澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「この低劣な品性に命を預けられるか」 ー 赤木俊夫さんの死に対する責任の問い方

昨日(3月29日)付毎日新聞の「声」欄に掲載された短文の投書に目を惹かれた。
「自民党支持の皆さんへ」という表題。投書者は、広島の年金生活者、75才の男性である。

 森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書を巡り、改ざんを強いられて2018年3月に自殺した近畿財務局の男性職員。「僕の契約相手は国民」が口癖だったというこの人の「遺書」を読み、キャリア官僚の傍若無人さに怒りを覚え、筆を執りました。

 この投稿者の文体は常連のものではない。自殺した近畿財務局の男性職員の手記に心を打たれ、この人を死に追いやった者の傍若無人さに怒りを抑えきれずに、投書したのだ。

 改ざんの詳しい経緯をつづった男性職員の手記が公表されても、安倍晋三首相と麻生太郎財務相は「再調査は必要なし」との姿勢です。自民党の国会議員と自民党を支持する皆さんにうかがいます。これでよいと思っていますか。

 投書者の怒りは、男性職員を死に追いやった最高責任者に向けられている。この期に及んで、「再調査は必要なし」というその姿勢のこの二人が元兇、この二人こそ糾弾すべき真の対象である。しかし、投書の呼びかけは、この元兇の二人ではなく、この二人を政治的に支えている「自民党の国会議員と自民党を支持する皆さん」に向けてなされている。

 男性職員の奥さんがコメントした通り、2人は「調査される側」であり、再調査は不要と発言する立場にはありません。また、改ざん問題で処分を受けた当時の財務省幹部はそれぞれ駐英公使や横浜税関長などになったとのこと。国民をばかにしていると思いませんか。今の不条理な政治を変えられるのは自民党支持者しかいないと思います。議員の方は正義感を発揮してください。

 投書者は、安倍・麻生への怒りを抑えて、静かに自民党支持者に問いかける。決して、その責任を追及する口調ではない。飽くまでも、問いかけである。良識や理性をもつ人間にとって否定しようのない問をもっての訴えである。

この投書者は、心の底から、「今の不条理な政治を変えられるのは自民党支持者しかいない」と思っているのだ。それは、裏返せば、「今の不条理な政治をもたらした責任は、安倍や麻生を支持したあなた方にある」ともなるが、直截にそうは言わない。

問題点を的確に指摘して、穏やかに語りかけること。実は、このような姿勢が、人を説得し、政治を転換するために最も有効なのかもしない。この投書者の、冷静さ、穏やかさ、礼儀正しさを学びたい。

同日の「松尾貴史のちょっと違和感」が同じ問題をテーマに取りあげている。こちらは、直截で歯切れがよい。タイトルが「職員自死の質疑中ニヤニヤ私語 この品性に命預けられるか」というもの。松尾貴史も、安倍・麻生に心底憤っている。以下は、その抜粋である。

 自身の発した「私や私の妻が関わっていたのであれば総理大臣も国会議員も辞める」という言葉が引き金になって、改ざんや隠蔽を強いられた近畿財務局職員の赤木俊夫さんが自死を選ばざるを得ないと思ってしまったことに、ひとかけらの罪の意識も感じない安倍晋三総理大臣や、組織のトップである麻生太郎財務大臣の、あれこれ言い訳を作って面会や墓参から逃げる様を見て、「こんなひきょう者たちに生命と生活を預けなければならない」という憤りは、日に日に高まり募る一方だ。

 赤木さんの死に関する質問をされているときに、当の安倍氏はニヤニヤ笑いながら麻生氏と私語を交わしていたのが、彼の人柄、品性を象徴的に表している。

 世界の危機が訪れている今、国民の命を守らなければならない立場に、こんな不誠実な人物を据えていていいはずがない。国民には休校や卒業式の中止をさせている中、自分は自民党総裁としてではなく、内閣総理大臣として防衛大学校の卒業式に出席し、祝辞に憲法改定の意欲を盛り込むという憲法99条違反の越権行為をする。もういいかげんに彼を辞めさせなければならない。

 まったく同感であって、付言することもない。真っ当な政治の要諦は、国民からの信頼にこそある。自分に深く関わるこの件で、一人の官僚が自ら死を遂げたのだ。その死に関わる質問の場で、「ニヤニヤ笑いながら麻生氏と私語を交わし」ていたという。こういう政治指導者の品性の低劣は許しておけない。もういいかげんに彼を辞めさせなければならない。もちろん、その通りなのだ。

先に引用した投書子のように、穏やかに自民党支持者に問いかける姿勢も学びたいし、松尾貴史のように、安倍・麻生本人にストレートな手痛い批判をする、その切れ味も学びたい。心して、二兎を追うこととしよう。
(2020年3月30日)

「こんな日本に誰がした」 ー いま、切実に問わなければならない。

本日(3月25日)の毎日新聞第8面「みんなの広場」欄に、市民感情を代表する投書が掲載されている。タイトルが、「こんな日本に誰がした」というもの。大阪の主婦・岡田マチ子さんの叫ぶがごとき文章である。

このタイトルだけでおよその見当がつく。「こんな日本」とは、「ウソとゴマカシが横溢し、正直者が苦しむ日本」である。「誰がした」か? 今さらいうまでもなく、「ウソとゴマカシが横溢した、こんな日本のトップ」である。もっとも、この『誰』は、一人とは限らない。投書は2人の名を挙げている。佐川宣寿と安倍晋三である。

 もう我慢できない。平気でうそをつき、権力者の顔色をうかがい、国税庁長官に上り詰めたその人物に。

 まったく同感だ。私も我慢ができない。「平気なうそ」にも、「権力者の顔色をうかがう」その卑屈な姿勢にも。そして、そのような人物の一群が、この国の権力者を支えていることにも。

 森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざん問題で2018年3月に自殺した近畿財務局の男性職員の奥さまが、真実を求めて国と元国税庁長官の佐川宣寿氏を相手取り訴訟を起こした。

 権力を持つ者に不都合な真実は常に隠されている。厚いベールに覆われて、容易に真実に近づくことができないのだ。そのベールを剥ぎ取って、権力を持つ者に不都合な真実を明るみに曝け出すことが提訴の狙いである。そうしてこそ、亡くなった人の無念を晴らすことができようというもの。

 17年2月17日、国会中継を見ていた。森友疑惑に関して安倍晋三首相は「私や妻が関係していたら首相も国会議員もやめる」と語気を荒らげた。首相の奥さまが学園の予定する小学校の名誉校長に就任していたというのに。

 佐川宣寿の背後に安倍晋三がいる。安倍が佐川に不都合な文書の改竄を指示したのか、あるいは佐川が安倍の意向を勝手に忖度したに過ぎないのか。いずれにせよ、安倍の私益を擁護するために、佐川が文書改竄を指示し末端職員が違法行為の実行を余儀なくされたのだ。

 男性職員の手記によるとその9日後、上司から改ざんを指示される。指示の大本は当時、財務省理財局長だった佐川氏だという。新聞記事にある「『僕の契約相手は国民』が口癖だった」のくだりで活字がにじむ。

 この手記は涙なくしては読めない、というのが真っ当な市民感情。安倍や麻生には、血も涙もない。手記で名前を上げられた佐川も、中村も、田村も、杉田も、そして美並も池田も、その後はみんな見事に出世している。公文書改竄で自ら命を断った者と、悪事をともにして出世した人びととのなんたるコントラスト。

