澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「国民に寄り添う」などと言う評判のよい王こそが、最も危険な王なのだ。

(2020年11月13日)
タイの首都バンコクが、若者たちの大規模なデモで揺れている。デモの要求は、プラユット軍事政権の退陣、憲法の改正、そして王政改革の三本柱。中でも注目されるのが王政改革の要求であるという。これまでタイでは王政批判はタブーとされてきた。いまだに不敬罪があり、王室批判は最長15年の刑になりうるという。その不敬罪を覚悟での民主化要求のデモのうねりなのだ。素晴らしいことではないか。日本の我々も、この心意気を学びたいと思う。

私にとって、タイは身近な国ではない。30年も昔、自衛隊のPKO活動を視察にカンボジアに行ったとき、空路がバンコク経由だった。行きと帰りの各一泊。それだけが、タイに触れた体験。チャオプラヤー川に沿った寺院様の建築が立ち並ぶ仏都の風景と、道路の混雑・喧噪が印象のすべてである。

思い出すことがある。大学で多少言葉を交わした同学年のタイからの留学生がペンケ・プラチョンパチャヌックさんという女性だった。「ペンケ」とは、三日月のことだと聞いた記憶があるが、半世紀以上昔のこととて自信はない。たまたま彼女は、私たちに王室への敬愛の念を語り、私たちは冷笑で応じた。「日本では、良識ある市民は、まったく皇室を尊敬などしていませんよ」などと言った覚えがある。印象に残ったのは、世界にはこんな若者までが王制を肯定している国もあるのか、というカルチャーショック。

そのタイで、この夏ころから政権批判が王政改革要求運動に発展してきている。王室への公然たる批判は前例のないことだという。これまでタブーとされてきた王室批判が噴出し、公然と「王室改革」の要求が語られ、大規模なデモの要求になっている。多くの人の意識改革なしにはなしえないことだ。

学生を中心とする政権民主化要求のスローガンの中には、
「王室を巡る表現の自由の容認」
「不敬罪の撤廃」
「王室予算の見直し」
などが掲げられているという。

改革要求は王室に向けられたものだが、現国王のワチラロンコンなる人物の評判が最悪である。この人、タイ国元首としての仕事に関心はない。バンコックには不在で、ドイツのリゾートホテルに滞在して優雅に暮らすご身分。4度の結婚や100年ぶりの側室復活ということでも話題の人。およそ、国民からの敬愛を受ける人ではない。

一方、この評判悪過ぎの現国王の前任者が、父王のプミポン。こちらは、人格者として国民からの敬愛を一身に集めた人だったという。在位期間70年に及んだが評判は最高だった。貧困対策で農村に足を運び、軍と市民が衝突する危機的状況をたびたび仲裁した。国民に寄り添い、国民の模範となる姿勢をアピールした。

興味深いことは、追い詰められているプラユット政権の態度。首相はこう言うのだ。
「若者たちの政治的意見の表明はよい。しかし、君主制を巡る議論は行き過ぎだ」と。
評判の悪い王でも、王は王。王政が軍事政権を支える強靱な土台の役割を担っていることを、軍事政権はよく認識しているのだ。それゆえ、民衆の王政批判は許せないと言うのだ。

極端に評判の良かった前国王と、極端に評判の悪い現国王。思考のシミュレーションに格好の教材である。評判のよい王も悪い王も、王は王。民主主義の対立物である。しかし、その役割は飽くまで異なる。国民からの評判のよい前国王の時代には王室批判は困難であった。前国王とて巨万の富を国民から奪い貪っていたにもかかわらず、である。しかし、今や評判最悪の現国王には遠慮のない批判が盛り上がっている。

評判最悪の王なればこそ、王室批判の運動に火を付け、その火に油を注いでいる。客観的には、評判の良い国王は民主化のブレーキとなり、評判最悪の現王が民主化のアクセルとなった。

客観的には、「悪王こそが、民主化推進のよい働きをする王」である。これを裏から見れば、「評判の良い王こそが、民主化推進に障碍として立ちはだかる悪王」なのだ。どこかの国の、誰かのことを評価する際に噛みしめねばならない。

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