澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

香港・加油(香港の市民よ、がんばれ)!!

10年ほども前のある土曜日の午後のこと。NHKラジオからこんな言葉が、耳にはいってきた。

「今日の番組では、折り込み都々逸を募集しています。季節にちなんで、『クチナシ』を折り込んでください。」「さっそくこんな句が届きました。なるほど。これは面白い。」

 くちじゃ勝てない
 ちからも負ける
 なれてしたしむ
 しりのした

これを思い出したのは、香港の抗議デモで、「逃亡条例案」完全撤回のニュースを聞いたから。少数民族は別として、中国の人びとの大方は、習近平の尻の下に「慣れて親しんでいる」ように見えるのだ。おそらくは、改革開放以来の経済生活の向が評価されてのことなのだろう。目の眩むような経済格差の存在にもかかわらず、中国の人びとの経済的な不満感は少ないように見える。それゆえにか、多くの人々は、習近平の尻の下で、パンのみにて生きることに甘んじているごとくである。

ところが、香港の人びとは、中国共産党の尻の下に慣れて親しむことを敢然と拒否しているのだ。ここで求められているものは、パンではなく、自由であり、民主主義である。切実な自律の制度への要求でもある。今ごろ、「逃亡条例案」完全撤回だけでは不十分だ。まだ、4項目の要求が残っている。到底、尻の下に温々とはしていられない。

韓国のキャンドルデモは、最大時170万人の民衆を光化門広場に集めたという。もちろん、家族連れのデモ。到底広場に収まる人数ではなく、ソウルのメインストリートが民衆に埋めつくされた。その壮観は、次の選挙によって朴槿恵政権を打倒し、政権交代が代わるというシグナルでもあった。だから、不必要にデモが先鋭化する必要はなかった。ソウルのデモは選挙の前哨戦であった。

しかし、香港は韓国とも大きく事情を異にする。香港には、「次の選挙」がない。この抗議デモの圧倒的民意を政治に反映するルートが欠けているのだ。この大規模なデモは、普通選挙を勝ち取るにふさわしく、それなくして終熄しがたい。誰から普通選挙を勝ち取る? 言うまでもなく、大国となった中国政府から。今、750万人の香港の民衆が、13億の人口を抱える中国政府と対峙しているのだ。到底、中国の尻の下では、安閑と生きられない。

なお、5項目要求は必ずしも統一した文言ではないようだが、たとえば、次のとおり。
1. 徹底撤回逃犯條例
  (逃亡犯条例改正案の完全撤回)
2. 撤回612暴動定性
  (市民活動を「暴動」とする6月12日見解の撤回)
3. 必不追究反送中抗爭者
  (デモ参加者の逮捕、起訴の中止)
4. 成立獨立委員會,徹査警方濫權濫暴及元朗暴力事件
  (警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施)
5. 要求特首林鄭月娥下台全面落實雙真普選
  (林鄭月娥長官の辞任と民主的選挙の実現)

下記のように、簡潔に6字でまとめたスローガンもある。正確には読めないが、事情を理解した上で漢字を読めば、なんとなく分かりそうな気がする。

香港人的五大訴求
1.撤回送中悪法
2.撤消暴動定性
3.制止秋后算帳
4.徹査警方暴力
5.落実双真普選

大雑把に言えば、悪法を撤回し、デモ弾圧の被害者を解放し、弾圧の責任を認め、長官を辞めさせて、本当の民主的な選挙制度を作ろう」という要求なのだ。今や、主たるスローガンとなった「真普選(本物の民主的な選挙制度)」を作ろうというのが、雨傘運動以来の一貫した要求。あまりにも当然の要求ではないか。

翻って日本の民主主義の実情を顧みる。香港と違って民主主義の形はある。しかし、韓国のごとくこれを生かしきってはいない。むしろ、安倍政権の尻の下に、ぬくぬくとしていると指摘されてもやむえないこの体たらく。

香港の市民に成り代わっての心意気を詠む。

 くちじゃ負けない
 ちえなら勝てる
 なにせごめんだ
 しりのした

 くるしい日々だが
 ちは沸き返る
 ないて笑って
 しんじる明日

(2019年9月6日)

「平和を願う文京戦争展」総括会議ご報告

日中友好協会・文京支部が、8月8日~10日の3日間、文京シビック内のアートサロン(展示室2)で開催した、「平和を願う文京戦争展―日本兵が撮った日中戦争」の総括会議が8月28日夕刻に開かれた。ノモンハンから帰日したばかりの私も参加した。

この企画、3日間で1500人の熱心な入場者を得てたいへんな盛況だった。開会時間は延べ24時間で、1時間当たり55人の入場者が途切れず続いた計算になるという。その盛況の原因の第一は、文京区教育委員会が後援を拒否したことが話題となったから。とりわけ、東京新聞がそのことを大きく記事に取りあげたことから知られるところとなった。この企画を「新聞」で知った方が36%にも達していた。アンケートにそのことに触れた人が多かったことが報告された。

