澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

60年前の伊達判決に、独立した裁判官像の原型を見る。

60年前の今日、1960年1月19日に「新」日米安保条約が調印された。この条約批准に反対する国民的大運動が「安保闘争」である。高揚した国民運動に岸信介政権と自民党は議会の数の力で対抗した。

5月19日衆議院での会期延長強行採決が国民に大きな衝撃を与え、翌20日衆院での条約批准の単独採決が火に油を注いだ。対米従属拒否の安保闘争は、議会制民主主義擁護の運動ともなった。同年6月が、「安保の季節」となって、全国の津々浦々に「アンポ・ハンタイ」「キシヲ・タオセ」の声がこだました。参院での議決ないままの6月19日自然承認で新安保条約成立となったが、国民的なひろがりをもった大運動が遺したものは大きかった。私は、安保後の世代として学生生活を送り、学生運動や労働運動の熱冷めやらぬ70年代初頭に弁護士となった。

よく知られているとおり、60年安保闘争には、その前哨戦として砂川基地建設反対闘争があり、裁判闘争としての砂川刑特法刑事事件があった。59年12月の最高裁砂川大法廷判決が、安保条約を合憲として在日米軍駐留を認め、同時に司法のあり方についての基本枠組みを決めることにもなった。

砂川大法廷判決と、この判決を支えた司法の枠組みは、日本の対米従属という政治的な基本構造の憲法解釈と司法のありかたへの反映である。そのような事情から、政治的基本構造における「安保後60年」は、安保が憲法を凌駕する「二つの法体系」の60年でもあり、「日本型司法消極主義」の60年ともなった。

言うまでもなく、主権国家の憲法は、最高法規として一国の法体系の頂点に位置する。敗戦以来占領下にあった日本は、1952年4月28日の独立をもって主権を回復した。これに伴い、日本国憲法は、施行後5年を経て占領軍政の軛から脱して最高法規となった。しかし、日本国憲法の最高法規性は形だけのものに過ぎなかった。そのことを深く自覚させられたのが、砂川事件における最高裁大法廷判決であった。

「憲法 ― 法律 ― 命令 ― 具体的処分」という憲法を頂点とする法体系のヒエラルヒーに対峙して、「安保条約 ― 行政協定(現・地位協定) ― 特別法」という矛盾する別系統の安保法体系があって、この両者が激しく拮抗しており、事実上安保法体系は憲法体系を凌駕し、あるいは侵蝕していると認識せざるを得ない。これが、主唱者長谷川正安の名とともに知られた「二つの法体系論」である。

この二つの法体系論は、砂川基地反対闘争におけるデモ隊の米軍基地への立ち入りを、「刑事特別法」(「日米安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法」)違反として起訴したことによって、あぶり出された。

砂川闘争は北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張反対を巡っての平和運動である。闘争のバックボーンには、憲法9条の平和主義があった。再び、あの戦争の惨禍を繰り返してはならない。そのためには、軍事力の有効性も存在も否定しなくてはならない。日本国憲法が日本の戦力を保持しないとしながら、軍事超大国アメリカの軍隊の駐留を認めるはずはなく、その軍事基地の拡張などあってはならない。これが当時の国民的常識であったろう。

57年7月8日、東京調達局が基地拡張のための測量を強行した際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入った。このことをとらえて、デモ隊のうちの7名が刑事特別法違反として起訴された。

こうなれば、当然に刑特法の有効性が争われることになる。行政協定(現・地位協定)と安保条約そのものの違憲性も問われることになる。それを承知での強気の起訴だった。徹底した平和主義を理念とし、戦力を持たないと宣言した9条をもつ日本に、安保条約に基づく米軍が存在している。誰の目にも、違憲の疑いあることは当然であった。

それでも検察は、安保合憲・米軍駐留合憲を当然の前提として、敢えて刑特法違反での強気の起訴をしたのだ。その法理論の主柱は、憲法9条2項が禁止する「陸海空軍その他の戦力」とは、日本政府に指揮権がある実力部隊に限られ、米駐留軍は含まない、とする解釈論だった。

この刑事被告事件には、対照的な2件の著名判決がある。東京地裁の伊達判決(59年3月30日)と、跳躍上告審における最高裁大法廷砂川判決(同年12月16日・裁判長田中耕太郎)とである。

一審東京地裁では、検察の強気は裏目に出た。主権国家における日本国憲法の最高法規性を当然の前提として、日本国憲法体系の論理を貫徹したのが、砂川事件一審伊達判決であった。59年3月30日、伊達裁判長は、起訴された被告人全員の無罪を宣告する。その理由の眼目である憲法解釈は以下のとおり、分かりやすいものである。
「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条第2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ない.」「合衆国軍隊の駐留が憲法に違反し許すべからざるものである以上、刑事特別法第2条の規定は、何人も適正な手続によらなければ刑罰を科せられないとする憲法第31条に違反し無効なものといわなければならない。」

