澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

アメリカはむちゃくちゃだ。中国はもっとひどい。なんという世界だ。

(2021年1月7日)
かつて、アメリカは、日本にとっての民主主義の師であった。そのアメリカが、今尋常ではない。民意が選挙を通じて議会と政府を作る、という民主主義の最低限の基本ルールが、この国では当たり前ではなくなった。

1月6日、バイデン勝利の大統領選結果を公式に集計する連邦議会の上下両院合同会議に、トランプの勝利を高唱する暴徒が乱入して、議事を妨害した。議事堂が大規模な侵入被害に遭うのは、米英戦争時に英国軍により建物が放火された1814年以来のこと。アメリカ合衆国の歴史の汚点というべきだろう。その汚点を作り出した、恥ずべき人物をドナルド・トランプという。彼が、暴徒を煽動したのだ。この汚名は、歴史に語り継がれることになるだろう。

バイデンは同日夕、テレビ演説で「これは米国の姿ではない。今、私たちの民主主義はかつてない攻撃にさらされている」と非難したという。だが、悲しいかな。「これが米国の姿なのだ。」

このトランプをツイッター社が叱った。同社は、投稿ルールに抵触したとして、トランプのアカウントを凍結したという。たいしたものだ、というべきか。恐るべき出来事というべきか。

一方中国では事情大いに異なる。中国電子商取引最大手アリババ集団の創業者、馬雲(ジャック・マー)が「姿を消した」と話題となっている。同人の政権批判に反応した当局が拘束したとの報道もある。

かつて中国は、世界の人民解放運動の先頭に立っていた。その輝ける中国が今輝いていない。尋常ではない。民意が選挙を通じて議会と政府を作る、という民主主義の最低限のルールが、この国では長く当たり前ではなくなっている。法の支配という考え方もない。剥き出しの権力が闊歩しているのだ。恐るべき野蛮というほかはない。

香港は一国二制度のはずだった。二制度とは、「野蛮と文明」を意味する。つまり、中国本土は野蛮でも、香港には文明の存在を許容するという約束。昨年来の一国二制度の崩壊とは、香港の文明が中国の野蛮に蹂躙されるということなのだ。

昨日(1月6日)朝の香港で、立法会の民主派の前議員や区議会議員など50人余が逮捕された。被疑事実は、香港国家安全維持法上の「政権転覆罪だという。これは、おどろおどろしい。

去年6月末に施行された「香港国家安全維持法」は、
(1) 国の分裂
(2) 政権の転覆
(3) テロ活動
(4) 外国勢力と結託して、国家の安全に危害を加える行為
の4つを取締りの対象としているという。今回は、初めて「政権の転覆」条項での取締りだという。

昨年7月、民主派が共倒れを防ぐために候補者絞り込みの予備選を実施した。これが政権の転覆を狙った犯罪だというのだ。さすがに野蛮国というしかない。戦前、治安維持法をふりかざした天皇制政府もひどかったが、中国当局も決して引けは取らない。

バイデン次期政権の国務長官に指名されているブリンケンは、ツイッターに投稿し「香港民主派の大がかりな逮捕は、普遍的な権利を主張する勇敢な人たちへの攻撃だ」と批判したという。そのうえで「バイデン・ハリス政権は香港の人たちを支持し、中国政府による民主主義の取締りに反対する」と書き込み、中国政府に強い姿勢で臨む立場を示したと報道されている。

米国内でも対中関係でも、アメリカのデモクラシーは蘇生するだろうか。中国の野蛮はどこまで続くことになるのだろうか。日本もひどいが、アメリカもひどい。中国はもっともっとひどい。

暗澹たる気持ちにならざるを得ないが、香港にも、中国国内にも、最も厳しい場で苛酷な弾圧にめげずに、自由や人権を求めて闘い続けている人たちがいる。その心意気を学ばねばならないと思う。

中国問題に言及した、菅首相仕事始めの年頭記者会見

(2021年1月4日)
正月三が日の明けには、三余という言葉を思い出す。冬(年の余り)と、夜(日の余り)と、陰雨(時の余)を指して、このときにこそ書を読み思索して学問をせよということらしい。「余」という語感が面白い。原義とは離れるかも知れないが、はみ出した自由なひととき、というニュアンスがある。ならば、昨日までの正月三が日が、まさしく「三余」であった。その三が日がなすこともなく終わって、せわしい日常が戻ってきた。しかも今日は月曜日。

事情は下々だけでなく首相も同様のごとくである。本日の年頭の記者会見が、彼の仕事始め。予め用意された原稿をまずは読み上げた。下記は、その後半の一節(官邸ホームページから)。

 コロナ危機は、国際社会の連帯の必要性を想起させました。我が国は、多国間主義を重視しながら、「団結した世界」の実現を目指し、ポストコロナの秩序づくりを主導してまいります。

 そして、今年の夏、世界の団結の象徴となる東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催いたします。安全・安心な大会を実現すべく、しっかりと準備を進めてまいります。

 本年も、国民の皆様にとって何が「当たり前のこと」なのかをしっかりと見極め、「国民のために働く内閣」として、全力を尽くしてまいります。国民の皆様の御理解と御協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

 客観的に見て、頗る出来の悪い文章というほかない。何を言いたいのか、言っているのか、皆目分からない。言質を取られないように、ことさら何を言っているのか分からない、具体性のない言葉を連ねているだけなのだろう。聴く人の心に響くところがない。訴える力もない。

