澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

私たちは主権者だ。天皇に関する制度をどう設計するか、その議論に遠慮があってはならない。

昨日(6月9日)、天皇の生前退位を認める「皇室典範特例法」が成立した。侃々諤々の議論はなく、「静謐な環境の中で速やかに」、天皇(明仁)の退位希望が認められることとなった。

この特例法成立に際しての首相談話が以下のとおりである。
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立しました。本法の重要性に鑑み、衆参両院の議長、副議長にご尽力を頂き、また各会派の皆様のご協力を頂き、静謐な環境の中で速やかに成立させていただいたことに対しまして感謝を申し上げ、改めて敬意を表したいと思います」「光格天皇以来、実に200年ぶりに退位を実現するもので、この問題が国家の基本、そして長い歴史、未来に関わる重要な課題であることを改めて実感した…」

私には、「本法の重要性」は理解し難い。「この問題が国家の基本」であることも、「長い歴史、未来に関わる重要な課題である」ことも。ましてや、活発な議論を意識的に避けて、「静謐な(=ものを言えない)環境」をつくり出したことに「感謝」「敬意」とは、なんたることだ。

天皇の生前退位の可否よりも、共謀罪法案の成否こそが国家的重大事ではないか。また、加計学園問題等に表れた権力者による政治の私物化も、未来に関わる重要な課題である。そして、法案審議に関わって危惧せざるを得ないことは、天皇や皇族にまつわることになると、奥歯にものがはさまったような、明確にものを言えない雰囲気が醸成されていることである。

共謀罪法案の審議の過程では、国体(=天皇制)擁護を掲げた治安維持法を想起せざるを得ない。もちろん、今はなき不敬罪や大逆罪の猛威も。現天皇(明仁)の先代(裕仁)の就位時には、天皇は主権者であった。天皇は統治権の総覧者であり、天皇の名で裁判は行われ、天皇が大元帥として軍事を統帥し、天皇が教育をつかさどった。そして、天皇の名による侵略戦争と植民地支配が行われ、皇軍による無数の殺戮と凌辱が行われた。内外にこの上ない規模の不幸を生み出したことに天皇の責任は限りなく大きい。現行日本国憲法は、その忌むべき戦前と天皇主権を根底から否定して制定されたものではないか。

今、当然のこととして主権は国民にある。天皇に関わる制度をどう設計するかは、主権者である国民の意思次第である。天皇の退位を自由にしてもよし、空位にしてもよい。女性天皇を認めてもよし、さっぱりと廃止してもよい。大切なことは、誰もが闊達に自分の意見を表明することのできる「静謐ならざる環境」を整えることである。国民全体への奉仕者と位置づけられている公務員職の一つである天皇のあり方について、ことさらに議論を押さえた静謐な環境が強調されることは不気味でならず、議会内勢力の大部分がこれを認めていることも不気味でならない。

本日の各紙社説の論調も不気味と言わねばならない。産経に至っては、「立憲君主である天皇の御代替わりという日本の重要事である」とした上で、社説の末尾を「皇位継承の伝統、原則の大切さを十分理解して、皇室の弥栄を考えたい。」と結んでいる。いったい、いつの時代の紙面か。いつの時代の頭と感覚なのか。

とりわけ見過ごせないのは、「陛下を敬愛する国民が、譲位をかなえてさしあげたいと願い、それが政府や国会を後押しした。このような天皇と国民の絆こそ、昔から続く日本の国柄の表れだ。」という一文。天皇を敬愛せぬ者は非国民と言わんばかりの決めつけ。この産経社説風の雰囲気蔓延を危惧せざるを得ない。

比較的真っ当な社説として、沖縄タイムスのものに出会った。
[退位特例法成立]「『象徴』像さらに議論を」というタイトル。
「天皇は戦後憲法の下で『国民統合の象徴』と位置づけられ、その地位は主権者である『国民の総意に基づく』とうたわれている。
『総意』とは何か。『象徴』とは何か。『逝去によらない代替わり』をどのような方法で実現するのか。議論すべき論点は多かった。象徴天皇制について主権者が議論を深めるまたとない機会でもあった。
だが、国会審議は衆参両院で各1日。事前に衆参両院の正副議長が調整に乗りだし、与野党が歩み寄ったこともあって法案審議はとんとん拍子に進み、あっという間に特例法が成立した。」
「昨年8月8日、国民向けに流れたビデオメッセージで天皇陛下が最も強調していたのは『象徴としての行為』だった。憲法は天皇の権能について、『国事行為のみ』を行い、国政に関与することはできない、と定めている。憲法学者の中には、天皇の行為を国事行為に限定すべき、だとの意見もある。」
「『象徴としての行為』とは何か。政治家も国民もそのような議論をしてこなかった。政治の動きは特に鈍かった。…このような議論を避けて通るべきではない。…国会審議で置き去りにされた皇族の減少対策などについて、女性・女系天皇の可能性も含め、真剣な議論を始めるときがきている。」

言論の自由にタブーの領域を作ってはならない。権力批判に遠慮があってはならないことと並んで、天皇という権威に対する批判をタブーとしてはならない。それは、国民主権を形骸化する第一歩だ。
(2017年6月10日)

主権者として、天皇制をどうするか、忌憚なく十分な議論をしよう。

天皇(明仁)が自ら発案した生前退位希望を実現する皇室典範特例法案は、昨日(6月2日)の衆院本会議で賛成多数で可決された。残念ながら、本格的な議論を抜きにしてのことである。

「採決は起立方式で行われ、自民、民進、公明、共産、日本維新の会、社民の各党が賛成。自由党は棄権した。自民党の斎藤健副農相や、民進党の枝野幸男前幹事長、阿部知子氏が棄権した。無所属の亀井静香元金融担当相、上西小百合、武藤貴也両氏の計3人が反対した。」(毎日)と報じられている。

棄権や反対票の理由はさまざまであろう、よく分からない。憲法上の理念からの発想もあろうし、「陛下のお気持ちに反する法案だから」というものもあるようだ。それでも、全会一致でなかったことは、国民の天皇制に関する意見の多様性を示すものとして評価したい。

降って湧いたような天皇制に関わる法案審議である。遠慮なく主権者代表の侃々諤々の議論があってしかるべきである。結論がどう収束するかよりは、国民が自らの意思で天皇制をどう取り扱うべきか、忌憚のない意見交換をすること自身が重要なのだ。「静かな環境」での、奥歯に物がはさまったような意見交換であってはならない。

せっかくの機会。徹底して天皇制の功罪を洗い出してみるべきであろう。そもそも、国民主権原理や人権尊重の憲法体系下に天皇とはいかなる存在なのか。はたして、核心的な憲法理念と矛盾することなく存在しうるものであるのか。21世紀の日本社会に天皇とは必要な存在なのか。皇位の存続は望ましいのか否か。また、国民主権に矛盾しない象徴天皇のあり方とはいかなるものか。象徴天皇としての公的行為というものが認められるのか。認めるとしても、どの範囲でどのような手続で認めるべきものか。さらに、天皇個人の人権やプラバシーをどう考えるべきか。皇室や皇族の予算は、どの範囲なら許容できるのか…。

今回の法案審議の発端は、天皇自身による生前退位希望のビデオメッセージであった。有り体にいえば、「自分は齢も齢。この仕事を自分流で続けていくのはもうしんどい。辞めさせてもらい、若い者へバトンを渡したい」という意思の表明。その希望を叶えるための法改正が進行しているのだ。これは、はたして憲法が認めるところなのだろうか。

この点に関して、誰もが意見を述べればよい。「天皇にだって、人権がある。その意に反する苦役を押しつけてはならない。」「皇位継承者にも職業選択の自由を認めてあげてよいと思う。希望しない者に、天皇という公務員職を押しつける必要はないし、辞職希望者の辞職は認めてあげるべき」という意見もあろうし、「天皇は特別な地位。皇位継承者はいやでも天皇になるべきだし、生涯その地位から離れることは認められない」「それが現行憲法が予定しているところ」「そのように理解して初めて、日本国民の一体感が醸成され、国民統合の機能が発揮される」という意見もあろう。どちらでもよい。どう考えることが、国民全体の利益になるかだ。最初に天皇ありきではない。国民が天皇制のあり方を制度設計するのだ。こんなことに専門家も素人もない。遠慮なく意見を言えばよいのだ。

