澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「法と民主主義」2019年10月号【542号】のご購読を

「法と民主主義」2019年10月号【542号】が発売中である。
その概要は、下記URLをご参照いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

特集は、以下の2本立て。ぜひとも、ご購読をお願いしたい。
Ⅰ●共生をめざして ── 民族差別を許さない
Ⅱ●国旗国歌強制の是正を求める「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか

お申し込みは、下記URLから。

https://www.jdla.jp/houmin/form.html

「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も、上記のURLから可能です(1冊1000円)。なお、今月号の編集は、澤藤の担当です。**************************************************************************

 特集Ⅰ●共生をめざして ── 民族差別を許さない

◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆いま、在日コリアンの人権状況は … 金 竜介
◆高校無償化の朝鮮高校除外 最高裁判決と今後の課題 … 丹羽 徹
◆「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の今日的意義と追悼の辞送付を拒否する小池都知事に見る問題 … 宮川泰彦
◆川崎の差別禁止条例案 ─ その立法事実と条例制定の経過 … 宋 惠 燕

 

特集Ⅱ●国旗国歌強制の是正を求める
「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか

◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」の意義とCEARTの役割 … 勝野正章
◆初めての「国旗・国歌強制」是正 セアート勧告の内容と意義 … 寺中 誠
◆国際人権法をいかに活用するか─ CEART勧告とNGOの課題 … 前田 朗
◆ILO・ユネスコからの勧告をどう活かしていくか … 渡辺厚子

特集外

◆特別寄稿●関西電力スキャンダルの闇
── 原発マネーの実態が露見 ── … 岡田俊明
◆司法をめぐる動き(51)
・東電刑事裁判無罪判決 ── 司法が原子力行政を忖度して東電役員を救済した … 海渡雄一
・9月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2019●《文明が問われている》
災害、NHK、N国… メディアも共犯 積年のツケが明るみに … 丸山重威
◆あなたとランチを〈No.49〉
止まるな憲法9条号 … ランチメイト・宮坂浩先生×佐藤むつみ
◆BOOK REVIEW●市民の奮起が情報環境の「現在史」をのり超える
── 田島泰彦 著『表現の自由とメディアの現在史』(日本評論社) … 服部孝章
◆改憲動向レポート〈No.18〉
「私の考え方の基本は9 条改正にある」と発言する安倍首相 … 飯島滋明
◆インフォメーション
◆ひろば●私、こんな本を読んでいます … 宮腰直子
◆時評●天皇の代替わり儀式とオクトーバー・フェスト … 小沢隆一

**********************************************************************

◆特集Ⅰのリード

人権尊重を理念とする社会に差別があってはならないことは当然だが、民族差別や人種差別は、平和と国際協調の主要な障害物でもある。戦前の軍国主義日本では、侵略戦争と植民地支配の道具として、故なき民族蔑視や排外的差別感情が作られ、煽られた。
戦後、時を経た今なお、その作られた民族差別感情は払拭され得ていない。国民の精神の奥底に澱のように沈殿して、折りあらば浮揚する。平和や国際協調に敵対する勢力の煽動によって、民族差別はときに大合唱となる。
この民族差別意識は、敗戦と日本国憲法の制定によって清算すべきであった負の遺産にほかならない。駆逐されるべくしてされなかった差別意識が、むしろ近年再生産されている側面さえ否定し得ない。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライム、ヘイトデモという言葉と現実が横溢する昨今の国内社会は、北朝鮮・韓国との国際関係の冷え込みの反映でもある。平和と国際協調のためにも、国内の民族差別問題の克服は喫緊の重要課題である。
当誌は、今年の4月号に「日韓関係をめぐる諸問題を検証する」という特集を組んだ。昨年10月の韓国大法院徴用工判決以来の日韓関係の現状を歴史的背景に遡って考察する大型企画となったが、そのリードに「日韓関係が過去最悪」とのコメントがなされている。ところが、その後半年間の日韓関係の事態の推移は、さらに急速に悪化し深刻化している。とりわけ、政府とメディアに煽られた日本社会の「嫌韓」の空気は、人権問題としても、政治問題としても到底看過し得ない。
今、国内でどのような民族差別問題が生じているかを正確に認識するとともに、この事態に警鐘を鳴らしたい。その思いから、本号では、在日差別に焦点をおいた緊急の特集を組むこととした。
当然のことながら、官民の在日差別の深刻化があれば、この空気に抗って差別を許さないとする運動の昂揚もある。その運動の成果もあれば、この時代故の困難もある。その運動に携わっている方々に、当誌ならではの貴重な寄稿をいただいた。

総論的に金竜介氏(在日コリアン弁護士協会・代表)から、「いま、在日コリアンの人権状況は」をいただいた。氏は、差別される側の視点で、「差別を許容する社会」が既に現実化していると指摘する。陰湿な差別を看過している間に、あからさまな排外主義が大手を振ってまかりとおる時代となってしまった。永住外国人への参政権の付与が遠のき、在日外国人の無権利状態が固定化され、ヘイトスピーチが跋扈している。しかし、問題はヘイトスピーチにとどまるものではないという。問題の深刻さを認識し共有するところから、「共生をめざす」議論を始めねばならない。この論稿で、民族差別の全体状況や主要な問題点を把握いただきたい。
丹羽徹・龍谷大学法学部教授には、象徴的な「在日差別」として、民族教育を行う朝鮮高校への無償化措置からの除外問題を寄稿いただいた。高校無償化において、朝鮮高校だけを除外 した露骨な差別の実態と、この除外を違法とする全国五件の訴訟の経過を丁寧に解説いただいている。残念ながら、司法はその役割を放棄したとしかいえない。問題は、保育無償化にも及んでおり、多文化共生の理念は深刻な壁に突き当たっている。
宮川泰彦弁護士(日朝協会会長)には、日朝・日韓の歴史における負の遺産として見逃すことのできない関東大震災後の日本人による朝鮮人(中国人を含む)虐殺事件と、その犠牲者追悼碑建立と追悼式の由来をご紹介いただいている。小池百合子東京都知事の、これまでの歴代知事とは明らかに異なる追悼式への対応の問題点を、当事者として執筆いただいた。
最後に、宋惠燕弁護士(武蔵小杉合同法律事務所)から、「川崎の差別禁止条例案ーその立法事実と条例制定の経過」の論稿。最も典型的な川崎市におけるヘイトの実態や、それを克服するための差別禁止条例案発表までの道のり。そして、全国初の実効性ある罰則をともなう条例の意義や、その過程での議論は、困難な中の優れた実践例として参考になろうと思われる。

今、私たちの国では恥ずべき民族差別が横行している。本特集を通じて、この民族差別を克服して、共生の社会を作ることが、人権と平和と国際協調の第一歩であることを確認したい。(「法と民主主義」編集委員会 澤藤統一郎)

◆特集Ⅱのリード

 本小特集は、ILO・ユネスコの日本政府に対する「国旗国歌強制の是正を求める勧告」を取りあげる。
周知のとおり、公立学校での国旗・国歌(日の丸・君が代)強制が、看過し得ない大きな問題となっている。とりわけ、東京都教育委員会の強硬姿勢が突出している。悪名高い「10・23通達」(2003年10月)発出以来、都内の全公立学校では入学式・卒業式に全教職員に対して国旗に正対して起立し、国歌を斉唱するよう職務命令が発せられ、これに服しない教員に対して苛酷な懲戒処分が濫発されてきた。
この問題は、憲法訴訟として、また教育訴訟として、長く法廷で争われ、「10・23通達」16年を経た今、教員側は起立・斉唱の強制や懲戒処分を違憲とする判決を得るに至っていない。しかし、処分歴の累積を理由に戒告を超えた減給以上の処分量定は懲戒権の逸脱濫用として違法とされている。訴訟の現段階は、都教委側にも当初の思惑がはずれた事態となっている。
法廷での争訟がやや閉塞感を漂わせている状況の中で、国際人権の分野から、朗報が届けられた。それが、このほどILO・ユネスコ合同委員会(セアート)における検討を経て、両機構が日本の政府に対して発出するに至った、「国旗国歌強制の是正を求める」勧告である。
本特集では、多くの法律家にその経過と内容を報告して意義を知っていただくとともに、かならずしも勧告を積極的に受けとめようとはしない文科省や各地の教育委員会にアピールする運動に役立てたいと思う。

