猪瀬直樹前都知事が知事選立候補直前に徳洲会から5000万円を収受していた事件は、公職選挙法上の「選挙運動資金収支報告書虚偽記載」の罪名で略式起訴となる模様だ。各紙が、「関係者の話で」「関係者への取材で」「関係者によると」として報道しているが、各紙べったり同様の内容をみれば、検察の意図的なリークであることは明らかといってよい。
東京地検特捜部が公選法違反容疑で猪瀬氏の個人事務所(港区)を家宅捜索したのが3月21日である。徳田前理事長と猪瀬を仲介した右翼「一水会」の木村三浩の自宅と一水会の事務所(新宿区)も同時に捜索されている。形式犯としての「虚偽記載罪」での立件であれば、必ずしも家宅捜索までは必要とならない。これは収賄まで視野に入れた捜査ではないか。そう思わせておいて、25日には略式のリークである。捜索は、略式を決めたあとの形づくりであったか。
検察リークの垂れ流し情報なのだから、「金は手つかずのまま全額返された」「都知事辞職という社会的制裁も受けた」「実際に選挙で使用されていなかった」などというばかりで、社会が関心を寄せることは記事になっていない。捜査はどこまで進展したのか、真実に肉薄する報道が欲しいところ。
略式による幕引きには、大きくは2点で納得しがたい。
その一は、この件は贈収賄として立件すべき事件である。到底略式で幕を引くべき事件ではない。それを、公職選挙法上の虚偽記載程度に落ち着けていることに納得しがたい。
野心的な積極姿勢で知られる病院経営者から、都知事選立候補直前の副知事に5000万円の現金がわたったのだ。ことさらに銀行送金を避けて、キャッシュで5000万円の札束の手渡しだ。当事者双方に後ろ暗い金との認識があったと見るのが常識ではないか。
当然のことながら、なにゆえに一面識もなかった両名間でこのような後ろ暗い金の授受が行われたのか、その動機の究明がなされなければならない。社会の関心も怒り理由もそこにあった。授受された金の性質を選挙資金と認定することは、賄賂性認定へのステップではあっても結末ではない。なにゆえに5000万円もの選挙資金の授受が行われたのか。この点を検察はどこまで追求したのだろうか。
金を渡す方は、東京都の許認可を期待し、許認可権行使の在り方に死活的な利害関係を有する立ち場にある病院経営者。金を受けとる方は許認可の権限を実質的に掌握する立ち場にある副知事であり、やがて東京都のトップに立つことが確実視されている猪瀬その人である。都民の行政の廉潔性への信頼を繋ぎ止めようとするのなら、検察は徹底して金銭の授受と許認可権限との関連性の有無を明らかにしなければならない。
単純収賄罪(法定刑は5年以下の懲役)は、請託の存在を要件とせず、公務員の不正行為も要件ではない。猪瀬が徳洲会に「便宜を図った」か否かは、犯罪成立には無関係である。唯一、賄賂の収受と職務との関連性だけが要件である。その要件で、職務の公正に対する社会の信頼という保護法益を損うに十分とされているのだ。
ここでいう職務は、必ずしも「法令に明記された職務」に限られない。「法令に明記されていない職務」であっても、あるいは、「職務に密接に関連する行為」(「準職務行為」や「事実上所管する行為」)でも、さらには「事実上の影響力を利用して行われる行為」をも含むとするのが判例の立ち場である。
もちろん、東電病院の売却や入札業務は、東京都の業務ではなく、株式会社である東電の業務ではある。しかし、東京都は東電の大株主としてその動向に絶大な影響力を持ち、猪瀬は副知事として自ら東電の株主総会に乗り込んでまでして、東電病院売却を決定させている。この件については猪瀬自身が職務に関連する大きな影響力を持っていたというべきである。この影響力の行使において、職務の公平性についての社会的信用を毀損してはならない。
しかも、2012年11月6日、猪瀬が徳田虎雄に面会した際、徳田は猪瀬に、東京電力病院の取得を目指す考えを伝えた。このとき猪瀬は、自らが東電に売却を迫ったことを話したという。この阿吽の呼吸がぴったりあったその直後(11月20日)に、5000万円が提供された。このことは、関係者の話でわかった旨報道されているが、捜査機関のリークの可能性も高く、信憑性は高い。
とすれば、徳洲会が、猪瀬が副知事としての職務権限を背景とする東電の入札事務への影響力に期待して、5000万円を提供したものと考えられ、猪瀬はこれを収受したものというべきである。それなら、収賄罪の職務関連性の要件は充足されたことになる。もちろんそれだけでなく、医療行政上の許認可や、補助金等への配慮への期待も、暗黙の応諾もあったであろう。
なお、この11月6日の機会に請託があれば、受託収賄罪となり刑罰は加重されて懲役7年以下となる。また、5000万円の提供が仮に貸金であったとしても、金融の利益自体(しかも、無利息・無担保)が賄賂に当たる。
もう1点。幕引きを納得し難いのは、猪瀬以外についての徳洲会マネーの行く先の追求のないことである。せっかく、氷山の一角が露呈したのだ。氷山全体の正体をさらけだす好機ではないか。このチャンスに、目をつぶって、幕を引いてしまうのか。なんと惜しい。なんともったいない。
いったい、猪瀬はどうして徳洲会に近づけたのか。誰がどのようにしてこの二人を固い「5000万円の関係」に結びつけたのか。右翼ではあるまい。徳田虎雄との親密さをよく知られている猪瀬のボスの仕事であったろう。ずいぶん早い時期から、「徳洲会マネーは、首都圏のある知事に3億、ある副知事に5000万円わたっている」と噂された。「ある副知事」の方は事実であった。「ある知事」についてはどうなのか。その徹底解明こそが、本丸ではなかったか。
東京都の百条委員会設置の寸前で、2度にわたる石原ー猪瀬会談が行われた。ここで猪瀬辞任の方向付けができたという。さぞかし、醜悪な内容であっただろう。おそらくは、疑惑が石原側まで飛び火せぬよう打ち合わせがあり、その結果としての知事辞任だったのではないか。
百条委員会による都議会での追及も、検察の捜査も、結局は猪瀬の責任止まりでその先には進まない。各紙の記者に、以上の2点に切り込む取材と報道を期待する。
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イザベラ・バードの過酷な揚子江遡行
女性探検家イザベラ・バードの「中国奥地紀行」(平凡社・金坂清則訳)の紹介。今日は、120年ほど前の揚子江遡行の船旅の凄まじさについて。
揚子江の遡行といえば「三峡」に代表される、泡立ち逆巻く「急灘」が話の中心となる。「紀行」にも多くの紙数がついやされており、当時の荒々しいままの超大河の自然と取り巻く社会は想像を絶する。
