澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

熊本の野党間選挙協力の動向に注目

総選挙が近い。きたる選挙ではアベ政権の凋落を見たい。できることなら、その断末魔を見届けたい。
護憲派議席拡大という朗報を聞きたい。かつてのごとく、議会の中に「堅固な3分の1の壁」の再構築を期待したい。

そのためには、まずは選挙共闘である。現行の小選挙区制を前提とせざるを得ない以上、護憲派が選挙に勝つためには、共闘による候補者調整が必要である。これが難儀だ。実に難しい。難しいけれども、これを乗り越えずして護憲派の勝利はなく、日本国憲法典の安定もない。

私の地元でも、市民による候補者一本化の議論が急速に盛りあがっているが、さて何を共闘の共通課題とするか、一致点をどこに定めるべきか。けっして容易ではない。市民が真剣に容易でない討議を重ねていることに、民主主義の原型を見る思いである。

選挙に限らず、共闘のハードルを上げて高い理念の運動を起こせば、見解を同じくする人々の間の共闘となって、鋭い問題提起と迅速な行動のできる運動が可能であろうが、共闘の幅は狭まる。パワーの不足は否めない。

さりとて、共闘の幅を広げてパワーを追及すれば、理念が薄められ、いったい何のための共闘か、わけの分からいものとなってしまう。

アンチ・アベ政権だけでの選挙共闘もありなのかも知れないが、護憲派が維新や小池新党などと組んでの「共闘」はあり得ない。それこそ、何のための共闘かが問われることになろう。

一方、護憲派の選挙共闘というときに、民進党抜きの共闘はなかろうが、どのように民進党に護憲の姿勢確保を求めるか、なかなか難しそうではなかろうか。

などと考え込んでいるところに、熊本での野党共闘のニュースが飛びこんできた。
熊本日日新聞が昨日報道した、「熊本全区、野党共闘」「次期衆院選で民進、共産の県組織が方針」という朗報。
https://this.kiji.is/284127793541039201?c=92619697908483575

朝日は、「野党、地方で共闘」「熊本の3選挙区 民・共、擁立調整」との見出し。

各紙の報道を総合すれば、次期衆院選に向けて民進党県連と共産党県委員会など野党間の選挙協力協議が進展し、熊本1~4区で候補を事実上一本化する方針を決めた。中央で野党共闘の協議が進まない中、地方組織の方針が先行した格好だ。確定すれば全国で初めて民進、共産に社民を加えた3党の野党共闘の環境が整い、県内の全4選挙区で自民党現職と対決することになる。

まだ確定ではないが、全4区のうち、1区と4区は民進党、2区は社民党、3区は共産党で一本化の予定だという。

民進党県連の代表は、「野党候補を一本化し、与党対野党の構図をつくることが重要だと判断した」と強調。党本部が今後、共闘方針を決めなくても「県独自に共闘を進める方針は変わらない」とした。

民進党の地方と中央では、共闘に関する温度差が大きいようだ。民進党県連代表は候補者の擁立取り下げについて「野党候補がバラバラのまま戦っても厳しい結果になる。野党候補者は1人が望ましい」と説明。共産党県委員会委員長は「安倍政権を倒すためには市民と野党の共闘しか道はない。全選挙区で共闘したい」と話したという。

熊本は民進県連の選挙共闘への積極姿勢が際立っている印象だが、全国で市民運動グループが政党間の接着剤になろうと懸命の努力を続けている。まずは熊本に注目したい。そして、それを弾みにした、全国の選挙共闘の実現を願う。

それなくしては、アベ政権の断末魔はおろか凋落をすら見ることができない。そして、そのことが同時に日本国憲法の命運に直接関わってくるのだから。
(2017年9月24日)

ご質問には丁寧にご説明いたしましょう

えっ? 解散には大義が必要ではないか、ですって?
そんなもの不要に決まっているでしょう。解散は総理の専権事項ですし、解散についてのウソは許されるんでございますよ。これこそ、疑うことのできない永田町の常識ではないですか。常々、憲法を大切にしてきた私の立場からすればですね、憲法が定める総理の解散権を制約する議論は、いかがなものかと思いますよ。

えっ? 憲法のどこを見れば、そんなことが言えるのかって?
私には、詳しいことは分かりませんが、7条1項3号はそう読めるんじゃありませんか。69条だけを見ていてはいけません。あとは、三権分立のバランスの理解ということですね。それと、なによりも心強い根拠は永田町の常識ですよ。私が信頼するメディアや、穏健なジャーナリストの皆さんも口を揃えて、そう言っておられるでしょう。それで十分じゃないですか。

えっ? じゃ大義のない解散をしようとしてるのかって?
それをいっちゃオシマイでしょう。「いまなら勝てそうだから解散」「今後ジリ貧が目に見えているから、傷の浅いうちに解散」「野党の側が、態勢整わないうちに、これに付け込んだ解散」「森友・加計学園疑惑隠しの党利党略解散」なんてね。本来大義は不要だけど、私は大義のないことはしない。こういうスタンスでなくては、政治家は務まらない。

じゃ、どんな大義を掲げようというのかって?
いま、それを拵え上げようと苦心惨憺の真っ最中じゃありませんか。でもね、ありがたいのが読売新聞。官邸のスタッフになったつもりで、いろいろお考えでアドバイスをしてくれている。私の方も見返りの情報は提供していますよ。魚心あれば水心なんていうじゃありませんか。穏健な大新聞と政権、こういう持ちつ持たれつの関係であってこそ、政治は安定し、健全な社会の秩序が保たれるというものでしょう。もっとも、前川さんのときのように、すこし焦って政権と読売の蜜月ぶりさらけ出したのはまずかった。ミスを重ねぬよう慎重にやりますよ。

