではないかというように言わざるを得ません。
総理、私はあなたが、国民全体の意思であり、我々のような主張は不自然であると言われましたが、そうではありません。戦争で被災し、夫や子供を死なせた国民は、政府だけでなく、天皇についても感情を持ちました。近衛文麿が昭和二十年七月十二日、宮中で天皇に会ったときに、天皇みずからこれを認めております。(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
正森委員 例えば、七月十二日に近衛文麿氏がソ連へ和平のための使節に行くことを天皇に話し合ったとき、近衛文麿が、「『今や皇室をお怨み申上げる事態にさえなって居ります』と申上げたるところ、全く御同感にあらせられた。」つまり天皇も、国民が恨みに思っておる、こういうことに同感されたということが、歴史の事実として明白に載っているわけであります。
だからこそ、戦争が終わったとき、南原繁東大総長は、天皇退位を国民感情とし、「私は天皇は退位すべきであると思う、これは私一人ではなく全国の小学教員から大学教授に至るまでの共通意見となっている、」昭和二十三年六月十三日、これは朝日新聞であります。
あるいは昭和二十三年の五月十六日の週刊朝日では、当時の三淵最高裁判所長官も週刊朝日の誌上で、「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、ということを非常に遺憾に思う。」こう述べ、佐々木惣一法学博士は、「まったくそうだ。」こういうように言っています。そして、三淵長官は、「公人としては自分の思慮をもって進退去就を決するわけにはいかないんだ。」「だけど、自らを責めることは妨げられない。だから、自分の不徳のいたすところ、不明のいたすところ、国民にかくの如き苦労をかけたということを、痛烈にお責めになれば、よほど違ったろうと思う」、こういうように最高裁長官が言っております。これが国民の自然な感情ではないでしょうか。
私どもは、こういう感情を無視して、戦前の二十年と戦後の四十年を無視して天皇の在位六十年を祝う、いわんや恩赦を行うなどということはもってのほかであると思います。恩赦については、総理はこれをしないということを明言されました。私どもは、在位六十年の記念行事についても、これを中止されることを心から総理に希望したいと思います。御答弁を願います。
中曽根内閣総理大臣 今のお話を聞いておりまして、共産党はそういう考えを持っているのかと今感じた次第でございます。大部分の国民の考えていることとはまるきり違うことを考えているということを発見いたしました。
当時の歴史でも明らかになっておりますが、開戦前におきましては、陸軍を抑えられる者でなければこの戦争を回避することはできない、そういう木戸さん等の助言があって、陸軍の一番の統率力があったと言われている東条氏を首相に任命して戦争回避を最後に考えられた、そういうことが言われておる。あるいは近衛・ルーズベルト会談を行って戦争回避をしようと一番期待して、まだ行われないのかまだ行われないかと言われておったのが陛下である、そういう記録も残っております。終戦に際しましては、軍部のあのような一部の過激な連中からいかに重臣を守りつつ、そして和平に順調に持っていこうかということをお考えになって、鈴木貫太郎氏を総理大臣に任命した。鈴木貫太郎氏を任命したのは、終戦を行うために陛下がおやりになったことです。そして、あうんの呼吸であの終戦をおやりになったという厳然たる事実があります。
そういう諸般のことを考えれば、一貫して陛下は平和主義者であって、この戦争を回避されるために最後まで努力をした。しかし、やはり当時は立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた。そういうことで、しかし国が滅亡するという危機に瀕しては、御聖断を発せられた。そういうことで今日の日本があり得るんだと私は確信してやまない。そういう国民の大多数の考えを無視して、あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持っておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑うのであります。そういう疑いを国民は持ってあろうということを私は申し上げたいのであります。

正森委員 国家を転覆する疑いがあるなどと言いますが、あの無謀な戦争を始めて、事実上我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか。それに対して、死刑も牢獄も恐れずに、断固として反対して平和を守り抜いたのは一体どの党ですか。それは自民党の教科書さえ、だから共産党は他の党にない権威を持っていたと書いているじゃないですか。
私どもは、時間が参りましたので、これで終わりますが……(発言する者あり)いろいろ当事者間の発言以外に発言するのではなく、お互いに本当に日本国家の将来のためにも、天皇の在位六十年について歴史を真剣に考えてみる必要があると思います。
私の質問を終わります。
○中曽根内閣総理大臣 正森君、御答弁を申し上げますが、ともかく大部分の……(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
中曽根内閣総理大臣 大部分の国民は、大多数の国民は、この二千年に近い伝統と歴史と文化を持っておる日本の国を愛惜し、そしてその一つの中心であった日本の天皇制というものを守っていきたい、それでそのためにあの終戦、あるいは終戦後みんな努力して天皇制を守ろうということで、今日日本があるわけであります。あのときに天皇制を破壊しよう、あるいは天皇制というものをこれで廃絶しようと考えたのは共産党でしょう。今でも共産党でしょう。しかし、そういうような国民はほんのわずかであって、それは絶無とは言いません。しかし大多数の、もう九九%の国民、九九%に近い国民は、やはり二千年近いこの伝統と文化を持っておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史とそれから我々の生活を守っていこうと考えておる。これは戦争に勝っても負けても、一貫して流れてきている氏族の大きな太い流れであります。私は、その流れを大事にしてきているがゆえに、今日の日本の繁栄があると思っておる。この繁栄がどこから来ているかということを考えれば、そういう国民の団結心にある。もしマルクス共産主義によって日本が支配されておったら、今日本はどうなっておるであろうか。これだけの繁栄があり得るであろうか。あるいはどこかの国の衛星国になっているのではないかとすら我々は考えざるを得ない。そのことをよくお考え願いたい、また御反省も願いたいと思うのであります。

