澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

そりゃ出せません、「桜を見る会」の出席者名簿。出せる内容じゃありませんから。

えっ? 「桜を見る会」の出席者名簿を出せって? 無理なこというなよ。常識で考えてもみたまえ。出せるわけがないだろう。政権批判の材料とするから出せっていう要求に、むざむざ、どうぞこの資料で存分に叩いてくださいって、そりゃあり得ないことはおわかりだよな。

行政には何が大切かって? 「国民の行政に対する信頼」が大切に決まっているだろう。信頼って、安心して任せておくってことだよ。国民は、政権に全部お任せてしておけばいいんだよ。余計な心配や詮索などすることはない。政府に対する厚い信頼こそが、民主主義の基本じゃないか。

えっ? 民主主義は「国民の忌憚のない権力に対する批判」によって成り立つって? 「批判のためには、国民には知る権利」が保障されなければならないって? なに言ってんの。政府のアラを探して批判しようという権利が国民にあるというのなら、政権の側には対抗して「隠す権利」がなければならない。これが公平というもの。安倍内閣はこの基本に基づいて政権を運営している。

だから、あらゆる資料は取捨選択する。都合がよいものは出す。政権に都合の悪いものは出さない。隠匿も改竄もありだ。政権維持のためには当然のこと。

今は、民主主義の世の中だ。民意に支えられて政権ができているんだよ。その政権が、出せないって言うんだから、出さないの。「桜を見る会」の招待者名簿が世に出てみろよ。政権が倒れかねない大事件になる。宮本徹議員からの資料提出要求あったとたんにシュレッダーにかけたのは、ヤバイから慌てて破棄したのさ。せっかく破棄したものだ。バックアップデータがあろうとなかろうと、都合が悪いんだから絶対に出さない。どんなことがあっても出すものか。

この名簿、うっかり出せばたいへんだ。鵜の目鷹の目で調べ上げられることになる。アキエ関連もいくつも出て来る。反社の皆様方の名もゾロゾロ。悪徳商法だってジャパンライフばかりじゃない。なによりも,安倍後援会・安倍選挙関係者の名が連なる。調べていけば、公職選挙法違反にも、政治資金規正法違反にも発展しうる。そりゃ、困る。なっ。こんな名簿、出せるわけのないことはお分かりだろう。

理屈は、どうにでもつく。たとえば、「個人情報の保護」だ。誰が「桜を見る会」に招待されたは、プライバシーに関わる厳秘の情報だ。「行政の透明性」より,個人情報の保護こそが大切じゃないかね。反社の皆様にも、アキエ夫人の友達にも、悪徳商法の方々にも、プライバシーというものがある。

そりゃあ、各界の功労者や代表者が招待されたわけだが、晴れがましく名誉ある立場と言えども、世間に知られたくないという奥床しい方は大勢いらっしゃる。そのような人びとの気持ちを考えなければならない。

勲章だって、褒賞だって同じことだ。もらったことを秘密にしておきたいという方もいる。そうだ。来年からは、すべての受賞者を秘密にしよう。

今は苦しいが、もうすぐ国会も終了だ。逃げ切れるかどうかは、世論次第。世論調査を見てみろよ。国民は賢い。野党とメディアがこれだけ叩いても、内閣支持率は40%を維持しているだろう。こういう、ものわかりがよくてもの言わぬ国民の支持に、安倍政権は支えられている。これが、民主主義というものだよ。
(2019年12月6日)

改憲・軍拡・新自由主義路線開拓者中曽根康弘と、追随者安倍晋三。

中曽根康弘が亡くなった。死者に対する辛辣な批評は慎みに欠けるものというのが通り相場。どうしても矛先鈍るものとならざるを得ない。が、この怯みに乗じられてはならない。

その思いは、昭和天皇(裕仁)の死に際しての、阿諛追従の氾濫に驚愕して以来のこと。あのときは、まるで戦犯が平和主義者のごとくに描かれた。そして、まことに不愉快な弔意の押し売りが続いた。社会的同調圧力というものの怖さを実感したのもそのとき。

中曽根の死も、あのときにやや似ている。歴史修正主義・改憲志向・軍拡路線・戦後民主主義否定・新自由主義・市場原理主義・規制緩和政策において、中曽根は明らかに安倍晋三の先輩である。中曽根こそが安倍政治の源流、中曽根の死に際してその業績など持ち上げてはならない。弔意の押しつけなどもってのほか。

昨日(11月29日)安倍晋三は、以下の「内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)」という談話を発表した。

 元内閣総理大臣中曽根康弘氏は、本日逝去されました。
 中曽根康弘氏は、東西の軍事対立や日米貿易摩擦の高まりなど、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって舵取り役を果たされました。
 中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げ、レーガン米国大統領との強い信頼関係の下で強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化するとともに、国際社会の一員として、世界の平和、経済秩序の維持に重要な役割を果たし、我が国の国際的地位を大きく向上させました。
 また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、強いリーダーシップを発揮して、21世紀に向けた諸制度の改革に取り組み、国有鉄道の民営化をはじめとして、大きな実績を上げられました。
 私は、この訃報に接し、深い悲しみを禁じ得ません。
ここに、国民の皆様とともに、心から哀悼の意を表します

