澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

国葬は民主主義に反する制度である。やっぱりごめんだ、安倍晋三の国葬。

(2022年7月19日)
 かつて、「国葬令」というものがあった。特定の個人の死を国家として悼む制度を法制化したものである。帝国議会の協賛を経ない勅令という法形式。1947年の日本国憲法施行にともなって失効した。
 その全文(本文5か条)が以下のとおり。半角を使って、少し読みやすくしてみた。

勅令第三百二十四号
朕 樞密顧問ノ諮詢ヲ経テ国葬令ヲ裁可シ 茲ニ之ヲ公布セシム
嘉仁 裕仁 御璽
(当時、裕仁は摂政だった)

大正十五年十月二十一日 (1926年)

 内閣総理大臣  若槻礼次郎(以下自署)
 陸軍大臣  宇垣一成
 海軍大臣  財部彪
 外務大臣 男爵 幣原喜重郎
 文部大臣  岡田良平
 内務大臣  濱口雄幸
 遞信大臣  安達謙蔵
 司法大臣  江木翼
 大蔵大臣  片岡直温
 鉄道大臣  子爵 井上匡四郎
 農林大臣  町田忠治
 商工大臣  藤澤幾之輔

第一条 大喪儀ハ 国葬トス
第二条 皇太子皇太子妃 皇太孫皇太孫妃 及 攝政タル親王 内親王 王 女王ノ喪儀ハ 国葬トス
 但シ 皇太子 皇太孫 七歳未満ノ殤ナルトキハ 此ノ限ニ在ラス
第三条 国家ニ偉勳アル者 薨去又ハ死亡シタルトキハ 特旨ニ依リ 国葬ヲ賜フコトアルヘシ
    前項ノ特旨ハ 勅書ヲ以テシ 内閣總理大臣之ヲ公告ス
第四条 皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ 喪儀ヲ行フ当日廃朝シ 国民喪ヲ服ス
第五条 皇族ニ非サル者 国葬ノ場合ニ於テハ 喪儀ノ式ハ 内閣總理大臣勅裁を経テ之ヲ定ム

 これを分かり易く意訳してみればこんなところだろうか。

第1条 天皇や皇后・皇太后の葬儀は国葬として行う。
第2条 皇太子や一定の皇族の葬儀も同様とする。
第3条 国家に特別の貢献あった者が死んだときには、天皇の特別のはからいで国葬にすることがある。
第4条 皇族でない者の国葬の日には、天皇は執務を控え国民は喪に服する。
第5条 皇族でない者の国葬の儀式のあり方は、天皇の決裁を得て内閣總理大臣が決める。

 この勅令(法律と同様の効力を持つ)の眼目は、第4条の「国民喪ヲ服ス」である。「いやしくも国葬である、国民一同国家に貢献あった被葬者を悼み服喪せよ」という、上から目線の弔意の強制なのだ。「皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ」と限定されているようだが、実は、天皇や皇族の葬儀については、「皇室服喪令」(1909年)が先行してあり、「臣民も喪に服する」とされている。つまり、国葬は国を挙げての一大行事であって、天皇も臣民も、その死者の生前における国家への貢献に敬意を表し哀悼の意を示さなければならない。国葬の日には服喪が要求される。歌舞音曲なんぞとんでもない、のだ。

 以下は宮間純一教授(近代史・中央大学)の教えるところ(要約・抜粋)である。とても分かりやすく、肯ける。

 「戦前の国葬は岩倉具視にはじまり、以降、1945年まで21名の国葬が、天皇の「特旨」によって執り行われた。

 国葬は、回数を重ねる中で形式を整えてゆく。「功臣」の死を悼むために天皇は政務に就かない(これを「廃朝」という)、国民は歌舞音曲を停止して静粛にする、死刑執行は停止するといったことも定型化する。

 葬儀の現場東京から離れた町村・神社・学校などでも追悼のための儀式が実施された。また、メディアが発達したことを背景に、新聞などを通じてその人の死が「功臣」たるにふさわしい業績・美談とともに広められてゆく。全国各地の人びとは、追悼行事に参加することで、「功臣」が支えたとされる天皇や国家を鮮明に意識することになる。

 天皇は国家統合の象徴として演出され、万世一系の元首として振る舞った。天皇から「功臣」に賜る国葬は、そうした国民国家の建設のさなかに、国家統合のための文化装置として機能することが期待されて成立した。

 国葬という制度が本来的にもっている性質を理解していれば、国葬を実施することにより、「民主主義を断固として守り抜く」という発想が出てくるはずがない。国葬は、むしろ民主主義の精神と相反する制度である。国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など、民主主義のもとで成立しようはずがない」

 さて、「民主主義のもとで成立しようはずがない」という国葬が安倍晋三について強行されようとしている。国民に対しては、歌舞音曲を停止して静粛にし、安倍晋三に対する哀悼の意を表明することが事実上強制されることになる。東京から離れた町村・神社・学校などでも追悼のための儀式が実施されるに違いない。また、メディアが発達したことを背景に、新聞やテレビ、ネットなどを通じて、安倍晋三の死が「国葬」にふさわしい業績・美談とともに広められてゆく。全国各地の人びとは、追悼行事に参加することで、安倍晋三が支えたとされる、国家や自民党や右翼勢力を鮮明に意識することになる。そして、安倍の負の遺産を批判することが封じられる雰囲気がつくられていく。

 やっぱりごめんだ。安倍晋三の国葬。

差別はあってはならない ー 在日も被差別部落も天皇も、人間の尊厳においてまったくの対等平等である。

(2022年6月16日)
 人は平等である。これは民主主義社会における公理だ。差別はあってはならない。差別を間近に見ることもおぞましい。差別に曝されている人の辛さは想像を絶する。この世からあらゆる差別をなくさねばならない。あらゆる人がのびのびと生きていけるように。