落ち込んだ内閣支持率が多少ともアップした原因をどう見ているかって?
ま、いくつもあるでしょうがね。まずは、私自身がこれまでの安倍を否定する演出をしたことが効果的だった。しおらしく、傲りを認めて、オトモダチ以外も入閣させた改造を行い、国民の皆様に丁寧に説明責任を果たす、なんちゃって。これまでの自分とはちがう、心を入れ替えた真人間になるって神妙な顔して言ったんだよね。これ効いたと思うよ。

それだけかって?
野党のオウンゴールも大きい。これまで、こちら側がオウンゴールの連続で失点していたが、今度は民進党人事でのオウンゴールだ。仕事人内閣が、何にも仕事をしないうちに、民進党がこけてくれた。それが、支持率の回復に影響あるでしょう。それだけでなく、こんな解散のチャンスを逃す手はないと思うんだ。奇襲は闘いの常道でしょう。大義にこだわってフェアにやっていたら、選挙に負けちゃうでしょう。そんなの、宋襄の仁ていうんじゃないの。

北朝鮮問題の影響をどう考えているかって?
あんまり正直に答えたくはないんだけど、ミサイルも核も、絶妙のタイミングでありがたかった。内心の笑いを噛み殺して、北朝鮮や金正恩を非難する言葉を発しているんだ。これを最大限利用しない手はない。今は、北をできるだけ挑発し危機を煽ることが基本方針。戦時モードになれば、国民には強い指導者のもとに結束しようという心理が働く。強硬姿勢を取るトップの支持率は必ず上がる。それだけではない。金正恩のお陰で、9条改憲も、日米同盟強化も、防衛予算増額もうまくいきそうじゃないか。もしかしたら、念願の核武装の実現だって夢じゃないと思っているんだ。

金正恩とは、親近感を感じているかって?
そりゃあ、親近感がないと言えばウソになる。お互い、国民を宥めつつ、ダマシつつ、国防を整えていかなきゃならない立場。お互い、アウンの呼吸で罵り合って、緊張関係を作りあげることにメリットを感じているんだ。戦国大名は、それぞれが敵対しながらも、農民一揆への対応では共通の悩みや恐れを持って、その面では親近感をもっていただろう。あれとおんなじだと思うね。

じゃあ、北朝鮮危機の早期収束はない方がよいかって?
そりゃあそうだ。戦時の名宰相と言われたチャーチルは、平和になったらイギリス国民から捨てられたろう。私も、同じ轍は踏みたくない。害虫駆除業者は害虫を完全に駆除してしまったら失業してしまう。ある程度は残しておかなきゃならない。北朝鮮危機が解決したら私の出番があるという保証はないものね。

結局のところ、突然の解散の大義についてはどう説明するかって?
国民が政権選択をする機会は多ければ多いほどよい。早ければ早いほどよい。こんなところでは駄目かね? 自分に都合のよいときを狙うのは姑息で卑怯? 堂々と争点や判断材料を明示して、主権者に公正な選択を仰ぐのが本来の選挙のあり方じゃないかって? 森友問題も加計問題も疑惑解明に蓋をしておいて、判断材料伏せたままの解散・総選挙は国民を愚弄していることにならないかって? 究極の疑惑隠し・党利党略解散だって? あなたもしつこいね。キョーサントーか、ニッキョーソの方じゃない?

解散の仕方がけしからんと文句があったら、選挙で自民党を負かしたら良いだけの話じゃないの。私は忙しいんだ。もうずいぶん丁寧にお話しした。もういいだろう。
(2017年9月23日)

安倍親分とその手下どもは何を盗んだのか

阪口徳雄君は、大阪で活躍の同期(23期)弁護士。弁護士としてのスタート時の事情から、同期では唯一の有名人。何とも元気はつらつで、昔と少しも変わらない。徹底した市民派として、情報公開・株主オンブズ・政治資金規正問題などに精力的に取り組んでいる。とりわけ森友問題が話題になってからは、地元の問題として果敢に発言し、行動を起こしている。その彼の発言の舞台の一つが、「弁護士阪口徳雄の自由発言(2)」という下記のブログ。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/

同ブログの趣旨について、阪口君らしくこんな書き込みがされている。
「裁判、地方自治、政治、企業、社会的事件などに関する弁護士の自由発言にヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def)を使っていたが、広告が多すぎ不愉快で本ブログに引っ越し。ヤフーブログは自分が関与した事件、裁判の記事が多かったが、パート(2)では思いつくままに自由に発言予定。」

昨日(9月21日)、そのブログに「森友・加計問題等を隠蔽した自民党・公明党の与党にきついお灸をすえる選挙」という記事がアップされた。

この記事は、このたび急浮上した10月総選挙を、政権選択選挙とはせず、9条改憲阻止選挙とも言わず、敢えて「もりかけ疑惑隠し徹底糾弾選挙」として位置づけようという同君の提案。

記事のエッセンスは、冒頭に掲記の通り、
「森友・加計問題は国民が選挙で投票することでしか真相解明できない。今度の選挙は、真相解明の為の国民の出番。」というもの。「森友・加計問題の真相究明を求める国民の声を投票で示そう。」「驕れる自・公両与党の議席を減らすことで、その意思表明をしよう」という呼びかけなのだ。以下、阪口節のご紹介。