正森委員 委員長、委員長。
○小渕委員長 時間でございますので、論議は尽きないと思いますが、これにて質疑を終わらしていただきたいと思います。
正森委員 私が終わると言っておるその後から、私が終わると言ってから総理が五分間も答弁したじゃないか。それに対して言うのは当たり前じゃないか。そんな不公平なことがあるか。
○小渕委員長 質疑者、委員長は、論議は尽きないとは思いますが、時間が参りましたので、以上をもって質疑を終わっていただきたいと思います。
これにて正森君の質疑は終了いたしました。
これにて締めくくり総括質疑は終了いたしました。
以上をもちまして、昭和六十一年度予算三案に対する質疑はすべて終了いたしました。

正森成二は先輩筋の弁護士である。その論理と気迫を見習いたいと思う。
(2018年8月23日)

日本国憲法は、敗戦を契機に不再戦の決意から生まれた。

本日(8月15日)は73回目の「敗戦の日」。私には、「終戦の日」でもさしたる違和感はない。韓国では「光復節」という祝日。北朝鮮では「祖国解放記念日」だそうだ。

政府の呼称に従えば、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。恒例の政府主催全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。全国から参集した遺族約5500人が、国内の戦争犠牲者310万人を悼んだ。軍人・軍属だけの戦死者だけでなく、民間人の犠牲者も対象にする追悼式だが、残念ながら加害責任についての問題意識はない。

「1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、『深い反省』や『哀悼の意』などを表明してきたが、安倍首相は第2次政権発足後、6年連続で加害責任に言及しなかった(朝日)」と報じられている。

日本国憲法は、まぎれもなく敗戦を契機に、再び戦争の惨禍を繰り返さぬ決意を以て制定された。あの戦争をどうかえりみるか、悲惨な戦争をもたらした戦前の体制の欠陥をどうみるか。戦争の惨禍の記憶から何をどう反省したのか。本日は、それを再確認すべき日である。戦没者追悼式は、それにふさわしいものであっただろうか。

安倍首相の式辞全文は以下のとおり。

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

 苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと心よりお祈り申し上げます。

 今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。改めて衷心より敬意と感謝の念を捧げます。

 未だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも脳裡から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう全力を尽くしてまいります。

 戦後、我が国は平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。

 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を心よりお祈りし、式辞といたします。

幾つかの感想を述べておきたい。
天皇皇后には「ご臨席を仰ぎ」と最大限敬語を使い、主役であるはずの国民(遺族)については「ご列席を得て」。国民主権の今の世にこれでよいのか。言葉遣いに、もっと工夫があってしかるべきだろう。

首相式辞には、御霊(みたま)が4度出てくる。
「…亡くなった御霊(みたま)、いまその御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと心よりお祈り申し上げます」。まるで、靖国神社の祝詞ではないか。耳障りであるし、宗教色を払拭するよう、意識的な批判が必要だと思う。

「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。」は、具体性はともかく、まことにそのとおりだと思う。

この文章の内容にまったくふさわしからぬ人物が朗読していることが悲しい。この人には、「歴史と謙虚に向き合え」「あらゆる差別をなくせ」「格差と貧困をなくす政治を志せ」「近隣諸国との緊張を煽るな」「老にも幼きにも十分な福祉政策を」、そして「9条改憲の策謀をやめよ」と言わねばならない。

「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。」は、常套句だが違和感を抑えることができない。戦死は、あるいは戦没は、はたして「尊い犠牲」だったのだろうか。圧倒的多数の戦死は、「強いられた、悲惨な死」であったはずではないか。遺族への慰めとなる美辞麗句を探して「強いられた、悲惨な死」を美化することで、この死をもたらした者の責任を糊塗する意図が透けて見えるように思える。

式典での天皇の追悼文は、以下のとおり。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

昨年に続いての、天皇の「深い反省」に注目せざるを得ない。「誰が」、「何を」「どのように」反省しているのか、である。
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願(う)」という文脈なのだから、「深い反省」は「過去を顧み」てのものである。しかも、その過去とは、「戦後の長きにわたる平和な歳月」に対比されるもので、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬ」切なる願いを伴うものでもある。

平和ならざる、戦争の惨禍が繰り返された、軍国主義・侵略主義が横行した野蛮な時代。天皇の命令で臣民が徴兵され、上官の命令は天皇の命令として「強いられた、悲惨な死」を余儀なくされた、その「過去を顧み」て、現天皇が「深い反省」と言っているのだ。

さて、当然のことながら、「深い反省」には「深い責任」がともなうことになる。この点が、「どのように」反省しているのかという問題である。この短い式辞では窺い知ることができない。現天皇にとっては最後の戦没者追悼式。これを知る機会は、もうなかろう。
(2018年8月15日)

真夏の真昼時、暑いさなかの平和を守ろうという熱いアピールです。

ご近所の皆様、ここ本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けています「本郷・湯島九条の会」です。私は近所に住む者で、憲法の理念を大切にし、人権を擁護する立場で、弁護士として仕事をしています。
真夏の真昼時、暑いさなかですが、平和を守ろう、憲法9条を大切にしようという訴えに、少しの時間耳をお貸しください。

