澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

首相ではなくなった安倍晋三の靖国神社参拝への批判の視点。

(2020年9月20日)
昨日(9月19日)の午前、安倍晋三が靖国神社を参拝した。「内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告」のための参拝であったという。

彼は、首相在任中に1度だけ靖国を参拝している。2013年12月26日、虚を衝くごときの突然の参拝だったが、これに対する内外の囂囂たる非難を浴びて、その後自ら参拝することはなかった。しかし、「もう首相でも閣僚でもなくなった」から、「参拝に批判の声はそう大きくはあるまい」、「7年前は厳しく批判したアメリカも、今はオバマではなくトランプの時代だ。参拝しても差し支えなかろう」という思いなのだろう。

右翼が褒めてくれたから だから12月26日はヤスクニ記念日
https://article9.jp/wordpress/?p=4110

それにしても、首相在任時の参拝も、昨日の参拝も、自分の支持基盤である、保守派ないし右翼陣営に対するポーズであるように見える。自分の政治的な影響力を保っておくためには靖国参拝が必要だ、という判断なのだ。まさしく、アベお得意の、印象操作であり、やってる感の演出である。この男、まだまだ生臭い。

当然のことながら、党内の右翼・保守派は首相退任から3日での参拝を歓迎している。戦後75年を迎えた今年8月には、自民党の右派グループ「保守団結の会」(代表世話人・高鳥修一)などから、当時の安倍首相自身による参拝を求める声が上がっていたという。時機は遅れて退任後とはなったが、今回のアベの参拝はこれに応えた形となった。

アベに近い右翼の衛藤晟一は、記者団に「非常に重たく、素晴らしい判断をされた」と褒め、右翼とは言いがたい岸田文雄までが、「(参拝は)心の問題であり、外交問題化する話ではない」と訳の分からぬことを述べている。

岸田の発言は下記のとおりで、恐るべき歴史感覚、国際感覚を露呈している。これが、外務大臣経験者の言なのだ。そして、自民党議員の平均的な靖国観というところでもあろうか。

「国のために尊い命を捧げられた方々に尊崇の念を示すのは、政治家にとって誠に大事なことだ。尊崇の念をどういった形で示すかというのは、まさに心の問題だから、それぞれが自分の立場、考え方に基づいて様々な形で示している。これは心の問題だから、少なくとも外交問題化するべき話ではないと思っている。政府においても外務省においても、国際社会に対して心の問題であるということ、国際問題化させるものではないということを丁寧にしっかりと説明をする努力は大事なのではないか。」

さて、中国が、どのように今回の安倍参拝を批判しているか、実は報道が不足してよく分からない。多くのメディアが、下記の共同配信記事を引用しているが、まったく迫力に欠ける。

 中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)は19日、安倍晋三前首相の靖国神社参拝を速報した。中国外務省が昨年、日本の閣僚の参拝について「侵略の歴史に対する誤った態度だ」と非難したことにも言及した。(共同)

 また、産経は、環球時報(電子版)掲載の「過去長年にわたって参拝していなかったことへの一種の償いだ」とする『専門家の論評』を紹介している。

 外交学院の周永生教授は同紙に「安倍氏は2013年の靖国参拝以降、中国と韓国から強烈な批判を受けて参拝しなくなったために日本の右翼を失望させた」と指摘。現在は日本政府を代表する立場ではなくなったため、首相辞任後すぐに参拝したと分析した。

 こんな見解は、「専門家の分析」というに値しない。このようなものしか紹介されていないのは、今、中国自身が香港や台湾、ウィグル、内モンゴル問題で濫発している「内政干渉」と言われたくないのだろうか。切れ味に欠けること甚だしい。

これに比して、韓国は鋭い。【ソウル聯合ニュース】配信記事では、「韓国外交部は19日に報道官論評を発表し、日本の安倍晋三前首相が太平洋戦争のA級戦犯が合祀(ごうし)されている東京の靖国神社を参拝したことについて遺憾の意を表明した。」としている。その論評とは、次のように紹介されている。

 「安倍前首相が退任直後に、日本の植民地侵奪と侵略戦争を美化する象徴的な施設である靖国神社を参拝したことに対し深い憂慮と遺憾の意を表する」とし、「日本の指導者級の人たちが歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で見せることで、周辺国と国際社会が日本を信頼することができる」と指摘した。

 簡潔ではあるが、要を得た的確な批判になっている。「政教分離」や「公式参拝」という面倒な言葉は使わない。あくまでも、《植民地侵奪と侵略戦争の被害国》の立場から、日本人の歴史観・戦争観を問うものとなっている。

靖国神社を、「日本の植民地侵奪と侵略戦争を美化する象徴的な施設」という。みごとなまでに、靖国問題の本質を衝いた定義である。「日本の指導者級の人たち」による靖国参拝は、「歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省」に逆行する行為なのだ。

言うまでもなく靖国神社とは、天皇軍の将兵と軍属の戦没者をその功績ゆえに「英霊」と讃えて、祭神として合祀する宗教的軍事施設である。全戦没者を神として祀ることは、聖戦としての戦争を無条件に肯定することにほかならない。「英霊」に対して、「あなたが命をささげた戦争は、実は侵略戦争だった。」「植民地侵奪と不法な支配、国際法に違反した不正義の戦争だった」とは言いにくい。ましてや、「あなたやあなたの戦友たちは、被侵略地の人々に、人倫に悖る残虐な犯罪行為を重ねた」とは批判しにくい。むしろ、そう言わせぬための、靖国神社という装置であり、祭神を祀る儀式であり、要人の靖国参拝なのである。

靖国に参拝することは、戦争に対する無批判無反省をあからさまに表明することである。「歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省の姿勢に立てば、靖国への参拝などできるはずはない」。韓国外交部の論評は、「日本の指導者級の人たち」に、そう語りかけている。

侵略戦争の加害行為を担わされた兵士たちも、実は誤った国策の犠牲者である。国を代表する資格のある者は、全ての戦没者に謝罪しなければならないが、その場所は決して靖国神社であってはならない。

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