澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

憲法と落語(その4) ― 「名人長二」では、無茶苦茶な刑事司法が語られている。

三遊亭圓朝とは、言わずと知れた落語界の大名跡。大名人として「大圓朝」とさえ言われる。大看板、大真打ち、大師匠。どこまでも「大」の付く別格の噺家。その技倆は伝説にのみ残されているが、幕末から明治の人とて録音はない。だから、圓朝の話芸そのものについては、誰しもが語りかねる。

写真は残されており、鏑木清方、河鍋暁斎などの人物画もある。それらを見る限り、面白い噺をして人を笑わせようというタイプにはみえない。人情話や怪談を専らにし、また多くの長編を創作して自演した。その速記録が、日本文学史上の言文一致体の形成に大きな役割を果たしたとされている。

速記録を見れば、なるほど大したものと思わざるを得ない。しかし、大圓朝の作だからなんでも結構かと言えば、そんなことはない。中には変な噺もある。

「名人長二」は、大圓朝創作の「変な噺」である。登場人物も多彩で、仔細を極めた筋書きだが、無茶苦茶なストーリーというしかない。

長い噺である。名人譚の見せ場である「仏壇こわし」の抜き読みなどは寄席や独演会にかかることもあるそうだが、私は聞いたことがない。志ん生のCDでは、各30分余で5話にまとめられている。何度か聞き直したが、やっぱり無茶苦茶だ。

時代は文政期。長二は、若いながらも名人の名を確立した指物師である。その名人気質や気っぷの良さの語りは聞いていて気持ちがよい。この名人譚だけでまとめておけば無難でよかったのにとも思うのだが、圓朝はこれをお白州ものとした。長二が、親殺しに及んで裁きを受けるのである。この点は、モーパッサンの短編「親殺し」を翻案したものとされている。この判決と、無理な判決理由をひねり出す過程が無茶苦茶なのだ。

あらすじをごくかいつまんで要約してみよう。
長二は、たまたま湯河原に傷養生の湯治に出かけて、自分の出生の秘密を知ることになる。自分はこの地で生み落とされて捨て子にされた。背中の傷は藪に捨てられたとき竹が刺さったためと聞かされれる。養父母は、これを拾って大事に育てたが、何も言わぬまま他界した。

その後、長二は亡き父母の菩提寺で、豪商亀甲屋幸兵衛とお柳の夫妻にめぐり遭う。長二は、贔屓にしてくれる幸兵衛とお柳を実父母ではないかと思うようになり、背中の傷を見せて問い質すが、夫婦は否定し続ける。そして、押上堤の場。長二は親子の名乗りをと迫り、これを拒否する幸兵衛が刃物をとりだし、もみ合いのなかで、長二は亀甲屋夫婦を殺害する。

長二は師匠の縁を切った上、奉行所に駆け込んで親殺しを自首する親殺しは大罪。南町奉行井和泉守の詮議が始まるが、長二は仔細を話すと親の恥が出るので話せない、このまま処刑して欲しいと言うばかり。さて、尊属殺をどう裁くか。

奉行の詮議の結果、29年前の「事件」が発覚する。実は、幸兵衛は長二の実父ではなく、長二の実父半右衛門殺しの犯人だったと判明。幸兵衛は、亀甲屋半右衛門の妻お柳と謀って半右衛門を殺し、亀甲屋を我が物としてお柳と夫婦におさまっていた。そして、そのとき生まれたばかりの長二を邪魔として捨てていた。

幸兵衛の殺害に関しては長二は親殺しではないばかりか、はからずも実父の仇を討ったことになる。ところが、問題として残ったのは、実母お柳殺しの罪状についてである。長二はまぎれもなく実母を殺したのだ。しかし、奉行と幕閣は、長二を何とか無罪にしたい。そこで、儒者・林大学頭の鑑定を依頼する。何とか無罪にする方策はないか、知恵をお借りしたいという趣旨である。

これに、大学はどう答えたか。青空文庫から引用する。
大學頭様は窃(ひそか)に喜んで、長二の罪科御裁断の儀に付き篤(とく)と勘考いたせし処、唐土(もろこし)においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二へは御褒美の御沙汰(ごさた)あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記(らいき)と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻目の檀弓(だんぐう)と申す篇の一節(ひとくだり)を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声(こわいろ)を使わんければならない所でございますが、四書(ししょ)の素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、あるかたから御教示を受けましたから、長二の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、あざなを子思と申す方がございまして、そのお子を白、あざなは子上と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服(きふく)を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教えに背くと思って、「何故に忌服をお受けさせなさらないのでございます」と尋ねましたら、子思先生の申されるのに、「拙者の妻であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのである」と答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺ひとごろしだのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是この半右衞門が子思の所で、子上が長二に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉(かど)ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦(おんな)は仮令(たとえ)無瑕(むきず)でも、長二のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領(おうりょう)いたしたのみならず、実子をも亡(うしな)わんといたした無慈悲の女、天道いかでこれを罰せずに置きましょう、長二の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直たゞちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍(こおどり)するまでに喜ばれ、…関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。

「離縁した以上は私の妻ではないから、子のためにも母でない」「だから、離縁相当のことをしでかしたお柳を殺しても、長二は母殺しにはならない」というのがこの噺のキー・センテンス。これが儒教であり、家制度なのだ。明治の聴衆は、この噺を違和感なく受け入れたのだろうか。さらに、半右衛門はお柳を離縁したわけではない。志ん生は「あの世で離縁したに違いない」と辻褄を合わせている。