この審議の過程で、象徴天皇のあり方に関する意見分布に、奇妙なねじれが顕在化している。リベラルを自認する少なからぬ人々が、天皇の公的行為ないし象徴的行為の拡大を歓迎する見解を表明している。現天皇(明仁)が、憲法理念に親和的だとして、戦没者慰霊や被災の国民に対する慰藉の行為を積極評価しているのだ。

これに対して、ウルトラ保守派が伝統的な天皇像を信奉して、「天皇は皇居のなかで祈るだけでよい」としている。当然に、天皇個人は、リベラル派に親和的にならざるを得ない。

しかし、現天皇(明仁)が憲法に親和的だとして、それは偶然の産物。どんな人物が天皇に就位しても、国民主権や民主主義に影響がないように制度設計をしておかねばならない。

天皇の戦没者慰霊も実は問題なしとしない。たまたま、天皇の靖国参拝は途絶えて久しい。現天皇(明仁)が靖國神社の参拝をすることはあるまいとは思う。しかし、戦没者慰霊のあり方として、次代の天皇が、同様の姿勢を堅持するかどうかは疑問の残るところ。仮に、A級戦犯の分祀が実現したときには、微妙な問題が起こりうる。海外派兵自衛隊員の戦死者に対する天皇の慰霊の可否に関しても、国論を二分する問題が起こりうる。天皇の公的行為の拡大、ないしは象徴天皇としての行為の曖昧な拡大はけっして歓迎すべきことではない。

さて、この衆院通過の法案。参院では特別委員会で6月7日に審議し、9日にも成立する見通しだという。そんな程度の議論でよいのだろうか。なお、6月1日に衆院議院運営委員会で採択された付帯決議は「女性宮家」創設などの「検討」を政府に求めている。これに、自民党内の保守派からは不満が出ているという。こんな程度の法案が、右から攻撃されているのだ。

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ところで、昨日(6月2日)衆院で可決となった、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(案)」第1条は、以下のとおりである。

第1条(趣旨)「この法律は、天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。」

私は、この条文を読むだに気恥ずかしさを払拭できない。近現代の文明国の常識人がこれを読めば、到底現代の法の条文とは思わないだろう。古文書のなかから発掘した古代法の一片と思うであろう。私も日本国民の一人。こんな恥ずかしい法律が作られることに、幾分かの責任を持たねばならない。

この条文をかたち作っているものは、明らかに古代日本のメンタリティである。冒頭一箇条に「陛下」を5度繰り返している、臣下の態度。昭和・平成は、養老・天平当たりに置き換えてちょうど良かろう。

被支配者が支配者に抵抗するとは限らない。成功した支配者は、被支配者の精神の奥底まで支配する。被支配者は、支配者を「敬愛」するに至るのだ。「1984年」のビッグ・ブラザーのごとくに。また、慈悲深き奴隷主が奴隷に接するがごときにである。万葉集に詠われた古代日本の天皇讃歌も同様である。

このメンタリティを19世紀に復活させたのが、維新後の神権天皇制政府。20世紀中葉、その無理が破綻して合理的な国民主権国家が誕生したはずが、21世紀にまで引きずられたこのカビの生えたメンタリティ。やはり恥ずかしいというほかはない。

例のごとく、文意をとりやすいように、段落をつけてみる。
「この法律は、
(1)天皇陛下が、昭和64(1989)年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、
(2)これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、
(3)さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること
という現下の状況に鑑み、
皇室典範第4条の規定の特例として、
天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、
天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。」

大意は、「特例として、天皇の退位及び皇嗣の即位を実現する」ということ。その特例を認める趣旨ないし理由が、もったいぶった「現下の状況」として、上記(1)(2)(3)に書きこまれている。
(1)は、現天皇(明仁)の事情である。高齢のため、「国事行為」と「象徴としての公的な活動」の継続が困難になったことを「案じている」という。
(2)は、国民の側の事情である。天皇を敬愛し、天皇の気持ちを理解し共感している、という。
(3)は、皇太子(徳仁)の事情である。57歳になり、国事行為の臨時代行等の経験がある、という。
この3点を根拠として、「だから、生前退位の特例を認めてもよかろう」という趣旨。しかし、問題山積といわねばならない。

(1)は、天皇(明仁)の強い意向を忖度して、わざわざ立法するということを宣明している。天皇の意向を忖度し尊重するとは、天皇の威光を認めるということではないか。なんの権限も権能も持たず、持ってはならない天皇の意向の扱いとして、明らかに憲法の趣旨に反する。これは大きな問題点。

高齢のため「国事行為」に支障をきたすのなら摂政を置けばよい。「象徴としての公的な活動」はもともとが憲法違反なのだから、しないに越したことはない。この特例法が、天皇の「象徴としての公的な活動」を公的に認めることは、違憲の疑い濃厚な、最大の問題点である。

(2)は、主権者国民をないがしろにすること甚だしい。天皇を敬愛し理解し共感する国民もいるだろう。しかし、敬も愛もせず、理解や共感とも無縁な国民も現実に存在し、けっして少なくはない。このような人々に、敬愛や理解・共感を押しつけてはならない。仮に天皇を敬愛しない者がたった一人であったとしても、このような価値観に関わる問題について、国民を一括りにしてはならない。国民一人ひとりに、思想・良心の自由があり、その表現の自由がある。全国民が天皇を敬愛しているなどとの表現は、厳に慎まなければならない。法律に書き込んではならない。

(3)は、訳が分からない。忖度すれば、「皇太子も、もう齢も齢だし、これまでの経験もあるから、天皇の役割が務まるだろう」ということのようだ。しかし、天皇とは憲法上決められた形式的な事項を行うだけの存在で、何ら資質や能力を要求されるない。だから、わざわざ(3)を書く必要はまったくない。

天皇は、日本国憲法における本質的構成要素ではない。国民主権や、民主主義や、精神的自由や平等原則と矛盾せぬような存在でなくてはならない。そのためには、いささかも権威や威光を認めてはならない。国民からの敬愛や理解・共感の押しつけもである。その観点からはこの法案は問題だらけ。もっともっと議論が必要だ。
(2017年6月3日)

また出た『忖度』ー「我が意の忖度不十分で不満」というパターン。

昨今おおはやりの「忖度」。またまた出てきた。今度は新バージョンだ。しかも、憲法問題として、事態は重大である。

アベ友学園事件でも、腹心の友学園事件でも、「忖度」されたとする意向の当人は、「忖度あったとの疑惑は迷惑、忖度されるような意向は断じてなかった」という否定の文脈で語っている。ところが今度は、「どうして私の意向を忖度してくれないのか」「もっと忖度あってしかるべきではないか」という文脈の語り口なのだ。これが、「新バージョン」という所以。

本日(5月21日)の毎日新聞トップ記事。「陛下・公務否定に衝撃」という大見出し。サブの見出しを拾ってみると、「有識者会議での『祈るだけでよい』」「『一代限り』に不満」そして、「『象徴』実践と不可分」「陛下の祈り 全身全霊」などというもの。

なお、デジタル版の報道には、「宮内庁幹部『生き方否定』」という見出しもつけられている。
宮内庁幹部は、有識者会議での保守派メンバーによる『祈るだけでよい』という発言に、天皇は『生き方を否定』されたと衝撃を受けている、と語っている」という文脈。

この記事、記者の署名がはいってはいるが、単なる報道ではない。内容からみて、社説に準ずる新聞社の意見と見てよかろう。その姿勢、看過し得ない。大いに問題ではないか。

記事は、一面と三面にまたがっている。三面の記事は「皇室考」という続き物の第1回という体裁。毎日新聞の、天皇の「ご意向」への忖度であふれた内容。その中に、天皇の「世間は、どうして私の意向を十分に忖度してくれないのか」との嘆きが、ことこまかく書き連ねられ、毎日が賛意を表している。さながら、不遇の天皇を支える「忠臣メディア・毎日新聞」という趣である。

一面・トップの記事を引用しておきたい。
『天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。

陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。

宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。

ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。

陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。(中略)

陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。』
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事実関係がこの記事のとおりであるとすれば、問題はすこぶる大きい。天皇は自分の意向が法の整備に反映されて当然と考えているようなのだ。忖度不十分との不満を言える立場と思い込んでいるだけでなく、実際に宮内庁幹部(ないし「関係者」)を通じて内閣に不満を伝えている。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とまで、メディアにリークもしている。これは天皇の越権、というよりは叛乱というべきではないか。

私は、平川祐弘も渡部昇一も、虫酸が走るほどに大嫌いだ。しかし、平川も渡部も主権者たる国民の一人として、天皇制や天皇のあり方についてはどのようにも意見を述べる権利がある。国民の誰もがその意見に賛否を示し批判し反論する自由をもつが、天皇にだけはその自由がない。天皇は、国民の総意に基づいて存在する。天皇のあり方は、天皇制の廃止を含めて、すべて国民の議論にゆだねられていることを自覚しなければならない。天皇の立場で、「不満だ」「失礼だ」と言ってはならない。

もっとも、毎日のスタンスについては、原則論からではない別の角度から忖度することが可能だ。
毎日は、現天皇を護憲リベラル派の一員と見て、改憲右翼勢力の先頭にあるアベ政権と対峙させる図式を描いている。平川や渡部は、アベ政権の手先との位置づけで、その意見が批判されているのだ。

所詮天皇とは、政治の道具。幕末の西南雄藩連合と幕府方との拮抗の中で、「玉」と言われた天皇の取り込み合戦が行われた。たまたまそれに勝って、「玉」を手にした方が、「官軍」となったに過ぎない。そう考えれば、いま、リベラルな天皇という「玉」を最大限活用して、アベ改憲勢力に対峙しようとする合理性は納得できなくもない。

毎日は、この政治的プラグマティズムの視点や実践を意識的に貫いているのかも知れない。しかし、天皇制とは、そもそも民主主義にはなじまない危険物である。取り扱いはすこぶる難しい。取り扱いを誤れば、制御しきれず暴走し暴発しかねない。私は、詭道を衒わず、原則論に徹すべきだと思う。
(2017年5月21日)

私がけっして天皇主義者にならないわけ

なんとなく、ネットを検索していたら、「内田樹 私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』編集部)という記事にぶつかってギョッとした。アップされた日付は、2017年5月3日とされている。これまで、気付かなかった。

内田樹については、よく知っているわけではない。しかし、悪い印象はもっていなかった。リベラルな陣営にある人との思い込みは強く、また、滑らかなよく練れた文章を書く人とも思っていた。その人が、「私が天皇主義者になったわけ」を語ろうと言うのだ。もっとも、このタイトルが内田自身のものか、それとも『月刊日本』編集部が付けたものなのかはよく分からない。

かたちは、『月刊日本』編集部のインタビュー記事である。総合タイトルが、「天皇陛下の『おことば』を受けて」というもののようだ。天皇の「8月8日メッセージ」を素材に、「弊誌としては、各界の識者にお話をうかがい、そもそも日本にとって天皇とは何かということを議論していきたいと考えています。」という企画。

「弊誌5月号に掲載した、神戸女学院大学名誉教授で思想家である内田樹氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は5月号をご覧ください。」とのイントロで、内田は、次のように語っている。

象徴天皇の本務は「慰霊」と「慰藉」である

昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてこられました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。

「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。

ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの「慰藉」とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。

死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。

憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。

憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。

けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。

「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。

「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。

天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはその意味においてです。……

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内田樹に聞いてみたい。

あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきなのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っているのか。

象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二ほか、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。

上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。

内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです。」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇が、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。

象徴天皇とは何か。一言で分かりやすく言えば、ロボットなのだ。AI時代のロボットではなく、カレル・チャペックが造語した当時のイメージのままのロボット。戦争の惨禍をもたらした戦前の体制への反省の一端として、天皇をなんの権限も権能ももたず、内閣の助言と承認でのみ動く機関と定めたのだ。

戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。
「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」

この「天皇≒ロボット」説が、表現はともかく、憲法体系を整合的に考察しての通説。ごく当たり前の考え方。内田のように、天皇自身に憲法を自分流に解釈して行動する余地を認めたのでは、「まさに憲法の意味するところ」を没却することになる。内田説は、天皇に絶対の禁じ手を称揚するもの。贔屓の引き倒しというほかはない。

戦前の右翼は、美濃部達吉の「天皇機関説」を不敬として攻撃した。戦後は、さすがに宮沢の「天皇≒ロボット」説を不敬と攻撃する声は聞かない。代わって、内田流の「天皇非ロボット説」、あるいは天皇自身の憲法新解釈褒めそやし説が登場しているのだ。天皇批判を封じる効果をねらう点において、戦前右翼と内田説とは変わるところがない。

ことは、靖国問題として論じられてきたものとよく似ている。内田は、「憲法第7条には、天皇の国事行為として、…最後に『儀式を行うこと』とあります。陛下はこの『儀式』が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。」

既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に乗っ取って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。

いたずらに、形式的なことをあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威付をしてはならないのだ。

日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。
(2017月5月20日)

「天皇の退位特例法案(要綱)」に、物申す。

5月11日の毎日新聞朝刊に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱 全文」が掲載されている。伝えられているところでは、ほぼこのとおりに法案が作成され、19日に閣議決定されて国会に提出されるという。これを読みながら考えた。

「吾輩は猫である」は、一人称の話者が猫という動物の範疇に属する個体であることを意味している。「である」は断定を表しているが、必ずしもなくても意味が通じる。しかし、文豪が「である」を選んだのだ。「吾輩は猫だ」「吾輩は猫なり」「猫なるぞ」「猫なのだ」「猫よ」「猫なの」「猫なのよ」「猫です」とは違った、「である」特有のニュアンスを読みとらねばならない。なくても意味が通じるとは言えども、重要な役割を担っている。

やや格式張った「である」が、滑稽味十分に活用されている。これが、「吾輩は猫であるのである」「吾輩は猫なのであるのである」と言えば、おふざけの文章になる。あるいは知性に欠けた一昔前の政治家の演説。いまどき、こんな言い回しはあるまいと思われようが、お目にかかった。「であるのである」調に。この要綱案にに出てくるのであるのである。おそらくは諧謔味を多分に盛りこんで、読者を退屈させない工夫なのであるのであろう。

「退位した天皇は、上皇とするものとすること。」
「上皇の敬称は、陛下とするものとすること。」
「上皇のきさきは、上皇后とするものとすること。」
「皇嗣職が置かれている間は、東宮職を置かないものとするものとすること。」
などなど…。まさか、このまま法律になるはずもないものとするものではあろうが、この特例法全体の文章には、まったくしまりがない。

第1条になる「趣旨」は以下のとおり。
「この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日のご即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地へのご訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的なご活動に精励してこられた中、83歳とご高齢になられ、今後これらのご活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、ご高齢に至るまでこれらのご活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに皇嗣である皇太子殿下は57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等のご公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範第4条の規定の特例として天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとすること。」

文意をとりやすいように、段落をつけてみる。
「この法律は、
(1) 天皇陛下が、昭和64(1989)年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、
(2) これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、
(3) さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること
という現下の状況に鑑み、
皇室典範第4条の規定の特例として、
天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、
天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。」

大意は、「特例として、天皇の退位及び皇嗣の即位を実現する」ということ。その特例を認める趣旨ないし理由が、もったいぶった「現下の状況」として、上記(1) (2) (3)に書きこまれている。

(1) は現天皇(明仁)の事情である。高齢のため、「国事行為」と「象徴としての公的な活動」の継続が困難になったことを「案じている」という。

(2) は国民の側の事情である。天皇を敬愛し、天皇の気持ちを理解し共感している、という。

(3) は皇太子(徳仁)の事情である。57歳になり、国事行為の臨時代行等の経験がある、という。

だから、「生前退位の特例を認めてもよかろう」という趣旨なのだが、問題山積といわねばならない。

(1) は、天皇(明仁)の強い意向を忖度して、わざわざ立法するということだ。天皇の意向を忖度し尊重するとは、いまどき天皇の威光を認めるということではないか。なんの権限も権能も持たず、持ってはならない天皇の意向の扱いとして、明らかに憲法の趣旨に反する。

高齢のため、「国事行為」に支障をきたせば摂政を置けばよい。「象徴としての公的な活動」はもともとが憲法違反なのだから、しないに越したことはない。この特例法が、天皇の「象徴としての公的な活動」を公的に認めることは、違憲の疑い濃厚な大問題である。