 森友問題、加計問題、桜問題、東京高検検事長定年延長問題……。こんな日本に誰がした。安倍氏をおいて他にない。

 安倍晋三の罪は重い。国政を私物化し、国政をウソとゴマカシで固めたのだ。「こんな日本」「こんな総理」に、国民の支持がいまだに4割を超える。その国民の責任も大きい。森友、加計、桜、検事長定年延長…、これだけあって何ゆえ「こんな総理」が生き延びているのだ。「こんな日本に誰がした」は、今切実な発問である。
(2020年3月25日)

防衛大学校の卒業式での、あらまほしき首相訓示。

安倍晋三は昨日(3月22日)、防衛大学校の卒業式に臨んで訓示をした。卒業生「諸君」にではなく、彼らを「諸官」と呼んで、幹部自衛官の使命を語った。防衛大学校の伝統としての上級生から下級生への陰湿なイジメが世の話題となる中でのことだが、もちろん、そんなことはおくびにも出さない。「真剣なまなざし、凛々しい姿。本当に、頼もしく思います」という調子で、聞くだに恥ずかしい。

かなり長い、冗長な訓示。まとまりに欠け、切れ味はよくない。大学校側の起案か官邸側の作文かは知らないが、コロナ禍のこの時期の屋内大人数イベントでの長広舌は、危機管理上望ましくない。むしろ、なくもがなの訓示の内容。

それでも、この時期に安倍が何をいうのか。メディアは聞き耳を立てた。各紙の見出しは以下のとおり。彼が何を言ったか。この見出しでつかめる。実は、それ以上の中身はない。

朝日 首相、自衛隊の憲法明記に改めて意欲 防衛大卒業式で
毎日 首相が防衛大卒業式で訓示 クルーズ船防疫「完璧な任務遂行」と賛辞
日経 首相、日米同盟の強化強調 防衛大卒業式で訓示
読売 憲法9条に自衛隊明記、首相が改めて意欲
産経 首相、防大卒業式で憲法改正で自衛隊明記に意欲
赤旗 派兵抗議行動を非難 防大卒業式 首相、9条改憲執念

 私が、興味を惹かれた2個所を抜粋して引用しておきたい。

「本年は、日米安全保障条約の改定から60年となります。日米同盟は、外交・安全保障の主軸となり、日本の平和国家としての歩みを確かなものとし、安定した成長を実現する基盤となりました。
 当時、条約の改定を巡っては、戦争に巻き込まれるといった激しい批判がありました。それでも、先人たちは、50年、100年先を見据え、敢然と行動しました。
 平和安全法制の制定を巡っても、同様の議論がありました。しかし、互いに助け合える同盟は、その絆を強くする。この法制によって、日米同盟は、かつてなく強固なものとなり、厳しい国際環境にあって、大きな抑止力となっています。
 日米同盟は、これまでも、これからも、我が国の外交・安全保障の基軸です。日米同盟を真に実効あるものにできるかは、諸官の双肩にかかっています。地域の公共財としての日米同盟の更なる強化に向けて、我が国の果たし得る役割の拡大を図っていく。各自が常に、その高い自覚の下に職務に邁進し、日米の紐帯を揺るぎないものとしてください。」

「本年1月からは、中東海域において、情報収集活動が始まりました。2月2日、私は、護衛艦『たかなみ』に乗艦し、中東の地に向かう隊員たちを直接激励する機会を得ました。使命感に燃え、整然と乗り込む隊員の姿を、大変、誇らしく思いました。
 一点、残念だったのは、御家族が見守る一角に、憲法違反、とプラカードが掲げられていたことです。隊員の幼い子供たちも、もしかしたら、目にしたかもしれない、どう思うだろうか。そう思うと、言葉もありません。隊員たちが、高い士気の下で、使命感を持って任務を遂行できる。そうした環境を作っていかなければならない。改めて、強く感じています。」

Aは、私にはこう聞こえた。

「本年は、日米安全保障条約の改定から60年となります。当時は戦後20年、戦争を悪とし絶対の平和を求める世論が、わが国に満ちていました。好戦的なアメリカとの条約の改定は、戦争に巻き込まれる危険を引き受けることである。あるいは再び加害国になる恐れも覚悟しなければならない、といった圧倒的な世論の反対がありました。それでも、政権を握っていた岸信介や自民党内の保守派は、敢然とこの世論を抑え込み、封じ込めました。今も論争は続いていますが、結局は日米同盟が、外交・安全保障の主軸となり、日本の安定した成長を実現する基盤となりました。日米同盟は、これまでも、これからも、我が国の外交・安全保障の基軸です。あのとき、連日の国民的なデモの鎮圧に自衛隊は出動寸前で踏みとどまりました。しかし、将来、同様の事態があったときは、諸官は国民世論の如何にたじろぐことなく、自信をもって暴徒の鎮圧にあたらなけれはなりません。そうして,日米の紐帯を揺るぎないものとしてください。

Bについては、彼は本来こう言うべきだったろう。

「本年2月2日、私は護衛艦『たかなみ』に乗艦し、中東の地に向かう隊員たちを直接激励する機会を得ました。その際、見送りをされる隊員のご家族とならんで、抗議の意思を表明される少なからぬ人びとをお見受けしました。その人たちは、「中東派遣反対」「中東へ行かないで」「むりやり行かすな自衛隊」「自衛隊員の命をまもれ」などと、横断幕やプラカードを掲げていらっしゃいました。もちろんその方たちは「自衛隊は憲法違反」「自衛隊の海外派遣は違憲」との信念をお持ちと拝察いたします。
 言うまでもないことですが、勇躍して中東に向かう自衛隊員も、自衛隊を海外に派遣すべきではないと抗議をされる人びとも、同じ日本国民です。我が国は、民主主義と自由を国是としており、いかなる政治的な思想・信条もその表現も自由なのです。諸官は、「自衛隊の存在は違憲だ」という表現が自由に行われる日本であればこそ、この国を守る価値があることを肝に銘じなくてはなりません。
 隊員の幼い子供たちも、『自衛隊は違憲』という見解をもった同胞にも献身する自衛隊であることの誇りを伝えていただかねばならない。改めて、そう強く感じています。」

(2020年3月23日)

安倍内閣の刑事司法私物化を狙う「検察庁法改正案」を撤回せよ

泥棒は夢を見る。「警察官の人事をオレが握ることができれば、安心して仕事ができるんだが…」。 反社の諸君も夢を見る。「検事の人事をオレが握ることができさえれば、心おきなく大きな仕事ができるだろうに…」。 そして、安倍晋三も夢を見る。「検察トップの人事を握ってしまおう。そうすれば、国政私物化だの嘘とごまかしだのという批判は恐くない。心おきなく、私と妻とオトモダチのために特化したお仕事に邁進できる。」 泥棒と反社の願望は夢のまた夢だが、晋三の夢はひょっとすると実現することになる。

政府は3月13日、検察官の定年を63歳から65歳に引き上げる検察庁法の改正案を閣議決定し国会に上程した。これは、単なる公務員の定年延長問題ではなく、検察官の定年を延長するだけの問題でもない。権力の分立に関わる原理的な問題を孕んでいるとともに、国政私物化の安倍政権の野望の表れでもある。泥棒に警察官の人事を与えるに等しい。こんな法案を通してはならない。

翌3月14日の朝日の社説「検察庁法改正 許されぬ無法の上塗り」が、問題点をよく整理して、しかも分かり易い。リベラルな立場からのもっともな怒りがにじみ出ている。その抜粋を引用する。

