澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

ヨハン・ブレークのワクチン接種拒否を考える

(2021年3月2日)
私はスポーツの世界にはほとんど関心がない。ウサイン・ボルトの名くらいは知っていたが、ヨハン・ブレーク(ジャマイカ)は知らなかった。陸上100メートルの世界記録はボルトの9秒58、ブレークの記録はこれに次ぐ歴代2位の9秒59だという。200メートルでも、世界歴代2位の19秒26をマークしており、ボルト引退後の現役選手としては世界の最高峰に位置している。過去2回のオリンピックに出場して、金2・銀2のメダルを獲得しており、もし、今年東京五輪が開催されるようなことになれば、100・200のメダル有力選手だとか。

そのブレークが、「新型コロナウイルスのワクチンを接種するぐらいなら、むしろ東京五輪を欠場した方がまし」とワクチン拒否を宣言して話題を呼んでいる。これは、興味深い。

ジャマイカの地元紙によると、ブレークは3月27日に「固い決意は変わらない。いかなるワクチンも望まない」と述べ、五輪欠場をいとわない意思を表明した。国際オリンピック委員会(IOC)はこれまで、東京五輪参加者へのワクチン接種を強制はしないものの、推奨する姿勢で、選手団に接種させる方針を示している国もある。(時事)

彼のワクチン拒否の理由は報道では分からない。が、これを拒否する信念の固さは、伝わってくる。オリンピック出場を捨てでも、守るべき大事なものがあるということなのだ。

このブレークの信念は、著名な最高裁判決(1996年3月8日最高裁判決)に表れた高専の剣道実技受講拒否事件事件を思い起こさせる。
神戸市立工業高等専門学校に「エホバの証人」を信仰する生徒がおり、信仰上の理由から体育の剣道実技履修を拒否した。校長は、体育科目は必修であるとし、この生徒を2年連続して原級留置処分としたうえ、退学処分とした。

最高裁は、この退職処分を違法とした。その理由は、次のとおりである。
(ア) 剣道実技の履修が高等専門学校において必須のものとまでは言い難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも可能である(代替的方法の存在)が、神戸高専においては原告および保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も拒否したこと、
(イ) 他方、この学生が剣道実技への参加を拒否する理由は、信仰の核心部分と密接に関連する真摯なものであったこと、
(ウ) 学生は、剣道実技の履修拒否の結果として、原級留置、退学という事態に追い込まれたものであり、その不利益は極めて大きく、本件各処分は、原告においてそれらによる重大な不利益を避けるためには宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくされるという性質を有するものであったこと、
以上の事情からすると、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものとして、裁量権の範囲を超える違法なものである。

生徒が、学校がカリキュラムとして定めた剣道の授業を拒否した。校長には「生徒のワガママ」と映った。ワガママは許されないとして、遂には退学処分にまでした。この生徒の授業拒否を奇矯なものとして、処分もやむを得ないと校長側の肩を持つ意見も少なくはないだろう。「剣道の授業って真剣でやるわけじゃなかろう。竹刀を振り回していりゃいいんだから、授業拒否まですることはあるまい」という意見。

しかし最高裁は、生徒の剣道授業拒否を真摯な信仰の発露と認めた。校長に対して、剣道ではない別の体育メニューを受講させるよう配慮すべきだったと判断したのだ。最高裁も、たまには立派な判決を書く。

ブレークのワクチン拒否にも、社会には多様な意見があるだろう。「ワクチン打たないリスクをよく考えろよ」「副反応の確率は決して高くないよ」「そんなに頑なに拒否するほどのことか」「ワクチンは、自分のためだけのものではない。周りの人のためにも打つべきだ」「オリンピック出場を棒に振ってもワクチン拒絶とは理解し得ない」…。

彼のワクチン拒絶が、信仰上の理由によるものであるか否かは分からない。それでも、彼の精神の核心部分と密接に関連する真摯なものであることは、容易に理解しうる。人生をスポーツへの精進に懸けて来たアスリートが、オリンピック出場をあきらめても、ワクチンを拒絶しているのだ。その確信は、信念と言ってもよいし、思想と言ってもよい。仮に、他人の目には奇矯なものと見えても、尊重されなくてはならない。それが、多様性を尊重するということではないか。

もちろん、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制への拒否も同様である。信仰上の信念からでも、歴史観や社会観に起因するものであっても、その姿勢は尊重されるべきで、強制などあってはならない。

聖火リレーは「五輪ファシズム」の象徴。

(2021年2月17日)
聖火リレーという奇妙な国民精神動員行事がある。参加者の擬似的一体感を醸成するのみならず、その一体感を国家や権威・権力に動員する効果を持つ。東京オリンピックの直前に、この奇妙な行事が行われる予定だが、これに異を唱える自治体が現れた。注目に値する。

本日の毎日新聞夕刊社会面のトップが、「島根、聖火リレー中止検討 知事『五輪開催許容し難い』 コロナ対策、政府に不満」という見出し。他紙も報じているが、『五輪開催許容し難い』とはまことに手厳しい表現。これが、現職知事の言なのだ。積極的に評価したい。

「島根県の丸山達也知事は17日午前、県内で5月に行われる予定だった東京オリンピックの聖火リレーの中止を検討していることを明らかにした。報道陣の取材に『オリンピック開催は現状では許容し難い。聖火リレーにも県としては協力できない』と答えた。」