 安倍総理は自民党、公明党の議席多数におごり、森友、加計問題を通常国会でうやむやに処理した。安倍総理と夫人が関係していると思われるのに、全てを否定する官邸の傲慢な態度。これに国民は支持率低下で反応した。
 安倍総理は内閣改造で「仕事人内閣」などと目先をごまかし、「森友、加計問題を丁寧に説明する」と繰り返し、あたかも反省したかのごとき形を作った。
 通常国会後にNHK、フジテレビ、関西テレビ、朝日新聞などのマスコミ(読売、産経新聞を除く)の奮闘で森友問題の価格交渉内容などが取材やテープなどで相当明らかにされた。森友問題の「真相解明を求める弁護士・研究者の会」のメンバーは臨時国会が面白い展開になると期待していた。
 しかし安倍総理がこれを恐れて解散に踏み切った。森友、加計問題等隠蔽解散であることは明白。

 森友問題は当事者の財務省が自ら第三者委員会を設置するなどして解明するのが本筋である。しかしその官僚達は真相を解明しないどころか、国会で「虚偽答弁」を繰り返し、安倍政権に「遠慮」した中央省庁の官僚達の隠蔽姿が明らかになった。泥棒が泥棒の犯人を調査することは不可能だ。

 国会は国会で野党の奮闘があったが、最後は自民党、公明党の与党多数に押し切られ、真相解明をすることはできずうやむやで通常国会は終わった。

 泥棒の親分が安倍総理である以上、その親分の用心棒・子分である与党国会議員多数では最初から真相解明ができないことは明らか。

このような時こそ泥棒を取り締まる検察の特捜部の出番であると思い、弁護士・研究者246名で告発した。
http://kokuyuuti-sinsoukaimei.com/

現場の捜査に従事している検事らの頑張っている姿は見えるが、泥棒の親分に人事権を握られている検察・法務省の上層部は安倍政権に遠慮して真相解明に極めて消極的である。

安倍政権が隠蔽した、森友・加計、自衛隊日報問題など。泥棒の関係者では真相解明ができない。一度はこれらの隠蔽に怒った多くの国民の声を投票に表そう。泥棒の親分(安倍総理)や、その用心棒・子分である与党国会議員らに投票せず、真相解明を求める政党・候補者に投票することが真相解明の一番の早道だ。

残念ながら泥棒の親分の用心棒・子分である与党に代わる政党が頼りないとかの批判はその通りであろう。その為に真相解明に熱心な野党が受け皿となる候補者を統一して欲しい。

今回が政権選択の選挙となるとは思われない。中心になる民進党がそれほど国民から支持されていないからである。今回は、政権選択という難しい話でなく、自民党、公明党の与党が隠蔽した、これらの問題の真相解明を求め、隠蔽した泥棒らに「きついお灸」を据える選挙である。そしてこれらの真相解明を求める国民の世論を示す選挙である。そのために真相解明で野党候補を統一して欲しい。

真相解明ができるかどうは自民党、公明党をどれだけ減らすかにかかっている。与党議員を大幅に減少させることがではれば、真相解明に大きく前進する選挙となる。選挙の結果が真相解明を左右することになる。

最後は国民一人一人が決める。真相解明を求める国民は安倍泥棒親分に「きついお灸」をすえよう。

**************************************************************************
安倍泥棒親分に「きついお灸」をというのが、阪口君の提案。安倍は「泥棒親分」とされている。いったい何を盗んだのだろうか。

なによりも、政治や行政の公正さに対する国民の信頼を盗んだというべきだろう。
政治家も官僚も私利私欲で動く存在であってはならない。「まさか、日本の首相たる者が私利私欲のために、政治や行政を歪めることがあるはずはなかろう」という国民の信頼。それをいともたやすく、アベ晋三とその妻と手下どもが盗み取ったのだ。

「行政の透明性という原則」を盗んだとも、「厳正な文書管理の原則」を盗んだとも、「行政の説明責任厳格化の要請」を盗んだともいうべきだろう。そのことを通じて、アベ晋三とその一派は、民主主義の理想を盗み取ったのだ。その意味で、アベ晋三は稀代の大泥棒であり、泥棒たちの親分なのだ。

懲らしめるには、投票によるしかない。徹底して自公の獲得票数を減らすことだ。民主々義を大切に思う人たちよ。行政の公正を願う人たちよ。行政の説明責任や文書管理を徹底すべしと考える人たちよ。アベ晋三とその手下どもが、大事な原則や理念を盗み出して頬被りしていることに怒ろうではないか。

アベとその一派にきついお灸を据えることなしには、真相の解明も政治や行政の刷新もできない。
(2017年9月22日)

「日の丸・君が代」強制は違憲ー予防訴訟難波判決から11年

9月21日。あの日の感激と興奮から11年となった。2006年の9月21日。私たちは、東京地裁で、公権力による「日の丸・君が代」強制は憲法19条(思想・良心の自由の保障)に反して違憲無効、との判決を得た。

その主文第1項は、次のとおり。

「原告らが、被告都教委に対し、『入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)』(「以下本件通達」)に基づく校長の職務命令に基づき、上記原告らが勤務する学校の入学式、卒業式等の式典会場において、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務のないことを確認する」

いわゆる「日の丸君が代強制予防訴訟」での難波孝一裁判長判決である。

原告団・弁護団とも、手の舞い足の踏む所を知らずの歓喜の判決だった。裁判官が行政の判断を違憲とする判決を書くことは駱駝が針の穴を通るほどの難事。その実情を知る者にとって、この日の判決の意義は格別のものという思いが深かった。裁判長には、深甚の敬意を惜しむものではない。

