「政権長きが故に貴からず」ー 無能な政権の長きを以て迷惑と為す
(2020年8月23日・連続更新1701日)
通俗道徳を説く『実語教』の冒頭に、
山高きが故に貴からず 樹有るを以て貴しと為す
人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しと為す
とある。これに、以下のように続けよう。
政権長きが故に貴からず 実績有るを以て貴しと為す
総理その座の故に貴からず 国民奉仕を以て貴しと為す
総理看板の枚数故に貴からず 実行有るを以て貴しと為す
総理原稿読む故に貴からず 意欲と能力を以て貴しと為す
トランプとの誼故に貴からず 己に如かざる者を友とするなかれ
何の実績もなく忖度とオトモダチ優遇に明け暮れた安倍第2次政権が、2012年12月26日発足以来本日(8月23日)で2798日となるという。馬齢を重ねると言えば、馬に失礼になろう。これで佐藤栄作の連続在任日数に並び、明日には歴代最長となるそうだ。
佐藤政権も、ろくでもない印象しか残していないが、安倍政権ほどひどくはなかった。嘘つき、ゴマカシ、権力の私物化と、こうも国民から胡散臭いとおもわれる政権は希だろう。それが、歴代最長の政権になるというのだから情けない。
ところで、当ブログの連載開始は、安倍政権の改憲策動に危機感をもったことに始まり、昨日のブログが連続更新2700日となっている。日本の右翼・改憲派が、穏健保守を押しのけて作りあげたアベ政権である。アベで改憲ができなければ、近い将来に改憲の望みはない。靖国参拝も、拉致問題も、北方領土も、保守勢力の懸案解決の切り札としての政権。しかも、民主党の政権運営失敗からの揺り戻しの国民意識を背景に、なんでもできるのではないか。そんな時代の雰囲気の危うさに抗して、アベ政権を批判し、改憲を阻止する力の一端を担おうと書き始めたのだ。
「憲法日記」との標題でのブログの初回は政権発足直後の2013年1月1日である。しかし、今の形で、今のURLでの書き始めは、同年の4月1日。毎日更新を宣言して、2700回を超えた。当時、こんなにアベ政権が続くとは夢にも思わなかった。
安倍内閣は確かに長く続いたが、国民の批判は予想以上に強く、右派勢力が思うような政権運営はできなかった。ときに、突出した強行姿勢を見せても、常に揺り戻しが大きく、決して右翼勢力の期待は実を結ぶに至っていない。
アベは、レガシーを意識しているという。しかし、悲願であった憲法「改正」はもう無理だ。近い将来、改憲は不可能という情勢を作り出したという点において、アベはレガシーを残したと言えるかも知れない。拉致被害問題も、北方領土問題も、1ミリの進展もない。イラン問題での仲介もできなかった。経済の再生もできないまま、確実に格差貧困だけは拡大している。花道と考えられた東京五輪・パラリンピックもアベの在職中にはもう無理だろう。
世界の首脳の中でたったひとりトランプとは良好な関係を結んでいるようだが、それはアメリカとの関係良好を意味しない。大胆な無法者と臆病な無法者との誼に過ぎないが、果たしてそれが我が国民の利益となるのかどうか。
負のレガシーはいくらでもある。見えるものとして国民の記憶に新しいのは、466億円を投じてのアベノマスク配布である。これこそ政権の無能と無為無策の象徴、アベの愚策として永遠に歴史と国民の記憶に残るだろう。
直接には見えないが、最大のものは公務員の忖度文化の育成であろうか。安倍政権時代の7年で、公務員は、国民のためにではなく、上を眺めて上にへつらうことで出世競争をするようになった。そして、適正な公文書管理の忌避。検察の独立性への不信。総理の国会発言の言葉の軽さ。上の責任を下に下ろして、末端職員を自殺にまで追い込む行政組織のありかた。
さらに、絶えず何かに取り組んでいる振りの「やってる感」演出文化。思い出してみれば、「デフレ脱却」「三本の矢」「女性活躍」「地方創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人生100年構想」「人づくり革命」等々。掛け替えた看板の数だけは、比類のないもの。
アベとアベ政権が引き起こした数々の醜聞も忘れまい。モリ・カケ・桜、カジノに河井。情報隠して、格差を広げ、政治も行政もウソをつく。
いま、既にアベ政権はレームダック状態である。改憲の旗振りなんぞ今ごろできるわけがない。首相の体調の異変も報じられている。首相がいなくても行政は動くのだ。「悪さ」や「おいた」をすることなく、アベが黙っているだなら、もうしばらくアベ政権が続いてもよい。
アベは原稿読むだけの総理でよい。改憲発議せぬだけを以て貴しと為す。
当ブログは、安倍晋三の在任が続く限り、改憲問題・改憲阻止をメインテーマに書き続ける。ご愛読をお願いしたい。