伝わってきたのは、「東京オリパラはやりたい」という願望のみ。それも「やれたらいいな」という程度のもの。コロナ対策とどう折り合いを付けるのかという、具体策は語られない。何よりも、情熱に欠ける。

わずか15分間だが、記者からの質問に答弁した。幹事社からの質問には答弁の原稿が準備されているものの、それ以外の記者との質疑は首相にとっての恐るべき試練であり、避くべき鬼門である。

その鬼門に待ち構えていたのが、フリーランスの江川紹子。質問が聴かせた。

 「外交関係になるんですが、中国の問題です。リンゴ日報の創業者の人が勾留されたり、あるいは周庭さんが重大犯罪を収容する刑務所に移送されたというような報道がありました。天安門事件の時の日本政府の融和的な方針も明らかになって、議論も招いているところであります。菅首相はこの一連の問題についてどのように考えるのかお聞かせください」

 これに対する菅答弁は以下のとおり。

 「中国問題については、多くの日本国民が同じ思いだと思っています。民主国家であって欲しい。そうしたことについて日本政府としても折あるところに、しっかり発信をしていきたいと思ってます」

 率直で、悪くない答弁ではないか。スガ君、原稿見ないでもしゃべれるじゃないか。おっしゃるとおりだよ。中国に民主主義が根付くことは、日本国民圧倒的多数の共通の願いだ。世界の良識が「当たり前のこと」とする、人権尊重も中国に望みたいところ。

まずは、このことを口に出したことについて評価したい。その上で、今後はその言葉のとおり、「そうしたことについて、日本政府としては折あるごとに、しっかりと明瞭に発信をしていくよう」期待したい。

香港に「平和」はあるだろうか。中国にはどうだろうか。

(2021年1月3日)
昨日の毎日新聞デジタルに、「『へいわって…?』 激動の香港で日本の絵本が読まれている理由」という記事がある。

https://mainichi.jp/articles/20210101/k00/00m/030/175000c

「中国政府による締めつけが続く香港で、日本の絵本『へいわって どんなこと?』が読まれ続けている。日中韓の3カ国で出版された後、2019年12月に新たに「香港版」が刊行され、現地の出版賞も受賞した。」という内容。

浜田桂子さんが執筆した、この絵本には「へいわって どんなこと?」の問いかけに、考え抜かれたこんな答が連ねられている。
「きっとね、へいわってこんなこと。
 せんそうをしない。
 ばくだんなんかおとさない。
 いえやまちをはかいしない。

 おなかがすいたら だれでもごはんがたべられる
 おもいっきり あそべる
 あさまで ぐっすり ねむれる」

それだけでなく、
 「いやなことは いやだって、ひとりでも いけんが いえる。」

そしておしまいが、
「へいわって ぼくがうまれて よかったっていうこと
 きみがうまれて よかったっていうこと
 そしてね、きみとぼくは ともだちになれるって いうこと」
と結ばれているという。

浜田さんは「平和絵本は戦争の悲惨さを伝えるものが中心で、これが平和だよと伝えるような作品がないと感じていました。自分にとって平和とは何かを考えられるようなものを作りたいという思いが、ずっとありました」と語っている。

この絵本の制作は中国・韓国・日本の3カ国12人の作家によるプロジェクトによって生まれた。「悲惨な戦争ない状態の平和」にとどまらず、積極的に平和とその価値を語ろうという試み。その結論は、「ぼくがうまれて よかったっていうこと。きみがうまれて よかったっていうこと。そしてね、きみとぼくは ともだちになれるって いうこと」と収斂する。なるほど、と頷かざるを得ない。

今、香港に、せんそうはない。ばくだんなんかおとされていない。いえやまちがはかいされているわけでもない。しかし、明らかに「いやなことは いやだって、ひとりでも いけんが いえる」状況にはない。「ぼくがうまれて よかったっていうこと。きみがうまれて よかったっていうこと。そしてね、きみとぼくは ともだちになれるって いうこと」とは、ほど遠いものと言わざるを得ない。

だから今、「香港にはこの絵本が必要」とされているのだという。香港で絵本は増刷され、2020年末までの1年間で6000部発行された。2020年7月には、この絵本が公共放送局「香港電台(RTHK)」が主催する出版賞「香港書奨」(Hong Kong Bookprize)の9作品に選ばれた。30年以上続く伝統ある賞で、作品は「子どもの視点から、平和とは何かを伝えている。人間性の真善美を示している」と評されたと、毎日は伝えている。

この記事の示唆するとおり、香港は「平和」ではない。そのとおりだと思う。だとすれば、中国本土にも「平和」はない。香港以上に、「いやなことは いやだって、ひとりでも いけんが いえる」状況にはないからだ。言論が抑圧され、平和なデモ参加者が逮捕され有罪とされる社会は「平和」とは言えない。その地に、「ぼくがうまれてよかったって。きみがうまれてよかった」という安心が得られないからだ。

日本国憲法は、人権と民主主義と平和を3本の柱として成り立っており、それぞれの柱は互いに緊密に支えあっている。日本国憲法だけではない。いずれの国や社会においても、人権と民主主義を欠いた、「平和」はあり得ない。専制が人権を蹂躙するところ、たとえ隣国との交戦はなくとも「平和」ではない。

中国では、いまだに密室での刑事裁判が行われている。

(2020年12月28日)
私は元々、嫌中でも反中でもない。むしろ、学生時代から中国の文物に親しみ、偉大な中国革命をなし遂げた中国の人民と中国共産党には畏敬の念を持ち続けてきた。