 なるほど、今安倍がやっていることに、まことに似ている。
談話は、本来こうなるべきなのだ。

 中曽根康弘氏は、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって国民の反対を押し切って大きく右に舵取りをされました。
 中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げて、戦後民主主義の精神を否定するとともに、レーガン大統領時代の米国への目下の同盟者としてベッタリの従属関係を確立し、靖国神社公式参拝など近接するアジア諸国民の微妙な神経を逆撫でさせ、世界の対立と緊張関係の維持に重要な役割を果たしました。
 また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、国有鉄道をはじめとする公営諸企業の民営化によって、国労・動労・全動労・全逓をはじめとする労働運動の最精鋭部隊の切り崩しに成功し、総評・社会党ブロックを崩壊に至らせる、資本の側にとっての大きな功績を挙げられました。
 私は、同氏の訃報に接し、同氏の志を我が物とする決意であります。日本国憲法を改正して、我が国の全国土を不沈空母とし揺るぎない軍事大国化を完成するとともに、地方の切り捨てとか格差と貧困の拡大という批判を恐れることなく、市場における資本の自由を徹底することによって、アベノミクスを完成させる所存です。

(2019年11月30日)

「また出た アキエ」「アキエ 私人か公人か」「御苑の空は」

「また出た アキエ」

出た出た アキエ
懲りない懲りない まだ懲りぬ
相も変わらぬ アキエ

隠れた 雲に
黒い黒い 真っ黒い
墨のような 疑惑

また出た アキエ
私人公人 また私人
なんだか分からぬ アキエ

 

「アキエ 私人か公人か」

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの一強の驕りを。

世のいかりとそしり
風は激しく厳しかりしが
驕れる者にはどこ吹く風の涼しさ

秋風よ
いとせめて 証せよ
かのひとときの倨傲もゆめに消ゆと。

アキエ、アキエ
アキエ 私人か公人か
はたまた鵺(ヌエ)か四不象(シフゾウ)か
変幻自在に出ては消え
責めは知らじと隠れたる

かくもの公私混同を
見ても見ぬふりつづけるは
いづこの里のならひぞや。
いでや今こそ
厳しく問はまほしと思ひけり。

 

「御苑の空は」

さくら さくら
御苑の空は
見わたす限り
おごりとたかり
あやしの群れぞ
いざや いざや
のみゆかん

アキエ アキエ
野山も里も
見わたす限り
取りまき連の
チヤホヤばかり
アキエ アキエ
散るさだめ

 

「雑詠」

驕りも盛りも限りあり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ

所詮この世は一期の夢よ
幸い桜も狂い咲き
飲んで唄って
嬌声あげて
ちりもあくたも
みんな散れ

桜が散るのは惜しむべし
散るなと思えど散る定め

アキエの散るは法楽よ
驕りも盛りも過ぎにけり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ

(2019年11月22日)

海外軍事産業と安倍政権の目には、「日本はすでに憲法改正」なのだ。

「幕張メッセで大規模武器見本市」のニュースは、聞き流していた。苦々しいことではあるが、今さら騒ぐほどのことでもあるまい。そう高を括っていた。

しかし、本日(11月21日)の赤旗の報道に驚いた。見出しが、「『日本はすでに憲法変更』!? 武器見本市の公式ガイドに」というのだ。これは騒がねばならないことだった。紛れもなく、平和を願う多くの日本人の心を傷つける」イベントなのである。社会面の左肩に4段抜きの記事だが、それでも扱いが小さ過ぎはしまいか。

このイベントの名称は、DSEI Japan 2019」という。英国のイベント企画専門企業が主催し、西正典・元防衛事務次官が実行委員長を務め、防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援している。「安倍政権の全面支援」で行われていると言ってよい。

読みにくいが、赤旗記事に「公式ガイドブック」の一部の写真が出ている。主催者(Clarion Events)の挨拶と思しき内容。日本語で、こう書いてある。

近年の日本国憲法の一部改正に伴い、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になったこともあり、日本で総合防衛展示会を展開する最適なタイミングだと捉えています。DSEIの知名度を東半球に浸透させることができれば、DSEI Londonよりも、アジア市場からの参加者が遙かに増えることで期待できるとともに、アジア市場への参入の足がかりになります。

イギリスに本拠を置く主催者Clarion Eventsは、自社の説明で、「英国で最も歴史のあるイベント主催企業と知られており、世界各国で高く評価されている主要な防衛・セキュリティ展示会の開催を手掛ける世界最大手です。DSEI(ロンドン)をはじめ、LAAD(ブラジル)、BIDEC(バーレーン)、EDEX(エジプト・カイロ)などの開催の実績を持ちます。」という。「DSEI Japan」は、日本で初めて開催される総合防衛・セキュリティ展示会です。また、DSEIブランドを英国外に初めて展開する展示会となります。」とも説明されている。

本日の赤旗記事を抜粋する。

「18日から20日まで、国内(千葉県・幕張メッセ)で初めて開かれた国際的な武器見本市「DSEI JAPAN2019」の主催者が、日本はすでに憲法を『変更』していると公言し、そうした認識が公式ガイドブックに記されていることが分かりました。

見本市の運営を取り仕切るイベントディレクターのアレックス・ソーア氏はガイドブックに掲載されたインタビューで『最近の日本国憲法の変更(Changes)は、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の国内産業(軍需企業)が地球規模で進出することを可能にした』と明言。そうしたことから、日本での開催は『最適なタイミング』であり、『アジア市場への参入の足がかりになる』としています。同インタビューの翻訳文では、憲法の「Changes」を「一部改正」と訳しています。

