澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

今村復興大臣辞任をめぐってー「失言・放言・暴言・妄言」再論

2011年3月。私は、故郷岩手の3・11被害に驚愕し動顚し、うろたえてもいた。その心理状態で、石原慎太郎の「震災・津波は天罰」という発言に接して文字通り激怒した。「石原慎太郎天罰発言」批判のブログ連載はその怒りのほとばしりである。4年後の3月11日に、そのダイジェストをアーカイブとして当ブログに掲載している。再度、お読みいただけたらありがたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=4563

その中の一文が、「失言・放言・暴言・妄言」(2011年3月31日)という以下のもの。本日なればこそ、再掲したい。

石原の「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」 こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。

彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。

翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。

放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。

失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。

思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。

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以上の拙文の、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」という発言内容を、「これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった」「自主避難者が帰還するかどうかは自己責任。裁判でもなんでもやればいい」に置き換えれば、そのまま昨日(2017年4月25日)の今村復興相発言批判に通用する。石原慎太郎と今村雅弘とは、似た者同士で同罪相哀れむの仲。いずれも、問題は失言にではなく、彼らが抱えているホンネにあるのだ。今村だけではない。イナダ以下の閣僚皆がそうではないか。

そしてアベ本人には、「失言・放言・暴言・妄言」以外に、「呆言(ほうげん)」というものがある。呆は痴呆の「呆」。官僚が書いた原稿の「云々」を、自信たっぷりに「でんでん」と読む、あの手の「呆言」。これが、日本国民にふさわしい内閣なのか。

なお、執拗に繰り返されたイマムラ放言には、被災者切り捨ての方針を打診する意図があったのではないか。批判がなければ確実に東北の切り捨てが進行したと思う。イマムラにもアベにも、厳しい批判が必要なのだ。
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そして、同アーカイブから、もう一つの記事(2011年04月04日)を。

ばちあたり

「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。

「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。

「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。

そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。

「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い

これも、「天罰」を「自己責任」に、「しゃざい」を「辞任」に、「あのひと」をアベあるいはイマムラに置き換えてお読みいただきたい。
(2017年4月26日)

「憲法日記」 本日連載第1400回

当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、日民協ホームページの軒先間借りから独立して、新装開店したのが2013年4月1日。以来、毎日一本の記事を途切れることなく掲載し続けて、およそ3年と10か月。本日で連続1400回となった。何がメデタイのか判然とはしないが、ともかく一人で祝うことにしよう。

1400日前の、連載第一回冒頭の記述を引用する。
春。新しい出発のとき。引越の季節でもある。
本「憲法日記」は、4月1日の本日、これまで長く間借りしていた日民協ホームページから引越をして、本サイトにての新装開店である。独立を宣言する心意気なのだが、これまでと何がどう違うことになるのかは、まだよく分からない。少なくとも、大家に気兼ねすることなく、独立自尊、のびのびと、言わねばならぬことを言いたいように言えることになる。もの言わぬは腹ふくるる業とか。恐いものなし。なんでも言うことにしよう。

以来今日まで、第一回で宣言したとおり、「なんでも言うことにし」てきた。「言わねばならぬことを言いたいように言ってきた」とも思う。

私の当ブログ執筆の基本姿勢は以下の如きものだ。
当たり障りのないことは、わざわざ時間をかけて書くに値しない。すべからく、「当たり障りのある」ことだけを記事にしなければならない。

「当たり障りのある」記事とは、直接間接に誰かにとって不愉快であり感情を害するもの。あるいはそれにとどまらず、場合によっては、対象人物の社会的評価を低下させる内容を含むものである。

通常、他人を批判することは避けたいとするのが人情。私もその例に漏れない。しかも私は、もともとが文系の人となり。どちらかといえば、花鳥風月や歴史をひもとくことが好み。そんな文章を書いている限り、舌禍も筆禍もないのだ。

当然のことながら、他人への批判には反論が待っている。反論や反批判の繰りかえしというしんどい作業を覚悟しなければ、「当たり障りのある」記事を書くことはできない。それでも私は、1400日前に、そのような覚悟をもって「当たり障りのある」ブログ記事を書き続けることを宣言したのだ。もちろん、アベ政権の憲法破壊の動きに、少しでも抵抗が必要だと考えてのことである。

表現の自由とは、だれをも傷つけない、毒にも薬にもならない内容の言論が保障されていることではない。権力と権威あるものを対象に、これに打撃を与え、「毒」になる内容の言論が保障されているということでなくてはならない。権力と権威は得てして暴走する、これを是正するのが批判の言論である。権力と権威の腐敗防止の役割も批判の言論が担う。そのことが、多くの人にとっての「薬」になる。当ブログは、そのような役割の一端を担いたい。

まずは、内閣、省庁、国会、裁判所、地方自治体などの権力機構やこれを担う官僚・公務員に対する批判の言論が徹底して保障されなければならない。とりわけ、政治家に対する批判の自由は格別に重要な意味を持つ。

次いで、天皇や天皇にまつわる制度を批判する言論の自由が保障されなければならない。天皇や皇族の行状、その経済的優遇措置、天皇の神聖性や文化的権威の維持に資する一切の思惑や賛美の意見や行事などを批判する言論が最大限に手厚く保障されなければならない。天皇こそが、歴史的に国民主権の敵対物であり、主権者意識確立を妨害する存在だからである。

さらに、社会的な強者としての財界、企業、事業者に対する批判においても躊躇さするところがあってはならない。

そして、メディアや、政党、大学や研究機関、あるいは巨大宗教団体など、社会的な権威や権力を持つ組織やそれを担う人物に対しても、批判の言論が保障されなければならない。

すべからく、権威や権力を持つ者は、その権威や権力の程度に応じて、批判に寛容でなくてはならない。

昨日の「DHCスラップ訴訟・勝利報告集会」で、田島泰彦教授が「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟」というタイトルでの記念講演があった。表現の自由を定めた、国連の「自由権規約(B規約)19条」の公的解釈とも言うべき「名誉毀損法の国際ガイドライン」が、いま大きく変更されようとしており、数ヶ月以内に発表があるはずとのこと。

その中で注目されるものは、「公人(あるいは公的人物)に対する批判の言論」を手厚く保障するという枠組みから、もっと広く「公共の関心事に関する言論」を手厚く保障するという枠組みになるはず、ということだった。「自由権規約(B規約)」は国内法としての効力を持つことになるのだから、心強い限りである。

今日までの1400回のブログでは、アベ政権・自公与党による明文改憲・解釈改憲の動きを批判し続けてきた。その同盟者としての橋下・維新もである。都政や歴史修正主義、諸悪法制定の動きにも警鐘を鳴らしてきた。

天皇や天皇制、天皇制にまつわる元号、祝日、叙位叙勲、公的行為を批判してきた。また、消費者の立場から企業や規制緩和論者を批判してもきた。全ては、弱者の側からの、強者に対する批判のオンパレードである。「宇都宮君立候補をおやめなさい」シリーズも、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズも、弱い立場の人権に敵対する強者への挑戦の言論となっているはずである。

さて、1400回。もちろん、通過点に過ぎない。次は、満4年の記念日があり、1500回があり、さらに5年となる。改憲阻止を目指して、毎日コツコツと書き続けていくことになるだろう。2000回を迎えたときには、いったい何が主要なテーマとなっているのだろうか。
(2017年1月29日)