こうして、判決言い渡し。長二は無罪。どころか、「非業に相果てたる実父半右衞門の敵を討ったのであるぞ、孝心の段、上にも奇特に思召し、青差拾貫文御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且つ半右衞門の跡目相続」も、という無茶苦茶。念のためだが、この「上」というのは、天皇のこではなく将軍家斉のこと。圓朝は名君と持ち上げている。当時、天皇も将軍もおんなじようなものだったのだろう。

尊属殺が否定されたところで、通常の殺人罪は成立するはずだと思ったら、これも敵討ちとして無罪。実母を殺しても、実母が家長殺しなら、むしろ仇を討ったとしてのご褒美頂戴だという。長二本人には、敵討ちの意図などさらさらなかったのに、である。

この判決の無茶苦茶さは、おそらく巧みな話芸が糊塗したのだろう。聴衆は、不幸な過去を持ちながらも、気っ風のよい善人長二に感情移入させられている。その長二が無罪なのだから、終わり良ければすべて良しとなる。

しかし、お白州とは、裁きとは、刑事司法とは、「お上」の思惑次第でどうにでもなるのでは困るのだ。世の中には、善人集団と悪人集団とがあるわけではない。司法の役割は悪人集団に属する者を摘発して裁くことではない。犯罪を犯した者を、罪状に応じて処罰することに尽きるのだ。善人長二を救って大団円という、「大圓朝」の変な噺に欺されてはならない。
(2018年9月19 日・連続更新1998日)

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 選挙だもの。脅すくらいのことはあるだろう。
 そんなことでへこたれてはいけない。それをいかに乗り越えるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治だもの。ウソもごまかしもあるのは当然だろう。
 いちいち責任なんかとれっこない。いかにごまかし通すかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 一強だもの。批判されたってどこ吹く風よ。
 甘ったれちゃいけない。食うか食われるかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 権力者だもの。腹心の友に甘い汁を吸わせるくらいはあたりまえ。
 学部一つ作るくらいで騒ぐんじゃない。あんな人たちには負けられない。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 自民党だもの。それとなく賄賂をねだるくらいのことはあるだろう。
 ばれたって大丈夫さ。検察もメディアもわが手にあるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 資本主義だもの。貧富の格差は必要悪だ。
 格差がなくなったら大変だ。貧乏人を金で操れなくなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 国会取り巻くデモの波。ウチのじいさん呑み込んだ。
 へこたれてはいけない。どうやって弾圧するかだ。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊だもの。ビンタもリンチもあるだろう。
 逃げてはいけない、逃がさない。殴れば殴るほど兵は強くなる。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 軍隊持たなきゃ国家じゃない。戦争できなゃ国家じゃない。
 改憲できなきゃ日本じゃない。取り戻そうぜ、大日本帝国。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 会社だもの上下の秩序が必要だ。パワハラもセクハラもやり放題だった。
 それでへこたれてはいけない。いずれは、自分もやる方になれるのだから。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 学校だもの。勅語の精神たたき込み、素直な良い子を作らなきゃ。
 「日の丸・君が代」否定するのは非国民。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 「テンノーヘイカの思し召し」その一言で、命までも投げ出した。
 あの時代がうらやましい。もう一度あの日本を取り戻そう。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 政治家にも教養があった。ミゾユウ・デンデンなんてなかった。
 今でよかった。これでも大臣務まるもの。

昔はもっと激しかった。こんなもんじゃなかった。
 隙を見せたら、強面記者から叩かれた。遠慮も会釈もあらばこそ。
 今は、一緒に寿司を食う。記者は仲良し、たいこもち。

(2018年9月18日・連続更新1997日)

あゝ籠池泰典よ 君の無念を噛みしめる(改版)

君の思想は妖しきも
人柄憎めぬ君なれば
君に一声かけまほし
君 気骨を失うことなかれ
語るに怯むことなかれ
アベに忖度あるなかれ

アベ夫妻との蜜月が
いつの間にやら暗転し
君は目障り
君は邪魔
うるさい口を塞ぐため
昨夏の盛りに捕らえられ
夫婦ともども塀の中

国策ゆえに勾留は
300日にも及びたり

有罪宣告あらざるに
300日もの監禁は
泣くに泣けない 身の辛さ
憤怒を深く呑み込んで
いでや怨みを晴らさばや

思えばアベを甘く見た
アキエのことも甘く見た
教育勅語にアベバンザイ
アベを取りまき 取り入って
神風吹かせてうまくいく
上手の手から水が漏れ
手のひら返して邪魔にされ
トカゲのシッポと切られたり

昨日の同志が今日の敵
相信じた朋友が
今さら「妻は欺された」
信義に悖る一言は
いくらなんでも酷すぎる
卑劣な輩の痴れ言は
トカゲのアタマの保身術
いかで許しておくべきや

