澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

《嘘を平気で言う。ばれても恥じない》ー「橋下徹対野田正彰」訴訟 判決紹介

本年(2017年)2月1日付の、「橋下徹」対「新潮社・野田正彰」損害賠償請求事件、上告審の決定書を入手した。橋下から、新潮・野田医師に対する上告を棄却するとともに、上告受理申立も不受理とする三行半の決定。

その原判決が、大阪高裁第5民事部(中村哲裁判長)の2016年4月21日言い渡しの判決。このほどその判決書も入手し一読した。その内容は、紹介するに値するものである。

周知のとおり訴訟は公開で行われるが、その法廷外への公表においては、市井の人のプラバシー保護への十分な配慮を必要とする。しかし、本件判決において話題とされた事項は、政治家橋下徹の政治家としての資質に関する情報である。公的人物の公的関心事にかんする情報として、むしろ積極的に世に知らしむべき内容といってよい。

私は、問題となった雑誌記事はまったく読んでいなかったが、訴訟になったおかげで、野田医師の「誌上診断」と橋下の「病状」を知ることになった。訴訟提起の偉大な効果である。せっかくだから、判決を通じて、何が問題となって、裁判所がどのような理由で橋下の請求を棄却したのか、ご紹介したい。

控訴審判決は、事件の概要を次のようにまとめている。
「本件は、元大阪府知事であった被控訴人(橋下徹)が、精神科医である控訴人野田が執筆し、控訴人会社(新潮社)が発売した月刊誌『新潮45』平成23(2011)年11月号(以下「本件雑誌」という。)に掲載された「大阪府知事は『病気』である」と題する原判決添付の別紙記事(以下「本件記事」という。)によって名誉を毀損されたと主張して、控訴人らに対し、不法行為(民法719条・共同不法行為)による損害賠償請求権に基づき、連帯して、1100万円及びこれに対する不法行為日(本件雑誌の発売日)である平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
原審は、被控訴人の請求のうち、控訴人らに対し、連帯して、110万円及びこれに対する平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余は、理由がないとしていずれも棄却したことから、これを不服とする控訴人らが控訴した。」

この控訴審判決の主文は以下のとおり。
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 上記取消部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、1、2審を通じて披控訴人の負担とする。

つまり、橋下側から見て、一審では一部(請求額の10分の1)勝訴判決だったが、控訴審で逆転し全面敗訴となったのだ。

掲載記事のうち、原告が名誉毀損の言論と主張したのは、A~Dと符号をつけられた4カ所。一審判決は、その内C部分について違法を認めた。

名誉毀損とは、人の社会的評価を低下させることだが、ある言論が人の評価を低下させただけでは損害賠償の責任は生じない。違法な名誉毀損行為だけが責任を生じる。訴訟実務では、被告の側で当該の言論が、真実であるか、真実と信じるについて相当であれば、違法性は阻却される。

本件一審判決は、C部分について、真実であることの立証も、真実と信じるについての相当性の立証も足りないとした。控訴審判決はこれを逆転して、真実であることはともかく、真実と信じるについての相当性は認められる、としたのだ。

「C部分」とは、野田医師が橋下の高校時代のA教諭から得た、橋下の高校時代の行動についてのエピソードである。判決書きの中から拾えば、次のようなもの。
「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「目と目をあわせることができず、視線を動かし続ける。嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」「伝達、伝言のようでコミュニケーションにならない」「馬鹿にされていると敏感に感じるのか、見返そうとしているようだった」など。

控訴審判決は、「当裁判所は、被控訴人(橋下)の本件請求には理由がないからこれをいずれも棄却すべきものと判断する。」と結論した。その理由として、野田医師が、橋下の「教科のみならず生活指導や進路指導にも関係したA教諭」から本件記載部分Cのエピソードについて聴き取りをした経過を詳細に認定して、「C部分を真実と信じるについての相当性が認められる」としたのだ。

また、判決は、別人が「その取材活動で、Cと重なり合う、同様の事実、たとえば、『体育のバレーボールの時間などに失敗した子を徹底的に罵倒する』、『掃除の時間になるといつの間にかいなくなる』、『校内大掃除などみんなでやる作業も徹底して拒否する』、『約束も守らず友達も少ない』、『ラグビー部の練習をさぼるときに平気で嘘をつき、嘘がばれても全然気にしない』などの事実を得ていた」を認定し、「それぞれ異なる取材であったのに本件記載部分Cのエピソードと別件記事に係る上記内容とが重なり合っていた」としている。

確かに、裁判所の認定は、野田医師の記事の真実性ではなく、相当性(真実と信じるについての相当性)ではある。しかし、ことの性質上、厳密な意味での記事の真実性立証は不可能に近い。本件での相当性の立証は、実は真実性の立証に近いものと言って間違いでない。

野田医師の、橋下に対する「診断」名は「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」という精神疾患であった。関係者に取材して情報を集めての誌上診断であるのだから、臨床診察による診断ではない。また、収集された情報は厳密に立証された事実とも言えない。しかし、それに代わる高校時代の橋下の教師の証言を得るについての真摯な姿勢は、判決が認定しているところである。

そのような真摯な姿勢で野田医師が収集した、「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」などは、政治家の資質に関わる重要なエピソードではないか。

その意味で、野田医師の記事は社会的に極めて有益な情報なのだ。政治家の名誉を毀損するものとして、これを軽々に違法としてはならない。違法とする判決によって貴重な情報をシャットアウトしてはならない。

「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」などという指摘には、橋下に限らず、思い当たる政治家の顔が、いくつも浮かんでくる。

厚顔な輩に負けてはおられない。野田医師も新潮社も、萎縮することなく有益な情報提供を続けていただきたいと願う。先日まで、被告業を余儀なくされていた者として、連帯の意を表明する。民主主義の前進のために。
(2017年2月6日)

『政界三悪党』(自・公・維)の揃い踏み

親分<自民・駄右衛門>

問われて名乗るもおこがましいが
その名もゆかしき「自由」と「民主」
企業と強者の「自由」を唱い
選挙がすべてで、勝てば官軍の「民主」主義。
水清ければ魚棲まず
汚濁のこの世を立ち回り
利権を漁って肥え太り
危ねえ橋も乗り越えて
人の定めは五十年
もはや六十の坂を越えて
六十余州に隠れのねえ
悪名とどろく
賊徒の総元締め 自民駄右衛門。

出自をたどれば玉石の
戦後の保守の寄せ集め
次第に戦犯はば利かせ
官僚これに追随し
改憲目指して六十年
いまだ悲願はならないが
せめてバクチは解禁し
賊徒の大義を顕わさん。

