澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

保険業界に抗う「開業医共済協同組合」の発展を願う。

本日(10月25日)は「開業医共済協同組合」の第6回総代会に出席。縁あって、私はこの組合の顧問となっている。顧問就任の依頼を受けた際に、その理念に共鳴して積極的に承諾をした。

その名が体を表しているとおり、この組合は、開業医を組合員として組合員間の共済事業を目的とした中小企業協同組合法に基づく事業協同組合である。会員数は1750名ほどの規模。

組合のホームページ(http://www.kaigyouikumiai.or.jp/)の冒頭に、「開業医の万が一の休業時に備える開業医共済協同組合」と、保険会社とはひと味違った、やや無骨なキャッチフレーズが掲げられている。

弁護士である私も、開業医と同様、小規模(というよりは零細な)事業者である。数年前に肺がんの手術を受けて休業を余儀なくされた。休業の補償はありがたい、というよりは安定した職業生活には不可欠である。通常の発想では、万一の場合に備えて保険会社が提供する保険商品を選択して保険契約を締結することになる。ところが、この組合に結集した医師たちは、共済事業にこだわって保険契約を拒否しているのだ。

ホームページの「理事長挨拶」の中に次の一文がある。
「開業医には、ひとたび病気やケガで自院の休業を余儀なくされたときに医業再開のための公的休業保障は何もありません。民間保険会社の休業保険商品は保険料が高く医業経営を圧迫し、医院継続が破綻しかねません。そのため、適切な保障制度を開業医の相互扶助で行う必要があることから、開業医共済協同組合を立ち上げ、復業を支援するための『開業医共済休業保障制度』の認可を得ました。」

営利事業としての「民間保険会社の休業保険商品は保険料が高額になる」のは理の当然である。資本出資者への配当も、会社役員・職員の人件費も、広告宣伝費のコストも避けられない。一方、当組合の役員は、これまでのところすべて無報酬だ。配当は無用。宣伝コストも微々たるもの。

本日の総代会の雰囲気が明るい。「開業医のニーズにフィットした運営がなされている」「契約者数・契約口数の伸びはまことに順調」「財務状況はきわめて安定」「会員のために、さらなる利益還元の共済制度充実を」という具合。

本日の議案のひとつが、「入院療養にかかる給付金に関する共済規定(約款)変更の件」。これまでは入院についての傷病給付金の支払いの要件とされていた、「5日以上連続して休業した場合」を撤廃しようというもの。現約款では、入院4日以内の休業は給付の対象とならなかったものが、改正案では1日でも支給されることになる。もちろん、反対意見などあるはずもなく採択された。組織の発展の好循環が見て取れる。

「保険会社の保険金等の支払能力の充実の状況を示す指数」として、ソルベンシーマージン比率なるものが使われる。高いほどのぞましく、200%以下は行政から改善指導を受けることになる。当組合の昨年の総代会報告では、「541%から866%に改善」と誇らしげなものだったが、今年はさらにアップして1026%との報告だった。「制度の運営にあたっては、投資のための株式・債券等のリスク資産での運用は行っておりません。また、役員報酬を無くし会議等も効率的に開催し経費を切り詰め、長期的に安定・安全運営できるよう努力しています。」との成果なのだ。加入者が着実に増加している原因でもあり、結果でもある。

私が顧問就任をお引き受けしたとき、組合の経営内容については、よく把握していなかった。積極的にお引き受けしたのは、むしろ、この組合の理念に共鳴したからである。共鳴した理念のひとつは、この組合が新自由主義的な企業万能主義に反対の立場を明確にしていることである。かつて、共済は保険業とは無関係に種々の相互扶助制度として社会のそこここにあった。ところが、2005年の保険業法の「改正」が、これら共済制度のすべてを保険業法の網の目に入れて規制対象とした。名目は、「共済」を隠れ蓑にしたインチキ保険商品の横行から消費者を守るためである。しかし、当組合の組合員の多くはそうは見ていない。グローバリゼーションとして押し寄せたアメリカの保険企業の日本展開が、日本の相互扶助制度としての共済システムを企業展開の邪魔者と見ての圧力の結果だとの理解である。TPPやFTAに対する警戒心には重いものがある。

新自由主義とは、実は「自由」を本質とするものではない。巨大企業の行動の自由に規制には撤廃・緩和を要求するが、巨大企業に邪魔者となる「自由」は目障りとして新たな規制を創設するものなのだ。

本日の総代会議案書の中にも、「開業医の経営と生活を金融資本の市場に開放しようとする動きと対峙した、自主的、民主的な経営・生活保障である当組合の休業補償制度の存在価値は大きい」とされている。自主的な相互扶助事業を、企業利益に呑み込ませてなるものかというこの気概。その意気やよし、ではないか。

もう一つの私が共鳴した理念とは、意識的に徹底した組織の民主的運営を心掛けるという点である。組合員の思想・良心を制約することはけっしてしない。組合員の組織運営に関する発言の自由、批判の自由を保障するという。それこそが、柔軟で強靱な組織を形成する要諦であるとの発想からである。

民主的組織運営の確保、あるいは徹底。誰もが言うことではあるが、なかなかに実現は困難なことと言わざるを得ない。この組合が、事業内容によっての発展だけでなく、透明性が確保された民主的な運営が評価されて会員の居心地よさとなり、この面からも組合発展の要因となることを願っている。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
       http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
       http://article9.jp/wordpress/?p=5768

(2015年10月25日・連続938回)

喫煙権2分説ー「吸煙権」擁護と「吐煙権」規制

WHOは5月31日を「世界禁煙デー」としている。日本では、同日から6月6日までが禁煙週間とされている。厚労省のホームページによれば、世界禁煙デーのテーマが「Raise taxes on tobacco」とのこと。日本では「オールジャパンで、たばこの煙のない社会を」という、両者ともなんともひねりも工夫もない平板な標語。標語の出来はともかく、このようなキャンペーンはけっこうなことである。

