澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

百地先生、中学生や高校生に誤導はいけません。

産経に「中高生のための国民の憲法講座」という連載コラムがある。昨日(4月5日)その第40講として「首相の靖国参拝と国家儀礼」と標題する百地章さんの論稿が掲載されている。

この方、学界で重きをなす存在ではないが、右翼の論調を「憲法学風に」解説する貴重な存在として右派メディアに重宝がられている。なにしろ、「本紙『正論』欄に『首相は英霊の加護信じて参拝を』と執筆した」と自らおっしゃる、歴とした靖国派で、神がかりの公式参拝推進論者。その論調のイデオロギー性はともかく、学説や判例の解説における不正確は指摘されねばならない。とりわけ、中学生や高校生に、間違えた知識を刷り込んではならない。

同論稿は、「首相の靖国参拝について考えてみましょう」から始まる。論旨は、首相の靖国参拝は「政教分離以前の国家儀礼」であって、どこの国でも行われている。政府の公式見解もこれを合憲とし、最高裁も違憲判断をしていない。目的効果基準を適用すれば合憲と見るべきだが、論争の対象となることは好ましくないので、一日も早く憲法を改正すべきだ、というもの。日本国憲法下での公式参拝合憲論を説きつつも、最終的には改憲という苦しい結論となっている。

この論稿を真面目に読もうとした中学生や高校生は、戸惑うに違いない。百地さんは、靖国公式参拝容認という自説の結論を述べるに急で、政教分離の本旨について語るところがないのだ。なぜ、日本国憲法に政教分離規定があるのか、なぜ公式参拝が論争の対象になっているのか、についてすら言及がない。通説的な見解や、自説への反対論については一顧だにされていない。このような、「中高生のための解説」は恐い。教科書問題とよく似た「刷り込み」構造ではないか。

いくつか、指摘しておきたい。
第1点。百地さんは、「憲法解釈について最終的判断を行うのは最高裁判所です(憲法81条)。しかし、首相の靖国神社参拝について、最高裁が直接、合憲性を判断した判決はありません。」という。これは、明らかな誤りとの指摘を慎重に避けつつ意図的な誤解を誘う、不正確な記述である。百地論稿では、あたかも司法は首相の公式参拝問題にまったくなにも言っていないごとくであるが、決してそうではない。すくなくない公式参拝問題についての裁判例はあり、類似事件については最高裁大法廷判決もある。司法は、明らかに違憲論に与している。

「すべて司法権は、最高裁判所および法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する(憲法76条1項)」とされ、最高裁判例のない分野では下級裁判所(高裁・地裁)の判決が尊重されなければならない。高裁レベルでは内閣総理大臣の公的資格による靖国神社参拝は違憲と述べた判決は以下のとおり、複数存在する。

これまでの靖国参拝違憲訴訟には、住民訴訟と違憲国賠訴訟の2類型がある。
前者が「岩手靖国参拝違憲訴訟」であり、後者が「中曽根参拝違憲訴訟」(3件)と「小泉参拝違憲訴訟」(7件)である。そして今、各地で「安倍参拝違憲訴訟」の提起が準備中である。
住民訴訟は客観訴訟として原告の権利侵害の有無にかかわらず、自治体の財務に関わる違憲違法を争うことができる。これに対して、国家賠償訴訟を提起するには、首相の参拝行為の違法と過失だけでなく、原告となる者の権利または法律上保護される利益侵害の存在が必要とされる。憲法判断ではなく、この点がネックとなっている。

岩手靖国違憲訴訟仙台高裁判決(1991年1月10日)は、憲法判断到達にさしたる困難なく、その「理由」において、最高裁判例とされる目的効果基準に拠りながら、首相と天皇の靖国公式参拝を違憲と明確に判断した。今のところ、この判決が靖国参拝に関する憲法判断のリーディングケースと言ってよい。また、国家賠償訴訟では憲法判断に到達することに苦労しながらも、中曽根公式参拝関西違憲訴訟 大阪高裁判決(1992年7月30日)などでは、これも「理由」中の「違憲の強い疑いがある」との判断を得ている。