2016年の暮れに思う

大晦日である。間もなく今年も暮れてゆく。世のならいにしたがって、2016年を振り返ってみたい。

私は、古い人間だから、修身・斉家・治国・平天下の順に、つまりは個人・家族・国内情勢・国際情勢の順に、感想を略記する。

個人的には今年も大過なく健康で過ごせた。そのおかげで、ブログは366日一度も途切れることなく書き続けることがてきた。本日で、3年と9か月、1371日の連続更新となる。それなりに、毎日意味のある情報や見解を発信し得ているつもりだ。拙いブログも、継続することで真摯さをアピールし、それなりの社会への発信力を獲得しているものと自負している。

もっとも、かつては「憲法」キーワードでのグーグル検索で、「澤藤統一郎の憲法日記」はトップページに位置していた。順位一ケタだったのだ。ところが、次第に後退して、今は9~10頁目に落ちついている。そんなものだろう。ことさらに目立ちたがらず、「二ケタ台」の順位をキープしていることに満足したい。

今年特筆すべきは、DHCスラップ訴訟勝利の年となったこと。バカバカしい訴訟の被告とされて以来、こんないい加減な訴訟での敗訴はあり得ないと思いつつも、6000万円請求の被告とされていることの心理的負担は小さくはなかった。弁護士である私にしてこうなのだから、スラップ訴訟による言論萎縮効果は看過しえない。被告として請求棄却判決を得ただけでは、まだなすべきことをはたしてはいない。来年は、DHCと吉田嘉明らに反撃の提訴をすることになる。「言論の自由」という大義の旗を掲げての訴訟の原告となって、新たな判例を作りたい。

家族も息災に元気で過ごせた。何よりの家内安全である。

国内情勢としては、相も変わらぬアベ一強政治が続いていることが不思議でもあり、残念でもある。アベ政治の継続の中で、戦前を知る人々の多くが、「今は戦争直前の空気に似ている」「意識的に政権に対峙しないと、いつの間にか再びの過ちを繰り返しかねない」と警告を発するようになった。この点に心したい。

戦争に突入する前の、ドイツと日本の歴史を再確認しなければならない。戦争は、ヒトラーだけで、あるいはヒロヒトだけでなし得たことではない。程度の差こそあれ、多くの国民が、戦争を支持し加担したのだ。

たとえば、教育者もである。高知で国民学校の教師をしていた竹本源治は戦後「戦死せる教え子よ」と痛恨の詩を遺している。

逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の師の名において
嗚呼!
慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、
それが何の償いになろう。
逝った君はもう還らない

慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、それが何の償いになろう」という慨嘆は重く深い。アベやイナダや維新への批判に手を抜いて、その結果としての「慙愧 悔恨 懺悔」の事態を招いてはならない、と痛切に思う。

都政では、思いもかけぬ舛添バッシングと小池劇場を見せつけられた。舛添を支持するつもりはさらさらないが、あのバッシングのボルテージは違和感つきまとうものだった。私も舛添批判はしたが、今になってみれば、小池百合子を都知事に据える藪蛇の結果となったのは、恐いことだと思う。

明らかに、舛添よりは小池の方が数段危険度の高い存在である。小池流のパフォーマンスを「都民寄り」などと持ち上げて、小池の影響力を高めることに手を貸してはならない。その右翼的な危険な本質を見失ってはならない。

そして、憂うべきは世界である。トランプ、プーチン、ドゥテルテなどの言動を見れば、明らかに民主主義がその本来の機能を果たしていない。熟議のない政治、少数意見を切り捨てる政治、人権を無視しし理性を欠いた、正常ならざる事態が進行するのではないか。仮に、この流れにヨーロッパが続くようなことがあれば危機的状況といわねばならない。

この民主主義の危機的状況は国内でも、アベ、橋下現象として先行している。理性を備えた自立した市民を担い手と想定する民主主義が、その主体を欠いて機能不全を起こしていることをまず認識しなければならない。

もっとも、すべてが悪いことばかりではない。各地で、市民と野党との共闘の動きは進んでいる。沖縄は、米軍とアベ政権に抗して頑張り続けている。両院の憲法審査会の実質審議は進展していない。今夏の参院選で、衆参両院とも改憲勢力の議席数が3分の2に達し、自民党議席が過半数に達したにもかかわらず、である。籾井は、NHK会長職を辞せざるを得なくなった。政権側の思惑も、なかなか実現してはいないのだ。

「理性を備えた自立した市民」育成の鍵は、教育とメディアにある。これをどう権力の恣意から防衛するか。長いスパンでの努力を積み重ねなければならない。

そのような思いのうちに、今年が去年になる。この1年、「憲法日記」お付き合いいただ読者に心から御礼を申し上げて、行く年のご挨拶といたします。御身大切に、よいお歳をお迎えください。

そして、来たる年もよろしくお願いします。
(2016年12月31日)

近ごろ気になることー「天皇を護憲の守護神のごとく見てよいのか」

「憲法日記」と題した当ブログ。本日で連続更新1256回となる。3年5か月と7日。毎回が何の節目でもない積み重ねの一コマ。毎日途切れることなく、飽きることなくよく続くものと、自分でも感心している。

ときおり、読者から励ましの言葉をいただく。
励まし方には二とおりある。名誉毀損であるとして高額損害賠償請求訴訟の被告とされることも、「不敬言動調査会」などの「警告」も、私には発憤の材料である。そのたびに、「萎縮してはならない」と自分に言い聞かせる。嬉しくはないが、非難も罵倒も恫喝も励ましには違いない。誰にも心地よく、毒にも薬にもならない無難な内容のブログなら、時間と労力をかけて書き続ける意味はない。

他方、本当の意味での暖かい励ましの言葉をいただくと本当に嬉しい。私の意見は、常に少数派のもの。その少数派の人たちに、「同感し、励まされます」と言っていただくと、書き続けることの意義を再確認して、また書き続けようという意欲が湧いてくる。偶然だろうか、最近は出版関係の0Bの方から、そのような励ましをいただくことが多い。

下記は、そのような励ましのお手紙に添えられた、「職域関係会報に載せた」というご意見の抜き刷り。ご紹介して是非お読みいただきたい。筆者は戦中派の年代の方。

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近ごろ気になること(2016・4・24)
 2月27日の朝日歌壇に《フィリピンで果てにし父よ両陛下慰霊で供花す暑さの中を》など、天皇訪比を称える歌3首が載っていた。
同じ選者が選んだものだ。選者は「評」の中で「両陛下のフィリピン慰霊の旅、日比両国民に犠牲を強いたあの戦争を忘れてはならぬというお言葉に共感を示す歌が多く寄せられた」と書いている。3月26日の東京新聞「平和の俳句」には「今現に九条貫く天皇あり」という句が選ぱれ、選者は「潔い句だ。作者の気持ちの込め方も、その対象の天皇のお姿も言動も、まことに潔い。今次大戦を深く悔いて、平和を願う天皇皇后」と述べていた。
 安倍暴走の中、時おり見せる平和主義的言動のゆえに天皇を護憲の守護神のように見なす傾向が強まっている。ある元外交官は「大御心」という古語を使って礼賛し、ある政治学者は九条の会関係の講演で「お言葉」「お立場」「おっしやいました」を連発して感激している。
 しかし、天皇はこうした護憲的イメージと裏腹な言動を見せることもある。昨年4月パラオ慰霊の旅への出発時には「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々」云々と述べた。右側の人たちは歓喜した。その一例《ご出発に当ってのお言葉に、「祖国を守るべく戦地に赴き」との一節。一見、何気ないご表現に見えるかも知れない。しかしこれは、戦役者への「顕彰」に他ならない。わざわざ「祖国を守る」為と明言されているのだから。[略] これらは紛れもなく、ご嘉賞(お褒め)のお言葉と拝すべきだ。それらの戦地で斃れた英霊たちを、ひたすら″気の毒な″被害者、犠牲者と見るようなお態度では、全くない》(新しい歴史教科書をつくる会副会長のブログ)。このブログの言う通り、天皇は、この時、戦死者を顕彰すべき英霊として捉え、あの戦争は祖国防衛戦争であって侵略戦争などではないと言っていたに等しい。
 また、2006年12月には、イラクに派遣された自衛隊員約180名を皇居に招き、「ブッシュの戦争」と呼ばれる露骨な侵略戦争に関わった武装組織の労をねぎらった。この4月には「神武天皇没後2600年」という驚くべき行事に出席している(この行為には憲法20条3違反の疑いもある)。こうした言動に対してマスメディアは勿論、護憲派諸組織も、疑念や懸念を表明したことはない。
 現在の日本において天皇は至高の存在だ。メディアで報じる時は必ず最大級の敬語を用いなければならない。右のような言動についてもその評価を自由に論じることなど事実上許されていない。そんな状況の中で、民主主義と自由を希求する護憲派が、いかに安倍政治に対抗するためとはいえ、賛美する一方で良いのだろうか。戦時中「天皇陛下のおんために死ねと教えた父母の」などと歌わされ、先生の訓示の中で「天皇陛下」という語が出てくるつど全員さっと直立不動の姿勢をとらされた経験を持つ人間としては、どうも気になるところだ。

