澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

差別はあってはならない ー 在日も被差別部落も天皇も、人間の尊厳においてまったくの対等平等である。

(2022年6月16日)
 人は平等である。これは民主主義社会における公理だ。差別はあってはならない。差別を間近に見ることもおぞましい。差別に曝されている人の辛さは想像を絶する。この世からあらゆる差別をなくさねばならない。あらゆる人がのびのびと生きていけるように。

 しかし、現実には差別はなくならない。この世には差別が好きな人が、少なからずいるのだ。たとえば石原慎太郎。民族差別・人種差別・女性差別・障害者差別・思想差別・不幸な者に対する差別、弱い存在に対する差別…。この天性の差別大好き人間に対する糾弾の声が必ずしも社会全体のものとならない。この恥ずべき人物を支持する一定の勢力が確かに存在するのだ。

 山縣有朋の死に対して石橋湛山が送った言葉が「死もまた社会奉仕なり」だという。石原の死に際してこの湛山の言葉があらためて引用され、社会は多少健全化されたかと思ったは甘かった。安倍晋三や渡辺恒雄らが発起人となって、「お別れ会」が開催された。差別大好き陣営の総決起集会である。

 安倍晋三がこの会で、石原について、「いつも背筋を伸ばし、時に傍若無人に振るまいながらも誰からも愛された方だった」と発言したという報に接して驚愕し、ややあって驚愕した自分を恥じた。私は、差別された側の民族・人種・女性・障害者・思想、総じて弱者が石原を愛するはずはないではないか、差別をあってはならないとする多くの良識ある人々が石原を軽蔑こそすれ、愛するなんてとんでもない、そう思ったのだ。

 しかし、石原や安倍の眼中には、差別される人も差別に憤る人もない。石原や安倍が言う「誰からも」とは、差別を肯定し、差別を笑う、差別大好き人間だけを指しているのだ。なるほど、確かに石原は、差別大好き人間の「誰からも」愛される存在だった。そして、安倍もその同類なのだ。

 差別とは心根である。人の平等を認めたくないといういびつな精神の表れである。知性に劣り自我を確立できない人物は、常に自分が多数派で強者の側に属していることを確認したいのだ。社会を多数派と少数派に分け、多数派を優れたものとし少数派を劣ったものとする「思い込み」に基づいて、自分が多数派に属することでの安心を求める。

 差別大好き人間にとっては、この世の人々が平等であってはならない。社会は水平ではなく凹凸がなければならず、自分が社会の上位の部分に属することを確認せずには安心が得られない。差別はまったくいわれのない侮蔑であるが、この差別を生む構造は、まったくいわれのない尊貴とこれに対する敬意(ないしは、へつらい)とを必要とする。

 この世に「貴族」あればこその「卑族」の存在である。かつてはバカバカしくも、人の価値が天皇からの距離で測られた。今なお、その残滓がある。天皇がいるから、被差別部落があり、在日差別がまかりとおる。天皇や皇族に畏れいる心根と、在日や部落差別を受け入れる心根とは表裏一体と言わねばならない。

 だから、差別を許さないと考える人が、天皇大好きであってはならない。天皇こそ、日本社会の差別の根源なのだから。今ころ、天皇や皇族なんぞに畏れいってはならない。天皇や皇族に近いという家柄をひけらかす輩を、真の意味で「人間のクズ」であると軽蔑しよう。人の家柄は、誇るべきものでも、卑下すべきものでもない。

 再確認しておこう。人は平等である。在日も被差別部落も天皇も、人間の尊厳においていささかの区別もない。これは民主主義社会における公理である。外国人に対するいわれのない差別や、人の血筋をもってする差別の恥ずべきことは当然だが、これと裏腹の関係にある、天皇や皇族を貴しとする感性もまた恥ずべきことと知らねばならない。

「DHCへの賠償命令維持」

(2022年6月5日)
 一昨日(6月3日)、東京高裁(渡部勇次裁判長)が「ニュース女子ヘイト報道事件」での控訴審判決を言い渡した。判決の結論は、当事者双方からの控訴を棄却し、昨年9月の一審判決をそのまま維持するとした。

 このところ選挙ムード一色の赤旗が、4日の社会面トップでこの記事を報道した。その見出しが、「DHCへの賠償命令維持」「辛淑玉さんへの名誉毀損認定」である。簡潔さがよい。形式的には、一審被告の法人格名は「株式会社DHCテレビジョン」である。そのとおり表記すべきが正確とも言えるだろうが、実質において「DHCテレビ」は、DHCの一部門に過ぎない。「DHCテレビ」はDHCの一人会社である。全株式を所有しているのが親会社DHC。もちろん、 「DHCテレビ」 の代表者はDHCのワンマンにして差別主義者として知られる吉田嘉明(取締役会長)である。このデマとヘイトに満ちた恥ずべき放送は、いくつもの部門をもつDHCの部門の一部に、その社風ないしは体質が表れたと見るべきであろう。違法と断定され、550万円の支払を命じられたのは外ならぬDHCなのだ。

 赤旗は、本日も続報を掲載している。「一歩踏み込んだ」「『ニュース女子』訴訟控訴審判決」「原告の辛淑玉さんら評価」という、原告・弁護団の記者会見記事。

 一般紙では、東京新聞の報道が、長い見出しで主要な論点を押さえている。「DHCテレビ『ニュース女子』の名誉毀損を認定」「高裁も一審判決支持『番組に真実性は認められない』」

 東京新聞の報道は、注目されたところ。何しろ、DHCテレビとならんで被告にされたのが、元東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋なのだから。長谷川はこの番組の司会を務めていた。それでも東京新聞は真摯な報道姿勢を貫いている。そして見出しに「DHCテレビ」を出している。以下、一部を引用する。

 「判決は、辛さんが組織的に参加者を動員して過激な反対運動をあおっているという番組の内容に、真実性は認められないと判断。現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などとテロップで表示されているとして、「在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と言及した。

 番組の司会者だった本紙元論説副主幹の長谷川幸洋氏の責任については「番組の制作や編集に一切関与がなかった」とし、一審と同様に認めなかった。長谷川氏が辛さんに損害賠償を求めた反訴も同様に退けた。

