澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍改憲阻止のために(その2)

8月17日学習会の続きです。事前のご注文が下記のとおり。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと

「第1 改憲の危機・情勢等」は、昨日のブログに。以下は、その続きです。

第2 立憲主義・個人の尊厳等
1 近代憲法の根源的価値は、人権(個人の尊厳)です。この公理を揺るがせにしてはなりません。
人権という法概念は、市民社会が生み出した歴史的所産で、様々な人権のカタログと、その再整理の方法が提案されています。
自由権・平等権・参政権…社会権・受益権・平和的生存権など

2 憲法の形(イメージ化) 人権第一主義の立場から
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」と「統治機構」の両部門から成ります。「人権」という価値本体を、この価値を損なわぬよう権力分立という原理を持つ「統治機構」が支えています。
⇒近代立憲主義に適合の構図
自由主義(国民の自由を国家機構が侵害してはならない)

3 さらには、自由主義を基本としつつ、
⇒現代立憲主義
福祉国家主義(国家機構が、国民の福祉増進の役割を持つ)

4 立憲主義とは、一面権力行使を正当化し、一面権力行使の限界を画するために、憲法を制定するという考え方。欽定憲法とも相性はよく、戦前もてはやされた。
天皇主権下では、民主主義という言葉は使えない。主要政党は政党名に「立憲」を冠しました。(立憲政友会・立憲改進党・立憲革新党・立憲国民党・立憲帝政党)
寺内正毅は、憲法に忠実でないことで、「ビリケン(非立憲)宰相」「ビリケン内閣」と揶揄された。旧憲法にも、不十分ながら、権力を分立して人権を擁護する側面はあったわけです。
日本国憲法下では、久しく立憲主義が大きな話題となることはなかった。護憲運動の側から、立憲主義を掲げ、マスコミもこれに呼応するようになったのは、安倍政権成立以来のこと。権力の主体が改憲に性急な事態を、立憲主義の基本に立ち帰って、「憲法とは、主権者国民が発した、権力者に対する命令である」「その命令に縛られる立場の権力者が、憲法を気に染まぬとして改正しようとは自己矛盾」と批判しました。

5 日本国憲法の基本性格と改憲問題の構図
日本国憲法は不磨の大典ではありません。もちろん、理想の憲法でもない。
飽くまで、歴史的な所産として、
「人類の叡智の結実」の側面を主としてはいるが、
「旧制度の野蛮な残滓」をも併せもっています。
すべての憲法条文は普遍性をもつとともに、特異な歴史性に彩られてもいます。
憲法のすべての条文は、歴史認識を抜きにして語ることができません。
☆戦後の革新勢力は、憲法をあるべき方向に変える「改正」の力量を持たない。
さりとて、「改悪」を許さないだけの力量は身につけてきました。
これが、「護憲」「改憲阻止」という革新側スローガンの由来です。
☆政治的なせめぎ合いは、いずれも革新の側が守勢に立たされています。
「改憲(憲法改悪)阻止」と「壊憲(解釈壊憲)阻止」

第3 天皇交代における憲法問題
1 いったい何が起きつつあるのか。
4月1日 元号発表
4月末日 天皇(明仁)退位
5月1日 新天皇(徳仁)即位 剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
10月22日 安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
11月13日~14日 宗教行事としての大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。

2 憲法における天皇の地位
天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではありません。象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを消極的に表現するだけのもので、象徴から、何の法律効果も生じません。
本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはなりません。
天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能です。  憲法改正の限界に関しては諸説あるものの、天皇・天皇制を廃止しうることは通説です。また、皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではありません。

3 憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物です。
憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げているところであって、憲法解釈においても、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければなりません。

4 近代天皇制とは、国民統治の道具として明治政府が拵えあげたものです。旧憲法時代の支配者は、神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を、この上なく調法なものとして綿密に使いこなし、大真面目に演出して、国民精神を天皇が唱導する聖戦に動員しました。
そこでの政治の演出に要求された天皇像とは、神の子孫であり現人神でもある、徹底して権威主義的な威厳あふれる天皇像でした。「ご真影」(油絵の肖像を写真に撮ったものでホンモノとは似ていない)や、白馬の大元帥のイメージが臣民に刷り込まれました。
天皇の権威は、教場と軍隊とで、国民に刷り込まれた。
教育勅語と軍人勅諭。「上官の命令は天皇の命令」。

5 敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っています。しかし、初代象徴天皇は、国民の戦争被害に責任をとろうとはしなかった。戦争責任を糊塗し、原爆被害も「やむを得ない」とする無責任人物としての天皇像。それが、代替わり後次第にリベラルで護憲的な天皇像にイメージを変遷してきた。
現在、国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはなりません。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、「非権威主義的な権威」をもつ象徴天皇であって、はじめてそれが可能となります。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのです。これを「リベラル型象徴天皇像」と名付けておきましょう。
国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の国民主権を形骸化する危険を増大することになります。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならないのです。

6 天皇代替わりにおける政教分離違反問題
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めの装置です。
「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」の利用を許さないとする、国家に対する命令規定です。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟

7 天皇交代劇に見る国民主権と主権者意識の実態。
※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
※日本国憲法における天皇とはロボット(宮沢俊義)です。
※象徴天皇制を支える小道具の数々
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園…

(2019年8月18日)

安倍改憲阻止のために(その1)

※はじめに
本日(8月17日)の学習会。ご指定のタイトルが、「改憲阻止のために」。
そして、次のテーマに触れるよう、事前のご注文をいただいています。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと

以上の第1が、「憲法をめぐる政治情勢」。第2が「憲法の構造をどう理解するか」という基本問題。そして、第3が象徴天皇制をめぐるトピックのテーマと理解して、報告を進めます。

なお、かなり長いので、第1を本日(8月17日)、第2・第3を明日(8月18日)の各ブログにアップいたします。

第1 改憲の危機・情勢等
1 憲法をめぐる大状況
実は、改憲の危機はこれまで常にあったし現にある、と言わねばなりません。日本国憲法成立以来、憲法は一貫して危機にあったのです。
自民党が、「自主憲法制定は結党以来の党是」としている如く、戦後の保守政権は、一貫して憲法を敵視し、あわよくば改憲を狙い続けてきましました。
ほぼ一貫して、このような保守政権を支え続けてきたのが国民であり、また、改憲策動を許さず、憲法を守り抜き、定着させてきたのもまた国民です。
改憲反対の側から見れば、保守が邪魔とする憲法であればこそ、護るべき意義があると言えると思います。

2 安倍政権の改憲志向
その保守のホンネを語る貴重な文化財が自民党改憲草案(12年4月27日)です。そのようなホンネを恥ずかしげもなく実現しようとする真正右翼・改憲主義者が政権を把握しました。それが、安倍晋三です。
安倍政権とは、
国家主義・軍事大国主義・歴史修正主義・新自由主義を理念とし、
「親大日本帝国憲法・叛日本国憲法」路線の政権です。