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まったく同感である。天皇を護憲の守護神のごとくたてまつってはならない。憲法が厳しく限定した枠を超えて天皇の言動を許してはならない。また、天皇の個性は偶然のことがらで、天皇制の持つ意味は必然のことである。この両者の区別を意識しなければならず、混同してはならない。

私の拙いブログが、このような意見を持つ方たちと励まし合う関係になるのなら、欣快の至り。「憲法日記」ずっと書き続けなければならない、と思う。
(2016年9月7日)

ネトウヨ諸君、匿名でも探し出される。インターネットの誹謗中傷に高額賠償判決。

本日(8月3日)東京地裁民事第24部で、注目すべき判決が出た。新しい法解釈を含むところはまったくないが、インターネット上に氾濫する匿名言論の誹謗中傷記事に歯止めが掛かることを期待させる判決である。

在特会の京都朝鮮学校襲撃事件や徳島教組威力妨害事件では、首謀者だけでなく、付和雷同した参加者も有罪となり高額損害賠償責任を負担した。今度は、ネットだ。匿名に隠れての言いたい放題は通じない。ヘイト記事はなおさらのこと。本人は匿名に隠れて安全地帯にいるつもりでも、探し出せるのだ。住所氏名が割り出せれば、あとは簡単。本日のような判決になる。そして、弁護団は判決認容の170万円とほぼ1割の遅延損害金を厳しく取り立てるはずだ。

原告は女子高生。卑劣なネトウヨ君は、葛飾区四つ木の住人。このネトウヨ君が何をしたのか。判決から要約引用すれば、「被告は,平成26年9月8日,インターネット上のサービスであるツイッターにおいて,原告の写真を掲載し,『原告が,高校生平和大使に選ばれた。詐欺師の祖母,反日韓国人の母親,反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド。将来必ず日本に仇なす存在になるだろう。』との投稿をした。これは,原告の社会的評価を低下させ,原告の名誉権を侵害するものである。さらに,本件投稿は,原告の肖像権を侵害する。」

ネトウヨ諸君、原告の請求が満額認容されて、このツイッター1通が170万円だ。君も、「反日韓国人」「反日捏造工作員」などと書いてはいないか。口は災いの元、筆は損害賠償の源だ。悪いことは言わない。今後は慎んだ方がよい。君も、被告となり得るのだから。

興味深いのは損害論だ。170万円の内訳は以下のとおり。
ア 精神的損害に対する慰謝料 100万円
イ 調査費用 
  発信者情報開示の仮処分に関する弁護士費用20万円
  発信者情報開示の仮処分に関する翻訳費用20万円
  経由プロバイダに対する発信者情報開示手続に関する弁護士費用20万円
ウ 本件訴訟の弁護士費用10万円

実は、裁判所は判決理由の中で、「本件の慰謝料額は200万円が相当」と意見を述べている。しかし、原告が100万円しか請求していないから、その上限の判決となった。実質的に本件は270万円の判決と理解しなければならない。

匿名を暴くのには手間暇かかる。そのための手続費用が加算されることになる。これも教訓として世のネトウヨ諸君に知ってもらわねばならない。

本件の被告ネトウヨ君は、ネトウヨ族の代表として、貴重な体験をした。身をもって「匿名に隠れての言いたい放題は、実は真っ当な社会では通用しないことなのだ。」「調子に乗ってバカ言ってると、手痛い損害賠償の判決を喰うことになる」ことを学んだ。その学習費が170万円だ。世のネトウヨ諸君も貴重な教訓として、我が身を糺してほしい。

以下はNHKの報道。
「判決のあと、元記者の長女(原告)は、弁護士を通じてコメントを出しました。
この中で、当時の気持ちについて『ひぼう中傷の言葉が大量に書き込まれた時、私は「怖い」と感じました。匿名の不特定多数からのいわれのないひぼう中傷はまるで、計り知れない「闇」のようなものでした」と振り返っています。
 その上で『今回の判決がこうした不当な攻撃をやめさせるための契機や、健全なインターネットの利用とは何かについて考える機会になってほしいと思います』と訴えています」

この言は立派なものだ。原告は「将来必ずや日韓の平和に貢献する存在」になるものと思わせる。
(2016年8月3日)

鳥越俊太郎都知事候補の公約について

Blog「みずき」の東本高志さんから、ブログで私を名指した問題提起を受けた。昨日(7月15日)のことだ。野党共闘のあり方についての醍醐聰さんのご指摘をもっともであるとし、私のブログでのこの点についての応接を、「重要な問題提起をスルー」して、いかにも「もの足りない弁明」とされる。ご指摘は下記のとおりだ。

澤藤さん。「告示日が迫る中、大詰めの段階で鳥越氏が野党統一候補者となったことも理解できる。しかし、それで、胸をなでおろし、あとは鳥越氏勝利のために頑張ろう、では都民不在である。それでは、判官びいきではなく、『知名度頼み、政策不在の候補者選び』という宇都宮氏の批判に一理がある。(略)こうした都民に向ける政策、公約が告示日の前日になっても不在のまま、4党の合意で候補者だけが決まるというのは異常である」という醍醐聰さん(東大名誉教授)の指摘も私は同様に重要な問題提起だろうと思います。「4党の合意で候補者だけが決まるというのは異常である」という醍醐さんの指摘は本来の野党共闘はどうあるべきかという根底的な問題提起です。この重要な問題提起をスルーして「4野党が責任もって推薦しているのだ」というだけではこれもいかにも「もの足りない」弁明というべきです。醍醐さんの指摘に本格的に応じてみよう、という気はありませんか?(東本高志 2016/07/15)

私は、Blog「みずき」には関心をもって目を通しているつもりだが、昨日(7月15日)はまったく気付かなかった。今日(16日)、日民協の総会と懇親会を終えて夜帰宅し、パソコンを開いてはじめて気が付いた。私のブログの拙文に、こんなに関心をもっていただいたことをまことにありがたいと思う。

常々、醍醐さんが言っている。「議論が足りない」「意見の異なる人との真摯な議論が必要なのにできていない」「リベラル側の議論の意欲も説得の能力も不十分だ」と。幾分かは、私に言われているように思う。せっかくの東本さんからの議論をうながすご質問。しかも、醍醐さんの指摘を引用してのものだ。「本格的に」はともかく、応じなければならない。

私の「弁明」をまとめれば、次のようになろうか。
 (1) 不十分だが緊急避難としてこの際やむを得ない
 (2) それでも候補者選定の最低限情報は提供できている
 (3) 公約の細目は追完される
 (4) 候補者選定の枠組みを作ったのは市民だという大義がある