 
一の子分<公明・下駄小僧雪之助>
知らざあ言って聞かせやしょう
話せば長いことながら
我が身は法蓮華経の申し子で
王仏冥合実現の努めを担って人となり
政教分離に敵対の
憲法違反と叩かれて
忍ぶ姿も傷ましく
あまたの言論出版妨害の
悪名背負った幾星霜。
ついには、世論の糾弾を
自民駄右衛門に助けられ
以後はこの親分には逆らえぬ
哀れなこの身となりはてぬ。

駄右衛門親分の子分に加えていただいて、
「どこまでもついて行きます」と
おかしら忠義の下駄の雪。
かつては「平和」の「福祉」のと
理想を語ったこともある。
今じゃ、親分の言いなりで
「右と言われれば、まさか左とは言えない」ていたらく
与党の蜜を吸い続け
ズッポリはまった悪の道
いまさらに足抜けできぬがこの世界の掟。

バクチ解禁法案は
賛成すれば、義賊の化粧がはげ落ちて
反対すれば、かしらの怒りを忍びかね
アチラを立てればこちらが立たぬ
ここが思案のしどころで、
両方の顔を立てての自主投票。
小細工あたらず、もしや両者の機嫌を損ねたか。
あっち見こっち見、優柔不断、二股膏薬の
下駄小僧雪之助。

 
二の子分<維新・ポピュ太郎>
さてどん尻に控えしは
政界三悪党の新参で
庶民泣かせの法案を
自民に加担で押し通す
その名も「維新・ポピュ太郎」

以前を言やあ大阪で
八百八橋を股にかけ
薄汚い人の心根に付け込んで
闇のホンネを引き出した
弱い者イジメの政治が大ウケで
地方政治を乗っ取った
あのおもしろみを忘られず
今度は国をねらっての
重ね重ねの大ばくち。

自民は風除け必要で
公明抱き込む戦略で
自公政権の悪だくみ。
オレから見りゃあ、生温い。
自民を右から引っ張って
自民の悲願の改憲を
オレの力で助けると
ここは恩のウリどころ。

大阪万博夢洲での賭博開帳のそのときは
大金儲けるバラ色の夢をばらまいて
がっぽりゼニを巻きあげる
あとは野となれ山となれ
恥を知らない
ワイが維新・ポピュ太郎だ~。

 

〈議会の三悪党〉
我等三人団結し、切磋琢磨でがんばれば
庶民の願いを蹂躙し、
なんでも実現できそうだ。

年金カットにTPP
賭博の解禁だけでなく
労働法制締めつけて
元気に原発再稼働
産軍学の共同も
海外派兵や武器輸出
沖縄新基地押し進め
悲願の憲法改悪も
けっして夢ではなくなった。
韓国見てればたいへんだ。
民衆決起は恐ろしい。
幸い日本の民衆は
欺され方がお上手だ。

さあ、今日も悪政に精出すぞ。
ぼくらは「悪・党」三人組。
(2016年12月14日)

維新の、おまえも相当のワルよのう。いや、自民の親分ほどではおまへん。

自民の親分。目出度いことでおますな。いよいよ、ワイら極道の時代の幕開けやおまへんか。

おう。維新の代貸しか。まだ、はしゃぐのは早い。世間の目は冷たいぞ。もう少し、目立たぬようにしておかんと、世論という化け物に足をすくわれかねん。用心に越したことはない。

せやけど、嬉しゅうてなりませんのや。このところ、やることなすことうまく行かんで、頭を抱えていたとこでんねん。そこに久々の朗報や。賭場開帳のお墨付きに、地元の極道や博徒の連中は大喜びでっせ。

そんなにはやまってはいかん。はやまってはいかんが、ここまで来たからにはもう一押しで大丈夫だろう。あんたのところには、ずいぶん貸しを作ったことを憶えておいてもらおう。

そら、よう分かっていまんがな。せやけど、貸し借りはお互いさまでっせ。ウチの組の力あっての法案通過やおまへんか。親分のところも、これで大儲け間違いなしや。

こんな修羅場には、公明の組がどうもたよりにならん。法案賛成なのか反対なのかふらふらしおって、最後は自主投票だと。結局は敵前逃亡じゃないか。

そやさかい、これからは、ウチの組ともっと仲ようしてもらいまひょ。選挙のときには、持ちつ持たれつということであんじょうたんまっせ。

とはいうものの、あっちの組を袖にするのも痛し痒しだ。仁義と任侠のこの業界、世話になった分だけ、きっちりと仮は返すということは心がけんとな。

親分、意外にソロバンお上手やな。今回はウチと組んだが、明日以後は公明の組との天秤というわけやな。そない、ホンネを言うてもろうた方が話が早い。

腹を割って話せば、そのとおり天秤さ。政権与党の旨味を分けてやれるのがウチの組の強みだ。すり寄って尻尾を振ってくれる方が可愛いのは当たり前だろう。

親分とこの悲願は憲法改正や。公明は、支持者との関係で、なかなか改憲には踏んぎれへん。そこいくと、ウチの組は憲法改正にたいしたアレルギーはおまへん。儲かりさえすれば取引可能や。防衛予算拡大も、教育基本法再改正も、TPPも、福祉の削減も取引材料や。沖縄基地建設強行も結構でっせ。一緒になって、「土人」の反対を潰しまひょ。

そいつぁ心強い。その言葉は、公明の組で番を張っている幹部連中によく聞かせてやろう。そうすりゃあ、あっちも背に腹は代えられないところだろう。

せやけど、今回は親分よう決断しやはりましたなぁ。アッという間の、委員会採決。腹をくくらにゃ、なかなかできることではおまへんで。

そうよ。反対運動が盛りあがらないうちの手際のよい採決。もうすぐ12月8日だが、あの奇襲作戦を真似たのさ。卑怯と言われようとも勝てば官軍。法案通しての政権与党だ。

審議たったの6時間での委員会採決やから、ホンマにあっという間でんな。見事なもんや。たいした強行採決や。

おや、口は謹んでもらいたい。うちの組は、これまで強行採決など一度もしたことはなく、考えたこともない。

よう言わはるね。その辺のシンゾウがたいしたもんや。

世の中、甘くはない。刑法は賭博を禁じているし、最高裁判例も賭博がなぜ犯罪かの理由を詳しく述べている。そんな時代を終わらせて、俺たち極道が堂々と賭場を開帳できる時代がようやく来ようとしている。

ありがたいのは、マスコミの反対理由や。「景気や雇用回復に役立つのか」「反社会的勢力に利用されないか」「治安が悪化しないか」というレベルの疑問の提示で、賭博そのもの絶対悪だと切り込んでいないことや。

そうよ。そんな程度の懸念ならいくらでもごまかしが可能だ。世間の関心は何よりも景気回復だ。儲かりさえすればなんだってよいというのが、資本主義じゃないか。どうしてこんな当たり前のことが、頭の固い連中には分からないのかね。