73年前の今日、1945年8月14日午前10時に千代田区内某所で「特別御前会議」なる戦争指導者全員が参集した会議が開かれ、その席でポツダム宣言受諾を決定しました。そしてこの日、天皇(裕仁)の名で連合国(米・英・中・ソ)にその旨を通告し、法的には日中戦争・太平洋戦争が日本の無条件降伏で終了しました。調印式が9月2日横浜沖のミズーリ号上で行われたのは、ご存じのとおりです。既に、ムソリーニは虐殺され、ヒトラーは自殺して、イタリア・ドイツは敗北していましたから、最後の枢軸国日本の敗戦は、第2次大戦の終了でもありました。

そして、翌8月15日正午、天皇が読み上げた「大東亜戦争終結に関する詔書」の録音がNHKのラジオで放送されて、国民に敗戦を知らせました。国力を傾け尽くし、310万人の自国民死者と、2000万人にも及ぶ近隣諸国の犠牲者を出した末に、ようやくにして悲惨な侵略戦争は終わりました。

8月15日正午の天皇の放送は、1億国民からさまざまな思いで受けとられ、さまざまな記録が残されています。名古屋の武田徳三郎さんと志津さん夫妻の場合はこうでした。

夫妻の息子二人は、学徒動員で軍需工場に働いていましたが、名古屋の大空襲で、二人とも亡くなりました。夫妻は、必死になって、夜昼となく遺体を探しますが、ついに肉のカケラも服の端切れさえ見つからなかった。80キロあった徳三郎さんの体重は50キロまで減ったということです。「死のう」「いや、ワシらが死ねば、弔いをする者がなくなる」と思う日々が続いて、8月15日を迎えます―。

天皇陛下の玉音放送があった。「一億玉砕」とばかり信じていた。…だが、四球のラジオから流れる玉音は、ザァザァという雑音の中で無条件降伏を伝えた。…「そんなバカな! 手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ。陛下さま、ワシの息子らは、これで犬死になってしもうたがや―」徳三郎さんは泣き崩れた。(毎日新聞社編『名古屋大空襲』)

これを引用した近代史研究者の色川大吉は、1975年にこう書いています。
私はこの部分を天皇(註・裕仁)に読んでもらいたい思う。「手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ!」 この悲痛な叫びは、ポツダム宣言の受諾をめぐって天皇制の存続を条件にグズグズ日を延ばしていたあいだにも、50万人以上の民衆を殺し、徳三郎さん夫妻のような、もはや永久に救われない運命を負った庶民を無数に生み出してしまったのである。

無数の悲劇を重ねて、長い長い戦争が終わりました。再び、この戦争の惨禍を繰り返してはならない。多くの人々の切実な思いが、平和憲法に結実しました。とりわけその9条が、再びの戦争を起こさないという国民の決意であり、近隣諸国への誓約でもあります。

大日本帝国憲法は戦争を当然の政策と考え、軍隊の組織編成や、国民を戦争に動員する手続を定めています。戦争を抑制しようという憲法ではなく、主権者である天皇の名による戦争を煽った憲法と言ってもよいと思います。きっぱりとこの好戦憲法は捨て去られ、平和憲法が採択されました。

日本国憲法は、戦争を放棄し戦力を保持しないことを憲法に明確に書き込みました。それだけではなく、この憲法には一切戦争や軍隊に関わる規定がありません。9条だけでなく、全条文が徹頭徹尾平和憲法なのです。戦争という政策の選択肢を持たない憲法。権力者が、武力の行使や戦争に訴えることのないよう歯止めを掛けている憲法。それこそが平和憲法なのです。

ところが、歴代の保守政権は、この憲法が嫌いなのです。とりわけ、安倍政権は憲法に従わなければならない立場にありながら、日本国憲法が大嫌い。中でも9条を変えたくて仕方がないのです。

彼が言う「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」とは、日本国憲法の総体を敵視するという宣言にほかなりません。「戦後」とは、1945年敗戦以前の「戦前」を否定して確認された普遍的な理念です。人権尊重であり、国民主権であり、議会制民主主義であり、なによりも平和を意味します。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断にほかなりません。安倍首相は、これを再否定して「戦前にあったはずの美しい日本」を取り戻そうというのです。

戦後73年、日本国憲法施行以来71年、国民は日本国憲法を護り抜いてきました。それは平和を守り抜くことでもありました。そうすることで、この憲法を自らの血肉としてきました。平和は、憲法の条文を護るだけでは実現できません。国民の意識や運動と一体になってはじめて、憲法の理念が現実のものとして生きてきます。平和憲法をその改悪のたくらみから護り抜き、これを活用することによって恒久の平和を大切にしたいと思います。

そのため、安倍9条改憲を阻止して、「戦後レジームからの脱却」などというふざけたスローガンを克服して行こうではありませんか。夏、8月、暑いさなかですが、そのような思いを新たにすべきとき。憲法9条と平和を大切にしようという訴えに、耳をお貸しいただき、ありがとうございました。
(2018年8月14日)

石破茂の天皇教信仰告白

自民党総裁選とは、政権与党のトップ人事というだけでなく、事実上の次期首相予備選挙である。コップの中の争いとして無関心でいることはできない。そこで何が争われているのか、とりわけ憲法問題がどのように論じられているのかに、耳を傾けざるを得ない。

三選を目指すアベに対抗して、石破茂が立候補を表明し、両候補の一騎打ちとなるだろうとの報道である。願わくは、両候補に、自民党支持者だけにではなく、国民にとって傾聴に対する論戦を期待したいところだが、無いものねだりだろうか。