私は革新陣営の共闘を願う立場で一貫してきた。政党が、自らの理念や政策を大切にして他党と支持を競い合うのが本来の姿であるが、政策が近似する友党との共闘が大義となって、個別政党の共闘拒否がエゴとなる局面がある。保革で一議席を争う首長選挙がその典型であろうし、喫緊の重要課題についての共闘の成否が革新陣営全体あるいは野党全体の死活に関わる問題という局面では、国政選挙でも共闘が大義となるだろう。

私の革新共闘の原イメージは、70年代初頭の革新自治体を誕生させた運動だった。社・共の両政党を当時は強力だった総評が間に立って結びつける。そのような共闘のお膳立てを文化人が準備した。東京・大阪・京都・福岡・愛知などに、そのような形での革新知事が誕生して、国政にも大きなインパクトを与えた。今でも、美濃部革新都政のレガシーには大きなものがある。とりわけ、福祉や公害対策の分野において。

しかし、60年安保闘争後の高揚した雰囲気の中から生まれた革新自治体運動はやがてしぼんだ。共闘の主役だった社会党はその座を降り、労働運動はかつての力を失った。革新共闘そのものが困難な時代となった。東京都知事選挙にもその影は深く、極右の知事に対抗すべき革新統一もならない事態が続いた。

石原の中央政界転身による2012年都知事選での革新共闘は、市民運動が主導して、各政党が候補者を個別に支持する形のものであった。「この指止まれ方式」と言われた。政党は、候補者の出馬宣言に賛同を表明する形で共闘に参加し、けっして政党間の事前の政策協定あっての共闘ではなかった。それでも、これまでにない共闘が成立したことを大いに評価すべきものといえよう。具体的な政策は、選対に参加した学者を中心に立派なものができあがった。共闘参加者全体に違和感のないものとしてである。このとき、政策作りに候補者本人はほとんど関与していないが、それでよい。選挙は陣営としてするもので、候補者も政策に縛られるのだから。

要するに、「市民運動+共産・社民」の範囲を「革新共闘」として、ようやくにして成立に漕ぎつけた。共闘の要は、候補者であった。特定の政党や勢力に偏らない人物が名乗りを上げたからこそ、共闘の枠組みができた。それでも、選挙結果は記録的な大敗を喫した。候補者の魅力に欠けていたこと、選挙実務ができていないことが最大の要因であったろう。

14年都知事選においては、革新側(ないしは野党側)は分裂選挙となった。およそ最初から勝てる見込みある選挙ではなかった。結果は、分裂した両候補の票を合計しても、自公の候補に届かなかった。革新の側は、本気で勝つためには、共闘の幅は拡げなくてはならないこと、分裂選挙してはならないことを学んだ。候補者の選定は、この教訓から出発しなければならない。

16年都知事選は、様相を異にする。これまでと違って、政党間の共闘合意が先行したのだ。しかも、民進・生活を含む4野党共闘の枠組みである。この枠組みで推すことのできる候補者がどうしても必要だったのだ。前回・前々回の候補者では、4野党共闘の枠組みにふさわしからぬことは自明のことであった。候補者個人は、3回目の立候補ともなれば都政の細目に詳しくはなるだろうが、それはさしたる重要事ではない。市民が後押ししてようやくにして作り上げた4野党共闘である。これを生かす候補者の選定が大義なのだ。共闘参加のすべての政党が推せる候補者でなくてはならない。当然のこととして共闘の最大政党である民進の意向も無視し得ない。今回の参院選東京選挙区での民進票は170万なのだ。

せっかくの4野党共闘による知事選の枠組みが人選で難航しているときに、告示間際となって鳥越候補が出現した。政策は共闘成立に必要な大綱でよい。私は、出馬会見で彼が語った第3項目は、実質的に「ストップ・アベ暴走」であったと思う。あるいは、「首都東京から改憲阻止のうねりを」というもの。語られた中身は、改憲阻止であり、戦争法廃止である。歴史を学んだ者として、アベ政権の歴史修正主義を許せないという趣旨の発言もあった。都政に憲法を生かすとの政策と受け止めることができる。これだけでも十分ではないか。もちろん、今回知事選の争点となる知事としての金の使い方、透明性の確保についても語られている。

果たして、細目の公約がなく都民不在であるか。もちろん、時間的余裕があってきちんとした公約を掲げての立候補が望ましい。今回の経緯では不十分であることは明らかだが、「都民不在」とまでいう指摘は当たらないものと思う。

その理由の一つは、候補者の経歴がよく知られていることにある。候補者の政治的スタンスと人間性の判断は十分に可能であろう。出馬会見はそれを裏書きする誠実なものであった。都知事としての資質と覚悟を窺うに十分なものであった。

また、4野党共闘の枠組みは広く知られているところである。立憲主義の回復であり、民主主義と平和の確立であり、戦争法の廃止であり、改憲阻止である。4野党と市民が納得して、この枠組みに乗せられる人であることが都民に示されたのだ。「候補者+4党+支持する市民」がこれから練り上げる具体的な都政の政策をしっかりと見ていこうと思う。それでも、けっして遅すぎることにはならない。

事前の政策協定ができればそれに越したことはないが、ようやくにして成立した4党共闘の枠組みである。これを強く望みつくったのは市民である。これに乗る魅力的な候補者が見つかったのだ。現実に革新の側(反自公の側)が勝てるチャンスなのだ。既に多くの市民団体が鳥越支持の声を上げている。各勝手連も動き出している。政策は、おいおい素晴らしいものが体系化されるだろう。もとより理想的な展開ではないが、今回はやむを得ない。判断材料としての最低限の情報提供はなされており、さらに十分なものが追加されるはずである。傍観者的に都民不在と言わずに、4党枠組みを望んだ市民の一人としてこの知事選に関わっていきたいと思う。
(2016年7月16日・17日加筆)

醍醐聡さんの「安倍政治批判、野党共闘」ブログに思うこと

下記は、醍醐聰さんの昨日(7月4日)付ブログ。タイトルが、「安倍政治批判、野党共闘、日本共産党の政治姿勢について」というのだから、話はこの上なく大きい。
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-e4ee.html

冒頭に、「(以下は昨夜、Aさんに送ったEメールである。このブログへの転載に当たっては一部、表現を加除した)」とある。この「メールの送り先のAさん」が私だ。醍醐さんのブログは私信ではなくなったのだから、返信ではなく、ブログへの感想を書きたい。

メールをいただいたのは、「昨夜」(3日夜)ではなく、7月4日未明の4時40分のこと。この時刻のメールには、さすがに驚く。「馬力の違いを痛感」せざるを得ない。

私は、ブログ「憲法日記」を毎日書き続けている。第2次安倍内閣存立の時期と重なるこの3年余。醍醐さんご指摘のとおり、「護憲への熱意と安倍政治への徹底した批判」で貫かれているはず。そして最近は、参院選に焦点を当てている。今が、日本国憲法試練の時と意識してのこと。市民運動が背中を押してできた野党共闘を評価し、明文改憲を阻止して「立憲主義を取り戻す」運動に賛同してエールを送る立場を明確にしている。

その毎日の私のブログを丁寧に読んでいただいての醍醐さんのご意見である。私のブログに対する「異論」の提起であるとともに、護憲・リベラル派の言論への物足りなさや、危惧の表明ともなっている。そして革新運動の体質や姿勢についての問題提起でもある。

私信としてのメールでは小見出しはなかったが、醍醐ブログでは、次の小見出しが付いていて、全体の文意を把握しやすい。
 有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?
 「野党共闘」の内実を問う
 日本共産党の中途半端な自衛隊論
 内実が伴わない「立憲主義を取り戻す」の公約
 異論と真摯に向き合う姿勢こそ