アメリカでも、ヨーロッパでも、きれいごとを言ってる連中は、このごろ顔色おまへんな。橋下徹の登場にしても、アベ政権にしても、日本はドゥテルテやトランプの先を行っていたわけや。

「賭博は何も生まない。お互いが、他人の損を自分の利得にしようと争うだけのもの」というのは、見方が浅いな。何よりも、莫大がカネが動くという経済効果が大きい。賭場は儲かる。利権のあるところ、政治家のフトコロにも大金がはいる。結構なことではないか。

賭博は人の本能に根ざしているんや。これを封じ込めてはあかん。無理はアカンのや。

「日本のギャンブル依存症患者は海外と比べても多い」とか、「厚生労働省研究班の調査では、依存症が疑われる成人は全体の5%弱の536万人と推計される」とか言われているが、これは自己責任。どうな政策にも、光だけでなく影もあるさ。

せやせや、そのとおり。うちの組は、何が何でも25年大阪万博誘致で大儲けをしたいんや。万博候補地の人工島にカジノは不可欠や。そのための、親分への貸しや。この思惑で、政治資金もたんまり期待できるし。なんたって、ウチの組と親分のとこが組めば、なんでもできる。数は力や。力はカネや。

維新の、おまえも相当のワルよのう。

いやいや、とうてい自民の親分ほどではおまへんで。
(2016年12月3日)

「土人」「シナ人」よう言うた。「出張ご苦労様」や。

松井一郎や。これでも、府民の人気で立っている大阪府知事。
ああ、確かに言うたがな。おとつい(10月19日)の夜や。ツイッターでな。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」や。そのとおりやんけ。

そりゃあ、「土人」も「シナ人」も、言われた方は怒るわな。翁長はんが湯気立てて抗議をするのももっともやで。けどな、それも立場の違いや。翁長はんは翁長はんの立場で怒ったらええ。わいはわいで府民の立場で、警官を弁護せなならんのや。

こないだ民進党の蓮舫に、「行革は我々の原点。『まがい物』のようなところに持っていかれてはいけない」と、維新が「まがい物」扱いをされたやろう。これに対して、「どっちがまがい物なのか。『偽物』にまがい物と言われとうない」と言い返したった。ああ言いかえさなアカンのや。沖縄県民に大阪の機動隊員がポロカスに言われたら、言いかえさなアカン。言い返しにバッシングあったら、擁護せなアカンのや。

政治家は人気商売や。維新はとりわけそうなんや。口にはせんものの府民がホンマのところ何を考えているかを読まんなならん。タテマエばかりで行儀ようしていたら、たちまち見捨てられる。オモロイこともようけあるけど、所詮は因果な商売や。前任の橋下かてそうや。「風俗活用せえ」て、あんなこと言い続けて目立たなアカンのや。アメリカのトランプやて、そうやろ。あれだけ、突っ張っているからここまで持ちこたえてんのや。

大阪人の気質てのはこうやな。ひとつは東京への対抗心や。敵愾心いうてもええ。これが地元限定タイガース人気の秘密や。対東京・対中央の叛骨。もう一つは、第中央意識の地方見下し優越感や。この二つの感情を、いつも勘定に入れて、算段せなアカンのや。

今回は、本土意識で沖縄への差別感がもろに出てきたんや。突発的なことやあらへんし、きれいごとではおさまらん。タテマエだけで差別発言は許されんなどと言ってはおられんのや。そんな様子を見せたら、途端に維新の人気はがた落ち、府民から見離される。多くの府民の心の奥にあるどろどろとした感情を上手にすくいとらねばならんのや。

だから、昨日(10月20日)も記者団に「沖縄の人の感情はあるので言ったことには反省すべきだと思う」とタテマエを言いつつも、「そのことで(警察官)個人を特定され、あそこまで鬼畜生のようにたたかれるのはちょっと違うんじゃないか。相手もむちゃくちゃ言っている」とゆうたとおり、警官の肩をもたなならんのや。

しかしや、若い大阪の機動隊員が「ぼけ、土人が」「帰れ、シナ人」などとは、よう言うたもんやな。なんと言えば、相手を侮辱することができるのか、日ごろから考えておったんやろうな。「ぼけ、沖縄県人が」「ぼけ、琉球人が」「ぼけ、ウチナンチューが」では悪口にならへん。相手の胸に突き刺さらんのや。「土人」は、単なる未開野蛮の一般名詞やあらへんで。戦前のアイヌや、占領した南方諸島の人々に対する固有の歴史にもとづく立派な差別用語や。一億総差別主義に浸った大日本帝国臣民とその末裔に根強く残る差別の語感を見事に表現して、相手を侮辱する言葉になったんや。「おまえんとこは、日本やない。未開の蛮地やんけ。その未開のボケの土人がえらそうなことを言うな」というわけやな。これをつづめて「ぼけ、土人が」。見事なやっちゃ、あっぱれなやっちゃ。ほとぼり過ぎたら、大阪府民栄誉賞を考えんないかんとちゃうか。

「帰れ、シナ人」は、もっと政治性の高い発言やな。日本の仮想敵国に中国があって、中国の大国化が日本の脅威で、そのための日米安保強化が必要で、安保のための辺野古と高江だ。それを妨害する奴らは、中国の手先に違いない。さすが大阪府警の機動隊員。ものごとを深く見ているやん。なんてったって本土を守るための沖縄の基地や。四の五の言わずに、沖縄はみあいのカネだけもろうて基地の建設に協力すればええやんか。それに楯突く沖縄県民は中国の手先や。だから「帰れ、シナ人」。整然たる論理やんか。沖縄差別と中国差別を兼ねたダブル差別。

でもな。本音を言えば、こんなことになっているのはアベ内閣の責任や。本当の責任者が口を拭って涼しい顔をしてはるのはおかしいんやないか。これは、大阪対沖縄の戦闘とはちゃうが、明らかに大阪府民と沖縄県民の衝突や。こんな具合に衝突させている元凶は、アベさんあんたの無策や。失敗や。そのとばっちりを沖縄と大阪が受けている。

それを他人事と知らん顔とは、殺生やんか。ええ、アベ晋三はん。

それとももしや、この大阪府警機動隊員の差別発言が大きな話題となって、辺野古だけでなく、高江で何が起こっているのか、世間の耳目を集めたことを苦々しく思ってはると言わはんのかね。
(2016年10月21日)

大阪維新は改憲政党である

おおさか維新の会が、「2016年参院選マニフェスト」を公表している。
その公約集のタイトルが、「維新が変える。改革メニュー13」というもの。そのメニューの第1が、驚くなかれ「憲法改正」なのだ。もっとも、アベ自民の改憲草案と同工異曲では埋没するのみ。独自色がないはずはない。総論でのメニューには「憲法改正による教育無償化、道州制実現を含む統治機構改革、政治家改革」と書いてある。これが、トップに掲げられた公約である。

そこで、具体的な改憲内容に興味が湧くことになる。「教育無償化」と「道州制」についてはイメージが湧く。しかし、憲法改正のテーマとしての「政治家改革」ってなんだろう。

ところがマニフェストの具体的項目に目を通して見ると、次の3項目となっている。
(1) 教育の無償化
(2) 道州制実現を含む統治機構改革
(3) 憲法裁判所の設置
あれあれ。メニュー1の憲法改正による「政治家改革」はどこに行っちゃったの?