イザベラは1897年、真冬の1月から2月にかけて、湖北省宜昌から四川省万県まで20トンほどの屋形船で遡行する。その小さな船に水先案内人、曳夫、漕ぎ手ら乗組員19名、船長家族4名、イザベラ一行合計25名前後が乗り組んだ。彼女にはわからない船荷も積み込まれている。狭い船上で、赤ん坊は泣くわ、大声で夫婦げんかをするわ、食事の煮炊きはするわ、煙草を吸うわ、アヘンをすうわの大騒ぎがくり広げられる。
冬は夏と較べて揚子江の水深は10から20メートル浅くなるので、船にとっては通行が比較的容易となる。しかし、水が浅くなれば岩が現れ、急流となり、別の困難がつきまとう。漕いだり、帆を張ったりしても遡行でない場所が多くなり、そこでは岸に下りた曳夫が船を曳かないと遡行できない。それどころか下流へ流されてもしまう。多くの曳夫が必要なのだ。そんな流れの場所に行くと、「水中曳夫」が水に飛び込んで、引き綱を岸まで運ぶ。曳き綱は直径8センチ、長さ370メートルもあるものが船に備え付けられている。岸といっても平坦なところは少なく、ごろごろした石の上や崖を登った上の足がかりを、曳夫は渾身の力で這いすすむことになる。
それでもすすめない「急灘地」には、季節的に曳夫が集まる臨時の集落ができる。120トン積みのジャンクには120人の船乗りが乗っているが、臨時の曳夫300人を加えてやっと引き上げることができる。そんなところでは何十隻もの船が何日も順番待ちをする場合もある。揚子江上流では7000から8000隻の船が航行し、25万人以上の船関係労働者が働いている勘定になる。年間20隻に1隻が難破して、10隻に1隻が座礁するといわれている。積み荷の1割は失われたり、水をかぶったりする。
「惨事の現場はたくさんあった。どの急灘でもその手前と先で、ジャンクの船乗りが積んでいたゴザをかぶって岸辺に野宿し、濡れた綿布を乾かそうと広げていた。また、水面からマストが突き出したり、静かな入江には打ち捨てられた船の一部が沈んでいた。そのような船には砂浜で修理されているものもあった。岩の上にはあちこちに気味悪い白骨死体が転がっていた。岩が命運を決したのである。」
「滝のような急流部の荒々しい激流。各々400人もの曳夫によって北側の水路を引き上げられる複数の大型ジャンク。大波をかぶり身震いしながらよたよたと進む曳夫。引き綱が切れて滝のような急流部を猛スピードで下り、恐ろしい災難に向かっていくジャンク。努力の甲斐あって静かな水域まではいることのできたジャンク。・・滝のようになった急流部よりも上流で、舷側ををまともに向けて穏やかな水面を下ってきた大型ジャンクの舳先が突然飛び上がった。そして50人ないし80人、船によっては100人もの漕ぎ手が前方に向かって櫂や揺櫓(ヨールー)の所に立ち、わめき散らしながら必死に船を漕いでいた。船が縦揺れすると舳先や甲板の前方部は泡と水しぶきによってみえたり隠れたりした。また、激しい流れのなすがままになってぐるぐる回りながらも船乗りの技術と頑張りのおかげで、しばらくすると再び舳先を持ち上げ、下流のそれほどでもない急灘へと向かった。実に壮観だった。」
「どんなに表現しても、『新灘』の喧噪がどんなものであるかを伝えることはできない。その後の数日間耳がよく聞こえなかったというのが一番いいかもしれない。滝のような急流部のすさまじいとどろきや、数百人の曳夫が船を曳くときの叫び声や怒鳴り声がきこえてくる。また、それに混じって、合図のためや悪霊を驚かすための銅鑼と太鼓の音も途切れることなく聞こえてくる。ここから生み出される大混乱は誰だって忘れえまい」
イザベラは少しの賃金で命を削る「非人間的なまでに過酷な仕事」をする曳夫たちに驚いただけでなく、同情の念を表している。「この階級の人々こそが、過去から今日にいたるまで、中国を作り、支えてきた中国人の巨大なエネルギーを象徴している。また、中国人が東アジアやアメリカ西部のいたるところへつましい移民としてわたって成功したのは、このエネルギーあってこそだ」「だから、読者には次のようなことを同情心を持ってぜひ心に留めておいていただきたい。わが国の貿易商品を、このようなありとあらゆる困難や危険に出会いながら、揚子江上流までもたらしてくれるこれらの貧しい人々が、長くて重たい引き綱によって重いジャンクにつながれていることを。また、彼らが大波や渦巻く流れや大渦を伴って荒れ狂う恐ろしい激流に抗してジャンクを上流へと曳いていることを。激しく引っ張り上げられる羽目に陥ることもしょっちゅうであることを。時には負担がきつすぎて完全に止まってしまい、激流の中でしばらくじっとしていなければならない状況に置かれることを。また、引き綱が切れて、鋭くとがった岩に顔や裸の身体をぶつけることもしばしばあることを。ひっきりなしに川に入ったり出たりしなければならないことを。さらには、無残に命を落としてしまう危険にも日常的にさらされていることを。そして、彼らがこのようなことのすべてをほとんど米だけの食事で行っているということを!」
今日の南北格差と基本は変わらない。120年以前から、アンフェアなトレードは、悲惨な低賃金労働力によって支えられて来たのだ。西洋列強が植民地覇権争いをし、日本が負けじと日清戦争をしかけ、大陸への野望を募らせているそのときに、イザベラは静かにペンによる帝国主義への抵抗を試みていたのだ。おそらく当時の日本には、イザベラの著書を読んだ人はいなかっただろうが、欧米には熱狂的な読者がいた。その読者たちは、異国趣味の目からだけでこの「紀行」を読んだのだろうか。イザベラのこの訴えをどう受けとめたのだろうか。
イザベラ・バードは日本と中国を訪れただけではない。1894年から97年にかけて4回にわたり李氏朝鮮を訪ねて「朝鮮奥地紀行」も著している。ちょうど日本と清国が、朝鮮の権益を賭けて争っている時期に当たる。中央ではなく地方の、表舞台の人とではなく黙々と生きる人々への視線がやさしいイザベラの著書。いずれ目を通して、ご紹介したい。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月26日)
3月15日に「がんばれ竹富町」の標題でブログを書いた。八重山地区の中学校公民教科書採択問題について触れたもの。
余談ながら、文中の「んぶふる」とは、もとは水牛の鳴き声の擬音語であるという。水牛が「んぶふる」と啼いた小高い丘の地名を、「んぶふる」と名付けたと聞いた。その説明がなんとも興味深く印象が強い。水牛はどうして「んぶふる」と啼いたのだろうか。いつもの啼き声なのか、それとも何か特別の事情あってのことだろうか。どうして、啼き声が地名に昇華したのだろうか。こんなに素敵で個性的な地名を他に知らない。今でも竹富の水牛は、んぶふる、んぶふる、と啼いているのだろうか。
