澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』」を読む

周知のとおり、日本国憲法は、1947年5月3日に施行された。その年の8月、文部省は新憲法の解説書をつくっている。よく知られている「あたらしい憲法のはなし」である。新制中学校1年生用社会科の教科書として発行されたもの。当時まだ教科書検定制度はなかった。

「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の15章からなるもの。《再軍備》《逆コース》が災いして、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなった。そういわれている。

ときに礼賛の対象とされてきた「あたらしい憲法のはなし」だが、今見直して、その内容は時代の制約を受けたものと言わざるを得ない。とりわけ、天皇に関する解説は、萎縮して何を言っているのかよく分からない。こんなものを戦後民主主義の申し子のごとく、褒めそやしてはならない。以下に、第5章『天皇陛下』の全文とその批判を掲記しておきたい。

五 天皇陛下
 こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。

 えっ? 「こんどの戰爭で、天皇陛下は、国民の皆様にたいへんごくろうをかけてしまいました」のお間違いではありませんか。天皇(裕仁)もその家族も苦労なんかしていませんよ。国民は、天皇が始めた戦争で、文字通り辛酸を嘗めたのです。「苦労しました」なんてものじゃない。徴兵され、あるいは徴用され、上官からのビンタを受け、戦地で死の恐怖に曝され、ジャングルの中で飢えに苦しみ、空襲で焼け出され、実に310万人もの死者を出したのです。天皇(裕仁)とその家族は、戦地へ行くことも死の恐怖に怯えることもなく、なによりも飢えていないじゃないですか。

 なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戰爭になったからです。

 「なぜならば」って、「なぜ、天皇が、こんどの戰爭でたいへんごくろうをなされたのか」という理由ですよね。そんなこと、わざわざ教科書に書くことじゃないでしょう。でも、「天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかった」だけは、多分正しい。たとえば、東条英樹に組閣を命じたのは、國民ぜんたいではなく、天皇(裕仁)自身だったのですからね。

 そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

「二度とこのようなことのないように」って、日本語の正確な読み方では、「二度と天皇陛下が、たいへんごくろうをなさるようなことのないように」ってこと。そんなことのために、憲法をこしらえたの? そんなふうに憲法をこしらえるために苦心したというの? ヘンなの。でも、「天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。」は、そのとおり。ここだけ、天皇に「陛下」が付いていませんね。これは偶然?

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

 こんな説明で分かるはずはありません。「天皇は『日本の國をあらわされるお方』」って言うんですか。それって何のことだか分かりません。ほんとうは、この文章を書いた人もさっぱり分かっていないんですね。天皇自身だって、なんだか分からない。だから、「はっきり知らなければなりません。」といわれても、「なんだか分かりません」としか言いようがない。分かったふりをする必要はありませんよね。
それぞれの学校にバッジがあり校旗があって、バッジを付けていたり校旗を掲揚していれば、どこの学校の生徒かがわかります。象徴の説明としてはよく分かりますね。でも、天皇って本当にバッジみたいなもんですか。校旗みたいなもんですか。アメリカにも、フランスにも、中国にも韓国にも、天皇はいません。なぜ戦後の日本に天皇がまだいるのか、本当に必要なのか、ここには何も書いてありません。書けないんですよね。なんだか得体が知れないけれど、否定しがたくともかく存在するもの。語るときには、敬語を使わなければならないもの。それが天皇ですね。天皇ってなんだ、と説明しなければならないので、憲法に書いてあるとおり、「象徴」と書き込んでみただけ。でも、本当にはなんの説明にもなっていない。そんなものですよね。

 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

この辺が、文部省の本音でしょうか。「一つにまとまっている」のが良いことだと考えているんですね。戦時中、日本の国民は「一億火の玉」となり、「一つにまとまって」侵略戦争に邁進しました。その「火の玉」の中心にいたのが天皇ですが、その反省はないのでしょうか。日本の国民を、もう一度天皇中心の「一億火の玉」にしたいのでしょうか。どうしてまた、あらためて日本國民ぜんたいがこんなにも危険な天皇を中心にまとまらなければならないというのでしょうか。

 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。

 おや、そうでしょうか。天皇制をなくそうという意見もあったはずです。多くの国民が天皇の名による戦争で苦しみ、10万もの人が、治安維持法によって天皇の警察に逮捕されひどい目に遭わされたのですから。けっして、「日本國民ぜんたい」の考えであったはずはないとおもいますが。

 天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

 これって、教科書の文章ですよね。とてもヘン。二つの文を結ぶ順接の接続詞「ですから」が理解不能です。前の文は「天皇は神でない」ということで、後の文は「天皇にごくろうのないようにしなければなりません」ということ。なぜ、「天皇は神でない」ということを理由ないし根拠として、「ですから、私たちは、天皇を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」と言えるのでしょうか。論理として成立し得ません。「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。」と言われたって、金輪際分かるはずがない。

非論理的で出来の悪い文章。当時の文部省のお役人は、こんな程度だったのでしょうかね。もしかしたら、結論が先に決まっていたのかも知れません。「ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」とまとめる必要があったのでしょうね。また、もしかしたら「ですから」って付けたのは、わざと子どもたちへの突っ込みどころをこしらえたのかも知れません。わざわざヘンな文章をこしらえて、子供たちに天皇の存在に対する疑問を醸成するよう深謀遠慮があったのかも。これも文部官僚による面従腹背の伝統だと思えば、当時の文部省のお役人の優秀さがよく分かります。

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 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時~ 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html
ぜひ、これをメールやツイッタ-で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。もちろん、メッセージを割愛して、ネット署名だけでも結構です。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
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財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月8日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)

10月30日韓国大法院(最高裁に相当する)の徴用工判決。原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。

この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、「真摯な理解を」というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。

昨日のブログは、時間の足りないなか急いで書いた。文章が練れていない生硬な読みにくさがあるし、判決の全体像を語ってもいない。あらためて、大法院広報官室の本判決に関する「報道資料」(日本語)にもとづいて、紹介記事の続編を書き足したい。

同事件において、被告側は「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」と抗弁した。この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か(上告理由第3)」を判決は核心的争点と位置づけている。

この核心的争点における原告の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。これは、論理としては分かり易いもので、昨日のブログで詳細に紹介したとおりである。
http://article9.jp/wordpress/?p=11369

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴の意見。いま、日本政府や産経などが主張しているとおりの判断。

残る3人の意見は、違ったものである。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「解決済み」ではあるが、解決の済みの意味は、国家間の問題としてだけのことで、国の国に対する権利は放棄されているものの、「個々の個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。実は、この見解、日本政府の見解と同じなのだ。多数意見と理由を異にするが、上告棄却で原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。日本政府も反対しようがないのだ。

「報道資料」は、この3裁判官意見をこう紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

 この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。

『請求権自体』とは異なる、『外交的保護権』という、一般にはなじみの薄い概念がキーワードとなっている。

『外交的保護権』(あるいは、「外交保護権」)とは、大法院の広報部の「報道資料」の表現によれば、

「自国民が外国で違法・不当な扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続きなどを通じて、外国政府を相手に自国民の保護や救済を求めることができる国際法上の権利」と解説されている。

法律学小辞典(有斐閣)を引用すれば、

「自国民が他国によってその身体や財産を侵害され損害を被った場合に、その者の本国が加害国に対して適切な救済を与えるよう要求すること。国家がもつこのような権利を外交保護権という。」

この裁判官3人の意見は、

「原告らの個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によってその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置により当該請求権が日本国内で消滅しても大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである。」ということ。

つまり、国家は自国民の特定の権利については、国民に代わって相手国に対して救済を求める国家自身としての権利をもつ。まさしく、徴用工の日本企業に対する請求権はそのようなもので、韓国が日本に対して「自国民である徴用工の権利について適切な救済を与えるよう」要求する国家としての権利をもっていた。この権利が外交保護権。しかし、65年請求権協定によってその「国家(韓国)の国家(日本)に対する権利」は消滅したのだ。しかし、「この国家間の協定によって、個人の権利が消滅させられたわけではない」というわけだ。