私は20代の一時期喫煙していたことを悔やんでいる。タバコが自らにだけではなく家族への害あることを知って止めた。もう40年ほどはまったく吸っていない。それでも、肺がんを患って手術した。担当医師の「受動喫煙の環境にあったからでしょうね」とのつぶやきが忘れられない。幸いなことに手術(右上葉切除)で予後は良好、転移も再発もないが、以来タバコは仇同然である。

個人的に、世の中の嫌いなものをならべれば、まずは戦争、そして核兵器と原発、賭博に暴力団に天皇制、その次くらいにタバコがくる。私のカバンには、「日の丸・君が代」強制反対とならんで、禁煙マークのステッカーが貼り付けてある。

大嫌いなタバコだが、私はけっして権力的タバコ規制に積極派というわけではない。最近は肩身の狭い愛煙家の、「喫煙という嗜好の享受は、幸福追求の権利の一端として保障されなければならない」という、あまり力のはいらない主張にも、耳を傾けている。強権的な喫煙禁止立法に、賛成すべきか反対か悩ましい。憲法上の問題は生じないのだろうか。

私は、ずいぶん以前から愛煙家に言ってきた。「誰にだってタバコを吸う権利はある。喫煙は人権だ。私はあなた方の『吸う権利』を断固擁護する」。しかし、「『吐く権利』となれば話は別だ。煙を吐くことは必ずしも断固守られるべき権利ではない」「対抗人権を考慮して制約あってしかるべき」「端的に言えば、吸ってもよいが、吐いてはいけないということだ」。

煙を吸う権利を「吸煙権」と名付け、吐き出す権利を「吐煙権」としよう。この両者を区別して、前者を絶対的権利とし、後者を場合次第で規制可能な権利と考える。

論理の遊びだが、案外これが憲法論の本質を衝いた議論なのだ。発がん物質を含むタバコの煙。これを多少の害あるものと知りつつ我が身に吸い込むことは、自己決定権の行使として、他からとやかく言われる筋合いではない。権力的規制をなし得るところではない。

しかし、発がん物質を含んだ煙を吐き出すことは、他人の人権との関わりを生じることになる。他の人の「健康に生きる権利」、「健康被害のリスクを回避する権利」、「不愉快な臭いから自由である権利」等々と衝突する恐れがある。人権が衝突する局面での調整原理が必要となり、これが規制を合理化する根拠となる。

発がん物質は、社会的には確実に一定数の発症者をつくり出すが、個人だけをとってみれば自分が発症する確率はけっして高くはない。これをどう扱うべきか、微妙な問題が残ることになる。また、受忍限度論という考え方もある。社会生活を送る上では、一定の限度を超えない限りの不愉快さは受忍(我慢)しなければならない、というもの。受動喫煙者側に「社会生活を送る上で喫煙くらいに目くじら立てるなよ」と受忍限度を超えていないと説得すべきか。それとも、愛煙家の側に受忍を説いて「自分の家を一歩出たら喫煙くらい我慢しろよ」というべきか。

感性レベルでは、「タバコよ、タバコ。この世からなくなってしまえ」と思いつつ、理性のレベルではこの思いにブレーキをかけている。法的制裁をもって強権的にタバコを撲滅しようという、キレイすぎる社会の不気味さに反感を禁じ得ないのだ。

タバコの害は認めつつも性急な権力的規制には慎重であるべきが、成熟した社会の在り方ではないか。まずは分煙。そして規制についての社会的合意の形成を見極めるべきだろう。

愛煙家側は、「一服しながらよく考えてみよう」というところ。私の方は、煙に巻かれぬよう用心しつつ、性急な権力的規制を避けながらもタバコのない社会を目指したい。
(2015年6月1日)

3・11から4年。「石原慎太郎天罰発言」批判のアーカイブ。

あの「2011年3月11日」から本日で4年になる。岩手を故郷とする私にとって、あのときの衝撃は生涯忘れることができない。「3・1・1」という数字の連なりに特別の感情が湧いて、胸が痛い。本日のブログでも、震災・津波・原発に関して何かを書かねばならないと思いつつ、筆が重い。

4年前の災害直後を思い出す。石原慎太郎の「震災は天罰」という発言に接して、私は怒り心頭に発した。石原に怒り、この社会の石原的なものの総体に対して怒り、石原ごときを都知事としている都民にも怒った。

筆を抑えつつも、その怒りのほとばしりを、石原慎太郎・天罰発言糾弾の記事として書き連ねた。当時間借りしていた日民協ホームページのブログに、である。3・11に関連した記事として、これ以上のものも、これ以外のものも書けない。当時の記事を抜粋して再録することにした。多くの方に、ぜひもう一度お読みいただきたいからだ。

再録だから、抜粋ではあっても長さに切りがない。徒然の折に、一つでも二つでも、目を通していただけたら、とてもありがたいと思う。
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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する

 敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
 複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
 その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べているとして、発言の撤回も謝罪もしていない。
 かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
 石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
 明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
 発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)

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石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。

 敢えて敬称を「君」としよう。
 石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
 君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
 君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。

 君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
 君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
 君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
 このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)

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石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。

 石原慎太郎君。
 君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
 加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
 尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
 私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
 あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
 「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
 その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)

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石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。

 君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
 みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
 唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
 民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
 震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
 民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)

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石原「震災は天罰」

 石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
 天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
 知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
 知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
 言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
 公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
 なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
 以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
 さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)
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災害を「天罰」とするオカルティズムの危険

 未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
 董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
 天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
 このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
 また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
 本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
 アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
 都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)
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日本国憲法の嘆きと願い

