澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍政権の国会召集拒否は「国民への説明責任を回避」ー「立憲デモクラシーの会」が見解

(2020年8月14日)

誰の目にも、いま国会審議が必要である。新型コロナ対策が喫緊の重要課題である。審議すべきテーマは多岐に及んでいる。豪雨災害への対応も必要だ。イージスアショア計画の廃棄に伴って敵基地先制攻撃能力論などという物騒なものが浮上してきた。アメリカからの思いやり予算拡大要求問題も、中国の香港弾圧問題もある。

通常国会を閉じずに会期延長すべきところ、政権・与党は強引にこれを打ちきって臨時国会を開会しようとしない。そこで7月31日、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党の野党4党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。

憲法第53条は、こう定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」

要求書の内容は「安倍内閣は、新型コロナウイルス感染症への初動対応を完全に誤り、『Go Toトラベル』に象徴される朝令暮改で支離滅裂な対応を続けて、国民を混乱に陥れているにもかかわらず、説明責任を果たしていない」というものと報道されている。しかし、問題はその内容の如何や正当性ではない。「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない」というのが憲法の定めである。安倍内閣の、憲法尊重の意思の有無が問われているのだ。

今のところ、安倍内閣には、憲法尊重の姿勢は見えない。このことを巡って、憲法学者や政治学者でつくる「立憲デモクラシーの会」が昨日(8月13日)、衆議院議員会館で記者会見し、厳しく批判する見解を表明した。記者会見するに出席したのは、中野晃一・上智大教授、石川健治・東大教授、高見勝利・上智大名誉教授、山口二郎・法政大教授の4人。

同見解は、憲法53条の条文設置の趣旨を、「国会閉会中の行政権乱用防止のため一定数の議員の要求で、国会を自律的に召集する制度を設けている」「憲法違反が常態的に繰り返されている」「内閣の準備不足などとして、召集時期を合理的期間を超えて大幅に遅らせるのは、悪意すら感じさせる」と厳しく指摘している。

6月10日、那覇地裁で「憲法53条違憲国家賠償請求事件」一審判決言い渡しがあった。同判決は、「内閣には通常国会の開催時期が近かったり、内閣が独自に臨時国会を開いたりするなどの事情が無い限り、「合理的期間内」に召集する法的義務を負うもので、単なる政治的義務にとどまるものではない」としている。しかし、7月末の野党の召集要求に対し、政府・与党は早期召集に応じない方針を示している。つまり、敢えて違憲を表明しているのだ。これは、15年と17年の前科に続いて、安倍政権3度目の憲法違反行為である。

政権のこうした姿勢について、石川健治・東大教授(憲法学)は、「憲法改正手続きを経ずに、53条後段の削除と同じ効果が生まれている」と危惧を呈したという。また、中野晃一・上智大教授(政治学)は、「言葉の言い間違いではなく、安倍首相が『立法府の長』であることが現実化しつつある」と述べたとも言う。なるほど、そのとおりである。

なお、下記のとおり、同見解では「憲法上重大な疑義のある『敵基地攻撃能力』が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すもの」と言及されている。安倍政権、問題山積ではないか。一日も早く臨時国会を開催せよ。

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立憲デモクラシーの会が8月13日発表した見解の全文は以下の通り。

安倍内閣の度び重なる憲法第53条違反に関する見解

2020年8月

 新型コロナウイルスの感染拡大と経済活動の大幅な収縮に歯止めが掛からず国民生活が深刻な危機に見舞われるさなか、国会は閉じる一方で、来月にも国家安全保障会議で「敵基地攻撃能力」の保有に向けた新しい方向性を示す安倍晋三政権の意向が報じられている。

コロナ対策の当否など火急の案件だけでなく、国政上の深刻な課題が山積しているにもかかわらず、安倍首相は国会の閉会中審査に姿を現さず、記者会見もまともに開かず、何より憲法53条に基づく野党による臨時国会開催要求にさえ応じない。これは、主権者たる国民に対する説明責任を徹底して回避していると言わざるをえない。

そもそも憲法53条後段は、国会閉会中における行政権の濫用を防止する目的で、一定数の議員の要求により国会が自主的に集会する制度を設定したものであり、「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とするのは、衆参どちらかの少数派の会派の要求がありさえすれば、国会の召集の決定を内閣に憲法上義務づけたものである。

また、議員からの召集要求があった以上は、召集のために必要な合理的期間を経た後は、すみやかに召集すべきであるとするのが学説の一致した見解であり、近年は政府でさえ「合理的期間を超えない期間内に臨時国会を召集しなければならない」(2018年2月14日横畠裕介内閣法制局長官答弁)と認めている。さらに、本年6月10日那覇地裁判決は、「内閣が憲法53条前段に基づき独自に臨時会を開催するなどの特段の事情がない限り、同条後段に基づく臨時会を召集する義務がある」とする。議員の要求によって召集される臨時国会での審議事項は、上記の自律的集会制度の本質上、内閣提出の案件の存否にかかわらず、各院において自ら設定しうるものである。内閣の準備不足などとして、召集時期を必要な合理的期間を超えて大幅に遅らせようとするのは、憲法53条後段の解釈・適用に前段のそれを持ち込もうとする悪意すら感じさせる。

2015年と2017年につづいて2020年にもまた、このような憲法違反が常態的に繰り返されようとする事態は看過できない。そうした中、憲法上重大な疑義のある「敵基地攻撃能力」が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すものと言える。敵基地攻撃は国際法上preemptive strike すなわち先制攻撃と見なされるのは明らかで、政権内の言葉遊びですまされるものではない。安倍政権はいずれ終わるとしても、その負の遺産は消えない。これ以上、立憲主義や議会制民主主義を冒瀆することを許してはならない。

「風のたより」が伝える、忘れてはならないもの。

(2020年8月13日)
詩人の石川逸子さんからの「風のたより」が不定期に届く。「たより」から聞こえる風のこえは、忘れてはならないものを思い出させる。そして、弱い者、さびしい者たちの心を伝えている。

「たより」は、戦争の悲惨、戦争の不条理、戦争の悲哀、戦争の理不尽を、繰り返し繰り返し訴え続けている。ときに、その迫真さにたじろぐ。

「たより」の20号に、17ページに及ぶ「原爆体験記」が掲載されている。筆者は高校生(新制)である。広島県立二中(旧制)の2年生当時の被爆体験を、4年後の49年に綴ったもの。その詳細な記述の生々しさに驚かざるを得ない。

そして、「戦争とカニバリズム」の記事。「カニバリズム」は比喩ではなく、その言葉どおりの記録である。加害者は敗戦を信じなかった皇軍兵士たち、被害者はフィリピンの山村の住民。戦犯裁判の記録として確認されているところでは被害者89名を数えるという。45年10月以後47年2月までのことであるという。まさしく、鬼気迫る記事。

また、次のような心に沁みる詩も掲載されている。作者は「亡き詩人 庚妙達(ユ・ミュンダル)さん」とのこと。

チュムイ 巾着

わたくしの
ハルムニムは
枯木のように
細うございました

庭の日溜りに座る
ハルムニムに
抱きつくと
チュムイから
お小遣いが
出てきます

三角形にしぼられた
小さい巾着袋です

するするっと紐を
引っ張ったり 桔んだり
折れそうな腰にまきつけて
遊びました
そして
魔法のチュムイは
チマに隠れます

隣の釜山から
玄界灘の海を越え
はるばるくっついてきた
素朴な巾着は
祖母の母の手縫いだったろうか
手のひらに軟らか

朝鮮紙幣が
小さく きちんと
折りたたまれていても
目本国では 決して
使用できないのです

白髪を束ね 銀のピネを挿す
チョゴリ チマのハルムニムは
遠い向うから
白一点の美しさで
わたくし達 孫の所へ
訪ねてくるのです

さすらいの地へ
ひっついてきた
チュムイは
さいごのお伴にも
黙っていっしょでした

ああ
ひそやかな痛み
ひそやかな愛を
閉じこめられていたであろう
袋のなか

ついに
何もチュムイに
入れてやれなかった
わたくしでした

石川さんご自身の、こんな、老化を楽しむ詩もある。

脳の奥で・石川逸子

脳の奥で
引っぱり出してもらえない
コトバ が うようよ うごめいています
(あらら わたしの番なのに
 どうして呼んでくれないの)
(おや 今度はわたしだ
 ほら 退いてよ あなたが邪魔してるから
 出ていけないんでしょ)