「報道資料」には、その理由としてこんな説明が付されている。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。よく引用されるのは、1991年8月27日参院予算委員会における、当時の柳井俊二外務省条約局長答弁。

大事なところだ。正確に引用しておこう。清水澄子委員の質問に対する、政府委員谷野作太郎アジア局長と柳井俊二外務省条約局長の各答弁。

○清水澄子 そこで、今おっしゃいましたように、政府間(日韓間)は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないこういう意味でございます。

極めて明瞭に、日韓請求権協定によって「最終かつ完全に解決し」「消滅した」のは、国家が有する外交保護権であって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないことが述べられている。だから、個人が国内法に基づいて訴訟提起することは、当然に可能ということになる。

1992年2月26日 衆議院外務委員会での柳井俊二外務省条約局長答弁は、さらに踏み込んでいる。質問者は土井たか子。さすがに切り込んだ質問をしている。

○柳井政府委員 … …
 しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

○土井委員 (あなたは、)るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、これは簡単に言えば、請求権放棄というのは、政府自身が持つ請求権を放棄する。政府が国民の持つ請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄する。このことであぅて、個人の持つ請求権について政府が勝手に処分することはできないということも片や言わなきやいけないでしょう、これは。今ここ(日韓請求権協定)で請求権として放棄しているのは、政府白身か持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。

○柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身か持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したかって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。
 ただ、先ほど若干長く答弁させていただきましたのは、もう緩り返しませんけれども、日韓の条約の場合には、それを受けて、国内法によって、国内法上の根拠のある請求権というものはそれは消滅させたということが若干ほかの条約の場合と違うということでございます。したがいまして、その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

同様の問題は、ソ連との間でも、中国との間でも起きている。
1991年3月26日参議院内閣委員会での、シベリア抑留者に対する質疑では、「条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか」という質問に対して、高島有終外務大臣官房審議官が、こう述べている。

私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることにはならない。このことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。

徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

また、政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2018年11月2日)

日本軍「慰安婦」問題の本質とは何なのか

ずいぶんと以前のこと。同世代の親しい弁護士との雑談のなかで、お互いの父親の出征体験が話題となった。私の父も彼の父も、招集されて大陸での従軍を経験している。

彼の父親が亡くなって遺品を整理したら詳細な従軍中の日記が出てきたという。生前は見せなかったその日記に、心ならずも慰安所に通っていたという記載があって衝撃を受けたという。そのことを話す彼は、辛そうだった。

私の父は絵を得意として、従軍中の日記は絵ばかりだった。ソ満国境の街角、四季の風景や人物画、野生動物の写生もあった。軍人が出て来るのは隊内での演芸大会の模様だけ。その日記からは戦争や軍隊の陰惨さは窺えなかった。今にして、日記に書けないことが多かったのだろうと思う。

「終戦後」に育ったわれわれの世代は、子どもの頃、大人たちが中国大陸や南方で、「悪いこと」「後ろめたいこと」をしてきたことをなんとなく知っていた。知っていたが、表だって話すことはなかった。しかも、なんとはなく、殺人やレイプや慰安所通いなどの、「悪いこと」「後ろめたいこと」をやったのは、「軍隊」「軍人」「皇軍」という抽象名詞の仕業だと思い込むところがあった。

ところが、突然「お前の父のやったことだ」と突きつけられると、うろたえざるを得ない。戦争の加害責任は、日本人の精神の奥底に暗く沈潜した澱のようなものだ。従軍慰安婦問題とはそのような質をもった、できれば話題から避けたい、触れたくない問題だった。

だが、現実は重い。歴史を変えることはできない。逃げることはできない。再び繰り返してはならない過去であればこそ、ありのままの事実を認識しなければならない。歴史を修正したり、美化することは再びの犯罪にほかならない。

「従軍慰安婦」と言うにせよ、日本軍「慰安婦」と言うにせよ。平時にはあり得ない無惨なことが戦地だからこそ起きる。そのような問題として、「加害も被害も、戦争さえなければ」という視点で語られてきたように思う。ところが、その視点はけっして確かなものではない。もっと、本質を掘り下げよとの指摘がある。

私の法律事務所の間近に、「文京区男女平等センター」がある。地元の市民運動が大いに利用している様子で結構なことだ。昨日(10月27日)、そこで「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」が学習会を開いた。

その学習会で配布された機関誌「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナールNEWS(第33号)」のヘッドラインが、「なぜ日本人「慰安婦」は名のり出られないか」だった。これに考えさせられている。

恥ずかしながら、そのような問題意識を持ったことがなく、虚を衝かれた思いが強い。なるほど、日本人「慰安婦」は多数いたはずだ。でも、「どうして名のり出られないか」と考えたことはなかった。改めて、「名のりたくても名のり出られないのだろうか」「名のり出るべきなのだろうか」「名のり出るべき環境を整えるべきなのだろうか」「私のような鈍感さが名のり出を妨げているのだろうか」。いろいろと、考え込まざるを得ない。

「後ろめたいこと」をやったのを「皇軍」の誰かであるというよりは、固有名詞をもった誰かであることを特定することによって、格段のリアリティが生じる。被害者も同じことだ。金学順さんの「名のり」は、まぎれもなく印象的で感動的な行為だった。歴史を動かした「名のり出」だった。日本人慰安婦も同様だろうか。

この「NEWS」は、第27回ゼミとして行われた大阪大学大学院の藤目ゆき教授講演の報告をトップに載せている。その演題が「なぜ日本人『慰安婦』は名のり出られないか」なのだ。

なぜ、日本人「慰安婦」は名のり出られないのか。講演によれば、「それは誰も名のり出ることを助けようとしないからだ」という。
内務省、外務省と軍が連携して設立した「慰安所」は、公娼制度の最たるもの。「当時は公娼制度があり合法、当たり前だった」という言説に、だからこそ日本人は「悪法が横行し人権が無視されていた過去」を国家の非と認め、被害者に賠償し、世界に現在の日本は過去とは違う」と表明すべきなのだという。「戦時」の「強制」であろうとなかろうと、性にまつわる搾取を厳しく断罪する立場のよう。「公娼制度に則ったものだから違法ではない」ではなくて、公娼制度とは国家ぐるみの悪だという。それはそのとおりだが、だから「被害者よ、名のり出でよ」となるのだろうか。考え込まざるを得ない。

同教授の講演要旨がA4・2枚の紙面に、細かい字でびっしり書き込まれている。その締めの一文が、「(最後に)希望」として、次のとおり、問題意識をまとめたものになっている。

  日本人「慰安婦」問題を「戦時下の特殊な状況の中で発生した特殊な問題」として切り取るのではなく、その前後左右にある「人々に対する国家暴カシステム」の中に位置づけ、過去(天皇制警察国家時代)を制度的にも理念・思想的にも清算すること。

 これまで私は、「慰安婦」問題を、まさしく「戦時下の特殊な状況の中で発生した特殊な問題」として考えてきた。「戦時下においてこそ、かくも理不尽な人権侵害が起こる。諸悪の根源としての戦争を起こしてはならない」という文脈である。それが、問題の本質を衝くものではない。もっと根源的な「人々に対する国家暴カシステム」としてとらえよ、というのだ。「公娼・日本軍「慰安婦」・占領車「慰安婦」」と連続的に考察する視点は説得的で、軽いカルチャーショックである。