あゝ籠池泰典よ 君の無念を噛みしめる

卑劣と非情は権勢に
常に伴うものなれど
アベと昭恵はひどすぎる
怒りは怒髪天をつく

祟徳の院は舌を噛み
血文字の呪いを書きつけて
魔道の王となりしとか
ああ君の心も似たるかな
憤怒の炎 燃やさばや

それでもようやく塀の外
マイクに向かってしゃべる身に

「早朝の 志を得る 初夏の風」
その意気や良しとは思えども
300日の勾留に
失いしものは多からん

ようやく言葉を取り戻し
しゃべれる立場となりぬれば
アベの顔色なからしめ
溜飲下ろすも近きこと

君よ語れ 真実を
アベと昭恵の恐れるものは
真実のみにあろうから

あゝ籠池泰典よ 君の無念を噛みしめる
君 精気を失うことなかれ
矜持を捨てることなかれ
叛骨失うことなかれ
膝を屈することなかれ
語るに怯むことなかれ
アベに忖度あるなかれ
(2018年5月25日)

高校生が書いた「私たちの憲法前文」

まいにち笑っていられる幸せ。
まいにちごはんが食べられる幸せ。
まいにち学べる幸せ。
まいにち安心して眠れる幸せ。
まいにち会いたい人に会える幸せ。
あたり前のまいにちは特別なまいにち。
もしまだ戦争が日本で続いていたら
もしまだ核兵器が使われ続けていたら
今、この瞬間のようにありふれた幸せに溺れることもできていない。
あたり前に感謝しながら
自分が幸せになるための努力をしていきたい。
頭の片隅に幸せになりたくてもなれない人がいることを覚えておきたい。
そうすることで世界が一歩幸せに近づく。
(「ほっととーく・145号」2018年2月3日号より)
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現代の高校生が、社会の理想を憲法に託して、まぎれもなく自分の言葉で書き上げた「私の憲法前文」だ。この前文を書く作業を通じて、自分と社会とが緊密に繋がっていることを明確に再認識したのではないか。自分の幸せは社会のありかたと無関係にはない。平和なくして、あたり前のまいにちはない。

この一文の素晴らしさは、徹底して「個人の幸せ」から出発して筆を進めているところだ。そのことが多くの人々の共感を呼ぶ。笑うこと、食べること、学ぶこと、安心して暮らすこと、自由に人と交際すること、それこそが幸せだ。ここには、国家も、民族も、王様も、党も、家も、神様も出る幕はない。「個人の幸せ」こそが第一義だ。その他の諸々は、個人の幸せのためのもの。そのような確信が、身についているのだ。まずは、そのことを素晴らしいと思う。

この書き手は思いをめぐらせる。「個人の幸せ」に敵対するもの、「個人の幸せ」を根こそぎ奪い去るもの。その危険なものは戦争だ。核兵器だ。「個人の幸せ」には平和が不可欠なのだ。「個人の幸せ」を守る平和への感謝をしつつ、平和を守り抜く努力をしていかねばならない、と。

さらに、思いはめぐる。「幸せになりたくてもなれない人がいる」現実についての認識である。「幸せになりたくてもなれない人」の具体的イメージは、この短い文章からは伝わってこない。

戦火に怯える紛争地域の人々、基地建設と闘わざるを得ない人々、原発被害によって故郷を追われた人々、過労死するまでの労働を強いられる人々、国籍や民族や思想や信仰による差別に苦しむ人々、公害や労災や職業病の被害者。そして、貧困にあえぐ多くの人々。この理不尽はすべて社会が作り出した不幸だ。不幸を作り出した社会が、その自覚と反省によって不幸をなくせないはずはない。

さらには、病気や自然災害や事故に苦しむ人々の不幸には、社会が手を差し伸べなければならない。この社会の理想に向けての一歩が、社会と世界の幸せの実現に一歩近づくということなのだ。

個人の幸せから出発して、個人の幸せの実現のためには世界の幸せが必要と考える。そして、この「前文」を書いた君の言うとおり、「幸せになりたくてもなれない人がいることを自覚しつつの、自分が幸せになるための努力」が世界の幸せを生み出す力になる。そう、1926年に、詩人(宮沢賢治)もこう言っている。
  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

賢治は、
 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
と言って散った。
この「前文」を書いた君は、今の世の無数の賢治の一人だ。私も、そうなりたいと思っている。
(2018年2月24日)

「アベ政治を許さない」言い遺して兜太逝く

俳人金子兜太が亡くなった。最前線で戦争を体験し、それゆえに反戦・平和を訴え続けたかけがえのない人がまた一人この世を去った。

俳人としての兜太について述べる能力も資格も私にはない。正直なところ、前衛と言われる彼の句のリズムは門外漢の私には心地よいものではない。彼が批判してやまない「有季定型」こそが俳句だと、長く思いこんできた。「俳句はかく解しかく味う」で虚子が述べているようなものが俳句だと、身に染みこんでしまっているのだから。

また、兜太の死がかくも大きなトピックとされていることにやや意外の感がある。俳句がそんなにメジャーな文芸だったのか、とあらためて思いを新たにしてもいる。

この機に、兜太の句に目を通して見たいと思っていたところに、同じ本郷に住まいされる黒田杏子さんから2冊の書を頂戴した。

「存在者 金子兜太」(黒田杏子編著・2017年4月刊・藤原書店)
「語る 兜太 ― わが俳句人生」(2014年6月刊・著者金子兜太・聞き手黒田杏子・岩波書店)

前書に兜太自選の50句があり、後書に100句がある。もちろんその他に幾百の句の紹介がある。幾つかは誰にも知られている著名句だが、私には咀嚼も玩味もなかなかに容易ではない。

しかし、この相当に分厚い2冊の書物に表れている金子兜太の人物像や、天衣無縫な生き方はよく分かり、たいへんに魅力的でもある。「存在者」「荒凡夫」との自称もむべなるかな。