 私は「日本国憲法」である。
 人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
 私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
 このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
 「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
 ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
 石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
 本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
 しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)
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社会不安を奇貨とした妄言を許すな

 大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
 彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
 彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
 もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
 これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
 恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)

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都民は被災地の声に耳を傾けよう

 本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
 その中に、次の1節がある。
 「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
 傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
 この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
 今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
 政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
 首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
 石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)

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都民よ、ポピュリストを忌避しよう。

 石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
 民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
 被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
 都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
 「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
 まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)
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まことのなみだはここになく‥

 敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
  詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
 百万疋のねずみが死ぬのでございますが
 その鼠らがみんな
 やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
 生きているうちは
 毎日いたして居りまするのでございます」
 言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
 岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
 民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
 津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
 「まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)
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グスコーブドリの生き方

「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
 イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
 長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
 その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
 ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
 これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)

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啄木の怒り

 郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
  平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
  赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
  「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
  友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
 没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
 彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
  わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
  はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
  友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

 このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
  頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
  砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
  たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
  一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
  天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
 あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
  くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
  秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
  誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
  かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)
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佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評

 石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
 佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
 石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
 また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
 積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
 「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)

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死者に寄り添う気持の尊さ
 「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
 養和年間(1181~82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
 「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
 行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。

 よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
 山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
 宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。

 宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
 死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)

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失言・放言・暴言・妄言
 「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
 失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
 しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
 彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
 翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
 放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
 失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
 思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)
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江戸っ子の心意気

 べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
 「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
 さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
 この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
 たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
 江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
 俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)

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野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった

 関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
 まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
 次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
 「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
 この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
 90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)
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ばちあたり

 「なんてかなしいこと」というと
 「なに、てんばつさ」という。

 「ほんとにてんばつ?」ときくと
 「ほんとにてんばつさ」という。

 「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
 「てっかいしてしゃざいする」という。

 そうして、あとでもういちど
 「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
 「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、あのひと。

 「天罰」はだれにも見えないけれど
 「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
 「天罰」は本当はないのだけれど
 「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)
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「天罰」は東北に、「福利」は首都に
 「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
 今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
 「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
 だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
 ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
 首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)

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東北の鬼

 私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
 この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
 わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
 「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
 そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
 「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
 さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
 賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
 都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)
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再び、民主主義とは何なのだろう
 私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
 しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
 裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
 もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
 それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
 そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。

 最後に。
 自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。

  新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
  地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
  人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
  東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)

国は、はたして国民のために存在しているのか-松村包一詩集紹介

省かれた手間
   --無責任体制その1

  誰も命令しなかったし
  誰も強制しなかったが
  赤紙は容赦なく配達されて
  若者達は否応なく死地へと旅立った

  従軍慰安婦になれと
  誰も命令しなかったし
  誰も強制しなかった--という
  只 口車に乗せた奴はいる

  集団自決せよとは
  誰も命令しなかった--という
  が 生きて虜囚の辱めを受けるなと
  手榴弾を配った奴はいる

  特攻隊に志願せよと強制した
  上官は居なかった--という
  只 忠君の〈大義〉に殉ぜよとの
  説諭は全将兵を呪縛した

  〈愛国〉という名の〈大義〉が
  今 再び偽造されつつある
  命令する手間を省き
  強制する手間を省くために

ピラミッド
   --無責任体制その3

  責任には重さがある
  不思議なことに
  大きな責任ほど 軽く
  小さな責任ほど 重い

  大きかろうが小さかろうが
  とにかく重さがあるからには
  責任は下へ下へと滑り落ち
  次第次第に重くなる

  責任は最高責任者から
  上位・中位・下位責任者へと
  次々 次々と分割委譲され
  最下位責任者へと辿り着く

  最下位責任者から その先は
  何と! 責任者とは縁無き衆生の
  庶民の肩に食らい付くなり
  (自己責任)と改名する!

  かくて 最高責任者は
  最高無責任者になり
  以下の各位責任者もまた
  以下同様ということになり

  ありとあらゆる責任はすべて
  庶民の自己責任ということになり
  巨大な無責任体制のピラミッドが
  庶民の暮しに華を添える

市場(いちば)と市場(しじょう)

  市場(いちば)と市場(しじょう) それとこれとは
  目で見れば 全く同じ漢字の造語だが
  耳で聞くなら それとこれとの間には
  天国と地獄ほどの違いがある

  市場(いちば)--その響きのあたたかさ
  そこには市井の人々の哀歓が交差する
  だが市場--そこには困窮する人々や
  国土でも食い荒らす化物がたむろする

  市場(いちば)と市場(しじょう) 人間界と化物界
  生産力の増大につれ生まれ 育ち
  共存し 排斥しあう
  この互いに似ても似つかぬ双生児!

防 衛
  万里の長城は総延長八千八百キロを超える
  それは中国全土を防衛できる筈だったが
  蒙古軍の怒涛の進撃を阻むことは出来なかった
  建設に駆りだされた膨大な数の人民の
  塗炭の苦しみは遂に徒労に帰した

  中国が世界に誇る万里の長城
  世界文化遺産として登録されているのだが
  それは正に大いなる愚行の記念碑として
  永く保存されるべきである

  その後も 規模の大小こそあれ
  防衛線なるものは次々と出現した
  独仏国境には マジノ線 ジークフリート線
  また冷戦を象徴したベルリンの壁 等々
  破られない防衛線なぞ遂になかった
  すべては破られる為にのみあった

  真の防衛とは 防衛しないこと
  敵意と不信と邪悪な野望を捨てること
  虚心に 対等に 互いに尊重し合うこと
  内外にあまねく扉を開くことではなかろうか

**************************************************************************
以上の詩は、松村包一さんの「詩集 夜明け前の断絶-テロと国家と国民と-」からの抜粋である。詩集は158頁、54編の詩が掲載されている。
「英霊に捧ぐ」「テロの源流」「ガザの子どもたち」「言葉の綾」「日米同盟とオスプレイ」「愛国心」「安全と主権の行方」等々。題名から内容のおおよそは推測できるだろう。徹底して民衆に寄り添い、徹底して国の無責任を追求する内容。それが、詩になっている。

