澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

東京オリンピックは、日の丸・君が代抜きで願いたい。

アツイ。あつい。暑い。熱い。いふまいとおもへどけふのあつさかな。「暑い」という以外に言葉はなく、話題もない。

3年後の夏、この暴力的な猛暑の東京で、オリンピック・パラリンピックが開催されるという。マラソンの日程は男女とも8月上旬だとか。恐るべき炎熱下の試練。愚かしくも非人道的な「地獄の釜」の中の苦役。東京の夏に五輪を誘致した諸君よ。キミたちはクーラーの効いた部屋で、剣闘士たちの酷暑の中の死闘を眺めようというのか。アスリート諸君よ、奴隷の身に甘んじることなかれ。

オリンピックといえば、国威発揚であり、ナショナリズムの鼓吹である。あたかも当然のごとくに国旗国歌が大きな顔をして鼻につく。どこの国の国旗国歌も愉快なものではないが、とりわけ日の丸・君が代は不愉快極まる。わが国の天皇制支配や軍国主義や侵略や植民地支配の負の歴史を背負って、歪んだ保守派ナショナリズムのシンボルとなっている。天皇教によるマインドコントロール下の大日本帝国とあまりに深く結びついたその旗と歌。今なお、日本人が無邪気にこの旗を振り、この歌を唱う感性が信じがたい。

ところで、最近こんな文章にお目にかかった。筆者を伏せて、ご一読願いたい。
《優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめようというブランデージ(当時のIOC会長)提案に私は賛成である。(略)私は以前、日本人に稀薄な民族意識、祖国意識をとり戻すのにオリンピックは良き機会であるというようなことを書いたことがあるが、誤りであったと自戒している。民族意識も結構ではあるがその以前に、もっと大切なもの、すなわち、真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通じて人々が知り直すことが希ましい》

民族意識や祖国意識よりも、「真の感動」、「人間的感動」をこそ重視すべきだという。「真の感動」、「人間的感動」の何たるかはこの短い文章に盛りこまれてはいないが、国威発揚やナショナリズム鼓吹の対立物としてとらえられている。だから、「優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめよう」という提案に賛成だというのだ。真っ当な見解ではないか。

この一文は、1964年10月11日付読売新聞に「人間自身の祝典」との標題で掲載されたものだという。筆者は、何と石原慎太郎。スポーツライターの玉木正之さんのサイトに紹介されていたもの。石原慎太郎とは、その40年後に東京都知事として、公立学校の教職員に、国旗国歌を強制する「10・23通達」を発出した張本人である。

石原に倣って、私はこう言いたい。
《学校の卒業式に国旗掲揚や国歌斉唱をとりやめようという良識ある教員たちの提案に私は賛成である。少なくとも、天皇(明仁)が米長邦雄に語ったとおり「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」というべきだろう。
私は以前、日本人に稀薄な民族意識や祖国意識、そして秩序感覚をとり戻すのに卒業式の国歌斉唱は良き機会であるというようなことを思ったことがあるが、誤りであったと自戒している。民族意識も愛国心も秩序感覚も結構ではあるが、その以前に、もっと大切なもの、すなわち、自立した人格の形成、精神的な自由の確立、斉一的な集団行動の強制ではなく、国家や集団に絡めとられない個の確立、そして教育の場での真の感動、人間的感動というものを確認する卒業式であることこそが希ましい》

オリンピックであろうと、卒業式であろうと、国旗・国歌は個人と対峙し、個人を呑み込む。アスリートよ、国の栄光のために競うな。自分のために輝け。それこそが、真の感動ではないか。卒業式の若者よ、国歌を歌うな。自分自身の魂の詩を語れ。それこそが人間的感動を確認する手段ではないか。

国威発揚の五輪に成功したのがヒトラーだった。そのドイツ民族を主役とする大祭典は第2次大戦を準備するものでもあった。2020年東京五輪が、その亜流であってはならない。国旗国歌の氾濫する20年夏は暑苦しく息苦しい。せめて、「優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめよう」くらいの五輪であって欲しい。日の丸・君が代抜きの東京五輪であれば爽やかとなろうし、少しは涼やかな東京の夏となるだろう。
(2017年7月21日)

「憲法改正は五輪音頭の囃子に乗せて」ーアベ流改憲メッセージ

ご来場の右翼の皆様、こんにちは。「自由民主党」総裁のアベ晋三です。
本日は、5月3日の憲法記念日にちなんだ、「第19回公開憲法フォーラム」に、私のホンネをビデオメッセージとしてお届けいたします。

この集会にご参加の「民間憲法臨調」や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の皆様。世の中では「右翼」と蔑まれている皆様こそが私の同志、腹心の友であります。皆様方が常日頃から、打てば響くように、私の憲法改正への執念を忖度され、支えていただいていることを大変心強く感じております。また、皆様が陰に陽に、日本国憲法を論難し攻撃する言動を重ねておられることに、心からの敬意を表するとともに感謝申し上げる次第です。

私たち右翼にとって、憲法記念日とは、日本国憲法を改正して、大日本帝国憲法時代の輝かしい御代を取り戻す決意と覚悟を固める日。それがお約束ではありませんか。右翼の一端を担う自由民主党にとっても、憲法改正は立党以来の党是です。自民党結党以来の悲願でありながら、なんと70年間、この唾棄すべき日本国憲法に指一本触れることができませんでした。憲法はたった一字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。なんたる屈辱。なんたる国辱。歴代の総裁が受け継いでできなかった憲法改正を、このワタクシ・アベ晋三はどうしてもなし遂げたい。その決意です。

次なる70年に向かって日本がどういう国を目指すのか。今を生きる私たちは、少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。私は、そのように何度も声高に言い続けてまいりました。

正直のところ、「少子高齢化」「人口減少」「経済再生」の3点については、なぜ憲法改正の根拠となるのか、その対応策としてどのような改正が必要になるのか、実は私自身もよく分かりません。もしかしたら、憲法を変えなければ対処できないというのは、大きな嘘なのかも知れません。しかし、それでもよいのです。私は政治家で学者ではないのですから、正確なことをお話しすることが仕事ではありません。国民のみなさんが、それで良しという気分になっていただけば、万事オーライなのです。