 法をまげたうえで、さらに法の本来の趣旨を踏みにじる行いを重ねるという話ではないか。納得できない。
 国家公務員の定年延長にあわせ、検察官の定年を63歳(検事総長のみ65歳)から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案が、国会に提出された。
 見過ごせないのは、63歳以上は高検検事長や地検検事正といった要職に就けないとしつつ、政府が判断すれば特別にそのポストにとどまれる、とする規定を新たに盛り込んだことだ。
 安倍内閣は1月末に東京高検検事長の定年を延長する閣議決定をした。検事総長に昇格させるための政治介入ではないかと不信の目が向けられている。
 政府は従来、検察官の定年延長は認められないとの立場だったが、今般、解釈を変えることにしたと言い出し、決定を正当化した。立法時の説明や定着した解釈を内閣だけの判断で覆す行為は、法の支配の否定に他ならない。法案は、その暴挙を覆い隠し、さらに介入の余地を広げる内容ではないか。
 政治家が特定の人物を選び、特別な処遇を施すことができるようになれば、人事を通じて組織を容易に制御できる。その対象が、政界をふくむ権力犯罪に切り込む強い権限を持ち、司法にも大きな影響を与える検察となれば、他の行政官と同列に扱うことはできない。
 戦後、三権分立を定めた憲法の下で制定された検察庁法は、その問題意識に立ち、検察官の独立性・公平性の担保に腐心した。その一環として、戦前あった定年延長規定は削除され、歴代内閣は検察人事に努めて抑制的な姿勢をとってきた。
だが安倍政権は公然とその逆をゆく。延長の必要性について森雅子法相は、「他の公務員は可能なのに検察官ができないのはおかしい」という、検察の職務の特殊性や歴史を踏まえぬ答弁を繰り返すばかりだ。
 混迷の出発点である高検検事長人事の背景に、首相官邸の意向があるのは明らかだ。検察への信頼をこれ以上傷つけないために、定年延長の閣議決定をすみやかに取り消すとともに、検察庁法の改正作業も仕切り直すことを求める。

さらに、3月17日東京弁護士会が、以下の会長声明を出した。これも、問題の全体像を簡明に語っている。その素早い対応に敬意を表したい。

検察庁法に反する閣議決定及び国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対し、検察制度の独立性維持を求める会長声明

東京弁護士会 会長 篠塚 力

1 政府は本年1月31日、2月7日に63歳で定年を迎えることになっていた東京高検検事長の勤務を、国家公務員法の勤務延長規定を根拠に半年間延長するとの閣議決定をした(以下「本件閣議決定」という。)。
 しかし、検察官は一般の国家公務員とは異なり検察庁法によって定年が規定されている。特別法が一般法に優先するのは理の当然であることから、国家公務員法の規定する定年退職の規定(国家公務員法第81条の2)はもとより、勤務延長の規定(同法第81条の3)も検察官には適用されないと解される。これは内閣、人事院の一貫した法律解釈であって、時の政権が閣議決定によってこの解釈を変更することは検察庁法の規定に明白に違背する。

2 検察官が一般の国家公務員とは異なる法律によって規律されるのは、検察官は行政官ではあるものの、刑事事件の捜査・起訴等の権限が付与され司法の一翼を担って準司法的職務を担うことから、政治からの独立性と中立性の確保が特に強く要請されるためである。
 すなわち、検察官は「公益の代表者」(検察庁法第4条)であって、刑事事件の捜査・起訴等の検察権を行使する権限が付与されており、ときに他の行政機関に対してもその権限を行使する必要がある。そのために、検察官は独任制の機関とされ、身分保障が与えられている。にもかかわらず、内閣が恣意的な法律解釈によって検察の人事に干渉することを許しては、検察官の政権からの独立を侵し、その職責を果たせなくなるおそれがある。
 したがって本件閣議決定は、検察官及び検察組織の政権からの独立を侵し、憲法の基本原理である権力分立と権力の相互監視の理念に違背する。

3 このような違憲・違法というべき法律解釈の変更について、法務大臣が国会内外で厳しく批判されている中で、政府は3月13日、さらに国家公務員法等の一部を改正する法律案(内容として検察庁法の一部改正を含む。)を閣議決定し、これを国会に提出した。
 改正案は、すべての検察官の定年を現行の63歳から65歳に段階的に引き上げた上、63歳になった者は、検事総長を補佐する最高検次長検事や、高検検事長、各地検トップの検事正などの役職に原則として就任できなくなるが(役職定年制)、「内閣」が「職務遂行上の特別の事情を勘案し(中略)内閣が定める事由があると認めるとき」(検察庁法改正案第22条第5項)に当たると判断するなどすれば、特例措置として63歳以降もこれらのポストを続けられるようにするとの内容である。
 このような法律改正がなされれば、時の内閣の意向次第で、検察庁法の規定に基づいて上記の東京高検検事長の勤務延長のような人事が可能になってしまう。
 しかしこれは、政界を含む権力犯罪に切り込む強い権限を持ち司法にも大きな影響を与える検察官の独立性・公平性の担保という検察庁法の趣旨を根底から揺るがすことになり、極めて不当である。

4 以上の理由により、当会は政府に対し、本件閣議決定に抗議し、撤回を求めるとともに、国家公務員法等の一部を改正する法律案のうち検察官の定年ないし勤務延長に係る「特例措置」に係る部分を撤回し、憲法の権力分立原理を遵守して検察官の独立性が維持されるよう、強く求めるものである。

3月19日の毎日新聞(デジタル)解説記事も、意を尽くしたものとなっている。

国会に3月13日提出された検察官の定年を63歳から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案への批判が強まっている。今年1月になって急きょ法解釈を変更して可能となった検察官の定年延長だけでなく、内閣が検察幹部の人事に介入できる余地を残すもう一つの「仕組み」も盛り込まれたためだ。内閣が必要と認めれば、例外的にその役職を続けさせることができる――この規定に野党は「検察人事に内閣が露骨に介入するものだ」と反発。東京弁護士会も反対する会長声明を出した。
 検察庁法改正案とともに国会提出された国家公務員法(国公法)改正案には、定年の段階的引き上げのほか、管理監督職の年齢の上限を定める「役職定年制」が導入される。検察庁法改正案でも同趣旨の制度が導入され、63歳になるのに合わせて検事総長を補佐する最高検次長検事、高検検事長、地検トップの検事正は役職から退き、「検事」に戻ることになる。ただ、これに伴い、内閣の判断で例外的に63歳以降も役職を続けさせるという規定も入った。
 「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、次長検事、検事長が63歳に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き勤務させることができる」
 この例外規定は現行法で検察官の定年を定めた「22条」に加えられた(検事正は別の条文)。さらに次の項で「前項の期限又はこの項の規定により延長した期限が到来した場合、前項の事由が引き続きあると認めるときは、内閣の定めるところにより、1年を超えない範囲で期限を延長することができる」とし、再延長、再々延長まで想定されている。
 …検察官は他の国家公務員と違い、刑事事件の捜査・起訴の権限を付与されている。「首相も逮捕できる」存在であり、政治からの独立性と中立性の確保が極めて重要だ。しかし、この例外規定を素直に読めば、検察幹部の立場からいえば、職を続けられるかどうかは内閣の判断に左右されると言い換えられる。これで内閣の検察幹部への影響力を排除できるのだろうか。

以上で、この問題の論点は尽くされていると思う。
検察官は、他の公務員とは異なり、本来的に行政からの独立を要求される職務なのだ。必要があれば、首相をも逮捕し、起訴し、論告求刑し、刑の執行も行うべき立場にある。だからこそ、その人事が首相の手に握られるようなことがあってはならない。しかし、だからこそ、国政私物化をこととする首相の立場からは、人事権を通じて幹部検察官を手の内に納めておきたいのだ。

このほど、森友問題で文書の改竄を命じられたことを苦にして自殺した近畿財務局職員の手記が公表された。これまで知られていなかった新事実が明るみに出た。明らかに必要な事件の再調査を安倍晋三は拒否した。その理由をなんと言ったか。