ブログの拙文をお読みいただいた、京都の前田佐和子さんから、さっそくのご連絡をいただいた。前田さんは、京都大学理学博士の学位をもつ地球物理学者。京都女子大教授を勤められた方。前田さんからのご連絡の内容は、「んぶふる」に関することではない。柔らかく穏やかな文章だが、「八重山教科書問題は、重大なことなのだからもっとよく調査して書くように」との叱咤と理解した。
「八重山地区中学校公民教科書の採択で問題が生じた2011年夏、現地の新聞でその経緯を知るにつけ、目が釘付けになりました。当初は、ネットなどを通して情報を集めていましたが、12年春、現地に行きまして、関係者の方々から聞き取りをいたしました。今も連絡を取り合っています。
2012年5月に論考を発表しました。事態は錯綜して、実際に起こったことが伝わりにくいので、少しでも多くの方に知っていただきたいと思っています。」
前田さんからご紹介いただいた、ご自身の記事は次の3本。
「揺れる八重山の教科書選び」(2011年9月14日)
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/09/blog-post_16.html
「八重山教科書問題の深層」(2012年5月23日)
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/05/part-ii.html
「軍靴の音に耳澄まそう?地方教育行政への国介入は危機」
(2013年10月23日 沖縄タイムス「論壇」寄稿)
前2者は長文。科学者の文章。私にとっては、知らないことが多かった。八重山教科書問題の経過はこの2本の論文で学ぼう。ほかならぬ八重山でこの問題が起こったことの意味の重さがよく分かる。事件の発端はまことに唐突で乱暴なものだが、防衛力の南西シフトで矢面に立たされている先島諸島での、国の本音を丸出しにした地方教育行政への介入。まさしく、耳を澄ませば軍靴の音が聞こえてきそうな事態なのだ。
その竹富町の教育委員会の定例会が、昨日(3月24日)開かれた。文科相からの「是正の要求」(3月14日)以降初の会合。
その結果、竹富町教委は、「教科書変更を求めた文部科学省の是正要求には従わないことを確認した。新年度も現行の東京書籍版を使う。是正要求に不服がある場合の手続きを取るかどうかは、今後検討する」と報じられている。
定例会後、出席した教育委員4人が記者会見して、「教育現場に混乱は生じていない▽民主党政権下では竹富町の採択の有効性が認められている▽地方教育行政法は各市町村教委に教科書採択権限を認めている、などの理由で要求に従わないことで一致した」という。また、慶田盛安三教育長は「教科書をそう簡単に変えられるはずがない」とも言っている。
はからずも今、八重山地区が、教育への国家介入をめぐるせめぎ合いの最前線となった。ここで、国・安倍政権・文科省・歴史修正主義・育鵬社の連合体が、日本国憲法の理念を、なかんずく平和の理念を攻撃している。
応援しよう。平和の島を。ゆったりと時の流れる「んぶふる」の島を。さわやかに頑張れ竹富町。
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(2014年3月25日)
橋下維新のやることは分からない。計算ずくで行動しているのか、それとも衝動で動いているのか。市議会の審理が自分の思うように進捗しないことを不満として、市長自身が辞職するという発想が理解しがたい。
地方自治法178条は、議会が首長不信任の議決をしたときに限って、「首長が議会を解散することができる」と定める。大阪市議会が、「市長辞めよ」と不信任を突きつけたときの対抗措置としてだけの議会解散権である。大阪都構想推進に非協力的な市議会を、市長に協力させる目的での議会解散を法は予定していない。
「解散ができなければ市長である自分が辞めて市長選で民意を問うことにしよう」。そのような意図での出直し市長選である。しかし、この選挙で当選したところで、何かが変わるわけではない。市長が再選され、市議会の構成はあいかわらずのまま。
もちろん前回選挙を上回る「圧倒的な支持」を得た場合には、大阪都構想に民意の後押しあることを示すことができる。しかし、維新の季節は一過性に終わっている。橋下の風も熄んだ。金看板とされた都構想のメッキは剥げている。橋下に前回2011年11月の市長選挙で75万票を取ったときの勢いはない。勝ってもたいしたメリットはなく、負ければ決定的なデメリットを背負い込むことになる。しかも、制度上市長としての任期が更新されて延びることにもならないという。こんな割りの合わない選択を余儀なくさせたものは、八方ふさがりの状況の逼迫であったろう。
昨日(3月23日)投開票の結果は、明らかに橋下の読みがはずれたことをものがたっている。事態打開を図っての策が裏目に出て、却って自分の首を絞めただけの結果に終わった。当選者橋下は、昨夜記者の前に姿を見せなかったという。
たしか橋下は、この出直し市長選で敗れた場合には、「橋下徹・松井一郎の二人とも政界を去る」と明言をしたはず。実質的に橋下は敗れたのだ。是非とも、潔く政界を去っていただきたい。それが、日本の民主主義のためである。
今回選挙の投票率は23.59%と大阪市長選で過去最低だった(前回60.92%)。「市民は橋下が設定した選挙そのものにノーを突きつけた」といってよかろう。大阪市長選の投票率で過去最低だったのは1995年の28.45%。各党相乗りの前助役と共産が推す新人との事実上の一騎打ちだった。今回の選挙戦では、有力対抗馬不在のなか、橋下氏が都構想の正当性を主張したものの、有権者の関心を引かなかった。
橋下の得票数は37万7472。前回選挙の得票75万0813と比較してちょうど半減。相対得票率を云々することは意味をなさない。当日有権者数211万4978人に対する絶対得票率は17.85%。大阪市の有権者5人に1人の投票を得ることができなかった。これが、有権者全体から見ての橋下の信任度の実態。前回選挙での絶対得票率が35.67%だから、これも半減。差し引き18%の市民は、前回は橋本に期待したものの、今回は橋下が危機を訴えても乗ってこなかったということだ。
白票が4万5098票、9.04%と「第2位」であったという。投票総数に占める割合は無効票が13.53%、意識的なものと思われる無効票が多かった、と報じられている。惨憺たる民意、というほかはない。大阪都構想の信任投票に市民のゴーサインは得られなかった。既に始まっている維新の終わりが加速することになっただけだ。