フクシマ第1原発から、放射能の汚染水がダダ漏れなのは、日本人ならみんな知っていたこと。それでも敢えて、「完全にブロックされ、アンダーコントロールの状態にある」と平気で言ったことによって東京五輪誘致を成功させたではありませんか。あのブェノスアイレスでの発言のどこがまずかったというのでしょうか。真実よりも、結果なのです。

なんとなく世の中は変わってきた。だから、なんとなく憲法も変えた方がよいのではないだろうか。あまり深くものごとをお考えにならない多くの国民の皆様が、漠然とそう考えていただけたら、それで大成功なのです。アベ内閣の支持率も、そのようにして保たれているのですから。

「安全保障環境の悪化」はやや別です。これは、明らかに憲法九条の改正につながります。ですから、真実であろうとなかろうと、国民の意識に定着し、それによって国民世論が九条改憲を容認する仕掛けを作らなければなりません。

邪悪な近隣諸国がわが国に対する攻撃の意図をもっていると、繰りかえし繰りかえし煽ることで、実は「安全保障環境の悪化」は現実化するのです。
「中国も北朝鮮も恐いぞ、彼らはわが国を敵視している」「彼らの軍備増強はわが国への攻撃の意図あればこそだ」「だからわが国も軍備の増強を」。そういえば、相手国も、木霊のように同じことを言って、軍備の増強に精を出すことになります。これが、好循環。労せずして、九条改憲を実現する環境が調ってくるのです。

もっとも、わが国の国民の平和意識にはなかなかに強固なものがあります。一挙に、九条を全面改正して、日本を戦争ができる国にすることは容易なことではありません。そこで、ここは小手先の小細工が必要となります。国会議員の3分の2に以上の賛成を得たうえ、国民に提案して過半数の同意を獲得する現実的な提案が必要です。たとえば、こんな風に九条改正案を提案するのはどうでしょうか。

「今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。」

このような国民への呼びかけが重要だと思うのです。自衛隊を語るには、なによりもまず真っ先に、「災害救助」を持ち出さなければなりません。「災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日…その任務を果たしている」と言えば、あたかも「災害救助」が自衛隊の本務であるかの錯覚を呼び起こすことが期待できます。「災害救助」に真面目に取り組む自衛隊を憲法上の存在として位置づけよう。なかなかうまい作戦ではありませんか。

もちろん、ホンネは9条の1項も2項も変えたい。とりわけ、2項の「戦力不保持」は変えなければなりません。それは同志の皆様と同じ思い。しかし、ここは作戦として、「急がば回れ」でなくてはなりません。

だから、表向きにはこう言っておくのです。
「平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは、国民的な議論に値するのだろう、と思います。」

なんにせよ、70年間無傷という手強い憲法です。改正手続に一度でも失敗したら、半永久的に改正はできなくなります。下手をすると、逆方向の社会主義革命的な改正の機運が盛りあがって、われわれ右翼の側が「憲法を守れ」と言わざるを得ない事態にもなりかねないのです。

さてそこで、現実の問題です。右翼と自・公の与党だけでは、改憲を実現する勢力としては心もとない。そこで期待できる改憲グループとして、維新を仲間に入れる必要があります。そのためには、彼らが主張している教育無償化の問題を憲法改正のテーマとして取り上げる必要があります。

教育無償化の実現が、憲法改正を待たなければできないことであるかどうか。そんなことは、どうでもよいのです。維新の教育無償化政策をヨイショと持ち上げることで、仲間が増えるのですから、これを利用しない手はないのです。

さらに、問題は改憲の時期です。私の任期の間にやりたい。やらせていただきたい。たまたま、2020年が東京五輪の年です。ぜひとも、この年を改正された新しい憲法施行の年にしたいのです。

オリンピックと憲法。本来は何の関係もありません。でも、強引に結びつけることが大切なのです。それが政治というものなのです。問題は、時代の空気。空気だけなのです。なんとなく、国民のみんなが、そのような空気を感じ、なんとなくそのような風が吹いていると思えばそれでよいのです。

1964年の東京五輪を機に、日本は大きく生まれ変わりました。その際に得た自信が、その後、先進国へと急成長を遂げる原動力となりました。2020年にも、日本は新しく生まれ変わるのです。そのような気分になっていただき、オリンピックついでに、70年間無傷の憲法をリニューアルしようというのです。オリンピックをダシにした、憲法改正計画です。

本日は、「憲法擁護」「憲法改悪阻止」「改憲ではなく、憲法を生かせ」という、護憲派の集会が、日本中で大規模に開催されているようです。私は、行政府の長としては、憲法擁護・遵守義務を負う立場ですが、そちらの集会とはまったくの没交渉です。改憲派の皆様とだけ、親しくしたいと思います。

これを契機に、私もあらゆる権謀術数を弄して、憲法改正という歴史的使命をしっかりと果たしていく決意であることを改めて申し上げます。憲法改正に向けて、同志の皆様、ともに頑張りましょう。
(2017年5月4日・連続第1495回)

アベの「論理」ー「東京は世界有数の安全都市“だ・か・ら”、オリンピックは『共謀罪』がなければ開催できない」

「二度あることは三度ある」というが、さすがに「四度目もある」とは言わない。「仏の顔も三度まで」であって、通常四度目はない。

アベは、籠池を指して「非常にしつこい」と評し、「簡単に引き下がらない」「教育者としていかがなものか」という。が、アベのしつこさは、これに輪をかけてのもの。

政府は、「『共謀罪』こと組織犯罪処罰法改正案」を明日(3月21日)に閣議決定する方針だという。これは過去3度の廃案法案の蒸し返し。「なんとしつこい」「政治家としていかがなものか」と言わざるを得ない。

4度目の特徴は、テロ対策を金看板に押し出し、東京五輪成功のためと銘打っていることである。これで、世論を誘導しようとの思惑なのだ。昨日(3月19日)の東京新聞が、この点について真っ向からの批判記事を掲載している。その姿勢が小気味よい。