国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいる。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきた。また、ユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開している。その両機関の活動領域の交わるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、各国の教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当している。この合同委員会が「セアート(CEART)」である。
各国の教職員組合が、それぞれに抱える問題をセアートに訴え、国連から各国にしかるべき勧告がなされるよう働きかけている。そのような試みのひとつとして、我が国のいくつかの教職員労組が、「日の丸・君が代」強制問題を取りあげるようセアートに申し立てた。この春、これが正式に取りあげられ、ILOとユネスコ両機関での正式決議が成立し、日本政府に対する勧告となった。その意義は大きい。

申し立てを行って、勧告を得たのは、東京と大阪にある二つの独立系教職員組合。「アイム’89東京教育労働者組合」と「合同労組仲間ユニオン」の教職員支部である。この申立をセアートは受理し調査を実施した。日本政府へ問い合わせもおこない、アイム’89と日本政府の双方にそれぞれ意見と反論を述べる機会を与えたうえで、2018年10月、ILOとユネスコに対する報告・勧告を採択した。この勧告に基づいて、2019年3月ILO理事会が4月にはユネスコ執行委員会が、正式に採択して公表し、小さな組合の大きな成果となった。

ILOとユネスコの日本政府に対する勧告は、以下の6点である。明らかに、「国旗・国歌(日の丸・君が代)」強制を是正するよう求めるものとなっている。
(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること。

このILO・ユネスコ勧告は、「日の丸・君が代」強制の入学式・卒業式を「愛国的な式典」と呼んでいる。最も注目すべき上記(a)は「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員」の立場を慮るものであり、(b)では「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」よう手段を尽くせと言う。つまり、「入学式・卒業式での国歌斉唱時における強制はやめよ。平穏な不起立に対する懲戒処分は避けよ」と言っているのだ。これが、勧告の眼目である。

この問題をめぐって、本特集では4本の論稿をお送りする。
まず、勝野正章氏(東京大学「教員の地位に関するILO勧告の歴史」が、今回勧告の基本となつている1966年勧告を中心に、何が教育労働者処遇のグローバルスタンダードになっているかを解説している。また、「セアート」とは何か、その勧告がいかなる意味をもつものかを総論としてお読みいただきたい。
寺中誠氏(東京経済大学)の「ILOユネスコ勧告の内容とその意義」は、勧告の内容とその積極的意義について論じていただいた。
また、前田朗氏(東京造形大学)には、「国際人権法の射程と活用について」と題して、予想される政府と各教委の対応と、国内法の法源としての実践的活用の展望についての解説をいただいた。
渡辺厚子氏(アイム89労組「ILOユネスコ勧告の活用の展望」は、当事者としての勧告にいたるこれまでの経過と、今回の勧告を生かす今後の運動の展望を中心にご報告をいただいた。

日本政府ならびに各地教委は、国旗国歌の強制、しかも懲戒処分までしてする「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、世界標準からみて非常識なものであることを真摯に受け止めなければならない。本特集が、そのような事態転回の契機となることを願っている。
(「法と民主主義」編集委員会 担当澤藤統一郎)
(2019年10月31日)

明日10月4日、「DHCスラップ反撃訴訟」判決。

ときに、新聞記者から電話をもらうことがある。取材だったり、コメントを求められたり。あるいは、記者の理解でよいのか確認のための説明を求められることも。

 8月20日ころのある日、電話を取ったら韓国の記者からの取材だった。これは初めての経験。私の数少ない韓国の知人の名をあげて、その人の伝手とのことだった。必ずしも流暢とは言いがたいが、しっかりした日本語で、「JTBCの記者の通訳」を名乗り、記者の名前も通訳の自己紹介も聞いたが名前は難しくて聞き取れない。かなりの時間を割いて、DHC・吉田嘉明との裁判の経過を詳しく語った。もちろん、吉田嘉明のヘイト体質についても、DHCテレビ問題についても、的確な質問があり、自論を述べた。その電話取材がどのように放送に生かされたかは、まったく分からない。

その後間もなく、韓国のある国会議員秘書氏からの電話をもらった。今度は、JTBCの放送で私(澤藤)と吉田嘉明の関係を知ったとのこと。なかなかに達者な日本語だった。韓国の与党である「共に民主党」が、「嫌韓ヘイト発言問題で、国会に、吉田嘉明を召喚して証言を求めたいと思っているが、吉田の呼出先をどう特定すべきかのアドバイスを得たい。また、彼は呼び出せば召喚に応じる人物であろうか」という趣旨の問合せ。

韓国ヘイトのDHC・吉田嘉明が、したたかに韓国でも商売をしていることは、この夏までまったく知らなかった。DHCテレビが、インターネット番組で韓国を中傷する発言をし、韓国のドラッグストア業界がDHC商品の販売中止を始めるなど不買運動が広がった。

DHCは、徴用工を酷使した企業ではない。朝鮮侵略とも無縁な新興企業。日本を代表するほどの企業ではない。それが、敢えて嫌韓ヘイト発言をすることによって、韓国民衆による不買運動の標的とされた。「#さよならDHC」のハッシュタグが大規模に拡散されているという。

DHCコリアは、自分たちは東京の本社とは立場が違うと弁明に努めたが苦境に立たされた。一昨日(10月1日)の報道では、DHCのイメージキャラクターだった女優チョン・ユミが、DHCコリアとの契約を解除した。聯合ニュース配信記事が簡潔に事態を伝えている。

【ソウル聯合ニュース】日本の化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の韓国内イメージキャラクターを務めた女優のチョン・ユミが、同社の韓国法人、DHCコリアとの契約を終了した。期間満了前の契約終了で、残る契約期間の契約料は返還した。
  所属事務所は1日、DHCコリアが事務所側の立場を理解し、解約の要請に対し円満に合意したと発表した。
 8月に放送されたDHC子会社「DHCテレビ」が制作するネット番組の出演者による嫌韓発言が韓国で問題視されたことを受け、所属事務所はDHCに対し、チョン・ユミの肖像権使用撤回とイメージキャラクターとしての活動中止を要請した。

同日の中央日報日本語版の記事では、

チョン・ユミは、「再契約も絶対に無いだろう」と宣言した。さらに、契約終了前のモデル料を返してまでDHCとの縁をバッサリと切った。韓国芸能人がこのような決定を下したのはまれな事。チョン・ユミはDHC側の常識外れの態度に対して積極的に対応したわけだ。チョン・ユミが返す6カ月分のモデル料は数千万ウォンに達するものと見られる。

 ヘイトの代償は高い。DHCの場合、韓国だけではない。日本国内でも、じわりと影響が出てきている様子なのだ。

パルシステム生活協同組合連合会という大組織がある。首都圏を中心とした消費生活協同組合の連合体。加盟総数は約152万世帯、年額総事業高2,117.8億円。食を中心とした商品の供給事業を主としている。

「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民」のツイッターには、次のような「朗報」が連ねられている。

パルシステムに電話で問い合わせたところ、商品企画部署から回答があり、「DHCについては事前の調査が不十分だったため、こういう企業とは知らずに商品を企画してしまった(知っていれば企画しなかった)。今後はDHCの商品は取り扱わないし、事前の調査を十分行うようにする」とのことでした。

パルシステムの商品企画部によると「9月の3回以降、DHC商品は扱わない」「事前の調査が不十分だった。今後は、事前の調査を十分行うようにする」とのことです。問い合わせをした組合員のみなさま、本当にお疲れ様でした。#さよならDHC

DHC の商品は生協の理念に合わないのでは? と9月1回のカタログを見てすぐに問い合わせたところ、書面で回答を得ました。直ちに仕入れ企画の修正を決定したパルシステムの対応はナイスだったと思います。市民の運動ってこのように小さい事からですね。

パルシステムを信じて長年使ってきたから本当に良かった。パルは、食べ物だけじゃなく政治や社会問題の勉強会を組合員主催で開催したり、利用者の意識も高いのできっと沢山声が届いたんだと思います。これからも沢山パルシステムでお買い物します

パルシステムすばらしい!声をあげる意味大きいね!