安倍政権が進める立憲主義破壊の『戦争する国づくり』が、『死の商人』に貴重なビジネスチャンスを与えていることを如実に示しています」「政府として、日本がすでに『憲法を変えた』との認識を認めた責任は免れません。」

英国の死の商人たちの目には、近年日本の平和憲法が「一部改正」(Changes)したと映っている。それゆえ、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になった」というのだ。だから、今こそビジネスチャンスだと、煽っているのだ。

煽られた企業として、名前が出て来るのは、「IHI、川崎重工業、スバル、日本電気、富士通、三菱重工業、三菱電機を含む日本と欧州の防衛産業を代表する企業をはじめ、中小企業等、60社を超える企業」(第1回 DSEI Japan説明会出席者)なのだ。

さらに重要ななことは、この「憲法改正(Changes)」の言葉が発せられたイベントを、「防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援しており、事実上『安倍政権の全面支援』で行われている」という事実である。こんなコンセプトのイベントを後援(事実上は主催)した安倍政権の責任は重大である。

安倍改憲とは、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開」を意味することがよく分かる。すべては、防衛予算の拡大を伴うこと。国内外の死の商人たちの牙の前に、弱り目の日本が好餌として差し出されようとしている。安倍改憲阻止とは、「軍備拡大の阻止、自衛隊海外派遣の阻止、防衛産業のより積極的な海外展開の阻止」を意味するのだ。
改憲阻止の重要性が具体的に肌に滲みる出来事ではないか。
(2019年11月21日)

安倍長期政権という日本の不幸と国民の責任

安倍晋三の首相としての通算在任日数が本日(11月19日)で2886日を数え、憲政史上最長タイとなったと報じられている。めでたくも何ともない。日本の不幸がこれだけ続いたということだ。

長期政権の理由を穿鑿すれば、小選挙区制による権力集中や、官僚の人事権の集約、野党のありかた、経済状況…その他諸々があるのだろうが、結局は国民が許したということにならざるを得ない。

「国民は、そのレベルにふさわしい政治しか持てない」とも「政治は国民を映す鏡」ともいう。「国民は、そのレベルにふさわしい首相しか持てない」とも「首相の品性は国民を映す鏡」と言い直してもよいだろう。安倍政治の継続は、結局国民の「この程度のレベル」を映し出しているものと言うしかない。残念だが、そのとおりで仕方がない。

安倍晋三唯一の功績と言えば、政治家というものは尊敬や信頼とは無縁だということを国民によく知らせてくれたことだろう。国民から、こんなにも見下された首相も珍しい。基本的な日本語能力に欠けること甚だしい。感情を抑えられずに野次を飛ばす。オトモダチを優遇して恥じない。嘘とゴマカシ、文書の隠匿・改竄の常習者。丁寧に説明すると繰り返して、毎度の頬被り。

なによりも、歴史修正主義者で、復古主義者で、軍国主義者で、格差貧困の容認者で、改憲論者である。こんな人物の政権長期化は、安倍を担ぐ右翼勢力の蟠踞の反映というしかない。

私が、安倍晋三という若手政治家を初めて意識したのは、NHK・ETVの特集番組「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の改変問題のとき。何度かNHKに抗議と激励に足を運んだ覚えがある。あのとき、安倍晋三という政治家を、知性に欠けたゴリゴリの歴史修正主義者として印象づけられた。その後、このときの第一印象が変わることはない。

ところで、安倍晋三政権長期化に祝賀のムードはない。既に、レームダック状態。散る潮時がいつかだけが問題となっている。

私は、第2次安倍政権発足直後から、改憲の危機を感じて当ブログ「憲法日記」を書き始めた。まさか、こんなに安倍政権が長く続くとは思いもよらずに。その所為でブログの更新は本日で2423日連続となった。もう少し続けなければならないが、先は見えてきた。もう少しで辞められそうだ。

 散れよかし  はなのさかりは過ぎにけり 散りゆくものは汝が身なるらん

(2019年11月19日)

桜散る 水に落ちたる 犬の背に

来年(2020年)4月の「桜を見る会」は、中止になったという。これは、明らかに急速に盛り上がった「安倍晋三の行政私物化糾弾」世論の成果である。と同時に、一定の譲歩をもって、これ以上の世論の追及を交わそうという戦術でもある。

今安倍政権は窮地にある。2大臣更迭、萩生田「身の丈」発言、大学受験業者癒着問題を抱えた上での、「桜」問題である。閣僚が起こした問題ではない。今度は、自分自身の落ち度。これで、安倍は「水に落ちた犬」状態だが、手を緩めてはならない。今こそ「安倍打つべし」である。

本日(11月13日)午後、官房長官が記者会見で唐突にその旨の発表をした。安倍晋三は、午後7時前、官邸を出る際に記者団に対し、「私の判断で中止することにした」と述べたという。「私の判断で中止」って、何をエラそうな口の利きかた。

なぜ中止なのか。いかなる違法を認めたのか。自分の責任をどう感じているのか。国民への謝罪の言葉はないのか。11月8日参院予算委員会での質疑に対する傲慢な答弁はいったい何だったのか。「来年度中止」でことの幕引きがはかれると思っているのか。

