学術団体の自律は、学問の独立に原理的に不可欠である。学術会議会員任命方法を改悪してはならない。
(2023年2月16日)
人事は重要である。そして、難しい。公的な機関の重要人事には、その社会の民主主義の成熟度が表れる。いま、学術会議会員の任命制度が議論になり、NHK新会長と、日銀新総裁の人事が話題となっている。その人事のありかたや人事制度の作り方に日本の民主主義の成熟度があらわれている。
学術会議も、NHKも、日銀も公共性の高い機関である。学術会議会員は内閣総理大臣が任命する。NHK会長は経営委員会の任命だが、その経営委員は両議院の同意を得ての内閣総理大臣の任命となっている。そして、日銀総裁は両議院の同意を得て内閣が任命する。とは言え、これは形だけのことで、けっして内閣や内閣総理大臣がオールマイティであってはならない。
司法や学術や報道に関する機関は、その本来的使命を貫くためには公権力からの掣肘を受けてはならない。公権力から独立した存在であるためには、人事の自律が不可欠である。権威主義的国家においては、公権力がその意のままに動く人物を任命することで、中央集権の秩序を作り出す。「国から金が出ている以上、国が選任権を持つのは当然」などという、野蛮な議論に幅を利かせてはならない。
金融政策の立案実施が政府から独立した中央銀行の専門的な判断に任せることが望ましいとされる。が、所詮は原理的に要請される独立でも自律でもない。今回は、貧乏くじとされる日銀総裁。「首相と握れる人物」が選任されることとなった。それで、格別の不都合は生じない。しかし、司法や学術や報道に関して、同様でよいことにはならない。
NHK会長は、頑固に報道の自由を墨守しなければならない。その姿勢が、国民の知る権利擁護に奉仕することになる。それにふさわしい人物を選任しなければならないのだが、その経歴から見る限り、新会長の適性はなはだ疑わしい。
そして、今国会に提案されようとしている、学術会議会員の選任方法の改悪が心配される。学術会議の存在意義は、原理的に政府からの独立と自律性にある。そしてその要は、誰を会員とするかの人事にある。それが今、危うい。日本学術会議の組織改革の法案が、学術会議の独立性を毀損しようとしている。
一昨日(2月14日)学術会議の歴代会長経験者5人(生存者の全員)が揃って、学術会議の独立性の尊重を求める声明を発表し記者会見をした。前例のないことである。
この声明の危機感は高い。岸田首相を宛先にして、「日本学術会議の独立性および自主性の尊重と擁護を求め、政府自民党が今進めようとしている、日本学術会議法改正をともなう日本学術会議改革につき根本的に再考することを願うものである」という趣旨。戦後の設立以降の学術会議の歴史を踏まえ、学術の独立性について「一国の政府が恣意的に変更して良いものではない」としている。
内閣府の方針では、会員選考の際に外部の第三者委員会が介入する仕組みを導入する。これに対し、声明では、アカデミーの世界では自律的な会員選考こそが「普遍的で国際的に相互の信認の根拠となっている」とし、「内閣府案はこれを毀損する」と批判している。この人事の手続が問題なのだ。
広渡氏は任命拒否問題に言及し、「首相は今からでも自分の判断で任命しなおすことが可能。本来は5人で首相に直接面会し、ひざを交えて話をしたかった」と話した。また、法案について「法改正の狙いは、任命拒否を正当化し、それを制度として法に組み込むことにある」と説明した。
この問題を論じた朝日の社説が、「各国の学術会議に相当する組織は、政府から独立した活動や会員選考の自主性・独立性を備える。それを歪(ゆが)め、強引に政府の意向に従わせるのでは、権威主義国家のやり方と見まごうばかりだ」と言っているのが、興味深い。「権威主義国家」とは、中国・北朝鮮・ロシア・ベラルーシ・イラン・アフガニスタン・サウジアラビヤ等々を指しているのだろう。日本の民主主義のレベルを、このような「権威主義国家」並みに落としてはならない。
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岸田文雄首相に対し日本学術会議の独立性および自主性の
尊重と擁護を求める声明
2023年2月14日
吉川弘之(日本学術会議第17?18期会長)
黒川 清(同第19?20期会長)
