澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

花散る春の鎌倉散歩

(2022年4月9日)
 コロナもありウクライナ侵略もあれども、季節はよし天気もよい。本日の鎌倉、早朝より晴れわたってまことに爽快だった。若宮大路の二の鳥居にある阿吽の巨大な獅子が、コロナ蔓延以来大きなマスクをしている。このマスク、いつになったら取れるやら。

 ここから、鶴岡八幡宮境内までの参道が段葛。頼朝が、妻政子の安産祈願に寄進したものと伝えられ、桜の名所として高名だった。もっとも、近年の改修でかつての風格はない。

 それでも、植え替えられた桜の若木がよく花を咲かせている。これはこれでなかなかの桜並木。本日は、ちょうど散り盛りの花が、時折の風に花吹雪となった。青い空に、舞う花びらがひときわ映えての見事な風情。

 ところが、この風情をぶち壊す不粋なものが現れた。右翼の街宣車が若宮大路を行ったり来たり。車体に団体名が書いてあり、その中に「皇」の字があつた。この不粋な「皇」結社が、日の丸を立てている。その「日の丸」が勢いよく翩翻と翻っていた。ものには似合い・釣り合いということがある。「右翼」と「皇」と「日の丸」と、なるほどよく似合う。そのどれもが、今日の風情をぶち壊している。

 驚いたことに、その右翼街宣車が、「日の丸」とならベてウクライナ国旗を掲げていた。かつてのソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の一部だった旧社会主義国の旗をである。そして、右翼のスピーカーが、ロシアよりはむしろソ連の過去の蛮行をなじって、ウクライナを持ち上げている。ウクライナのように戦える日本を、日本の軍備増強を、というわけだ。今の世、桜を楽しむ余裕すら乏しい。
 
 この神社にも、参詣者が願い事を書いて奉納する絵馬が並んでいる。微笑ましい庶民の願い事が綴られているが、この願掛をした日付が西暦か元号かを見るのが、私の趣味。圧倒的に「西暦」が多い。「令和」は少数派なのだ。それを確認することが私の密やかな楽しみ。

 たくさんある絵馬の内、アトランダムの一角を選んで、「西暦」の日付がはいっているものを順に20枚まで数えてみる。それまで「元号」派は何枚あるだろうか。圧倒的に日付のないものが多いのだが、これを除いて日付のあるものだけを数えてみた。

 結果は、「西暦」20に対して、「元号」が8。興味深いのは、「元号」8のうち「R」とだけの表記が5、漢字で「令和」という表記はわずかに3。若い世代には、完全に西暦使用が定着しているという印象。そして、「令和」と表記するのは、手間のかかる面倒な作業なのだ。

 さて、全国に数多くある「八幡神社」。その祭神の起源はよくわからないながらに武神ないしは軍神とされ、武家が信仰の対象とした。鶴岡八幡宮も同様である。その本殿正面の掲額の「八」の字が2羽の鳩の抱き合わせとなっていのは、鳩が軍神の使いとされたからだ。ノアの箱舟伝説以来、西洋では鳩は平和の象徴だが、日本では軍事につながるイメージ。軍記物では、鳩が戦での勝運を呼ぶ縁起ものとされている。鎌倉幕府時代鳩の絵柄を家紋に使う武将も少なくなかったという。

 若宮大路に面して、「鳩サブレー」の本店がある。「鶴岡八幡宮を崇敬していた初代は、かねてから八幡様にちなんだお菓子を創りたいと考えていました。本殿の掲額の「八」の字が鳩の抱き合わせで、境内の鳩が子ども達に親しまれていたことから、このお菓子を鳩の形にし「鳩サブレー」と名付けました」というのが、店側の説明。

 その菓子の製造は120年前からだとか。戦前、軍国主義華やかなりし時代には、「鳩」はいったい、どんなイメージだったのだろう。 

今日は「将棋の日」ー 私と日本将棋連盟との袖の触れあい

(2021年11月17日)