ハハ 
どうか 喧嘩しないでくださいね

花の名前
野菜の名前
昆虫の名前
歴史上の人物
なつかしい友だちの名
脳の奥で
ひしめきあって
出たがっているけど
なかなか 出てきてくれないんだよね

ハハン
それが「老化」です
ひとことで片づけられてしまったけど
脳の奥で
ひしめきあい
出番を待ってるコトバたちを
想像すると
ときに 楽しくなってしまいます

平田勝さんの「未完の時代」を読む

(2020年8月12日)
平田勝さんが、自分の出版社から自伝を出した。『未完の時代―1960年代の記録』(花伝社)というタイトル。帯に、「そして、志だけが残った ― 『未完の時代』を生きた同時代人と、この道を歩む人たちへ」とある。この帯のメッセージも、平田さんの気持ちのとおりなのだろう。60年代の青春の活動を語りながら、題名はいかにも暗い。帯のメッセージも、である。

おそらくは私も『未完の時代』を生きた同時代人の一人であり、「この道の近辺を歩んだ」ひとりでもある。平田さんは、この書で私にも語りかけているのだと思う。私は、平田さんとは「知人」というほど疎遠ではないが、「友人」というほど親しくはない。無難な言葉を選べば、彼は私にとっての「先輩」である。「先輩」は便利な言葉だ。若い頃の2年の年嵩はまぎれもなく「先輩」である。

初めて平田さんと会ったのは、63年の春駒場寮北寮3階の寮室だったと思う。壁を塗り直したばかりのペンキの匂いのなかでのこととの記憶だが、もう少し後のことだったかも知れない。2学年しかないはずの駒場寮に平田さんは3年生だった。ドテラ着の齢を経たオジさん然とした風貌。

そのオジさんが、妙に物わかりのよいことを言った。「サワフジクン、学生はね、やっぱり学問をしなくちゃね。でないと後悔することになるよ」。平田さんは、私にそう言ったことを覚えているだろうか。同書を読むと、当時ご自身がそのように感じていたようなのだ。

平田さんも私も、第2外国語として中国語を選択した「Eクラス」に属していた。このEクラスは学内の絶対的少数派として連帯意識が強く、学年を超えた交流の機会も多かった。そして、サークル単位で部屋割りをしていた私の北寮の寮室は「中国研究会」だった。平田さんは、同室ではなかったが中研によく顔を出していた。

同書によって、私と平田さんの境遇のよく似ていることを知った。無名高からの東大志望、現役受験の失敗、駿台昼間部、苦学、「Eクラス」、寮生活…。平田さんは8年かけて大学を卒業している。私は6年で中退である。この書に出てくるいくつもの固有名詞が私にも懐かしい。ほぼ同じ時代を、同じ場所で、同じ人々に接して、人格の形成期を過ごしたのだ。

もちろん、似ていることばかりではない。平田さんは、大学に入学するとともに入党し党員活動家として学生運動で活躍した。私は、もっぱらアルバイトに精を出し、日々の糧を手に入れるのに精一杯だった。学生運動は傍観しているばかり。ほとんど授業にも出ていない。

最も大きく異なるのは、自分の信念に従って活動に没入する積極性の有無である。平田さんは迷いながらも常に活動参加の道を選んだ。その積極性が次々と新たな展開につながっていく。なるほど、誠実に生きるとはこのようなものか。私にはそのような果敢な精神の持ち合わせがなかった。だから、平田さんのように語るべきものを持たない。

本書は、異例の「冒頭の言葉」から始まる。「ここに記したのは1960年代に自分が実際に体験したこと 見たり、聞いたりしたこと そこで感じとったことなどを そのまま、記述したものである」という。そのとおりであろう。人柄を感じさせる、飾り気のない、実直な文章である。

第1章 上京と安保─1960年
第2章 東大駒場──1961年~1964年
第3章 東大本郷──1965年~1968年
第4章 東大紛争──1968年~1969年
第5章 新日和見主義事件─1969年~1972年

以上が大目次である。平田さんの学生時代が61年春から69年春まで、その前後を加えて、なるほど60年代という時代の空気を語るにふさわしい書となっており、第1章から4章までが、誠実な学生党員活動家として時代に向き合った活動の回顧録である。個人史を語って、強引に時代を定義づけたり、無理なまとめ方をしていないことに好感がもてる。

だが、「第5章 新日和見主義事件─1969年~1972年」の存在が、この書を特徴的な陰影のあるものにしている。第1章から4章までの、悩みを抱えつつも活動に勤しんだ伸びやかな筆と、第5章とは明らかに異なる。明と暗とのコントラストが際立ち、1章から4章までの成果が、第5章の事件によって押し潰される。痛々しさを覚えざるを得ない。

この200ページを越す書物の中で、肺腑を抉る二つの文章に出会った。この書を単なる回想録に終わらせない問題提起の書とするものである。

 権力からの弾圧に抗する覚悟はできていたが、共産党そのものから受ける弾圧に対する心の備えは、誰しもまだ十分ではなかったと思う。

 1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫するに至った。

 『未完の時代』という言葉で、平田さんが語ろうとしたのは、こういうことなのだ。平田さんは、それでも、「時代の課題に真正面から立ち向かった1960年代の時代精神とその「待続する意思」が、次の世代に受け継がれていくことを信じたい。」と結ぶ。

平田さんは、次のように無念の言葉を述べている。

 1960年代の学生運動は、その後の強力な民主主義運動を生み出すことにも直接繋がらず、政党の刷新や新党の結成など新しい政治潮流を生み出すことも出来なかった。
 その意味で、「未完の時代」に終わったと言える。

が、同時に、あとがきでは次のように展望が語られている。

 いまや「共闘の時代」が来ている。…それぞれの人々への「リスペクト」、すなわち相手の存在を認め、尊重、尊敬することなくして「共闘」は実現出来ない。
 同時に、それぞれのグループや政党の構成員に対しても、その存在に対する「リスベクト」が必要になっていると思う。外に対しては「リスペクト」、内部の構成員に対しては「分割的支配」というようなダブルスタンダードでは、一人一人が生かされる組織とはならないのではないかと思う。
 運動の広範な盛り上がりも経験し、全共闘の暴力的攻撃もくぐり抜け、党の専制的支配にもぶち当たった1960年代の我々の体験が、こうした「共闘の時代」に何らかの意味を持ち生かされるとしたら、これ以上の喜びはない。

 まったく、同感である。この書は、もっと話題となってしかるべきである。とりわけ、共産党を支持する人々の間で。

コントロールの効かない権力の恐怖 ー 中国習近平政権への徹底批判を

(2020年8月11日)

いよいよ、習近平政権が香港の民主派に牙を剥いた。一つは、メディアに対する弾圧であり、もう一つは民主的活動家の逮捕である。「香港国家安全維持法」が武器とされている。これは対岸の火事という事態ではない。国際世論による徹底した中国批判が必要だ。もしかしたら、既に遅すぎるかも知れない…。

中国は世界に、自らの野蛮を堂々と宣言したのだ。中国は、自国に対する批判の言論を許さない。政権に不都合な言論の自由を認めない。言論の自由を主張する不届きな言論機関は容赦なく弾圧する、と。

それだけではない。また中国は、民主的な選挙制度を求める運動を許さないとも宣言したのだ。人民の意思によって権力が形成されるという子供じみた思想を認めない。党と国家あってこその人民ではないか。党と国家に従順ならざる者の口は塞がねばならない、と。もちろん、中国人民には自由も民主主義も保障される。が、それは党と国家が認める枠内でのことだ、これをはみ出したら徹底して弾圧する、と威嚇したのだ。

97年の香港返還における「1国2制度」は50年の約束だった。その際の「2制度」とは、果たして《社会主義と資本主義》という経済体制の別を意味していただろうか。当時既に中国は《社会主義》といえる体制にはなかった。70年代の末には、改革開放政策に踏み切り、80年代の中ごろには鄧小平の「先富論」がまかりとおる世になっていた。「先富論」とは、中国版「トリクルダウン」理論のことではないか。

結局、「2制度」を認めるとは、《共産党の一党独裁》を香港には及ぼさず、《議会制民主主義》を尊重する、という約束であったはず。自国ではともかく、香港の人権や政治的自由や、民主主義・立憲主義を、少なくとも50年は尊重すると約束ししたのだ。中国よ、これを守ろうという道義をも投げ捨てたのか。

下記URLが、「香港国家安全維持法」の全条文である。中国国営新華社通信が7月2日に日本語で配信したもの。あらためてこれを読み直してみた。

https://mainichi.jp/articles/20200714/k00/00m/030/141000c

全6章・66か条からなる奇妙な法律である。本年(2020年)6月30日、「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会で可決、成立したのを受け、香港政府は同日深夜、国安法を公布、施行した。」とされる。香港の市民から自由を奪う法律が、香港市民の関与なく制定される。それ自体が占領立法ないしは異国の支配だ。

この法の眼目は、第3章 犯罪行為及び処罰にある。ここに規定されているのは、次の4罪である。
  第1節 国家分裂罪
  第2節 国家政権転覆罪
  第3節 テロ活動罪
  第4節 外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪

香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏が10日夜、「国家安全維持法(国安法)違反の疑いで逮捕された」と報じられているが、被疑事実は明らかにされていない。

