澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

IOCバッハのみごとなオウンゴール

(2020年11月17日)
共同通信が「五輪反対派が都庁前で抗議」という記事を配信し、ロイターがこれを記事にした。東京オリンピック反対運動も、その抗議行動も巷にあふれている。バッハ訪日に合わせての都庁前での抗議行動というだけではニュースとしてのインパクトに欠ける。なぜ、大きな記事になったか。

この、ごく小さな抗議行動にニュースバリューを与えたのは、バッハ自身である。IOC会長自らが身体を張って、小さな抗議行動に大きなニュースバリューを進呈したのだ。言わば、価値あるオウンゴールである。

記事は以下のとおり。

「国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が東京都の小池百合子知事との会談に訪れた都庁前で16日、五輪反対派の市民数人が「オリンピックやめろ」「これ以上オリンピックに税金を使うな」などと声を上げる場面があった。

 バッハ氏は都庁に到着した際と出発する際、横断幕を持って抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も。開催に反対の立場の人もいることを伝えにきたという女性は「優先すべきは人の命だと伝えにきたが、そこまで伝わったかどうか。五輪をやめると決断してほしい」と話した。」

さすがに共同通信は、バッハの行動について、「都庁に到着した際と出発する際(の2度にわたって)、抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も(あった)」と、品良く書いているが、反対派(「反五輪の会 NO OLYMPICS 2020」)のツィッターでは、「歩み寄る」が、「詰め寄ってきて」「突っかかってきた」と書かれている。

「都庁から出てきたIOCバッハ会長と一触即発!1メートルの距離まで詰め寄ってきて『おまえら意見を言いたいのか叫びたいのかどっちだ』的なことを言ってきた。どっちもだよ、オリンピックいますぐ止めろ!」

「今日11/16都庁で反五輪の会を見つけ突っかかってきたIOCバッハ会長のこの顔つき、このふるまい、写真見てください。「対話を求めた」とか記者会見で言ったらしいがどの口が?さっさと五輪中止しろ!」

「街宣を続けていると、再びバッハと他関係者が玄関からゾロゾロと出てきた。そびえ立つ都庁に反響したAbolish IOC! No Olympics anywhere! のコールが直撃。バッハは車に誘導されるが、苛立った表情でSPの静止も振り切り反五輪の会にズカズカ詰め寄ってきた! 1mの距離で一触即発! 後ろから小池百合子が慌てて止めに入る。…」

バッハという人、過剰に血の気の多い人なのだろう。東京都民の、「東京五輪反対」には心穏やかではおられないのだ。あるいは、どうしてもIOC会長にしがみついてなければならない裏の事情があるのかも。いずれにせよ、都民や日本人のオリンピックに対する醒めた気分を理解していない。

もう一つ、バカげたオウンゴールがある。16日、バッハは安倍晋三に、五輪運動への貢献をたたえる「五輪オーダー」なるものを授与した。「五輪運動への貢献」の具体的内容については、特に報道されていない。

こんなことをすれば、日本人がよろこぶだろうとでも舐めたカン違いをしているようなのだ。アンダーコントロールという、あの大嘘を思い出す。安倍晋三の嘘とゴマカシの数々を、あらためて反芻せざるを得ない。安倍の薄汚いイメージが、東京オリンピックの薄汚さにピッタリ重なる。反東京オリンピック世論の高揚に貢献することだろう。

バッハにも、菅にも、小池にも、「これ以上オリンピックに税金を使うな」「優先すべきは人の命だ」という当たり前の訴えに耳を傾けてもらいたい。

菅政権とは、いったい何であるのか。何を考えているのか。

(2020年11月16日)
首相である菅義偉が目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」が語られている。実は、これがよく分からない。

首相就任演説では、「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います」と言った。

この文脈での「自助」とは、自助努力・自己責任のことだ。「自分のことは自分でおやんなさい」「うまくいこうと、失敗しようと、そりゃご自分で責任を」という突き放し。一人ひとりの自助努力の環境を整備し調整をするのが政治の役割なのだろうが、このことは語られない。

「共助」とは、「家族、地域でお互いに助け合う」ことのようだ。ここでも、政治や行政の出番はない。そう覚悟せよと宣言されているのだ。そして、自助・共助に失敗してセーフティーネットが必要となったときに、初めて政府の出番となる。「セーフティーネットでお守りをする」だけが、政府の仕事だというのだ。

いやはや、たいへんな政治観であり国家観。この首相の頭の中には、「セーフティーネット」以外の行政サービスは皆無なのだ。所得の再分配も福祉国家思想もない。あるのは、ケイタイ料金値下げと不妊治療助成程度のもの。そんなことで、「国民から信頼される政府」であろうはずはなく、「こうした政府を目指」されてはたまらない。

さらに、「絆」は皆目分からない。誰と誰との、どのような支え合いをイメージしているのだろうか。それを教えてくれるのが、「菅首相と慶應卒弟のJR“既得権益”」なる「文藝春秋」12月号の記事。「菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR関連企業の役員に就任していた」という。なるほど、そういうことなのか。