2009年5月27日

社団法人日本将棋連盟御中

澤 藤 統 一 郎

お 願 い と ご 質 問

 私は将棋愛好家のはしくれです。
 余暇に恵まれず対局の機会はほとんど持てないのですが、新聞の将棋欄を楽しみにしています。当然のことながら、将棋愛好家の一人として、貴連盟の発展を祈念して已みません。
 しかし、不幸なことに、私は貴連盟の会長である米長邦雄氏には好感が持てません。婉曲な物言いを避けて率直に申し上げれば、虫酸が走るほどに大嫌いなのです。
 氏のアナクロニズムで品性に欠けた言動には以前から眉をひそめていましたが、在野から発言する限りでは「言論の自由の行使」であって、「虫酸が走るほど大嫌い」にはなり得ません。ところが、氏は石原慎太郎都知事から、教育に関する見識ではなくその蛮勇を期待されて東京都教育委員に起用されました。行政権力を行使しうる立場となった氏は、教育にも憲法・教育基本法にも無知・無理解のまま、教育現場を混乱させ萎縮させる尖兵として大きな役割を果たしました。「大嫌い」の所以です。
 近々米長氏が貴連盟会長の任期を終えるものと心待ちにしておりましたが、本日、あと1期・2年の続投が決まったとの報道に接しました。そこで、やむなく、次のお願いと質問を申し上げます。
 私は、貴連盟にアマチュア段位申請の予定です。毎日新聞の紙上段位認定テストに連続10週応募し、200点満点のところ190点を得て、規程のうえでは5段位までの申請資格があるとされています。その段位の免状に、連盟会長としての米長氏の署名を拒否したいのです。
 もう、ずいぶん昔のことですが、盛岡に住まいしていたころに、日本将棋連盟岩手支部の推薦で初段位の免状をいただきました。その免状には、大山康晴・中原誠・二上達也という、尊敬に値する3名の棋士のお名前が連署されており、感動したことを覚えております。
 しかし、尊敬に値しない米長邦雄氏署名の免状では感動の余地はなく、むしろ、不愉快極まるものと言わざるを得ません。一将棋愛好家の、「米長邦雄氏の免状では、まっぴらご免」の気持を汲んでいただきたいのです。
 棋風について好みの棋士や、尊敬する幾人かの棋士を特に選んでお願いという我が儘は申しません。米長氏でさえなければ、棋士のどなたの署名でもありかたく頂戴いたします。
 なお、もう一点のお願いがあります。免状における段位允許の日付の表記が平成という元号でされた場合には大きな違和感を禁じ得ません。初代天皇・神式の即位を元年とする「皇紀」という年号表記にも、当代天皇の即位を元年とする「元号」表記にも、どうしても馴染めません。
 将棋と天皇制とは何の関連性もなかろうと思います。ぜひとも、国際的に通用する西暦表示で免状をいただきたいのです。
 以上の2点についてよろしくお願い申し上げ、承諾のご回答を得て、段位の申請手続きに及びたいと存じます。あらためて申し上げれば、
 (1)段位の免状から、米長氏の署名を外していただきたい。
 (2)免状の日付の表記を、元号ではなく西暦でお願いしたい。

 将棋愛好家として、貴連盟からの快諾のご返事をお待ち申し上げます。
 なお、この質問書と貴連盟からのご回答については、何らかの方法で公開させていただきますので、ご承知おきください。

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澤 藤 統一郎 様

平成21年6月2日

社団法人 日本将棋連盟
普及推進部支部免状課

             浅 見 章 安  印 

 前略 初夏の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
 日頃は大変お世話になっております。
 さて、先日は免状の署名ならび発行日付の表記について、お手紙をいただきました。この2点についてご返事させていただきます。
 社団法人日本将棋連盟発行免状は会長,名人,竜王の署名にて発行しています。 現会長の署名を外して免状の発行は,過去にはございませんので大変申し訳けございませんがお受けできません。
 支部免状課職員一同,一枚の大高檀紙の丹精をこめて署名された現在の免状に対して誇りを持っています。
 澤藤様には色々な感情があると思いますが,澤藤様が毎日紙上にて五段位認定の点数を取得された過程が大事と思われます。
 日付の表記は通常は平成ですが,西暦の記入については考慮いたします。
 以上,2点の問題についてお知らせいたします。
 今回の件におかれましてはご賢察の程,お願い申し上げましてご通知にかえさせていただきます。
                              草々

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2009年6月4日

社団法人 日本将棋連盟
普及推進本部支部免状課
 浅 見 章 安 様

  澤 藤 統 一 郎

 先に、段位免状の申請に関して下記2点のお願いを申し上げ、諾否の回答を求めた者です。
 (1)段位授与の免状から、米長邦雄氏の署名を外していただきたい。
 (2)免状の日付の表記を、元号ではなく西暦でお願いしたい。

 この不躾なお願いと質問に対して、貴職名でのまことに迅速で丁寧なご回答に接しました。その真摯な対応に敬意と謝意を表します。
 将棋愛好者の一人として、会長人事を別とすれば、貴連盟が社会的な良識を堅持されていることを知り、たいへん嬉しく思いました。
 第1点のご回答は、「現会長の署名を外した免状の発行はできない」とのこと。私的な団体の取り決めであれば、ご無理を申し上げるわけにはまいりません。
 第2点については、「日付の表記は、通常は平成ですが、西暦の記入については考慮いたします」とのこと。この点にっいては、心から感謝申し上げます。
 ご回答に接して、米長氏が会長職を辞することを心待ちにし、米長氏の署名のない段位授与免状がいただけるようになった時点で、速やかに段位の申請手続きをして、西暦表記の免状をいただきたいと存じます。その際によろしくお願いします。
 なお、私の毎日新聞紙上段位認定テスト応募は1248回から1257回まで、合計190点です。段位甲請手続きが、米長氏退任まで遅延することをご丁解ください。
 末筆ながら、(米長氏を除く)貴連盟のますますの発展を祈念申し上げます。