正午から開かれた臨時の県聖火リレー実行委員会で、知事の「中止検討」が正式に表明された。これは、国に対する不服従宣言にほかならない。もっとも、島根県の「聖火リレー中止」方針が確定したわけではない。毎日新聞も、「新型コロナウイルス感染拡大に対する政府や東京都の対応を改善させる狙いがあり、実施や中止の決定については『(東京都が感染を抑え込んでいるかについて)確認をした上で判断する』とした。」と報じている。

聖火リレーは中止検討の理由は、「東京都などで保健所の業務がひっ迫し、濃厚接触者などの調査が十分行われていない」「そのことが全国的な感染拡大の要因となっていて、島根県とも無縁ではない」「政府や東京都が新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込めていない中、東京オリンピックと聖火リレーを開催すべきではない」「政府や東京都のリスクの高い対応が影響し、感染者が少ない島根の飲食や宿泊業界も大打撃を受けているにもかかわらず、緊急事態宣言地域よりも政府の支援が手薄なことも不公平」などとというもの。端的に言えば、「コロナ対応に専念すべき今、オリンピックどころではあるまい」というアピール。自治体の長として当然の姿勢ではないか。

聖火リレーは、47都道府県全部で行われる。「東京2020オリンピック聖火リレーのルートは、日本全国多くの人が沿道に応援に行けるように考慮して設定された。世界遺産や名所、旧跡など各地域の魅力あふれる場所で聖火リレーが行われる。121日間にわたる聖火リレーのルートと日程を確認しよう」と主催者は呼びかけている。

島根県の聖火リレーは、5月15日・16日の両日、170人が下記の経路を走る予定という。
(萩市)→津和野町→知夫村→益田市→浜田市→江津市→川本町→邑南町→大田市→出雲市→雲南市→奥出雲町→隠岐の島町→安来市→松江市→(三次市)
これがなくなれば、山口県・萩から広島県・三次にショートカットすることになる。

島根の中止は英断である。東北各県はどこもオリンピックどころではなく、次に続く自治体のあることを期待したい。がしかし、それだけに、島根に対する官邸や財界からの風圧には大きいものがあるだろう。

やや驚いたのは、中止になれば浮く予算の額である。「島根県の聖火リレーはことし5月15日(土)と16日(日)の2日間、合わせて14の自治体をめぐる予定」だという。それだけのことに、9000万円の予算が計上されているという。

自治体負担分とは別に、「組織委は2018年、電通と聖火リレーに関する業務委託契約を締結し、約50億円の委託費を計上したが、20年スタート直前での延期となり、業務委託費の多くは支払い済みで戻ってこなかった」という報道を思い出す。聖火リレーの全予算は、少なくとも100億円にはなるのだろう。あらためて、学術会議予算10億円の僅少さを思う。

周知のとおり、オリンピックの聖火リレーは1936年ナチス政権下のベルリン大会から始まった。ヒトラーのほしいままの政治利用を許した、あの「民族の祭典」である。発案者は、ベルリン大会組織委員会事務総長でスポーツ学者のカール・ディームだという。聖火リレーとは、ナチスドイツのプロパガンダの一端として始まった。「五輪ファシズム」の象徴とも称すべきイベントなのだ。

北海道銀行カーリングチームのなんとも爽やかなフェアプレイ。

(2021年2月16日)
私は、スポーツの観戦に興味がない。母校が出場した高校野球だけが例外だった。甲子園は同窓会の場でもあったから顔を出したが、それ以外にはスポーツ観戦の記憶がない。子供が幼いころ、アンドレア・ジャイアントの興行を見に行ったことがある。あれをスポーツと言えば、もう一つの例外であったろうか。

スポーツのルールをよく知らない。とりわけ、「氷上のチェス」といわれるカーリングである。話題となってもついていけないし、何が面白いかさっぱり分からない。

ところが、昨日(2月15日)の朝のこと、寝床で聞いていたラジオのスポーツニュースで目が覚めた。カーリング日本選手権の女子決勝、北海道銀行が平昌五輪銅メダルのロコ・ソラーレに7-6で勝利したという。この報告だけなら面白くもおかしくもないのだが、その解説に驚いた。

こんなことは常識なのだろうか。カーリングの試合には『審判がない』のだそうだ。各自がフェアプレー精神にのっとって試合を行うことが当然とされ、ルール違反は飽くまで自己申告制だという。問題あれば、審判の裁定ではなく競技者間の協議で解決するのだとか。私には初耳のこと。スポーツは野蛮と決めつけてきたは間違いか。なんと成熟したスポーツの世界があるものだろうか。

報じられた試合は、北京オリンピック出場もかかっていた。道銀は、この試合に敗れれば確定的に出場権を失うのだという。当事者にとっては大事な試合。

その大事な試合の競り合いの中での第4エンド、A選手のラストショットがハウスの中心にピタリとみごとに決まって道銀勝利の流れがつかめたという局面。ここで、スイープしていた同じチームのB選手のブラシがストーンにわずかに当たったのだという。これはファウル。せっかくの得点のチャンスが失われただけでなく、反則点として相手チームに2点を献上することになった。この反則が、審判の指摘によるものではなくB選手の自己申告なのだという。

ラジオの解説によれば、ここで後れをとった道銀チームの誰もがBの自己申告を当然として動じることはなかったという。健気に声を掛け合って全員で前向きに試合を進め、1点を追う最終第10エンドで2点を奪って逆転劇を演じた、というハッピーエンド。正直のところ詳細はよく把握しきれないが、できすぎたお話。

自チームの不利を承知でファウルを自己申告した道銀選手のフェアプレーに拍手を送りたい。しかも、ラジオの解説によれば、ビデオをよく見ると、錯綜した状況ではあったが実はファウルではなかったようなのだという。それほど微妙な「ファウル」の自己申告だったのだ。