 しかし、現実には差別はなくならない。この世には差別が好きな人が、少なからずいるのだ。たとえば石原慎太郎。民族差別・人種差別・女性差別・障害者差別・思想差別・不幸な者に対する差別、弱い存在に対する差別…。この天性の差別大好き人間に対する糾弾の声が必ずしも社会全体のものとならない。この恥ずべき人物を支持する一定の勢力が確かに存在するのだ。

 山縣有朋の死に対して石橋湛山が送った言葉が「死もまた社会奉仕なり」だという。石原の死に際してこの湛山の言葉があらためて引用され、社会は多少健全化されたかと思ったは甘かった。安倍晋三や渡辺恒雄らが発起人となって、「お別れ会」が開催された。差別大好き陣営の総決起集会である。

 安倍晋三がこの会で、石原について、「いつも背筋を伸ばし、時に傍若無人に振るまいながらも誰からも愛された方だった」と発言したという報に接して驚愕し、ややあって驚愕した自分を恥じた。私は、差別された側の民族・人種・女性・障害者・思想、総じて弱者が石原を愛するはずはないではないか、差別をあってはならないとする多くの良識ある人々が石原を軽蔑こそすれ、愛するなんてとんでもない、そう思ったのだ。

 しかし、石原や安倍の眼中には、差別される人も差別に憤る人もない。石原や安倍が言う「誰からも」とは、差別を肯定し、差別を笑う、差別大好き人間だけを指しているのだ。なるほど、確かに石原は、差別大好き人間の「誰からも」愛される存在だった。そして、安倍もその同類なのだ。

 差別とは心根である。人の平等を認めたくないといういびつな精神の表れである。知性に劣り自我を確立できない人物は、常に自分が多数派で強者の側に属していることを確認したいのだ。社会を多数派と少数派に分け、多数派を優れたものとし少数派を劣ったものとする「思い込み」に基づいて、自分が多数派に属することでの安心を求める。

 差別大好き人間にとっては、この世の人々が平等であってはならない。社会は水平ではなく凹凸がなければならず、自分が社会の上位の部分に属することを確認せずには安心が得られない。差別はまったくいわれのない侮蔑であるが、この差別を生む構造は、まったくいわれのない尊貴とこれに対する敬意(ないしは、へつらい)とを必要とする。

 この世に「貴族」あればこその「卑族」の存在である。かつてはバカバカしくも、人の価値が天皇からの距離で測られた。今なお、その残滓がある。天皇がいるから、被差別部落があり、在日差別がまかりとおる。天皇や皇族に畏れいる心根と、在日や部落差別を受け入れる心根とは表裏一体と言わねばならない。

 だから、差別を許さないと考える人が、天皇大好きであってはならない。天皇こそ、日本社会の差別の根源なのだから。今ころ、天皇や皇族なんぞに畏れいってはならない。天皇や皇族に近いという家柄をひけらかす輩を、真の意味で「人間のクズ」であると軽蔑しよう。人の家柄は、誇るべきものでも、卑下すべきものでもない。

 再確認しておこう。人は平等である。在日も被差別部落も天皇も、人間の尊厳においていささかの区別もない。これは民主主義社会における公理である。外国人に対するいわれのない差別や、人の血筋をもってする差別の恥ずべきことは当然だが、これと裏腹の関係にある、天皇や皇族を貴しとする感性もまた恥ずべきことと知らねばならない。

「昭和天皇の肖像燃やすシーン」は、公権力介入の根拠とならない。

(2022年5月27日)
 一昨日(5月25日)、名古屋地裁での「『あいトレ』未払い費用請求訴訟」の判決言い渡し。その報道の見出しを、産経は「昭和天皇の肖像燃やすシーン『憎悪や侮辱の表明ではない』 名古屋地裁」とした。『昭和天皇の肖像燃やす』にこだわり続けているのだ。

 わが国における「表現の自由」の現状を雄弁に物語ったのが「あいちトリエンナーレ2019」事件である。公権力と右翼暴力とのコラボが、「表現の自由」を極端なまでに抑圧している構造を曝け出した。そして、その基底には、「表現の自由」の抑圧に加担する権威主義の蔓延がある。この社会は権威を批判する表現に非寛容なのだ。

 日本の「世界報道自由度ランキング」は71位だという。いわゆる先進国陣営ではダントツの最下位。もちろん、台湾(38位)・韓国(43位)にははるかに及ばない。69位ケニア、70位ハイチ、72位キルギス、73位セネガル、76位ネパールなどに挟まれた位置。あいトレ問題の経緯を見ていると、71位はさもありなんと納得せざるを得ない。

 報道にしても、芸術にしても、その自由とは権力や権威の嫌う内容のものを発表できることにある。今回の「昭和天皇の肖像燃やすシーン」こそは芸術の多様性を象徴する表現行為である。これは、特定の人々の人権侵害や差別の表現行為ではない。社会の権威に挑戦するこのような表現こそが自由でなければならない。

 ポピュリズム政治家と右翼政治勢力にとっては、「とんでもない」表現なのだろうが、表現の自由とは「とんでもない」表現への権力的介入を許さないということなのだ。

 河村たかし名古屋市長は、「市民らに嫌悪を催させ、違法性が明らかな作品の展示を公金で援助することは許されない」と主張したが、判決は「芸術は鑑賞者に不快感や嫌悪を生じさせるのもやむを得ない」と判断。作品の違法性を否定して市の主張を退けた(朝日)、と報じられている。

 この判決については、毎日新聞の報道が詳細で行き届いている。

 「愛知県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を巡り、同県の大村秀章知事が会長を務める実行委員会が、名古屋市に未払いの負担金支払いを求めた訴訟の判決が25日、名古屋地裁であり、岩井直幸裁判長は請求通り約3380万円の支払いを命じた。

