澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

市民社会の道徳教育概論試案

文科省のすなる道徳教育。不要だとは思うが、やるならこんなものであるべきではないか。その骨格の素案をものしてみた。志のある方に、書き足し書き改めて、立派な完成版を作っていただきたい。

1 一番大切なのは自分自身であることを確認しょう。

 この世に生を受けた者の誰にも、自分というかけがえのない貴重な存在があります。痛いのも、つらいのも、嬉しいのも、悲しいのも、それを感じるのは自分自身です。考えるのも、しゃべるのも、人を愛するのも、愛されるのも自分以外のなにものでもありません。誰にとっても、一番大切なものは、この自分自身です。自分の命、自分の身体、自分の精神、自分の自由。このかけがえのない自分を大切にしましょう。自分が大切であるという、自然に持っているはずのこの気持ちを素直に肯定すること。ここがすべての出発点です。
自分を大切に思うことが、よりよく生きようという意欲の出発点であり、自分が生きる舞台としての、自然環境や社会環境をよりよくしようという積極性の根源となります。

2 社会と向き合う基本的姿勢

 大切な自分ですが、自分という存在は例外なく弱いものです。孤立しては生きてゆくことさえできません。人は、社会という群をつくって、その群の中で生きていくしかありません。社会は自分のまわりに幾重にも存在し、無数の対人関係を作り出しています。生きるとは結局社会と向き合うことにほかなりません。
自分という個人と社会との向きあい方には、2面があります。ひとつは、既にできあがっている現実の社会の中で、この社会に自分を適合させて生きていくことであります。受働的な向きあい方と言ってよいとおもいます。もう一つは、個人が社会にはたらきかけて、自分の理想とする社会に近づけようとする、能働的な向きあい方です。
人は現実の社会に適応する能力なしに生きていくことはできません。その意味では、受働的な向きあい方を否定することはできません。しかし、すべての人が受働的な生き方ばかりをしていたのでは、社会の理想は失われ進歩がなくなってしまいます。自分にとって、またすべての人にとってよりよい社会を作っていく能働的努力は欠かすことができません。また人は、理想を求める積極的な生き方をすることで生き甲斐のある生を営むことができる存在でもあるのです。

3 自分と他の個人との関係

 社会は無数の個人からなります。自分という存在は、社会の中で無数の自分以外の個人と直接・間接に接触することになります。他者としての個人も、それぞれに自分を大切に思っているかけがえのない存在です。それぞれの個性を持った互いに尊重すべき人格をもっています。その個人の人格は、すべて尊重しなければなりません。お互いに、自分が大切だという思いを尊重すること、それが社会の基本ルールです。
社会は歴史的に変化してきました。かつては、人間を性や血統や門地や人種で、貴賤を分けて差別することを当然とした時代もありました。王や皇帝を特別な人と見たり、他の民族を劣等と見ることを常識とした社会もありました。しかし、今やそのような差別には何の合理性もないことが世界の共通の認識になっています。人は人であることにおいて、人格として平等です。これが社会の公理となっていることを繰りかえし確認しなければなりません。
男性も女性も人格として平等、言うまでもないことです。大人も子どもも老人も、身障者も健常者も、富める者も貧しい者も同じように尊重されなければなりません。人種や国籍や民族や宗教や、出身の地域や職業によって、人が人格的に差別されてはなりません。特定の血統を貴種として王侯貴族としたり、万世一系の神話によって皇位を承継するなどは、古代社会の信仰と因習の残滓に過ぎません。文明社会では、およそあり得ない恥ずべきことなのです。形だけにせよ天皇制を認めている日本国憲法は、文明に反する旧社会の遺物を抱えていることになります。すべての人は平等である、この常識こそが市民社会の共通認識でなければなりません。

4 この世の不正義には、はばかることなく怒ろう。

 すべての人を平等な人格として認め合うこと。すべての人の人格が同じように尊重されること。それが社会における正義の基本です。不正義とは、人を理由なく差別することであり、人に対する人格の尊厳を否定することです。
人類の文明は、あらゆる差別を不正義とする段階に到達しましたが、現実にある差別を克服し得てはいません。女性差別、身障者差別、人種・国籍・民族・宗教による差別は厳然として存在します。また、公権力や社会的強者による弱い立場にある人への人格否定の行為も絶えません。
血統による差別である天皇制の不正義は、最も分かり易い不当な差別です。高貴な血を認めるから、他方に下賤が観念されるになるのです。本来、こんなものがあってよいはずはありません。人は皆平等なのですから。
現実のこの社会には、天皇制ほどには分かり易くない不正義・不公正がいくつもあります。その最大のものは、経済的格差と貧困です。
現在の経済システムは必然的に大きな格差を生む構造をもっています。人の財産や収入における極端な格差が現実のものとなっています。その結果、社会の一方に貧困にあえぐ人がいて、もう一方に贅沢を楽しむ人がいます。このような富の偏在を許容する社会は、公正とはいえません。また、この社会では利潤追求のための手段としての不公正や、権力の横暴がまかり通ってもいます。このような不公正に、怒る感性の涵養が社会の進歩の原動力として必要です。

5 強者に対する抵抗を美徳として身につけよう。同時に、面従腹背の小技をも身につけよう。

 社会と能動的に向き合うとは、現実にある社会の不公正に怒り、これを正していく努力をすることです。しかし、その不公正は現在の社会の強者が作り出したものですから、能動的な生き方とは本質的に現実の社会の強者と対峙することを意味します。
不公正の源であるこの社会の強者とは、政治的強者としての公権力であり、経済的強者としての資本家であり、社会的強者としての多数派にほかなりません。
不正義・不公正に怒ることは、強者への抵抗を決意することにつながります。厳しいことですが、強者にまつろわず、へつらわずに抵抗の姿勢を保つこと。自分の尊厳と、公正な社会のための抵抗が、市民道徳として身につけなければならない課題ではないでしようか。
さりとて、社会のあらゆる場面で怒り抵抗の姿勢を維持していくことは容易ではありません。また、危険も大きいことです。時には、したたかに妥協する術も心得ておかなければなりません。これぞ面従腹背の術です。妥協してはならぬ場とテーマを見極めることこそ、学ばねばならないことです。

 こうして、自己の尊厳を第一義としつつ、住みやすいよりよい社会の実現に向けた基本姿勢をもつこと。その精神を育成することこそが、現代社会のあるべき市民の道徳だと思うのです。
(2019年1月7日)

徴用工も技能実習生も、人権保障を欠いた国外労働力の導入である。

今大きな話題となっている二つの問題。入管法改正の前提にある技能実習生制度と、韓国徴用工判決。両事案の本質が酷似していることに驚かざるをえない。両者とも、企業が要求する劣悪な条件での「外国人」労働者雇用の問題。資本の利潤追求の衝動が、民族差別と結びつくとこうなるという実例。70年余の以前も現在も、すこしも変わらない。

安価な外国人労働力を大量に確保したいという企業の欲求が法案になった入管法「改正」案。日本人労働者の扱いにはさすがに法の規制を守らざるをえないが、外国人労働者なら搾取も収奪もほしいままという企業の認識があり、そのような現実がある。これが、外国人技能実習生であり留学生の実態である。財界や政権のいうがままでは外国人労働者の労働条件は奴隷労働に等しい。その労働力の流入は、国家的規模の奴隷売買と指弾されかねない。

企業は安価な外国人労働力を要求するが、安価な外国人労働力の導入は明らかに日本の労働市場における賃金水準の低下をもたらす。日本の労働者・労働組合にとっては、基本的に賛成しかねる政策。外国人労働者の日本の労働市場への参入については、労働者の権利を侵害することないよう、慎重な配慮が要請される。

戦時中、企業は大いに儲けた。需要は膨れあがり好景気に沸いた。一方、賃金は下げることができたし、労働強化は思いのままだった。しかし、強壮な労働力は徴兵され、慢性的に労働力が不足した。国家総動員法に基づく徴用はこれを補うものだった。当時は外国ではなかった朝鮮各地からの徴用工は、各企業で苛酷な労働を強いられた。当時頻発した徴用工の職場からの逃亡は、現在の技能実習生の失踪と変わるところはない。

資本は、酷薄である。企業間競争に勝たねばならず、利潤を生み続けなければならない以上、厳格に法による規制がなければ、労働条件の改善は期待しがたい。利潤追求の手段として外国人差別や民族的差別意識が利用できるのなら、その利用に躊躇する理由はない。

国外の労働力流入は、国内の労働者にとって歓迎すべきことではない。このことについて、思い出すことがある。今はなき、「赤い尾翼のノースウェスト航空」の運行を止めたストライキと、その国際スト破り阻止問題である。国外からの労働力流入は、スト破りにも使われる。以前にも触れたことがあるが以下に再掲しておきたい。