以下が、黒田杏子が綴り、兜太が「ああ、結構です。うまくまとめてくださった。ありがたい」と言った、兜太の人生の紹介。

「この9月23日に満95歳となる金子兜太さん。この日が遊行者一遍の忌日であることから、折々に「私は一遍さんの生まれ変わりかも知れませんな」などと言ったりもするユーモアの人だ。
東大経済学部を卒業して日銀に入行。しかし、終戦を南太平洋のトラック島で迎えた戦争体験が、山国秩父の医家の比較的恵まれた家庭に育ったこの人の土性骨となっている。日銀復職の日がかの2・1ゼネラルストライキの日だった。
祖国に生還した金子さんは、「非業の死者に酬いたい」という思いから、先輩、上司が「その活動は君の将来を閉ざす」と忠告するのを振り切って、日銀従業員組合の専従となる。そのために五十五歳定年の日まで、いわゆる昇進はなく、福島・神戸・長崎での地方転勤を終えて東京に戻ってからも窓際族ならぬ窓奥族のままだった。日銀金庫の鍵を預かる文字通りの「金庫番」で職業人の生活を終わっている。
 一方、在職中から前衛俳句の旗手としてもてはやされ、早くから「俳句専念」の人生を選択。同志と「海程」を創刊している。定年後の人生が40年となる現在も、俳句会の長老として旺盛な活動をつづけ、いまや国民的人気俳人となっている。
芭蕉よりも一茶に親しむこの巨人の生き方は痛快でもある。独自の長寿健康法「立禅」。権威や肩書、地に足の着かない理屈を排す生き方。憲法九条にこだわり、脱原発の立場と反戦の思想を貫きとおす姿勢は独自の俳句作品となり、就任以来30年近くにもなる「朝日俳壇」の選者としての選句・選評にもこの立場は明確に示されている。
俳句が国民文芸となり、HAIKUが世界語、地球語となっている今こそ、この行動する俳人、金子兜大の語る俳句人生に耳を傾けたい。」

そして、兜太は黒田にこう語ったという。
「金子兜太を支えてきたのは、培ったのは、《戦争体験》《職場での冷や飯》、そして《ある時期の俳壇の保守返りと金子抹殺の風潮》、この三つだっていうことをあんた憶えておいてくれよな」

《戦争体験》《職場での冷や飯》は、この2書に目を通せばよく分かる。もっとも、《俳壇の保守返りと金子抹殺》の方は俳壇の事情に疎い私には何ゆえ重要事なのか分かりにくい。

彼の反戦や平和・9条への思い、さらには沖縄や福島の被曝をわがこととする心情と叛骨の精神は、《戦争体験》と《職場での冷や飯》だけではなく、秩父という産土の土地柄にもあるようだ。

「存在者 金子兜太」の中に、中嶋鬼谷という俳人が、「侠気の系譜」という一文を寄せている。秩父困民党事件の蜂起に触れて、兜太の父、兜太、その弟の句を紹介している。

兜太の父・金子伊昔紅(医師・俳人)の句。
 栃餅や石間押し出す困民党 伊昔紅
秩父郡石間村は、戸数150の寒村。ここから、実に147名が押し出したという。

兜太自身の句。
 沢蟹・毛桃食い暗み立つ困民史 兜太
沢蟹も毛桃も、通常は口にするものではない。極貧の農民たちが、そのようなものを喰らいつつ、目を暗ませながら叛乱に立ち上がったという。

父の医業は兜太の弟の金子千侍が嗣いだ。父とともに「秩父の赤ひげ」と人望のあった人だったという。その人の句。
 風光る峠一揆も絹も越ゆ 千侍
この句は、歴史を包み込んで、明るく分かりやすい。

中嶋鬼谷は、この親子3人の心の底を流れているものを、「侠気(おとこぎ)」といっている。「侠気」とは、「強きをくじき弱きを助ける心だて」のこと。秩父困民党こそ、その最心だてのも顕著な表れであり、兜太の人生をつらぬいた叛骨の精神もこの秩父の気質を受け継いだ見事なものだったといえるだろう。

ところで、兜太によれば、句は自由でよい。季語がなくても、定型にこだわらずともよい。花鳥風月ではなく、国家でも社会でも、政権でも句になるのだ。

ならば、兜太の最高傑作は、
 「アベ政治を許さない」
に違いない。有季・定型からの破調著しいが、まぎれもなく民衆の心をつかんだ一句ではないか。これほど、民衆に親しまれ民衆を励ましたフレーズはない。この「句」は、その書体と相俟って、自由でのびのびとした、それでいて断固とした雰囲気を醸しだしている。

この兜太の遺志を体して、アベ政治を許さない行動をもっともっと大きくしたい。憲法を守り抜きたい。さらに、アベ政治を倒したあとも、アベ政治的なものへの抵抗を続けていきたいとつよく思う。

それが、二度と戦争を繰り返さないという願いを実現することであり、金子兜太への何よりの手向けとなるであろうから。
(2018年2月22日)

「官僚養成学校」の片隅にひっそりと咲いた叛骨の文化

63年入学の澤藤から、幹事の一人として、閉会の辞を申しあげます。
本日は、楽しく有意義な「Eクラス」合同同窓会の集いをもつことができました。お互い、元気な姿で集まることができたことを喜びた合いたいと思います。参加者は、51年入学組から67年組までの48名でした。