3 「安倍改憲」提案の経過
☆安倍ら改憲派にとっては、明文改憲が必要なのです。戦争法(安保関連法)はようやく成立させたけれど、憲法9条の壁を乗り越えられず、「不十分なもの」にとどまっている。「フルスペックの集団的自衛権行使」はできないままとなってる。今のままでは、同盟国・アメリカの要請に応じての海外派兵はできない。だから、何とかしての「9条改憲」なのです。
☆しかも、改憲ができそうな情勢ではありませんか。改憲派が、各院の3分の2を超える議席をもっている。今のうちなら、改憲の現実性がないとは言えません。
☆2017年5月3日 安倍は、右翼改憲集会へのビデオ・メッセージを送り、同時に読売新聞紙面で、「アベ9条改憲」を提案します。ご存じのとおり、現行の9条1項2項には手を付けず、そのまま残して、「自衛隊を憲法に明記するだけ」の改憲案です。この改憲を実現して、2020年中に施行するというのです。
☆実は、その種本は、日本会議の伊藤哲夫「明日への選択」に掲載された論文です。
彼は、一方では、「力関係の現実」を踏まえての現実的提案としていますが、もう一つの積極的な狙いを明言しています。「護憲派の分断」という戦略的立場です。
つまり、これまでの護憲派の運動は、「自衛隊違憲論派」と「自衛隊合憲(専守防衛)派」の共闘で成立している。この両者の間に楔を打ち込むことが大切だというのです。
☆その1年後の2018年3月25日、自民党大会がありました。予定では、この大会までに党内意見を一本化して、華々しく9条改憲を打ち上げる手筈でした。何とか、改憲原案については党内の「憲法改正推進本部長一任」までは取り付けましたが、全然盛り上がらない。現実には4項目の「たたき台・素案」作成にとどまるものでした。
☆その後速やかに、改憲諸政党(公・維)と摺り合わせ→「改正原案」作成、の予定とされていましたが、現在与党内協議さえ、まったく緒についていない現状です。
☆当初は、2018年秋の臨時国会にも、「改正原案」上程の予定でした。
衆院に『改正原案』発議→本会議→衆院・憲法審査会(過半数で可決)
→本会議(3分の2で可決)→参院送付→同じ手続で可決
『改正案』を国民投票に発議することになる。
☆60~180日の国民投票運動期間を経て、国民投票に。
国民投票運動は原則自由。テレビコマーシャルも自由。
有効投票の過半数で可決。
☆「安倍のいるうち、両院で3分の2の議席あるうち」が、改憲派の千載一遇のチャンスなのです。裏から見れば、安倍を下ろすか、各院どちかでも3分の2以下にすれば良い、と言うことなります。
☆そのような視点からは、2019年7月の参院選→改憲派の3分の2割れは由々しき事態です。しかも、自民は9議席減らして、相対的に公明の発言力が強くなっていますが、その公明が世論の動向を気にして、改憲協議に応じようとはしないのです。
☆しかも、現在、衆参両院の憲法審査会は機能していません。これを無理やり動かそうとした下村博文が、却って与野党の関係者から批判を浴びている現状です。大島衆院議長を批判した萩生田光一も肩身の狭い思いを強いられています。

4 「安倍9条改憲」の内容と法的効果
★「自民党改憲草案・9条の2」は、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」という勇ましいものです。自衛隊ではなく、堂々の国防軍をもちたいのです。これが、安倍晋三のホンネ。
★さすがにそれは無理。「たたき台素案・9条の2」はこうです。「前条(現行憲法9条)の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛隊を保持する。」
☆安倍改憲では、堂々の国防軍は持たない。「自衛のための実力組織」としての自衛隊しか持ちません。しかし、よく読めばお分かりのとおり、9条1項2項の規定はそのまま置かれることにはなりますが、新しい定義の自衛隊を持てるというのです。これは、現行の9条を死文化することになります。自衛隊の中身は、時の多数派の意向次第。
「従って、本来ないはずの軍事力」が明文で合憲化されます。軍事の公共性が認められることにもなります。自衛隊員募集協力への強制や、土地収用法・騒音訴訟・戦争被害賠償訴訟にも、沖縄・辺野古基地関連訴訟にも大きく影響します。
☆しかも、戦争法を合憲化し、集団的自衛権行使が可能となり、海外派兵も容易になります。

5 緊急事態条項の危険性
制憲国会での金森徳次郎の次の答弁が示唆的です。
「緊急事態条項は、権力には調法だが、民主主義と人権には危険」

だから、新憲法には、緊急事態条項を盛り込まなかったのです。

権力と民主主義、調法と危険は、相反するのです。

(2019年8月17日)

74回目の「敗戦の日」を目前に

ご近所の皆様、本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けております「本郷・湯島九条の会」です。私は近所に住む者で、憲法の理念を大切にし、人権を擁護する立場で、弁護士として仕事をしています。

真夏の真昼時、まことに暑いさなかですが、平和を守ろう、憲法9条を大切にしようという熱い願いの訴えです。少しの時間耳をお貸しください。

74年前の8月、東京は度重なる空襲で焼け野原となっていました。1945年8月15日正午、国民に敗戦を知らせる天皇の言葉が、NHKラジオの電波に乗って焼け跡の東京に響きました。国力を傾け尽くし、310万人の自国民死者と、2000万人にも及ぶ近隣諸国の犠牲者を出した末に、ようやくにして悲惨な侵略戦争は終わりました。

こんな戦争を始めなければ、もっと早く戦争を終わらせていれば、何百万もの貴重な命が失われずに済んだはずなのです。多くの人の戦死による記録が残されていますが、とりわけ住民を巻き込んでの地上戦となった沖縄の体験は悲惨でした。沖縄では、多くの中学生・女学生が戦場に動員されなくなりました。

第一高女と師範女子部からなる「ひめゆり学徒隊」の悲劇が有名ですが、実は9校あったすべての高等女学校の生徒が動員されています。第二高女の4年生は、45年の3月から「白梅学徒隊」として、第24師団の野戦病院に配属されました。

読売新聞社会部が1980年に「沖縄 白梅の悲話」という記録集を出版しています。その中から、戦死した二人の女学生の例を紹介いたします。いずれも、15才か16才の年齢。その若さで認めた家族への手紙が事実上の遺書となって記録されています。その内容に驚かされます。

お一人は、大嶺美枝子さん。
白梅学徒隊は、6月4日に現地解散し、「各自行動」の指令となります。その後間もない9日の夜、大嶺さんは直撃彈で戦死。彼女は、動員直前に、母親宛の手紙を書いています。

「お母様、いよいよ私達女性も出動できますことを心から喜んでおります。お母様も喜んで下さい。『皇国は不滅である』との信念に燃えて生き延びてきました。軍と協力して働けるのはいつの日かと待っておりましだ。いよいよそれが報いられたのです。いま働かねばいつの日働きますか。私は暖かいお母様のお教えを生かして一人前の立派な日本女性となる覚悟で居ります。
お母様、私の身軆のすべてを大君に捧げたのです。男でも女でも忠を尽くす信念は一つです。私達の身軆は国が保証して下さるのです。何の心配もなさらないで下さい。散る時には立派な楼花となって散って行きます。その時には家の子は偉かったと賞めて下さいね。」