詩集に掲載の略歴によると、松村さんは、「1931年水戸市で出生。茨城中学(旧制)、水戸高校(旧制)、茨城大学文理学部を経て1957年東京大学文学部卒」とある。その後の職歴が「劇団東演に所属して演劇活動後、川崎市立中学校教諭」と非凡である。

この詩集は、松村さんご自身からいただいた。2013年11月、ささやかな同窓会の席上でのこと。以来、ときどき頁をめくって読んでいる。滅法面白いので、人に紹介したくなって、4編を抜き出してみた。

後書きに、こうある。
「…疑いの目で日本の国や諸外国をつらつら眺めてみると、殆どの〈国〉が〈国民の為に〉存在しているのではないような気がしてきます。このような疑いの目に映った諸々の情景を描いてみたのが、この一連の作品です。私の目が狂っているのか、私の目の前の世界が狂っているのか、この作品を読まれた方々の忌憚のないご意見を聞かせて頂ければ幸いです」

詩集の奥付を見ると発行がその年の1月29日となっている。安倍政権発足直後のこと。その後の日本の情景はもっと狂っている。松村さんには、安倍政権批判のあらたな詩集を期待したい。

なお、詩集は頒価1000円となっているものの、出版社からの刊行ではない。松村さん、あまり売る気はなさそうなのだ。
(2015年3月2日)

「今の組長、筋目を外しているんじゃござんせんか」

高倉健が亡くなって懐かしむ声が高い。
彼は、ヤクザ映画で売り出した俳優。さすがに、ヤクザ、暴力団、博徒、テキ屋などという言葉は避けて、映画資本は「任侠」という言葉を選んだ。その任侠映画シリーズの花形鶴田浩二の弟分という役回りで、高倉は大衆の支持を得た。

現実の暴力団・博徒集団は、民衆の嫌われ者である。右翼組織と一体化して、政治権力や企業の手先ともなった。安保反対のデモ隊にも三池争議のピケ隊にも襲いかかった野蛮な憎むべき輩。それが、映画では美化されて民衆の喝采を得た。

アウトローや反権力は、民衆の憧れとなる一面をもっている。スパルタカス、水滸伝、ロビンフッド、カリブの海賊、アルセーヌルパン、アテルイ、平将門、国定忠治…。政治権力や社会秩序の圧力が重苦しいと感じる多くの人々の願望と空想の中で、偶像化された反逆児が自由人として羽ばたいた。あるいは、社会秩序からの自由を求めながら結局は挫折する者の生き方の美学が多くの人に受けいれられた。

それだけでなく、鶴田浩二や高倉健の世界では、民衆の道徳が語られたのではないだろうか。「弱きを助け強きを挫く」のがその動かしがたい基本。弱き立場の民衆は、これを支持した。「強きに与して」の「弱い者いじめ」は、最も恥ずべき卑怯な振るまいとして醜く描かれた。

そして、常に「筋目」を通すことが語られた。「義理」や「仁義」に外れることが嫌われる。嘘をつくこと、策略で人を陥れることは専ら悪役の役所。任侠映画は、意外に健全な民衆の道徳観に支えられていた。

安倍晋三という役者は、どうやらこの典型的な任侠道に大きく外れた悪役を演じているのではないか。筋目を外して、「強きに与して強い者いじめ」ばかり。高倉健に喝采を送った民衆が、これからも安倍晋三を支持するとは考えにくい。

本日の赤旗を引用する。「野中広務元自民党幹事長が、15日放送のTBS『時事放談』で、安倍首相の政治姿勢を厳しく批判した」というもの。その批判が、「安倍は、保守の筋目を外している」という、老ヤクザ、いや任侠の言に聞こえる。

「首相の施政方針演説について野中氏は、『昭和16年に東条英機首相の大政翼賛会の国会演説のラジオ放送を耳にしたときと変わらない』『重要な部分には触れないで非常に勇ましい感じで発言された』と述べました。

沖縄県辺野古への米軍新基地建設を民意に背いて強行する姿勢については、『沖縄を差別しないために政治生命を懸けてきた1人として、絶対に許すことができない。県民の痛みが分からない政治だと思い、強く憤慨している』

また来年度予算案について『防衛費だけ増えていく、そういう国づくりが本当にいいのか』と疑問を投げかけ『一番大切な中国の問題、韓国の問題を正面から捉えようという意欲がないのではないか』と指摘しました。最後に『私は戦争をしてきた生き残りの1人だ。どうか現役の政治家に“戦争は愚かなものだ”“絶対にやってはならない”ということを分かってほしい』と訴えました。」

先代親分の代貸しが、老いの身でこう呟いているのだ。
「今の組長は、筋目をはずそうとしていらっしゃる。ふたたびの出入りはしないことを誓っての組の再出発だった。これこそが筋目だということをもうお忘れか。

先の出入りを知る者も少なくなった。勇ましい言葉は組を滅ぼすこととわきまえてもらわなくてはならない。今の組長のやり方は危なっかしくって見ちゃいられない。

隣の組とは腹を割って話し合わなくっちゃならない。その懐の広さが、親分の親分たる力量の見せどころ。ところが、今の組長は貫禄に乏しく、セールスはできても、手打ちのための話し合いができない。これじゃダメだ。

そして、なによりも弱いものの立場に立って親身になってこその任侠道ではないか。いじめられている者を、かさにかかって痛めつけるようでは、任侠道もおしまいだ。今の組長、道に外れている。