安倍晋三は、実は悩んだに違いない。劣勢に追い込まれた今、徹底抗戦して切り抜けるか。それとも、陣を退いて立て直すか。徹底抗戦は、どうにも勝ち目がなさそう。その闘いで負った疵は致命傷になりかねない。ここは、いったん退かざるを得ない。しかし、退くのも難しい。退けば、野党の連中は嵩にかかって追撃してくるに違いない。どこかで、踏みとどまることができるだろうか。

一面は、しおらしく非を認め、そして一面は「慣行だった」「民主党政権時代も同じだった」と交わしながら陣を退いて立て直すことにしよう。もっとも、安倍政権になってから、招待客も費用も増加してきたと突かれるのは辛いところ。それにしても、「キョーサントー」の質問からだ。面白くもない。

この事態で、各メディアが、一斉に「桜を見る会」の実態について取材し報道している。もう、遠慮の必要はないのだ。後援会やその周辺の人びとが、様々に勧誘されて申し込んで参加しているという。各界代表でもない人が、功績の有無など関係なく。そもそも、多くの人が、安倍晋三の後援会が開催する行事だと思いこんでいたのだともいう。「桜を見る会」の会場では酒やつまみなどの軽食が無料でふるまわれたほか、土産ものも配られたという。今回の報道で公的な行事であることを初めて知ったとも。

この件については、野党のまとまりがよかった。野党側は安倍晋三から説明を聞く必要があるとして、予算委員会の集中審議を求めていく方針だが、与党側は「桜を見る会」の実施手続に問題はなく、集中審議の必要はない、としていた。事態が一転した今、与党は、「来年は中止になったのだから、集中審議の必要もなくなった」とでもいうのだろうか。しかし、野党がこれで戈を収めてよいはずはない。

違法な行為の法的責任は事後的になくなることはない。民事でも刑事でも同様だ。政治的、道義的責任も同じこと。公私混交甚だしい、安倍晋三の責任を徹底して追及しなければならない。

朝日が、こう報じている。

「安倍晋三首相が開いた「桜を見る会」に参加した政治家たちが、当時のブログなどを次々に削除している。朝日新聞が、ウェブ上に保管されているデータから内容を確認すると、自身の後援会関係者らと「見る会」を満喫する光景が浮かぶ。
 藤井律子・周南市長は、参院予算委員会で「桜を見る会」が取り上げられた8日の夜、2014年と18年のブログを消した。
 18年の「桜を見る会」は4月21日にあり、後日こう書いた。「片山さつき先生とも久しぶりの再会を果たしました。『今日は、山口県からたくさんの人が来てくださっているわね~。10メートル歩いたら、山口県の人に出会うわよ!』と、いつものように元気よくお声をかけていただきました」

プレジデントオンラインがこう書いており、なるほどと思わせる。

「菅原氏や河井氏は有権者に「自腹」で金品を配った。一方、安倍政権の幹部たちは「桜を見る会」において、地元後援会の人間を堂々と税金を使って接待している。
「政治家が自分のお金でやったら明らかに公職選挙法違反。(今回の件では)税金を利用している。モラルハザードを安倍政権が起こしている」という田村氏の指摘は多くの国民が共感しているのではないか。」
「桜を見る会」の問題は、菅原、河井の両氏が辞任したスキャンダルよりも悪質ではないか。そういう疑念が広がりつつある。

(2019年11月13日)

「桜を見る会」への批判を ー 「究極の行政私物化」「選挙民を税金で買収」「記録の廃棄」

安倍晋三の「桜を見る会」悪用疑惑。一挙に大問題となってきた。今度こそ、徹底追及して事実を究明し、傲った政権にピリオドを打ちたい。

本日の本郷三丁目交差点での「湯島本郷九条の会」の宣伝活動でも、すべての弁士が「安倍9条改憲阻止」とともに、期せずして「桜を見る会」問題を取りあげた。

安倍晋三追及の論陣は急速に広がりはじめている。メディアも野党も、そしてネットの世界でも。たとえば、小沢一郎。彼は、朝日・毎日・東京の各紙を引用する形で、安倍批判の発言を繰り返している。私は、小沢一郎という人物に好感を持っているわけではないが、彼の昨日(11月11日)のツイッターにこう書かれていることには文句なく賛同する。

ある意味で「権力の私物化」の最終形態だろう。地元後援会850人を、飲食を伴う政府主催のお花見に御招待。全部税金。証拠はきれいに隠滅。たまたま各界の功績ある方々が地元後援会にいたと。この総理の感覚は麻痺している。問題は、国民の感覚まで麻痺したら、この国はついに終わりということである。

このツイッターによく表れているとおり、問題点その1は、安倍晋三の「権力の私物化」である。国民の税金を使って、私的な後援会活動に使う。なるほど、「私物化の最終形態」と言ってよい。政治の私物化、行政の私物化、総理大臣職の私物化でもある。森友事件、加計学園事件でも話題となった、安倍晋三のタチの悪さ・薄汚さがここでもよく表れている。普通、右翼は潔癖なはずなのだが、こういう汚い政治家をどうして応援できるのか。

問題点その2は、選挙民に対する供応である。「地元後援会850人を、飲食を伴う政府主催のお花見に御招待」である。内閣府の「『桜を見る会』開催要項」によれば、「来会者のために茶菓の接待をする」と明記されている。自分のカネではなく、権力を濫用しての選挙時に選挙運動を担う850人もの人への大規模な供応。「茶菓の接待」の内容を追及しなければならない。

