澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「すくっと 立ち上がる」言葉を

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの池で
晋と朋が滑った
後ろの政治家だあれ?

「右派言論ウォッチャー」を自ら称する佐藤恵美さんの作。「靖国・天皇問題 情報センター通信」の最新号(通算517号)の「新編右翼事情」欄の末尾に載っていたもの。

「かごめかごめ」の元歌がなにやら不可解で、不可解ながら不気味で陰鬱な色合いをにじませている。「籠の中の鳥は いついつ出やる」とは、囚われ人の溜息が言葉になったものだろう。こんな、絶望の雰囲気に満ちた童謡がまたとあろうか。

佐藤恵美版「かごめ」は趣を異にする。「籠の中の鳥」とは、アベ政治のおぞましさ、まがまがしさの根源にある行政を私的にコントロールする仕組みの秘密。「晋」は極右の「朋」には、ねぎらい、振る舞うのだ。行政機構は、忖度を重ねて「晋の朋」のために、大判振る舞いをする。おぼえめでたきを良しとして、見返りを期待するというわけだ。

籠の中に閉じ込められて、なかなか外からはうかがい知れない。この「鳥」が、もう一息でうまく出そうなのだが、出そうでいて実はなかなか出てこない。そのもどかしさが、「いついつ出やる」と愚痴になる。

それにしても、「晋」と「昭」と、その「朋」らが、みっともなくも滑ったことは間違いない。籠からは真実を開け放ち、代わって「晋」と「昭」らを逃さず閉じ込めなければならない。

**************************************************************************

何の解決も見ることなく、事態生煮えのままやや下火になった「アベ友学園」問題。このままでよいはずはない。ようやく、このところ再燃の兆し。新たな資料も出てきた。「『森友』音声記録 土地交渉中 昭恵氏に言及〈籠池氏、財務省と面会時〉」(東京)、「森友の国有地取得、財務局が手助け 書類の案文も添付」(朝日)などと、新資料に基づいて、問題解明に積極的に切り込む報道が増えている。

本日(4月27日)の東京新聞「こちら特報部」は、出色。「共謀罪」と「森友問題」をならべて、「ふたつの共通項とは?」と記事にしている。「政府・与党 禁じ手連発」「揺らぐ法の支配」「機能不全の国会」「説明できぬ大臣 反対意見抑圧」「野党の資料要求も拒む」と、大きな活字の見出しが並ぶ。

特報部記事の中に、「デスクメモ」という囲み記事がある。ここに「息苦しい新たな『戦中』がかたちになり始めている。押し返さねば、塗り固められる。いたるところで抵抗を」と書かれている。切実な思いの込められた重い言葉。

**************************************************************************
4月21日の当ブログ「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案」で話題にした、近畿財務局への第三者委員会の設置等を求める要請行動。この短期間に、弁護士と学者の要請賛同者は280名を超えた。

本日、代表者が、近畿財務局に要請書を提出し、連休明け5月10日までの回答が約束されたという報告。

MBS(毎日放送)が下記のように取り上げている。
http://www.mbs.jp/news/kansai/20170427/00000023.shtml

「学校法人「森友学園」が大阪府豊中市に小学校を建設するために国有地を取得したいきさつについて、弁護士らのグループが近畿財務局に対し、第三者委員会の設置を求める要望書を提出しました。
去年6月、森友学園は小学校を建設するために豊中市の国有地を買い受けましたが、約8億円が値引きされた算定根拠などは今も不透明なままです。このため、弁護士や法学者など約280人のグループは 土地を売却した近畿財務局に対して交渉経緯などを調査する第三者委員会の設置を求めています。

『国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる』(阪口徳雄弁護士)
グループは、国が交渉記録を廃棄したことについて行政訴訟を起こすことも検討しているということです。」
**************************************************************************
この報道のタイトルが、「『法的な手段全てやる』弁護士ら森友問題で要望書」というもの。阪口徳雄君の、「国民の大多数は疑問に思っている。法的な手段で可能なものを全てやる」発言は、短くて歯切れがよい。

ところで、本日の東京新聞「筆洗」からの引用である。

捨てる。捨てない。
忘れる。忘れない。
戻る。戻れない。
帰りたい。帰れない。
遠い。近い。
どうする。どうしようもない。
陽炎の 向こうに。
ゆれて見える。

これは、福島県相馬市に住む根本昌幸さん(70)の詩集『荒野に立ちて』に収められた詩「わが故郷」だという。微妙で複雑な気持ちが、そのまま言葉になっている。
また、根本さんは、こういう詩も書いているという。

人が人を 虫けらや獣のような 扱いをしたとき。
言葉はすくっと 立ち上がるだろう。
そして人に向かって行くだろう…。

復興相の「東北でよかった」発言にちなんでの、「筆洗」の引用であって、まことに適切である。だが、この詩はそのような状況を越えて、普遍性の高い、立派な作品であり、言葉だと思う。

『荒野に立ちて』も、東京新聞「デスクメモ」も、阪口君の「法的な手段で可能なものは全てやる」発言も、言葉がすくっと立っている印象がある。

そういえば、最近「すくっと 立ち上がった」、見事な言葉を聞いた。

多喜二多喜二 総理の夢に現れよかし  山路家子(81)東京都

東京新聞4月20日の「平和の俳句」である。いとうせいこうが、「特高警察に殺された小林多喜二の命日、2月20日にさまざまな句が寄せられた。共謀罪の閣議決定に私たちは過去を見る。そして歌う」と解説している。この句の凜々しさ、厳しさに、解説が追いつかない。

私も、「すくっと 立ち上がる」言葉を発したい。切実にそう思う。
(2017年4月27日)

今村復興大臣辞任をめぐってー「失言・放言・暴言・妄言」再論

2011年3月。私は、故郷岩手の3・11被害に驚愕し動顚し、うろたえてもいた。その心理状態で、石原慎太郎の「震災・津波は天罰」という発言に接して文字通り激怒した。「石原慎太郎天罰発言」批判のブログ連載はその怒りのほとばしりである。4年後の3月11日に、そのダイジェストをアーカイブとして当ブログに掲載している。再度、お読みいただけたらありがたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=4563

その中の一文が、「失言・放言・暴言・妄言」(2011年3月31日)という以下のもの。本日なればこそ、再掲したい。

石原の「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」 こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。

彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。

翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。

放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。

失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。

思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。

**************************************************************************
以上の拙文の、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」という発言内容を、「これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった」「自主避難者が帰還するかどうかは自己責任。裁判でもなんでもやればいい」に置き換えれば、そのまま昨日(2017年4月25日)の今村復興相発言批判に通用する。石原慎太郎と今村雅弘とは、似た者同士で同罪相哀れむの仲。いずれも、問題は失言にではなく、彼らが抱えているホンネにあるのだ。今村だけではない。イナダ以下の閣僚皆がそうではないか。