成田開港以前の1974年秋のこと、当時羽田にあったノースウェスト航空日本支社労働組合(当時500人規模)が45日間の全面ストライキを打ち抜いた。この間、組合は航空機運航のための諸機材を全面的に押さえてピケを張り、会社の使用を阻止した。そのことによって現実に相当便数の運航が止まった。

会社は対抗策として、スト破りを考えた。まずは羽田空港内の国内他社の従業員と機材を使おうとした。これに対しては、ノースウェスト航空労働組合か加盟する産別組織・民間航空労働組合連合(民航労連)が大きな力を発揮した。各社の現業部門の労働組合が、スト破り参加を拒否したのだ。そこで、会社が企てたのが、国際的スト破りだった。

ノースウェスト航空は、自社の労働者を集団で羽田に送りこんでスト破りの業務に使おうとした。現に、ハワイにまでは作業者を結集させて訓練を行うとともに、日本への入国手続に着手した。

私が所属していた東京南部法律事務所が、民航労連の顧問事務所だった。ノースウェスト航空は、私が主担当者だった。ストに伴う多くの法的問題があったが、国際スト破りの入国阻止がメインテーマとなった。

出入国管理法と職業安定法と労組法とを根拠に、意見書を何度も書き換えて「スト破り集団の入国ビザを出すな」「目的を詐って入国した労働者がスト破り作業に従事したら直ちに刑事告発をする」。そのように関係各所を言ってまわった。

外国からの労働力の流入を日本の労働市場の撹乱要因として、国内労働者の雇用の安定のために単純労働者の入国は制限するという出入国管理法と職業安定法の目的規定の最大限利用。スト破りは不当労働行為であって、その労働者の供給は職安法20条に違反するという主張。結果として、国際スト破り集団の入国はなかった。

安易な外国人労働者の国内流入は、労働市場を撹乱して労働者の就労条件を切り下げ、あるいはスト破りまで導入することを可能にする。ことは慎重を要する。そして、受け容れる以上は、人権保障を徹底しなけばならない。

徴用工も技能実習生も、人権保障を大きく欠いた環境での国外労働力の受け入れだった。同じ過ちを繰り返してはならない。
(2018年11月19日)

DHCテレビ番組のYouTube配信一部停止 ― 「差別的動画」通報運動の盛り上がり

インターネット動画配信事業者である「DHCテレビ」、フルネームは「株式会社DHCテレビジョン」。あの吉田嘉明が代表取締役会長の任にあり、株主は株式会社ディーエイチシーだけという一人会社。この業者が配信する番組「ニュース女子」が、デマとヘイトの放送で一躍悪名を馳せたのはご存じのとおり。しかも、BPOに批判されてなお、まったく反省する姿勢を見せないことでDHCテレビの悪名は不動のものとなった。

「ニュース女子」だけではない。やはりDHCテレビが配信する「真相深入り!虎ノ門ニュース」も同様の問題を抱えている。こちらは、この番組にお似合いのアベ晋三が出演(9月6日)し、「密かに見ている。非常に濃い」などとおべんちゃらを述べたことで一躍有名になった。アベとは何者かを、如実に示したのだ。

その「虎ノ門ニュース」について、配信媒体であるYouTubeが自社のポリシーに反するものとして、番組ライブ配信の一部停止に踏み切った。

9月19日、DHCテレビのホームページは、「YouTubeチャンネルについてのお知らせ」を掲載した。その全文を引用する。

平素よりDHCテレビジョンをご覧いただき、誠にありがとうございます。
2018年9月19日、YouTubeはDHCテレビが10月5日に放送を予定していた「真相深入り! 虎ノ門ニュース」金曜日について、「ガイドラインに違反している」として、ライブ配信予定のページ削除を行いました。
これに伴い、YouTubeから科せられたペナルティとして、9月19日配信分の当社番組「DHCキレイを磨く! エクストリームビューティ」のライブ配信が停止されました。
また10月5日を除く、虎ノ門ニュース及び当社制作番組のライブ配信については、問題なく配信できるかどうかは今のところ不明です。
なお、まだ配信されていない番組を削除した経緯や理由について、YouTubeは「スパムと欺瞞的行為に関するポリシーに違反したため」と通告するのみで、具体的な内容についての言及はありません。
 現在、当社ではYouTubeに対して異議申し立てを行っており、従来どおり番組をライブ配信できるよう鋭意努力しておりますが、YouTubeにてDHCテレビをチャンネル登録して御覧頂いている皆様には、最新番組が表示されない可能性があります。
その場合はDHCテレビの公式ホームページにアクセスすると、最新番組をご覧頂きやすくなりますので、是非DHCテレビ公式ホームページをご活用いただきたく存じます。
2018年9月19日 DHCテレビジョン

YouTubeは、「ライブ配信予定のページ(10月5日放送予定の「虎ノ門ニュース」)削除を行いました。」「YouTubeから科せられたペナルティとして、9月19日配信分の当社番組「DHCキレイを磨く! エクストリームビューティ」のライブ配信が停止されました。」というのだ。DHCテレビは、YouTubeからの通告をそのまま転載していない。だから、「ライブ配信予定のページ削除」の意味が必ずしも明確ではなく、隔靴掻痒の感を否めない。それでも、DHCテレビが慌てふためいている様はよく分かる。

いったい何が起こっているのだろうか。
産経新聞(8月6日)が、「ユーチューブの保守系チャンネルが相次ぎ閉鎖 『削除の基準、不透明』と批判」という記事を掲載している。産経だから、「保守系チャンネル」の側に立っての記事なのだが、およそ問題のあらましが推測できる。

差別発言の撲滅か、言論の自由の侵害か-。動画配信サイト「ユーチューブ」で5月以降、中国や韓国に批判的な保守系動画投稿者の利用停止が相次いでいる。背景には「差別的な動画」への通報運動の盛り上がりがあるが、一方で投稿者らは「差別的発言ではない」「削除基準が不透明」として反発を強めている。
「私は中国や韓国の政府や民族に対して政治的な批判をすることはあるが、出身民族の差別は絶対にしていない。これは言論テロ」。登録者数約15万5千人を数えた動画配信「竹田恒泰(つねやす)チャンネル」を5月に停止された、明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏は、そう憤る。
ユーチューブは投稿ルールで、人種や民族的出自に基づく暴力や差別の扇動を禁じている。運営側がルール違反と判断した場合、投稿者に警告が届き、3カ月以内に3回続くとアカウント(開設権)が停止される。竹田氏は5月23日夜に最初の警告を受け、24日早朝までに2回目と3回目が続き停止となった。現在は予備アカウントで配信を再開している。
 竹田氏によると、ユーチューブでの通報運動は匿名掲示板「5ちゃんねる」で5月半ばに始まり、対象リストや通報の方法などが拡散。7月上旬までに200以上の保守系チャンネルが停止され、22万本以上の動画が削除されたという。

なるほど、「保守派の差別的な動画」が、ユーチューブの「投稿ルール」に抵触したことで、警告が発せられ、配信停止になったのだ。産経の表現では、「中国や韓国に批判的な保守系動画」が、ユーチューブ側から見たら看過できない「デマとヘイト」。表現の自由を看板にするYouTubeも、さすがにこの事態を放置できなくなったということなのだ。

YouTube 社のホームページに次のコメントがある。
ライブで配信するすべてのコンテンツは、YouTube のコミュニティ ガイドラインと利用規約に準拠している必要があります。コミュニティ ガイドラインに違反するコンテンツをライブ配信していると思われる場合、YouTubeはそのライブ配信に年齢制限を設けたり、削除したりする場合があります。また、YouTubeは独自の裁量により、クリエイターのライブ配信機能を制限する権利を有します。

ライブ配信が制限されると、アカウントに対しても違反警告を受けることがあります。その場合、3か月間はライブ配信ができなくなります。アカウントのライブ配信を制限されている方が、別のチャンネルを使用してYouTubeでライブ配信を行う行為は禁止されています。これは、アカウントへの制限が有効である限り適用されます。この制限に対する違反は利用規約の迂回とみなされ、アカウントが停止される場合があります。

悪意のある表現に関するポリシー
YouTube では表現の自由を支持し、あまり一般的でない意見でも自由に表現できるように努めていますが、悪意のある表現は許可されません。
悪意のある表現とは、次のような特性に基づいて個人や集団に対する暴力を助長したり差別を扇動したりするようなコンテンツを指します。
人種または民族的出自
宗教
身体障がい
性別
年齢
従軍経験
性的指向性 / 性同一性

悪意のある表現と見なされるかどうかは紙一重で決まります。たとえば、一般的に民族国家を批判することは許容されますが、出身民族だけの理由で差別を扇動することが主な目的のコンテンツは YouTube のポリシーに違反すると見なされます。また、宗教など上記のような特性に基づいて暴力を助長するコンテンツも同様です。

悪意のあるコンテンツを報告する

コンテンツがYouTubeの悪意のある表現に関するポリシーを遵守していないと思われる場合は、YouTubeに報告して確認を求めることができます:

