澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

通常国会最終盤。これからは、数の力でゴリ押しだ。

さあ、これからだ。第196通常国会は最終盤。これからが、アベ内閣と自民党の本領発揮の時期なのだ。これからが、数の力の見せ所だ。アベ一強はダテではないことを実証しなければ、アベ三選もおぼつかない。6月20日に会期終了の予定だが、もちろんこれは延長する。会期を延長して、その間に力づくでのゴリ押しだ。さあ、なんでもありだぞ-。

これまでが、われわれが萎縮せざるを得ない異常な国会運営だったのだ。森友事件と加計問題ばかり。そして、官僚の虚偽答弁や、公文書の隠蔽・改ざんの不祥事。それに加えて、官僚のセクハラ発言や財務大臣のセクハラ容認失言。アベの国政私物化だの、アベに対する忖度行政だの、さんざん言われはしたが、所詮は些末なこと。些末なことに時間を費やしすぎたのだ。

これまでの萎縮を払拭して、些事ではなく、もっと本筋の議会運営に舵を切り直さなければならない。今国会の本筋の第1は、「働き方改革法案」の審議だ。野党の世論の反対を押し切ってこの法案を成立にまで漕ぎつかせなければならない。なぜ、この法案が本筋か。当たり前のことだ。資本が強く要請しているからだ。資本という言葉が耳障りなら、財界と言い換えてもよいし、産業界の要請だと言い直してもよい。

資本主義の世の中だ。資本の儲けがあってはじめて賃金の支払いが可能となる。税収も潤沢となる。企業ファーストの政治は当然のことだろう。企業が儲かれば、おいおい貧乏人にもトリクルダウンのしたたりが期待できることになる。

そりゃあ、残業代をゼロにするのが目的の高プロだ。労働者が反対するのは当たり前だろう。だが、考えてもみよ。企業あっての労働者だ。企業の儲けが拡大しての世の中の安定だ。その企業が是非とも必要だという高プロであり、労働者の働かせ方改革じゃないか。労働者の都合ではなく、まずは企業優先。企業が望む経済政策、それこそがアベ内閣と自民党の使命。そんなの、分かりきったこと。

もう一つがカジノ法案。これも財界の要請だ。バクチを解放して経済発展。結構なことじゃないか。バクチで身を持ち崩す国民が数多く出てくるって? やって見なけりゃ、わからんだろう。そりゃ、どんな政策にも多少のデメリットはあるさ。でもね。そんなことを一々気にしていたら、政治家なんかやっていけない。ギャンブル依存症は自己責任だと切り捨てるしかないのさ。

それから、参議院の合区対策法案だ。定数6増の提案で乗り切ろうというものだ。これも、すこぶる評判が悪いが、乗り切れそうだ。何しろ、「我に数の力あり」なのだから。民主主義の世の中だ。数こそ力、数こそ正義ではないか。まさしく、これこそ民主主義ではないか。

えっ? これは民主主義ではないと? 民主主義とは理性に基づく熟議の政治だって? そんな青くさいことをいっているから、君たちいつまで経っても少数派なんだ。

われわれは選挙によって国民多数から支持を得たのだから、われわれが思うとおりの法案を作成して国会を通すことを考えて悪かろうはずはない。むしろ、そのことがわれわれの政治的責務だというほかはない。

ありがたいことがいろいろある。まずは、公明党さんありがとう。敢えて泥を被って、自民党と一緒に評判の悪い法案成立に協力してくれる。ホントにありがたい。

それから、維新だ。これも、少し餌をやることで飛びついて、与党だけの単独採決という汚名を着ないで済む強力な助っ人。ありがとう。

そして、こんな嘘つき内閣と、悪評さくさくの政権を支えてくださる30%の固定支持層。実は私アベにも、どうしてこんなに支持があるのか分からないけど、ありがとう。

最後に、忘れっぽい有権者の皆様ありがとう。今、強行採決を重ねでも、どうせ来年の参院選のあたりには、皆様きれいさっぱりお忘れになる。それこそが、私みたいなものが総理を続けておられる最大の理由。

この国会会期末。どさくさ紛れに憲法改正の原案発議までやっても、案外うまく行くかも知れない? いややっぱりやめておこうか?
(2018年6月16日)

あの「獣医学部新入生」は、今。

私は、「瑞穂の國記念小學院」なるもの開校が頓挫してほんとうによかったと思っている。その理由の一つは、この学校の教育理念の反〈日本国憲法〉性である。親〈大日本帝国憲法〉性と言っても同じこと。国家主義であり、天皇中心主義であり、滅私奉公の時代錯誤も甚だしい。

もう一つの理由が、この学校がアベ晋三という薄汚い政治家との縁によって開校寸前まで漕ぎつけていたことである。一時期「安倍晋三記念小学校」の名称で寄付を募っていただけでなく、認可申請先の大阪府(私学課)にも、この校名での説明を行っていたことが明らかになっている。アベの妻が、開校予定学校の名誉校長となっていたことも、天下周知の醜悪な事実だ。

この二つの理由は、実は緊密に結びついている。アベ晋三という権力者が、日本国憲法が大嫌いなのだ。アベに取り入ろうとすれば、右翼でなくてはならない。極右であればなおさらよい。だから、教育勅語による教育を標榜する恐るべきアナクロ小学校が、アベが関与していると思わせるだけで、開校寸前にまで至ったのだ。違法に違法を重ねてのこと。カミカゼは、吹くべくして吹いたのだ。

とはいえ、森友学園の願望は潰えた。本当によかった。アベ晋三と組んでも碌なことにはならないという見本。これが大切な教訓なのだ。ところが、加計学園の野望は成功しつつある(ように見える)。岡山理大・獣医学部は今年(2018年)4月に開校した。これはよくない。アベと親しいと思わせるだけで無理が通る、事業もうまく行く。こんな成功体験を野放しにしていてはならない。「やっぱり、権力とつるむようなところに擦り寄ったらアカン」「安倍晋三なんか当てにしたら、たいへんなことになる」ことの実証が大切なのだ。

昨年(2017年)の12月のこと、刑法研究者を中心としたある会合で、1人の参加者がスピーチに立った。「実は私、今話題の岡山理科大学の教員です」。この自己紹介に、会場がどっと沸いた。沸き方が、何とも名状しがたい雰囲気だった。縁のあるべくもない別世界の異人種が突然この世に現れた、とでもいうような。