もっとも、橋下のやることが分からないだけでなく、せっかくの選挙に候補者を立てないという「高等戦術」を採った野党の対応も、その是非については釈然としないものが残る。本来、堂々と政治的主張を闘わせるべきが政党の在り方ではないのか。橋下が一人相撲で勝手に転けてくれたから「結果オーライ」ではあったが、本当にこれでよかったのだろうか。
ところで、今回選挙でもっとも注目されたものは投票率であった。投票率こそが、大阪市民の今回市長選の意義への評価であった。「投票率アップ・キャンペーン」が親橋下の党派性をもつことは誰の目にも明らかであった。が、実は今回大阪市長選挙に限らず、すべての選挙においてそうなのではないだろうか。
「投票率は高いことが望ましい」という意見にアプリオリに賛成することには、大きな抵抗感がある。今回選挙で絶対得票率の重要性が浮かびあがったとおり、民意は有権者の投票意欲をもその要素とする。安易な投票率アップキャンペーンは、風頼みお天気次第の有権者を支持層とする政党に有利に働く。投票率が下がれば、組織政党に有利に働く。選挙啓発運動や、投票率アップキャンペーンは、党派的であることを免れない。
大阪市選管は、選挙の度に大規模な「選挙に関する世論調査」を行っている。
「大阪市選挙管理委員会及び大阪市明るい選挙推進協議会では、今後の明るい選挙の推進に役立てることを目的として、平成23年(2011年)4月に大阪市議会議員選挙を中心に大阪市民の投票行動の実態及び選挙時に関する意識調査である「選挙に関する世論調査」を実施し、このほど調査結果を取りまとめました」
この中に、興味深い設問がある。次のうちからひとつを選ばせるもの。
・もっと投票率を上げるように努力すべきだと思う
・投票率が低いのもやむを得ないと思う
・無理に投票率を上げる必要はないと思う
この設問自体に、「投票率の向上すなわち善」との前提が見えている。
その回答結果の分析は次のとおり。
「今後の投票率については、『もっと投票率を上げるように努力すべきだと思う』が43.6%となっているが、一方、『投票率が低いのもやむを得ないと思う』で36.4%、『無理に投票率を上げる必要はないと思う』が14.4%と合わせると、50.8%が現状を容認しているとみられる。」
「これまでの調査と比較すると、『もっと投票率を上げるように努力すべきだと思う』が下がり、逆に『投票率が低いのもやむを得ないと思う』、『無理に投票率を上げる必要はないと思う』が上がっている。
前回(2007年)の調査では、『もっと投票率を上げるように努力すべきだと思う』が62.0%となっていた。大勢は、特定選挙で無理に投票率を上げようとすることには慎重になりつつあるということなのだろう。
総務省も、中央選管も、また各地方選管も、特定のタレントなどを起用しての「啓発運動」などには慎重であるべきだ。投票率を上げることが必ずしも正確な民意の反映に結びつくものではない上に、タレントの選定次第で民意を歪めることもあるのだから。
一人の男の無分別から6億円のつまらぬ無駄遣いに終わった選挙だった。せめては、選挙とは何か、民意とは何か、民主主義とはどうあるべきか、広く有権者が考える材料とすることができれば、まったくの無駄でもなくなるだろう。さらに、これをもって橋下維新早期退場実現のきっかけとすることができれば、無駄どころではなく、意義のある選挙だったことになる。
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月24日)
立教大学大学院の渋谷秀樹さんが、本年2月20日「憲法への招待・新版」(岩波新書)を発刊した。特定秘密保護法への厳しい言及が印象的である。旧版の出版が、2001年11月。同書では同年の9・11事件とテロ特措法問題への言及がある。憲法学は時代と切り結ばざるをえない。「最新」のトピックスに触れつつ、憲法の基本理念や構造を解説するこの書の新版発行を歓迎したい。
5章の分野で計24の設問。その解説を通じて憲法の基本原則を説くという構成は、新版も旧版と変わらない。5章とは、「憲法とは何か」(憲法総論)、「人権とはそもそも何か」(人権総論)、「どのような人権が保障されるのか」(人権各論)、「政府を動かす原理は何か」(統治行為総論)、「政府の活動内容は具体的にどのようなものか」(統治行為各論)。
渋谷さんには、「日の丸・君が代」強制を差し止めようという「予防訴訟」の控訴審で、研究者としての証言をいただいた。弁護団からの要請に、いったんは躊躇されたようだった。その上で、「これまで研究者として実務とは一線を画すべきだと考え、そのような依頼に応じたことはなかった。しかし、この問題は極めて深刻な憲法問題として受けとめざるをえず、看過できない」として、お引き受けいただいた。
「憲法への招待」旧版には日の丸・君が代問題への言及はなかった。新版では、24の設問のひとつとして「『日の丸』と『君が代』の強制はなぜ問題か」がつけ加えられ、11ページにわたる解説がなされている。思想・良心の自由(憲法19条)を侵害するとの問題としてだけではなく、教育を受ける権利(26条)や、公務員としての教師の権利の問題まで踏み込んだ内容となっている。もちろん、必ずしも「日の丸・君が代」弁護団の切り口とまったく同じというわけではないが、まことに心強い。
それにしても、憲法をめぐる事態の変遷が激しいことを思わずにはおられない。旧版でも、「憲法とは何か」(憲法総論)の4設問で「立憲主義」の解説に力が注がれていたが、新版ではさらにその理解の重要性が強調されている。とりわけ、旧版にはなかった「憲法改正手続を定める憲法96条は改正できるか」のインパクトは大きい。極めて明瞭に、「憲法制定権力がルールの世界における憲法改正権の行使の方法を書き込んだものが改正規範なので、ルールの世界にある改正規範は根本規範と一体化して存在している」「主権の所在や行使の方法に関する根本規範が変更されない限りは、改正できない、あるいは改正してはいけないということが論理上の約束事、つまり公理なのです」と言いきっている。
また、特定秘密保護法の危険に警鐘が鳴らされている。はしがきの中に、「2013年12月に制定された「特定秘密保護法」は、権力者の手許にある情報を国民には見せない根拠を政府に与えるもので、政治の現状と政策を国民が知る権利を侵害して民主主義の基盤を掘り崩そうとするものです。また、国民相互の監視と密告を奨励して息苦しい監視社会を築きあげ、さらに真理を追求する科学的精神を萎縮させようとする毒素を隠しもった法律です」とまことに手厳しい指摘がなされている。
さらに、人権各論の中で「特定秘密保護法」の小項目を起こして解説がなされ(74?76頁)ており、その結論が次のようにまとめられている。
「この法律は、明治憲法下の戦争遂行時の情報管制の時代に時計を巻き戻そうとしているとしか見えないのです」