論戦の内容は、【政治姿勢】(ないしは政治手法)と【政策】の両面において行われることになる。この事態である。国民から「嘘つき」「人柄が信頼できない」「国政私物化」「行政を歪めた」「隠蔽・改ざん体質」「忖度政治横行」…デンデンと、ミゾユウの政治不信を肥大化させてきたアベ政治の政治姿勢が問われざるを得ない。

だから、石破第一声のキャッチフレーズが、「正直、公正、石破茂」である。「国民と正面から向き合い、公正で正直、そして丁寧な、信頼される政治が必要なのだと信じます」ともいう。もちろん、「嘘つき、隠蔽、アベ政治」を意識しての批判である。「アベ政治は、国民と正面から向き合おうとはせず、オトモダチ優遇の国政私物化に堕しており、不公正で欺瞞と隠蔽に満ち、ごまかしと取り繕いによって、いまや国民からの信頼を失っている」との含意にほかならない。まことにそのとおりではないか。

政策での対決よりは、アベ一強の驕慢、国政私物化の政治姿勢批判が前面に出ている。自民党という不可思議な柔軟体は、これまで国民の信頼を失いそうになると、その批判勢力がトップの座を襲って国民からの信頼を繋いできた。

自民党が再生して永らえるためには、おそらくは石破の当選が望ましいのだろう。それが自民党の自浄能力を示すことになろうが、大方の予想はそれは非現実的だという。つまりは、自民党に自浄能力などないことを証明する総裁選となるということなのだ。

ところで、石破茂とは何者か。憲法にしても、国防問題にしても、タカ派のイメージが強すぎるが、さらに遡って彼の政治家としての感性の基盤はどこにあるのだろうか。「石破茂オフィシャルサイト」にアクセスして驚いた。天皇陛下の ご生前ご譲位についてと題する石破の天皇観・皇室観がよく表れている文章。戦前の保守政治家と変わるところはない。この点は、アベと石破、右の位置を競い合って、兄たりがたく弟たりがたし。丙・丁つけがたい。かなり長い文章だが、彼の感性を表す冒頭だけを抜粋引用しておきたい。

平成29年1月31日 衆議院議員 石破 茂

亡父・石破二朗は生前、先帝陛下のことを「石破二朗個人として誇り得るこれだけの方はいない」と語っていた。昭和11年10月17日、北海道において実施された大演習に山形県地方警視として消防団を引率して参加した際、霙降る中、長時間微動だにされず演習をご覧になっておられた先帝陛下のお姿に深い感銘を受けてからのことという。
 私自身亡父から「天皇陛下を敬え」と言われたことは一度もなかったが、幼少の頃から「旗日(国民の祝日)に朝一番に玄関に国旗を掲げるのは子供の仕事」と躾けられ、自然に天皇陛下ならびに皇室に崇敬の念を抱くようになっていたように思う。
 昭和61年7月に衆議院に議席を頂いてからその気持ちはさらに強くなった。昭和天皇崩御を告げる竹下総理の勤話を、地元での新年会出席のため夜行列車を降り立った倉吉駅のホームに流れる構内放送で聞き、東京へ取って返す列車の中で号外を読みながら涙が止まらなかった。

 平成21年6月、全国植樹祭にご臨席のため福井県を訪問された陛下は、前夜のレセプションにもお出ましになった。植樹に功労のあった福井県の林業関係者やボーイスカウトなど諸団体の人々が陛下にご挨拶すべく、御前に長い列を作ったのだが、陛下はそのー人一人に、丁寧にお言葉をおかけになっておられた。農林水産大臣として陪席していた私は侍従を通じて、どうかお椅子をお使いくださるよう申し上げたのだが、陛下は微笑されたまま、最後の一人まで、予定の刻限を超えてもお心を込めてご対応になられた。私は自分の浅はかさを心から恥じたことであった。

 「日本国の象徴」であるだけなら富士山や桜の花のように存在そのものに意義もあろう。しかし今上陛下は「日本国民統合の象徴」たりうるために、積極的・能動的に、地域、年齢、思想信条などあらゆる相違を問われることなく、すべての日本国民に等しく対応され、そしてすべての国に等しく対応されるという、普通の者には決して為しえない、想像を絶する責務を自らに課され、おことば(正式名は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)の中でそれを「幸せなことでした」とまで仰せになられた。ひたすら恐懼し、自らの思いが足りなかったことをただ悔いる他はない。

 この(生前退位)問題は、先人たちが生命に代えても護ろうどしてきた日本国の国体そのものに関わることであるいつの間にか国民は、天皇陛下のご存在を当たり前のものとして考えるようになってしまったのではあるまいか。平和がそうであるように、大切なもの、貴重なものは不断の努力なくして維持できるものではない。その大切さを忘れ、護る努力を怠った時、消えてなくなってしまうものであることと、残された時間は長くはないことに我々は深い怖れと強い危機感を持たねばならない。

これには驚ろかざるを得ない。人類が普遍的なものと確認したグローバルな到達点とあまりにもかけ離れた認識。「日本国の国体そのもの」が平和と同格の大切なもの貴重なものというのだ。およそ、理性や知性ある人間の言葉ではない。主権者としての自覚をもつ国民の声でもない。天皇制が、いかなる意図で作られ、いかなる役割を果たし、いまその残滓がどのような政治的機能を有しているかについての歴史的な考察を抜きにした、ひたすらの天皇礼賛。偏頗とか平衡感覚を欠いたなどというレベルではない。憲法のコアの理念に理解なく、大日本帝国憲法時代と変わらない天皇教の信仰にどっぷり浸かった精神構造を吐露している。オウム信徒並みの、教祖への信仰告白と評するほかはない。