 同芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の肖像を燃やすシーンがある映像作品や従軍慰安婦を象徴する少女像を展示したことを、名古屋市の河村たかし市長が、「政治的中立性を著しく害する作品を含む内容・詳細が全く(市側に)告知されていなかった」などと問題視。一部負担金の不払いを決めたため、実行委員会が支払いを求めて20年5月に提訴していた。

 判決で岩井裁判長は、作品の政治的中立性について、「芸術活動は多様な解釈が可能で、時には斬新な手法を用いる。違法であると軽々しく断定できない」と指摘。映像作品については、「天皇に対する憎悪や侮辱の念を表明することのみを目的とした作品とは言いがたい」とし、少女像も含めて、「作品内容に鑑みれば、ハラスメントとも言うべき作品であるとか、違法なものであるとかまで断定できない」と判断した。

 訴訟では、河村市長自身が証人として出廷。「政治的に偏った作品の展示が公共事業として適正なのか。問題は公金の使い道であり、表現の自由ではない」などと意見陳述していた。」

 判決後、河村市長は「とんでもない判決で司法への信頼が著しく揺らいだ。控訴しないことはあり得ない」と言っているそうだ。この人の辞書には、反省の2文字がないのだ。

 河村のホンネとして、「天皇バッシングは怪しからん」と騒げば票につながるだろうとの思惑が透けて見える。この河村の姿勢は、果たして名古屋市民を舐め切っているのだろうか。それとも彼の読みは当たっているのだろうか。

 いずれにせよ、河村の判断ミスによって、払わずに済むはずの遅延損害金や応訴費用が、名古屋市民の負担となっている。控訴すれば、更に無駄な出費は加算されることになる。潔く一審判決に従うべきが名古屋市民の利益であり、民主主義の利益にもなる。

沖縄を「捨て石」にした天皇(裕仁)の弁解と本音。

(2022年5月19日)
 昭和天皇(裕仁)は、皇太子時代に欧州5か国を歴訪の途上沖縄に立ち寄ってはいる。が、摂政・天皇の時代を通じて一度も沖縄訪問の機会を得なかった。戦前も戦中も、そして40年を越える長い戦後も、一度として沖縄の土を踏んでいない。おそらく、戦後の彼は沖縄県民に対する後ろめたさを感じ続けていたからであろう。端的に言えば、会わせる顔がないと思っていたに違いない。あるいは、沖縄で露骨に民衆からの抗議を受ける醜態を避けたいとする政治的な配慮からであったかも知れない。

 だから、「沖縄 : 戦後50年の歩み 激動の写真記録」(沖縄県作成・1995年)には裕仁は一切出て来ない。代わって顔を出しているのは、その長男明仁である。それも、ほんの少しでしかない。

 「記録」の306ページに、「沖縄海洋博覧会」の項がある。海洋博の「会場全景」という大きな写真に添えて、やや小さな明仁の写真。「海洋博名誉総裁の開会を宣告する皇太子(現天皇)。1975年7月19日」という簡潔な解説。過剰な敬語のないのが清々しい。

 そして、次のページに、「皇太子火炎ビン襲撃事件」のごく小さな写真。「幸いにも皇太子ご夫妻を含め怪我人はなく、混乱は最小限にとどめられた」と解説されている。これ以外に、皇族に関連する記載はない。

 明仁ではなく裕仁が訪沖していれば、どんな展開になっただろうかと思わないでもない。裕仁と沖縄との関係については、曰わく因縁がある。天皇(裕仁)は、本土防衛の時間を稼ぐために沖縄を捨て石にした。天皇の軍隊は沖縄県民を守らず、あまつさえ自決を強要したり、スパイ容疑での惨殺までした。そして、新憲法ができた後にも、天皇(裕仁)は主権者意識そのままに、いわゆる「天皇・沖縄メッセージ」で、沖縄をアメリカ政府に売り渡した。沖縄県民の怨みと怒りを一身に浴びて当然なのだ。

 彼にも人間的な感情はあっただろう、忸怩たる思いで戦後を過ごしたに違いない、などと思ったのは甘かったようだ。それが、近年公開された 「拝謁記」で明らかになっている。「拝謁記」とは、初代宮内庁長官田島道治が書き残した、天皇(裕仁)との会話の詳細な記録。その内容の着目点が、朝日・毎日などの中央紙と、沖縄の新聞とがまったく異なるという。

 福山市在住のジャーナリストが、K・サトルのペンネームで、書き続けている「アリの一言」というブログがある。その2019年8月22日付け記事が「『拝謁記』で本土メディアが無視した裕仁の本音」という表題で、このことを鋭くしている。K・サトル氏に敬意を表しつつ、その一部を引用する。

『琉球新報、沖縄タイムスが注目したのは「拝謁記」の次の個所でした。
 「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為二之がいいと分かれば一部の犠牲は巳(や)むを得ぬと考える事」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(1953年11月24日の発言)

 琉球新報は「一部の犠牲やむ得ぬ 昭和天皇 米軍基地で言及 53年、反対運動批判も」の見出しで、リードにこう書きました。
 「昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の『天皇メッセージと同じ路線だ』と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について『反省していたかは疑問だ』と述べた」

 朝日新聞、毎日新聞は記事中でも「拝謁記要旨」でも、この部分には触れていません。同じネタ(裕仁の発言)であるにもかかわらず本土メディアと沖縄県紙で際立った違いが表れました。これはいったい何を意味しているでしょうか。