その畏敬の念が天安門事件を機に崩壊を始め、いま香港の事態の報道を通じて雲散霧消の寸前である。中国の人権と民主主義のありかたには絶望するしかない。どうしてこうなってしまったのだろうか。残念でならない。

私のような思いをもつ者は日本中に少なくないはずである。いや、世界中に無数にいるはずだ。延安からの苦難の長征を経て1949年の革命に至ったあの、輝ける理想に満ち満ちた中国人民と共産党は、今どこへ行ったのか。中国当局は、このような国際世論を歯牙にも掛けないというのだろうか。

私の無念の気持ちを、さらに鞭打つ中国の人権状況の記事は、毎日続いている。昨日と本日の記事3件を引用しておこう。法廷の公開さえ行われない人権を無視した中国刑事訴訟の実態の記事、中国に司法の独立などないことを示す香港司法の記事、そして武漢における報道の自由抑圧の記事である。

経済がうまくまわっている外観あれば、このような野蛮の横行が放任されるということなのであろうか。事態は深刻である。いや、深刻な事態に、私がようやく気付いただけなのか。

**************************************************************************

「香港活動家を秘密裁判 中国・深センで拘束4カ月」「あす初公判 家族抗議『人権無視』」(昨日(12月27日)付赤旗)

中国広東省深セン市で4カ月にわたり拘束され、16日に起訴された香港人活動家10人の初公判が28日に同市の裁判所で開かれることが25日にわかりました。活動家の家族が中国当局指定の弁護士から得た情報を香港メディアが報じました。

香港メディアによると、裁判は非公開の「秘密裁判」で開かれ、傍聴やインターネット中継もなし。判決文も公開されず、結果は弁護士から家族に知らされるだけだといいます。家族らは25日に声明を発表し、「基本的人権を無視し、中国が対外的に宣伝する『陽光の司法(公開された司法)』原則に反している」と中国当局を強く非難。その上で、
 (1)裁判をネットで中継する
 (2)家族の代表や家族が委託した弁護士、内外メディアや各国外交官らの傍聴のもと、公開の裁判を行う
 (3)判決文を公開する
 (4)判決後、家族が活動家に面会できるようにする
―ことなどを求めました。

香港人活動家らは8月下旬、計12人で香港から台湾へ密航する途中、海上で中国当局に拘束されました。この中には、8月に国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕され保釈中だった李宇軒氏も含まれています。10人のうち李氏ら8人は違法な国外渡航を企てた罪で、2人は違法な国外渡航を組織した罪で起訴されました。違法な国外渡航の罪の最高刑は禁錮1年で、違法な国外渡航を組織した罪は2~7年の禁錮刑だといいます。

16日に起訴されなかった2人の状況は判明しておらず、家族は情報を公開するよう中国当局に求めています。

**************************************************************************

「中国共産党機関紙、黎智英氏の保釈決定非難−本土で裁判可能と警告」(Bloomberg2020年12月28日12時20分)

中国共産党機関紙の人民日報は週末の論説で、香港高等法院(高裁)がメディア企業のネクスト・デジタル(壱伝媒)創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏の保釈を23日に認めたことを激しく批判し、裁判を本土に移して行う法的根拠があると警告した。

人民日報は黎氏(73)を「悪名高い極めて危険」な人物だとし、同氏が保有する資産と外国勢力の「動機」を考えると、保釈金が没収されても問題なく、逃亡は難しくないと指摘した。黎氏は今月、外国勢力と結託したとして香港国家安全維持法(国安法)違反の罪で起訴されていた。

人民日報は、国安法55条を中国が発動する十分な根拠があると主張。55条は外国の関与などで複雑な事案となる場合、もしくは香港政府が事実上法執行できない深刻な状況が生じた場合に中国は「国家安全を脅かす犯罪に関する事案に管轄権を行使」できると定めている。

**************************************************************************

「武漢の実態『虚偽情報伝えた』として起訴 裁判開始」(ANN ニュース(国際) 2020年12月28日 12:29)

新型コロナウイルスの感染が最初に拡大した中国・武漢の惨状を伝えたことで起訴された中国人ジャーナリストの裁判が開かれています。
元弁護士の張さんは市民ジャーナリストとして武漢の病院の実態や遺族への当局の圧力などをSNSで発信しました。5月に突然、滞在中のホテルで拘束されて「悪意を持って嘘の情報を伝えた」などの理由で起訴されました。最長5年の禁錮刑になる可能性があります。張さんは留置施設で「当局批判に対する仕打ちで裁判自体が違法だ」として抗議のための絶食、ハンガーストライキを続けていて、健康状態が悪化しているということです。

「武漢コロナ情報で懲役4年 SNS発信で市民記者有罪 上海」(共同)

新型コロナウイルス感染症に関する「虚偽」情報を中国・武漢からネット上に発信したとして、公共秩序騒乱の罪に問われた市民記者、張展氏(37)に対し、上海の裁判所は28日、懲役4年の判決を言い渡した。この日が初公判で、即日判決となった。新型コロナを巡る情報発信で有罪となったケースは初めてとみられる。