亡き弟からの、DHCスラップ訴訟勝訴確定の祝辞

(2021年10月12日)
 私は4人兄弟の長男で、下に妹・弟・弟と続いている。その次弟が、この夏突然に亡くなった。本日が2回目の月命日となる。肺がんを患い、小康を得たとの連絡だったが間質性肺炎が進行して死因となった。今年(2021年)の8月12日夕刻のこと。無念でならず、喪失感が大きい。

 次弟・明は、その名のとおり、子どもの頃から周囲を明るくする快活な性格だった。京都大学経済学部を卒業後、毎日新聞の記者となり、山口や佐賀や小倉などの支局に勤務した。文章は達者で、自分から「軟派の澤藤と虚名が立っているんだよ」などと言っていた。

 労働組合運動にも熱心で、西部本社の委員長も務め、小倉から東京本社までの新幹線往復を重ねた時期もあった。定年を待たずに退職し、その後は福岡県の苅田に住んでいた。

 私が、DHC・吉田嘉明から、6000万円請求のスラップをかけられたときは、心配してくれた。私は、弟妹に配慮すべき立場だったが、この時ばかりは配慮される側になった。弟妹の様子を見て、あのとき父母が存命だったら、その心痛はいかばかりであったろうとも思った。

 そして、DHCスラップ訴訟の勝訴には喜んでくれた。私の勝訴が確定したあと、明からメッセージが届いた。訴訟の経過をまとめた文集をつくるという連絡への返事のメールに添付されていたもの。このメッセッージは嬉しかった。
 
◎メッセージ(2017年1月16日)澤藤明(福岡県苅田町在住)


「豊かな髪よ 再び
 旦那さん、髪の量が豊かですネ。羨ましい限りですよ」。散髪屋に行くたびに、決まってこう褒められる。
 「子供の頃からよく言われましたネ。他に自慢することとてないけれど、髪の量と男振りはね…。こればっかりは、親から授かったもので感謝しているのですよ」。
 鏡に映った顔を確かめながら、決まってこう答えることにしている。そして決まって、元被告、兄・統一郎のあまり豊かとはいえない頭髪の顔が浮かんでくる。
 兄も若い頃は、フサフサしていた。私の二歳下の弟がよくこんな事を言っていた。
 「親戚にハゲは一人もいない。癌で死んだという話も聞かない。俺はハゲにも癌にもならない。兄貴たちも安心していていい」。そんなものなのかと思っていた。
 ところが兄は、四十歳を超えたころから頂上の方から薄くなり始めた。母が言った。「なんで統一郎だけが…。明も気を付けなさいよ」
 通説では、男性ホルモンの過多が薄毛につながるという。その男性ホルモンは、闘争心が旺盛で、仕事がエネルギッシュなほど豊富に分泌されるらしい。
 兄の仕事ぶりについては「季刊・フラタニティ」(ロゴス刊)に現在連載中の「私が関わった裁判闘争」でその一端を知ることができる。また毎日欠かすことなく発信し続けている「憲法日記」からも知ることができる。
これだけ闘争心をもってエネルギッシュに仕事をしていれば、いくら髪の豊富な家系に連なるといえども、その恩恵にあずかることは困難だと誰もが納得できるのではなかろうか。
 薄毛が進行し始めた事を嘆いた母も泉下で、むしろ「男の勲章」と思ってくれているような気がする。
 その兄が、六十歳代半ばで今度は癌を患った。肺の患部摘出手術が済んだ直後に、いきなり「今千葉の癌センターにいる」と電話してきた時には驚いた。
 「うちの家系は、癌とは無縁」のはずではなかったのか。なぜ、酒も煙草も嗜まない兄が癌の病に襲われたのか、少し理不尽で腑に落ちない。しかし術後の経過は順調で既に完治している。
 思えば幼いころから「長男として、妹・弟を思いやらねば」というような雰囲気を感じさせる兄であった。
 薄毛にも癌にもなってくれて一家の苦難を全て引き受けてくれたのであろう。
 DHCからのスラップ訴訟も、誰かが買って出て受けなければならない苦難を統一郎が引き受けた。そして多くの弁護士の支援で勝った。そんな運命的な巡り合わせのような気がする。
 今まで経験したことの無い「被告の座」にまで立ったのだから、ある意味では「私が関わった裁判闘争」の中でも出色の勝利といえるのでは。
 今後は仕事を出来るだけ減らし、願わくば再びフサフサの髪の毛を取り戻さん事を!」

 8月15日、行橋で行われた告別式で私はこのメッセージを読み上げたが、涙が止まらず、最後までは読めなかった。

コロナと、ネコと、アゲハと、キバナコスモスのこと。

(2020年11月19日)
一般には、千代田、中央、港を都心3区という。あるいは、新宿を加えて都心4区。不動産業界では、これに渋谷・文京を加えて、都心6区ともいうそうだ。文京区はギリギリ「都心」だが、都心のはずれに位置している。ここは、ギリギリ人が住める場所で、ギリギリ生き物も生活している。