欺瞞に満ちたアベ政治の対抗馬が、天皇教の信者なのだ。推して知るべし、自民党に未来はなかろう。
(2018年8月12日)

正木ひろしが語る「家畜主義帝国」の牛馬羊豚の思想

昨日に引き続いて、下記は正木ひろしの一文。孫引きだが、正木の死後に編まれた『正木ひろし著作集』(1983年・三省堂)第4巻に所収のもの。書かれたのは1945年11月3日、明治節の日だという。天皇制批判の一文ではあるが、天皇そのものの批判ではなく、天皇制を支えてきた民衆の意識に対する痛烈な批判である。そして、後半に、官吏・職業軍人・御用学者等の天皇制の走狗への批判が付け加えられている。

正木は、天皇制日本を家畜主義帝国と揶揄し、天皇を家畜主、民衆を牛馬羊豚に喩えている。そして、その中間にある番犬層の存在とその役割の大きさを語っている。

私はこの十数年間日本人を観察した結果、日本人の大部分は既に家畜化していることを発見した。人間の家畜化ーそれを諷刺的に書いた前記の東京新聞の文章を再録すれば

家畜の精神(1945年10月8日)
家畜と野生の動物との相違点は、外形ではなく、その思想、その精神であると云ったら、人は変に思ふかも知れないが、家畜は立派な思想家であり、精神家なのである
1.野生の動物は、之を捕へて柵の中に入れて置いても、絶えず自由を求めて埒外へ出ようとするが、家畜は、与へられた自由の範囲に満足し、決して之より出ようとしない。出ようとする試みが、如何に恐ろしい鞭に値するかを知っている。即ち家畜は、反自由主義の思想家である
2.野生の動物は、なにびとにも所有されない自主的の動物であるが、家畜は恒に自己の所有者の厳存することを、半ば遺伝的に知っている。即ち家畜は祖先伝来の反民主主義者だ
3.野生の動物は、餌を与へんとする人間にすら刃向って来るが、家畜は残忍無比な所有者に、如何に虐待されても決して抵抗しない。そしてまた、如何に重い荷を背負はされても、之を振り落さうともしないし、怨みも抱かない。即ち家畜は、無限の忍耐心を持つ無抵抗主義者であり、大義名分をわきまへたる精神家である
4.野生の動物は、決して無意味な争闘は開始しないが、家畜は錬成によって、何の怨みも無い同類と死闘する。闘犬、闘牛、闘鶏はその例だ.「武士道とは死ぬことと見つけたり」といふ葉隠精神を、最もよく不言実行するのは日本犬である

この文章は、600字を以て書き上げねばならなかったので、大事なことが抜けている。それは家畜主義帝国に於ける番犬の位置についてである。死んで食用に供されるか、死ぬまで働いて奉仕するか、何れにせよ家畜主に生命を捧げることによって使命を果たし、それによって家族主義的の生活を保証されている牛馬羊豚的の民衆に対し、官吏・職業軍人・御用学者等は番犬的の存在である。番犬は牛馬を守護するがそれは牛馬の為に守護するのでなく、家畜主の為に牛馬を守護し、之を錬成し、大御宝として保存するのである。官吏は天皇陛下の官吏であり、軍は天皇の股肱であるが、民衆は民草である。民主主義国に於ては、官吏も軍人も民衆の為の番犬であり、公僕であって決して上下の階級ではない。然るに家畜主義国に於ては、政府はお上であり、上意下達、下情上通の段階に置かれる

従って、徹底せる家畜主義帝国における番犬の位地は、非常に魅力的である。何となれば、如何に下僚と雖も、民衆に対し、家畜に対する如き優越感情を持ち、且つ下賤なる労役や日々の生活の為の不安を免かれるのが原則だからである。人間が家畜を使用するに至ったことは人間としての進化であり、未開国に於ては、その所有する家畜の数によって社会的の尊卑が定められるほどだ。況んや最も有能なる人間を家畜として監督する位置に立つことが、如何に人生享楽として上乗なものであるかを考へよ

欧米文明諸国に於ては、人間を大御宝とする代りに、自然力を生活享楽化の資源とする段階にまで進化した。日本が人間の肉体的エネルギーを極度に発揮させるために、青少年に禁欲主義を説き、死の讚美を鼓吹し古人の歌を訓へ、天皇の名による機械的服従を強迫観念にまで培養せんと努力していた時、米国では科学者をして原子爆弾を研究せしめていたことは、進化論的に見て真に極端な対比である

日本の番犬階級が如何に無知無能であり、天皇は単に看板にしたる利己的な存在であったかは、戦前から終戦に至る経緯が最も之を雄弁に物語っている

この戦争が、その目的の不分明にして矛盾し、その方法が拙劣にして不真面目なりしに拘はらず一億国民を玉砕の瀬戸際までひっぱって行った所以のものは、日本の国体がこの番犬の繁殖に最も適したからである。而して明治維新以来、牛馬階級がたやすく番犬階級に躍進できる様になったため、番犬道が堕落し、今日の如き刹那的、不道徳的にして且つ無謀なる戦争が始まったのである。国体明徴論者の一派は、この番犬的存在を除去したる肇国の精神に基く大家族的国体を夢想しているが、それは歴史を逆行することが出来ぬ故に無理なる注文である