それに嘘をついてはいけない。大事なことを言わないのは嘘なのだ。大事なことは言わずに、些細なことを大袈裟に言うことで組員を騙し、組の外にいる人々との緊張を高めて、最後は出入りにもっていこうとしている。

これは、先の出入りの前の時代とよく似たやり方だ。今の組長のじいさまの代が、そんなことをやって組を壊滅の寸前までもっていったのだ。私は強く危惧し憤慨している。また同じことを繰り返してはならない」
(2015年2月16日)

「戦後70年」と冠される年のはじめに

あらたまの初春。「戦後70年」と冠される2015年の、年の初めのブログの書き初めである。

「日記買ふ」が冬の季語で、「初日記」「日記始」が新年の季語だそうだ。一年の計を思いつつ、新しい日記の第一頁に筆を下ろす。この新鮮な気持はまた格別。手許の歳時記をめくると、その気持よく分かる、という句が並んでいる。
   まっ白な月日あふるる初日記  (山口壤邇)
   胸埋めるほどに雪降る初日記  (菅原多つを)
   新日記三百六十五日の白    (堀内 薫)
   日記まづ患者のことを書きはじむ(中台泰史)
   記すこと老いて少なき初日記  (中 火臣)
ブログとて気持は日記と同じ。さて、いったい何を初ブログに書くべきか。

この数年、さして目出度いというほどの新年ではない。とりわけ、安倍政権下の正月となってからは。しかし、世の習いにしたがって申し述べる賀詞はけっして嘘ばかりではない。70年前の正月に比べれば、なんたる「目出度さ」であろうか。

この正月、戦争もなくテロもない。空襲警報は鳴らないし敵機の来襲もない。特高警察も憲兵も、徴兵も徴用もなく、町内会が物資の供出を求めて家々を回って来るでもない。治安維持法も軍機保護法も国家総動員法もない。宮城遙拝や「天皇バンザイ」の唱和を強制されることもない。日本の軍隊が海外に展開しているでもなく、ラジオの臨時ニュースが大本営発表として戦況の放送をしているでもない。ならば、十分に中くらいは目出度いと言ってよいではないか。

これは日本国憲法が保障している平和の世の目出度さである。戦後レジームによる平和であればこそ「目出度い」と言っていられる。うっかり、戦後レジームを脱却して、「天皇を戴く国」を取り戻されたのではたまらない。「天皇を戴く国」とは、皇国史観を強制されて、精神の内奥までに権力の支配が及ぶ恐るべき「御代」にほかならない。治安維持法や軍機保護法が猛威をふるい、国民すべてにスパイの嫌疑がかけられる世の中。特高や憲兵、思想検事が巾を利かせる世の中。人種差別や民族差別が横行する社会。個人の自由ではなく、国家の存立こそが唯一価値あるものとされ、個人は国家への服従を強制される。

新年は、そのような70年前に引き戻そうとするたくらみを許してはならないと、あらためて決意を固めるべき時であろう。

亡父が生きていれば、本日が101歳の誕生日である。そのスパンで、1914年から100年前に遡ると1814年となる。日本はまだ、将軍家斉の時代。ナポレオン・ボナパルトがエルバ島に配流された年だという。

戦後70年もずいぶん長い。1945年から70年を遡ると、1875年、明治8年ではないか。西南戦争以前、江華島事件の年となる。「戦前」を、目一杯明治維新から敗戦までとしても77年間でしかない。大日本帝国憲法制定から敗戦までだと、なんと56年に過ぎない。戦後は長く続いてきた。国民に定着してきた。日々国民が選び取ってきたのだ。

この日本国憲法がもたらす平和を大切にしたい。平和をもたらす日本国憲法を大切にしなければならない。そのことに役立つようなブログを書き続けたい。それが新年の決意。

そして、今年のブログを書き始めるにあたって、「短くしよう」「読んでもらいやすくしよう」「複数のテーマを盛り込むことは止めよう」と決意している。できるだけ…ではあるが。
(2015年1月1日)

今年1年「憲法日記」をお読みいただいたことに感謝いたします

たまたま目にした神奈川新聞に次の句があった。

   余白なきページを重ね日記果つ(増田幸子)

日記は一年単位のもの。その日記の各ページを、年初からこつこつと余白なく埋めてきて、その繰りかえしがとうとう全ページを最後まで埋めつくしたという感慨が詠まれている。日記の記載は確実に自分の人生の一部である。年の終わりに、一年という時の経過と、その間の自分の人生のあゆみとを、余白のなくなった日記を読み返しての一入の感慨。今年1年、何ごとかを成し遂げたという充実感も読み取ることができよう。

私のブログも、本日大晦日の掲載で、今年365日は余白なきページを埋めつくした。一日の休載もなく、書き連ねたことにいささかの充実感がある。

私のブログは「憲法日記」と標題する。日々書き連ねていることにおいて日記ではあるが、我が国の伝統的な「日記」とはやや異なる。「日記」とは、通常他人の目に触れることを想定していない。あるいは、目に触れないことを前提とする体裁で書かれることが多い。自分だけの読み直しのために、自分の考えをまとめ、忘れてはならないできごとの私的な記録といってよい。

永井荷風の「断腸亭日乗」は、その典型であろうか。荷風37歳の1917年9月16日を第1日目として死ぬ前日まで42年間書き続けられたものだが、戦前には筆禍を怖れて誰にも見せなかった。見せなかったというだけでなく、懸命に隠していたともいう。隠さねばならないと思いつつも、書き残しておこうとするところが文人の文人たる本性なのだろう。「日乗」の戦後分の評価は高くない。晩年は殆どが一日一行という程度にもなっている。隠さねばならないと思いつつ、よほどの覚悟で書いた日々の文章が貴重であり、関心を呼んでいるのだ。