 起訴状などによると、張氏は今年2月以降に武漢から医療現場の混乱ぶりを伝え、遺族が当局に抑圧されている問題も発信。6月に逮捕され、9月に起訴された。

司法の独立を確立するために、最高裁裁判官人事の透明化を。

(2020年12月9日)
「トランプ氏、ペンシルベニア州で敗北確定 米最高裁が訴えを棄却」という記事が踊っている。今回の大統領選挙では天王山となった激戦州ペンシルベニア(選挙人数20人、全米5番目)での選挙争訟に決着が付けられたということだ。

悪あがきというほかはない、ここまでのトランプの醜態。大統領選挙の敗北を認めがたく、あきらめの悪い訴訟を濫発してきた。その数30件に及ぶというが、連戦連敗で疾っくに勝ち目のないことは明らかになっている。それでも、連邦最高裁に持ち込めば、自分が任命した保守派の判事が逆転の判決を書いてくれるのではないか…、という一縷の望みもここに来て断ちきられた。往生際の悪いトランプも、自らが選任した保守派の判事に引導を渡されたかたち。もうお終いなのだ。

アメリカは連邦制の合衆国、訴訟の審級制は分かりにくい。ペンシルベニア州の最高裁での判決を不服として、トランプ陣営が連邦最高裁に申し立てた上訴が、12月8日あっけなく棄却となった。上訴の申し立て手続が完了した直後の棄却決定だったとほうじられている。反対意見のない9裁判官全員一致の判断。そして、この決定は理由の説示もない三くだり半。トランプの悪あがきに対するトドメに、いかにもふさわしい。

この訴えは、「大統領選をめぐってペンシルベニア州の共和党議員らが、開票集計結果の認定差し止めを求めた」もの(CNN)だったようだ。所定の期日までに、各州が開票集計結果を認定する。認定されれば確定して、それ以後は争うことができなくなるという制度なのだという。そのデッドラインが12月8日。それまでに、差し止めの判決を得なければトランプの選挙の敗北が確定することになる。結局、トランプの訴訟戦術は失敗したことになる。

この訴訟で、トラプ陣営が差し止めの根拠としたものは、選挙の不正ではなく、「郵便投票は無効」という手続の定めを争うものだった。ペンシルベニア州の地裁から、同州の最高裁まで争い、さらに連邦最高裁にまで上訴したもの。

この訴訟とは別に、最初から連邦地裁に訴えた訴訟もあったようだ。トランプ陣営は、「バイデン側に詐欺があって私たちが勝っていた」「バイデンが8000万票も獲得するはずはない」などと訴えた。が、ペンシルベニアの連邦地裁は11月21日、不正を訴える陣営の主張を「法的根拠のない推測」と一蹴。「『フランケンシュタインの怪物』のように場当たり的に縫い合わされたもの」とまで非難したという。陣営は控訴したが、連邦高裁もトランプ政権で任命された判事らがわずか数日で棄却した。

さて、問題は連邦最高裁裁判官の人事にある。トランプ劣勢とみられていた大統領選の直前、たまたまリベラル派の最高裁判事ギンズバーグが死亡した。トランプは、その後任に保守派のバレットを押し込んだのだ。露骨にジコチュウ剥き出しの大統領選対策である。これで、全9人の判事のうち保守派6人とし、選挙後に法廷闘争に持ち込んだ際に有利な最高裁を作ったのだ。

このとき、営々と築かれてきた米国の司法の権威は、国民の信頼を失って大きく傷ついた。連邦最高裁は、公正でも中立でも政治勢力から独立してもいない。司法の姿勢は政治的な思惑で左右されることを、国民は知ってしまった。今回の選挙争訟で、仮にも連邦最高裁がトランプの意向を忖度するようなことをしていたら、司法の権威についた傷が致命傷となるところだった。連邦最高裁の威信は、大きく傷つきながらも、かろうじて最悪の事態は免れたと言えよう。

一方、香港である。裁判所に毅然としたところがない。香港の高等法院(高裁)は9日、無許可のデモを組織して扇動した罪に問われ一審で禁錮10月の実刑判決を受けた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)の控訴にともなう保釈申請を却下した。その理由として、裁判官は「警察本部を包囲した行為は重大だ」と判断したという。これは信じがたい。犯罪行為の違法性の大小や、重大性は判決の量定において考えるべきこと。今問題となるのは、証拠隠滅と逃亡の恐れの有無ではないか。要するに、裁判所は中国の威光を恐れ、中国におもねって、周庭に判決確定前に制裁を科しているのだ。

米国の司法の独立は、露骨な裁判官の任命人事で揺れている。香港の場合は、裁判所全体が中国の意向に逆らえない。質もレベルも格段の差はあるが、両者とも司法の独立は不十分と言わざるを得ない。その両者の中間当たりに、日本の司法の基本性格があり、最高裁裁判官任命問題があろうか。現在の最高裁裁判官15名の全員が、嘘と誤魔化しで国政を私物化してきた安倍晋三の政権の任命によるものとなっている。それ自体で、最高裁の権威は薄弱となっている。最高裁裁判官任命手続、とりわけ推薦手続を、納得できる合理的なものとし透明化しなければならない。それこそ、法の支配、立憲主義、民主主義と人権擁護の第一歩である。

あらためて、中国の蛮行を批判する。

(2020年12月4日)
かつては漠然と信じていた。歴史とは、野蛮から文明への進歩の過程である、と。野蛮を克服して文明が興り、曲折はあるにせよ文明が野蛮を感化し、野蛮は文明によって淘汰されていく。これが歴史の大道であり、野蛮と文明が接すれば、やがて野蛮は文明に教化され包摂されていくに違いない…。その信念が揺るぎそうな昨今の状況である。とりわけ香港の事態が目立って深刻である。