周氏は、逮捕後の11日未明のフェイスブックで「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた罪」に問われたと公表したという。しかし、当局側の発表はない。いったい、何をもって「外国勢力と結託し」て、どのように「国家の安全に危害を加えた」というのだろうか。

この罪の構成要件は以下のとおりである。甚だしく出来が悪い。いったい何が罪になるべきことなのかが分からない。むしろ、分からないのが付け目と言わんばかりではないか。

 第29条 外国または域外の機構、組織、人員のために国家の安全に関わる国家の秘密または情報を盗み、探り、買収、不法に提供した場合、以下の行為のいずれか一つを外国または域外の機構、組織、人員に実施するよう求め、外国または域外の機構、組織、人員と共謀して実施し、もしくは外国または域外の機構、組織、人員の指図、コントロール、資金援助またはその他形式の支援を直接または間接的に受けて実施した場合は、いずれも犯罪に属する。
 1、中華人民共和国に対して戦争を発動し、もしくは武力または武力による脅しを以て、中華人民共和国の主権、統一、領土保全に対し重大な危害をもたらした場合。
 2、香港特別行政区政府または中央人民政府が法律、政策を制定、執行するのをひどく妨害し、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
 3、香港特別行政区の選挙に対し操作、破壊を行い、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
 4、香港特別行政区または中華人民共和国に対して制裁、封鎖またはその他の敵対行動を行った場合。
 5、各種の不法な方式を通じ、香港特別行政区住民の中央人民政府または香港特別行政区政府に対する憎しみを引き起こし、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。

 こんなわけの分からぬ条文で、犯罪に該当していると判断されれば、法定刑は「3年以上10年以下の懲役」である。さらに、「犯罪行為が重大な場合は、無期懲役または10年以上の懲役に処する」とされる。しかも、同法第65条は、「この法律の解釈権は全国人民代表大会常務委員会に属する」と定める。さらには、「国家の安全を害する罪を犯したと判決を言い渡された場合は、候補者として香港特別行政区が行う立法会、区議会選挙に参加する資格、もしくは香港特別行政区のいずれかの公職または行政長官選挙委員会委員に就任する資格を直ちに失う」(第35条)とまで念を入れて定めているのだ。ムチャクチャとしかいいようがない。

かつて、中国刑法には罪刑法定主義がなく、むしろ「本法各則に明文の規定がない犯罪は、本法各則の最も類似する条文に照らして罪を確定し、刑を言い渡すことができる」という罪刑法定主義否定の条文が設けられていた。97年10月施行の改正現行刑法で初めて、「法律によって明文で犯罪行為と規定されていないものは、罪を確定し、刑罰を科すことはできない」とされた。「国家安全維持法」も5条に同様の規定を置いてはいるが、曖昧模糊たる構成要件で刑罰権を発動しようというのだ。

中国習政権の発想は、治安維持法で反政府運動を取り締まった旧天皇制政府とまったく同じであり、同罪である。

コントロールの効かない権力の暴走は恐ろしい。中国国内でのコントロールに期待できなければ、批判の国際世論を喚起するしかない。

歴史を歪め改憲を指向する「育鵬社版『歴史』『公民』教科書」の採択を許すな

(2020年8月10日)
注目の4年に1度の教科書採択、いま真っ盛りである。注目される理由は、これが日本の民主化度のバロメータであるからだ。残念なことに、このバロメータの指し示すところが最近芳しくない。歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書で次代の主権者教育が行われてはたまらないのだが、歴史修正主義や国家主義、改憲基調の政治がまかり通っているのがこの国の現実。そんな勢力を代表する政治家が、長期政権を維持しているご時世なのだ。

攻防の焦点は、公立中学校の「歴史」と「公民」の教科書である。採択権者は、学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会。いつもは名ばかりの教育委員だが、このときばかりは時の人になる。自分の権限の重さに、うろたえてしかるべきである。

この攻防、アベ晋三政権終焉の空気を反映してか、改憲気運衰退のしからしめるところか、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書には、採択の勢いがない。

いわゆる「つくる会」系の、歴史修正主義派教科書の出版社としては、「育鵬社」と「自由社」がある。両社の教科書とも、これまでのところ軒並み不採択で不調この上ない。

都教委が、都立中学10校と特別支援学校中学部22校の教科書採択において、これまでの姿勢を覆して育鵬社、自由社版を不採択にした。続いて、藤沢市・横浜市でも逆転不採択となり、さらには心配された名古屋市で8月7日不採択となった。

ここまで、歴史修正主義派教科書は完敗と言ってよい。とりわけ、全国で最多校数・最多生徒数を誇る横浜市の動向が象徴的である。地元、神奈川新聞がこう伝えている。

横浜市教委、育鵬社版不採択に 中学の歴史・公民教科書

 横浜市教育委員会は(8月)4日、定例会を開き、市立中学校など147校で2021年度から4年間使用する歴史と公民の教科書について、育鵬社版を不採択とした。鯉渕信也教育長と教育委員5人が無記名で投票し、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版を採択した。使用する生徒は全国最多の約7万4千人。

 歴史は7社、公民は6社の教科書を審議した。定例会では、学識経験者や校長、保護者ら20人でつくる「市教科書取扱審議会」の答申が公表され、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版の評価が高かった。

 採決を前に、大場茂美委員が「責任ある判断をする上で、冷静な判断ができる環境を維持したい」と無記名投票を提案。他の委員から異論は出なかった。投票の結果、歴史は帝国書院が4票、公民は東京書籍が5票で、育鵬社はそれぞれ2票と1票だった。

さて、これからである。維新の牙城である大阪府内では育鵬社版教科書採用率が高い。前回は、大阪市、東大阪市、泉佐野市、四條畷市、河内長野市などが育鵬社版を採択していた。本日まで、四條畷市、河内長野市が不採択となり、残る大阪市、東大阪市、泉佐野市の帰趨が注目されている。

言うまでもないが、この教科書採択の結果は、多くの人の運動の反映である。教員や父母が連携し、地域の市民団体も意見を集約して教育委員会に届けている。委員会の傍聴も続けられている。その熱意、その論理、その説得力が、教育委員に影響を与えているのだ。

その運動の全国組織である「子どもと教科書全国ネット21」が、7月30日に「育鵬社教科書不採択の流れを全国に波及させよう」と題する【緊急アピール】を発している。

「約20年にわたって「つくる会」系教科書の採択に、都立学校でいったん終止符を打つことができたことは、大きな前進です。大阪府でもこれまで育鵬社の公民教科書を採択してきた四条畷市と河内長野市で、採択を許さないという成果を上げることができました。
この流れをさらに強め、
1 育鵬社歴史・公民教科書、自由社公民教科書(日本の植民地支配やアジア太平洋戦 争について歴史的事実をゆがめて正当化し、日本国憲法の価値を否定し、憲法改悪に誘導しようとする)
2 日本教科書道徳教科書(生徒の内心に踏み込む、数値による徳目の達成度を求める 自己評価や、植民地支配を肯定的に描く題材まで載せている)
これら教科書の採択を許さない取り組みを、全国の市民、保護者、教職員、労働組合、研究者、弁護士などの幅広い皆さんと全力をあげて進めていきましょう。」

ところで、最も注目される大阪市である。

「子どもと教科書大阪ネット21」の平井美津子事務局長は、育鵬社の歴史教科書について、以下の問題点を指摘している。

・大日本帝国憲法と天皇制を賛美する。
・植民地政策を正当化し、日本が近代化を進めたとする。
・ 15年戦争をアジア解放の戦争と位置付ける。
・日本国憲法は「押し付けられた」ものと否定的。
(ちなみに、育鵬社は、公民では、憲法について、人権の保障より「公共の福祉による制限」を強調し、人権についての正しい知識・感覚を持ちにくい。また、憲法改正へ誘導する記述となっている。)
・最後は中国・北朝鮮への敵愾心を煽り、「日本クール」を謳って締める。
「わが国は、過去の歴史を通じて、国民が一体感を持ち続け、勤勉で礼節を大事にしてきたため、さまざまな困難を克服し、世界でもめずらしい安全で豊かな国になりました。世界の中の大国である日本は、これからもすぐれた国民性を発揮して、国内の問題を解決するとともに、世界中の人々が平和で幸せに暮らしていけるよう国際貢献していくいことが求められています。」

7月30日に、大阪市教育委員会事務局が「戦争美化の教科書を子どもたちにわたさない大阪市民の会」と「教科書採択について」の協議を実施している。形式は、「協議」だが、実際は「要請」に対する「回答」と説明であろう。大阪市のホームページに、6項目の「要望」と「回答」が、次のように掲載されている。

①国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする日本国憲法の精神に反する育鵬社版、自由社版の教科書は絶対に採択しないでください
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