 番組は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で2017年1月に放送された。昨年9月の一審判決は、DHCに賠償と自社サイトへの謝罪文掲載を命じた。

 判決後の会見で辛さんは「名誉毀損が認められてうれしいが、沖縄に対して申し訳ない気持ちもある。平和運動や沖縄を、在日である私を使ってたたくという、二重、三重に汚い番組だった」と振り返った。金竜介弁護士は、判決が出自に絡む誹謗中傷に言及した点に「人種差別をきちんと認めたことは評価できる」と話した。

 朝日の見出しは、「東京MXの「ニュース女子」、高裁も「名誉毀損」 賠償命令を維持」である。これはいただけない。この見出しだけだと、東京MXが被告になっているように誤解されかねない。DHCの責任が浮かび上がってこない。

 この番組を巡っては、BPO放送倫理検証委員会が 東京MX に対して、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表。遅れてのことだが、 東京MX は番組の放送を打ち切り、辛淑玉さんに不十分ながらも謝罪している。DHCが頑強に、謝罪もせず、番組の削除もしなかった結果が訴訟での決着となった。朝日の見出しは、「東京MX」を「DHC」か「DHCテレビ」とすべきではなかったか。

 毎日の見出しも、面白くない。「『ニュース女子』訴訟、制作会社に550万円賠償命令 東京高裁」である。「制作会社」とはそりゃ何だ。「DHC」も「DHCテレビ」も出て来ない。デマとヘイトの企業に、いったい何を遠慮しているのだと言いたくもなる。

 当然のことながら、沖縄の報道は辛口である。沖縄タイムスは「沖縄差別 裁判問えず 辛さん勝訴 笑顔なし ニュース女子訴訟」と見出しを打った。辛さんが、「沖縄に対して申し訳ない気持ちもある」と言った点に、沖縄からの共感である。

 そして、琉球新報が下記のとおり伝えている。「『プチ勝訴』ニュース女子制作会社が主張、上告も示唆 控訴審判決受け」という見出し。この明らかな敗訴判決を「プチ勝訴」というDHC側の異常な感覚を曝け出している。

 「ヘイトスピーチ反対団体の辛淑玉共同代表への名誉毀損を認めた東京高裁の控訴審判決を受け、被告側のDHCテレビジョンが3日午後、東京高裁前で番組の収録を行った。同社の山田晃代表(社長)は「プチ勝訴」などと主張する一方、「金銭的な部分で不服」として賠償責任を負う点に不満を示し、上告を示唆した。

 勝訴とは言わない。プチ勝訴と考えている。山田代表は同日午後の控訴審判決後、東京地裁前に姿を現し、報道陣に独自の主張を展開した。「プチ勝訴」とした理由について、同社ホームページで掲載を続ける番組の削除が命じられなかった点を挙げた。一審に続き550万円の賠償命令が出た点には「会社としてはね、やっぱり1円でも」「金銭的な部分で不服とするのは当然」と述べて「不当判決」とした。今後の方針を問われると「もうワンチャンスある」「上告に向けて検討する」として、「事実認定」の変更が期待しにくい最高裁の判断に望みを懸けた。」

 この会社の体質がよく表れている。判決理由で「放送内容の真実性は認められない」「現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で『韓国人はなぜ反対運動に参加する?』などとテロップで表示されている。だから『在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない』とされていることに何も反省しないのだ。一・二審とも、謝罪文の言い渡しを命じられていることにも意に介している様子はない。

 この会社は、つまりはDHCとその経営を牛耳っている吉田嘉明は、根っからのレイシストである。法や判決で命じられない限り、「ヘイトのどこが悪いか」と居直る体質なのだ。一つは判決で、そしてもう一つは良識ある民衆の批判とDHC製品不買で矯正するしかない。 

石原慎太郎の生前の言動には、死後もこだわり続けねばならない。

(2022年3月15日)
 「死屍に鞭打った」のは、春秋時代の伍子胥である。父と兄の仇である楚の平王の墓を暴き、掘り起こした死体を鞭打って父と兄との恨みを晴らしたという。あまりに殺伐とした野蛮な行為だが、実は、その昔から死者は鞭打たぬものという常識あればこそ語り継がれた故事なのであろう。

 石原慎太郎という、民主主義と人権の仇が亡くなったのが今年の2月1日。生前の石原の言動に対する批判の不徹底が歯がゆい。死者に対する肯定的な評価の傾向を「デス・ポジティビティ・バイアス(死による肯定バイアス、DPB)」と呼ぶのだそうだ(3月14日・毎日「過去の言動は死後に美化されるのか 石原慎太郎氏の死去から考える」)。そのような社会的現象が、石原の死にも生じているごとくだが、これは危険なことだ。徹底して、「デス・ネガティブ・バイアス(死による否定バイアス、DNB)」でなければならない。そうでなくては民主主義と人権の恨みは晴らせない。

 石原慎太郎が亡くなったその日、法政大法学部の山口二郎が「石原慎太郎の訃報を聞いて、改めて、彼が女性や外国人など多くの人々を侮辱し、傷つけたことを腹立たしく思う。日本で公然とヘイトスピーチをまき散らしてよいと差別主義者たちを安心させたところに、彼の大罪がある」とツイートした。言わば、「死屍に鞭打った」のだ。これに批判的なリプライ(返信)が殺到したという。「自分も(石原の)遺族のこと傷つけてるのに」などというもの。

 一方、同じ1日に共産党委員長の志位和夫は、国会内で記者団に「心からのお悔やみを申し上げたい」と述べた。さらに、「私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい」と語ったと報道されている。これに対して、SNS上では「礼節を重んじる常識人」「大人の対応」などと称賛の声が目立ったという。SNSとはそういうものなのだ。

 私は、石原の訃報に機敏に反応した山口ツィートに共感する。石原とは弱い者イジメを気取って追随者を集めてきた人物である。実は世の中には、弱い者イジメ大好き人間がウヨウヨしている。石原慎太郎とは、彼らのアイドルだった。世に有害この上ない。

