澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

済州島「四・三事件」ーのどかなこの島で70年前に虐殺があった。

本日は4月3日。済州島でのいわゆる「四・三事件」に触れておかねばならない。本日が、1948年の「四・三」から70周年となる。現地の平和公園で、文在寅大統領も参加した追悼集会が行われた。

済州島(チェジュド)は気候温暖で、ピースツアー訪問時の3月26日には、桜もほぼ満開だった。のどかな田園風景が広がる島である。行政区域としては、済州特別自治道。島ではあるがとても広い。淡路より、佐渡より、沖縄本島よりも広い。島の最高峰・漢拏(ハルラ)山(標高1,950m)は、韓国の最高峰でもある。この島は、この山の噴火でできたという。金石範か「4・3事件」を題材に書いた日本語小説の題名が「火山島」である。「済州火山島と溶岩洞窟群」が、2007年に韓国初の世界自然遺産に登録されている。

この、美しくものどかな、今は観光地となっている火山島で、70年前に大虐殺があった。最も信頼できる「済州四・三平和財団」のパンフレットによれば、「7年にわたる過程での人命被害は、2万5000~3万余名」という。しかし、公的に特定された被害者数は1万4231名(後遺障害者163名を含む)。この犠牲者調査は2002年に開始された。それまでの半世紀間、事件は闇に葬られていたのだ。犠牲者の遺族は、「連座」制に苦しめられてきた。韓国民主化の過程で、ようやく真相解明と犠牲者や遺族の名誉回復が実現しつつあるのだ。

この玄武岩の島は、大戦時には全島が日本軍の要塞となっていた。中国への渡洋爆撃の飛行場があり、特攻艇震洋の基地があった。敗戦時には、7万と言われる将兵が地下要塞を張り巡らして、米軍の上陸に備えていたという。

終戦によって日本の支配から脱した朝鮮は、その南部がアメリカの軍政下に置かれた。そして、全半島一体の独立を望む勢力と、北とは分かれてアメリカ軍政下地域(現在の韓国)だけの独立国を作ろうという勢力とが厳しく対立した。チェジュ島「4・3事件」は、その対立の中で生じた悲劇である。アメリカ軍政部と、その傘下にあった李承晩政権とによる、左派ないしは統一派に対する大弾圧。それがこの事件の基本的性格と言ってよい。

実は、この「事件」に対する公式の名称はまだない。いま、漢拏山の麓に立派な記念館が建設されており、その1階の最初の展示室に、「無銘の碑」が横たわっている。「事件」に公式の名称が付されたら、それを刻するのだという。もっとも、2014年以来、「四・三犠牲者追念日」は国の法定記念日とされ、盛大な追悼行事が行われるようにはなっている。しかし、「4月3日の事件」と言うにふさわしいか疑問なしとしない。

1948年4月3日は、左派(南朝鮮労働党)の蜂起による警察署襲撃事件があった日である。もちろん、それまでの米軍政・警察・右翼による左派弾圧の前史があり、4月3日以後の、官憲と右派勢力からの残虐な報復があった。

事件の直接のきっかけは、前年47年3月1日(独立節)に起きた。デモ隊への警察の発砲によって6人の死者が出た。これに、大規模な抗議のゼネストが敢行されると、警察は左派幹部の「検束」で応じた。47年の「三・一」から、48年「四・三」までの1年間での検束者数は2500人にも上ったという。

4月3日以後、警察と軍では、蜂起派に対する対応が異なっていた。
軍隊(第9連隊)は、蜂起が極右勢力の横暴によって惹起されたものとの見方から、平和的な解決を方針とした。蜂起派に帰順を呼びかけ、山中にあった左派に帰順を呼びかけ、いったんは「武装解除と下山すれば罪を問わない」との合意が成立したが、米軍政司令官の武力鎮圧方針決定で壊れた。

大韓民国独立のための「単独選挙」は1948年5月10日に行われ、チェジュ道のみが投票率が過半数に達せず無効となった。李承晩政権は同年8月に発足したが、「赤い島」を徹底して弾圧した。

そのやり方は、「日本軍の三光・三尽作戦」に範をとったと言われる「焦土化作戦」であった。海岸線から、5キロの線を引き、それ以内の山林にひそむ者を皆殺しにするという苛烈なもの。焼かれて廃墟になった村は300余。消失棟数は4万に及んだという。

この事態は、1950年6月の南北戦争(朝鮮戦争)間も続き、1954年9月道警察が、漢拏山禁足地域指定を解除したことで終熄したとされる。47年3月1日から数えて、7年半である。しかし、その後も事件の後遺症が継続したことは前述のとおりである。

本日配信の共同記事は、要領よく次のとおりまとめている。
【済州島共同】韓国南部の済州島で1948~54年、島民数万人が軍などに虐殺された「4・3事件」の発生から70年となる3日、済州島で犠牲者の追悼式が開かれた。惨劇を知る遺族ら約1万5千人が参列。文在寅大統領は「国家の暴力によって苦痛を与えたことを改めて深く謝罪する」と演説した。日本からも遺族の在日韓国・朝鮮人らが参列した。

大統領の出席は、2006年の盧武鉉大統領以来2回目。事件は、朝鮮半島の南北分断体制の固定化に反対する左派勢力の一部が蜂起したことが発端で、長らく「共産主義者の暴動」と見なされ、遺族も社会的に疎外されてきた。」

また、昨日(4月2日)の毎日の記事。
「日本の植民地支配からの解放後、朝鮮半島北部は旧ソ連、南部は米国が統治していた。新しい国造りを巡り、南部だけの単独選挙が実施されれば分断が固定化するとして反対する勢力が武装蜂起し、警察署や選挙事務所を襲撃。これに対し軍や警察が「焦土化作戦」で鎮圧に乗り出し、村を焼き払い住民を虐殺した。