今や職を奪はれんとする番犬が狂犬となり、職を奪はれた番犬が野犬となって、国体護持に狂奔するであらう

終戦直後のこの立論に表れた憂いが、今もなお克服されていない。民衆は、相変わらず、「反自由主義の思想家」で、「祖先伝来の反民主主義者」「無限の忍耐心を持つ無抵抗主義者」でもあり、場合によっては「怨みも無い同類と死闘させられる」存在でもあるように見える。番犬階級の無知無能・無軌道はここに極まれりで、民衆は狂犬・アベをだに追い払うことを得ない。

そして、最大の疑問である。この家畜主義帝国の真の主はいったい誰なのだろうか。
(2018年8月8日)

私が出会った弁護士(その2) ― 正木ひろし

正木ひろし(1896~1975)という著名弁護士がいた。私が学生のころ、戦後史を飾る数々の冤罪事件に取り組んで令名高く、弁護士の代名詞のような存在だった。硬骨、一徹、信念の人、在野、反権力に徹して虚飾のない生き方…。弁護士のイメージの一典型を作った人でもあった。

もちろん、褒める人ばかりではなく、敵も多かった。三鷹事件では、竹内さんの単独犯行説をまげず、被告団や自由法曹団主流の弁護士とは衝突して孤立した。丸正事件では真犯人を名指ししこれを出版までして名誉毀損で起訴されている。1審・2審とも有罪で、上告中に被告人として亡くなっている。

大学の1年生のとき(1963年)だったか2年生のとき(64年)に、私はこの高名な弁護士と会っている。秋に行われる大学祭(「駒場祭」)の企画として、この人の講演会を企画し、なぜ冤罪事件が生じるのかについて語ってもらった。たしか、市谷近辺にあった自宅にまで出向いて依頼のための面談をした記憶がある。

驚いたことに、書棚に並んでいた書籍やファイルが、逆さまに置いてある。「書棚から出して開くときに、この方が時間がかからない。毎日多数回の作業だから時間の節約になる」という説明だった。徹底した合理主義者なのだ。そして、70歳に近い身で、屈伸体操をして見せた。体の柔らかいことが自慢で、これが「真向法」という体操なのだと教えられた。残念ながら、正木がしゃべった内容はまったく記憶にない。

首なし事件や、八海事件、三鷹事件、丸正事件…。関わった事件の数々だけでなく、彼が有名だったのは、戦前戦後を通じての「近きより」という個人誌を出し続けていたことにもよる。そこでは、天皇や軍部に対する批判が徹底していた。

たまたま、色川大吉の「ある昭和史―自分史の試み」(中公文庫・2010年改版)を読んでいたら、その最終章が「昭和史の天皇」となっており、天皇に対する負の評価の典型として、正木の「近きよりからの論評が引用されていた。

戦後の天皇評価については、「忠誠と反逆」という節があり、こう書き出されている。

「一億、天皇の家畜だった!」と、敗戦直後に吐いて捨てるようにいった人がいた。
「陛下よ、あなたは日本人の恩人です」と涙ながらに跪いた人がいた。
その正木ひろしと、亀井勝一郎の二人の考え方は、日本国民の心理の両端を示しているばかりでなく、今日にまで流れてやまない二つの心情を代表するものとして、検討するに値しよう。

おそらくは、いまどき亀井勝一郎に興味ある方もなかろう。色川が要約して紹介する正木の天皇制に対する批判の舌鋒の鋭さを味わっていただきたい。

天皇族は史上一貫して「寄生虫的階級」であった。蜜蜂の女王のような座を占め、つねに他人の乳や命を吸うことで生きてきた。ここに日本の天皇制の不道徳の根源がある。日本の上層階級というのは、皆その役割を分担し、「天皇に利用されかつ天皇を利用した存在」だった。とくに軍人に対しては「朕が股肱」といって愛重し、自分を守る最後的番犬たらしめてきた。この番犬なくしては天皇は直ちに徳川時代の境遇に後退しよう。
従って、番犬階級や、カラクリを司る神官や御用学者、宮廷的幇間。野犬的右傾暴力団等は天皇制護持に欠くぺからざる要素である。日本の上層部の堕落は、この不合理な天皇制そのもの本質の中に伏在する必要悪である故、一人二人の首相や皇族を暗殺しても問題の解決にはならない。根本はこのような不合理を許してきた民衆の存在にある。当時の国民の大部分は無知蒙昧で、正当なる人間の道理は理解し難くなっていたことに由る。つまり、この戦争を回避せしめんとするには民族の全般的な向上進歩が絶対的の条件なのだ。

この点に関して正木ひろしはこんな比喩も使う。「これは真に二十世紀の奇蹟であった。人類の退化の大規模な実験であった。僅か三十年間に、日本の国民は、その知性において三百年、徳性において五千年の退化の実験をなした。(中略)この国情は一朝一夕に出来上がったものではないが、少なくとも過去三十年間に徐々に形成され、ことに満州事変前後から急速化し、日支事変直前には既に黴毒ならぱ第三期的症状を呈していたのである。試みに今、過去の社会状態を、その当時の新聞紙を取り出して回想して見るがよい。高級軍人、高級官史、右傾政治家、御用文士。御用思想家、御用商人等は、毎夜の如く待合に入りびたっていた(寺内大将や近衛の遊蕩は有名である。岸信介は待合で自動車を盗まれた)。しかるに彼らが待合から出て来ると、国民に向っては国体明徴を唱え、禁欲主義、滅私奉公を力説した」と。