(2) は、越権甚だしい。天皇を敬愛し理解し共感する国民もいるだろう。しかし、敬も愛もせず、理解や共感とも無縁な国民も現実に存在する。けっして少なくはないこのような人々に、敬愛や理解・共感を押しつけてはならない。仮に天皇を敬愛しない者がたった一人であったとしても、このような価値観に関わる問題について、国民を一括りにしてはならない。国民一人ひとりに、思想・良心の自由があり、その表現の自由がある。全国民が天皇を敬愛しているなどとの表現は、厳に慎まなければならない。法律に書き込んではならないのだ。

(3) はさっぱり訳が分からない。忖度すれば、「皇太子も、もう歳も歳だし、これまでの経験もあるから、天皇の役割が務まるだろう」ということのようだ。こんなことを法律に書き込むのは、当人にはまことに失礼ではないか。もっとも、天皇とは憲法上決められた形式的な事項を行うだけの存在で、何ら資質や能力を要求されない。だから、わざわざ(3)を書く必要はまったくない。

天皇とは、憲法上の存在ではあるが、主要なアクターではない。その存在を可及的に小さくすることが、憲法本来の要請である。いささかも国民主権の障害物となってはならない。権威や威光を認めてはならない。生前退位を認めるために、法律に余計なことを仰々しく書き込むには及ばないのだ。
(2017年5月14日)

安倍首相靖国参拝違憲訴訟に、東京地裁の「安倍忖度判決」

一昨日(4月28日)東京地裁で、「安倍靖国参拝違憲訴訟・東京」での判決言い渡しがあった。すべて、却下と棄却。原告側の全面敗訴である。この判決について、私なりにコメントしておきたい。

安倍晋三は、第2次政権発足1周年に当たる2013年12月26日に、靖国神社を昇殿参拝した。「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書を記帳してのことである。

靖國神社の教義によれば、皇軍戦没将兵の霊魂は靖國神社臨時大祭における招魂祭(あるいは合祀祭)において、靖國神社に降霊する。降霊した霊魂は、「霊璽簿(れいじぼ)」(旧称「祭神簿」)と称される名簿に宿り、靖国神社の神体とされる鏡によって「人霊」が「神霊」になるという。あの神社には、246万余柱の祭神(神霊)が籠もっているとされるのだ。

安倍晋三は、内閣総理大臣という公的資格において、特定宗教法人の宗教施設に祭神(神霊)が祀られているという超自然的な宗教観念を承認して、礼拝という宗教的意義をもつ行為に及んだ。このことによって、国と靖國神社とは、許されざる過度の関わりを持った。

この安倍晋三の参拝は、「国及びその機関は、…いかなる宗教的活動もしてはならない。」(憲法20条3項)という命令に反する宗教的活動に当たる。国家機関に特定の宗教との結びつきを禁ずる、政教分離原則に反することになる。

政教分離の「政」とは政治権力(国家)のこと、「教」とは宗教(信仰)を意味する。国民のすべてが関わって構成する政治権力(国家)と、純粋に私的で内心の領域に属する宗教(信仰)とは原理的に相交わりがたい。理念上、国家は全国民のものだが、宗教はその性質上一部のもので、国家が特定宗教と関わることは、一部国民が信仰する特定宗教への助長となり、その反面として他の特定宗教への抑圧あるいは弾圧ともなりかねない。このことから、近代憲法の普遍的な原理として、国民の信仰の自由を保障するために憲法原則として政教分離が確立している。

我が国においては、さらに特有の厳格な政教分離を必要とする事情があった。戦前、大日本帝国は、紛れもない宗教国家であった。元首である天皇は、神の子孫であるとともに自身が神であり、かつ祭司でもあるとされた。天皇は、統治権の総覧者であり、大元帥でもあったが、その正統性の根拠は記紀神話における神勅(神のお告げ)に求められた。

天皇の統治権を正当化するために神様がもち出された。その宗教的教義の体系が国家神道である。これは、天皇が教祖であり神様でもあるのだから、端的に「天皇教」と言った方が正確でもあり分かり易くもある。こんなバカバカしい教義が、20世紀前半まで国家の礎とされ、大真面目で信奉されていたのだ。恐るべきことではないか。

バカバカしいことだからこそ、政権は「王様は裸だ」と言い出す不埒者が出ることを極端に恐れ、全国民にこの天皇教の信仰を徹底的に強制した。

戦後、天皇制は廃絶されることなく中途半端なかたちで生きながらえた。天皇は統治権の総覧者でも大元帥でもなくなったが、まだ国民のなかに、叩き込まれ培われた「臣民根性」の名残がある。まだ、天皇も天皇制も単なる過去の遺物ではなく、生々しい危険な存在なのだ。

だから、日本国憲法は、再び天皇を神としないために、歴史の逆転を防止する歯止めを必要とした。その天皇教復活阻止条項、国家神道禁止条項が、憲法20条の政教分離にほかならない。

天皇教の効果が最も有効に働いたのは、軍国主義への国民精神総動員においてのことであった。国家神道の軍国主義側面を代表するものが、陸海軍が共同管轄する靖國神社。天皇のために死ね。天皇のために死ぬことが臣民の誉れ。天皇のために死ねば神として祀られ、かたじけなくも天皇の親拝を賜ることができる。これが、靖国の思想であり機能なのだ。

もちろん憲法には、特定の宗教名や宗教施設の名称は出てこない。しかし、政教分離の「教」の第一として憲法が意識しているのは、靖國神社にほかならない。国家が再び靖国と積極的な関係を持とうとするとき、新たな戦争を準備し、新たな英霊の創出とその慰霊の方式を具体化しようという意図あることについて忖度せざるをえないのだ。

だから、中曽根参拝にも小泉参拝にも、これを違憲とする大型訴訟が提起された。そして今回の安倍靖国参拝にも、東京と大阪に2件の各違憲訴訟が提起された。

東京訴訟の原告は中国人や韓国人を含む633人。被告は、安倍本人と国と宗教法人靖国神社の3者である。原告らの請求の趣旨は以下のとおり。
(1) 被告安倍晋三は,内閣総理大臣として靖國神社に参拝してはならない。
(2) 被告靖國神社は,被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。
(3) 原告ら(3名)と被告国との間で,被告安倍晋三が2013(平成25)年12月26日に内閣総理大臣として靖國神社に参拝したことが違憲であることを確認する。
(4) 原告ら(3名)と被告靖國神社との間で,被告靖國神社が2013(平成25)年12月26日に被告安倍晋三による内閣総理大臣としての参拝を受け入れたことが違憲であることを確認する。
(5) 被告らは,各自連帯して,原告それぞれに対し,金1万円及びこれに対する2013(平成25)年12月26日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(6) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び第5項につき仮執行の宣言を求める。

判決は、第3項と4項について却下、その余は全部棄却であった。

これに対する原告団・弁護団の抗議声明を、まず紹介する。

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安倍首相靖国神社参拝違憲訴訟 東京地裁判決への抗議声明
2017年4月28日
本日、東京地方裁判所民事第6部(裁判長岡崎克彦、田邉 実、岩下弘毅)は、安倍首相靖国神社参拝違憲訴訟において、違憲判断を示すことなく、原告らの請求のいずれも却下ないし棄却するという不当な判決を下した。
私たち安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京の原告団及び弁護団は、この判決に強く激しく抗議する。

本件訴訟は2013年12月26日に、安倍晋三首相が政権成立1周年を機に、周囲の反対を押し切って靖国神社を強行参拝したことに対して、国内のみならず中国、ドイツ、韓国、香港等の原告ら633名が政教分離違反等の違憲確認と人格権等の侵害を理由として損害賠償を求めたものである。
約3年に亘る審理の中で、本件参拝及び参拝受入行為が、①明白な政教分離違反行為であること、②国のために死ぬことが名誉なことであるとの靖国の思想を国民に浸透させ、戦争に向かう精神的基盤を確立する行為であること、③集団的自衛権の行使容認・武器輸出禁止原則の廃止・改憲による立憲主義の否定などの安倍政権の諸政策と連動するものであることなどを、膨大な書証と延べ18名に及ぶ原告ら本人尋問その他意見陳述によって明らかにしてきた。