問題点その3は、「証拠はきれいに隠滅」である。招待者名簿は、速やかに破棄されたという。これも、安倍政権の常套手段。都合の悪い記録は破棄するか隠蔽する、あるいは改竄する。「破棄をした」は到底信じがたいが、仮に破棄したとしても内閣府は、各省庁や各界からの推薦に基づいて招待者名簿を作っている。再現は容易なはず。しかし、「隠すのは、疚しいから」であり、 「隠れたるより現るるはなし」でもある。

問題点その4は、いつもながらの牽強付会の言い逃れ。。「たまたま各界の功績ある方々が850人も地元後援会にいた」と言ってのける甚だしい無神経。これを「桜論法」と言おう。花に似ず美しくはないが、花に似てすぐに散る言い逃れ。
前記「開催要項」は、「桜を見る会」の招待範囲を次のように、特定している。
「皇族、元皇族
各国大使等
衆・参両院議長及び副議長
最高裁判所長官
国務大臣
副大臣及び大臣政務官
国会議員
認証官
事務次官等及び局長等の一部
都道府県の知事及び議会の議長等の一部
その他各界の代表者等
計 約1万人
この列挙において「その他各界の代表者等」に後援会員をもぐり込ませようというのは、無理な話。いったいどのような手続で、これらの人びとを特定して選考し、「招待状」を送付したというのか。これを「その他各界の代表者」と強弁する安倍流には、徹底した批判が必要である。

そして問題点その5は、「国民の感覚」である。明らかに、安倍晋三の感覚はおかしい。廉恥の心に欠けているからこんなことをして反省の弁すらない。問題は、この感覚のおかしな男を支えている地元の有権者の感覚である。首相の「桜を見る会」に招待されて喜んでいる850人の感覚が安倍晋三同様に麻痺しているのだ。全国民が、山口一区の選挙民並みになったら…、この国はついに終わりということである。

この国を終わりにしてはならない。安倍政権を終わりにしなければならない。
(2019年11月12日)

恥を知れ、安倍晋三。

昨日(11月8日)の参院予算委。質疑の中で、またまた安倍晋三の醜態が明らかとなった。改めて思う。こんな人物を行政府の長としている、わが国のみっともなさと不幸を。そして、最近よく聞く安倍晋三こそ国内最大のリスク」というフレーズに同感する。

安倍の「醜態その1」は、一昨日の衆院予算委に続いての閣僚席からの野次である。
毎日が、簡潔にこう伝えている。「安倍首相、再びやじ 質問議員指さして」「金子参院予算委員長『厳に慎んで…』」
https://mainichi.jp/articles/20191108/k00/00m/010/282000c

首相が8日の参院予算委員会で、質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらやじを飛ばしたとして、杉尾氏が抗議する一幕があった。首相は6日の衆院予算委でも野党議員にやじを飛ばし、棚橋泰文衆院予算委員長が不規則発言を慎むよう要請した。
杉尾氏によると、放送局に電波停止を命じる可能性に言及した2016年の高市早苗総務相の発言について質問した際、首相が自席から杉尾氏を指さして「共産党」とやじ。金子原二郎参院予算委員長が「不規則発言は厳に慎んでほしい」と注意した。
杉尾氏は取材に「国会は政策を論議する場であり、やじは首相の適性や品格に関わる問題だ」と語った。

安倍にとっては、「共産党」が悪口なのだ。戦前の天皇制時代に作られた時代感覚そのままの恐るべきアナクロニズム。それにしても、立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらの「共産党」である。意味不明。というよりも、理解を超えた発言。他人ごとながら、「この人、ほんとに大丈夫かね」と心配になる。

安倍の「醜態その2」は、共産党・田村智子議員の質問によって、明らかになった醜行。本日(11月9日)の赤旗トップ記事になっている。
「桜見る会を安倍後援会行事に」「参加範囲は『功労・功績者』のはずが」「税金私物化 大量ご招待」「田村氏追及に首相答弁不能」という大見出し。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-09/2019110901_01_1.html

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-09/2019110903_01_1.html

「安倍内閣のモラルハザード(倫理の崩壊)は安倍首相が起こしている」―。日本共産党の田村智子議員は8日の参院予算委員会で、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に安倍首相や閣僚らが地元後援会員を多数招待していた問題を追及しました。安倍首相は質問に答えられず、審議はたびたびストップ。安倍首相が先頭にたって公的行事・税金を私物化している疑惑が深まりました。

「桜を見る会」の参加者数・支出額は安倍政権になってから年々増え続け、2019年の支出額は予算額の3倍にもなっています。田村氏は、各界で「功労・功績のある方」を各府省が推薦するとしながら、自民党議員・閣僚の後援会・支持者が多数招待されていることを明らかにしました。

安倍首相の地元・山口県の友田有県議のブログ記事では、“後援会女性部の7人と同行”“ホテルから貸し切りバスで会場に移動”などの内容が記されています。
田村氏は「安倍首相の地元後援会のみなさんを多数招待している」「友田県議、後援会女性部はどういう功労が認められたのか」とただしました。
安倍首相は答弁に立てず、内閣府官房長が「具体的な招待者の推薦にかかる書類は、保存期間1年未満の文書として廃棄している」と答弁しました。田村氏は「検証ができない状態ではないか」と厳しく批判しました。