 米軍基地によって生じる「やむを得ぬ」「犠牲」を被る「一部」とはどこか。基地が集中している沖縄であることは明らかです。裕仁はそれを「沖縄の」とは言わず「一部の」と言ったのです。これが沖縄に「犠牲」を押し付ける発言であることは、沖縄のメディア、沖縄の人々にとっては鋭い痛みを伴って直感されます。だから琉球新報も沖縄タイムスも1面トップで大きく報じました。ところが本土紙(読売、産経は論外)はそれをスルーしました。裕仁の発言の意味が分からなかったのか、分かっていて無視したのか。いずれにしても、ここに沖縄の基地問題・沖縄差別に対する本土(メディア、市民)の鈍感性・差別性が象徴的に表れていると言えるのではないでしょうか。

 裕仁の「沖縄(天皇)メッセージ」(1947年9月)を世に知らしめた進藤栄一筑波大名誉教授はこう指摘しています。
 「『天皇メッセージ』は、天皇が進んで沖縄を米国に差し出す内容だった。『一部の犠牲はやむを得ない』という天皇の言葉にも表れているように、戦前から続く“捨て石”の発想は変わっていない」(20日付琉球新報)

 「拝謁記」には、戦争責任を回避する裕仁の弁解発言が多く含まれていますが、同時に裕仁の本音、実態も少なからず表れています。「一部の犠牲」発言は、「本土防衛」(さらに言えば「国体」=天皇制護持)のために沖縄を犠牲にすることをなんとも思わない裕仁の本音・実像がかはっきり表れています。』

 まったくそのとおりだと思う。これに付け加えるべき何ものもない。あらためて今、沖縄を考えるべきときに、戦前も戦後も「沖縄を捨て石にした」天皇(裕仁)の実像を見極めたい。

9条改正「不要」57%ー北海道新聞世論調査の朗報

(2022年4月29日)
 本日は「昭和の日」。大型連休の初日だが、東京は生憎の本降りの雨。しかも肌寒い。ツツジも、サツキも、フジも、冷雨にうたれて気の毒の限り。
 
 このぐずついた天候のごとく、このところよいニュースがない。コロナ・ウクライナ・知床事故・道志村…。そして、諸式の物価高である。世の物価はなべて上がるが、賃金は上がらない、年金は下がる。株価だけが人為的な操作で持ちこたえ、持つ者と持たざる者との格差拡大に拍車がかかる。これでどうして、政権がもっているのやら。さらには、敵基地反撃能力だの、中枢機能攻撃だの、核シェアリングだの、防衛費倍増だの。ヒステリックで物騒極まりない見解が飛びかっている不穏さ。

 そう思っていたら、北海道新聞のデジタル版に、以下の記事。
 「改憲の賛否再び拮抗 9条改正「不要」57% 本紙世論調査」というのだ。これは朗報である。闇夜に一筋の光明とは大袈裟だが、元気が湧く。

  「5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する全道世論調査を行った。

 憲法を「改正すべきだ」は42%(前年調査比18ポイント減)、
 「必要はない」は43%(同13ポイント増)

 で拮抗(きっこう)した。
 前年は新型コロナウイルスへの不安の高まりなどを背景に改憲意見が強まったが、再び賛否が二分する状態に戻った。

 戦争放棄を定めた憲法9条については「改正すべきではない」が前年から横ばいの57%で、「改正すべきだ」の35%(同1ポイント減)を上回った

 自民党などはロシアによるウクライナ侵攻を機に9条改正に向けた議論の進展を図っているが、市民の間に改憲論は強まっていないことが浮き彫りになった。

 これが、憲法記念日直前の、全道の憲法意識なのだという。これから、順次全国の世論調査が実施され結果が発表されることになるだろうが、「市民の間に改憲論は強まっていないとは幸先のよい調査結果ではないか。

 いま、ロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、反憲法勢力が懸命に笛を吹いている。曰わく、「自分の国は自力で防衛しなければならない」「平和を望むなら、軍事力の増強が不可欠である」「それに桎梏となっている憲法を、とりわけ9条を変えなければならない」と。

 この笛を吹いている側の勢力が、自・公・維・国の保守4党。しかし、国民はけっしてこの笛に踊らされてはいないのだ。むしろ、平和への危機意識が「9条守れ」の声に結実しているのではないか。道新の世論調査が、貴重なその第一報となった。さて、これから、メーデーがあり、憲法記念日となる。改憲阻止の世論を大きくしていきたいもの。

 ところで、「昭和の日」である。昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。

 本日は、戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定的に評価すべき日でなくてはならないが、なんと、本来の「昭和の日」に、もっともふさわしからぬ人物の誕生日を選んだことになる。疑いもなく、昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁こそが、戦前の狂信的軍国主義を象徴する人物にほかならないのだから。

 あの昭和前期の軍国主義の時代、国民には裕仁や軍部の手口が、見えなかった。いま、プーチン・ロシアが、隣国ウクライナに侵略戦争中の「昭和の日」を迎えてこのことを思い起こすべきだろう。

 プーチンの国内世論の支持はすこぶる高いと報じられている。皇軍の侵略を支えた日本国民の民意はそれを圧倒するものだったろう。プーチンの手口はヒロヒトの軍隊とよく似ている。戦前の日本の歴史を見据えて、プーチン・ロシアの責任を見極めよう。そして、プーチンもヒロヒト同様に、内外に戦争の惨禍をもたらした戦争犯罪者であり、平和への敵であることを確認しなければならない。

 戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定する立場からは、憲法の理念を擁護し、憲法の改正を阻む決意あってしかるべきである。そうであって初めて、「昭和の日」の意義がある。

「政教分離」とは、いったい何なのだ。那覇地裁の判決は?