母親の感想は、掲載されていません。心中いかばかりだったことでしょう。

もう一人は、仲村渠幸子さん。終戦の前年1944年夏頃に、姉(第一次女子挺身隊として沖縄から滋賀の近江航空に動員されていた)に宛てた手紙が遺されています。
姉さん、戦いも益々熾烈を極め、サイパン島玉砕の報を知った時には熱い涙がこみあげ、宿敵米撃ちてし止まむの意気旺盛になり、今迄の生ぬるい生活を断然、制裁しております。
……那覇では近頃、疎開騒ぎで荷車や荷馬車が夜昼となくガラガラと大通りを行くのを見るにつけ此の沖縄が戦場化されると思うと私達が玉砕するのも今年中でせう。おばあさんは相変わらず頑固で、疎開なんかしませんので頼もしい。他府県の人は総引き上げで、級友は6名も転校してしまいました。私達は純粋なる琉球人ですから居残って、ヤンキー共の首の二つや三つは竹槍で刺し殺してから玉砕する覚悟です。上級学校希望も捨てました。代わりに女子整備兵を希望して大いに運動して居ります。~」

彼女の最期については、このようだったと言います。
「彼女は防衛隊の父の戦死を知った夜、『仇を討ってやる』と、石部隊の兵に混じり軍服を着てハチマキを締め斬り込みに行った。家族が止めても止めても聞かなかったという。どの様な最後であったか不明のままである。」

生き残った元学徒からは、その悲劇の原因として、皇民化教育が語られています。無数の悲劇を重ねて、1945年8月15日、戦争が終わります。1931年から始まった長い長い戦争でした。再び、この戦争の惨禍を繰り返してはならない。多くの人々の切実な思いが、平和憲法に結実しました。とりわけその9条が、再びの戦争を起こさないという国民の決意であり、近隣諸国への誓約でもあります。

大日本帝国憲法は戦争を当然の政策と考えた、軍国主義憲法。主権者である天皇の名による戦争を神聖で正当なものとし、国民に戦争参加の義務を押し付けた憲法でした。戦後の日本国民は、きっぱりとこの好戦憲法を捨て去り、平和憲法を採択したのです。以来74年、私たちの国は戦争をすることなく、過ごしてきました。

日本国憲法は、戦争を放棄し戦力を保持しないことを憲法に明確に書き込みました。それだけではなく、この憲法には一切戦争や軍隊に関わる規定がありません。9条だけでなく、全条文が徹頭徹尾平和憲法なのです。戦争という政策の選択肢を持たない憲法。権力者が、武力の行使や戦争に訴えることのないよう歯止めを掛けている憲法。それこそが平和憲法なのです。

ところが、歴代の保守政権は、この憲法が嫌いなのです。とりわけ、安倍政権は憲法に従わなければならない立場にありながら、日本国憲法が大嫌い。中でも9条を変えたくて仕方がないのです。

彼が言う「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」とは、日本国憲法の総体を敵視するという宣言にほかなりません。「戦後」とは、1945年敗戦以前の「戦前」を否定して確認された普遍的な理念です。人権尊重であり、国民主権であり、議会制民主主義であり、なによりも平和を意味します。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断にほかなりません。安倍首相は、これを再否定して「戦前にあったはずの美しい日本」を取り戻そうというのです。

戦後74年、日本国憲法施行以来72年、国民は日本国憲法を護り抜いてきました。それは平和を守り抜くことでもありました。そうすることで、この憲法を自らの血肉としてきました。平和は、憲法の条文を護るだけでは実現できません。国民の意識や運動と一体になってはじめて、憲法の理念が現実のものとして生きてきます。平和憲法をその改悪のたくらみから護り抜き、これを活用することによって恒久の平和を大切にしたいと思います。

そのため、安倍9条改憲を阻止して、「戦後レジームからの脱却」などというふざけたスローガンを克服して行こうではありませんか。夏、8月、暑いさなかですが、そのような思いを新たにすべきとき。憲法9条と平和を大切にしようという訴えに、耳をお貸しいただき、ありがとうございました。

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各 位

「本郷・湯島九条の会」石井 彰

強烈な炎天下での昼街宣になりました。平和運動の方、文京労連の方もご参加いただき13名の方々がマイクでの訴え、署名、リーフ配布とみなさん大活躍でした。みんな汗びっしょりです。ほんとうに頭が下がります。

三度の大戦許すまじの熱い思いた熱暑を払い除けての活躍です。こんな素晴らしい仲間がいることを誇らしく思います。お盆でいつもより人通りは少なくても多くの方が訴えに耳を傾けていただきました。

来月は9月10日(火)12時15分~です。多くの方のご参集をお待ちしています。炎暑はまだ続きます。御身専一にお過ごしくださるようお願い申し上げます。

(2019年8月13日)

巨悪の高枕

昨日(8月9日)から、高枕をしてぐっすり眠れるようになった、あの二人に詩を贈ろう。

      晋三をねむらせ、晋三の屋根に雪ふりつむ。

      昭恵をねむらせ、昭恵の屋根に雪ふりつむ。

     疑惑は深く埋められて、ふりつむ雪の底の底。

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昨日(8月9日)のこと。学校法人森友学園への国有地売却や、これに関わる財務省関連文書の改ざんなどをめぐる問題で、大阪地検特捜部は、被告発者全員を再び不起訴処分とした。

もともと被告発者は38名に上るものだった。大阪地検特捜部は、これを一括全員不起訴として国民の怒りを招いた。さすがに、大阪第一検察審査会は、そのうち10名について、「不起訴不当」と議決した。その中には、近畿財務局の国有財産管理官(当時)や、佐川宣寿・元同省理財局長らが含まれ、大阪地検特捜部はこれを再捜査していた

再捜査後の2度目の不起訴処分については、8月10日現在告発人代理人である私の許には通知が届いていない。だから、正式には処分があったとは言いがたいのだが、大阪地検特捜部が記者を集めて発表したのだから間違いはなかろう。

大阪第一検察審査会の本年3月15日議決(通知書は同月29日付で作成されている)が強制起訴につながる「起訴相当」でなく、「不起訴不当」であったため、検審による2度目の審査は行われず、強制起訴への道はない。この2度目の全員不起訴処分をもって、特捜部は捜査を終結する。なんということだ。安倍政権への濃厚な忖度疑惑を解明することなく、刑事事件としては幕引きにするのだ。
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の会員で、告発人となった19名とその代理人は、昨日(8月9日)、以下の「見解」を公表した。

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2019年8月9日

大阪地検の不起訴処分決定に関する私たちの見解

 (原処分)平成29年検第17422号 
 刑事告発人 醍醐聰外18名
 同告発人ら代理人弁護士  澤藤統一郎
 同            杉浦ひとみ
 同            佐藤 真理
 同            澤藤 大河

(1)大阪地方検察庁は、私たちが背任で告発した森友学園への国有地の不当な値引き売却事件について、本日、再度、不起訴処分を発表した。
 大阪地検は不起訴処分の理由を公にしていないが、いわゆる「前打ち報道」によると、地中にごみが一定量存在していたことは確かだとし、起訴には至らないと判断したとのことである。
 しかし、私たちは、様々な証拠資料を挙げて、地下埋設物が存在したとしても、それは値引きの根拠となる「瑕疵」、すなわち、工事の支障となるものではなかったと訴えたのであるから、上記の不起訴理由は私たちの告発に全く答えない不真面目なものである。