旧版のあと書きの最終行で、筆者は「平和への祈りを込めて」との一文を亡き母への献辞としている。新版では平和への祈りがさらに切迫した調子を帯びており、はしがきに次の一文がある。
「憲法9条の定める平和主義は、大規模に人間の生命を奪う戦争の禁止を、日本一国のみならず地球規模の視点から規定したもので、立憲主義の到達点を示しています。戦前の大日本帝国憲法のもとでは「個人」よりも「全体」に価値をおきました。その大義のもとに多くの尊い生命が失われたことを決して忘れてはならないのです」
そして、新版のあとがき最後の一行は、「正義が邪悪なものに打ち克ち、美しい日本の平和と自由が永遠に続くことを祈って」というもの。こんなことは教科書には書けない。オーソドックスな憲法学者にも熱い血が流れている。そして今は、その熱さを外に出さざるをえないのだ。
私の理解だが、今、正義と邪悪なものとが激しくせめぎ合っている。仮にも正義が敗れるようなことがあれば、「美しい日本の平和と自由」が失われかねない。正義が打ち克つためには多くの人に、憲法の理念や構造をしっかり理解してもらわねばならない。そのためにも、多くの人にこの書をお勧めしたい。
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天候不順の3月の園芸家
3月18日には高知で、19日には福岡、佐賀、宮崎で桜の開花宣言がされた。それなのに、昨日今日の、この寒さはどうしたことだ。春分の日の21日、低気圧の影響で北日本では強い風と大雪。北海道根室市では観測史上最高の115センチの積雪があったという。東京では暖房を入れて、真冬のコートを着込んで強い北風と寒さに震えた。
例年、桜よりも半月は早く咲くスモモの白い花も、蕾をちょっとほころばせて、開こうかどうしようか考え込んでいる。桜の名所上野公園も、ぼんぼりをつるしてロープを張って、お花見の準備は万端整えたが、肝心の花が咲かない。そのうえ、こんなに寒くてはとうていお花見気分は盛り上がらない。陣取りのブルーシートもみえない。
「匂いでわかるのか、暗号でわかるのか、それとも何か秘密の合図があるのか。園芸家どおしのあいだで、どうして相手も園芸家だということがわかるのか、これは秘密にしておく。しかし、たとえ劇場の廊下であろうと、喫茶店であろうと、医者の待合室であろうと、彼らがひと目でおたがいを見わけることは事実だ。最初の会話がまず、天候に関する意見の交換だ。『いや、私の記憶では、まったく、今年みたいな、こんな春は今までなかったですよ』それから話題はうつって、雨量のこと、ダリアのこと、化学肥料のこと、ダッチ・アイリスのことにおよぶ。・・・さらにイチゴの話になり、アメリカのカタログ、今年の寒害、アブラムシ、アスターといったことが話題になる。劇場の廊下に立っているタキシード姿の男。しかしそれは、単にうわべにすぎない。もっと深い、もっとリアルな現実なおいては、それは、手にシャベルと如露を持った二人の園芸家なのだ。」
「時計が止まると、まず分解してみて、つぎに時計屋にもっていく。自動車が動かなくなると、ボンネットをあげ、モーターの中に指を突っ込んで、修理工をよぶ。なんでも調節し、修理することができる。ただ、天候だけはどうにもならない。どんなに騒ごうと、どんなに誇大妄想に取りつかれようと、どんなに改革熱にかられようと、どんなに好奇心にもえようと、どんなに悪たれ口をきこうと天候だけはだめだ。時がみちて法則にかなえば、蕾は開き、芽は伸びる。そのとき、きみは謙虚な気持ちになって、人間の無力なことを悟り、『忍耐がすべての知恵の母』だ、ということがわかるだろう。」(カレル・チャペック「園芸家12カ月」の3月の園芸家より)
2014年3月の日本の天候がこんなに不順で、史上まれにみるほどの雪が積もったりするのは、もうすぐ上がる消費税のせいかもしれない。いやきっとそうだ。すべては、安倍政権のせいなのだ。いくら安倍政権が公共事業予算をお手盛りしても、「アベノミクス」景気はこれから急速にしぼんで冷え切ることになるだろう。3月の大荒れでお寒い天候は、その4月以降の景気を暗示し予言しているのに違いない。
そうした暗い気分を吹き飛ばすために、上野公園に出ていた植木屋さんで、「オンツツジ」(温躑躅)を衝動買い。落葉性ツツジなので葉はないけれど、上向きにスラリと伸びた細い枝の先にはとんがった蕾がたくさんついている。来月末には朱紅色の花がたくさん咲くはず。薄めの柔らかい大ぶりの葉は新緑だけでなく、秋には黄紅葉して、二度も楽しめる。こうして3月の園芸家は「忍耐」する。
(2014年3月22日)
あと10日で消費税8%の時代に突入することになりそうだ。
消費生活は萎縮せざるを得ない。そのため確実に経済は打撃を受ける。短期的には駆け込み需要の前倒し反動も無視しえない。歓迎すべきことではないが、アベノミクスの終焉が始まる。そして、アベノミクスの終焉は、歓迎すべき安倍政権の終焉をもたらす。
ところで、消費税こそ逆進性を本質とする弱者いじめの典型的悪税。「薄く広く」というのが、悪税の本質なのだ。すべての消費者と、転嫁できる力をもたない弱小業者の窮乏化を推し進める。貧しい者ほど、力の弱い者ほど、その影響は大きい。これは、違憲ではないか。少なくとも、福祉国家時代の日本国憲法の理念に反する立法ではないか。
租税は、累進的に富める者からの負担によるべきとするのが応能負担主義。一定の水準以下の貧困者には税の負担をさせるべきではないとするのが生存権思想の論理必然的な帰結。応能負担主義と生存権思想に基づいて、所得の再分配をなすべきことが、福祉国家時代の税制の在り方ではないか。
朝日新聞社発行の現代用語事典「知恵蔵」の「応能負担原則」欄を、浦野広明さんが執筆している。その全文を引用する。
「租税は各人の能力に応じて平等に負担されるべき、という租税立法上の原則。この考えは憲法13条、14条、25条、29条から導かれる負担公平原則である。例えば、所得課税では、高所得者には高い負担、低所得者には低い負担を課す。また、同じ所得でも、給与所得などの勤労所得と利子・配当・不動産などの資産所得とでは、質的に税負担能力が違うので、前者には低負担を、後者には高負担を課す。さらに、憲法が意図する最低生活水準維持額を侵す課税も許さない。しかし、近年の税制は法人税率の引き下げ、所得税・住民税、相続税・贈与税の最高税率の引き下げ、消費税率アップなど、負担公平原則とは逆方向に進んでいる。(浦野広明 立正大学教授・税理士)」