しかし、素直に考えれてみれば、「日の丸・君が代」強制が強制される者の思想良心を侵害することは、理の当然ではないか。公務員だから、教員だから、思想良心の侵害を受忍しなければならないという筋合いはない。国旗・国歌(日の丸・君が代)に服することが教員としての資質の条件ではない。むしろ、国家の意思に従属することのない主権者を育てる任務の教員が、唯々諾々と国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に屈してよいものだろうか。

これは、理論の問題であるよりは憲法感覚の問題といってよい。理屈はどうにでもつけられるが、結局は個人の尊厳の尊重を貫くか、それとも公権力が設定した秩序維持を優先するか。私には、秩序派の憲法感覚の鈍麻は唾棄すべきものとしか考えられない。

難波判決は、「10・23通達」関連事件の最初の判決だった。そのトップの判決が優れた裁判官らによる勇気と知性にあふれたものとなった。これこそ、日本国憲法本来の人権原理を顕現するもの。私たちは、この判決がこれから重ねられる「10・23通達」関連判決の先例となるだろうと確信した。

しかし、あれから11年。残念ながら、あのとき思い描いたようにはなっていない。難波判決直後の、いわゆるピアノ伴奏拒否事件(「10・23通達」発出以前の事件)の最高裁判決が、難波判決を否定する判断となった。以来、最高裁判決の少数意見を例外として、違憲判決は姿を消した。私たちは、懲戒権の逸脱濫用論でかろうじて、減給以上の重きに失する処分を取り消して、都教委の横暴に歯止めを掛けているにとどまっている。

しかし、この11年間、判決内容が固定されてきたのではない。最高裁判決の判断枠組みも、下級審の裁量権論も微妙に動いてきている。けっして、「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制が合憲」と確定したものとはなっていない。

9月21日、あらためて難波判決を思い起こし、「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制は違憲」との判決獲得への努力を決意する日としたい。

**************************************************************************
予防訴訟の難波判決を紹介するために、岩波ブックレット「『日の丸・君が代』を強制してはならないー都教委通達違憲判決の意義」を書いた頃が懐かしい。

岩波のホームページに、次の記載がある。
「東京都教育委員会による教職員への『日の丸・君が代』強制を違憲とした東京地裁判決は,いかに書かれたか。弁護団副団長が提訴前から判決までの全過程を踏まえて,とりわけ憲法19条,教育基本法10条との関連で難波判決の意義と特質をどう見るのか,なぜ原告達の訴えが結実したかについて解明した注目の一冊。」

そして、「著者からのメッセージ」がこう書かれている。
「時代を映す訴訟があり判決がある.『日の丸・君が代強制反対・予防訴訟』と『9・21判決』は,まさしくそのようなものである.
 この事件が映す時代相はけっして明るいものではない.日本国憲法と教育基本法への悪意に満ちた勢力が支配している時代.敗戦の悲惨な反省からようやく手にした教育の自由と,思想・良心の自由とが蹂躙されつつある時代.
 歴史上,思想・良心圧殺の象徴として私たちが思い描く事件は,江戸幕府の踏み絵と明治期の内村鑑三・教育勅語拝礼拒否である.暴走する東京都教育行政は,幕府や天皇制政府の役人とまったく同じ発想で,学校行事での日の丸・君が代強制を踏み絵として,教員の良心を奪い,良心を枉げない教員を排除しようとしている.行き着く先は教育の国家統制にほかならない.
 予防訴訟は,自らの思想・良心を堅持し,生徒・子どもらの学ぶ権利を擁護するために立ちあがった教師群によって担われた.必死の思いの原告教師たちと,支援者,弁護団,研究者の総力をあげた活動によって,一審段階ではすばらしい勝利の判決に到達した.
明るい時代ではない.しかし判決は,この時代の希望を映している.

また、私のパソコンのメモリーに、当時の草稿の次の一文が残っている。
◆国家ではなく、生徒こそが主人公。◆
教育をめぐる論議の中心課題は、国家による国家のための教育か、国民による国民のための教育か、に尽きる。国民とは学校現場では、生徒であり子どもである。学校現場の主人公を国家とするのか、生徒にするのか。
生徒の卒業制作の展示を禁止して、壇上正面に国旗を掲揚する。これが、東京都教育行政のイデオロギーをあまりにもみごとに視覚的に表象している。
本件予防訴訟では、原告が教職員に限られているという事情から、すべてを教職員の権利侵害に収斂させなければならない法技術的制約があった。しかし、原告となった教員たちの共通の思いは、教え子のために自分は何ができるか、何をすべきか、ということであった。
生徒の前で、今こそ自分の職責が問われている。原告401人は、そのように自覚した教師集団である。
 教え子よ、国家に身を委ねてはならない。国家に思想を吹き込まれてはならない。自分自身でものを考える姿勢を堅持せよ。批判する力を持て。必要なときには抵抗の姿勢を示さねばならない。
 自分も教師として、悩みながらも、ささやかな抵抗の姿勢を示そう。教え子よ、その姿を見てくれ。主権者として真っ当な国を社会を作る力量を育ててくれ。
これが、401人の自覚した教師集団に通底するメッセージだと思う。
淡々と「教育という営みは、教師と生徒との人格の触れあいを本質とするものですから、生徒に恥ずかしい行動はけっして取ることができません」こういう教育者が集団として存在することに、この国の光明を見る思いがする。
その教師集団を中心として、多くの研究者、弁護士、支援者、世論。そして、これまでの多くの教育訴訟における諸活動の歴史。その総合力の結集によって得られた本判決である。
訴訟はこれから控訴審。さらに多くの支援の力を得て、本判決を守り抜きたいと思う。そのことが、教育本来の姿を学校現場に取り戻すことになるだろう。そのことの意義は、私たちの未来にとって限りなく大きい。「憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」のだから。