言うまでもなく、北海道銀行とそのカーリング・チームとは、「別人格」である。銀行業務と選手のプレーとは、もちろん別のことである。しかし、このフェアプレーは銀行のイメージを大いに高めたに違いない。道銀の行員が、顧客を欺したり、告知すべきことを故意に隠したりはしないだろう。きっとフェアな姿勢で接してくれる、こういう企業イメージが形作られた。

かつて、三菱銀行などが融資とセットで変額保険を売った。銀行の堅実なイメージを信頼してリスク商品を売り付けられた顧客は怒った。最近では、日本郵政の職員が、官業時代の郵便局の固いイメージを信頼した多くの顧客に「かんぽ生命の保険商品」を不正販売した。スルガ銀行の例もある。今や、金融機関の信用の劣化はとどまるところを知らず、昔日とは隔世の感がある。しかし、北海道銀行だけは、率直・正直・フェアでクリーンなイメージを獲得した。

企業は消費者に選択をしてもらわねばならない立場だから、その顧客に対するイメージは重要である。通常、企業は消費者の好イメージを求めて行動する。

DHCという企業が、デマやヘイトやスラップやステマで、何重にも自らのイメージを傷つけていることが信じがたい。会長吉田嘉明は、化粧品や健康食品の販売をしながら「ヤケクソくじ」などという不潔なネーミングをしている。フェアもクリーンも皆無である。こんな企業が真っ当な経営をしているとはとても思えない。

そして、NHKである。森下俊三というトンデモ人物を経営委員として再任させたことは、ジャーナリズムとしてのNHKにとって致命的なイメージダウンである。森下再任の人事は、官邸・総務省にしっかりと紐付けられ、これに抵抗できないNHKというイメージを天下に植え付けた。官邸と自公与党の愚行というしかない。

このような汚濁の世の中で、道銀カーリングチームのなんと爽やかなこと。まさしく、泥中に咲いた蓮の華さながらである。

鵜飼哲「五輪ファシズム」論に賛同の拍手を送る

(2021年2月14日)
コロナ蔓延の終熄はまだ遠い。原発事故処理もできぬ間に新たな地震も重なった。財政は逼迫している。国民生活は弱者ほど疲弊が厳しい。とうていオリンピックどころではない。アベ晋三の大ウソとワイロとで誘致した東京五輪が、いま主催組織幹部の女性差別と旧態依然たる体質暴露で世界に恥を晒している。いったい、どこに開催の意義があるというのだ。もともとが、為政者の統治の具に堕した国威発揚の舞台。しかも、意図的に小さな予算から出発して、途方もない金食い虫に変異したこのイベント。行政とつるんだ企業に食い物にされた、カネまみれの商業主義の化け物。こんなものは、さっさとやめてしまえ。その予算を、コロナ対策と震災からの復興にまわすべきが当然ではないか。

これが、これまで私が語ってきたこと。私は、この程度にしか東京オリンピックを批判してこなかった。今、その不徹底な姿勢を反省しなければならない。「五輪ファシズム」論に接してのことだ。

2月11日、毎日新聞デジタルが、「女性蔑視発言の根底に潜む『五輪ファシズム』の危険性」という記事を掲載した。かなり長文の鵜飼哲(一橋大名誉教)インタビューである。まことに時宜を得た適切な論説。
https://mainichi.jp/articles/20210210/k00/00m/040/185000c

鵜飼によれば、「オリンピックには、その根底に市民の生活を脅かす危険な『五輪ファシズム』がある」という。私はこれまで、「オリンピックは素晴らしい」という言説を懸命に否定してきた。しかし、鵜飼はオリンピックの積極的な害悪を主張する。「五輪ファシズム」という切り口で。

クーベルタンは、女性蔑視で優生思想の持ち主だった。ブランテージも、サラマンチもファシズムに親和性を持っていた。IOCは今も王族や貴族のサロンで、そこに元オリンピアンが「新貴族」として入るという愚にもつかない忌むべき構造がある。JOCの評議員63人中女性はたった2人…。さて、「五輪ファシズム」とは何か。

オリンピックは最初から全体主義的なイベントになりがちな傾向を強く持っていました。1936年にナチス・ドイツが挙行したベルリン大会を、IOCは今も最も成功した大会と評価しています。
 68年のメキシコ大会では開催に反対した学生が開会式直前に何百人も殺されました。2016年のリオデジャネイロ大会の開催中も、警官による民間人の射殺が激増するなど人権侵害が多発したことを、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが報告しています。しかし、IOCは全て主催国の問題にして責任を引き受けることはありません。21世紀に入ってテロ対策が強化され、ロンドン大会(12年)、リオ大会では地対空ミサイルが配備されました。当然、日本も開催されれば同じことになります。憲法が改正された後の状態を先取するような形で五輪期間中の警備が構想されているのです。顔認証システムも初めて導入予定で、日本在住者にはマイナンバーカードの提示が求められる。監視テクノロジーのこのような浸透が五輪を通じてグローバルに展開するところに現代のファシズムの特徴があります。

 クーベルタンが考えていた「平和」とは、弱体化したフランスにイギリスやドイツのような体育教育を導入し、民衆にもスポーツを教えて軍隊を再建し、欧州にバランスを回復することでした。日本国憲法が理想としている第二次大戦後の世界平和とはまったく意味が違います。