似た例では、神坂次郎が紹介する「元禄御畳奉行の日記」(中公新書)が実に面白い。荷風が漢学と西洋の教養を兼ね備えた風流人(相当に偏狭で自堕落ではあるが)であるのに比較して、こちらは一介の尾張藩士の日記である。取り立てて取り柄のない下級藩士朝日文左衛門は、恐るべき根気で筆まめに日記を書き続けた。その日記の名を「鸚鵡籠中記(オウムろうちゅうき)」と気取ってつけている。彼が18歳であった元禄4年6月13日から延々26年8か月、日数にして8863日間連綿と書き続けた。神坂の紹介による、ままならぬ人生模様を描いたその内容が実に面白く、「日記を書くためだけに生まれてきたような」生涯と評されている。その鸚鵡籠中記の8864日目のページには、知人の筆で「終焉」の2文字が書き加えられているという。この日記も、藩主の浪費やその生母の淫乱などについてまで書き留め、到底人に見せるつもりがあったとは考えられない。文左衛門も、自分の日記が後世こんなに多くの人に読まれる貴重な記録になろうとは夢にも思わなかったことだろう。

これに対して、ブログは社会への発信ツールである。自分だけの備忘録ではなく、後の自分ひとりを読者に想定するものではない。多くの人に知ってもらいたい情報を伝達し、意見を共有してもらいたいとする積極的な表現である。だから読んでいただくために文章を綴っている。

とりわけ、私の「憲法日記」は安倍晋三という右翼が政治家となり首相にまでなったことによる改憲への危機感を出発点としている。現在の憲法の危機を世に伝え、憲法の危機は人権の危機であり平和の危機であること、さらには多くの庶民にとっての生活の危機でもあることをうったえ、憲法を攻撃する勢力にともに対峙することを呼びかけることを本旨としている。

だから、独りよがりの文章は意味がない。「長すぎる」、「分かりにくい」という批判には耳を傾けなくてはならない。常々そうは思っているのだ。能力の不足のせいでこれが難しいのだが。

そしてブログの継続に意味があると考えている。毎日覗いていただけば、必ず何かしらの新しい情報や意見を提供できるように心掛けている。拙いブログも、継続することで私の真摯さをアピールすることもできるし、社会への発信力を獲得することができるのではないだろうか。

本日のブログ掲載で今年全日の更新をしたことになった。2013年4月1日から通算して640日連続更新ともなっている。しばらくは連続更新を続けたい。とりあえずの目標は1000回の大台である。それまでに、安倍政権が崩壊して頑張る必要がなくなることを祈りながら。

今年1年、「憲法日記」に少しでもお付き合いいただき、一部なりともお読みいただいた方に心から感謝を申しあげて、年を閉じるご挨拶といたします。
(2014年12月31日)

自ら祝す・「憲法日記」600日連続更新

当「憲法日記」が日民協の軒先間借りから独立して新装開店したのは、2013年4月1日。以来、毎日更新を続けて、昨日(2014年11月21日)のブログで600回を重ねた。この間、1日の途切れもなく書き続けてきた。今日が、連続第601号のブログである。

これまで、格別に連続更新を広言したわけでもなく、600回を目標にしたわけでもない。書き続けてきたのは、内から吹き出すマグマがあったからだ。気がついて勘定してみれば、積み重なって600回。さすがに、それなりの達成感がある。まあこれで、私もブロガーの仲間入りができたと言ってよいのではないか。

もっとも、誰も何とも言ってくれないから、一人で「600日連続更新」に祝意を表すとしよう。私はアルコールは一切嗜まないから、ビターなチョコを肴に、ウーロン茶で乾杯でもしておこう。そして、次は連続1000回を目標に書き続けることにしよう。

書き続けることに何の意味があるのか。実はよく分からない。これまでは、内なるものの趣くままに書き綴ってきた。同じテーマも執拗に書き連ね、それなりの一貫性は保たれていると思う。お読みいただいた方から励ましを受けることも、貴重な情報の提供を受けることも少なくない。この反応が、書き続けているブロガーの醍醐味であろう。

また、当ブログの論評に対する宇都宮陣営(及びその付和雷同者)からの舌足らずな批判や、DHCとこれに類する輩からの過剰な反応も、それなりの彩りである。思いがけなくも、批判よりは、激励や連帯のエールを得ている。ありがたいことだ。そのような反応に接して、いささかの充実感を得ている。

600回を省みて、多少は思うところがある。「文章の分量が長過ぎる」「まだるっこしくて分かりにくい」「写真も絵もなく、親しみにくい」「読み手へのサービス精神に乏しい」…。いろんなことを言われたが、これまでは不器用に自分流を貫いてきた。これをほんの少しは改めたいと思う。読んでいただだかねば書く意味がない。少しは短めに、もう少しは読みやすく分かり易い、こなれた文章を心掛けよう。

権力や権威、強者に対する批判の姿勢は変えようもない。とりわけ、天皇や天皇制とそれを支える心情、そしてナショナリズムには切り込まねばならないと思う。そして、人権の侵害があれば、たとえ「民主運動」といえども批判に遠慮があってはならないと思う。

ときに「もの言えばくちびる寒し」と思わぬこともないではない。しかし、常に感じるのは、「もの言わぬは腹ふくるるわざ」の方である。

さて、いまだ途はなかば。新たな一歩を踏み出そう。ときあたかも、総選挙目前の時期である。「憲法日記」のネタは尽きない。
(2014年11月22日)

憲法に、「和をもって貴しと為す」と書き込んではならない

自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)は、安倍内閣のホンネを語るものとしてこのうえなく貴重な資料である。これが、彼らの頭の中、胸の内なのだ。このことについて、私もものを書き発言もしてきた。もう一つ付け加えたい。「和をもって貴しと為す精神」が、立憲主義にそぐわないことについて。