(2022年3月28日・連続更新9年まであと3日)
 先週の水曜日、3月23日に那覇地裁(山口和宏裁判長)で、政教分離に関する訴訟の判決が言い渡された。市民2人が原告となって那覇市を訴えた住民訴訟でのこと。請求の内容は、「那覇市営の松山公園内にある久米至聖廟(孔子廟)は宗教的施設なのだから、市の設置許可は憲法の政教分離に反する。よって、『那覇市が、施設を管理する法人に撤去を求めないことの違法の確認を求める』」というもの。

 この訴訟には前訴があり、「那覇市が無償で、宗教施設と認定せざるを得ない孔子廟に公園敷地を提供していることは違憲」という最高裁判決が確定している。今回の判決は、「今は、適正な対価の支払いを受けている」ことを主たる理由として請求を棄却した。なお、原告になった市民とは右翼活動家で、弁護団も原告と政治信条を同じくするグループ。

 さて、あらためて政教分離とは何であるか。日本国憲法第20条1項本文は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と信教の自由を宣言する。そして、これに続けて「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定める。宗教の側を主語として、政治権力との癒着を禁じている。さらに、同条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と、公権力の側からの宗教への接近を禁じている。これが、憲法上の政教分離原則である。

 政教分離の「政」とは国家、あるいは公権力を指す。「教」とは宗教のこと。国家と宗教は、互いに利用しようと相寄る衝動を内在するのだが、癒着を許してはならない。厳格に高く厚い壁で分離されなくてはならないのだ。

 なぜ、政教分離が必要か、そして重要なのか。「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞社説)、「かつて(日本は)国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ」(沖縄タイムス社説)などと説明される。

 この原則を日本国憲法に書き込んだのは、戦前に《国家と神道》が結びついて《国家神道》たるものが形成され、これが軍国主義の精神的支柱になって、日本を破滅に追い込んだ悲惨な歴史を経験したからである。国家神道の復活を許してはならない。これが、政教分離の本旨である。そのとおりだが、《国家神道》とは、今の世にややイメージしにくい言葉となっている。平たく、『天皇教』と表現した方が分かり易い。創唱者イエス・キリストの名をとってキリスト教、仏陀を始祖とするから仏教。また、キリストや仏陀を聖なる信仰の対象とするから、キリスト教と称し仏教と言う。ならば、天皇の祖先を神として崇拝し、当代の天皇を現人神とも祖先神の祭司ともするのが、明治以来の新興宗教・「天皇教」である。 この「天皇教」は、権力が作りあげた政治宗教であった。天皇の祖先神のご託宣をもって、この日本を天皇が統治する正当性の根拠とする荒唐無稽の教義の信仰を臣民に強制した。睦仁・嘉仁・裕仁と3代続いた教祖は、教祖であるだけでなく、統治権の総覧者とも大元帥ともされた。

 この天皇教が、臣民たちに「事あるときは誰も皆 命を捨てよ 君のため」と教えた。天皇のために戦え、天皇のために死ね、と大真面目で教えたのだ。直接教えたのは、学校の教師たちだった。全国各地の教場こそが、天皇教の布教所であり、天皇のために死ぬことを名誉とする兵士を養成し、侵略戦争の人的資源としたのだ。

 目も眩むような、この一億総マインドコントロール、それこそが天皇教=国家神道であり、戦後新憲法制定に際しての旧体制への反省が政教分離の規定となった。

 当然のことながら、戦前の天皇制支配に対する反省のありかたを徹底すれば、天皇制の廃絶以外にはない。しかし、占領政策の思惑は戦後改革の不徹底を余儀なくさせ、日本国憲法に象徴天皇制を残した。この象徴天皇を、再び危険な神なる天皇に先祖がえりさせてはいけない、天皇教の復活を許さない、そのための歯止めの装置が政教分離なのだ。

 だから、憲法の政教分離に関する憲法規定は、本来が、『公権力』と天皇教の基盤となった『神道』との癒着を禁じたものである。それゆえに、リベラルの陣営は厳格な政教分離の解釈を求める。靖国神社公式参拝・玉串料訴訟、即位の礼・大嘗祭訴訟、護国神社訴訟、地鎮祭訴訟、忠魂碑訴訟等々は、そのようなリベラル側からの訴訟であった。これに反して、右翼や歴史修正主義派は、天皇教の権威復活を求めて、可能な限りの政教分離の緩やかな解釈を求めるということになる。

 ところが、世の中にはいくつもの捻れという現象が起きる。那覇孔子廟訴訟(前訴)がまさしくそれで、今回の訴訟もその続編である。後に知事となった翁長雄志那覇市長(当時)に打撃を与えようとの提訴ではあったが、前訴では比較的厳格な政教分離解釈を導き出している。リベラル派としては、喜んでよい。

 今回の判決では、「歴史や学術上価値の高い公園施設として市が設置を許可しており、実際に多数の観光客らが訪れたり、教養講座が開かれたりしていると指摘。最高裁判決後、久米崇聖会が市に年間約576万円の使用料を支払っていることにも触れ『特段の便益の提供とは言えない』として、政教分離原則に反しないと判示した」と報じられている。喜ぶべきほどのこともなく、残念と思うほどのこともない判決と言ってよいだろう。

「あらゆる差別の根源としての天皇制」を容認してはならない

(2022年3月19日)
 「週刊金曜日」(22/03/18・1369号)が、天皇制と水平社宣言を並んで取りあげて、それぞれが熱のこもった誌面を構成している。各記事の中では触れられてはいないが、偶然にこう並んだはずはない。天皇と部落差別とは光と影の存在、相互依存の関係にある。その目次は下記のとおり。

天皇制 皇位継承問題 焦点は「直系か傍系か」だ 永田政徳
「菊タブー」に物申す 女性天皇の是非よりも国民主権から問え
今こそ天皇制存続についての議論を 鈴木裕子

日本初の人権宣言「水平社宣言」から100年
「人権擁護の法整備」の大切さを訴える
西村秀樹
部落解放同盟中央本部 組坂繁之執行委員長に聞く
「貧困・格差解消に翼を広げる」