 安倍さんはあわよくば五輪を使って改憲まで持っていくつもりだったと思います。福島のことを忘れさせ、開催予算を自民党の支持基盤に流し、祝祭の勢いで改憲まで持っていく。このシナリオはコロナによって崩れましたが、五輪の歴史の中でも最悪の政治利用計画の一つでしょう。

最後は、次のように締めくくられている。まったく同感である。

 黙っていたら「わきまえている国民」にされてしまいます。さまざまな表現方法を工夫して異論を発し続けることが大事です。

なお、以下の重要な指摘もある。

 次の五輪開催地は来年冬季大会が予定される北京ですが、北京は欧米諸国のボイコットの可能性もありIOCは大変警戒しています。東京、北京とも開催できないのは避けたいでしょうから、IOCは東京開催に固執するでしょう。私の見通しでは、ぎりぎりまで開催強行を狙うでしょう。
 しかし、森発言以来、ボランティアの辞退が増えています。今後は選手たちから抗議の声が上がることが、主催者側には最も手痛いはずです。

明確に「東京五輪を中止せよ」と声をあげたい。さらに、中国の人権政策に変化ない限りは、「北京冬季五輪も中止を」とも。

沈黙による共犯者となってはいけない。ー 本郷三丁目交差点で

(2021年2月9日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所のみなさま。私が最後のスピーチを担当いたします。コロナ風吹く中のお騒がせですが、もう5分と少々の時間、耳をお貸しいただくようお願いします。

森喜朗という、昔首相だった化石のような人の東京五輪の組織委員会会長としての女性蔑視発言が話題となっています。この人の発言の不適切なことは、誰にも分かり易いところですが、今大きな問題とされているのは、この人がJOCの評議員会で発言していたとき、誰もこの発言を問題視せず、むしろ男性会員からの笑い声さえ漏れていたと報じられていることです。

森喜朗のあからさまな女性蔑視発言を批判する人が一人もいなかったということは、評議員会参加者が、その沈黙によって差別を肯定し賛同し加担したということにほかなりません。外部からそのように見られるというだけではなく、そのような方針で組織が動いていくことになるのです。評議員会出席者一人ひとりの責任は、まことに重大と言わねばなりません。

このことは、私たち一人ひとりに問題を投げかけています。時として沈黙は、権力者や社会的強者の大きな声に賛同したことになるということです。女性差別、民族差別、宗教差別、思想差別、家柄による差別、職業や収入による差別…、あらゆる差別を許してはなりません。許してはならないということは、差別を傍観してはならず、明確に反対だということを表明しなければならないということです。

かつて、日本は暴走して侵略戦争の過ちを犯し、外には2000万人、内には310万人もの犠牲者を出しました。その重大な責任はどこにあるのか。もちろん、誰よりも天皇がその責任を負うべきで、次いで天皇を操り人形として戦争遂行に利用した軍部や政治家やメディアの責任を曖昧にしてはなりません。しかし、多くの国民の加担なしには戦争はできません。自分は決して戦争に賛成ではなかったというのが、大多数の国民のホンネであったと思います。しかし、戦争に反対と声をあげたのは一握りの人々に過ぎませんでした。大多数の人々は、沈黙することで、戦争に賛成し、侵略に加担したのです。

東京オリパラや、原発政策は、聖戦完遂に似ているように思えてなりません。きちんと反対の意思表示をせず、沈黙していることは、結局のところ、政府の政策に賛成とみなされてしまうのです。いま、「森喜朗発言を許さない」「あらゆる差別に反対する」と、一人ひとりが声をあげることが大切だと思うのです。

さらに別の角度からも問題が指摘されています。森喜朗の女性蔑視発言を批判する世論に抗して、政権や与党から、森擁護の声が上がっていることです。

圧倒的な世論が「こんな発言をする人物は、組織委員会会長として不適任」「森さんは辞任すべきだ」「東京オリンピックもやめた方がよい」となっています。この世論に抵抗するように、多くの政治家や保守の言論人が、こう言っています。

「森発言は不適切ではあったが、既に本人は反省し謝罪し発言を撤回しているではないか」「いまは、批判しているときではない。オリンピックをどうしたら成功に導くことができるのか、皆で知恵を出すべきだ」

その代表が、菅義首相、萩生田文科大臣、二階自民党幹事長、などの面々。そして肝心のIOC自身が、これに同調するようないいかげんな姿勢なのです。果たして、これでよいのでしょうか。

JOCだけではなくIOCも、このようにいいかげんで、清潔さを欠いた組織であることが明らかになってきました。私たちは、黙っていることはできません。いま沈黙をすることは、森発言を許す、菅・萩生田・二階・JOC・IOC発言に賛同したことになってしまいます。何らかのかたちで、声をあげようではありませんか。

「私は、女性蔑視を許さない」「性差別だけでなく、あらゆる差別に反対する」「差別発言の責任を明確にして、森喜朗は組織委員会会長の職を辞任せよ」「森喜朗が辞職しないのであれば、組織委員会は解任せよ」「政府や与党は、森を擁護するな」「差別者が推進する東京オリパラを返上せよ」

天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

(2021年2月8日)
私が、モリ・ヨシロウ。東京五倫の組織委員会会長だ。えっ? 「五倫」とはなんだって? 大切な五倫を知らんのか? それは、少し無知。

教育勅語は知ってるだろう。それさえ知っておればよい。神の国の天皇である明治大帝が、日本の臣民に賜った永遠不滅にして普遍的な、有難くも貴い教訓だ。どうして有難いかって? つまらぬ質問をするんじゃない。天皇の教えだから、有難くて貴いに決まっている。