田村氏は「安倍事務所に参加を申し込んだら、内閣府から招待状がきた」という下関の後援会員の「赤旗」への証言を紹介。「下関の後援会員の名前と住所をどの府省がおさえられたのか。安倍事務所がとりまとめたとしか考えられない」とただしました。
さらに田村氏は、友田県議や吉田真次下関市議のブログに、「桜を見る会」とあわせて安倍首相夫妻を囲んだ前夜祭の盛大なパーティーの様子が紹介されていると指摘。「桜を見る会が『安倍首相後援会・桜を見る会前夜祭』とセットになっているんじゃないか」「まさに後援会活動そのものだ」と追及しました。

安倍首相は「お答えを差し控える」と答弁を拒否し、議場は騒然。田村氏は「桜を見る会は参加費無料でアルコールなどをふるまう。政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反だ。こういうことを公的行事と税金を利用して行っていることは重大問題だ」と強く訴えました。

なるほど、安倍晋三は共産党が嫌いなわけだ。が、問題は安倍自身がしたことの責任だ。田村議員が指摘するとおり、「政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反」なのだ。これに呼応して、山添拓議員が、「私費でやれば公選法違反。税金で堂々やるとは、私物化も甚だしい!」とツイートしている。さて、政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反」だが、「税金で堂々やる」のは犯罪にならないのだろうか。そんなはずはなかろう。

問題の条文は公選法199条の2 第1項である。公選法の条文は、極めて読みにくく作られている。文意をとりやすいように整理すれば次のとおりである。

公職選挙法第199条の2
第1項 政治家は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない。

その違反に対する罰則は、下記のとおり。
第249条の2
第1項 第199条の2第1項の規定に違反して当該選挙に関し寄附をした者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
第2項 通常一般の社交の程度を超えて第199条の2第1項の規定に違反して寄附をした者は、当該選挙に関して同項の規定に違反したものとみなす。

もちろん、有罪が確定すれば、原則5年間の公民権(選挙権・被選挙権)停止となる。

問題は、この安倍晋三による「税金私物化 大量ご招待」を、「寄附」と見ることができるか、である。私は、できると思う。もしこの安倍晋三の税金私物化が、公職選挙法違反にならないとすれば、公選法は甚だしいザル法である。ザルの目を塞ぐ法改正が必要となる。

「寄附」の定義規定は次のとおりである。
公職選挙法第179条第2項
「この法律において「寄附」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は交付、その供与又は交付の約束で党費、会費その他債務の履行としてなされるもの以外のものをいう。」

つまり、安倍晋三が山口1区の有権者に、「金銭や物品」を配ることだけが、公職選挙法で禁止された「寄附」に当たるものではない。禁じられているのは、「財産上の利益の供与」一切なのだ。

立法の趣旨は明らかである。カネを持つものが、カネで政治を壟断することを防止するためである。典型的には、カネで票を買うことは買収罪となり、カネを支払っての選挙運動員を使って票を集めることは、間接的に票を買うことになるとして、運動員買収罪となる。しかし、通常の選挙犯罪は、特定の選挙との具体的な関連性が要求される。たとえば、次のとおり。

第221条1項 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
第一号 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。

選挙「買収」は、「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて」という形で、特定の選挙との具体的関連性が要件となっている。しかし、寄附にはその目的規定がない。特定の選挙との関連性が希薄ではあっても、カネの力で選挙民の投票行動が左右されるようなことがあってはならないとするのが法意なのだ。

本件では、安倍晋三がその選挙区の有権者を「参加費無料でアルコールなどをふるまう」会に招待し参加させたことが寄附に当たるか、が問われている。本来の「功労・功績者」への招待であれば公職選挙法条の犯罪とはならないが、欲しいままに予算を計上し、あるいは予算を大幅に上まわる人を招いて、事実上後援会員を「タダで飲み食いさせ」たのは,明らかに財産上の利益の供与であるから、寄附に当たる。問題は、「寄附」とは、自腹を切っての供与だけをいうもので、権力者が税金を欲しいままに使っての選挙民に対する利益供与は除かれるのか、という点に収斂する。

この寄附禁止規定は、「政治家が自分のカネでやる」ことを想定していたには違いない。しかし、身銭を切っての寄附の悪質性よりも、権力者がその地位を利用ないし悪用して、国民の財産を掠めとっての「寄附」がより悪質であることは、誰の目にも明らかではないか。

法の制定時、こんな安倍晋三流の悪質極まりない選挙違反は想定されていなかった。それが、安倍一強の驕りによってここまで腐敗が進行したということではある。しかし、実質的な負担者が誰であれ、有権者に利益を供与せしめた者すべてが、公選法199条の2 第1項違反と解すべきで、その解釈が罪刑法定主義に反するものではないと、私は思う。
それにしても、汚い。恥を知れ、安倍晋三。
(2019年11月9日)

オッチョコ首相とミノタケ大臣、それに擦り寄るハゲタカ企業。

高校生諸君。おそらく普段は関心を持つこともない国会審議だろうが、昨日(11月6日)の衆院予算委の集中審議にだけには、目を光らせて報道をよく読んでいただきたい。審議の内容が、共通試験への民間業者導入という、君たちの大学進学に関係する身近な話題であるからだけではない。これから君たちが担うことになるこの社会の成り立ちの基本を活写するものとして、極めて教訓に富むものとなっているからだ。