②本市の学校には在日外国人の子どもたちも多数在籍しています。諸外国との友好・連帯を何よりも大切にし、まかり間違っても、排外主義や嫌中、嫌韓感情を助長する教科書は採択しないように強く求めます。
(回答)大阪市教育振興基本計画において、「我が国や郷土の文化・伝統を尊重し、広く伝えるとともに、世界における多様な文化を互いに理解し合い、異なる文化を持った人々とともに生き協働していこうとする、多文化共生社会をめざす資質や能力を持った子どもをはぐくみます。」と示しています。
採択にあたっては、教育基本法、学習指導要領、大阪市教育振興基本計画等に示された基本的な目標に基づいて調査研究を行い、調査会等が作成する資料により、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

③教室で実際の教育活動にあたる教師の意見に耳を傾けてください。
(回答)採択にあたっては、大阪市立義務教育諸学校教科用図書選定委員会規則に基づき、教科用図書選定委員会(以下「選定委員会」という。)を設置することとし、教育委員会が諮問し、選定委員会が調査、研究を経て作成した答申を参照し、採択を行います。
選定委員会は、採択地区ごとに専門性の高い校長及び教員で構成される専門調査会と、各学校の校長及び教員で構成される学校調査会を設置しており、現場教員による調査の結果が選定委員会に報告されます。調査会等が作成する資料については、文部科学省の通知に則り、採択権者の責任が不明確になることのないよう留意しつつ、採択権者の判断に資するよう一層充実したものとなるよう努めてまいります。

④教科書閲覧などを通じて、市民の声に真摯に耳を傾けてください。
(回答)本市では、保護者や学校協議会委員をはじめ市民の皆様に教科書や教科に対する理解を深めていただけるよう教科書展示会を実施しております。教科書展示会では、市民の皆様に教科書への関心を持っていただくとともに、教科書について広く意見を集めることを目的として、アンケート箱を設置しています。アンケートの集約結果並びに皆様からいただいたご意見やご感想につきましては、教科書採択にあたっての参考資料の 1 つとして、教育委員、選定委員にお伝えしてまいります。

⑤新型コロナ問題の先が見通せないなか、教職員や保護者や市民が教科書の検討を可能とする十分な閲覧会場と日程を保証してください。
(回答)本市では、市立図書館・区役所・区民センター・区役所出張所等、市内31か所の教科書センターで、令和3年度使用教科書展示会を開催いたします。
なお、「新型コロナウイルス感染症」に係る感染拡大防止の観点から、来場者へのマスク着用や近距離での会話をご遠慮いただくなどのお願いや、来場者が多い場合は同時に入場する人数を制限する措置をとらせていただく場合があります。
しかしながら、「法定外展示期間」を例年よりも長く設定している「教科書センター」もあり、できるだけ多くの方々に教科書に触れていただく機会の確保に努めております。

⑥教育行政にあたる皆さんが、如何なる政治的圧力にも屈することなく、日本国憲法の精神と、良心のみに従って、教科書選定作業を行われるよう強く要請いたします。
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。

「採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。」では、実はなんの回答にもなっていない。問題は、「公正かつ適正な採択」の具体的な中身である。2015年の初採択時も今と同じタテマエだった。それでどうして育鵬社版採択に至ったのか。育鵬社版教科書のこんな内容が、どうして「公正かつ適正な採択」に馴染むのか。「公正かつ適正」が、育鵬社版教科書とどう折り合えるのか、ではないか。

全国の適正な教科書採択を求める運動の圧倒的な成果を期待したい。全ては、今月中に決着が着く。

長崎被爆の日に見る、地元の真摯さと政権の不誠実。

(2020年8月9日)
8月9日、長崎被爆の日である。犠牲者に対する鎮魂の祈りをともにしたい。そして、この犠牲を繰り返さぬための決意を再確認しなければならない。

長崎市には、「原爆被爆対策部」がある。そこに「平和推進課」があって、さらに「総務企画係」「平和発信係」に分かれているようだ。

「平和推進課・総務企画係」は、原爆資料館・平和会館・永井隆記念館などの維持管理や市民の利用受付を担当し、「平和推進課・平和発信係」の所管業務が、《平和アピールの推進…核実験への抗議、8月9日に市長が発表する平和宣言の作成、広島市や国連と連携した平和事業の実施、インターネットによる平和アピール》《核兵器廃絶を求める国内外のNGOとの連携を図り、平和意識の啓発》《日本非核宣言自治体協議会事務局》《公益財団法人長崎平和推進協会との連携・協力による官民一体となった平和活動の展開》だという。

その「平和発信係」が管理するホームページに本日(8月9日付)の「長崎平和宣言」が掲載された。

https://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

 

長 崎 平 和 宣 言

 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど 75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。

75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。

 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。

 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。

今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から 50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。

3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。

被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。

世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。
折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。

世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。

日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2020 年(令和2年)8月9日

長崎市長 田 上 富 久

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平和宣言の掲載に限らず、「平和推進課・平和発信係」のホームページには、真摯さが満ちている。平和と核廃絶を訴える本気さが感じられる。このホームページを閲覧するだけで、原爆の恐怖と、核廃絶に向けた多くの人の努力を知ることができる。

https://nagasakipeace.jp/japanese.html

これに反して、まったく真摯さも本気さも感じさせないのが、いつもながらのアベ晋三の言。本日の式辞は、6日の広島での式辞とほぼ同じ原稿の棒読みでお茶を濁した。「8月6日」を「8月9日」に、「広島」を「長崎」に書き換えた程度のもの。

目の前で、長崎市長が被爆の犠牲者を代理して、「核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」と、悲痛に訴えているのだ。これを聞き流して恥じないのが、アベのアベたる所以。のみならず、「記者会見」は、2社の記者の質問に対して、予め用意した原稿を読み上げるだけのお粗末。

いったいどうして、こんな人物が、いつまでも行政のトップにいるのだろうか。広島と長崎と沖縄を除いて、日本国民は、それほどに安倍政治に寛容なのだろうか。

アベ政権って、いったい何だ? これだ。

(2020年8月8日)

本日(8月8日)、第59回日本民主法律家協会定時総会が開催された。
コロナ禍のさなか、リアルの出席者はできるだけ押さえて、大半はOn-lineでの参加。これをハイブリッド方式というそうだ。昨年までは考えられなかったこと。

人事では、右崎正博代表理事が勇退して、新理事長に新倉修氏が就任した。事務局長は、米倉洋子氏が留任。また、33年にわたって事務局員として協会の実務と「法と民主主義」編集を支えて来られたた林敦子さんが退任の挨拶をされた。

恒例の相磯まつ江記念「法と民主主義賞」の授賞式も、今年は第16回となった。
受賞者は2019年4月号の「特集・日韓関係をめぐる諸問題を検証する」の執筆者である下記の各氏。

◆日・朝・韓関係の戦後史と現状 … 和田春樹
◆日韓の戦後処理の全体像と問題点 … 山本晴太
◆中国人強制連行強制労働事件の解決事例と韓国徴用工問題解決への展望 … 森田太三
◆韓国徴用工裁判の経緯、判決の概要と今後の取り組みについて … 川上詩朗
◆徴用工判決と金景錫事件 … 梓澤和幸
◆日韓合意の破綻……「慰安婦」問題と日韓関係 … 大森典子
◆韓国の側から見た日韓関係の現状と提言 … 李 洪千

特別賞として、19年7月号特集『軍事力に頼らない安全保障とは』の中の論文
◆平成27年「安保法制」による集団的自衛権行使容認の違憲性 … 宮﨑礼壹
に授与された。

広渡清吾選考委員長から選考経過と受賞理由についての解説があり、受賞者の森田太三、宮﨑礼壹の両氏から、さすがに聞かせる挨拶があった。

なお、今年の春、相磯まつ江氏は、天寿を全うされて97歳の生涯を閉じられた。長女の芹沢真澄氏が、母の志と「法と民主主義」への思いを語って、「今後も、相磯まつ江記念賞の継続を」と訴えられた。

記念講演は、石田勇治氏(東京大学教授・歴史学)の「ナチドイツの経験に見る 緊急事態条項の危険性」である。時宜に適ったもので、要約が「法と民主主義」に掲載されることになるだろう。

総会アピールの全文を紹介しよう。やや長文だが、面白い。あらためて、アベ政権って、いったい何なんだ? という問に対する回答である。

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コロナ禍の今を見つめ、安倍政治に終止符を打ち、
平和で民主的で個人の尊厳が守られる政治に転換しよう!