Dema Hate Company、また販路を失いました。パルシステムさん、ありがとう。

こういう「うっかりミス」が起きないように、ヘイト企業一覧が必要だと思う。

パルシステムに本件に対する意見を送った者です。本日パルシステム東京のご担当者様より、お詫びの言葉と併せて今後のDHCブランドの企画については見送る旨ご連絡をいただきました!同様の意見が多数届いていたようです。ご報告まで。

日韓それぞれの社会環境変化の中で、明日10月4日(金)13時15分に、DHCスラップ「反撃訴訟」判決が言い渡される。法廷は、東京地方裁判所4階の415号法廷。

(2019年10月3日)

ご存知ですか。フジ住宅というヘイト企業があることを。

上には上があるというベきか。あるいは、下にはさらに下があると驚くべきか。オーナーの身勝手なヘイト志向の信念を従業員に押し付けるブラック企業としてはDHCが極め付けと思っていた。が、世の中は広い。DHCに勝るとも劣らぬ企業が関西にあることを知った。これまで知らなかったその社名が、フジ住宅。大阪府岸和田市に本社を置く東証1部上場の不動産大手。従業員数は1000人に近く、関連会社を含めると1200名規模だという。

DHCは、デマとヘイトとスラップの3拍子で知られる。フジ住宅は、従業員へのヘイト文書大量配布と、育鵬社教科書の採択運動に社員を動員してきたことで有名になった。どちらのオーナーも、独善と押し付け、嫌韓・反中の信念の強固なことにおいて、兄たりがたく弟たりがたい。

フジ住宅が一躍全国区で有名になったのは、この夏のこと。大阪弁護士が、この会社の女性従業員からの人権救済申立を容れて、異例の人権救済勧告を出し、本年(2019年)7月16日にこのことを公表してからのこと。

同月11日付の勧告の主文は、以下のとおりである。
勧告の趣旨
1 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、大韓民国等本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布しないこと
2 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、中学校の歴史及び公民教科書の採択に際し、特定の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を被申立人にするよう求めないこと

つまり、フジ住宅は、弁護士会から「人権侵害に当たるからおやめなさい」と注意を受けるほどに、「社員に対して、韓国など本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布」していたし、「社員に、歴史・公民教科書の採択に際し、歴史修正主義派の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を会社にするよう求め」ていたということなのだ。

この会社のヘイトぶりに我慢ができなくなった在日三世の女性従業員は、弁護士会に対する人権救済申し立てだけでなく、大阪地裁堺支部に名誉毀損の損害賠償請求の提訴もしている。ネットで、両者の主張を読むことができる。

通常この種の事件で裁判所に提出される主張は、法律家のスクリーニングを経て、それなりの抑制が利いたものとなる。ところが、この会社の準備書面は、弁護士が作成したとは思えないほどにストレートな会社の言い分そのままなのだ。そのストレートな会社側の主張が興味津々である。たとえば、これが準備書面の文章である。

「被告会社会長である被告今井の信念として、戦後の日本人が自らの国に誇りを持てないことが社会に大きなひずみを生みだしているところ、それは東京裁判に象徴される第二次世界大戦戦勝国の措置によって日本人に植え付けられたいわゆる「自虐史観」が主な原因であるから、自らの国に誇りを持つためには「自虐史観」を払拭する必要がある。この観点から、戦後日本において多くの国民の自己肯定感情の障害となってきたと考える「自虐史観」の払拭に役立つと思われる文書を配布している。

この会社のホームページには、こうある。

「弊社が当裁判に負けることは、原告を除くほぼ全ての、外国籍の方を含む社員全体が支持してくれている弊社の仕事の進め方、それを通じて広く社員が見識を高めてくれることを期待する社員育成の方法が採れなくなることを意味しており、弊社としましては、この点で、妥協できる余地は一切なく、弊社の存立に深く関わるこの経営のあり方を続けたいと思っております。
また、当方を応援して下さる方の中には、当裁判の帰趨が非常に重要な歴史的意味を持っており、日本国民として絶対に負けられない裁判であると言ってくださる方も多くおられます。弊社と致しましても、万が一当裁判に負けるような事があれば、日本人全体の人権や、言論の自由が大きく毀損される事になるとの危機感を共有しており、当社経営理念「社員のため、社員の家族のため、顧客・取引先のため、株主のため、地域社会のため、ひいては国家のために当社を経営する」をしっかりと守り、「ひいては国家の為に当社を経営する。」と述べている事に、嘘、偽りの無い姿勢を貫きたいと思っています。

この会社には、従業員を主体性ある独立した人格と見る視点がない。労使の関係が、対等な法主体間の労働契約であることの基礎的な理解を欠いている。この会社も、この弁護士たちも、近代的労使関係の何たるかをまったく分かっていないとしか評しようがない。「社風」とか、「社員育成」によって、社員の人格や思想・良心を蹂躙することができて当然と思い込んでいるのだ。従来、企業側弁護士はこのような会社をたしなめ、説得し、教育してきたはずだが、ただただこの会社の愚かな主張に追随しているようにしか見えない。

この大阪弁護士会の異例の勧告を、朝日(関西版)は、こう伝えた。

東証1部上場の住宅販売会社で、韓国人などを侮辱する表現を記した文書が繰り返し配布されていたとして、大阪弁護士会は(7月)16日、人権侵害に当たるため配布をやめるよう勧告したと発表した。同社では、中学校の教科書に育鵬社版が採択されるよう社員の動員もしていたといい、思想・良心の自由を侵害する可能性も指摘した。

毎日はこうだ。

今月11日付の勧告書によると、同社は2013年、「息を吐くようにうそをつく」など、韓国や北朝鮮、中国を差別する表現がある雑誌記事などを少なくとも8回にわたって全従業員に配布した。さらに15年、「新しい歴史教科書をつくる会」の元幹部らが編集に関わった育鵬社の「歴史」と「公民」が公立中学校の教科書に採択されるよう従業員に各自治体の住民アンケートなどへの回答を推奨。同社の会長に結果を報告するよう求め多くの従業員が応じていたという。

どうも、メディアの伝え方が、いまいち十分ではないという印象を否めないが、それはとかく、これからはこう決意し、こう訴えよう。
DHCの製品は買わない
アパホテルには泊まらない
フジ住宅で家は建てない
播磨屋のせんべいは食べない。

**************************************************************************
以下に、大阪弁護士会「勧告」の判断部分を要約してご紹介する。極めて常識的なものだが、この会社の耳にははいらないようだ。
https://moonkh.wixsite.com/hateharassment/blank-7

2 当会の判断
(1)別紙一覧表1記載の文書の配布について
何人も平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する権利は、憲法第13条に由来する人格権として強く保護され、かかる権利は、国籍・民族の知何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されるべきものである。
ただし、憲法は私人間の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないから、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになる。
ところで、一般に私人の表現行為は、個人の基本的な自由として憲法第21条第1項に基づき厚く保障されるべきものである。しかし、本邦以外の特定の民族または国籍の出身者を侮辱し、これらの者に対する差別的意識を醸成させる行為は、憲法第13条、第14条に照らし、社会的に許容される合理的範囲を超えて他人の法的利益を侵害していると認められるときは、人権侵害行為にあたり、民法第709条の不法行為(ないし契約関係が存する場合には、契約内容に応じ債務不履行)が成立すると評価できる。
これを本件についてみると、申立人(従業員)は、韓国国籍を有する在日韓国人3世として本邦に居住しているのであるから、平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する人格権を有しているというべきである。他方、被申立人(フジ住宅)には、会社の目的に必要とされている範囲で表現行為の自由が保障されているところ、被申立人が、自身に所属する全役職員に対し配布した別紙一覧表1記載の文書には、いずれも韓国又は韓国国民に対する批判的論評の域を超えた侮辱的表現が随所に見られる上、被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどしている。確かに、被申立人による上記文書配布は、申立人を被申立人の職場から排除することや申立人の人格権を侵害することを直接の目的とするものではなく、また、配布された文書を申立人が受領することが強制されていた事実は認められない。しかし、被申立人は、1000名を超える従業員を雇用する東証一部上場企業であり、いわば社会の公器として多様な価値観・歴史観を許容し、国籍や人種等による差別的意識を排する職場環境の構築が求められるところ、被申立人の創業者であり、被申立人の全役職員に対して極めて大きな影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどして上記文書を被申立人の全役職員に配布した行為は、いずれも被申立人の業務に必要とは言いがたく、被申立人の全役職員に対して上記文書を配布することを保障する必要性に乏しい。以上からすると、被申立人による別紙一覧表1記載の文章の配布が、被申立人の人格権を侵害したものといえると評価されたとしても、その評価が不当であるとは決していえない。