 志位和夫の本心は知らず、そのわざとらしい振る舞いに辟易する。もっと率直にものを語ってもらいたい。弱者の側の味方に徹してもらいたい。

 石原慎太郎は、ヘイトスピーチを振りまく差別主義者であるだけでなく、都政を私物化した、実質的意味での犯罪者でもある。

 毎日新聞デジタル(最終更新 2/17 10:47)が、「石原慎太郎氏 都知事としての仕事ぶりはどうだったか」と題して、下記の検証記事を掲載しているのが興味深い。要点をご紹介させていただく。

 「1999年に初当選して以来、圧倒的な得票で2回の都知事選を制してきた石原氏が初めて逆風にさらされたのが07年知事選だった。「都政私物化」が争点になったからだ。その源流は「サンデー毎日」が04年1月18日号から6回連載した調査報道「石原慎太郎研究」にある。取材・執筆の大半を私(日下部聡記者)が担当した。

交際費で飲食 登庁は週3日
 都知事になった石原氏をそれまで、多くのメディアは国政を巡るキーマンか「ご意見番」的な位置づけで取り上げることが多かった。…むしろ、他の都道府県知事と同じように、自治体の長としての働きぶりを事実に基づいて検証する必要があるのでは――という問題意識が出発点だった。

 都の情報公開制度を活用した取材の結果、飲食への交際費支出が異常に多く、米国出張時のリムジン借り上げやガラパゴス諸島でのクルーズ乗船など、海外視察の豪華さが浮かび上がった。一方で都庁に来るのは平均して週3日ほど。日程表には「庁外」とだけ記されて、秘書課ですら動静を把握していない日が多数あった。

 サンデー毎日の記事を読んだ都民が石原氏に公金の返還を求めて起こした住民訴訟を契機に、都議会で「都政私物化」が問題化。記事掲載の3年後に知事選の争点となったのだった。

「ちまちました質問するな」
 連載をしていた時、私は記者会見に出席して石原知事に見解をただした。

 「キミか。あのくだらん記事を書いているのは」

 石原氏は開口一番、そう言った。

 「知事の親しい人に高額の接待が繰り返されていますが」

 「親しい人間で知恵のある人間を借りてるわけですから、それをもって公私混同とするのはちょっとおかしいんじゃないの」

 (石原慎太郎・東京都知事が新銀行東京の幹部らを知事交際費で接待した際の料亭の請求書がある。都への情報公開請求で開示されたこの請求書では、石原氏を含む計9人で総額37万2330円の飲食をした。1人あたり4万円あまりの計算となる。)

 「知事は就任直前『交際費は全面公開する』『公開したくないなら、私費で出すべきだ』と言っています。他の道府県のようにホームページで全面公開するようなことは考えていませんか」

 「いや、公示の方法はいくらでもありますから。原則的に公示してんだからですね、それを関心のある人がご覧になったらいいじゃないですか」

 「本誌は海外出張が必要以上に豪華だと指摘しました」

 「必要以上に豪華か豪華じゃないか知らないけど、乗った船のイクスペンス(費用)は払わざるを得ないでしょう。(中略)何か文句あんのかね、そういうことで。ちまちました質問せずに大きな質問しろよ。ほんとにもう」

 約20分間続いた記者会見の最後に、私は再度質問の手を挙げたが、石原氏は「もういいよ」と遮り、会見場の出口へ歩きながら「事務所に聞け、事務所に」と言って姿を消した。

公人としての意識がどれだけあったか
 石原氏は税金が都民のものであることを、どのくらい認識していたのだろうか。

 石原都政最大の失策ともいうべき「新銀行東京」の設立から撤退への過程では、最初の出資金1000億円に加え、破綻回避のための400億円の追加出資にも税金がつぎ込まれた。しかし、経営が好転することはなく、少なくとも850億円の都民の税金が失われた。

 振り返ってみれば、非常識な知事交際費や海外出張費の使い方は、新銀行の行方を暗示していたように思える。

 若い時から作家として、「裕次郎の兄」として「注目を集め」続けてきた石原氏に、都の予算は公金であり、自身は有権者の負託を受けた公人であるという意識は薄かったのではないかと私は考えている。

 高まる「都政私物化」批判の中、石原氏は都知事選2カ月前の07年2月2日の定例記者会見で一転、「反省してます」と述べ、以降は知事交際費の使用状況や海外視察の内容を都のウェブサイトで公表するようになった。選挙戦でも「反省」を前面に押し出した結果、「情報公開」を掲げた浅野史郎・元宮城県知事に大勝したのだった。」

 都民は、こんな人物を長年知事にしていたわけだ。都民の民主主義成熟度や人権意識の低レベルを反映したものと嘆かざるを得ない。

大阪高裁「旧優生保護法・違憲判決」に思う ー 法的正義を実現することが司法の役割だ

(2022年2月23日)
 法における正義とは何か、司法の役割とは、裁判官はどうあるべきか。そして人権とは、人間の尊厳とは、差別とは。さらに国会とは、議員とは。もちろん、弁護士のありかたも…。いくつものことを考えさせられ、教えられることの多い、昨日の旧優生保護法・違憲判決である。

 まずは、大阪高裁での逆転認容判決を喜びたい。国は、上告することなくこの問題の全面的な政治解決を試みるべきだろう。スモンの橋本龍太郎、ハンセンの小泉純一郎に倣うことができれば、岸田文雄の株も大いに上がろうというもの。

 法は正義の体系であり、法の正義を実現する手続が司法である。裁判官は、正義を見極めて判決を言い渡さなければならない。が、何が正義であるかは必ずしも容易に見えない。正義の所在を裁判官に示すのが、法廷での弁護士の役割である。

 各地の弁護団に、とりわけ最初にこの事件に取り組んだ仙台弁護団に敬意を表しなければならない。仮に、私にこの事件の受任依頼があったとして、果たして喜んで受けたであろうか、と考えざるを得ない。事案の内容はこの上なく深刻な人権侵害である、しかも国家による違憲・違法な行為。いまだ社会に根強い優生思想と切り結ぶ事案である。真っ当な弁護士なら義憤を感じて役に立ちたいと思うのは当然である。

 しかしこの事件、受任して本当に勝てるだろうか。勝訴の見込みは極めて低い。敗訴に終わった場合のリスクを考えると二の足を踏まざるを得ない。これが、普通の弁護士の感覚であろう。