「検察が捜査を行い、結果が出ている。財務省でも、麻生大臣のもとで、事実関係を徹底的に調査し、明らかにしたところだ」と言ったのだ。「検察が告発を受けて捜査して不起訴とした」のだからもう問題はない。これが、安倍晋三の錦の御旗となっている。忖度検察は、汚い内閣にとっての頼もしい味方なのである。

こんな法案が議会の数の力でゴリ押しされて通るようでは、刑事司法の権威は失墜する。警察官人事を握らせる泥棒の夢を叶えるに等しく、世も末だ。なんとしても、撤回してもらいたい。
(2020年3月20日)

「緊急事態」の名を借りた権力の集中と人権蹂躙的統制に断固反対する ― 宗教者緊急声明紹介

新型コロナウイルス対策のためとする特措法改正には、各界からの反対が強い。宗教界も例外ではない。

「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明(3月13日付)を紹介する。

呼びかけは、日本キリスト教協議会総幹事 金性済氏。緊急事態宣言の市民生活に及ぼす本質的な危険性と共に、宗教者として「信教の自由」が脅かされる危機感をもって、NCC東アジアの和解と平和委員会や「平和をつくりだす宗教者ネット」が中心となって、宗旨をこえて宗教者がこの法改定に反対する緊急声明に至ったものという。

まことに行き届いた、もっともな内容であって、このような各界からの意見表明の積み重ねが、政権の危険な意図を挫折させることになるだろう。

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「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明

私たちは、日本国憲法第9条を守りつつ、あらゆる戦争を許さない平和をつくりだすことを願い求め、共に祈り合う宗教者であります。
今、世界を揺るがす事態となった新型コロナ・ウイルス問題をめぐり、安倍晋三首相は、去る3月5日、“緊急事態宣言”発令を念頭に入れた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改定の準備について言明し、10日の閣議で国会上程が決定され、3月13日の国会で制定させようとしています。国会審議においては、すでに1月28日より、新型コロナ問題に関連して、緊急事態条項をもつ憲法の改定が一部国会議員たちによって言及されてきました。
かねてより自民党・与党によって提唱されてきた憲法改定案の一項目である「緊急事態宣言」は、重大な問題をはらんでいることが指摘されてきました。総理大臣を中心とする内閣が国家の緊急事態を宣言することにより、行政府が立法権をも独占してしまうならば、それは憲法秩序を停止してしまい、重大な人権侵害と立憲民主主義の秩序を破壊してしまう恐れがあることを、戦時下の日本やナチス・ドイツの歴史的経験から私たちは知っているのです。
この度の新型コロナ・ウイルスの感染拡大事態について、安倍政権が既存の法制度のもとに、迅速かつ周到な対応を怠ってしまったことを省みず、いきなり「緊急事態宣言」の手段を選択しようとする企ては、新型コロナ・ウイルス問題を奇貨としながら、憲法改定の意図まで含み持つ本末転倒的な対応というほかありません。
私たちがとりわけ憂慮することは、もしも「緊急事態宣言」が総理大臣によって発動されれば、都道府県知事に市民社会生活の広範囲にわたる行動を規制する権限が与えられ、自粛要請によって市民の外出が制限され(移動の自由を保障する憲法22条違反)、社会・教育施設などの使用が制限されることが考えられます。それはまた、宗教者が状況を慎重に見極めつつも、自主的に判断し、宗教活動を営むことさえ制約されることにつながり、「信教の自由」を侵害するものとなりえます。
安倍政権は、1月末の段階において感染症法や検疫法の下でなしうる対応が後手に回り、さらにクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)乗船者に対する対処や下船後の対応についても、適切な政策を打ち出せず、結果的に感染拡大を引き起こす失策を繰り返してきました。
このような失敗を省みず、安倍首相は3月2日、参議院予算委員会にて「新型インフルエンザ等対策特別措置法と同等の措置を講ずることが可能となる立法措置を早急に進める」と発言しました。感染問題をめぐり、安倍首相は2月27日に、専門家会議での協議や関係省庁との慎重な検討も踏まえることなく、科学的根拠もないまま、全国一斉休校「要請」措置を突然出すことにより、社会に大きな混乱をもたらしました。このような安倍政権がさらに緊急事態を宣言することに、私たちは大きな脅威と危険を覚えずにおれません。
さらに、去る3月1日の「3.1独立運動」記念式典の演説において、韓国の文在寅大統領は、日本政府に「共に危機を克服しよう」と呼び掛けたにもかかわらず、その4日後、中国と韓国からの入国を、何の外交的協議や専門家協議もなく一方的に制限する措置を発表しました。安倍政権によるこのような非情・非礼なる措置は、悪化した日韓関係の改善に向けた配慮など一顧だにしない傲慢で排外的な対応というほかありません。
私たち宗教者は、日本も世界のどの国もが協力し合い、一日も早く新型コロナ・ウイルスの感染による災いを、互いの友愛と英知と希望をもって克服していく日を迎えることを心から祈願するものであります。
そして、この人類的危機に際して、むしろ立憲民主主義の秩序を揺るがし、「緊急事態」の名を借りた権力の集中と、人権蹂躙的統制へ道を開くことに対して断固反対するものであります。

(2020年3月17日)

アベ政治はコロナより猛し

コロナ禍・アベ禍のさなかにも季節はめぐる。昨日(3月14日)、東京に開花宣言である。「暖冬で観測史上最速、満開は23日見込み」と報じられている。
「銭湯で上野の花の噂かな」をキーワードに検索したところ、幾つかの私の過去のブログが出てきた。まずはその抜粋。

本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
  銭湯で上野の花の噂かな
  佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
http://article9.jp/wordpress/?p=2358(2014年3月29日)

 花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。
 花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。
 絶え間なく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。
 年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。
  銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
http://article9.jp/wordpress/?p=10136(2018年 3月 26日)

これまでの上野の春は、上述のとおりだ。ところが、今年の上野はたいへんな様変わりなのだ。やはり子規の句に、「寐て聞けば上野は花のさわぎ哉」とある。上野の花は子規の時代さながらに例年のとおりなのだが、花のさわぎがない。いや、そもそも人混みがない。飛び交ういくつもの外国語も、いろんな肌の色の人々もない。

つい先日まで、上野公園の雑踏はインバウンドの人びとで溢れ、ときたまに聞こえる日本語は実に懐かしい響きだった。啄木ありせば、昨年までなら「やまと言葉なつかし 上野の森の人ごみに そを耳にせり」と詠んだところだが、今年聞こえるのは日本語ばかり。その人びとも、濃厚接触するほどの人混みを作らない。しかも公園は、宴会はだめ、酒はだめ、座り込むもだめという。

子規が句を詠んだ時分、根岸の銭湯での噂話はこんなものだったろうか。

お山の花は、もう五分咲きかい。気もそぞろだね。
ご隠居。はやいとこ出かけないと、散ってしまいますぜ。
上野戦争の時にはおどろいたが、穏やかに花見のできるご時世はありがたい。
これだけは文明開化とは無縁でね、昔どおりでなくっちゃ。
薩摩や長州の連中がいばっているのがシャクな世の中だが、あのとき焼けた桜も立派になったものだ。
ご隠居は、花の下で一句ひねろうてんでしょ。こちとらは、仲間と酒盛りの楽しみ。
ああ、明日花の下でお目にかかろうじゃないか。

