澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

国連「家族農業の10年」と「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」

「浜の一揆」訴訟の控訴審。第2回法廷が来週火曜日。10月2日(火)午後1時30分、仙台高裁101号法廷である。

当方(控訴人・漁民側)が準備書面を提出し主張を述べることになる。この法廷で、二平章氏(北日本漁業経済学会会長)の意見書を提出する。

この訴訟の主要な論点は、漁業調整の名のもとに、「大規模定置網漁業者の利益を確保するために、弱小零細な漁民のサケ刺し網漁業の許可申請を排斥してよいのか」ということに尽きる。二平氏は、「弱小零細な漁民をこそ保護すべき」という立場から、立論している。そのうちの一節をご紹介したい。

 より弱小零細な漁民を保護するべきとの第2の理念は、憲法学でいう実質的平等の考え方と同様です。
経済活動の自由を保障さえすれば、すべてがうまくいくというのは、既にあやまった考えであることが明らかになっています。合理的な制約と介入を権力が行わないと、大変な不公平が社会に生じることは公知の事実です。
漁業法は、漁業の「民主化」を目的に掲げています。強大な事業者と零細な漁民がいれば、零細漁民を優先することを想定しているのです。
これは、戦後の一時期の特別な政策という訳ではありません。2017年12月20日、国連総会は、2019年から2028年までを「家族農業の10年」とすることを採択しました。この「家族農業」とは、農場の運営から管理までの大部分を、1戸の家族で営んでいる農業のことです。現在、世界の食料のうち約8割が家族農業による生産でまかなわれており、世界中の食糧共有の中で重要な役割を担っています。持続可能性の観点からも、自然を収奪する大規模農業ではなく、自分や自分の子孫が耕し続けると考えながら自然に働きかける家族農業こそ鍵だと考えられるようになったのです。
実は、国連が掲げるこの「家族農業」には家族漁業も含まれています。国連では、「家族農業」を「農業労働力の過半を家族労働力が占めている農林漁業」と定義しています。必ずしも血縁によって結びついた家族による農林漁業のみではなく、非血縁の家族も、一人で営む個人経営も、家族農業に準じて議論されています。資本的つながりによって結合した企業的農業に対置する概念として理解されています。
さらに国連は2022年を「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」と定め、各国が小規模家族漁業者の重要性を認識し、その保護政策を確立するよう訴えようとしています。
持続可能性という観点からも、零細な家族漁業を保護することは極めて現代的で正しい政策といえるのです。

 国連「家族農業の10年」は家族漁業も含むのか。知らなかった。2022年が国連の「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」。これもまったく知らなかった。これこそが、国際潮流なのだ。心強い。

この国際潮流は、生産性至上主義とはまったく無縁の思想に基づくもの。人は、人を搾取し収奪するために生くるにあらず。もちろん、人は搾取され収奪されるために生くるにもあらず。どちらの生き方も、結局は資本の奴隷としての生き方ではないか。

搾取・収奪とは無縁の「家族労働による農林漁業」。これこそ人間本来の生き方ではないか。国連による零細な農林漁業の支援は、豊かな人生観・社会観に満ちている。
(2018年9月25日)

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