だから良かったかというとそうではない。入場者のほぼ4割が70代以上の高齢者、10代・20代は極めて少ない。教育委員会後援があれば、学校の生徒に呼びかけることができるという。戦争の実態を若者に知ってもらうために、次回は粘り強く各教育委員に要請し説得する活動をしようという意見が交わされた。

任意のアンケート回答要請に、427人の方が回答してくれた。これは、たいへんな高率である。その中に、
☆毎年やってほしい
☆もっと若い人に見てもらえるように
☆全国色々な所で開催して欲しい
☆3日では短い、展示期間をもっと長く
☆もっと広い会場で
などの提案が書き込まれていた。

また、アンケートの中で、次の中学生の感想文が目を惹いた。
「なんでも武力で解決しようとした日本はもう少し他の解決策があったのではないかと思った。」
「日中戦争のことについては、あまりくわしく知りませんでしたが、罪のない人、子どもや老人が沢山殺されてしまったという事実を知り、このようなことは二度と起こしてはいけないと思いました。」
「罪のない人が大勢まきこまれる戦争がもう二度と起こらないようになってほしいと思う。村瀬が残してくれた写真で当時の状況が知ることが出来ました。」
「日本の戦争の仕方や武力で解決しようとする姿勢に納得がいかなかった。」

なお、韓国のテレビ局2社が取材に訪れたという。中国のメディアは来なかった。

意見交換の中で、印象に残ったのは、戦争を語る上での被害面と加害面のどちらを語るかの姿勢の問題についてである。

今回の「文京戦争展」は、文京区(当時は本郷区)出身の兵士が撮った中国戦線での写真展示と、文京の空襲被害の展示と語り部の2本立て。前者には、南京虐殺の現場写真や生々しい従軍慰安婦の写真もある。加害者としての皇軍が映し出されている。後者は、戦争被害による区民の辛苦。おそらく、後者だけなら、文京の教育委員会が後援を拒否することはなかっただろうという。

実は、文京区自身が戦争展をしたことがあるという。その内容は、空襲被害、原爆被害に限られた、徹底した戦争の被害実態についてのものだったとのこと。しかし、侵略戦争による近隣諸国への加害責任を語らずして、あの戦争を全面的に語ることはできない。

我々は、加害責任を避けることなく、戦勝・敗戦に関わりなくすべての国の民衆の戦争被害の悲惨さを、あるがままに訴えよう。官製戦争展が自国の被害だけの展示にこだわるのなら、我々は加害責任をこそ戦争を知らない世代に見てもらわねばならない。そのような合意がほぼできたように思う。
(2019年8月31日)

大草原のノモンハンと、ピリピリ感中国のご報告。

一昨日(8月28日)、ノモンハンへの旅から帰日した。充実した6泊7日。まだ、気持は草原の風に吹かれたままである。日常生活の感覚が戻ってこない。

なるほど、内蒙古の草原は確かに広かった。森も、林も、一本の木立ちもない、見はるかす限りの草地が、視界を遮る物なしにどこまでも続く。木陰というものがない。あるのは、空の青と地の緑だけの世界。この果てしない広さの実感は、高地に登ってこそ分ろうというものだが、その登って見晴らすべき高地が見あたらない。

大草原の中に、アスファルト舗装の道路が、1本だけどこまでも真っ直ぐに続く。ハイラルの街からノモンハンの戦場まで250~300キロだという。東京・仙台間の距離なのだ。街の近くには、樹木がある。しかし、街を出てバスでしばらく走ると、間もなく樹木のない草原だけの、行けども行けども同じ景色。ここで育った人は、自ずと世界観も人生観も違うことにならざるを得ない。

この大草原が、国境紛争の舞台となった。満・蒙の国境である。いうまでもなく、満州国は日本の傀儡国家であり、モンゴル社会主義共和国の背後にはスターリンのソ連がいた。満・蒙の小部隊の衝突が、宣戦布告のないまま、日・ソの本格的な大近代戦となったのがノモンハン事件である。この草地から、石油が出るわけではない。鉱物資源もない。薪にする樹木すらないのだ。定住している人は少なく、街らしい街の争奪をしたわけでもない。いったい何のために、両軍ともに2万を超す死者を出す死闘を繰り広げたのだろうか。何のために、この地でかくも多くの人が死なねばならなかったのか。あらためて、戦争というものの理不尽さを痛感せざるを得ない。

戦跡を訪ねての充実した旅だったが、今の中国についてのいくつか印象に残ったことを書き留めておきたい。私の中国語会話能力は、ほぼゼロに等しい。日本語のできる中国人と会話のできる機会に、いくつかの質問をしてみた。私の主たる関心は3点。中国の選挙事情と、漢族の少数民族に対する差別の有無、それに香港の民衆運動の盛り上がりに対する感想である。中国共産党についての評価などは差し控えてのこと。