菅義偉の実弟は、51歳で自己破産した直後にJR東日本の子会社(千葉ステーションビル)に幹部として入社しているそうだ。異例の入社の背景には菅首相とJR東日本との蜜月関係があった。ノンフィクション作家・森功の取材記事。

なるほど、絆とは麗しい。「菅義偉とその誼を通じた者との間の絆」であり、「菅義偉とその支持者との間の持ちつ持たれつの絆」なのだ。かくて、権力者の周りには“既得権益”のおこぼれに蝟集する輩が群れをなす。腹心の友や、妻の信奉者やらに利益を振りまいた前任者のあの体質を、現政権も継承しているのだ。

そしてもう一つの絆。IOCやら、スポンサー企業やら、電通やら、森喜朗らとの麗しからざる絆。嘘まみれ、金まみれ、ウイルスまみれの、東京五輪絆。

本日(11月16日)菅は、「来年の夏、人類がウイルスに打ち勝った証しとして、また東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する、復興オリンピック・パラリンピックとして、東京大会の開催を実現する決意だ。安全安心な大会を実現するために緊密に連携して全力で取り組んでいきたい」と述べたという。

国民には冷たい菅だが、オリンピック開催に向けては、なんという暖かいサービスぶり。しかし、そんなことを言っておられる現状か。もっと地道に、もっと真面目にコロナと向き合え。無理にオリンピックを開催しようとすれば、却ってウィルスの蔓延を招いてしまうことになる。来年の夏、人類と政権の愚かさの証しを見せつけられることになる公算が高い。

新・東京オリンピック憲章 ー 金儲けと政権浮揚と国威発揚を目指して

(2020年9月29日)

東京2021オリンピズムの根本原則

1 東京オリンピズムは、金と政権浮揚と国威発揚のすべてのレベルを高めバランスよく結合させる、国民精神総動員とスポーツの政治利用の哲学である。スポーツを、経済と政治とに融合させ、より大きな儲け方と、より巧妙な民衆支配の方法を創造し探求するものでもある。東京オリンピズムを成功に導く民衆の生き方は、政治的、経済的、社会的、伝統的な秩序と権威に従順で、支配者の提示する倫理規範の尊重を基盤とするものでなければならない。

2 東京オリンピズムの目的は、時の政権と都政を安定させ、この社会の支配構造の尊厳の保持と市場原理の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。

3 東京オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの経済的かつ政治的な価値に鼓舞された資本と国家とによる協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは「ワクチンが間に合わなくとも開催可能」と語る、野蛮・無謀・無責任のトーマス・バッハである。活動は5大陸にまたがるが、東京の偉大な競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは、金と不正と権力と環境破壊と反知性の5つの結び合う輪である。

4 スポーツイベントを経済的な利潤獲得手段とすることは、侵してはならない神聖な権利の1つである。また、政治的な国民統合の手段とし、あるいは対外的な国威発揚手段として利用することも同様である。
 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、東京オリンピックの成功のために心身ともに動員されなければならない。そのためには、盲目的従順、権威主義的心情、自己犠牲の精神とともに忖度と迎合の姿勢が求められる。

5 東京オリンピック・ムーブメントは、その成功のために、大和魂と必勝の精神を最大限動員する。国民一丸となって竹槍を持ち、早朝宮城に向かって遙拝し、「鬼畜コロナには決して負けない!」「東京オリンピックは必ず開催するぞ!」「中止も再延期も考えない!」「無観客もないぞー!」「天佑は我にあり!」と唱和する。断じて行えば鬼神もこれを避く。大和魂は、コロナに打ち克って、五族協和・八紘一宇の東京オリンピック開催を実現する。必ず。

首相の巣ごもりは、政権の末期症状

(2020年7月23日)

あ~あ、残念。無念でならない。この無遠慮なコロナ禍さえなければ、今ごろは「東京オリパラ2020」で国中が湧いていたはずじゃないか。明日は開会式で日本中が祝賀ムード。野党だって、メディアだって、政権の悪口は言いにくい雰囲気だったはず。私も、主催国の首相として、歴史に晴れがましい足跡を残すことになったはず。

その晴れがましさ獲得のために、ブエノスアイレスでは、事情の分からないIOC委員に、「フクシマはアンダーコントロール」なんて大嘘ついて手にした東京オリンピック。だって、ほかに、私の功績なんてまったく何にもないんだもの。せめて東京オリンピックと思ったんだが、これがダメ。罰が当たったのかねえ。気が重い。

オリンピック前夜の晴れやかさに代わって、目の前にある現実は、急速なコロナ感染の再拡大。そして、国民世論の反対を敢えて押し切っての「Go Toトラベル」キャンペーン強行の不安。さらに、それ故の野党とメディアの遠慮のない政権批判。天国から地獄に突き落とされた思いだ。ああ、気が滅入る。確かに、政権末期の雰囲気だ。だから、記者会見なんかしたくない。巣ごもりで、不貞腐れているしかないんだ。