(2)別紙一覧表2記載の文書の配布について
憲法第19条が思想・良心の自由を保障しているのは、いかなる国家観、世界観、人生観を持とうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想、に基づいて不利益を課したり、あるいは特定の思想を抱くことを禁止することができないということである。そして、かかる自由が国籍・民族の如何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されること、憲法が私人相互の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないので、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになることは、前記(1)と同様である。これを本件についてみると、本邦の歴史、とりわけ明治維新以降の近現代史における歴史的事実については、個人の歴史観や思想・信条によって様々な評価があることは、公知の事実である。そのため、中学校における歴史及び公民の教科書は、各執筆者が近現代史における歴史的事実を各々評価し執筆しているので、異なる叙述がされている。したがって、教科書に対する評価は、個人の歴史観その他思想・信条と密接に結びついているといえる。しかるに、創業者であり被申立人役職員に強い影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、被申立人の全役職員に対し、別紙一覧表2記載の文書を配布するなどして特定の教科書を採択させるための運動に従事するよう強く推奨するとともに、かかる運動に従事したときは、その内容を上記代表取締役会長に報告することを求めている。そして、現にかかる推奨に応じて多くの役職員が上記報告に及んでいる。被申立人のこの一連の行為は、被申立人の業務に必要とはいい難く、しかも、被申立人は、これらの収集した報告をどのようにでも使える立場にあるので、例えば、上記採択運動に従事したか否かで、従業員の待遇に差を設けることもできる。以上からすると、かかる運動に従事することを被申立人の全役職員に強制するものではないことが、別紙一覧表2記載の文書の一部に明記されているとはいえ、被申立人が、その収集した思想・良心にかかる報告を自由に使える立場あることからして、かかる運動に従事したか否かによって、申立人を含めた従業員がその待遇等において差別的取扱いを受ける可能性が高い状況下にあるので、申立人を含めた従業員が自己の思想・良心を侵害されるおそれの高いことを否定することはできない。

3 結語
以上によれば、被申立人による各行為に対し、申立人の救済には今後の人権侵害の防止につき適当な措置を採ることを勧告することが相当であるから、勧告の趣旨記載のとおり、勧告する。

**************************************************************************
なお、会長の信念によって、全社員に配布されたヘイト文書の一部を抜き書きしておく。
多くは、「月刊WILL」「正論」「産経」「加瀬英明」「呉善花」「中山成彬」「櫻井よしこ」などの文章の転載である。

「韓国の国民性を痛烈にえぐっている。…嘘と無恥の国なのだ」
「では、なぜ韓国人は第三国でこれほど反日活動に走るのだろうか。それは韓国人の習性に由来している。韓国人同士がケンカする時は相手の言い分などに耳を貸さず、ひたすら自分の主張を大声で怒鳴り合う。さらに、周りの人々に訴えて自分の味方を増やそうとする。直接相手に堂々と挑むのではなく、第三者に訴えてねじ伏せようとするのが韓国流のケンカである。彼らは味方を増やすために『いかに自分の主張が正しいか』嘘八百を並べながら、身振り手振り、場合によっては号泣して周りに訴える
「『金王朝』を信奉する朝鮮学校出身者のせいか・・・息を吐くように嘘をつく反日サヨクの生き様そのもの」「自分たちの悪事を批判されるとすぐに『差別ニダ』!と大騒ぎする在日朝鮮族」
「韓国も中国も、日本人とは異なった国民性を持つ民族であると認識しなければなりません。私たちは親から『嘘をついてはいけません』と教育されます。しかし、中国や韓国は『騙される方が悪い』『嘘も100回言えば本当になる』と信じている国民です
「日本非難を共産党独裁の正当化につなげる無神論の中国と、日本たたきを民族プライドにつなげる情緒的な韓国からしか参拝糾弾が出てこない点注目すべきです」「『ワイロは国民性』日本とは逆に韓国・北朝鮮はワイロを当然とする民族性があります。ワイロを与えることによって見返りを得るという伝統です」「今の韓国も北朝鮮もワイロ無しでは社会が成り立たないほど、ワイロはまさしく国民性にまで、なっています」
「韓国人の思考の中に敵相手ならどんな非道をしても許されると勘違いしているところがありますよね、確かに野生動物がまさしくこれです。鳥類、ほ乳類、は虫類ではないが、恐に足りないものに対しての攻撃性は、見るに堪えがたいものがあります」
「韓国は未だ売春は犯罪という意識もなく普通に売春している」

中学校であれば『育鵬社』、高校で在れば『明成社』が良いということを・・
アンケート記入に行かれる方は、昨年同様、ボールペンで、記入し、フジ住宅の社章と拉致被害者救う会のバッジは外して行ってくださいネ・・・女性の方は私服で、行ってくださいネ。」「市長や教育長にお手紙を書かれたり、FAX、メールをされたり、また会いに行かれたり、あるいは教科書アンケートに行かれる場合は、勿論勤務時間中にしていただいて結構です。」「市長や教育長の方にお手紙やメール、FAXをされました方は、私(会長)・・(に)ご報告してくだされば、ありがたく思います。」「一般的に(各市)2~3名で十分かナアと思います。あまり多くの方がお手紙を出すとかえってマイナスになると思いますので。」

(2019年9月28日)

「差別を差別と非難し、デマをデマと断じることはメディアの役目。」

またまたの典型的なスラップ訴訟のご紹介。ヘイトスピーチへの批判の新聞記事が名誉毀損とされ、地方紙の記者が訴えられた事例。いま、ヘイトとヘイト規制が熱くせめぎ合っている川崎での事件である。

まずは、神奈川新聞社会面の今日(9月25日)の記事で概要を把握いただきたい。

「差別報じた記事、名誉毀損と提訴」「本紙記者争う姿勢」

 在日コリアンに関する講演会での自身の発言を悪質なデマなどと報道され、名誉を毀損されたとして、今春の川崎市議選に立候補した佐久間吾一氏が神奈川新聞社の石橋学記者に140万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が24日、横浜地裁川崎支部(飯塚宏裁判長)であった。石橋記者側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。

 訴えによると、佐久間氏は自身が代表を務める団体が同市内で主催した2月の講演会で、「旧日本鋼管の土地をコリア系が占領している」「共産革命の橋頭堡が築かれ今も闘いが続いている」と発言。この発言に対し、「悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗中傷」と石橋記者に報じられたことで、立候補予定者である佐久間氏の名誉が著しく毀損されたと主張している。

 口頭弁論で、石橋記者側は「佐久間氏の発言は事実に反している」と指摘。「そうした発言は在日コリアンを敵とみなし、在日コリアンを傷つける差別の扇動である」とした上で、「記事は、佐久間氏の言動が人権侵害に当たるとの意見ないし論評の域を出ていない」と反論した。

原告(佐久閒)は、排外主義を掲げる日本第一党の活動家。ヘイトの常連といってよい。石橋記者は事後報告集会で「記事を書けば訴えられ、面倒に巻き込まれると萎縮効果を狙っているのは間違いない。メディアこそが先頭に立って差別をなくすべきだとの記事を書き続けていく。ヘイトの状況がこうなる以前にメディアとしての役割を果たしていなかったという思いもある」と今後の裁判に決意を表したという。

報じられている限りでだが、名誉毀損とされた表現は、以下のとおり。
原告(佐久閒)の「旧日本鋼管の土地をコリア系が占領している」「共産革命の橋頭堡が築かれ今も闘いが続いている」との発言》に関しての、「悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗中傷」との記事。

この事件、原告(佐久閒)側に100%勝ち目はない。勝ち目がなくても、相手に相応の嫌がらせにはなる。その効果を狙っての提訴がスラップ訴訟というものだ。石橋記者が、「記事を書けば訴えられ、面倒に巻き込まれると萎縮効果を狙っているのは間違いない。」と言っているとおり。

名誉毀損訴訟では、名誉毀損表現を構成する「事実摘示〉評(ないし意見表明」とを厳密に分ける。判例は、「事実摘示」の誤りには厳しいが、「論評」の自由の幅は、表現の自由の理念を意識して極めて広い。極端な人格攻撃をともなわない限り、論評の違法はないと考えてよい。