まずは一面のトップ記事。大きな見出しが、「政府の『治安対策戦略』」「テロ対策計画『共謀罪』触れず」「組織犯罪の章で言及」というもの。

これだけではやや分かりにくいが、この見出しに言葉を補えば、「政府の『治安対策戦略』を調べて見ると、《テロ対策計画》の章では『共謀罪』はまったく触れられていない。『共謀罪』に言及しているのは《組織犯罪》の章だけ」というもの。記者の言わんとするところは、「だから、政府自身の考え方が、共謀罪は《組織犯罪》とだけ関連するもので、《テロ対策》とは無関係としているのだ」「ということは、共謀罪法案提出を《テロ対策》として動機づけている政府の説明は、真っ赤な嘘ではないか」「あるいは、甚だしいご都合主義」ということになる。

リードは以下のとおり。「国連では、《国際組織犯罪》と《テロ》とは理論上区別されている」ことを意識して読むと分かり易い。

「政府はテロ対策として『共謀罪』法案が不可欠とするが、これまで策定してきた治安対策に関する行動計画では、テロ対策として『共謀罪』創設が必要との記述がないことが分かった。『共謀罪』はテロ対策とは別の組織犯罪対策でしか触れられていない。政府の行動計画を詳細にチェックすると、『共謀罪』法案がテロ対策とする政府の説明は根拠が弱いことが分かる。」

本文中に以下の指摘がある。
「政府は『共謀罪』について国際組織犯罪を取り締まるために必要と指摘してきたが、2020年東京五輪・パラリンピックの招致が決まったあとは、テロ対策に必要と指摘。『共謀罪』の呼称を「テロ等準備罪」に変更した。
だが、五輪開催決定を受けて13年12月に閣議決定した政府の治安対策に関する行動計画「『世界一安全な日本』創造戦略」では、東京五輪を見据えたテロ対策を取り上げた章に『共謀罪』創設の必要性を明確に記した文言はない。
この戦略で『共謀罪』は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約締結のための法整備」として、国際組織犯罪対策を取り上げた別の章に記されている。例えばマネーロンダリング(資金洗浄)は組織犯罪対策とテロ対策の二つの章に記述があるが、『共謀罪』を示す法整備が登場するのは組織犯罪対策の章だけだ。」

誰が見ても、「テロ対策を前面に打ち出したのは今回が初めてで、世論を意識した後付けの目的にすぎない」というべきなのだ。東京新聞は、品がよいからこの程度だが、私に言わせれば、「共謀罪はテロ対策に必要」という政府の説明は真っ赤な嘘と言ってよい。

さらに2面に、追い打ちをかける記事が載っている。いまはやりの「ファクトチェック」という趣向。見出しは、「首相の招致演説『ファクトチェック』」「東京は世界有数の安全都市⇒五輪『共謀罪』ないと開けぬ」

これは上手だ。見出しだけで、我が国の首相が嘘つきであることが、よく分かる。

「安倍晋三首相は世論の理解を得ようとテロの脅威を訴え、2020年東京五輪・パラリンピック開催には、(『共謀罪』の成立が)不可欠と主張しているが、3年半前の五輪招致演説では東京の安全性をアピールしていた。本紙の担当記者があらためて招致演説を「ファクトチェック」したところ、数々の疑問が浮かんだ。」
以上の問題意識から、ごく短い「アベ五輪招致演説」の4個所を、東京新聞の「共謀罪担当」、「原発取材班」、「東京五輪担当」記者がチェックしている。こんな短い文章中の4個所。中身は、ほとんど全部ウソと誇張であるといってよい。次のようにである。

ファクトチェック(1)
「首相は今国会で、『共謀罪』法案について「国内法を整備し、国際組織犯罪防止条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」「法的制度の中にテロを防ぎ得ない穴があれば、おもてなしとして不十分だ」と強調している。

ところが、首相は13年9月、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京は「20年を迎えても世界有数の安全な都市」と強調して招致に成功した。同法案が成立しなければ五輪は開けないという今の主張とは大きな差がある。」

ファクトチェック(2)
「首相の五輪招致演説といえば、東京電力福島第一原発事故について「状況は、統御されています」と訴えたことで有名。実際には汚染水の流出が続いていたため「根拠がない発言」と批判された。今でも、汚染水は増え続け、溶け落ちた核燃料の状況もほとんど確認できていない。」

ファクトチェック(3)(4)
「これだけではない。演説で首相は「ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」と「確かな財政措置」が、確実に実行されるとも訴えた。
現実には、演説時に決まっていた女性建築家のデザインは迷走の末、白紙撤回。

大会開催費も、当初を大幅に上回る最大1兆8千億円との試算が出て、分担を巡る話し合いが続いており、財政措置が裏付けられているとは言いがたい。」

なお、同日の東京新聞は、一面に、「辺野古反対派リーダー保釈」というキャプションで、支援者と抱き合って喜ぶ山城博治さんの写真を掲げた。よい写真だ。また、社会面トップで「抗議中に逮捕 山城議長」「拘束5カ月、保釈」「『不当な弾圧だった』」の記事を掲載した。「不当な弾圧だった」という山城さんの記者会見の批判を見出しに使った、その姿勢や大いに良しというべきである。だれがどう見ても、不当に長期の勾留。批判は当然なのだから。山城さんと支援の方々に心からの敬意を表し、声援を送る。
(2017年3月20日)

あらためて言おう。納税者がファーストだ。

国も自治体も関与しないイベントがどのように行われても、違法でない限り、誰からも文句を付けられる筋合いはない。イベントに関わる者の完全な自由だ。だが、国や自治体の便益を受け、国費や自治体の費用が注ぎ込まれるとなれば話は変わってくる。主権者は、国や自治体の財政面に関わる問題として、ものを言わざるを得ない。ものを言うべき権利があるというだけでなく、ものをいうべき責務がある。看過し、躊躇し、沈黙することは、消極的な同意を意味する。大いにものを言わざるべからず。