この(3)の「憲法裁判所の設置」は、「(2) 道州制実現を含む統治機構改革」の一部をなすものだろう。「政治家改革」という言葉は、メニュー2の「身を切る改革・政治家改革」の中にはある。しかし、当然のことだが憲法改正と結びつく内容としては語られていない。メニューのトップに置かれた「憲法改正による政治家改革」は文字通りメニューだけ。料理としては出てこない。

要するに、このマニフェストは真面目に読む有権者の存在を想定していない。メニューのトップに掲げた「憲法改正」問題についてこのありさまだ。相当ないい加減感覚で作成されたものというほかはない。これが、この政党の政策レベル。真面目さレベル。以下、まともに論評することに徒労感がつきまとう。

もちろん、「教育の無償化」という政策が悪かろうはずはない。しかし、維新の公約のキモは、「教育の無償化」を改憲と結びつけているところにある。これは「甘い罠」といわねばならない。気をつけよう、「甘い政策とおおさか維新」なのだ。

マニフェストの当該部分は、「すべて国民は、経済的理由によって教育を受ける機会を奪われないことを明文化。」「機会平等社会実現のため、保育を含む幼児教育、高等教育(高校、大学、大学院、職業訓練学校等)についても、法律の定めるところにより、無償とする。」という。これが全文。

「教育を受ける機会を奪われないことを明文化」とは、憲法に明文規定を置くという意味だろう。そして、憲法に「法律の定めるところにより、無償とする。」という条文を設けるという趣旨なのだろう。しかし、そんな迂遠な手間ひまをかける必要はない。憲法改正手続を待つことなく、すぐにでも教育無償化法案を提出すればよいことだ。予算はたいしたことはない。F35とオスプレイの買い付けをやめ、辺野古新基地建設を断念してその費用を転用するくらいで、十分ではないか。それで足りなきゃイージス艦も要らない。要はプライオリティの問題なのだ。

現行日本国憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めている。その子どもの教育を受ける権利に対応する義務の主体は、「社会全体 (大人一般)」とされている(旭川学テ大法廷判決)。もちろん、「社会全体 (大人一般)」とは政府も議会も含む概念だ。「経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」ことこそ、現行日本国憲法の現代憲法としての面目である。憲法改正をしなければ実現しない課題ではないのだ。

憲法改正を要しない政策課題をことごとしく憲法改正テーマとして押し出す維新の底意はどこにあるのか。アベ改憲志向政権へのスリよりである。改憲という重要テーマを軽く見せることで、政権に秋波を送っているのだ。「憲法改正なんぞはたいしたことではない。安倍自民党の改憲提案を拒絶しませんよ」というシグナルでもある。

道州制については、もう言い古されてきた。地方自治強化の名で、実は国の福祉機能と責任を切り捨てる新自由主義政策の目玉の一つである。福祉を切り捨てて法人税軽減の財源とすべしという財界による財界のための政策。

そして、統治機構改革としての「憲法裁判所」。
「政治・行政による恣意的憲法解釈を許さないよう、憲法裁判所を設置する」という。マニフェストには掲載されていないが、報道では「12人の裁判官で構成し、一審制とする」という。憲法裁判所は、具体的争訟とは無関係に法令の合違憲適合性の審査権を持つ裁判所をいう。うまく機能すれば、「政治・行政による恣意的憲法解釈を許さない」役割を果たすことになる。しかし、その反対に、「立法や行政に、迅速に合憲のお墨付きを濫発する」機関にもなりかねない。実はアベ政権が喜びそうな改憲案なのだ。

ドイツや韓国ではかなりうまく機能しているようだが、果たして日本でも適正な運用が期待できるかどうか。私は懐疑派である。この点慎重を要する問題というほかはない。

以上の憲法問題だけからも、おおさか維新の基本的な立ち位置が見えてくる。政権に擦り寄りながら票を集めねばならない、ということなのだ。

かつては「みんな」や「維新」を第三極といった。この表現には、政権与党と野党の対立軸とは、別の平面に位置しているという持ち上げのイメージがある。今、それはない。注目すべきは、維新自身が、政策の独自性発揮に苦労を隠していないことである。

マニフェストに「維新は他党とここが違う」という1項目が設けられている。わざわざ、そう言わなければならない苦しさが滲み出ている。しかも、そこに掲げられている表をよく見ても、他党との違いは見えてこない。

自らつくったこの表は、「民共」を左欄に、「自公」を右欄において、その中間の「維新」の政策が、左右の欄の政策とどう違うかを際たせようというもの。この表を見ると、「民共」対「自公」の対立はよく見えてくる。しかし、維新の独自性はよく見えない。目立つ独自政策は、あっけらかんとした「TPP賛成」くらいではないか。この点は新自由主義政党としての面目躍如というべきだろう。とても、全国で有権者の支持は得られまい。

たとえば、毎日が松井一郎について、こう言っている。
「初の大型国政選挙に挑むおおさか維新の会は憲法改正に賛成し、安倍政権には是々非々の立場。『自公』対『民共』が注目される中、いかに埋没を防ぐか。橋下徹前代表の政界引退で、『党の顔』としての重責を背負う」
これが、維新の今の立場をよく表している。要するに、票を取ろうと思えば、政策は『民共』に似てこざるを得ないし、さりとて「自公」に擦り寄るメリットは捨てられないし…。喜劇のハムレットなのだ。早晩消えゆく政党ではあるが、消えるまでに改憲の土台を整備し、改憲ムードという遺産を残されたのではたまらない。

赤旗は辛辣だ。
「『身を切る改革』を参院選の公約の1番目に掲げる、おおさか維新の会。一方で、母体となる地域政党・大阪維新の会の議員による政務活動費の不正支出は後を絶ちません。
 たとえば、堺市の小林由佳市議は、印刷や配布の実態がない政策ビラの代金などに計約1040万円を支出。返還をめぐって訴訟にまで発展しています。北野礼一元堺市議は、ゴルフコンペの景品購入代などに約1050万円を支出し、辞任に追い込まれました。
 大阪市の伊藤良夏市議は、トヨタの高級車「レクサス」の購入費の一部に政務活動費を充てていました。
 言行が一致しないのは、政務活動費の問題だけではありません。
 兵庫県議会で維新は、一昨年末に期末手当(ボーナス)を引き上げる議案に賛成しました。神戸市議会でも同年、議案の共同提案者となってまでボーナスを引き上げました。
 『退職金をゼロにした』と訴える松井一郎代表(大阪府知事)も、実際には廃止分を毎月の給与に上乗せし、総額で348万円も給与を増額させただけです。
 政党助成金についても、『必要経費』と言って手放しません。
 選挙のたびに『身を切る』と叫んで政治家としての『身分』を守り、公約をほごにして税金で身を肥やす。これが、おおさか維新の会が唱える『身を切る改革』の実態です。」