事実摘示の主要部分が真実で、記事に公共性・公益性が認められる限り、違法性はないものとされ、損害賠償請求は棄却される。

本件訴訟における「名誉毀損表現」の事実摘示は、《原告佐久閒が「旧日本鋼管の土地をコリア系が占領している」「共産革命の橋頭堡が築かれ今も闘いが続いている」と発言したことである。被告石橋記者は、この発言がなされたという事実の真実性の挙証は要求される。しかし、それで十分でそれ以上は要求されない。

念のためだが、「旧日本鋼管の土地をコリア系が占領している」「共産革命の橋頭堡が築かれ今も闘いが続いている」との佐久閒の発言の真偽は、実は訴訟の本筋に無関係で、審理や判決に影響を及ぼさない。もちろん、石橋記者側に、これがデマであることの挙証責任の負担はない。

ところで、被告・石橋記者の代理人となっている神原元弁護士のツイートのボルテージが高い。こちらも紹介しておく。

【拡散希望】「佐久間吾一氏・『差別扇動』裁判」第一回期日のお知らせ
神奈川新聞記者石橋学さんは、市議候補者佐久間吾一氏の発言を扱った、記事『差別言動繰り返し』で訴えられました。

佐久間氏の発言は差別扇動か否か?世紀の裁判が始まる??
9月24日午前11時30分
横浜地裁川崎支部1号法廷

問題にされたのはこの記事。ヘイト団体の集会を「差別扇動」と批判し、佐久間吾一氏の発言を批判する内容だ。

佐久間氏は名誉毀損だと主張しているが、「佐久間氏の発言は川崎南部に集住する在日コリアンに対する差別扇動だ」というのか石橋さんの主張だ。

裁判所はどちらの主張に軍配をあげるか?

我々石橋さんの弁護団は、川崎におけるヘイトスピーチ被害の実態や佐久間氏の発言の悪質性を立証し、「悪意あるデマであり、差別扇動」という石橋記事の正当性を主張する。

この訴訟の勝利により、全国のヘイト団体は、川崎南部地域において差別扇動を決して許さない活動の力強さを、思い知るだろう。

いよいよ今日。
川崎におけるヘイトvs.反ヘイトの最後の決戦の火蓋が切られる。
ここが「主戦場」だ。

この裁判は、川崎におけるヘイトと反ヘイトの、いわば「主戦場」になるかもしれない。そして、川崎は全国における反ヘイトの「主戦場」である。

したがって、川崎におけるこの裁判の勝利の効果は全国に波及するかもしれない。そして、正義は我々にある。正義は勝つだろう。

石橋学記者も、こう発信している。
「差別を差別と非難し、デマをデマと断じることはメディアの役目。ヘイトを断罪する判決を勝ち取ります。」

その意気や良し、である。もちろん、メディアの役割を「客観的なできごとの伝達」に限定する立場もあろう。しかし、今の権力主導のヘイトとデマの蔓延、そして権力忖度のメディアの状況を考えるとき、石橋記者のごとき心意気をたいへん貴重なものと思わざるを得ない。私も、DHCスラップ訴訟被害者の立場として協力・応援を惜しまない。

同じ神奈川新聞の記者の下記連帯の意思表示が心強い。まことにそのとおりだ。
「言論封じにつながりかねない今回の訴訟は、すべての記者が当事者と言えます。差別のない社会に向けて、差別に対して声を上げる言論を守らなくてはなりません。」
(2019年9月25日)

1923年朝鮮人大虐殺を記憶せよ

一昨日(9月15日)の午後、東大本郷キャンパスで「日本の植民地支配と朝鮮人虐殺」と題する集会があった。発会したばかりの「1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動」が主催するもので、発会記念の講演会だった。本日(9月17日)の赤旗にも、「官民一体の迫害が蓄積」「関東大震災朝鮮人虐殺 記憶する集会」との見出しで概要が紹介されている。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-7/2019091712_01_1.html

講演は、法政大学社会学部の慎蒼宇(シン・チャンウ)教授。明快な語り口で、震災後の朝鮮人虐殺を偶発的な個別の事件と見るべきではなく、「植民地戦争」の一断面という位置づけが必要だと述べた。「植民地戦争」には、植民地征服戦争のみならず、植民地支配を持続するための継続的な「植民地防衛戦争」がある。その全体像の中に「1923年朝鮮人虐殺」を置いてみなければならないという視点の提示で、資料にもとづく詳細な解説があった。

冒頭「虐殺の正当化 ― 荒唐無稽な『虐殺否定論』の拡大」という話題の中で、この虐殺を免れたある在日朝鮮人の証言をこう紹介した。
「(1923年)10月下旬頃総督府の役人がやって来て私達に、(中略)又この度の事は、天災と思ってあきらめるように等、くどくどと述べたてました」(慎昌範証言)(朝鮮大学校『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』1963年、163p)。
これは小池百合子の言と同じだ。人災と天災の区別を重々承知していながら、「人災と天災を曖昧にし」たうえ、「天災としての処遇」で文句を言うな、というのだ。

九死に一生をこの慎昌範氏の凄まじい証言は、下記のURLで読める。主要部を抜粋して記しておきたい。
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/192392_4.html

【1923年9月4日午前2時/京成線の荒川鉄橋上で】(抜粋)

燃えさかる町を逃げまどい、朝鮮人の知人を頼りながら転々と避難。荒川の堤防にたどり着いたのは3日の夜だった。堤防の上は歩くのも困難なほど避難民であふれ、押し寄せる人波のために、気がつくと京成線鉄橋の半ばまで押し出されていった。東京で暮らす同胞も合流していた。

 深夜2時ごろ、うとうとしていると、「朝鮮人をつまみ出せ」「朝鮮人を殺せ」という声が聞こえてくる。気がつくと、武装した一団が群がる避難民を一人一人起こしては朝鮮人かどうかを確かめているようだった。

 日本語でいろいろ聞かれても分からなかった林善一さんが日本刀で一刀の下に切り捨てられ、横にいた男も殺害されるのを目の当たりにした慎さんは、弟や義兄とともに鉄橋の上から荒川に飛び込んだのである。

だが彼は、小船で追ってきた自警団にすぐつかまってしまう。岸に引き上げられた彼はすぐに日本刀で切りつけられたが、相手に飛びかかって抵抗する。

 次の瞬間に、周りの日本人たちに襲いかかられて失神したらしく、慎さんにその後の記憶はない。気がつくと、全身に重傷を負って寺島警察署の死体置き場に転がされていた。同じ寺島警察署に収容されていた弟が、死体のなかに埋もれている彼を見つけて介抱してくれたことで、奇跡的に一命を取りとめた。

10月末に重傷者が寺島警察署から日赤病院に移された際、彼は総督府の役人に「この度の事は、天災と思ってあきらめるように」と念を押されている。重傷者のなかで唯一、日本語が理解できた彼は、その言葉を翻訳して仲間たちに伝えなくてはならなかった。日赤病院でも、まともな治療はなく、同じ病室の16人中、生き残ったのは9人だけだった。

 慎さんの体には、終生、無数の傷跡が残った。頭に4ヶ所、右頬、左肩、右脇。両足首の内側にある傷は、死んだと思われた慎さんを運ぶ際、鳶口をそこに刺して引きずったためだと彼は考えている。ちょうど魚河岸で大きな魚を引っかけて引きずるのと同じだと。

なお、当日配布の資料の中に、ハングルでの挨拶が何通か寄せられている。そのうちの2通の訳文をご紹介しておきたい。被害者側からの事件の見方を知る上で貴重なものと思う。

**************************************************************************
こんにちは。
私は、韓国の<平和の道>理事長です。
<平和の道>は、分断された祖国の統一のために、また、疎外され寂しく貧しい力のない人たちの側にたち、人が人らしく生きる世の中を作るために昨年、社団法人として発足しました。
海外で困難の中、分断のために南か北かを選択せねばならない海外同胞たちと、また、正義と人権と自由のため連帯して力を合わせている皆様にご挨拶申し上げます。

