澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

3月11日津波のあとに漁師になることを決意してくれた息子が継承できる漁業をー「浜の一揆訴訟」法廷で

3月11日である。この日が、特別の感慨をもって語り合われるようになってから、今日が5回目の「3・11」。この日私は、沿岸の漁民の皆さんと盛岡にいた。午後2時46分、集会を中断して一分間の黙祷を捧げた。今日は、何よりも鎮魂の日である。

このような特別の日は、「8月15日」以来のこと。その前には、9月1日くらいしか思いうかばない。「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」。そのいずれも絶対に忘れてならぬ鎮魂の日ではあるが、8月15日の敗戦体験に収斂させることが可能だろう。

震災被災の体験は、戦争体験を思い起こさせる。とりわけ原発事故は国策の誤りとしてよく似ている。その反省のあり方、責任の所在の曖昧さは、酷似しているといってよい。

8・15の悲惨な体験の反省は、「再び戦争を繰り返さない」という非戦の誓いとなった。「再び、負けてはならない」「負けないように戦争の準備をしよう」と反省したのではない。3・11の反省も「再び、原発を稼働してはならない」というものであるべきなのだ。「再び事故を起こさないように原発を稼働しよう」「今度は、事故が起こっても、適切に避難できるようにしておこう」などというのは愚の極みではないか。

戦争への反省において寡少なる者は、原発事故への反省にも寡少である。いまだに汚染水処理もできず、「トイレのないマンション」状態も未解決のまま。それでも、福島第1原発の爆発やメルトダウンの恐怖を忘れ、「アンダー・コントロール」だの「ブロック」だのと強弁して再稼働を進め、さらには原発の輸出までしようという政権の神経に暗澹たる思いである。こんな政権を放置し、許しておいてよいのか。

幸いにして岩手には原発はない。しかし、津波の被害の甚大さは語り尽くせない。いまだに復興は遅々として進まない。本日の盛岡での集会で、今日の東京新聞の次の記事が話題となった。
「岩手県では、沿岸の全12市町村で人口が減少。復興の進み具合で自治体間に差がついている現状が浮き彫りになった。首都大学東京の山下祐介准教授は、『5年たっても完了しない復興政策は失敗』と生活再建の遅れを問題視する。『ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけで、被災者のためにはならない』と厳しい見方を示した」

「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけ」という指摘が、胸に響く。浜の一揆訴訟では、「小型漁船の漁師にもサケを獲らせろ」という沿岸漁民の切実な要請に、県の水産行政は、旧来の政策を固守しようとしている。「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めて」いるのだ。

本日の浜の一揆訴訟第2回法廷で、原告の一人である漁師(70歳)が、次の通りの堂々の意見陳述をした。

陸前高田市小友町の漁師です。中学をあがってすぐ漁師になりました。北洋サケマス,サンマ巻網など、様々な漁をやってきました。その中でも長年やってきたのは、小型漁船漁業です。ドンコ,スイ,カレイなどの小魚を採って暮らしてきましたが、今では到底生活できません。

 5年前の3月11日、自分はカレイの刺網を上げていました。突然、軽トラで砂利道を走っているような振動が来て、何ごとかと思いましたが…。しばらくして地震だと気づき、津波が来るから、沖からさらに沖へと船を出し、岡に上がったのは次の日でした。倉庫は影も形もなく、もちろん漁具はすべて流され、船も2艘消えていました。

これまでのように小魚で生活していけないので、季節ごとに来る回遊魚に頼るしかありません。サケ,タコ,タラ,カニなどです。
 問題は秋です。カゴ漁がダメになります。
 そこで、9月から12月はタラのはえ縄漁をおこなっています。いま、5.5トンの船に乗っています。タラのはえ縄は、水深300メートル?500メートルの海域でおこなわれ、波も高く、風も強い。9.9トンや19トンの船ならばいいのですが、5.5トン程度の船でやるのは命がけです。
 この時期にサケ刺網漁ができれば、そんな危険な思いをしなくてもと、何度思ったかわかりません。サケでいくらかでも収入があれば、9月?12月の漁をつなぐことができます。小型漁船の経費は決して安くはないのです。

 私が漁をしているすぐ近くに宮城県との境があります。隣の宮城県などでは目の前で小型漁船がサケ刺網を堂々としています。宮城県などでは小型漁船に柔軟に対応しています。
 今は定置網に入るサケの漁も減っていますが、放流も行われていて資源も戻りつつあります。規模の小さな小型船舶が採りつくして資源をなくしてしまうとは思えません。
 うちには後継者がいます。23歳になる息子です。津波の恐ろしい波を見ても、私を助けるために会社をやめてまで漁師になる決意をしました。しかし今その息子に、小遣い程度しかあげられません。会社の給料の半分以下かと苦笑いされます。11月に訴えを起こしたときに息子や地元の若い数少ない後継者に言われた言葉は「弁護士の先生や支援してくれる皆さん方と力を合わせて、何とか漁師で生活していけるようにがんばって欲しい」とのことでした。私はその思いを託されて、こうして声をあげています。

 小型漁船漁師の多くは船が小さく、金額が上がるサンマやイサダを採ることは無理です。少し大きい船は無理をしてやってはいますが、規模が格段と違うので、危険と背中合わせです。しかし、その小型漁船漁業者がいるからこそ常に浜は守られているのではないでしょうか?その漁師を守ろうという気持ちが県にはまったくないのでしょうか?
 今私たちは次の世代に、漁業をつないでいかないといけません。
 裁判官の皆さまには、岩手の漁業の未来のためにもサケ刺網漁を許可していただけるようにお願いします。

残念ながら行政は頼りにならない。憲法22条で保障された営業の自由を行政が侵害しているのだ。漁民たちは司法に頼らざるを得ない。侵害された営業の自由の回復のために。
(2016年3月11日)

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Published in 金曜日, 3月 11th, 2016, at 22:50, and filed under 未分類, 浜の一揆.

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