この小見出しをつなぐ、ご意見の骨格は次のようなもの。
「有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?」についての分析が不十分ではないか。だから、的確な運動論が展開できていない。「野党共闘」に対する手放しの評価はできないし、共闘の中心に位置する日本共産党のポピュリズムにも危惧を覚える。とりわけ、共闘の共通目標とされている「立憲主義を取り戻す」というスローガンは無内容きわまるものではないか。このような事態で、どうしてもっと異論が出てこないのだろうか。湧き起こらねならない多様な論争が起こらないこの状態こそが何よりも問題ではないか。」

おそらく、醍醐さんがもっとも言いたいのは、次のことだ。
「今の野党共闘陣営(日本共産党も含め)には、借り物ではない、自分の言葉で、意見が異なる人々と対話する能力が決定的に欠けていると日々、感じています。」「私が指摘したような疑問、異論が政党内や支持者内から全くといってよいほど聞こえてこないことに大きな疑問、気味悪さを感じています。」「異論、批判に真摯に向き合わない体質が国民と溝を作る要因であることに、なぜ気づかないのでしょうか?」

私のブログの論調に、「意見が異なる人々と真摯に対話し説得しようとする」姿勢と能力の欠如を感じてのご指摘。これが、私だけでなく野党共闘陣営全体の欠点となっているのではないか。そのことが、護憲や革新の運動が大きくならない最大の原因であろうとのご意見なのだ。思い当たり、肯くべきところが多々ある。
以下に、醍醐さんに触発された何点かについて、私見を述べておきたい。

醍醐さんは、「安倍批判の言葉の強さではなく、多くの人の心のうちに届く言葉を選ぶことが大切だ」と示唆する。そして、多くの人の心のうちに届いて説得力を持つ言葉を選ぶためには、「有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?」をしっかり把握する必要があるとされる。民主主義がポピュリズムに堕しているから、国民が愚昧だから、という切り捨ては解答にならず、問題解決の道は見えてこない。

醍醐さんはこう言う。
「消極的な安倍支持者の主な支持の理由は、次の2つではないかと思います。
 ①安倍(自民党)政権に代わり得る受け皿が見当たらない。
 ②安倍政治に幻想を持っている。」

確かに、「安保法、憲法改定、消費税増税、原発再稼働、沖縄基地問題など、どれをとっても過半の有権者は安倍政権の中核的政策を支持していない」。にもかかわらず、内閣支持率は落ちない。それは、安倍政権への主な支持の理由が、「②安倍政治に幻想を持っている」よりは、「①安倍(自民党)政権に代わり得る受け皿が見当たらない」にあるからと言わざるを得ない。

2009年の民主党政権誕生は圧倒的な民意に支えられた画期的な展開だったが、その失敗の印象が大きい。「自民党政権はあれよりマシ」、「もう、チェンジのリスクをとりたくない」というのが、「ポスト民主党政権」のトラウマとして国民意識に定着している。だから、現政権への国民の支持は消極的なものだが、それにも拘わらず現政権に代わるべき受け皿としての認知されることへのハードルは高い。果たして、現在の「野党共闘」はそのような内実をもったものになっているか。

醍醐さんは、端的に「冷めた見方」だという。私も、野党の共闘は緒についたばかり、政権を担う受け皿としての成熟度が十分とまでは思わない。しかし、改憲阻止という喫緊の課題における現実的な対応としてはこれ以外にはなく、また大きな役割を期待できるとも思っている。裏切られる可能性もなくはないが、このたびの野党共闘は幅の広い市民運動が土台にあってつくり出された側面が大きい。今後とも、市民運動が政党を後押ししながら「野党+市民」の運動が展開される展望をもつことができる。野党の一部が裏切るか否か、それは国会内外の運動の進展如何にかかっていると思う。

なお、正直言って、立ち止まって考えている余裕はないのではないか。今回選挙に、市民主導で野党共闘が実現したことは、「ようやく間に合ってよかった」と、明文改憲阻止のために積極評価したいと思う。醍醐さんが提唱される「市民が主体的に無党派の候補者を擁立し、それを既存の野党も共同推薦するという形」は、やや違和感を否めない。市民と政党を、あまりに開きすぎた距離ある存在ととらえている印象。また、私は小林節グループの運動には批判的な意見をもっている。

日本共産党の自衛隊論については、醍醐さんのご指摘は、かつては常識的なものだったと思う。「ポピュリズムが透けて見えます」というのは、そのとおり。しかし、選挙は勝たねば意味がないという面を否定し得ない。私は自衛隊違憲論だし、共産党もそのはず。それでも、「安保関連法の違憲性を主張しながら、法を施行する際に武力行使の中核を担う自衛隊の違憲性は棚上げするという議論」は、あり得ると思う。現に、昨年の安保法(戦争法)案反対運動は、「自衛隊違憲論者」と「専守防衛に徹する限り自衛隊合憲」論者の共闘として発展した。

私は、個人崇拝も党崇拝もしないが、「共産党の理性はどこまで劣化するのか、計りかねます」というほどには悲観的でない。党の内外からの批判の言論が大切なのだと思う。その意味では、醍醐さんのご意見は、私にではなくむしろ日本共産党に向けられたものとして貴重なものでないか。

醍醐さんのブログの最後は、次のとおりの、革新派の体質問題である。
「上のような疑問を向けると、必ずと言ってよいほど『利敵行為論』が返ってきます。宇都宮選挙の時も体験しました。しかし、異論、批判に真摯に向き合わない体質が国民と溝を作る要因であることに、なぜ気づかないのでしょうか?「今は○○が大事だから」という物言いで、組織の根深い体質にかかわる問題や自らの政策に宿る未熟な部分を直視しない態度を、いつまでとり続けるのでしょうか?」

これは、一面は私への苦言である。私は、「改憲派に議席の3分の2をとられかねない緊急事態なのだから、明文改憲阻止勢力の共闘が大義」と言っているのだから。しかし、その私も、宇都宮選挙を担った「市民グループ」の質の悪さや未熟さと、これを推した日本共産党の無責任を身をもって経験している。

「大所高所」論やら、「大の虫・小の虫」論、「利敵行為」論、さらには「今は○○が大事だから」論のいやらしさは身にしみている。「組織の根深い体質にかかわる問題」や「自らの政策に宿る未熟な部分」を直視してもらいたいという願望は人一倍強い。その私も、場面場面でのご都合主義に流されかねない。

醍醐さんは、類い希なる原則主義者として、その私のご都合主義に警鐘を鳴らしているのだ。こういう人の身近な存在は、得がたい好運というほかはない。

「改憲派に議席の3分の2をとられかねない緊急事態なのだから、明文改憲阻止勢力の共闘が大義」と今の私は考えているが、「今は○○が大事だから」論のご都合主義に毒されているのかも知れない。選挙の結果が出たあとも、秋の臨時国会も、このあとに続く改憲派と護憲派のせめぎあいを、醍醐さんの指摘の視点をもって見続けたい。
(2016年7月5日)

橋下徹対野田正彰訴訟判決再論ー「専門家に表現の自由などない」という投稿に接して

「ちきゅう座」という規模の大きな「ブログ集積サイト」がある。11年前に開設されたものだそうたが、編集委員会が運営している。編集委員会の眼鏡にかなった投稿を掲載し、またブログを転載している。
  http://chikyuza.net/

設立の趣旨を、「今の世界や日本が極めて危うい方向に進んでいるという認識の下に、それぞれの分野の専門家や実践家の眼を通じた、確かな情報、問題の本質に迫る分析などを提供し、また共同の討論の場を作ることを志しています。」と言っている。