全人代議員の選挙は、確かに行われているという。ただし、一選挙区に候補者は党が指名した一人だけ、この候補者に有権者が信任投票をするのだという。どんな人物か、どんな抱負をもっているか、意識したことはないということだった。我々のイメージする選挙とは、およそ異質のもののごとくである。また、漢民族の他の少数民族に対する圧倒的な優越意識は相当のもので、明らかに問題が伏在している。きっと、なにかの折に顕在化することになるのだろう。

そして、驚いたのは、香港の民衆に対する平均的中国人の敵対的感情である。官製メデイアが、香港の民衆を「暴徒」と言っていることには驚かないが、私が会話の機会を得た狭い情報からの推測ではあるが、中国人の大方が同じ論調なのだ。

私が、日本語の達者なある中国人に、逃亡犯条例に対する香港の人びとの嫌悪感を話題にしたところ、「香港は国ではありませんよ。飽くまで中国の一部でしかない」「国法に従うべきが当然」と強い口調で主張された。「香港が国であろうとなかろうと、住民の意思を尊重すべきが民主主義の基本ではありませんか」とやんわり言うと、「ホントにいつまであんなことをやっているのか。早く解決してもらいたい」と、香港の人びとの心情への思いやりも、連帯感もおよそない。なるほど、これが今の中国なのだ。

もう一つ、空港の出入りに際してのセキュリティチェックの厳格さにも驚き不愉快でもあった。10月1日が70年目の国慶節で、大軍事パレードが予定されていることもあるのだというが、国際線以上に国内線のチェックが厳しい。以前にはないピリピリした空気。これも、今の中国なのだ。
(2019年8月30日)

いざ、モンゴルの大平原へ。ノモンハンへ。

本日(8月22日)、私は内蒙古ハイラルへの旅の途上である。帰京は8月28日夕刻の予定。おそらく、ハイラルでお分かりの方は少なかろう。ノモンハンの近くの街である。戦前、このハイラルに第23師団の本部があった。そして、その近くの満州と蒙古との国境紛争がこじれて、日本とソ連との本格的な近代戦となった。これが、ノモンハン事件。あるいは、宣戦布告なき「ノモンハン戦争」である。

事件は、ちょうど80年前の1939年5月に小規模な現地の衝突から始まる。一旦終熄するが、6月再び大規模な空爆・空中戦・戦車戦となり、9月まで続いて日本軍は手痛い敗北を喫した。このわずかの期間に、日本軍は2万を超す戦死者を出している。双方の死者総数は4万余。大会戦だったといえよう。ソ連側の指揮官が高名なジューコフであった。その戦跡を見学する旅なのだ。

話の始まりは、例によって、ある日吉田博徳さんからお電話をいただいたことにある。「澤藤さん、ノモンハンに興味がありませんか?」と言われる。イエスと答えれば、「では、ぜひご一緒しましよう」となることを承知で、私は「イエス」と答えた。その結果として、本日私は北京に飛んでいる。盧溝橋の戦争博物館を見学して一泊。明日からの3泊4日が、ハイラル・ノモンハンの旅となる。その後北京に泊して、帰京は8月28日の予定。

「ノモンハン・イエス」と答えたには、幾つかの理由がある。
私の父は、招集されて関東軍の兵士となった。ソ満国境の兵営で2年近くを暮らしている。除隊時には叩き上げの曹長だった。駐屯地は愛琿(アイグン)の近くの小さな街とのことだったが、それより詳しいことは分からない。ノモンハンは愛琿の近くとは言い難いが、亡父の過ごしたあたりの風景や空気を感じることができるのではないか。

ノモンハンの戦闘にも興味がある。維新後の日本は、戦争では基本的に成功体験を重ねた。日清・日露そして日独の戦争。その成功体験が日中戦争では、思わぬ長期戦となり、ノモンハンではソ連を相手に明らかな失敗体験となった。にもかかわらず、天皇制日本はこの失敗体験を生かすことなく、対英米開戦に突き進んで、壊滅的な敗戦に至る。いったい、なぜ?

モンゴルの大草原をこの目で見たい。風に吹かれてもみたいという望みもある。吉田さんはいう。「モンゴルの草原の広さはとてつもないものですよ。どこまで行っても、いつまで走っても、まったく景色が変わらない」。日本の景色を箱庭という、その感覚の拠って来たるところを実感してみたい。

そして、最後が吉田さんのお誘いである。これは断れない。吉田さんは、ノモンハン事件の直後、ハイラルの23師団に就役して歩兵連隊の小隊長として2年を暮らしたという。元気なうちに、ハイラル・ノモンハンをもう一度、よく見ておきたいという。98才の吉田さんがそうおっしゃるのだ。「お供します」というほかはないではないか。
(2019年8月22日)

香港のストリート・デモクラシーに乾杯!!