2020年8月8日 日本民主法律家協会

(はじめに)新型コロナウィルス感染拡大は、安倍政権が市民の命と生活を守らない政権であることを白日の下にさらけ出した。営業停止要請や失職に対する補償はないに等しく、有効な感染防止策を打つことができない。しかも、感染者数が急増する中、巨費を投じて旅行を奨励する「Go-Toトラベルキャンペーン」を強行するなど、支離滅裂なパフォーマンスと明らかな税金の無駄遣いは目を覆わんばかりである。
コロナ禍の中、市民の政治的関心が高まる一方、政権への不信は深刻化している。5月に検察庁法改正法案が約900万の抗議のツイッターの力で廃案になったことは、その現れである。今こそ、安倍政権に代わる、平和で民主的で市民1人1人の尊厳が守られる、市民と野党の新しい政権が必要である。
9月にも解散総選挙が予想される今、2012年12月に発足して7年7か月になる第二次以後の安倍政権がどのような政権だったかを改めて振り返り、政権交代が必須であることを確認したい。

(権力の集中)安倍政権は、発足と同時に、国の根幹部分の人事を官邸が握る手法で権力の集中をはかった。日銀総裁、内閣法制局長官、NHK会長を交代させ、内閣人事局を設置して各省庁の幹部人事を官邸が一括して握った。恣意的な人事は司法にも及び、最高裁判事の任命において日弁連の推薦を初めて拒否した。ただし今年、検察庁法改正により検察幹部の人事も内閣が握る体制を作ろうとしたが、世論の強い反対の前に同法案は廃案となった。

(軍事大国化への暴走)安倍政権は、歴代自民党もなしえなかった方法で、日米軍事同盟の強化による軍事大国化への道を暴走した。政権発足後直ちに国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、米軍との情報共有のための特定秘密保護法を成立させ、2014年7月には集団的自衛権を容認する閣議決定を行い、2015年9月市民の強い反対の声を押し切って戦争法(安保法制)を強行採決した。その後は、戦争法による新任務を与えて戦闘状態にある南スーダンに自衛隊を派遣し、本年1月には「調査研究」名目で自衛隊を中東に派遣するなど、自衛隊の海外派遣を積み重ねた。
また、唯一の被爆国でありながら、2017年122か国の賛成で採択された核兵器禁止条約に反対した。
防衛費は、第二次安倍政権以降8年連続で増額され、トランプ大統領の言いなりにアメリカ製兵器を大量購入し、2020年度防衛予算は5兆3000億円を突破した。沖縄では県民の明確な意思を無視し、巨費を投じて辺野古基地建設を強行している。
中国や北朝鮮への敵視も異常である。第二次世界大戦中の日本のアジア侵略を反省する姿勢がないことから、韓国の徴用工判決を巡って日韓関係も最悪となっている。東アジアの平和を構築しようとする姿勢は皆無であり、かえって緊張関係を高めている。最近首相は、北朝鮮を対象とする敵基地攻撃能力論を言い出しており、「戦争をする国」への野望はとどまるところを知らない。

(9条改憲への執念)安倍政権は、発足と同時に「戦後レジームの転換」、「日本を取り戻す」と叫び、憲法尊重擁護義務を投げ捨てて憲法改正を政策の前面に掲げた。ただし、復古調の自民党改憲草案や憲法96条改正が世論の支持を得られないとわかるや、明文改憲の主張はいったんおさめ、集団的自衛権行使を盛り込んだ安保法制を成立させて9条の「実質改憲」を果たした。その上で、2017年5月、憲法9条1項2項を維持しつつ自衛隊を憲法に明記する改憲を2020年までに実現するとのメッセージを発し、これに、緊急事態条項、教育の充実、参議院の合区解消を加えた「改憲4項目」を打ち出した。しかし、改憲を望まない世論の力で、現在までの3年3か月、「安倍改憲」の議論は一歩も進ませていない。

(大企業と富裕層のためのアベノミクス)安倍政権は、デフレを克服し景気を浮揚させるとして、「アベノミクス」と称する経済政策を強行した。しかし、アベノミクスは、日銀に大量の株式や国債を引き受けさせて、株高と湯水のような公共投資を実現するものであり、大企業と富裕層には過去最高水準の利益をもたらしたが、労働者の所得は増えなかった。非正規雇用が増え、年収200万円以下のワーキングプアは1000万人を超え、社会保障は年々削減され、消費税は5%から8%に、8%から10%にと引き上げられ、格差と貧困は拡大する一方である。

(権力の私物化)安倍政権はまた、権力の私物化を大胆に行った。森友学園問題では、学校建設用地の売買において、安倍首相夫人の関与により9億円余の国有地を8億円値引きさせた。加計学園問題では、理事長と安倍首相が「腹心の友」であるところ、獣医学部新設について文科省の反対を安倍首相が抑え込んだ。7年連続で行われた首相主催の「桜を見る会」では、安倍後援会の会員を800名以上招待し、予算の3倍以上の国費を費やしていたことが明らかになった。

(相次ぐ閣僚の辞任)安倍政権の下では、10名もの閣僚が公職選挙法違反の不祥事や失言で辞任した。しかし、安倍首相が任命責任をとって辞任することはなく、森友、加計、「桜」など安倍首相こそが辞任すべき案件においても絶対に責任を認めることはなかった。

(公文書の隠蔽・改ざん)公文書の隠蔽・改ざんが多発したことも、安倍政権の大きな特徴である。
森友学園問題では、安倍首相夫人の関与が記載された近畿財務局の公文書が改ざんされ、これに関与させられた職員が自殺するという痛ましい事件が起きた。加計学園問題でも、官邸の関与を裏付ける記録が作成されていなかった。「桜を見る会」では、国会議員の質問通告の直後、招待者名簿が廃棄された。
これらの他、自衛隊の南スーダンの日報やイラク派兵時の日報の隠蔽、裁量労働制に関する労働時間のデータや「毎月勤労統計調査」のデータの偽装、コロナ専門家会議の議事録不作成など、安倍政権下における情報隠しや偽装は枚挙にいとまがない。2013年12月成立した特定秘密保護法は、内閣が勝手に秘密指定をすることによって市民の知る権利を奪うものであり、公文書隠蔽の法制化である。

(反憲的法案の採決強行)安倍政権は、2013年12月の特定秘密保護法、2015年9月の戦争法(安保法制)、2017年6月の共謀罪、2018年5月の働き方改革関連法案における高度プロフェッショナル制度の導入などの反憲法的な重大法案について、市民の強い反対の声に背を向け、数の力による採決強行を繰り返してきた。なかでも、過去3度廃案になった共謀罪法案は、「中間報告」の手法で参議院法務委員会の審議を省略し、参議院本会議で採決が強行された。まさに民主主義を踏みにじる暴挙であった。

以上をみるならば、安倍政権は日本国憲法に基づく国の形を変えてしまった、戦後最悪の政権であると断ぜざるを得ない。この最悪の政権に終止符を打ち、安倍政権が行ってきた悪政・失政を一つ一つ覆し、平和・人権・民主主義を守る市民のための政治を築くことは、まさに必須の課題である。
日本民主法律家協会は、そのために全力をあげる決意である。

「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」 ー ようやく、雨降って地固まるの趣

(2020年8月7日)
今年(2020年)の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の準備は、例年にない波乱含みだった。一つは、3年越しの排外ヘイト団体「そよ風」の挑発妨害と、それに呼応した小池都政のイヤガラセ。そして、もう一つがコロナ禍である。が、両者ともに問題解決となった模様である。当たり前のことが当たり前に行われるために、どれほどの苦労が必要かを思い知らされる。

一昨日、たまたま実行委員長の宮川泰彦さんと顔を合わせる機会があって、「9月1日、例年のとおり横網町公園で会いましょう」と声をかけた。ところが、「いや、今年はいらっしゃらないで結構。ご夫婦で、ユーチューブをご覧になってください」との返答。では、安心してそうすることにいたしましょう。

問題になっていたのは、東京都が実行委員会に対してとうてい応じることのできない、不当な「誓約書」の提出を要請していたことだったが、多くの人々の批判を受けてその要請は取り下げざるを得ない事態となった。のみならず、東京都は、8月3日に昨年(2019年)9月1日における「そよ風」の言動をヘイトと認定して公表した。これで、基本的な解決となった。

下記が、最新の経過を報告する実行委員会のネット記事である。

https://sites.google.com/site/japankoreatokyo/911
https://sites.google.com/site/japankoreatokyo/912

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東京都の「誓約」要請取り下げと、今年の追悼式典の一般参加中止(ネット中継)についてのご報告

2020年8月3日

9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会

実行委員長  宮 川 泰 彦

                 記

■東京都がついに「誓約書提出を求めない」と明言

7月29日、9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(以下、当実行委)と東京都建設局の交渉が行われました。建設局はこの場で、「誓約書提出を求めない」と明言し、その日のうちに申請を受理しました。昨年12月以来の「誓約書」問題に一定の区切りがついたのです。これにより、今年の式典が無事に執り行われることとなりました。

建設局は昨年12月、2020年の追悼式典に向けた占用許可申請に対して、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占用許可条件について」と題する文書を当実行委に提示し、「公園管理上支障となる行為は行わない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などの条件の順守を求めました。問題なのは、これらを守れない場合は「次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との誓約を求めてきたことです。