何をやってもうまくいかない。やることなすこと、みんな裏目だ。私が口を開けば、言葉のつぶてが飛んでくる。チグハグだ、朝令暮改だ、業界寄りだ、オトモダチ優遇、嘘とゴマカシ、公文書改ざん、政治の私物化、一強の驕り、政権の末期症状だって、批判されまくり。そう言われれば、みんなそのとおりだから、余計にヤになっちゃう。

だから、国会なんて開かないし、開けない。閉会中の委員会審査もあるけれど、出席しない。記者会見もしないんだ。とにかく、しゃべればボロが出るだけ。

私は、人の作った作文をいかにも自分の見解のように読み上げることなら少々得意だ。難しい漢字には、必ずルビを振ってもらっているから大丈夫。でも、それ以上のことは無理。とりわけ、事前通告のない質問は困る。トンチンカンなことを口にしたり、うっかり本音をしゃべったり、碌なことにならない。だから、巣ごもりが一番。もう、1か月以上も記者会見はしていない。

これまでは、「まさに」と「しっかり」「丁寧に」の3語で切り抜けてこられたから、まあ楽な仕事だった。「国民の皆様には、今後ですね、まさに、まさにですよ、この問題については、しっかりと、丁寧に、説明をさせていただきたい」なんて、ごまかしてきたけど、我ながら、もう限界だよね。

この頃は、新しく「専門家の皆様のご賛同をえて」でやってみたけど、ずいぶん早く鮮度が落ちて、使えなくなっちゃった。忖度専門家の化けの皮の剥がれるのが、こんなに早いとは思わなかったんだ。

ところで、今日のコロナ感染者数発表が、東京だけで366人だっていうじゃない。しかも、東京一極から拡散しすでに全国的に感染再爆発が広まりつつあるとも言われているようだ。どうして、コロナって奴は、遠慮がないんだろう。もう少し、政権に忖度したってよかろうに。忖度しない相手は恐い。悪評サクサクの「Go Toトラベル」始まった途端に、この感染拡大だ。非難囂々だろうな。このあとどうなるかが恐い。「私の責任です」と軽く言って済む問題ではなさそうだから、なお恐い。

私にコロナ対策の指揮能力はないし、やる気もない。正直、外へは出たくない。だって、だんだんコロナが身近に迫っている感じがあるし、外に出るには、あのアベノマスクを付けて出なければならないが、実は、あれ、本当にコロナを除ける効果があるのか自信がないんだ。だから、巣ごもり。

だけど、身内の会合は別。私を批判しないヨイショの安心メディアが相手ならどこへでも出て行く。「権力批判こそが、ジャーナリズムの神髄」なんて格好付けている不届き記者が紛れているところでの会見なんてヤなこった。櫻井よしことか、岩田朋子とか、田﨑史郎や月刊花田、あるいはDHCテレビジョンなど、志を同じくし気心の知れた記者だけなら会見も結構なんだけど。

通常国会が終わってホッとしているところに、記者会見は嫌なんだ。こっちが返答に困る質問をぶつけようというのは、人権問題じゃないのかね。「嫌な質問には答弁を拒否して体面を保つ首相の権利」は、法のどこかに書いていないのかな。書いてなければ、閣議決定で決められないだろうか。これまで、ずいぶんいろんなことを閣議決定で決めてきたからね。

最後の首相記者会見は6月18日だった。あのときに、まさに、まさにですよ、はっきり分かったね。政権に好意的な記者と、敵対的な記者とのくっきりした色分け。忖度派と攻撃派だ。私に忖度しないで、困らせてやろうという無頼な記者たちにサービスする必要なんてあり得ない。「時間がない」「次の日程が詰まっている」を口実に質問なんかさせたくない。少なくとも、重ねての質問で突っ込ませるようなことはさせない。そんなことをさせたら、聞いている国民に、私の無能がさらけ出されてたいへんなことになる。できるなら、会見そのものをやらないに越したことはない。だから、巣ごもり。

それにしても、コロナ感染再拡大の勢いは凄まじい。その中での「Go Toトラベル」強行は、私の所為じゃない。二階と菅の二人が、それぞれの理由で頑張っているんで、私が頑張っていると誤解されたくないんだ。でも、そうも言いにくいから、これも記者会見はやりたくない理由のひとつ。

ものごとがうまく行っているときの記者会見なら、私は好きなんだ。第一波の緊急事態宣言解除のときは、晴れがましく私の手柄みたいに記者会見をやった。まさしく、まさしくですね、あのように、私の支持拡大につながる記者会見ならやりますよ。でも、今は、まったくプラスの材料がない。結局、記者たちの攻撃の矢面に立つだけ。そんな政権の末期症状をさらけ出すような記者会見などできようはずもない。だから巣ごもり。あ~あ。

「2020東京オリパラ」と「東京都ヘイト規制条例」

日朝協会の機関誌「日本と朝鮮」の2月1日号が届いた。全国版と東京版の両者。どちらもなかなかの充実した内容である。政府間の関係が不正常である今日、市民団体の親韓国・親朝鮮の運動の役割が重要なのだ。機関誌はこれに応える内容となっている。