今まさに、共謀罪法案がテロ対策を口実に上程され、日本政府が国民の人権を蹂躙して戦争国家への道を突き進む中で、いかなる判決が下されるのか、憲法の番人である司法の使命が問われる判決でもあった。

しかるに、岡崎克彦裁判長は、これらの主張立証等を一顧だにすることなく原告らの請求をすべて排除する判決を下したものであり、この点で本判決は、司法が安倍政権に全面的にへつらった「安倍忖度(そんたく)判決」のそしりを免れないものである。憲法の番人たる地位を放棄した司法権の恣意的行使と言わざるを得ない。

私たちは、このような行政追随判決を到底容認することはできない。これに対して強く抗議するとともに、首相その他閣僚らの靖国神社参拝行為が根絶されるまで、また安倍政権による立憲主義の蹂躙と戦争国家への道を阻止するために闘い続けることを宣言する。

安倍靖国参拝違憲訴訟・東京
原告団
弁護団

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以下は、同判決を伝える時事配信の記事。大方の報道はこの線でのもの。
「…岡崎克彦裁判長は『原告らの法的利益を侵害していない』と述べ、請求を棄却した。憲法判断についても『必要がない』とした。原告側は控訴する方針。
岡崎裁判長は、安倍首相が参拝後に発表した談話について、「恒久平和への誓いを立てたと理解できる。参拝を戦争準備行為などと理解するのは困難だ」と指摘。原告側が訴えた平和的生存権などの侵害はないと判断した。
原告側は参拝が政教分離に反するか判断を求めたが「結論を導くのに必要な場合を超えて判断するのは相当でない」とし、憲法判断は不要と結論付けた。
安倍首相の靖国神社参拝をめぐる判決は3件目。大阪地裁は16年1月、憲法判断せずに請求を棄却し、大阪高裁も支持していた。
原告側は判決後に記者会見し、「司法の職責を完全に放棄して首相に迎合した『安倍忖度(そんたく)判決』で到底容認できない」と批判した。

朝日は次のとおり。
「判決は、靖国参拝をめぐり、最高裁が06年の判決で示した『首相の参拝によって宗教上の感情が害され不快に思っても、ただちに法的に権利が侵害されたとして損害賠償を求められない』との判断を引用。首相の参拝は原告の信仰に対して強制や圧迫をするものではなく、損害賠償を求める対象にはならないとした。

政教分離原則については、『政教分離規定に反する国の行為があったとしても、(直ちに)個人の間の権利や自由を侵害することにはならない」と述べた。参拝が違憲であることの確認を求めた原告の訴えは却下した。」

報道でやや驚いたのは、東京新聞が「首相靖国参拝は『平和への誓い』 違憲訴訟、東京地裁判決」と見出しを打ったこと。

首相の靖國神社参拝が政教分離違反であることは、上述のとおり明らかといってよい。しかし問題は、それだけでは必ずしも訴訟のテーブルに乗らないということにある。

訴訟の提起が可能なのは、具体的な権利侵害があって権利救済の必要がある場合(あるいは権利侵害が迫っていて権利を予防しなければならない場合)に限られる。少なくも、法的保護に値する私的利益の侵害がなければならない。原告の権利や利益の侵害を離れて、国家機関に違憲・違法な行為があったから、その是正を求めるという訴えは不適法として却下の憂き目に遭う。だから、安倍晋三の違憲・違法な靖國神社参拝によって、各原告にどのような権利侵害(あるいは、法的保護に値する利益の侵害)があったかを特定し、立証しなければならない。

政教分離は信仰の自由という基本権を擁護するための制度的保障ということになっているのだが、政教分離違反があるだけでは必ずしも信仰の自由が侵害されたとは言えない。だから、具体的な信仰の自由の侵害がない限り、政教分離違反があったという訴えは取り上げない。政教分離違反の主張があっても判断の必要はない。司法は、このような頑なな姿勢を維持し続けている。

原告らは、自らの「宗教的人格権が傷つけられた」とし、また「平和的生存権が侵害された」とした。平和的生存権侵害の主張に対する判決の応答が以下のとおりで、やや長いが全文を引用する。
「原告らは,侵略戦争それ自体を賛美する靖国神社への本件参拝及び本件参拝受入れは,精神的な側面から戦争を受け入れる状況を作り出し,日本を戦争ができる国にする戦争準備行為であるのみならず,国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性を高め,原告らの生活に脅威と不安をもたらし,日本を含む諸国を戦争の危機に陥れる行為であるから,原告らの平和的生存権が侵害された旨を主張する。
しかしながら,平和とは,理念あるいは目的等を示す抽象的概念であって,憲法前文にいう『平和のうちに生存する権利』もこれを主張する者の主観によってその内容,範囲が異なり得るものであり,いまだ具体的なものではないから,平和的生存権を被侵害利益と認めるのは困難である。加えて,前記認定事実によれば,被告安倍は,本件参拝後にインタビューに応じ,『恒久平和への誓い』と題する談話を発表したが,その内容は,国のために戦い,尊い命を犠牲にした英霊に哀悼の誠を捧げ,尊崇の念を表し,御霊安らかなれと冥福を祈ったこと,日本は二度と戦争を起こしてはならず,過去への痛切な反省の上に立って,今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにしたことなどを表明するものであったことが認められ,少なくともこれを素直に読んだ者からは,被告安倍が本件参拝によって恒久平和への誓いを立てたものと理解されるものであって,本件参拝が戦争準備行為であるとか,本件参拝によづて国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性が高まるといった理解をするのは困難であるといわざるを得ない。
したがって,本件参拝及び本件参拝受入れにより平和的生存権が侵害されたことをもって被侵害利益とする原告らの主張は,理由がない。」

東京新聞は、上記のうちの「少なくともこれを素直に読んだ者からは,被告安倍が本件参拝によって恒久平和への誓いを立てたものと理解される」から、「首相靖国参拝は『平和への誓い』」と見出しを打ったもの。

一見して明らかなとおり、原告らの主張は、「侵略戦争それ自体を賛美する靖国神社への本件参拝及び(靖国による)本件参拝受入れは,精神的な側面から戦争を受け入れる状況を作り出し,国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性を高め」るものだから、「原告らの生活に脅威と不安をもたらし,原告らの平和的生存権が侵害された」というものであって、靖国とは何であるか、それに首相が参拝することの客観的な意味を問うている。

ところが、判決はこれに応えていない。むしろ、安倍談話を無批判に引用している点で、担当裁判官の見識を疑わざるをえない。原告団・弁護団声明が、「『安倍忖度(そんたく)判決』のそしりを免れないもの」と怒りを露わにするのも当然なのだ。
(2017年4月30日・連続第1491回)

「昭和の日」に、「昭和天皇の戦争」を読む

本日(4月29日)は、大型連休の初日となる「昭和の日」。昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁の誕生日。この人、1900年の生まれで1926年に神様(憲法上は「神聖にして侵すべからず」とされる存在)となった。以来1945年までは、4月29日が「天長節」とされた。46年に人間に復帰し、以来89年に亡くなるまで、この日は「天皇誕生日」であった。その没後、前天皇の誕生日は、「緑の日」となり、次いで2007年から「昭和の日」となって現在に至っている。

祝日法では、「昭和の日」の趣旨を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。当然に、昭和天皇(裕仁)の存在を意識し念頭に置いた記載である。「激動の日々」とは、天皇制ファシズムと侵略戦争の嵐の時代のこと。「復興を遂げた昭和の時代を顧み」とは、敗戦を機として社会と国家の原理が民主主義へと大転換したことを指し、「国の将来に思いをいたす」とは再びの戦前を繰り返してはならないと決意をすること、である。

いうまでもなく、昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。

「国や社会の将来に思いをいたす」ためには、過去に目を閉ざしてはならない。「昭和の日」とは、なにゆえにあの悲惨な戦争が生じたのか、加害被害の実態はどうだったのか、誰にどのような戦争の責任があるのか、を主権者としてじっくりと考えるべき日。とりわけ、この日には昭和天皇の戦争責任について思いをいたさなければならない。同時に、「戦後レジームからの脱却」などと叫ぶ政権の歴史認識検証の日でもある。