(2)大阪地検は当初の不起訴処分の理由として、瑕疵に見合う値引きをして売却を急がなければ森友学園側から損害賠償の訴えを起こされる可能性があったと語った。しかし、大阪第一検察審査会も不起訴不当の議決をした理由として記載したように、そうした提訴は、森友学園の顧問弁護士でさえ、勝算の見込みが乏しいものだった。
 このような反証を再捜査でどう解明したのか、説明もないまま、再度の不起訴で幕引きを図ることを私たちは到底、容認できない。

(3)加えて、財務省は近畿財務局に交渉記録の改ざんを指示したり、森友学園側にゴミ撤去を偽装する口裏合わせの工作を持ち掛けたりしたことが国会の場で明らかになった。そうした一連の工作は、近畿財務局や財務省がやましい背任があったことを認識し、それを隠ぺいする工作を行なった事実を赤裸々に物語るものである。
大阪地検が、こうした事実に目を背け、参議院選挙が終わったこのタイミングで再度、不起訴処分の決定を発表したのは、安倍首相夫妻が深く関与した本件を、出来レースの国策捜査で幕引きしようとするものに他ならず、司法の威信、国民からの信頼を失墜させるものである。

 私たちは巨悪を眠らせる今回の不起訴処分に厳重に抗議するとともに、これからも公文書の改ざん問題も含め、真相解明を願う多くの市民と協力して事件の真相を追求する努力を続けていく。

以上

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「巨悪を眠らせるな」は、東京特捜から検事総長となった伊藤栄樹の言葉であった。「巨悪を眠らせるな、被害者と共に泣け、国民に嘘をつくな」というのが、彼の部下に対する訓示であったという。

統治の機構は、法の支配を貫き人権侵害を防止する観点から、相互監視と牽制の実効性が確保されていなければならない。とりわけ、権力機構の頂点に立つ者の独善や暴走を許さない検察の役割はこの上なく重要である。検察が「巨悪」と表現するのは総理大臣、あるいは、総理クラスの大物政治家を意味する。佐藤栄作・池田勇人・田中角栄・金丸信…等々。

かつては、検察の「巨悪を眠らせるな」というセリフには、リアリティが感じられた。今はなくなってしまったが、安倍忖度へのメスを入れることが、その汚名を挽回する千載一遇のチャンスだった。にもかかわらず、検察は自らそのチャンスをつぶしたのだ。「巨悪を眠らせるな、被害者と共に泣け、国民に嘘をつくな」と言った検察の魂は、今どこへ行ったのか。

刑事事件としては幕が引かれても、市民運動は幕を下ろさない。この疑惑を追及し続けよう。安倍政権の政治の私物化を糾弾する声を上げ続けよう。
(2019年8月10日)

「表現の不自由展・その後」が実証した、我が国の表現の不自由。

表現の自由は、民主主義社会の血液である。表現の自由が十分に保障されている社会こそが、活性化した民主主義社会である。表現の自由が枯渇するとき、民主主義も窒息し死に瀕する。民主主義社会においては、表現の自由は最大限尊重されなければならない。

表現の自由とは何か。権力を批判する自由のことである。権威に恐れ入らない自由である。社会の多数派に与しない言動の自由である。けっして、安倍政権に忖度をする自由ではなく、天皇に阿諛追従する自由でもなく、国民の時代錯誤の差別意識に便乗して韓国や在日をバッシングする自由ではない。権力や権威や社会の多数派には、相応の寛容の姿勢が求められるのだ。

日本に表現の自由はあるか。国境なき記者団が毎年発表しているのは「世界報道自由度ランキング(Press Freedom Index)」。表現の自由よりは狭い「報道自由」についてのものだが、日本の地位は180か国中67位である(2019年)。安倍政権成立前の2011年が11位。12年が22位だった。安倍政権成立後の13年に突然53位と順位を下げ、以後、59位、61位、そして72位となって、70位前後を低迷している。韓国(41位)、台湾(42位)などの後塵を拝している。さもありなん。

そのことを自覚せざるを得ない事態が今進行しつつある。愛知で行われている「トリエンナーレ 『表現の不自由展・その後』」でのことである。「表現の自由展」ではなく、「表現の不自由展」というタイトルが刺激的である。この展覧会のホームページには、展示の趣旨をこう述べている。

「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。

権力から、権威から、そして社会的多数者の側から排斥された表現、つまりは保護さるべくして保護されなかった表現の実例を集めた「表現の不自由展」なのだ。わが国における表現の自由保障が、いかに形骸化し脆弱であるかの展覧会。ところが、その展覧会自体の成立が危うくなっている。まさしく、忖度や、多数派の暴力的恫喝によってである。わが国における表現の自由の喪失を満天下にさらけ出す事態となった。

主催者側は、開会初日の8月1日だけでテロ予告や脅迫ともとれる内容を含む批判的な電話が200件とメールが500件」「2日も、ほぼ同数の電話やメールが殺到した」と公表している。この社会は病んでいる。恐るべき事態ではないか。

8月2日、展覧会を視察に訪れた河村たかし名古屋市長は、「平和の少女像」に関して、次のように述べたと報じられている。

「ほんとにまあ、ワシの心も踏みにじられましたわ、これ。ということで展示を即刻中止して頂きたいですね」「芸術かどうかは知りませんけど、10億も使っている」とコメント。「これを反日作品だと解釈しているのは市長の側では?」との質問には「なにを言ってるの。誰でもそう思ってるじゃないですか?」と応じた。

「ワシの心も踏みにじられましたわ」は、舌足らずで意味不明。この「平和の少女像」自体が人の心を踏みにじる作品ではあり得ない。少女像をめぐる一連の論争によって、「ワシの心も踏みにじられた」ということなら、あり得ることだろう。が、近代の日韓の歴史を真摯に見つめようとする立場からは、それこそが心ない物言いというしかない。「ということで展示を即刻中止」という表現の差し止め要求は、表現の自由を蹂躙する傲慢極まりない姿勢と言うほかはない。

日本有数の大都市の市民を代表する市長ともあろう人が、このような粗暴な発言をすることを日本の社会が許容している。いや、むしろこの市長は、韓国民や韓国との協調を望む日本人に不愉快な思いをさせることを承知で、声高にこの少女像の撤去を求める発言をしているのだ。この粗暴な発言が自分の政治的な支持者にアピールすることになると計算してのことである。

表現は、権力や多数派にとって歓迎すべからざる内容であればこそ、その自由を保障することに意味がある。「ワシの心も踏みにじられる」表現こそ、保護されなければならない。「カネを出しているのだから、県や市の意向に従え」と言ってはならない。ましてや、「これを反日作品だと解釈」して、撤去を要求するのは、政治的弾圧というほかはない。日本における表現の不自由はここまで来ている。日本の民主主義は、本当に危うい。
(2019年8月3日)

