憲法と落語(その4) ― 「名人長二」では、無茶苦茶な刑事司法が語られている。
三遊亭圓朝とは、言わずと知れた落語界の大名跡。大名人として「大圓朝」とさえ言われる。大看板、大真打ち、大師匠。どこまでも「大」の付く別格の噺家。その技倆は伝説にのみ残されているが、幕末から明治の人とて録音はない。だから、圓朝の話芸そのものについては、誰しもが語りかねる。
写真は残されており、鏑木清方、河鍋暁斎などの人物画もある。それらを見る限り、面白い噺をして人を笑わせようというタイプにはみえない。人情話や怪談を専らにし、また多くの長編を創作して自演した。その速記録が、日本文学史上の言文一致体の形成に大きな役割を果たしたとされている。
速記録を見れば、なるほど大したものと思わざるを得ない。しかし、大圓朝の作だからなんでも結構かと言えば、そんなことはない。中には変な噺もある。
「名人長二」は、大圓朝創作の「変な噺」である。登場人物も多彩で、仔細を極めた筋書きだが、無茶苦茶なストーリーというしかない。
長い噺である。名人譚の見せ場である「仏壇こわし」の抜き読みなどは寄席や独演会にかかることもあるそうだが、私は聞いたことがない。志ん生のCDでは、各30分余で5話にまとめられている。何度か聞き直したが、やっぱり無茶苦茶だ。
時代は文政期。長二は、若いながらも名人の名を確立した指物師である。その名人気質や気っぷの良さの語りは聞いていて気持ちがよい。この名人譚だけでまとめておけば無難でよかったのにとも思うのだが、圓朝はこれをお白州ものとした。長二が、親殺しに及んで裁きを受けるのである。この点は、モーパッサンの短編「親殺し」を翻案したものとされている。この判決と、無理な判決理由をひねり出す過程が無茶苦茶なのだ。
あらすじをごくかいつまんで要約してみよう。
長二は、たまたま湯河原に傷養生の湯治に出かけて、自分の出生の秘密を知ることになる。自分はこの地で生み落とされて捨て子にされた。背中の傷は藪に捨てられたとき竹が刺さったためと聞かされれる。養父母は、これを拾って大事に育てたが、何も言わぬまま他界した。
その後、長二は亡き父母の菩提寺で、豪商亀甲屋幸兵衛とお柳の夫妻にめぐり遭う。長二は、贔屓にしてくれる幸兵衛とお柳を実父母ではないかと思うようになり、背中の傷を見せて問い質すが、夫婦は否定し続ける。そして、押上堤の場。長二は親子の名乗りをと迫り、これを拒否する幸兵衛が刃物をとりだし、もみ合いのなかで、長二は亀甲屋夫婦を殺害する。
長二は師匠の縁を切った上、奉行所に駆け込んで親殺しを自首する。親殺しは大罪。南町奉行井和泉守の詮議が始まるが、長二は仔細を話すと親の恥が出るので話せない、このまま処刑して欲しいと言うばかり。さて、尊属殺をどう裁くか。
奉行の詮議の結果、29年前の「事件」が発覚する。実は、幸兵衛は長二の実父ではなく、長二の実父半右衛門殺しの犯人だったと判明。幸兵衛は、亀甲屋半右衛門の妻お柳と謀って半右衛門を殺し、亀甲屋を我が物としてお柳と夫婦におさまっていた。そして、そのとき生まれたばかりの長二を邪魔として捨てていた。
幸兵衛の殺害に関しては長二は親殺しではないばかりか、はからずも実父の仇を討ったことになる。ところが、問題として残ったのは、実母お柳殺しの罪状についてである。長二はまぎれもなく実母を殺したのだ。しかし、奉行と幕閣は、長二を何とか無罪にしたい。そこで、儒者・林大学頭の鑑定を依頼する。何とか無罪にする方策はないか、知恵をお借りしたいという趣旨である。
これに、大学はどう答えたか。青空文庫から引用する。
大學頭様は窃(ひそか)に喜んで、長二の罪科御裁断の儀に付き篤(とく)と勘考いたせし処、唐土(もろこし)においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二へは御褒美の御沙汰(ごさた)あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記(らいき)と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻目の檀弓(だんぐう)と申す篇の一節(ひとくだり)を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声(こわいろ)を使わんければならない所でございますが、四書(ししょ)の素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、あるかたから御教示を受けましたから、長二の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、あざなを子思と申す方がございまして、そのお子を白、あざなは子上と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服(きふく)を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教えに背くと思って、「何故に忌服をお受けさせなさらないのでございます」と尋ねましたら、子思先生の申されるのに、「拙者の妻であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのである」と答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺ひとごろしだのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是この半右衞門が子思の所で、子上が長二に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉(かど)ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦(おんな)は仮令(たとえ)無瑕(むきず)でも、長二のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領(おうりょう)いたしたのみならず、実子をも亡(うしな)わんといたした無慈悲の女、天道いかでこれを罰せずに置きましょう、長二の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直たゞちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍(こおどり)するまでに喜ばれ、…関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。
「離縁した以上は私の妻ではないから、子のためにも母でない」「だから、離縁相当のことをしでかしたお柳を殺しても、長二は母殺しにはならない」というのがこの噺のキー・センテンス。これが儒教であり、家制度なのだ。明治の聴衆は、この噺を違和感なく受け入れたのだろうか。さらに、半右衛門はお柳を離縁したわけではない。志ん生は「あの世で離縁したに違いない」と辻褄を合わせている。
こうして、判決言い渡し。長二は無罪。どころか、「非業に相果てたる実父半右衞門の敵を討ったのであるぞ、孝心の段、上にも奇特に思召し、青差拾貫文御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且つ半右衞門の跡目相続」も、という無茶苦茶。念のためだが、この「上」というのは、天皇のこではなく将軍家斉のこと。圓朝は名君と持ち上げている。当時、天皇も将軍もおんなじようなものだったのだろう。
尊属殺が否定されたところで、通常の殺人罪は成立するはずだと思ったら、これも敵討ちとして無罪。実母を殺しても、実母が家長殺しなら、むしろ仇を討ったとしてのご褒美頂戴だという。長二本人には、敵討ちの意図などさらさらなかったのに、である。
この判決の無茶苦茶さは、おそらく巧みな話芸が糊塗したのだろう。聴衆は、不幸な過去を持ちながらも、気っ風のよい善人長二に感情移入させられている。その長二が無罪なのだから、終わり良ければすべて良しとなる。
しかし、お白州とは、裁きとは、刑事司法とは、「お上」の思惑次第でどうにでもなるのでは困るのだ。世の中には、善人集団と悪人集団とがあるわけではない。司法の役割は悪人集団に属する者を摘発して裁くことではない。犯罪を犯した者を、罪状に応じて処罰することに尽きるのだ。善人長二を救って大団円という、「大圓朝」の変な噺に欺されてはならない。
(2018年9月19 日・連続更新1998日)