香港では、専政から民主制へと進歩すべき歴史が逆流している。法の支配は暴力による支配に置き換えられ、権力の恣意によって自由や人権が抑圧されている。野蛮が横行して、文明を逼塞させているのだ。

権力の恣意的な発動を抑制して人権を擁護する装置として、文明は権力分立という理念と制度を普遍的な原則として採用した。香港市民は、公教育で「三権分立」を近代以後の世界の常識と学んで育った。教科書にも当然の原理として書き込まれていた。ところが、香港行政庁の林鄭月娥長官は「香港に三権分立はない」と明言した。「中国本土と同様に、香港の三権はおしなべて中国共産党の支配下にある」との意であろう。教科書も書き換えられつつあるという。

突然に香港の市民から奪われた「三権分立原則」の中で、とりわけ重要なのが人権の砦としての司法権であり、その独立である。裁判官は本来、中国共産党の顔色を窺うことなく、法と良心に従った判決を言い渡さねばならないが、それは期待すべくもない事態。

林鄭月娥は、「11月の施政方針演説では、裁判官が就任時に政府への『忠誠』を宣誓しない場合の規定を盛り込んだ条例改正をすると述べた」(時事)という。法と良心に対する忠誠を求めるというのではない、政府への忠誠である。いうまでもなく、「政府」を通じての「中国共産党」への忠誠が強要されているのだ。

中国本土では、中国共産党が当然のごとく司法部門を「指導」し、「司法権の独立」を観念する余地はないとされる。これに対し香港基本法(香港での憲法に相当する)は「司法の独立」を明記している。中国政府側は香港に「司法改革」が必要だと主張しており、行政が司法を主導する仕組みを指示していると報道されている。明らかに、ここでは文明が野蛮に侵蝕され、席巻されているのだ。

その事態の中で、一昨日(12月2日)注目されていた黄之鋒・周庭・林朗彦3氏に対する判決言い渡しがあり、その量刑はそれぞれ13月半・10月・7月の禁錮となった。いずれも執行猶予の付かない実刑である。罪状は、昨年(2019年)6月に警察本部を包囲したデモを「扇動・組織し、参加した」罪だという。

暴力的なデモではない。破壊的なデモでもない。政治的な要求を掲げた表現の自由行使に対する刑事罰。文字どおり野蛮な政治的弾圧にほかならない。文明が、野蛮に組み敷かれているのだ。

黄氏は判決後、支持者に向かい「つらいが耐え抜こう」と大声で呼びかけ、林氏も「後悔はしない」と叫んだという。これに、支持者らは「がんばれ、出てくるのを待っているぞ」と応えたと報じられている。

しかし、周氏については少し違う光景となった。同氏は下獄の経験はない。香港メディアによると、判決言い渡しの際に法廷で泣き崩れたという。私は、この報道に胸を打たれる。判決日の翌日(12月3日)に24歳の誕生日を迎えるという彼女は、判決前に自分の誕生日を自宅で過ごすことができるだろうかとの心配を隠さず、ネットに配信していた。

泣き崩れたところを見せた彼女は、決して絵に描いたような闘士ではない。自分を励ましつつ、良心に従って運動に参加してきた「普通の市民」の一人なのだ。歴史には、強靱な意思をもった多くの闘士が登場するが、その闘士像は後の世の伝説が作りあげた虚像なのではないか。むしろ、特別の人ではない、投獄は恐いと自分の弱さを隠さない普通の市民の活動こそが、多くの人の共感を呼び、運動につながる人々を励ますことになるのだと思う。

民主派支持の論調で知られる香港紙「蘋果(りんご)日報」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏も2日に詐欺罪で身柄を拘束され、起訴された。そして裁判所は3日、黎氏の保釈申請を却下。黎氏は来年4月16日の次回公判まで勾留される見通し。香港では起訴後に保釈されることが多く、異例の長期身柄拘束と言える(毎日からの引用)という。

黎氏に対する起訴罪名が詐欺であることが一驚である。一見して、でっち上げ以外の何ものでもない内容。何でもありなのだ。しかも、詐欺事件にもかかわらず国安法事件を担当する裁判官(蘇恵徳)が保釈を不許可とした。今後、政府の意向に従わない裁判官の解任が心配されている。既に、民主派に無罪判決を出した裁判官が、中国系香港紙に紙面で批判されるケースも出ていると報じられている。あらためて、法の支配を貫徹する独立した司法の役割の重要性を痛感する。

中国の野蛮が、香港市民の文明を蹂躙している。人権の擁護は国際的に共通の課題である。中国の蛮行は、国際法違反である。世界人権宣言や国際人権規約、あるいはウィーン宣言など国際成文法にも反すると言わなければならない。

微力でも「中国の野蛮を許さない」「香港の民主派を支持する」という声を上げ続けたいと思う。

「香港立法議員資格剥奪」と、「学術会議会員任命拒否」と。

(2020年11月12日)
昨夜(11月11日)の時事配信記事のタイトルが、「中国、『忠誠』なき議員を排除 香港民主派は抗議の辞職表明」である。権力がその本性を剥き出しに、権力に抵抗する者の排除を断行したのだ。中華人民共和国、さながら臣民に忠誠を求めた天皇制の様相である。しかし、果敢に抵抗する人々がいる。