最近は、ずいぶんと様変わり。

えっ。3月14日に開花宣言だって?
それがご隠居、地球温暖化のせいでね。どんどん開花がはやくなっているんですよ。
震災や戦災の時には、上野の山は焼け出された人びとの逃げ場になってな。穏やかに花見のできる平和はありがたいね。
ところが、今年は穏やかじゃない。グローバリゼーションがあだとなって、あっという間のコロナの流行り。花見はしたいが、コロナが恐い。
コロナより恐いのがアベ政治じゃ。苛政は虎よりも猛しというではないか。火事場泥棒みたいに、特措法の改正までやりおって。国民の不幸で生き延びているのが、アベ政権。シャクな世の中よ。
結局、ご隠居は花の下での句会もできない。こちらは、仲間との酒盛りの楽しみもだめ。

来年こそはコロナもアベもない、穏やかな春を迎えたいものじゃのう。

(2020年3月15日)

「緊急事態宣言」とは、かくも危険なものである。

昨日(3月13日)、新型コロナウイルス感染症を適用対象に加える「新型インフルエンザ特措法」の改正法が成立した。3月11日の審議開始からわずか3日間での成立である。内容は、新型コロナを法の適用対象に加えるだけで、ほかの規定は変えなかった。

衆参両院の決議はいずれも全会一致ではなかった。賛成は、自民・公明・維新と、立憲民主・国民民主・社民の共同会派。共産・れいわ・碧水会・沖縄の風が反対。その他の野党の中からも数人の反対・棄権・欠席があったことがせめてもの救い。

どさくさ紛れの火事場泥棒的法改正だが、新型コロナ感染症への適用に関しては、政令で対象期間を来年(2011年)1月31日までと定めた。それまで、緊急事態宣言の発動を阻止しなければならない。

言うまでもないことだが、近代憲法とは、個人の人権を権力の侵害から擁護するために、主権者が与えた権力規制の命令体系である。憲法の命ずるところに従って、権力の行使は人権侵害のないように制約される。ところが、国家緊急の事態においては、その例外がまかり通らねばならないとする考え方がある。その例外を憲法自体に書き込む例もあり、個別の法にそのような例外を設ける例もある。2012年成立の「新型インフルエンザ特措法」は、「緊急事態宣言」時には、そのような「立憲主義の例外」を安易に認める。危険な立法と言わざるを得ない。

大日本帝国憲法には、いわゆる「国家緊急権規程」が満載であった。第14条(戒厳大権)、第8条(緊急勅令)、第31条(非常大権)、第70条(緊急財政処分)などである。条文は以下のとおりである。

第14条(戒厳大権)
1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第8条(緊急勅令)
1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

第31条(非常大権)
本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

第70条(緊急財政処分)
1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

戒厳が宣告されれば、こんなことになる。
戒厳令第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス
但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ
之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク
人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

(口語訳)戒厳令が敷かれた地域内では、通常の立法・行政・司法は停止して、司令官が以下の専権をもつ。仮に、これによって誰かに損害が生じても、賠償はしない。
1 不都合な集会や、新聞雑誌広告の発行は停止する
2 軍が必要な諸物品を調査して、その輸出を禁止する
3 銃砲弾薬兵器火具などの危険物の所在を検査して取り上げる
4 郵便電報は開封し船舶や諸物品を検査し陸海の交通路を遮断する
5 やむを得ない場合は、人民の家屋や財産を破壊し焼却する
6 昼夜の別なく人民の住居・建物・船舶に立ち入って検査する
7 必要あれば住民を追い出すこと

関東大震災直後の1923年9月3日の関東戒厳令司令官通知万世一系なにごと以下のとおりである。
(同司令部は、9月2日緊急勅令による「行政戒厳」によって設置されたもの)
一 警視総監及関係地方長官並ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。
1 時勢ニ妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
2 兵器弾薬等其ノ他危険ニ亙ル諸物晶ノ検査押収。
3 出入ノ船舶及諸物晶ノ検査押収。
4 各要所ニ検問所ヲ設ケ
通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依り水陸ノ通路停止。
5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
6 本命施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。
二 関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開緘ス。

また、ヒトラーが政権簒奪の手段としてまず用いたのが、以下のワイマール憲法第48条2項である。
「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
この目的のために、大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。

そして、悪名高いナチスドイツの「授権法」(全権委任法)は、わずか全5条だった。これが、ヒトラー独裁の法的根拠となった。
正式名称 「民族および国家の危難を除去するための法律」1933年3月23日成立
1.ドイツ国の法律は、ドイツ政府によっても制定されうる
2.ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日までの時限立法である。

日本国憲法には一切の緊急事態条項がない。その理由を制憲国会(第90帝国議会)における政府(担当大臣金森徳次郎)答弁は、こう語っている。

緊急勅令及ビ財政上ノ緊急処分ハ、行政当局者ニ取リマシテハ実ニ調法(重宝)ナモノデアリマス、併シナガラ調法ト云フ裏面ニ於キマシテハ、国民ノ意思ヲ或ル期間有力ニ無視シ得ル制度デアルト云フコトガ言ヘルノデアリマス、ダカラ便利ヲ尊ブカ或ハ民主政治ノ根本ノ原則ヲ尊重スルカ、斯ウ云フ分レ目ニナルノデアリマス、ソコデ若シ国家ノ伸展ノ上ニ実際上差支ヘガナイト云フ見極メガ付クナラバ、斯クノ如キ財政上ノ緊急措置或ハ緊急勅令トカ云フモノハ、ナイコトガ望マシイト思フノデアリマス

「民主政治ヲ徹底サセテ国民ノ権利ヲ十分擁護致シマス為ニハ、左様ナ場合ノ政府一存ニ於テ行ヒマスル処置ハ、極力之ヲ防止シナケレバナラヌノデアリマス言葉ヲ非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、…コトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス」

70年余以前の、この日本国憲法制定の初心を、今噛みしめる必要があるだろう。新型インフル特措法改定案に反対した山添拓議員(共産)の、昨日(3月13日)参院本会議での反対討論(要旨)を紹介しておく。

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 新型コロナウイルス感染症に、多くの人が不安を感じています。今求められているのは、感染拡大を防ぎ、検査体制と医療体制をいっそう充実させるとともに、くらしと経済を守る政治責任を果たすことです。ところが政府は、本法案を通すことを最優先にしています。
 特措法の最大の問題は、緊急事態宣言の下で行政に権力を集中させ、広範な権利制限が可能となることです。
 外出自粛の要請が可能とされます。学校や保育所、介護老人保健施設など、多くの人が利用する施設の利用の制限・停止を要請し、指示できるとされます。医療施設建設のために土地や建物を同意なく使用できるとされます。
こうした多岐にわたる措置は、憲法が保障する移動の自由、経済活動の自由、集会の自由や表現の自由などの基本的人権を制約し、くらしと経済に重大な影響を及ぼします。
 特措法は、自由と権利の制限は「必要最小限度」としていますが、その保証はありません。さまざまな措置により市民に生じる経済的な損失について、補償する仕組みもありません。
 幅広い人権制限が発動されれば、市民生活と経済活動に広範な萎縮効果が及びます。
 自由と権利の重大な制約を可能とするにもかかわらず、法律上の歯止めが曖昧です。
都道府県知事にこうした強力な権限をもたせるのが、首相による「緊急事態宣言」です。ところが、その発動要件は法律上不明確です
 「重篤」とは何か、「相当程度高い」とはどの程度か、「まん延」とは何か、これらを誰が、いかなる根拠で判断するのかの定めがありません。科学的根拠について、専門家の意見を踏まえる仕組みがありません。
 「宣言」の発動や解除に際し、国会の承認は求められていません。私権制限を一時的かつ一部とはいえ行政権に集中させるのに、国会の事前承認すら求めないのは重大です。
 さらに「宣言」下では、「指定公共機関」であるNHKに対し首相が「必要な指示をすることができる」とされ、その内容や範囲に限定はありません。これでは、政府にとって都合の悪い事実は報道させないことも可能となり、国民の知る権利を脅かしかねません。
 本法案は、衆議院で3時間、本院でも参考人質疑を含め4時間20分の質疑時間で委員会採決に至り、十分な審議すら行われていません。政府は本日の質疑でも、現状は緊急事態宣言を発する状況ではないとしています。急いで審議・採決を進める必要はありません。
 憲法改定に前のめりの安倍首相の下で、自民党議員が「緊急事態条項を改憲項目に」と発言しています。安倍政権に緊急事態宣言の発動を可能とすることは容認できません。