 除斥期間の壁はあまりにも高く堅固である。除斥期間の起算点を強制された不妊手術時ではなく、旧優生保護法の「差別条項」が削除され、母体保護法に改正された1996年9月まで遅らせても、除斥期間の経過は明らかである。現実にこの壁を突破できるのか。

 むしろ、除斥期間の壁の突破ではなく、この壁を回避して、国会における人権救済立法措置を懈怠したという立法不作為の違法を問うとする請求の建て方の方が、まだしも見込みはあるというべきだろうが、これとて、立法不作為の違法を認めさせることは「ラクダが針の穴を通る」ほどの難しさ。受任の可否を打診された私は、「裁判は困難ですから、行政や国会での救済策が本筋でしょう」などと言っていたかも知れない。

 それでも、各地に被害者の人権を救済しようという弁護団が結成されて、8地裁に困難覚悟の提訴がなされた。日本の弁護士、なかなかに立派なものではないか。

 「原告らの無念の思いが裁判官の心に届いた」という、昨日判決後の大阪弁護団のコメントが、心に残る。裁判官に求められる最も必要な資質は、この「無念の思い」への共感力である。これあれば、法の正義の実現のために、一般的な法制度の壁を乗り越えることもできる。この判決は、「本件の提訴時には、既に20年の除籍期間は経過していた」ことを認めた上で、「除斥期間適用の効果をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する」と判断して、救済につながる除斥期間の適用制限を導き出した。

 判決は、要旨以下のとおりに旧優生保護法とこれに基づく「優生手術」強制の違憲違法を認定した。

 「旧優生保護法は特定の障害などを有する者に優生手術を受けることを強制するもので、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由や、意思に反して身体への侵襲を受けない自由を明らかに侵害するとともに差別的取り扱いをするものであるから、公共の福祉による制約として正当化できるものではなく、憲法13条、14条1項に反して違憲である。」

 この自己決定権や身体の自由、差別を受けない権利の保障の実現が、「法的正義」である。この正義実現のために、時効制度も除斥期間も可能な限り正義実現のための合目的的な解釈を要求される。本判決はその見本となった。

 ところで、この判決は、「旧優生保護法の立法目的は、優生上の見地から不良の子孫の出生を防止するものであり、特定の障害や疾患がある人を一律に「不良」と断定するものだ。非人道的かつ差別的で、個人の尊重という日本国憲法の基本理念に照らし、是認できない」(要旨)と述べている。優生思想を反憲法的で唾棄すべきものとする前提で貫かれている。

 人は平等である。どの人の尊厳も等しく尊重されねばならない。人に、「良」も「不良」もない。そのようなレッテルを貼ってはならない。ましてや「優生手術」の強制などおぞましいかぎりである。

 たまたま、本日は天皇誕生日。その「血統」故に「尊貴」な立場にあるとされる人物と、「血統不良」として子孫の出生防止の見地から若くして「優生手術」を強制された原告らと。同じ国の同じ時代に生きる者の間のあまりに深い落差に目が眩む思いがする。血統における「尊貴」も「不良」も厳格に否定するところから人権の尊重は始まる。

今朝の毎日新聞が報じた、2件の在日差別訴訟。

(2021年11月19日)
 本日の毎日新聞朝刊。社会面トップが、『ヘイト投稿、放置できぬ 川崎の在日コリアン 男性を提訴』という記事。その紙面での扱いの大きさに敬意を表したい。

 続いて、『差別文書、差し止め命令 フジ住宅の賠償増額 大阪高裁』の記事。今のところ、《東のDHC》《西のフジ住宅》の両社が、悪名高い在日差別企業の横綱格。そのフジ住宅に対する厳しい高裁判決。ヘイトの言論はなかなか無くならないものの、ヘイトに対する批判の世論や運動は確実に進展していると心強い。

 まずは、ヘイト投稿への損害賠償請求提訴。提訴は、昨日(11月18日)のこと。提訴先は原告の居住地を管轄する横浜地裁川崎支部である。

 「川崎市の多文化総合教育施設「市ふれあい館」館長で在日コリアン3世の崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(48)は18日、インターネット上で繰り返し中傷を受けたとして、投稿した関東地方の40代の男性に対し、慰謝料など305万円の損害賠償を求める訴えを横浜地裁川崎支部に起こした。

 訴状などによると、男性は2016年6月、自身のブログで「崔江以子、お前何様のつもりだ‼」とのタイトルで「日本国に仇(あだ)なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」などと投稿した。崔さんの請求を受けてブログ管理会社が投稿を削除すると、同年10月から約4年にわたり、ブログやツイッターなどで崔さんについて「差別の当たり屋」「被害者ビジネス」などと書き込んだ。

 崔さんは21年3月に発信者情報の開示を請求し、投稿した男性を特定した。男性は崔さんとの手紙のやり取りの中で自身の行為を認めて謝罪をしたものの「仕事がなくてつらかった」などと弁解したため、反省がみられないとして提訴に踏み切った。」

 「川崎市は20年4月、ヘイトスピーチに刑事罰を科す全国初の『市差別のない人権尊重のまちづくり条例』に基づいて有識者で構成する審査会を設置。この審査会がヘイトと認定した計51件のネット上の書き込みを削除するようサイト運営者に要請した。このうち37件が削除されたものの要請に強制力はなく、残る14件にそれ以上の措置をとれないのが実情だ」

 弁護団は「やったことに対して責任を取らせるというのがこの裁判の趣旨。削除要請だけでは問題が解決しないケースで、このまま放置できないと考えた」と話している。

 この被告とされた男性は、「仕事がなくてつらかった」から在日差別の投稿を繰り返していた。イジメの動機として多く語られるところは、惨めで弱い自分を認めたくないとする心理が、自分よりも弱く見える相手を攻撃することによって、自分の弱さを打ち消そうとするものだという。