なにがきっかけか知らないが、昨年(2015年)の秋ころに編集委員長から丁寧な問合せがあり、以来このサイトが当ブログを毎日転載してくれている。1日の途切れもなく毎回の「憲法日記」を紹介していただいていることをありがたいと思う。

その「ちきゅう座」に [交流の広場]というコーナーがある。4月28日その広場に、「専門家に表現の自由などない / 野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安。」という投稿が掲載された。投稿者は、「札幌のサル」というペンネームを使っている。

このタイトルの、「弁護士さん」とは、私のことと思い当たる。私は、当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に、「野田正彰医師記事に違法性はないー大阪高裁・橋下徹(元知事)逆転敗訴の意味」の記事を書いた。4月23日のこと。「札幌のサル」氏には、この記事がお気に召さなかったようだ。明らかに、私のブログに対する批判の投稿。

私も、他人を批判する。但し、権力や権威を有する者、あるいは権力や権威を笠に着る者に限ってのこと。それ以外を批判の対象とすることはあり得ない。

私も、他人から批判される。私には権力も権威もないが、批判するに値すると認めていただいたことをありがたいと思う。拙文をお読みいただき、何らかの反応を示していただいた方にはひとしく感謝申しあげたい。それが、論理的な批判であっても非論理的な批判であっても、である。

「札幌のサル」氏の投稿が、 [交流の広場]に掲載されたということは、おそらく私の再反論が期待されているということなのだろう。投稿の最後の結びも、私への問いかけとなっている。無視していては失礼にもなりかねない。また、野田正彰医師の名誉にも関わるところがある。逐語的にコメントしておきたい。

まず、投稿の全文は以下のとおり。
「専門家に表現の自由などない / 野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安。」
医師の橋下診断の可否は、その専門性において厳格に問われるべきで、表現の自由などということで正当化されたら、市民やその代表者はたまったものではない。精神病という専門医師の根拠さだか〈な〉らぬ診断で病院や強制収容所送りになったソ連邦を想起させる。野田医師は反権力といわれるが、このたびは弁護士権力に依存しているだけ。医師の橋本〈下〉診断自体がその成否を問われるべきで、専門家には表現の自由などないことを知るべきだ。また自由に表現されたからと言って、その専門性の正しさが担保されるものでもない。野田君(というのはわたしはかれと旧知なので)は何度も無責任な専門家発言をして平気でいられる人物であることを知らない者がいるか。専門性の責任が問われている時代に、専門家の無責任かもしれない表現の自由をよく擁護できたもんです。黒を白ということが仕事?の弁護士さんならではの専門性ゆえですか。<札幌のサル>

投稿のメインタイトル「専門家に表現の自由などない」は、明らかな誤りである。むしろ、「専門家には、その専門分野における意見表明の社会的責務がある」というべきであろう。仮に責務の有無については見解の相違としても、すべての人に保障されている「表現の自由」が、専門家だけには保障されないということはあり得ない。

投稿者は、野田医師の論評の内容を批判する根拠を具体的に指摘し得ず、専門家一般についていかなる表現の自由もない、と極論してしまったのものと推察する。

あるいは、野田医師ではなく、弁護士である私のブログでの記事について、「専門家に表現の自由などない」のだから「表現をやめよ」、と言ったのかも知れない。しかし、私は私の「表現の自由」を絶対に譲らない。「専門家だからものが言えない」とすれば、社会は有益な知見を失うことになる。知る権利が大いに傷つけられることになろう。

投稿のサブタイトル「野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安」も、あまりに具体性に乏しい一般論での語り口で、それゆえ有益な議論の深まりが期待できない。

橋下対野田訴訟において、なにが争われたか。橋下に対する野田診断の医学的正確性ではない。橋下の過去の言動から推認される橋下の公人としての適性に関する野田医師の見解の表明として、「新潮45+」掲載記事の表現が許容されるか否かが争われたのだ。

原告橋下側は「『新潮45+』記事は原告の名誉(社会的評価)を傷つけるものとして違法」と主張し、被告野田・新潮側は「表現の自由が保障される範囲内の言論として違法性はない」と争った。実質的に、訴訟は「橋下(当時は知事)の名誉と、表現の自由の角逐」の場であった。あるいは「個人の名誉と、国民の知る権利の衡量」の場であったといってもよい。

当然のことながら、橋下個人も人権主体である。その社会的な名誉も名誉感情も尊重されてしかるべきだ。しかし、公人となり、強大な権力をもつ地位に就いた以上、批判の言論を甘受せざるを得ない立場に立ったのだ。

民主主義社会は、自由な言論の交換によって成り立つ。もちろん、自由な言論も無制限ではありえなく、他人の名誉を毀損する言論には一定の限界がある。その限界を狭く解釈したのでは、政治的言論は成り立たない。憲法が「表現の自由を保障する」としているのは、権力者や公人の論評に関しては、その社会的評価を傷つける表現をも許容するものでなくては意味がない。

今回の野田医師逆転勝訴判決は、その理を認めた。「橋下個人の外部的名誉や名誉感情という個人的価値」を凌駕する、野田医師の「表現の自由の価値、その自由に連なる社会の知る権利の価値の優越」を認めたのだ。

私は、「権力者や公人・政治家を批判する言論の自由」をこの上なく尊重する立場であるから、この逆転勝訴を望ましい結果として評価した。これが、投稿者の「弁護士さんの安堵」と言う表現となっている。しかし、そのことが「日本社会将来不安」につながるというのは、荒唐無稽というほかはない。

野田医師の誌上診断ないし見解も、私の野田医師擁護論も、それが大阪府知事という、公人・政治家を対象とした批判の言論であることが大前提である。市井の人物や、体制批判者を指弾する言論と混同してはならない。

現在判例が採用している「公共性・公益性・真実(相当)性」という、違法性阻却要件は相当に厳格である。大阪高裁判決は、野田医師の「誌上診断」は、橋下の社会的評価を低下せしめるものではあるが、その記述は公共的な事項にかかるもので、もっぱら公益目的に出たものであり、かつ野田医師において記事の基礎とした事実を真実と信じるについて相当な理由があったと認め、記事の違法性はないとした。橋下知事(当時)の名誉毀損はあっても、野田医師の表現の自由の価値を優越するものとして、橋下はこれを甘受しなければならないとしたのだ。この違法性阻却のハードルの高さは、けっして言論の自由の濫用による「日本社会将来不安」につながる恐れを生じるものではない。

むしろ、このハードルの高さが政治家批判の言論を違法として封じ、あるいは批判の言論を萎縮させている。この現状こそが、権力者には居心地がよく、民衆には将来不安というべきではないだろうか。

投稿記事本文の「医師の橋下診断の可否は、その専門性において厳格に問われるべきで、表現の自由などということで正当化されたら、市民やその代表者はたまったものではない。」は、必ずしも文意明確ではない。

仮に、「医師の診断が正確であるか否かは、その専門性にふさわしく厳格に問われるべきで、不正確な診断が『表現の自由』ということで正当化されるようなことがあつてはならない」という主旨であれば、その限りにおいて異論があろうはずはない。しかし、訴訟がそのような問題を争って行われたものでないことは既述のとおりである。

「精神病という専門医師の根拠さだか〈な〉らぬ診断で病院や強制収容所送りになったソ連邦を想起させる。」と、問題になりえようもない極論をあげつらうことは無意味である。おそらくは、反権力の精神科医は、敢然として「病院や強制収容所送りとされた側」に立って、体制側の似非医学を反駁することになろう。