おおさか維新に集まる連中の質の低さは、赤旗が指摘するとおりである。問題議員はもっともっと多くいる。それが、この党の抱える本質的問題と言ってよいかどうかは分からない。しかし、おおさか維新は政党助成金をぬくぬくと受領し、けっして政党助成金の制度廃止を言い出さない。このことだけで、身を切る改革の本気度を信じることは到底できない。

こんな不誠実な政党への支持は、多くの有権者にとって自らの首を絞めることと強く警告せざるを得ない。だから申しあげる。「およしなさい。おおさか維新への投票」。
(2016年7月2日)

「足立康史もおおさか維新も、あほじゃないか。あほです。あほ」

品のない表現で恐縮だが、我慢してお読みいただきたい。

「足立康史もおおさか維新も、あほじゃないか。あほです。あほ」「安保法が合憲だと胸を張っているのは、あほじゃないか」「こんな議員も政党も日本の恥だ。あほ、ばか、どうしようもない」「もし、議員や所属政党に不愉快な思いをさせたとすれば陳謝する。しかし、私の発言に事実誤認は見当たらない」「私の発言を取り上げて名誉毀損だの侮辱だのというのは単なる嫌がらせだ。そのような嫌がらせの言論自体が、違法というに値する」

以上は、足立康史の衆議院総務委員会発言のパロディである。原発言の「民進党」を「おおさか維新」に置き換え、「足立康史」をくっつけただけ。これが、飲み屋のカウンターではなく、国会審議の場での発言であるから驚く。まさしく、足立こそは「議会の恥、日本の恥。民主社会の恥」である。そして、大阪9区の恥でもあると言えよう。

足立の地盤大阪9区は府の北部、北摂といわれる地域。池田市・茨木市・箕面市・豊能町・能勢町である。足立は2012年選挙で日本維新から出馬して風に乗り当選している。このときの得票率が39.8%。前回14年選挙では、自民(公明推薦)候補に当選を譲ったが、それでも39.5%の得票を得て比例復活を果たしている。私は少年時代を南河内で過ごしたが、北摂けっしてアホな地域ではない。池田・茨木・箕面・豊能・能勢、この辺りはむしろ教育水準が高いというイメージがある。その土地のイメージに全くそぐわない、粗野でアホというしかない議員を選出していることが不思議というほかはない。

もう、そろそろ不毛な「維新」劇の幕を引く時期ではないか。足立の「あほ発言事件」は、おおさか維新の賞味期限終了のピリオドとして記憶されねばならない。9区がこの次の選挙でまた足立を通すようなことになれば、池田・茨木・箕面・豊能・能勢の「有権者があほじゃないか。あほです。あほ」と言われることにならざるを得ない。

安倍周辺にもひどい議員が少なくないが、足立康史のひどさは際立っている。違法を重ねて恥じないのだ。

私のブログでも昨年3月に一度足立を取り上げている。こちらは厚生労働委員会の質疑の中で、脈絡もなく「自分の秘書に残業代支払わない」宣言をしたことを批判したもの。これを再掲しておきたい。

議会というところは、諸勢力、諸階層、諸階級の代表が、それぞれの利益を代弁してせめぎ合うコロシアムだ。有権者は、どの政党、どの議員が自分の味方で、敵は誰なのかを見極めなければならない。多くの政党や議員が、騙しのテクニックに磨きをかけて、庶民の味方を装う。「オレオレ詐欺に引っかかってなるものか」という、あの細心の注意による見極めが必要なのだ。

時にホンネが語られることがある。ついつい議員の地金が出る。メッキがはげ、衣の下から鎧が見える。これを見逃してはならない。

その典型例が、昨日(2015年3月25日)の衆議院厚生労働委員会での、維新の党足立康史議員の発言。これは、維新の党が誰の味方で誰の敵であるかを、よく物語って分かり易い。同時に、維新の党のレベルの低さを物語る点でも興味深い。

共同配信記事は以下のとおり。短いがまことに要領よく事態をとらえたもの。
「維新議員、秘書残業代不払い宣言 『労基法は現実に合わない』
 維新の党の足立康史衆院議員(比例近畿)は25日の厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。
 足立氏は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
 取材に対し『労基法は現実に合っておらず、見直しが必要だ。議論を喚起するために発言した』と述べた。」

「ふざけるな」と言いたいのは、まずは未払いの残業代を請求している元秘書氏だろう。そして、おそらくは現役の同議員秘書氏もだ。うかうかしていると残業代を含めた未払い賃金の請求権は2年で時効になる。早めに手を打っておくことをお勧めする。

それだけではない。すべての労働者が「足立議員よ、フザケルナ」と言わねばならないし、法による秩序を大切に思うすべての国民が「維新の党よ、フザケルナ」と言いたいところだ。私は、法による秩序すべてが守るに値するという立場ではない。しかし、社会法の典型として弱者を保護する労基法は厳格に遵守されねばならないことは当然だ。仮に、法改正を要するとの意見を持っていたとしても、現に存在する法規に違反することは許されない。この維新議員、恐るべき法感覚と指摘せざるを得ない。

いうまでもなく、残業には割増分(25%)を付した賃金を支払わなければならない(労基法37条)。その支払いを拒絶することは犯罪に当たる。刑罰は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金である(労基法119条1項)。足立発言は、国会と公の場での犯罪宣言にほかならない。足立議員は、告発され厳重に処罰されてしかるべきだ。

念のためにユーチューブで彼の質問を聞いてみた。「自分はこういう労働基準法を改正するために議員になった」とまで言っている。臆面もなく、強者の側に立って、弱者保護の法律をなくしてしまおうという使命感。こんな議員、こんな政党に票を投じることは、多くの人にとって自分のクビを締めることになる。

なるほどこれが維新の役割なのだ。この維新の議員は、「残業代ゼロ法案」を提案している悪役・政府与党の政務三役までを品良く見せている。こんなお粗末な手合いが、維新の党を作り、議員になっているのだ。民主主義の堕落というほかはない。

この足立という議員。2012年の総選挙では、陣営から選挙違反の逮捕者を出している。投票呼びかけの電話作戦を担当した女性運動員3人に時給約800円の報酬を支払う約束をしたという被疑事実。維新全体がそうだが、コンプライアンス意識に大いに問題あり、なのだ。