 問題は、このような攻撃の捌け口として、在日コリアンが標的とされる日本社会の現状にある。リアルな社会では差別を恥としない右翼政治家や評論家、行動右翼の言行が幅を利かせ、差別本が世に満ちている。ネットの世界では匿名の壁に隠れて口汚い差別用語が飛び交っている。この状況が、在日コリアン攻撃に対する倫理的抵抗感を失わしめ、しかも報復のない安全な弱い者イジメと思わせてはいないだろうか。在日コリアンだけでなく、貧困や性差別や心身の障害などでの差別に苦しむ人々についても、イジメの対象としてよいと思わせる風潮があるのではないか。

 いまや、理念や倫理を語るのでは足りない。刑罰や、損害賠償命令という形での民事的な制裁が必要と考えざるを得ない。差別言論は、刑事罰を科せられ、あるいは損害賠償を負うべき違法行為と自覚されなければならない。広範にその自覚を拡げるために毎日新聞記事のスペースの大きさを歓迎したい。

 そして、たまたま同じ日に、「差別文書、差し止め命令 フジ住宅の賠償増額 大阪高裁」の記事である。

 「ヘイトスピーチ(憎悪表現)を含む文書を職場で繰り返し配布され、精神的苦痛を受けたとして、東証1部上場の不動産会社「フジ住宅」(大阪府岸和田市)に勤める在日韓国人の50代女性が同社と男性会長(75)に計3300万円の賠償を求めた訴訟の判決で、大阪高裁(清水響裁判長)は18日、1審・大阪地裁堺支部判決から賠償額を計132万円に増額し、文書配布を改めて違法と判断した。1審判決後も文書が配られ続けたとして、会社側に配布の差し止めも命じた。」

フジ住宅については、当ブログで何度も取りあげてきた。下記を参照いただきたい。

http://article9.jp/wordpress/?s=%E3%83%95%E3%82%B8%E4%BD%8F%E5%AE%85 

 昨日の判決では、「会社側には差別的思想を職場で広げない環境作りに配慮する義務がある」との判断が示されたという。その上で、「差別を助長する可能性がある文書を継続的かつ大量に配布した結果、現実の差別的言動を生じさせかねない温床を職場に作り出した」ことをもって、会社側はその配慮義務に違反し、「女性の人格的利益を侵害した」と結論付けたという。

 これは素晴らしい判決である。これまで、労働契約に付随する義務として、使用者には労働者に対する「安全配慮義務(=安全な労働環境を整えるよう配慮すべき義務)」があるとされてきた。今回の判決はこれを一歩進めて、「使用者には労働者に対して、差別的思想を職場で広げない環境作りに配慮すべき義務を負う」としたのだ。つまりは、労働者を尊厳ある人間として処遇せよという使用者の具体的義務を認めたということである。さらに判決は、ヘイト文書の職場内での配布を差し止め仮処分も認容した。これも素晴らしい成果。

 裁判所は、よくその任務を果たした。が、それも原告の女性社員が臆することなく訴訟に立ち上がったからこその成果である。社内での重圧は察するに余りある。孤立しながらの提訴に敬意を表するとともに、この原告を支えて見事な判決を勝ち取った弁護団にも拍手を送りたい。

 フジ住宅は「差し止めは過度の言論の萎縮を招くもので、判決は到底承服できず、最高裁に上告して改めて主張を行う」とのコメントを発表したという。ぜひ、上告してもらいたい。そして、《弱者を差別し傷付ける言論の自由の限界》についてのきちんとした最高最判例を作っていただきたい。そうすれば、フジ住宅というヘイト企業も社会に貢献したことになる。

デマとヘイトのDHC商品を買ってはいけません ー 韓国のDHC商品不買運動の成果に学ぼう

(2021年9月4日)
 9月1日、DHCが韓国撤退を公表した。各メディアが、以下のように報道している。これは、民主主義にとっての朗報である。

「DHC韓国法人が撤退表明 会長のコリアン差別発言で不買運動」(毎日新聞)、「DHCが韓国撤退表明 差別問題で反発高まり」(産経)、「DHCが韓国撤退表明 嫌韓発言で不買運動も」(日経)、「DHCが韓国から撤退 相次ぐ嫌韓発言で物議」(聯合ニュース)、「『後頭部の絶壁で韓国系を見分けられる』 嫌韓発言のDHC、韓国から撤退」(朝鮮日報日本語版)、「『つき出たあご、後頭部の絶壁はコリアン系』嫌韓発言のDHC、結局韓国から撤退」(中央日報)

毎日の記事が、以下のとおり簡明に事態をよく伝えている。

 「化粧品会社ディーエイチシー(DHC)が、韓国からの撤退を決めた。同社の韓国法人「DHCコリア」が1日、「良い製品とサービスでお客様に満足していただくように努力したが、残念ながら、韓国国内での営業を終了することとなった」と公式ホームページ(HP)で表明した。DHCは2002年に韓国市場に進出していた。

 DHCは、創業者の吉田嘉明会長の声明として、在日コリアンを差別する内容の文章をHPに複数回掲載。批判の高まりを受けて、今年5月末までにすべての文章を削除した経緯がある。韓国国内では吉田氏の発言への反発から、DHC商品に対する不買運動が起きていた。」

 DHC会長・吉田嘉明の在日コリアンに対する差別発言を契機に、韓国にDHC商品に対する不買運動が起き、不買運動の成果としてDHCは韓国撤退を余儀なくされたというのだ。愚かな経営者の愚かな差別発言が、不買運動という形で制裁を受けたのだ。韓国だけでなく日本でも、DHCに反省を促すために、既に始まっているDHC商品の不買運動を盛り上げたい。

 私は、人前で話をする機会あるたびに、このことを語りかけてきた。たとえばこんな風に。

 「この場をお借りして、皆様に三つのお願いを申しあげます。
  一つ、DHCという会社の商品をけっして買わないこと。
  二つ、DHCという会社の商品をけっして買うことのないよう、できるだけ多くのお知り合いにお勧めしていただくこと。
  そして三つ目が、DHCという会社の商品をうっかり買ってはならない理由をことあるごとに話題にしていただくこと。

  DHCとは、「デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)」との評判ですが、それだけではありません。消費者を欺すステルスマーケティングでも、表現の自由を圧殺するスラップ訴訟の常習者としても悪名高い企業です。
  あなたが何気なしにDHCの商品を買えば、あなたの財布から出たお金の一部が資金となって、DHCの「デマ」と「ヘイト」と「ステマ」と「スラップ」を増長します。被害が拡大します。この社会はそれだけ悪くなる。