その後、軍事独裁政権が続き、事件は「共産主義者の暴動」と見なされ、犠牲者の遺族も社会的に疎外されてきた。高さんは「学校を出ても『連座制』で出世できず公務員にもなれない。どこへ行っても『アカ』呼ばわりされた」と振り返る。

今年に入り南北関係は急速に好転し、南北首脳会談も予定される。政府の調査委員会で真相究明に当たった経験を持つ済州4・3平和財団の梁祚勲(ヤン・ジョフン)理事長は「70年前の済州島民は統一された祖国を望んだことで、おびただしい犠牲を払った」と指摘。「今後、南北問題が平和の方向に向かえば、4・3事件は(統一を望んだ蜂起と)再評価されるだろう」とみる。」

まさしく、「70年前の済州島民は統一された祖国を望んだことで、おびただしい犠牲を払った」というのが、今の韓国社会の良識が寄せる評価なのだろう。

70年前には、島民(左派)が武装蜂起を余儀なくされた。蜂起の勢力の武器は、小銃30丁だけだったという。徹底して鎮圧され、焼かれ、拷問され、殺された。その痛ましさに胸が痛む。いま、我々は、もっと強大な社会変革の「武器」をもっている。それが、表現の自由であり、政権交代のルールである。

小銃ではなく弾丸でもなく、投票用紙と言論・出版・放送の自由をこそ大切にしよう。そのことを教えてくれた、「四・三」の犠牲者を心から悼みたい。

(2018年4月3日)

私が、「HEEUM(ヒウム)日本軍『慰安婦』歴史館」の館長です。

皆様、ようこそいらっしゃいました。
「HEEUM(ヒウム)」とは、「希望を集めて花を咲かせる」という意味です。この歴史館は、地元の元日本軍「慰安婦」被害者の資料展示を中心に、この方たちの痛苦の歴史を忘れずに記憶し、日本軍「慰安婦」問題の正当な解決を目指す「実践型歴史館」であり活動拠点なのです。その活動を通じて、ハルモニ(おばあさん)たちの願いであった《平和》と《女性人権》が尊重される、「希望の花」咲く社会を作ることを目標にしています。

大邱(テグ)の中心街に建設されたこの歴史館の開設は、2015年12月です。日本軍「慰安婦」被害を記憶しておこうという趣旨の施設としては全国で4番目のものになります。

最初の日本軍「慰安婦」被害関連の歴史館は京畿道広州(クァンジュ)の「ナヌムの家」にある「日本軍慰安婦歴史館」で、1998年にできたもの。次が、釜山水営(スヨン)区の「民族と女性歴史館」(2004年)。そして、ソウル麻浦(マポ)区の戦争と女性人権博物館(2012年)。大邱のヒウム歴史館は、これらに続くものです。

元「慰安婦」被害者には法にもとづく登録制度があります。これまでの登録者は累計238名となっています。その内、大邱近郊の方が28名いらっしゃいますが、そのうちの過半の方が家族のないままに寂しい暮らしをして来られました。私たちは、ボランティアとして、そのようなハルモニの生活のお手伝いをすることから始めて、「挺身隊ハルモニと共にする市民の会」を作り、市民運動としてこの歴史館建設を思い立ちました。

「市民の会」は2009年12月に「歴史館建設推進委員会」を立ち上げ、翌年から市民募金活動を始めました。ヒウムのブレスレットやバッグを販売して収益金を集めました。10年1月に大邱の病院で亡くなったハルモニのお一人、故キム・スンアクさんは生前、「大邱に日本軍慰安婦歴史館を作ってほしい」と5千万ウォンを遺言で寄付されました。国と大邱市がそれぞれ2億ウォン、大邱中区が4千万ウォンを拠出し、他のハルモニも寄付をされて、合計13億ウォン(約1億3000万円)を超す資金を得ました。こうして、6年後に会館建設に漕ぎつけました。

大邱は、ソウル・釜山・インチョンに次ぐ韓国第4の大都市です。その中心部中区西門路に1920年代の2階建日本風建物を購入して、展示館に改修しました。敷地が214.45平方メートル、歴史館の1階181平方メートルは展示室と事務室、2階101平方メートルは展示室や教育館として作られています。展示室には、日本軍慰安婦に関連する写真など歴史資料が備えられています。また慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)たちの写真や証言を含め、日本軍慰安婦問題解決過程も説明されています。

この歴史館開館までに、相当数のハルモニの方が亡くなられています。また、当然のことではありますが、生存者も高齢化しています。何とか早期に、正義に則った解決を願っています。

この歴史館の開館は、ハルモニたちの慰めになっていると思います。また、韓国社会が被害者たちの苦痛を忘れず記憶することに寄与していると思います。大切なことは戦争をなくし平和を築くこと。そして、女性の人権が尊重される社会を作ることだと考えています。

いまご質問がありました「日本軍『慰安婦』問題の正当な解決」についてですが、開館以前は、この歴史館の設立の趣旨を、「日本軍『慰安婦』問題の解決」としていました。開館建設運動の議論の中で、単なる「解決」ではなく、「正当な解決」が必要だと考えるようになりました。皆様に配布したリーフレットには、「正当な解決」と記載されています。

ところが、開館直後の2015年12月28日に、慰安婦問題「韓日合意」が成立したと報じられて以来、議論を継続しています。「正当な解決」では不十分ではないか、端的に「正義の解決」が必要ではないか。あるいは「人類の目指す方向に基づく解決」ではどうかという議論です。

具体的な要求は、誰に対するどんな内容かということですが、2014年6月2日に採択された「第12回・日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議決議」が韓国だけでなく、関係各国の市民運動の共通スローガンとなっています。その内容は、当歴史館に展示もしていますが、日本政府に対するもので次のとおりです。