そしてアベ本人には、「失言・放言・暴言・妄言」以外に、「呆言(ほうげん)」というものがある。呆は痴呆の「呆」。官僚が書いた原稿の「云々」を、自信たっぷりに「でんでん」と読む、あの手の「呆言」。これが、日本国民にふさわしい内閣なのか。

なお、執拗に繰り返されたイマムラ放言には、被災者切り捨ての方針を打診する意図があったのではないか。批判がなければ確実に東北の切り捨てが進行したと思う。イマムラにもアベにも、厳しい批判が必要なのだ。
**************************************************************************
そして、同アーカイブから、もう一つの記事(2011年04月04日)を。

ばちあたり

「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。

「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。

「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。

そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。

「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い

これも、「天罰」を「自己責任」に、「しゃざい」を「辞任」に、「あのひと」をアベあるいはイマムラに置き換えてお読みいただきたい。
(2017年4月26日)

沖縄の民意を蹂躙するアベ政権の支持者よ、君たち恥ずかしくないか。

本日(4月25日)、全国紙の各社説の1本はいずれもフランス大統領選挙問題。そして、もう一本のテーマが、北朝鮮、万博、原発、それにカジノなど。沖縄・辺野古はテーマになっていない。沖縄2紙は違う。いずれも、辺野古の新基地建設問題を取り上げた。明確に、「護岸工事着工ノー」の立場を鮮明にしてのこと。

沖縄タイムス社説のタイトルが、「名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄の民意は揺るがない」。そして、琉球新報が、「辺野古護岸着工へ 埋め立て承認撤回する時だ」というもの。「建設に反対する民意」を確認した上で、「埋め立て承認撤回」と、建設阻止の具体策まで踏み込んでいるのが、沖縄のメディアなのだ。

沖縄タイムス社説
「沖縄タイムス社、朝日新聞社等が実施した県民意識調査で、新基地に『反対』する人が61%を占めた。『賛成』は23%にとどまった。これが、県民の意志である。新基地を争点にした主要選挙も流れを一にする。名護市長選、衆院選、参院選と新基地に反対する候補者が完全勝利した。民意の背景にあるのは、沖縄に米軍基地が過度に集中している現状への差別感、沖縄のことは沖縄が決めるといった自己決定権要求の高まり-などである。
安倍内閣に対し県内では『支持しない』が48%で『支持する』の31%を大きく上回った。朝日新聞社の全国世論調査では「支持」が50%で「不支持」が30%。沖縄と全国では逆の結果になった。「辺野古が唯一の解決策」と繰り返し、県との「対話」をないがしろにした対応が県民の危機感を高め、それが安倍内閣の支持率低下につながったのだろう。
翁長知事への「支持」は58%、「支持しない」は22%。自民党支持層でも支持と不支持が拮抗した。今年に入ってから宮古島市、浦添市、うるま市の市長選で翁長知事が推す候補者が3連敗するなど、知事の求心力低下を指摘する声もある。しかし、5割を超える支持率は、新基地に反対する翁長知事への期待感がなお根強いことを表している。
沖縄防衛局は25日にも護岸工事に着手する。石材などを初めて辺野古沿岸部に投入し、埋め立ての外枠を造る。意識調査では本格的な埋め立て工事を始めようとする安倍政権の姿勢について「妥当でない」が65%に上った。
基地負担の軽減について安倍内閣が沖縄の意見を『聞いていない』としたのは計70%に達している。新基地建設が民意に反するのは明らかだ。」

**************************************************************************
沖縄県民世論調査―質問と回答〈4月22、23日実施〉
◆あなたは、翁長雄志知事を支持しますか。支持しませんか。
支持する58▽支持しない22
◆あなたは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する31(50)▽支持しない48(30)
◆あなたは、今、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。
自民20▽民進7▽公明4▽共産4▽維新1▽自由0▽社民3▽日本のこころ0▽沖縄社大0▽そうぞう0▽その他の政党1▽支持する政党はない46▽答えない・分からない14
◆あなたは、アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。
賛成23(36)▽反対61(34)
◆普天間飛行場を名護市辺野古に移設するため、安倍政権は今、辺野古沿岸部での埋め立て工事を本格的に始めようとしています。あなたは、安倍政権のこの姿勢は、妥当だと思いますか。妥当ではないと思いますか。
妥当だ23▽妥当ではない65
◆アメリカ軍基地が集中する沖縄の負担軽減について、あなたは、安倍内閣が、沖縄の意見をどの程度聞いていると思いますか。(択一)
十分聞いている3(5)
ある程度聞いている24(36)
あまり聞いていない39(40)
まったく聞いていない31(13)
(括弧内は、全国調査の数値)

**************************************************************************
琉球新報社説
「3月末に岩礁破砕許可の期限が切れたにもかかわらず、沖縄防衛局は無許可状態で工事を強行してきた。県は護岸工事によって、土砂の投下やしゅんせつなどの行為があれば岩礁破砕行為に当たるとみている。
菅義偉官房長官は『日本は法治国家』と繰り返している。ならば違法行為に当たる護岸工事の着工を中止すべきである。一方、翁長雄志知事は、大量の石材などが海底に投じられ現状回復が困難になる護岸工事を許さず、埋め立て承認の撤回を決断する時だ。
護岸工事は石材を海中に投下し、積み上げて埋め立て区域を囲む。埋め立て区域北側の「K9」護岸の建設から着手する。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進める。
政府は地元漁協が漁業権放棄に同意したことをもって漁業権が消失し、岩礁破砕の更新申請は必要なくなったと主張する。これに対し県は、漁業権は公共財であり知事がその設定を決定するもので、漁業権を一部放棄する変更手続きには、地元漁協の内部決定だけでなく知事の同意が必要だとして、国の岩礁破砕許可の申請義務は消えていないと主張し、双方平行線をたどっている。
仲井真弘多前知事の埋め立て承認書に留意事項が付いている。第1項で『工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと』を義務付けている。このため県との協議なしに本体工事を実施できないはずだが、政府は一方的に協議の打ち切りを通告した。
これが『法治国家』といえるだろうか。留意事項に違反した国に対して、知事は埋立承認権者として承認を撤回できるはずだ。
知事選で圧倒的多数の信任を得た辺野古新基地阻止の公約を実現するため、承認撤回のタイミングを逃してはならない。」
**************************************************************************

2紙が危惧したとおり、本日(4月25日)政府(沖縄防衛局)は無許可状態での本格的護岸工事着工を強行してきた。琉球新報が示唆したように、翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう。そして、その撤回の効果をめぐって、県と国とは、またまた法廷で対決することになる。