勅語自身が、「この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべきところ。これを古今に通じて誤らず、これを内外に施して悖らず」と、こう語っている。つまり、勅語に書いてあることは絶対に間違いがない。時代を超え、国を超えて、普遍的な真理ということだ。

その真理を文字にした勅語の中に、こういう有難い一節がある。
「なんじ臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、…一旦緩急あれば義勇公に奉…ずべし」。これが、五倫だ。

元号もそうだが、悔しいけれどもこの辺りは全て漢籍からの借り物だ。もともとの五倫は『孟子』に由来する。
「君臣の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信」この五つが、儒教で説かれる、それぞれの立場での処世の徳目。

問題は、「夫婦の別」だ。「別」とは、「夫には外における夫のつとめ、妻には内における妻のつとめがあって、それぞれその本分を乱さないこと。」(『新釈漢文大系』)と説かれる。勅語では「夫婦別あり」を、少しやんわりと「夫婦相和し」としているが、同じことだ。当時もそう教えられている。

さらに、「礼記」には、人の踏み行なうべき道として、五倫を敷衍した十箇条の「十義」というものがある。「父の慈、子の孝、兄の良、弟の悌、夫の義、婦の聴、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠」だ。婦人の徳としての「聴」とは、「夫の言うことをよく聴いてしたがう」こととされる。

「婦」とは、妻でもあり女性でもある。夫に、あるいは男性に従順であることこそが、永遠不滅にして普遍的な女性の美徳なのだ。それを男尊女卑というなら、我が国の歴史や習俗はまさしく、男尊女卑だ。それで何の不都合があろうか。

だから、もうよくお分かりだろう。会議では女性は、もっぱら「聴」に徹しておくべきなのだ。発言や質問を控えて、決まったことには素直に従う。これが、万古不易の婦徳ではないか。

えっ、キミたち、なんとなく不満そうな表情じゃないか。これが封建道徳の押しつけであるとでも思っているのかね。だとすれば、戦後教育嘆かわしや、というほかはない。

もしかして、キミたち。「『教育勅語』は全てが間違っている」なんて、思っているんじゃないだろうね。そうだとしたら、それこそがたいへんな間違いだ。神の国の陛下の言に間違いがあろうはずはないじゃないか。

だから私は、首相在任中に教育改革を説いて、教育勅語の一部復活を提案したんだ。この国が天皇の国であり神の国なんだから、教育勅語の復活は当然だろう。これに反対する偏向した一部の国民やマスコミの気が知れない。

オリンピックは世界の祭典だが、開催地は我が国の東京だ。わが国固有の歴史や伝統や風習を主張することを遠慮してはならない。何よりも神と天皇が宣らせたもうた男女の別については、人倫の大本として世界に発信しなければならない。キミたちも、天皇と神の国の「東京五倫」であることを、よく弁えていただきたい。

森喜朗よ、男として頑張れ。ラガー根性を見せろ。会長の地位にしがみつけ。あなたこそ、東京オリンピックの顔にふさわしい。

(2021年2月6日)
森喜朗よ、あなたは早稲田のラグビー部推薦入学者だというではないか。ラグビーこそは男のスポーツだ。あなたこそ、男の中の男。あなたの男としての精神は、ラグビーで培い、ラグビーで磨き上げたもの。あなたの女性蔑視発言は、スポーツで鍛えたあなたの精神を多くの人々が誤解しているだけだ。自信をもって、今の地位にしがみつけ。

森喜朗よ、今をまさにラグビーの試合中と思え。つかんだボールをしっかりと持って走るのだ。多くのタックルをものともせずにトライを目指す。このことに、一筋の迷いもあってはならない。

森喜朗よ、あなたは男だ。東京五輪組織委員会会長職をいったん引き受けた上は、弱音を吐いて逃げ出したりはしない。途中で職を投げ出して、敵に後ろを見せるのは男の恥だ。毛ほども女々しさを見せてはならない。

森喜朗よ、ものには釣り合いというものがある。富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブの葉。靖国には軍服姿の進軍ラッパ。そして東京五輪には、誰よりもあなたがよく似合うのだ。かつては、ウソとゴマカシと政治の私物化を象徴していた安倍晋三が東京五輪に最も似合う男だった。その安倍が跡を濁しながら退陣した今、森喜朗よ、あなたこそが東京五輪とピッタリのイメージだ。とうてい余人をもって換えがたい。

本日の毎日新聞朝刊社会面のトップには、無責任な「都内100人調査」という次の記事が掲載されている。

 「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言を人々はどう見ているのか――。毎日新聞が5日、東京都内4カ所で100人に聞いたところ、「森会長は辞任すべきだ」と答えた人は全体の約8割に上った。国際オリンピック委員会(IOC)と政府は森会長の謝罪と発言の撤回をもって「幕引き」としたい考えだが、国民感情との「ズレ」が浮かび上がった。」

正確には、「辞任すべきだ」と「辞任の必要はない」の回答者は、78人対18人だ。森喜朗よ、100人中の18人もあなたの味方がいる。心強い限りではないか。2割に満たない少数派ではあるが、少数者の意見を尊重することこそ、民主主義の本領ではないか。

もっとも、「森会長の言っていることに異論はない」と発言を擁護する人は、100人中のたった一人だけだったそうだが、それがどうした。百万人といえども我行かんの精神を発揮せよ。