このところ、香港の「逃亡犯条例」反対運動の成否が常に気がかりだった。学生や市民が闘っている真の相手が、あの中国共産党政権なのだから。私は「反中」でも「嫌中」でもないが、どこであれ人権を押さえ込もうという権力と闘う人々には精一杯の声援を送りたい。

天安門事件時代と基本的に変化の見えない大中国の政権に、小さな香港の人々がどこまで闘いうるのか、正直のところ不安でならなかった。2014年の雨傘運動も、あれだけの盛り上がりを見せながら、結局は真っ当な選挙制度の確立という基本的な要求を通すことができなかった。

だから、せめてもの声援を日本からも送らねばならない、微力ながらも国際世論喚起の一助となることで、香港の運動を励ましたいと考えていた。ところがどうだ。本日(6月15日)、「香港政府 『逃亡犯条例』改正延期発表」のニュースに、驚くとともに胸のすく思い。励ますどころか、こちらが大きく励まされた。学ぶところが大きい。

NHKが、こう報じている。「連日、抗議活動が続く香港で政府トップが緊急会見を行い、問題となっている条例改正案の審議入りを延期すると表明しました。林鄭行政長官は、中国本土への容疑者の引き渡しを可能にする逃亡犯条例の改正について『審議を延期する』『延期の期限は設けない』と明言しました。また、『抗議デモでけが人が出たことに心を痛めている』としました。」

法案審議の「延期」は、事実上の断念だと受け取られているようだ。この意義は大きい。明日(6月16日)は、6月9日以来の「日曜・大抗議デモ」が企画されていたが、勝利パレードに切り替えられるのだろうか。香港市民の意気天を突くものがあろう。

韓国の友人から、韓国には「ストリート・デモクラシーの文化」が育っていると教えられた。ろうそくデモに出るのは、学生ばかりではない。高校生も中学生も、親子連れも老人も、みんなで積極的に路上に出る。みんなが参加しやすい、デモや集会が企画される。厳しい局面でも、歌もあり踊りもある集会。その結実が、朴槿恵政権を倒して、現文在寅政権を誕生させた。私も、何回かの韓国の旅で、その片鱗を見てきた。実に明るく、積極的なのだ。

香港のデモもこれに似ている。目を惹いたのは次の報道。
「緊張が続く香港で14日、女性を中心に約6000人が集まり、当局による強制排除を批判しました。集会は子どもを持つ母親たちが呼び掛けたもので、主催者発表で約6000人が参加し、参加者のほとんどは女性でした。参加者は12日のデモで、警官隊が催涙弾やゴム弾を使って若者らを排除したことに対して、『子どもを撃つな』『学生を守れ』などと抗議の声を上げました。中国本土への容疑者の引き渡しを可能とする『逃亡犯条例』の改正案は市民の激しい反発を招き、審議入りが3日連続で延期されています。」(テレ朝)

写真に写った母親たちが掲げるプラカードには子ども(学生)たちは間違ってない』とある。路上のデモに出ようという子ども(学生)を、あぶないからやめろと説得するのではなく、警官隊に向かって『子どもを撃つな』『学生を守れ』と声を挙げる母親たち。ここにも、育ちつつある香港のストリート・デモクラシーを見ることができる。

さらに興味深いのは、デモ参加者は雨傘運動の経験から多くを学び、これを互いに共有して実践しているという。たとえば、ある団体は、フェイスブックに、デモの服装、前進と退却のタイミング、デモ隊の責任分担といった「対決ハンドブック」を掲載している。

そのなかには、逮捕された場合の対策についての章もあり、「自分の体に油性ペンで弁護士の電話番号を書いておくこと」と具体的なアドバイスがあるという。こういう若者たちが、路上に出ているのだ。

韓国や香港と比較して、日本における学生・市民の政治的行動力の脆弱さは否めない。さらに、問題は中国である。天安門事件を知らぬ世代が育っているという。香港の今の運動についても知らされていないという。それほどにも、政権の情報統制が行き届いているのだという。大中国の、この余裕のなさはどうしたものだろう。

中国共産党の結成が1921年。人民から針一本奪うことのない人民解放軍の堅固な倫理性が圧倒的な国民的支持につながって、中華人民共和国建国に至ったのが1949年10月のことだ。当時の理想・理念・志操は称賛に値するものだったことを疑わない。70年のうちに、あの革命中国の理想は風化してしまったのだろうか。
(2019年6月15日)

再び開け、黄色い雨傘。大きく、美しく。

東京で梅雨空を眺めながらのつぶやきではない。香港民主化運動の代名詞だった雨傘運動。当局の弾圧によって2014年以来、逼塞しているかに見えたが、再び始動の兆し。明日、6月9日には、大規模な市民のデモが計画されているという。