それにしても思う。民主主義とはいったい何なのだと。沖縄の民意は、明確に辺野古新基地建設を拒否して揺るがない。米軍基地は、単に騒音を撒き散らし風紀上問題の不快なものというものではなく、有事の際には真っ先に標的とされる命の危険を伴うものと認識されつつある。しかし、全国の民意は、沖縄に基地建設を押しつけている。沖縄は辺野古建設を拒否する翁長知事を支持し、全国は辺野古建設を強行するアベ政権を支持しているのだ。

だから、沖縄ではアベ内閣の支持率(31%)は、不支持率(48%)を大きく下回るという全国との逆転現象が起きている。

全体の利益のためとして一部の者に犠牲を押しつける。その犠牲の押しつけを、多数決で正当化する。こんなやり口を民主主義とはいわない。これは多数の横暴であり、差別であり、人権の侵害であり、地方自治の破壊なのだ。アベ政権を支持する者よ、恥を知るべきではないか。
(2017年4月25日)

首相夫人付公務員の選挙応援関与は違法

本日(4月23日)の朝日。社会面のトップが、「昭恵氏付職員 どこまで公務」「田植え・ハワイ・スキー 同行続々」の記事。中見出しに、「選挙は15回、野党が追及」とある。

「アベ友学園」問題は多面体だ。実に多様な顔を見せてくれるが、朝日は首相の妻の「公人・私人」論争から、お付きの公務員論に光を当てた。「選挙は15回」とは、「国政選挙で、昭恵氏の選挙応援への職員の同行が明らかになったのは15回に上る」ということ。これは、お付きの公務員が、首相夫人を介してアベ一派の選挙に関わったことを意味している。

朝日の記事の締めくくりは、「選挙応援をめぐっても『私的な行為と公的な行為を昭恵氏はぐちゃぐちゃにしている』との批判が上がっている。」というもの。まったくそのとおり。「ぐちゃぐちゃ」なのだ。これまでは首相夫人が無頓着に「ぐちゃぐちゃ」にしてきた。政権はこれを有利に働くとして放置してきた。いや、5人の公務員をつけたのだから、意識的に「ぐちゃぐちゃ」作りに加担してきたというべきだろう。

これが表沙汰となってからは、夫人付きの公務員の行為を、あるときは「私的行為の支援」といい、あるときは「公務員としての行為」と言って、政権もことさらに「ぐちゃぐちゃ」にしてきたのだ。しかし、首相夫人の選挙応援に政府の職員が同行していたとなると、問題は大きい。「ぐちゃぐちゃ」に放置はしておけないのだ。

朝日のリードはこう言っている。
「安倍晋三首相の妻、昭恵氏に付く政府職員の「業務」が、森友学園(大阪市)への国有地売却問題をきっかけに明らかになっている。昭恵氏の選挙応援への同行も次々と判明し、国会では公務員に禁じられた政治的行為にあたるのではとの議論にも発展。告発の動きも出てきた。」

選挙応援という政治活動は、公務員がその職務としてなし得ることではない。
猿払事件(1974年最高裁判決)がリーディングケースとなっている。「郵便局の職員(全逓の役員)が日本社会党を支持する目的をもって、同日同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を自ら公営掲示場に掲示した」などの行為が、国家公務員法違反として有罪とされたのである。

この最高裁判決は悪評高いが、ともかく生きている大法廷判例である。革新陣営の選挙運動には弾圧手段として厳格に適用され、首相夫人付きの公務員にはまことにゆる~い適用なのだ。ダブルスタンダードも甚だしい。

最近では、無罪を勝ち得た社会保険庁年金相談係の堀越さんの事件がある。衆議院選挙前の時期に、仕事と無関係に、職場から離れた自宅周辺で、休日に、赤旗やビラをポスティングしていた。これが国家公務員法の政治活動禁止に触れるとして逮捕され起訴までされた。最終的には無罪となったが、いまだに公務員法の政治活動禁止規定は弾圧法規として機能しているのだ。

猿払判決基準からは、あるいは堀越起訴基準に照らせば、首相夫人の選挙運動に関わった公務員の行為は、当然に起訴相当である。公務員に厳格に要求される中立性に対する社会からの信頼を裏切ることは論じるまでもないのだから。

この点、既に4月20日に、首相夫人とそのお付き職員として選挙に関わった3人の計4人が国家公務員法違反(政治活動禁止)の罪名で告発されている。首相夫人は公務員ではなく、本来身分のない者として公務員法違反の犯罪者とはならない。しかし、共犯としてなら、犯罪が成立しうる。刑法65条1項の効果として、である。「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯」とされるのだ。

これも、朝日の記事。
「昭恵氏らの告発状、元高検部長が送付 参院選応援巡り」「安倍晋三首相の妻、昭恵氏が昨夏の参院選で候補者の応援に行った際、首相夫人付の政府職員を同行させたのは国家公務員法(政治的行為の制限)違反にあたる疑いがあるとして、元大阪高検公安部長の三井環(たまき)氏が20日、昭恵氏と夫人付職員3人に対する告発状を東京地検特捜部に送付した。

告発状によると、職員3人は昨年6月22日~7月9日の計14回、昭恵氏の選挙応援に同行。三井氏は、これらが昭恵氏と職員が共謀して行った選挙運動に該当すると主張している。三井氏は取材に対し、『政権が国家公務員を使って選挙活動をしたことは大問題』と話した。」

首相夫人の行為が純粋に私的なものなら、公務員を付けてサポートすることはできない。公的な色彩あればこそ、公務員を付け得ることになるが、公的な行為が選挙応援となれば、明らかに違法となる。公務員が首相夫人の選挙応援活動をサポートすることはできないのだ。公務員氏は、そんな首相夫人の行為をやめさせるか、選挙関係の行動には同行を拒否するか、どちらかしかない。

朝日は、職員が公務として付いた首相夫人の私的行動を「田植えや森友学園の幼稚園での講演、米ハワイ訪問、スキーイベント参加などだ。政府は『公務として同行した』などと説明。スキーイベントでは、職員は『用務に要した時間以外の時間』にスキーをしたという。」と報道している。

ずいぶん楽しそうだが、他のことはともかく公務員は政治活動を禁止されている。だから、首相夫人付きの公務員といえども、党派性の露出を免れない選挙応援に一切関与してはならないのだ。政権は、「ぐちゃぐちゃ」を整理して、公務員が選挙応援をした違法を認めなければならない。そして、首相夫人の共犯も、なのだ。
(2017年4月23日)

「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案

下記は、一昨日(4月19日)の「弁護士阪口徳雄の自由発言」というブログの転載。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/archives/1065590829.html

森友事件(「アベ友事件」「アッキード事件」)があぶり出した諸問題の核心に位置するのが「国有地低額売買問題」。これについて、いい加減な幕引きを許さず、徹底解明を求めようという運動の呼びかけである。私も呼びかけ人の一人になっているので、この記事を転載し、拡散をお願いしたい。