これに対し、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告し、舞台は東京高裁の控訴審を抜きにして最高裁に移った。そうしたのは、日米両政府に、急ぐ理由があったからだ。60年初頭には、新安保条約の調印が予定されていた。安保条約を違憲とする伊達判決は、なんとしても59年の内に否定しておかねばならなかったのだ。こうして、最高裁大法廷は同年12月16日判決で、米軍駐留合憲論と、統治行為論を判示した上で、事件を東京地裁に差し戻す。

最高裁では破棄されたが、伊達判決こそは、政治支配からも立法権・行政権からも、そして最高裁の司法行政による支配からも独立した下級審裁判官による判決であった。

憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定める。伊達判決を言い渡した3人の裁判官は、まさしく憲法のいう独立した裁判官であった。「法と良心」に従って忖度なしの判決を言い渡したのだ。このような硬骨な裁判官の存在は、政権にも最高裁上層部にも衝撃だった。望ましからざることこの上ない。

以後、最高裁は下級審裁判官の統制を課題として意識し、国民運動のスローガンは、「裁判官の独立を守れ」というものとなった。昨日のブログで取りあげた、伊方原発運転を差し止めた広島高裁の3裁判官も、60年前における伊達コートの後輩である。最高裁司法行政からの統制圧力と、国民運動による裁判官独立激励の狭間にあって、呻吟しつつ良心を擁護してきたのだ。

(2020年1月19日)

「1.世界はアメリカを非難する。2.日本はアメリカを説得せよ。3.政府は自衛隊の中東派遣を撤回せよ。」 ー これが共通のスローガンだ。

米国によるイラン軍司令官殺害に関する
社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)声明

はじめに

アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3,500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。

 意見の理由

ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。

国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。

先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。

こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。

イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。

今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折りしも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。

今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。

意見の趣旨

我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
2020年1月5日

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2020年 1月 6日

報道関係のみなさま

世界平和アピール七人委員会

私たち世界平和アピール七人委員会は、本日、添付の通り、「米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、すべての関係者が事態を悪化させないよう求める」を発表し、国連総長、国連総会議長、米国大使館、イラン大使館、安倍首相、茂木外相、河野防衛相に送りました。報道関係のみなさまには、私たちのアピールとその意図するところを、世界に広く伝えていただくよう、よろしくお願いします。

なお、私たちは、米国がイラン核合意を一方的に破棄し、中東の緊張が高まる情勢の中で、「調査・研究」を名目として自衛隊が中東に派遣されることについて、昨年12月12日付で「自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない」を発表しています。これも併せて、お送りします。

「世界平和アピール七人委員会」は、1955年(昭和30年)11月、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱で、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は絶対に武力で解決しないことを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和などについて内外へのアピールを発表してきました。 今回のアピールは、平和アピー
ル七人委員会発足から、138番目のアピールです。
発足時のメンバーは、下中のほか、植村環(日本YWCA会長)、茅誠司(日本学術会議会長、のちに東京大学総長)、上代たの(日本婦人平和協会会長、のちに日本女子大学学長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)、前田多門(日本ユネスコ協会理事長、元文相)、湯川秀樹(ノーベル賞受賞者、京都大学教授、京都大学基礎物理学研究所長)でした。

その後、委員は入れ替わり、現メンバーは、武者小路公秀(国際政治学者、元国連大学副学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学者、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学客員教授)、髙村薫(作家)、島薗進(上智大学教授、宗教学)です。

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二
URL: http://worldpeace7.jp

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2020年1月6日 WP138J

米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、
すべての関係者がこの危機を悪化させないよう求める

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進

米国政府は、イラクでイラン革命防衛隊の司令官を1月3日にドローンで殺害したと発表した。これに対してイランは報復を予告している。イラク首相は主権侵害だとしている。
「米国」と「イラン」の立場を置き換えたとき、米国政府と米国民は自国軍の司令官の殺害という事態を受け入れられるだろうか。

私たち世界平和アピール七人委員会は、米国によるこの殺害を非難し、この危険な事態をさらに悪化させないよう関係するすべての国に求める。
国連安全保障理事会のメンバー諸国は 直ちに自国の立場を明示すべきであり、国連は速やかに総会を開いて対話による解決のためのあらゆる努力を行っていただきたい。
米国とイラン双方と友好関係にあると自任する日本政府は、直ちに米国に完全な自制を促すべきである。

日本政府は、米国が2019年6月に提案した有志連合には参加せず、海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を、通行する船舶の護衛を含まない「調査・研究」のために中東に派遣すると、国会にも国民にも説明しないまま2019年12月27日に決定した。
しかし得られる情報を有志連合と共有するため、バーレーンにある米中央海軍司令部に連絡員を派遣することが明らかになり、事態が変われば派遣目的を変更するとされている。これでは米国に与するものとみなされてもしかたがない。我々が12月12日に発表したアピール『自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない』の内容をあらためて強く求める。日本国憲法によって法的に制限された軍事組織である自衛隊を危険地域の周辺に派遣させるべきでない。日本は非軍事的手段による平和構築に積極的に取り組むべきである。