ところが、その人の発言は、実に真っ当で、とても立派なものだった。それがまた、聴衆の意外感を掻きたてた。あの加計孝太郎の学園に、あのアベの親友といういかがわしい理事長の学園に、これはまたどうしてこんな真っ当な人がいることができるのだろうか、という共通の印象であったろう。

加計学園、岡山理科大学。いずれも、「あの」「例の」「ほら、アベ首相と関係の」という冠詞抜きでは語られない運命が刻印されたと言わざるをえない。とりわけ、今治の獣医学部新入生186名だ。生涯、「あの」「例の」「ほら、アベ首相と関係の」「アベさんが、『いいね』と言ってできた」学校を出たことがついてまわる。そのことは覚悟しなければならない。18歳は大人だ。自分の選択の結果は、自分で引き受けるしかない。

もちろん、この学校が新入生諸君の卒業までもつかは保証の限りではない。愛媛県も今治市も、こんな学校に補助金を出し続けることができるだろうか。

話題となった愛媛県文書の中の2015年2月25日アベ晋三と加計孝太郎との面談記録。ここから、アベの息がかかった獣医学部建設計画として歯車が動き出す。アベと加計には、この面談記録はまずい。「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまった」としたうえで、加計学園の事務局長渡辺良人が、「自分がウソをついた」と名乗り出て揉み消そうとした。しかし、どうやらこの弁明が嘘だとばれつつある。愛媛県民も今治市民も、こんな学校に補助金を出し続けることを納得できるはずがない。

獣医学部の新入生諸君は、さぞや肩身の狭い不安な思いをしているのだろうと思いきや、どうもそうでもないらしい。学生の声を伝える「女性自身」からの引用記事がネットに紹介されている。

「不満なんてないですね。校舎は新しいし、学食もおいしい。サークル活動も、すべてイチからのスタートです。『こんなサークルを作ろうよ』など、みんなの意見が活発に飛び交っていますよ」

「大学の外で起こっていることは、私たちにはどうしようもありません。ここに入った以上、私たちにできることは勉強することだけ。だから『国家試験に合格して、世間を見返してやろう』と、みんなで言っていたところです」

「みんな『ほかに合格できなかったから、この大学に入ったんだろう』と思っているみたいですが、それは違います。僕たちはみな、獣医になりたくてあえて県外からここにやってきたんです。だから不安なんてありません。もちろん大学が廃校になるというなら、また話は別ですが……」

教育をビジネスとしてきた人物が、薄汚い政治家と結託して、公正であるべき行政を枉げて作り出した獣医学部だ。学生諸君には、その自覚が必要ではないか。その自覚があってなお、こんな脳天気なことが言っておられるだろうか。
(2018年6月14日・連続更新1901日)

「大きな物語り」に回収されない、「小さな物語」をこそ。

本日(6月9日)の毎日新聞朝刊25面に、「是枝監督 文科相のお祝い辞退」の記事。「公権力と距離保つ」と横見出しがついている。私には、カンヌの「パルムドール」がナンボのものかはよく分からない。しかし、「文化は公権力と距離を保つべきもの」「そのために、文科相のお祝いは辞退する」という、是枝裕和監督の心意気はよく分かる。権力への摺り寄りやら忖度やらが横行する昨今。清々しいことこの上ない。

毎日の記事を引用しておこう。
 フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、メガホンを取った「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督に対し、林芳正文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したところ、是枝監督が自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」と記して辞退を表明した。
 林氏は7日の参院文教科学委員会で、立憲民主党の神本美恵子氏から「政府は是枝監督を祝福しないのか」と質問され、「パルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく誇らしい。(文科省に)来てもらえるか分からないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と述べた。今回の受賞を巡っては、仏紙「フィガロ」が安倍晋三首相から祝意が伝えられないことを「是枝監督が政治を批判してきたからだ」と報じていた。
 答弁を受け、是枝監督は同日、HPに「『祝意』に関して」と題した文章を掲載。今回の受賞を顕彰したいという自治体などからの申し出を全て断っていると明かした上で「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないか」とつづった。

是枝裕和のコメントは、下記URLで読める。
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html

『祝意』に関して 2018年6月7日

 6月5日にブログで発表した『「invisible」という言葉を巡って』には思った以上に沢山の感想が寄せられました。ありがとうございました。
 あれで終わりにしようと思っていたのですが、まぁ僕が語った趣旨がすぐにその通りに浸透するわけもなく…。
 国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては? 現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。他に多くの重要な案件がありながら、このような私事で限られた審議や新聞の紙面やテレビのニュースの時間を割いて頂くのも心苦しく、もう一言だけ(笑)僕なりの考えを書いておくことにしました。

 実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。先日のブログの中で僕はこう書きました。

 「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだ

 もちろん、例えば敗戦からの復興の時期に黒澤明の『羅生門』がベニスで金獅子賞を獲得したことや、神戸の震災のあとに活躍したオリックスの球団と選手を顕彰することの意味や価値を否定するものでは全くありません。
 しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。決して波風を立てたいわけではないので「断った」などとはあえて口にしないでおりましたが、なかなかこの話題が収束しないようなので、本日ここに公にすることにいたします。なので、このことを巡る左右両派!のバトルは終わりにして頂きたい。映画そのものについての賛否は是非継続して下さい。『万引き家族』明日公開です。「小さな物語」です。

 最後に一言だけ。今回の『万引き家族』は文化庁の助成金を頂いております。ありがとうございます。助かりました。しかし、日本の映画産業の規模を考えるとまだまだ映画文化振興の為の予算は少ないです。映画製作の「現場を鼓舞する」方法はこのような「祝意」以外の形で野党のみなさんも一緒にご検討頂ければ幸いです。

6月5日付ブログ『「invisible」という言葉を巡って』の記事はかなり長い。その中から、『メッセージと怒り』と小見出しを付けた部分だけを紹介しておきたい。
http://www.kore-eda.com/message/20180605.html

映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングか。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
  映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。

この映画監督が、頭の中に「大きな物語」と「小さな物語」の対立構図を持っていることがまことに興味深い。「大きな物語」とは、「国家」とか「国益」に収斂する物語だが、これは空虚でウソの匂いがつきまとう。一人ひとりの人生は、「小さな物語」でしかなく、泣いたり笑ったり感動したりは、この「小さな物語」の中にしかない。ところが、いまは「人々が『大きな物語』に回収されていく状況」と捉えられている。