**************************************************************************

安倍官邸は国有地を異常に低く売買した森友問題をどうやらうやむやにしそうだ。マスコミ報道も最近では極端に減ってきた。このような動きに危機を感じた23期の年寄り弁護士達が大阪・京都の若手の弁護士の協力を得て、
「国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」
を結成して真相解明のための行動を起こすことにした。

第1弾として、下記の「学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書」を弁護士・研究者の多数の賛同で4月27日に提出予定。

第2弾として、国会審議に委ねるだけでなく、法律家として自らこの問題を調査して必要な法律上の行動を起こす。具体的には情報公開請求訴訟(すでに開示請求している)や多数の弁護士・研究者の名前で必要な告発なども検討中である。

第3弾としては、市民も多数参加できる行動提起も検討中。

当面は賛同者は弁護士・研究者に限るが賛同の方は氏名、住所、弁護会名(研究者は大学などの肩書)を記載して
abc5def6@yahoo.co.jp
に連絡を頂きたい。賛同者の氏名・肩書はHPに公表させてもらいます。(公表は不可でも要請に賛同の方もその旨お書き頂き歓迎です)

——————————————————————–

近畿財務局局長 美並義人殿
2017年4月27日
学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書

別紙弁護士目録記載の弁護士・研究者○○名

国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会
(呼びかけ人代表) 阪口徳雄
(呼びかけ人) 豊川義明、大江洋一(以上大阪)、村山晃(京都)松岡康熙(奈良)、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児(以上東京)、野上恭道(群馬)、郷路征記(札幌)、渡辺輝人(京都)、小林徹也、由良尚文、愛須勝也、菅野園子、白井啓太郎、岩佐賢次(以上大阪)

第1 要請の趣旨
1 大阪府豊中市野田地区の国有地の賃貸借、売買における近畿財務局と学校法人森友学園との交渉経過に関する紙ベースの記録・電子情報・パソコン内のデータ―を保存すること
2 豊中市内の国有地を学校法人森友学園に賃貸、売買に至る経過、その理由、及び交渉経過等を調査する公正・中立な別紙記載の第三者委員会を設置して調査し、その結果を公表すること
を要請する。

第2 要請の理由
1 近畿財務局は森友学園に小学校用地として2016年6月、鑑定価格9億5600万円からごみ撤去費8億1900万円などを差し引いた1億3400万円で売却しました。
2 国会などでの審議経過を見ても、何故このような低額譲渡がなされたのか、その経過、ごみ撤去費用に関する算定根拠、交渉経過の記録の廃棄など極めて不透明な内容であり、およそ多くの国民を納得させる説明になっていません。
特に『平成23年度大阪国際空港場外用地(OA301)土壌汚染深度方向調査業務報告書』のP11の地層想定断面図によると深さ2.8mより下部は自然界土質の沖積粘性土質になっておりゴミ等が混入するはずがない場所です。
3 また、それ以前の2009年1月の「国土交通省大阪航空局・大阪探査技術株式会社」の地中埋設物状況調査報告書によっても、地下埋設物の存在は概ねGL-3mとして結論付けています。仮に、地中埋設物・その量が御庁の通りの量があったしても、国、自治体の積算基準で、この地中埋設物撤去費用は専門家に調査依頼をしていますが、概算で3億7千万円前後であり、約4億5千万円前後が過大な見積りであるとの意見もあります。
4 近年、オリンパス株式会社に代表されるように、上場企業、地方自治体でこのような疑惑が生じた場合には、直ちに事案の真相解明、再発防止策を検討する第三者委員会を設置して調査しその結果を公表しています。
しかし、御庁では国会での質疑に応じて「適正」に処理したというだけで、自らその経過、価格算定の根拠資料、森友学園の交渉経過などについて調査して、その結果を公表しようとしていません。国会で答弁しているように御庁の判断が正しいとするならば、自浄作用を発揮して事案の真相を解明することは、国家公務員の当然の責務です。
5 交渉経過を記載した文書を廃棄したとの説明は、およそ納得できるものではありませんが、紙ベースの交渉記録文書が仮に廃棄されたとしても、関係者からヒヤリングすることは可能です。またパソコン内のデータであればコンピュータフォレンジック調査(コンピュータ本体に記録された電子データを収集・分析して、証拠とするための技術)を行えば、当時作成した交渉記録も復元できるので、容易に交渉経過も明らかにできるはずです。
今年の6月に貴局のシステムをすべて入れ替えるとの報道もなされています。そうであれば、後日、交渉経過が一切解明されない可能性があります。
また、内部調査又は自らが恣意的に選任した第三者委員会を設置して調査をしても国民の多くは納得することはあり得ません。
6 そこで要請の趣旨に記載したとおり、交渉経過を記録したパソコンのデータ―を保存し、かつ外部の専門家の団体の推薦を受けた外部委員で構成された委員会を設置して経過、その理由、交渉経過等を調査して、その結果を公表することを要請いたします。

2017年5月10日までに本件第三者委員会を設置するのかどうか文書で代表の阪口徳雄弁護士あてに回答されるようお願いいたします。
——————————————————————–
国有財産譲渡問題調査委員会設置要領(案)
1(設置)
本調査委員会は学校法人森友学園に国有地の譲渡に関して多くの国民からの疑惑を招いたことに関して近畿財務局としての説明責任を果たす為に、国有財産譲渡問題調査委員会(以下委員会という)を設置する
2(目的)
本委員会の目的は2016年6月20日学校法人森友学園に1億3400万円で譲渡に至る経過、譲渡金額、交渉経過等を調査することを目的として、調査結果を速やかに公表することを目的とする
3(具体的調査内容)
本委員会は上記目的達成の為に次の点に特に留意して調査を行うものとする
(1)本件土地を学園に賃貸する経過について国有地を賃貸する従前の方法と比べて特に不自然ではなかったか。
(2)本件土地の更地価格が適正であったかどうか
(3)本件土地の地中埋設物の算定価格(8億1900万円)が公正妥当であったかどうか
(4)本件土地の賃貸経過、売買経過について学園及び政治家などの第3者との面談・交渉記録などを調査する。なお、紙べースでの交渉記録などが不存在の場合は関係した職員からヒヤリングして明らかにすること。なお担当者のパソコンに記載した情報をコンピュータフォレンジック調査等をして交渉記録の正確性を確保すること。
(5)その他、他の国有地の賃貸、売買と異なる内容で処理している場合はそのないよを明らかにすること
4(本委員会の構成)
(1)本委員会の委員は数名の委員の外部の弁護士、不動産鑑定士、公認会計士で構成する
(2)委員の選任については弁護士については大阪弁護士会、不動産鑑定士については大阪府不動産鑑定士協会、公認会計士については近畿公認会計士協会から推薦された委員とする。外部の委員の推薦に当たっては国、大阪府、学園と過去取引関係がない委員を推薦すること
5(会長及び副会長)
(1)本委員会には会長及び副会長を置く。
(2)会長及び副会長は,委員の互選により定めるものとする。
(3)会長は,委員会を代表し,会務を総理する。
(4)副会長は,会長を補佐し,会長に事故があるときは,その職務を代理する。
6(会議等)
(1)委員会は,会長が招集し,会議の議長を務めるものとする。
(2)本件調査の為に委員以外の補助者に委嘱して調査活動を行なわせることができる