足立には「ブラック議員」というネーミングが、まことにふさわしい。ブラック企業、ブラック社長、ブラック選対だけではない。ブラック政党、ブラック政治家、そしてブラック政権だ。この世にブラックが満ちている。

議会内のブラックは、選挙で一掃する以外にない。まずは、7月参院選からである。参院選に足立は出ないが、おおさか維新には批判の意思を表明しうる。
(2016年4月9日)

人権侵害アンケート実施の張本人橋下徹の個人責任追及を

下記は、本日(3月26日)「赤旗」1面の記事。
「大阪高裁 大阪市に賠償命じる
橋下徹前大阪市長による市職員への憲法違反の「思想調査アンケート」(市職員への労使関係アンケート調査)で「精神的苦痛をうけた」として、職員とOB計59人が市に1900万円余りの賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、大阪高裁でありました。田中敦裁判長は、一審大阪地裁に続いて、アンケートの一部を違憲と断定。大阪市に賠償を命じました。賠償額は一審判決の1人6000円を変更し5000円としました。
 田中裁判長は、アンケートの四つの設問について、団結権(憲法28条)やプライバシー権(同13条)を違法に侵害したと断罪。一審で団結権侵害が認められた組合費の使い道の設問については侵害にあたらないと判断しました。橋下前市長には、アンケートが職員の権利を侵害しないよう確認する注意義務があったのに違反したとして損害賠償を認めました。
 判決後の記者会見で、弁護団の西晃事務局長は「アンケートが憲法に抵触する内容を含む違法な公権力の行使であったと明確に判断された勝利判決だ。市は上告することなくこの判決を受け入れてほしい」と話しました。
 原告団長の永谷孝代さん(60)は「みなさんの励ましの中でたたかってきて本当によかった。職員が働きがいが持てない職場の状況、市民が苦しむ市政が続くなか、みなさんとともに大阪市が良くなるように運動していきたい」とのべ、大阪市役所労働組合(市労組・全労連加盟)の田所賢治委員長は「憲法守る市役所づくりのために引き続き奮闘する」と話しました。」

他紙の報道では、「アンケートは組合の「政治活動」を問題視した橋下市長(当時)が、職務命令で回答を義務づけて実施。」「昨年12月に組合5団体と市職員29人が原告となった同様の訴訟で、大阪市におよそ80万円の賠償を命じる市側敗訴の大阪高裁判決が確定している。」「今回の判決も上告なく確定する模様」とのこと。

同業者として恥ずかしい限りだが、この件には弁護士が深く関わっている。この違法アンケートを強制した責任者である当時市長の橋下徹が弁護士。そして橋下からの依頼で「特別顧問」となり違法アンケート実施の実務を担当したのが野村修也、やはり弁護士である。権力に対峙して人権を擁護すべき弁護士が人権侵害の側にまわっているのだ。

事件は2012年2月のこと。大阪市は、職員およそ3万人を対象に労働組合の活動への参加や、特定の政治家を応援する活動経験について記名式のアンケート調査を行った。しかも、「このアンケートは任意の調査ではありません。市長の業務命令として、全職員に、真実を正確に回答していただくことを求めます。」「正確に回答がなされない場合は処分の対象となりえます。」と述べて、従わない場合は処分もあり得ることが明示されていた。公権力による思想表白強制といわざるを得ない。常軌を逸しているというほかはない。

当時、この橋下流の乱暴に世論の批判は高く、「このような被告職員の人権を著しく侵害する本件思想調査に対して、労働組合や法律家団体、広範な市民から激しい抗議がなされた。その結果、本件思想調査回答期限後の2月17日、野村修也は、データ開封作業や集計などを「凍結」することを表明せざるを得なくなった。また、同月22日には、大阪府労働委員会が、大阪市労働組合連合会らの実効確保の措置申立てに対して、市の責任において、本件思想調査を中止するよう異例の勧告を出した」(訴状)

そのため、結局は集めたアンケートの回答は未開封のまま廃棄されたが、これで納得しない職員の2グループが、訴訟を提起した。2件の訴訟ともに、職員らが原告となってアンケートの回答強制が人権侵害の憲法違反だとするもの。特定の公務員の故意または過失にもとづく違法な公権力の行使があって、その結果損害が生じたとする国家賠償請求訴訟である。両事件とも、1・2審を通じて、大阪市の敗訴となった。

2件の訴訟はこれで確定する。大阪市は原告らに損害を賠償することになる。ということは、市長の違法行為によって、市が損害を被るということだ。実はその損害の範囲は、必ずしも判決で命じられた賠償額にとどまらない。違法なアンケート調査にかかった費用、たとえば特別顧問野村修也への報酬など、が因果関係ある損害たりうる。余計な紛争の処理に要した費用も同様である。市が不当労働行為救済申し立てや、損害賠償請求訴訟に対応するために出費したものについても、市長の違法行為による損害となり得る。

判決を読む機会に恵まれていないが、判決では、大阪市の公権力行使が違法というだけでなく、市長の故意または過失が明確になったはず。ならば、市長の責任が問われなければならない。具体的な手段は、監査請求前置の住民訴訟である。

国立市に好個の参考事例がある。マンション事業者の明和地所が、国立市の違法な公権力行使によって損害を被ったとして国家賠償訴訟を提起し、2500万円の請求を認容する判決が確定した。市は明和地所に対して遅延損害金を含む賠償金を支払ったが、市民のなかから「市長の違法行為によって、市に損害が生じたのだから、市は当然に元市長に損害分を求償すべきだ。市長は市の損害分を個人で負担すべきだ」というグループが現れて、監査請求を経て原告となり東京地裁に「国立市は、明和地所に支払った損害賠償金と同額を元市長個人(上原公子)に対して請求せよ」との判決を求める住民訴訟を提起した。住民が原告となり、被告は元市長という訴訟である。

東京地裁はこの請求を認容する判決を言い渡し確定した。国立市は、判決にしたがって、元市長に請求したが、拒絶されて元市長に対する損害賠償請求訴訟を提起した。今度は、原告が市、被告は元市長という訴訟である。

その一審判決直前に国立市議会は元市長に対する賠償請求権を放棄することを議決している。一審判決はこれを踏まえて、「国立市議会が上原公子元市長に対する賠償請求権の放棄を議決しているにもかかわらず、現市長がそれに異議を申し立てることもせず、そのまま請求を続けたことが『信義則に反する』」として、国立市の請求を棄却するものとなった。市の債権がなくなったとしたのではなく、議会の債権放棄の議決によっても債権が存続することを前提として、請求を信義則違反としたのだ。なかなか分かりにくいところ。

ところが、控訴審継続中に議会の構成が逆転して、求償権の行使を求める議決が可決される事態となった。これを受けて、控訴審判決は一審とは逆に請求を全部認容するものとなっている。