「野田医師は反権力といわれるが、このたびは弁護士権力に依存しているだけ。」
これは文意を解しがたい。裁判所や検察は権力だが、弁護士は権力ではない。「弁護士権力に依存」とは、訴訟において訴訟代理人として弁護士を依頼したことをいうのだろうか。それとも、私がブログで判決を肯定的に論評したことを指すのだろうか。どちらにしても、それが「権力に依存した」と論難される筋合いのものではない。

「自由に表現されたからと言って、その専門性の正しさが担保されるものでもない。」は、当然のこと。「表現の自由の範囲内の言論」として違法性を欠くことと、言論の内容である誌上診断の正確性とは、まったくの別問題である。だから、何の批判にもなっていない。

仮に、橋下が野田医師の患者であったとすれば、野田医師には橋下の症状や診療経過について、医師としての職業上の守秘義務(刑法134条)が課せられる。今回のように、医師が誌上で、ある人物の症状や疾患について直接本人に対する診察を経ることなく見解を述べるのは、普通の読者の普通の注意による読み方をすれば、厳密な確定的医学診断ではありえない。飽くまでも仮説的意見ないし論評に過ぎない。そのような意見・論評は、公人についてのものである限り許されるのだ。もとより、疾患診断の正確性とは別問題である。

「野田君(というのはわたしはかれと旧知なので)は何度も無責任な専門家発言をして平気でいられる人物であることを知らない者がいるか。」という表現は、事実を摘示することにより野田医師の名誉を毀損するものである。「札幌のサル」氏が、野田医師に訴えられたとすれば、氏の側で、その表現の公共性・公益性・真実(相当)性を立証しなければならない。野田医師は、橋下から訴えられ、その面倒なことをして勝訴した。

「専門性の責任が問われている時代に、専門家の無責任かもしれない表現の自由をよく擁護できたもんです。」
もし、この議論が通用するなら、医師や弁護士や会計士や技術士や、ありとあらゆる学問の研究者の権力批判の言論を封じることになり、権力批判の言論を擁護することもできなくなる。具体論なしで、ある側面を極限まで一般化する論理の過ちの典型と指摘せざるを得ない。

弁護士は、「黒を白という専門職」ではない。しかし、黒と白とをしっかりと見極めるべき専門職ではある。そして、権力と対峙する人権の側に立つべき専門職でもあると理解している。私のブログ記事に、批判さるべきところは、いささかもない。
(2016年5月5日)

当ブログ連続更新3周年に訴える。「万国のリベラル・ブロガー団結せよ」

2013年4月1日から毎日連続更新を続けてきた当ブログは、本日で丸3年となった。この間、36か月。1096日(365日+365日+366日)である。1日1記事を書き続けて、本日が連続1096回目、明日のブログから4年目にはいる。

「三日坊主」という揶揄の言葉はあるが、「三年坊主」とは言わない。むしろ、「石の上にも三年」というではないか。その三年間の途切れない継続にいささかの達成感がある。とはいうものの、このブログを書き始めた動機からは甚だ不満足な現下の政治状況と言わざるを得ない。

今次のブログ連載は2013年1月1日から書き始めた。正確には、日民協ホームページの一隅を借りて以前にも連載していた「憲法日記」の再開であった。第2次安倍政権の発足に危機感を持ったことがきっかけ。安倍流の改憲策動に抵抗する一石を投じたいとのことが動機である。案の定、この政権は「壊憲」に余念なく、危険きわまりない。しかも、日本全体の右傾化によって発足したこの政権は、この3年余で、保守陣営全体を極右化しつつある。

当ブログ再開当時「当たり障りのあることを書く」と宣言しての気負いから、直ぐさま間借り生活の窮屈を感じることとなった。そのため、自前のブログを開設して引っ越し、連続記録のカウントを始めたのがその年の4月1日。以来、あちこちに問題を起こしつつの「憲法日記」の連続更新である。

安倍内閣がまだ続いていることに焦慮の思いは強いが、他方この間のブログの威力とさらなる可能性を実感してもいる。「保育園落ちた。日本死ね」の1本のブログが、政治を動かしている現実を目の当たりにしたばかりでもある。以前、当ブログでは「ブロガー団結宣言」を掲載したが、あらためて、その修正版として「リベラル・ブロガー団結宣言」を再掲載したい。

「すべてのリベラル・ブロガーは、事実に関する情報の発信ならびに各自の思想・信条・意見・論評・パロディの表明に関して、権力や社会的圧力によって制約されることのない、憲法に由来する表現の自由を有する。

リベラル・ブロガーは、市井の個人の名誉やプラバシーには最善の配慮を惜しまない。しかし、権力や経済的強者あるいは社会的権威に対する批判においていささかも躊躇することはない。政治的・経済的な強者、社会的な地位を有する者、文化的に権威あるとされている者は、リベラル・ブロガーからの批判を甘受しなければならない。

無数のリベラル・ブロガーの表現の自由が完全に実現するそのときにこそ、民主主義革命は成就する。万国のリベラル・ブロガー万歳。万国のリベラル・ブロガー団結せよ。」

現代的な言論の自由を語るとき、ブロガーの表現の自由を避けては通れない。憲法21条は、「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。日本国憲法に限らず、いかなる近代憲法も、その人権カタログの中心に「表現の自由」が位置を占めている。「表現の自由」の如何が、その社会の人権と民主主義の到達度を示している。文明度のバロメータと言っても過言でない。

しかし、人がその思想を表明するための表現手段は、けっして万人のものではない。この表現手段所有の偏在が、個人の表現の自由を空論としている現実がある。「言論、出版その他一切の表現の自由」における、新聞や出版あるいは放送を典型とする言論の自由の具体的な担い手はマスメディアである。企業であり法人なのだ。基本的人権の主体は本来個人であるはずだが、こと表現の自由に限っては、事実上国民は表現の受け手としての地位にとどめられている。メディアの自由の反射的利益というべき「知る権利」を持つとされるにすぎない。

そもそも、本来の表現の自由は個人のものであったはず。その個人には、せいぜいがメディアを選択する自由の保障がある程度。いや、NHKの受信にいたっては、受信料支払いを強制されてなお、政権御用のアベチャンネルを押しつけられるありさまではないか。

その事情を大きく変革する可能性がネットの世界に開けている。IT技術の革新により、ブログやSNSというツールの入手が万人に可能となって、ようやく主権者一人ひとりが、個人として実質的に表現の自由の主体となろうとしている。憲法21条を真に個人の人権と構想することが可能となってきた。まことにブログこそは貧者の武器というにふさわしい。個人の手で毎日数千通のビラを作ることは困難だ。これを発送すること、街頭でビラ撒きすることなどは不可能というべきだろう。ブログだから意見を言える。多数の人に情報を伝えることが可能となる。ブログこそは、経済力のない国民に表現の自由の主体性を獲得せしめる貴重なツールである。ブログあればこそ、個人が大組織と対等の言論戦が可能となる。弱者の泣き寝入りを防止し、事実と倫理と論理における正当性に、適切な社会的評価を獲得せしめる。ブログ万歳である。

この「個人が権利主体となった表現の自由」を、今はまだまだ小さな存在ではあるが大きな可能性を秘めたものとして大切にしたい。反憲法的ネトウヨ言論の氾濫や、匿名に隠れたヘイトスピーチの跋扈の舞台とせず、豊穣なリベラル言論の交換の場としたい。この新しいツールに支えられた表現の自由を手放してはならない。

ところが、この貴重な表現手段を不愉快として、芽のうちに摘もうという動きがある。その典型例がDHCスラップ訴訟である。経済的な強者が、自己への批判のブログに目を光らせて、批判のリベラル・ブロガーを狙って、高額損害賠償請求の濫訴を提起している現実がある。もちろん、被告として標的にされた者以外に対しても萎縮効果が計算されている。