普通の憲法教科書には、租税法律主義(憲法84条)の内容として、課税要件法定主義や課税要件明確主義には触れていても、応能負担を「憲法から導かれる租税立法上の原則」と明記はしていない。このような立ち場を明確にするものは、北野弘久さんの「北野税法学」である。北野さんは、「学者は実務を知らない。実務家は理念を語らない」と嘆いておられた。大蔵官僚から出発して研究者となった北野さん。「我こそは」という自負の下に、「現代立憲主義」を縦横に駆使して、「北野税法学体系」を作りあげた。私の手許にも、「税法学原論(第5版)」がある。浦野さんは、北野税法学の衣鉢を継ぐ人である。
北野税法学を紐解くと、特別なことは何も書いていない。ただ、福祉・平和のための租税という視点が徹底されている。その視点から、13条(個人の尊厳)、14条(平等)、あるいは29条(財産権)が理解されている。社会権思想活用の徹底と言ってよい。
平等は形式的平等ではなく、生存権が明記された時代には生存権全うの観点からの実質的平等でなくてはならない。財産権のうち、生存に必要な最低限度の財産保障は社会権としての基本的人権である。個人の尊厳も現実的に生存を全うする条件を整えることによって保持される。
北野さんは、租税徴収の側面に着目して、以上の観点から納税者基本権を提唱している。消費税の創設は、納税者基本権と抵触することになる。消費増税は、さらに、納税者基本権を侵害することなる。資本主義経済は構造的に貧困層の存在を必然化する。福祉国家思想とは、憲法に基づく国家の制度において、経済の矛盾を緩和しようとするものである。社会権的基本権とは、そのための用具だ。
にもかかわらず、直接税の課税においては累進性を緩和し、消費増税で弱者を痛めつける。これは、現代憲法としての日本国憲法の理念に反するものである。北野さん世にあらば、大喝するとこだろう。
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イザベラ・バードの「中国奥地紀行」
「町はずれの美しい峡谷と壮大な二王廟が霧の中に消え、そこからはクチナシの強い香りが漂ってきた。適度の温度と湿度のおかげで、あらゆる植物が見事に育っており、道の両側は一面のシュウメイギクの花で縁取られていた。満開のツルバラは、露を含み、その重みで我々の頭の辺りで首を垂れんばかりだった。岩はコケシノブに羊の毛のように厚く覆われ、シノブ属のシダとよく見かけるオオエゾデンタが見え始めた。」
この美しい植生の記述はイギリスの女性探検家イザベラ・バードの「中国奥地紀行」(平凡社・金坂清則訳)からのもの。四川省成都を100キロほど西行した灌県郊外の120年前の光景である。
イザベラは19世紀後半、日本、朝鮮、中国の辺境を探検し、旅行記を出版し、欧米で絶賛された。「中国奥地紀行」は1895年?96年にかけて上海から揚子江を舟でさかのぼり、四川省の万県から4000メートルの山を越えてチベットのスウオモまでの徒歩旅行の記録である。中国側からチベットに入った最初のヨーロッパ人でもあった。彼女は日本旅行で蝦夷を訪ねたように、中国旅行でもチベットをめざした。まさに、辺境、奥地の探検家。このとき、イザベラ65歳。しかも身長150?ほどの小柄で、病弱でもあったというから驚く。
好奇心から押し寄せる友好的な日本人と違って、中国・清国人の敵意は激しく、旅はまさに命がけであった。19世紀の清国はアヘン戦争、アロー戦争を経て不平等条約を押しつけられ、ヨーロッパ諸国の餌食になる瀬戸際にあった。新しく列強入りを狙った日本にも日清戦争をしかけられ、三国干渉に翻弄されている最中の激動の「清国」をイザベラは旅したのだ。
冒頭の美しい夢のような自然の中の旅の2週間ぐらい前に、彼女は彭県の近くで「卑怯な襲撃」に遭っている。「私たちには石が次々と飛んできた。飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎(かご)や轎かきに当たったし、私の笠にも当たって笠が飛ばされてしまった。『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」「『暴徒と化した』群衆は、私の乗った轎を棒でたたいたり、『外国の悪魔』『外国の犬』『子供食い』と言って野次ったり、もっとひどい言葉を耳に突き刺すように浴びせたり、轎を蹴ったり、つばを吐きかけたりした。このため、先へ進むのは困難を極めた。だが、やっとのことで我々の轎は、非常に立派な宿に運び込まれた。」地方役人が来るが、一応の謝罪を述べるだけでらちが明かない。イザベラはこの傷の後遺症で、旅の間はもちろん、その後一年間にわたって悩むことになる。
不平等条約に守られて、清末期にはキリスト教の布教宣伝活動が活発になっている。地方役人や官僚の遠慮に我慢がならない民衆の不満や反抗がこのような形で爆発するのである。だから、イザベラはひと言も、清国人の悪口を言っていない。当時の民衆のおかれた状況をよく分かっていたからだろう。
イザベルも各地で、英国国教会の宣教師を訪問し、「ヘンリエッタ・バード(イザベルの亡き妹の名前)病院」を寄贈したりしている。これらの宣教活動に対して、中国住民は迷信や風説の流布で応えた。孤児院を建てれば、「子供を食う」とか、カギをかけたがる宣教師は家の下に英国まで穴を掘って、英国兵士を導いて中国を征服するなどといったうわさが飛び交っていたのである。
こんな侮辱と危害を乗り越え、それでもめげない勇敢な彼女は四川省を抜けて、4000メートルの「しゃこ山」山脈に至り、ここでは凍えて遭難寸前の目にあいながら、チベットへと旅を続ける。中国とは異なり、蛮族の地といわれるチベットでは穏やかな人々に囲まれ、平穏である。
「蕃子の生活の注目すべき特徴の一つに女性の地位がある。女性は男性と対等であるにとどまらず、男性からかなり丁重に扱われるし、男性の興味の対象や楽しみをどこであれ共有する。女性はラバ追いから『土司』まで何にでもなれるのである。また男性と女性の間の交際には何の足かせもない。恋愛結婚が原則である。」「彼らの視野は狭く考えは保守的である。中国やチベットという地名は知っているし、ロシアという地名は聞いたことがあるが、英国という地名は聞いたことがない。日清戦争や倭人についてもまったく何も知らない。私の知ることのできた彼らは、客を温かく迎えてくれ、友好的で礼儀正しく、好奇心をあらわにせず、道徳に寛大で、一緒になって目一杯陽気に浮かれ騒ぎ、並外れて愛情の細やかな人々である。現世を気楽に受け入れて楽しみ、来世はラマ僧を信じて託す人々である。」
こうしたイザベラの記述を読むとき、現代の中国で焼身自殺を繰り返すチベットの人々の痛ましさが胸に迫ってくる。他に例のない当時の6カ月にわたる中国奥地の旅行記は今読んでこそ貴重である。