 あらためて、西光万吉という人物に敬意を表明したい。彼の発案になる「水平社」というネーミングが素晴らしい。そのとおりこの人間社会は「水平」なのだ。人間皆同じ、高い人も低い人も、尊いも卑しむべき人もないのだ。誰にも恐れ入る必要はないし、誰をも見下したり差別してはならない。それが、この社会を見る目の原点、「公理」である。

 ところが、天皇はこの公理と決定的に不調和な異物である。一部の人間の思惑で無理矢理拵えられた「貴」によって社会の水平が破られ、他方に「賤」が作られた。人間平等という原理を受容しては「貴種」「貴族」の存在はあり得ないのだから、皇室やら皇族をありがたがる愚物には、論理的にも現実的にも人間の不平等が必要なのだ。天皇信仰と部落差別とは、表裏一体のものとして、ともに廃絶しなければならない。

 特定の人や集団に対する差別観は、別の特定の人や集団に対する神聖視に支えられている。部落差別や、在日差別をあってはならないと考える人は、あらゆる差別の根源としてある天皇への神聖視や敬意表明の強制を容認してはならない。人間社会皆等しく「水平」であることの実践が必要なのだ。「週刊金曜日」記事が、天皇や皇族への一切の敬語を使っていないことで、実に清々しいものになっている。

 不合理な差別をなくするためには、まず天皇という逆差別の存在をなくして「水平」を実現しなければならない。そのための第一歩として、天皇や皇室の神聖性を打破しなくてはならない。バカバカしい敬語の強要に敢えて異を唱えなければならない。同調圧力に屈してはならない。

 「金曜日」誌上で鈴木裕子が力説するとおり、女性天皇容認でよしとするのではなく、「今こそ天皇制存続についての議論が必要」なのだ。しかも、実のところは、天皇も皇族も、自分の生まれを呪っているに違いないのだから。

 そして思う。旧優生保護法下、ある人々には不妊・断種が強制された。そして、皇室の女性には男子の出産が強制されたのだ。同じ人間に対する扱いとしての、目の眩むような恐るべきこの落差。

 優生思想を唾棄すべきものとする多くの人に申しあげたい。天皇の存在を容認する思想も、実は優生思想の半面なのだ。あらゆる差別に反対する立場からは、けっして天皇の存在を容認してはならない。

本日が多喜二の命日。多喜二を虐殺したのは、天皇・裕仁である。

(2022年2月20日)
 小林多喜二は虐殺された。天皇の手先である思想警察の手によってである。多喜二の無念を忘れてはならない。権力の暴虐を忘れてはならない。

 子どものころに教えられた。あの壮大なピラミッドを作ったのは設計者でも石工でもなく、クフなど歴代のファラオである。万里の長城を築いたのは、使役された土工ではなく皇帝である。東大寺を建立したのは大工ではなく聖武天皇である。ならば、多喜二を虐殺したのは、明らかに天皇・裕仁である。

 1933年2月20日、多喜二はスパイの手引きで路上格闘の末特高警察に身体を拘束された。拉致された築地警察署内で拷問を受け、その日のうちに虐殺された。なんの法的手続を経ることない文字どおりの虐殺であった。スパイの名は三船留吉。多喜二殺害の責任者は特高警察部長安倍源基。その手を虐殺の血で染めたのは、特高課長毛利基、特高係長中川成夫、警部山県為三らである。が、多喜二の虐殺者として歴史に名を留めるべきは、明らかに天皇・裕仁である。

 私は、多喜二の殺害に関わった特高らを殺人鬼だとは思わない。彼らは、天皇に忠実な警察官として、当時の共産党員を天人ともに許さざる不忠の輩と真面目に思い込んでいたのであろう。天皇の神聖を害し、天皇の統治を乱し、天皇の宸襟を煩わす非国民。それに対する制裁は法を超越した正義であって、躊躇すべき理由はない。

 多喜二は、天皇の警察によって、天皇のために虐殺された。天皇の名による正義を実現する目的で…。天皇が多喜二を虐殺したと言って何の不都合があろうか。裕仁は、虐殺された多喜二と、その母の無念に思いをいたしたことがあっただろうか。

 多喜二は、その鋭い文筆故に満29歳と4か月で命を落とした。治安維持法で弾圧された人々の崇高な活動と悲惨を描いて、自らも弾圧に倒れた。その時代、言論の自由は保障されていなかった。今の日本に言論の自由はあるか、正確には答えにくいが、多喜二の時代よりははるかにマシと言ってよい。その自由は十分に活用されているだろうか。再び錆び付く恐れはないだろうか。

 もっとも、多喜二が虐殺されたあの時代にも、天皇を賛美し帝国の興隆を鼓吹する旺盛な言論活動は、誰からも制約されることなく社会に溢れていた。時の権力や有力者に迎合する言論をことさらに自由という意味はない。

 表現の自由は、政治的・経済的な強者に対する批判と、権威を否定する言論においてこそ保障されなければならない。このような言論が、これを制圧しあるいは報復しようという大きな圧力と対峙せざるを得ないからである。このような言論はそれ自体貴重であり萎縮させられてはならない。

 言い古された言葉であるが、言論の自由とは、政治権力や社会の権威が憎む言論の自由でなくてはならない。また、社会の多数者にとって心地よからぬ少数者の言論の自由でなくてはならない。まさしく、多喜二の言論がその典型であった。

 今、言論の自由を押さえ込み、表現者の口を封じペンを折る手段として、必ずしも暴力が有効な時代ではない。が、天皇や天皇制批判の言論が、十分であるとは思えない。

 多喜二の命日くらいには、天皇と天皇制の害悪を遠慮なく表現しようではないか。「国民の総意に任せる」などと傍観者を決めこむのではなく、自身の意見をはっきりと言おう。表現の自由を錆びつかせないためにも。 