前川喜平「僕の憲法改正案」を読む

一昨日(7月28日)の『東京新聞』「本音のコラム」欄に、前川喜平さんの「僕の憲法改正案」が掲載されている。これが興味深いので、ご紹介して多少のコメントを付したい。

まずは、最初に前川さんの断り書きがある。

 僕は安倍政権下での改憲には反対だ。4項目改憲案には、国民主権、平和主義、法の下の平等など柱となる原則を破壊する危険がある。改憲を議論するより、現行憲法が求める人権保障や国際協調を実現する努力をする方が先だ。

 「改憲の議論よりも、現行憲法理念実現の努力が先だ」というご意見。まったく、同感。この当然の発言が、安倍政権には、きつい皮肉になるという現実がある。
なお、解説するまでもなく、「安倍改憲4項目」とは、「自衛隊の明記(9条改憲)」「緊急事態条項」「合区の解消」「教育無償化」である。「安倍晋三の改憲提案だから危険で反対」でもあり、「提案されている具体的内容が憲法の柱となっている原則を破壊するものだから反対」でもあるというのだ。教育行政の専門家で人権保障を熱く語る前川さんが、「安倍の掲げる教育無償化」には反対ということに重みがある。

ただ、将来国民の中から憲法改正の機運が本当に盛り上がったときには、僕にも提案したい改正点がある。

前川さんは、改憲提案を語る前に、慎重に「将来国民の中から憲法改正の機運が本当に盛り上がったときには」という条件を置くことを忘れない。現実と理想をごっちゃにするとおかしくなるからだ。理想を語ることが許される環境においては、誰にも、自分なりの憲法を作ってみたい思いがある。かつて、自由民権運動は多くの私擬憲法を作った。けっして、日本国憲法が理想の憲法ではない以上、今なお、自分なりの理想の憲法案を作ってみることには、大きな意義がある。

さて、前川改正案の具体的内容だが、日本国憲法の全面改正構想の披瀝ではない。コラムのスペースの制約から最小限の「部分改正」提案にとどまるもので、内容は計7点ある。

 まず、第3章の標題を「国民の権利及び義務」から「基本的人権の保障」に変える。国民が国に義務を課すのが憲法なのだから、国民の義務を書く必要はない。

 まったく異存ない。「第3章 国民の権利及び義務」という標題はいかにも不自然。これは、現行憲法が大日本帝国憲法の改正手続としてなされた名残なのだ。旧憲法の第2章は、「臣民権利義務」であった。旧章名の「臣民」を「国民」に直して新章名としたのだ。臣民には主権者天皇に対する義務があって当然と観念されていた。中でも、20条の「兵役の義務」は、重要な憲法上の臣民たるの義務とされていたから、当時は「臣民義務」に何の違和感もなかった。
今、立憲主義の立場からは、第3章の表題を「基本的人権の保障」とすべきは当然であろう。
なお、旧憲法の第1章は当然ことながら「天皇」であった。新憲法では、第1章を天皇とするのではなく「国民主権」あるいは「基本的人権の保障」とすべきが当然。しかし、敢えて「第1章 天皇」が踏襲された。これも、実質は「新憲法の制定」ではあっても、形式は「旧憲法の改正」とされたからだ。新憲法では、天皇には何の権限も権能もないのだから、「天皇」の章は、「人権」「国会」「内閣」「司法」の後に置くべきであったろう。

 基本的人権はすべての人が生まれながらに持つ権利だから、その主体は国民に限られない。現在の10条(国民の要件)は、「基本的人権は国籍の如何を問わず保障する」と変える。

 現行憲法第3章の冒頭が「10条(国民の要件)」である。普通、この条文は「日本国籍」取得の要件と解されており、人権享有主体の要件を定めた条文とは考えられていない。では、この条文を受けた「国籍法」によって日本国籍を取得している「国民」以外は基本的人権の享有主体たり得ないか。そんなはずはなく、「外国人にも権利の性質上適用可能な人権規定はすべてその効力が及ぶ」とされている。
問題は参政権である。あるいは、公務員となる権利。「基本的人権は国籍の如何を問わず保障する」との条文明記となれば、外国籍の国内居住者にも、国政・地方を問わず選挙権・被選挙権を認め、あらゆる公務員職への採用を保障することが、条文改正の実益となろう。

 14粂(法の下の平等)では性的指向・性自認による差別も禁止し、24条の「両性の合意」は「当事者の合意」として同性婚を明確に認める。26条2項(義務教育)は「国は、すべての人に無償の普通教育を受ける機会を保障する義務を負う」とする。「義務教育」という言葉は消える。「知る権利」も明示する。

 14条・24条・21条・26条2項に関しての具体的条文改正提案。いずれも、文意明瞭であって、分かり易い。余人ならぬ、元文部科学次官の改正案として極めて興味深い。

 首相の解散権は制限する。53条の「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求」があった場合の内閣の臨時国会召集義務に、20日間の期限を忖す。この点だけは自民党の改憲案と同じだ。

 蛇足だが、「自民党の改憲案と同じ」とは、「安倍4項目改憲案」のことではなく、2012年4月に公表された「自民党憲法改正草案」のこと。

自民党の公式Q&Aでは、こう解説されている。
53条は、臨時国会についての規定です。現行憲法では、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならないことになっていますが、臨時国会の召集期限については規定がなかったので、今回の草案では、「要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない」と、規定しました。党内議論の中では、「少数会派の乱用が心配ではないか」との意見もありましたが、「臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である」という意見が、大勢でした。

ところが、安倍内閣は、「当然なはずの、臨時国会の召集要求権を無視して、憲法上定めた少数者の権利を蹂躙」している。2017年6月22日、加計学園問題をめぐって野党4党は臨時国会の召集を要求したが、安倍内閣は「応じない方針」を押し通して同年9月28日の衆議院解散に至っている。

安倍内閣は、憲法軽視内閣なのだ。自党の憲法改正案も無視。前川改正案は、このときの怒りに基づいたもの。

いつの日か、前川喜平さんの「僕の全面憲法改正草案」を見たいものと思う。天皇制をどうするのか、権力による教育への不当な支配をどう制御するのか。在日外国人の民族教育の権利をどう条文化するか。また、安倍晋三第1次内閣によって改悪された教育基本法の復旧案についても。
(2019年7月30日)

「れいわ」だけがやった「ワクワクした参院選」

梅雨明け宣言とともに、東京は猛暑である。猛暑の中で、参院選のしこりが、まだ拭えない。共産党の後退と、これに代わる「れいわ」の健闘も、しこりのひとつ。

昨日(7月28日)の毎日新聞朝刊「みんなの広場」(投書欄)に、長崎県大村市の主婦が「初めてワクワクした参院選」という投稿。大要、以下のとおり。

「参院選、私にとっては、これほどワクワクする選挙は初めてだった」「自分の貴重な1票を誰に投じようかと、そのための選挙情報をいつになく積極的に集めた」「テレビや新聞だけでなく、ネットからの情報も得ることにした」「さまざまな情報が入り乱れるネットの世界で、情報をたどっていくうちに、幸運にも自分自身が心から応援したいと思う政党、立候補者に出会うことができた」「街頭演説をネットで視聴しながら、どうしても応援を形にしたいという気持ちが募り、政党へ寄付をしたのも初めてだった」「投開票日をドキドキしながら迎えたのも初めて。そして選挙結果を知り、私は自分の1票を誇りに思えた。そうしたことも初めてだった。」