第2点。靖国公式参拝問題での最高裁の判断はまだないが、近似の事件として靖国神社への公費による玉串料奉納を違憲とした愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年4月)がある。違憲判断に与した多数意見が13名。合憲とした少数意見はわずかに2名だった。その少数意見組の一人が、現在日本会議会長の任にある三好達である。

同事件でも被告側(愛媛県知事)は、「靖国神社や護国神社への玉串料などの奉納は、神社仏閣を訪れた際にさい銭を投ずることと同様の世俗的な社会儀礼に過ぎない」と弁明した。しかし、最高裁は次のようにこれを斥けた。

「玉串料及び供物料は、例大祭又は慰霊大祭において、宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、献灯料は、これによりみたま祭において境内に奉納者の名前を記した灯明が掲げられるというものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものである。これらのことからすれば、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである。」

注目すべきは次の一節である。
「本件玉串料等の奉納は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない。」

ここには目的効果論における「目的」の捉え方の指針が示されている。国や自治体が行う行為に複数目的があった場合、世俗的な儀礼の目的のあることをもって、宗教的意義を否定することはできない、としているのである。このことは、玉串料奉納にだけあてはまるものではない。公式参拝には、より強く妥当すると言えよう。

「安倍首相の公的資格における靖国神社参拝は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた国家的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない。」との最高裁判決が予想されるところなのである。

第3点。百地さんは「昭和60年(1985年)8月に中曽根康弘内閣が示した「首相の靖国神社公式参拝は合憲」とする公式見解があります」という。これは、公式参拝合憲化を狙って、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)をつくり、その「報告書」に基づいての見解である。愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決以前のものであり、岩手靖国参拝違憲訴訟高裁判決もなかったときのもの。こんなに古いものを持ち出さざるを得ないのだ。

靖国懇は、最初から結論の見えていた懇談会であることにおいて、安保法制懇と同様のもの。その靖国懇の報告とて、単純に公式参拝合憲の結論を出したわけではない。最終報告書の中に、次のような文章もある。

「靖国神社がたとえ戦前の一時期にせよ、軍国主義の立場から利用されていたことは事実であるし、また、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時としてそれに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたことも事実であるので、政府は、公式参拝の実施に際しては、いささかもそのような不安を招くことのないよう、将来にわたって十分配慮すべきであることは当然である。」

「靖国神社への参拝という行為は、宗教とのかかわり合いを持つ行為である。したがって、政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝に当たっては、憲法第20条第2項(信教の自由)との関係に留意し、制度化によって参拝を義務づける等、信教の自由を侵すことのないよう配慮すべきである」

「討議の過程において、靖国神社公式参拝の実施は過度の政治的対立を招き、あるいは、国際的にも非難を受けかねないとの意見があった。政府は、この点についても、そのような対立の解消、非難の回避に十分努めるべきであろう。」

第4点。百地さんは、首相の靖国参拝を国際儀礼として、「国際社会では、互いに自国のために戦った戦没者の勇気を称え敬意を表する。これはたとえ旧敵国同士であっても同じ」としている。あたかも、靖国神社は、国際的にどこにでもある普遍的な戦争犠牲者追悼施設と描いている。とんでもない。

靖国神社は墓地ではない。戦争犠牲者への追悼の施設でもなく、極めて特異な軍事的宗教施設なのだ。天皇への忠誠を尽くしての死者を英霊として「敬意の対象」とし、顕彰することを本質とする。そのために、戦没者を祭神として祀る宗教施設である。歴史観、戦争観、天皇観において、宗教法人靖国神社は、かつての別格官幣社の立場をまったく変えていない。到底、どこの国にもある施設ではない。外国元首に参拝を要請することなどできる場所ではないのだ。