その東京版に私の寄稿がある。これを転載させていただく。内容は「東京都ヘイト規制条例」にちなむものだが、「2020東京オリパラ」にも関係するもの。なお、オリンピック開会は、猛暑のさなかの7月24日である。その直前7月5日が東京都知事選挙の投票日となった。ぜひとも、都知事を交代させて、少しはマシなイベントにしたい。

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東京都ヘイト規制条例の誕生と現状

 2020年東京の新年は、オリンピック・パラリンピックで浮き足立っている。オリパラをカネ儲けのタネにしたい、あるいは政治的に利用したいという不愉快な思惑があふれかえった新春。あの愚物の総理大臣が「2020年東京オリンピックの年に憲法改正の施行を」と表明したその年の始めなのだ。

オリンピックには、国威発揚と商業主義跋扈の負のイメージが強い。国民統合とナショナリズム喚起の最大限活用のイベントだが、言うまでもなく、国民統合は排他性と一対をなし、ナショナリズムは排外主義を伴う。内には「日の丸」を打ち振り、外には差別の舞台なのだ。

もっとも、オリンピックの理念そのものは薄汚いものではない。オリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」という節があり、その1項目に、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」とある。

これを承けて、東京都はオリンピック開催都市として、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。これが、「東京都ヘイト規制条例」と呼ばれるもので、昨年(19年)4月に施行されている。

その柱は2本ある。「多様な性の理解の推進」(第2章)と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進」(第3章)。性的マイノリティーに対する差別解消も、ヘイトスピーチ解消への取り組みも、都道府県レベルでは、初めての条例であるという。しかし、極めて実効性に乏しい規制内容と言わざるを得ない。

オリンピックとは、これ以上はない壮大なホンネ(商業主義・国威発揚)タテマエ(人類愛・国際協調)乖離の催しである。都条例は、タテマエに合わせて最低限の「差別解消」の目標を条例化したのだ。しかしこの条例には、具体的な「在日差別禁止」条項はない。「ヘイトスピーチ違法」を規定する条文すらない。また、「在日」以外の外国人に対する差別については、「様々な人権に関する不当な差別を許さないことを改めてここに明らかにする」と述べられた一般理念の中に埋もれてしまっている。もちろん、罰則規定などはない。

オリンピック開催都市として、東京都の人権問題への取り組みをアピールするだけの条例制定となっている感があるが、それでも自民党はこれに賛成しなかった。「集会や表現の自由を制限することになりかねない」という,なんともご立派な理由からである。

条例のヘイトスピーチ対策は、「不当な差別的言動を解消するための啓発の推進」「不当な差別的言動が行われることを防止するための公の施設の利用制限」「不当な差別的言動の拡散防止するための措置」「当該表現活動の概要等を公表」にとどまる。

それでも、東京都は同条例に基づいて、10月16日に2件、12月9日に1件の下記「公表」を行った。

(1)5月20日、練馬区内での拡声器を使用した街頭宣伝における「朝鮮人を東京湾に叩き込め」「朝鮮人を日本から叩き出せ、叩き殺せ」の言動
(2)6月16日、東京都台東区内でのデモ行進における「朝鮮人を叩き出せ」の言動
(3)9月15日、墨田区内でのデモ行進における「百害あって一利なし。反日在日朝鮮人はいますぐ韓国に帰りなさい」「犯罪朝鮮人は日本から出ていけ」「日本に嫌がらせの限りを続ける朝鮮人を日本から叩き出せ」の言動

 公表内容はこれだけである。この言動を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動」であると判断はしたものの、街宣活動の主催者名の公表もしていない。

問題はこれからである。タテマエから生まれたにせよ、東京都ヘイトスピーチ条例が動き出した。これを真に有効なものとしての活用の努力が必要となろう。東京都や同条例に基づいて設置された有識者による「審査会」の監視や激励が課題となっている。また、ヘイトスピーチ解消の効果が上がらなければ、条例の改正も考えなければならない。

オリパラの成功よりも、差別を解消した首都の実現こそが、遙かに重要な課題なのだから。

(2020年2月3日・連続更新2499日)

嫌いな言葉は「愛国心」。「真の愛国者」はなおさらいけない。

嫌いな言葉は山ほどある。なかでも、「愛国」「愛国者」「愛国心」はその最たるもの。憂国・国士・祖国・殉国・忠義・忠勇など、類語のすべてに虫酸が走る。「真の愛国者」は、なおいけない。生理的に受け付けない。

パトリオティズムやナショナリズムと横文字に置き換えても同じことだ。パトリオティズムは理性の香りあるものとして肯定的に、ナショナリズムは泥臭く否定的に語られることが多いが、大した変わりはない。どちらも胡散臭さに変わりはない。どちらも、個人よりも国家や民族などを優越した存在として美化するもの。まっぴらご免だ。