 「ワクワクした選挙」、「ドキドキしながらの開票」、そして「自分の1票への誇り」。なるほど、本来選挙とはこうあるべきはずのものなのだ。振り返って現状はどうか。私自身、「ワクワクした選挙」はここしばらく経験したことがない。

なにしろ、国政を私物化し、ウソとごまかしを専らにする連中が、「国政6連勝」などと誇示している現状である。業界団体やら、宗教団体やら、右翼集団やらに推された勢力が、低投票率の中で勝つという構図が定着している。「ワクワク」も「ドキドキ」もない。

が、この投書者は、間違いなく「れいわ新選組」に共感したのだ。ここにだけ、「ワクワク」と「ドキドキ」があった。薄汚く、危険で、およそロマンに欠けた安倍一強に対峙して、政治を変えていこうというロマンに選挙民を引きつけることに成功したのだ。

私は、「令和」を政党名につけるセンスには大きな違和感を禁じえない。「新選組」という権力側のテロ集団名も、真面目なネーミングとは受けとめられない。それでも、彼らの経済政策に、とりわけ税制改革案に、有権者を惹きつけるものがあったことを認めざるを得ない。ネットでみるその集会の熱気は凄まじかった。

前回は共産党に投票していたと思われる何人かが、「今回は、山本太郎に期日前投票した」と呟いたのを聞いた。山本太郎が、老舗の政党を蚕食したのだ。はるかに精緻な理論と強固な組織を持つ政党を、である。

政治団体「れいわ新選組」は、4月の旗揚げから選挙戦終了まで、4億円を超える寄付を集めたという。大金持ちからのまとまった裏金ではない。たとえば、DHCの吉田嘉明が渡辺喜美に提供した裏金は8億円だった。汚いカネは結局は、汚い政治を支えるだけ。

貧者の一灯の集積が、国民のための政治に活かされる。山本太郎は、集まった寄付を「(支持者が)おかずを1品減らしたり、外食をやめたりして、無理をして積み上げてくれた」と語ったという。

その台風の目となった「れいわ」。既成保守には脅威であろうし、既成革新には強力なライバルとなる。比例での228万票・2議席の獲得は大健闘というほかない。老舗政党の代表格である共産党が448万票(前回参院選比150万票)・4議席なのだから、共産党獲得票の半分強となっている。しかも、新聞・テレビの大手メディアの選挙報道からまったく無視されたハンディの中でのこの票数である。

これを、一方に「無党派層を掘り起こした」との積極評価もあれば、「結局は革新票を削っただけ」との見方もある。

今のところ、立憲民主党は「私たちの手が届いていない無党派層を掘り起こしている。一緒に闘えばウイングが広がる」、共産党は「演説会をお祭りのような雰囲気にして盛り上げる手法は学ぶべきだ。共闘できれば力強い援軍だ」と述べているという。既に、反自民野党共闘の一翼を担うべき勢力になっており、他の野党は共闘対象とせざるを得ない。

当面は、「消費増税反対」ではなく、「5%への減税」を共闘の条件にしよういう「れいわ」の姿勢を巡り、野党内に波紋が広がっているようだ。今後を注目せざるを得ない。

「れいわ」の訴えは、この社会の、とりわけ安倍政権が作り出した格差社会の弱者の心情の琴線に触れるところがあった。身障者、難病患者、非正規、失職者に、「消費税は廃止」「税金はすべて直接税に」「累進課税にして、あるところからとれ」「貧乏人からは取るな」と言ったのだ。

この点に限れば、実は共産党もほぼ同じことを言っている。ただ、共産党はあちこちに配慮しつつ品よくものを言い、「れいわ」は乱暴なまでにストレートに語った。今回の選挙、「れいわ」の方が有権者に訴える力で勝っていたということになる。「れいわ旋風」しばらく目が離せない。
(2019年7月29日)
 

交代すべきは衆議院議長ではない。政権こそ交代を。

今朝(7月28日)の毎日新聞朝刊の記事。萩生田・自民幹事長代行が、『改憲滞れば衆院議長交代』異例の言及」という見出し。「国会での改憲手続きが滞るようなら、衆院議長を交代させるぞ」という恫喝なのだ。なんたることか。

「自民党の萩生田光一幹事長代行は26日夜のインターネット番組で、国会で憲法改正の議論が停滞したままであれば大島理森衆院議長が交代する可能性に言及した。萩生田氏は安倍晋三首相の側近。改憲を巡る議論を進展させたいとの思惑があるとみられるが、衆院議長の交代は総選挙後に行われるのが慣例で、首相が意欲を示す改憲議論の停滞を理由に議長の進退に触れた発言は波紋を広げそうだ。」

朝日「『有力な議長置いて国会が改憲シフトを』 自民・萩生田氏」という見出しで、こういう記事にしている。

自民党の萩生田光一幹事長代行は26日夜のインターネット番組で、憲法改正に向けた国会運営について「憲法改正をするのは総理ではなく国会で、最終責任者は総理ではなく議長。有力な方を議長に置いて、憲法改正シフトを国会が行っていくのは極めて大事だ」との考えを示した。
出演者から改憲に向けた衆院議長の重要性を問われて答えた。そのうえで萩生田氏は、大島理森衆院議長について「立派な方だが、どちらかというと調整型。議長は野党に気を使うべき立場だが、気を使いながら(憲法審査会の)審査はやってもらうように促すのも議長の仕事だったと思う」とも指摘した。
安倍晋三首相は参院選を受け、改憲に向けた議論を加速させようとしている。首相側近として知られる萩生田氏が議長の役割の重要性に言及したことは、波紋を広げそうだ。

一議員が、自党から出している衆院議長の国会運営に注文を付け、交代もあり得ると脅かしたのだ。虚飾を剥いで分かり易く言えば、こういうことだ。

「大島理森議長よ、憲法改正問題の国会審議が停滞しているではないか。いったい何をグズグズしているんだ。あんたの姿勢は野党に対して弱腰に過ぎるではないか。事態がこのままで、憲法改正審議がこれ以上遅滞するようなら、審議促進のために、有力政治家に交代させることを考えねばならん」

到底、普通の議員ができる発言ではない。萩生田がこんなことを言えるのは、普通の議員ではないからだ。萩生田といえば、安倍晋三の伝声管。「萩生田氏は安倍首相が白いといえば黒でも白というほど忠誠心が厚い」と、言われる人物である。自分の声はなく、ひたすら安倍晋三の声を拡声して振りまくのが役どころ。

萩生田は単なるスピカーの音声。マイクに向かって喋っているのは安倍晋三。誰もがこう思っているから、首相発言として「波紋を広げそうだ」ということになる。

もっとも、波紋は二通りに考えられる。
ひとつは、安倍の思惑通りに大島議長が動くことだ。議長が改憲審議促進に積極的となり、憲法審査会もその意を体して動き出すという、安倍の意に沿った筋書きの通りの波紋。