「回収」という言葉が、言い得て妙。回収する主体は「国家」や「国益」を司る者。今は安倍政権である。これが、生活ゴミを回収するがごとく、産廃を回収するがごとくに、一人ひとりの「小さな物語」を「大きな物語」の一部として取り込み、回収しようとしているのだ。

「回収の道具」はいろいろある。日の丸・君が代・元号・勲章などは、個人の「小さな物語」を国家の「大きな物語」に取り込み、回収するための分かり易い小道具。オリンピックも、ワールドカップもそんなものなのだろう。

ジャーナリズムも文化も教育も、気をつけないとそんな「回収のための小道具・大道具」に堕してしまうことになりかねない。

だから、是枝は、大切なことは、「『大きな物語』(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な『小さな物語』を発信し続けること」だという。「そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。」という、その言やよし。

もう一言。ネットでの右翼諸君の発言に、「是枝監督の 辞退表明、政府から助成金もらっておきながら『公権力とは潔く距離を保つ』って違うんじゃない?」というものが多い。

この言は、薄汚い権力者のホンネだ。ネトウヨが、アベ政権の本心を代理して発言しているのだ。
「国民の税金はすべて我が政権の手中にある。この政権に従順な者だけに金を配分してやろう。政権に楯突く不逞の輩にはカネをやらない。」「だから是枝よ、胸に手を当ててよく考えろ。」「映画を作るには金が要るだろう。助成金が必要なら、『公権力とは潔く距離を保つ』などと格好つけていてはならない。『魚心あれば水心』って、あながち知らないわけでもなかろうに。」

助成金は国民の税金だ。国民に還元しなくてはならない。還元は先は、けっして公権力でも政権でもない。政権の意向を忖度しない映画の制作こそ、最も適切な国民への還元なのだ。

(2018年6月9日)

森友事件告発・大阪検察審査会に審査申立

本日(6月4日)早朝、大阪検察審査会に審査申立書を書留便で郵送。10時半から、東京地裁の司法記者クラブでの記者会見で報告。

私は、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの依頼を受けて、下記2件の告発代理人となった。

A 告発日 2017年10月16日
被疑者
(1)池田靖(近畿財務局管財部統括国有財産管理官・当時)
(2)佐川宣寿(財務省理財局長・当時)
罰条
(1)背任
(2)証拠隠滅

B 告発日 2017年11月22日
被疑者  美並義人(近畿財務局長)
罰条   背 任

そのいずれも2018年5月31日に不起訴処分となり、その旨の通知が6月1日に発送されて2日に届いた。本日の検察審査会への審査申立は、上記A案件の申立人が19名、Bが4名である。

私の発言のサワリはこんなところ。

森友学園問題とはいったい何なのでしょうか。一国の最高権力者とその妻による、行政の私物化、政治の私物化ではありませんか。この事件の元凶は明らかに首相とその妻。その元凶の威光に迎合して、国有財産の只同然の売り払いが行われたというものではありませんか。この元凶の影響を隠すために、官僚による隠蔽・改ざん・虚偽答弁が重ねられてきたのです。

残念ながら、元凶の力が強く、批判する野党に十分な力が与えられてない。官僚も国会も頼りにならない。そこで政治勢力から独立しているはずの刑事司法に期待して告発したのですが、残念ながらこれも頼りにはならなかった。最後の砦としての検察審査会に期待して審査申立をいたしました…。

本日私たちのグループがした検察審査会への審査申立は、被疑者3名で告発罪名は2件である。しかし、関連告発の被告発人は38名だという。そして、告発罪名は6件に及んでいる。

38名の内訳は、財務省(本庁)関係者が23名、近畿財務局関係者が10名、国交省(大阪航空局)関係者が4名、そして森友学園関係者が1名というもの。

そして、被告発罪名は、まず背任、そして公用文書等毀棄、虚偽有印公文書作成・同行使、有印公文書変造・同行使、証拠隠滅、そして公務員職権濫用。このうち、公務員職権濫用を告発罪名とする事案だけは、不起訴の理由が「嫌疑なし」(罪にならない)とされたが、他は圧倒的に「嫌疑不十分」である。

検察審査会の審査には大いに期待しよう。

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ところで、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は、6月10日 「財務省前納税者一揆行動+デモ」をする。納税者一揆の第3弾だ。

「安倍、麻生の納税者・国民を舐めきった言動、常識が壊された国会のあり方に、いい加減決着をつけよう!」がメインスローガン。

6月10日の12:00~ 財務省前アピール行動
その後直ちにデモ行進出発

出発 日比谷公園西幸門→
解散 丸の内・鍛冶橋駐車場(13時過ぎ)

スローガン
★嘘は止めて今すぐ辞めろ!
★安倍内閣は総辞職せよ!
★麻生財務相の居座りは許さない、引責辞任せよ!
★佐川氏の立件見送り許さない!
★事前のすり合わせ?
会計検査院は財務省とつるむな!

そして、14:00~は「6.10国会前大行動」(総がかり行動委)に合流する。

この「財務省前納税者一揆行動+デモ」には、女流落語家 古今亭菊千代さんが登壇する。

ようこそ菊千代ページへ


「平和でなくては落語は笑ってもらえない、だから憲法9条を守ります。」という方。是非ともご参加の上、納税者の怒りを、安倍や麻生にぶつけようではありませんか。
(2018年6月4日)

大阪検察審査員の皆様に訴えます

1 以下は、不起訴処分となった本件告発(2017年10月16日付)の末尾の文章です。
「以上の被告発人両名に対する本件告発は、森友学園事件疑惑の全容解明を期待する国民世論を代表しておこなうものである。御庁検察官は、権力に屈しない毅然たる姿勢をもって、本告発にかかる事案について厳正な捜査を遂げ、さらに権力中枢の関与についてまで、国民が納得できるよう捜査が及ぶことを望むものである。」
残念ながら、同じことを検察審査員の皆様に申しあげなければなりません。仮に、皆様の判断が、検察官と同様のものだとすれば、もう森友学園事件の刑事事件としての立件は不可能となります。それは、日本の民主主義にとっての大きな禍根と言わざるを得ません。あとがないのです。
皆様に、耳を傾けていただくよう、お願いいたします。