不適切なコンテンツの報告
YouTube では、不適切と思われるコンテンツを YouTube コミュニティのメンバーに報告していただいています。コンテンツの報告は匿名で行われるため、誰が動画を報告したかは他のユーザーに開示されません。

問題を報告しても、自動的にコンテンツが削除されるわけではありません。報告されたコンテンツは、次のガイドラインに沿って審査されます。
コミュニティ ガイドラインに違反しているコンテンツは YouTube から削除されます。

デマとヘイトの報告は下記のURLから。
https://support.google.com/youtube/answer/2801939?hl=ja

DHCテレビ番組のデマとヘイトについて、大いに報告を実行しよう。DHCの吉田嘉明とは、民族差別を公言して恥じない人物なのだから。自浄能力はない。外部からの強制による矯正が必要なのだ。既に実践している人たちの地道な努力で、成果は上がっている。これに続く努力を積み重ねよう。

そして、もう一言。産経が、「差別発言の撲滅か、言論の自由の侵害か-」と問題設定をしているのは、笑止千万というべきである。そもそも言論の自由とは、「デマやヘイトの自由」を意味しない。しかも、「表現の自由」とは、権力や強者を批判する自由にこそ真骨頂がある。アベ一強がヨイショの翼賛番組に、言論の自由を語る資格はない。
(2018年9月24日・連続更新2003日)

「敬老」の日に、思いめぐらすあれこれ 

本日(9月17日・第3月曜日)は敬老の日。「国民の祝日に関する法律」(祝日法)では、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨とある。おや、そうなのですか。

そもそも「国民の祝日」とは何か。「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である」(同法1条)とのこと。

「敬老」とは、「自由」と「平和」と「美しい風習」と「よりよき社会」と「より豊かな生活」のどれに関わるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてきた老人」だけが、「敬愛」と「長寿を祝う」対象となるのだろうか。「多年にわたり社会につくしてはこなかった老人」はどうなるのだろう。その線引きは?

それはともかく、敬老の日は戦前はなかった。戦後の賜物である。
明治期には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号、1873年10月14日施行、1878年6月5日・1879年7月5日改正)によって、大正期・昭和初期には「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号、1912年9月3日施行、1913年7月16日・1927年3月3日改正)によって定められていた。(ウィキペディアからの引用。ウィキは便利だ)

よく知られているとおり、戦前の祝日と祭日とは、すべて天皇制と天皇神話に結びついたものだった。祝祭日だけではなく、一世一元・「日の丸・君が代」・ご真影・修身・国史・教育勅語・軍人勅諭・靖国神社…。なにもかにもが、天皇賛美のマインドコントロールの道具立てだった。あるいは、天皇教という空疎な信仰の教典・教具。オウムがやろうとしてできなかったことを天皇制国家は大規模に現実のものとしていたのだ。

明治以来150年の前半に構築された狂信のシステムはその半ばで崩壊した。が、根絶はされずしぶとくその根を生き残らせている。天皇も、元号も、「日の丸・君が代」も。そして祝日の一部もである。なによりも、国民一人ひとりの感性の底に、権威主義というかたちで。

本日・敬老の日は、その成り立ちが天皇制とは無縁のようで、その点は清々しい。とはいうものの、なんとなく、「敬老」には、取って付けたような不自然さがある。社会は、本音のところ高齢者を「敬」してなどいない。無理して口裏を合わせているというニュアンス。「敬老」の「敬」は「敬して遠ざく」の敬。

本日の産経社説が「敬老の日 地域で高齢者を見守ろう」と題するもの。その冒頭が、「お年寄りは、長く社会に尽くしてくれている。だから敬いたい。」という気持ちの悪い一文。

杉田水脈は、こう言った。
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同を得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。」

杉田は、愚かにも本音を漏らしてお仲間からも批判を受けた。しかし、実のところ、この杉田の言こそが今権力を握っている勢力の本音なのだ。「国家・社会に役に立たない人間は、存在する価値がない」「資本が利潤を生むに寄与するところのない人物は無価値」というのだ。

すべての人は、人として生を受けたというそのことだけで、等しく尊厳をもっている。人種・民族・宗教の別なく、男女・年齢・障害の有無に関わりなく、平等に生きる権利をもっている。このことはけっしてだれにも自明なことではなく、常に意識し、自覚し直し、発言し続けなければならない。人類の長年の努力がようやく到達したこの公理としての理念。努力を積み重ねることなくして維持することもできないのだ。

老人は、LGBT以上に「生産性」をもたない。だから、当然に「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」の本音が感じられる。老人福祉を「枯れ木に水をやる」と表現した政治家もいた。

産経とはひと味違う社説を掲載しているのが東京新聞。本日付社説は「敬老の日に考える 物語をしてください」。これは秀逸だ。

「戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵また物語をしてください。」という書き出し。

で、採話した物語の語り手が、在韓被爆者なのだ。17歳直前での広島爆心地近くでの被爆体験者。今は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれている韓国南東部にある陜川(ハプチョン)の「陜川原爆被害者福祉会館」で暮らしている人。当時は、まぎれもない日本人だった。達者な広島弁で記者に「自分の物語り」を語ったという。

 「あたしは金日祚(キムイルチョ)。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和3年9月18日生まれ、数え年91歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」

以下は、下記のURLで。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000153.html
この記事には、産経のような「上から目線」がない。高齢者に対するシンパシーにあふれている。

この社説が言うとおりだ。私も、亡き父と母に、話しをしてもらえばよかったと思う。戦争のこと、戦地のこと、銃後のこと、戦前と戦後とが違うのかつながっているのか。生活苦のこと、学校のこと、故郷のこと、天皇のこと…。若者が高齢者に、「伝えておきたいことをゆっくり話して」といわせる余裕のある社会であって欲しいと思うが、そんな文化も今はなかろう。その余裕もない社会を作ってきたのが、私たち自身なのだと、後悔しきりである。

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いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を! 賛同署名のお願い。
http://article9.jp/wordpress/?p=11058

安倍政治に即刻の終止符を求める人々の熱い言葉の数々。
http://article9.jp/wordpress/?p=11073

ネット署名にご協力を。そして、是非とも拡散をお願いします。
9月10日に開始して、賛同者は本日(1 7日)6600筆余と足踏み状態です。

署名は、下記URLからお願いいたします。
https://bit.ly/2MpH0qW

(2018年9月17日・連続更新1996日)

9月1日は、「国恥の日」。

敗戦と平和を考える8月が去って、9月になった。本日は、個人的に「国恥の日」と名付ける9月1日。1923年の今日、関東地方をマグニチュード7.9の巨大地震が襲った。死者10万5千余といわれる、その甚大な被害はいたましい限りだが、震災は恥とも罪とも無縁である。3・11津波の被害を「天罰」と言った愚かで無責任な都知事がいたが、この言こそ不見識の極み。自然災害自体に可非難性はない。

私が「国民的恥辱」「日本人として恥を知るべき」というのは、震災後の混乱のなかで日本人民衆の手によって行われた、在日朝鮮人に対する大量集団虐殺である。これは、まぎれもなく犯罪であり刑罰に値する行為。人倫に反すること著しい。その事実から目を背け、まともに責任を追求しようとせず、反省も、謝罪もしないままに95年を徒過したことを「国恥」といわざるを得ない。そして、今なお、この事実に正面から向き合おうとしない日本社会の排外主義容認を「国恥」というのだ。

もちろん、日本の歴史に真摯に向き合おうという日本人も少なくない。日本の民衆が、民族差別と排外主義とによって在日の朝鮮人・中国人を集団で大規模に虐殺した事実を直視し、自らの民族がした蛮行を恥辱としてこれを記憶し、再びの過ちを繰り返してはならないと願う人々。

そのような思いの人々が、毎年9月1日に、東京都墨田区の都立横網町公園内の追悼碑前で、「朝鮮人犠牲者追悼式典」を開催している。今年も行われた、本日11時からの式典に参加した。多くの友人に遭って、挨拶を交わした。

「おや小竹さん、沖縄へお出かけと聞いていました。お忙しいのにご苦労様です」「忙しいんだけれど、小池都知事のあの態度でしょう。無理しても出席しなけりゃいけないと思ってね」こういう会話が多かった。

あの石原慎太郎でさえ、この式典には都知事としての追悼文を寄せていたのだ。ところが、小池百合子は昨年から敢えて朝鮮人犠牲者に対する追悼文の送付を中止した。歴史に向き合うことをせず、反省などするものか、という姿勢と批判されてもやむを得まい。今年も追悼文なしと報道されて、その都知事の姿勢への批判の高まりを反映して、追悼式参加者数は、昨年を大きく上回る700人に上った。メディアの取材もかつてなく規模が大きかった。

今年の式典での追悼の辞で特徴的だったのは、やはり小池知事の姿勢への批判。そして、朝鮮半島情勢変化の兆しの中で排外主義や民族差別を克服していこうという呼びかけ。参加者の真剣さを反映してか、いつにもまして感動的な追悼集会だった。