その文京区本郷の私の事務所にネコの額ほどの庭があり、そのネコの額ほどの庭にホンモノの猫がしばらく住み着いた。明らかに野良猫である。毛並みは良くない。目つきは悪い。しかし、片耳に切れ込みのある、いわゆる桜猫。地域猫として不妊手術を受けているシルシ。都会の中で人と関わりつつも、野生の誇りを失わないなかなかの面構え。

この猫の出現が、ちょうど緊急事態宣言の出た4月7日直後のこと。それで、この猫を「コロナ」と名付けた。近所の飲食店の余り物をもらっていたのが、コロナ禍で店が閉まって食い詰め、餌場を探してこの庭まで来たのではないか。

人に対する警戒心が強い。軒下に置いたキャットフードを食べ、ミルクも飲む。時にはじっと食餌を待っているようにもなったが、貪るように食べたり飲んだりはしない。常に、食べ残していた。これは野生ゆえの習性なのだろうか。夜は、段ボールの寝床で寝るようになり、明らかに家の中に入ってみたいという素振りも見せたが、ペットからの感染のおそれが噂されていたとき。直接手を触れることも、家に入れることもしなかった。

少しなついた頃に、「コロナ」ではかわいそうと「ノラ」と呼び名を変え、さらに特に訳もなく「ネコ」となった。ネコとなった頃に緊急事態宣言が解除され、その後ネコは外泊を繰り返して、やがて姿を見せなくなった。まだ、段ボールの寝床は残されているが、ネコは戻らない。今ごろ、どこでどう暮らしているのやら。

ネコがいたのは、プラムの木の下。このプラムが実る夏にはハクビシンがやって来る。ネコは、ハクビシンに追われたのかも知れない。ハクビシンは、徒党を組んで行動する。独身のネコの敵う相手ではないのだ。

3日前の朝、玄関前の道端でアオスジアゲハを拾った。どんな宝石もかなわない、美しいデザインと色。神々しいまでの鱗粉の光彩。季節外れの孵化なのだろう。弱ってはいたが、事務所の中で安穏に過ごしている。

蘭の蜜を吸うのではないか、菊の花はどうだ。図鑑ではキバナコスモスがよいようだ。突然に、無風流な私の仕事場が、「蝶よ、花よ」の環境と化した。

少し元気になったアゲハは、窓ガラスで羽ばたいて、外の世界にあこがれを示す。外は寒い、危険だ、と言い聞かせても聞く耳を持たない。

ネコは家の中に入りたくて入れてもらえず、アゲハは外に出たくて、出してもらえない。人生、なかなかに難しい。

梅雨の晴れ間、徒然なるままに。

(2020年6月16日)
関東は6月11日に梅雨入り。平年より3日遅れだという。梅雨の晴れ間の早朝には、不忍池をめぐらねばならない。まず目につくのは、咲き誇る盛りの紫陽花。なんとも多種多様、色とりどりが楽しい。

アジサイは、日本の固有種とのこと。語源はいろいろあるようだ。「あづさあい(集真藍)」が転訛したものというのが、万葉かなの表記を根拠にした有力説らしい。ほかにも、「あづ(集まって)咲く」が語源との説も、「厚咲き」が転じたものとの説もあるという。

かつて、「紫(ムラサキ)」とは、「群れて咲く」花のことだと教えられて衝撃を覚えた。どうしてそれまで、気付かなかったのだろう。万葉の昔、関東平野には、「ムラサキ」が群生していたのだ、「ムラサキ」の花は白いが、その根から取れる染料の鮮やかな色を「紫」と名付けたのだ。今は、そのムラサキを目にすることはない。梅雨の季節、紫陽花にこそ「ムラサキ」の名がふさわしい。紫陽花の色をこそ、「紫」と呼ぶべきではないか。

いま、蓮池にはびっしりと蓮の葉が敷き詰められている。蓮の葉群落の、密生・密集・密叢である。蓮の華はまだ咲かない。目を凝らして、昨日(8月15日)一本の茎に小さな固い蕾があるのを見つけた。珍しげに見ていると、…「出たー」。噂の薀蓄おじさんである。「私は、今日は7つのツボミを見つけましたよ」「3日前からツボミが出ていますね」「最初の開花は、あと4~5日でしょう」「昨年よりもずいぶん遅れています」「一昨年は、記録的に早い開花で6月6日でした」と、貴重な情報。親切な薀蓄おじさんに教えられた場所で、15日には合計5個の蕾をメーッケた。そして本日(6月16日)は11個。中には、もうすぐ咲きそうな薄く紅がかった蕾も。

自宅から不忍池に直行するには、赤門から入って鉄門に抜ける、東大キャンパス横断コースが便利なのだが、今このコースがとれない。コロナ自粛以来赤門は、学外者通り抜け禁止となっている。加賀藩上屋敷の時代さながらに通行人は誰何される。遠回りの面倒はこの上ない。生協への買い物にも行けない。いつまで続く、東大自粛。