2 検察審査員の皆さんの職責は、検察官の不起訴処分について、その当不当を判断することとされています。一見どんなに些細に見える事件に関しても、適正な刑事司法作用を実現するための検察審査員の関与は意義の大きいもので、それだけに重責と言うべきでしょう。
しかし、ときに、一見些細に見えるどころではない重大事件というものがあります。検察審査員の判断が、民主主義の根幹を揺るがすことにもなりかねない審査申立事件。森友事件関係者38人の一括不起訴処分に対する審査申立案件は、まさしくそのような重大な意味をもっています。あなた方審査員11人の、不起訴処分に対する当不当の判断が、わが国の健全な民主主義を発展させるのか衰退させるのか、そのような大きな影響力を持つものと考えざるをえません。

3 もっと正確に言えば、森友事件で表面化したわが国の政治や行政のありかたは、行政私物化、政治の私物化、あるいは国家の私物化と言われる事態です。憲法が想定するような公平で公正なものではありません。それを建て直すラストチャンスがあなた方の手中にあります。その権限を正しく行使していただきたいのです。仮にも、これを放置して、38名の不起訴を相当とするようなことになれば、わが国の民主主義は地に落ちてしまうことにもなりかねません。

4 森友学園事件の発端は、内閣総理大臣とその妻の威光によって、およそ非常識な教育を行う小学校の建設が認可される運びとなったことにあります。そして、国民の財産である国有地がその校地として只同然の価格で売り渡されたことが、明らかになりました。
これを追及された首相は、「国有地の売却や学校の認可に自分や妻が関わっていれば、首相も政治家も辞める」と明言しました。そのため、多くの官僚が首相を擁護するために、首相の意向を忖度して、書類の隠蔽・改ざん、虚偽の答弁を繰り返してきました。
首相夫妻が元凶で、内閣に自浄作用なく、政権与党も官僚も忖度を繰りかえすばかり。国会が本来の役割を果たし得ていません。最後の頼みが検察だったのですが、残念ながらこれも結局は頼りになりませんでした。とすれば、日本の民主主義は、検察審査会の審査員11名の皆様に希望を託するより方法はありません。

5 法とは正義の別名です。法の適切な運用によって、正義が実現します。皆様の適切な判断によって、日本の民主主義が息を吹き返します。
いま、あなた方11名が、その正義を実現することができる立場にあります。皆様が法であり、正義となります。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただくよう期待して、本申立をいたします。

6 なお、一言付言いたします。審査員皆様の任務は、被疑者・被告発人の有罪を断定するものではありません。あくまで、本件が裁判官に有罪か無罪かを判断してもらうにふさわしい事案であるかどうかの判断なのです。その意味では、過度に有罪の確信にこだわる必要はありません。飽くまで、国民一般の目線で、これだけの灰色の材料があれば、裁判所の判断を仰ぐべきだというレベルの心証で、不起訴を不当とし、起訴を相当としてよいのです。
そのようなご認識で、以下の告発にかかる被疑事実をお読みください。

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森友学園問題での告発が正確に何件あるかは知らない。報道では、38人の被告発人がすべて不起訴となった。おそらく告発人のすべてが、検察審査会への審査申立をするだろう。

私は下記2件の告発代理人となった。

(1) 告発日 2017年10月16日

被疑者   (1)池田 靖  (2)佐川宣寿

罪状    (1)背 任    (2)証拠隠滅

(2) 告発日 2017年11月22日

被疑者  美並義人

罪状   背 任

そのいずれも2018年5月31日に不起訴処分となり、その旨の通知が6月1日に発送され、2日に届いた。

本日(6月3日)、大阪検察審査会への審査申立書を起案し、明朝(6月4日)郵便で発送する。

その冒頭の担当審査員への訴えの部分が上掲の一文である。良い結果を期待しつつ…。

(2018年6月3日)

「嘘つき」で、しかも「卑怯」 ー アベやめたまえ。

本日(5月30日)の党首討論。野党第一党である立憲民主党代表の枝野幸男は、持ち時間の19分を森友・加計の問題に絞って追及した。力をいれたのは、森友問題に関する首相の責任のとりかたについての食言である。これを「卑怯な行為」と喝破した。

「総理は昨年2月17日の衆議院予算委員会で『私も妻も一切、この認可にも、国有地払い下げにも関係ないわけでありまして、私や妻が関係したということになれば、これはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい』とおっしゃいました。ところが月曜日(5月28日)の予算委員会を聞いておりますと、どうも、金品の授受がないなど、贈収賄に当たらないから問題がない、というようなことをおっしゃっているようにも聞こえるご発言がありました」

「贈収賄などに該当すれば、もう総理や国会議員を辞めるのは当たり前の話でありまして、1年以上にわたって限定なく、関係していたら辞めるといったことを前提に議論してきたにもかかわらず、どうも昭恵夫人が一定の関係をしていたことをうかがわせるような材料が出てきたら、急に金品や贈収賄のような限定を付した。とすれば、一般にはそういったことを『卑怯な行為』といいます。まさか一国のリーダーが国会で堂々とそんな卑怯な振る舞いをすることはないと。そんなことがあったら社会の倫理観をまひさせ、国益を損なうと思いますがいかがでしょうか」

 この枝野の問い掛けに対するアベの答弁は、以下のとおりだった。

「枝野さんは、急にこの前、28日に私が定義を、私が関わっていればという関わりについて、急に定義、前提条件を付けたのではないか、というご質問であります。それであれば卑怯ではないかということも言われた。では果たしてそうなのか。そういう答弁を私が初めてしたのか、ということであります。そこで、お答えをさせていただきますが、すでに私は平成29年3月24日、もう1年以上前のことでありますが、そのときに私は福山(哲郎)委員の質問に対して私はこう答えております」

 「何か政治に籠池(泰典・森友学園前理事長)さんから依頼があって、そしてそこに何かお金の流れ、いわば籠池さん側が政治家等に対してさまざまな便宜をはかる中において、政治家が応えたのではないか。これはそういう疑惑だったはずであります。ですからその中において、『私も妻も一切関わっていない』と言ったのは事実でありますし、それは今でも事実であろう、と思っているわけでございます」