このことに関連して、大森典子弁護士が、この「NEWS」に、以下の囲み記事を掲載している。

「#MeToo」運動と「慰安婦」問題

8月12日、「全学順さんから始まった#MeToo」と言う集会が聞かれました。1991年8月14日に金字順さんが初めてテレビカメラの前で被害を告白してから、「慰安婦」被害者のカムアウトが続き、「慰安婦」問題は一挙に大きな社会問題になりました。そこでこの日(8月14日を「慰安婦」メモリアルデーにしようという運動が数年前から世界で広がっています。
 今年、日本では、この記念日のイベントとして[#MeToo]運動と[慰安婦]問題を結びつけて考えようという集会が開かれました。
 日本人の「慰安婦」被害者が極く数名の方以外、名乗り出ていないことは、最近、改めて関心を集めています。川田文子さんはそうした日本人被害者との交流とその中で感じた日本社会の問題を語り、被害者の名乗り出を阻んでいる実情を語りました。
 また、角田由紀子弁護士は日本の法制度が性暴力被害者のカムアウトを困難にしていること、その背景にある女性への差別が社会の様々なところに現れていること、この構造を維持するために、言い換えれば男性優位社会を維持するために被害女性の闘いがつぶされようとしているのではないか、という問題提起をしました。
 改めて日本社会の差別の根の深さを考えさせられ、また、そうであるならなおのこと、あらゆる場面に現れている差別をなくさせる運動の重要性を考えさせられた集会でした。」

 すこし時間をかけて、指摘を受けとめ考えてみたい。
なお、「NEWS」の講演要旨は長文である。私の恣意によるものではあるが、下記に抜粋を引用させていただく。

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大阪大学大学院教授・藤目ゆき氏講演要旨抜粋
日本人「慰安婦」問題と公娼制
「慰安婦」問題と現在の女性への暴力

 キムハクスンさんのカミングアウトに、千田夏光さんの本で「従軍慰安婦」を歴史的事実として知っていたが、性暴力をうけることが恥辱とされている中で、被害をうけた女性がメディアに登場し怒りを全身全霊でアピールされる姿に感謝と敬愛を感じた。様々な抑圧の中でレイプなど性暴力をうけた女性たち、性売買の場にいた公娼、「慰安婦」などの日本女性は公的に告発しようにも証拠がない。キムハクスンさんたちの性被害の実態を満天下に認めさせる闘いは、名乗れずにいる日本人女性たちの解放に繋がり、励ましになると受け止めた。「慰安婦」の運動が日本の女性の解放運動と捉えたものにならなかったのは、問題だったと思う。

☆ 日本軍「慰安婦」制度の根底に公娼制度がある

 かって朝鮮民主主義共和国のハルモニから、「日本人は、私達がお金をもらったと言うが、日本人はお金をもらえば、自分の姉、妹、娘たちにそういうことをさせていいんですか」と、反語の意味で問われたが、日本人は平気でそれをやってきたのだ。公娼制度を作り、娘が売り稼ぐのが親孝行だという社会だったから、朝鮮や台湾、東南アジアなど外国の女性たちを、レイプできたのだ。
 日本人「慰安婦」は売春婦、公娼だったが、アジアの少女たちは無垢な乙女がレイプされ気の毒だったというような話ではないだろう。日本人女性たちは自国の階級支配や人権蹂躙そのもの、反民主的な天皇制国家の抑圧の下で奴隷にされ、自分が奴隷であるという自覚もなしに外国への侵略戦争に駆り出されていったみじめさを問題にせずにどうするのか?
 日本の公娼制度は「慰安婦」制度の歴史的な根底である。それを根底から批判し、日本がそもそも公娼制度を持っていた罪を罪としてしっかり認識するということにもっていかなければならないと思う。まともな謝罪、国家賠償をしないままで「慰安婦」を逝かせてしまう日本政府のやり方を許してきた日本の実態は何なのか?そのことに私は嘆きと憤りを筧える。

☆ なぜ日本人「慰安婦」が名乗り出られないのか?
  ~日本人「慰安婦」が不可視化された構図

 「ヘイト言説たる『慰安婦=公娼論』」VS「対抗言説としての『慰安婦≠公娼』論
 日本人「慰安婦」が名乗り出られない理由ははっきりしている。日本の力ある市民が誰も名乗り出てと呼びか けもしないし、それを助けようともしない。「慰安婦」にされた女性だちと闘う準備のある人々の力は弱かった。
 それには、キムハクスンさんの名乗り出以来の一貫したバッシング、ヘイトスピーチがある。国会議員、文化人、自治体首長などが「慰安婦」は売春婦だと平気で主張し、マスコミがそれを報道する。これに対抗して「売春婦じゃありません」「公娼制度とは違って引っ張ってきた」「わが民族の少女たちは商売と関係なしに監禁され銃剣で脅された」という議論のなかで、どういうべきか悩んで慎重に議論しようとしてきた。
 日本軍「慰安所」は内務省、外務省と車が連携して設立した公娼制度の最たるものだ。「慰安婦」はある意味最も典型的な公娼だ。吉見義明先生は「慰安婦」は公娼でないという意見だが。運動側がたてている公娼の違法か合法かの論理が、日本人「慰安婦」たちの不可視化を一層深くしたと指摘しておきたい。「『慰安婦』は当時は合法で当たり前だった」というヘイト言説に対して批判側が日本には戦前から公娼制廃止運動があった、当時の法律でも違法だったと強調する人がいる。しかし本当なら「悪法が横行し、人権無視が当たり前の時代と今は完全に追う」と言うべきだ。公娼制度を非として認め被害者に謝罪、賠償することが過去を清算する道ではないか。

☆ なぜ日本人「慰安婦」はカミングアウトしなかったのかーなぜRAAが政治問題にならなかったのか一日本社会に受け皿がない(カミングアウトを求める主体が脆弱)
①今日に続く「公娼」に対する「醜業婦」観
 日本社会には「公娼」・「売春婦」といえば最大級の侮蔑用語となる社会通念がある。国際社会での売春禁止の意味を真逆の意味に変えて、「売春の禁止」と[他人の売春からの搾取の禁止」を混同し女性の行為を醜業とみなし、それを犯罪とした。
②ナショナリズムによる支えが存在しない
 日本人「慰安婦」は「愛国心があったから、被害者性が薄いから名乗りでない」という意見は理解できない。
 戦時下では植民地の女性達にも皇国臣民たれということが押し付けられた。被女たちは戦後日本の支配からの解放で、愛国心の呪縛から解放され、民族的に悲劇を代表する人物としてナショナリズムによって同胞に支えられている。日本社会では、こんなことを言えばぽこぼこにされる。日本人女性たちは被害が軽いから名乗り出ないのではなく、被害の重さ、同胞によって蹂躙された加重的な抑圧がある。

☆ 戦前・戦中の支配層・戦犯が君臨してきた戦後日本社会と政治
 公娼・日本軍「慰安婦」・占領車「慰安婦」に対する搾取と暴力を主導してきた内務官僚(警察官僚)特に特高畑が一時的な公職追放のみで日本社会にすぐ復活している。このような戦後の支配構造に日本軍「慰安婦」問題が解決できなかった一番の理由があり、日本人「慰安婦」が名乗り出られない一番の理由があるのではないか。

(2018年10月28日)

日本国憲法は、敗戦を契機に不再戦の決意から生まれた。

本日(8月15日)は73回目の「敗戦の日」。私には、「終戦の日」でもさしたる違和感はない。韓国では「光復節」という祝日。北朝鮮では「祖国解放記念日」だそうだ。

政府の呼称に従えば、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。恒例の政府主催全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。全国から参集した遺族約5500人が、国内の戦争犠牲者310万人を悼んだ。軍人・軍属だけの戦死者だけでなく、民間人の犠牲者も対象にする追悼式だが、残念ながら加害責任についての問題意識はない。

「1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、『深い反省』や『哀悼の意』などを表明してきたが、安倍首相は第2次政権発足後、6年連続で加害責任に言及しなかった(朝日)」と報じられている。

日本国憲法は、まぎれもなく敗戦を契機に、再び戦争の惨禍を繰り返さぬ決意を以て制定された。あの戦争をどうかえりみるか、悲惨な戦争をもたらした戦前の体制の欠陥をどうみるか。戦争の惨禍の記憶から何をどう反省したのか。本日は、それを再確認すべき日である。戦没者追悼式は、それにふさわしいものであっただろうか。