ところで、関東震災後の朝鮮人虐殺には、軍と警察が深く関わっていたことが広く知られている。軍と警察が民衆を煽った責任のあることは論を待たない。しかし、恐るべきことは、自警団という名の民衆が武装し、積極的に朝鮮人狩をして、無抵抗の人々を集団で撲殺し刺殺し縛って川に投げ込むなどの蛮行におよんだことである。特殊な右翼思想集団や狂信的国粋主義者の犯罪ということではない。犯罪者集団や犯罪傾向をもった集団が、殺人・傷害に走ったということでもない。平凡な普通の日本人民衆が、残虐な殺人・傷害を重ねたのだ。

関東一円に無数にできた自警団とは、町内会や自治会であり商店会にほかならない。ごく普通の地域住民がそのメンバーであった。つまりは、おぞましい集団虐殺の実行犯は私たちの父祖自身なのだ。なぜこんなことを起こしたのか。正確に知り、記憶しなければならない。そのための、「国恥の日」である。

この点に関して、東京新聞8月29日夕刊文化欄「大波小波」というコラムに、「『千田是也』の名の由来」という記事が出ている。これに、知人が「千田是也のペンネームの由来が、千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて虐殺されそうになった。という話は聞いたことがありましたが、千田是也が虐殺側の人間だったという事は知りませんでした」とコメントを寄せてきた。

同コラムは、「 劇団燐光群公演『九月、東京の路上で』(坂手洋二作・演出、今月5日まで)は、今の路上に溢れるヘイトと分断の禍々しい声から、95年前の朝鮮人虐殺という惨劇を黒々と呼び起こしてみせた。」と始まるが、中に次の記述がある。

「演劇人・千田是也の名が、震災直後の千駄ヶ谷で朝鮮人(コリアン)に間違えられ殺されそうになった体験に由来するのはよく知られている。ただし千田はそのとき、武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた。千田は被害者になりかかった加害者だったのである。」

なんとなく、朝鮮人狩や集団虐殺に踊らされたのは「無知な大衆」であって、知識階級は別だ、という思い込みがありはしないだろうか。多くの学者や文人が、そのような目でこの事件を語っている印象がある。しかし、千田是也までが実はそのとき、「武器を持ち朝鮮人を求めて走っていた」となれば、事態はより深刻といわねばならない。

これについては、千田自身が書いた、詳細な手記が残されている。「潮」1971年9月号の『日本人100人の証言と告白』に掲載のものだという。千田の正直さと、問題の深刻さを教えられる。

「私のセンダ・コレヤという芸名の由来である(千駄ヶ谷をとって“千田” 朝鮮人つまりコーリアンをもじって“是也”というわけである)千駄ヶ谷で朝鮮人に間違えられて殺されそうになった事件の起きたのは、大震災の二日目の晩だったとおぼえている。
 町々の炎が夜空を真っ赤にそめ、ときどきガソリンや火薬の爆発する無気味な音が聞こえ、余震が繰り返され、担架や荷車に乗せた負傷者たちの行列がつづく状況のなかで聞くと、朝鮮人が日ごろの恨みで大挙して日本人を襲撃しているとか、無政府主義者や社会主義者が井戸に毒を投げ込んだり、通り端で避難民に毒まんじゅうを配ったりしているとかいうバカバカしいデマが、いかにもほんとうらしく思えてくる。また、別な方面からの情報によれば、軍は目下、多摩川べりに散開して神奈川方面から北上中の強力な不逞鮮人集団と交戦中だという。
 そこで私も勇みたって、二階の長持ちの底から先祖伝来の短刀を持ち出して、いつでも外から取れるように便所の小窓のかげにかくし、登山ヅエを持ってお向かいの息子さんといっしょに家の前の警備についた。
 そのうち、ただ便々と待っているのも気がきかぬ気がして、敵情偵察かなにかのつもりで、千駄ヶ谷の駅にちかい線路の土手をのぼって行くと、後ろのほうで「鮮人だ、鮮人だ!」という叫びが聞こえた。ふりかえると、明治神宮の、当時はまだ原っぱだった外苑道路のヤミのなかを、幾つもの提灯が近づいてくるのが見えた。それを私はてっきり「不逞鮮人」をこっちへ追ってくるものと思い込んで、はさみ打ちにしてやろうと、そっちへ走って行くと、いきなり腰のあたりをガーンとやられた。あわてて向き直ると、雲つくばかりの大男がステッキをふりかざして「イタア、イタア!」と叫んでいる。
 登山ヅエを構えて後ずさりしたら「違うよ!違いますったら」といくら弁解しても相手は聞こうともせず、ステッキをめったやたらに振り回しながら「センジンダア、センジンダア!」とわめきつづける。
 そのうち、提灯たちが集まってきて、ぐるりと私たちを取り巻いた。見ると、わめいている大男は、千駄ヶ谷駅の前に住む白系ロシア人の羅紗ラシャ売りだった。そっちは朝鮮人でないことは一目でわかるのだが、私のほうは、そうもいかない。その証拠に、棍棒だの木剣だの竹ヤリだのマキ割りだのを持った、これも日本人だか朝鮮人だか見分けのつきにくい連中が「ちくしょう白状しろ」「ふてえ野郎だ、国籍をいえ」と私をこずきまわすのである。「いえ日本人です。そのすぐ先に住んでいるイトウ・クニオです。このとおり早稲田の学生です」と学生証を見せても、いっこう聞き入れない。
 そして、マキ割りを私の頭の上に握りかざしながら「アイウエオ」をいってみろだの「教育勅語」を暗誦しろだのという。まあ、この二つはどうやら及第したが、歴代天皇名をいえというのにはよわった。どうせ、この連中だってよく知っていまいと度胸をすえ、できるだけゆっくりと「ジンム、スイゼイ、アンネー、イトク、コーショー、コーアン、コーレイ、カイカ、スージン、スイニン、ケーコー、セイム、チューアイ……」
 もうその先は出てきそうもなくなったとき、ありがたいことに、誰かが後ろのほうから、「なぁんだ、伊藤さんのお坊っちゃんじぁねぇか、だいじょうぶです。この人なら知っています」といってくれた。近所の酒屋の若い衆である。すると、もう一人「そうだ、伊藤君だ」と青年団の服を着た男が前に出てきた。これは千駄ヶ谷教会の日曜学校にかよっていたころの友だちだった。
 私の場合のようにこうあっけなくすんでしまえば、ただのお笑いぐさだが、あの朝鮮人騒ぎではずいぶんたくさんの何の罪もない朝鮮人が殺された。朝鮮人に似ているというだけで――もともと大した区別はないのだから、その場の行きがかりで、ただ朝鮮人と思い込まれたというだけで多くの日本人が殺されたり、負傷したりした。いま思えば、あれは、ナチスのユダヤ狩りと同じように、震災で焼け出され、裸にされた大衆の支配層に対する不満や怒りを、民族的敵対感情にすり替えようとした政府や軍部の謀略だったのだろう。
 それにしても、私は一方的に被害者だったかのような事件の顛末であったが、その私自身も自警団のマネをして加害者たらんとした気持ちを動かしたのである。このときの経験から、朝鮮問題はあちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか、つくづくと思い知ったのである。(同氏の文章と談話をまとめた)」

改めて、日本人の中にある差別や排外主義の根深さを痛感するとともに、それを克服するために、「朝鮮問題は、あちらの立ち場からの把握、理解をすることがいかに大切であるか」を実践しなければならないと思う。ことあるごとに、繰りかえし、辛い歴史を見つめ直し、語り継がねばならない。今日、9月1日はそのための「国恥の日」である。
(2018年9月1日)

朝鮮人虐殺を反省しない、こんな都知事でよいのか。

昨日(8月10日)の、小池都知事定例記者会見。
記者からの質問に小池はこう答えている。

-- 関東大震災の犠牲者の慰霊について、昨年、知事は追悼文の送付を控えたが今年の対応と、その対応の理由を

 「今週8日でしたか、実行委員会の皆さんが署名をご持参されまして、追悼文のご要請をいただいたこと承知いたしております。都知事といたしまして、毎年9月、そして3月、横網町公園内の東京都慰霊堂で開かれる大法要で、関東大震災および先の大戦で犠牲となられた全ての方々へ哀悼の意を表しているところでございます。このため、昨年度から、個別の形での追悼文を送付することは控えさせていただいたということでございます。関東大震災という大きな災害で犠牲になられた方々、そしてまた、それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方々、これら全ての方々に対しまして慰霊する気持ちに変わりはございません」

--では、今年も追悼文の送付というのは特に
 「はい、昨年と同様とさせていただきます」

質疑はこれで終わりだった。あらためて思う。日本とは、何という非情な国だろうか。日本人とは、何という道理も情も知らない国民だろうか。歴史を見つめ、都合の悪いことも真実には謙虚であるべきだという、当たり前のことができない。アベのような首相、コイケのごとき首都の知事を擁している私たちの力量の不足が歯がゆくもあり、恥ずかしくもある。