結論から言おう。まず目に付くのは、オッチョコチョイの安倍晋三首相、「身の丈」大事をホンネとする文科大臣、そんな政治家に擦り寄って利益を得ようというベネッセを筆頭とするハゲタカ「教育産業」の醜さだ。この構図がよく読み取れる。

しかし、問題はその奥にある。オッチョコ首相の野次はなくとも、首相の腰巾着として成り上がった文科大臣の「身の丈」発言がなくても、教育が企業の儲けの手段となり、教育さえも市場原理に委ねられていくことの問題性をしっかりと捉えなければならない。そして、現政権が強力に推し進めている「民間活力導入」における、政・官・財の癒着の構造を見すえなければならない。

まずは、この国の首相たる者のオッチョコぶりに注目せざるを得ない。
6日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相が着席中に飛ばしたヤジに野党が猛反発し、審議が一時中断した。今井雅人議員が加計学園問題で文部科学省内で見つかった文書に言及した際に首相が不規則発言。今井氏によると、首相は今井氏を指さして「あなたが(文書を)作ったんじゃないの」とヤジったという。(毎日から)

この文書は、首相側近の萩生田(当時内閣官房副長官)が文科省に、加計問題での首相の意向を伝達したという圧力の証拠となる重大メモ。署名はないが、手書きのメモとして、文科省に保管されていたもの。唐突に、その作成者だと言われて、今井議員は当然に怒った。「侮辱です、謝罪してください」と声高な訴えに対して、首相はしどろもどろになりながらもこう答えた。

「文科相(萩生田のこと)が与り知らないメモなのだから誰が作ったか不明。今井議員だって私だって可能性があるという趣旨だ。」とムチャクチャな答弁をして場の紛糾を招いた。そして、「自席から言葉を発したことは申し訳なかった」とは言ったものの、「あなたが作った」を撤回せず、謝罪もしなかった。小学生のケンカのレベル。こういう非常識が、わが国の首相の姿なのだ。

ミノタケ文科相の「身の丈」発言には正直のところ驚いた。これが彼らのホンネであることはよく分かってはいたが、まさかこうもあからさまに、普段思っていることを分かり易く口にするとは思わなかった。もちろん、失言などというものではない。

「身の丈」とはそれぞれの個人が抱えている人生の条件のことだ。誰の子として、どこに生まれ、どのような家庭環境と社会環境で育てられてきたか。経済的に恵まれているか否か。「身の丈に合わせる」とは、それぞれの不平等な人生の条件を文句を言わずに受け入れよ、ということである。これを教育行政のトップが発言した意味は大きい。不平等な格差を是正することが教育行政の役割と認識していれば、絶対に身の丈発言はあり得ない。上から目線で、「貧乏人は、貧乏人の身の丈で、できることをするしかなかろう」と言うホンネが,この発言の真意なのだ。

教育における格差是正問題は、社会観の根本に関わる。まず、人は平等であるべきかという問にどう答えるか。一方に、すべての人は当然に平等である、という近代社会の常識がある。日本国憲法のコアの部分も、この常識を取り入れている。

もう一方に、世襲によって固定した身分的差別を容認する非常識がある。王族やら皇族やらの存在をありがたがり、民族や人種や性による差別をも容認するアナクロニズムと言ってよい。日本国憲法も、コアでない部分で天皇制という前世紀の遺物を残している。天皇制は当然のごとく男女の平等も排している。

その中間に、形式的な平等だけを認める立場がある。けっして、結果の平等を認めない。人の経済活動の自由を認めその結果として現れる、格差や不平等を積極的に容認する立場だ。利潤を求める資本にとって、低賃金で働く労働者が不可欠なのだ。だから、資本を代表する立場の政治にとって、建前は人間の平等でも、ホンネは差別の容認となる必然性がある。

教育は、この差別社会における階層間の流動性を促進する機能をもっている。この国の建前は、誰もが平等に教育を受ける権利を謳っている。教育の機会均等こそは、低所得階層にとっての希望へのステップである。

従って、本来教育は,貧富の差なく誰もが平等に受けられるように,無償であることが望ましい。そうすることによって社会はより有為な人材を育てるメリッとを享受することができる。

ところが、政府は無駄な防衛予算には巨額を注ぎ込んでも、教育にはカネを出し渋る。それなればこそ、教育産業の出番が生じる。教育は、教育産業のビジネスチャンスの場となり、市場原理で動くものとなる。圧倒的にカネを持つ親の子が、高学歴を所得するに有利になるのだ。共通試験の民間委託とは基本的にそのような構造の中での出来事である。

加計問題で明らかになったのは、首相が議長を務める「国家戦略特別区域諮問会議」の露骨なオトモダチ優遇だった。今度も、政権と業者の癒着が疑われている。たとえば、次の報道。
「英語試験法人に天下り、旧文部省次官ら2人 衆院予算委」(東京新聞)
「衆院予算委員会は6日、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して集中審議を行った。2020年度の大学入学共通テストへの導入が延期された英語民間検定試験に関し、実施団体の一つベネッセの関連法人に旧文部省、文部科学省から二人が再就職していたことが明らかになった。野党は、英語民間試験導入の背景に官民癒着があるのではないかと追及した。文科省の伯井美徳高等教育局長は予算委で、旧文部省の事務次官経験者が同法人に再就職し、10月1日まで理事長を務めていたことを明らかにした。国立大学の事務局長を務めた文科省退職者も同日まで参与を務めていたと述べた。
また、立憲民主党の大串博志氏は「(民間試験導入が)民間に利益が及ぶ形で考えられているのではないか。疑念を呼ぶこと自体が大きな問題だ」と批判した。