 「街頭取材からは、辞任を求める人の多くが、森会長が国際的な祭典における「顔」にふさわしくない、と考えている様子が浮かんだ。」

毎日の記事は、そう締めくくられているが、これは明らかに誤解に基づくものだ。そうではないか、森喜朗よ。「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるということを国民のみなさんにしっかりと承知していただく。」というのが、あなたが首相の時代に宣言した真理ではないか。

誰もが知っているとおり、日本の国とは男系男子の天皇の国。女子は男子を立てるところに婦徳を示す。このことをしっかりと承知していただかねばならない。日本で行われるオリンピックでは、日本の歴史や風俗や日本の国柄を尊重していただき、日本の国情にしたがって行われるべきが当然ではないか。天皇の国では、男が中心、日本民族が中心、天皇を戴く神の国であることをしっかりと承知している人が中心で、そのためには森喜朗よ、あなた以外に東京五輪にふさわしい顔はない。

また、オリンピックを、神聖なもの、世界の良識を結集した立派なものと考えていることがおかしい。カネと権力の誇示の舞台でしかないと現実を認識すれば、森喜朗よ、あなたとオリンピックはお似合いなのだ。

森喜朗よ、あなたのこれまでの数々の「失言癖」を指摘し、会長職辞任を求める声が巷に渦巻いている。しかし、あなたは決して「失言」をしているのではない。このことに自信をもたねばならない。あれは全て、あなたの信念の発露なのだ。

森喜朗よ、あなたが辞任を否定したことで、批判の矛先は政府やIOCに向かっている。これは、素晴らしいことではないか。日本の政府も、IOCも、そしてあなたも、どっこいどっこい、カネと国威発揚に汚れた者どおしとして、お似合いなことがみんなの目にはっきりと見えるようになってくる。

森喜朗よ、そのあなたが、「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めた」という報道に落胆した。が、間もなく辞任を翻意したとの報道に安心した。

辞任翻意の理由は、「みんなから慰留されました」「武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」「いま会長が辞めれば、IOCが心配するし、日本の信用もなくなる。ここは耐えてください、と」

そのとおりだ。森喜朗よ。あなたは、男だ。もとはラグビーの選手じゃないか。国内外からの、女性蔑視発言バッシングに堪えるだけでなく、反撃せよ。記者会見では、とことん、やり合え。「もう、発言は撤回したから文句はないだろう」「もう、謝ったじゃないか」「いったい何度謝ったらいいんだ。」「不可逆的に解決済みのはずだ」「面白おかしく報道するための質問には答えない」とがんばれ。

また、ときには、こうも言うべきではないか。

 「私の発言に、反省すべきところはない」「キミたちは、人の口を封じて言論を弾圧しようとするのか」「この天皇の国では、男性と女性の在り方に区別あって当然なのだ」「男尊女卑、夫唱婦随、女は男を立てる、これが日本の麗しい伝統だ」「世界の人に、日本の国情を理解してもらわねばならない」

森喜朗よ、あなたが語ったとおり、「報道はされていませんが、たくさんの(保守系の)国会議員からも激励され」ているのだ。あきらめるな。今の地位にとどまれ。そして、東京五輪と日本精神の何たるかの両者を、あなたの発言と行動を通じて世に知らしめよ。

コロナ禍の今夏、感染拡大の危険を冒してまで東京オリパラを開催する意義が見出せるだろうか。

(2021年1月26日)
1月21日付の「タイムズ」が、今夏の東京オリパラについて、「日本政府が、新型コロナウイルス感染症のため非公式に中止せざるをえないと結論づけた」と報じたことが話題となった。同紙は、23日に「日本のジレンマ メンツを保ちながら中止する方法」と題した続報を載せ、「組織委、IOC、日本政府は一貫して大会は順調に進んでいると宣言しています。しかし、舞台裏では希望はほとんどなくなっている」とし、日本側は中止を模索しているとした。担当記者は、「公式発表まで当局は計画通りに進んでいるかのように振る舞う。しかし、末期症状の患者のように、重要な臓器がシャットダウンする時がくるだろう」と言っている。

「日本、コロナのせいで五輪脱出を模索」と題した東京発のタイムズ記事は具体的で詳細な内容となっている。連立与党幹部による「既に1年延期された大会は絶望的だとの認識で一致している。今は次に可能な32年大会の開催を確保することに焦点が当てられている」とのコメントを紹介。「誰も最初に言いたがらないが、(開催は)難しすぎるというのが一致した意見」との情報筋の談話も紹介し、IOCと日本政府が表向きには五輪開催は可能と主張しているとした。また、五輪準備へ少なくとも250億ドル(約2兆6000億円)を投入した日本にとって「大会中止は金融危機となる」とも指摘している。

ことの真偽は確認のしようもないが、ありそうなことだと誰もが思う記事。とりわけ「タイムズ」の報道である。とうていフェイクとは思えない。

もちろん、日本政府がこれを認めるはずはない。直ちに、「そのような事実は全くない」と否定するコメントを発表した。菅義偉得意の「そのような指摘は当たらない」「全く問題ない」という一刀両断だが、はなはだ切れ味が悪い。

政府のコメントは「東京大会については、競技スケジュールと会場が決定されており、夏からの大会の成功に向けて、関係者が一丸となって準備に取り組んでいる」「政府としては、感染症対策を万全に、安全・安心な大会の開催に向けて、引き続き、IOC=国際オリンピック委員会や大会組織委員会、東京都などと緊密に連携して、準備をしっかりと進めていく」というお決まりの内容。しかし、問題は政府の決意ではない。現実に開催できるか否かの、客観的で具体的な状況の如何なのだ。