関東大震災後の朝鮮人虐殺は日本人が忘れてはならない「国恥」である。記憶から抹殺することはできない。とりわけ、加害者が自警団という民間人であったこと、無抵抗の者を文字通り虐殺したその残酷さにおいて際立っている。

この歴史的事実を伝える文献は数多くあるが、検定済みの中学校教科書の一節を紹介しよう。話題の「学び舎」が出版した「ともに学ぶ 人間の歴史」(中学社会・歴史的分野)である。

その217頁に、【関東大震災ーいわれなく殺された人びと】の記事がある。
1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。建物がくずれ、強風を巻き起こす火災か発生して、死者行方不明者は10万5000人にのぼった。東京都や横浜市では、多数の家屋が被災し、多くの避難民が出た。
 地震後、「朝鮮人が攻めてくる」などの流言が広められ、軍隊、警察や、住民が作った自警団によっておびただしい数の朝鮮人が虐殺された。数多くの中国人や日本人の社会主義者も殺害された。

植民地だった朝鮮から働きにきていたチョインスン(当時21歳)は、避難した(旧)四ツ木橋(東京都)の近くで消防組員につかまった。警察署に連れて行かれる途中の橋の上には、多くの死体かあった。警察署で彼は、逃げようとした朝鮮人8人が切り殺されるのを見た。60年後、チョインスンは橋があった場所を訪れて語っている。
 「ここで、朝鮮人が3人たたき殺されたんだ。それを見たら、ほんとうに空が真っ黄色でね。息がとまってね。どうすることもできなかった。人間が人間を殺すのは、よっぼどのことじゃないとできないよね。何もしないのに働いて食うのに精一杯の朝鮮人にそんなことして。いくさでもないのに」

欄外に、「虐殺された朝鮮人の人数」に触れられている。
 約230人(当時の政府調査)や、約2610人(吉野作造調査)、約6650人(日本にいた朝鮮人たちによる調査)などかある、虐殺された人数はさだまっていない.

政府は積極的な調査をしようとはしなかった。むしろ、調査を妨害したのだ。その末裔が、自民党都議の古賀俊昭らであり、コイケでもある。

都立横網町公園(墨田区)で毎年9月1日に営まれる「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」。都知事が追悼文を送付することが慣例になっていた。1970年代からのことだという。石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一らも行ってきた追悼文送付を、コイケは、積極的にやめたのだ。

きっかけは、昨年(2017年)3月の都議会一般質問での古賀の質問だった。古賀は右翼として知られる人物。横網町の追悼碑の碑文にある虐殺被害者数六千余名という記載を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名となっている」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。この極右の言に、コイケが呼応して、昨年から追悼文の発送を中止している。

コイケには自然災害の死と、民族差別意識に基づく虐殺との区別が付かないのだ。いや、敢えて区別をさけて、歴史の忘却を狙っているのだ。反省もなければ、心の痛みもない。都民よ。こんな知事で本当によいのか。
(2018年8月11日)

社会的弱者を差別し侮蔑する言論の自由はない

いま話題の政治家といえば、杉田水脈。つい先日まで、表舞台では殆ど無名だったこの人の名が、今や各紙に大きく躍っている。まさしく、注目度ナンバーワンの話題の保守政治家。いや、極右の政治家。

なんと、本日(7月27日)の赤旗一面のトップ記事に登場している。杉田水脈、大したものではないか。
「LGBT『生産性ない』の杉田暴言」「かばう自民に抗議殺到」「人生観の問題ではない」という大きな見出し。

リードだけをご紹介すれば、「自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が月刊誌にLGBT(性的少数者)のカップルは『子どもを作らない、つまり生産性がない』と攻撃し、行政支援への否定的見解を示す論考を寄稿した問題で、LGBTや支援者の団体から厳しい抗議の声が上がっています。批判は杉田氏を擁護する安倍政権や自民党にも向けられ、杉田氏の議員辞職を求める抗議行動が各地で予定されるなど、抗議は全国に広がっています。」というもの。

その杉田の言動に対するメディアの批判の典型が、一昨日(7月25日)の毎日社説だろう。「杉田水脈議員の差別思考 国民の代表とは呼べない」という標題。筆鋒峻厳である。その一部を引用する。

「特定の少数者や弱者の人権を侵害するヘイトスピーチの類いであり、ナチスの優生思想にもつながりかねない。明らかに公序良俗に反する。
 国民の代表として立法権を行使し、税金の使い道を決める国会議員には不適格だと言わざるを得ない。
 杉田氏はこれまでも、保育所増設や夫婦別姓、LGBT支援などを求める動きに対し『日本の家族を崩壊させようとコミンテルン(共産主義政党の国際組織)が仕掛けた』などと荒唐無稽(むけい)の批判をしてきた。
 『安倍1強』の長期政権下、社会で通用しない発言が自民党議員の中から後を絶たない。「育児はママがいいに決まっている」「がん患者は働かなくていい」など、その無軌道ぶりは共通している。
 杉田氏は2012年衆院選に日本維新の会から出馬して初当選し、14年は落選したが、昨年、自民党が比例中国ブロックで擁立した。安倍晋三首相の出身派閥である細田派に所属している。杉田氏の言動を放置してきた自民党の責任は重い。」

いちいちごもっとも、と言うほかはない。

政党の批判としては、昨日(7月26日)付けの立憲民主党の抗議文が鋭い。同党の公式サイトに掲載されたもので、「立憲民主党 SOGI(性的指向、性自認)に関するPT」座長・西村智奈美衆議院議員名のものである。

 子どもを産むか否かで差別することは、憲法が尊重する基本的人権、自己決定権を否定する思想であり看過できない。差別を禁じた憲法を遵守すべき国会議員が、自ら差別との自覚をもてないまま発言したことに驚きを禁じ得ない。直ちに発言の撤回と謝罪を求める。
 あわせて、自民党の二階幹事長は、今月24日の記者会見において、「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と述べた。政党として、さまざまな考え方を容認することは当然のことながら、幹事長という立場にありながら、差別への無理解、無自覚を露わにした所属国会議員を問題なしとする言動は、差別そのものを公党の幹事長が容認したととれ、社会的影響も鑑み、許されるものではない。あわせて、撤回と謝罪を求める。

この件については、公明党の山口那津男代表までが、昨日(26日)の記者会見で、「子供を産む、産まないことを非難がましくいう言動はいかがなものか」と、やんわりながらも批判した。衆目の一致するところ、自民党政治家による歴史修正主義や排外主義、民族差別、性差別、人権軽視等々の右翼的発言の背後には、安倍執行部の存在があるのだから、山口の杉田に対する「やんわり批判」は、安倍に対する批判でもある。

同じ記者会見で、山口は「多様な生き方を認める寛容な社会を作っていくことが我々の方針だ」と強調したという。

杉田の差別発言を擁護したのが、二階俊博自民党幹事長。24日の記者会見の発言を、朝日はこう報道している。
「自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が寄稿で同性カップルを念頭に「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と記述した問題で、二階俊博幹事長は24日の記者会見で「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と述べ、問題視しない考えを示した。
 二階氏は「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている。(政治的立場での)そういう発言だと理解したい」とした。一方で、「当事者が社会、職場、学校の場でつらい思いや不利益を被ることがないよう、多様性を受け入れていく社会の実現を図ることが大事だ。今後も努力していきたい」とも述べた。」

えっ? 「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている」んですって? それは知らなかった。私は、「極右から穏健右派までが集まって自民党は成り立っている」と思っていましたが…。どこかに、左の隠し球でもあるんですかね。

舌足らずの二階発言だが、少し言葉を補えば、こんなことだろう。
「人それぞれの政治的立場や人生観、考え方があって当然。自民党は、右から左まで幅広い多様な立場から成り、杉田発言もそのような多様性の中の一つで、特に問題はない。」

もう少し分かり易く言えば、「思想も表現も自由だ。思想や表現の多様性こそが重んじられるべきで、杉田の差別発言も多様性の内のものだ。批判されるものには寛容が求められる」となろう。

これは、おかしい。杉田の差別発言は多様性を否定する内容。多様性を否定する発言が、多様性尊重のゆえをもって擁護されるのは、論理矛盾ではないか。キミの多様性は認めない。ボクの多様性だけは無限に認められるべきだ。これは、ボクには都合がよい理屈。

表現の自由は、この社会における最重要な価値の一つだが、万能でも無制限でもない。他の諸価値と衝突するときには、自ずから調整され制約を受けざるを得ない。権力を持つ者に対する批判の政治的言論は最大限の尊重を要するが、他の個人の尊厳を傷つける差別言論が許容されてよいはずはない。

LGBTという社会の少数派であり、それゆえに弱い立場にある者を傷つける差別言論が許容される余地はない。杉田議員と二階幹事長には、次の言葉をお贈りしておこう。肝に銘じておかれたい。
「世の中には、言ってよいことと悪いことがある。」「権力や多数派に対する批判の言論は大いに行ってよい。しかし、社会的弱者を差別し侮蔑する言論の自由はない。」
(2018年7月27日)

