澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

日の丸・君が代は、勅語・ご真影とともに従順なる臣民撫育のツールだ。ー「憲法日記」連載4年、到底矛を収められる状況ではない。

当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、本日(2017年3月31日)で、連載満4年になる。2013年4月1日スタート以来の満4年。月数にして48か月。日数にすれば1461日。盆も正月も日曜も休日も出張の日も欠かさずに、毎日書き続けて1461回ということになった。

日数の計算根拠は下記のとおり。
365日×4年+1(閏年である2016年の2月29日分)=1461日
この間1日の休載もない。大病も事故もなかったということ。いささかの感慨と達成感がある。

何度か繰り返しているが、当たり障りのない記事なら書くほどの意味はない。毒にも薬にもならない記事なら人にまかせよう。誰かの耳に痛いことでなくては書くに値しない。当たり障りのあることを書こう。毒を含む記事でなくてはならない。誰かが痛いと思うことを書き続けよう。権力に切り込み、権威を揶揄する記事に徹しよう。

そのような意気込みで、アベ政権を批判し続けてきた。自民も公明も維新も、イナダも、橋下も、慎太郎も、小池百合子もである。そして、当然のことながら、天皇もその取り巻きも。

改憲問題、沖縄、特定秘密保護法、戦争法、そして「共謀罪」法案、「日の丸・君が代」強制、靖國神社、さらに教育や選挙を論じてきた。

とりわけ、自分の身の回りで起こった出来事の発信を心がけてきた。なかでも、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」シリーズの連続33回は、渾身の力をこめたもの。今読み直してみて迫力がある。書いた当の本人が言うのだから間違いはない。

「DHCスラップ訴訟を許さない」も既に100弾を超えた。これも、怒りをエネルギーにしての力作。振り返って、なかなかに面白い内容になっている。今日的な多くのテーマをちりばめた、「面白くてためになる」DHCと吉田嘉明批判。

何を書こうかと、テーマの選択に迷うことはあっても、書くべきテーマに事欠くことはない。この世は、批判をしなければならない事件に満ちている。

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本日は、卒業式の処分発令阻止と該当者支援の決起集会。この3月の都立校卒業式で、少なくも2人の教員が、国歌斉唱時の不起立を咎められて、処分を前提とした事情聴取を受けている。その当事者を励まし、処分するなと声を上げていこうというのが集会の趣旨。

そのうちのお一人が、登壇して報告をした。
「私の不起立に副校長が側に寄ってきて、ことさらに大きな声で繰りかえし言うんです。『起立してください』『あなたは職務命令に違反するのですか』『○○時××分。私は、あなたの不起立を現認しました』『式の終了後には、校長室へお越しください』などと。君が代は40秒の曲と言われていますが、そのうちの35秒間を、大きな声をあげ続けました。私の方から、『お静かに』というんですが聞かない。あとで、『なぜあんなに大きな声を出すのか』と聞いたら、副校長曰く『言われたとおりにしたまで』。そういう返答でした」

「でも、どうも本当のところはそうではなさそうなのです。副校長会議で、上の意向を忖度して、こんなやり方をしようと意思統一したのだと思います。下が上を忖度する。この忖度の関係を上へ上へと積み重ねて、トップは絶対無責任。こういう無責任構造は危険だと思います」

「私は、本当のところ日の丸・君が代にさほどのこだわりをもってはいません。日の丸・君が代を受け入れたところで、命をとられるわけでもない。」「でもなぜ受容できないかと言えば、これが教員管理のツールとして機能しているからです。私は、都教委の教員管理のあり方を受け入れることができない。だから日の丸・君が代に起立・斉唱できない…」

今、話題の森友学園。塚本幼稚園の園児が口を揃えて、「チンオモウニ コウソコウソウ クニヲハジムルコトコウエンニ…」と暗唱しているあの教育勅語。勅語暗唱は戦前では全国の小学校で行われていた。全国民に、この暗唱が押しつけられていた。「チンオモウニ…、ギョメイギョジ」は、戦前では日本中のどこにもみられた、ありふれた小学校の光景。言わば、日本中が森友学園状態だったのだ。

その教育勅語とセットになって、ご真影があり日の丸・君が代があった。この3点とも、ツールだった。子どもたちを恐れ入らせ、権威と権力に従順な被治者を作ろうという当時の教育目的に適合したツールである。

今、教育勅語とご真影は廃されたが、日の丸・君が代は生き残って、やはり権威と権力に従順な被治者を作るためのツールとして機能している。勅語とご真影が教育現場に不都合で、何ゆえ日の丸・君が代は問題ないというのか。

戦後教育は180度の転換を遂げたはず。被治者を育てるのではない。自立して、自分の頭でものを考えることのできる主権者を育ててることになったのだ。教育勅語やご真影とあまりに深く結びついた日の丸・君が代を子どもたちに強制する教育であってはならない。ことは、自明のはずではないか。

当ブログは、ここしばらく、怒りのボルテージを下げる訳にはいかない。日の丸・君が代強制の都政や政権に怒りつつ、連載記録の伸長に覚悟を固めなければならない。
(2017年3月31日)

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