辟易するのは、「愛国」とは倫理的に立派な心根であると思い込んでいる多くの人びとの押し付けがましい態度である。この愛国信仰者の愛国心の押し売りほど嫌みなものはない。夫婦同姓の強制、LBGTへの非寛容などとよく似ている。要するに、過剰なお節介なのだ。

国家や社会にゆとりがあるときには、「愛国」を叫ぶ者は少なく、邪悪な思惑による愛国心の鼓吹は国民の精神に響かない。愛国心の強制や強調が蔓延する時代には、国家や社会にゆとりがなくなって、個人の尊厳が危うくなっているのだ。とりわけ、政治権力が意図してする愛国心の鼓吹は、国家や社会が軋んでいることの証左であり警告なのだ。まさしく今、そのような事態ではないか。

為政者にとって最も望ましい国民とは、その精神において為政者と同一体となった国民,それも一つの束となった国民である。為政者は国家を僭称して、国民を愛国心の紐で、ひとつの束にくくろうと試みる。それさえできれば、為政者の望む方向に国民を誘導できる。そう。戦争の準備にも。場合によっては開戦にも。

国民の「愛国心」は、易々と為政者の「国家主義」に取り込まれる。あるいは、国家主義が愛国心を作り出す。愛国心に支えられた国家主義は、容易に排外主義ともなり、軍国主義ともなる。結局は、大日本帝国のごとき対外膨張主義となるのだ。愛国心とはきわめて危険なものと考えざるを得ない。

もうすぐ東京五輪である。ナショナリズムとナショナリズムが交錯して昂揚する一大イベント。どの国の為政者も、この場を利用しようとする。国旗国歌が輻輳 する空間が生まれる。旗や歌がもつ国民統合の作用を最大限利用しない手はない。どの為政者もそう考えて実行する。

日の丸が打ち振られる。あの戦争のときのように。今度は旭日旗までがスタジアムに登場するという。形を変えた、擬似戦争であり、ミニ戦争である。

今のままでは、安倍政権下、小池百合子都政が、東京五輪の主催者となる。世が、あげて東京都五輪礼賛であることが、まことに不愉快極まりない。

山ほどある嫌いな言葉に、もう少し付け加えよう。「東京五輪」「日本選手を応援しよう」「日本チームの奮闘が素晴らしい」「日本の活躍が楽しみですね」…。
(2019年9月16日)

「これからは、2度と日章旗の下では走るまい」- 孫基禎、金メダルを得ての思い

昨日(5月25日)、ちきゅう座総会に参加した際に、社会評論社の松田健二さんから「評伝 孫基禎」(寺島善一著)をいただいて、興味深く読んだ。著者の立場は公平である。オリンピックやスポーツだけを切りとるのではなく、日本の朝鮮に対する植民地支配の歴史に目を配っている。それだけに読後感はやはり重い。日本人の朝鮮に対する差別意識の底流が露わになっている今だけに、なおさらである。

著者は、近代オリンピズムの崇高さを強調し、孫と同時代アスリートとの交流を「スポーツで築き上げた友情は、国境を越えていつまでも不変」と讃えている。大島謙吉、オーエンス、ハーパー(英・孫に続いてマラソン2位)らとの交流は確かに感動的なのだが、現実の厳しさの方に圧倒される。

国威発揚のナショナリズム、人種差別、そして商業主義の跋扈というオリンピック事情は、1936年当時も現在も、さして大きな変化はないのではないか。

来年(2020年)の五輪は、歴史修正主義者が首相を務める国の、民族差別主義者が知事の座にある首都で、開催される。本当に、東京五輪開催の積極的意味はあるのだろうか。

プロ・アマを問わずスポーツ隆盛の今、若者たちに訴えたい。かつて理不尽な仕打ちを受けていた朝鮮人アスリートがいたことを。日本が朝鮮を植民地としていたが故の悲劇である。その代表的な人物が、孫基禎なのだ。

孫基禎(ソン・キジョ)、1919年8月の生まれ。当時、既に朝鮮は日本の植民地とされていた。貧苦の中で走り続けて、ランナーとして頭角を表し、世界記録保持者として、1936年8月9日ベルリンオリンピックのマラソンに挑んで、金メダルに輝く。当時のオリンピック新記録。なお、このとき朝鮮人南昇竜も銅メダルを獲得している。

その表彰式では、「日の丸」が掲揚され「君が代」が演奏された。これは、孫には耐えがたい屈辱だった。後年、彼自身がこう語っている。

「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることはたえられない侮辱であった。…果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身の為、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったというのが本心だ…。これからは、2度と日章旗の下では走るまい。この苦衷をより多くの同胞に知ってもらわなければならない」

孫も南も、表彰式では陰鬱な表情をしてうつむいている。孫は、ユニフォームの胸に付けていた日の丸を勝者に与えられた月桂樹で隠している。表彰式での真正面からの写真では、胸の日の丸が見えない。しかし、斜めからの撮影では日の丸が映ってしまう。この日の丸を消した写真を掲載したのが、8月25日付東亜日報だった。よく知られている「消えた日の丸」事件である。