 原告だった人々も、いま闘っている人々も、支援者も、そして私たち弁護団も、初心を思い返すべき日。それが、今日9月21日である。
(2017年9月21日)

オーイ、藤原くん。アベ晋三じゃダメだ。

藤原寛一君は、小・中・高を通じて一緒に育った友人。学校生活だけでなく寮生活もともにした仲。高校時代は同じクラブ活動の仲間でもあった。とはいえ、同じ境遇で育って、同じ時代を生きてきても人は同じようにはならないのが面白い。彼からは、ときどき私のアベ批判の口調のとげとげしさをたしなめるメールを頂戴する。彼は、私と違ってアウトドア派の趣味人である。山や花や小鳥の四季をみごとに切りとった写真をネットに掲載し続けている。以下が、彼の自己紹介。

自然が大好きな自由人。山野草の撮影にドップリ。蝶ならぬ私が、花から花へカメラを手に飛び回っています。ホームグラウンドは大阪府・奈良県をまたぐ「金剛山」(1125㍍)。日本100高山のうち39座に登っています。

https://botibotihuu.jimdo.com/

http://kkfuji.exblog.jp/

http://www.h6.dion.ne.jp/~kk-fuji/

その彼が、定年以来、「人生下り坂。どこに向かうもとても楽」と言い続けている。なるほど、「とても楽」が自由人の心境なのだ。うらやましい限りである。

ところで、「人生下り坂」と観念すれば、「とても楽」であると同時に、いまが一番高みにあることにもなる。いまが、できることが多いのだから、今のうちにやっておこうということになるのではなかろうか。

風情のない話に転じるが、おそらくはアベ晋三も「下り坂」の心境なのだろう。もう少し正確に言えば、「ジリ貧」の認識。ジリ貧なら、早いうちにできることはやっておこう。いまの解散が、傷を最小にとどめる良策だとなる。

野党の態勢の不備を見すかし、これに付け込んで、「いまがチャンス」と見たのだろう。公平で正確な主権者の判断を仰ごうという謙虚さは微塵もない。選挙民の判断材料を隠して、とにもかくにも選挙に勝つこと最優先。勝ちさえすれば官軍でいられるというゲスの根性。その人柄がとうてい信用できないということそれ自身を神無月総選挙の重要な判断材料としなければならない。

一方、トランプも同じではないか。アメリカが北朝鮮に対して、軍事的な絶対優位にあることは疑うべくもない。しかし、相対的な優位度はいま縮まりつつある。これも、トランプの目からは、「下り坂=ジリ貧」と見えているに違いない。

危険なのは、「開戦するなら早ければ早いほど有利」「開戦の機は、相対的優位が最大のいま」という判断になりかねないということだ。

軍事力においては、ドーベルマンとチワワにたとえられる両国の関係。チワワがどう吠えようとも、ドーベルマンに噛みつくまですることはあり得ない。しかし、アメリカが「いまのうちに北朝鮮をたたきつぶしておこう」と考える余地あることは否定し得ない。いまなら、北は米本土への核報復の能力を持っていない。「叩くなら、今のうち」ということはありえない判断ではない。

もちろん、北朝鮮は韓国に対する瞬時の報復能力を持っている。日本国内の米軍基地に対してもだ。楽観的に、アメリカが同盟国を火の海にしかねない危ない選択をするはずはない、と信頼してよいだろうか。もしやアメリカは、「いまなら、戦争の火の粉は、同盟国に降りかかっても、アメリカ本土は安全」「ならば、いまこそ行動の時」と考えはしまいか。

トランプの昨日(9月19日)の国連演説。「米国は大いなる強さと忍耐力があるが、米国と同盟国を守らなければならない時、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」「米国はその準備ができているが、できれば(軍事的行動は)必要でないことを望む」という一節は不気味この上ない。

トランプのテーブルにあらゆる選択肢があるわけではない。軍事オプションは、韓国の国民、日本の国民が許容するところではない。まずは、ドーベルマンに対して、「チワワに噛みついてはならない」と国際世論を喚起しなければならない。窮鼠でさえ猫を噛む危険な存在。噛みつかれたチワワも、近隣諸国民には危険この上ないのだ。

その上で、北朝鮮の瀬戸際政策をも強く批判しなければならない。そうして、国際世論の圧倒的な圧力によって、当事国双方を、時の氏神や近隣諸国をまじえて対話のテーブルに着ける以外にこの危機を解決する方法はない。

トランプに続いて、アベ晋三も国連で対北朝鮮政策を演説するという。伝えられるところでは、トランプへの全面追随で、北朝鮮に対する制裁圧力一辺倒の内容だとか。彼の眼中には、ご主人様トランプ政権だけがあって、韓国や日本の国民の安全はないのではないか。

オーイ、藤原くん。アベ晋三じゃダメだ。安心して「花から花へカメラを手に飛び回って」おられるように、もう少しマシな政権に取り換えようぜ。
(2017年9月20日)

松井一郎はん、そりゃちゃう。まちごうてまっせ。

今朝(9月19日)の新聞に、あんさんのコメントが掲載されてましたな。
「解散批判、負け犬の遠ぼえ」ちゅうやっちゃ。えろう違和感ありまんな。どないしても一言いわんなならん。