安倍首相の式辞全文は以下のとおり。

 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

 苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと心よりお祈り申し上げます。

 今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。改めて衷心より敬意と感謝の念を捧げます。

 未だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも脳裡から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう全力を尽くしてまいります。

 戦後、我が国は平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。

 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を心よりお祈りし、式辞といたします。

幾つかの感想を述べておきたい。
天皇皇后には「ご臨席を仰ぎ」と最大限敬語を使い、主役であるはずの国民(遺族)については「ご列席を得て」。国民主権の今の世にこれでよいのか。言葉遣いに、もっと工夫があってしかるべきだろう。

首相式辞には、御霊(みたま)が4度出てくる。
「…亡くなった御霊(みたま)、いまその御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと心よりお祈り申し上げます」。まるで、靖国神社の祝詞ではないか。耳障りであるし、宗教色を払拭するよう、意識的な批判が必要だと思う。

「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。」は、具体性はともかく、まことにそのとおりだと思う。

この文章の内容にまったくふさわしからぬ人物が朗読していることが悲しい。この人には、「歴史と謙虚に向き合え」「あらゆる差別をなくせ」「格差と貧困をなくす政治を志せ」「近隣諸国との緊張を煽るな」「老にも幼きにも十分な福祉政策を」、そして「9条改憲の策謀をやめよ」と言わねばならない。

「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを私たちは片時たりとも忘れません。」は、常套句だが違和感を抑えることができない。戦死は、あるいは戦没は、はたして「尊い犠牲」だったのだろうか。圧倒的多数の戦死は、「強いられた、悲惨な死」であったはずではないか。遺族への慰めとなる美辞麗句を探して「強いられた、悲惨な死」を美化することで、この死をもたらした者の責任を糊塗する意図が透けて見えるように思える。

式典での天皇の追悼文は、以下のとおり。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

昨年に続いての、天皇の「深い反省」に注目せざるを得ない。「誰が」、「何を」「どのように」反省しているのか、である。
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願(う)」という文脈なのだから、「深い反省」は「過去を顧み」てのものである。しかも、その過去とは、「戦後の長きにわたる平和な歳月」に対比されるもので、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬ」切なる願いを伴うものでもある。

平和ならざる、戦争の惨禍が繰り返された、軍国主義・侵略主義が横行した野蛮な時代。天皇の命令で臣民が徴兵され、上官の命令は天皇の命令として「強いられた、悲惨な死」を余儀なくされた、その「過去を顧み」て、現天皇が「深い反省」と言っているのだ。

さて、当然のことながら、「深い反省」には「深い責任」がともなうことになる。この点が、「どのように」反省しているのかという問題である。この短い式辞では窺い知ることができない。現天皇にとっては最後の戦没者追悼式。これを知る機会は、もうなかろう。
(2018年8月15日)

真夏の真昼時、暑いさなかの平和を守ろうという熱いアピールです。

ご近所の皆様、ここ本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けています「本郷・湯島九条の会」です。私は近所に住む者で、憲法の理念を大切にし、人権を擁護する立場で、弁護士として仕事をしています。
真夏の真昼時、暑いさなかですが、平和を守ろう、憲法9条を大切にしようという訴えに、少しの時間耳をお貸しください。

73年前の今日、1945年8月14日午前10時に千代田区内某所で「特別御前会議」なる戦争指導者全員が参集した会議が開かれ、その席でポツダム宣言受諾を決定しました。そしてこの日、天皇(裕仁)の名で連合国(米・英・中・ソ)にその旨を通告し、法的には日中戦争・太平洋戦争が日本の無条件降伏で終了しました。調印式が9月2日横浜沖のミズーリ号上で行われたのは、ご存じのとおりです。既に、ムソリーニは虐殺され、ヒトラーは自殺して、イタリア・ドイツは敗北していましたから、最後の枢軸国日本の敗戦は、第2次大戦の終了でもありました。

そして、翌8月15日正午、天皇が読み上げた「大東亜戦争終結に関する詔書」の録音がNHKのラジオで放送されて、国民に敗戦を知らせました。国力を傾け尽くし、310万人の自国民死者と、2000万人にも及ぶ近隣諸国の犠牲者を出した末に、ようやくにして悲惨な侵略戦争は終わりました。

8月15日正午の天皇の放送は、1億国民からさまざまな思いで受けとられ、さまざまな記録が残されています。名古屋の武田徳三郎さんと志津さん夫妻の場合はこうでした。

夫妻の息子二人は、学徒動員で軍需工場に働いていましたが、名古屋の大空襲で、二人とも亡くなりました。夫妻は、必死になって、夜昼となく遺体を探しますが、ついに肉のカケラも服の端切れさえ見つからなかった。80キロあった徳三郎さんの体重は50キロまで減ったということです。「死のう」「いや、ワシらが死ねば、弔いをする者がなくなる」と思う日々が続いて、8月15日を迎えます―。

天皇陛下の玉音放送があった。「一億玉砕」とばかり信じていた。…だが、四球のラジオから流れる玉音は、ザァザァという雑音の中で無条件降伏を伝えた。…「そんなバカな! 手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ。陛下さま、ワシの息子らは、これで犬死になってしもうたがや―」徳三郎さんは泣き崩れた。(毎日新聞社編『名古屋大空襲』)

これを引用した近代史研究者の色川大吉は、1975年にこう書いています。
私はこの部分を天皇(註・裕仁)に読んでもらいたい思う。「手をあげてやめられる戦争なら、なぜもっと早くやめてくれなんだ!」 この悲痛な叫びは、ポツダム宣言の受諾をめぐって天皇制の存続を条件にグズグズ日を延ばしていたあいだにも、50万人以上の民衆を殺し、徳三郎さん夫妻のような、もはや永久に救われない運命を負った庶民を無数に生み出してしまったのである。

無数の悲劇を重ねて、長い長い戦争が終わりました。再び、この戦争の惨禍を繰り返してはならない。多くの人々の切実な思いが、平和憲法に結実しました。とりわけその9条が、再びの戦争を起こさないという国民の決意であり、近隣諸国への誓約でもあります。

大日本帝国憲法は戦争を当然の政策と考え、軍隊の組織編成や、国民を戦争に動員する手続を定めています。戦争を抑制しようという憲法ではなく、主権者である天皇の名による戦争を煽った憲法と言ってもよいと思います。きっぱりとこの好戦憲法は捨て去られ、平和憲法が採択されました。

日本国憲法は、戦争を放棄し戦力を保持しないことを憲法に明確に書き込みました。それだけではなく、この憲法には一切戦争や軍隊に関わる規定がありません。9条だけでなく、全条文が徹頭徹尾平和憲法なのです。戦争という政策の選択肢を持たない憲法。権力者が、武力の行使や戦争に訴えることのないよう歯止めを掛けている憲法。それこそが平和憲法なのです。

ところが、歴代の保守政権は、この憲法が嫌いなのです。とりわけ、安倍政権は憲法に従わなければならない立場にありながら、日本国憲法が大嫌い。中でも9条を変えたくて仕方がないのです。

彼が言う「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」とは、日本国憲法の総体を敵視するという宣言にほかなりません。「戦後」とは、1945年敗戦以前の「戦前」を否定して確認された普遍的な理念です。人権尊重であり、国民主権であり、議会制民主主義であり、なによりも平和を意味します。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断にほかなりません。安倍首相は、これを再否定して「戦前にあったはずの美しい日本」を取り戻そうというのです。

戦後73年、日本国憲法施行以来71年、国民は日本国憲法を護り抜いてきました。それは平和を守り抜くことでもありました。そうすることで、この憲法を自らの血肉としてきました。平和は、憲法の条文を護るだけでは実現できません。国民の意識や運動と一体になってはじめて、憲法の理念が現実のものとして生きてきます。平和憲法をその改悪のたくらみから護り抜き、これを活用することによって恒久の平和を大切にしたいと思います。