自分自身を形づくる時期を青春というのなら、まぎれもなく、ここ駒場に私たちの青春がありました。その青春の時期を想い起こすには、その場所に赴き、その時を共にした友人と語り合うこと。本日は、そのような機会であったと思います。その青春の時期に抱いた理想を想い起こすことは意味あることではないでしょうか。

51年入学の石川忠久さんの開会の辞の中に、当時の想い出として「血のメーデー」で警官に殴打されて負傷した同級生のお話しが出てきたことに驚きました。田仲一成さんのスピーチには大講堂での山村工作隊員募集の件もありました。その後に60年安保の時代があり、フランスの中国承認があって、米中の和解や日中国交回復が「Eクラス」の消長にも大きな影響を与えることになりました。

それぞれの時代の背景事情が、そのときどきの学生に大きなインパクトを与えてきました。その時代を超えて、私たちは、何を共通のバックボーンとしたのでしょうか。おそらくは、思想とか信条というものではなく、権勢にも多数派にもおもねることを潔しとしない心情とか感性であったような気がします。

それは富貴を求めず、名声や権力を指向しない生き方。叛骨・在野の精神を矜持としてもつ生き方の感性ではなかったかと思うのです。本日は、あらためて、そんなことを確認する機会ではなかったでしょうか。

また来年、集まりましょう。それまで健康にお気を付けてお過ごしください。

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本日(12月3日)は、恒例となった学生時代の同窓会。東大教養学部で第2外国語に中国語履修を選択した「Eクラス」の各期48名が参集して和気あいあいのうちに歓談した。度々の引用となるが、下記の詩のとおりである。

 同榜 同僚 同里の客
 班毛 素髪 華筵に入る
 三杯 耳熱くして歌声発す
 猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを

(註 「同榜」は合格掲示板に名を連ねた同窓の意。「素髪」は白髪頭。「班毛」はごま塩頭。いずれも老年を指す。「華筵」はにぎやかな饗宴のこと)

拙訳はころころ変わる。今は、こんなところ。

 口角に泡を飛ばしたあのころの
 古き友らと宴の席に
 飲んではしゃいで語って熱い
 おれもおまえも変わらない

教養学部のクラス編成は第2外国語の選択で編成されている。私が在籍した当時、文系の第2外国語は独・仏・中の3語だけ。ドイツ語の既修クラスがA、未習がB。フランス語既修がC、未習がD。そして、中国語が未習のみで「Eクラス」を作っていた。なお、理系には中国語はなく、ロシア語のFクラスがあった。1963年入学者のEクラス総勢は27名。ほぼ3000名の入学者の内、中国語を学ぼうという者は1%に満たなかったのだ。

当時中国語を学ぼうという学生の多くは、49年の中国革命に大きな関心をもつ者であった。かなりの部分がその思想や実践を肯定的にとらえていたと思う。もちろん、圧倒的な少数派。それに、工藤篁という特異なキャラクターをもつ教師の個性が加わって、「国家経営の官僚養成学校」の片隅に叛骨の文化がひっそりと咲いたのだ。あれ以来、少数派であり続けてきた思いがあるが、そのことに悔いはない。
(2017年12月3日)

100年前にロシア革命があった。

今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。

若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。

否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。

人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。

これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。

中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。

現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。

資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。

資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。

ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。

私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)

正月にめぐりあったお地蔵様に

関東は、暮れから新年の晴天に恵まれた。風は穏やかで、街の喧噪はない。夕暮れには、とびきり明るい宵の明星と三日月とのランデブーが目を楽しませている。暖かな、申し分のない「よいお正月」である。

この数日、あちこちを歩いている。空気はきれいで、路上に人が少ない。正月は、どこもかしこも、さわやかな散歩道だ。

街を歩くと、あらためて神社仏閣が目につく。大伽藍の神社や寺院も魅力的だが、路地裏の小さな社や石像にこころ惹かれる。中でも、目立つのが稲荷神社とお地蔵様だろう。稲荷神社は、江戸時代に伏見稲荷が全国に飛脚便を用いて、積極的に分霊・勧請を行ったと言われている。これが事実なら、画期的な神様の通信販売。何しろ、お稲荷様は、商売の神様。さもありなんと思わせる社の数である。「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれたほどなのだ。

これに比して、お地蔵様の方には、慎ましやかな敬虔さがある。今日、瓦葺きのお堂に納められた単体の大きな地蔵菩薩にめぐり逢った。人気のない街はずれに、なにやら、かたじけなくもありがたい慈愛の雰囲気。そして、しばらく歩いて、お揃いの赤ずきんとよだれかけの六地蔵にもお目にかかった。

末法思想では、釈迦の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうという。その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う役割を果たすのが、地蔵菩薩であるという。

また、十王思想(後世では十三王思想)というものがある。今日もらったパンフレットによると「地獄十王経」が出典とされる説明がなされている。かなり詳細なその記述を要約すれば、以下のようなもの。

人は死すると冥府の十王に裁きを受ける。初七日(死後7日目)から、七日ごとに各王にまみえて生前の罪業について審判を受け、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のどこに転生するかについて宣告されることになる。その五・七日(死後35日目)にまみえなければならないのが、あの閻魔王である。実は、その閻魔王とは地蔵菩薩の化身なのだという。中世に一般化した本地垂迹説によれば、現世で衆生を救済する地蔵菩薩が本地で、死後の世界で人を弾劾する閻魔はその変化の姿なのだそうだ。