民主主義社会では、民衆が権力をつくり、民衆の承認ある限りで権力の正当性が保たれる。だから、権力は民衆に「忠誠」を誓う立場にある。権力が民衆に「忠誠」求めることは背理である。権力が「反忠」の人物を排斥してはならない。

原理的に権力には寛容が求められる。民衆を思想・信条で選別し差別してはならない。政治活動の自由を奪ってはならない。権力に抵抗する思想や表現や政治活動を弾圧してはならない。いま、天皇制ならぬ、「人民」の「共和国」がそれをやっているのだ。

「今ごろ何を騒いでいるのだ。中国ではごく当たり前のこと」「香港が中国並みになったというだけのこと」という訳知りの声もあろうが、かくもたやすく、かくも堂々と、権力がその意に沿わない民主主義者を排除する図に衝撃を受けざるを得ない。

報道では、民主派議員19人が11日夕に会見し、4人以外の15人も抗議のため一斉辞職すると表明。定数70の立法会で21人いた民主派は2人に激減することになり、今後は親中派の独壇場になるという。

この民主派議員たちの抗議の辞職は、香港社会だけでなく、国際社会に向けての捨て身のアピールなのだ。この香港民主派の抵抗を支持する意思を表明しよう。

時事は、こんな報道もしている。
《「独立思想広めた」教師失職 当局、現場への介入強化―香港》(20年10月06日20時48分)

 香港政府の教育局は6日までに、「香港独立思想を広めた」として、九竜地区の小学校教師1人の教師登録を取り消したと発表した。独立派の主張を授業で扱ったことによる登録抹消は異例で、教育現場に対する当局の介入強化や教員への萎縮効果が懸念されている。

 この教師は、昨年、小学5年生の授業で独立派の活動家である陳浩天氏が出演したテレビ番組を紹介。「番組によると、独立を訴える理由は何か」「言論の自由がなくなれば香港はどうなってしまうか」などと尋ねる質問用紙を配布した、という。教師自身が独立を主張したとは報じられていない。
それでも、教育局は「教材が偏っており、生徒に害を与えた」と指摘。この教師は既に離職しているが、今後他の教師による「問題行動」が確認された場合、同様に処分はあり得ると表明した、と報じられている。

強権とたたかっている香港の人々に敬意を評したい。こんな社会はごめんだ。中国のようにはなりたくない。

いや、日本も危うい。菅政権は、政権批判の立場を堅持する日本学術会議を快く思わず、政権批判の発言をした6名の任命を拒否した。思想・良心の自由、表現の自由、学問の自由を侵害する行為だとの批判を覚悟しての強権の発動である。中国共産党の香港に対する強権的姿勢と、本質において変わるところはない。

まだ、私たちは声を上げることができる、政治活動もできる、選挙運動もできる。選挙で政権を変更することもできる。三権分立も何とか守り続けている。この自由や民主主義を錆び付かせないように、大切にしたい。まずは、粘り強く学術会議任命拒否を撤回させねばならない。

嗚呼、中国よ。その大地には民主主義の芽は育たないのか。

(2020年11月11日)
新華社電は、本日、中国の全国人民代表大会常務委員会会議が、香港立法会の議員資格として「中国や香港政府への忠誠心を求める」ことを決定した、と伝えた。「香港独立を宣伝したり、外国勢力に香港への介入を求めたりすれば、議員資格を失う」と明示したという。

その決定を受け、香港政府は即日、香港民主派議員4人の資格を剥奪した。北京の指示に香港政府が忠実に従った。北京は、香港の民衆の全てに、同様の忠誠を求めているのだ。

この中国の蛮行の犠牲となって議員資格を剥奪された、香港民主派4人の氏名を、畏敬の念をもって記しておこう。

 楊岳橋(Alvin Yeung)氏
 郭栄鏗(Dennis Kwok)氏
 郭家麒(Kwok Ka-ki)氏
 梁継昌(Kenneth Leung)氏

【AFP=時事】は、「今回の措置は、中国全人代の常務委員会が、地方政府は国家安全保障上の脅威とみなす議員の資格を剥奪できると決定したことを受けてのもの」と伝えている。

共同は、「香港への統制を強める習近平指導部は、中国に批判的な香港の民主派議員を「忠誠心に欠ける」と見なして排除を進めるとみられる。香港に「高度の自治」を約束した「一国二制度」の形骸化が一段と鮮明になった。」と報じている。

昨日の毎日の記事には、「民主派議員19人は9日夜に記者会見し、議員資格の剥奪が決まれば、集団辞職して抗議する方針を表明した。民主派は「反対派の存在を許さない中央政府のやり方は1国2制度に反している」と強く反発した。」とされている。

「決定前の立法会の議席は親中派が41、民主派が21、欠員が8。民主派が4人欠けることで、重要法案を否決できる3分の1を大きく下回り、影響力が大きく後退するのは必至だ。さらに残りの民主派議員も辞職すれば、立法会はほぼ親中派議員だけとなり、異例の事態となる。」(朝日)

朝日によれば、「(資格を剥奪された)議員4人は7月、国安法に反対し、立法会選で民主派が過半数をとれば政府提案の法案を否決すると表明したことなどが問題視されていた。また10月以降も議事妨害をしているとして、全人代常務委メンバーの譚耀宗氏は、常務委員会が開かれるのを前に「香港の特別区に忠誠を誓い、基本法を守るという原則に反している」と語った。」という。

なるほど、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が語ったとおり、「6月末に香港国家安全維持法(国安法)が施行された後、香港に三権分立は存在しない」のだ。三権分立だけではない。民主主義もない。立憲主義もない。そもそも法の支配すらないのだ。