だから、今日(4月29日)は「昭和天皇の戦争-『昭和天皇実録』に 残されたこと・消されたこと」(山田朗・2017年1月27日刊)に目を通し、昭和天皇の戦争責任を再確認した。
同書は、「昭和天皇の戦争指導、戦争を遂行するシステムとしての天皇制に焦点をあて」、戦後期に形成された「天皇平和主義者論」や「情報は天皇に達していなかったとする見方」を拡大再生産している『実録』の記載を検証する労作である。

この書についての岩波の惹句は以下のとおり。
「軍部の独断専行に心を痛めつつ、最後は『聖断』によって日本を破滅の淵から救った平和主義者ー多くの人が昭和天皇に対して抱くイメージは果たして真実だろうか。昭和天皇研究の第一人者が従来の知見と照らし合わせながら、『昭和天皇実録』を読み解き、『大元帥』としてアジア太平洋戦争を指導・推進した天皇の実像を明らかにする」
まさしく、この惹句の通りの内容となっている。

冒頭のかなり長い〈はしがき〉が、「はじめに-『昭和天皇実録』に 残されたこと・消されたこと」と表題され、その中に次の一文がある。

本書の構成と各章のねらいについて説明しておこう。
 第Ⅰ部 「大元帥としての天皇―軍事から見た『昭和天皇実録』の特徴」(第一章・第二章)では、昭和戦前期における天皇と国家戦略・軍事戦略との関係、天皇と国民統合・軍隊統率との関係など様々なファクターを全体的に検討し、第Ⅱ部「昭和天皇の戦争-j即位から敗戦まで」(第三章〜第六章)では、天皇の戦争指導に焦点をあてて「実録」が何を歴史的記録として残し、何を残さなかった(消去してしまった)のかを検証する。

そして、「終わりに」で、著者はこう語っている。
本書は、『実録』で残されたこと、消されたことという観点から、その叙述の検討をしてきた。
『実録』において軍事・政治・儀式にかかわる天皇の姿が詳細に残されたことは、歴史叙述として大いに評価してよい点であるが、過度に「平和主義者」のイメージを残したこと、戦争・作戦への積極的な取り組みについては一次資料が存在し、それを『実録』編纂者が確認しているにもかかわらず、そのほとんどが消されたことは、大きな問題を残したといえよう。なぜならば、『実録』が発表・刊行された以上、昭和天皇について、あるいは昭和戦前期における天皇制について調べようとする人々は、まず、この公式の伝記に目を通すからである。その際、史料批判の観点を十分に有さない読者にあっては、『実録』によって強い先入観を植え付けられてしまう恐れがある。
『実録』における歴史叙述は、従来の「昭和天皇=平和主義者」のイメージを再編・強化するためのものであり、そのストーリー性を強く打ち出したものである。‥『実録』は、私たちが掘り起こし、継承し、歴史化していかなければならない〈記憶〉を逆説的に教えてくれるテキストであるといえよう。

著者に敬意と謝意とを表したい。

ところで、「天皇誕生日」をキーワードに検索していたら、4年前の当「憲法日記」にぶつかった。少しだけ、バージョンアップしたものにしてその一部を再掲する。

かつて、祝日には学校で、「祝日大祭日唱歌」なるものを歌った。1893(明治26)年8月12日文部省告示によって「小学校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌詞並楽譜」として『祝日大祭日歌詞並楽譜』8編が撰定された。その「第七」が「天長節」という唱歌。その歌詞を読み直すと、当たり前のことだが天皇制と「君が代」とが切っても切れない深い関係にあることが思い知られされる。それにしても、これは聖歌だ。神に捧げる信仰歌を全国民に歌わせていたのだ。臣民根性丸出しの天皇へのへつらいこれに過ぎたるはなく、歌詞を読むだに気恥ずかしくなる。

  今日の吉き日は 大君の。
  うまれたまひし 吉き日なり。
  今日の吉き日は みひかりの。
  さし出でたまひし 吉き日なり。
  ひかり遍き 君が代を。
  いはへ諸人 もろともに。
  めぐみ遍き 君が代を。
  いはへ諸人 もろともに。

なお、『祝日大祭日歌詞並楽譜』8編の全ぶを挙げれば、以下のとおり。
   第一  君が代 
   第二  勅語奉答
   第三  一月一日
   第四  元始祭
   第五  紀元節
   第六  神嘗祭
   第七  天長節
   第八  新嘗祭

不動の第一は、さすがに「君が代」。あまり知られていないが、第二が今話題の「教育勅語奉答」歌である。その歌詞も紹介しておこう。教育勅語の「核」となるものが天皇賛美と天皇への忠誠であることがよく分かる。こんなものを子どもたちに歌わせていたのだ。気恥ずかしさを通り越して、腹が立つ。天皇制とは、コケオドシと虚飾の押しつけで成り立っていた。まさしく、日本中が塚本幼稚園状態であり、オウム真理教状態だったのだ。なお、この作詞者は旧幕臣の勝海舟だという。

  あやに畏き 天皇(すめらぎ)の。
  あやに尊き 天皇の。
  あやに尊く 畏くも。
  下し賜へり 大勅語(おほみこと)。
  是ぞめでたき 日の本の。
  国の教(をしへ)の 基(もとゐ)なる。
  是ぞめでたき 日の本の。
  人の教の 鑑(かがみ)なる。
  あやに畏き 天皇の。
  勅語(みこと)のままに 勤(いそし)みて。
  あやに尊き 天皇の。
  大御心(おほみこころ)に 答へまつらむ。

なお、現天皇明仁が誕生したとき(1933年12月23日)には「皇太子さまお生まれになった」(作詞北原白秋・作曲中山晋平)という奉祝歌がつくられ唱われた。

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
  サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
  天皇陛下喜び みんなみんなかしは手
  うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなつた

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
  サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
  皇后陛下お大事に みんなみんな涙で
  ありがとお日さま 皇太子さまお生まれなつた

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
  サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
  日本中が大喜び みんなみんな子供が
  うれしいなありがと 皇太子さまお生まれなつた

皇位継承者(皇太子)誕生への祝意強制の社会的同調圧力には、背筋が冷たくなるものを感じる。天皇を中心とした「君が代」の時代は、戦争と植民地支配の時代であり、自由のない時代であった。本日、昭和の日は、「君が代」「教育勅語」そして、「皇太子さまお生まれになった。日本中が大喜び。うれしいなありがと」などと唱わされる時代をけっして繰り返してはならない。今日はその決意を刻むべき日である。
(2017年4月29日・連続第1490回)

北朝鮮を、暴発にまで追い込んではならない。

誰もが思うことでも、口にすることをはばかることがある。誰もは思わないことなら、なおさらである。

その典型の一つは、権力批判である。政治的あるいは経済的・社会的な権力者を批判すると、回りまわって何らかの報復を受け、不利益を被ることになる恐れがある。だから、権力者への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。

もう一つの典型は、権威の批判である。天皇や天皇制に関わる言論がその最たるものだろう。権威とは、社会的多数派による特定の人物や事象に対する敬意や神聖性の承認を強制する圧力のことである。社会的排外主義が、すべからく権威の批判者を攻撃目標とする。だから、権威への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。

保身を前提とする限り、権力批判も権威批判も、慎むべきが正常な平衡感覚を持つ者の合理的な判断と言ってよい。ゴマを擂ったり、忖度しての阿諛追従まではせずとも、口を慎み沈黙すべきが常識人の処世術にほかならない。

「口は禍の元」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「大きなものには呑まれろ」「敬して遠ざけよ」「さわらぬ神に祟りなし」と、その手の教訓は世に満ちている。それだけではない。「和を以て貴しと為す」「逆らうことなきを旨とせよ」との書紀の記述以来、従順なる沈黙は道徳の域にまで高められ、権力や権威に対する批判は慎むべきが美徳として染みついているのがこの社会の伝統である。メデイアもこの伝統をよく身につけ、権力者とはともに寿司を食い、天皇には「陛下」と呼んで畏まり、歌を忘れたカナリアとなっている。

我が国のメデイアの自由度の国際的なランク付けが、昨年(2016年)は対象180カ国・地域のうちの72位とされたのは、情けないながらも、さもありなんというべきだろう。国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は今年も、もうすぐランキングを発表する。日本が、昨年よりもランキングをあげているとは到底考えがたい。