日本軍「慰安婦」問題解決のために日本政府は
1.次のような事実とその責任を認めること
① 日本政府および軍が軍の施設として「慰安所」を立案・設置し管理・統制したこと
② 女性たちが本人たちの意に反して、「慰安婦・性奴隷」にされ、「慰安所」等において強制的な状況の下におかれたこと
③ 日本軍の性暴力に遭った植民地、占領地、日本の女性たちの被害にはそれぞれに異なる態様があり、かつ被害が甚大であったこと、そして現在もその被害が続いているということ
④ 当時の様々な国内法・国際法に違反する重大な人権侵害であったこと

2.次のような被害回復措置をとること
  ① 翻すことのできない明確で公式な方法で謝罪すること
  ② 謝罪の証として被害者に賠償すること
  ③ 真相究明:日本政府保有資料の全面公開
         国内外でのさらなる資料調査
         国内外の被害者および関係者へのヒヤリング
  ④ 再発防止措置:
    義務教育課程の教科書への記述を含む学校教育・社会教育の実施
   追悼事業の実施
   誤った歴史認識に基づく公人の発言の禁止、
   および同様の発言への明確で公式な反駁等

この具体的な要求に照らして、15年12月28日の韓日合意は、まったく不十分なものだと思っています。何よりも大切なことは当事者である被害者本人の意思を尊重することのはずですが、そのような配慮はまったくなされていません。被害者の意思の反映なき合意は無効だというのが、運動体の意見と言ってよいと思います。

私たちは、韓国政府に、「韓日合意」の無効化を宣言せよと要求しています。折良く政権も交代し、事実上合意の無効化はできていると言ってよいのではないでしょうか。

なお、ご質問のありました強制性の問題ですが、狭い意味での「暴力的強制」の有無を問題することは、極めて意図的な議論の仕方ではないでしょうか。日本軍「慰安婦」とされたきっかけとして圧倒的に多いケースは、就労詐欺です。貧しい女性の勤め口をあっせんすると言って連れ出して、戦地に送るという手口です。いったん、戦地に送られてしまえば、拒否の自由などあり得ません。これが、強制でなくて何でしょうか。

また、ご質問がありました世代間の記憶承継の問題ですが、何よりも勇気をもって、被害を受けたご本人が名乗り出たことが大きな役割を果たしたのだと思います。

1991年金学順さんが、名乗り出たハルモニの第1号となりました。それまで、どなたも名乗り出ることはできなかったのです。それ以来、問題は解決済みだとする日本側との厳しい対決が始まりました。若い人々にも、関心が高い問題となりました。

そして、憲法裁判所の果たした役割が大きかったと思います。
2011年8月30日、韓国の憲法裁判所は、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し、具体的解決のために努力していないことは「被害者らの基本権を侵害する違憲行為である」との注目すべき決定を出しました。それ以来、政府には「具体的解決のために努力すること」が義務づけられ、小学校5年生、6年生の教科書にこの問題が掲載されるようになりました。

また、もう1300回を超えたソウルの水曜デモですが、一時は参加者が2~300人の規模でした。それが、憲法裁判所決定のあとは、10倍の規模になっています。韓国では、若者もこの問題はみんな知っています。関心をもっています。この歴史館を建設する運動にも、多くの若者が関わっています。

本日おいでの日本の皆様を拝見すると、高齢の方が多いご様子で。日韓の若い世代の意識のギャップがこれ以上広がらなければよいのですが…。

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上記は、日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。18年3月29日・木曜日の大邱「HEEUM(ヒウム)日本軍『慰安婦』歴史館」館長の説明に、若干の補充をしたもの。

展示の資料の中に、故キム・スンアクさんの「日本軍『慰安婦』認定証」が飾られていた。彼女は、生前からこれを額に入れて大切にし、毎日これを清掃していたと、説明を受けた。この認定証に対する思いは、ハルモニそれぞれに複雑であるという。中には、認定を受けたことを秘密にしている人もあるという。もちろん、日本軍「慰安婦」であったことをひたすら隠し通したのが、圧倒的多数なのだ。

キムさんは、不幸な過去を隠すのではなく、この繰り返してはならない不条理な出来事を多くの人に知ってもらおうと決断したのだ。その決断の重さは、余人には計り知れない。認定証は、キムさんの後戻りできない決断の証しであったろう。キムさんは、自分の決断の正しさを認定証の清掃で確認し続けたのではないだろうか。

この旅のあちこちで、「両国政府はともかく、両国市民の連帯と友好を深めよう」と語り合った。この日も、館長の説明に、ピースツアー参加者一同、大いに肯いた。アベ政権の「これをもって不可逆的解決」という傲慢さに対する批判が、日本側から次々と発言された。

私には、「女性の人権尊重」が、常に「平和」とのセットで語られていたことが印象に深かった。「戦時のことだから仕方がない」などという言い訳を許してはならない。最も弱い立場にある者の人権を悲惨に蹂躙する戦争を許してはならないのだ。
(2018年4月2日)

皆さん、これが有名になった、釜山の「少女像」です。

日本領事館の正門側にあると思っている方が多いようですが、このとおり、領事館の裏側になります。この歩道に面した高い擁壁の上が領事館の裏庭です。いま、桜が満開ですね。あっ、桜の木の陰に隠れて領事館員がカメラで皆さんを見下ろして、写真を撮りましたね。そして直ぐに隠れました。皆さん、注目されているようですね。