そのため、安倍9条改憲を阻止して、「戦後レジームからの脱却」などというふざけたスローガンを克服して行こうではありませんか。夏、8月、暑いさなかですが、そのような思いを新たにすべきとき。憲法9条と平和を大切にしようという訴えに、耳をお貸しいただき、ありがとうございました。
(2018年8月14日)

絵本『花ばぁば』が語る「戦争のおぞましさ」と「出版の不自由」

私の手許に、「花ばぁば」という絵本がある。やさしい筆使いのやわらかい絵。たくさんの花が描かれている。子どもたちに読んでもらおうという、紛れもない上質の絵本。しかし、内容はこの上なく重い。日本軍慰安婦だった一人の女性の人生を描いた作品。

絵と文は、クォン・ユンドク。1960年生まれで大家という年齢ではないが、「韓国絵本界の先駆者」と紹介される人。翻訳は桑畑優香。早稲田を出たあと、延世大学、ソウル大学で学んだ人だという。絵本にふさわしい、優しさあふれる文章になっている。

『花ばぁば』とは、元日本軍「慰安婦」だったシム・ダリヨンさんのこと。その辛い体験の証言をもとにストーリーが組み立てられている。晩年の彼女は、園芸セラピーを受け、押し花の作品作りを楽しみに過ごしていたという。

通常の絵本にはない、前書きとしての「著者からの言葉」がある。その冒頭の一文が、「戦争で被害を受け苦しんでいる、すべての女性たちにこの本を捧げます」というもの。重ねて後書きとして、Q&A形式の「読者のみなさんへ」がある。いずれもやや長い。著者のこの本の出版へのこだわりや思いの深さが痛いほど伝わってくる。

その中の一節にこうある。
「この本では、黄土色と『空っぽの服』を象徴として、私たちが『慰安婦問題』を見つめるときに注目すべきことに対する考え方を表現しています。旧日本軍の服の色である黄土色は帝国主義を、『空っぽの服』は人間の考え方と行動を規定し支配する制度や習慣、国家体制などをそれぞれ象徴しています」
「誰もがそのような服を着れば、自分でも気付かない行動をとる可能性があります。つまり、『私たちは、慰安婦問題の責任を一人ひとりの具体的な個人ではなく、彼らを指揮し煽動した国家と支配勢力に問うべきだ』という意味を込めているのです」

大いに異論があってしかるべき論争点だろうが、これがこの作品の中心テーマで、作家の視点には揺るぎがない。大日本帝国の責任、旧日本軍の責任、どの部隊の誰の責任と決めつけ特定してしまうと普遍性が薄れる。戦争一般に性暴力の原因があり、弱者に深刻な被害を強いるものという基本認識から、戦争そのものをなくそうという平和志向の思想。だから、最後は、こう締めくくられている。

「今も地球上のあちこちで絶えず戦争が起きています。花ばぁばが経験した痛みは、ベトナムでもボスニアでも繰り返されました。そして今、コンゴやイラクでも続いているのです。」

この本の刊行は、今年の4月29日の日付。「ころから」という小さな出版社から、「202名の(クラウドファンディングでの)支援で刊行されました」と記されている。が、この本が実は8年も前に日韓同時に出版されるはずだったことを知らなかった。このことは、日本社会の表現の自由の現状を雄弁に物語っているのだ。

以下は、東京新聞2018年6月20日の「『花ばぁば』が伝える戦争」というコラム。この間の事情を手際よくまとめている。

「東京・赤羽の小さな出版社「ころから」から出された絵本『花ばぁば』は、旧日本軍の慰安婦とされた韓国人のシム・ダリョンさんの証言に基づき、韓国の作家クォン・ユンドクさんが描いた物語だ。

日本が朝鮮半島を植民地としていたころのこと。突然連れ去られた少女は軍の施設に閉じ込められ、その部屋の前には兵隊たちが毎日列を作った…。水彩の絵の美しさが、軍隊の暴力性をより鮮烈に伝えるようだ。

2010年に韓国でオリジナル版が出版された後、日本での出版は、シムさんの証言が慰安所設置に関する公文書記録と一致しないという理由で見送られた。一度お蔵入りしたこの作品を日本で出そうと奔走したのは、絵本作家の田島征三さんら日本の有志だった。

実は私(記者)も05年、大邱(テグ)市にあったシムさんの自宅を訪ね、被害の体験を聞いたことがある。けれども連行された時期や場所など分からない点が多く、証言を記事にできなかった。彼女は『私は頭がおかしくなった。覚えていないんだ』と涙ぐみながら、日本からきた記者の私に語ろうとしたのに。あの日、私がするべきだったのは、『埋められない記憶』を問うことではなく、彼女が経験した痛みの重さにもっと心を寄せることだった。

シムさんは日本版の出版を待たず10年に83歳で他界したが、彼女が残した絵本は戦争の真実を静かに語り続ける。(佐藤直子)」

「マガジン9:http://maga9.jp/」には、「この人に聞きたい」シリーズで、クォン・ユンドクのインタビュー記事が掲載されている。今年の5月30日にアップされたもの。これは、衝撃的な内容。

クォン・ユンドクさんに聞いた:日本軍「慰安婦」にされた女性の物語 『花ばぁば』で伝えたかったこと

クォン 日本での版元からは最初、日本で出版するためにはここを変えてほしい、といって何度も修正依頼が来ました。受け入れられる点については修正しましたが、とても受け入れられない点もあって、それについては「できません」とお答えしたのです。

──たとえば、どんな点でしょうか。

クォン 『花ばぁば』では、慰安所の見取り図のような場面や、慰安所がつくられていた地域分布を示す場面なども出てくるのですが、こうした資料的な絵を入れず、もっと「一人の女性の人生」という観点からストーリーをつくれないか、と言われました。でも、私は単なるハルモニの個人史ではなく、その背景にある社会的な要素もあわせて描きたかった。そこは変えたくありませんでした。
また、もっとも受け入れがたかったのは、モデルを別のハルモニに変えてほしいと言われたことです。シム・ダリョンさんは慰安婦として連れて行かれた後、戦後にかけて記憶を失っている時期があるので、証言の確実性がないのではないか、というのです。シム・ダリョンさんのように無理矢理トラックに乗せられたケースではなく、「お金を稼げるよ」と騙されて連れて行かれたハルモニの証言をもとにしたほうが、普遍的な物語になるのではないかとも言われました。

でも、シム・ダリョンさんが記憶喪失になってしまったのは、慰安婦にされて性暴力を受けたことや、戦後に韓国で差別を受けたことの結果であって、そのこと自体が重要な「記憶」です。それを証言として信用できないということには、まったく納得が行きませんでした。私はシム・ダリョンさんだから描きたいと思ったのだし、出版社が「こういうおばあさんの話を描いてほしい」というのなら、それを描いてくれる作家を別に探せばいいじゃないか、という話ですよね。
最終的には、「他のハルモニの話に変えないのならうちの出版社からは出せません」という返事でした。

──それが本当の理由というよりは、慰安婦問題というセンシティブな問題を扱った絵本を出したくなかったのかもしれないという気がします。特に、ここ数年の日本では、「慰安婦」という言葉を出すだけで一部の層からひどいバッシングを受けるという傾向がありますし、「シム・ダリョンさんの証言に問題があるから出さない」ではなく、「日本社会に問題があるから出せない」だったのではないでしょうか。

クォン 本当にそうです。その「日本社会の問題」を、「ハルモニの問題」にすり替えて断りの理由にされたことが本当に悲しくて。そのときにはもう亡くなられていたシム・ダリョンさんに対しても、申し訳ない思いでいっぱいでした。被害者が自分の受けた被害の話をするというのは、本当に苦しくてつらいことなのに、それを否定されたわけですから……。私だけでなく、「平和絵本」シリーズにかかわっていた作家たちはみんな、大きなショックを受けていました。