9月1日、1923年は今から96年前ですね。
あと4年もすれば関東大地震朝鮮人大虐殺は100年になります。
人間が人間として、どれだけ乱爆で残忍なのかを見せつけた関東大虐殺に対し、真相が今でも究明されず、調査も行われておらず、どのくらいの人が犠牲になったのかが明らかにされていません。
少なくは、3千名、6千名という説もあり、多くは1万人を超えるという説もあります。
日本の軍人及び警察の公権力が扇動し、そこに自警団も加わり、朝鮮人を無差別的に虐殺し、井戸に毒を入れたという流言飛語、放火をしたという流言飛語、様々な流言飛語を通じ、関東大震災での日本国民の不安を朝鮮人に矛先をむけさせた日本のやり方が、数多の朝鮮人を死においやりました。縛られ、焼け死に、竹やりで刺され、その苦痛の声と共に死に、溺死した人もいます。
そのすべての真相が明らかにされなくてはなりません。100年が経つにもかかわらず、いまだに事件自体があった事も知らされていない無残な大虐殺でした。
それは、言い換えれば、朝鮮が分断され、お互いが敵対関係になることにより、日本は、そのすきを利用し、自らの犯罪行為を隠蔽し縮小し、そして、歴史を歪曲し、今日まで来たという事です。
浮島丸沈没事件や、関東大虐殺事件も、日本帝国主義を志向した高位官僚たちにより作られた嘘と、真実に対する隠蔽もしくは操作だという事は日本の良心的な国民の皆様はお分かりだと思います。

今、日本は、平和憲法構造を変え、また戦争のできる国、他国を侵略できる国、他国の民を苦しめる事の出来る国になろうとしている明確な意思を表しながら、安倍政権は進んでおります。
大多数の日本の国民はこれに同意しないでしょう。
にもかかわらず、日本の政治指導者たちは、第2次大戦時のように、満州を進撃し、東南アジアを掌握したあの頃の空虚な栄華は忘れられず、日本を帝国主義の方向に導いています。
過ぎた過去の虐殺の蛮行が、現在も進行中であり、未来にもその惨状が起こりうるという憂慮を禁じえません。

良心ある日本の方々、そして、在日同胞の皆様
関東大震災での大虐殺事件についての真相究明を通じ、我々人間が人間らしく生きる世の中にするため邁進する大きな一歩を踏み出すべきと考えます。

そのためにも、南と北がひとつになり、日本の真相究明を要求し、その力を通じ、真実を明らかにすべきと考えます。
海外で、祖国の統一と繁栄を願い、同胞たちが関東大虐殺真相究明に、積極的に取り組み、
私自身も、ここ韓国の地で皆様の真相究明及び日本の謝罪、それに対する懺悔と、許しを得ることのできる環境を作るため、努力していきます。

関東大虐殺真相究明のために、手をつなぎ、連帯し、共に人間が人間らしく生きる世を作るため頑張りましょう。(訳;梁大隆)

**************************************************************************
《1923関東韓日在日市民連帯 金鐘洙(訳;梁大隆)

96年前の9月15日に遡ります。
ナショナリズムのソンビになった殺人鬼たちの狂乱と虐殺で荒川は血で染まり、町には無残に殺された朝鮮人の死体がそこら中に捨てられたまま、嘲弄を受けていました。日本帝国主義はその証拠をなくすため、生き残った朝鮮人たちに同族を燃やさせる反人道的犯罪を行っていたのです。

どこからか生じた流言飛語ではありませんでした。地震による混乱状態で、朝鮮人がどうやって日本の家庭と村、企業と国家を破壊するため動く事ができたでしょうか?
彼らの流言飛語は非常に巧妙な内容で作られていました。
平凡な日本の家庭に朝鮮人が侵入し、婦女を暴行、強姦し、略奪しているという流言飛語は、朝鮮人を家庭破壊犯にしました。そして、井戸に毒を入れ人々を皆殺しにしようとしたとして、人々が自ら朝鮮人を逮捕し、殺しても、村を守ることだという名分を与えたのでした。

また、工場に爆弾を投げ、産業施設を破壊しているという流言飛語は日本の経済を揺るがす事であるから、隠れた朝鮮人労働者を、地域の自警団と共に人々が町に引き釣りだし、その場で虐殺したりしました。

そして、帝都に敵が現れたと、天皇暗殺を企てる者が朝鮮人だと確信させ、国民の憤怒と敵恢心をあおりました。

結局、朝鮮人を、日本の家庭、村、企業、国家を転覆しようとする敵にし、戒厳令を宣布する名分を作り、それにより、軍人も警察も民衆もみな、虐殺のソンビになったのです。

(2019年9月17日)

一日も早い、「表現の不自由展」再開の仮処分命令を

どうして、もっと大きなニュースにならないのだろうか。昨日(9月13日)、中止になっていた「表現の不自由展・その後」の展示再開を求める仮処分命令が名古屋地裁に申立てられた。中止になったのは、愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の一部門としての企画展であり、過去に公的な施設から、表現の機会を奪われた16点の作品群の展示であるという。その再開を求める仮処分命令申立。表現の自由に関わる大事件に、ようやく司法が関わることになったのだ。申し立てた側は、記者会見で展示中止を「民主主義の決定的な危機」と訴えたという。もっと、メディアの関心が高くて然るべきであろう。

まだ、詳細な報告に接していないが、概要は次のごとくである。

 債権者(仮処分の申立人をこういう。ヘンな業界用語)は、この企画展の「実行委員会」と報道されているが、実行委員会を構成している5名の個人が共同して債権者になっているものと思われる。
 債務者(仮処分申立の相手方のこと)は、展覧会を主催する国際芸術祭実行委員会。
 申立の趣旨(求める仮処分命令の内容)は、「中止となっている企画展の各作品の展示を再開せよ」というものなのだろう。もちろん、もう少し、展示再開のための実効的で具体的な作為命令を求めているものと思われる。たとえば、展示再開にともなって当然に予想される右翼勢力からの妨害行為への対応策として必要な具体的施策なども内容とされているだろうが、詳細は把握していない。

一般に仮処分命令認容の可否に関しての最大の問題点は、被保全権利(債権者が債務者に対して有する請求権)の構成であるが、本件においてはさしたる困難はなかろう。本件の債権者は債務者に対して、作品展示に関する契約上の債権として、所定の期間中作品を安全に観客に展覧せしむる請求権を有していると考えられるからである。報道では、申立書は文化芸術基本法などに基づいた構成になっているというが、裁判所はそんな難しいことには踏み入らず、手堅く骨組みだけでの認定をするだろう。

債務者の側は、心ない右翼勢力の妨害から展示作品を守り、一般の鑑賞者に安全に鑑賞してもらうよう万全を尽くす義務を負っている。これは自明なことなのだ。

この債権者の主張に対して、債務者の側から一応はこの被保全債務の存在を否定する主張がなされることになるだろう。契約締結時とは事情が変って当該義務の履行が不可能な事態となっている、具体的には安全に展示を行う環境が喪失されている、という主張である。しかし、裁判所がこんな主張を認めるとは到底考えられない。

万が一にも、こんな債務者の主張を裁判所が認めるとすれば、表現の自由は死滅する。展覧会に対する脅迫で表現の自由を屈服させてはならない。それこそ、文明国にあるまじき、恥ずべき野蛮国家(≒ヘイト蔓延国家)への堕落である。当然のこととして、予想される混乱に対しては、展覧会主催者は、なし得る最大限の防衛策を講じなければならない。

この局面での法的問題はけっして複雑なものではない。民意がこのような展示に賛成しているか否か。あるいはその賛否それぞれ合理性があるかは、いま問題にはならない。この件の法的争点は、愛知県が最大限の防衛策を講じてもなお、展示会続行が不可能と言えるか否かという,この一点に絞られる。

いうまでもなく、「威力を用いて人の業務を妨害すること」は威力業務妨害罪を構成する犯罪である。直接の有形力を行使して展示を妨害することはもとより、電話・メール・ファクスでの害悪の告知の一切が犯罪である。会場で大声を発することさえも、犯罪たりうる。

犯罪から、市民社会の平穏を守るのが、警察の役割である。愛知県警は、表現の自由擁護のために、誠実に盡力しなければならない。

意見は多様であってよい。嫌韓の立場から、国粋の立場から、このような展示には反対という不寛容な意見もあるだろう。そのような意見の表明にも自由は保障されている。しかし、意見の表明の域を超えて、有形力を行使し、あるいは脅迫的な言辞で展示を妨害しようとすることは、犯罪として許されることではない。ことここに至っては、警察も徹底した検挙に乗り出すに違いない。右翼諸君は、このことを肝に銘じるべきである。

