澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

領土・人民だけでなく、天皇が時まで支配する元号制

本夕、「日の丸・君が代」弁護団会議。処分取消・第4次訴訟の結審を間近に、最終準備書面の作成打ち合わせに忙しい。その席で、「被処分者の会」の共同代表である岩木俊一さんから興味深い文書をいただいた。

「平成元年3月8日」と日付のはいっている「小平高校PTA会報」(72号)の抜き刷りである。おそらくは、B5版の4ページもの。その2・3頁に、「元年に思う」として、4編のエッセイが掲載されている。これが、当時の都立高校の雰囲気を語っておもしろい。

昭和天皇(裕仁)は1989年1月7日に死去し、同日が昭和最後の日となった。翌1月8日皇太子明仁の即位と同時に元号法に基づく政令の公布によって、新元号が「平成」とされた。「元年に思う」は、この昭和から平成への改元の直後に、時代の変遷についての感想を特集したものだろう。いま、天皇(明仁)の生前退位の希望表明で、天皇の代替わりが近い。30年前の時代の空気の記録や、あの当時の人々の感想は参考とすべき貴重なものと思う。

「元年に思う」のエッセイは、トップに校長、次にPTA会長、そして教員2人が書いたもの。トップがPTA会長でなく校長という順序がなんとなく面白い。

校長の文章は、「改元の日の感慨」と題した、飽くまで校長らしいもの。冒頭部分を引用する。
「年頭、昭和天皇の崩御、そして昭和から平成へ改元の報を聞いた。昭和に生まれ昭和に育ち、やがて還暦を迎えようという一人の人間にとって、この日の感慨は語り尽くせないものがある。また、同年配の仲間の全てが、人生に一つ区切りがついたという感じをもったと語ってくれた。謹んで哀悼の意を表する次第である。… …」

「謹んでの哀悼の意」は、明らかに昭和天皇の死についてのものだが、実は「謹んで」の心情はあまり感じられない。

昭和の戦争や戦後の混乱の想い出を語り、最後を次のように締めくくっている。
「新しい平成の時代を築く若い人達のためにも、昭和の人間が、昭和の時代を生き抜いてきた姿を自信をもって示せなければならないものと思う。」

校長先生って、いつも教訓を語らなければならないからたいへんなんだ、とは思わせる。しかし、天皇や皇室に恐れ入るようなところはない。

次は、「平成元年にちなんで」というPTA会長の一文。これが実に淡々としている。「昭和から平成に? それがどうした?」という感じ。

「激動の昭和と言われ、戦後荒廃した地に、国民の勤勉性等にささえられ、経済成長を続け幾たびの不景気を乗り越えて、豊かな社会基盤が確立された昭和時代ではなかったでしようか。昭和の時代に全く新しい組織であるPTAが誕生し、今ではその活動も定着した感を持っていますが、今後益々人間の価値感が多様化し、その活動も多様化して来るものと思われます。平成元年を迎えたと言ってもその組織が急変するものではなく、今までに培った活動をペースに、その時宜に即した活動を展開し反省と進歩を繰り返しながら一歩一歩着実に前進するPTA活動が行なわれるのではないでしようか。… …」

天皇に触れるところは皆無。淡々とした、PTA活動に関する書き物。

さて、教員2人の文章はたいしたものだ。きちんとした社会時評になっている。
まずは、「マスコミの姿勢に思う」という数学科教員。天皇報道の過剰と姿勢を批判したもの。立派な感性の文章である。
「テレビは一日中コマーシャルもなく、同じ様な内容を流し続けている。すべてが天皇一色に塗り潰されてしまっていた。このマスコミの姿勢を見て感じた事を思いつくままに書いてみた。
この国の主人公はいったい誰なんだろうと思った。憲法で天皇は日本の象徴とされている。しかし、それは国民主権を前提にされているはずである。天皇の死に対していろいろな思いを持つ人がいるはずである。それなのに、その死をもって国民全体が、例えばテレビの楽しみを全く奪われてしまうのはおかしいのではないか。
又、私は何か恐しさをも感じた。現在のテレビの能力を考えたら、日本中が一つの権威に従う事を強制させられかねないと思ったからである。天皇の死に対して弔意を示す事に疑問を持つ事など異常であると思えてきかねないような状況であると感じたのである。昭和というのは、戦争というものと切り離しては見られないはずである。天皇と戦争責任という問題も避けて通れないはずである。… …」