財政面における主権者を「納税者」と表現して、「納税者基本権」を構想したのが、今は亡き北野弘久さん。私が事務局長の時代に、日民協の理事長だった方。

「納税者基本権」とは、徴税の対象としての狭い意味の納税者の、税金納付の局面での権利だけを意味するものではない。担税の仕組みや租税の使途(支出)についても、納税者一人ひとりが物申し違憲違法を是正すべきことを人権として把握する構想である。

国や自治体の財政支出は、民主主義的な原理で構成された行政が行う。この民主主義原理に、人権原理をもって対抗し補完しようとするもの。国民一人ひとりが、納税者として、国や自治体の違憲違法な財政を是正する権利を有するという。

この納税者基本権という思考の枠組みは、国民の防衛費の負担についても、政党助成金の国民負担についても、また消費税という逆累進の税制を考えるうえで有益だが、オリンピック・パラリンピックの国民の負担を考える際においても、是非とも有効に活用したい。

あらためて言う。「納税者ファースト」以外の考え方はあり得ない。アスリート自身が「アスリートファースト」を口にすることは、僭越も甚だしい。JOCもIOCもえらそうな口をきける立場にない。そして、政治家は常に「ラスト」でなければならない。

昨日のことだ。ラストであるべき政治家が、えらそうな口を利いている。
「東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長は14日、さいたま市内で講演し、競技会場見直しについて『アスリートファーストでまとめたものをきちっとやってきた。スポーツやオリンピック、今までの約束事をご存じのない方が来てガチャッと壊した』と小池百合子・東京都知事を批判した。」「『組織委員会は無責任な団体だとか、好きなことをおっしゃっている』と不満をぶちまけた。また、ボート・カヌー会場を巡る動きを『(小池氏が)何も勉強しないで、かわいそうに(宮城県の)村井嘉浩知事は踊らされちゃった』と皮肉った」(朝日)と報じられている。

また、アスリートの僭越ぶりも目に余る。
「東京五輪のバレーボール会場の見直し案をめぐり、日本バレーボール協会などは8日、記者会見を開き、従来の計画通り『有明アリーナ』(東京都)の新設を求めた。元五輪選手らとともに東京都の小池百合子知事あての嘆願書も提出した。」「都内であった会見には、元五輪選手ら16人が出席。」「『東京五輪では、女子も男子も、その体育館(『有明アリーナ』)で記憶に残るような死闘を繰り広げることをお約束したい』と述べた。」

「バレーボールをめぐっては既存の『横浜アリーナ』(横浜市)を活用する案も浮上している。」「東京都の調査チームが1日にまとめた報告書では、有明アリーナの新設にかかる整備費は、従来の404億円から370億円前後に削減できると試算。一方、横浜アリーナの活用案は、観客席の仮設による増設工事なども7億円で済むとし、コスト面でメリットがあるとされた。」(以上、朝日)という報道の中での、アスリート側の巻き返しである。なんとも、はや。

億の単位、さらには兆の単位の財政支出に納税者は鈍感になってはいないだろうか。健全な庶民感覚を取り戻さねばならない。そして、主権者として、納税者として厳格に、税金の使途に目を光らせ、大いにものを言おう。なんたって、「納税者ファースト」なのだから。
(2016年11月15日)

「競技連盟ファースト」も「アスリートファースト」もあり得ない。あるのは、「納税者ファースト」だけだ。

国際ボート連盟の会長が、ロランというフランス人だという。国際ボート連盟なる組織がいかなるものか、その会長がいかなる人物かはまったく知らなかったし、本来なんの関心もない。それが、突然に東京までやって来て出過ぎた発言で物議を醸している。

この人、フルネームがジャンクリストフ・ロランだそうだ。えっ? 本当か。ロマン・ロランのジャンクリストフといえば、我々の世代には「青春のバイブル」だった。この名前の印象は良過ぎ、それに比してこの人物の言動の印象が悪過ぎ。相対的に、小池側を応援したくなるのが少しシャクなほど。

2020年東京五輪の競技施設建設予算がべらぼうな額となり、遅きに失したとは言え、小池都知事が見直しに着手した。そのなかに、ボート競技会場となる「海の森水上競技場」の建設中止がある。昨日(10月3日)ロランは、これにクレームをつけたのだ。彼が言わんとしたは「東京から遠い宮城県なんかに移されてはがっかりだ。東京に連盟とアスリートの気に入るような最高の施設を作れよ。カネのことはオレは知らん。あんたの方でなんとかしろ」ということだ。ロマン・ロランも驚くだろう。ジャンクリストフなら絶対に言わないセリフ。知性なき乱暴者ロランだからこそ、こんなことを口にできるのだ。

学生時代にボートをやったという人は少なくない。あのロランと同類に見られるかと、さぞ肩身が狭いことだろう。それだけではない。アスリート全体に肩身の狭い思いをしてもらわねばならない。アスリートが何様だ。そう言葉を発するのに、ちょうどよいきっかけではないか。これから、遠慮なくものを言おうではないか。

報じられているところでは、ロランの言葉は、次のとおりである。
「我々は14年から日本全国の候補を調査、検討し、その中で色んな要素を考慮した。知事が懸念しているコストや、アスリートファースト、レガシーも。(海の森は)IOC、都、組織委員会という全てのステークスホルダーと分析して出した結論」。

「色んな要素」とは、コスト、アスリートファースト、レガシーの3点。
「すべてのステークスホルダー」とは、IOC、都、組織委員会の3組織。
おそらくは、これがアスリート団体のトップ層の粗雑で思い上がった頭の中なのだ。こんな連中をのさばらせてはならない。

彼らの頭からは納税者がすっぽりと抜けている。ステークスホルダーとして納税者を意識していないし、施設のコストやレガシーを決めるのは納税者だという当たり前のことを理解していない。あたかも、IOCや競技連盟や組織委員会がなんでも決めることができると思い込んでいる如くではないか。まるで駄々っ子だ。