「草案」の前文は、皇国史観のイデオロギー文書となっている。
冒頭「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって‥」と始まり、その末尾は「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」と結ばれる。

どうやら、「日本国の長く良き伝統と固有の文化」とは、天皇を戴き、天皇を中心として国民が統合されていることにあるというごとくなのである。自民党の憲法は、この「良き伝統」と、「天皇を中心とする我々の国家」を末永く子孫に継承するために制定されるというのだ。

「君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで」が、憲法前文に唱われているのだ。これではまさしく、自民党改憲草案は、「君が代憲法」ではないか。ジョークではなく、本気のようだから恐れ入る。

その前文第3段落を全文紹介する。次のとおりである。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」

ここには、「日本国の長い良き伝統」あるいは、誇るべき「固有の文化」の具体的内容として、「和を尊び」が出て来る。
和を尊ぶ」→「家族や社会全体が互いに助け合う」→「国家を形成する」
という文脈が語られている。

この「和」については、自民党の改正草案「Q&A」において、こう解説されている。
「第三段落では、国民は国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたいました。その中で、基本的人権を尊重することを求めました。党内議論の中で『和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である。』という意見があり、ここに『和を尊び』という文言を入れました。」という。舌足らずの文章だが、言いたいことはおよそ分かる。

自民党の解説では、「自助、共助」だけに言及して、ことさらに「公助」が除外されている。「和」とは「自助、共助」の精神のこと。「和」の理念によって形成された国家には、「自助、共助」のみがあって「公助」がないようなのだ。どうやら、「和」とは福祉国家の理念と対立する理念のごとくである。

そのこともさることながら、問題はもっと大きい。憲法草案に「聖徳太子以来の我が国の徳性である『和の精神』」を持ち込むことの基本問題について語りたい。

「十七条の憲法」は日本書紀に出て来る。もちろん漢文である。その第一条はやや長い。冒頭は以下のとおり。
「以和爲貴、無忤爲宗」
一般には、「和を以て貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ」と読み下すようだ。「忤」という字は難しくて読めない。藤堂明保の「漢字源」によると、漢音ではゴ、呉音でグ。訓では、「さからう(さからふ)」「もとる」と読むという。「逆」の類字とも説明されている。順逆の「逆」と類似の意味なのだ。従順の「順」ではなく、反逆の「逆」である。続く文章の中に、「上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」とある。

要するに、ここでの「和」とは、「上(かみ)と下(しも)」の間の調和を意味している。「下(しも)は、上(かみ)に逆らってはならない」「下は、上に従順に機嫌をとるべし」と、上から目線で説教を垂れているのである。これは、近代憲法の国民主権原理とは無縁。むしろ、近代立憲主義に「反忤」(反逆)ないしは「違忤」(違逆)するものとして違和感を禁じ得ない。

なお、些事ではあるが、「和爲貴」は論語の第一「学而」編に出て来る。「禮之用和爲貴」(礼の用は和を貴しとなす)という形で。論語から引用の成句を「我が国固有の徳性」というのも奇妙な話。また、聖徳太子の時代に十七条の憲法が存在したかについては江戸時代以来の論争があるそうだ。今や聖徳太子実在否定説さえ有力となっている。記紀の記述をありがたがる必要などないのだ。

ほとんど無視され、世間で話題となることは少ないが、産経も昨年、社の創設80周年を記念して改憲草案を発表している。「国民の憲法」要綱という。その前文に、やはり「和を以て貴し」が出て来る。次のとおりである。

「日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。‥‥よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。」

(解説)「四方を海に囲まれた海洋国家としてのありようは、聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の御製を織り込んで、和の精神と雄々しさを表した。とくに、戦後の復興や東日本大震災後に示した日本人の高い道徳性を踏まえ、道義立国という概念を提起している」

右翼は「和」がお好きなのだ。この「和」は、天皇を中心とする「和」であり、下(しも)が上(かみ)に無条件に従うことをもってつくり出される「和」なのである。

憲法改正の試案に「和を以て貴し」が出て来るのは、私の知る限りで、本家は日本会議である。
日本会議の前身である「日本を守る国民会議」が「新憲法の大綱」を公表したのが1993年。日本会議・新憲法研究会は、これをたびたび改定している。その2007年版は次のとおりである。

「前文<盛り込むべき要素>(抜粋)
①国の生い立ち
・日本国民が、和の精神をもって問題の解決をはかり、時代を超えて国民統合の象徴であり続けてきた天皇を中心として、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきたこと。」

ここでも、「和」とは天皇中心主義と同義である。現在も日本会議ホームページでは、
「皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました‥」「和を尊ぶ国民精神は、脈々と今日まで生き続けています」
「戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、『同じ日本人だ』という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。私たちはそんな願いをもって、皇室を敬愛するさまざまな国民運動や伝統文化を大切にする事業を全国で取り組んでまいります。」

ここでは「和」とは、明らかに「皇室を敬愛する日本人」の間にだけ成立する。それ以外は、「非国民」であり、もしかしたら「国賊」である。外国人との「和」はまったくの想定外でもある。ということは、内向きの「和」とは、外に向かっては排外主義を意味する言葉でもあるのだ。

決して憲法に「和を以て貴しと為す」などと書きこんではならない。それは、一握りの特殊な人々の間にだけ通じる、特殊な意味合いをもっているのだから。また、近代憲法の原理には、根本的に背馳するものなのだから。

大切なのは「和」ではない。権力に対する徹底した批判の自由である。また、天皇を崇拝する人たち内部の「和」は、排外主義に通じるものとして危険ですらある。憲法に盛り込むものは、もっと普遍的な理念でなくてはならない。
(2014年10月26日)