同じ21日、IOCのトーマス・バッハ会長が、共同通信のインタビューに応じている。新型コロナウイルスの影響で1年延期された大会について、「7月に開幕しないと信じる理由は現段階で何もない。だからプランB(代替案)もない」と述べ、中止や再延期の可能性を否定したという。

この人、「全ての選手が東京に来ることを望んでいる」とし、「ワクチン接種を含む予防策に自信を示した」とも報じられている。客観的で具体的な状況の説明はない。菅や森・小池だけでなく、このバッハという人物にも、次第に胡散臭い雰囲気が漂い始めている。

問題はこういう形で投げかけられている。コロナ禍のさ中に、そんなに無理をし感染拡大の危険を冒してまで、東京オリパラを開催する意義がどこにあるのか。

今の時期に、東京オリパラ開催を強行するデメリットは、述べるまでもない。人と人との接触がコロナウィルス感染の基礎である。世界の各国から多数の人を集め、人と人とを密着・密集させることは、コロナ禍拡大の機会を提供することにほかならない。相互にウィルスを感染させ、世界に蔓延させ、猖獗を極めさせるリスクを否定し得ない。

日本医師会の中川会長は、「現時点で、オリンピック・パラリンピックの開催が可能かどうか言及するつもりはないが、選手団だけでも大変な数だ。もし新たな新型コロナウイルスの患者が発生すれば、今の医療崩壊が頻発している状況のもとで受け入れ可能かというと、可能ではない」と述べている。

「オリンピック・パラリンピックの開催が可能かどうかに言及するつもりはないが」と言いつつも、結局は、「医療崩壊が頻発している状況のもとで受け入れ可能かというと、可能ではない」と明言している。正直なところだろうし、常識的な結論でもある。

では、そんなリスクを冒してまで、東京オリパラを開催すべき積極的な意義はあるのだろうか。商業主義の膝下に呻吟するオリンピックである。これを当て込んで儲けを企む人々には、当然に「大いに開催の意義あり」ということになるだろう。国威発揚を目論んでいる人も、この場で目立ちたがっている人々も同様。

オリンピック本来の目的は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」と定式化されているという。また、パラリンピックは、そのゴールを「パラリンピックムーブメントの推進を通してインクルーシブな社会を創出すること」とし、「すべての人が共生する社会の構築を目指す」という。いずれも美しい言葉ではあるが、言葉のとおり、美しく胸に響くだろうか。

これに対して、「反東京オリンピック宣言」という異議申立の書籍が出版されている(航思社)。こちらは、「開催を返上・中止せよ!!」という立場。その惹句が次のとおり。

「アンダーコントロール」などという安倍首相による世界に向けた破廉恥なまでの虚偽発言、裏金不正疑惑、抵抗するアスリートの排除、野宿者排除・人権蹂躙、だるま式に膨れ上がる開催費用/まやかしの経済効果、環境汚染、置き去りにされる福島復興・原発対策……。様々な問題が山積・噴出しているにもかかわらず、なぜ東京でオリンピックを開かねばならないのか? 政府・東京都・広告業界、それらと一体と化したマスメディアが、これらの問題に目を耳を口を閉ざして歓迎ムードを醸成、反対の声を抑圧するなか、2020東京オリンピック開催に対して、スポーツ、科学、思想、哲学、社会学などの研究者・活動家ら16人による根源的な異議申し立て。

あなたの胸には、どちらが響くだろうか。そして今夏、敢えて東京オリパラを開催すべきという気持ちになれるだろうか。

最新世論調査にみる、民意の菅政権離れ。

(2021年1月11日)
一朝有事の際には、一国の政治的指導者の求心力が格段に強まる。典型的には戦時の国民が、強力なリーダーシップを求めるからだ。指導者と国民とは、一丸とならなければ敗戦の憂き目をみることになるという共通の心理のもと、蜜月の関係となる。

戦時に限らず、災害の克服が一国の重要課題となるとき、同じことが起きる。無用な足の引っ張り合いや内部抗争はやめて、政府と国民一体となって効率的に課題を克服しなければならないとする圧力が生じる。こういうときの政府批判者や非協力者は、「非国民」と非難される。

だから、戦時も有事も自然災害も、為政者にとっては、権力拡大のチャンスとしてほくそ笑むべき事態である。新型コロナ蔓延も、その恰好のチャンス。安倍晋三の国政私物化政権を見限った国民の支持を再構築するために、なんと美味しいお膳立て。そう、菅義偉はほくそ笑んだに違いない。実際、台湾やニュージーランドを筆頭に、多くの国の有能な指導者が政治的求心力の高揚に成功している。

ところが、どうだ。菅義偉、このチャンスを生かせていない。いや、こんなチャンスに大きな失敗をやらかしている。政治指導者にとっての「チャンス」は、実は国民にとっては、生きるか死ぬか、生活や生業を継続できるか否かの切実な瀬戸際である。リーダーの舵取りの失敗は、厳しい批判とならざるを得ない。

最新(1月9・10日調査)のJNN(TBS系)世論調査において、「内閣支持と不支持が逆転 コロナ対応で軒並み厳しい評価」との結論が出た。菅内閣、政権支持率を浮揚して、求心力高揚のチャンスに大失態である。この政権の前途は多難だ。国民からの強い批判がもう始まっている。

 菅内閣の支持率は先月より14.3ポイント下落して41.0%となり、支持と不支持が逆転しました。政府の新型コロナ対応にも厳しい評価が出ています。

 菅内閣を支持できるという人は、先月の調査結果より14.3ポイント減って41.0%でした。一方、支持できないという人は14.8ポイント増加し55.9%と、支持と不支持が初めて逆転しました。