現地の日本軍20師団司令部が激怒し、直ちに総督府と警察に関係者の緊急逮捕を命じた。こうして、5人の関係者が逮捕され、40日余の残酷な拷問が行われた。その上で、東亜日報は無期限発行停止処分、5人は言論界から永久追放となった。

ところで、孫と南の表彰式の後、日本選手団本部は選手村で祝賀パーティを開いたが、両名とも出席しなかった。「差別と蔑視故の抗議であったろう」という。その時刻両名はどこにいたか。ベルリン在住の安鳳根(アン・ボングン)という人物を訪問していたという。あの安重根(アン・ジュングン)の従兄弟である。

孫は、このとき安鳳根の書斎で、生まれて初めて「太極旗」と対面したのだという。

「これが太極旗なのだ。わが祖国の国旗なのだ。そう思うと感電でもしたように、熱いものが身体を流れていった。太極旗がこうして息づいているように、わが民族も生きているのだという確信が沸き起こってきた」

これが、彼の自伝「ああ月桂冠に涙ー孫基禎自伝」(講談社・1985年)の一節。
その後、孫は徹底して警察からマークされる。到底、金メダリストの扱いではない。彼が日の丸を背負って走ることは2度となかった。指導者たらんと東京高等師範と早稲田の入学を志すが、受験を拒否されている。明治大学だけが、暖かく迎え入れたが、当局はこれを許可するに際して条件を付けた。「再び陸上をやらないこと。人の集まりに顔を出さないこと。できる限り静かにしていること」だという。

明治大学は、箱根駅伝で彼を走らせようとしたが、かなわなかった。息子・孫正寅の語るところでは、2002年臨終の際に残した言葉が、根駅伝を走りたかった」だった。

言うまでもなくマラソンは、オリンピックの華である。必ず最終日に行われる最終種目。この特別の競技の勝者には、特別の敬意が捧げられる。1936年ベルリンオリンピックで、10万の観衆が待ち受けるスタジアムに先頭で姿を現し、最後の100メートルを12秒台で走り抜けたスーパーヒーロー。それが、日本人として登録された朝鮮人・孫基禎だった。

孫は朝鮮民族の英雄となった。民族の団結や連帯の要となり得る立場に立った。日本の当局は、その言動を制約せざるを得ないと考えたのだ。孫に、朝鮮人の民族的な自覚や矜持を鼓舞する言動があるのではないかと危惧したのだ。

明治大学名誉教授である著者は、孫基禎と明治大学の親密な結び付きを誇りとして書いている。慶應も早稲田も東京高師も、この明治の姿勢に敬意を表さねばなるまい。

なお、ご注文は下記まで。

http://www.shahyo.com/mokuroku/sports/essay/ISBN978-4-7845-1569-1.php

(2019年5月26日)

新東京五輪返上音頭

あの噂って、ホントかな?
いったい、何の話?

オリンピックの五輪のマーク。あの5色を、東京五輪が終わるまでは、全部金色にするんだって。
なるほど、金まみれオリンピックの開き直りってことか。

それだけでなくてね、金メダルと言わずに、カネメダルということにするんだって。
さだめし、銀メダルは銀貨メダル、銅メダルは銅貨メダルってことか。

それから、新東京五輪音頭って知ってる? こんなのらしいよ。
  ハァ~
  コントロールとブロックと
  2億のワイロでせしめた五輪
  おかげで みやこは 建設ラッシュ
  ほとぼり冷めたら また儲けましょと
  固い思いは 夢じゃない
  ヨイショコリャ 夢じゃない
  オリンピックは カネまみれ
  ソレトトント トトント カネとカネ
そいつはいいや。ピッタリじゃん。東京五輪は儲けのタネだものね。

アベ政権って、たまたまの景気でもっているよね。オリンピックの公共事業のおかげもあるんじゃない。
アベさんは、「2020年オリンピックの年を改正憲法施行の年に」なんて、改憲の道具にも使っているよ。

ほら、愚民には「パンとサーカス」って言うでしょう。いまなら、株とオリンピックというところね。
政府が操作した株価と、カネにまみれたオリンピック。今の日本にふさわしいのかもね。

成熟した都市は、どこもオリンピック招致には反対だというね。
リオと東京が、ワイロまで出して招致したわけだ。

JOC会長の竹田恒和って人、フランスの司法当局から取り調べを受けてるんだって。被疑者なの?
贈賄の疑いで予審判事の調査を受けているという報道だけど、制度が違うんで分かりにくいね。

何のカネかはともかく、竹田会長の責任で2億2000万円をシンガポールの怪しげな会社に支払ったことは間違いないのね。
そのカネは、IOCの委員の息子に渡ったようだ。その父親の委員が当時、開催地の決定に影響力を行使できる立場にあったんだって。だから、そのカネの支払いは賄賂にあたると見られているようだね。