なお、この国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の会期は10月14日までである。企画展再開の機会はそれまでである。再開のために万全の準備も必要であろう。ぜひ、再開実現に間に合うよう、素早い仮処分命令が発せられるよう期待したい。平穏に行われていた展示が、明らかな犯罪行為と権力の圧力で中止に追い込まれたのだ。再開なくしては民主的社会の秩序が成り立ち得ない。

なお、やや気になる報道がある。申し立て後に記者会見した不自由展の実行委のメンバーらは「芸術祭実行委が対話に応じないので申し立てた。司法の力で展示期限内に再開したい」「芸術祭の実行委は話し合いに応じると言いながら、実際の協議は何も進んでいない。表現の自由を回復させるために裁判所に申し立てることを決めた」と述べたという。

展示再開の仮処分命令が発せられた後に、企画展の実施を担当するのは、県の職員ということになる。妨害からの防衛策に万全を期すべきは当然としても、それぞれの担当職員に,使命感や士気が望まれる。芸術祭実行委員会会長を務める大村秀章・愛知県知事のリーダーシップに期待したい。
(2019年9月14日)

「週刊ポスト」の嫌韓・差別特集を憂うる。

出典は知らないが、「国民はそのレベルにふさわしい政治しか持てない」という。何ともシニカルな表現だが、安倍政権の長期化を許している現状を、有権者の一人として腹ただしくも情けなくも思う。

 「国民はそのレベルにふさわしいメディアしか持てない」というもじりもある。嫌韓本や、DHCテレビのヘイト番組横行など、まことに恥ずべき現状である。右翼メディアは、「嫌韓・ヘイトの需要があるから供給がなされる」と開き直るのだろうが、民衆がこれほどに政権とメディアに操られやすい存在であることが、空恐ろしい。

9月2日の各紙朝刊に掲載された「週刊ポスト」の宣伝文には驚いた。その特集が、「韓国なんて要らない!」「「嫌韓」ではなく「断韓」だ―厄介な隣人にサヨウナラ 」「『10人に1人は要治療』―怒りを抑制できない『韓国人という病理』」という徹底した嫌韓ヘイトぶり。今こう書けば、売れ行きが良くなるという判断での編集なのだ。購買者が「この程度のレベル」と舐められている。これが、弱小零細のキワモノ出版社ではなく、大手・小学館の出版物なのだ。出版ジャーナリズムは、競い合ってここまで堕ちたか。そう落胆せざるを得ない。

さすがに、これには心ある人びとから抗議が殺到した。2日夜、小学館は自社サイトに、『週刊ポスト』編集部名義の以下の「お詫び」を掲載している。

週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。〉

しまりに欠けた「お詫び」である。誰に対して、何をどう詫びているのかよく分からない。意識的に曖昧にしているようにも読める。「誤解」とは何のことだ。「広めかねず」とは「広めてはいない」ということなのか? 「配慮に欠け」とは、誰に対するどのような配慮が必要だったというのだろうか。

「ポスト」は、日本人の民族差別意識に一面迎合し、一面煽って、どぎつさ丸出しのヘイト記事で部数を稼ごうとしたのだ。そのさもしい根性をこそ率直に吐露して、まずは韓国と在日の人びとに謝罪しなければならなかった。そして、不快を感じた日本人の読者にも、である。

もちろん、この小学館のこの程度の「謝罪」を快しとしない連中もいる。たとえば、百田尚樹であり、門田隆将などである。これらは論外として、もう一つ、こういう論調もある。少しやり過ぎだが、全部を反省する必要はないとし、週刊ポストは『断韓』記事を堂々と載せるべし」と言うのである。

「韓国なんて要らない」という週刊ポストの特集に、作家たちから怒りの声だという。深沢潮は「差別扇動を見過ごせない」として連載休止。柳美里は「人種差別と憎悪をあおるヘイトスピーチ」と批判して小学館と仕事しないと言う。内田樹は「今後、小学館の仕事はしない」と明言。

わしの見解を言うと、「怒りを抑えられない韓国人の病理」という記事は、ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事だと思うが、「断韓」という政治的意見は「言論・表現の自由」の範囲内だろう。

この立論は、ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事」と、「政治的意見」とを区別せよ、というごとくである。前者は謝罪に値するが、後者は「言論・表現の自由の範囲内だろう」という。その区別の規準は明確に示されてはいないが、「ポスト」記事の一部を問題ないものとして、ポストの差別性を批判した良識ある人びとを激しく逆批判している。

ポスト批判の議論は、けっして法的な言論許容の限界を論じているのではない。問題は、「ポスト」の編集姿勢が、民族差別・ヘイトに当たるものとして批判に値するものか否かにある。当然のことだが、「言論・表現の自由」の範囲内にあって、違法とは言えない言論にも、ヘイトの批判は成立する。

しょせん韓国と断交なんかできやしない。そう言いたくなるほど、腹に据えかねてるという気持ちを表出するのも、「表現の自由」だろう。

これでは、議論が噛み合っていない。「表現の自由」の範囲は広い。問題は、当該の表現が「言論・表現の自由の範囲内」にあるか否かではなく、その表現に込められた差別性を批判するのか支持するのかなのだ。言い換えれば、9月2日宣伝に象徴される、「ポスト」の『ヘイト悪乗り』を許すか否かが問われている。

そして、重要なのは、結論もさることながら、その理由の説得力の有無である。「政治的な意見ないし論評だから、違法とは言えない」は、法廷での論争であって、平場の意見交換での論理ではない。
(2019年9月4日)

1923年住民による国恥と、2019年都知事による国恥と。

本日(9月1日)、は「防災の日」であるとともに、私が名付けた「国恥の日」。
東京都墨田区・横網町公園において、しめやかに「関東大震災96周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が挙行された。同公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前に、心ある多くの人が参集して、理不尽な非業の死を余儀なくされた朝鮮人・中国人虐殺犠牲者の無念を思い、しめやかに追悼の意をあらわした。

恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの時期、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となった。

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも、である。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、デマとヘイト本をネタにしてのものである。

知事の追悼文送付拒否の理由は、「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」ということにあるが、なぜこれまで続けてきた追悼文送付を突然にやめたのかの理由になっていない。

震災による自然災害死と、おぞましい民族差別感情の赴く結果としての虐殺被害とを、「全ての犠牲者」として、ことさらに同一視し相対化してはならない。その意味も、教訓も、対策もまったく異なるのだ。

小池知事の追悼文送付拒否の理由には、これまで当然のこととして意識されてきた、「住民の自然災害死」と「在日朝鮮人・中国人の虐殺被害」との大きな落差をことさらに糊塗しようという意図が透けて見える。関東大震災時におけることの重大性は、官民一体となっての他民族虐殺にある。とりわけ、自警団という名の住民組織が殺人者集団となって、民族差別意識のもと、朝鮮人・中国人を故なく拘束し、拷問し、あるいは刺殺し、あるいは撲殺したのである。このおぞましい歴史的事実を、我々は負の記憶として忘れてはならない。

だから、1923年9月1日は「国恥の日」として記憶され続けなければならない。これを忘却の彼方に追いやろうというのが、おぞまいしい小池知事の姿勢なのだ。この知事の言動は、明らかに過去から現在にまでつながる我が国の対朝鮮、対中国の民族差別を糊塗し、虐殺・加害の歴史を風化させようと意図するものというほかはない。このような人物を首都の知事としていること自体が、過去の国恥ではなく、現在の国恥というべきではないか。東京都知事を変えたい。変えねばならない。常識的な歴史感覚を持つ人物に。あらためて強くそう思う。

本日の追悼式の次第は以下のとおりであった。
司     会         日朝協会東京都連合会 墨田支部長 小島 晋
開式のことば   関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長
          日朝協会東京都連合会会長 宮川泰彦
読     経         浄土真宗本願寺派僧侶・東京宗教者平和の会事務局長
          小 山 弘 泉
鎮 魂 の 舞  韓国無形文化財第92号太平舞保存会日本東京支部長
         金順子韓国伝統芸術研究院代表 金 順子
各界追悼の辞
         関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会
          事務局長 田中 正敏
亀戸事件追悼会実行委員会副実行委員長 榎本喜久治
         朝鮮総連東京都本部 副委員長 李 明宏
         日本共産党東京都議団 畔上三和子
         日本平和委員会 事務局長 千坂  純