 新型コロナウイルスの感染防止に向けた政府のこれまでの取り組みについて聞いたところ「評価しない」が63%と、「評価する」を上回っています。

 政府が1都3県に緊急事態宣言を出したことについて聞きました。
 宣言発表を「評価する」人は65%、「評価しない」人は30%でしたが、タイミングについて尋ねたところ、「遅すぎる」が83%に達しました。

 新型コロナ特措法の改正について聞きました。
 飲食店などが時短要請に応じない場合に罰則を設けることの是非を尋ねたところ、「賛成」は35%、「反対」は55%でした。

 今年夏に予定される東京オリンピック・パラリンピックについて、「開催できると思う」と答えた人は13%、「開催できると思わない」と答えた人は81%でした。

 「桜を見る会」の前夜祭をめぐる事件で、これまでの安倍前総理の説明に「納得できる」と答えた人は12%にとどまり、「納得できない」が80%にのぼりました。

最後の3問が興味深い。コロナの蔓延を押さえ込むために特措法の緊急事態宣言に罰則を盛り込むことは、憲法を改正して政権の恣意を許す緊急事態条項創設への地ならしにほかならない。油断はできないが、反対世論が過半数であることに安堵の思いである。

東京五輪について「開催できると思わない」が81%(!)。これは、衝撃の数字だ。「金食い虫の五輪は早々とやめて、コロナ対策に専念せよ」が世論なのだ。政権がこれを軽視すると、取り返しのつかないことになる。

そして、世論は安倍晋三の旧悪について手厳しい。安倍晋三の「桜・前夜祭」のカネの流れについての認識如何は「総理の犯罪」の成否に関わる。その説明「納得できない」が80%(!)。これまた、世論の健全さを物語っている。なお、共同通信の同時期の調査も、ほぼ同じ傾向となっている。

衆院解散・総選挙の日程を間近にした今の時期、コロナの渦中でのアベ・スガ政権への国民の審判の厳しさは想像以上である。

IOCバッハのみごとなオウンゴール

(2020年11月17日)
共同通信が「五輪反対派が都庁前で抗議」という記事を配信し、ロイターがこれを記事にした。東京オリンピック反対運動も、その抗議行動も巷にあふれている。バッハ訪日に合わせての都庁前での抗議行動というだけではニュースとしてのインパクトに欠ける。なぜ、大きな記事になったか。

この、ごく小さな抗議行動にニュースバリューを与えたのは、バッハ自身である。IOC会長自らが身体を張って、小さな抗議行動に大きなニュースバリューを進呈したのだ。言わば、価値あるオウンゴールである。

記事は以下のとおり。

「国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が東京都の小池百合子知事との会談に訪れた都庁前で16日、五輪反対派の市民数人が「オリンピックやめろ」「これ以上オリンピックに税金を使うな」などと声を上げる場面があった。

 バッハ氏は都庁に到着した際と出発する際、横断幕を持って抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も。開催に反対の立場の人もいることを伝えにきたという女性は「優先すべきは人の命だと伝えにきたが、そこまで伝わったかどうか。五輪をやめると決断してほしい」と話した。」

さすがに共同通信は、バッハの行動について、「都庁に到着した際と出発する際(の2度にわたって)、抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も(あった)」と、品良く書いているが、反対派(「反五輪の会 NO OLYMPICS 2020」)のツィッターでは、「歩み寄る」が、「詰め寄ってきて」「突っかかってきた」と書かれている。

「都庁から出てきたIOCバッハ会長と一触即発!1メートルの距離まで詰め寄ってきて『おまえら意見を言いたいのか叫びたいのかどっちだ』的なことを言ってきた。どっちもだよ、オリンピックいますぐ止めろ!」

「今日11/16都庁で反五輪の会を見つけ突っかかってきたIOCバッハ会長のこの顔つき、このふるまい、写真見てください。「対話を求めた」とか記者会見で言ったらしいがどの口が?さっさと五輪中止しろ!」

「街宣を続けていると、再びバッハと他関係者が玄関からゾロゾロと出てきた。そびえ立つ都庁に反響したAbolish IOC! No Olympics anywhere! のコールが直撃。バッハは車に誘導されるが、苛立った表情でSPの静止も振り切り反五輪の会にズカズカ詰め寄ってきた! 1mの距離で一触即発! 後ろから小池百合子が慌てて止めに入る。…」

バッハという人、過剰に血の気の多い人なのだろう。東京都民の、「東京五輪反対」には心穏やかではおられないのだ。あるいは、どうしてもIOC会長にしがみついてなければならない裏の事情があるのかも。いずれにせよ、都民や日本人のオリンピックに対する醒めた気分を理解していない。

もう一つ、バカげたオウンゴールがある。16日、バッハは安倍晋三に、五輪運動への貢献をたたえる「五輪オーダー」なるものを授与した。「五輪運動への貢献」の具体的内容については、特に報道されていない。

こんなことをすれば、日本人がよろこぶだろうとでも舐めたカン違いをしているようなのだ。アンダーコントロールという、あの大嘘を思い出す。安倍晋三の嘘とゴマカシの数々を、あらためて反芻せざるを得ない。安倍の薄汚いイメージが、東京オリンピックの薄汚さにピッタリ重なる。反東京オリンピック世論の高揚に貢献することだろう。

バッハにも、菅にも、小池にも、「これ以上オリンピックに税金を使うな」「優先すべきは人の命だ」という当たり前の訴えに耳を傾けてもらいたい。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2020. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.