香港の民主化運動とは、中国に対するものである。いうまでもなく、中国の人権状況が深刻である。しかも、この人権後進国が、めざましく経済大国化しつつある。経済大国化は、必然的に軍事大国化と政治大国化を伴う。近隣諸国への負の影響を及ぼしつつある。とりわけ、「一国二制度」の香港の事態が深刻である。

いま、香港政府が逃亡犯条例(改正案)(報道によっては、「容疑者移送条例」とも)を議会に上程。これが、大きな政治課題となっている。

この法案は、外国で犯罪を犯した者を、当該国の要請あれば引き渡すという内容だが、「中国に批判的な活動家や、中国ビジネスでトラブルに巻き込まれた企業関係者などが引き渡しの対象になりかねない」(日経)、「冤罪で拘束され、中国本土で公平ではない裁判にかけられる」(毎日)との懸念が強まり反対運動は日増しに熱を帯びている。

毎日は、「中国政府は、香港人がおとなしく圧力に耐えると思っているのだろう。でもこの条例改正は越えてはならない一線を越えている。ここで香港人の意地を見せなければ、香港は中国に完全にのみ込まれる」という市民の声を伝えている。

9日の市民の大デモの前に、6日弁護士のデモがあった。
以下は、香港、容疑者移送条例に反対デモ 弁護士ら黒衣着用し」との表題の共同配信記事。
「香港の弁護士ら法曹関係者は6日、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする『逃亡犯条例』改正案に反対するデモを行った。黒い衣服を着用し、条例改正を進める香港政府への強い不満を表明、立法会(議会)で審議中の改正案の見直しを求めた。
 香港メディアによると、1997年の中国への返還以降、法曹関係者による「黒衣デモ」が行われたのは今回で5回目。主催者側によると、過去最多の2500~3千人が参加。弁護士らは香港中心部を政府本部庁舎前まで無言で行進した。
 主催した弁護士の一人は『改正案が可決されれば、香港の法治が取り返しのつかないほど破壊される』と訴えた。」

各紙とも、この件を報じている。朝日によると、「逃亡犯条例」(改正案)は、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にするもので、「改正案は香港政府が議会に提案した。司法界では人権侵害も指摘される中国本土への容疑者引き渡しを認めると、香港の司法制度への信頼が揺らぐとの懸念が強い」という。

また、朝日は、「参加者は香港で司法関係者を象徴する黒い服を着て約1時間かけて行進。香港政府本部前で約3分間、無言のまま立ち反対の意思を示した。民主派の重鎮の李柱銘弁護士は『香港政府は中国政府の言いなりになっており、香港は安全な場所でなくなる』と語った。」と報じている。

このデモ、主催者発表で3千人だった。香港の人口は740万人、日本の10分の1よりも遙かに小さい香港での弁護士3000人規模のデモなのだ。「主催者発表」にもせよ、はたして東京で3000人の弁護士デモが組めるだろうか。

香港の法曹制度は、英国の流れを汲む。弁護士は、バリスター(法廷弁護士)とソリシター(事務弁護士)に分業化されている。バリスターの人数は1300人、ソリシターの人数は5000人ほどだという。このうちの約半数が、デモに参加したということになる。たいへんな危機感の表れといわねばならない。

洋の東西を問わず、弁護士の任務とは人権の擁護である。弁護士が自らの職域防衛のためではなく、中国から香港に逃亡してきた政治犯の人権のために立ち上がっている図は立派なものではないか。

3000人の弁護士に続いて、「中国に批判的な香港の民主派は9日、30万人規模の大規模な抗議デモを計画している」とも報道されている。「中国政府言いなりの香港政府」と、「人権擁護のために立ち上がる香港市民」の対決の構図。当然のことながら、「中国政府は香港政府への支持を表明しており、対立が激しさを増している」。さもありなん。

一度はやむなく閉じざるを得なかった香港の雨傘。もう一度しっかりと開いてほしい。そして、今度は開き続けてほしいと思う。人権のために、民主主義のために。そして、国際的な友誼と条理のために。
(2019年6月8日)

天安門事件と光州事件 - 軍は躊躇することなく国民に発砲する

6月4日である。あの天安門事件から30年が経った。この事件は私の胸に突き刺さるトゲだ。これに触れられるたびに胸が痛む。

学生の頃、中国革命を輝かしい歴史の到達点と評価していた。ここにこそ人類の未来があると信じていた。それが、次第に色褪せて、トドメを刺されたのが天安門事件だった。

今年(2019年)は、「三一独立運動」「五四運動」の両事件から100年でもある。朝鮮でも中国でも民主主義・民族主義運動の先頭には、100年前から立ち上がった学生の姿があった。純粋な理想と情熱をもって体制に抵抗し、社会を改革しようと行動することは若者の特権である。