そういえば、6月15日の山本太郎出馬記者会見の見せ場。記者から、小池百合子の学歴詐称疑惑への感想を聞かれてサラリとかわし、「凄いですねー。カイロ大学の首席卒業だなんて。今度の都知事選立候補は、東大卒が二人(宇都宮と小野)でしょう。私だけが中卒」と笑い飛ばした。さすがに役者である。

私には、「れいわ」も「新選組」も、とても真面目なネーミングとは思えない。しかし、山本の難しい記者の質問を逸らさず、真面目に答え、ときには困ってみせる態度を好もしく思う。宇都宮陣営や野党の批判をせずに、周りの者を陽気に元気づける雰囲気を持っている。

2012年の都知事選。宇都宮陣営のキックオフ集会は、中野ZEROホールで開いた。このとき、山本太郎がゲストとして挨拶している。舞台の上で、彼は持ち前の明るい声で、「宇都宮さん、原発は全部止めなきゃだめですよね。とめましょうね」と語りかけた。そのきっぱりとした物言いが印象的だった。どう返答したらよいのか、さっぱり要領を得ない宇都宮とのコントラストが際立っていた。あれからもう8年に近い。

所属組織への忠誠ではなく、より普遍的価値への誠実を。

(2020年6月14日)

山口県田布施町職員の内部告発が話題になっている。正確に言えば、職員の内部告発に対する町当局の報復措置が話題となっている。この職員の告発内容は、固定資産税の過剰課税である。町民の利益のための公益通報者が不当な報復を受けているとの報道なのだ。公益通報者保護法の実効性が問われている。

事案の内容は比較的単純である。2年前、税務課に在籍していた男性職員が、固定資産税の徴収ミスを発見。上司に報告したが公表されなかったため、町役場に内部告発をしたという。ところが、徴収ミスの公表は2年も遅れた。公表のないまま、報復が始まった。その年度に役場側が出した男性職員の業務評価は最低の0点とされたという。それだけではなく、男性職員は2年間で3回の異動となり、今年(2020年)4月以降は、役場の建物から40m離れた公民館の一室に一人だけ隔離されているという。

人はその属する組織の上を伺ってヒラメとなり、忖度怠らず組織の論理に忠誠を尽くしておれば無難に世過ぎができる。今や、ヒラメを出世魚というのだそうだ。しかし、組織の論理を超える、高次の義務を意識すると、途端に面倒なことになる。公益通報者保護の制度とは、このような場合の拠り所を示すものである。

忠誠や忠実という言葉には、手垢にまみれた負のイメージがつきまとう。忠義となればなおさらのイヤーな感じ。かつて忠は身分社会の倫理とされ、その対象は主君であった。「君が君たらずといえども、臣は臣たらざるべからず」とは、何とムチャクチャな。近代日本では、臣民の忠の対象は天皇であり国家とされた。忠君愛国・滅私奉公…、支配者にとってこんな好都合な道徳はない。

この忠の身分的感覚は、象徴天皇制とともに戦後も生き残って、現在も払拭されていない。一人の人に幾層にも重なる社会構造のそれぞれが個人に忠誠を求めている。その主たるものは、従業員や公務員にとっての上司であり、また全国民にとっての国家でもある。忠誠や忠実が支配する側にとって好都合な徳目である事情は相変わらずなのだ。押しつけがましい愛社精神やら、愛国心やらには反吐が出る。

しかし、身分の上下や権力関係を捨象して、人が人に対し互いの人格を尊重し合うことや、人が社会に対して誠実に向かい合うべきことに疑問の余地はない。この普遍的な人の誠実義務が、組織の求める

森友案件での文書改ざんを命じられて自責の念から自死に至った赤木俊夫さんは「ぼくの契約相手は国民です」を口癖にしていたという。国民のために誠実であろうとする生来の心情と、所属する組織が要求する忠誠との板挟みとなって、国民への誠実を貫けなかったことの悔恨が死をも招いたのだ。

この社会の幾重もの組織の中で生きていかねばならない人は、組織の求める忠誠と普遍的な誠実さとの間での矛盾に晒され続けている。公益通報者保護は、このような矛盾の解決手段である。内部告発者を擁護することは、個人の誠実さを尊重することであり、個人の尊厳を護ることでもある。そして、さらに社会的な公益をも擁護することになるのだ。

当該職員だけの問題ではない。田布施町だけの問題でもない。日本社会全体の問題として、経過を明らかにし問題点を明確にしたうえ、然るべき救済措置と責任者への相当処分、さらに再発防止措置とその公報が行われねばならない。

薀蓄オジさん花の下での歴史の講義

言うまでもなく、花と花見は別物である。
http://article9.jp/wordpress/?p=10136

上野は飽くまで花見の名所であって、花の名所ではない。そのように思われがちだが、なかなかそうとも言いがたい。けっこう、多くの花があり珍しい花もある。上野の桜通りは封鎖されて今年の花見はできないが、今年も花は美しく咲いている。ソメイヨシノが主役の座を下りたいま、まばらな人影が、多様な花の美しさを堪能している。