これは、失言とはちゃいまんな。あんさんの素がよう出てますさかいな。いや、維新の本性みたいなもんやおまへんか。もしかして、あんさん、批判されてもキョトンとしてんとちがいまっか。なかなか分からへんやろうな。

あんさん、東京弁で、こないに言わはってまんな。
「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、だからこそ総理に解散権がある。いつも衆院議員は常在戦場って言っている。批判してもしょうがない。それ批判するのは、負け犬の遠ぼえだ。」

「選挙は戦いや」。これが、あんたらのホンネや。「勝つか負けるかの戦い」ちゅうゲーム感覚でんな。誰と誰との「戦い」やゆうたら、政党と政党との票の取り合いや。あんさんの頭の中には、主権者や有権者がおらんのや。そこや。そこが、あんさんらの限界や。底が割れてまんねんな。

あんたらにとっては有権者は一票の持ち主にしか見えへんのや。いや、票だけ見えて、有権者は見えへん。ほんま、票の取り合いだけをやってんのや。それが選挙やと心から底から思うてはる。

ちがーーうやろ。有権者の選択が選挙や。有権者は、政党の都合で選挙に駆り出されるんやない。いっつも有権者が主人公や。政党の都合で選挙が行われるて、ゆうたら絶対にあかん。有権者の審判が必要なときにやな、有権者に正しい選択ができるようにお膳立てをするのが政党の役目や。とりわけ、与党の責任は大きいんや。有権者の判断に必要な材料を取りそろえて提供せにゃあかん。主権在民て、あんたら中学校で習わんかったんか。それともなにか。選挙は有権者を煙に巻いて、票を掠めとるゲームとでも、思うてんのかいな。

今回の選挙のタイミングを考えてみい。臨時国会の焦点は、森友、加計の疑惑の解明や。それに、北朝鮮をめぐって、集団的自衛権によって核戦争に巻き込まれる心配についても徹底した議論をせなならん。アベ政権たらいったいなんや。何をしてきたんや。本当にこんな奴に政権を任せておいてもええんかいな。それを有権者に判断してもらうための国会やんか。臭いものに蓋をしといてやな、いっちゃん大切な判断材料を国民には知らせんといて、「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、総理の権利」やて? 何ゆうてんねん。あんた、アベとおんなじぐらい、おかしいぜ。

「だからこそ総理に解散権がある」やて? そんなものない、ない。主権者の正しい判断を損なう権利など、誰にもおまへんがな。松井はん、政権にヨイショして、誰かの口まねしてんとちゃうか。みっともないやんけ。

まあな。森友問題いうたら、責任は維新にもごっつうあるんやさかい、疑惑隠しに賛成いう気持もあるやろな。これ、見当外れの忖度やろか。

自分も叩けばホコリが出て来るさかい、アベにうまいことごまかされてばかりとちがうんか。大阪いうたら、阪神タイガースやろ。タイガースいうたら、アンチ巨人や。反権力で反中央や。それが、大阪人の心意気とちゃうんか。アベ政権にヨイショして、あんさん、ナニ考えてんや。

あー、いじましいやっちゃなぁ。あかんたれやな。松井はん。
(2017年9月19日)

「9・18」を忘れてはならない―謀略によって侵略を開始した日本こそ

本日の朝刊各紙は、9月28日臨時国会での冒頭解散が確定したごとくの報道。政権の総選挙の投開票が10月22日だろうという。官邸のリークが紙上におどっているのだ。官邸は、その反応を見ているのだろう。

実に腹立たしい。冒頭解散はあり得ない。ちがうだろうー、アベ晋三よ。森友学園問題も、加計学園疑惑も、ほかならぬ汝と汝の妻のしでかしたことではないか。二人揃って疑惑を釈明の責任がある。二人揃って謝罪をし引責しなければならない。

「丁寧にする」との国民に対する説明の約束。またも引き延ばしておいて反故にするのか。もうそろそろ忘れたころだろうとほっかむり。いつもの手口で、夫婦への共同責任追及を解散総選挙で逃げ切ろうとの魂胆丸見え。国民もなめられたものだ。

疑惑隠し解散、頬被り解散、敵前逃亡解散、ずる逃げ解散、海苔弁解散、もりかけ解散、党利党略解散、私利私略解散、自己保身解散、しめたこのタイミング解散、抜け駆け解散、火事場泥棒解散、人の弱みに付け込み解散、因循姑息解散、卑怯破廉恥解散、奸佞悪辣解散…ではないか。

ところで、本日は9月18日。敬老の日でもあるが、柳条湖事件勃発の日。
86年前になる1931年9月18日深夜、奉天(現審陽)近郊柳条湖で起きた南満州鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。後に爆破は日本軍自らが仕組んだ謀略であることが明らかになったが、関東軍はこれを中国軍の仕業と喧伝し、奉天を占領してさらに満州(現東北三省)全土への軍事侵攻の口実にした。

こうして、事件は、満州事変となり、翌32年3月には傀儡国家「満州国」の建国が強行され、国際連盟リットン調査団の報告を経て、33年2月日本の国際連盟脱退に至る。傍若無人の振る舞いの結果、軍国日本が敗戦によって壊滅する、そのきっかけの日となったのが、「9・18」である。

何年か前、この事件の現場を訪れたことがある。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。

「9・18」を、中国語で発音すると、「チュー・イーパー」となる。何とも悲しげな響き。その博物館で、「チュー・イーパー」という歌を聴いた。もの悲しい曲調に聞こえた。中国の国歌は、義勇軍進行曲と名付けられている。作詞田漢、作曲聶耳として名高く、「起来!起来!起来!」(チライ・チライ・チライ=立ち上がれ)と繰り返される勇猛な曲。「チュー・イーパー」の曲は、およそ正反対のメロディだった。

柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であったが、満州侵略を熱狂的に支持する「民意」があればこその「成功」であった。世論は、幣原喜重郎外相の軟弱外交非難の一色だった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていたのだ。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。

今の世はどうだろうか。極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法、戦争法、さらに共謀罪までが成立した。

北朝鮮脅威論が過剰に喧伝されてはいないだろうか。偏狭なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。

今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。軽々に政権の扇動に乗せられてはならないと、自らを戒めるべき日。心して、隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にすることで、権力への抵抗を心がけよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右勢力の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。疑惑隠し解散に負けてはおられない。
(2017年9月18日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5~7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

こんなの要らない。返上しよう、薄汚い東京オリンピック。

英紙「ガーディアン」が一昨日(9月14日)報じたところによると、ブラジルの捜査当局は、「東京五輪招致に買収疑惑あり」との結論を出したという。捜査は、リオ五輪と東京五輪の両者に行われていたというが、私の関心は自ずと東京の招致問題だけ。

捜査結果の報道が、ブラジル紙ではなく、なぜ「ガーディアン」なのか。このあと続報があるのかないのか。フランス当局の捜査の進展はどうなっているのか。そもそも、ブラジルでは国内法のどのような犯罪構成要件に該当するというのだろうか。よく分からないことが多い。が、五輪を支える組織や幹部の腐敗の実態や、東京五輪誘致陣の薄汚さの再確認という点で、関心を持たざるを得ない。

各紙の報道に目を通しても、なかなか事実経過をつかみにくい。すこし、整理が必要である。

問題は、東京五輪誘致に関わる贈収賄。贈賄側は、東京五輪招致委員会。理事長が竹田恆和、理事に橋本聖子や鈴木大地などが名を連ねる。当然に、首相や当時の都知事もからんでいる。

収賄側は、IOC委員でもあり国際世界陸連会長でもあったラミン・ディアク(セネガル)という人物。大物としてIOC内で特別な影響力があり、次期五輪会場の決定に大きな権限あると思われていた人物だという。その代理人として、交渉や金の授受の窓口になったのは、息子のパパマッサタ。

登場人物はこれだけではない。カムフラージュとしての中間項が登場する。その内の最重要なのが、ブラック・タイディングス社というペパーカンパニー。一時期だけ、シンガポールの公営アパートの一室に形だけがあったという。

時系列を確認しておきたい。安倍晋三がブェノスアイレスで、「アンダーコントロールで完全ブロック」という詐欺まがいのトークで、2020年東京五輪招致を掠めとったのが2013年9月7日。その前後の同年7月と10月とに、招致委員会から出た金がラミン・ディアク側に渡っているというのだ。結論から言えば、これは買収資金の「着手金」と「成功報酬」と解釈するしかない。

最初、疑惑はフランス検察当局の捜査状況として報じられた。2013年の7月と10月の2回にわたって、東京五輪招致委員会がブラック・タイディングス社の秘密口座に送金されてたことが確認されたということが大きなニュースになった。このブラック・タイディングス社はラミン・ディアクの息子パパ・マサタ・ディアクに深い関係があるペーパーカンパニーとも報じられた。

その金額は2億3000万円。東京五輪招致委員会の理事長であり、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもある竹田恒和は当初この疑惑を否定したが、後に国会に参考人として招致された際には認めて「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と釈明した。「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中の1つであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」というのだ。おそらく誰もこんなことを信じてはいない。コンサル料名義の賄賂を、名もない会社の秘密口座に送金したという疑惑が極めて濃厚なのだ。

ブラック・タイディングス社とは、シンガポール東部の老朽化し、取り壊しを待つ公営住宅の1室にあり、シンガポールメディアによると同社は2014年には業務を停止しているとのこと。つまりは完全なペーパーカンパニーで、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析などのコンサル業務を行う能力の片鱗もなさそう。

竹田恒和は国会で、支払った2億3000万円の最終的な使途についてブラック・タイディングス社側に「確認していない」と証言している。さらには「同社とは現在連絡が取れていないと聞いている」とも答えている。無責任極まるというレベルではなく、贈賄と疑われてやむをえないとの発言なのだ。

今回のガーディアンの報道では、ブラジルの当局は、2013年9月8日(東京招致成功の翌日)に、ブラック・タイディングスがシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロ(約1113万円)をパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

つまり、東京五輪招致委員会→ブラック・タイディングス社→パパマッサタの金の流れが確認できたということだ。コンサル料とは、実はIOC委員への買収資金としての賄賂送金だったという以外には考えがたい。ブラジル当局は、その認識である。

共同は、「東京五輪、リオデジャネイロ五輪は招致で『買収』と結論 英紙が報道」と見出しを打った。ブラジルの当局は「買収」の意図があったと結論づけたというのだ。
「東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開」「ブラジルの当局は、ラミン・ディアク氏を買収する意図があったとしている」という記事。

ガーディアン記事は、「ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが『IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって』、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。」という。さて、これからどう捜査が発展するのだろうか。

ガーディアンは、「ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国(日本)に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。」という。

東京五輪はうんざりだ。アベ政権や小池都政の政治利用、国威発揚、ナショナリズム鼓吹、住民無視の東京再開発の促進、東北復興妨害、税金の無駄遣い、負のレガシーの創出…、そしてこの薄汚い招致活動での恥さらし。もう、きっぱり返上しようではないか。
(2017年9月16日)