 これは支離滅裂。まったく回答の体をなしていない。もしかしたら、アベは本気で「食言は、今さらのことではなく、もっと前からのことですよ」と言いたいのだろうか。
また、福山(哲郎)議員質問に対する17年3月24日答弁が、「私が『一切関わっていない』と言ったのは、カネなど受けとった贈収賄がないという意味ですよ」という弁明とは受けとりがたい。『私も妻も一切関わっていない』とは、文字通り、学校設置にも校地の売買にも「一切関わっていない」という意味以外にはあり得ない。「収賄にはならないけれども、関与はしていました」「関与はしていましたが、収賄になるほどのことはしていません」という含意で、『私も妻も一切関わっていない』というはずはないのだ。

時間があれば一問一答で問い詰められたはずだが、如何せんその時間がなかった。

念のため、17年2月17日衆院予算委員会民進党・福島伸享議員の質問に対するアベの答弁を確認しておきたい。これこそが、貴重な原点なのだから。

○福島委員
 なぜ(政府委員の答弁が)もごもご言うのかわからないですけれども、私立大学でできないものを今回私立小学校でやって、法律を潜脱していて、脱法的な疑いがあるわけですよ。土地を買う値段もおかしければ、設置の認可の状況でもおかしいというのがこれなんですね。
  あえて言いますけれども、この小学校の名誉校長とされているのが「安倍昭恵先生」という方で、右を見ると、「安倍晋三内閣総理大臣夫人」と書いております。「この理事長の籠池先生の教育に対する熱い思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました」と。
  この事実、総理は御存じでしょうか。

○安倍首相
 この事実については、事実というのはうちの妻が名誉校長になっているということについては承知をしておりますし、妻から森友学園の先生の教育に対する熱意はすばらしいという話を聞いております。
  ただ、誤解を与えるような質問の構成なんですが、私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。

○安倍首相
繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思いますし、そもそも、何かそういうことが動いているかのようなことを前提にお話をされると、この小学校に通う子供たちもいるんですから、こういうことはやはり慎重にちゃんとやっていただきたい、このように思います。

 この答弁では、何の限定もなく、きっぱりと「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」「全く関係ないということは申し上げておきたい」と言っている。けっして、刑事的な違法や贈収賄の成否を問題にした文脈にはなっていない。

このことを確認して、さて、このアベ答弁が、どう変わったか。18年3月28日参院予算委員会での増子輝彦議員の質問に対するアベの答弁はこうなっている。

○安倍首相
 まず、不正はしていないということははっきりと申し上げておきたいと思います。
不正というのは何でしょうか。不正というのは、例えば金品を授受をして、授受をしてですね、行政にこれはこういうふうに政策を変えろと、こういうことであります。これがまさに今まで政治の世界においては大きな問題になってきた、贈収賄として問題になってきたところであります。まず、それでは全くないということは申し上げておきたいと。そして、そういう私は文脈の中において、一切関わっていないということを申し上げているわけでございます。

これはいったい何だ。「そういう文脈の中において、一切関わっていない」とは、「刑法上の贈収賄成否という限られた文脈においては、一切関わっていない」と読めるではないか。

いみじくも枝野幸男が指摘したとおり、妻の関与は否定しようがなくなった現在、もう「まったく関係ない」とか、「一切関わっていない」とは言えなくなった。本来、「かかわっていた以上は、これはもう私は総理大臣も議員も辞めなければなりません」「総理として私が国民に約束したことなのですから」と言わねばならない。その事態に至って、アベは卑怯にも前言を翻したのだ。

これは、自分の発言に責任をもとうとしない卑怯で卑劣な態度ではないか。アベ晋三、「嘘つき」だけでなく、「卑怯」のステグマも刻印された。

なお、アベ晋三の賄賂に関する認識も正しておきたい。賄賂とは金銭に限らない、経済上の価値をもつ必要もない。「人の欲望または需要を満足させるに足りる一切のもの」が賄賂になり得る。

賄賂罪の保護法益は、公務員の職務の公正にとどまらない。職務の公正に対する国民の信頼でもある。政治を私物化したアベ政治は、既に大きくこの信頼を損ねているではないか。

まさしく、信なくば立たず、である。国民からの信を失ったアベ内閣は、責任をとってすみやかに総辞職すべきである。一国を代表する人物が嘘つきであるだけでなく卑怯でもあることは、これこそ国民に採っての恥辱であり、対外的にも国益を損なうものなのだから。
(2018年5月30日)

加計孝太郎よ真実を語れ。今のままでは嘘つき学園となってしまうではないか。

加計問題も森友問題も終わらない。政治的にはとっくに詰みのはずなのだが、アベはどうしても負けを認めない。勝負が長引くうちに、次から次へと新たな真相が暴かれていく。トップのウソを隠そうとして、官僚諸君が苦労して嘘に嘘を重ねてきたことがまた暴かれている。これを平然と見下しているアベという人物が不気味でならない。

これだけ、ぼろくそに言われ続けて傷だらけとなった「しがみつき政権」も珍しかろう。こうなると、行政私物化の事件は、本当にこれだけだったのだろうか。実はアベ政権のもっと薄汚ない事件が、闇に隠されているのではないだろうか。そんな疑念も湧いてくる。

昨日(5月28日)の両院予算委員会の集中審議。そのハイライトを、本日の毎日社説が要領よくまとめている。「総理が怒らない不可解さ」というズバリのタイトル。

 加計学園の獣医学部新設をめぐり、安倍晋三首相と学園の加計孝太郎理事長が面会していたのかどうかで混乱が広がっている。
 愛媛県の公文書には、2015年2月25日に首相が加計氏と面会し「獣医大学の考えはいいね」と語った記録が残る。これに対し学園が「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と(同県今治)市に誤った情報を与えてしまった」とのコメントを唐突に出したからだ。

 学園は、県が文書を国会に提出した当日には「理事長が15年2月に総理とお会いしたことはございません」と面会を否定するだけにとどめていた。なぜ最初から発表しなかったのか、不自然な対応である。きのうの衆参両院予算委員会の集中審議でもこのコメントが焦点になった。