中国には、思想・良心の自由が存在しない。表現の自由もない。政治的活動の自由もない。つまりは、中国においては、国家権力は万能なのだ。意に沿わない議員の資格を剥奪することが自由にできる。権力が恣になんでもできるというこの中国のありかたを「独裁」と言い、野蛮という。

菅政権が、学術会議が推薦した6名の新会員候補の任命を拒否して、その理由を語ろうとしない。これも、野蛮な権力の行使である。決して、中国を嗤う資格はないが、この超大国の大地には民主主義の芽は育たないのだろうか。暗澹たる思いを禁じえない。

中国での国旗法改正、ますますの国家主義、ますますの強権体質。

(2020年10月18日)
中国での国旗法改正を伝える本日の共同通信記事に、解説を加えたい。

 「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は17日、国旗の尊厳を損なうことを禁じた国旗法改正案を可決した。来年1月1日に施行する。国営通信の新華社が伝えた。香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 中国では、国旗法と国歌法とが別になっている。いずれも、国民に自国の国旗・国歌に対する侮辱行為を刑事罰をもって禁止している。これは、事実上の愛国強制法にほかならない。こんな法律を作らねばならないこと自体が、国家の脆弱性を自白しているに等しく、情けない。のみならず、いまその強制をさらに強化しようというのだ。

 「第1条で「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」とうたった。破損したり汚れたりした国旗を掲揚することや、国旗を逆さまに掲げる行為などを禁じた。香港で昨年から続く抗議デモでは、中国国旗を燃やしたり、海に投げ捨てたりする場面もあった。こうした行為を取り締まるとみられる。」

 共同通信記事は、国旗法第1条を「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」と訳して報道したが、原文は下記のとおりである。

「第一条 为了维护国旗的尊严,规范国旗的使用,增强公民的国家观念,弘扬爱国主义精神,培育和践行社会主义核心价值观,根据宪法,制定本法。」

私の訳だから、正確性は保証しかねるが、こんなところだろう。
「第1条 国旗の尊厳を擁護し、国旗取扱いの規範を定め、国民の公民的国家観念を増強し、愛国主義精神を発揚し、社会主義核心価値観を育成し実践するために、憲法に基づいて、本法を制定する。」

これは、なんともおどろおどろしい国家主義の価値観を全国民に押し付けようという「国民精神善導法」である。しかも、善導は刑罰で担保されている。なお、「社会主義核心価値観」とは、中国共産党唱道のスローガンで、具体的には、「富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、法治、愛国、敬業、誠信、友善」と定義づけられる。これを私は、中国版教育勅語と理解している。国家が、国民に特定の価値観を注入しようという発想において同類なのだ。

爾臣民父母ニニ兄弟ニニ夫婦相和シ朋友相信恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

よく似ていないだろうか。もちろん、「天壤無窮ノ皇運」「偉大な中国共産党の興隆」に置き換えて読まねばならない。

 「少数民族の自治地区では、民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚するよう義務付けた。中央政府に対する反感が強い新疆ウイグル自治区などで、愛国心を植え付ける狙いとみられる。」「香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 国旗も国歌も、国家の象徴である。国旗国歌に敬意を表明せよとの強制は、国民の上に国家を置く全体主義の発想。およそ文明国にあるまじき法である。要するに、まつろわぬ人々をあぶり出し、国家の統制下に置く手段としての立法なのだ。

なお、NHKは本日(10月18日)午後、こう伝えている。

「中国で、国旗の尊厳を損なう行為を禁じ愛国心を示すよう求める法律の改正案が可決されました。少数民族の伝統的な祝日でも国旗の掲揚が義務づけられるほか、香港でも関連する条例が改正されて適用される見通しで、中国政府としては国民の愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

改正された法律は来年1月1日から施行され、学校で国旗を毎日掲揚することや祝日には広場や公園など公共の場所でも掲揚することなどを求めています。

少数民族が多く住む自治区では民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚しなければならないと義務づけており、政府への反発が根強くある新疆ウイグル自治区などでも愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

さらに、法律では、これまで禁じていた破損したり汚れたりした国旗の掲揚に加えて、国旗を逆さまに掲げる行為なども禁じたほか、国旗を通じて国民に愛国の気持ちを表現するよう求めています。

今回の法律の改正を受けて、今後、香港やマカオでも関連する条例が改正され適用される見通しです。香港では、去年から続いた一連の抗議活動で中国の国旗を燃やしたり投げ捨てたりする場面もあり、中国政府としてはこうした行為に厳しく対処する姿勢を示した形です。」

 日本の国旗国歌法は、国旗国歌の定義を決めるだけで、国旗国歌の尊重義務もなければ、敬意表明を強制する条文もない。もちろん、日本国憲法下の刑法に国旗国歌侮辱罪などあり得ない。ただ、公務員である教員に対する起立・斉唱の職務命令が、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明行為強制の根拠とされている。(「外国に対して侮辱を加える目的でその国の国旗その他の国章を損壊した者に対する「外国国章損壊罪」はある)

国家主義・愛国主義の強制は、民主主義や人権の対立物である。スガ政権や、これを支持する人々にとっては中国の強権的国家主義垂涎の的であろう。中国とは対等の立場で友好関係を築かねばならないが、国民統制に便として、中国の強権性や国家主義を学んではならない。