さて、「誰しもが思うことで、口にすることをはばかること」である。
北朝鮮の現体制は戦前の日本の体制に酷似している。明治維新以来の神権天皇制が三代続いて、その國體は塗炭の苦しみとともに崩壊した。この間ほぼ77年である。北朝鮮が1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国の樹立を宣言して、もうすぐ70年。既に金帝国が三代続いて、この擬似帝国もそろそろ崩壊の時を迎えているのではないか。

ともに、極端な個人崇拝と権威主義。政権に服しないものには容赦ない弾圧。そして、徹底した情報統制と情報操作。個人崇拝のための漫画チックで大仰な演出。自国のみを貴しとする独善。世界からの孤立。20世紀前半の日本は、無理に無理を重ねたいびつな国家だった。21世紀の北朝鮮も、まことによく似ていると言わねばならない。

さすがに北朝鮮は領袖を神とまでは言わない。統治の正統性の根拠を、フィクションではあれ人民の意思としている。この点では神権天皇制よりはよほど開明的ではある。それでも、「将軍さま」は「天皇陛下」の模倣であり、その実態において正統なる後裔というべきだろう。主体思想が教育勅語に当たることになろうか。両体制の放送におけるアナウンサーのトーンまでがそっくりではないか。

最近、アメリカが「北朝鮮の体制の転換までは求めない」と言い出していることが興味深い。「北朝鮮の体制の転換」とは、金世襲政権の覆滅ということだろう。太平洋戦争末期、敗戦が必至となって降伏の遅延は大規模な国民の生命の喪失を意味することが明らかな事態で、天皇(裕仁)が「國體の護持」にこだわって、終戦を遅延させ、東京大空襲、沖縄の悲劇、広島・長崎の原爆投下をもたらしたことを思い起こさせる。国民の命よりも、天皇制の存続が重要事だったというわけだ。いま、北朝鮮も似たような状況にあるのだろう。そして、アメリカのコメントは、戦後日本の政策に天皇を利用したように、骨を抜いた金世襲政権に利用価値を見だしているというなのだろうか。

とはいえ、旧天皇制日本の軍国主義侵略主義にも「3分の理」はあった。1941年の天皇制日本は、先進帝国主義連合のABCD包囲網に経済的な行き詰まりをみて、その打開のために無謀な先制攻撃で開戦に踏み切った。これを「自存自衛」のやむをえざる戦争といった。

もちろん、北朝鮮にも3分の理がある。すべての軍事的行動は周辺諸国からの具体的な圧力や脅威に対抗するための自衛手段に過ぎない。これ以上軍事的・経済的包囲網が狭められれば、「自存自衛」のための暴発をしかねないではないか。1941年時の日本との違いは、この国が既に核をもっていることにある。この国に対する挑発は危険だ。韓国だけでなく、米軍基地のある日本が戦火の危険にさらされることになる。だから、今回は絶対に軍事的な選択肢をテーブルの上に置くことはできない。現に、次期大統領の椅子を争っている、韓国大統領選挙候補者5人のすべてが、揃ってアメリカの北への先制攻撃に反対しているではないか。

「平和主義」(パシフィズム)には、臆病で姑息だというニュアンスが込められている。しかし、強がってのチキンゲームは危険に過ぎる。北朝鮮を、1941年の日本のごとくにしてはならない。臆病でも姑息でも「平和主義」に徹して、外交努力による平和解決を目指す以外に方法はない。中国が果たすべき役割は大きいが、日本には外交的に口を出すべき余地が極めて小さい。そもそも、それだけの権威も信頼感もないのだ。アベ政権頼むに足りず、なのだ。この外交力の欠如は、近隣諸国との外交を軽視してきたアベ政権のこれまでの姿勢の表れである。せめて憲法九条をもつ日本国民の一人として、「平和的手段による解決」を、と声を出し続けよう。
(2017年4月16日)

まあ聞け。むかーし、むかしのことじゃ。

人の命の値打ちは紙くずみたいなものじゃった。模様を描いた布きれが人の命よりも大切でな、この布きれを敵に奪われると本当に腹を切ったということじゃ。で、当時の世の中がおかしくってな。「腹を切るとは立派なものだ」と褒めそやしたということだ。バカげた話よのう。

またな、人の顔を映した写真が国中の学校にあってな。この写真が校長の命よりもはるかに大事だとされていたんじゃと。それでな、火事だの地震だの、台風だのというときに、この写真を守ろうとして命を失った校長が何人もいたんだそうな。写真は何枚でも同じものが作れるだろう。何枚でもある写真の値打ちって、所詮は紙っぺら一枚よ。紙っぺら一枚のために、かけがえのない人の命を捨てることはあるまいに。バカげた話よのう。

一人ひとりの人間を大切にしない世の中ではな、所詮は布きれの旗やら、所詮は紙一枚の写真やらが、人の命やプライドよりも、大事だとされることになるわけじゃな。ホンにバカげた話よのう。

もう少し聞け。今度はむかしのことじゃない。昨日(4月13日)のことじゃ。
あの、産経新聞が騒いでおる。NHKがな、日の丸の位置をば下に、中国の五星紅旗を上にした画面構成で放送をしたんだと。これが大きな問題なんじゃそうだ。

産経はこう言っておる。
「NHKが3日に放送した番組『ニュースウオッチ9』の中で、日本の国旗を中国の国旗の真下に表示していたことが13日、わかった。岸信夫外務副大臣は同日の参院内閣委員会で、独立国の国旗を上下に位置させることについて『下の国旗は下位、服従、敵への降参などを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはならない』と答えた。

自民党の有村治子参院議員の質問に答えた。映像は航空自衛隊の戦闘機の緊急発進(スクランブル)急増に関する特集の中で使用された。有村氏は『NHKはどこの国の公共放送か』と述べて批判した。

NHK広報部は産経新聞の取材に対し『上空を飛行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機のイメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の画像を使って放送した。国の上下関係を示す意図はなかった』と説明した。」

所詮は血の通わない旗と旗。布切れと布切れ。上でも下でも、右でも左でも斜めでも、たいしたことではない。騒ぐほどのことでもなかろうに。どうしてこんなことが大ごとだというのか。こんなことを国会議員が国会で議論をする、その方がよっぽど大ごとだろう。何とも、バカげた話よのう。

本当の問題は、布切れと人との関係じゃな。旗と生身の人間と、どちらが上でどちらが下か。いったいどちらが大事なのかと言うこと。

さすがに、開けた今の世じゃ。旗や写真のために、命を懸けよというバカげたことをいう者はない。ところが、「おまえの思想や良心や信仰などは投げ捨てて、いやでも起立し旗に向かって頭を下げろ」と、大真面目に命令する知事や教育委員が本当にいるんじゃ。有村治子も外務省も産経もその尻押しじゃ。

旗の上に旗を置くことが「怪しからん」「大問題だ」とは、ちゃんちゃらおかしい。主権者である人の上に、日の丸を置いて、「これを仰ぎ見よ」「頭を垂れよ」という方が、はるかに「怪しからん」「大問題」じゃな。これこそ、「下の人は、上の旗に対して下位、服従、降参などを意味し、適切ではなく、あってはならない」というべきじゃろう。ところが、こんな面妖なことが、東京でも大阪でも、訳の分からん知事の出現以来何年も続いているんじゃ。ホンにホンにバカげた話よのう。いや、腹の立つことよのう。
(2017年4月14日)

この際、新元号の制定はやめよう。

本日(4月7日)複数のメディアが報じている。天皇(明仁)の生前退位と代替わりに伴う新元号について、政府は複数の学者に選考を依頼し、既に複数の元号案が提出されて「内閣官房で案を管理している」という。ただそれだけのことが、大新聞の一面トップの記事になっている。その記事の取扱いの大きさ自体がニュースというべきだろう。

なお、改めての感慨は中国文化の圧倒的な影響力である。「天皇」も「元号」も、所詮は中国文化からの借り物。古代中国文化の根幹から生じた枝葉、あるいは、中国文化本流からの末節なのだ。前回の天皇代替わりでの政府依頼の学者は、山本達郎(東洋史)、宇野精一(中国哲学)、目加田誠(中国文学)だったという。今回も、中国史、中国古典文学、日本古典文学などの学者に、「中国や日本の古典をもとに漢字2文字の組み合わせ」だとか。日本の古典も漢字文化の末裔。日本では、文化的な国粋主義は成り立ちえないことを痛感する。