この少女像の髪形は、当時の女性の短髪ですが、こんなに短くなっているのは、家族や社会から縁を切られたという悲しみを表現したものだそうです。また、靴がなく裸足で、しかも踵が浮いていますね。歩いて行く宛のない、不安定な気持と立場を象徴していると聞いています。となりには、椅子があります。力を貸してくれる方、寄り添っていただける方にお座りいたくための椅子です。どうぞ、あなたもこの椅子に座って写真を撮ってください。

ソウルに続いて、釜山のこの少女像が大変有名なりましたが、この像は全国にどんどん増えていますから、いくつあるのか誰も正確には分からないじゃないですか。国内だけで100近く。アメリカやヨーロッパなど、外国にもいくつかできていますよね。

2015年12月の日韓合意で、「韓国政府はこの少女像を撤去しなければならない」とされたようですが、それはもう絶対に無理なことですね。日本の安倍さんたちが韓国の政府に、「この像を撤去しなさい」と言えば言うほど、像の数は増えることになると思いますよ。

私思うんです。人間って、面白いもんですね。ああしろ、こうしろと、押しつけられれば、却って反発するじゃないですか。激しく燃え上がるじゃないですか。ロミオとジュリエットだって、両家に反対されたから、あんなに燃え上がったじゃないですか。

日本の安倍さんが、「国家と国家の約束を守りなさい」とか、「約束だから像を撤去しなさい」なんて言うのは、ますます韓国の人々を刺激するだけですね。何にも言わず、じっとしているのが、安倍さんにとっては、一番いい方法じゃないですか。どうして、そんなことが分からないですかね。

また安倍さんが何か言ったり、何かしたりすればですよ。その都度に「なぜ、こんな像が造られたのか」「こんな像を造らなければならない理由は何だったのか」と、韓国のみんなが、また改めて思い出すことになるじゃないですか。

あっ、韓国のポリスが2人出てきましたね。さっき上から皆さんの写真を撮っていた領事館員が通報して、ポリスが出てきたんですよ。皆さん、やっぱり注目されているんですね。
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4泊5日の韓国ピースツアーを昨夕で終えた。
韓国民衆のさまざまな運動を垣間見てきた。その熱気の一端に触れて、もらった熱い思いが冷めやらない。韓国の運動から、枯渇しかかっていたエネルギーの補充を受けた感がある。どこの運動にも、さまざまな歌と踊りがあった。ともに唱い踊ることで、自分を励まし連帯を確認するのだ。その歌と踊りが、底抜けに楽天的なことが、印象に残った。追々、当ブロクに韓国市民運動見聞録を掲載したいと思う。

上記は、釜山領事館の「少女像」についての、ガイドの解説の概要。軽妙で洒脱な日本語の語り口を堪能した。この「テーマのある旅」の充実度を決定する要素の半分は企画の出来具合で、あとの半分は現地ガイドの能力といってよい。韓国本土を担当したこの旅のガイドの通訳能力だけでなく、社会や政治の論評の確かさに脱帽した。

この旅行の企画は、ユーラスツアーズ
http://www.euras.co.jp/
http://www.euras.co.jp/tour/korea-peacetour2018/

もともとは、「旧ソ連・ロシアへの旅行、留学に特化したサービスで57年以上の実績」という旅行社で、「ロシア旅行を知り尽くした当社だけが出来る”わがままツアー”を実現します」と、ロシア旅行が専門だが、ヨーロッパも、中東も、中国も韓国もベトナムのツアーも企画している。

現地の運動体との連絡や交流の設定は難事だと思うがよくやってくれたと思う。そして得がたい現地ガイドも、この旅行社を通じて依頼できる。観光旅行ではない、テーマのある旅行を望む方にお薦め。

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旅を終えて、日常が戻ってきた。

本日(3月31日)は、都立学校教員らの「日の丸・君が代」強制問題についての、卒業式総決起集会。そこで、「憲法的価値の根源は個人の尊厳であって、国家ではない」「個人のために国家があるのであって、国家のために個人があるのではない」「にもかかわらず、国民個人に対して、国家の象徴である『国旗・国歌(日の丸・君が代)』に敬意表明を強制できるはずはない」と発言。

夕刻は、加藤良雄著「学校がキライな君へ」の出版記念会。

加藤さんは、東京「君が代」裁判・第4次訴訟の原告団代表。定時制高校勤務時代の生徒との交流を語り、その生徒との関わりが、生徒の卒業後も加藤さんが定年退職後も連綿と続くことに驚く。その本の帯に「先生の生徒で本当によかった」というある生徒からのメールの一節が記されている。この一言、教師の勲章と言ってよい。

「学校というものの存在価値の根源は生徒の学ぶ権利であって、経営主体ではない」「生徒のために学校があるのであって、学校のために生徒があるのではない」「だから、生徒に対して、学校の都合を押しつけてはならない」

私も、学校が好きではなかった。今にして思えば、その理由は束にされて扱われることに抵抗感があったからだ。

この著書に表れた教師・加藤良雄の、手のかかる生徒に対する向き合い方は、なかなかできることではない。束にしたクラスを相手にするのではなく、一人ひとりの生徒の人格に向きあう。その実践記録である。定時制とは、こうも個性にあふれた生徒を擁しているのだ。

「日の丸・君が代」強制に服することができないという教師には、このような真面目な教育実践をしている人が多いのだ。でもしかの教師には「日の丸・君が代」強制に服従しがたいという動機があり得ない。もちろん、訴訟にはこの書物を丸ごと書証として提出している。
(2018年3月31日)

韓国ピースツアー最終日。本日帰国。

2018年3月30日・金曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の5日目で最終日。本日は釜山の町を見学し、夕刻釜山空港から成田に。本日のブログも出発前に東京で書いた5件目の「予定記事」。

本日のテーマは、重い「日本軍『慰安婦』を中心とする歴史認識問題」。話題の総領事館前「少女像」との面会。そして、もう少し時代を遡った、「朝鮮通信使博物館」の見学などがスケジュールに入っている。