正木ひろし。在野・反権力に徹した弁護士である。天皇への批判も仮借ない。その意味で、まぎれもなく正義の人であった。
(2018年8月7日)

代替わりの宗教行事は天皇家の私事だ。けっして、国家行事としてはならない。

遠い神代の昔のことだ。高天原という神々の世界があった。その高天原には八百万の神々がおったが、ここも階級社会じゃった。エライ神もあり、えらくないも神もあって、いろいろでな。その神々のトップが、アマテラスという太陽の神で、この神は女性であったという。

この女神様、やや情緒不安定なところがあってな。弟のスサノオの乱暴に取り乱して、引きこもってしまわれた。その引きこもり先が天岩戸というところじゃった。アマテラスが天岩戸に引きこもると、世に陽の光が失われて真っ暗になってしまったという。神の住む高天原だけでなく、人の住む葦原中国までもだ。日照がなくなれば農業は壊滅だ。当然、みんな困った。

あわてた多くの神々が天安河原で臨時の集会を開いて善後策を協議した。アマテラスといえば高天原のリーダーだ。そのリーダーに使命感のないことが露呈したのだから、「アマテラス糺弾」「リーダー失格」の意見も出たはずだが、議事録は隠蔽され、後世には廃棄されて残っていない。伝えられているのは、堅固な天岩戸の岩盤をこじ開けて引きこもりのアマテラスを実力で外に連れ出した作戦の成功だけだ。

と言って、ドリルが用意されたのではない。この作戦のために、鏡と勾玉が作られた。賢木を根ごと掘り起こし、枝に勾玉と鏡とを懸けて真榊として飾った。岩戸の前に舞台装置ができあがると、アメノウズメが、いかがわしいダンスを披露して、座を盛り上げる。その周りで神々がヤンヤの大騒ぎ。天岩戸の中のアマテラスはいぶかしんだ。「外は真っ暗でみんな困ってると思ってたら、楽しそうにはしゃいでいるみたい。何で?」と、岩戸の扉を少しだけ開けて外を見た。

これに外から語りかける。「あなたより貴い神が現れましたので、みんな喜んでいるのです」。「えー。うっそー。そんなことありえないじゃん」「いいえ、ウソではありません。これをご覧ください」。差し出された鏡に映った自分の姿を見たアマテラス。「これが新たに現れたというライバルか。なんだ、大したものではなさそうじゃん。だけどもっとよく見せて」と、岩戸を開けて身を乗り出そうとしたところを、隠れていた力自慢のタヂカラオがその手をむんずとつかんで岩戸の外へ引きずり出した。で、世は再び、明るくなったそうな。

ところで、乱暴者のスサノオは高天原を追放されてな、出雲の国に降った。そして、その地を荒らしていた怪物八岐大蛇を退治する。前科のあるムチャクチャな乱暴者が、一躍ヒーローになった。退治した大蛇の尻尾から一振りの剣が出てきたとされておる。

天岩戸神話に出てくる鏡と勾玉、スサノオ神話に出てくる剣。この三つが、今度は天孫降臨神話に顔を出す。アマテラスは、記念にとっておいた鏡と勾玉の埃を払い、弟から取り上げた剣の錆を落として三品を揃え、「天壌無窮の神勅」とともにこれを孫のニニギの門出に贈ったのだ。これが、皇位のシンボルとされる、三種の神器の謂われだ。こうして、三種の神器は万世一系の皇位を支える「天壌無窮の神勅」とセットになり、国体イデオロギーを可視化するシンボルとなった。

周知のとおり、高天原から降臨したニニギの末裔が、初代天皇の神武。高千穂山麓から「悪者たち」を切り従えつつ東征して、大和橿原の地で皇位に就いたとされる。以来、万世一系の皇位が当代まで125代継承されていることになっている。三種の神器も常に皇位とともにあったと語り伝えられている。

何しろ、「王家」の物語である。これを記述する文書課の公務員は、王に忖度を重ねなければならない。王の権威を盛るために、やたらにカッコウをつけて難しく、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)、「八咫鏡」(やたのかがみ)、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)などと名付けた。ネーミングにさしたる意味はないが、剣は武力の、鏡は宗教的権威の、勾玉は経済力の象徴として分かり易い。この3者が王権成立の3要素だったのだろうから。

「昔話しはこれでお終い」とはならないところがチト面倒なのだ。来年(2019年)の天皇の代替わり行事に、以上の神話が大きく関わってくる。

代替わり行事として、まずは「剣璽等承継の儀」なるものが予定されている。「剣・璽」とは、神器のうちの剣と勾玉のこと。「等」とは、国璽と御璽を指す。

古来、「剣」と[璽]は常時天皇の側に置かれていたという。オバマやトランプの来日時、核のボタンの入ったトランクを持参していることが話題になった。核大国の核戦力を掌握している人物であることの象徴である。世界を威嚇しつつ、移動しているのだ。「剣」と[璽]の持参も同じ発想。こちらはもう少し年期が入って、イデオロギー誘導装置として精巧なものとなっている。

天皇の「代替わり」にあたって、この「剣」と「璽」とを、前天皇から新天皇へ移す儀式が、戦前の「登極令」における「剣璽渡御の儀」。これに「国璽」(国印)と「御璽」(天皇印)を加えて「剣璽等承継の儀」。