 仮にこれが事実だとすれば、架空の面会を報告することにより首相の後押しがあると見せかけ、県と市を動かそうとしたことになる。

 実際、面会報告後に柳瀬唯夫首相秘書官(当時)が県と市の担当者と会い、国による国家戦略特区の手続きが進んでいく。その適正さを疑わせる重大な問題をはらんでいる。

 県の文書によると、学園側は県に面会を報告した際に財政支援も求めた。県と市は今春、計約93億円の補助金拠出を決めている。

 さらに不可解なのは首相が抗議しないことだ。これまで首相は「加計理事長は友人だが、私の地位を利用して何かを成し遂げようとしたことは一度もない」と繰り返してきた。

 面会があったにしろなかったにしろ、県や市に報告した事実は学園側も認めている。まさに首相との関係を利用して獣医学部新設を実現しようとした行為ではないか。

 首相は本来ならもっと学園の対応に怒ってしかるべきだろう。きのうの集中審議で野党はその点を突いたが、首相は「私は常に平然としている」などとはぐらかした。

 そもそも学園側は真っ先に県と市に謝罪すべきなのに、ファクスを報道機関に送っただけで取材にも応じていない。首相との面会がなかった裏付けは示されないままだ。加計氏が国会など公の場で真相を語らなければ、疑惑はいつまでも続くことになる。

この「総理が怒らない不可解さ」を衝いたのは小池晃の質問。大略、次のようなものだった。

○小池晃
愛媛県が当委員会に提出したこの文書では、2015年2月25日に加計学園の理事長が安倍首相と15分程度面談をし、獣医学部の構想を伝え、首相からは、『そういう新しい獣医大学の考えはいいね』とコメントがあったと。ところが、加計学園は、『実際にはなかった面談を引き合いに出して県と市に誤った情報を与えた』という、ちょっと想像を絶することを言い出しているわけですね。
これ、愛媛県にも、報告・説明・謝罪はなかったそうです。ファクス一枚送っただけ。先ほどの議論では、総理にも報告なかったというわけですね。愛媛県の知事は、これは怒っているわけですよ。総理は何で怒らないんですか。

○安倍晋三
これは怒るとか怒らないとかいうことではなくて、愛媛県、まず愛媛県の文書について、私は、県の文書でございますから、コメントする立場にはないわけでございます。… 加計学園側のコメントについては、私はそれについて評論する立場にはないということは申し上げておきたいと思います

 ○小池晃
全く私の言ったことに答えていないわけですよ。
私、言ったのは、愛媛県の文書についてのコメントじゃないんですよ。加計学園がうそだったと言ったわけでしょう。そのことについて、だって総理はこう言っているわけです。『加計理事長は、私が政治家になるずっと前の、学生時代の頃からの友人でありますが、私の地位を利用して何かを成し遂げようとしたことは、この40年間一度もありません』と。
まさに今回、何かを成し遂げようとしたんじゃないですか。そういうことを加計学園側が言ったわけでしょう。これは伝聞でも何でもないですよ。加計学園はそれをはっきり言っているわけですよ。総理の名をかたり、総理との架空の面談をでっち上げ、獣医学部の新設を実現しようと言ったと。
これ、総理がかんかんに怒らなきゃいけないはずなんですよ、利用されたんですから、総理が。それなのに平然としている。これは、結局、加計の言っていることが真実ではなくて、総理自らをかばうものであるということを御存じだから平然としているんじゃないですか。

○安倍晋三 
私は常に平然としております。加計学園のコメントによれば、加計理事長ではなく、当時の担当者が実際にはなかった面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思うとのことでありまして、それ以上私にはコメントのしようがないということでございます。

○小池晃
いつも平然としていないじゃないですか。野党から指摘されたら、かんかんになって、この場で血相を変えて反論しているじゃないですか。それを、担当者ははっきり認めているわけですよ、事実でないことを言いましたと。しかも、これは、獣医学部設置が停滞して、何らかの活路が見出せるのではないかとの考えから、ありもしないことを言ったというんですよ。これ、かんかんに怒らないのは、どう考えたっておかしいじゃないかと。

○安倍晋三
愛媛県の文書について私はコメントする立場にはございません。

○小池晃
私が聞いているのは、総理、他人ごとで済まされる話じゃないと思うんですよ。
だって全て総理の言動をめぐっての記述なんですよ。総理の言動をめぐっての記述が、2月25日に総理が加計理事長と会っていなければ説明が付かないようなことになっているわけですよ、これ。
結局、コメントできない、愛媛の文書だからコメントできないというのは、否定も反証もできないからでしょう。もしそうでないというんだったら、反証してくださいよ。

○安倍晋三
これは証拠を出すとかいうことではなくて、これは県が出された文書でございますから、それを評論あるいはコメントする立場にはないということでございます。

安倍晋三よ。愛媛県知事は怒っている。あなたはなぜ怒らないのか。加計学園はあなたの名を騙り、あなたとの架空の面談をでっち上げ、愛媛県と今治市を欺罔して獣医学部の新設を実現しようと画策した。これによって、公費93億円を手に入れたではないか。こんな不正の手段に使われたあなたがなぜ怒らないのか。

加計孝太郎よ。もし、加計学園の自白コメントが真実だとしたら、毎日新聞社説のいうとおり、「架空の面会を報告することにより首相の後押しがあると見せかけ、県と市を動かそうとした」ことになる。もっと端的に言おう。加計学園が学園ぐるみで詐欺を働いた疑惑が濃厚となる。

考えても見よ。「2月25日面会の報告」のリアリティを。アベとカケの仲を知る関係者の皆が、「絵空事の架空の面会の報告」とは思わなかった。いかにもありそうなリアリティに満ちていたから、その記載のとおりに信用したのだ。しかも、その後の事態は「2月25日面会の報告」のとおりに進行したではないか。

加計孝太郎よ。真実は二つに一つだ。「2月25日のアベ・カケ面会は存在した」が、盟友アベの立場を慮ってないことにした。あるいは、「2月25日のアベ・カケ面会は存在しなかった」が、学部新設のために敢えて盟友アベの名を出して、県と市とを欺した、のどちらか。

加計よ、君も教育者の端くれだろう。加計学園は仮にも教育機関ではないか。本当に「絵空事の架空の面会の報告」で自治体を欺し、首相をダシに使って補助金の取り込みをたくらんだというのか。仮にそのとおりなら、加計学園のブランドイメージは、計り知れない傷を負って地に落ちることになる。

加計孝太郎よ、こそこその逃げ隠れはもう止めよ。覚悟して公の場で、真実を語れ。
今のままでは、「嘘つきアベ」に並ぶ「嘘つきカケ」となってしまう。嘘つき学園であり、新獣医学部は「嘘から生まれたキャンパス」となってしまうのだから。
(2018年5月29日)