十五の春の悲哀。逃れようのない監視圧力の脅威。

(2022年2月17日)
 「志学」と言えば、15歳。学問を志す15歳は稀少でも、誰もが高校入試の試練を受けなければならない歳。かつて、高校全入をスローガンに「15の春は泣かせない」と言ったのは、京都の蜷川虎三革新府政だった。が、現実には、当時も今も15の春は悲喜こもごもである。

 悲喜こもごもは切実で、入試の選考には厳格な公平性が求められる。カネやコネでの入学には社会の拒否感が高い。「裏口入学」という言葉には、許されざる悪事というニュアンスが感じられる。また、カネやコネで合格した当人のプライドが傷つくことにもなろうし、周囲の目が弾劾し軽蔑し続けることにもなろう。

 のみならず、高等教育や後期中等教育を受ける権利についての公正の確保は、この社会の階層の固定化防止の基本である。金持ちやコネのある者の子女には高等教育を受ける道が広く開かれ、カネやコネのない者には障壁が高いということになれば、この社会の階層の流動化が阻害され、社会の不公平な構成を固定化することになる。
 
 秋篠宮の長男が15歳である。宮内庁は昨日(2月16日)、お茶の水女子大付属中学に在籍している彼が、筑波大付属高(東京都文京区)に合格し、4月に入学すると公表した。注目されるこの「合格」、果たして公正であろうか。疑問なしとしない。

 彼の筑波大付属高への「進学」は、お茶の水・筑波両校間の「提携校進学制度」を利用したものと公表されている。一般受験での合格ではない。しかも、この「提携校進学制度」は、彼の高校卒業時までの時限的なものだという。万人の見るところ、この「天皇職就位予定者」のために特別に作られた制度と言わざるを得ない。

 宮内庁の発表では、「成績などの条件を満たしたことから「提携校進学制度」を使って出願し、学力検査を受けた上で16日に合格が確定した」となっている。しかし、「提携校進学制度」を利用しての出願の要件は明確にされていないし、彼の受けた学力検査成績が一般入試の合格水準に達しているかどうかについての言及もない。彼のために特別に作られた制度を利用しての「合格」であった可能性を認める内容の発表なのだ。つまり、彼は「皇族というコネで国立校に入学」という疑惑を生涯抱え込んだことになる。

 いま、彼の義兄がニューヨーク州の司法試験に挑戦している。誰も、そこに「皇室関係者特別優遇枠」があろうとは思わない。だから、実力をもってするその挑戦はすがすがしい。すがすがしさは、リスクと裏腹である。それに比較して、15歳の挑戦はすがすがしさに欠けるのだ。

 折も折、同日(2月16日)宮内庁は、秋篠宮家の長男のコンクール入選作文の一部が、「他の文献の表現と酷似していた」「引用元を明記せず、不十分だった」と明らかにした。このことについて、意地悪く「盗用」「剽窃」という報道も見受けられる。これは、15歳には厳しい指弾であろう。

 問題が指摘された作文は、昨年3月に北九州市主催の「第12回子どもノンフィクション文学賞」中学生の部で第2位の佳作に選ばれた「小笠原諸島を訪ねて」と題した旅行記、だという。選考委員だった那須正幹が「紀行文のお手本のような作品」と言っており、最相葉月も褒めているのだから出来はよいのだろう。だが、これも、「ほんとに自分で書いた?」「どこまで自分で書いた?」という疑惑に晒されることになった。

 この15歳、出自によって良質の教育を受ける機会に恵まれ、同時に出自によって国民からの厳しい疑惑の目に晒されることになった。意地の悪い監視圧力の脅威と言ってよい。皇族として生まれることは、実は辛いのだ。

 同じ日、同じ15歳が、北京で涙を流した。ドーピング問題の渦中にある、カミラ・ワリエワ。2か月前彼女の検体から検出された薬物は、禁止物質トリメタジジンだけでなく、禁止薬物には指定されていない「ハイポキセン」と「L―カルニチン」を含む、いずれも強心効果をもつ3種類の薬物であったという。

 反ドーピング機構は、「3種類を組み合わせた服用の利点として『持久力の向上、疲労の軽減、酸素の消費効率を高める』ようだ」と指摘しているという。複数の医師による「いずれも15歳が常用しないもの」「3種組み合わせで競技力向上につながる」とのコメントが報道されている。常識的には、ロシアのスポーツ界が、いまだにドーピングの悪弊を払拭し得ていないものと見られる。

 もちろん、秋篠宮家15歳の脱法合格も、ロシア選手15歳のドーピングも、飽くまで疑惑である。しかし、疑惑を招いたことに、いずれも無責ではない。本人も周囲も、敢えて瓜田に沓を入れ、李下に冠を正したことを重く受けとめなければならない。 付言すれば、ワリエワはこの立場から逃れる術をもっている。選手をやめて他の道を選択することは自由だ。この若さである、人生の再出発が十分に可能なのだ。それに比較して憐れむべきは秋篠宮家15歳である。彼には、当面この境遇から逃れる術が見出し難い。二人の姉とは立場が違うのだ。痛ましい悲劇というしかない。

産経の「主張」は、戦前の文部省と同じことを繰り返している。再びこれに騙されてはならない。

(2022年2月12日)
 「建国記念の日」にこだわりたい。昨日付の産経社説(「主張」)が、「建国記念の日 子供たちに意義を教えよ」というもの。この非論理、このバカバカしい論調が危険極まりない。陳腐なアナクロと看過するのではなく、批判や非難が必要である。「現在の滴る細流が、明日は抗しがたい奔流となりかねない」のだから。私も、子どもたちに語りかけてみよう。産経に騙されてはならないと。