この要綱に定めるもののほか,委員会の運営に関し必要な事項は,会長が委員会に諮って定める。

附則 本要綱は2017年5月 日から施行する

**************************************************************************
以上の呼びかけ人のうち、阪口徳雄、豊川義明、大江洋一、村山晃、松岡康熙、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児、野上恭道、郷路征記の13人が、23期の司法修習(1969年4月~71年3月)時代に主として青年法律家協会活動をともにした仲間。数えてみれば、知り合ったのは48年前のことになる。阪口が、「23期の年寄り弁護士達」と自嘲するのももっともなこと。

みんな70代の「年寄り」となって風貌は変わったが、その心根の青臭さは当時と少しも変わらない。必ずしも常に意見が一致するわけではないが、権力の不正や腐敗を憎む気持には、揺るぎがない。

教育勅語に、「長幼の序」という徳目はないが、ここは「青くさい年寄り」の呼びかけに耳を傾けていただくよう、お願いする。
(2017年4月21日)

「血を流し引きずり出される乗客」と「沖縄」がダブってみえる。

4月9日、「ユナイテッド航空機『オーバーブッキング』、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す」(ハフィントンポスト)という米国内の事件が話題になっている。これは、明らかに消費者問題の範疇の事件なのだが、私には、沖縄の現状を彷彿させる事象として胸が痛む。

なんの落ち度もない市民が、暴虐な力によって理不尽な仕打ちを受け、ひどい目に遭っている。ああ、これはまさしく沖縄の姿だ。強者の理不尽が乱暴に弱者を圧殺している。ああ、これがアメリカだ。そして、現場で暴力に手を染めている制服の狼藉者。ああ、これがアベ政権だ。

ユナイテッド航空と、引きずり出された乗客の関係は、アメリカと沖縄の関係そのものだ。ユナイテッド航空の指示で乗客の引きずり出しを実行した空港の警察は、アベ政権と配下の機動隊という役どころ。引きずり出され負傷した乗客は、沖縄の県土と県民である。その象徴的存在となって長期の勾留を余儀なくされた山城博治さんだといってもよい。

泥棒にも三分の理。この事件でもユナイテッド航空側には、三分ほどの理はあると主張するのだろう。「乗客を機から降ろしてでも、キャビンクルーを乗せなければ、翌日の便の運航に支障が出る。そうすればもっと多くの乗客に迷惑を掛けることにもなる」「しかも、乗客には現金とホテルに無料で宿泊できるとまで提案したが、誰も応じなかったのだ」「だから、実力行使もやむをえないじゃないか」

しかし、この「三分の理」は、実は「七分の非理」であり「無理」である。乗客の任意の席の譲渡を得る解決方法はいくつも考えられたのだし、キャビンクルーを別便で運べばよいだけのことではないか。あるいは、陸路の搬送でも不可能ではなかったようだ。なによりも何の落ち度もない乗客のプライドを傷つける、こんなやり方の実力行使は人権侵害行為として許されることではない。

ハフィントンポストによれば、「警察官が無理やり席から立たせようとしたとき、男性が頭をひじ掛けにぶつけ、叫び声を上げた。あおむけに倒れた男性を引きずっていく警察官を、驚いた他の乗客たちが携帯電話で撮影した」「引きずり出された男性は『唇を怪我していた』」。この事態に、「仕事に行こうとする医者にこんなことをしてはダメだ。オーバーブッキングだからって」「ああ、何てことするの? こんなの間違ってるわ!」「ひどい、何てことをしてるの! あり得ない!」と乗客の悲鳴が、録画されているという。

アメリカとアベ政権も、三分ほどの理はあるというのだ。「中国や北朝鮮などの仮想敵国に対する抑止力を構築するために、日本のどこかに米軍基地を置くことが必要である」「しかし、日本のどこも基地には反対ばかりで、任意の受け入れはあり得ない」「だから、従前の経緯で沖縄に基地を建設するしかないではないか」「しかも、沖縄には、基地の負担に相応の経済的な援助をしている」「だから、基地建設強行の実力行使はやむをえない」

しかし、この「三分の理」も、実は「七分の非理」であり「無理」なのである。
「仮想敵国に対する抑止力構築名目の米軍基地は、実は軍拡競争のスパイラルを招く、平和への敵対物でもある」「仮想敵国に対する抑止力構築のための米軍基地は、有事の際の真っ先の標的になる覚悟なしには地元との共存はできない」「日本のどこも基地には反対ばかりなのは、その存在自体が危険であるだけでなく、日常的に騒音をバラマキ、風紀の紊乱の元凶ともなるからだ」「だから、沖縄への基地建設の押しつけ反対には十分な理由がある」「しかも、経済的観点からも、基地の存在は沖縄の大きな発展阻害要因となっている」「なによりも、県民のプライドを逆撫でするような、こんな基地建設強行の実力行使が許されてはならない」

誰しもが思う。「こんな理不尽なユナイテッド航空には、今後金輪際搭乗してやるものか」と。同じように考えたい。「こんな理不尽な沖縄いじめのアベ政権には、今後金輪際、政権を支えるための投票なんかけっしてしてやるものか」と。
(2017年4月12日)

産経による日弁連批判は、劣化した政権の八つ当たりを代弁したものである。

産経が日弁連(日本弁護士連合会)批判のキャンペーンを始めた。「政治集団化する日弁連」というレッテルを貼ってのこと。その第1部が、4月4日から昨日(4月8日)まで。「政治闘争に走る『法曹』」というシリーズの連載。その第1回の見出しが「政治集団化する日弁連」「『安倍政権打倒』公然と」というもの。「安保法案は憲法違反です」という横断幕を掲げて行進する日弁連デモの写真が掲載されている。これが、「政治闘争に走る法曹」の図というわけだ。「安倍政権打倒」を公然と言うなどとんでもない、というトーン。

産経新聞にはほとんど目を通すことがない。得るところがないからだ。「政権=右翼」の図式が鮮明になっているいま、その両者の広報を担っているのが同紙。政権・与党の改憲路線や歴史修正主義、アメリカ追随を後押しすることが同紙の揺るがぬ基本姿勢である。ジャーナリズムの矜持を捨てて、「権力の公報紙」兼「右翼勢力の宣伝紙」としての立場を選択したのだ。政権支援とともに、さらに右寄りの政治的な立ち位置を旗幟鮮明にすることでの生き残り戦略にほかならない。