十王思想では、閻魔は裁判官役ではない。六道の転生先を決する処断者は、七・七日(死後49日目)の太山王であって、閻魔は主席検察官役と言ったところ。閻魔王庁には淨玻璃の鏡が置かれている。この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるという。そのため、閻魔の前ではいかなる隠し事もできないとされているのだ。事実上、ここで事実認定と罰条が決せられることになる。

六地蔵とは、いずれも地蔵菩薩の分身で、人が死後に送られた、地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道のそれぞれにおいて,衆生救済のために配されものという。この各分身にも名がつけられており、檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光というのだそうだ。民間信仰や民間説話としての豊穣さがとても興味深い。

六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)の輪廻は、人々の願いでもあり、戒めでもあったろう。もう少しマシな人生をやり直すことや、あるいはそれ以上の仏の加護は苦しい現実に生きざるを得なかった多くの民衆の願いであったろう。善行を積むことによって人道や天道に転生が可能であるとの教えは救いであったろう。できることなら、人道や天道に転生するために、浄玻璃の鏡で暴かれるような悪行は慎もうと自戒したのだ。

しかし、凡夫はあくまでも凡夫である。浄玻璃の鏡に照らして一点の曇りもない人生を送ることなどは、現実にはなし得るところではない。しかも、戦乱や領主の収奪や洪水や飢饉など、自らの責めに帰すことのできない現実の不幸は無数にあった。

厳格な裁きの閻魔ではなく、救済の仏が求められたのだ。民衆の救済を求める心情が慈愛の地蔵菩薩の信仰を生んだに違いない。しかも、一体だけでは足りずとして、六道それぞれに配置するための六地蔵の変化としたのだ。天道や人道ではいず知らず、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道でこそ、救済の慈悲の仏が必要ではないか。まさしく、「地獄に仏」である。

地蔵の信仰を生み地蔵を祀ったのは、不幸を強いられた民衆の心情だった。日本中至る所に素朴な地蔵を造り、これを祀り続けてきたのも同じ民衆の心だ。私が今日出会ったお地蔵様も、そのように守り伝えられてきたものなのだ。

いまも、事情は大きくは変わらない。シリアやアフガンやガザなどには地獄道が展開されている。ブラック企業やアンフェアトレードの世界は餓鬼道というべきだろう。従軍慰安婦問題をもみ消そうという輩は畜生道に落ちねばならない。自・公・維などの改憲陣営は修羅道に生きる勢力である。

民主主義や立憲主義が行われべき人道、さらには誰もが豊かに、その尊厳が守られるべき天道(あるいは天上道、天界道とも)の世を実現したいと思う。

正月である。お地蔵様にはそのように願ったが、ただ微笑んでいるばかりだった。
(2017年1月2日)

明けましておめでとうございますー「目出度さもちう位也この春は」

あらたまの年の初めである。目出度くないはずはない。街は静かで人は穏やかである。誰もが、今年こそはという希望をもっている。欠乏や飢餓や恐怖は、見えるところにはない。が、その目出度さも、「ちう位」というしかない。

今年(2017年)の5月3日に、日本国憲法は施行70周年の記念日を迎える。この70年は、私の人生と重なる。振り返れば、その70年の過半は、希望とともにあった。漠然したものではあれ、昨日よりは今日、今日よりは明日が、よりよくなるという信念に支えられていた。「よりよくなる」とは、すべての人の生活が豊かになること、人が拘束から逃れて自由になること、そして貧困が克服されて格差のない平等が実現し、人が個性を育み自己実現ができること、その土台としての平和が保たれることであった。

敗戦ですべてを失った戦後の歩みは、平和を守りつつ豊かさを取り戻す過程であった。自由や平等や人権保障の不足は、「戦前の遅れた意識」のなせる業で、いずれは克服されるだろうと考えられていた。楽観的な未来像を描ける時代が長く続いた。しかし、明らかに今は違う。今日よりも明日がよりよくなり、上の世代よりも若い世代が、よりよい社会を享受するだろうとは思えない。いつから、どうしてこうなったのだろうか。

私が物心ついて以来、民主主義信仰というものがあった。戦前の誤りは、一握りの、皇族や軍部、藩閥政治家や財閥、大地主たちに政治をまかせていたからである。完全な普通選挙を実施したからには、同じ過ちが繰り返されるはずはない、というもの。天皇を頂点とする差別の構造も、官僚や資本の横暴も、民主主義の政治過程が深化する中でやがてはなくなる、そう考えていた。

しかし、経済格差のない男女平等の普通選挙制度が実現して久しい今も、多くの人が政権や天皇批判の言動を躊躇している。官僚や資本の横暴もなくなりそうもない。それどころか、平和さえ危うくなってきた。民主主義信仰は破綻した。少なくとも、懐疑なしに民主主義を語ることはできなくなった。

政治や制度が多数派国民の意思に支えられていることを民主主義と定義すれば、民主主義的な搾取や収奪の進行も、民主主義的な戦争もあり得るのだ。人種差別も思想差別も優生思想もなんでも「民主主義」とは両立する。トランプの登場やアベの政治は、そのことに警鐘を鳴らしている。

格差と貧困が拡がり深まる社会にあって、「お目出度とう」とは言いがたい。国民一人ひとりの尊厳が大切にされて、こころから「おめでとう」と言い合える、「ちう位」ではない目出度い正月をいつの日にかは迎えたいと思う。