「獣医大いいね・総理」の独白

昨日(5月22日)の朝刊各紙。いずれもトップに、「首相『獣医大学いいね』」の大見出しだった。2015年2月に、私が官邸に加計孝太郎を迎えて15分間面談し、学校法人「加計学園」の獣医学部新設の説明を受けて、「新しい獣医大学の考えはいいね」と応じたという内容だ。

いかにももっともらしいのが、シャクにさわる。

 獣医大いいね!とキミが言ったから2月25日は加計記念日

なんて、よみ人知らずのパロディがネットを駆け回っている。これがまた、上手だからシャクでならない。為政者に対する悪口を禁止できたら、世の中もっと平穏におさまるのに、表現の自由なんて害悪の元。

元凶は、愛媛県だ。私が嘘つきだとは、そりゃ天下周知の事実だよ。しかし、とどめを刺さないのが、エチケットというものだろう。愛媛県知事というお人、武士の情けを知らないひどい奴ではないか。

これで、私は、後世に「忖度首相」「デンデン総理」というだけでなく、「嘘つき首相」「獣医大いいね総理」「総理案件総理」として名を残すことになるのか。まことに悔しい。

私には、潔さの美学の持ち合わせはない。往生際が悪いと言われようと、加計孝太郎ともども嘘を突き通す以外にとるべき道はない。またまた出そう。「ないことの立証は悪魔の証明を求めるもの」というあの奥の手。うまく行けば、これで今回も何とか逃げ切れるかも知れない。

とはいえ、愛媛県が参院予算委員会に提出した関連文書27枚の内容は、具体的で詳細だ。事実の体験者しか書けない臨場感があり、真実性についての説得力がある。背景事情とも符合しているし、何よりも県に捏造の文書を作成する動機がない。誰が見たって、愛媛県側の文書の信憑性が高く、私と加計が嘘つきだと思われる。それが真実だから、困ったものだ。また、腸が痛くなる。

しかし、私も美しい日本を取り戻すと言い続けてきた政治家だ。こういうときにこそ、生き方のバックボーンとしての教育勅語を思い出す。

教育勅語には、「爾臣民 朋友相信シ」とあるではないか。私と加計は、「相信ずる朋友」だ。友人同士が真実を守り抜こうという友情は月並みのありふれたものだ。真実を敵にまわして、嘘を突き通すという悪だくみこそ、固い朋友の相信ずる姿ではないか。

しかも、2015年2月当時、加計の獣医学部新設構想は窮地に陥って、窮鳥として私の懐に飛び込んできたのだ。そりゃあ、ゴルフや会食をともにするたびに加計の思惑は聞いてきたさ。だから、15分の面談ですべてを承知した。かれは、親の代から教育をビジネスとしてきた男だ。しかも、政治とつるんだビジネスの勘どころをよくつかんでいる。私も、開戦時東条内閣の商工大臣だった岸信介以来、商売人とつるんだ政治家の家系だ。だから、私が加計に「獣医大いいね」と言えば、私の権限をフル活用して、最大限の便宜をはかってやろうということなのだ。その後は、ご存じのとおり総理秘書官を通じてトントン拍子の進捗だっただろう。

国政私物化という批判覚悟で私が彼に便宜をはからったのは、「朋友相信シ」の美しい友情からだ。今や「朋友相信シ」て、お互いに嘘を突き通すことこそが友情の証しだ。

そりゃあ、指摘されるまでもなく、教育勅語には、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」という一節もあることは知っているさ。しかし、それは庶民に向けた徳目だ。私や加計に向けたものではない。国憲も国法も、上に立つものが、下々に守らせるものだろう。最近の人々は、その辺の理解が欠けているんじゃないのかね。困ったものだ。本当に困ったことだ。世も末だ。
(2018年5月23日)

ソンタクこそは日本文化の神髄である

「忖度」、そりゃ大切だ。周りとうまくやるためには、一に忖度、二に忖度。
処世の要諦、これ忖度。忖度なしには、世渡りできない暮らせない。

出世しようと思うなら、ね、キミ。
上司の意中を忖度できなくっちゃね。

なんてったって、ソンタクこそは日本文化の神髄だ。忖度なくして、われわれの和の文化はあり得ない。忖度があって初めて、美しい日本の社会が存在するんだ。 17か条の憲法も、教育勅語も、忖度でできている。忖度は、大和民族の文化でもあり、伝統でもあるのだ。

そう。忖度は、男尊女卑や、大勢順応、権威追随、権力への諂いなどとともに、民族の優れた精神的遺産なのだ。天皇制とともに、いつまでも大切にしなければならない。しかも、今や、企業文化の基盤となっているのだからね。

いいかね、この社会は上位の者と下位の者とが階層をなしてできている、みんながみんな人間は平等だ、なんて言いだしたらいったいどうなる。この社会の平穏な秩序が壊れてしまうじゃないか。これを防ぐのが、忖度の文化だ。下位者の上位への自発的服従という美風だ。

社会の秩序を守るために、いにしえの聖人が道を説いてきた。たとえば、五倫。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信だ。今なら、さらに富者と貧者の和、多数派と少数派の議。あるいは諸民族間の敬であろうか。

この五倫をパクって、極端な国家主義と天皇崇拝を混ぜて拵え上げたのが教育勅語だ。臣は君に、子は父に、妻は夫に、幼は長に、そして朋友は互いに、忖度せよというわけだ。臣たる者、君命の出づる前に、主君の心中を察して行動せよ、言いにくいことを言わせるな。これが忖度の意味であり精神文化たる所以。

暴力団の鉄砲玉は、組長からあいつを襲えと具体的な指示を受けるわけではない。言われる前に、立派に忖度して組長の意に沿うのだ。そして、事後には組長から指示を受けていないと、組と組長を守ることになる。これこそ忖度文化の到達点。

戦前の天皇制がそうだった。天皇はけっして自ら命令を下さない。しかし、東条をはじめとする群臣は、例外なく、天皇(裕仁)の意向を忖度して、オオミココロに沿ったのだ。そうしてこそ、天皇の意思を実現しつつも、天皇の法的政治的責任を免じる口実をつくるのだ。