結局のところ、「剣」と「璽」との承継は一面神話の再確認にほかならない。これは、信仰の世界の物語り。世界は神が7日で作りたもうた。イブはアダムのあばらぼねから生まれた。当然に信仰は自由である。しかし、信仰は飽くまでも私事の世界。天皇も、純粋に私事として行うべきであって、天皇の国事行為や国家行事として行ってはならない。のみならず、三種の神器の神話が天壌無窮神勅とセットになっていることが最大の問題である。天皇制を基礎づけるすべての神話・信仰は、公権力と関わりを持ってはならない。これが、日本国憲法が定める政教分離の神髄である。

天皇は敗戦後いち早く、自ら「人間宣言」をした。自らは神ではなく、自らを神とする法や政治や制度と一切の関わりをもたないことで、その地位を保持したのだ。目本国憲法は天皇の政治的権能のすべてを剥奪し、再び神に戻さない歯止めとして政教分離の規定をおいたのだ。時代を旧に復してはならない。代替わり儀式における天皇再神格化のたくらみを許してはならない。

おとぎ話だから目くじら立てるほどでもない、なんて暢気なことを言っているうちに、天皇制が国政にも社会意識にも食い込んでくる。天皇の権威を利用した施策が当たり前になってくる。日の丸も、君が代も、元号も逆らえないようになってくる。これに徹底して抗わねばならないと思う。主権者国民が天皇制の呪縛から自らを解き放ち、自律性・主体性を自覚的に獲得するチャンスではないか。
(2018年7月22日)

再び、近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。

ご近所の皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。お暑うございます。
こちらは地元「本郷・湯島」の「九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である9条を守ろう。平和を守りぬき、絶対に戦争を繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。平和のために、少し耳をお貸しください。

それにしても、いやはや何とも暑い。敗戦の年、1945年も暑い夏だったそうです。73年前のあの年の今ころ、このあたりは焼け野原でした。3月10日未明の東京大空襲で、23万戸が全焼し、東京市民10万人が焼け死にました。首都が焼かれて一夜にして10万の死者です。こうまでされても、日本に反撃の能力のないことが明らかになりました。

それでも、日本は絶望的な闘いを続けました。4月1日には、沖縄の地上戦が始まります。6月末までの2か月間で20万人の死者が出ました。沖縄戦は、本土決戦の態勢を整えるための時間稼ぎ。7月のいまころは、まだ、一億国民が火の玉となって鬼畜米英との本土決戦を闘い抜くのだ、そんなふうに思い込まされていました。

戦争の最高指導者はヒロヒトという人でした。今の天皇アキヒトという人の父親です。信じられますか。この人は神様とされていました。日本は神の国で、この国を治めるヒロヒトは、アラヒトガミとか、アキツミカミと崇められ持ち上げられていたのです。神様のすることだから、けっして間違うはずはない。本土決戦では、最後はカミカゼが吹いて日本は勝つのだ。多くの人がそう思い込まされていました。神様のすることだから批判などトンデモナイことだったのです。日本国中がオウム真理教の洗脳状態だったのです。何とバカバカしい愚かな世の中だったことでしょうか。

このアラヒトガミは、國体の護持つまりは天皇制の維持にこだわって、日本人が何万、何十万と殺されようが、戦争をやめようとはしませんでした。「もう一度、戦果をあげてから」と言い続けて、結局は無条件降伏まで多くの同胞を見殺しにし続けたのです。

8月6日には広島に史上初めての原爆が投下されます。そして、8月9日には長崎の悲劇が続きます。天皇は、ソ連に、戦争終結のための仲介を依頼して望みを繋げますが、そのソ連が対日参戦するに至って、ようやくポツダム宣言受諾を覚悟します。

こうして、敗戦を迎えて、日本国民は深刻な反省を迫られました。再び戦争は起こさない。起こさせない。再びだまされない。だまされて戦争に駆り出されるようなことはけっして繰り返さない。この国に民主主義のなかったことが、戦争の悲劇をもたらした。天皇を神とするような愚かな社会とは訣別しなければならない。その反省が結実したものが日本国憲法でした。

ところが今、その大切な日本国憲法が危機にあります。安倍晋三という人物によってです。彼は今、9条の改憲に手を付けようとしています。70年余の以前、日本の国民は近隣諸国への敵愾心を意図的に植えつけられました。台湾・朝鮮そして中国、ソ連です。不逞鮮人とか、暴支膺懲とか、さらには鬼畜米英とまで言った。

今また、安倍政権は同じようなことをしつつあるのではないでしょうか。思い出してください。去年10月の総選挙。あのモリ・カケ・南スーダン問題の雰囲気の中では、安倍自民党は大敗するだろうと大方が思いました。しかし、そうはならなかった。明らかに、北朝鮮のお陰です。

安倍自民は、この総選挙を「国難選挙」とネーミングしました。北朝鮮が危険だ。明日にもミサイルが飛んでくる。この国難を救うために強力な政府を。国防の態勢を。こう訴えて、アベ政治は生き残りました。

昔の出来事が繰り返されようとしているのではないでしょうか。安倍政権にとっては、いつまでも危険な存在としての北朝鮮が必要なのです。半島の軍事緊張が必要なのです。北の核がなくなり、南北の宥和が実現すれば、タカ派のアベ政権は無用の長物になり下がることにならざるを得ません。

再びだまされまい。近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。暑いさなかですが、米朝・南北、そして日朝・日韓の関係に目を凝らしたいと思います。

米朝首脳会談の成果にケチをつけるのではなく、朝鮮半島の全体を非核化しようと動き出したシンガポール宣言を守らせる国際世論を作っていく努力を積み重ねようではありませんか。
(2018年7月10日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2018. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.