都民も国民も、ロランが語る思い上がった「アスリートファースト」に怒らねばならない。フトコロに手を突っ込んで「アスリートの気に入るようにもっとカネを出せ」と言われているのだから。

アスリートがなんぼのものか。アスリートとはいったい何様なのだ。納税者を差し置いて、IOCファーストや競技連盟ファーストや組織委員会ファーストはありえない。そして、「アスリートファースト」を美しい響きの言葉にしてはならない。うさんくささを嗅ぎ取らねばならない。理の当然としての「納税者ファースト」の姿勢を貫かねばならない。

プロ野球と比較してみよう。ここではお客様ファーストとならざるを得ない。球場に足を運ぶか、テレビ観戦をする観客に支えられて球界が存立している。しかし、実はプロ野球でなら、機構ファーストでも、選手ファーストでもいっこうに差し支えない。公費が投入されていないからだ。それでも、お客様ファーストでなくては興業として成り立たない。

五輪は、今や薄汚い商業主義の象徴と化している。にもかかわらず、多額の公費が投入されている不条理がある。それはさておき、公費が投入されている以上は、納税者ファースト以外にはあり得ない。それが、民主々義国家の常道である。

無頼のロランに対峙した小池は、経費削減の観点を強調し、「宮城県の知事も(開催に前向きな)意思を示している。もともと復興オリンピックを標榜していた」と述べ、東日本大震災の被災県で開催を検討する意義に理解を求めた、という。その姿勢を後退させてはならない。

ところで、「オリンピック・アジェンダ2020-20+20の提言」というものを2014 年11月のIOC総会が採択している。ここに見られるのは、オリンピックが持続できるかという危機感である。オリンピックの招致合戦や設備の建設に無駄なカネがかかりすぎることや、時に垣間見える汚い裏舞台への批判に耐えられなくなることへの対応策が必要になっているのだ。ローマの五輪招致辞退が、このことを象徴している。

IOCの傲りが納税者ファーストをおろそかにしてきた。そのことのツケが、オリンピック持続可能性のための具体的提言となっている。ロランの言は、明らかにこれに反している。ロラン一人の思惑か、ウワサされるような結託者がいるのかは分からない。少なくとも、ロランの言はIOCのタテマエに照らしてさえ、なんの説得力もない。せっかくのロランの言。これを「オリンピックは納税者ファーストで」の世論に切り替えるきっかけにしようではないか。
(2016年10月4日)

「差別がまかりとおる国の国旗に敬意は払えない」ーキャパニックの勇気

ハフィントンポスト(日本版)やロイターが、写真とともに生き生きと伝えている。「米ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)サンフランシスコ・フォーティナイナーズのクォーターバック、コリン・キャパニック(28)は1日、サン・ディエゴで行われたプレシーズンの試合前の国歌斉唱時に両手を組んでひざまずき、人種差別や警官の暴力行為に対する抗議の意を示した。キャパニック選手は、有色人種を抑圧するような国の国旗に敬意は払えないとして、国歌斉唱時に不起立で抗議を表明すると述べ、賛否両論を招いている。」

9月1日のゲームは、たまたま、「サルート・ミリタリー・ナイト」と重なった。240人の水兵、海兵隊、兵士たちによるアメリカ国旗の進呈、そして退役した米海軍特殊部隊によるプレゲーム・パラシュート・ジャンプなどのイベントが行われた。そのような場での国旗国歌に対する抗議だったのだ。

米国で警官による黒人への武器使用事件が相次ぎ反差別運動が巻きおこっていることは周知のとおり。キャパニックは、これまでも反差別の意味で国歌斉唱に加わっていなかったが、8月26日の試合で広く注目された。9月1日にはチームメイトのエリック・リードも同調し国歌斉唱時にひざまずいた。そしてシーホークスのコーナーバック(CB)ジェレミー・レインも、9月1日に行われた別のナイトゲームで起立を拒否した、と報じられている。

コリン・キャパニックの名は日本人に広く知られていないだろう。2013年にフォーティナイナーズをスーパーボウルに導いたスーパースターだそうだ。そう言われてもよく分からない。年俸が最高クラスの1,900万ドル(約20億円)と聞けば、その格がほぼ想像が付く。

そのキャパニックは、警察の暴力に言及し、「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」「その国の国旗に対する誇りを示せない」と語っている。
さらに、「同選手は自分の決断が議論を招くことは十分に承知しているとしたうえで、『だれかに分かってもらおうとか、認めてもらおうとかいう意図はない。虐げられている人々のために立ち上がらなければという思いだ』『たとえフットボールを取り上げられても、選手資格を奪われても、正しいことのために立ち上がったと思える』と語った」(CNN日本語版)。

キャパニックの行動が物議を醸し賛否両論があるのは当然として、注目すべきは、けっして彼が孤立していないことだ。

フォーティナイナーズは同選手の決断を尊重するとの声明を発表。「宗教や表現の自由をうたう米国の精神に基づき、個人が国歌演奏に参加するかしないか選択する権利を認める」と表明した。またNFLは声明で、「国歌演奏中に選手たちが起立することを奨励するが強制ではない」と指摘した(CNN)。

誰もが、1968年メキシコ五輪の男子200m走の表彰式で拳を掲げて抗議したトミー・スミス(金メダル)、ジョン・カーロス(銅メダル)を想起する。この二人はアメリカ国内の人種差別に抗議するために、星条旗が掲揚されている間中、ブラックパワー・サリュート(Black Power salute)という拳を高く掲げるポーズで、国旗国歌に抗議したのだ。

国旗国歌は国民を統合する機能をもつシンポルである。多様な国民を国家という組織に組み込む装置のひとつにほかならない。ところが国民を統合した国家が国民の差別をしているとなれば、そんな国家に敬意を払うことはできないと抗議する国民があらわれるのは当然のことだ。差別される少数の側は、国旗国歌を「差別する多数の側のシンボル」ととらえざるを得ない。自分を差別する国家のシンボルに敬意を表することができないとすることを、いったい誰に非難する権利があろうか。