思えば、我が国にとって、長く朝鮮半島は文化薫る、尊敬すべき地であった。応神天皇の昔、百済の王仁博士が「論語」と「千字文」をもたらしたことをもって、我が国の文字文化の発祥とする伝承が定着している。上野公園の散歩では、清水観音堂の裏手に立つ、「王仁博士記念碑」とその由来を記した副碑を見ることができる。

やや下って、桓武天皇の生母も、百済の武寧王を先祖とする氏の出身と古事記にある。その内容の正確性如何が問題ではなく、そのように公定の歴史書に書かれていること自体が重要なのだ。

ところが、この先進文化の地というイメージは江戸時代までのことで、明治期にガラリと変わることになる。侵略先として、まずは朝鮮をターゲットとした公権力が意識的に、朝鮮に対する差別意識を醸成したのだ。日本人に、その根が深いことが恥ずかしい。日本に最も近い大都会・釜山で日本との交流の跡を見つめたいと思う。

いま、韓国の自立した市民運動には、学ぶべきところが多々ある。この5日間で、多くのことを吸収しよう。

その旅も、今日で終わる。さて、5日間で少しは見聞を広め得ているだろうか。少しは賢くなっているだろうか。夕刻釜山を発って成田に無事到着の予定。明日からは、仕事が待っている。リアルタイムでのブログの掲載もはじめよう。
(2018年3月30日)

韓国ピースツアー4日目。日本軍慰安婦問題と原発被害問題に向きあう。

2018年3月29日・木曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。本日は大邱から釜山へ。今日のブログも出発前に東京で書いた4件目の「予定記事」。

本日のテーマは、午前中が「歴史認識問題-日本軍『慰安婦』について」、そして午後が反原発である。今日も大忙しの日程。

午前中は、大邱「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」見学と運動団体との交流。そして、午後は陸路釜山へ。到着後、古里(コリ)原発の見学と反原発団体との交流。

「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」は2015年の建設。市民運動の成果が結実したものだという。「ヒウム」とは、「希望を花咲かせる」という意味とのこと。慰安婦被害者26人の苦難の生涯と活動が紹介されているという。

慰安婦問題の市民運動に携わっている人々との意見交換が楽しみ。日韓合意問題や、真の解決のありかたについて、現地の声に耳を傾けたいと思う。

韓国・古里(コリ)原発は、韓国初の商用原発。これが、1990年から97年まで、「世界で最も多く放射性物質を排出した原発」とのこと。その事故の隠ぺいを告発し、廃炉を求める運動の主体となっているのが、環境団体「環境運動連合」。原発事故の問題と影響についての意見交換が予定されている。

これは韓国ピースツアーに、意外なテーマ。とても興味深い。本日は釜山泊(の予定である)。
(2018年3月29日)

韓国ピースツアー3日目。在韓被爆者の運動と、「THAAD」強行配備反対運。

2018年3月28日・水曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の途上、韓国南部の大邱(テグ)を出発して陜川(ハプチョン)、星州(ソンジュ)を回る。今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。

このツアーの理念についての惹句はすごい。
「米軍基地反対・サード配備阻止、非核平和実現へ向けての連帯と日本軍『慰安婦』問題解決へ」というのだ。最前線で平和のために今、闘う人々との連帯。

本日が、一番盛り沢山の日。忙しそうだ。
早朝陸路慶尚南道の陜川(ハプチョン)へ。ここは、広島で被爆した多くの人々が住む町。かつて、この町から広島に渡った成功者があったという。この町の出身者の多くの人が、その伝手を頼って本土に渡り、広島に住んだ。そして、8月6日の悲劇に見舞われる。現在、在韓被爆者は2500人。その内600人が、ここハプチョンの居住者。「韓国の広島」の異名がある。

午前中はその町で、昨年(2017年)完成した原爆資料館の見学と被爆者救援・核廃絶に向けての運動団体との懇談が予定されている。

午後は「THAAD」配備が問題となっている星州(ソンジュ)へ。ここで、「THAAD」配備反対運動をしている住民と交流が予定されている。
星州(ソンジュ)は、伝統家屋が残る素朴な農村。朴槿恵政権の時代、そこに米軍の高高度迎撃ミサイルTHAADの配備が強行され、現在なお、反対運動が継続している。

なお、このツアーの「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談

テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国に残る軍国主義である。

夕刻陸路大邱へ戻り、大邱での2泊目となる(予定である)。
(2018年3月28日)

韓国ピースツアー2日目。佐川宣寿の証人尋問が気がかりでならない。

2018年3月27日・火曜日。今日も昨日に続いて、「韓国ピース・ツアー 『4.3事件』から70年」の旅の途上、済州島にある。だから、今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。

本日東京では、衆参両院で佐川宣寿の証人喚問が行われる。議院証言法に基づいての宣誓の上での証言。嘘は言えない。黙る権利はあるものの、黙れば事実の解明には至らない。だから、ダンマリさせて幕引きとはできない。

事実の解明に至るまでは、安倍昭恵にも、谷査恵子にも、迫田英典(前理財局長)にも、酒井康生(弁護士)にも、きちんと証人としてお出ましいただなくてはならない。

佐川証言の聞き所は、文書改ざんの動機が政権とどう関わっているかである。明らかな犯罪行為をしでかすのだ。行動に慎重なはずの公務員が、よほど切実な動機がなくては重要な公文書の改ざんに手を染めるはずはない。しかも、局内あるいは省内でのチームを作っての大規模な作業だ。常識的に、官僚個人の判断でのこととは考えられない。財務大臣以上の政治家の容認なくしてはあり得ない。直接の指示が誰から出たのかはともかく、究極的には政権の意向であることを確認せずに、これだけのことができるはずはない。