2億2000万円。ワイロかコンサル料かはともかく、そんなのは、はした金なんだ。
東京五輪の総費用、当初は7000億といわれていたけど、今や3兆円を超すというものね。2億2000万円なんて、こまかいはなし。

放射線も予算も偽装での招致ってことね。築地も夏場の暑さも欺された感でいっぱい。ブラックボランティアの問題もあるし、問題ばかりね。
欺しといえば、「復興五輪」のスローガン。三陸の津波被害の現地では、土木作業者をオリンピックにとられて、「復興妨害五輪」と言ってるよ。

それよりも、オリンピックを国威発揚に利用したり、ナショナリズムを煽る舞台とするのが、気持ち悪い。
オリンピック憲章には結構よいこと書いてあるけど、現実には、金まみれ、政権の思惑まみれ。

今から、東京五輪返上ってわけには行かないかしらね。
  オリンピック返上の
  固い思いは 夢じゃない
  ヨイショコリャ 夢じゃない
  オリンピックは もうよそう
  ソレトトント トトント さようなら
(2019年3月26日)

こんなの要らない。返上しよう、薄汚い東京オリンピック。

英紙「ガーディアン」が一昨日(9月14日)報じたところによると、ブラジルの捜査当局は、「東京五輪招致に買収疑惑あり」との結論を出したという。捜査は、リオ五輪と東京五輪の両者に行われていたというが、私の関心は自ずと東京の招致問題だけ。

捜査結果の報道が、ブラジル紙ではなく、なぜ「ガーディアン」なのか。このあと続報があるのかないのか。フランス当局の捜査の進展はどうなっているのか。そもそも、ブラジルでは国内法のどのような犯罪構成要件に該当するというのだろうか。よく分からないことが多い。が、五輪を支える組織や幹部の腐敗の実態や、東京五輪誘致陣の薄汚さの再確認という点で、関心を持たざるを得ない。

各紙の報道に目を通しても、なかなか事実経過をつかみにくい。すこし、整理が必要である。

問題は、東京五輪誘致に関わる贈収賄。贈賄側は、東京五輪招致委員会。理事長が竹田恆和、理事に橋本聖子や鈴木大地などが名を連ねる。当然に、首相や当時の都知事もからんでいる。

収賄側は、IOC委員でもあり国際世界陸連会長でもあったラミン・ディアク(セネガル)という人物。大物としてIOC内で特別な影響力があり、次期五輪会場の決定に大きな権限あると思われていた人物だという。その代理人として、交渉や金の授受の窓口になったのは、息子のパパマッサタ。

登場人物はこれだけではない。カムフラージュとしての中間項が登場する。その内の最重要なのが、ブラック・タイディングス社というペパーカンパニー。一時期だけ、シンガポールの公営アパートの一室に形だけがあったという。

時系列を確認しておきたい。安倍晋三がブェノスアイレスで、「アンダーコントロールで完全ブロック」という詐欺まがいのトークで、2020年東京五輪招致を掠めとったのが2013年9月7日。その前後の同年7月と10月とに、招致委員会から出た金がラミン・ディアク側に渡っているというのだ。結論から言えば、これは買収資金の「着手金」と「成功報酬」と解釈するしかない。

最初、疑惑はフランス検察当局の捜査状況として報じられた。2013年の7月と10月の2回にわたって、東京五輪招致委員会がブラック・タイディングス社の秘密口座に送金されてたことが確認されたということが大きなニュースになった。このブラック・タイディングス社はラミン・ディアクの息子パパ・マサタ・ディアクに深い関係があるペーパーカンパニーとも報じられた。

その金額は2億3000万円。東京五輪招致委員会の理事長であり、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもある竹田恒和は当初この疑惑を否定したが、後に国会に参考人として招致された際には認めて「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と釈明した。「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中の1つであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」というのだ。おそらく誰もこんなことを信じてはいない。コンサル料名義の賄賂を、名もない会社の秘密口座に送金したという疑惑が極めて濃厚なのだ。

ブラック・タイディングス社とは、シンガポール東部の老朽化し、取り壊しを待つ公営住宅の1室にあり、シンガポールメディアによると同社は2014年には業務を停止しているとのこと。つまりは完全なペーパーカンパニーで、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析などのコンサル業務を行う能力の片鱗もなさそう。

竹田恒和は国会で、支払った2億3000万円の最終的な使途についてブラック・タイディングス社側に「確認していない」と証言している。さらには「同社とは現在連絡が取れていないと聞いている」とも答えている。無責任極まるというレベルではなく、贈賄と疑われてやむをえないとの発言なのだ。

今回のガーディアンの報道では、ブラジルの当局は、2013年9月8日(東京招致成功の翌日)に、ブラック・タイディングスがシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロ(約1113万円)をパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

つまり、東京五輪招致委員会→ブラック・タイディングス社→パパマッサタの金の流れが確認できたということだ。コンサル料とは、実はIOC委員への買収資金としての賄賂送金だったという以外には考えがたい。ブラジル当局は、その認識である。