──しかし、田島征三さん、浜田桂子さんら日本の絵本作家の奔走もあって、2018年に別の出版社からの刊行が決まります。資金集めのためのクラウドファンディングでは、当初の目標額だった95万円がわずか4日間で集まったそうですね。

クォン 2000年の女性戦犯法廷の話などを聞いて、日本には慰安婦の存在を否定したい勢力もいるけれど、それをきちんと検証して知らせようとしている人たちも大勢いるんだということを知りました。日本での出版前から、韓国語版を自分たちで翻訳して読書会を開いてくれているグループもありましたし、そうした人たちが支援してくれたのではないかと思っています。

さらに本日(6月24日)、友人の勧めで詳細に事情を語るドキュメントDVD「わたしの描きたいこと」を観た。日本語版は、本年5月25日発売。93分が短かった。

惹句では、「絵本『花ばぁば』(クォン・ユンドク絵/文)が出来上がるまでを描くドキュメンタリー映画。韓国を代表する絵本作家クォン・ユンドク(権倫徳)が、日本軍「慰安婦」の証言をテーマに絵本創作に取りかかる2007年から、予定されていた日本語版刊行が無期限延期となる2012年までを描く。クォン・ヒョ監督は、作家性と出版の軋轢を、ノーナレ(ナレーションなし)で見事に描きだす。」という。なるほど、まったくそのとおりだ。

日本で出版を予定し、最終的に断念したのは「童心社」である。松谷みよ子と関係の深かった児童書の大手。良心的な出版社である。その童心社が恐れたのは、日本社会のありかたを象徴する「右翼」の攻撃。できるものなら出版したいが、「今の情勢では、このままでの出版はできない」という。

幾つかの点での妥協を覚悟して修正作業に取りかかった作家に、日本から「今、日本社会の事態はより悪くなっている。修正しても出版は難しい」との最終の連絡がはいる。本来日韓同時出版の予定だった「花ばぁば」は、韓国ではシム・ダリョン生前に出版して好評を博したが、日本での出版はできないという結論でこのドキュメントは終わる。

なるほど、日本社会とはこんなものなのだ。日本とは、右翼の跳梁する恐るべき国、民主主義や人権の後進国と見られてやむを得ないのだ。世界の報道の自由度ランキングでは、16年72位、17年72位と続いて、今年(2018年)は68位だが、本当だろうか。アベ政権のもと、右翼の跳梁やヘイトスピーチが、おさまる気配は見えない。

「花ばぁば」は、その内容において戦争のおぞましさを語っているが、はからずもその出版を通じて日本の出版の自由の制約や右翼の跳梁の実態、民主主義や人権のありかたについても語るものとなった。
(2018年6月24日)

アベ政権よ、北朝鮮との相互信頼のチャンスを逃がしてはならない。

「我が国を巡る安全保障環境が大きく変化している」「時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要」「新たな時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要がある」と、アベ内閣が一犬として虚を吠え、右翼の万犬がこれを実として伝えてきた。

北朝鮮が危険だから、福祉も年金も削って防衛費にまわさねばならない。オスプレイもイージス艦も買わねばならない。思いやり予算も積み増ししなければならない。すべては、北朝鮮脅威論が出発点だった。

昨年(2017年)10月アベ内閣が仕掛けた総選挙は、「国難選挙」とのネーミングで、悪評にまみれたアベ与党が現状維持に成功した。今にもミサイルが飛んでくるかもという演出が功を奏してのことだ。アベにしてみれば、「国難万歳」であり、「金正恩には足を向けて寝ることはできない」のだ。

国防ファースト派が信仰してきた「我が国を巡る安全保障環境の激変」は、4月の南北首脳会談、6月12日の米朝共同宣言を経て、いま誰の目にも平和へのベクトルで語られる事態となっている。危険だから防衛費の増額だ、武器購入だという動きは、まずはストップしなければならない。そして、平和構築のために、大幅な防衛費削減、高価な武器購入の中止に舵を切り直すべきが当然ではないか。

「我が国を巡る安全保障環境が大きく緊張緩和の方向に変化した以上、その時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要である」「朝鮮半島の非核化が今や現実的な課題とされている緊張緩和の時代状況において、これに適合した平和的北東アジアの国際環境を再構築しなければならない」のだ。

ところがどうだ。アベ政権は、「国際間の緊張あるから軍備増強だ」と言い、「緊張が緩和したからといって方針転換してはならない。やっぱり軍備増強だ」という。一貫しての軍備増強路線、これはいったい何なのだ。

「戦争に備えて常備軍があるというのは大きな錯覚。本当のところは、軍隊のために戦争の危機が作られるのだ」「軍備の増強は自己目的化している。自ら軍事緊張を作り出しても軍備の増強は目論まれるものなのだ」

いま、『国難』に備えて必要とされたイージス・アショア(地上配備のミサイル迎撃システム)の配備が、現地からの反発を受けて難航している。地元には迷惑この上ない。配備の必要なければ欺されたことになるし、万が一の場合は、「敵国」からの最初の攻撃目標となるのだから。

本日(6月22日)、小野寺防衛大臣は「イージス・アショア」の配備候補地とされている山口県と秋田県を訪れ、知事らに配備の必要性を説明したという。ということは、わざわざ出向かざるを得ないほどに現地の反発が強いということなのだ。

報道では、秋田県の佐竹敬久知事は「イージス・アショア」の陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備に関連して、昨日(6月21日)県庁内で記者団に、政府の防衛政策を、「ちぐはぐでデリカシーがない。強引で不愉快だ」と批判している。相当なものだ。

秋田市への配備に対しては住民の反対が根強い。17日に秋田市役所で開かれた防衛省による住民説明会では、「住民の理解が得られていないのに、設置ありきで話が進んでいる」「テロの標的になりかねない」といった批判や不安の声があがった、という(産経)。

また、19日夜山口県萩市の中心部で開かれた住民説明会ではこんな意見も出たという。
「イージス・アショアは必要ありません。1910年に日本は韓国を植民地化し、何万人を強制動員した。拉致問題など比べものにならない…(中略)北朝鮮よりも米軍の方が迷惑だ。最近は歴史を逆に走っているような気がしております」

「言葉遊びはやめましょう。これはミサイル基地だ。敵対的な基地の拡大の前に、日米地位協定の廃止を働きかけ、北朝鮮と平和条約を結ぶべきだ。政府は、戦争を阻止する意思がない!」

このような地元の声に対する小野寺防衛の説明は従前の通り。

「現時点で、例えば北朝鮮はすでに数百発の弾道ミサイル、日本に届くものをすでに配備していると承知しているし、また、核の具体的な放棄に向けた動きが起きているわけでもない。私どもは脅威は変わっていないとの認識を持っている」

これでは新事態への対応の観点がなく説得力をもたない。確実に、北は変わっているのだ。アメリカも韓国も、北の変化を前提とした外交に踏み出している。日本だけが旧態依然、北の変化に対応できていないのだ。このままでは確実に取り残されることになる。

せっかくの相互信頼の好循環を築く好機である。これを逃すと、わが国は「好戦国」のレッテルを貼られて、北東アジアの平和環境の癌と見なされることになりかねない。

アベにできなければ、取り替えるしかない。日本国民のために、北東アジアの平和のために。
(2018年6月22日)

「相手選手を潰してこい」は皇軍における上官の命令だ

日大アメフト部の選手が、関学との定期試合において、相手チームの中心選手に傷害行為に及んだ。これは、「不祥事」ではない。「体質露呈事件」と言うべきだろう。日大アメフト部の体質の問題にとどまらない。学生スポーツとは何なのだ。いや、そもそも人はなぜスポーツをするのか。スポーツとは、本来美しいものなのか。いったい、憧れたり持ち上げたりするに足りるものなのか。大金を投じて、オリンピックなどやるに値することなのか。広く深く、そして暗い問題の一端を垣間見た思いである。