「保守速報」サイトからすべてのバナー広告が消えた。 ― これが企業の合理的判断なのだ。

私には、ネット世界の見通しが利かない。どちらを見回しても、あふれかえるデマとヘイトに辟易せざるを得ない。ネトウヨ諸君は、権力者や富のあるものにはへつらって、弱い立場にあるものへの誹謗中傷に余念がない。実は、ヘイトのサイトに読者がつけば、広告料収入がはいる仕組みだという。

そのようなネトウヨ・サイトの典型に、「保守速報」なるものがある。とある名誉毀損裁判の被告になり、「他人の記事を転載しただけだからウチに責任はない」と争って敗訴したことで有名になった。その後、こともあろうに私の顔写真を掲載して「DHCの吉田嘉明会長」とキャプションを付けた。私にとってはこの上ない侮辱であり不名誉な仕打ち。このことについて「保守速報」は謝罪記事を書いたが、私に謝罪したのか吉田嘉明に謝罪したのか、わけの分からないものだった。その程度のいい加減なサイトなのだ。

記事はいい加減ではあっても、まとめサイトとして、他人が書いた記事を繋げて読者を得、広告を満載して相当の収入を得ていたようだった。ビジネスモデルとしては成功していたわけだ。

ところが、驚くべきことが起こった。下記のURLを覗いていただきたい。不愉快な記事を読む必要はない。記事ではなく広告欄にだけ注目していただきたい。すべての広告が消えて、空白になっているではないか。
http://hosyusokuhou.jp/

これは、すごいことだ。「まとめサイト『保守速報』から広告バナーが完全消滅」「まとめサイト『保守速報』に掲載されていた広告が、6月13日までに全て撤去されていたことが分かりました」という記事をネットのあちこちで見ることができる。

どうやら、ネットの景色が変わりつつあるのだ。多くの人の知恵と惜しみない労力とが、バナー広告のスポンサーを動かしているのだ。こんなデマとヘイトのサイトへの広告は、企業イメージを損なうものではないか、という指摘が功を奏しているのだ。

保守速報の広告撤去に至ったきっかけを作ったのは、エプソン販売だった。
ユーザーからの問い合わせを受けて、同社は6月5日に保守速報への広告出稿を停止したという。これが引き金となって、多くのネットユーザーによる広告主への通報が加速して他の企業にも広告引き上げの動きが波及したもののようだ。

BuzzFeed Newsが報じている。
「保守速報への広告掲載をやめたエプソン 『嫌韓、嫌中の温床』との通報がきっかけに」というタイトル。記事の関心は、「広告売り上げなど資金の流入を断つことで、ネットに溢れるヘイトやフェイクをも断つことはできるのか。」という視点。

同記事によると、「(エプソンに)メールで通報をしたのは6月1日金曜日の夜。Youtube上にあるヘイト動画がユーザーの通報を受け相次いで削除されたのを見て、ヘイト記事が載るサイトの広告主に通報しようと思ったという。メールでは、『保守速報』が『ヘイトスピーチ、いわゆる嫌韓、嫌中の温床となっている』『ヘイト記事で告訴を受けて裁判中』だと伝え、『広告が収入源になっている』と指摘。」こうも書き添えたという。

「ヘイトスピーチを許さない社会的責任と御社の製品のブランドイメージを守るためにも、ご検討なにとぞ、よろしくお願い致します」

同社から出稿を取りやめると返答があったのは、6月5日火曜日の昼のこと。「ご不快な思いをさせ」たことを謝罪するとして、「今後は、出稿先を注意して選定してまいります」と記されていたという。

エプソンは、代理店を通じて広告を出稿していたが配信先までの把握はなく、通報があるまで保守速報への掲載を認識していなかった、という。

エプソンは、「エプソングループコミュニケーション規程」に基づき、すべてのステークホルダーの皆様に対して、正確な情報を偏りなく提供しています。公序良俗の遵守や中立性の維持はもとより、性別、年齢、国籍、民族、人種、宗教、社会的立場などによる差別的な言動や表現を排除し、常に個人を尊重するとともに、文化の多様性を尊重して、世界の人々から信頼されるコミュニケーション活動を行っています。

と言っている。この規程の遵守必ずしも十分ではなかったわけだが、指摘を受けて直ちに差別に毅然とした反応したことは立派なものだ。エプソンのブランドイメージは大いに上がったというべきだろう。私も、今度はエプソンの製品を買おう。

まだ、企業の主流は健全だ。一通のメールがエプソンを動かしたのだ。そして、多くの人のメールが続き、いまネットに溢れるヘイトやフェイクをも断つ動きが加速している。「保守速報」への広告引き上げは、他のヘイトサイトに飛び火して、ネットの世界を一新するきっかけとなるかも知れない。

実は、この動きには前史がある。YouTubeでも同様の動きがあるのだという差別表現を含む動画に自社の広告が表示されることを嫌った大手企業の広告出稿取り下げ騒動が発生したことを受け、YouTubeでは昨年(2017年)から差別表現に対して厳しい姿勢で臨むよう方針が大きく転換し、10万本を超す投稿動画か削除され、またYouTubeチャンネルが相次いで閉鎖されているという。

ひときわ注目されたのは、「皇族の血統」をウリにして稼いでいたタレント竹田恒泰。差別的言動で、YouTubeの規約によるチャンネル閉鎖に追い込まれた。ネットでは「YouTubeから生前退位」「ヘイトエンペラー」などと揶揄する声があるという。

保守速報は、「嫌韓」「反中」で知られていた。こんなサイトに広告を出していたとなれば、韓国や中国でのビジネスに差し支えが生じる。それを避けるのが、企業活動の合理的判断というべきだろう。ユーチューブにしても、まともな企業からの広告料を得ようと思えば、ヘイト動画を削除せざるを得ないのだ。ネットの世界の浄化の動きは、きっと実を結ぶことになるだろう。

ところで、この件に関して個人的に見過ごせない一点が残っている。「保守速報」サイト左上に残っている「NO!残紙キャンペーン」のバナーだ。これは広告ではなく、収入には結びつかない。「キャンペーンに賛同したサイトであれば自由に貼れるもの」なのだという。だから、保守速報側が勝手に貼ったもので、キャンペーンの主催者側としては保守速報への掲載について関知していない、との経過のようである。

とはいうものの、保守速報のサイトにたった1件残ったバナーである。そのキャンペーンには右から左まで、まことに幅の広い32人の賛同人の名が連ねられており、その1人として私の名前もある。私は、確かに「NO!残紙キャンペーン」の賛同者にはなったが、保守速報にこんな形で名前が出るような不名誉は望むものではない。さりとて、自由や民主主義のためには、右派とも連携すべきでもあろう。複雑な思い、というしかない。
(2018年6月15日)

いま、学問的には『人種』という(差別的)概念は使いません。

本日は、姪の結婚式に出席。
さわやかな季節に、さわやかな天候に恵まれた、ステキな結婚式だった。

私には3人の弟妹があり、それぞれが子をなしているが、そのすべてが女性。8人の姪がいて甥はない。今日は6人目の姪の結婚式。宗教色のまったくない人前結婚式が清々しい。

東大駒場構内にあるレストラン・ルヴェソンヴェールの中庭にしつらえた式場で、2人がそれぞれに考えた結婚の誓いを読み上げ、近親者の大きな拍手に包まれた。お互いが対等なパートナーとして尊重しあって、2人の人生を築き上げていく決意が伝わってくる。2人は既に婚姻届は提出済みで、新婦の姓を名乗ることを届けているという。なお、2人とも研究者である。

新郎が、軽やかに挨拶した。

「姓をどちらにするかには、あまりこだわりはありませんでした。でも、周りの女性から、『結婚で姓が変わるって、面倒で大変なこと』とよく聞いていましたので、それならその面倒を自分が引き受けて体験してみよう、と思ったんです」「で実際にやってみて、大変なことを経験しました。いろんな手続が煩わしいだけでなく、お金もかかるんですね」
選択的別姓制度の実現は、間もなくのようでなかなか実現しない。

この新郎、本日の新婦のドレスまで手作りしたという。立派なものだ。このような若者が育っていることに意を強くする。

新婦である姪は、わが親族の中でただ1人の研究者。この姪の専攻分野が古代人の骨や歯のDNA解析だとは、以前から聞いていた。人類学や考古学と重なる研究をしているのだそうだ。

「人類学とはロマンの学問であると思う。人の役には立たなくても,ヒトの謎を解明するというロマンに魅せられて,人類学者は突き進んでいく。私が研究している古代DNA解析という分野は,特にその傾向が強い。遺跡から発掘された骨や歯などの遺骸から,DNAを抽出して過去の人々の遺伝情報を読み解く。そこには様々な情報が眠っている。例えば,ネアンデルタール人と私たちホモ・サピエンスが混血していたことは,2010年に古代DNA分析によって明らかになり,人類学界に衝撃が走るほどの大きなニュースとなった。

