「政治をカネで買おう」という経団連の卑しい行為を批判しよう
各紙の本日(8月27日)夕刊の報道によれば、経団連は来月にも会員企業への政治献金呼びかけを再開する予定という。これは、「政治をカネで買おう」「政策をカネで買いつけよう」という卑しい行為の呼びかけではないか。主権者国民にとって黙っていられることではない。
榊原定征経団連会長は、6月の就任時に「安倍晋三政権との二人三脚で日本経済の再生に取り組む考え」を強調している。二人三脚で実現しようとという政策とは、原発再稼動であり、原発輸出であり、武器輸出であり、消費増税であり、企業減税であり、TPPも、労働基準法のなし崩しも、福祉切り捨ても、企業のための教育再生も…。要するに、庶民泣かせの企業優先政策ではないか。こんな安倍自民党に財界がカネを注ぎこむことは、壮大な「政治の売買」「政策の売買」以外のなにものでもない。
経団連の側からみれば、「大きな儲けのための、ほんのささやかな投資」であり、安倍自民の側からは「スポンサーからのありがたいご祝儀」なのだ。持ちつ持たれつの腐れ縁である。
政治献金とは宿命的に見返りの期待と結びついている。企業はその利益のためにカネを出すのだ。たとえ、目先の利益ではない遠い先の利益であっても、利益と結びつかないカネの支出は株主の許すところではない。中小企業家は中小企業家なりの利益のために、労働組合はその組合員の利益のために。そして、力も名もない庶民は、庶民としての自分のささやかな利益を実現する政党・政策のために貧者の一灯をともすのだ。
大企業や大金持ちが、多額のカネを拠出するとき、政治や政策をカネで買ってはならないと批判しなければならない。一方、庶民の零細な資金が集積されて政治に反映されるときには、民主政治の健全な在り方と積極評価されることなる。それが当たり前のことなのだ。民主主義社会においては、数がものをいうのが当然で、カネの多寡にものを言わせてはならないのだ。
政治資金規正法は、ザル法と言われながらも、世論が厳しくものを言う度に、ザルの目は少しずつではあるが密になってきている。また、これまで5年間も経団連が献金あっせんして来なかったのも、世論に遠慮してのこと。すべては世論次第。
確認しておこう。政治資金規正法は、どこまでザルの目を細かくしてきたか。会社・労働組合から、政治家個人・資金管理団体への献金は禁止されている。企業・労働組合から、政党・政治資金団体への献金は許されているが、その規模に応じて年間750万円?1億円の限度が設けられている。また、法の趣旨は、政治献金を奨励するものではない。積極的に献金を公開することで透明性を確保し、国民の監視と批判を期待しているのだ。
ところがいま、経団連には安倍自民と二人三脚で持ちつ持たれつの取引をしても、世論の風当たりは大したことはないと見えているのだろう。これにきついお灸をしておかないと取り返しの付かないことになる。
大企業や大金持ちから献金を受けている政党に、庶民のための政治を期待することがそもそも無理な話。政治資金の流れに目を光らせ、賢い庶民の投票行動を期待するのが民主政治である。
安倍政権には、思い知らさねばならない。財界との蜜月の関係は、政権与党に潤沢な政治資金をもたらすののかも知れないが、民衆からの支持の離反を招くものであることを。
(2014年8月27日)