その背景には、この3年間、同じ横網町公園内で、追悼式典と同日同時刻に意図的にぶつけるかたちで右翼団体「そよ風」主催の集会が行われていることがあります。彼らは「不逞朝鮮人が震災に乗じて凶悪犯罪を行ったのが真相」などと虚偽の主張とヘイトスピーチを叫び、拡声器を追悼式典に向けて放送するなどの妨害を行っています。これによって「慰霊の公園」である横網町公園の静穏が破られてきました。建設局の「誓約書」要請が、この集会と追悼式典の双方を同列に規制することでこうした「トラブル」を回避しようと考えたものであることは間違いありません。しかし、ヘイトスピーチなどの問題を起こしている集会と何の瑕疵もない追悼式典を同列に規制することを公正と呼ぶことはできません。

そのため当実行委はこの要請を認めず、5月18日には撤回を求めて声明を発表しました(注)。その反響は大きく、ネット署名を呼び掛ける人々が現れて「誓約要請撤回」を求めて3万人を集めたほか、知識人127人と1団体が賛同する共同声明、自由法曹団東京支部による声明、そして東京弁護士会の会長声明が発せられるなど、様々な抗議の声が上がりました。この他にも、建設局や総務局人権部に抗議の声を届けた方は少なくないようです。

今回の「誓約書」要請の取り下げは、私たちの呼びかけに応えて様々な立場から抗議の声を上げ、奔走して下さった多くの方々の努力の成果です。心より厚くお礼を申し上げます。

また建設局は同日、10項目からなる、横網町公園使用に当たっての「注意事項」を示しました。内容はごく常識的なものであり、建設局は「追悼式典は例年通りに行うことができる」と明言しています。

この「注意事項」には「ヘイトスピーチ解消法の趣旨を踏まえ、いかなる差別的言動もしないこと」との項目もあり、これについては高く評価します。ただし、同法と東京都人権尊重条例によれば、建設局と総務局人権部には、公共施設である横網町公園において差別的言動をさせないように対処する責務があるはずです。集会主催者に注意するだけでなく、東京都が「慰霊の公園」における差別的言動を確実に防ぐため、実効ある取り組みを行うことを求めたいと思います。

■今年の追悼式典は一般参加なしのインターネット中継に

新型コロナウイルス感染拡大の勢いは今のところ収まる気配はなく、すべての行事において、感染防止対策が最大の課題となっています。当実行委では議論の結果、今年の式典行事については例年どおりに行いつつ、一般参加者の参加はご遠慮いただくこととしました。追悼の場を守るために声を上げて下さった方々、追悼碑の前で犠牲者に手を合わせたいという思いでいらっしゃる方々に対し、こうしたお願いをするのは心苦しい限りですが、何卒ご諒解ください。

ただし、追悼式典はIWJ(Independent Web Journal)のご協力をいただいてインターネット生中継を行いますので、PCやスマホでのご視聴を通じて全国の人々にご参加いただければ幸いです。チャンネルは以下の通りです。

2020年 9月1日(火)午前11時から1時間強。youtubeチャンネル「Movie Iwj」にて。

https://www.youtube.com/user/IWJMovie/videos?shelf_id=4&view=2&sort=dd&live_view=501

(yahooやgoogleで「Movie Iwj」と検索すればアクセス可能)

Movie Iwj https://www.youtube.com/channel/UCO6c-ejeQxxKArNHWieU2OQ

3年後の2023年には、関東大震災100年、朝鮮人犠牲者追悼碑建立から50年を迎えます。虐殺犠牲者への追悼を捧げ、民族差別による暴力を「繰り返しはせぬ」と誓う場である朝鮮人犠牲者追悼式典と追悼碑を、今後とも幅広い人々と共に守っていきたいと考えます。引き続き、多くの皆さんのご支援、ご協力を訴えます。

以上

(注)「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会が声明を発表」

https://blog.goo.ne.jp/nicchokyokai-honbu/c/4bf22b0296e721d49361f7334619df04

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占用にあたっての注意事項(東京都から実行委員会に示されたもの)

1 占用目的外及び占用許可区域外の使用はしないこと。
2 他の公園利用者や近隣住民の迷惑となるなど、公園管理上支障となる行為は行わないこと。
3 9時50分から10時50分はマイク・スピーカー等、音響装置を使用しないこと。それ以外の時間に音響装置を使用する場合は、他の公園利用者や近隣住民等に影響がないよう、当該集会参加者の方向に向けて設置し、必要最低限の音量とすること。
4 掲示物・看板等を設置する場合は、当該集会参加者の方向に向けて設置すること。なお、当該集会め会場の場所を示すための看板を設置する場合には、行事名・主催音名のみを記載すること。
5 搬出入に使用する車両は必要最低限の台数とするとともに、公園内では徐行すること。また、指示された場所以外に車両の乗り入れ及び留め置きはしないこと。
6 平成28年6月3日に施行された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ解消法)の趣旨を踏まえ、いかなる差別的言動もしないこと
7 原状の回復については、公園管理者の確認を受けること
8 新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止のため、適切な対策を講じること
9 公園管理者からの指示に従うこと
10 本注意事項について、集会参加者に周知・指導すること

東部公園緑地事務所

言うまでもなく、上記の第6項が、そよ風のヘイトスピーチを意識してのもの。

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その、「そよ風」のホームページには、8月4日付で次の記事が掲載されている。

生き残りをかけた左翼総攻撃に、都が負けた!
「誓約書」を引っ込めさせられた東京都!

そよ風が、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑(以降、朝鮮人碑)を支持する左翼から、総攻撃を受けている事はお伝えしてきました。しかし話はそれで終わりませんでした。
私達は、その攻撃がどれほど恐ろしい事か目の当たりにしました。

かねてより両団体に都庁から求められていた、慰霊祭で公園を使わせて頂く為の誓約書を提出しに行った時の事。
なんと、都は、今度は、誓約書は受け取れない、というのです。
思わず、一同、椅子から転げ落ちそうになりました。
理由は、両団体とも信頼できると思えるに至ったから、と、理解不能な説明。

役所がきちんと審議し、一旦は、決定し、要請した誓約書を、途中で、必要がなかったことにするとは、前代未聞、驚天動地。

私はこれを「都庁文書引っ込め事件」と呼びたい。

都を庇うわけではないが、都は、慰霊祭を開催させないとは一言も言っておらず、誓約書は、去年、朝鮮人碑を支持する側の人間が、そよ風慰霊祭参加者に、なぐりかかるという暴行事件(逮捕、10万円罰金)があり、安全を担保するためには、公園管理者として、当然の文書でした。

それを左翼は、あたかも、都が、慰霊祭を許可しなかったかのごとく、ネットで訴え、煽りに煽りました。
正に、左翼の、生き残りをかけたかのように、自分たちと、そよ風ごときを、同格に扱うとは何事だ!と大キャンペーンを張り、必死の署名活動で、3万筆を集め、暴行事件を起こした本人等が都に提出、又、知識人127人と1団体の声明、まで出し、朝日、前衛などのメディアを使って、公園を使わせろ!と絶妙に論点をすり替えて、危機感を煽りました。

もちろん、こんなことだけで都庁が動くとは思われませんが、強力な圧力で、役所をねじふせ、誓約書を吹き飛ばしたのだと思います。

あれほど、厳格であるべき役所の指導を、指導してしまう共産党。
役人をも意のままに出来る共産党。恐るべき日本共産党!
(以下略)

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その前日の8月3日、東京都は、2019年開催の関東大震災追悼式の際の「そよ風」の言動について、本邦外出身者に対する不当な差別的言動と認定したことを公表している。

東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例第12条第1項の規定に基づく表現活動の概要等の公表について

東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例(以下「条例」という。)第14条の規定により設置する審査会(以下「審査会」という。)の意見を踏まえ、以下のとおり条例第12条の規定に基づき表現活動の概要等を公表する。

1 表現活動の内容
令和元年9月1日、東京都墨田区内の集会における以下の言動

1.「犯人は不逞朝鮮人、朝鮮人コリアンだったのです。」
2.「不逞在日朝鮮人たちによって身内を殺され、家を焼かれ、財物を奪われ、女子供を強姦された多くの日本人たち」
3.「その中にあって日本政府は、不逞朝鮮人ではない鮮人の保護を」

2 都の対応
1.上記1.について、条例第12条第2項の規定に基づく申出を受け、これらの表現は、不逞朝鮮人という言葉を用いながら、本邦外出身者を著しく侮蔑し、地域社会から排除することを煽動する目的を持っていたものと考えられる。
 また、当該発言がなされた日時、場所、その他の態様等に照らせば、別の集会に対して挑発的意図をもって発せられたものであって、その表現内容も朝鮮人を貶め、傷つける差別的表現であることから、本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当すると認められるため、適切な措置をとるべきとの審査会の意見を聴取した。
2.条例第13条第1項の規定に基づき、審査会の意見を踏まえ、都としては、上記1.の表現は、条例第8条に規定する本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動であると判断した。
3.都は、条例第12条第1項の規定に基づき、本件公表を行い、このような本邦外出身者に対する不当な差別的言動はあってはならないものとして、その解消を推進していく。