何年か前の彼女の一文である。なるほど、そんなことをやっているのだ。

で、披露宴の最中に、ウェディングドレス姿の新婦に、不粋な質問をしてみた。

「骨のDNA分析で、日本人と韓国・朝鮮人、あるいは中国人との区別や同定は可能なの?」
「それは無理ですね。」

「DNA分析での人種の特定って、確率論的にはできるんじゃない?」
「今、学問的には『人種』という概念は使いません。それは、無意味だし、差別でしょう。」

私は、姪から教えられて納得した。民族は人文学的概念だが、人種とは自然科学上の概念だと思いこんでいた。しかし、DNAの研究者が、「今、学問的には『人種』という概念は使いません。」というのだ。人種概念は、学問的に無意味であるだけでなく、邪悪な思惑のはいりこんだ「差別」なのだ。

私の質問は日本人優越思想という根拠のないバカげた俗説への反駁のためである。もちろん、日本人劣等説もバカげた俗説である。ホモサピエンスに、優等も劣等もありえない。

日本人優越のバカげた俗説とは、たとえば吉田嘉明(DHC会長)のいう、以下のごとき「ヘイトに満ちたデマ」である。

「最近、遺伝子の研究により、日本人は彼ら(中国人や韓国人)とは全く関係のない民族だということが分かってきました。縄文人の遺伝子を解析したら、他のアジア人とはまるで違う人種であったというのです」「アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だった」「顔は似ていても、どうして中国人や韓国人とはこうも違うのだろうと思っていたことが、ここへきてやっと氷解しました」「我々は全くの異人種である韓国人と仲良くすることはあっても、そして多少は移民として受け入れることはあっても、決して大量にこの国に入れてはいけない」

日本人の成り立ちに関する有力な学説として、埴原和郎の「二重構造モデル」説がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、というものだ。相対的に、内地人は、縄文人の遺伝的要素が小さいことになる。「最新のDNA解析によって、『二重構造モデル』はほぼ裏付けられたと言ってよい」のだという。

意外なことに、三貫地遺跡(福島県)から出た縄文人のDNA配列は、現代日本人とわずか12%の共通部分しかもたないという。「縄文人の遺伝子を解析したら、他のアジア人とはまるで違う人種であった」にせよ、現代日本人のDNAは、圧倒的に渡来人系優勢ということになる。吉田嘉明の作文は妄説に過ぎない。

当然のことだが、縄文系と渡来人系、どちらのDNAが優勢かで、日本人の優等・劣等を論じることはできない。そもそも、日本人と近隣諸国の国民を比較して、優劣を論じること自体がバカげているのだ。それは科学的に無意味であり、差別でもあるのだから。
(2018年5月20日)

吉田嘉明(DHC会長)とは、かような人物である ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第131弾

私は、吉田嘉明(DHC会長)とは、ヘイトとデマ(ないしフェイク)を専らとするレイシストであると言い続けてきた。だから、人権や民主主義を大切にする志のある賢い消費者はけっしてDHCの製品を買ってはいけない、とも言ってきた。迂闊にもあなたがDHCの製品を購入すると、それによるDHCや吉田の販売利益の集積が差別言論の原資となってこの社会を汚染することになるのだ。

このような主張には、吉田嘉明(DHC会長)とはいかなる人物かの説明が必要である。そして、その説明には通常人が納得しうる根拠たる事実の摘示をしなければならない。この摘示事実に関する資料を収集するには、それなりの労力を要する。言わば、端的にいえば、吉田嘉明がレイシストであることの論証のための証拠収集の苦労である。

ところが、吉田嘉明自らが、自分をこんな人物であると明らかにする手記があることを教えられた。まことにありがたい。吉田が自分で自分をさらけ出しているのだから、これを多くの人に知ってもらえばよいことになる。

タイトルは 「『ニュース女子』騒動、BPOは正気か」
URLは   https://ironna.jp/article/9559

これを一読戴いて、「こんな手記を書く人物が経営する企業の製品を買う気になりますか」「こんな企業を太らせてよいと思いますか」と良識ある人に訴えたいのだ。この手記を掲載してくれた、産経新聞のiRONNAに感謝したい。

なぜ、私がDHC・吉田嘉明のレイシストぶりを社会に明らかにしようとしているか。
私は、当ブログで吉田嘉明という人物を批判して、DHCと吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟をしかけられた。吉田は、自分に対する批判の言論の萎縮を狙って、私に対して2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したのだ。

この吉田嘉明なる人物は、渡辺喜美という政治家に8億円もの裏金を提供したことを自ら週刊誌に公表した。当然に、多くの論者から、「カネで政治を動かそうとする薄汚い行為」「行政(厚労・消費者等)から規制を受ける立場にある企業が行政規制を嫌って政治を動かそうとしている」と批判を浴びた。私も、当ブログで3度厳しく批判した。吉田は、この批判に耳を傾けて反省するのではなく、少なくとも10件のスラップの提起で、批判の言論を押さえ込もうと躍起になった。自分で火を付けておいて、これを消そうと動き回ったのだ。

私に対する2000万円のスラップ訴訟もそのひとつ。私が、吉田嘉明のスラップ訴訟を許さないとして当ブログで反撃を開始すると、2000万円の請求額は6000万円に跳ね上がった。自らの行動で、スラップを証明したのだ。

DHC・吉田嘉明の私に対するスラップ訴訟は最高裁まで持ち込まれて私の勝訴が確定し、いまは反撃訴訟が係属中である。スラップの提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に対する660万円の損害賠償請求をしている。

DHC・吉田嘉明の私に対するスラップの提起は、言論の自由の抑圧である。抑圧対象となった私の言論は、典型的な政治的言論であり、消費者利益を擁護する立場のものである。カネの力で政治を動かそうとした吉田嘉明は、カネの力で自分への批判の言論を抑圧しようと行動したのだ。それだけではなく、「ニュース女子」問題で明らかになったとおり、吉田嘉明は札付きのレイシストであって、DHC・吉田嘉明を儲けさせることは、差別主義正当化宣伝の原資を太らせることにもなるのだ。

だから、言論の自由を擁護するためだけでなく、国民の知る権利の擁護のためにも、民族差別をなくすためにも、DHC製品不買の運動で、DHC・吉田嘉明を許さないという世論形成が必要なのだ。

iRONNA掲載の下記手記において、吉田嘉明自身が、自分とは何者であるかを余すところなく語っている。彼自身の無力な否認にもかかわらず、紛れもないレイシストであることを。のみならず、右翼礼賛で、「反日」「反安倍」を徹底して批判する立場であり、すべてが在日の陰謀だという妄想家であることも。自分が極端に右側に位置しているがゆえに、世の中のすべてを左側に見ている。およそ没論理の文章の中に、民族差別の異様な感情だけが鮮明となっている。そして、従業員の定期購読新聞にまで介入できると思い込んでいる、知性と常識を欠いたおそるべき独善性…。

しかし、世の中は広い。良識派ばかりとは限らない。いまだに、アベ内閣を支持する3割が社会にあるご時世。中には「『反韓国・反朝鮮』『反在日』『反朝日』『親安倍』『親右翼』だから、DHC・吉田嘉明を支持する」という者もあろう。そういう輩には、白井聡の次の言葉を贈ろう。

「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷に過ぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。」

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「ニュース女子」騒動、BPOは正気か  吉田嘉明手記

今、問題になっている放送倫理・番組向上機構(BPO)についてですが、まずこの倫理という言葉を辞書で調べてみると「善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの」(「大辞泉」)ということになっています。そもそも委員のほとんどが反日、左翼という極端に偏った組織に「善悪・正邪」の判断などできるのでしょうか。

 沖縄問題に関わっている在日コリアンを中心にした活動家に、彼らが肩入れするのは恐らく同胞愛に起因しているものと思われます。私どもは同じように、わが同胞、沖縄県民の惨状を見て、止むに止まれぬ気持ちから放映に踏み切ったのです。これこそが善意ある正義の行動ではないでしょうか。

 先日、情報バラエティー番組『ニュース女子』の問題に関して、朝日新聞が「放送の打ち切り決定」というニュースを大々的に流したようですが、『ニュース女子』の放映は今も打ち切ってはいません。これからも全国17社の地上波放送局で放映は続行します。

 ただ、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)では流さないというだけのことです。DHCの方から、MXテレビとの取引はお断りしました。「番組内容を全面的に変えたい」「『ニュース女子』というタイトルを全く違うものに変更したい」との申し出があり、それにはきっぱりとお断りしたというのが内情です。

 朝日新聞の報道を知って「もう『ニュース女子』は永久に見られないのか」とがっかりされたファンの方も大勢いらっしゃったようです。今回の騒動をきっかけに、朝日新聞の購読中止と広告掲載の禁止を全社員に通告しました。

