「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」
1868年10月23日、150年前の今日。「明治改元の詔」なるものが出たのだという。「それがどうした?」「だからなんだ?」「改元が目出度いか?」と言いたいところだが、政府は8月10日の閣議で、政府主催の記念式典を行うことを決定。本日(10月23日)永田町の憲政記念館で「明治150年式典」が開催された。安倍政権は、明治150年を祝賀しようという。ならば、われわれは「天皇専制と戦争の近代史」を思い起こす日にしようではないか。
2003年10月23日、15年前の今日。都内公立学校の全教職員に、学校儀式における「日の丸・君が代」への起立・斉唱をを強制する「10・23通達」が発出された。当時の都知事は石原慎太郎。以来、不起立・不斉唱での懲戒処分件数は、延べ483件に上っている。都内の公立校に、思想・良心の自由はない。教育現場は荒廃している。今日は、学校現場における思想・良心の自由獲得の重大さを思い起こすべき日でもある。
100年前の今日、制度が変わったわけではない。法が制定されたのでもない。先代天皇(孝明)の死亡の日ですらない。それまでの慶應が、幾つかの候補(一説に7案)の内から、明治と決められたというだけの日。しかも、当時は旧暦で(慶応4年)9月8日だった。そして、改元の効果は、その年の旧暦1月1日に遡るとされた。10月23日に、いったい何の意味があるのか分からない。
問題は、何ゆえ明治150年が記念に値するのか。国費を投じて式典まで行う必要があるのか、ということ。
この点、8月時点で菅義偉官房長官は、「明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べたにとどまる。「明治以降のわが国の歩みを振り返り」と「未来を切り開く契機」との関係がさっぱり分からない。
「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、天皇を国民統合の中心と戴いて国威を発揚してまいりました輝かしい時代であったと申せましょう。この我が国固有の歴史に誇りをもって、国の未来を切り開く契機にいたしたい」なのだろうか。
あるいは、「明治以降のわが国の歩みを振り返りますと、その前半は天皇制官僚と軍国主義者との横暴が猖獗を極めた専制と戦争の時代でありました。また、その後半は、専制や戦争あるいは差別を克服しようとして道半ばの時代と言わねばなりません。総じて、150年を徹底して反省することをもって、これからのくにの未来を切り開く契機にしなければなりません」ということなのだろうか。
同様のことは、「明治100年」の際にも問われた。このとき(1868年10月23日)にも政府主催の記念式典が開催された。会場は北の丸公園の日本武道館、天皇・皇后(先代)も出席してのこと。今回の式典は盛り上がりに欠ける。天皇(明仁)の出席もなかった。
ところで、本日の赤旗第2面。下記の記事が掲載されている。「明治150年記念式典・出席せず」「小池氏・趣旨に同意できない」という見出し。
小池晃書記局長は22日の記者会見で、23日に開かれる政府主催の「明治150年記念式典」について問われ、「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」として、式典に参加しないと表明しました。
小池氏は、「閣僚の『教育勅語』容認発言のように戦前を美化したり、9条改憲によって『戦争をする国』に向かおうという安倍首相の意向が背景にある」と強調し、「式典の趣旨そのものに同意できない」と述べました。
産経が、これを記事にしている。「共産、明治150年式典欠席へ」「前半は負の歴史」という見出し。
共産党の小池晃書記局長は22日の記者会見で、東京・憲政記念館で23日開かれる明治改元150年記念式典に同党として欠席すると表明した。「150年の前半は、侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史がある。明治以降を丸ごと祝い、肯定するような行事に参加できない」と語った。
関係者によると、会場には国会議員向けの席が用意される予定。小池氏は式典について「教育勅語の礼賛や、憲法9条改定により戦争する国造りを進めようという安倍晋三首相の強い意思が働いている」と指摘した。
この「改元150年記念式典出席拒否」には全面的に賛同の意を表したい。「儀礼的なものに過ぎないから」「国会議員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なことだから」「他の野党との連携上、やむを得ない」などといわずに、きっぱりと出席を拒否したことを評価したい。
明日(10月24日)が臨時国会の開会式。望むべくは、玉座の天皇が議場の国民代表を見下して「開会の辞」を述べるという、国民主権に屈辱的な、あの儀式への参加もきっぱりと拒否してもらいたいところ。