上野の山には、56種の桜があるそうだ。ジュウガツザクラやオオカンザクラなど冬に咲くものもあるが、多くは今が盛り。不忍池の畔は、カンザン、イチヨウ、ウコン、シロタエ、コウカなど里桜の競演が見事である。ベニユタカの盛りは過ぎたが、ヤエベニトラノオ、エイゲンジ、バイゴジジュズカケザクラ、ギョイコウなど、珍しい品種もある。上野にこそふさわしいランランもあれば、かつてはソメイヨシノの片親と言われたコマツオトメ、あるいはアマノカワ、ソノサトキザクラ、フクロクジュなどという目を楽しませてくれる桜もある。イモセ、オモイカワ、マイヒメなどという小粋なネーミングのものも。

珍しい桜の多くは、この辺に出没する何人もの薀蓄オジさんに教わったもの。薀蓄を語るオジさんは桜に限らない。蓮の華の薀蓄を語る人、水鳥の生態について薀蓄をかたむける人、最近は立派なカメラを携えたカワセミの薀蓄おばさんにしばしば会う。教えを乞う姿勢さえあれば、この辺りは薀蓄に満ちている。

桜の下で究極の薀蓄オジさんに出会ったのはいつのことであったろう。真っ赤な夕日が本郷台のビルとビルの間に沈もうとしているころ。小柄で大きな帽子をかぶった、つよい東北なまりの雄弁おじさんに捕まった。薀蓄オジさんには、こちらから声を掛けての出会いが常で、向こうから声を掛けられたのは初めての経験。

客観的には明らかにアヤシいオジさん。それを意識してか、この方、「恥ずかしながら自分は文化庁の歴史審議官」と繰り返して名乗られた。そんな役職があるのかどうか、確かなことはいまだに分からない。最初はいいかげんに聞いていたが、いやいろんなことをよく知っている。ここ東叡山寛永寺の由緒から始まって、蕩々と江戸時代の各地の大名の内政外交、江戸の町の変遷、明治維新の経過、大東亜戦争の将官たちの評価、戦後の東京23区の成り立ち、NHK大河ドラマの裏話等々、語るところ面白く日はすっかり沈んで真っ暗になるまで桜の下での特別講義を拝聴した。

寒くなって来たのでお礼もそこそこに急いで帰ったが、翌日目覚めて以来、あれは本当にあったことなのか、桜に化かされたのではないだろうか。犬も歩けば棒に当たる。ときには、こんな薀蓄オジさんにぶつかることもあるのだ。もっとも、まだ、憲法を語る薀蓄オジさんにはお目にかかっていない。

(2020年4月9日)

コロナ感染の危機を、民主主義の危機にしてはならない。

新型コロナウイルス感染をめぐる世の雰囲気が、尋常でない。昨夜(3月25日)、小池都知事が緊急の記者会見を開き、現状を「感染爆発の重大局面」と表現した。「このままの推移が続けば、ロックダウン(都市の封鎖)を招いてしまう」とも言った。唐突な説明に、違和感を禁じえない。

私は、安倍も小池もまったく信用していない。安倍や小池が何かを言えば、まずはウソだろうと否定する。ウソとまでは思わぬ場合にも、裏があるだろう、どんな思惑でしゃべっているのだろう、引用のデータはおかしい、と身構える。眉に唾して聞かなければならないという、その姿勢が間違っていたことはなく、確信に揺るぎはない。

このような時期に、このような政治家しか持ち合わせのない日本の民主主義を心底情けないと思う。コロナ感染が本当に危険なら、何を今さら、オーバーシュートだのロックダウンなどと言い出したのか。オリンピック開催の強行に差し障りがあるからとしてこれまでは感染の危険性を過小に発表して騒がないようにし、オリンピック延期やむなしとなったとたんに権力を振り回す。安倍も小池も、国民からそう見られることを、不徳の至りとして甘受しなければならない。

こんなときにこそ、あらためて肝に銘じておきたい。人権や民主主義の危機は、常にもっともらしい理由を伴って登場する。ブレない醒めた理性が必要なのだ。「非常事態」を口実とした立法権の行政への白紙委任を警戒しなければならない。

ウィルス感染蔓延の防止という、容易には反対しがたい名目での権力の万能化が企図されている。軽々にこれを許容してはならない。「信頼は常に専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。」という民主主義の原点をこういうときにこそ、思い出さなければならない。

議論の出発点となつているデータが信用しがたい。毎日、いったい何人の検査を行ったのか。そのサンプルはどうして選定したのか。感染死者数は、どうして確定しているのか。肺炎死者やインフルエンザ死者の中に、コロナ感染死がないことは確認できているのか。結局は、PCR検査の受診者をどう選定するか次第で、感染者数も、重症者数もコントロールされているのではないか。蔓延している疑問に誠実に答える姿勢に欠けているのではないか。