  その反対に、あなたが意識的にDHCの商品を買うのをやめれば、DHCの違法行為の規模はその分だけ小さくなります。DHCに反省を求め、不当な行為をやめさせることも可能となります。被害は減り、社会がそれだけよくなります。
  是非とも、より良い社会を作るために、DHC商品の不買にご協力ください。」

 ときにこんな質問を受けることがある。「それって営業妨害になりませんか」と。私は続ける、「そのとおりです。みんなで、DHC・吉田嘉明の営業を徹底して妨害しましょう。私は、そう呼びかけているのです」。「もし、『営業妨害』という言葉に抵抗感があるとおっしゃる方は、少し品良く『業務阻害』という言葉に置き換えてご理解ください」「私の呼びかける営業の妨害は、実力を行使したり、人を脅したり、デマを流したりするものではありません。飽くまで正当な言論と『不買』という消費者に許された当然の選択を呼びかけるだけ。これが、消費者の主張を貫徹するための、消費者の武器である不買運動なのです」

 「DHC・吉田嘉明には、『デマやヘイトやステマやスラップは、社会から反撃を受けることになって、商売上まずい』と考えてもらいたい。『やっぱり、真っ当な商売に立ちもどらないと売り上げに響く』と反省してもらいたいのです。そうなるまで、DHCの営業を徹底して妨害する必要があると思うのです」

 消費者には、良質で安全で安価な商品を選択する「賢い消費者」を脱皮して、消費者としての選択権を武器により良い社会づくりをする「主権者」としての自覚が求められている。その自覚にもとづき、企業の反社会的な行為に反省を迫り、制裁を課す強力な手段が、特定企業に対する商品ボイコットであり、不買運動なのだ。DHC商品に対する不買運動は、その典型である。

 ぜひ、皆様も、DHC商品のボイコットを。

ムーミンとDHC、まったく似合わない、釣り合わない。

(2021年8月31日)
 富士には、月見草がよく似合う。ムーミンにDHCは似合わない。ムーミンの穏やかな雰囲気と、吉田嘉明の野蛮なヘイト体質。両者のコラボは、心あるムーミンファンには幻滅の極み、うまくいくはずもなかろう。

 トーベ・ヤンソンはスウェーデン語系フィンランド人だったという。言語的マイノリティーだった。そして、レスビアンとして人生を過ごした。性的マイノリティーでもあった。デマとヘイトとステマとスラップというDHC・吉田嘉明とは、所詮住む世界が異なるのだ。
 
 そのトーベ・ヤンソンがその生き方において、また作品で示した価値観とはまったく相容れないDHCとのコラボのたくらみ、発表されるやムーミンファンの声がこれを阻止した。

 8月27日付で、下記の「ムーミン公式サイトより重要なお知らせ」がネットに掲載されている。掲載したのは、ムーミンのライセンスを日本で管理するライツ・アンド・ブランズ社。

ムーミンを大切にしてくださる皆様へ
平素より、ムーミンをご愛顧いただきありがとうございます。
この度、当社がライセンス管理をする一部製品に関しまして、皆様へ不快な思いをさせてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。

本国フィンランドのムーミンキャラクターズ社は、“いかなる差別も、助長ないし許容するものではない”との強い見解を持っており、当社も同一認識を持っております。これは、お互いを認め合い、共存することを尊重していた原作者トーベ・ヤンソンの思想が包摂されています。

今後は、ライセンス許諾時点において、反社会勢力に対する確認に加えて、人権関連についても厳しく審査をし、仮に認識がなく契約された場合においても、それらが判明した時点において、速やかに契約更新停止や生産終了等の働きかけをしていきます。
ムーミン公式サイトを通じ、様々なお声をいただきましたこと、真摯に受け止めております。
ムーミンとムーミンを愛する方々の気持ちを大切に、皆様とともにムーミンの世界観を伝えるために邁進してまいります。
今後とも何卒皆様の温かいサポートをよろしくお願い申し上げます。」

 このネットの「お知らせ」で経過についてはあらかたの理解が可能である。今後ムーミンキャラクターの使用を認めるに際しては、「反社会勢力(=暴力団)だけでなく、DHCのごとき反人権企業も厳しくチェックをしていく」と言っているのだ。

 問題視されたのは、DHCが8月23日に発売を告知した商品。ムーミンなどの絵柄があしらわれた「薬用リップクリーム」「薬用ハンドクリーム」「オリーブホイップハンドクリーム」の3商品。ムーミンの公式サイトとツイッターでこのことが告知されると、「ブランドにそぐわない」「ショック」などの声が相次ぎ、24日までに告知文は削除されたと報じられている。上記のネットでの「お知らせ」は、「皆様へ不快な思いをさせてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます」というとおり、ムーミンファンへの謝罪なのだ。

 ムーミンキャラクターズ社では「いかなる差別も、助長ないし許容するものではない」「これは、お互いを認め合い、共存することを尊重していた原作者トーベ・ヤンソンの思想が包摂されています」と説明しているという。DHCの企業体質については、今さら繰り返すまでもない。ムーミンとDHCとは、水と油、氷と炭、月とスッポンなのだ。

 ムーミン社側は、「公式サイトを通じ、様々なお声をいただきましたこと、真摯に受け止めております。ムーミンとムーミンを愛する方々の気持ちを大切に、皆様とともにムーミンの世界観を伝えるために邁進してまいります。」と言っているが、DHC広報部は、取材の各社に「本件に関するコメントは差し控えさせていただきます」と、いつものとおりだ。

 DHCという企業は、オーナー会長吉田嘉明の迂闊なヘイトコメントを中心に、デマとステマとスラップで、企業イメージを著しく損ねて、経営的には大きなダメージを受けている。

 これを回復するために最も望ましいことは、吉田嘉明が全面的に非を認め、悔い改めることである。まずは自社の公式サイトで在日差別に謝罪し、スラップ被害者にも反省と謝罪文を送ることだ。従業員のためにそのくらいのことをしてみてはどうだ。