第5点。中学生、高校生には、なによりも戦争の惨禍を学んでもらわねばならない。日本の軍国主義が、日本国民と近隣諸国に、いかに多大な犠牲を強いたかを。その軍国主義の精神的な主柱として靖国神社の存在があったことを。国民の精神的な支配の道具として、神権天皇制や国家神道があったことを。その徹底した反省から、日本国憲法が制定され、国家神道を厳格に排除するために政教分離の原則が明記されたことを。
そして、戦後レジームからの脱却を呼号する安倍政権の靖国公式参拝の実行は、歴史の歯車を逆回転させようとするものであることを。それ故に、近隣諸国や西側諸国からさえも、反発を買っているものであることを。

産経と百地先生に教えられた生徒は、日本国憲法の精神を理解できぬまま成長し、世界に孤立することにならざるを得ない。
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             冬のあいだのできごと
小石川植物園の小道にハトの羽が散乱している。近くにいたアマチュアカメラマンの言によると、オオタカが襲ったのだ(オオタカは今では明治神宮や皇居でも営巣が見られるといわれている)。日本庭園の池に真っ白なサギが置物のように立っていて、見ているとサッと首を伸ばして魚を咥えている。東京の「冬のできごと」はこれくらいなもの。

ところが、ニコライ・スラトコフによるとロシアの「冬のあいだのできごと」は次のように繰りひろげられる。
「冬のあいだに森のなかでおきたことは、すべて雪がおおいかくした。いいことも、わるいこともぜんぶ、雪だまりのなかにかくされてしまった。・・しかし、春になって、あともどりするときがやってきた。早春のあたたかい陽気は、まず四月にふった新しい雪をとかした。それから順番にとかしていった。三月の雪、二月の雪、一月の雪、一二月の雪・・。そこで、冬のあいだのできごとが、ぜんぶ表面にあらわれた。つみかさなっていたもの、かくされていたものが、すべてすがたをあらわしたのだ。・・ほら、これは冬のおわりにタカがひきさいたカラスの羽。これは雪の下にあったエゾライチョウとクロライチョウのねぐらの穴のあとだ。このなかでライチョウたちは、とてもさびしい冬をすごした。
 ここには、モグラの雪のトンネルがあった。なんと、モグラは雪の中で虫をさがしていたんだ!まつぼっくりは、イスカがおとしたり、リスがかじったもの。ヤナギの小枝はウサギがかみきったものだ。これは、オコジョがしめころして、うちすてたトガリネズミだ。そして、これはモモンガのしっぽ。テンの食べ残しだ。
 まるで、読み終えた本のおわりのページからはんたいにめくりながら、さし絵を見ているようだ。風と太陽が、白い本のページを最後までめくっていく。まもなく表紙、つまり地面があらわれる。・・足もとの大地、それは、すぎさった日のできごとがつみかさなってできている。」(ニコライ・スラトコフ著「北の森の十二か月」福音館書店)

ニコライ・スラトコフ(1920-1996)はソ連時代のナチュラリストで動物文学者。ペテルブルグの南東にあるノブゴロドの森で自然観察し、数多くの著作を発表した。ロシアの自然は今でもこうした営みを繰り返しているのだろうか。

東京の空にオオタカがもどってきた。喜ぶべきことだろうか。ノブゴロドの森とちがって、餌食になったハトの羽はアスファルトに阻まれて、大地に積み重なっていくことはない。東京はコンクリートとアスファルトの建設をやめるつもりはない。オリンピックは、ようやく作りあげた葛西臨海公園の森さえつぶそうとしている。

オオタカは、スズメやハトやカラスのように都会で人間と共生していくのか。それとも里山に出没し始めたイノシシやシカやサルと力を合わせて、東京を武蔵野の森に変えようとしているのだろうか。
(2014年4月6日)

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Published in 日曜日, 4月 6th, 2014, at 22:43, and filed under 政教分離・靖国.

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