国立市の事例と同様に、違法なアンケート調査によって大阪市に損害を与えた橋下徹の責任追及は、元市長橋下徹に対しても可能ではないか。大阪市の住民であれば、誰でも原告となれるのが住民訴訟だ。大阪在住のどなたかに、具体化していただきたいものと思う。

なお、大阪市議会の定数は86。与党である「大阪維新の会」の議員数は37である。幸いに半数に達していない。しかし、あと7人を語らえば、債権放棄決議が可能となる。議会の決議で、違法な市長の責任を免じることの不当は明らかというべきではないか。
(2016年3月26日)

維新の正体が見えたー戦争法成立に手を貸す維新に批判を

維新とはなんであろうか。
自民を見限って民主に期待し、民主にも裏切られた保守層の期待幻想が紡ぎ出した虚妄である。半自民、反民主ではあるが、自らの中にプリンシプルを持たない。だからまとまりはなく、一貫した政策もない。全員が一色ではなかろうが、全体としては、世の風向きを読むことに敏感で、自己保身の遊泳に精一杯なだけの、政治世界の盲腸のようなもの。

その盲腸、場合によっては虫垂炎を起こす危険な代物となる。虫垂内部で細菌が増殖すると、膿瘍を形成し穿孔し腹膜炎を起こして重症化する。対処を誤ると、局所症状に留まらず重篤な全身症状となって死に至ることさえもある。起因菌が増殖を始めた盲腸は早めに摘除しなければならない。

今まさしく、維新が危険な盲腸として炎症を起こしつつある。維新が、戦争法案の成立に手を貸そうとしているのだ。自・公とならんで、維新を世論の矢面に立たせなければならない。3本目の批判の矢が必要となっている。取り立ててなんの理念ももたない維新のことだ。世論の風向き次第で態度は変わる。摘出手術の荒療治まではせずとも、批判の注射だけで無害の盲腸に戻すことが可能となる公算もある。

昨日(7月7日)配信の時事通信記事は次のとおりである。
「民主党の枝野幸男、維新の党の柿沢未途両幹事長は7日、国会内で会談し、武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対処する『領域警備法案』について、共同提出を見送ることを確認した。…政府提出の安全保障関連法案の採決日程をめぐって対立し、共同提出に向けた協議が決裂。両党は8日にそれぞれ単独で国会提出する。
 会談では同席した維新の馬場伸幸国対委員長が、領域警備法案の審議時間を確保するため、同法案と政府案の採決日程をあらかじめ与党側と合意するよう提案。政府案の廃案を目指す民主党は『与党に手を貸すようなことには協力できない』として拒否した。」

読売がきわめて適切な見出しをつけている。「枝野氏『突然、非常識な提案』 維新との協議決裂」というもの。記事は、「維新の党側は、与党が求めている関連法案の採決について、7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた。」となっている。

産経の報道は次のとおり。
「民主党の枝野幸男幹事長は不快感をあらわにした。維新から『与党に手を貸すような提案』があった」「『出口の話をするような無責任な野党としての対応はできない』として決裂した」

この報道には驚いた。そして、呆れた。これまでは、極右政党「次世代」を除いて、野党の足並みは政府提案の戦争法案反対で揃っていたはず。少なくも、徹底審議での共闘合意ができていたはず。ところが、維新は態度を豹変させて、「戦争法案採決について7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた」というのだ。枝野幹事長が「突然、非常識な提案」と怒るのはもっともな話。民主党の感覚が、真っ当ではないか。

ああ、そうなのか。あらためて合点が行く。6月14日突然に設定された安倍・橋下密談がこんな筋書きを描いていたのか。あれ以来様相が変わってきたではないか。対案を出すだの、民主と共同提案だのと維新が言っていたことは、すべて野党分断、民主抱き込みの伏線だったのか。自民党へ恩を売るための下工作だったのか。与党と維新の間では密約が成立し、「7月下旬採決強行」のスケジュールが組まれていたのだ。自民が、「7月15日採決案」をリークする。維新が手柄顔に、「7月下旬まで先延ばし」して、与党強行のイメージを薄めた採決の舞台を整える。この筋書きに、うっかり欺されるところだった。

維新とは「これ(維)新たなり」の意味だが。昨日露わになった維新のやり口は、まったく清新なところがない。旧態依然の、裏工作、駆け引き、目眩まし。永田町流政治術は自民の専売ではないのだ。

しかし、盲腸の変身が戦争法案反対の運動に大きな影響を及ぼすはずもない。飽くまで、正攻法で、戦争法に反対しよう。違憲法案は廃案にさせるしかない。それが、平和を維持し、国民の安全を守ることなのだ。政権と与党と維新に、3本の矢を突きつけて、それぞれを正々堂々と批判しよう。
(2015年7月8日)
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事態の変化は目まぐるしい。昨日(7日)民主と維新の幹事長会談では壊れた領域警備法案の共同提案が、本日(8日)の党首会談で元の鞘に収まったという。その上で、「党首会談では、与党に領域警備法案の十分な審議を求めることを確認し、法案が参院送付後60日経ても議決されない場合、衆院で再可決が可能となる「60日ルール」の適用を阻止することでも一致した。維新は7日の幹事長会談で、政府案と対案の採決日程を決めて与党と交渉する提案を行ったが、党首会談では取り上げなかった。」(産経)と報道されている。

それでも、「維新の正体」「維新への批判の必要」の私の見解は変わらない。本日のブログの原稿を訂正することなく、掲載する。

ああ維新よ、君を泣く。君、死神となるなかれ。

人を助けることは美しい行為だ。しかし、安倍内閣を助けようなどとは醜いたくらみ。平和憲法擁護こそが美しい立派な行為だ。ボロボロの戦争法案の成立に手を貸そうとは、不届き千万ではないか。仲裁は時の氏神という。だが、この期に及んでの維新の動きは、「時の死神」たらんとするものにほかならない。

そもそも、維新とは何ものか。誰もよくはわからない。おそらく当の維新自身にも不明なはず。自民を見限り、期待した民主党政権にも裏切られた少なからぬ有権者の願望が作りだした「第三極」のなれの果て。「自民はマッピラ、民主もダメか」の否定の選択が形となったが、積極的な主義主張も理念も持ち合わせてはいない。あるのは、民衆の意識動向に対する敏感な嗅覚と、自分を高く売り込もうという利己的野心だけ。

しかし、ここに来て大きな矛盾が露呈しつつある。「国民意識環境」の大きな変化が、ポピュリズムと利己的野心の調和を許さない状況を作りだしていることだ。ポピュリズムに徹すれば党の独自性発揮の舞台なく埋没しかねない。さりとて、利己的野心を突出させれば確実にごうごうたる世論の非難を受けることになる。