そんな産経である。現政権に膝を屈することのない勢力は、すべて攻撃の対象とせざるを得ない。それが、走狗というものの宿命なのだから。

世の中には、権力に擦り寄り、迎合してはならない組織や理念がいくつもある。本来、ジャーナリズムは権力から独立していなければならない。また、大学の自治も学問の自由も、そして教育への不当な支配排除の原則も、時の権力の介入を許さないためにある。もちろん、司法も同様なのだ。

司法の一角を担う弁護士の集団には、在野に徹し権力から独立していることが求められている。権力が憲法の理念をないがしろにすれば、これを批判すべきが権力から独立していることの実質的な意味である。安閑と権力の違憲行為を看過することは、その任務放棄にほかならない。産経の日弁連批判のキャンペーンは、「権力に抗うことをやめよ」という、政権の意図を代弁するもの。あるいは、今はやりの「忖度」なのかも知れない。

産経の論法は、「政治的課題への容喙は日弁連の目的を越える」「全員加盟の日弁連が、多数決で決議をしてはならない」という、これまで長年にわたって、弁護士会内での議論で保守派(あるいは権力迎合派というべきか)が繰り返してきたものの蒸し返しに過ぎない。その会内での一方の意見に、政府公報紙産経が公然と加担することとなったのだ。

産経が批判的に取り上げた日弁連「政治闘争」の具体的テーマは4点。「安保関連法」「慰安婦問題」「脱原発」「死刑廃止」である。消費者問題や公害問題、労働問題、教育問題、子供の権利、男女の平等、司法改革などが出てこないのは、いかがなものか。これらも、すべて政治や行政、あるいは財界や体制派との激しい対立テーマである。けっして、全員一致などにはなり得ないテーマだ。

ご留意いただきたい。日弁連はいかなる場合にも、これらの課題に「政治的に」コミットしていない。「党派的な」立場で関わることもありえない。人権の擁護と憲法原則遵守の視点から、その限りで関わっているに過ぎない。人権擁護と憲法遵守を「政治的」と言い、あるいはその影響が政治性を免れないとして、政治的課題へは一切口出しすべきでないと言うのは、日弁連に「人権擁護活動をやめよ」「憲法遵守など言うな」と沈黙を強いるに等しい。

会内合意形成に慎重な配慮をすべきは当然としても、日弁連の使命を果たすためには、討議を尽くしたうえで、採決するのはやむをえない。私の印象では、執行部の問題提案には、保守派からも革新派からも両様の異論が出て、相当の議論が行われる。国会が作る法や決議が国民の意思を反映している度合いよりは、ずっと会員の意見を反映している。

日弁連の使命とは何か。弁護士法の冒頭に明記されている。
第1条1項 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
第1条2項 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

法律専門職として、「法律制度の改善への努力」が謳われている。当然に、「法律制度の改悪阻止への努力」も弁護士の使命である。「弁護士や弁護士会は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現」しなくてはならない。我々が所与の前提とする自由主義の基本は、国家権力の暴走から人権や正義を守らねばならないという点にこそある。日弁連が、政府を批判する立場をとることになんの問題もない。むしろ、弁護士会が権力や体制批判に臆病になることを恐れなければならない。権力の僕の態度で、人権をないがしろにする政権にへつらい、もの言わぬ日弁連であってはその使命を放棄したことになるのだ。

戦前、弁護士自治のなかった時代には、弁護士も権力の僕であることを強要された。かつて、治安維持法違反被告事件の弁護を受任した弁護士が、その弁護活動を理由に、治安維持法違反(目的遂行罪)で逮捕され起訴され有罪となった。そのとき、当然のごとく司法省は裁判所構成法や旧弁護士法などに基づき、有罪となった弁護士の資格を剥奪したが、当時の大日本弁護士協会が抗議の声を上げることはなかった。

国民の人権を擁護すべき弁護士が、自らの人権も擁護できなかった時代の苦い経験に鑑みて戦後の弁護士法ができた。法は、弁護士の使命を人権の擁護と社会的正義の実現と規定しただけでなく、その実効を保障するために、弁護士自治権を確立した。弁護士資格の得喪や懲戒に、権力の介入を許すことなく、弁護士会が公的機関として自ら行うことになったのだ。

いま、弁護士も弁護士会も権力の僕ではない。日本国憲法に基づき、堂々と政権にものが言える立場である。弁護士は政府協賛機関となってはならない。政府の手によって立憲主義がないがしろにされ、政府の手によって国民の人権が損なわれるとき、「政府攻撃は政治闘争だ」「だから、控えねばならない」などという、権力の走狗の言に耳を傾けてはならない。

産経の妄言はアベ政権の代言である。日弁連が政権の立憲主義への無理解を批判したら、産経から日弁連叩きが始まったのだ。実は、今ほど日弁連の発言が重みをもった時期はない。そのことは、政権が劣化したことの証しにほかならない。しかし、劣化した政権への日弁連の真っ当な批判が真摯に省みられることはなく、「広報紙産経」を使った八つ当たりが始まったというわけだ。

私は日弁連執行部にはないし、日弁連のすべての方針に賛成する立場でもない。しかし、安倍政権を代理しての産経の妄言には、声を大にして反対する。安倍政権への貴重な対抗勢力を貶めてはならない。

これから、日弁連の存在意義を掛けて、共謀罪法案の廃案を求める大運動が起こる。これも、政治闘争ではなく、憲法と人権擁護の運動である。産経ごときの記事で、いささかなりともこの運動が鈍るようなことがあってはならない。この点で、私は日弁連執行部に、心からのエールを送りたい。
(2017年4月9日)

「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」

誰の執筆かを考えることなく、次のブログ記事を虚心にお読みいただきたい。4月6日に、アップされたものだ。

教育勅語の復活?!
 4月に入り各学校では新入生が期待と不安を胸に抱き、登校する姿が目立ちはじめた。しかし未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである。異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもないが、塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である。
 園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった。私は以前の投稿で「洗脳」ではないかと述べたが、他の識者からも同様な指摘があった。善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である。
 その後、ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり、また、先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない」と述べているが、私はいささか違和感を覚える。
 教育勅語に掲げた徳目として、例えば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」などは、いつの時代にも通用する普遍的な価値であろう。しかし勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない。
 だからこそ昭和23年に衆参両院において「排除」「失効確認」したのである。「憲法や教育基本法に反しない形」で教育勅語を教材に使えるのだろうか。またここに述べられている徳目は、数多くの逸話や昔話などの教材によって、既に道徳教育の中に生かされている。ことさら勅語を教材とする理由が見当たらない。
 百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる。

もう、ネタバレではあるだろうが、これは自民党代議士のブログ記事。船田元の「はじめのマイオピニオン – my opinion -」というコーナーに掲載されたものだ。まことに真っ当、日本国憲法の精神をよく理解しての文章といってよい。
http://www.funada.org/funadapress/2017/04/06/%e6%95%99%e8%82%b2%e5%8b%85%e8%aa%9e%e3%81%ae%e5%be%a9%e6%b4%bb/