さらに、述べておきたい。いかなる場合にも、議会を無視した行政府の専横を許してはならない。行政が非常の事態だからとして人権を制約しようとするときには、納得できる根拠を国民に示してその同意を得る努力をしなければならない。コロナ感染症についての疫学的基礎データの徹底した情報公開と国民への説明によって、採ろうとする方策への積極的同意を獲得しなければならない。それなくして、感染症蔓延防止に成功することはあり得ない。

哀しいかな、嘘とごまかしにまみれ、国民からの信を失った安倍晋三政権である。自分ファーストに徹して都民の支持を失った小池都政のやることである。国民・都民の積極的同意を得ることは、たいへんに困難であることを肝に銘じて、これまでとは違った真摯な姿勢でことに臨んでいただきたい。
(2020年3月26日)

「新型コロナウィルス感染リスク🆚安倍政権追及討論合宿」 ー ある日のある会合にて

A 次の議題です。
新型コロナウィルス肺炎が流行の兆しです。厚労省が不要不急のイベントの自制を呼びかけていますね。天皇誕生日の一般参賀が中止になり、東京マラソンの一般参加枠も取りやめ。自民党大会も延期だとか。近々に予定されている私たちの討論合宿についても再考すべきではないかとの意見が寄せられています。皆様のご意見はいかがでしょうか。

B 合宿が不要不急のイベントとは思いませんが、キャンセルもありじゃないでしょうか。このところの報道に家族が心配しています。新幹線もバスも、宿泊施設も、感染リスクを否定できません。感染拡大がおさまってから再度計画としてはどうでしょうか。

C 何を規準にどう行動すればよいか迷う問題ですが、この間の「市中感染」事例発生の報道を見れば、合宿はキャンセルというのが無難なところだと思います。合宿に代わる都内での小会議を設定することで、合宿が目指している課題を実現することも十分可能でしょう。

D 感染リスクは、実はそれほどではないと思いますよ。1臆2600万の日本の人口に対し、現段階では中国とクルーズ船での感染を除く国内の感染確認者はまだ2桁でしかありません。また、コロナウィルスの致死率は、インフルエンザよりは多少高い程度で、SARSよりは低い。健康な人が感染しても大部分は重症化せず、風邪のような軽い症状ですんでいます。インフルエンザの年間死亡者数は2018年が3000人を超え、2019年はそれ以上のようです。コロナにしてもインフルエンザにしても、合宿での感染リスクより、満員電車での感染リスクの方が高いと思います。

C まだるっこしいほどの検査態勢の不備から、現時点では正確な感染リスクを判断できません。それでも、武漢の実例は十分に恐ろしい実例です。インフルエンザと違って、新型コロナには予防も治療も期待できない。致死率は低くとも、感染した場合の患者の社会生活上のダメージは極めて大きい。しかも、感染経路不明な感染者が出ていることは、社会の至る所に感染リスクがあるということ。判断しかねるときは、安全側を取るべきが常識ではありませんか。

D 合宿強行を主張するつもりはありませんが、感染リスクを避けるために合宿を中止するなら、満員電車に乗るリスクを避けるために当面の都内での会議・企画の中止も求めないと矛盾すると思いますよ。

E コロナ感染リスクの有無もさることながら、この時期に、自粛ムードに乗せられてしまうことに抵抗感がありますね。まるで、天皇死亡後の自粛ムードを彷彿させる事態。世間がこの空気だからキャンセルが無難だというのは、体制順応ウィルスに感染の症状ではありませんか。

F 私は、今合宿を行うことの意義を再確認したいと思います。ご存じのとおり、国会情勢は共闘体制を固めた野党側が徹底して安倍政権を追い詰めています。もう一息で、現政権の「国政私物化」「嘘とごまかし」を完膚なきまでに暴くことができる。私たちが、その情勢を正確に認識し、国会の内外で何ができるか、何をなすべきかの意見交換と検討が、一刻の猶予も許さぬ課題となっています。予定のとおり、ぜひ実行すべきです。

G 賛成です。感染リスクだけではなく、合宿の必要性の認識が重要だとおもいます。親睦会の開催の可否であれば、感染リスクの有無や程度だけの議論でよい。しかし、今われわれが、改憲阻止や具体的な政権追及の課題をテーマに討論合宿をすることには緊急性があると思います。実施すべきでしょう。

H とはいえ、高齢者や基礎疾患のある人にリスクの高いことは報道されているとおりで、ご本人の判断での欠席は、尊重されなければなりません。その点は、十分に配慮が必要だと思います。

A この件だけで、大きく時間を割くことができませんので、お諮りします。
合宿は、予定のとおりに開催する。ただし、状況を踏まえて再度出欠の希望を確認する。そして、それぞれのご事情での判断を尊重して、決してご無理をなさらぬようご通知をする。
これで、いかがでしょうか。
ご異議ないものと判断して、次の議題に移ります。

(2020年2月24日)