以来脈々と学生運動の灯は受け継がれてきた。1980年韓国「光州事件」(光州民主化運動)と、1989年中国「天安門事件」の対比が、なんとも痛々しい。

光州事件を舞台にした、映画「タクシー運転手」の中に、印象に残る主人公のセリフがある。戒厳令下の光州で軍が市民に発砲しているという噂を打ち消そうとしてこう言う。

「ボクも、兵役で軍隊にいたからよく分かる。軍隊は国民を守るためにある。軍人が自分の国の市民を撃つことなんてあり得ない。」

やがて、光州に入ったタクシー運転手は、軍隊が躊躇することなく市民を攻撃するという、あり得ない光景を目撃して驚愕する。

それでも光州事件の犠牲者は、今その事件に光が当てられ、国民が記憶し、韓国民主化の礎とその名誉を讃えられている。もちろん、加害の責任追求にも怠りがない。一方、天安門事件の犠牲者は、その対極にある。

中国の民主化を求める天安門広場のデモ隊は、一時は100万人に達して、あの広大な広場を埋めつくしたという。このデモ隊に、軍からの解散命令が出た。引くか、抵抗を続けるか、デモ参加者の賛否は割れたという。このときまで、「解放軍が人民に武力を行使することはあり得ない」と信じられていた。

しかし、鄧小平をトップとする人民解放軍は、武器を持たない平穏なデモ隊に発砲した。躊躇なく徹底して。ここ中国の首都でも、あり得ないことが起こったのだ。光州より遙かに大きな規模で。しかも、軍の武力が民主化を求める民衆の運動を押さえ込むことに成功している。少なくとも、この30年は。犠牲になった人々の名誉はさらに傷つけられ、事件を闇に葬ろうという圧力は弱まることがない。

民主化をなし遂げた韓国と、民主化運動弾圧に成功した中国。その落差は大きい。
そして、思うのだ。軍隊とは、常に国民を守るというものではない。これは、皇軍だけの特殊事情ではない。ある局面では、容赦なく国民を殺す存在なのだ。政権や、資本や、宗主国や、特定の指導者を擁護するために。この教訓を忘れてはならない。
(2019年6月4日)

中国の人権状況を憂うる

「中国 人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決」のニュースには、暗澹とせざるを得ない。中国よ、革命の理想はどこに追いやったのか。人権も民主主義も法の支配も捨て去ったというのか。野蛮の烙印を甘受しようというのか。

弱者の権利を擁護するために法があり、適正な法の執行のために司法制度がある。脆弱な国民の人権を擁護するために、司法の場で法を活用するのが本来の弁護士の役割である。「人権派」弁護士こそが、本物の弁護士である。

権力に屈せず、カネで転ばぬ「人権派」弁護士は、権力にとっても、体制内で甘い汁を吸っている経済的強者にとっても目障りな存在である。しかし、文明社会の約束事として、法の支配も人権派を含めた弁護士の存在も受け入れざるを得ない。

この文明社会の約束事を放擲して弁護士を弾圧すれば、野蛮の烙印を甘受しなければならない。野蛮極まる天皇制政府は、それをした。治安維持法違反で起訴された共産党員を弁護した良心的弁護士を、治安維持法違反(目的遂行寄与罪)で集団として逮捕し起訴して有罪とした。有罪となった弁護士は資格を剥奪されたが、残念なことに、時の弁護士会はこれに抗議をしなかった。

今、中国でリアルタイムに同じことが起こっている。人権保障のための最低限に必要な、法廷の公開や弁護権の保障もなされていない。

BBCの下記の記事が、怒りをもって事態をよく伝えている。

中国、人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決  国家政権転覆罪で
https://www.bbc.com/japanese/47025148

中国・天津の裁判所は28日、人権派弁護士の王全璋氏(42)に国家政権転覆罪で4年6カ月の実刑判決を言い渡した。王氏は政治活動家や土地接収の被害者、政府が禁止している気功集団「法輪功」の信者を弁護していた。
2015年に中国政府が何百人もの弁護士や活動家を弾圧した際に逮捕されたが、昨年12月まで裁判が行われていなかった。
中国はここ数年、人権派弁護士の取り締まりを加速させている。
裁判所は王氏を国家政権転覆罪で有罪とし、「4年6カ月の禁錮刑のほか、5年間の政治的権利のはく奪」を言い渡した。
裁判は非公開で行われ、ジャーナリストや外国の外交官なども裁判所への立ち入りを禁止された。