連絡先::http://worldpeace7.jp

(2020年1月6日)

「鹿地亘、拉致監禁事件」を語る生き証人 ― 山田善二郎さん

昨日(12月28日)の東京新聞を開いて驚いた。23面「あの人に迫る」という欄に、大きな山田善二郎さんのインタビュー記事。「『鹿地亘事件』生き証人」として,大いに語っている。しかも、昔話ではなく、今につながる警告が語られている。

おお、山田さん、しばらくぶり。写真を見る限りずいぶんお齢を召された。91歳と紹介されている。もっとも、写真はお齢相応だが、記事の内容は相変わらずの矍鑠たるものである。

この記事は、下記のURLで全文読める。ぜひお読みいただきたい。手に汗握る、実話なのだから。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019122702000240.html
また、事件の全容が、鹿地・山田両名出席の1952年12月10日衆院法務委員会議事録で読むことができる。こちらも、どうぞ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505206X01019521210

ところで、山田さんは私の「人生の転機」に関わった人である。私が今のような弁護士としての人生を歩むについてのきっかけを提供してくれた人。

当ブログの「私が出会った弁護士(その3) ― 安達十郎」
http://article9.jp/wordpress/?p=10912 (2018年8月13日)
の一部を再掲したい。

50年以上も昔にこんなことがあった。私は学生で、駒場寮という学生寮に居住していた。その「北寮3階・中国研究会」の部屋の記憶が鮮やかである。ペンキの匂いも覚えている。ある夜、その部屋の扉を叩いて、集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会をするから関心のある者は集まれ」ということだった。

白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。そして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。

当時、私は毎夜家庭教師のアルバイトをしており帰寮は遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した少人数の集会だったが、その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会も殆ど知らなかったころのことだ。

具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではないしかし、初めて弁護士が受任事件について情熱をもって語るのを聞いた。安達さんの報告に好感を持ったのは確かなこと。私はその集会をきっかけに、国民救援会と接触し、札幌の白鳥事件の現地調査に参加し、山田さんに誘われて鹿地事件対策協議会の事務局を担当し、やがて弁護士を志すようになる。

弁護士を志すきっかけが、安達弁護士と山田さんの、あの駒場寮での深夜の集会だった。学生時代のあの日。駒場寮内の薄暗いあの部屋での集会に参加しなかったら、法学とは縁もゆかりもなかった私が弁護士を志すことは多分なかっただろう。弁護士になったとしても、「『丸ビル』内に事務所を張って、大企業を顧客として収入をあげる極く少数の弁護士」を志していたかも知れない。

多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。

さて、このインタビュー記事には、「◆軍隊の闇の部分、今に通じる問題」という大きな見出しがつけられている。
山田善二郎さんが、インタビューの最後に、こう語っている。

-鹿地亘事件の意味は。
「民主主義の国」米国の行為、隠された闇の部分を、いわば内側にいた私が暴露したことも、国会の場で究明されたことも、歴史的な役割があったと思います。
でも、東京・中日新聞も報道してきたように、米中枢同時テロ(2001年)の後、米中央情報局(CIA)が確証もなしに「敵戦闘員」と見なした人々を拉致、監禁して拷問したことなどは、同じことの繰り返しに見えますね。
軍隊には特殊なスパイ組織がつくられる伝統があります。なのに国内では自衛隊を通常の「軍隊」「国防軍」にしようとする動きもあります。今につながる問題と知ってほしいのです。

占領期には、下山・三鷹・松川を始めとする数々の政治的謀略事件があった。占領軍の仕業と言われながらも、真犯人が突き止められてはいない。その中で、鹿地事件は、米軍の謀略組織の仕業だということが確認された稀有の事件である。占領末期、キャノン機関といわれる「GHQ直属の秘密工作機関」が、著名な日本人作家鹿地亘を拉致して1年余も監禁を続け、独立後の国会審議で事態が明るみに出たことから解放した。

偶然にも監禁された鹿地に接触した山田さんの決死的な救助行動がなければ、鹿地は行方不明のまま消されていただろう。すべては闇に葬られたはずなのだ。

当然のことながら、これは米占領軍に限った非道ではない。「民主主義の国・米国でさえもこんな汚れたことをした」と考えなければならない。戦争・軍隊にはこのような陰の組織や行動が付きものなのだ。

戦争のそれぞれの面の実相を語る「貴重な生き証人」として、山田さんには、語り続けていただきたい。
(2019年12月29日)

12月8日、あらためて平和の永続を願う。

78年前、1941年の12月8日も、今日と同じく寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時のNHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。

この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そして、この日から灯火管制が始まった。

戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。78年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。情報は大本営発表だけに統制され、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。

今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政権の「桜を見る会」の疑惑を追及している。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。

安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。78年前のこの日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日~43年10月8日)として加わっていた。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。

戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の統制から始まる。戦争は忖度メディアの煽動から始まる。戦争は排外主義から始まる。戦争は民族差別から始まる。戦争は、軍備増強競争の悪循環から始まる。戦争は過剰なナショナリズムから始まる。ナショナリズムは「テンノウヘイカ・バンザイ」から始まる。戦争は議会制民主主義の堕落から始まる。

そして、新しい戦争は過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正主義の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。

平和憲法を破壊しようという危険な政権、しかも、腐敗の極みの安倍政権をいつまでものさばらせてはおけない。12月8日の今日、改めて強くそう思う。
(2019年12月8日)

嗚呼! 中村哲さんの死を悼む。

ペシャワール会の中村哲医師が亡くなった。しかも、銃撃を受けてのこと。あまりにも突然のできごとを受けとめかねて戸惑いを覚えている。本望であったはずはない。無念の極みであったろう。心から、哀悼の意を表する。

私の心の内で、中村さんこそは憲法の平和主義の体現者であった。紛争地に、自衛隊を派遣する愚を説いてやまない人であった。武力で人からの信頼を得ることはできない。丸腰で現地のために献身する人こそが信頼を得、平和を築く礎となり得る。その強固な意思を実践した人であった。

「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

患者を救う医師よりは患者を出さない社会の建設者たらん、そう志したのは魯迅と同じ発想。そして、その実践は偉大な成果を挙げつつあったのだ。私は、やがては彼がノーベル平和賞の受賞者となるものと考えていた。彼のような人に受けとってもらってこそ、ノーベル平和賞の権威も上がろうというもの。おそらく彼は、受賞を拒絶することなく、「授賞式には出席しませんが、賞金だけはいただきましょう。活動のためにはお金は幾らあっても足りないのですから」と笑うのではないか。

詳細は不明だが、その中村さんが現地武力勢力の銃弾に倒れた。あれ程の現地での信頼を勝ち得ていた人が、である。この人の遺志が、現地で継承され、花開くことを切に望むばかりである。
(2019年12月5日)
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なお、私は6年前(2013年)の6月に、中村医師のことを本ブログに書いている。改めて、再録しておきたい。

http://article9.jp/wordpress/?p=506
憲法9条の神髄と天皇の戦争責任
(2013年6月7日)

今の日本でもっとも尊敬すべき人物を一人挙げるとすれば、中村哲さんを措いてほかにない。アフガニスタン・パキスタンの医療支援・農業支援の活動を続けて30年にもなろうとしている。その困難に立ち向かう一貫した姿勢には脱帽せざるを得ない。宮沢賢治が理想として、賢治自身にはできなかった生き方を貫いていると言ってよいのではないか。

中村さんは、1984年から最初はパキスタンのハンセン病の病棟で、後にアフガニスタンの山岳の無医村でも医療支援活動を始めた。2000年、干ばつが顕在化したアフガニスタンで「清潔な飲料水と食べ物さえあれば8、9割の人が死なずに済んだ」と、白衣と聴診器を捨て、飲料水とかんがい用の井戸掘りに着手。03年からは「100の診療所より1本の用水路」と、大干ばつで砂漠化した大地でのかんがい用水路建設に乗り出した。パキスタン国境に近いアフガニスタン東部でこれまでに完成した用水路は全長25・5キロ。75万本の木々を植え、3500ヘクタールの耕作地をよみがえらせ、約15万人が暮らせる農地を回復した。

昨日(6月6日)の毎日夕刊「憲法よーこの国はどこへ行こうとしているのか」に、中村さんのインタビュー記事が載った。「この人が、ことあるごとに憲法について語るのはなぜなのか。その理由を知りたいと思った。」というのが、長い記事のメインテーマである。ライターは小国綾子記者。優れた記者によるインタビュー記事としても出色。

「僕と憲法9条は同い年。生まれて66年」。冗談を交えつつ始めた憲法談議だったが核心に及ぶと語調を強めた。「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。これまで本気で守ろうとしなかった憲法を変えようだなんて。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」

ならば、中村さんにとって憲法はリアルな存在なのか。身を乗り出し、大きくうなずいた。

「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

あなたにとって9条は、と尋ねたら、中村さんは考え込んだ後、

「*******これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔。しかし同時に『お位牌(いはい)』でもある。私も親類縁者が随分と戦争で死にましたから、一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」。

窓の外は薄暗い。最後に尋ねた。もしも9条が「改正」されたらどうしますか?