 BPOは、NHKと地上波の民放テレビ局(民放連)から選任された委員で構成されていますが、普段NHKや地上波の民放テレビを見ていて何かを感じませんか。昔とは明らかに違って、どの局も左傾化、朝鮮化しています

 TBS系『サンデーモーニング』が最も分かりやすいと思いますが、出演するコメンテーターの発言や放送内容はいずれも反日、反安倍を貫いており、徹底した左寄りの番組です。他の放送局もここまで見え見えの極端さはないにしても、内容的にはどれも五十歩百歩に過ぎません。NHKはさすがに国民の税金で支えられているだけあって、見え透いたやり方は避け、巧みにカモフラージュしていますが、やはり左傾化は隠しようがありません

 今、多くの番組で東大や早稲田大出身の教授、在日帰化人のジャーナリストや文化人、一見性別不明の左翼芸能人らが特に珍重されているようです私が在日帰化人の問題に触れると、すぐに「へイトだ」「差別発言だ」と言われますが、私は決して差別主義者でもレイシストでもありません。

 事実、DHCには国内だけでも約3千人の従業員がいますが、その中には少なくとも100人以上の帰化人が在籍しているものと思われます。7人いる役員のうち2人は帰化人です。社員も役員もまったく差別はしていません。みんな日本が大好きで、楽しく懸命に働いています。

 今、私が最も危倶しているのは、日本の主要分野にあまりにも増えすぎた「反日思想を持つ在日帰化人」のことです。日本人になりきって、日本のためにこれからも頑張ろうという人たちを差別しては絶対にいけません。反日だからダメなのです。日本という国にお世話になっていながら、日本の悪口は言う、日本を貶めることだけに生き甲斐を感じているような在日帰化人は逆に許せません。

 政界、官界、法曹界、マスコミ、実業界、スポーツ界、芸能界には驚くほど多数の在日帰化人がいます。ただ、芸能人やスポーツ選手に反日思想を持った人はほとんどいませんので何の問題もありません。むしろ人を楽しませる芸能性は純粋な日本人より優れていますので適材適所と言えましょう。

 実業界で大企業の創業者の大半は在日帰化人です。私のように純粋な大和民族はその点では珍しい存在かもしれません。この類の実業家は、反日ではありませんが、やはり民族的な性格からか、その貪欲さは半端ではありません。昔からの人情味あふれた小売店が全国から消えていったのは、率直に言ってこの人たちのせいだと思っています。

 政界、法曹界は特に在日帰化人が多いことで知られています。日本の全弁護士が所属している日弁連という団体がありますが、みなさんぜひ一度調べてみてください。本稿ではあえて触れませんが、驚くべきことが分かります。

 さて、表面的には政界の在日帰化人が最も目立ちますが、彼らはいやしくも国権の最高責任者であり、選挙によって選ばれた国民の代表者ですから、誰も文句を言う資格はないのです。何と言おうと国民が選んだわけですから。そもそも在日帰化人に、国会議員になれる資格を与えていいのかという問題もありますが、現行法で許されている限り、甘んじて受け入れざるを得ません。

 それにしても、昔の民主党(今の立憲民主党、民進党、希望の党)のような政党に再び政権を取られることがあったら、この美しい国、日本は完全に終わりを告げるでしょう。とはいえ、国会議員はどんな人柄であろうと、どんな出自であろうと、何万人という有権者から選ばれた人たちですので、好き嫌いはあっても尊敬の対象にせざるを得ません。

 それとは異なり、筆記試験に受かっただけの裁判官や弁護士はどうでしょうか。原発再稼働の問題等、国の将来を左右する大きな問題を一裁判官の裁量で決めることができる。しかも、その決定に国民は黙って従う。ここに誰も疑問を感じないのでしょうか。国益にかかわる問題は本来、国民の代表である国会議員が決めることではないでしょうか。

 裁判官は仕事をしている過程で多少なりとも人格形成がなされていくのでしょうが、弁護士に至っては、もともと世間知らずだった人が世俗にまみれ、どんどん劣化していると思うことがあります。官僚もそうですが、試験に受かるために勉強ばかりしてきたということは、その分若いときに人間として最も大切な他人を思いやる気持ちが欠落していたり、交友関係を通しての人間形成が醸成されていない人もいるのではないでしょうか。合格と同時に出来損ないの一丁上がりということです。

   ただ、官僚にも在日帰化人は大勢いても、反日思想を持った人は少ないようです。彼らのほとんどが東大法学部出身ですが、最近の劣化ぶりは話題になった文部科学省の前川喜平前次官や、厚生労働省東京労働局の勝田智明前局長らの上から目線の態度を見てもよく分かります。

 公僕というには程遠いと言わざるを得ません。「東大法学部を出ているから一番偉い」と勘違いしているのでしょうね。私は以前から東大と官僚が日本をダメにしていると言い続けていますが、もういい加減分かってもらいたいと思います。

 東大出になぜ在日コリアンが多いのかというのには理由があります。韓国の受験戦争は半端ではなく、仮に最高学府を卒業できても、上流階級出身かコネクションがない限り、一流企業には就職できません。これはよく知られた事実です。その点、日本では勉強して東大に合格さえすれば、どんな一流企業でも就職は思いのままです。

 もし司法試験に受かれば、長官にも次官にもなれます。だから、親は子供のために日本に帰化し、子供を東大に入れるために猛勉強をさせるのです。

 では、もし東大に落ちたら彼らはどうするか。ほとんどが早大へ行きます。その中から日本を忌避する学生は、やがて学生運動にはまり、左翼活動家へと変貌していくのです。学生運動家は卒業時、左翼系マスコミしか拾ってくれませんので、こうやってマスコミと在日コリアンは切っても切れない縁になっていくというわけです。

さて、放送法第四条についてですが、これは当然、即刻撤廃すべきです。BPOが第四条に準拠して『ニュース女子』を断罪したというのなら、TBSやテレ朝はもっと昔から何百回も断罪されるべきでしょう。彼らは、政治的には全く公平ではないし、報道は事実を曲げまくっている。これだけでも第四条に抵触しているではありませんか。こんな第四条は何の役にも立たないばかりか、日本に害をもたらすだけです。

「第四条を撤廃したら、テレビが政治的に中立を保てないのではないか」と主張する人がいるようですが、バカも休み休み言えと言いたい。今、どのテレビ局が政治的に中立を保っているというのか。安倍さんも「働くな改革」とか「仕事放り出せフライデー」みたいな奇妙な法案を時々考え出しますが、この放送法第四条撤廃はよくぞ思いついたと思います。これにはもろ手を挙げて大賛成です。

 事実、日本には保守派寄りのテレビ局どころか中立のテレビ局さえ皆無です。NHKでさえ中立ではありません。こんないびつな状態は先進国として異常だと言わざるを得ません。

  それでも、明るい話題だってあります。最近ネットでは、多くの若い人たちが「今のテレビ報道はおかしい」「嘘が多すぎる」と思い始めているようです。特に「ミレニアル世代(2000年代初頭に成年期を迎えた世代)」と呼ばれる人たちは、進んで人助けをし、苦しいことを自ら背負ってやろうという気概を持った、今までに見たことのない稀有な世代です。

 彼らは明治以降、初めて登場する輝かしい新人類です。私は彼らに日本の将来を託し期待しようと思っています。彼らが40代、50代になったら、世界に類のない素晴らしい日本人として成長しているはずです。もちろん、その頃には今の地上波テレビ局の大半は、この世に存在していないでしょう。

 最後に、なぜ私が在日帰化人に危惧しているのか、という話をします。日本人は姿形だけ見ると中国人や韓国人に似ているので、日本人のルーツは朝鮮半島を渡ってきた渡来人だと思われがちです。

 ところが最近、遺伝子の研究により、日本人は彼らとは全く関係のない民族だということが分かってきました。縄文人の遺伝子を解析したら、他のアジア人とはまるで違う人種であったというのです。日本人の祖先は、約2万年前にシベリアから、陸続きだった北海道を経由し、日本列島に広まっていったのです。

  多少は南方や朝鮮半島から来た移民もいたようですが、その数は取るに足らないほどで、圧倒的多数がシベリアから南下してきたようです。アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だったというのです顔は似ていても、どうして中国人や韓国人とはこうも違うのだろうと思っていたことが、ここへきてやっと氷解しました。

 見えない絶対的な力を仮に「神様」と称すれば、神様の考えていることはただーつ「種族維持本能を生きとし生けるものに与える」ということだと思います。これは犬に例えるなら、コリー犬はコリー犬だし、ブルドックはずっとブルドックです。何百年たっても見分けがつかないような犬にはなりません。

 我々は全くの異人種である韓国人と仲良くすることはあっても、そして多少は移民として受け入れることはあっても、決して大量にこの国に入れてはいけないのです。ましてや、政権やメディアを彼らに牛耳られることは絶対に避けなければなりません。

(2018年5月18日)

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