「国連の恣意的勾留に関する作業部会では、王氏の勾留を恣意的なものと認定した。つまり国際法上では、王氏はまず起訴されるべきではなく、よってどんな判決も受けてはならないことになる」
また、人権団体アムネスティ・インターナショナルはこの裁判を「いかさま」と呼び、判決は「非常に不公正なものだ」と批判した。
アムネスティの中国研究員ドリアン・ラウ氏は「王全璋氏中国で、人権のために平和的に立ち上がったことで罰せられるのは許しがたい」と述べている。
2015年7月9日に起きたことから「709事件」と呼ばれている中国政府による弁護士弾圧は、習近平国家主席の政権下で反体制に対する不寛容が広がってきた兆候だと活動家たちは見ている。709事件では200人以上が拘束され、多くが懲役刑や執行猶予、禁錮刑などを科せられている。」

その記事の最後を締め括る、次の指摘には、背筋が寒くなる。

北京で取材するBBCのジョン・サドワース記者は、弁護士が今回有罪になったのは、共産党が支配する司法制度に中国の法律そのものを使って対抗しようとしたからだと指摘する。
「共産党は近年、態度を明示してきた。立憲主義や司法の独立といった概念は、危険な西洋式理想なのだという立場だ」、今回の判決も「ぞっとするようなその主張を補強するためのものだ」と解説している。

この解説は恐い。世界の経済大国であり軍事大国でもある中国が、文明とは隔絶した恐怖国家となるかも知れないというのだ。既に中国では、人権や、人権擁護のための立憲主義や権力分立、司法の独立などを無視した、むき出しの権力が暴走している。中国国内での批判が困難であれば、国際世論が批判しなければならない。我々も、できるだけのことをしなければならない。
(2019年1月31日)

「中華人民共和国国歌法」性急な制定と改正の事情

人に「笑え」と強制はできない。人に「怒れ」と強制することもできない。人間の感情は、強制になじまないものなのだから。人に「人を愛するよう」強制はできない。人に「人を尊敬するよう」強制もできない。愛も尊敬も、本来的に強制し得ない。強制による愛は愛ではなく、強制による尊敬もそもそも自己矛盾なのだから。

愛国を強制することもできるはずがない。強制された愛国など論理的に成り立ち得ない。国旗国歌に対する敬意表明の強制に至っては、強制されたとたんにニセモノの敬意となり、薄汚れた面従腹背とならざるを得ない。

愛国心とは民衆の心から湧き出る性質のもので、他から植えつけられるものではない。国旗国歌に対する敬意とは、民衆の国家との一体感ある限りのもので、強制されるものではありえない。国家による愛国心の鼓吹とは、国家権力が民衆に対して、「我を愛せよ」と命じるグロテスクな押しつけ以外のなにものでもない。

多くの国民が敬意を表するに値しない国家と思うに至ったとき、慌てた国家が、愛国を強要し、国旗国歌に対する敬意表明を強制する。あるいは、国旗国歌に対する侮辱行為を犯罪として禁止する。

思えば、大逆罪、不敬罪、国防保安法、治安維持法などの治安立法によって国民をがんじがらめに縛りつけておかねばならない強権国家とは、実は面従腹背の国民を抱えた脆弱な国家だった。

権力が国民に愛国心を説き、国旗・国歌を尊重せよと義務付けることは、既に権力の敗北である。愛国心を説き、国旗・国歌を尊重せよと義務付ける国家は、論理矛盾を抱えつつもこれを強制せざるを得ない弱点を抱えた国家なのだ。

以上の点を、これまではもっぱら日本やアメリカについて論じてきたが、中国でも事情が同じであることが話題となっている。愛国心涵養の教育政策、国歌の冒涜禁止の法律…。経済発展著しい中国のこの自信のなさはどうしたことか。とりわけ、民主化の水準が高い香港において、問題が大きくなりそうなのだ。

これまで、中国には「国旗法」があって、「国歌法」はなかった。
1949年建国とともに五星紅旗が国旗として指定され、現行の「中華人民共和国国旗法」は1990年6月の制定で全20か条。法の目的を、愛国主義精神の高揚等と明記したうえ、国旗のデザインを五星紅旗と定め、その取り扱いの詳細を規定して、第19条で「公共の場で、故意に国旗を燃やし、毀損し、汚し、踏みつけるなどの侮辱行為に及んだ場合は刑事責任を追及し、情状軽微なときは15日以内の拘留処分を科す」と定めている。

今年の10月1日に、全人代で、これまでなかった全16か条の「国歌法」が成立した。その第15条が、「公共の場で悪意に満ちた替え歌を歌ったり、歌のイメージを傷つけるような演奏をした場合に15日以内の拘留処分を科す」となっている。一見微罪であるが、犯罪であるからには、逮捕も未決勾留も可能となる。背後関係を洗うとした広範な捜索・差押えも可能となる。

この法律制定の必要性は、香港にあったようだ。民主化を求める若者が中心部を占拠した2014年のデモ「雨傘運動」以降、香港では若者が国歌斉唱の際にブーイングをしたり起立を拒否したり、あるいは替え歌を歌ったり、「嘘だ」と叫んだりして問題になるケースが相次いでいたという。香港サッカー協会は2015年、国際サッカー連盟(FIFA)から責任を問われて罰金を科されたとも報じられている。国民が、敬意を表することのできない自国への抗議として、国旗や国歌への敬意表明を拒否するのは普遍的な思想表現手段。未成熟な国家は、これを弾圧しようということになる。