「ちっぽけな国益をカサに軍服を着た自衛隊がアフガニスタンの農村に現れたら、住民の敵意を買います。日本に逃げ帰るのか、あるいは国籍を捨てて、村の人と一緒に仕事を続けるか」長いため息を一つ。それから静かに淡々と言い添えた。
「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」。悲しげだけど、揺るがない一言だった。

未熟な論評の必要はない。日本国憲法の国際協調主義、平和主義を体現している人の声に、精一杯研ぎ澄ました感性で耳を傾けたい。こういう言葉を引き出した記者にも敬意を表したい。

ただひとつ、ざらつくような違和感をおぼえる言葉に引っかかる。
*******とした7文字の伏せ字を起こせば、「天皇陛下と同様、これがなくては日本だと言えない」というのだ。9条と並べて、「天皇陛下」も「これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔」と読むことも可能だ。中村さんは本当にそういったのだろうか。

中村さんの「天皇陛下」を「これがなくては日本だと言えない」という文脈は、肯定否定の評価を抜きにした客観的な判断の叙述と読めなくもない。しかし、中村さんは9条を「お位牌でもある」と言っている。310万人と数えられている日本の死者、2000万といわれる近隣諸国の民衆の死者。その厖大な犠牲は、天皇の名による戦争がもたらしたものではないか。天皇こそは、最たる戦争責任者であり、人民を戦争に向けて操作する格好の道具だてでもあった。再び戦争を起こさないという位牌の前の誓いは、天皇という恐るべき危険な道具の活用を二度と許さないという決意を含むものでなくてはならない。これを、さらりと「天皇陛下」と尊称で呼ぶ姿勢に、私の神経がざらつくのだ。

私は忖度する。おそらくは、中村さんに計算があるのだろう。理想を実現するには多額の経費が必要だ。企業からも庶民からも寄金を集めねばならない。そのとき、反体制、反天皇では金が集まらない。憲法9条の擁護なら信念を披瀝できても、天皇の問題となれば、「天皇陛下」と言わざるを得ないのではないか。私には、そのような配慮の積み重ねこそが、現代の天皇制そのものであり、忌むべきものなのだが。
(2013年6月7日)

「戦争で死ぬ覚悟をするのなら、なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったのか」ー特攻隊員だった岩井兄弟(99歳・97歳)の証言

戦争体験の承継は、時代の重要な課題である。終戦直後には、国民すべてが戦争体験者だった。その後しばらく、戦争体験の交流はあっても、世代間の伝承が課題として意識されることは世の大勢ではなかった。しかし、まったく戦争を知らない新しい世代が成人する時代となってからは、国民的な戦争体験の承継が大きな課題として浮かびあがってきた。さらに、戦後生まれの首相が9条改憲を鼓吹する時代ともなると、不再戦の誓いを出発点としたわが国再生の基本が揺らぐ事態を迎えている。国民誰しもが経験した戦争の悲劇の伝承は平和な未来のために不可欠の課題となっている。

戦争体験の承継手段は活字も映像もあるが、なによりも生身の体験者の語りが基本であり、訴える力がある。私も、父や母、叔父叔母などからもっと意識的に戦地の体験や銃後の生活の詳細を聞いておけば良かったと思う。録音し、あるいは書き残しておいてもらえばよかったのにと、深く悔やんでいる。

当人にしてみれば、辛くもあり,疚しくもある過去のできごと。日常生活の中では思い出したくもない体験。それをことさらに思い出して表現することには、格別の動機付けが必要であろう。そのような動機付けを得ることのないまま、没する人とともに貴重な体験が葬られてきた。

いまや、戦争体験を語ることのできる人は少ない。その話は貴重だ。できるだけ、聞いておきたい。しかも、特攻の訓練を経ての生き残りの兵士がその体験を語るとなればぜひ聞いてみたい。その稀少な機会が11月9日にあった。

「不戦兵士・市民の会」が主催する、「2019年不戦大学」としての企画。「元特攻兵(回天・伏龍・震洋)岩井兄弟(99歳・97歳)からの最後の証言」という表題。

99歳と97歳の兄弟が元兵士として揃っての講演。ともに、特攻の生き残りだという。兄・忠正は人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、弟・忠熊さんは爆薬を積んだモーターボートで敵船に体当たりする「震洋」の艇隊長になったという。特攻兵器として開発された人間魚雷「回天」はよく知られている。靖国神社に実物展示もある。これに比較して特攻用モーターボート「震洋」の知名度は低い。そして、人間機雷「伏龍」を知る人は少ないのではないか。

若い兵士たちが、どうして絶望の特攻を志願して散ったのか。どうして靖国に展示されているような遺書を書いたのか。その気持を思うとき、胸が痛む。生き残った人の代弁に耳を傾けたい。

そんな気持で、当日満員だった講演に参加した。私の印象に残ったのは、戦争で死ぬ覚悟をするのなら、なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったのか」という自省の言葉。

が、ブログにどうまとめようかと書きあぐねているうちに、毎日新聞(11月21日夕刊)に先を越された。社会面を埋めつくすほどの分量で、とてもよい記事になっている。表題が、「『喜んで死ぬ』本心でない 特攻隊員だった兄弟、最後の伝言。その一部の大意を引用させていただく。
引用元は下記URL。

https://mainichi.jp/articles/20191122/k00/00m/040/143000c

辛くも2人は生き残ったが、多くの若者が特攻隊員として命を散らし、遺書が残されている。「遺書には勇ましい言葉が書いてある。『私は喜んで死ぬ』と書いてあるのを読んで感激する人もいるはずです。だけど、私は、待ってくださいと言いたい」。