野党議員のものと言っても、ジャーナリストの文章と言っても通用する。自民党内にも真っ当な保守がいる、いや真っ当な保守としての発言を敢えてする人がまだいることにホッとする。アベのごとき真っ当ならざる右翼連中ばかりではないのだ。

もう一度読み直してみよう。
「未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである」「異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもない」
森友問題の幕引きを急ぐ政権に対する痛烈な批判。

「塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である」
大局的見地からは、ここが最大の問題点だ。「異常」「深刻」が大袈裟でない。

「園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった」「善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である」
これが、健全で真っ当な感覚。良識と言ってもよい。あの「洗脳」の場面を見て、涙を流して感動したのが首相夫人で、妻から話を聞いて評価したのが安倍晋三。この夫婦の感覚が不健全で真っ当ならざるものなのだ。塚本幼稚園だけでなく、我が国の首相夫妻が、「異常」なことが「深刻」な問題なのだ。

「ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり」
名前を出せば、イナダ朋美防衛相、松野博一文科相、そして菅官房長官。その他は、アベの心中を忖度して沈黙することで、勅語肯定発言に同意を与えた。

「先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、『憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない』と述べているが、私はいささか違和感を覚える」
これが、「自分は自民党議員だが、アベ一統とは、見解を異にする」という見識。

「勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない」「だからこそ昭和23年に衆参両院において『排除』『失効確認』したのである」
おっしゃるとおりだ。

「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」
この一文が、このブログ記事の白眉だ。痛烈な勅語活用肯定派への批判となっている。もちろん、アベ政権の批判にも。

「百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる」
この人は、慶應の教育学専攻修士課程修了とのこと。作新学院の学院長でもある。教育に携わる者としての矜持が滲み出ている。

**************************************************************************
なお、1948年に衆参両院における教育勅語についての『排除』『失効確認』決議を挙げておこう。これが、教育を論じる際のスタンダードなのだ。

教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。
教育勅語等の失効確認に関する決議 (1948年6月19日参議院本会議)
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
右決議する。

(2017年4月8日)

「共謀罪」は、なんとしても廃案に。

本日(4月6日)、共謀罪法案の審議入り。衆院本会議に上程されて、法案審議が始まった。もっとも、「共謀罪法」という法律があるわけではない。組織的犯罪処罰法という既にある法律の改正という形で、包括的に犯罪実行行為の着手がなくとも、共謀段階で処罰出来るようにしようというもの。

犯罪実行行為は、それぞれが犯罪としての固有の定型性を持っている。誰が見ても、「悪い」「危険な」行為。「人を殺す」「人の身体を傷害する」「他人の財物を窃取する」という実行行為に着手の有無は、それぞれ比較的明瞭だ。だから、捜査権の発動というかたちでの権力の発動は、恣意的には出来ない。ところが、「そんな悠長なことを言っていては社会の安全は保てない」「もっと早い段階で犯罪を未然に防がなくては安心できないだろう」と、犯罪の実行着手以前の「共謀」段階で処罰しようとするのが「共謀罪」。これが、権力にとっては、批判勢力を取り締まるのに便利この上ない。

しかし、権力にとっての利便は、国民にとっての危険となる。何しろ、犯罪の実行行為はまだ行われていない段階での取り締まり、それも一網打尽なのだから、国民にとってはいつなんどきなにを理由に逮捕されるか分からない。とりわけ、立憲主義も、民主主義も、人権思想も理解してないアベ政権。こんな危険なものを作らせてはならない。今国会最大の対決法案、廃案にする以外にない。

その組織的犯罪処罰法の改正案(正確な名称は「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」)のキモは、同法に新たに「6条の2」を新設しようということ。これが「共謀罪」創設の根幹部分。民主主義にとっての天敵となりかねない条文。まずは、その「問題の6条の2」の条文そのものをじっくりとお読みいただきたい。但し、読みにくい。10分以上の読解努力は精神衛生上有害と思われる。なお、本当にこんな悪文が法案になっているのだろうかとお疑いの方は、原文を法務省ホームページにアクセスしてご確認いただきたい。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00142.html

第六条の二(新設)
「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
 一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮
 二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。」

当ブログでは、以前にも「『共謀罪』とは、曖昧模糊な条文をもってなんでも処罰可能とすることを本質とする。」(2017年2月28日)と書いた。こんな条文を読んで、「よく分かった」という人の頭脳の構造はおかしい。読んで分からないように、書いているのだから。
http://article9.jp/wordpress/?s=%E6%82%AA%E6%96%87

ところで、刑法の条文は一般的に分かり易い。普通に読んで分からなければならないのだ。典型例は次のようなもの。
「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法199条)

これが条文の基本形。これならだれにでも分かる。主語(主題語)と述語が明瞭で文意明解である。何をしてはいけないかがはっきり分かることが大事で、そのことは刑罰権の発動というかたちでの権力行使の限界が明瞭ということでもある。これと比較して、「6条の2」の読みにくさ、わかりにくさが理解いただけよう。そのことは、とりもなおさず、刑罰権の発動というかたちでの権力行使の限界が不明瞭極まりないということでもある。権力にとって、使い勝手がよいということなのだ。

その分かりにくい条文を、できるだけ意味が通じるように、日本語としての文章を整えてみたい。主語と述語という、おなじみの文の構造に当て嵌めて条文を見直すと、

6条の2・第1号関係の条文の主語は、
「別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役・禁錮の刑が定められているものについて、組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者(は)」
である。

述語は、
「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、五年以下の懲役又は禁錮に処する。」

文の構造がおぼろげながら分かっても、条文を理解したことにはならない。国民には、何が禁止されているのか、国家権力が介入できるか否か、自分に逮捕の恐れがあるのか否かが分からなければならないのだ。

具体例を挙げてみよう。刑法204条は、傷害罪を次のとおり定める。
「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」
傷害罪は、組織的犯罪処罰法改正案の別表四に掲げられている277の罪名の一つ。したがって、今は「人の身体を傷害する」行為に着手ない限り、つまりは刃物を振り回すとか、人に殴りかかるとかする実行行為に着手のない限り、処罰対象とはならない。ところが、この法案が成立すると、傷害の実行行為なくても、一定の場合には「傷害の共謀あったとして」逮捕され、起訴され有罪になって「五年以下の懲役又は禁錮」に処せられることになる。

その要件とは、まずは、主語中の「組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画」することである。共謀を「二人以上で計画」と言っている。何を計画すると処罰対象となるか。「組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を」という。これは、分かりにくい。分かりにくいだけでなく、厳格な歯止めとはならない。

さらに、述語のなかにも要件が定められているとされる。さすがに、「共謀」や「計画」だけでの処罰規定には世論の反発が強かろうとの忖度がつくり出した要件である。
「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは」というのだ。