立憲主義大嫌いのアベ政権である。今年の憲法記念日に、憲法施行70年を盛大に祝うとは到底思えない。このことは、一面「怪しからん」ことではあるが、権力によって嫌われる憲法の面目躍如でもある。日本国憲法は、政権から嫌われ、ないがしろにされ、改悪をたくらまれていればこそ、民衆の側が護るに値する憲法なのだ。

今年も、憲法改悪を阻止と、憲法の理念を実現する運動の進展を願う。その運動の進展自身が、民主主義を支える自立した市民を育むことになる。微力ではあるが、当ブログもその運動の一翼を担いたいと思う。
(2017年1月1日・元旦)

2017年「友愛政治塾」を開催しますー〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに

友愛政治塾は、〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに、季刊『フラタニティ』の執筆者を講師に招き、それぞれの専門領域での最新の知識を学ぶ場として開設されます。講師団と塾生によるシンクタンク=知的拠点としても活動し、時には講師団全員の賛同を得たうえで政策的提言を発することもあります。
私も、講師を担当いたします。ぜひご参加ください。

塾長:西川伸一 (明治大学教授)
開講場所 東京都内
第3日曜日午後
☆時間配分 午後1時20分から 講義:90分  質疑討論:70分
☆講師は確定。テーマと開講日は変更の可能性あり。
☆12月は番外、望年会も、自由参加。
☆受講料 通し1万円
単回は無し(途中からは別途割引)
登録受講者が欠席の場合にはその友人が1人出席可能。
受講手続き:事前申込必要→入金
主催:友愛政治塾  Fraternity School of Politics
事務局:村岡到
連絡先住所:〒113-0033  東京都文京区本郷2-6-11-301
ロゴスの会   TEL:03-5840-8525
Mail : logos.sya@gmail.com
郵便口座:00180-3-767282 友愛政治塾

2017年の講師団 (講義順)
西川伸一  明治大学教授
進藤榮一  筑波大学名誉教授
下斗米伸夫 法政大学教授
松竹伸幸  かもがわ出版編集長
丹羽宇一郎 元駐中国大使
伊波洋一  参議院議員
澤藤統一郎 弁護士
浅野純次  石橋湛山記念財団理事
岡田 充  共同通信客員論説委員
孫崎 享  東アジア共同体研究所所長
村岡 到  『フラタニティ』編集長
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2017年日程
① 1月22日(日)
西川伸一 明治大学教授 自民党の特徴と安倍政権
安倍晋三首相は繰り返し「憲法改正は自民党の党是」だと主張しているが、本当なのか。自民党史やこれまでの自民党大会の決議ではどのように書かれているのか。自民党の特質と安倍政権の特徴を明らかにする。

② 2月19日(日)
進藤榮一 筑波大学名誉教授 アジア力が開く新世紀
中国は今やGDPでアメリカに次ぐ第二位で第三位の日本の二倍となっている。アジア諸国の経済成長も目覚ましい。〈アジア力〉の台頭は、400年に渡る近代を超える世紀を切り開きつつある。この現実を直視する。

③ 3月19日(日)
下斗米伸夫 法政大学教授 ロシア革命と宗教(古儀式派の存在)
ロシア革命100年を迎えた。「宗教はアヘンだ」という教条に災いされて知られることがなかったが、実はロシア革命には「古儀式派」という宗教の流れが連綿として強く作用していた。政治と歴史にどう影響したのか。

④ 4月16日(日)
松竹伸幸 かもがわ出版編集長 日本会議をいかに批判すべきか
近年の日本政治の危険な右傾化の陰で強い影響を発揮している右翼勢力=日本会議への批判はどうあるべきか。単に彼らの「欠点」を暴くだけではない、柔軟で包摂的な批判こそが強く求められている。

⑤ 5月21日(日)
丹羽宇一郎 元駐中国大使 日本と中国の友好外交の道
「中国の脅威」がしきりに煽られているが、14億人の中国の歴史と現状を知らなくてはならない。そして、動かすことのできない隣国とどのように付き合うことが求められているのか。友好外交の道を探る。

⑥ 6月18日(日)
伊波洋一 参議院議員 沖縄の歴史的位置と課題
第二次世界大戦での日本の敗北のなかで、米軍基地の理不尽な押し付けは、どうして生じたのか。琉球王国いらいの沖縄の歴史を捉え返し、沖縄がどのように苦しんできたのか、その理解に踏まえてあるべき姿を展望する。

⑦ 7月16日(日)
澤藤統一郎 弁護士 言論の自由の時代状況
そもそも言論の自由とはどのような権利なのか。今、日本の言論の自由はどのような状態ににあるのか。DHCから6000万円請求のスラップ訴訟被告とされた体験を通じて、「表現の自由」の本質を再確認しつつ、言論封殺の圧力に抗する方法について論じる。

⑧ 9月17日(日)
浅野純次 石橋湛山記念財団理事 マスコミの影響力と責任
マスコミは「第四の権力」といわれ、現代の政治を動かす大きな要因となっている。日本の現在のマスコミはどうなっているのか。市民の立場に立った情報源として有効に機能しているのか。その責任を問う。