さらに、維新への世論の支持は急速に低下している。真っ当な良識からの評価は皆無といってよいだろう。議席の数は不相応な水ぶくれ。国会内での存在感も希薄だが、国会の外ではほとんどなんの影響力もない。次の国政選挙では見る影もなくなる公算が高い。「崩壊の危機」という見方さえある。彼らの危機感も相当なものであろう。

そのような折り、危機乗り切りの焦りからか、労働者派遣法改正法案審議での「裏切り」に身を投じた。どうやら、毒をくらわば皿までの勢い。農協法改正法案の「対案」を提出して自公との修正協議を迫っている。そして、いまや窮地に陥っている、戦争法案の救出に手を貸そうというシナリオが見え見えである。

しかし、ここはよく考えた方がよい。自公と組むメリットばかりに目が行っているようだが、それは確実に滅びの道なのだ。権力の甘い腐臭の誘惑の先には、食虫植物の餌となる昆虫の運命が待ち受けている。

我が身を安倍政権と与党に売り込むには、いまがもっとも高価に値を付けることができる時期との打算。しかし、安倍政権に手を差し伸べることは、憲法と平和を売り渡すことであり、そしていまや世論に背を向けることでもある。

戦争法案の違憲性は、既に国民に広く浸透し確信にまでなっている。丁寧に説明すればするほどボロが出てくる。安倍は、丁寧にはぐらかし、丁寧に都合のよい部分だけをオウムのごとくに繰り返してきたが、それでもこの体たらく。いまや、誰の目にも愚かで危険なピエロとなり下がってしまっている。

政府が法案を合憲と強弁する根拠は完全に破綻した。まさしく「違憲法案のゴリ押し」「憲法の危機」の事態が国民の目に明らかとなり、法案撤回を求める国民世論は大きく盛りあがっている。やや反応が鈍かったメディアもようやくにして重い腰をあげつつある。このとき、まさかの伏兵として維新が安倍政権に手を貸そうというのだ。

「維新の党が今国会に提出する安全保障関連法案の対案の骨子が16日、明らかになった。集団的自衛権を使って中東・ホルムズ海峡で機雷を取り除くケースを念頭に、『経済危機』といった理由だけで自衛隊を送ることができないようにする。安倍晋三首相は同海峡での機雷除去に強い意欲を示しており、修正協議になった場合の焦点になりそうだ。対案は来週にも国会に提出する。」(朝日)
政府も与党も大歓迎で協議に応じることだろう。

おそらくは、維新はこう考えている。
「いまこそ、我が党の存在感を示すとき。数の力では自・公が圧倒しているのだから、この法案はいずれ通ることになる。それなら、少しでもマシなものにしておくことで、世論のポイントを稼げることになるはず」

維新は、戦争法案推進勢力と反対勢力との間に立って、「時の氏神」を気取っているのだろう。しかし、朝日が報道する維新の「対案」は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すものである。

維新の諸君よ、鋭敏な嗅覚で世論の法案反対の高まりを見よ。戦争法の成立に手を貸すことが、国民の大きな怒りを招き自らの滅亡に至ることを直視せよ。だから、こう一声かけざるを得ない。「君、死神となるなかれ」と。
(2015年6月17日)

ゾンビ・橋下を産み出した社会の母胎はまだ暖かい

6月15日。55年前のこの日、東大生樺美智子が日米安保条約改定反対のデモの隊列の中で、警官との衝突の犠牲になった。当時私は高校2年生だったが世情騒然の雰囲気が印象に深い。津々浦々に「アンポ・ハンタイ」「岸を倒せ」の声が響いていた。

あの大国民運動をつくり出したものは、何よりも戦争を拒否し平和を願う圧倒的な国民の願いであったろう。当時戦後15年、戦争の記憶は成年層には鮮明に残っていた。「再びの戦争はごめんだ」「危険なアメリカとの軍事同盟なんぞマッピラ」という感覚が国を覆っていた。当時も、政府はアメリカとの同盟が「東」側からの攻撃に抑止効果をもつと宣伝したが、多くの国民が耳を傾けるところとはならなかった。

そして、安保反対国民運動が盛りあがったもう一つの契機が、衆議院での強行採決である。「アンポ、ハンタイ」の大合唱は、平和と民主主義についての危機感が相乗してのこと。その運動の標的となった敵役が、A級戦犯・岸信介であった。

今、再びの「安保ハンタイ」の声。「戦争法案を廃案に」「憲法を壊すな」「安倍を倒せ」の掛け声が全国に渦を巻いている。半世紀を経て、岸信介の孫、安倍晋三が敵役だ。今度は平和主義・民主主義だけでなく、「立憲主義を壊すな」がスローガンに加わっている。

今や、60年安保を彷彿とさせる運動の勢い。状勢は、明らかに憲法擁護勢力が、安倍ゴリ押し改憲内閣を追い詰めている。ところが、このときに意外な伏兵が現れた。裏切り・寝返りと言ってよかろう。維新の動きである。見方によっては、もっとも自分を高く売るタイミングをはかっていたのではないだろうか。維新は、労働者派遣法案で民主・生活と組んで、与党案へ反対で足並みを揃えていたはず。それが、あっという間の自民への摺り寄りだ。

この伏兵の動きが戦争法案反対運動にも影響しかねない。昨日(6月14日)、ゾンビ橋下が安倍と醜悪な3時間の会見。その後、橋下はツィッターで「維新の党は民主党とは一線を画すべきだ」と述べているそうだ。安倍とは蜜月。「自民党とは一線を画すべきだ」とはけっして言わない。

しかし、覚えておくがよい。裏切り・寝返りは、リスクを伴う行為だ。できるだけ高い対価を求めてのタイミングでなされるが、高い対価には相応の大きな危険が伴うことになる。策士策に溺れるのがオチとなろう。

ユダはイエスを売って銀貨30枚を得た。小早川秀秋は、関ヶ原の裏切りで55万石の大大名となった。古来、裏切りの動機も対価の多寡もさまざまだが、共通しているのは、裏切りが打算であること、できるだけ高く売れるタイミングで実行されること、そして、打算ゆえの裏切り者の末路が惨めであること、汚名が長く残ること。

そして、よく覚えておこう。最近教えられて印象に残ったブレヒトの言葉だ。
ベルトルト・ブレヒトは、その著「戦争案内」の最後で、ヒトラーの写真を指しつつ、こう言っているそうだ。

 こいつがあやうく世界を支配しかけた男だ。
 人民はこの男にうち勝った。
 だが、あまりあわてて勝利の歓声をあげないでほしい。
 この男が這いだしてきた母胎は、まだ生きているのだ。

腹を切ったはずの落城の將がゾンビとなってうごめく醜悪な世の中だ。問題はゾンビ自身ではなく、むしろゾンビを産みだした母胎の方だ。この母胎はまだ暖かい。戦争法案をめぐる憲法擁護の戦いは、この母胎との戦いでもある。
(2015年6月15日)

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