さて、韓国ピースツアー。旅のコンセプトは、次のとおり壮大なものだ。
「日本植民地支配下の実態や解放後の朝鮮自主独立に対する米軍の弾圧・虐殺の歴史を学びつつ、日本軍「慰安婦」問題の解決へ向けた交流、北東アジアの非核化実現と日韓両国の『米軍基地強化阻止』の連帯を深めます」

この旅の「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談

テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国の軍国主義である。

ツアー2日目の本日のテーマは、「祖国の統一と民主化のために市民が闘った『4・3事件』」となっている。
*「4.3」平和公園(記念館・慰霊塔・広場)訪問
* カマオルム平和博物館(日本軍が駐屯していた坑道陣地)見学
*「4・3事件」の虐殺地「ソダルオルム」訪問
* 海軍軍事基地建設阻止を掲げる運動との懇談
* サード配備全面破棄・4.3抗争70周年精神継承の人たちと「基地反対」についての交流

夕刻空路済州島から釜山に。そして陸路大邱へ。大邱泊となる(予定である)。
(2018年3月27日)

「韓国ピース・ツアー」初日

2018年3月26日・月曜日。早朝の成田発済州島行きの大韓航空機で韓国に出立する。4泊5日。月曜の朝から金曜の夕刻まで、今週は最も近い異国を旅する。

日本平和委員会が企画した「韓国ピースツアー『4・3事件」から70年」。総勢24名の団体旅行。主な訪問地は、済州島、大邱・陜川(ハプチョン)・星州(ソンジュ)・古里(こり)、そして釜山。ソウルには行かない。名所旧跡・観光地にも近づかない。ショッピングもエンタテインメントも予定されていない。ひたすら、現地の戦争の爪痕を見て歩き、平和運動との交流だけが予定されている。

ということで、今週の月曜から金曜日までの5日間、憲法日記を書く暇はない。手許にパソコンもない。そこで、今日から5日間は、全て事前に書きためた「予定記事」の掲載である。

ある晩、親しい吉田博徳さんからお電話をいただいた。韓国へのツァーに参加しないかというお誘い。聞けば、2名一室での同宿相手がキャンセルになった。1人部屋では、せっかくの旅行が寂しくなる。同宿者として、ご一緒しないかというありがたいお誘い。これは、断れない。日程を調整して参加申込みをした。

吉田さんは、去年まで日朝協会都連会長の任にあった人。韓国訪問は、50回にも及ぶという。韓国語も達者だ。こんな便利な同宿者はほかにない。いろんなことを教えてもらえる。

吉田さんは、1921年4月28日生まれで、現在96才。もうすぐ97才になる。が、年齢を感じさせないその矍鑠ぶりは人間離れしている。身体も達者だし、好奇心が旺盛。昨年は、ロシア革命100周年の故地を尋ねる旅にお誘いを受けたが、日程調整できなかった。今度は、4泊5日の同宿で、長寿と元気の秘密を探る機会でもある。

私は、韓国訪問は2度目。前回は、日民協の韓国司法制度調査の旅だった。メインは、韓国憲法裁判所の訪問。気候と天候に恵まれた心地よい旅行だったが、このときも吉田さんとご一緒だった。

中国旅行は漢字の世界、漢字なら読める。しかし、まったく読めないハングルの世界は、勝手が違って戸惑うここと甚だしい。それでも、韓国の町と人々が作り出している雰囲気は、穏やかで好ましいものだった。

ところで、本日(3月26日)のテーマは、「日本占領下の済州島の歴史とゆかりの地訪問」。アルト飛行場跡(南京爆撃の際に使われた飛行場跡)、松岳山(旧日本軍の地下壕跡)、特攻艇「震洋」の格納庫跡、などを訪ねる。

まったく知らなかったが、済州島南部に辺野古同様の海軍基地建設が強行されており、激しい抵抗運動があるという。現地を見ての感想は、帰国後に書き綴ることとしよう。

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緊急声明 自民党改憲案の問題点と危険性

はじめに

昨日3月25日、自民党大会が開催され、憲法改正の基本的な方向性が確認された。もともと同党は、この大会で党としての改憲案をとりまとめ、今年中の改憲発議にはずみをつける思惑であった。ところが、財務省による森友学園への国有地売却にかかわる決裁文書の「改ざん」問題や、「働き方改革」法案における誤ったデータを根拠とした裁量労働制拡大部分の撤回、自民党議員が介入してなされた公立中学校での前川喜平氏の講演会に関する文部科学省の調査など、国民主権と議会制民主主義の根幹を揺るがす安倍政権の失態が相次ぐ中、確定案の策定までには至らなかった。しかし、昨日の自民党大会で明らかにされた改憲の基本的な方向性について、それらの問題点と危険性を指摘して世に問うことは、法律家としての使命であると考え、以下、表明する。

1.どれも現行規定を死文化させる9条改憲

自民党の「憲法に自衛隊を明記する」改憲案は、この間、①9条1項と2項を維持し「自衛隊」を明記、②9条1項と2項を維持し「自衛権」を明記、③2項を削除し「通常の軍隊」を保持の3案が検討されてきた。3月22日の同党憲法改正推進本部の全体会合では、具体的な条文案は①の方向で党大会後にとりまとめる方針となり、その作成は本部長に一任された。しかし、これらは、いずれも現行の9条2項を死文化させ、1項を変質させるものである。②がいう「自衛権」には集団的自衛権が当然に含まれる。③の「2項削除、軍隊保持」は現行9条を明示的に否定するものである。①の場合でも、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な(自衛の)措置をとる」と憲法に明記される自衛隊は、今でも違憲性が疑われている安保法制による活動が合憲化されるばかりか、それを超える海外での武力行使さえも可能となる。こうして、9条2項は維持されても、「後法は前法に優る(を破る)」との法の一般原則に従って、9条の2により実質的に死文化する。