PL学園硬式野球部の再生に期待する

「昔軍隊、今体育部」と言われる。相当に当たっているのではないか。
かつて国民皆兵時代の国民教育においては、学校だけではなく軍隊も重要な役割を担った。徹底した上命下服の規律をたたき込むには、軍隊以上に適切な場はない。とりわけ、軍人勅諭・戦陣訓で律せられた旧日本軍の「精神注入性」はすさまじかった。組織の論理だけが横行し、兵の人間性は徹底して排除された。「敵」の人権だけではなく、軍内の人権も否定された。かくして、自分ではものを考えず、ひたすら上級の指示に従う国民精神が涵養された。

この精神構造は、富国強兵に邁進する天皇制国家が臣民に押しつけたものであったが、民間企業の組織運営にも好都合であった。兵と同様に、組織に従順な労働者は資本の望むところでもあった。

その旧軍隊の役割の悪しき伝統を今学校の体育系が承継している。体育・スポーツは人間性の開花を目指してのものではなく、ナショナリズムの高揚に利用され、忠誠心や従順の精神涵養に裨益するものとなった。そのために体育部・体育系の就職希望者は企業が歓迎するところとされている。企業の視点からは、学校スポーツにおいて「思想の善導」がなされていると映るのだ。

そのような学校スポーツの巨大な山塊の頂点に甲子園がある。世人の関心を呼び、もてはやされているだけに、高校硬式野球は学校スポーツの負の部分を色濃く体現している。とりわけ、「甲子園常連の名門校」に問題は大きい。

私の母校は、そのような「名門中の名門校」である。もっとも、私が在校していた当時には、甲子園出場はまだ「届かぬ悲願の夢」で、不祥事もなかった。その後、甲子園の常連校となり多くのプロ選手を輩出するようになって以来、野球部の不祥事が聞こえてくるようになった。野球部だけの寮生活における上級生の下級生に対するイジメや暴力が主たるもので、旧軍隊の初年兵イジメや私的制裁と変わらない。

問題が明るみに出るたびに、「真摯な反省がなされ」「新たな体制で再出発」と聞かされ指導者も交替した。しかし、不祥事は繰り返された。

最近の不祥事の発覚は昨年(2013年)2月のこと。部内暴力事件があって、高野連から6か月の対外試合禁止の処分を受けた。必然的に昨夏の甲子園大会の予選にも出場できなくなり、監督は辞任した。

対外試合禁止の処分が解けて、野球部は秋季近畿地区高等学校野球大会大阪府予選に出場した。興味深いのは、監督不在のままでの出場であったこと。不思議なことだが、高野連のルールではベンチに入る監督が必要とのことで、校長が監督を引き受けてユニホームを着てベンチに入った。この校長は、私の後輩でよく知った人。校長にふさわしい温厚な人格者だが、およそ野球とは無縁な人。技術指導も試合の采配もできない。部員は、指導者なしで練習を重ね、自分たちでレギュラーを選抜し、試合では選手が作戦を決めた。スクイズもヒットエンドランも、サインは選手自身が出しているという。

このチームがウソのように強い。勝ち上がって決勝戦まで進んで、履正社高校に3対4で敗れた。堂々の大阪第2位である。ベンチでにこやかにしている以外何もしない校長先生は、「好調先生」と呼ばれた。

私は、なんと素敵なチームができたものかと喜んだ。優勝はできなくても、すばらしいことになってきた。校長の監督兼任で不祥事はなくなるだろう。しかも、選手たちの自主性の尊重はきわめて優れた教育ではないか。「監督なしの名門校」という新たな神話が築けるのではないか。

今年(2014年)の夏も甲子園まであと一歩。大阪大会での準優勝だった。今度は、大阪桐蔭に決勝戦で敗れた。負けても、すがすがしい自主野球として話題を集めた。そして、今秋の近畿大会予選。履正社には勝ったが、決勝で再び大阪桐蔭に敗れた。それでも、レベルの高い大阪の準優勝である。胸を張って良い。10月18日始まる近畿大会に出場する。来春の選抜大会出場の可能性は高い。

その折も折、昨日ふと目にしたスポーツ紙の一面トップで思いがけないニュースに接した。母校の野球部は、来年(2015年)度の「硬式野球部新規部員の受け入れを停止する」というのである。スポーツ紙だけでなく、朝日も毎日も続報を出した。これは、大ニュースなのだ。

10月9日付で学校法人の理事長と校長が連名で発送した保護者宛ての説明書では、「監督適任者が見つからず」「このまま新たに新規部員を受け入れることは、本校の教育責任を十分に果たすことができず、学園の教育指針に反すると判断いたしました」とある。

メディアは先走って「廃部の危機」と報じている。せっかく、監督なしでの再出発ができたと喜んでいた矢先の「危機」である。OBの一人として、残念でならない。

ところで、私の母校は軟式野球部も強い。たびたび大阪大会で優勝し、全国大会の優勝経験もある。その軟式野球部には一切の特別扱いはないと聞いている。硬式野球部も軟式と同様で良いではないか。

リトルリーグの優秀選手を集める必要はさらさらない。特待生の制度も、野球部員の寮を設けることも、特別のカリキュラムを組む必要もない。入学試験における野球部員特別枠の設定も不要だ。そして、監督だってなくても差し支えないではないか。そのために強豪の名が廃れて、甲子園が遠くなっても、それはそれでもよい。大切なのは教育としての部活動の充実であるはずなのだから。

そういう新たなコンセプトを明確にし、入学したものの中から、新部員をリクルートすれば良いだけのことではないか。部員の一人一人を教育対象の生徒として大切にし、イジメも暴力もない、人権の擁護に徹した自主的な部活動こそが求められている。それこそが、教育としてのスポーツ。これまでスローガンとして来た「球道即人道」であろう。

「昔、軍隊」になぞらえられる不祥事続きの野球部から脱皮して、出直した新生硬式野球部に、OBの一人として惜しみない声援を送りたい。

私の母校は、大阪のPL学園という。
(2014年10月12日)

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