追悼メッセージ
         元衆議院議長         河野 洋平
         カトリック東京大司教区大司教 菊地  功
         法政大学総長         田中 優子
黙    祷
閉式のことば
        日本中国友好協会東京都連合会理事長 中川太
献    花

 

本日、参列者に配布された実行委員会の式次第には日朝の友好とアジアの平和と安定のために」とのタイトルで、解説記事が記載されている。その一部を引用しておきたい。

あの時 何が起きたかー関東大震災に乗じた虐殺
「1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」

真相究明と謝罪求め
「自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」

追悼碑建立の経過 ※1973年当時石版に刻んだもの
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

  碑 文
  この歴史
   永遠に忘れず
  在日朝鮮人と固く
  手を握り
  日朝親善
   アジア平和を
  打ちたてん
        藤森成吉
(2019年9月1日)

憲法と落語(その6) ― 「一眼国」が問いかける人権と差別

久しぶりに落語の話題、「一眼国」を取りあげたい。8代目正蔵(彦六)の持ちネタで、その語り口によく似合った噺。お白州物の範疇に入るのだろうが、考え方の虚を衝いて人権と差別を考えさせられる。

 昔は両国広小路が随一の賑わいで、回向院の周りには見世物小屋が並んでいた。てこへんな小屋も多く、「世にもめずらしい目が三つで、歯が二つの怪物」として客を呼び込み、下駄の片方を見せたり、大きな板に血糊を付けて「六尺の大イタチ(鼬)。あぶないよ」と言って見たり。赤子を食べる鬼娘なんていういかがわしいものまであった。

 両国で見世物小屋を持っている香具師が諸国を巡っている六部を家に上げて、旅の途中で見聞きした珍しい物や話を聞き出そうとする。その話をもとに本物を探し出し、見世物小屋に出して大儲けをしようという魂胆。六部は、いったんは思い当たることはないと言うが、別れ際に、一度だけ恐ろしい目にあったことを思い出したと、こんな話をする。

 巡礼の途中、江戸から北へ140から150里の大きな野原の真ん中の榎の所で一つ目の女の子に出くわして、ゾーッとしたという話。この話を聞いて喜んだ香具師は紙に書きとめ、お世辞たらたらで六部を送り出す。

 香具師は早速支度をして北へ、一つ目を探しに旅立った。夜を日に継いで、大きな原にたどり着く。見ると原の真ん中に一本の大きな榎。足を早め近づくと、話に聞いたとおりの「おじさ~ん おじ~さん」という子どもの声。

 「いいものあげるから、おいで おいで」と言って、そばへ寄ってきた子どもを抱え込む。びっくりした子どもが「キャ~」と叫ぶと、法螺や早鐘の音とともに、大勢が追って来る。

 子どもも欲しいが命が大事、子どもを放りだし一目散に逃げ出したが馴れない道でつまづき、捕まってしまう。代官の前へ引き出され、周りを見ると、みんな一つ目。

 代官の吟味が始まる。「これこれ、そのほうの生国はいずこだ。なに江戸だ。子どもをかどわかしの罪は重いぞ。面を上げい。面を上げい!」
 「あっ! 御同役、ごろうじろ。こいつ不思議だ。目が二つある」
 「調べはあとまわし。早速、見世物へ出せ」

我々は、二眼の国で暮らしている。一つ目も、三つ目もスタンダードから外れた異界の存在だが、一眼国では二つ目の人間が見世物になるのだ。

目の数の違いは、皮膚の色の違いに置き代えられる。白人の国では黒い人が珍しく、黒人の国では白い人が珍奇なのだ。キリスト教圏では仏教徒は化外の人で、日本の近世ではキリシタンは恐るべき罪人だった。古代ギリシャ人は、異民族をバルバロイと呼んで見下した。これは、「言葉の分からぬ野蛮人」なる意味だという。言葉が分からぬのはお互いさまなのに。

人と人とは、みんな違う。グループとグループも違う。違うことを認め合えば共存できるが、不必要に恐れたり、侮蔑したりすると軋轢が生じる。その状態が差別である。差別は容易に敵視に転化して、暴力行為にも発展する。

一つ目だって、二つ目だって、どちらでも不都合なことはない。他の人と違うことが、不幸の一つ目。そして、他の人と違うことがいたわられるのではなく、見世物の扱いを受けるということが不幸の二つ目。

この噺、最後をこう落としたい。
 「あっ! 御同役、ごろうじろ。こいつは不思議だ。
  貴公 目が二つあるな。いったい二つの目をどう使い分けておる?」
 「へい、一つは目の前のものを見、もう一つは忖度のために上ばかりを見続けております」
 「なに? 忖度とな。そちらが忖度専用の目であるか。これは珍しい。我が国にはなきもの。やはり調べはあとまわし。早速、見世物へ出せ」
(2019年8月25日)

この悲劇 繰り返しはせぬ ― 朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を

関東大震災96年 朝鮮人犠牲者追悼式典
日時 2019年9月1日(日) 午前11時~
都立横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3番25号)
 交通 JR総武線「両国駅」西口 徒歩7分 
    都営地下鉄・大江戸線「両国駅」A1出口 徒歩2分

 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による大混乱・不安の中で「暴動が引き起こされている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」などといった流言飛語が飛び交い、軍・警察・自警団など人の手によって多くの朝鮮人・中国人そして日本の社会運動家が虐殺されました。
 しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意をこめて追悼式典を開きます。

 主催 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
     (事務局 日朝協会東京都連合会)

*******************************

 9月1日に東京都内で営まれる関東大震災(1923年)の朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、実行委員会が8日、小池百合子東京都知事に宛てて、式典に追悼文を送るよう求める要請文を提出した。小池氏は2年続けて送付を見送っており、取材に対して「昨年と同じ」と話し、今年も送付しない考えを示した。(8月9日 朝日)
**************************************************************************
今年も9月1日が近づいている。私が名付けた「国辱の日。1923年9月の関東大震災後に、日本人が無辜・無抵抗の朝鮮人・中国人を集団で虐殺した、その虐殺事件を国辱と呼んでいる。今なお、「そのような虐殺事件はなかった」「朝鮮人の暴動が先行した」という歴史修正主義者たちが、国辱の上塗りをしているのが情けない。

その国辱上塗りグループに加担しているのが小池百合子・東京都知事。今年も、9月1日の朝鮮人慰霊式典に知事は追悼文を送らないという。このポピュリスト政治家は、追悼文など送らなくても次の知事選には影響がない、そう高をくくっているのだ。

東京・横浜だけでなく、関東全域に無数に組織された「自警団」という「普通の日本人集団」が、無抵抗の人々を撲殺したり刺殺したのだ。この無理無体は、到底文明人のできることではない。その野蛮極まる集団虐殺行為を「国辱」と言わざるを得ないではないか。

先日、この件について詳しいジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かり易く説得力に富む内容だった。その彼が、講演の最後に、なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて、「三つの論理」を述べた。これが印象に深い。

三つの論理とは、差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
「差別の論理」とは、当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識、謂われのない蔑視の感情が、容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。

次いで、治安の論理」である。このとき、朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は、蔑視だけでなく、朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情も併せ持っていたであろう。朝鮮人に対する、過剰な警戒心をもっていたであろう。

さらに、軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには、あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし、軍隊の経験を経ている者は、人を殺すハードルを乗り越えている。自警団の中心にいたのは、実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも、彼らは、シベリア出兵(1918~)、3・1独立運動弾圧(1919~)、間島出兵(1920)など、ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。

あらためて、次の言葉を噛みしめる。

 一人一人の兵士を見ると、みんな普通の人間であり、家庭では良きパパであり、良き夫であるのです。戦場の狂気が人間を野獣にかえてしまうのです。このような戦争を再び許してはなりません。(村瀬守保)

 いったん戦場の狂気に囚われた多くの人が、戦場から離れて日常生活に戻ったあとに、非常時の「狂気」によって再びの「野獣」に化したということなのだろう。

 「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」は、いずれも戦争を準備する「論理」として、平和のために克服しなければならない。とりわけ、日韓関係が軋んでいる今なればこそ。

心ある人びとに、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典ご参加を呼びかけたい。
(2019年8月21日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2019. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.