東京新聞(こちら特報部・2018年10月17日)は、「150年祝う政府式典 反対集会23日に同日開催 『明治礼賛』に異議あり」を特集している。下記のとおり、立派な姿勢だ。
「明治150年」を記念する政府の式典が23日、東京都内で開かれる。近代国家の礎を築いた栄光の時代をたたえる趣旨だが、同じ日、アジア侵略につながった負の歴史を批判する団体も反対集会を開く。平等を説きながら差別をなくせなかった時代を礼賛するとして、沖縄の人々やアイヌ民族も複雑な思いを抱く。改憲に前のめりの安倍政権で迎える節目は、どんな意味を持つのか。
10月21日、「10・23通達」抗議の集会が開催されている。明治150年、その前半は暗黒の時代だった。後半も人権や民主主義にとってけっして明るいばかりの時代ではないことを「10・23通達」による「日の丸・君が代」強制の実態が教えている。常に、権力に対する抗議が必要なのだ。
日の丸・君が代の強制を合理化してはならない。「儀礼的なものに過ぎないから」「教員だからやむを得ない」「大所高所に立つことが大切で、目をつぶれる些細なこと」「世論状況でやむを得ない」などといわずに、きっぱりと「日の丸・君が代」強制に抗議の声を上げていただきたい。
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下記は、本日付赤旗の「主張」。「明治150年・近代日本の歩み検証する視点」というタイトル。さすがに赤旗、この論説は、行き届いた正論である。赤旗とは無縁な人のために、全文を紹介しておきたい。
「上からは明治だなどというけれど 治明〈おさまるめい〉と下からは読む」―徳川幕府が倒れて明治新政府ができたとき、東京と改称された江戸の民衆はこんな狂歌をよんだと伝えられています。
150年前の1868年、旧幕府側と薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍との間で戊辰戦争が始まり、新政府は「五箇条の誓文」を公布し、江戸城が無血開城されました。そして、年号が慶応から明治に改元されました。
特異な一面的礼賛の姿勢
きょう政府は都内で「明治150年記念式典」を開催します。1868年10月23日に明治改元があったことを記念し「明治以降の我が国の歩みを振り返り、これからの未来を切り開く契機とする」(菅義偉官房長官)との触れ込みです。安倍晋三政権は2年前から「明治150年」キャンペーンを展開してきました。
首相自身、今年の年頭所感で「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました」「近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人」と強調しました。きわめて一面的な「明治」礼賛です。戦前と戦後の違いを無視した時代錯誤の危険な歴史観がにじんでいます。
明治維新によって身分制が改められるなど、政治変革の激動のもとで急速な近代化が進んだのは事実です。しかし、明治政府がおこなったのは「富国強兵」「殖産興業」の名のもとに、資本主義化を推進し、労働者や農民から搾取と収奪をすすめることでした。
それと並行して、欧米列強に対抗するために徴兵令(1873年)を公布し、台湾出兵(74年)や江華島事件(75年)などアジアへの侵略の歩みを進めました。また、蝦夷地(えぞち)を「開拓」してアイヌ民族を差別し、琉球処分を強行して沖縄を一方的に支配下に組み込みました。国民の政治参加を求めた自由民権運動は抑え込まれました。
明治政府がうちたてたのは、大日本帝国憲法(1889年)のもとで、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治でした。そのうえ教育勅語(90年)を制定し、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」―つまり“国家危急の時は天皇のために命をささげよ”と国民に強要しました。
戦前の日本共産党幹部で1934年に獄死した野呂栄太郎は、著書『日本資本主義発達史』(30年刊行)で、明治維新を「資本家と資本家的地主とを支配者たる地位につかしむるための強力的社会変革」と指摘し、それによって生まれた政治権力を「絶対的専制政治」と明快に特徴づけています。
明治政府は、日清・日露戦争を経て台湾や朝鮮半島を植民地化しました。昭和に入り1931年から中国への侵略戦争を開始、45年の敗戦までにアジア2000万人以上、日本国民310万人以上の犠牲をもたらしたのです。
根本に侵略戦争の肯定が
「明治150年」キャンペーンは、安倍政権が「日本会議」など過去の侵略戦争を肯定・美化し、歴史を偽造する勢力によって構成され、支えられていることと深く結びついています。過去の戦争の反省に根ざした日本国憲法の精神にたち、近代日本の歩みを検証することが強く求められています。
(2018年10月23日)