忠正さんは、命を落とした隊員の無念を代弁するように語気を強めて会場に訴えた。「本当は死にたくない。でも(死ぬのが)嫌なのに殺されたと聞いたら家族も悲しむから、喜んで死んだと思ってもらおうと。もう一つは自分を励まさなきゃやれない。決して犬死にじゃないと自分を奮い立たせて慰める気持ちの表れなんです。そういうことを理解してやらないといけない。つらいんですよ、本人は……」

最後に、若者に何を伝えたいかと司会者に聞かれた2人の口から出てきたのは後悔の言葉だった。忠正さんは「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」。

忠熊さん(立命館大学名誉教授・元副学長)も「歴史は人間が作るもの。あの戦争は先人たちが道を誤った結果だ。青年、学生の行動により未来は変えることができる。そのためには、歴史を学ばねばならない。歴史を学ぶとは、過去にあったものが将来どうなって行くのか、どうすべきなのか、その筋道を学ぶことだ
(2019年11月26日)

教皇のスピーチに共感 ― 「軍拡は途方もないテロ行為」「核の傘の下で平和を語る偽善」

来日中のローマ教皇が話題となっている。その話題性は、伝統や権威の誇示によるものではない。容貌でも服装でも車でもない。平和を希求する真摯なメッセージの内容にある。虚仮威しの臭み芬々だった天皇交替儀式を見せつけられたあとだけに、普遍性をもつ教皇の言葉が実に新鮮に聞こえる。カソリックの信仰をもたない者の胸にも平和を実現しようという言葉の真摯さが響く。

「祈りの長崎」が、教皇の第一声の地にふさわしい。本日(11月24日)爆心地公園でのスピーチの最初の言葉が、「この場所(長崎)は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。」というものだった。

「人間が過ちを犯しうる存在であることを意識させる」象徴的な場所。それが、長崎であり、広島であり、あるいはアウシュビッツであろうか。実は世界中に数限りなくある、人が人を大量に殺すという「過ち」。大量殺人の準備のために危険な武器を備蓄する過ち。相互に不信と憎悪を拡大して軍備拡大を競う、愚かな過ち。

その中でも、核の使用こそが、人類の最も危険な「過ち」であることに異論はなかろう。核を保持し備蓄して威嚇することも同罪である。教皇の長崎メッセージは、「核抑止理論による恐れ、不信、敵意を止めよう」という表題だった。

注目すべきことは、単に祈るだけではない。その言葉の具体性と驚くほどの厳しさだ。「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠なこと」というのみならず、軍拡競争における武器の製造や備蓄を「途方もないテロ行為だ」と厳しく指弾した。

彼は、核兵器を含む軍拡をこう言って非難する。

「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。」

そして、明確に核兵器を指してこう言う。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。…「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」

相互不信を前提とした明確な軍備の均衡による平和の否定、核抑止論の否定である。
「真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない」というシンプルな原則の宣言に、説得力がある。その上で、こう訴えている。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。

二つ目の「過ちの地」である広島ではさらに具体的なスピーチに及んでいる。
「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」と。

戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。

私は、信仰には無縁の人間だが、教皇のこの平和へのメッセージには賛意と共感を惜しまない。そして思う。抑止論を反駁する教皇のこのスピーチは、9条の精神ではないか。案外、こちらが世のトレンドであり、スタンダードなのではないか、と。
(2019年11月24日)

海外軍事産業と安倍政権の目には、「日本はすでに憲法改正」なのだ。

「幕張メッセで大規模武器見本市」のニュースは、聞き流していた。苦々しいことではあるが、今さら騒ぐほどのことでもあるまい。そう高を括っていた。

しかし、本日(11月21日)の赤旗の報道に驚いた。見出しが、「『日本はすでに憲法変更』!? 武器見本市の公式ガイドに」というのだ。これは騒がねばならないことだった。紛れもなく、平和を願う多くの日本人の心を傷つける」イベントなのである。社会面の左肩に4段抜きの記事だが、それでも扱いが小さ過ぎはしまいか。

このイベントの名称は、DSEI Japan 2019」という。英国のイベント企画専門企業が主催し、西正典・元防衛事務次官が実行委員長を務め、防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援している。「安倍政権の全面支援」で行われていると言ってよい。

読みにくいが、赤旗記事に「公式ガイドブック」の一部の写真が出ている。主催者(Clarion Events)の挨拶と思しき内容。日本語で、こう書いてある。

近年の日本国憲法の一部改正に伴い、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になったこともあり、日本で総合防衛展示会を展開する最適なタイミングだと捉えています。DSEIの知名度を東半球に浸透させることができれば、DSEI Londonよりも、アジア市場からの参加者が遙かに増えることで期待できるとともに、アジア市場への参入の足がかりになります。