「#募ってはいるが募集はしてない」「答弁してはいるが答えていない」を「さくら論法」と呼ぼう。

史上、首相として国民から敬愛される人物はまことに稀少である。多くは、警戒され、嫌われ、恐れられる人物だった。安倍晋三という現首相。これまでの歴代首相とはひと味違う。長期政権を維持してはいるが、こんなにも国民から軽侮されている首相も珍しかろう。その理由の一つは、極端なまでの身贔屓だが、もうひとつとして、決定的な国語の基礎能力不足をさらけ出していることがある。官僚の作文を朗読することはできるが、ルビがふられていないと「云々」も「已まず」も読めない。

その、これまでの「実績」に、この度はもう一つ加わった。桜を見る会についての「募集ではなく募ったという認識だった」「募ってはいるが募集はしていない」という答弁である。一国の首相のこの国語能力不足の顕在化は,対内的にも対外的にも,国家機密暴露というべき大問題である。しかも彼は、「美しい国・日本」などを語る国粋派なのだ。

実は、不誠実な答弁姿勢こそが真の問題点なのだが、これは一見して直ちに誰にも分かるというものではない。それにくらべて、昨日(1月28日)の衆院予算委員会における,宮本徹議員質問に対する、首相答弁の国語力レベルは誰の目にも分かり易い。

首相 「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったのであります」

宮本 「私も日本語を今まで48年間使ってまいりましたけども、募るというのは募集するのと同じですよ。募集の『募』は募るっていう字なんですよ。総理はその認識なく、募っているという言葉を使っていたんですか?」

首相 「あの、それはですね、つまり事務所、がですね、いわば今までの、ですね、今までの経緯の中において、ふさわしい方々に声をかけていると」「いわば、それにふさわしい方ということでですね、いわば募っているという認識があったわけでございまして、例えばですね、新聞等にですね、広告を出して、どうぞということではないんだろうと、こう思うわけでございます」

 ルビがふってあれば「募る」を読めても、意味までは理解できていない。官僚が書いた原稿を棒読みしているだけだから、当然、反省の気持ちもない。たまに自分の言葉で話せばこのザマだ。(日刊ゲンダイ)

この発言が報じられると、Twitterでは「#募ってはいるが募集はしてない」というハッシュタグが生まれ、大喜利が始まった。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」といった投稿が集まり、一時トレンド入りしたという。このフレーズを「さくら論法」と呼ぶこととしたい。

思い出すのは、一昨年の流行語大賞の受賞作の一つともなった、上西充子教授の「ご飯論法」である。

Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」

これを「さくら論法」流に言い換えれば、
「朝ごはん食べないとは言ったが、朝食をとらないとは言ってない」
というわけだ。

早くも、「#募ってはいるが募集はしてない」は、「今年の流行語大賞候補第一号ですな」という呼び声が高い。

安倍流「さくら論法」の大喜利フレーズがネットに並んだ。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」を筆頭に、なんとも出来がよい。しかも、面白いだけでなく、含蓄に富むものが多い。

投票しているが支持しているわけではない。

書き換えてはいるが改竄はしていない

毎日新聞を読んでいるが 毎日新聞は読んでいない

自由民主党であるが、自由でなく民主的でもない

危ないとは認識してはいるが、危険という認識はない。

愚かだという認識はあるが、愚鈍という認識もある?

「妻は公人じゃないんです。国からボディーガードとお付きの人が付く私人なんです」

労働をしたが 働いていない

訪問をしたが 訪れてはいない

後援会の会員を、幅広く募集して、桜を見る会に招待し、税金で飲み食いさせて接待したが、背任したという自覚はない。

答弁に立つが答えない

任は痛感するが責任取らない

隠蔽ではないと言うが黒塗り資料しか出してこない

言わばと言うが後に例えが出てこない

まさにと言うが後に確かな事柄が出てこない

圧力はかけていない。テレビが勝手に忖度するだけ。

「募る」と「募集」は違うと安倍首相。
いよいよ危険が危ない。
というか、こんな答弁をされては頭痛で頭が痛い。(山添拓)

読んでいるが 読書はしていない

強烈な眠気はあるが 睡魔は襲ってきてきない

成蹊大学法学部政治学科卒業ではあるが 勉強はしてない

っているが虚偽ではない

招待したけど、招いたわけではない、みたいな。

マズい部分隠したが改竄ではない。

総理だが総裁ではない(ときもある)
総裁だが総理ではない(ときもある)

炉心溶融してるが、メルトダウンじゃない

桜を見る会の名簿、破棄はしたが棄ててはいない

殴ってはいるが殴打してはいない

「それでは、それではですね、宮本さんは、み宮本さんは、まさに、思いが募る、ではなく、思いが募集する、とか、言うんですか?言う、言うんですか?」

コピーして何人でも募れます!(募集ではない)

大喜利見てきたけど、やはり元祖に勝てる人はいまだかつて居ない。
#安倍さんしかいない

これは、他の件にも応用が利く。

逃げてはいるが逃亡ではない (ゴーン)

政府チャーターだが無料ではない (利用者に8万円請求)

安倍晋三のことだから、「募ると募集するは意味が違う」なんてアホな閣議決定をやりかねない。

(2020年1月29日・連続更新2494日)

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