「木戸幸一日記」や「原田熊雄日記」が示すように、上奏以前の内奏等の過程で、天皇はしばしば質問(下問)や沈黙の形で、自らの意思を間接に示しており、そこから内奏者等は天皇の意思をまさに「忖度」して、その意に沿って何らかの決定を行っているのである。(横田耕一・「忖度」が横行する社会)

戦後今に至るも、この伝統は受け継がれている。いま、「天皇(明仁)の意に沿うべきだ」などと恥ずかしげなく言える空気が世に満ちている

「和をもって貴しとなす」も同じことだ。「和」とは、もちろん主体性をもった平等者間の連帯や団結のことではない。下っ端役人は上級官僚にツベコベ言うな。官僚は天皇に逆らってはならない。上からの命令や懲罰によってではなく、下僚の上級に対する自発的な服従でできあがる官僚秩序の形成を「貴い」としたのだ。これこそ、忖度の文化と伝統の草分けではないか。いま、これがわが国の企業内人間関係に生きていて、愚物の企業経営者が、社内の「和」を説いている。

文化と伝統の墨守は、保守政党のお手のもの。モリ・カケ事件でのアベ晋三は、忖度した官僚を、トカゲの尻尾よろしく切り捨てて涼しい顔だ。「私も妻も、けっして指示なんぞしていない」というわけだ。

日大アメフト部の監督も、この辺はよく心得ている。
「弊部の指導方針は、ルールに基づいた『厳しさ』を求めるものでありますが、今回、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが問題の本質」と言ってのけた。これはホンネだろうが、たいしたものだ。

この監督は、ルール違反のタックルで相手チームの主力選手にケガを負わせろ、とまでは言っていなかったのかも知れない。しかし、当の選手には監督が何を望んでいるかは、明瞭に「忖度」可能だったのだ。だから、監督の望むとおりに実行した。

監督の側は、いざというときは、「自分は指示をしていない」「選手が忖度した結果だとすれば、それは勝手にした間違った忖度だ」と逃れることを想定している。天皇も、アベも、組長も、そして体育部の監督も、忖度文化の利益を存分に享受しているのだ。

だけどね、キミ。「忖度」がいつもうまく行くとは限らない。
出世しようと上司の意中を忖度した結果が、上司に裏切られることも、往々にしてあるんだな。その場合は、泣くに泣けない悲劇となる。

「忖度」にも、相応の覚悟が必要ってことだ。佐川や、柳瀬や、迫田や、美並などの行く末をよくよく見てみようじゃないか。
(2018年5月19日)

月とスッポン ― 徳ゆえに王に推戴された尚円と、不徳を批判されながら政権にしがみつくアベ晋三と。

もしもし、前島の船員会館は、この方向でよろしいのでしょうか。

ああ、先ほど「りっかりっか湯」にいらっしゃった方ですね。この道を真っ直ぐに行って15分足らずですよ。私も同じ方向ですから、ご一緒しましょう。

助かりました。那覇にお住まいの方ですか。

いえ、私は伊是名島から建築現場への出張で、近くのホテルに宿泊中です。

ほう、伊是名ですか。あの辺の島は、一つ置きに、ハブのいる島、いない島とならんでいるそうですが、伊是名はハブのいる島ですか。いない島ですか。

不思議なことに、伊平屋島、伊江島にはハブがいるのですが、伊是名島にはハブはいません。よいところですよ。一度、いらっしゃるとよい。

何が伊是名の見どころなんでしようか。

自然も美しいですが、伊是名は歴史の島です。第2尚氏と言ってお分かりでしょうか。その初代尚円王の出身地で、ゆかりの史跡がたくさん残っています。

にわか勉強で教わりました。三山を統一して首里王朝を建てた尚氏は7代で亡んで、血筋のつながっていない第2尚氏が明治政府の琉球処分・廃藩置県まで19代も続いたとか。

そうなんです。その第2尚氏の初代が、元は伊是名島の百姓だったんですよ。百姓から琉球の王様になって、百姓の気持が分かるからよい政治をしてくれたと言われています。

どうしてまた、農民が王様に?

王になる前は、金丸という名前でした。評判の働き者だったそうです。でも、あんまり彼の田ばかりが稔るので、周りからやっかまれて島を逃げ出したんですね。そして、彼が首里で出会って仕えた人が後の6代目尚泰久王だった。金丸は、この王に重んじられて、王の片腕と信頼されたそうです。

なるほど。で、クーデターで、王を倒したということですか。

伊是名島では、そうは言われていません。尚泰久王がなくなってあとを嗣いだのが7代の尚徳王ですが、これが暴君で百姓を顧みない。金丸は諫めたが、王は聞く耳を持たない。それで、あきらめて隠居したと言われています。

第1尚氏最後の尚徳王は殺害されたのではありませんか。金丸は暴君殺害に関与していない?

島では、金丸は先王の殺害とは無関係と言い伝えられています。自分では王位を望まなかったのですが、周囲がその徳を慕ってぜひ王位にと声を上げたので、推されて王位に就いたということです。

なるほど。画に描いたような易姓革命。農民の出自であろうとも、徳があってよい政治をしてくれる人だから王にふさわしいとみんなが認めたわけだ。

そのとおりです。6代目尚泰久が評判のよい王様でしたが、それは金丸のお陰でもあったのです。だからみんなが金丸を説得して王様になってもらった。同時に、尚氏の血統は王位から外されました。

へえ。不祥事を重ね、政治の私物化を批判されながら政権にしがみついているアベなんぞとは真逆なんですね。それにしても、血筋のつながりないのに、どうして金丸が尚氏を名乗ったのでしょうか。

これも金丸が望んでしたことではなく、明から冊封を受けているため、やむなく尚氏を名乗らざるを得なかったということです。

金丸は、15世紀の人ですね。いまだに、人気があるんですか。

伊是名島は金丸を生んだ土地であることを誇りにしています。なにしろ、百姓から出た、百姓の気持ちの分かる王様ですからね。島にはその史跡がたくさん残っています。

なるほど、庶民から出た政治家と、2代目3代目の世襲政治家との違いみたいなものでしょうかね。この点もアベなんぞと真反対。

もう船員会館の近くまで来ました。この先の四つ角のすぐ右側ですよ。私はここで失礼します。

いつか伊是名に行ってみますよ。ありがとうございました。
(2018年5月14日)

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