沈黙による共犯者となってはいけない。ー 本郷三丁目交差点で

(2021年2月9日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所のみなさま。私が最後のスピーチを担当いたします。コロナ風吹く中のお騒がせですが、もう5分と少々の時間、耳をお貸しいただくようお願いします。

森喜朗という、昔首相だった化石のような人の東京五輪の組織委員会会長としての女性蔑視発言が話題となっています。この人の発言の不適切なことは、誰にも分かり易いところですが、今大きな問題とされているのは、この人がJOCの評議員会で発言していたとき、誰もこの発言を問題視せず、むしろ男性会員からの笑い声さえ漏れていたと報じられていることです。

森喜朗のあからさまな女性蔑視発言を批判する人が一人もいなかったということは、評議員会参加者が、その沈黙によって差別を肯定し賛同し加担したということにほかなりません。外部からそのように見られるというだけではなく、そのような方針で組織が動いていくことになるのです。評議員会出席者一人ひとりの責任は、まことに重大と言わねばなりません。

このことは、私たち一人ひとりに問題を投げかけています。時として沈黙は、権力者や社会的強者の大きな声に賛同したことになるということです。女性差別、民族差別、宗教差別、思想差別、家柄による差別、職業や収入による差別…、あらゆる差別を許してはなりません。許してはならないということは、差別を傍観してはならず、明確に反対だということを表明しなければならないということです。

かつて、日本は暴走して侵略戦争の過ちを犯し、外には2000万人、内には310万人もの犠牲者を出しました。その重大な責任はどこにあるのか。もちろん、誰よりも天皇がその責任を負うべきで、次いで天皇を操り人形として戦争遂行に利用した軍部や政治家やメディアの責任を曖昧にしてはなりません。しかし、多くの国民の加担なしには戦争はできません。自分は決して戦争に賛成ではなかったというのが、大多数の国民のホンネであったと思います。しかし、戦争に反対と声をあげたのは一握りの人々に過ぎませんでした。大多数の人々は、沈黙することで、戦争に賛成し、侵略に加担したのです。

東京オリパラや、原発政策は、聖戦完遂に似ているように思えてなりません。きちんと反対の意思表示をせず、沈黙していることは、結局のところ、政府の政策に賛成とみなされてしまうのです。いま、「森喜朗発言を許さない」「あらゆる差別に反対する」と、一人ひとりが声をあげることが大切だと思うのです。

さらに別の角度からも問題が指摘されています。森喜朗の女性蔑視発言を批判する世論に抗して、政権や与党から、森擁護の声が上がっていることです。

圧倒的な世論が「こんな発言をする人物は、組織委員会会長として不適任」「森さんは辞任すべきだ」「東京オリンピックもやめた方がよい」となっています。この世論に抵抗するように、多くの政治家や保守の言論人が、こう言っています。

「森発言は不適切ではあったが、既に本人は反省し謝罪し発言を撤回しているではないか」「いまは、批判しているときではない。オリンピックをどうしたら成功に導くことができるのか、皆で知恵を出すべきだ」

その代表が、菅義首相、萩生田文科大臣、二階自民党幹事長、などの面々。そして肝心のIOC自身が、これに同調するようないいかげんな姿勢なのです。果たして、これでよいのでしょうか。

JOCだけではなくIOCも、このようにいいかげんで、清潔さを欠いた組織であることが明らかになってきました。私たちは、黙っていることはできません。いま沈黙をすることは、森発言を許す、菅・萩生田・二階・JOC・IOC発言に賛同したことになってしまいます。何らかのかたちで、声をあげようではありませんか。

「私は、女性蔑視を許さない」「性差別だけでなく、あらゆる差別に反対する」「差別発言の責任を明確にして、森喜朗は組織委員会会長の職を辞任せよ」「森喜朗が辞職しないのであれば、組織委員会は解任せよ」「政府や与党は、森を擁護するな」「差別者が推進する東京オリパラを返上せよ」

「#差別企業DHCの商品は買いません」

(2020年12月17日)
DHCという問題だらけの企業。その創業者でありワンマン経営者でもあるのが吉田嘉明。2014年以来の、私との法廷闘争の相手方である。もちろん、法廷闘争は彼が私に仕掛けてきた不当なもの。それを私が受けて立ち、厳しく反撃して今最終盤を迎えている。

ところでこの人、根っからの差別主義者。何があってか、朝鮮・韓国に対する民族的差別感情に凝り固まっている。通常の社会人の感覚としては、差別主義者と言われることは恥ずべきことである。ところがこの人、差別表現を繰り返して懲りない。

差別的表現は違法である。とりわけ、在日差別には特別法ができている。通称ヘイトスピーチ解消法(正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(施行2016年6月3日)には、下記の前文が置かれている。

我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することをせん動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。

私は法廷においても当ブログにおいても、吉田嘉明の唾棄すべき差別表現を指摘し指弾してきた。それもあってか、ここしばらくは彼のヘイト発言は鳴りを潜め、おとなしくしていたようである。が、またぞろ吉田嘉明の在日差別発言が話題になっている。そのことを、昨日(12月16日)ハフポスト日本版のネット記事で知った。

ハフポストの記事のタイトルは、《DHCに「差別だ」と批判あがる。競合他社を在日コリアンへの蔑称を使い批判》というもの。

「競合他社」とはサントリーのこと。「在日コリアンへの蔑称を使い批判」とは、「チョントリー」とという、不愉快極まる品のない差別表現のこと。社会常識を弁えないというに留まらない。およそ、よい齢をした大人の言うことではない。いや、《許されざる違法な差別発言》と言わねばならない。DHCはワンマン企業といえども株式会社ではないか。この会社には、トップのヘイト発言をチェックするコンプライアンスの機能は働いていないのか。

問題の一文は、「ヤケクソくじについて」と題する吉田嘉明自身のDHC製品宣伝文。DHCの公式オンラインショップとされているサイトに掲載されている。問題箇所を抜粋すれば、以下のとおりである。

(同業他社は)DHCでなら500円で売れるものを5000円近くで販売しているわけですから、売上金額の集計では、多くなるのは当たり前です。消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思ってせっせと買っているようです。

サントリーのCMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です。そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです。DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業です。