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この経過を報道する朝日新聞の記事を引用しておきたい。

朝鮮人虐殺の追悼式、公園使用に誓約書求めず 都が一転

 関東大震災の際のデマなどで虐殺された朝鮮人犠牲者らの追悼式典をめぐり、会場の公園を管理する東京都が主催者に誓約書の提出を求めた問題で、都は、誓約書なしで公園使用を許可する方針に転換した。

追悼式典は1974年から日朝協会などでつくる実行委員会が、9月1日に都立横網町公園(墨田区)の朝鮮人犠牲者追悼碑前で開いてきた。これに対し2017年から、虐殺の事実を否定する団体「そよ風」も同時刻に同じ公園で「慰霊祭」を開催。昨年は抗議する活動家との衝突もあった。

都は昨年末、公園使用許可申請の際に、管理に支障となる行為をしないなどの条件が守れない場合は「管理者が集会の中止を指示したら従います」とする誓約書の提出を双方の主催者に求めた。実行委は「誓約書は集会運営を萎縮させる」と反発。抗議署名や抗議声明の動きが相次いだ。

都は7月末に方針を転換。「注意事項を守り、行事を平穏に行う意思が口頭で確認できた」として、誓約書なしで実行委の申請を受理した。そよ風からも申請の相談はあり、意思確認をした上で受理する方向という。都公園緑地部の樽見憲介・適正化推進担当課長は「今後も必要が生じたら誓約書を提出してもらう」と話す。

実行委は3日、「都が誓約書の要請を取り下げたのは、多くの方々の抗議の成果」との見解を発表。都に対し「差別的言動を防ぐため実効ある取り組みを」と求めた。9月の追悼式典は新型コロナウイルスの感染防止のため、一般参加者を入れずに実施し、インターネットで中継する。

そよ風が昨年開いた集会では「不逞(ふてい)在日朝鮮人たちに身内を殺された」などの発言があった。この発言について、都は人権尊重条例に基づく不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)にあたると認定し、3日発表した。

追悼式典をめぐっては歴代の都知事が追悼文を送ってきたが、小池百合子知事は「犠牲者数については様々な意見がある」と発言し、2017年から見送っている。

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この間の事情の詳報が、年8月3日付ハンギョレ新聞(日本語・デジタル版)にも掲載されている。朝日が「客観報道」に徹しているのに対して、ハンギョレは小池都政の意図にも言及した「論評報道」に踏み込んでいる。このハンギョレの論評部分は常識的なもので、全体の流れが分かり易い。

東京都は、関東大震災の時に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式の開催条件として提示していた一種の「順法誓約書」提出要求を撤回した。

「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」(以下、実行委)は3日、先月29日に東京都が「誓約書提出を求めない」とし、(追悼式典開催)申請を受理したと明らかにした。東京都は右翼団体との公平性を口実に、追悼式典開催のための公園占有許可を出す条件としてマイクやスピーカーの使用などを自制することを要求していた。
追悼式典の開催を妨害してきた右翼団体の「ヘイトスピーチ」(特定集団に対する公開的差別、嫌悪発言)を事実上、朝鮮人犠牲者追悼式典と同様の性格の集会と規定しようとしたものの、市民の反発にぶつかり、要求を撤回した格好だ。実行委は、1923年の関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼するために、1974年から毎年9月1日に、東京墨田区の横網町公園で追悼式典を開いてきた。しかし、右寄りの小池百合子東京都知事の就任後、制動がかかっていた。

東京都は昨年12月、実行委に対し、追悼式典開催に必要となる公園の占有を許可する条件として、「(すべての関東大震災犠牲者を対象に東京都が行う行事の時間帯には、集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などを内容とする誓約書の提出を要求し、物議を醸していた。誓約書には、これらの内容が順守できない場合は、「次年度以降、(行事開催のための)公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との内容も含まれていた。さらに東京都は、追悼式典の開催を妨害することを目的として3年前から同じ公園で集会を開いている右翼団体にも、同一の誓約書を提出することを求め、波紋はさらに広がった。事実上、右翼団体の「ヘイトスピーチ」と朝鮮人犠牲者追悼式典を同じ性格の集会と規定し、規制しようという意図があるという分析がなされた。実行委が5月に東京都のこうした措置を批判する声明を発表したところ、日本の市民社会からは「民族差別の犠牲者を追悼する式典と、民族差別を煽動する集会とを同列に扱い規制することは、『公平』でもなければ『公正』でもない」とする「文化人声明」などが相次いだ。

実行委は「『誓約書』要請の取り下げは、私たちの呼びかけに応えて様々な立場から抗議の声を上げ、奔走して下さった多くの方々の努力の成果」とし「心より厚くお礼を申し上げます」と述べた。そして「(東京都)建設局は同日、10項目からなる、横網町公園使用に当たっての『注意事項』を示しました。内容はごく常識的なものであり、建設局は『追悼式典は例年通りに行うことができる』と明言しています」と明かした。

一方、実行委は、今年の横網町公園での関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典はコロナ感染拡大防止のため、一般参加者なしで行うことにしたと発表した。追悼式はオンライン中継される予定だ。

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なお、賛同・支援の募金は下記まで。

郵便振込 00110-5-401438
加入者名 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会

「核抑止論は虚構に過ぎない」 ー 広島平和式典挨拶から

(2020年8月6日)
1845年8月には、忘れることのできない諸事件が重なった。8月15日は、日本の歴史を分かつ日として、日本人にとって忘れてはならぬ日。これに対して、8月6日は世界の人類全体が戦慄の感情をもって記憶すべき日である。

あれから75年目の8月6日。本日も青い真夏の空の下、広島市の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。コロナ禍のさなかの式典として、規模は縮小された。その準備の過程で、平穏な式典の進行を求める主催者(広島市)と、式典の意義にこだわる市民団体との間に摩擦のあったことが報道されている。

敢えて単純化すればこんなことだろうか。市民団体側は、「平和式典は核廃絶につながるものでなければならない。にもかかわらず、式典主催者は、遺族の慰霊のみを目的とする式典にしようとしているのではないか。式典周辺での拡声器使用自粛要請はその表れにみえる」

これに対して市は、飽くまで「原爆死没者の慰霊」と「世界恒久平和の実現の祈念」の両者を式典の理念とするもので、決して「慰霊」だけを目的としているものではないという。

拡声器の音量については妥協が成立して、平穏に本日の平和式典は進行したようだが、核廃絶のための喫緊の課題は、2017年に国連で採択されたが未発効の「核兵器禁止条約」について締約国を増やすこと、まずは日本政府が「締約国」となるべきことである。そして、もう一つ。黒い雨訴訟の一審判決への控訴期限が迫っている。被爆者救済の切実な具体的問題が眼前にある。

松井一実市長は、平和宣言の中でこの点について次のとおり訴えた。訴える先は、目の前にいるアベ晋三である。

 これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 そのためにNPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

これに対して、アベ晋三はどう応えたか。

75年前、1発の原子爆弾により廃虚と化しながらも、先人たちの努力で見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにし、平和の尊さに思いを致しています。
 広島と長崎で起きた惨禍と、もたらされた人々の苦しみは、繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を前に進めることは、わが国の変わらぬ使命です。
 本年は被爆75年という節目の年です。非核3原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促し、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしていきます。
 核拡散防止条約(NPT)が発効50周年を迎えました。結束した取り組みを各国に働きかけ、積極的に貢献します。
 「核兵器のない世界」の実現へ確固たる歩みを支えるのは、核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取り組みです。わが国は被爆者と手を取り合い、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていきます。
 原爆症の認定について、迅速な審査を行い、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進します。

 全てを抽象論でごまかした、恐るべき無内容。完全なゼロ回答である。被爆者や遺族の面前で、「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めていただきたい」「多くの人々の苦悩に寄り添い、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」との訴えの拒絶である。このくらいのシンゾウの強さ、面の皮の厚さでないと、保守政権の維持はできないのだろう。いちいち国民の要望に耳を傾けていては、きりがないと言うことなのだ。

なお、この日注目されたのは、「核抑止論は虚構に過ぎない」という湯崎英彦・広島県知事の挨拶である。これも、アベ晋三の面前での発言として、重みがある。下記は、そのさわりである。

 なぜ、我々広島・長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのでしょうか。それは、核による抑止力を信じ、依存している人々と国々があるからです。しかしながら、絶対破壊の恐怖が敵攻撃を抑止するという核抑止論は、あくまでも人々が共同で信じている「考え」であって、すなわち「虚構」に過ぎません。

 一方で、核兵器の破壊力は、アインシュタインの理論どおりまさに宇宙の真理であり、ひとたび爆発すればそのエネルギーから逃れられる存在は何一つありません。したがって、そこから逃れるためには、決して爆発しないよう、つまり、物理的に廃絶するしかないのです。