元号とは、「もともと古代中国で皇帝が時を支配するという思想から生まれた」といえばもっともらしいが、なに、皇帝の政治的影響力誇示のパフォーマンスに過ぎない。本家の中国には、今こんなものはない。日本が、旧態依然にこんな不便なものをありがたがっている必要はない。せっかくの天皇(明仁)の生前退位。これで平成が終わる。元号法を廃止して、新元号などやめてはどうか。西暦表示一本に統一して、誰も困らない。

世の中は、着実に西暦表示派が優勢になりつつあるが、これに逆行して話題となったのが、「しんぶん赤旗」の題字脇の元号併記。今年の4月1日から突然に始まって、今日で1週間になる。一昨日(4月5日)の紙面、「知りたい聞きたい」欄に、読者の疑問に答えるかたちで、「『赤旗』が元号併記したのは?」という、釈明記事を載せている。私にとっては大事な問題なので、全文を引用しておきたい。

 「しんぶん赤旗」が4月1日付から日付に元号を併記したことにいくつかの質問、意見が寄せられています。
 今回の措置は、「西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい」「元号も入れてほしい」など読者のみなさんからの要望をうけた措置です。これらは折に触れ、手紙やファクス、メールで編集局に寄せられていました。
 元号そのものについては、西暦か元号かどの紀年法を用いるかは、歴史と国民の選択にゆだねるべきで、法律による使用の強制には反対するというのが、日本共産党のかねてからの主張です。1979年の元号法制化に際しては、天皇の代替わりごとに改元する「一世一元」は、主権在民の憲法下ふさわしくないとして、その法制化・固定化に反対しました。そのさい、元号の慣習的使用に反対するものではないこと、「昭和」後の元号についても慣習的使用の延長として憲法の範囲内で法的強制力をもたない適切な措置を検討する用意があることも表明していました。
 なお、「赤旗」は昭和天皇が死去した1989年1月7日付まで西暦に加え「昭和」の元号を併記していました。
 今回の元号併記の措置は、こうした経緯と考え方も踏まえてのものです。

残念だが、読者の疑問に真摯に答えるものとなっていない。もっと丁寧に、もっと率直に語るべきだと思う。なによりも、「西暦か元号かどの紀年法を用いるかは、歴史と国民の選択にゆだねるべき」と言うだけでは、何も語っていないに等しい。「歴史と国民の選択」の是非が問われているのではなく、赤旗自身の見解が問われているのだ。元号というものを歴史的にどうとらえ、今それが国民生活や国民意識にどう関わっていると認識しているのか。ことは、明らかに天皇制の評価に関わる。同様の問題を、「日の丸」も「君が代」も、叙位叙勲も祝日も抱えている。

いったいなぜ、「1989年1月7日付まで西暦に加え元号を併記し」ていたのか、なぜ「1989年1月8日付から2017年3月31日まで元号併記をやめた」のか、そしてなぜ「2017年4月1日から元号併記を復活した」のか、赤旗の原理原則との関わりで説明が必要と考えざるを得ない。

私は本心で提案したい。この際、赤旗も「新元号は不要だ」という社説を書いてみてはどうだろうか。

元号維持派の論理というのはまことに脆弱である。霞ケ関カンツリー倶楽部の男性優位論程度のもので、いとも簡単に崩れ落ちる体のもの。

元号維持派の、まとまった論稿にはなかなかお目にかかれない。典型として、毎日新聞論説陣の保守派で、安倍晋三の寿司友の一人としても知られる山田孝男のコラム「風知草」の「元号について」(毎日新聞2017年1月16日 東京朝刊)を取り上げてみよう。山田孝男の元号維持肯定説は、驚くべき貧弱な「論理」である。

「新元号など無用、という声は出ていない。」
少なくも、私は声を出している。無視しないでいただきたい。

「天皇の戦争責任が問われた第二次大戦直後は、元号廃止論が優勢だった。元号は『不合理』『反民主主義的』で『国際社会に通用せぬ』と腐された。」
その点は、認識が一致する。

「曲折を経て元号廃止論は鳴りを潜めたが、元号が社会にどう定着したかといえば微妙だ。元号を否定しないにせよ、『なくたっていい』と考える人も少なくないのではないか。」
「元号廃止論は鳴りを潜めた」には異論がある。「元号が社会にどう定着したかといえば微妙」はそのとおり。むしろ、『なくたっていい』と考える人が優勢になりつつある、というべきだろう。

「なくたっていいか。私はそうは思わない。」
ほう。その積極理由をお聞かせいただきたい。

「元号…廃止派の論拠の一つは『日本でしか通用しない遺物』といった、今で言うグローバリズム。」
そのとおり。「日本でしか通用しない遺物」であることが「論拠の一つ」であることに異論はない。この「論拠の一つ」への反論の論拠として引っ張り出されるのは、「the保守」福田恒存を引用するだけのこと。

「それに対し、そういう議論は『明治以来、相も變(かわ)らぬ、拝外心理の現れ』に過ぎぬとかみついたのが評論家の福田恒存(12~94年)である。拝外心理=欧米コンプレックスということだろう(読売新聞76年12月6日付の寄稿「元号と西暦、両建てにすべし」)。」
福田もお粗末だが、今頃これを引用して何かを言ったつもりになっている山田も山田。グローバリズムを、「拝外心理=欧米コンプレックス」というのだ。保守が共有する劣等意識のなせるところなのだろうか、それとも福田と山田に固有のものか。いずれにしても、一顧だにする必要のない愚論というほかはない。

その愚論の具体的論拠として、福田が挙げているものが3点ある。
▽元号廃止は歴史、伝統の断絶と文化の荒廃をもたらす。たとえば元禄、天明の文化--と言えばイメージできるものも、西暦表記では分からない。
この程度のつまらぬことが元号維持論の論拠なのだ。既に、歴史は西暦で語られているではないか。元号使用以前の紀年は元号では語れない。改元は偶然の産物で長短不揃い。歴史を既述するツールとして不合理・不便この上ない。「元号廃止は歴史、伝統の断絶と文化の荒廃をもたらす」とは、誇張も甚だしい。
なお、将来に元号を廃止することは、過去の歴史を改竄することではない。新元号がなくなった時代でも、歴史を語る際に「元禄の芭蕉、天明の蕪村」と言ってなんの差し支えがあろうか。

▽西暦一本化論は、「酒1合」と言わせず、「180ミリリットル」を強要するようなもので、情緒を奪い、世の中を窮屈にする。
今、尺貫法はほぼ駆逐された。不便だからである。メートル法と尺貫法の併用による社会的コストの負担には耐えがたいからでもある。相撲界でさえ、力士の身長や体重を尺貫法からメートル法表示に変えてなんの不都合もない。すっかり馴染んだではないか。これを、情緒を奪い窮屈になったという声は聞かない。元号も同じだ。昭和の終わり頃、天皇が病牀にあった時期に、和解調書には「昭和73年12月末日限りの履行」などと書いていた。だれの目にも不合理が明らかだったのに、である。いま、50年間の定期借地権の期間を、「平成29年から、平成79年まで」と表記するのは滑稽ではないか。そして、不便で不合理なのだ。

▽第一、クリスチャンでない日本人、ユダヤ人、アラブ人が、なんでキリスト教紀元にのみ付き合わねばならぬのか……。
日本人が中国人のつくり出した漢字をなぜ使わねばならないか。便利だからである。西暦は世界標準歴として、これを使うことの利便性がすぐれているから使うのだ。さらに、元号との並立・両建は、反民主的で、社会生活上の不便をきたすから賛成できないのだ。

山田は、この文章の最後をこう結んでいる。
「元号はカビのはえた記号ではない。飛鳥朝以来、通算247回目の改元まであと715日。」
敢えて言おう。「元号はカビのはえた記号」だ。それも、『不合理』『反民主主義的』で『国際社会に通用せぬ』有害なカビだ。カビは、きれいさっぱりなくした方が良い。放置しておくと蔓延して人畜に害をなす。よい潮時だ。新元号の制定はやめるに越したことはない。
(2017年4月7日)

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