「水は目も覚めるように透き通った緑色をしていた。エメラルド色というとちょっと違うといった緑色だった。シダやランや蔓植物で覆われ、折れ曲がり、枝分かれする木の幹や大枝からは、赤と白の花をつけたツルバラの長い小枝が川面に垂れていた。そして、冷たいしぶきのかかる所には薄葉のシダや美しいハイホラゴケが生い茂り、木漏れ日をうけて透き通らんばかりだった。川は折れ曲がった木々や、クレマチスやバラのつるの下を滝のようになったり急流をなして、また、泡だったりきらきらひかりながら流れ下っていた。またところどころで一息つくように深緑色の淵をなし、その水面にはバラやクレマチスそして雪をかぶった峰が映っていた。」
こんな光景に会えることを夢見て、イザベラは困難な旅を思い立ったのだろう。そして、こんな素晴らしい光景に出会えたからこそ困難な旅を続けられたのだろう。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
3月25日の経営委員会に署名を提出予定で、3月23日が第2次集約日となります。
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月21日)
人間はひとつの物差しでは測れない。政治家であればなおさらのこと。とりわけ保守陣営の政治家に、思想や行動の一貫性を求めることは野暮というものなのだろう。
私には、古賀誠という人物は、遺族会の会長であり、靖国神社総代であり、みんなで靖国に参拝する国会議員の会の会長としか印象がない。A級戦犯分祀論者ではあるが、天皇の英霊参拝実現を目的としてのもの。しかし、先の戦争への反省については良識を示し、性急な首相の靖国参拝推進論には近隣諸国への配慮が必要と語ってもいた。こういう姿勢を無原則というのだろうか。バランス感覚に優れているというのだろうか。そして、今は「赤旗」に登場して96条改正反対を明言している。このような人物を幹事長にしたのだから、自民党もバランス感覚優れた政党(であった)というべきだろうか。
父を戦争で失い苦労の人生を歩んできたことが、古賀の政治家としての原点だという。戦争を繰り返してはならないという気持ちをもっていること、そしてお坊ちゃんとしての人生を歩んできていないことは確かだ。
その古賀が、安倍晋三を「愚かな坊ちゃん的な考え方」「わがままな坊ちゃん総理」とこき下ろした。戦争は憎みても余りある「父の仇」であったろう。戦争を指導した岸信介の孫である安倍の、戦争への警戒心を欠いた「坊ちゃんぶり」に、憤懣がほとばしったとの感。
3月18日の東京新聞が比較的詳しく報じている。17日神奈川県生協連主催の講演会での発言。その見出しは、「『閣議決定で解釈改憲』くぎ」「ひとつ間違えば戦争」というもの。
「『閣議決定で解釈改憲をするような姑息なルール違反は絶対にやってはいけない。ひとつ間違えば戦争に取り込まれてしまう』と、安倍政権を厳しく批判した。
古賀氏は福岡県瀬高町(現みやま市)出身。物心がつく前に、父はフィリピン・レイテ島で戦死した。講演では、『詰め込めるだけの干物を荷台に詰めて売り歩いた母のおかげで不幸とは思わずに育ったが、政治が軍部の暴走を早く止められたら、父は死なずにすんだ。原爆も落とされなかった』との思いを吐露した。
『一部の政治家は、ナショナリズムの高揚に意図的に乗じている』と指摘し、『集団的自衛権を行使するなら、まず憲法を改正するのが筋だ。自衛隊の活動の限界、自衛権行使の範囲をあらかじめ決めないと、国民は議論できない』と述べた。」
「安倍晋三首相に関し、『個人の哲学として右傾化した考えを持つのは良いが、国民の生命と財産を守る最高責任者としては、自分の信念を押し通すのは良くない。わがままな坊ちゃん総理が、ずっと賭けに勝ってきているから怖い』とくぎを刺した。」
また、他の複数の報道では、「安倍首相が先月の国会審議で、『(憲法解釈の)最高責任者は私だ』と答弁したことについて、『自分が首相で権力者だから、自分で決めるというのは愚かな坊ちゃん的な考え方だ。隠す中でいつの間にか権力を行使していた、そういう首相になってもらわなければいけない』と批判した。」「集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しについて、『そういう姑息なことは絶対やってはいけない。憲法改正で集団的自衛権をどうするかという筋道が正しい』と語った」とされている。
以上の古賀の言のすべてを肯定し得るわ家ではないが、バランス感覚に富む保守政治家からみて、安倍政権の独善性はまことに危うい。しかも、その安倍の危うさは「ひとつ間違えば戦争に取り込まれてしまう」という性質のもの。かつての自民党幹事長の目から見ても、「集団的自衛権行使容認を閣議決定で」というのは、ルール違反の禁じ手なのだ。父を戦争で失ない、戦争による苦労を背負ってきた一人の日本人として、戦争の苦労を知らない「戦争指導者のお坊ちゃん」には我慢がならないのだ。その古賀の言に、心して耳を傾けたい。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月20日)
「神は人の上に人を造り給わず」とは、ミルトン「失楽園」の一節だそうだが、この上ない至言である。神を持ち出すことについての幾分かの違和感には目をつぶろう。すべての人に上下なく、本来的に平等であることが、私たちが社会を見る目の原点であり公理である。家門だの、家柄だの、先祖だの、尊い血筋だの、やんごとなきお生まれだの、世が世であれば…など、鼻先で嗤おう。
人には上下の差別はない。しかし、法には厳然たるヒエラルヒーがある。憲法が、一番エライのだ。憲法が定める手続により、憲法に反しない範囲で、憲法の理念を具体化するものとして下位の法形式が制定される。下位法が憲法に逆らうことは許されない。そのようにして、法の体系性が維持される。
法のヒエラルヒーに相応して、各法形式の制定改廃の権限が決められている。憲法を作るのは主権者である国民が直接に行う。その改正手続も同じこと。法律の制定・改廃は国会が行う。法律よりも下位の行政法規の制定は、内閣や各省あるいは自治体が行う。各制定権者は定められた権限以上のことはなしえない。内閣が法律を作ることはできないし、国会が憲法の改正はできない。これは憲法が定めた厳格な掟であって、公務員たる者にはこの掟を遵守すべき義務がある。
この理を弁えない掟破りの公務員が出てくるとまことに面倒なことが起こる。整然たる法の体系性が壊される。保守も革新もなく、このような法体系破壊の厄介者には、苦言を呈さざるをえない。できれば退場してもらわねばならない。