 皆さん、誰もが自分の意見を言ってもよい社会です。この世にはいろんな意見が入り乱れています。ですから、とんでもない意見も堂々と述べられていることに気を付けなければなりません。自分の頭で考えて、納得できるものでことを選ばなくてはなりません。たとえば、産経のような大新聞の社説を読むときにも、とんでもないことが述べられているのではないかと批判の目を失ってはいけません。もちろん、私(澤藤)の意見についてもです。

 「辛(かのと)酉(とり)の年の1月1日、初代の神武天皇が大和の橿原宮で即位した。よってこの年を天皇の元(はじめ)の年となす―と、日本の建国の由来が、日本書紀に記されている。」

 ここには、「日本の建国の由来」が書かれていますが、二つのことに気を付けてください。一つは、「日本の建国の由来」が史実に基づくものではなく、神話をもとに語られていることです。そしてもう一つは、初代天皇の即位を「建国」としていることです。

 未開の時代にはそれぞれの部族がそれぞれの神話を作りあげましたが、文明が進歩するにつれて、考古学や歴史学に基づく客観的な史実を重視するようになりました。いまだに、国の成り立ちを神話に求めて「これこそ自国のプライドの源泉」とメルヘンを語ることは、独りよがりではありますが微笑ましいとも言えましょう。しかし、神話に基づいて「日本=天皇」と言いたくてならない産経のような主張には警戒を要します。悪徳商法の騙しに警戒しなければならないように、です。

 明治維新以来敗戦まで、日本は紛れもなく「天皇の国」でした。そこでは、天皇の天皇による天皇のための政治が行われ、天皇の命令として国民は軍隊に組織され、侵略戦争が行われました。また苛酷な植民地支配も行われたのです。「天皇の国」は、軍国国家、侵略国家でした。戦後の憲法は、その反省から出発しています。

 今、強調すべきは、天皇の支配する国であった日本を徹底して清算することで、「平和を望む国民が主権者の日本」の姿をき近隣諸国に見てもらうことではないでしょうか。戦争を起こした天皇(裕仁)はその責任を認めず、謝罪しないまま亡くなりました。いま、「日本=天皇」と繰り返すことは、とんでもない時代錯誤だと言わざるを得ません。

 「この日は今の暦の紀元前660年2月11日にあたり、現存する国々の中では世界最古の建国とされる。科学的根拠がないから必要ないという批判はあたらない。大切なのは、日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた積み重ねである。」

 「科学的根拠がないから必要ない」の意味上の主語は、「建国記念の日」のようです。しかし紀元節復活反対は、「建国記念の日は科学的根拠がないから必要ないという批判」をしているわけではありません。少なくも私は、「必要ない」ではなく、「有害だから認めない」と批判をしているのです。なぜ有害なのか、天皇という存在、天皇を戴くという制度が、諸悪の根源だと考えるからです。

 「日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた」は、大嘘だと思います。神武東征の物語とは架空のものにせよ、勝者が敗者を武力で制圧した物語です。勝者の物語だけが残りましたが、敗者の怨みの物語は消えていったのです。

 明治期にまったく新しく作られた近代天皇制は、暴力に支えられたものでした。大逆罪、不敬罪、治安警察法、治安維持法、国防保安法、新聞紙法、出版法…。天皇の権威を認めない者にはいくつもの弾圧法規による重罰が科せられました。正式な裁判を経ることなく、特高警察に虐殺された人も少なくありません。この史実に目を背けることは許されません。

 「建国神話を軍国主義と強引に結びつけた批判が一部に残っているのは残念である。日教組などの影響力が強い学校現場でも、建国の由来や意義はほとんど教えられていない。」

 「建国神話と軍国主義とは、故なく強引に結びつけられた」ものではありません。「日本書紀」には、神武天皇が大和橿原に都を定めたときの神勅に、「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」とあります。ここから「八紘一宇」(世界を、天皇を中心とする一つの家とする)というスローガンが生まれ、朝鮮・満州・蒙古・中国への侵略を正当化したのです。

正義凛(りん)たる 旗の下
明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は二千六百年
ああ弥栄(いやさか)の 日はのぼる

 国民は、これに乗せられました。今、同じことを安倍晋三や産経がやろうとしています。批判の精神が必要なのです。

 「中学校学習指導要領は「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」と定めている。国の成り立ちを知らなければ、真に国を愛せようか。」

 このような立場を歴史修正主義と言います。あるいは、「愛国史観」と言ってもよいでしょう。本来、大切なのは客観的・科学的に歴史的真実を見つめる姿勢です。ところが、産経の態度はそうではありません。まず、「国を愛する」ことが求められています。そのうえで、「国を愛する」立場から「国の成り立ち」を学べというのです。しかも、その国の成り立ちが、非科学的な架空のものであることは産経とても認めざるを得ません。要するに、史実も科学もどうでもよい。大事なのは、神話を信じて伝承することだ。そうすれば、子どもたちに、天皇制の素晴らしさを植え付けることができる、と言っているのです。

 「きょう、子供たちに日本の建国の由来と意義を教えよう。そして私たちに繁栄した祖国、ふるさとをバトンタッチしてくれた先人に感謝しよう。」

 産経新聞の立場は、基本的に戦前と変わらないものです。私はこう言うべきだと思います。「きょう、子供たちに、日本の建国の由来とされているものが、実は後の世の政治権力が捏造したまったくのウソであることをしっかりと教えよう。さらに、そのウソが国民を戦争に駆りたてるために利用された危険なものであることも教えなければならない。そして、天皇制政府の暴虐に抵抗して虐殺された先人を悼み、それでも抵抗を続けた人々を讃え感謝しよう。」

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