 幸いなことに、核抑止は人間の作った虚構であるが故に、皆が信じなくなれば意味がなくなります。つまり、人間の手で変えることができるのです。どのようなものでもそれが人々の「考え」である限り転換は可能であり、我々は安全保障の在り方も変えることができるはずです。いや、我々は、人類の長期的な存続を保障するため、「考え」を変えなければならないのです。

 もちろん、凝り固まった核抑止という信心を変えることは簡単ではありません。新しい安全保障の考え方も構築が必要です。核抑止から人類が脱却するためには、世界の叡知を集め、すべての国々、すべての人々が行動しなければなりません。

 皆さん、今こそ叡知を集めて行動しようではありませんか。後世の人々に、その無責任を非難される前に。

この知事発言は、子ども代表が朗読した「平和への誓い」と通底している。

 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」
 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。

この二つのメッセージをつなげると、ほら、何とか希望が見えてくるではないだろうか。

いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜

(2020年8月5日)
関東学院大学に、宮本弘典さんという刑事法の教授がいる。
この方が、紀要「関東学院法学」(第28巻第2号)に、「ニホン刑事司法の古層・再論 1:思想司法の系譜」という論文を掲載されている。貴重なものである。

B5で40ページ余の分量だが、これに126項目、20頁余の引用資料が充実している。ありがたいことに、その全文がネットで読める。関東学院に感謝しつつ、司法問題に関心のある方には、閲覧をお勧めしたい。

https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI30003367&elmid=Body&fname=007.pdf

研究者の論文を読むのは骨が折れて億劫だと仰る方は、せめて下記の私の拙い要約に目を通していただきたい。

宮本論文の主題は、「ニホン刑事司法の古層には、今なお、過去の《思想司法=モラル司法》が脈々と永らえている」という表題のとおりのもの。言うまでもなく過去の《思想司法》とは、「万世一系の國體護持」という「思想」(ないしは信仰)の擁護を主柱とする刑事司法である。天子様に弓を引く極悪な非国民をしょっぴいて処罰する糾問型司法制度を言う。のみならず、《思想司法》は《モラル司法》でもあったというのが、政治学者ではなく刑事法学者である論者の重要な指摘。《モラル司法》とは、皇国臣民としての道徳を規範とした刑事司法といってよいだろう。転向し反省して、皇国臣民としての規範を受容する恭順者に対しては、畏れ多くも皇恩が寛大なる処遇を賜るであろうという文字どおり、天皇の天皇による天皇のための刑事司法なのだ。そのかつての刑事司法の抜きがたい伝統は、今なお古層として現在も生き続けているというのだ。

この点、論文の最後の一文が要旨を適切にまとめて、分かり易い。

行為に対する法的裁きにとどまらず,被告人の人格そのものに対する道徳的裁きとなれば,日本国憲法による防御権の保障は画餅に帰し,捜査と公判と行刑の全過程が反省と謝罪の追及の場となろう。思想司法/モラル司法を牽引した検察官司法の貫徹はたしかに「凡庸な悪」「陳腐な悪」ともいうべき悲劇であった。しかし,「凡庸な悪」「陳腐な悪」は時代と状況を超えて再現する。現に本稿で概観したとおり,思想司法/モラル司法のモードとエートスは,「古層」をなして日本国憲法の下でもなお2度目の笑劇として存(ながら)えている。それは裁判官や検察官のみの罪ではない。我われ自身の罪でもあろう。

また、「プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶」の中に次の一節がある。

権威主義国家における(戦前の)このような刑事裁判は,被告人から法的権利と道徳的資格の双方を剥奪して「非国民」を生産する場であった。そのような裁判において自白とは,「反省と悔悟」による被告人の「道義の回復」の必須の条件であり,天皇の赤子たるニッポン臣民の――お上の恩情・恩寵としての――道徳的資格の回復に欠くべからざる条件であった。…権威主義国家の自白裁判は,治安維持法の思想犯/政治犯裁判に明らかなとおり心情刑法の色彩を濃くしてすべての被告人を政治犯化し,反省と悔悟あるいは転向を迫りつつ,被告人を法的のみならず道徳的にも断罪する荘厳の――しかし内容空疎な――裁きとして機能した。現在も続く反省・謝罪追及型のモラル司法の原風景である。

さて歴史を鑑とするときニホン刑事司法の「真実」と「正義」を語りうるだろうか。否であろう。ニホン刑事司法の古層をなし,ニホン刑事司法の底流を通貫するモードとエートスは,検察官司法による思想司法/モラル司法のそれだからである。現に,敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手のなかにも,思想司法の系譜に属する人びとがいる。本稿は,先行研究によりつつ若干の固有名詞によってそれを確認し,ニホン刑事司法の改革に不可欠な歴史的省察の一端を照射しようとするものである。

こうして、《敗戦後の日本国憲法下の刑事司法の担い手となった,思想司法の系譜に属する人びと》を洗い出そうというのが、この論文の狙いである。ターゲットにされたのは、著名な、研究者・実務家の6名。戦前の天皇の刑事司法と戦後の人権擁護の刑事司法を架橋して、戦後刑事司法に古層としての戦前司法を埋め込んだ「戦犯6人集」の罪状である。その6名とは、小野清一郎・団藤重光・池田克・斎藤悠輔・石田和外・岡原昌男である。

この6名の罪状が次のとおりに目次建てして論じられている。

プロローグ:思想司法/モラル司法の記憶
1.戦時刑事法のイデオローグ・小野清一郎
2.戦後刑事法学の泰斗・団藤重光
3.思想司法の中核の復権・池田克
4.硬骨/恍惚の戦時派裁判官・斎藤悠輔
5.ミリタントな保守によるリベラル排斥・石田和外
6.思想検事の末裔・岡原昌男
エピローグ:司法の廃墟

私の主たる関心は、「ミリタントな保守」とされた石田和外にある。「ミリタント」の意は「居丈高で好戦的な」ということであろうが、退官後の石田の言動を見ると、「軍国主義者」の意でもあろうかと思われる。この石田のことは後日述べたい。

恐るべきは、宮本論文のトップ出てくる、小野清一郎である。盛岡では、郷土の偉人の一人に数えられている。近江商人の出である小野組の一族の人で、浄土真宗の信仰に厚いことでも知られる。親鸞と天皇信仰とどう関係するのかは余人には窺い知れないが、彼はこんなことを書いている、と宮本論文が紹介している。

「我が日本の國軆は肇國以來の歴史を離れたものではないと同時に,其の精華は日本道義の顕現以外に之を求めることは出來ない。この國軆の精華たる億兆一心の道義は「教育ノ淵源」たると同時に亦法の淵源でもある。何故なら,日本においては法と道義とは一如であり,法とは道義の政治的實現に外ならないからである。…我が國軆は神ながらの絶對なる道に基礎づけられてゐる。萬世一系の天皇の御統治は唯一にして絶對のものであり,天壌無窮の意義を有するものである。其處には限りなき嚴しさを感ぜしむるものがある。其は正に人間以上の嚴しさである。まことに限りなき御稜威である。しかし御稜威といふものは單なる「權力」といふ如きものではない。また單なる「權威」といふ如きものでもないと思ふ。權威でもあり,又權力でもあるが,しかしそれよりも深く一切をはぐくむ生成力であり,光明である。御仁慈である。限りなき御稜威も,光華明彩なる皇祖天照大神の和魂に基く生成の力である。…されば天皇と臣民との關係も單なる權力服從の關係といふ如きものではない。「詔を承けては必ず謹め」といふ,絶對なるものへの随順であり,歸一である。しかも其は上下の和諧であり,億兆の一心を實現する所以である。日本の法は斯の如きいはば宗敎的道義的な基本原理において把握され,形成され,實践されなければならないのである」(小野清一郎『日本法理の自覚的展開』(有斐閣・1942年)92‐94 頁)

宮本は、この小野の言を、「要するに天皇主権国家を「道義」の顕現=権化とする信仰告白であり,そのような「国体」の実現が法の基本原理だというのである。ゆえに法の性質も目的も「道義」の外に求めることはできない」と研究者らしく評する。

私の感想はひとこと、「バカジャナカロカ」というほかはない。この人も、戦前の一時期、検事だったこともあるという。知性や理性が、醜悪な信仰と迷妄なる野蛮に裁かれていたのだ。

小野の没年は1986年。その晩年、法務省の特別顧問となり刑法「改正」問題で影響力ある人とされていた。宮本論文に依れば、今なお刑事司法の古層に永らえているという《思想司法=モラル司法》の実質とは、こんな小野思想だというのだ。

蛇足だが、一言。小野は、秀才伝説の人である。得てして、秀才とは、「醜悪な信仰と迷妄なる野蛮」に親和性が高い。おそらくは、今も。

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