⑨ 10月15日(日)
岡田 充 共同通信客員論説委員 日本・中国・台湾はどうなる
日中関係はどうなっているのか。実は台湾も視野に入れて総体的な関係を掴まなくてはならない。台湾の政治はどうなっているのか。マスコミの視野からは抜け落ちる諸関係を歴史的に明らかにする。

⑩ 11月19日(日)
孫崎 享 東アジア共同体研究所所長 日米関係の深層
「アメリカが日本を守っている」──多くの日本人がそう思っているが、本当なのか。真実は一つ。アメリカには日本を防衛する義務はない。敗戦後に作られた〈対米従属〉の分厚い壁からどうしたら脱却できるのか。

番外 12月17日(日)(自由参加)
村岡 到 『フラタニティ』編集長 日本左翼運動の軌跡と意味

左翼は依然として小さな勢力に留まっている。政治を動かす大きな力になれないのは何故なのか。新左翼として生きてきた自らの体験に踏まえて戦後左翼の歩みをふりかえり、その根本的欠陥・弱点を抉り出す。
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よびかけ
日本も世界も不安定さを増しつつ大きく変化しています。日本では、昨年(2015年)9月に安保法制が違憲であることが明確であるにもかかわらず強行採決され、今年(16年)7月の参院選の結果、民意を歪曲する選挙制度も作用して壊憲を進める自民党など与党勢力が総議席の3分の2を超えました。経済では、非正規労働者がほぼ2000万人で被雇用者の約40%に増え、子どもの6人に1人が貧困家庭となる深刻な〈格差社会〉となっています。また、福島原発事故の深刻な実害や今後の災害の可能性を顧慮することなく、原発の再稼働が進んでいます。〈脱原発〉も最重要な課題です。
世界では中国がGDPでアメリカに次ぐ第2位で、第3位の日本のほぼ2倍へと大きく成長し、アジア各国の成長も著しく、アジアの世紀が到来すると言われています。アメリカの衰退は不可避です。戦後の日本を一貫する〈対米従属〉から脱却し、友好と平和の創造をめざす〈東アジア共同体〉を展望しなくてはなりません。
森羅万象と言われるように複雑さを増し、その事象が瞬時に目の前に伝達される情報革命の進展のなかで、日本政治の劣化は著しく、基礎的な認識の獲得がいっそう求められています。
友愛政治塾は、〈友愛を心に活憲を!〉をモットーに、季刊『フラタニティ』の執筆者を講師に招き、それぞれの専門領域での最新の知識を学ぶ場として開設されます。講師団と塾生によるシンクタンク=知的拠点としても活動し、時には講師団全員の賛同を得たうえで政策的提言を発することもあります。
ぜひご参加ください。

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本日は、フラタニティの編集会議。その席上、ハーグ陸戦条約(正確には、「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」及び條約附屬書である「陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則」。1899年採択、1907年改定。日本は1911年に批准)が話題になった。伊波洋一さんが、参議院議員として有する国政調査権を行使して、米軍の沖縄に対する違法行為を洗い出す構想を持っているのだそうだ。

なるほど、ハーグ陸戦条約は戦時国際法として、戦争そのものを止められないとしても、無用の殺傷や戦争被害を最小限にすることを交戦当事国の義務としている。これに照らして、米軍が戦時中に行ったこと、占領中に行ったことの違法の有無を点検することは、今につながる意義のあることであろう。

同条約から、関係あると思われる条文を抜き出してみた。(なお、訳文はネットに掲載されている神川彦松,横田喜三郎共編『国際条約集』を適宜補い句読点を加えた。)
「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」
第三條 前記規則(各締約国が国内法化した本条約に適合する訓令)ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ、損害アルトキハ之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戰當事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ。

「陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則」(條約附屬書)
第二款 戰闘
第一章 害敵手段、攻圍及砲撃
第二二條 交戰者ハ、害敵手段ノ選擇ニ付無制限ノ權利ヲ有スルモノニ非ス。
第二三條 特ニ禁止スルモノ左ノ如シ。
イ 毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト
ロ 敵國又ハ敵軍ニ屬スル者ヲ背信ノ行爲ヲ以テ殺傷スルコト
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
ニ 助命セサルコトヲ宣言スルコト
ホ 不必要ノ苦痛ヲ與フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
ト 戰争ノ必要上萬已ヲ得サル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収スルコト
第二五條 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。
第二七條 攻撃及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技藝、學術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院竝病者及傷者ノ収容所ハ同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
第二八條 都市其ノ他ノ地域ハ、突撃ヲ以テ攻取シタル場合ト雖、之ヲ略奪ニ委スルコトヲ得ス。

第三款 敵國ノ領土ニ於ケル軍ノ權力
第四三條 國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ。
第四六條 家ノ名譽及權利、個人ノ生命、私有財産竝宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ之ヲ尊重スヘシ。
私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ス。
第四七條 掠奪ハ之ヲ嚴禁ス。
第五五條 占領國ハ敵國ニ屬シ且占領地ニ在ル公共建物・不動産・森林及農場ニ付テハ其ノ管理者及用益權者タルニ過キサルモノナリト考慮シ、右財産ノ基本ヲ保護シ且用益權ノ法則ニ依リテ之ヲ管理スヘシ。

日本の皇軍が占領地で行った無法ぶりを免責することができないことは当然としても、そのことが米軍の行為を正当化することにはならない。「銃剣とブルドーザー」で、島民の土地を強奪する行為が違法であることは明らかではないか。伊波さんには、頑張っていただき成果をあげていただきたい。
(2016年12月17日)

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