だから、全国のリベラル・ブロガーに呼び掛けたい。他人事と見過ごさないで、リベラル・ブロガーの表現の自由を確立するために、あなたのブログでも、呼応して声を上げていただきたい。さらに、全ての表現者に訴えたい。表現の自由の敵対者であるDHCと吉田嘉明に手痛い反撃が必要であることを。スラップ訴訟は、明日には、あなたの身にも起こりうるのだから。
(2016年3月31日・「憲法日記」連続3年更新の日に)

カール・クラウスの「炬火」に沈黙を強いた巨大な闇

池内紀著の「カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり」(講談社学術文庫2015年11月10日)に目を通した。世の中は広い。歴史は深い。このような驚嘆に値する人物もいるのだ。

カール・クラウス(1874~1936年)は、ウィーンで活躍した「稀代の作家・ジャーナリスト・編集者」と紹介されている。「批評家、諷刺家、詩人、劇作家、論争家」でもあるという。その活動の時期は、世紀末からナチスの台頭期まで。

「炬火」は、彼が一人で編集・執筆し、生涯を通じて発行し続けた個人雑誌。1899年4月の創刊から、1936年2月の922号まで。総ページ数2万3008頁。その大半をクラウス一人が書いた。最盛期には当時のオーストリア・ハンガリー帝国内外で3万をこえる予約購読者を得ていた。イギリスの「タイムズ」が5万程度の発行部数だった当時のこと。雑誌であったが広告を一切のせず、刊行日も定めない。要するに、どこからも制約されず、世の雑音ないし権力にわずらわされず、書きたいものを書きたいときに書きたいように書いた。その我が儘を読者が支え続けたという。

彼は、この雑誌発行を手段として、激動の時代、権力に立ち向かい、政治の堕落腐敗を批判し続けた。彼の武器は『ことば』だけだった。これは、まさしく元祖ブロガーではないか。

1899年6月発行の「炬火」第9号には次のような「3か月の決算報告書」が載せられているという。これも、硬骨ブロガーの証しではないか。
 匿名誹謗文 236通
 匿名脅迫文  83通
 襲撃      1件

彼の人気は、批判の仮借なさと洗練された文体の面白さにあったという。その魅力が熱烈なファンを得たが、反面多くの敵対者も作った。
彼の考えかたが、次の文章によく表れている。
「強い熱を受けて始めてひそかな『悪』があぶり出されるとき、そしてその『悪』がもっとも問題であるというのに、ただ、証明できるものだけを述べ、ほどよい節度の下にだけ語るのが許されるとすれば、その言論の自由にどんな意味があるのだろう」

彼の社会批評は辛らつであったが、常に弱者の側に立っていた。弱者の側に立ちきれない者、権力と対峙し得ない大手新聞も仮借ない批判の対象とされた。その活躍ぶりには目を瞠らざるを得ない。

その彼の最晩年に、ドイツではヒトラーが政権をとり、全権委任法が成立してナチスの独裁がはじまる。ヒトラーの誕生日を祝って、新聞はこの「救国者」をほめたたえ、ハーケンクロイツの旗が全ドイツになびいた。

この書を読み進む読者は、当然にクラウスがナチスにどのような抵抗をし批判の言葉を浴びせたか、その一点に関心を寄せることになる。彼はユダヤ人でもあった。ところが、この点が、実はスッキリしないのだ。

この書の序言ではこう書かれている。
「そのときクラウスはすべての仕事をなげうって執筆に没頭した。新しい権力者に迎合する知識人のことばを集め、辛らつな注釈を加えた。情報宣伝相ゲッベルスの論説をことこまかに分析した。そのウソとデマゴーグぶりをとりあげた。ナチスの機関紙『フェルキッシェ・ベオーバハター』にみる残虐行為を収録した。事実を否認し、それが通用しないとなると、他人に転嫁し、そののち居直って逆襲に出る。そんなナチズムの常套手段をあばいていった。風刺技法をかたむけて、暗示し、もじり、皮肉り、嘲罵した。何にもまして一貫しているのは怒りの激しさだった。暗いトンネルをひた走るようにして『矩火』を続けた。そこにはシェイクスピアの『リア王』の引用がまじえてある。
  神よ、事態がさらに悪化せぬと誰に言えましょう?
  昔より今はもっと悪くなっています。
  そして、さらに悪化するかもしれません。
  これが最悪だと言える間は、それは最悪の事態ではないのです。」

この文章は、硬骨を貫いた表現者への手放しの讃辞である。しかし、本文を読むと事情は異なるのだ。「クラウスがすべての仕事をなげうって没頭し完成した執筆」は300頁に及ぶものだったが、彼はその作品の公刊を断念した。そして、生前これが発表されることはなかった。

「たえずひとりで執筆者と雑誌編集者と出版人を兼ねていた男だが、このたびは編集者の段階で作品を差し止めにした。優に一冊分の300ページあまりを執筆し、印刷に廻し、朱筆までいれたが『炬火』には掲載しなかった」

代わりに出た「炬火」888号(33年10月)は、わずか4頁。その最後に、次の10行詩が掲載されていたという。
   問うなかれ、このときにあたりわたしが何をなしたかと。
  わたしは沈黙をまもる、
  そしてそのわけを語らない。
  静寂があるのは、地球がすさまじい音をたてて砕けたからだ。
  この有様にかなうことばはなかった、
  われひとはただ眠りのうちから語るばかり。
  そして、かつて輝いた太陽を夢みる。
  ことは過ぎ去り、
  後になれば同じことだった。
  あの世界が目覚めたとき、ことばは永遠の眠りについた。

その後9か月の沈黙ののち、315頁の大部な号が発行された。「なぜ炬火は発行されないか」という奇妙なタイトルを付けてのもの。その全ぺージのほとんどが、先の10行詩に対する反響が収録されているのだという。そのほとんどは、自分を痛烈に批判し非難する左翼陣営の新聞、雑誌の記事で埋められていた。
 「カール・クラウスの最後の挨拶!」
 「なぜカール・クラウスは沈黙するのか?」
 「カール・クラウスの終焉」
 「カール・クラウス最期の日々」

ある新聞の論説が引用されている。
「暗い時代にこそ人間の本性が知れるものだ。これまで講演会場において、芝居がかった身振り入りで獅子吼していたというのに、まさしく口をつぐんではならないこの時代にあたり、彼は矩火の火を消そうとしている」

この同時代における批判がクラウスの対ナチス姿勢についての定説になった。事実、彼はナチスへの迎合こそしなかったが、けっして正面からは闘わなかった。「カール・クラウスは激しく彼のファンを裏切った」のだ。それゆえ、大戦後評価されることがなかった。

著者は、難解な彼の言動を、けっして裏切りではないとの立場から弁明を試みているが、それこそ難解で了解は難しい。

元祖ブロガーは、最晩年を有終の美で飾ることが出来なかった。無念ではある。しかし、時代状況は、まさしく「地球がすさまじい音をたてて砕けた」のだ。「この有様にかなうことばはなくなった」のだ。彼にして、「わたしは沈黙をまもる」「ただ眠りのうちから語るばかり」と観念せざるを得なかったのだ。あらためて思う。「ことばを永遠の眠りにつかせ」てはならない。

凡庸なわれわれブロガーが、なべて沈黙を強いられる時代を到来させてはならない。敵は、ちゃちなスラップを試みる程度の小物に限らない。権力そのものであったり、モンスターであったりもするのだ。その強大な敵に押し潰されないためには、片時も沈黙することなく、言葉を武器に語り続けなければならない。個別の表現者を孤立させてはならない。多くの表現者が連帯して、権力者の側をこそ孤立させなければならない。

何度でも呼びかけたい。「万国のブロガー団結せよ」と。
(2016年2月17日)

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