米国では「国旗(The Stars and Stripes)」だけでなく「国歌(The Star-Spangled Banner)」も「星条旗」と訳される。これを「日の丸・君が代」との比較で考えたい。星条旗は英国からの独立闘争のシンボルであり、合衆国憲法の自由の理念のシンボルでもある。一方、「日の丸・君が代」は、野蛮な天皇制の侵略戦争と植民地支配とあまりに深く結びついたシンボルとなってしまった。この忌まわしい記憶は拭いがたい。

「日の丸・君が代」よりは、象徴するする理念においてずっと普遍性の高い「星条旗」も、差別や出兵への抗議で、そっぽを向かれるだけでなく、焼かれたり唾をかけられた受難の歴史を持つ。しかし、米国の司法は、国旗を侮辱する行為をも表現の自由として不可罰としてきた。日本でも、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制に抵抗感をもつ多くの人が現実にいる。どこの国であれ、国民が国家をどう評価するかは自由でなくてはならない。国家が、国民に「われを讃える旗と歌」を強制することなどあってはならない。社会が個人に、国旗や国歌への敬意表明を強制してはならない。

「差別がまかりとおる国の国旗に敬意は払えない」という、キャパニックの勇気を讃えたい。同時に、日本の社会も「日の丸君が代」への敬意表明強制に従えないという人を孤立させてはならない。ナショナリズムを超えた思想良心の自由に、寛容な態度を学ばねばならないと思う。
(2016年9月5日)

2020年「パンとサーカス」に喜々とする市民になるなかれ。

ようやく、リオ・オリンピックの狂騒が終わった。ところがメディアは、「さあ、次はいよいよ東京オリンピック」「この感動を東京につなげよう」という。この狂騒が、そっくり東京に来るのかと思うとやりきれない。2020年8月には、本気で東京疎開を考えなければならない。

もっとも、私はオリンピック全否定論者ではない。どんなテーマであれ、国際交流が相互理解と平和のために望ましいのは当然であるから。情報と資本と商品の流通だけでなく、人と人とが国境を越えて直接に行き来して、言葉を交わし、気持を通わせることは平和の礎である。

観光も、留学も、文化や学術の交流も、ますます盛んになればよい。それぞれが外国と外国の人や生き方を見ることが友好の第一歩だ。国際結婚ももっと増えて人種や民族の混交が進めば、差別意識もなくなってくるだろう。友情の絆や親族関係が国境を越えて張り巡らされれば、やがては国境そのものが不合理な存在となり、国際紛争も戦争の火種もなくなってゆくに違いない。

国籍や人種や民族、宗教の異なる人びとの大規模な交流の場として、オリンピックの意義がある。「堅固な平和の礎を築くことを目的とした交流の祭典」としての意義である。リオでの難民チームの結成は快挙というべきだ。自国の旗を背負うことを拒否するアスリートを束ねたチームの結成はできないものだろうか。国ごとのチーム編成を払拭できれば、さらに素晴らしい。

ところが、為政者もメデイアも、オリンピックをナショナリズム高揚の絶好の機会と捉え、あるいは国威発揚の場として利用しようとしている。これが、鬱陶しくてうんざりなのだ。メダルの数や色など、選手には関心事だろうが、はたが騒ぐほどのことではない。

オリンピックを取り巻く現実は、理想にほど遠い。日刊ゲンダイは「五輪メリットは『国威発揚』 NHKが憲章と真逆の仰天解説」と報じている。
「ビックリ仰天した視聴者も多かっただろう。21日のNHKの番組『おはよう日本』。オリンピックを扱ったコーナーで、『五輪開催5つのメリット』としてナント! 『国威発揚』を挙げていたからだ。
 『リオ五輪 成果と課題』と題し、刈谷富士雄解説委員が登場。…驚いたのは次の場面だ。
『何のためにオリンピックを開くのか。その国、都市にとって何のメリットがあるのか』と投げ掛けると、五輪のメリットとして真っ先に『国威発揚』を示したのだ。」

戦時には、「日本勝った」「強いぞ我が軍」という記事こそが、新聞の部数を伸ばした。だから、各紙が挙って従軍記者を戦地に送った。無名のむのたけじだけでない。文名赫々たる岡本綺堂や石川達三も戦地に行って記事を書いた。あれと同じ構造。メディアはオリンピックで、ナショナリステックな感動を大売り出しして、シェアの拡大をねらう。そんな画策に乗せられてはならない。

リオ大会の閉会式には、アベと小池の醜悪コンビが顔を揃えた。それだけで、もううんざりだ。

ところで、閉会式では信じがたい演出がなされた。画像に、ドラえもんが用意した不思議な「土管」が映し出される。この土管が、東京から垂直に下りて地球の裏側リオにまでつながる。マリオがこの土管を伝わって、東京からリオに移動するという設定。これは悪い冗談だ。見る人誰にも原発事故でのメルトダウンからチャイナシンドロームを想い起こさせる。しかも、閉会式会場に設置された土管から出たマリオの帽子と服を脱ぐとアベが現れるという仕掛け。2013年9月に、ブェノスアイレスでのIOC総会で、「福島第1原発の放射線は完全にブロック」「アンダーコントロール」と言ったそのアベが、チャイナシンドロームで開いた穴から出て来るというのだ。ブラックジョークのつもりか、あるいは悪意の当てこすりなのだろうか。アベは、どうしてこんな演出に喜々としていられるのだろう。

オリンピックのうさんくささは、ナショナリズムだけが原因ではない。「パンとサーカス」という言葉を思いださせるからだ。

かつてのローマ帝国における愚民化政策の代名詞が、「パンとサーカス」だ。権力者は市民を愚民に貶めておく手立てとして「パンとサーカス」を提供した。食料の配給は公衆の面前で物乞い行為に対する施しとして行われたという。そして、娯楽を求める市民の要求に応えて提供された見世物が「サーカス」。中でも剣闘士同士の闘いや、剣闘士と猛獣との闘いが人気を呼んだ。民衆はこのよう娯楽を十分に与える権力者を支持し従順となった。現代のオリンピックも恰好の見世物。ヒトラーは1936年ベルリンオリンピックを最大限利用した。アベも小池も、このことを十分に意識しているに違いないのだ。