(2020年3月14日)

首相会見がシナリオに沿った「台本営発表」では知る権利に応えられない。

松尾貴史が、絶好調である。日曜日の朝は、毎日新聞の「松尾貴史のちょっと違和感」が楽しみ。3月8日は「首相会見打ち切り、自宅直帰のワケ 聞かれてなぜ、うろたえる?」というタイトル。分かり易く、面白くて、ためになる。

ついでながら、これに比較して、月曜日の西原理恵子「りえさん手帳」がまったくつまらない。貴重な紙面の無駄だ。最近は、月曜日のこの乱暴な絵には目を背ける。ヘイト派の片割れとなり果てては、表現者はお終いなのだ。こんなものの連載を続けている毎日新聞の見識を疑う。

さて、3月8日の松尾貴史コラム。毎日新聞を読んでいない人のために、一部を引用しておきたい。

 蓮舫氏は、安倍氏がコロナウイルス問題について「会見」と称して開いた「演説会」で、記者からの質問に対する答えも用意された原稿を読む形ですすめ、まだ質問があると手をあげる記者もいる中、とっとと終えて、忙しいのかと思いきや自宅に直帰した件でもただした。

 「ジャーナリストの江川紹子さんが、『まだ質問があります』と挙手しました。なぜ答えなかったんですか」という質問に、安倍総理が「あの、これはですね、あのー、あらかじめ、えー、ま、記者あー、クラブとですね、あの、おー。ま、広報室側で、えー、あの、ある程度の、え、打ち合わせをしていると、おー、いうふうに聞いているところでございますが、ま、時間の関係で、えー、時間の関係で、ですね、あのー、お、お、おー、うちらせ(打ち切らせて?)、えー、いただいた、とまあ、こういうことでございます」としどろもどろ。何をそんなにうろたえているのか。いつもは、ことに女性議員には居丈高になる安倍氏だが、支持率が下がっているせいなのか、意外と言葉だけは低姿勢の印象だ。
そこで蓮舫氏が「いや、36分間の会見終わって、そのあとすぐ帰宅しています。そんなに急いで帰りたかったんですか」と聞くと、安倍氏は「あの、えー、いつも、えー、この、おー、総理……会見、においてはですね、ある程度の、おーこの、えーやり取り、や、やり取りについて、え、あらかじめ質問を、頂いている、ところでございますが、えー、その中で、誰に、えーこの、お答えをさしていただくか、ということについては、ですね、司会を務める、えー、広報官の方で、責任もって、対応をしているところで、えー、あります」

 もう、わらうしかない。毎度のことながら、「急いで帰りたかったのか」という聞かれたことには一切答えなかった。
とうとう蓮舫氏に、「いや会見でね、総理はね、『さまざまなご意見、ご批判、総理大臣として、そうした声に真摯(しんし)に耳を傾けるのは当然だ』と。だったら、広報官を止めて、遮らないで、会見をもっと続けて、江川さんやみんなの声に応えると、何で自らそこでリーダーシップを発揮しなかったんですか」とピシャリとやられていた。
 どうだろう、日本国のトップとしてこの体たらくは。これはコント台本ではない。

沖縄タイムスが、この首相記者会見のやり方を「台本営発表」と表現した。なるほどうまいものだ。この首相記者会見をきっかけに、事前にやり取りが決められた総理大臣の会見の在り方を変えるための署名活動が始まっている。呼びかけたのは新聞労連の南彰委員長。署名はオンラインで集めるもので、当初の予定だった1万を遙かに超えて3万余となっている。。

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十分な時間を確保したオープンな「首相記者会見」を求めます!

発信者:日本マスコミ文化情報労組会議 宛先:内閣総理大臣 安倍晋三(内閣総理大臣)

新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の全国一斉臨時休校を打ち出した安倍晋三首相が2月29日、記者会見をしました。
安倍首相は「国民の皆さんのご理解とご協力が欠かせません」と訴えましたが、質疑に入ってからも事前に用意した原稿を読み上げるばかり。「なぜ全国一律の対応が必要と判断したのか」「ひとり親や共働きの家庭はどうすればいいのか」などについて十分な説明はありませんでした。約35分間のうち約19分間を一方的な冒頭発言に費やし、まだ質問を求めている人がいるにもかかわらず、官邸側はわずか5問で一方的に「終了」を宣言。説明責任を果たさぬまま、安倍首相は私邸に帰宅しました。立ち去ろうとする安倍首相に対し、「まだ質問があります」「最初の質問にもちゃんと答えられていません」とフリージャーナリストの江川紹子さんが上げた声は、国民・市民の率直な声です。
しかも、2月29日の会見で述べた内容すら揺らいでいます。2日後の3月2日の国会答弁では、「直接、専門家の意見をうかがったものではない」と一斉休校要請が明確な科学的根拠に基づく判断ではないことが明らかになりました。

ウイルス対策は重要ですが、生活や経済が破綻したり、市民的自由が奪われたりするリスクも考慮しなければなりません。多大な影響、痛みが生じる政策決定の根拠や効果、デメリットを抑える具体的な対策について、国民・市民にわかりやすく説明し、納得を得る必要があります。早期に日本記者クラブを活用して、再質問も行える十分な質疑時間を確保し、雑誌やネットメディア、フリージャーナリストも含めた質問権を保障した首相記者会見を行うよう求めます。
政府と同時に、内閣記者会(官邸記者クラブ)に所属している報道機関にも要請します。
現在の首相記者会見は、内閣広報官が質疑を取り仕切り、不十分な答弁に対しても再質問ができない慣例になっています。安倍首相が3月2日の参院予算委員会で、「いつも総理会見においては、ある程度のやり取りについて、あらかじめ質問をいただいている。その中で、誰にお答えさせていただくかということは、司会を務める(内閣)広報官の方で責任を持って対応している」と事前質問通告や官邸側の仕切りを公然と認める状態になっています。このことは、「運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性」を指摘し、「当局側出席者、時期、場所、時間、回数など会見の運営に主導的にかかわり、情報公開を働きかける記者クラブの存在理由を具体的な形で内外に示す必要がある」とした記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(2002年作成、2006年一部改訂)にも抵触する状況です。
国民・市民の疑問を解消できない記者会見のあり方には、内閣記者会に所属する報道機関側にも国内外から批判が向けられています。日本記者クラブでのオープンで十分な時間を確保した記者会見が実現するよう、各報道機関が首相官邸に要請し、その立場を広く社会に表明するよう求めます。
また、2011年以降、日常的に首相が記者の質問に応じる機会がなくなりました。特に例年3月末に新年度予算が成立した後は、首相が国会で説明する機会も急減します。官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害しています。日常的に首相へ質問する機会を復活するよう、政府と報道機関に求めます。
国民・市民の「知る権利」を実現するため、メディアの労働組合や1人1人のジャーナリスト、市民らが共に声をあげることによって、今の状況を変えていきたいと思い、署名活動を始めました。ぜひ、ご賛同よろしくお願いいたします。
2020年3月5日
【呼びかけ人】
●日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)
議 長 南   彰(新聞労連)
副議長 是村 高市(全印総連)
副議長 土屋 義嗣(民放労連)
副議長 酒井かをり(出版労連)
副議長 瀬尾 元保(映演共闘)
副議長 土屋  学(音楽ユニオン)
●国会パブリックビューイング
代 表 上西 充子