いずれの案を採用しても、安倍首相が言うような「自衛隊の任務・権限は変わらない」、「自衛隊違憲論争がなくなる」などということはありえず、むしろ現行9条の下では政府自体も否定している「集団的自衛権の全面的な行使」や「海外での武力行使」が可能となる。自民党の9条改憲案は、現行憲法とその下で制定された安保法制ではできないことを可能にするためのものにほかならず、このことを決してあいまいにしてはならない。

2.いつでも武力攻撃時に適用可能な緊急事態条項

自民党の「緊急事態条項」に関する改憲案は、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」の際の内閣による政令制定権(非常事態権限)と国会議員の任期延長について定めている。しかし、大地震などの自然災害に対応するための措置権限であれば、すでに災害対策基本法や大規模地震対策特別措置法などによって規定されており、憲法で、内閣に立法権を委ねることなどあってはならない。

また、この「緊急事態条項」は、自然災害にとどまらず、軍事的な緊急事態における内閣の権限拡大と人権の大幅な制限に適用される危険性がある。現に下位法たる「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)では、武力攻撃によって生じた災害を「武力攻撃災害」と呼んでいる。自民党の改憲案における「その他の異常かつ大規模な災害」からこの「武力攻撃災害」が除外される保証は今のところ見当たらない。

3.選挙制度の基本原則を破壊する「合区解消」改憲案

自民党の憲法47条改正案では、参議院選挙での「合区」解消や、衆議院選挙での小選挙区間の「一票の価値の平等」の要件緩和が画策されている。しかし、これらは、憲法14条、44条に基づく「選挙権の平等」や、憲法43条が規定する衆参両院議員の「全国民の代表」性という、国民主権の下での選挙制度における基本原則を著しく損なうものである。

これらの原則に則りながら、国会議員と有権者との間の近接性の確保や選挙区割における行政区画や地域的な一体性に配慮することは、議員の総定数の見直しや選挙制度の抜本的な改革によって可能なはずであり、それは憲法改正ではなく法律改正で実現できる。以上の理由から、自民党の47条改憲案は、憲法の基本原則に背馳するとともに、かつ法律改正で可能なことを無理に憲法改正事項とするものである。

 

4.教育の充実につながらない26条改憲案

もともと「高等教育を含む教育の無償化」という謳い文句で提起された26条改憲案は、いつのまにか「教育環境の整備」に向けた国の努力義務規定に変質した。「高等教育を含む教育の無償化」それ自体は、国際人権A規約を批准した際に13条2Cにつけた留保を撤回した今では、国会と内閣がその気にさえなれば、憲法改正によらずとも法律や予算措置で可能であり、そのような施策の実現を強く望む。

他方、今回の自民党の26条改憲案では、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」と規定することで、国民の教育を受ける権利を定めた現行26条に対して、国家の教育権限を強調するものとなっている。前述の学校主催の講演会に対する文科省の調査などに鑑みて、自民党の改憲案は、教育に対する政治介入、国家統制の拡大を招く危険性があり、かつそれを意図したものと読まざるを得ない。

 

結語

以上、今回の自民党大会を通して明らかになった同党の改憲の基本的な方向性は、いずれもが、改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の平和主義、国民主権、議会制民主主義、基本的人権の尊重などの基本原理を変質させ、破壊する性格の強いものである。こうした改憲案が現実のものになれば、「現在及び将来の国民に対し」て「信託」された日本国憲法の基本的な価値は大きく損なわれる。そのような改憲を断じて許してはならない。

私たち法律家6団体は、これらの案が基となる改憲発議を許さないための大きな国民世論を「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が提起する3000万人署名の早期達成によって作り上げること、そのために全力を尽くすことを、現在及び将来の国民に対する法律家の責任として、ここに声明する。

2018年3月26日

改憲問題対策法律家6団体連絡会

 社会文化法律センター      共同代表理事 宮里 邦雄

 自 由 法 曹 団          団  長 船尾  徹

 青年法律家協会弁護士学者合同部会 議  長 北村  栄

 日本国際法律家協会        会  長 大熊 政一

 日本反核法律家協会         会  長 佐々木猛也

 日本民主法律家協会        理 事 長  右崎 正博

 (2018年3月26日)

銭湯で上野の花の噂かな(子規)

花満開の日曜日。どこに足を伸ばすべきか。上野、谷中、飛鳥山、六義園、あるいは小石川植物園、千鳥ヶ淵、墨堤、新宿御苑…。やっぱり、今日は上野だろう。

花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。

花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。

せわしなく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。

年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。

 銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
子規の当時から、上野の山はこうだったのだろう。

ところで、その上野の桜ケ丘といわれる高台に、「王仁博士記念碑」と、その由来を記した副碑がある。彰義隊顕彰碑にほど近い場所。

「王仁博士」は、5世紀初日本に『論語』『千字文』を伝えたという百済人。その記念碑は、戦前植民地統治時代に建てられている。その建立の日付が、「皇紀2600年」となっていることに驚いた。朝鮮には、檀君神話に基づく檀君紀元(檀紀)という紀年法がある。その元年は、皇紀よりはるかに古い。これを用いず、西暦でもなく、わざわざ皇紀を使っているのだ。

転載だが、同碑の建立経緯は次のとおりであるという。

「昭和11年(1936)、趙洛奎という朝鮮人が、四宮憲章(国文学者・皇明会長)のもとを訪ねた。趙は、王仁の事蹟を聞き、彼を顕彰するための碑を建てたいとして、その自作の碑文を示し、四宮に添削を請うたのである。