おそらく高校生諸君は、怒るだろう。君たちは食い物にされているのだ。直接には教育産業に、そして教育改革を推進するという政治家たちに。また、今の社会や政治はこんなひどいものだと呆れることだろう。その責任は、私も含めた君たちの親やその親の世代にある。君たちの世代には、こんなオッチョコ首相やミノタケ大臣ではないマシな政治家を選任し、資本の論理が横行する社会ではなく、真に人間を尊重する社会を実現してもらいたい。

なお、明日(11月8日)には、参院予算委でも集中審議が予定されている。こちらにも、ぜひ関心をお寄せいただきたい。
(2019年11月7日)

独白 ― 萩生田光一「身の丈発言」のホンネを語る。

人事の要諦は適材適所だよ。私が、文部科学大臣。これこそ理想の適材適所。安倍政権の傑作じゃないか。口さがない輩は、「加計学園にあれだけドップリ浸かって、疑惑を抱えた萩生田が文科行政のトップとはブラックジョークか」などと悪口を言うが、ためにする言いがかりで八つ当たりも甚だしい。森友・加計批判を強引に乗り切った私こそが、教育行政のトップを担うにふさわしい。一見して明白だよ。

私は、予てからの教育勅語信奉者だ。日々、勅語の精神を政治に行政に体現しようと、議員会館の私の部屋には、勅語の額が掲げてある。掲げてあるだけではない。朝に夕に勅語を拝読三唱し、明治大帝の大御心の深さの一端でも、我が心にしようと誠心誠意努力を重ねている。そんな私なのだから、子どもたちに倫理を教える文科省の大臣にもっともふさわしいんだ。

往々にして、勅語は失効しただの、アナクロニズムだのという不敬の言動にお目にかかるが、ものを知らないということは恐ろしい。勅語の最後にはこう書いてある。

「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所。之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕、爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」

どう? おそれいらない? つまり、勅語の精神はだね、なんたって神さまがお示しになったものだから、正しいに決まっている。「古今の歴史を通じて、また世界のどこにおいても」けっして間違っていないと書いてあるんだ。勅語が示している道は、令和の御代においても、我等臣民の永遠に守るべきものなのだから、これを信奉している私こそが文科大臣に最もふさわしいわけだ。

その私の、「身の丈」発言だ。「身の丈」で生きることって、大切なことだよ。常々思っていることを口にしただけだが、形勢不利となれば、撤回も謝罪もなんでもありだ。これも、子どもたちに教訓的だろう。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というじゃないか。蟹だってオケラだって、身の丈に合わせて生きているんだ。ましてや知恵のある人間だもの、身の丈に合わせた生き方をしなくては苦しむだけさ。「身の程」を知り、「分相応」の生き方が大切なことを、道徳の時間に改めてよく教えなくてはならない。

人の平等だの、教育の機会均等だのというのは、そりゃ建前だけのこと。ほら、皇室をご覧なさい。畏れ多くも、皇室や皇族の皆様方が、われわれ臣下と平等であるはずはない。だから、安倍晋三首相が、臣下を代表して、高御座のお上を「仰ぎ見て」、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやったのだ。これが世の常識というもの。

そして、「テンノーヘイカ・バンザイ」をやった安倍晋三首相も、典型的な三代目政治家。下から這い上がった人ではない。麻生太郎財務大臣も同じ。何の苦労も知らないお坊ちゃんたち。このような,格差の上澄みが支配する世の中であるという現実を、しっかりと知らねばならない。それこそが教育の課題。

憲法が、人間差別の象徴としての天皇の存在を認めているとおり、人間の平等は観念論だ。現実には、人は差別を背負ってこの世に生まれ育つのだ。とりわけ、貧富の格差による差別は如何ともしがたい。この格差を無理に是正しようとすれば、共産主義の世の中になってしまう。それでもよいという覚悟はおありかな。

だから、大学入試の英語民間試験導入を巡る問題で、「お金や地理的に恵まれた生徒が有利になるのではないか」と聞かれて、私は「身の丈」が大切と答えたのだ。なにも、大学入試の英語の科目だけが教育差別というものではない。人は、生まれ落ちたときから、教育格差の中で生きているのだ。幼稚園から大学まで、すべて教育格差で貫かれた現実。自分の身の丈に合わせて勝負してもらう」以外にありようはない。

私は、「受験生に不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。おわびしたい」とは言った。もちろん、慎重に「受験生に不快な思いを与えた」とは認めていない。「説明不足」に過ぎなかったのだから、説明さえすればよいのだ。それで、身の丈に合わせてとは、「自分の都合に合わせて」の意味だと言ってはみた、我ながら上手くない。「身の丈に合わせて」は外部からの強制による余儀なくされた選択で、「自分の都合に合わせて」は強制性のない自発的な選択なのだから。

しかしだ、この程度のことで騒がれるのは、はなはだめんどうだ。やっぱり、教育勅語だよ。上から目線で、教育も教育行政も貫けるのだから、戦前はよかった。ここでうんと天皇の権威を高めて、政治も行政もやりやすくしてもらいたいものさ。
(2019年10月30日・連続更新2403日)

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