昭和ー戦争ー天皇ー戦争責任。だれもが連想することだが、何となく口にしたり、文章にすることをはばかる雰囲気がある。PTA会報にきちんと載せていることに、敬意を表したい。

そして、最後が「元号について」と題する、社会科教員・岩木俊一さんの専門的な文章。区切って、全文をご紹介したい。

「昭和から平成への改元の直後、三年生担任は調査書の発行年月日、卒業見込み年月日の元号の書き替えに忙殺された。免許証を更新したら新免許証は『昭和67年の誕生目まで有効』とある。『昭和』は当面『平成』と読み替えるのだそうだ。一人の人間の生死によってかえられる元号というもの、何とも不便・不合理なものである。」
なるほど、天皇(裕仁)は1月に死亡したから、その直後の受験や卒業式準備の手続に多大な迷惑をかけたのだ。こんな実務への関与が、元号を「不便・不合理」とする実感につながる。そして、将来の時を表すのに、元号の不合理は致命的だ。これも、体験による実感に基づいた知見。

「元号は古代中国、漢の武帝の時、即位の年(前140年)を後から『建元』と称したのに始まる。以後、皇帝の代がわり、吉凶禍福等のたびに改元する。皇帝一代は一つの元号という『一世一元』の制はおくれて明の太祖朱元璋(在位1368~98)に始まる。元号制を支えるのは皇帝は領土、人民だけでなく時間をも支配するという観念であり、支配下の人民、周辺諸民族は『正朔を奉ずる』としてその元号の使用を強制された。
 元号を使用する者のみが皇帝の忠実なる臣下とされたのである。しかし中国では、かの『ラストエンベラー』溥儀(清・宣統帝、在位1508~12)が辛亥革命により退位したことにより元号も消滅した。専制皇帝の支配の終焉と運命を共にしたのである。」
本家である中国の元号使用の歴史と、元号の政治的役割がコンパクトにまとめられている。そして、問題は日本の事情である。

「日本で中国のマネをして元号を取り入れたのは645年、大化と称した。一世一元の制は明治維新の1868年に始まり、法的に確立するのは1889年の皇室典範によってである。固有の、また古来の伝統ではなく、むしろ絶対主義的天皇制国家の確立に即してつくられたと言えよう。」

一世一元の制は絶対主義的天皇制国家の確立に即して政治的要請からつくられた。これは、不便・不合理とは別次元の元号廃止論の根拠である。

「生徒に『君が生まれたのは西暦何年?』と聞くと多くの場合すぐには答えが返ってこない。国際理解の必要が声高に叫ばれる時代に、である。明治・大正・昭和といった日本にしか通用しない時代感覚では世界史、とくに近現代の国際関係はとらえ難い。
敗戦直後の1946年、石橋湛山は『欧米との交通繁しい今日、国内かぎりの大正昭和等の年次と西暦とを不断に併用しなければならない煩わしさは馬鹿馬鹿しき限りだ』と述べ、『元号廃止、西紀使用』を主張した。今日なお、正論と言えよう。国際理解に逆行し、専制支配の残滓ともいうべき元号、もうやめてもいい頃ではなかろうか。」

石橋湛山の元号廃止論は知らなかった。グローバリズムの観点からのもの。岩木さんは、「国際理解に逆行し、専制支配の残滓ともいうべき元号」とまとめて、廃止を主張している。本家の中国は元号を廃止した。欧米にもない。日本が、不便この上ない元号を維持しようという根拠は薄弱である。そして、天皇が時まで支配するという政治的思惑を秘めた元号は大いに有害といわねばならない。
(2017年1月25日)
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      「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を

弁護士澤藤統一郎

私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会のお知らせです。

この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題ー規制緩和問題に切り込んで」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

         「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連載1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。 DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。
私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

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