中国・国慶節に思う今昔の感。

(2020年10月2日)
昨10月1日が国慶節であった。1949年10月1日、毛沢東が天安門で「中華人民共和国成立了!」と高らかに宣言したとき、北京の空は飽くまでも高く、飽くまでも青く澄みわたり、多くの人々が新しい歴史が始まると胸を躍らせた。ここから本当の「人民の国」ができるのだ、と考えたのだ。

それから70年余、曲折を経ながらも中国は経済的な発展を遂げた。しかし、偉大な「人民の国家」にはなっていない。強大な権力を握る党幹部と、強盛な大資本の支配する国になっているのが現実の姿だ。私も、かつては「人民中国」を人類の希望と考えていた。今思うことは、この大国はいつまで人権や民主主義の理念をを排斥し続けるのだろうか、という無念でしかない。

中国とは何であるか、香港の現状がこれをよく映しよく物語っている。昨日(10月1日)も香港でのデモが弾圧されている。おそらくは、ウィグルも、チベットも、内モンゴルも同様なのだろうが、あまりにも情報が少ない。下記は、6年前(2014年10月2日)の当ブログの一節である。むろん香港の事態は、当時に比較して遙かに深刻になっている。

香港は、1997年英国から中国に「返還」された。その際に50年間の「1国2制度」(一个国家两种制度)による高度の自治を保障された。99年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)がこれに続いている。

两种制度(2種類の制度)とは、建前としては「社会主義」と「資本主義」の両制度ということであったろう。しかし、1978年以来の改革開放路線突き進む中国を「社会主義」と理解する者は、当時既になかったと思われる。「市場的社会主義」とか「社会主義市場経済」とか意味不明の言葉だけは残ったにせよ、社会主義の理想は崩壊していたというほかはない。

結局のところ、「1国2制度」とは、「社会主義か資本主義か」ではなく、政治的な次元での制度選択の問題であった。一党独裁下にある人口12億の大国が、自由と民主々義を知った700万人の小国を飲み込むまでの猶予期間における暫定措置。それが「1国2制度」の常識的理解であったろう。

しかし、今や事態はこの常識を覆そうとしているのではないか。一国2制度は、大国にとってのやっかいな棘となっている。少なくとも、小国の側の意気込みに大国の側が慌てふためいているのではないか。「この小国、飲み込むにはチト骨っぽい。とはいえ放置していたのでは、この小国の『民主とか自由という害毒』が大国のあちこちに感染しはしまいか」。大国にとっても深刻な事態となっているのだ。

がんばれ香港。がんばれ若者たち。君たちの未来を決めるのは、君たち自身なのだから。

なお、中国の考え方については、浅井基文さんのブログが参考になる。ここに紹介されている、中国の独善と強権の論調には寒気を感じざるにはおられない。

https://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/index.html

浅井さんは、たとえばこう言う。

「社会主義市場経済」とは何ものであるかについて、(2019年)9月21日付の「求是網」は、南開大学マルクス主義学院教授の劉鳳義教授署名文章「社会主義市場経済の制度的優位性」を掲載しました。この文章は、「社会主義市場経済」とは何ものであるかに関する説明を行っており、私のような経済にずぶの素人でもそれなりに理解できる内容となっています。
私が刮目するのは、改革開放初期の中国は鄧小平流の「黒猫白猫」論のレベルにとどまっていましたが、今や理論的思想的に自らを定位しようとする高みを目指しているということです。もちろん、ケチをつけることは簡単です。しかし、社会主義市場経済の優位性に関する7点にわたる理論的主張を先入主なく吟味する価値はあるのではないでしょうか。

私には、とうてい「それなりに理解できる内容」とは思えないが、7点にわたる理論的主張の各項目と、7点目「中国共産党の領導」の全文を転載させていただく。なお、「ケチをつけることは簡単です」ということには、浅井さんに深く同意する。どこの国にも、権力におべんちゃらを惜しまない「学者」という者が存在するのだ。

<社会主義市場経済のメリットと優位性>
①人民の良好な生活に対する要求を満足することを社会主義的生産の根本目的とすること。
②公有制を主体とし、多種類の所有制経済の共同発展という基本的経済制度。
③労働に応じた分配を主体とし、多種類の分配方式を併存するという基本的分配制度。
④発展の理念を分かち合い、ともに豊かになる道。
⑤「効率的な市場」と「有能な政府」という両面における優位性の発揮。
⑥開放拡大と人類運命共同体構築推進。

⑦中国共産党の領導が社会主義市場経済の制度的優位性であること。
中国共産党の領導は中国の特色ある社会主義のもっとも本質的な特徴であり、また、社会主義市場経済の制度的な優位性でもある。中国共産党は一貫してもっとも広範な人民大衆の根本的利益を代表し、人民を中心とする発展思想を堅持し、人民の福祉の増進、人の全面的発展の促進、共同富裕に向かっての着実な前進をもって経済発展の出発点及び着地点としている。経済工作に対する党の集中統一領導を堅持することは、経済と政治の有機的統一を実現するのに有利であり、市場の活力を刺激し、経済の効率を高めることができるとともに、社会主義制度の優位性を発揮し、各方面の積極的要素を十分に引き出し、社会の公正正義を促進することができる。改革開放以来、我が国の経済及び社会が衆目の認める偉大な成果を実現し、人民の生活水準が大幅に向上することができたのは、我々が確固として党の領導を堅持し、各レベルの党組織及び党員全体の役割を十分に発揮させたことと不可分である。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2020. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.