既視感が二つある。一つは、アベ政権の忖度文化だ。森友問題でも加計学園問題でも、総理自らは特別の便宜をはかるよう指示したことを頑強に否定している。しかし、総理の意を忖度した官僚たちによる忠義立ては明らかになっている。総理のお友達への便宜をはかって、総理の行政私物化実現に邁進した官僚たちの情けなさ。日大アメフト部事件も、これによく似ている。

戦前の天皇制もそうだった。天皇はけっして自ら命令を下さない。しかし、東条をはじめとする群臣は、例外なく天皇(裕仁)の意向を忖度して、オオミココロに沿ったのだ。そうしてこそ、天皇の意思を実現しながらも、天皇の法的政治的責任を免じることができたのだ。

もう一つの既視感。この選手の傷害行為は、監督とコーチの強い示唆で行われたという。コーチは監督の意を受けて、選手に敵愾心を煽り、闘争心の欠如をなじり、「試合に出たければ相手チームのQBを潰してこい」と言ったという。また、「関学の選手がけがをすれば秋の試合で有利になる」とまでも。これは、敵に対する皇軍のありかたと何とそっくりではないか。

監督は将校、コーチは下士官、そして選手は一兵卒である。将校の意を体して下士官は兵に命じる。「民間人をスパイ容疑者として殺せ」「捕虜になった敵兵を切れ」「縛られた敵を殺せ」と。上官の命令はヘイカの命令だとする強要なのだから、いささかでも兵が躊躇すれば制裁が待っている。大和魂がないとなじられる。「私は貝になりたい」の世界だ。こうして、凡庸な悪によって限りない残虐行為が繰り広げられた。

今回の事件が大きな反響を呼んでいるのは、上記二つの既視感による。とりわけ、日本人の精神構造が実のところ敗戦以前とすこしも変わってはいないのではという漠然たる不安からなのだろう。

私は、とりわけ傷害の実行犯となった凡庸な若者に注目する。この若者は、われわれ日本人の平均的な精神構造の持ち主ではないか。それなりの常識も倫理観も備えている。正義観もあるに違いない。しかし、主体性がない。上から命じられ、「闘争心が欠けている」「このままでは試合に出してやらない」と言われると、断れない。その気になって、躊躇なく相手選手の背後から突進してぶつかっていく。その従順な姿勢が、かつての皇軍の兵士像と重なるのだ。

その意識構造は、朝鮮で、中国で、南方で、暴威を振るった皇軍兵士と変わらない。彼ら、その時代の平均的日本人が、平時暴力的であったはずはない。むしろ、多くは温厚で腰が低く、礼儀正しい市井の人々だったはず。しかし、上からの命令によって、いとも容易に凡庸な悪事が重ねられたのだ。

我々は、このことをつきつめて反省してこなかった。天皇の戦争責任を曖昧にした我々は、天皇の対極にある下々の責任をも曖昧にした。個々の兵士の平時なら犯罪となる残虐行為の責任を、お互いのこととして許し合ったのだ。英霊として奉られさえもした。関東大震災のあとの自警団員が朝鮮人を大量虐殺して、日本人同士ではその罪をお互いに許し合ったごとくにである。

それゆえ、凡庸な悪は無反省に今の社会に生き残った。今の日本の若者が戦場に行けば、かつての皇軍兵士と同じ蛮行を繰り返すに違いない。戦場に行かずとも、そそのかされば、ヘイトスピーチもヘイトクライムにも走ることになるだろう。

日大アメフト部の愚かで従順なこの選手や、財務省の愚かで従順な官僚こそ、実は他人事ではない今の我々自身の姿ではないか。

日大のこの選手には次の言葉を耳に入れておきたい。

  あとの後悔する前に 思いとどまれ さきの忖度

(2018年5月26日)

「板門店宣言」に、あらためて憲法9条を噛みしめる

先月(18年3月)韓国訪問の印象が強く、南北首脳会談の成り行きには期待をもって注目していた。その期待は裏切られず、本日(2018年4月27日)は歴史的な日となった。今日の日が、軍事緊張から平和へ、北東アジア国際情勢転換の記念日として、後日長く記憶されることを願う。

南の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と、北の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長。最初は多少の硬さもあったようだが、打ち解けて和やかな笑みがこぼれる会談となった。その演出はみごとで、両国の平和と統一への熱意を世界にアピールするものとなった。

あらためて思う。同じ民族の南と北が、何ゆえ骨肉相食むの悲劇に陥ったのだろうか。犠牲者500万と言われる朝鮮戦争は、いったいなんのための殺戮だったのか。本日の両首脳の笑顔を見ていると、過去の歴史が信じがたい。

いいや、「過去」のことだけではない。ヒステリックに、Jアラートで北への警戒を叫んでいたのは、つい先日のことではないか。現実は、願望をはるかに超えた。夢想だったことが、実現しつつある。

また、あらためて日本国憲法9条とその精神を述べた前文とを噛みしめる。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

相手国に対する不信は、自国に対する不信となって返ってくる。憎悪は憎悪を生むばかり。自衛の名による軍備も、互いに相手国の軍備を凌駕しようとして軍拡競争に陥ることになる。これを断ち切るのが、9条の精神ではないか。「平和を愛する諸国民の公正と信義への信頼」こそが平和の根源なのだ。南北の宥和が進展しつつある今、9条改憲などとんでもないことではないか。

本日の会談後両首脳は「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」に署名した。「平和」と「繁栄」と、そして「統一」の文字がまぶしい。

朝鮮半島の「完全な非核化」という目標だけでなく、直通電話での話し合いの継続や、5月1日からの軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布の停止など、具体的な事項も折り込まれている。今秋、文氏が平壌を訪問することも。

最も関心を集めた「非核化」について、「南北は完全な非核化を通じて、核のない韓(朝鮮)半島を実現するという共同の目標を確認した」「南北は半島の非核化のため、国際社会の支持と協力のため、それぞれ努力していく」と明記している。

ところで、恒久的な平和の構築に向けて、「南と北は停戦協定締結65年になる今年、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制構築のための『南・北・米3者』または『南・北・米・中4者』会談の開催を積極的に推進していく。」としている。けっこうなことだが、どうやら日本の出る幕はなさそうなのが、気にかかる。

ここは、南・北両国に積極的な外交的接触が必要な局面ではないか。そのときには、憲法9条を持つ国として、平和外交を押し進めていただきたい。9条改憲にこだわる政権では、なんとも権威に乏しいと嘆かざるを得ない。

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「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」

大韓民国の文在寅大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩国務委員長は、平和と繁栄、統一を念願とする全同胞の一致した志向を込めて、朝鮮半島の歴史的な転換が起こっている重要な時期に、2018年4月27日に板門店・平和の家で、南北首脳会談を行った。

両首脳は、朝鮮半島ではもはや戦争は起きず、新しい平和の時代の到来たことを8000万わが同胞と全世界に厳粛に闡明した。

両首脳は、冷戦の産物である長い分断と対決を一日も早く終息させ、民族の和解と平和、繁栄の新時代を果敢に作り出しながら、南北関係をより積極的に改善し発展させていかなければならないという確固たる意志を込めて、歴史の地、板門店で次のように宣言した。

1.南と北は南北関係の全面的で、画期的な改善と発展を遂げることにより、分断された民族の血脈をつなぎ、共同の繁栄と自主統一の未来を早めていく。

南北関係を改善し発展させることは、全同胞の一様な望みであり、これ以上、先送りできない時代の差し迫った要求である。

(1)南と北は、わが民族の運命はわれわれ自身が決定するという民族自主の原則を確認し、既に採択された南北宣言とすべての合意を徹底的に履行することにより、関係改善と発展の転換的局面を開いていくことにした。