戦後占領軍は日本の統治に意識的に3S政策を組み込んだといわれる。スポーツ、スクリーン、セックス(またはスピード)。これも、民衆の社会的な自覚や、政治への関心から目を逸らせるための愚民策。オリンピックはこれと重なる。

繰り返すが、私はオリンピックを全面否定はしない。しかし、アベや小池の愚民化政策に乗せられて、政権批判を忘れて「パンとサーカス」に喜々とする市民になるのは、まっぴらご免だ。
(2016年8月23日)

竹田君のモノローグ-「前途には、越すに越せない障害物が山積」

私、竹田恒和です。恥ずかしながら、皇族の出です。オリンピックを取り巻いているのは、金持ちだけでなく王族や貴族が織りなす世界。クーベルタン自身が男爵でしたし、歴代9名のIOC会長のうち、5人は爵位の持ち主です。キラニンは男爵、サマランチは侯爵、ロゲは伯爵。世が世であれば、私だって爵位くらいはあったはず。

もっとも、出自の良さと能力には何の関係もありません。出自と廉潔さともなれば、なおさらのこと。もっとも、育ちの良さは、一般に逆境を切り抜ける強さに欠けることにはなるでしょう。私も、この点自信がありません。東京オリンピック招致不正疑惑についての厳しいご指摘、一々ごもっともと、私自身が思ってしまうのですから。安倍さんや、籾井さん、そして今もうひとり疑惑の渦中にいる舛添さんなどの強心臓を学ばねばならないと思いながらも、ままなりませんね。

一昨日(5月16日)から本日(18日)まで、三日続けて国会で疑惑追及の矢面に立たされました。部下が作った原稿を読むのが私の役目なのですが、当の私自身が出来のよい弁明とは思えないくらいですから、あれを聞いておられた多くの人びとが、疑惑を深めたであろうことはよく分かります。私は馬術の障害飛越競技選手でしたが、果たして眼前の障害を乗り越えることができるのだろうか。心細く不安でなりません。

私の弁明は、招致委員会が「ブラックタイディングス社」に2億3000万円を送金したことを認めるところから出発しています。送金の事実は証拠を押さえられていますから、否定することができません。2回に分けての送金の時期が、2013年9月の東京オリンピック招致を決めたIOC総会をはさんで、7月と10月。当然疑惑の対象となるわけです。

送金先の会社とどのように接触したのか。その素性をどう確認したのか、送ったカネの趣旨は何だったのか、そのカネはどのように使われたのか、送金先からカネの使途についてどのように報告を受けているか、ほかにもカネをばらまいていないのか…。想定される疑問に、スタッフが知恵を絞ってあの原稿を書いたのです。

具体的なことを書けばボロが出るわけですから、できるだけ抽象的に、あとからどうでも言い訳できるような文章を拵えてありますから、リアリティに欠けます。後ろめたい印象となったのは当然のこと。

しかしこう思ってくださる心温かい方もすくなくないと思うのです。
「オリンピック招致にワイロが動くのは常識じゃないの」「2016年大会招致の敗北は結局実弾が不足していたからでしょう」「招致に成功すれば見返りは十分なのだから思い切った『投資』が必要なことは理解できる」「コンサルなんて、ワイロあっせんに決まっているでしょうが」「ロビー活動って、結局はどうやって裏金を渡すかの密談以外の何ものでもありませんよね」「要は、ワイロを待ち構えているIOC委員に、どれだけの金額で、オ・モ・テ・ナ・シをするかだよ」

こういうものわかりのよい人びとを心の支えに、「カネはコンサル業務の対価としての支払いだ」とまずは構成しました。で、電通の名を出してこれに一部責任を転嫁し、「電通から、実績あるコンサル業者であることを確認した」と言ったのです。

ブラックタイディングスは、自分の方から売り込んできたのです。自分の実績も、IOC委員とのつながりについても、いろいろ話しただろうと思うのが常識的な判断。でも、そこを認めてしまっては、障害を飛越できません。飽くまでも、無理と知りつつ、「何も聞いていません」「委員との人的関係は知る由もありませんでした」とがんばるしかありません。

もっとも、何もかも知らぬ存ぜぬでは、「そんなことを調べもせずに2億ものカネを出したのか」「杜撰きわまる」と批判されますから、どこまで知らぬと押し通すかは微妙なところ。本当のことを語っては、「お・し・ま・い」なのですから、いかに本当らしく語るかが、苦心のしどころなのです。

招致決定以前の7月の支払いは、国際ロビー活動や情報収集業務として、招致後の10月の支払い分は、「勝因分析」業務として支払ったことにしました。「勝因分析に1億」って、そりゃ何だ? と突っ込まれるのは当然といえば当然。このコンサル会社は実はただのペーパーカンパニーで、裏で国際陸連前会長ラミン・ディアク氏の息子であるパパ・ディアク氏と繋がっていることを知っていただろうという追求を受けることになります。「知っていた」と言ってしまえば、一巻の終わりです。

どうしても逃げられないのが、コンサルタント料の約2億3000万円について、事前にも事後にも使途を確認していない、ということ。本日も、参考人として出席した衆院文部科学委員会で説明、このことを明言しました。だってね、まさか「事前に、ワイロとしての使途を確認」したり、「事後に、確実にワイロとしてターゲットに渡ったことの確認」などできるわけはないでしょう。だから、「使途の確認はしていない」と言わざるをえないのです。

すると、「使途の確認もすることなく2億を超えるカネを支払ったのか」「まことに不自然ではないか」「不見識」とお叱りを受けることになります。これは辛いが、じっと我慢する以外ありません。辻褄合わせは楽ではないのです。

結局、今はやりの第三者委員会方式による調査をすることにしました。弁護士など第三者の調査チームをつくるという、あのやり方です。ここにお任せして、招致関係者から聞き取り調査をしてもらおうというのです。これが一番楽で利口なやり方。うるさい記者には「第三者委員会で調査中で、その結論を待っています」と時間稼ぎができます。その内に、いろんな事件が起きて世論の逆風もおさまるに違いない、と思うのです。