判決は 目出度さ・無念 相半ば ― 東京「君が代」裁判(4次訴訟)判決

本日(9月15日)13時10分、東京地裁527号法廷において、東京「君が代」裁判(4次訴訟)の判決が言い渡された。

東京「君が代」裁判は、悪名高き「10・23通達」関連訴訟のメインをなす懲戒処分取消訴訟で、今回の判決は原告14名の教職員が、延べ19件の処分取消を求める行政訴訟。係属部は民事第11部(佐々木宗啓裁判長)で、提訴は2014年3月17日のこと。

地方公務員法上の懲戒処分は、重い方から、《解雇》《停職》《減給》《戒告》の4種がある。今回の原告ら14名が取消を求める処分の内訳は、以下のとおりである。

《停職6月》       1名  1件
《減給10分の1・6月》 2名  2件
《減給10分の1・1月》 3名  4件
《戒告処分》       9名 12件
 計          14名 19件

判決は、減給以上の全処分(6名についての7件)を取り消した。これは目出度いと言わねばならない。
しかし、判決は戒告処分(9名についての12件)については、取り消さなかった。これは無念というほかない。

原告の中で最も注目されていたのがQさん。Qさんが取消を求めた懲戒処分は、以下のとおり5件ある。
   1回目不起立 戒告
   2回目不起立 戒告
   3回目不起立 戒告
   4回目不起立 減給10分1・1月
   5回目不起立 減給10分1・1月
 
公権力による教員に対する、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制が違憲であれば、懲戒の種類・量定を問うことなく、すべての処分が違法として取り消されることになる。Qさんに対する5件の処分もそのすべてが取り消されることになるが、そうはならなかった。

また、必ずしも違憲論に踏み込まずとも、戒告処分を含む全処分を処分権の逸脱濫用として取り消すことは可能であった。これが6年前の1次訴訟控訴審の東京高裁『大橋判決』だ。しかも、これまでの最高裁判決は、「戒告はノミナルな処分に過ぎず、被戒告者に実質的な不利益をもたらすものではない」ことを前提としていた。しかし、実は戒告といえども、過大な経済的不利益、実質的な種々の不利益をともなうようになってきた。とりわけ、最近になって都教委は意識的に不利益を増大させている。しかし、これも本日の判決が採用するにいたらなかった。

だから、戒告処分は維持された。Qさんの戒告3件も取り消されることなく維持された。以上が無念と言わざるを得ない側面。

しかし、Qさんの4回目不起立、5回目不起立に対する、減給10分1・1月の処分はいずれも、重きに失するとして処分裁量の逸脱濫用にあたると判断された。その結果違法として取り消された。これが、目出度い側面。

判決は「争点10」として、「本件職務命令違反を理由として減給または停職の処分を科することの裁量権の逸脱・濫用の有無」を判断している。

まず、一般論としては、次のように述べる。
「減給処分は,処分それ自体の効果として教職員の法的地位に一定の期間における本給の一部の不支給という直接の給与上の不利益が及び,停職処分も,処分それ自体によって教職員の法的地位に一定の期間における職務の停止及び給与の全額の不支給という直接の職務上及び給与上の不利益が及ぶうえ,本件通達を踏まえて卒業式等の式典のたびに懲戒処分が累積していくおそれがあることなどを勘案すると,起立斉唱命令違反に対する懲戒において減給又は停職の処分を選択することが許容されるのは,過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為等の前後における態度等(以下,併せて「過去の処分歴等」という。)に鑑み,学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの「相当性を基礎付ける具体的な事情」が認められる場合であることを要すると解すべきである。そして,……「相当性を基礎付ける具体的な事情」があるというためには,過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなど,過去の処分歴等が減給又は停職処分による不利益の内容との権衡を勘案してもなお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるものであることを要するというべきである(平成24年最高裁判決参照)。」

判決は、以上の一般論をQさんに適用すると次のようになると結論する。

「原告Qが起立斉唱命令を拒否したのは,自らの信条等に基づくものであること,各減給処分の懲戒事由となった本件職務命令違反のあった卒業式等において,原告Qの不起立により,特段の混乱等は生じていないと窺われることをも考慮すると,原告Qの前記職務命令違反について、減給処分(10分の1・1月)を選択することの「相当性を基礎づける具体的な事情」があるとまでは認めがたい。」

つまり、こういうことだ。
減給や停職処分を選択するには、この重い処分を選択するについての「相当性を基礎付ける具体的な事情」が必要であるところ、被懲戒者の行為が、
 (1)自らの信条等に基づくものであること、
 (2)卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
という2要件を考慮すれば、「相当性を基礎付ける具体的な事情」は認めがたい、というのだ。

本日の判決は、教員の不起立が「自らの信条等に基づくものであること」を、裁量権の逸脱・濫用判断の積極要件とした点において、一定の評価が可能というべきである。

だから、我々にとっては、残念・無念だけでない、中くらいの目出度さもある判決なのだ。

一方、都教委から見れば、今日の判決の衝撃は大きい。
都教委は、Qさんの4回目・5回目の不起立に敢えて挑発的な減給を選択して、いずれも敗れたのだ。大いに恥じ、大いに反省しなければならない。教育行政を司る機関の行為が、違法として取り消されたことの重大性を深刻にとらえなければならない。

戒告を違法としない最高裁判決も、もけっして戒告処分を結構だとしているわけではない。「当不当の問題はともかく」として、違法とまではいえないと言っているのだ。

都教委は、思想・良心の侵害をやめよ。教育の場に、国家主義のイデオロギーを持ち込むことをやめよ。
(2017年9月15日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.