ハフポストは、「文章の中での表現について、根拠は一切示されていない」「ハフポスト日本版では、DHCにメールで見解を聞いている」「DHCから返答があった場合は追記する。」とした上で、「DHCにネットで批判が寄せられている」ことを以下のように紹介している。

この文章が話題になると、Twitterでは抗議の声があがった。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグは、12月16日午前10時現在日本のトレンド2位に。「企業のトップとしてこういう発言を出すのはどうか」「有名企業が使っていて許されるのか」などといった投稿が寄せられている。

ハフポスト日本版がDHC広報部に電話したところ、「電話では取材を受けられないので、メールを送ってほしい」との返答があった。そのため、Twitter上での批判に対する受け止めや、この文章が差別に該当すると考えるかなどをメールで問い合わせている。返答があった場合、追記する。

差別表現には、直ちに反撃が生じるのは、結構なことだ。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグを検索すると、2人の著名人の発言があった。

町山智浩氏 これは韓国人に対する差別ではない。コリアン系日本人に対する差別だ。芸能界、テレビ界はどうして声を上げないのか。どうしてDHCと戦わないのか。どうしておれみたいなミジンコがいつまでも孤独に地道に叫び続けなきゃならないのか。

小田嶋隆氏 DHCの問題はAPAホテルと高須クリニックの問題でもある。つまり「カネを持っていれば差別が容認される社会」のお話だ。DHCの問題は、単に「差別を拡散する企業が実在している」というだけの話ではない。そういう企業がテレビで番組を持ち、CMを打ち、有名タレントを起用し、コンビニに棚を確保し、新聞に広告を掲載することを許しているこの国の現状こそが問題だと思う。カネさえ払えば何をやってもいいのか、という。

また、こんなツィートもあった。「(吉田嘉明の)この文章を読んでもまだDHCの商品使う人がいたり、DHCの広告を受ける担当者がいたり、DHCの番組制作に関わってたりする人たちがいることが、本当に恐ろしい。他者への差別にそこまで無関心になれる社会が何よりも恐ろしい。心底恐ろしい。」

私は、日本に住む皆様に心からお願いしたい。ぜひとも、「#差別企業DHCの商品は買いません」を実行していただきたい。この日本の社会を、住みやすく差別のない真っ当なものにするために。

強権・スガ政権の正体が見えた。

(2020年10月1日)
スガ政権とは何か。その正体露呈の事態である。意に染まない官僚は切ると宣言した政権。そして、「それは当たらない」の一言で説明責任を拒絶してきた人物の率いる政権。その政権による「日本学術会議推薦の6人、任命されず」という報道に大きな衝撃を受けている。これは、大事件だ。あの、アベ政権ですらやらなかったことを、新米総理のスガがやったのだ。

50年ほどの昔のことだ。私は、23期(戦後の法曹養成制度が発足以来23年目)の司法修習生だった。1971年4月に、2年間の修習を終えた500人の同期生は、弁護士・裁判官・検察官それぞれの道に進んだ。ところが、裁判官希望者の内7人が採用を拒否された。最高裁当局は、「人事に関わる問題だから」として、その理由を一切開示しなかったが、明らかに思想差別であった。

同時に、人事権を握る最高裁当局は、裁判所内の青年法律家協会会員に執拗な脱退勧告を繰り返し、宮本康昭判事補に対する前代未聞の再任拒否まで行った。我々は、頑迷固陋な超保守主義者・石田和外を長官とする最高裁当局の、人事を通じての思想統制であると断じた。このままでは「司法の独立」・「裁判官の独立」が崩壊する、時の権力の意のままになる司法に堕すると危機感を抱いた。

あれから50年たった今、同じことが政権の学術会議会員任命をめぐって生じている。権力によるあからさまな思想差別であり、これを通じての思想統制である。裁判官も研究者も、権力からの介入に自由でなければならない。この度のスガ政権のやり口は、やってはならないことに敢えて汚れた手を突っ込んだのだ。

日本学術会議法による学術会議の会員は210名である。任期は6年で3年ごとに半数が交代する。同法第17条は「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」と定める。つまり、日本学術会議の候補者推薦以外に、会員となる道はない。明らかに、法は、形式上の任命権者である内閣総理大臣が専門家集団としての学術会議の推薦を尊重してこれに従うべきことを想定している。現実に、これまで、推薦した候補者が任命されなかった例はないという。

8月末、学術会議は恒例のとおりに、政府に105名の推薦書を提出した。しかし、任命されたのはそのうちの99名のみ。うち6名が任命されなかった。学術会議事務局が官邸に問い合わせたところ、「間違いや事務ミスではない」と返答があった、と報道されている。

推薦されながら任命されなかった研究者6名は、全て第1部門(人文科学分野)である。小澤隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)、岡田正則・早稲田大教授(行政法学)、松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)、芦名定道・京都大院教授(キリスト教学)、加藤陽子・東京大教授(日本近代史)、宇野重規東京大教授(政治学)。

この顔ぶれは、いずれも政権に尻尾を振る似非学者ではない。一見して、政権からその学問上の毅然たる姿勢を厭われたと言ってよい。当然のこととして、「日本学術会議法解釈の誤読」「思想差別」「学問の自由への乱暴な介入」「憲法違反」と批判が出ている。

一方、加藤勝信官房長官は本日の会見で「個々の候補者の選考過程、理由については人事に関することでありコメントは差し控える」「首相の所轄で、人事等を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能となっている」「直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないと考えている」と述べたという。50年前の最高裁当局と同じだ。

「首相の所轄で、人事等を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能となっている」という、コメントがおかしい。政権は、「人事等を通じて一定の監督権を行使」したことを認めたのだ。

あからさまに言えば、こういうことだ。「この度の日本学術会議会員任命人事において、政権に不都合な学問傾向をもつ被推薦者の任命を拒否することを通じて、政権の姿勢を明確に天下に示し、政権の意向に従順ならざる者に対しては峻厳に対応することを官僚だけでなく、国民一般に知らしめることで、政権の有する監督権を適切に行使した」というのだ。これが、スガ政権の正体というしかない。

これは、ウカウカしておられない。政権に対する最大限の反論・批判が必要ではないか。

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