つまり、共謀や計画だけでは、処罰できない。共謀や計画をした犯罪を実行するための「準備行為」のあることが必要だというのだ。その準備行為とは何か。「その計画に基づく『資金又は物品の手配』、『関係場所の下見』『その他』」と例示されている。これは、日常にありふれた普通の生活上の行為が刑罰権行使の対象となることを意味する。

「別表第四に掲げる罪」は、数えるのもたいへんだが91法律の277罪だという。従来案では676に上ったが、今回法案ではここまで絞ったと手柄顔をする向きもあるが、これを現代版「五十歩百歩」という。刑法の人権保障機能を崩していることが、大問題なのだ。

今国会に延長はない。6月18日の会期末まで。2か月半の反対運動の盛り上がりでこの法案を廃案に追い込みたい。幸い、4野党の足並みは、よく揃っている。勝機は十分にあるように思う。
(2017年4月6日)

「70年ぶりに墓からよみがえった『教育勅語』」

自分についての正確な評価は、自分でできるものではない。自分のしていることの当否は、実は自分ではなかなか分からないもの。自分のしていることが他からどう見られているかは、なおさら分からない。だから、自分の行為の評価について、近くの誰かに指摘してもらうのは貴重なことと、ありがたく耳を傾けなればならない。個人についてのことだけでなく、一国のあり方においてもこのことに変わりはない。

3月31日における「教育勅語の教材としての使用を認める閣議決定」。このことに関心をもつ近隣諸国や国内の良識がどう見ているか。その声に政府は真剣に耳を傾けなければならない。権力の耳に痛い言葉こそ、真実というべきなのだ。

国外意見の代表的なものとして、「ハンギョレ新聞」(日本語版)の昨日(4月2日)付社説「70年ぶりに復活した日帝の『教育勅語』」を引用(抜粋)する。
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/26945.html

「日本政府は31日、『教育勅語』を学校で生徒らに教えることができるという方針を閣議(閣僚会議)で政府公式の立場として採択した。『朕惟フニ』で始まる教育勅語は1890年に『明治天皇』が日本帝国臣民の修身の道徳教育の規範を定めるために制定したものだ。随所で『爾(なんじ)臣民』という言葉を使うなど王が臣下に下す教旨の形式を帯びている。

内容を見ると『国家に緊急なことが起これば義勇をつくして公のために奉仕することによって天地とともに窮りなき皇室につくさなければならない。かようにすることは、ただに王の忠良な臣民であるばかりでなく』など、個人を国家そして天皇のための道具とする基調が元にされている。一言で言えば、すべての国民は天皇に忠誠をつくさねばならないという全体主義と軍国主義の理念が核心のメッセージである。教育勅語は日本が第2次世界大戦で崩壊した後の1947年の教育基本法によって学校現場から消えたが、今回の閣議の方針で70年ぶりに墓からよみがえったわけだ。

批判的な思考が形成される前の子供の時から全体主義や封建的観念、そして天皇を崇拝して服従すべしという主張をうのみした場合、成人してもなかなかその考えから逃れられなくなるはずである。第2次大戦末期の特攻隊の『神風』の根もこの教育勅語から生まれたといえる。さらに教育勅語は『間違いがなく』と明示しており、対話と討論を拒否して無条件に命令に従えという、権威主義的で独善的な態度を育てうる。自由な個人とその個人の安全と権利を保障する国家の役割、国民主権と個人の尊厳という現代的国家観とはあまりにもかけ離れている。

19世紀に明治天皇が帝国主義臣民に下した教育勅語を21世紀の日本の子供たちが身につけて育ち、将来の日本社会を構成することになるという想像をしただけでもぞっとするほどだ。また、これは北東アジアの平和と共存にも深刻な害を及ぼすことになるだろう。安倍首相は現在、歴史と未来に深刻な罪を犯している。」

隣国の知性による真っ当な論評として、政権は襟を正して聞くべきである。また、国内の良識にも耳を傾けてみよう。毎日新聞の昨日(4月2日)朝刊に掲載の「時代の風・森友問題の本質」という中島京子(作家)の指摘(抜粋)である。これこそ本質を衝く指摘だと思う。
http://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/002/070/056000c

「話題になっている森友学園問題で、いちばん私が恐ろしいと思っているのは、…事件が発覚して最初のころに流れた、塚本幼稚園の動画だ。
子どもたちが『教育勅語』を唱和する姿は、まさに『洗脳』という言葉を思わせて背筋が凍った。臣民(天皇に支配される民)として、天皇の統治する国に緊急事態(戦争)があったら、自ら志願して死ねと教える戦時中の勅語を、無邪気な声がそらんじてみせるのは、異様だった。

さらに衝撃だったのは、園児たちが運動会の宣誓で唱えた『日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史教科書でうそを教えないよう、お願いいたします』というフレーズだ。なんてことを子どもに言わせているのだろうか。この子どもたちは大きくなって、中国や韓国の人とどう接するのか。

事件に関連して名前の挙がった人たちは、みなこの塚本幼稚園の教育を知っていたし、賛同していたという。たとえば、昭恵氏は、塚本幼稚園での講演で、この幼稚園で培われた芯が、公立の小学校へ行って損なわれてしまう危険がある、だから『瑞穂の国記念小学院』が必要だという旨の発言をしていた。首相の妻が、日本の公教育を否定する発言をしているわけで、私は、100万円寄付するより深刻だと思っている。

森友学園=塚本幼稚園を支えてきたのが、戦時中の思想に帰ろうとする政治運動であることは、いまやもう誰も否定しないだろう。団体名も出た。「日本会議」だ。現閣僚のほとんどが参加している政治団体だということだ。

私が恐ろしいのは、戦時中の思想に帰ろうとする政治運動に賛同している人たちが、日本の教育を変えようとしている事実、そのものだ。…「彼ら」、国家主義的な思想を持つ人々の悲願「道徳の教科化」が成り、検定教科書にイデオロギーを盛り込むことができるようになった。さらに、先月末、政府は「『教育勅語』を教材として使用することを否定しない」と閣議決定した。「憲法に反しない形で」と但書がつくが、戦後、違憲だから衆参両院で排除・失効されたのではないか。なぜ今、と驚愕する。

気がつくと日本国中が森友学園みたいな学校だらけになっているのではないかと想像して、私は怖い。森友問題が重要なのは、その危険を私たちに教える事件だったからなのだ。」

教育勅語容認閣議決定の問題性に関して、私に付け加えるべきものはない。あとは、国内外からの警鐘に、政府がどう対応するかだ。そして、国民がアベ政権の対応をどう見極め、どう評価するかだ。森友問題は、アベ政権の深刻な核心部分をさらけ出してしまった。これを容認するのか、拒否するのか。国民はその回答をしなければならない。「森友鳴動して、よみがえったのは教育勅語」であってはならない。
(2017年4月3日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.