イギリスに本拠を置く主催者Clarion Eventsは、自社の説明で、「英国で最も歴史のあるイベント主催企業と知られており、世界各国で高く評価されている主要な防衛・セキュリティ展示会の開催を手掛ける世界最大手です。DSEI(ロンドン)をはじめ、LAAD(ブラジル)、BIDEC(バーレーン)、EDEX(エジプト・カイロ)などの開催の実績を持ちます。」という。「DSEI Japan」は、日本で初めて開催される総合防衛・セキュリティ展示会です。また、DSEIブランドを英国外に初めて展開する展示会となります。」とも説明されている。

本日の赤旗記事を抜粋する。

「18日から20日まで、国内(千葉県・幕張メッセ)で初めて開かれた国際的な武器見本市「DSEI JAPAN2019」の主催者が、日本はすでに憲法を『変更』していると公言し、そうした認識が公式ガイドブックに記されていることが分かりました。

見本市の運営を取り仕切るイベントディレクターのアレックス・ソーア氏はガイドブックに掲載されたインタビューで『最近の日本国憲法の変更(Changes)は、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の国内産業(軍需企業)が地球規模で進出することを可能にした』と明言。そうしたことから、日本での開催は『最適なタイミング』であり、『アジア市場への参入の足がかりになる』としています。同インタビューの翻訳文では、憲法の「Changes」を「一部改正」と訳しています。

安倍政権が進める立憲主義破壊の『戦争する国づくり』が、『死の商人』に貴重なビジネスチャンスを与えていることを如実に示しています」「政府として、日本がすでに『憲法を変えた』との認識を認めた責任は免れません。」

英国の死の商人たちの目には、近年日本の平和憲法が「一部改正」(Changes)したと映っている。それゆえ、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になった」というのだ。だから、今こそビジネスチャンスだと、煽っているのだ。

煽られた企業として、名前が出て来るのは、「IHI、川崎重工業、スバル、日本電気、富士通、三菱重工業、三菱電機を含む日本と欧州の防衛産業を代表する企業をはじめ、中小企業等、60社を超える企業」(第1回 DSEI Japan説明会出席者)なのだ。

さらに重要ななことは、この「憲法改正(Changes)」の言葉が発せられたイベントを、「防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援しており、事実上『安倍政権の全面支援』で行われている」という事実である。こんなコンセプトのイベントを後援(事実上は主催)した安倍政権の責任は重大である。

安倍改憲とは、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開」を意味することがよく分かる。すべては、防衛予算の拡大を伴うこと。国内外の死の商人たちの牙の前に、弱り目の日本が好餌として差し出されようとしている。安倍改憲阻止とは、「軍備拡大の阻止、自衛隊海外派遣の阻止、防衛産業のより積極的な海外展開の阻止」を意味するのだ。
改憲阻止の重要性が具体的に肌に滲みる出来事ではないか。
(2019年11月21日)

「平和を願う文京戦争展」総括会議ご報告

日中友好協会・文京支部が、8月8日~10日の3日間、文京シビック内のアートサロン(展示室2)で開催した、「平和を願う文京戦争展―日本兵が撮った日中戦争」の総括会議が8月28日夕刻に開かれた。ノモンハンから帰日したばかりの私も参加した。

この企画、3日間で1500人の熱心な入場者を得てたいへんな盛況だった。開会時間は延べ24時間で、1時間当たり55人の入場者が途切れず続いた計算になるという。その盛況の原因の第一は、文京区教育委員会が後援を拒否したことが話題となったから。とりわけ、東京新聞がそのことを大きく記事に取りあげたことから知られるところとなった。この企画を「新聞」で知った方が36%にも達していた。アンケートにそのことに触れた人が多かったことが報告された。

だから良かったかというとそうではない。入場者のほぼ4割が70代以上の高齢者、10代・20代は極めて少ない。教育委員会後援があれば、学校の生徒に呼びかけることができるという。戦争の実態を若者に知ってもらうために、次回は粘り強く各教育委員に要請し説得する活動をしようという意見が交わされた。

任意のアンケート回答要請に、427人の方が回答してくれた。これは、たいへんな高率である。その中に、
☆毎年やってほしい
☆もっと若い人に見てもらえるように
☆全国色々な所で開催して欲しい
☆3日では短い、展示期間をもっと長く
☆もっと広い会場で
などの提案が書き込まれていた。

また、アンケートの中で、次の中学生の感想文が目を惹いた。
「なんでも武力で解決しようとした日本はもう少し他の解決策があったのではないかと思った。」
「日中戦争のことについては、あまりくわしく知りませんでしたが、罪のない人、子どもや老人が沢山殺されてしまったという事実を知り、このようなことは二度と起こしてはいけないと思いました。」
「罪のない人が大勢まきこまれる戦争がもう二度と起こらないようになってほしいと思う。村瀬が残してくれた写真で当時の状況が知ることが出来ました。」
「日本の戦争の仕方や武力で解決しようとする姿勢に納得がいかなかった。」