広渡清吾(同第21期会長)
大西 隆(同第22?23期会長)
山極壽一(同第24期会長)
私たち5名は、日本学術会議会長の職を務めた者として、現状における日本学術会議と政府の正常ならざる関係を深く憂慮し、日本学術会議が日本学術会議法に定められ、かつ、先進諸国など国際的な標準となっているナショナルアカデミーとしての独立性、自主性およびその裏付けとなる自律的な会員選考を堅持し、人類の福祉と日本社会の発展のために、科学的助言を通じてその使命をよりよく果たすことができるように、以下のように岸田文雄首相に対する要望を表明するものである。
1. 日本学術会議は、1948年日本学術会議法によって設立され、学術が戦前の轍を踏まず学問の自由と科学の独立を基礎に政府と社会に科学的助言を行う機関として位置づけられた。以来70余年、国民の負託に応える活動を進め、国際的に重要な科学者組織としてその地位を確立している。
2. 政府自民党においては、2020年10月の任命拒否問題に端を発し、日本学術会議改革問題を検討することとなり、今般、所管の内閣府による「日本学術会議の在り方についての方針」および「日本学術会議の在り方(具体化検討案)」が作成され、日本学術会議に向けて説明が行われた。これに対して、日本学術会議は、2022年12月8日および21日に第186回会員総会を開催し、審議検討のうえ、「方針」および「具体化検討案」に日本学術会議の根幹にかかわる強い懸念があるとして声明(「内閣府『日本学術会議の在り方についての方針』(令和4年12月6日)について再考を求めます」令和4年(2022年)12月21日)を採択し、政府にその再考を求めた。私たちは、これを理解することができる。
これらの懸念は、もとより日本学術会議現会員の手によって正しく解決されるべきであり、政府が真摯に対応しその懸念の払拭に努めるべきことを私たちは強く期待するが、内閣府の「方針」と「具体化検討案」(以下、内閣府案)は、科学者代表機関の独立性と自主性について歴史的かつ国際的に形成され、私たちが共有してきた基本的考え方とあまりにも隔たっており、重ねてここで指摘することが責務であると考える。
内閣府案は、政府と科学者が国の科学技術政策とその課題履行のために「問題意識や時間軸を共有」して協働することを求めているが、それはいわば、Scientist in Governmentの仕事である。しかし、科学者コミュニティの代表機関が課題とする政府への科学的助言は、そのような協働とは異なり、ときどきの政府の利害から学術的に独立に自主的に行われるべきものである。その独立性を保障することこそ科学の人類社会に対する意義を十全ならしめる必要条件であり、一国の政府が恣意的に変更してよいものではない。
また、そのような独立性は会員選考の自律性を不可欠とするが、内閣府案が企図する「第三者から構成される委員会」の介入システムは、これとまったく両立しない。2004年法改正によって自律性保障のために採用されたコ・オプテーション制(広く推薦された多数の科学者の中から日本学術会議が会員候補者を審査のうえ決定する)は、先進諸国のナショナルアカデミーに普遍的な選考方法として、国際的に相互の信認の根拠となっているものであるが、内閣府案はこれを毀損するものでしかない。
3. 私たちは、以上のべてきた理由に基づいて、岸田文雄首相に対して、日本学術会議の独立性および自主性の尊重と擁護を求め、政府自民党が今進めようとしている、日本学術会議法改正をともなう日本学術会議改革につき根本的に再考することを願うものである。また、政府と日本学術会議の間には、2020年10月の菅義偉前首相による第25?26期日本学術会議会員候補者6名の任命拒否が信頼関係を損ねる問題として存続している。これもまた私たちにとって憂慮すべき対象であり、日本学術会議の自主性に本質的に関わる問題として適切に解決されなければならない。
最後に、私たちは、政権と科学者コミュニティとの、政府と日本学術会議とのあるべき関係について、本来ならば、一部の科学者や政党プロジェクトチームのような狭い範囲でなく、より長期的視野の公平な検討の仕組みの下での議論が行われ、科学者をふくめた社会のなかの議論、そして与野党を超えた国会での議論が必要であることを表明する。