四宮はこれを受け、建碑のための後援会を組織し、井上哲次郎・中山久四郎を主唱者に立てて寄付金を募った。この結果、協賛者として、近衛文麿・徳富蘇峰・林銑十郎・頭山満ら、特別賛助者として、水野錬太郎・鈴木貫太郎・宇野哲人・白鳥庫吉・韓相龍といった錚々たる顔ぶれが集まることになり、昌徳宮(李垠、註・大韓帝国最後の皇太子)から下賜金も交付された。また、同碑は、かつて弘文院や孔子堂などの儒学関連の建造物があったという由緒をもつ、上野公園の桜ヶ丘に建てられることが決まった。

その後、博士王仁碑は無事建立され、昭和15年(1940)4月にはその除幕式が挙行された。各大臣、朝鮮総督、東京府知事、東京市庁が祝詞を送り、来賓祝辞として荒木貞夫や林銑十郎が挨拶を行うなど、除幕式は官主導で大々的に行われた。

同碑は、将来的に、王仁の生誕地と見なされた扶余(朝鮮)や、伝王仁墓(大阪)にも建てられる予定であったが、戦局の悪化により、計画が頓挫してしまったようである。〔以上、先賢王仁建碑講演会編『紀元二千六百年記念 博士王仁碑』、1940年を参考〕

四宮憲章も李垠も、もう知る人とてないだろう。今も名を知られているのは、評判の悪い人物ばかり。この碑。王仁博士と韓国民衆にとっては、どうも屈辱の碑であるようだ。

この碑の由来なんぞには無関心に、多くの人がこの碑の周りで寛いでいた。この碑に腰掛けて弁当を開いている者も。平和な風景ではある。この碑建立当時の桜は、どんな風情だっただろうか。
(2018年3月25日)

慰安婦問題日韓合意 ― 韓国側の言い分に十分な理がある

対立する当事者との意見の食い違いがあるとき、何よりも必要なことは、相手の言い分をよく聞くことだ。対北朝鮮、対韓国、対中国の諸問題では、圧倒的なメディア・ナショナリズムが、相手側の言い分を掻き消している感がある。慰安婦問題に関する2015年日韓合意でも、その印象が深い。

一昨日(2月11日)の毎日新聞朝刊第7面(国際面)「世界の見方」欄に、南基正(ソウル大日本研究所副教授)が、「10億円の意味 確認を」というタイトルの寄稿が掲載されている。達意の文章で、説得力に富む。読後、「なるほど、韓国世論はこう考えているのか」と蒙を啓かれた思いがある。目立たない隅っこの記事でネットにもアップされていないが、貴重な意見として紹介したい。

「平昌五輪開会式に安倍音三首相が出席し、文在寅大統領と首脳会談を行ったことはひとまず良かった。2015年の慰安婦問題に関する日韓両政府合意をめぐる意見の隔たりにもかかわらず、未来志向を確認したことは、大人の外交の可能性を示した。
 合意直後から日本側は日本政府が拠出する10億円は日本政府の責任認定と関係ないかのように説明し、安倍首相は元慰安婦たちにおわびの手紙を送ることは『毛頭考えていない』と切り捨てた。首相のこの言葉は韓国国民に衝撃を与え、元慰安婦たちの心の傷口を広げた。
 合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。
 合意には、日本政府の予算で拠出した資金で、『全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う』ために韓国政府と協力することが明記されている。韓国が求めているのはこの範囲内でのことである。さらに合意は、日本政府の取るべきこの行動を前提に、問題が最終的に不可逆的に解決『される』ことを確認している。条件を伴った未来形であるので、条件が満たされない限り、問題が解決「した」ことにはならない。
 合意と関連し、韓国はゴールポストを動かしてはいない。ゴールのなかにボールをいれる方法を示したのである。10億円の意味に対する疑心こそ、合意完成への道をふさぐ最大の障害だ。日本がその疑心を晴らすのは合意の枠内で日本がしなければならない責務である。その責任を果たす真摯な態度が合意を拒む元慰安婦たちの心に届く時、合意は完成に向かって動き出すだろう。(日本語で寄稿)」

眼目は、「合意の基本精神は、慰安婦問題について日本政府が責任を認め、謝罪し、元慰安婦の心の傷を癒やすための措置をとることだったはずだ。その基本精神を否定されて渡される金銭的措置に何の意味があるのか。10億円の意味を確認することは、事業継続と合意履行のために不可欠だ。」というところにある。

安倍政権側は、「カネで解決できるのなら10億を出そう。形だけ謝って済むのなら謝罪の表明もしよう。しかし、これっかぎりだ。この合意で、『最終的かつ不可逆的に解決』なのだから、これ以上は1ミリも譲歩はしない。元慰安婦に謝罪の手紙を書くなんて約束していないことをすることは『毛頭考えていない』」というわけだ。

韓国側は、安倍政権に「その責任を果たす真摯な態度」を要求し、安倍政権側は、「そんな約束はしていない。カネで解決の約束のはずだ」「それ以上の要求は筋違い」とすれ違っている。

あらためて、日韓慰安婦合意の内容を確認しておこう。以下は、外務省のホームページからの転載である。これ以外に密約があるとも言われるが、密約の存在もその内容も気にする必要はない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

2015(平成27)年12月28日
1 岸田外務大臣
日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。
(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。
(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。
(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

2 尹(ユン)外交部長官
韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。
(1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。
(2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。
(3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

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なるほど、よく読めば、南氏のいうとおりではないか。安倍政権には、韓国政府とともに、「日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う」義務を負うのだ。「10億出したから終わり」と逃げることは許されない。明らかに、韓国側の言い分に分がある。
(2018年2月13日)

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