うるさくない弁護士だけを集めて、調査チームを作って答申させるのです。あんまり、露骨な甘い調査ではいけない。さりとて本気になって厳格な調査など始められたら、なおいけない。その辺のアウンの呼吸を身につけた、大人の弁護士を見つけるのが、この種危機管理の要諦というもの。しかるべき人脈で、しかるべき弁護士を見つけることができるはずです。いざという時は、また、電通に頼みこめばよしなにはからってくれるでしょう。

私の後ろには、政権も東京都もついていたはずだったのです。ところが、東京都の方は当時の知事が不祥事で辞任し、その次の知事もおかしくなってしまっています。残るは、安倍政権なのですが、今度の参院選でどうなりますか。こちらも、心もとないありさまです。

そして心配は、日本での追求は飛越できたとしても、フランスの捜査当局がいったい何を見つけてしまうのか。心配で夜もオチオチ眠れません。いっそのこと、東京オリンピック返上覚悟で、洗いざらいぶちまけてしまったら、気持も軽くなろうかと思うのですが、そんな思い切ったことができないのは、やはり私の育ちの良さが邪魔しているのでしょうかね。
(2016年5月18日)

「オリンピック・ワイロ誘致音頭」または「恥さらし音頭」

ハア~
あの日猪瀬が ながめた月が
きょうは 舛添ボロ照らす
次の次には 東京五輪
かたい約束 夢の夢
ヨイショ コリャ 夢となれ
オリンピックの 顔と顔
ソレトトント トトント 恥さらし

ハア~
あの日会議で もっともらしく
コントロールよ ブロックと
ウソを承知のしたり顔
ダマシとったが 我が手柄
ヨイショ コリャ 手柄顔
オリンピックの ウソとウソ
ソレトトント トトント 大ウソだ

ハア~
コンサル会社に払ったカネは
2億と少しのはした金
庶民騒ぐは すじちがい
これが相場のワイロ額
ヨイショ コリャ やすいもの
オリンピックの カネまみれ
ソレトトント トトント カネまみれ

ハア~
東京招致は 日本の知恵よ
ワイロとダマシの 大成功
追求されても二枚舌
日本の子どもに よい見本
ヨイショ コリャ 処世術
オリンピックの カネとウソ
ソレトトント トトント 大成功

ハア~
待ちに待ったる 世界のカネよ
西の国から 東から
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんと来い
ヨイショ コリャ ザクザクと
オリンピックの カネとカネ
ソレトトント トトント ふんだくれ

ハア~
色もしぼんだ エンブレム 
大会経費は青天井
ゼネコン企業にはずむゼニ
いずれおとらぬ 無駄遣い
ヨイショ コリャ 人のカネ
オリンピックだ たかろうぜ
ソレトトント トトント この際だ

ハア~
終始一貫 無責任
どんなに金がかかっても
知事も首相も知らぬ顔
宴のツケは庶民宛
ヨイショ コリャ 気をつけよう
オリンピックの 霧と闇
ソレトトント トトント 無責任 

ハア~
政権はやせば 国民踊る
失政繕う 隠れみの
メディアこぞって 拍手の音に
アベの批判も かすみゆく
ヨイショ コリャ 思う壺
オリンピックの 笛太鼓
ソレトトント トトント もっと吹け

ハア~
暑い盛りの真夏の空に
聖火台など 要りはせぬ
省エネ日本の心意気
そのままギリシャにお返ししょ
ヨイショ コリャ お返ししょ
オリンピックは 要らないね
ソレトトント トトント 要らないよ

ハア~
リオの五輪は 政権ご難
東京五輪も ぐらぐら揺れて
オリンピックは 呪われづくし
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 夢さませ
オリンピックの 夢と夢
ソレトトント トトント 悪夢だね

ハア~
東京五輪は 錦の御旗
東北復興そっちのけ
熊本復興どうでもよいさ
一極集中まっしぐら
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 民のため
オリンピックは 困りもの
ソレトトント トトント やめちゃおう

ハア~
オリンピックのうらおもて
おもての成果は とりあって
うらの失敗 なすりあい
うらばっかりの
オ・モ・テ・ナ・シ
こんな五輪は返上だ 
ヨイショ コリャ 返上だ 
オリンピックは もう要らぬ
ソレトトント トトント 返上だ 
(2016年5月16日)

「オリンピック惨歌」ーまたは「五輪怨み節」

オリンピックはヤなもんだ  
 コントロールとブロックの
 ダマシがケチのつきはじめ

オリンピックはヤなもんだ 
 所詮は奴らのメシのタネ
 踊らされるはマッピラだ

オリンピックはヤなもんだ 
 ローマの時代のサーカスが
 政権支えによみがえり

オリンピックはヤなもんだ 
 東京一極盛り上げて
 東北・熊本切り捨てる

オリンピックはヤなもんだ 
 日の丸君が代煽り立て
 愛国心を押しつける

オリンピックはヤなもんだ 
 国威発揚晴れ舞台
 主役はナチスか安倍シンゾー

オリンピックはヤなもんだ 
 渋滞混雑騒音の
 東京みんなで疎開しよ

オリンピックはヤなもんだ 
 猛暑のさなかの我慢会
 出場選手は熱中症

オリンピックはヤなもんだ 
 当初予算がいつの間に
 三段跳びやらハイジャンプ

オリンピックはヤなもんだ 
 ヘイトスピーチ野放しで
 オモテナシなど言われても

オリンピックはヤなもんだ 
 一億一心火の玉と
 戦時思わす気味悪さ

オリンピックはヤなもんだ 
 平和を嫌う政権が
 作り笑いのオモテナシ

オリンピックはヤなもんだ 
 じゃぶじゃぶカネを注ぎ込んで
 ツケは庶民のオモチダシ

オリンピックはヤなもんだ 
 宴のあとの荒涼に
 責任もつ人影もなし

(2016年5月8日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.