共同は、「東京五輪、リオデジャネイロ五輪は招致で『買収』と結論 英紙が報道」と見出しを打った。ブラジルの当局は「買収」の意図があったと結論づけたというのだ。
「東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開」「ブラジルの当局は、ラミン・ディアク氏を買収する意図があったとしている」という記事。

ガーディアン記事は、「ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが『IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって』、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。」という。さて、これからどう捜査が発展するのだろうか。

ガーディアンは、「ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国(日本)に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。」という。

東京五輪はうんざりだ。アベ政権や小池都政の政治利用、国威発揚、ナショナリズム鼓吹、住民無視の東京再開発の促進、東北復興妨害、税金の無駄遣い、負のレガシーの創出…、そしてこの薄汚い招致活動での恥さらし。もう、きっぱり返上しようではないか。
(2017年9月16日)

大きな声で叫ぼう。「東京五輪を返上しよう!」

毎日新聞の牧太郎という記者の語り口が、何とも魅力的で心地よい。およそ拳を振り上げることなく、肩肘張らず、すこしシャイに、それでいて遠慮なく言いたいことを思う存分言ってのける。その文章の読後に爽快感がある。肺がんの手術を受けてから間もないとのことも、私には同病相憐れむの親近感。

毎週火曜日の夕刊に、「牧太郎の大きな声では言えないが…」を連載していて、これが楽しみ。ところが、ちょうど一月前の8月7日付コラムを見落としていた。これは失態だった。このことをある集会で配られたビラで知った。
久米宏だけではない。おお、牧太郎よ、あなたも。よくぞ言ってくれた。

東京五輪返上の声は、今や小さくない。金がかかり過ぎ。そんな金は被災地の復興に回せ。国威発揚の五輪だ。過剰なナショナリズム鼓吹。猛暑の時期、アスリートに酷。政権や都知事の人気取りに使われている。改憲にまで利用の悪乗りではないか。過剰な商業主義の横行。東京の喧噪が我慢しかねる。愚民政策…。反対理由はいろいろだが、少なくない人々が「東京五輪反対!」「東京五輪返上!」論に賛成している。五輪をダシにした世論操作の胡散臭さへの反発が大きいのだ。

牧太郎の“東京五輪病”を返上!のコラムの書き出しは、おずおずと始まる。
 東京五輪を返上しろ!なんて書いていいのだろうか? 何度もちゅうちょした。毎日新聞社は東京五輪オフィシャルパートナー。いわば、五輪応援団である。
 でも、恐る恐るサンデー毎日のコラム「牧太郎の青い空白い雲」(7月25日発売)に「日本中が熱中症になる“2020年東京五輪”を返上せよ!」と書いてしまった。すると、意外にも、知り合いの多くから「お前の言う通り!」という意見をもらった。返上論は僕だけではないらしい。

そして反対論の幾つかの理由が述べられる。
 その最大の理由は「非常識な酷暑での開催」である。日本の夏は温度も湿度も高い。太陽の熱やアスファルトの照り返し。気温35度、もしかして40度で行われるマラソン、サッカー、ゴルフ……自殺行為ではあるまいか? 沿道の観客もぶっ倒れる。
 サンデー毎日では書かなかったが、日本にとって最悪な季節に開催するのは、アメリカの3大ネットワークの“ゴリ押し”を国際オリンピック委員会(IOC)が認めてからである。メディアの「稼ぎ」のために健康に最悪な条件で行う「スポーツの祭典」なんて理解できない。

 もう一つの理由は「異常なメダル競争」である。日本オリンピック委員会(JOC)は「金メダル数世界3位以内」を目指しているそうだが、オリンピック憲章は「国家がメダル数を競ってはいけない」と定めている。日本人力士を応援するばかりに、白鵬の変化技を「横綱にあるまじきもの」とイチャモンをつける。そんな「屈折したナショナリズム」が心配なのだ。
 「東京五輪のためなら」でヒト、モノ、カネ、コンピューター……すべてが東京に集中している。地方は疲弊する。ポスト五輪は「大不況」……と予見する向きまである。

そして、久米宏同様、今からでも東京五輪返上は遅くないとして、こう言う。
 返上となると、1000億円単位の違約金が発生する。でも、2兆、3兆という巨額の予算と比較すれば、安いものではないか。

さらに、最後に牧太郎の真骨頂。
 東京五輪は安倍晋三首相が「福島の汚染水はアンダーコントロール」と全世界にウソをついて招致した。安倍内閣は「東京五輪のため」という美名の下で、人権を制限する「共謀罪」法を無理やり成立させた。東京五輪を口実に、民主主義が壊されようとしている。
 少なくとも、我々は“東京五輪病”を返上すべきだ!

「1000億円単位の違約金…、安いものではないか。」
牧太郎がそう言えば、私も同感だ。自信を持って1000億など安いものと言える。

「大きな声では言えないが…」などと、おそるおそる語る必要はない。大きな声で叫ぼう。「東京五輪を返上しよう!」「2020年東京五輪は、熨斗をつけてお返しだ!」
(2017年9月7日)

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