澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

太平洋戦争開戦直前の「国民礼法」

1941年は、旧体制が日中戦争の泥沼から抜け出せないままに、破滅に向けて米・英・蘭への宣戦を布告した年として記憶される年。

既に前年10月主要諸政党は解散して大政翼賛会に吸収されていた。国家総動員法が国民生活を締めつけている中で、この年は1月8日観兵式における陸相東条英機の戦陣訓示達であけた。未曾有の規模の重慶爆撃の凶事があり、仏領インドシナへの進攻があり、治安維持法の大改悪と国防保安法の制定があり、4度の御前会議で対英米戦開戦が決せられて、東条内閣がその引き金を引いた。

注目すべきは、この年の5月、究極の戦時態勢下に文部省が「国民礼法」を制定していることである。併せて同時期に、実質的に文部省による「国民学校児童用礼法要項」「〈文部省制定〉昭和の国民礼法」「昭和国民礼法要項」「礼法要項〈要義〉」などの解説本が刊行されている。体制の「国民礼法」へのこのこだわりかたはいったい何なのだろうか。

早川タダノリという、戦時国民生活の研究者(ずいぶん若い方のようだ。文章は分かり易く、新鮮な視点から教えられることが多い)が次のように書いている。

昭和16(1941)年に「国民礼法」が制定されたのは、特定の階級のマナーを全国民に「強制的同質化」しようとした試みであるように思われてならない(委員会の座長は徳川義親だったしね)。「国民礼法」に付された文部省の序文では、次のように書かれている。

礼法は実は道徳の現実に履修されるものであり、古今を通じ我が国民生活の規範として、全ての教養の基礎となり、小にしては身を修め、家を齋へ、大にしては国民の団結を強固にし、国家の平和を保つ道である。宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべきである。(『国民学校児童用 礼法要項』昭和十六年)

――結論をはっきり言ってくれているから、付け加えることもないほどである。

「昭和国民礼法要項」(1941年5月発行)の目次は、次のとおりだという(ある方のブログから引用させていただく)。

前編及び注釈
  第一章   姿勢
  第二章   最敬礼
  第三章   拝礼
  第四章   敬礼・挨拶
  第五章   言葉使い
  第六章   起居
  第七章   受渡し
  第八章   包結び
  第九章   服制
後編
 皇室に関する礼法
  第一章   皇室に対し奉る心得
  第二章   拝謁
  第三章   御先導
  第四章   行幸啓の節の敬礼
  第五章   神社参拝
  第六章   祝祭日
  第七章   軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳
 家庭生活に関する礼法
  第八章   居常
  第九章   屋内
  第十章   服装
  第十一章  食事
  第十二章  訪問
  第十三章  応接・接待
  第十四章  通信
  第十五章  紹介
  第十六章  慶弔
  第十七章  招待
 社会生活に関する礼法
  第十八章  近隣
  第十九章  公衆の場所
  第二十章  公共物
  第二十一章 道路・公園
  第二十二章 交通・旅行
  第二十三章 集会・会議
  第二十四章 会食
         第一節 席次
         第二節 和食の場合
         第三節 洋食の場合
         第四節 支那食の場合
         第五節 茶菓の場合
  第二十五章 競技
  第二十六章 雜 

「第七章 軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳」だけ、内容を紹介しておきたい。
一、 軍旗、軍艦旗に対しては敬礼を行う。
二、 国旗は常に尊重し、その取り扱いを丁重にする。汚損したり、地に落としたりしてはならない。
三、 国旗は祝祭日その他、公の意味ある場合にのみ掲揚し、私事には掲揚しない。特別の場合の外、夜間には掲揚しない。
四、 国旗はその尊厳を保つに足るべき場所に、なるべく高く掲揚する。門口には単旗を本体とし右側(外から向かって左)に掲揚する。二旗を掲げる場合は、左右に並列する。室内では旗竿を用いないで、上座の壁面に掲げてもよい。
五、 外国の国旗と共に掲揚する場合は、我が国旗を右(外から見て左)とする。旗竿を交叉する場合、我が国旗の旗竿を前にし、その本を左方(門外から見て右)とする。二カ国以上の国旗と共に掲揚する場合は我が国旗を中央とする。
六、 旗布の上端は旗竿の頭に達せしめ、竿頭に球などのある場合は、これに密接せしめる。
七、 団体で国旗の掲揚を行う場合は、旗竿に面して整列し、国旗を掲揚し終わるまで、これに注目して敬意を表す。国旗を下ろす場合もこれに準ずる。
八、 弔意を表すために国旗を掲げる場合は、旗竿の上部に、旗布に接して黒色の布片をつける。球はこれを黒布で覆う。また竿頭からおよそ旗竿の半ばに、もしくはおよそ旗布の縦幅だけ下げて弔意を表すこともある。
九、 国歌を歌うときは、姿勢を正し、真心から寶祚の無窮(皇位の永遠)を寿ぎ奉る。国歌を聴くときは、前と同様に謹厳な態度をとる。
十、 外国の国旗および国歌に対しても敬意を表する。
十一、 天皇陛下の万歳を奉唱するには、その場合における適当な人の発声により、左の例に従って三唱する。
   天皇陛下万歳  唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)
十二、 万歳奉唱にあたっては、姿勢を正して脱帽し両手を高く上げて、力強く発声、唱和する。最も厳粛なる場合は、全然手を上げないこともある。
【注意】
  一、 国旗は他の旗と共に同じ旗竿に掲揚しない。
  二、 国旗を他の旗と並べて掲揚するときは、常に最上位に置く。
  三、 外国の元首またはその名代の奉迎等、もしくは特に外国に敬意を表すべき場合に限り、その国の国旗を右(外から見て左)とする。
  四、 行事のために国旗を掲揚した場合は、その行事が終われば下ろすがよい。
  五、 皇族・王(公)族の万歳を唱え奉る場合、もしくは大日本帝国万歳を唱えるときは三唱とする。外国の元首もしくは国家に対する場合もこれに準ずる。その他はすべて一唱とする。ただし、幾回か繰り返してもよい。
  六、 万歳唱和後は、拍手・談笑など喧騒にわたることにないようにする。
  七、 万歳唱和をもって祝われた人は、謹んでこれを受ける。
  八、 万国旗を装飾に用いてはならない。

今にして思えば、この「煩瑣でがんじがらめの礼法(ないし儀礼)の強制」こそが国民生活や国民意識のレベルでの戦争の準備であった。

国家自らが、「身を修め、家を齋へ、国民の団結を強固にし、戦勝による強国の平和を保つ道」と「礼法」を位置づけている。「宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべき」と、臣民に対する外形的儀礼行為の強制を通じて、その内心の「体制的秩序維持、天皇制への無条件忠誠」の精神性を教化(刷り込み)しようとしているのだ。

国旗国歌への敬意表明を強制する、今の都教委や大阪府教委の姿勢のルーツがここにある。1941年を繰り返してはならない。この夏に、深くそう思う。
(2014年8月26日)

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