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こちらは、パロディである。「週刊金曜日」3月13日号、戯作者・松崎菊也のなんと達者な「緊急事態宣言」。これも、その一部の引用。全部をお読みいただくには、ぜひ同誌の定期購読を。

総理「非常事態宣言というのは、いわばですね、まさに非常事態を、宣言することにおいて、ですね。非常事態である、ということをご理解いただき、その上において、さらにですね、いわゆる、非常事態であるということを、いち早く、え〜、宣言すること、お〜、において、え〜、政府与党のみならずですね、ま、いわば、野党のみなさまのご理解をいただいた上において、え〜、国としても、ま、やってるんだということをですね、ご理解いただく、とともにですね、さらにですね、感染拡大の、防止という事態をですね、…先手先手のみならず、後手後手になってもいいように、みなさま方と、責任を分担する上において、私の独断で、え〜、実効性のある対策を、実効性のある無しにかかわらず、実行するべくですね。と同時に、専門家の知見、等も踏まえ、ですね。専門的な知見に惑わされることなく、非常事態を宣言する、と同時にですね。国民のみなさまお一人お一人に寄り添い、…なりふりかまわず、徹底的な防止策を推し進め、国民の生命と私の政権を守る延命策、をですね、政権としても、募集するというよりは、募りたい、という観点から、え〜、寒天から、トコロテン」

(2020年3月13日)

9年目の3月11日に、新型インフル特措法の改正に反対する。

昨日が3月10日、東京大空襲によって無辜の非戦闘員10万人が虐殺された日。戦争被害だからとして到底甘受しえない、あまりに巨大で悲惨な体験。それまで多くの国民にとって、戦争とは外地で行われるものであり、危険は出征した男たちが引き受けるはずのものであった。1945年のこの日は、戦争とはすべての国民に否応のない深刻極まる惨禍をもたらすものと思い知らされた日でもある。

戦争は天災ではなく人災である。起こした人がおり責任者がいる。その戦争責任の追及が求められる。中国に対しても米英に対しても、戦争を仕掛けたのは日本の側なのだから、虐殺された10万人の怨みは、戦争をたくらんだ日本の為政者・天皇制政府にも向けられなければならない。最高責任者天皇の責任を追及しなかったことが、歴史的禍根である。

そして、本日が3月11日。2011年の東日本大震災の記憶は生々しい。東北3県の2万余の人が津波でかけがえのない命を失った。天災の被害者には、哀悼の意を捧げるしかない。しかし3・11には、天災にとどまらず戦争と本質を同じくする人災がそれに続いた。福島第1原発の事故による放射線被害である。地震大国日本において原発を国策とし、しかも津波対策を怠った者の責任を不問に付してはならない。今、民事・刑事の訴訟を通じて、この大事故の責任追及が行われている。なお、当時の私の思いは、下記のブログに書き尽くしている。
http://article9.jp/wordpress/?p=4563

あの日から9年経った今、世はコロナウィルス禍に萎縮した事態にある。これも、一面は天災であり、またもう一面は人災でもある。安倍政権のコロナ対策は、納得しうる根拠に欠け、無為無策のうちに感染被害を拡大した。そして、無為無策を非難されるや、一転して根拠を示すことなく、根拠に欠けた過剰な対策をとるようになった。

その理由の一つは桜疑惑に代表される自らの不祥事の糊塗であるが、それにとどまらない。コロナ禍の蔓延を奇貨とした、改憲への国民の誘導を考えているのだ。

泥棒とは、不名誉な人物であり、あるいは行為である。火事場泥棒という言葉の語感は、単なる泥棒の比ではない。なんという忌まわしく、汚い、怪しからん、奴というイメージがある。安倍晋三がやろうとしているのは、その類である。

「火事場」とは、新型コロナウィルスの蔓延の事態をいう。国民が戦々恐々としているというだけではない。現実に多くの人の就業や営業に差し支えが生じて苦しんでいるときに、その事態を自己の野望の実現に利用しようというのだ。

「泥棒」とは、新型インフルエンザ特措法の改正をいう。盗まれようとしているのは、立憲主義にほかならない。憲法は、国民の人権を擁護するために為政者の権力行使を制約する体系として作られている。ところが、国家の緊急事態を口実に、為政者にフリーハンドを与えるという危険極まりない例外の設定が、「緊急事態」。この特措法はその危険を内包している。

安倍晋三は、「緊急事態宣言」をやってみたいのだ。その実績が、次には憲法改正につながるとのではないか魂胆あればこそ。しかし、緊急事態条項は、憲法レベルでも、法律レベルでも、危険極まりない。国政を私物化し、嘘とごまかし、公文書の隠匿改竄を日常とする安倍政権にこんな危険なオモチャを与えてはならない。
(2020年3月11日)

新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明

お集まりの記者の皆様に、二つのことを申しあげます。
一つは、原理的な問題。いったい今、憲法原則に関わるどのような問題が起きようとしているのかということ。そしてもう一つは、ほかならぬ安倍内閣が手がけようとしているからこその危うさです。安倍内閣に、こんな危険なたくらみをさせてはならない。とんでもないことになってしまうということ。

言うまでもないことですが、近代憲法の最重要のテーマは、人権と権力の対抗関係の調整です。すべての個人に備わる人権こそが憲法上の最高価値です。権力の行使には、人権を侵害せぬよう抑制が求められます。権力は強大にならぬよう分立され、その行使には厳重な手続が課されます。主権者は、権力を生み、同時に権力を規制します。これが、近代立憲主義にほかなりません。

しかし、その例外を強調する考え方があります。「国家緊急権」といわれるものです。確かに権力には人権を侵害せぬよう配慮をすべき義務があることは認めざるを得ない。が、それは飽くまで平時の場合の原則であって、国家存亡の緊急時には例外が認められなくてはならない。国家存亡の緊急事態に、国民の人権への配慮などと悠長なことは言っておられない。平時の憲法秩序を一時停止し、権力に対する制約を解除してこれを強化し、人権に対する制約を許容しなければならない、というのです。

《国家がもつ権力》と《国民個人の人権》とが、対抗関係にあるのですから、権力を強化すれば人権が危うくなります。権力を与る者は、国民の人権を危うくする権力を誇示したいという衝動をもちます。国家の緊急事態には、権力は最大限化するとともに、人権の保障は最小限化されることになりますから、権力者にはたいへん魅力的な事態なのです。

今、目の前にあるのは、感染症の蔓延という災害を理由にした、「緊急事態」の発動です。その要件は限りなく曖昧で、その人権制約の効果には恐るべきものがあります。

「信頼は常に専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。」という民主主義の原点を、再確認しなければなりません。

そして、二つ目。安倍政権が特措法を改正して、新型コロナウィルスの蔓延を適用対象とし、緊急事態宣言を行おうとしていることです。

2012年4月の自民党憲法改正草案に、詳細な緊急事態条項の構想が、条文化されています。民主主義と人権にとって死活的な内容と言って過言ではない代物。おそらく、これが、安倍政権の本音だと思います。国権の最高機関である国会をないがしろにして内閣が制定する政令で法律に代えることができる、人権の制約は顧慮されません。これを、今やろうとしているのではないか。