しかし、そうなるとは限らない。むしろ、この発言は、改憲策動が進展しないことへの安倍の焦りとも、八つ当たりともとられる公算が高い。大島議長の反発を招くことは必至だし、安倍晋三の驕りに自民党内の結束が乱れる方向への波紋も考えられる。何よりも、野党と国民の反安倍感情を刺激することにもなる。

参院選の評価は人によって様々だが、自民党は大きく議席を減らし、改憲勢力が3分の2の議席をとれなかったことは厳然たる事実である。民意が、改憲を望むものでないことははっきりした。あらゆる世論調査や、候補者・議員アンケートが、改憲は喫緊の課題ではないことを明確にしている。

にもかかわらず、何ゆえ異例の議長交代までさせて改憲審議促進にこだわるのか。民意よりも、自分のイデオロギー優先の安倍晋三とその取り巻きへの批判が必要である。

言うまでもなく、内閣総理大臣とは、憲法を遵守し擁護しなければならない立場にある。にもかかわらず、自分の思いに適わぬ憲法条項を変えてしまえというトンデモ総理が、安倍晋三なのだ。

季節は、冷たい梅雨が去って猛暑の夏到来の様子である。生ものは、早く処理をしないと腐敗する。政権も、本来長くは持たないものだ。アベ政権は、疾うに賞味期限も消費期限も過ぎている。

促進すべきは、議長交代論議でも改憲論議でもなく、政権交代論議である。

なお、赤旗は「“安倍改憲へ衆院議長交代も”ネット番組 自民・萩生田氏が発言 憲法議論加速へ任期途中に」という見出しでの、一面トップ記事だった。

(2019年7月28日)

首相の、ハンセン病患者家族への面会謝罪を評価する

首相・安倍晋三は、昨日(7月24日)官邸でハンセン病家族訴訟原告団と面会し謝罪した。この謝罪は、所詮は参院選対策、政治的打算のパフォーマンスとの醒めた批判もあるが、積極的に評価して良いと思う。

 被害者に対する加害者の謝罪は、何よりも被害感情の慰藉のためにある。面会した被害者たちが首相の真摯さを評価していることを、重く受けとめたいと思う。この原告団は闘い抜いて首相の「真摯な反省」を勝ち得たのだ。

面談後の記者会見で、黄光男(ファン・グァンナム)原告副団長は、「心にしみる(謝罪の)言葉だった」と語ったという。謝罪は、被害者にこう語ってもらえる舞台設定なくしては意味がない。2015年12月28日日韓「慰安婦合意」にともなう首相の謝罪は、多くの被害者に評価されるものではなかったことを想起しなければならない。

首相の謝罪の言葉(官邸ホームページでは「冒頭の挨拶」)の全文が、以下のとおりである。

「本日は、こうしてお話をさせていただくため、遠路わざわざお越しいただきまして、誠にありがとうございました。
 ハンセン病に対する極めて厳しい差別と偏見は、本日ここにいらっしゃる皆様に対しても向けられてきました。これは、否定し難い厳然たる事実であります。その結果、本当に長い間皆様にとって大切な人生において、大変な苦痛と苦難を強いることとなってしまいました。内閣総理大臣として、政府を代表して心から深くお詫び申し上げます。
 18年前の熊本地裁判決の際は、私は官房副長官としてこの問題に関わりました。今回は内閣総理大臣として、皆様が経験された筆舌に尽くし難い御労苦を、これ以上長引かせるわけにはいかない、きちんと責任を果たさなければならないと考えました。先般、判決受入れを決定いたしましたが、それにとどまらず、今回訴訟に参加されなかった方々を含め、新たに補償するための立法措置を講ずることといたします。さらに、様々な問題の解決に向けて、協議の場を速やかに設け、皆様と一緒に差別偏見の根絶に向け、政府一丸となって全力を尽くしていくことをお約束いたします
 今回はその第一歩として、皆様から今までの御経験、思いをじっくりと伺わせていただきたいと思っております。
 改めて、皆様が強いられた苦難と苦痛に対しまして、深く深くお詫び申し上げます。」

世上、この首相謝罪への評価は十分ではない。その主たる原因は安倍晋三という人物の不徳のいたすところ。日ごろの行状の報いではある。が、それだけではない。この謝罪が不十分でもあるからだ。

謝罪は、陳謝の意を述べるだけでは十分ではない。何について謝罪するのか、責任を認める根拠を具体的に特定しなければ、誠実な謝罪にはならない。

そのような視点からは、「大変な苦痛と苦難を強いることとなってしまった」原因を作り出した国の作為と、問題が認識されて以後放置した国の不作為を特定して、謝罪すべきであった。にもかかわらず、これが欠けていることが、漠然とした印象だけのものとなってしまっている。謝罪の責任根拠について具体性が欠けているのだ。

一方、「今回訴訟に参加されなかった方々を含め、新たに補償するための立法措置を講ずることといたします」と述べたことの意味は大きい。敗訴したから、やむを得ずその範囲での被害救済ではなく、ある行政行為が違法とされた以上は、違法な行政行為で損害を余儀なくされた人びとの被害をすべて救済しようということである。控訴審・上告審を待たずに、法的措置を講ずるとしたことを評価したい。

「超党派で一致した議員立法を秋の臨時国会で成立させてほしい」というのが原告団の要望である。この立法内容をどうするか、その法をどう運用するかは、今後の課題だが、救済対象を不当に狭めることのないよう、適切なものとしてもらいたいと思う。

ハンセン病罹患者やその家族に対する社会的差別は国が作り出した側面が大きい。ハンセン病が不治の病ではなくなってから、差別を払拭すべき国の施策はまことに不十分であった。このような払拭すべくして払拭されていない、偏見や差別は実はいくつもある。そのことによって、人権を侵害されている被害者が数多くある。

まずは、旧優生保護法による「優生手術」を強制された被害である。これについても、首相の謝罪がなければならない。救済措置法ができたものの訴訟は継続している。官邸か厚労省に、抜本解決の場を作る努力あってしかるべきではないか。

不合理な偏見や差別の典型は、非解放部落在日に対するものである。いずれも社会的差別が主たるものであるが、この差別・偏見を解消して侵害された人権を回復するために、国の不作為の責任をみとめ、具体的な差別解消策が実施されてしかるべきではないか。そのきっかけとして、首相謝罪が有効であろう。

さらには、戦後補償問題である。明らかに誤った国策としての戦争が、国の内外に甚大な被害を作出した。国外の戦時加害行為による被害者には、直ちに今回のハンセン病問題なみの首相による面会謝罪があっても良いのではないか。また、日本人戦争被害に関しては、軍人・軍属への手厚い遺族恩給と民間人の空襲被害者への救済放置とのアンバランスが予てより問題となっている。その救済にも、首相謝罪は有効であろう。

上記の課題に限らず数多くの累積する懸案事項解決のために、今回同様の首相による被害者への謝罪の有効活用を期待したい。
(2019年7月25日)

「理不尽なことに怒ることを忘れた」 ― 有権者さんとの対話

 ようやく探し当てました。アナタですよ。アナタが加重平均的有権者その人なんです。どうしてって? いろんな指標で国民の意見分布を数値化して、それぞれの中位点を見定める。数ある中位点群のちょうど重心に位置しているのがアナタ。だから、アナタが、典型的有権者。あるいは「ザ・有権者」。有権者全体の意見を代表している。

 そのアナタにお聞きしたい。問い質すつもりも、問い詰めるつもりもありません。ひたすら、ホンネを聞かせていただきたい。どうしてアナタは、右翼につながる安倍政権を支持するんでしょうか?