国歌法は中国本土では本年10月1日に施行されたが、香港は「一国二制度」によって高度な自治が保障されている。そのため、香港政府は今後、立法会(議会)に罰則規定などを盛り込んだ関連法案を提出し、成立後に適用される予定とされていた。当然のことながら、民主派からは表現の自由が後退するとの懸念の声が高まっていた。

そのような事態で、全人代常務委員会は、11月4日香港の「憲法」にあたる香港基本法を改正し、中国の国歌に対する侮辱行為を禁止する国歌法を付属文書に盛り込んだ。国営新華社通信が伝えるところである。サッカーの試合前の国歌斉唱などの際に、ブーイングを浴びせる若者らを取り締まる狙いがあるとも報道されている。

国歌法では罰則として15日以内の拘留を定めているが、同委員会は同日、中国の刑法改正案も可決し、国歌侮辱行為への罰則を最高禁錮3年に厳罰化した。

強権国家中国ならではの立法である。人心掌握への自信のなさを表白しているに等しい。国旗国歌を刑罰をもって国民に押しつけ、見せかけの愛国心と、面従腹背の多くの国民をつくり出そうというのだ。
「人民共和国」の名が泣いているではないか。反面、「強権的国家主義」の本質が笑っている。
(2017年11月6日)

「9・18」を忘れてはならない―謀略によって侵略を開始した日本こそ

本日の朝刊各紙は、9月28日臨時国会での冒頭解散が確定したごとくの報道。政権の総選挙の投開票が10月22日だろうという。官邸のリークが紙上におどっているのだ。官邸は、その反応を見ているのだろう。

実に腹立たしい。冒頭解散はあり得ない。ちがうだろうー、アベ晋三よ。森友学園問題も、加計学園疑惑も、ほかならぬ汝と汝の妻のしでかしたことではないか。二人揃って疑惑を釈明の責任がある。二人揃って謝罪をし引責しなければならない。

「丁寧にする」との国民に対する説明の約束。またも引き延ばしておいて反故にするのか。もうそろそろ忘れたころだろうとほっかむり。いつもの手口で、夫婦への共同責任追及を解散総選挙で逃げ切ろうとの魂胆丸見え。国民もなめられたものだ。

疑惑隠し解散、頬被り解散、敵前逃亡解散、ずる逃げ解散、海苔弁解散、もりかけ解散、党利党略解散、私利私略解散、自己保身解散、しめたこのタイミング解散、抜け駆け解散、火事場泥棒解散、人の弱みに付け込み解散、因循姑息解散、卑怯破廉恥解散、奸佞悪辣解散…ではないか。

ところで、本日は9月18日。敬老の日でもあるが、柳条湖事件勃発の日。
86年前になる1931年9月18日深夜、奉天(現審陽)近郊柳条湖で起きた南満州鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。後に爆破は日本軍自らが仕組んだ謀略であることが明らかになったが、関東軍はこれを中国軍の仕業と喧伝し、奉天を占領してさらに満州(現東北三省)全土への軍事侵攻の口実にした。

こうして、事件は、満州事変となり、翌32年3月には傀儡国家「満州国」の建国が強行され、国際連盟リットン調査団の報告を経て、33年2月日本の国際連盟脱退に至る。傍若無人の振る舞いの結果、軍国日本が敗戦によって壊滅する、そのきっかけの日となったのが、「9・18」である。

何年か前、この事件の現場を訪れたことがある。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。

「9・18」を、中国語で発音すると、「チュー・イーパー」となる。何とも悲しげな響き。その博物館で、「チュー・イーパー」という歌を聴いた。もの悲しい曲調に聞こえた。中国の国歌は、義勇軍進行曲と名付けられている。作詞田漢、作曲聶耳として名高く、「起来!起来!起来!」(チライ・チライ・チライ=立ち上がれ)と繰り返される勇猛な曲。「チュー・イーパー」の曲は、およそ正反対のメロディだった。

柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であったが、満州侵略を熱狂的に支持する「民意」があればこその「成功」であった。世論は、幣原喜重郎外相の軟弱外交非難の一色だった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていたのだ。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。

今の世はどうだろうか。極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法、戦争法、さらに共謀罪までが成立した。

北朝鮮脅威論が過剰に喧伝されてはいないだろうか。偏狭なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。

今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。軽々に政権の扇動に乗せられてはならないと、自らを戒めるべき日。心して、隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にすることで、権力への抵抗を心がけよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右勢力の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。疑惑隠し解散に負けてはおられない。
(2017年9月18日)

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