なお、韓国のテレビ局2社が取材に訪れたという。中国のメディアは来なかった。

意見交換の中で、印象に残ったのは、戦争を語る上での被害面と加害面のどちらを語るかの姿勢の問題についてである。

今回の「文京戦争展」は、文京区(当時は本郷区)出身の兵士が撮った中国戦線での写真展示と、文京の空襲被害の展示と語り部の2本立て。前者には、南京虐殺の現場写真や生々しい従軍慰安婦の写真もある。加害者としての皇軍が映し出されている。後者は、戦争被害による区民の辛苦。おそらく、後者だけなら、文京の教育委員会が後援を拒否することはなかっただろうという。

実は、文京区自身が戦争展をしたことがあるという。その内容は、空襲被害、原爆被害に限られた、徹底した戦争の被害実態についてのものだったとのこと。しかし、侵略戦争による近隣諸国への加害責任を語らずして、あの戦争を全面的に語ることはできない。

我々は、加害責任を避けることなく、戦勝・敗戦に関わりなくすべての国の民衆の戦争被害の悲惨さを、あるがままに訴えよう。官製戦争展が自国の被害だけの展示にこだわるのなら、我々は加害責任をこそ戦争を知らない世代に見てもらわねばならない。そのような合意がほぼできたように思う。
(2019年8月31日)

大草原のノモンハンと、ピリピリ感中国のご報告。

一昨日(8月28日)、ノモンハンへの旅から帰日した。充実した6泊7日。まだ、気持は草原の風に吹かれたままである。日常生活の感覚が戻ってこない。

なるほど、内蒙古の草原は確かに広かった。森も、林も、一本の木立ちもない、見はるかす限りの草地が、視界を遮る物なしにどこまでも続く。木陰というものがない。あるのは、空の青と地の緑だけの世界。この果てしない広さの実感は、高地に登ってこそ分ろうというものだが、その登って見晴らすべき高地が見あたらない。

大草原の中に、アスファルト舗装の道路が、1本だけどこまでも真っ直ぐに続く。ハイラルの街からノモンハンの戦場まで250~300キロだという。東京・仙台間の距離なのだ。街の近くには、樹木がある。しかし、街を出てバスでしばらく走ると、間もなく樹木のない草原だけの、行けども行けども同じ景色。ここで育った人は、自ずと世界観も人生観も違うことにならざるを得ない。

この大草原が、国境紛争の舞台となった。満・蒙の国境である。いうまでもなく、満州国は日本の傀儡国家であり、モンゴル社会主義共和国の背後にはスターリンのソ連がいた。満・蒙の小部隊の衝突が、宣戦布告のないまま、日・ソの本格的な大近代戦となったのがノモンハン事件である。この草地から、石油が出るわけではない。鉱物資源もない。薪にする樹木すらないのだ。定住している人は少なく、街らしい街の争奪をしたわけでもない。いったい何のために、両軍ともに2万を超す死者を出す死闘を繰り広げたのだろうか。何のために、この地でかくも多くの人が死なねばならなかったのか。あらためて、戦争というものの理不尽さを痛感せざるを得ない。

戦跡を訪ねての充実した旅だったが、今の中国についてのいくつか印象に残ったことを書き留めておきたい。私の中国語会話能力は、ほぼゼロに等しい。日本語のできる中国人と会話のできる機会に、いくつかの質問をしてみた。私の主たる関心は3点。中国の選挙事情と、漢族の少数民族に対する差別の有無、それに香港の民衆運動の盛り上がりに対する感想である。中国共産党についての評価などは差し控えてのこと。

全人代議員の選挙は、確かに行われているという。ただし、一選挙区に候補者は党が指名した一人だけ、この候補者に有権者が信任投票をするのだという。どんな人物か、どんな抱負をもっているか、意識したことはないということだった。我々のイメージする選挙とは、およそ異質のもののごとくである。また、漢民族の他の少数民族に対する圧倒的な優越意識は相当のもので、明らかに問題が伏在している。きっと、なにかの折に顕在化することになるのだろう。

そして、驚いたのは、香港の民衆に対する平均的中国人の敵対的感情である。官製メデイアが、香港の民衆を「暴徒」と言っていることには驚かないが、私が会話の機会を得た狭い情報からの推測ではあるが、中国人の大方が同じ論調なのだ。

私が、日本語の達者なある中国人に、逃亡犯条例に対する香港の人びとの嫌悪感を話題にしたところ、「香港は国ではありませんよ。飽くまで中国の一部でしかない」「国法に従うべきが当然」と強い口調で主張された。「香港が国であろうとなかろうと、住民の意思を尊重すべきが民主主義の基本ではありませんか」とやんわり言うと、「ホントにいつまであんなことをやっているのか。早く解決してもらいたい」と、香港の人びとの心情への思いやりも、連帯感もおよそない。なるほど、これが今の中国なのだ。

もう一つ、空港の出入りに際してのセキュリティチェックの厳格さにも驚き不愉快でもあった。10月1日が70年目の国慶節で、大軍事パレードが予定されていることもあるのだというが、国際線以上に国内線のチェックが厳しい。以前にはないピリピリした空気。これも、今の中国なのだ。
(2019年8月30日)

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