 なぜって? 理由が必要ですか? ただ、なんとなくですよ。そう、なんとなく。別に熱烈に安倍さんを支持するわけじゃない。と言って、別に安倍内閣で大きな不都合もないようだし…。今あるこの社会の空気にしたがって、自民党でいいんじゃないかって感じ。

 ほかの政権選択肢は考えられませんか? たとえば、今の野党各党の連立政権とか、自民党以外のどこかの党を核にした政権とか。

 現実味ないでしょう。世の中の仕組みは、もう固まってしまってますからね。10年前の民主党ブームが例外現象。結局うまく行かなかったでしょ。自民党政権が、この国の宿命みたいなもんじゃないですか。

 今回の参院選では、アベノミクスの当否が争点のひとつでした。アナタには、アベノミクスの恩恵を受けているという実感がありますか?

 そんな実感は、ありませんね。でもね。アベノミクスをやめたら家計が潤うだろうという期待もないんですよ。だいたい、経済政策で生活が左右されるという実感自体が乏しい。

 うーん、どうしてなんでしょう。与党と野党で、ずいぶん政策が違うように見えますが。税金を、どこからどのように取って、どのように使うか。

 どんな公約を掲げた、どんな政権ができようとも、どうせ同じようなことしかできないでしょう。政権が代わったところで、やれることの幅は小さい。世の中の仕組みを大きく変えることなんてできっこないでしょうから。それなら、冒険せずに無難な選択をということですね。

 でも、アナタの経済的実状で、安倍政権の年金政策や消費増税を支持することができますかね。

 そりゃあ、年金には大いに関心ありますよ。受給額は多ければ多い方が良い。でもね、所詮無理なことはできないでしょ。高齢化に少子化が重なるんだから、我慢するところはしなけりゃね。消費税もおんなじ。税金は安いに越したことはないけど。それでは国がやっていけないというんだから、多少の増税はしょうがない。もっとも、自民党の具体的な政策は良く知りませんがね。

 安倍政権が続けば、経済でも防衛でも、アメリカに揺さぶられ、押し切られて、だんだん苦しくなりませんか。

 なんだか、そうなりそうですね。トランプさんは、アメリカの利益オンリーですからね。でも、相手がアメリカではしょうがない。そんなに極端なことにはならないでしょうしね。

 安倍内閣もしょうがない、アメリカもしょうがないですか。原発再稼働はどうですか。

 これもしょうがない。長年積み上げてきたことですから、将来の課題としてならともかく、すぐにこれをご破算してゼロベースからのスタートは難しいでしょう。

 森友や加計問題で、安倍首相による「政治の私物化、行政の私物化」の疑惑が大きく問題になりましたね。「ウソとごまかしの安倍政権」はごめんだという声は高い。安倍さんには退場してもらった方が良いとは思いませんか。

 そのときどきの報道には、腹を立ててきましたよ。確かに、安倍さんの態度は良くない。麻生さんもヒドイ。丁寧に説明するとよく言いますが、ポーズばかり。不誠実な人だとは思います。けっして信用できる人ではない。それでもね。ガラガラポンと、政権を変えてしまうのは不安なんですね。やっぱり慎重でなくっちゃ。

 安倍さんの憲法改正提案はどうですか。

 正直言って、賛成か反対かに悩みます。どうしたらよいものやら。もちろん、戦前の息苦しい時代に後戻りしたくはありません。戦争を繰り返すのは、ごめんだ。だから、9条を変えてはならないという訴えはよく分かります。でも、「非武装中立で国の安全が保てるか」と切り込まれると不安を感じますし、最低限の武力は必要ではないかとも思います。それなら、自衛隊を憲法に書き込むだけという安倍さんの提案を信じたいという気持にもなります。でもまた、「憲法をいじると副作用が大きいぞ」と言われると、それもそうだな、と揺れ動きます。安倍さんは信用ならぬ人ということもあります。ですから、結論を急ぐことではない。ゆっくれと後回しの議論で良いと思います。

 それで、アナタは結局どう投票したのですか。

 どうせ自分の1票で何も変わるはずもないのですから、棄権しようかと思っていたんです。でも、会社の関係で投票したことを報告しなければならなかった。だから投票には行きました。すぐに改憲ということではないでしょうから、積極的に安倍首相不信任の投票をする必要はない。でも、万が一国会で具体的手続が始まったら困るから、改憲発議に必要な3分の2の議席は、改憲派に与えたくはない。そんな私の気持ちのとおりの開票結果でしたね。

 沖縄の問題、とりわけ辺野古基地建設はどうですか。

 安倍政権のやり方は強引ですね。沖縄の人はお気の毒ですよ。お気の毒ですが、沖縄の地理的条件を考えると、沖縄への基地集中はやむを得ません。沖縄へは、手厚い経済援助で我慢してもらうしかないのではありませんか

 さて、選挙が終わったいま、あらためて政府や国会に一番力を入れてほしい政策として、何を望みますか?

 朝日の選挙後の世論調査のとおりですよ。
 まずは、「年金などの社会保障」(朝日調査38%)で、
 次が、「教育・子育て」(同23%)ですね。
 それから、「景気・雇用」問題、(同17%)
 以上の切実な問題ばかりで、合計78%に達しますね。そんなものでしょう。
  調査は5択で、4番目が「外交・安全保障」(同14%)となっています。
 「憲法改正」(同3%)は最下位で、国民が憲法改正の議論を優先課題としているとは到底考えられません。

 なんとなく、アナタの考え方は分かりました。あれもこれも、仕方がない、しょうがない。どうせ自分の意見や行動で、政治を変えられっこない。とすると、棄権するか、空気を読んだ現状維持の投票行動になると言うことですね。けれど、身近なテーマでは安倍政権に不満はけっこうあるんですよね。このままで、いいんでしょうか。

 このままで良いのかって、あんまり真剣には考えませんね。だいたい、政治という分野がマイナーなんですよ。政治を熱く論じるなんて、ダサいことじゃないですか。「この社会で生きている以上、主観的に政治には無関心でも、客観的に無関係ではいられない」とか、「無関心派は与党の応援団になっている」とか聞かされるけど、胸に響かない。働くのに忙しいばかりで、政治に積極的関心を持つゆとりもないんです。

 自分たちの力で社会を変えていこうって、ワクワクすることではありませんか。政治にロマンを感じませんか。

 スローガンだけ並べられても、その実現のイメージを描けませんね。不平や不満はあっても、我慢できないほどではない。それより、何かを主張して、トゲトゲしい雰囲気になるのがイヤですね。穏やかに暮らしたい。多少の理不尽なことには、怒ることを忘れてしまいましたよ。

(2019年7月24日)

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