安倍晋三とは、国政を私物化しようという人物。安倍内閣とは、嘘とごまかし、文書の破棄・改竄を厭わない政権。決して国民に対する説明責任を果たそうとはしません。このような人物、このような政権に、危険な刃物をもたせてはなりません。それは、国民を傷つけることになる。

真に有効な感染症対策をしょうとするなら、なによりも専門知を結集して現状を正確に認識して科学的な検証に耐える対策を建てるとともに、これを国民に十分に説明して、その納得を得ることです。場当たりな素人判断で事態を悪化させ、緊急事態宣言の条件を作ろうなど、もってのほかと言わねばなりません。

そのような視点から、この声明に目をお通しください。

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新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明

新型コロナウイルスの感染拡大が深刻さを増すなか、安倍政権は現行の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」と略記)の対象に新型コロナウイルス感染症を追加する法改正(ただし、2年間の時限措置とする)を9日からの週内にも成立させようと急いでいる。
しかしながら、特措法には緊急事態に関わる特別な仕組みが用意されており、そこでは、内閣総理大臣の緊急事態宣言のもとで行政権への権力の集中、市民の自由と人権の幅広い制限など、日本国憲法を支える立憲主義の根幹が脅かされかねない危惧がある。
そのような観点から、法律家、法律研究者たる私たちは今回の法改正案にはもちろん、現行特措法の枠内での新型コロナウイルス感染症を理由とする緊急事態宣言の発動にも、反対する。あわせて、喫緊に求められる必要な対策についても提起したい。

1 緊急事態下で脅かされる民主主義と人権
特措法では、緊急事態下での行政権の強化と市民の人権制限は、政府対策本部長である内閣総理大臣が「緊急事態宣言」を発する(特措法32条1項。以下、法律名は省略)ことによって可能となり、実施の期間は2年までとされるものの、1年の延長も認められている(同条2項、3項、4項)。
問題なのは、絶大な法的効果をもたらすにもかかわらず、要件が明確でないことである。条文では新型インフルエンザ等の「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるもの」という抽象的であいまいな要件が示されるだけで、具体的なことは政令に委ねてしまっている。また、緊急事態宣言の発動や解除について、内閣総理大臣はそれを国会に報告するだけでよく(同条1項、5項)、国会の事前はおろか事後の承認も必要とされていない。これでは、国会による行政への民主的チェックは骨抜きになり、政府や内閣総理大臣の専断、独裁に道を開きかねず、民主主義と立憲主義は危うくなってしまう。
緊急事態宣言のもとで、行政権はどこまで強められ、市民の自由と人権はどこまで制限されることになるのか。特措法では、内閣総理大臣が緊急事態を宣言すると、都道府県知事に規制権限が与えられるが、その対象となる事項が広範に列挙されている。例えば、知事は、生活の維持に必要な場合を除きみだりに外出しないことや感染の防止に必要な協力を住民に要請することができる(45条1項)。また、知事は、必要があると認めるときは、学校、社会福祉施設、興行場など多数の者が利用する施設について、その使用を制限し、停止するよう、施設の管理者に要請し、指示することができる。また施設を使用した催物の開催を制限し、停止するよう催物の開催者に要請し、指示することができる(同条2項、3項)。
外出については、自粛の要請にとどまるとはいえ、憲法によって保障された移動の自由(憲法22条1項)を制限するものである。また、多数の者が利用する学校等の施設の使用の制限・停止や施設を使用する催物の開催の制限・停止という規制は、施設や催物が幅広く対象となり、しかも要請にとどまらず指示という形での規制も加え、強制の度合いがさらに強められており、憲法上とりわけ重要な人権として保障される集会の自由や表現の自由(憲法21条1項)が侵害されかねない。
また、特措法の下で、NHKは、他の公共的機関や公益的事業法人とならんで指定公共機関とされ(2条6号など。民放等の他の報道機関も政令で追加される危険がある)、新型インフルエンザ等対策に関し内閣総理大臣の総合調整に服すだけでなく(20条1項)、緊急事態宣言下では、総合調整に基づく措置が実施されない場合でも、内閣総理大臣の必要な指示を受けることとされている(33条1項)。これでは、報道機関に権力からの独立と報道の自由が確保されず、市民も必要で十分な情報を得られず、その知る権利も満たせないことになる。
さらに、知事は、臨時の医療施設開設のため、所有者等の同意を得て、必要な土地、建物等を使用することができるが、一定の場合には同意を得ないで強制的に使用することができる(49条1項、2項)。これも私権の重大な侵害であり、憲法が保障する財産権にも深く関わる措置である(憲法29条)。

2 政府による対策の失敗と緊急事態法制頼りへの疑問
政府は、特措法改正の趣旨を、新型コロナウイルス感染症の「流行を早期に終息させるために、徹底した対策を講じていく必要がある」(改正法案の概要)と説明している。
しかし、求められる有効な対策という点から振りかえれば、中国の感染地域からの人の流れをより早く止め、ダイヤモンドプリンセス号での感染を最小限にとどめ、より広範なウイルス検査の早期実施と実施体制の早期確立が必要であった。にもかかわらず、国内外のメディアからも厳しく批判されてきたように、初期対応の遅れとともに、必要な実施がなされない一方で、専門家会議の議論を踏まえて決定されたはずの「基本方針」にもなかった大規模イベントの開催自粛要請、それにつづく全国の小中高校、特別支援学校に対する一律の休校要請、さらに中国と韓国からの入国制限などが、いずれも専門家の意見を聞かず、十分な準備も十分な根拠の説明もないまま唐突に発動されることによって、混乱に拍車をかけてきた。
本来必要な対策を取らないまま過ごしてきて、この段階に至って緊急事態法制の導入を言い出し、それに頼ることは感染の抑止、拡大防止と具体的にどうつながるのか、大いに疑問である。根拠も薄弱なまま、政府の強権化が進み、市民の自由や人権が制限され、民主主義や立憲主義の体制が脅かされることにならないか、との危惧がぬぐえない。現に、特措法改正を超えて、この際、今回の問題を奇貨として憲法に緊急事態条項を新設しようとする改憲の動きさえ自民党や一部野党のなかにみられることも看過しがたい。

3 特措法改正ではなく真に有効な対策をこそ
今回の特措法改正はあまりにも重大な問題が多く、一週間の内に審議して成立させるなどということは、拙速のそしりをまぬかれない。私たちは、政府に対し今回の法改正の撤回とともに、特措法そのものについても根本的な再検討を求めたい。加えて、次のことを急ぐべきである。すなわち症状が重症化するまでウイルス検査をさせないという誤った政策を転換し、現行感染症法によって十分対応できる検査の拡大、感染状況の正確な把握とその情報公開、感染者に対する迅速確実な治療体制の構築、マスクなどの必要物資の管理と普及である。感染リスクの高い満員通勤電車の解消、テレワークを可能にする国による休業補償、とりわけ中小企業への支援、経済的な打撃を受けている事業者に対するつなぎ融資や不安定雇用の下にある人々や高齢者、障がい者など生活への支援を必要とする人々への手厚いサポートが必要である。そのため緊急にして大胆な財政措置が喫緊である。
強権的な緊急事態宣言の実施は、真実を隠蔽し、政府への建設的な批判の障壁となること必至である。一層の闇を招き寄せてはならない。

2020年3月9日

梓澤和幸 (弁護士)
右崎正博 (獨協大学名誉教授)
宇都宮健児 (弁護士、元日弁連会長)
海渡雄一 (弁護士)
北村 栄 (弁護士)
阪口徳雄 (弁護士)
澤藤統一郎 (弁護士)
田島泰彦 (早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)
水島朝穂 (早稲田大学教授)
森 英樹 (名古屋大学名誉教授)  (*あいうえお順)

(2020年3月9日)

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