(2)南と北は高位級会談をはじめとする各分野の対話と交渉を早期に開催し、首脳会談で合意された問題を実践するための積極的な対策を立てていくことにした。

(3)南と北は当局間協議を緊密に行い、民間交流と協力を円滑に確保するために、双方の当局者が常駐する南北共同連絡事務所を開城(ケソン)地域に設置することにした。

(4)南と北は民族の和解と団結の雰囲気を盛り上げていくために、各界各層の多様な協力と交流往来と接触を活性化することにした。

内においては6.15をはじめ、南と北の双方において意義ある日を契機に、当局と国会、政党、地方自治団体、民間団体など各界各層が参加する民族共同行事を積極的に推進して和解と協力の雰囲気を盛り上げながら、外においては2018年のアジア競技大会をはじめとする国際競技に共同で進出し、民族の英知と才能、団結した姿を全世界に誇示することにした。

(5)南と北は民族分断により発生した人道的問題を早急に解決するために努力し、南北赤十字会談を開催し、離散家族・親戚の再会をはじめとする諸問題を協議解決していくことにした。

当面、来たる8.15を契機に離散家族・親戚の再会を進めることにした。

(6)南と北は民族経済の均衡ある発展と共同の繁栄を達成するために、10.4宣言で合意された事業を積極的に推進して行き、一次的に東海線および京義線鉄道と道路を接続して近代化し、活用するための実践的な対策を取っていくことにした。

2.南北は、朝鮮半島で尖鋭な軍事的緊張状態を緩和し、戦争の危険を実質的に解消するために共同で努力してゆくものである。

(1)南と北は、地上と海上、空中をはじめとするすべての領域で軍事的緊張と対立のもととなる相手に対する一切の敵対行為を全面停止することにした。

当面、5月1日から軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布をはじめとするすべての敵対行為を停止し、その手段を撤廃し、今後の非武装地帯を実質的な平和地帯にしていくことにした。

(2)南と北は黄海の北方限界線一帯を平和水域とし、偶発的な軍事的衝突を防止し、安全な漁労活動を確保するための実際的な対策を立てていくことにした。

(3)南と北は、相互協力と交流、往来と接触が活性化されることによるさまざまな軍事的保障対策を取ることにした。

南と北は双方の間に提起された軍事的問題を遅滞なく協議解決するために、国防相会談をはじめとする軍事当局者会談を頻繁に開催し、5月中にまず、将官級軍事会談を開くことにした。

3.南と北は朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制の構築のために積極的に協力していく。

朝鮮半島で非正常な停戦状態を終息させ、しっかりとした平和体制を樹立することは、これ以上先送りできない歴史的課題である。

(1)南と北は、いかなる形態の武力も互いに使用しないことについての不可侵合意を再確認し、遵守していくことにした。

(2)南と北は軍事的緊張が解消され、互いの軍事的信頼が実質的に構築されるのに従って、段階的に軍縮を実現していくことした。

(3)南と北は停戦協定締結65年になる今年、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制構築のための南・北・米3者または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進していく。

(4)南と北は、完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。

南と北は、北側がとっている主動的な措置が朝鮮半島の非核化のために非常に意義あり、大きい措置だという認識を共にして、今後それぞれ、自己の責任と役割を果たすことにした。

南と北は、朝鮮半島の非核化のための国際社会の支持と協力を得るために積極的に努力することにした。

両首脳は、定期的な協議と直通電話を通じて、民族の重大事を頻繁かつ真剣に議論して信頼を強固にし、南北関係の持続的な発展と朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた良い流れをさらに拡大していくため共に努力することにした。

当面して文在寅大統領は、今年の秋に平壌を訪問することにした。

2018年4月27日

板門店
大韓民国大統領           文在寅
朝鮮民主人民共和国国務委員会委員長 金正恩

  (デイリーNKジャパン編集部訳)
(2018年4月27日)

「あやめた母と妹 遺言の九条守る」 ー辛い 12歳の戦争体験

戦争は絶対にごめんだ。戦争とは理不尽な暴力であり、陰惨な殺し合いだ。恐怖であり、別離であり、飢餓であり、絶望であり、人間性否定の極致でしかない。戦争は醜悪で悲惨だ。雄々しくも、格好良くもない。戦争こそは、最大の愚行であり、不幸の集大成である。戦争を起こした者、戦争を利して財をなした者を徹底して糺弾しなければならない。そして、戦争の惨禍の被害者は社会全体が救済しなければならない。それが、文明社会のせめてもの責務ではないか。

戦争の惨状は、この世の地獄と語られてきた。しかし、地獄絵図を語ることができるのは、好運な生存者である。地獄のまっただ中に放り込まれて生還できなかった最も悲惨な犠牲者は、地獄のありさまを語り伝えることができない。

辛くも生き延びた者も、地獄の惨状など思い出したくもないだろう。語ることは苦痛だろう。ましてや、生死を分けた地獄の入り口で、死者に後ろめたさをもっている生還者が口を閉ざすのも当然ではないか。

そのような「地獄」として語られてきたのは、レイテであり、ミンダナオであり、ガダルカナル、インパール、ニューギニア、硫黄島…。あるいは、731部隊であり、南京事件である。そして、東京大空襲、沖縄、広島、長崎等々であった。さらに、戦後の満州逃避行やシベリア抑留も…。けっして、戦場だけが地獄ではなく、民間人の生活の場も地獄になった。

その「地獄」についての多くの記憶が語られぬままに墓場に埋められた。戦争という地獄についての語られた惨状は、氷山の一角でしかない。黙していた人が、自らの体験を明らかにする決意をすることがある。まことに貴重なことだが、どうして沈黙を破る決意に至ったか。そこを知りたいものと思う。

昨日(4月21日)の東京新聞・朝刊21面「あの人に迫る」は、「あやめた母と妹 遺言の九条守る」の大きな見出し。望月衣塑子のインタビューに、「戦争の語り部」という村上敏明(83歳)さんが語る、鬼気迫る戦争体験。

この人は、小学校5年生(11歳)のときに満州の四平で終戦を迎えている。翌年引き上げ前に「母と妹を自らの手であやめた」という体験をもつ。引き上げの旅に足手まといとなる病弱者や衰弱者は殺害せざるを得なかった。医師が毒薬を処方して、12歳の彼がスプーンで飲ませたという。これは、文字通りの生き地獄だ。

このつらい体験は、口にしたくはないところ。事実、彼は60年余も沈黙を続けた。その長い沈黙のあとに、この人が「戦争の語り部」となった。8年前、76歳でのことだという。

望月記者は、こう解説している。

「愛する母や妹をあやめたことへの罪の意識を背負い、長い沈黙を続けたが、政治の進む方向に危機感を募らせ『今こそ言わねば』と、2010年に「四平小学校同窓会記念誌」で満州での自らの体験を記し、それ以降、積極的に語るようになった。不思議と毎晩見ていた悪夢を見なくなったという。」

どうも、これだけでは、沈黙を破った心境の変化の原因がよく分からない。

それはともかく、長いインタビューの最後に、髙橋さんは、こう語っている。

「芙美子(妹)や母は、なぜ私に殺され、死なねばならなかったのか。戦争という不条理がそれを肯定した。戦争に正義などない、あるのは不条理と戦争から生まれる癒えることのない、憎しみと悲しみの連鎖だけだ。」

「戦争しない国を掲げた憲法9条は、母と芙美子が私に残してくれた遺言だ。戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。社会の分断を食い止め、戦争への道を止めるため、いまやれることをやらねば。」

同じ紙面に、「あなたに伝えたい」という欄があり、村上さんの読者への言葉をこう伝えている。

「戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。」

この人が言えば、なるほどそのとおりだ。安倍晋三とその取り巻きのことだ。

そして、「インタビューを終えて」という望月記者の解説と感想がある。
「『戦争は絶対だめ』と繰り返し、太い眉の下のつぶらな瞳の奥に揺るぎない意志が見え隠れするようで圧倒された。」「村上さんの心のバトンを私たちが引き継いでいかなければ。」と締めくくられている。

あらためて、戦争体験の記録を重要と思う。そして、戦争体験を風化させない努力継続の必要性を痛感する。

なお、このインタビュー記事は、ネットでも全文を読むことができる。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018042002000247.html
(2018年4月22日)

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