そのようなことが現実に起きている。安倍晋三の「集団的自衛権行使容認を閣議決定で」という暴挙は、事実上の憲法改正を内閣の手でやってのけようということなのだ。この、立憲主義を解さない法体系破壊の厄介者に対して、批判の声が自民党内からも上がっている。
本日(3月19日)付の琉球新報の社説は、「集団的自衛権 解釈変更は権力の暴走だ」というもの。この標題のとおり、とても歯切れがよい。
「安倍晋三首相が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、自民党の意思決定を担う総務会メンバーらによる総務懇談会で異論や慎重論が相次いだ。
村上誠一郎元行政改革担当相は「解釈変更は憲政に汚点を残す。憲法改正で堂々と議論するのが筋だ」と反対する考えを明言した。憲法9条の解釈変更という“禁じ手”にまい進する安倍政権に対し、お膝元からブレーキがかかった格好だ。
共同通信の今年2月の世論調査でも、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は、「反対」51%、「賛成」38・9%だった。党内の異論や慎重論は国民の反発を警戒していることの表れだ。
首相は、総裁直属機関を新設して党内論議を続ける方針を示しており、異論や慎重論を押し切る構えも見え隠れする。しかしながら、国民の声を聞かず、党内からの忠言も無視するとなれば、権力の暴走と言われても仕方あるまい。首相は、異論や苦言を真摯に受け止めるべきだ。
憲法は国の最高規範である。時の政権の一存だけで憲法解釈を変更することは、憲法が国家権力に制約をかける「立憲主義」を否定することにほかならない。それは法治国家や議会制民主主義の否定にもつながる。歴代政権が解釈変更による集団的自衛権の行使容認を、禁じ手としてきた重みをかみしめるべきだ。」
また、本日の東京新聞の社説も「集団的自衛権 与党内の慎重論は重い」との同旨の指摘。
「自民党総務会は党の意思決定を担う重要機関だ。そのメンバーから「集団的自衛権の行使」容認に向けた憲法解釈変更に慎重論が相次いだ意味は重い。安倍晋三首相は真摯に受け止めるべきである。
戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄した平和主義は、戦後日本の国是である。集団的自衛権を行使しなければ国民の生命、財産や国益が著しく毀損されるという切迫した事情も見当たらない。にもかかわらず、政府の憲法解釈を変えてまで行使を認めようというのは、いかにも乱暴だ。
国家権力の暴走を防ぎ、国民の自由と権利を保障するため、政治権力が最高法規の憲法を順守する「立憲主義」は、明治憲法制定以来、日本政治の根本原理である。
長年の議論の積み重ねで定着した憲法解釈を、時の政権の思惑で変える「解釈改憲」という手法は立憲主義と議会制民主主義に対する重大な挑戦にほかならない。」
さらに、目を引くのは次のパラグラフ。
「政府の憲法解釈を実質的に担うのは内閣法制局だが、安倍内閣に行使容認派として起用された小松一郎長官が適格かは疑問だ。委員長の制止を振り切って答弁を続けたり、質問にないことを答えたり、国会議員と口論を繰り返したりと、その言動は尋常でなく、まともな国会審議が続けられる状況でない。
首相はまず自らの任命責任を率直に認めた上で、小松氏を交代させたらどうか。それが立憲主義を「取り戻す」第一歩である。」
よくぞ言ってくれた。まったく同感。
もうひとつ、同旨の「沖縄タイムス」16日社説を引用する。こちらは、小松一郎法制局長官だけでなく、籾井勝人NHK会長の不適格にも言及している。
「安倍晋三首相の肝いりで要職に抜擢された人たちの物議を醸す言動が止まらない。NHK会長らの問題発言がくすぶる中、今度は小松一郎内閣法制局長官である。
内閣法制局は政府の憲法解釈を事実上担い、「憲法の番人」と呼ばれる。小松氏は外務省出身で、これまで歴代内閣が認めてこなかった集団的自衛権の行使容認に道を開くため、安倍首相が「禁じ手」の手法で法制局以外から異例の形で長官に起用した。その小松氏の議場内外での言動に、内閣法制局長官としての適格性に疑問が出ている。国会答弁をめぐって「場外乱闘」をしたり、職責ののりを超えたりしているからだ。
例えばこんな振る舞いである。今月4日の参院予算委員会で、共産党議員から「憲法の番人なのに、政権の番犬みたいなことをしないで」と注文をつけられた。
これに対し5日、関係のない社民党議員へ答弁する中で「公務員にも人権がある」などと反論した。7日の予算委終了後には国会の廊下で別の共産党議員に「番犬の表現は不適切だった」「共産党に直接抗議してほしかった」と言われ、衆人環視の場で口論となった。問題はこれで終わらない。
共産党議員の事務所に謝罪に行きながら、「法制局長官を辞任し、病気療養に専念すべきだ」と諭されたことに対し、「そういうことはいうべきではない」と「逆ギレ」。再び口論となり、謝罪どころではなくなった。野党は罷免を要求し、自民党からも厳しい見方が出ている。
籾井勝人NHK会長は就任会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあった」と発言、百田尚樹経営委員は東京都知事選の応援演説で他候補を「人間のくず」と中傷し、「南京大虐殺はなかった」などと発言した。安倍首相の「お友達人事」の当事者らがなぜ問題となる言動をするのか。
首相の信条に近いことを代弁しているか、首相の信条に近い人を登用した結果と考えるしかない。安倍首相は擁護するばかりだ。だが、首相の任命責任は免れない。」
これまで、高支持率をキープして順調に見えた安倍政権。明らかに潮目が変わりつつある。与党議員も、安倍べったりでは国民からの批判が恐いと思い始めた。安倍内閣と自民党執行部にものを言う姿勢を見せなければ、地元の支持者も納得しない。そんな空気が感じられる。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
下記URLからどうぞ
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月19日)
本日、山梨市が主催した上野千鶴子さんの講演会が同市で開かれた。会場は聴衆約400人で満員の盛況だったとのこと。中止騒動が話題性を盛り上げた形だ。上野さんは「ひとりでも最期まで在宅で」と題して1時間半にわたり熱弁を振るい、最後に「今回の講演料は市に寄付します」と表明して喝采を浴びた、と報じられている。さすがに、役者ですねえ。
講演会の冒頭、お騒がせの張本人である望月清賢市長が、「上野先生に無礼を働いた」と陳謝し、上野さんは「過ちを改めるに、はばかることなかれ」と応じて「和解」をアピールして見せたという。
なお、望月清賢氏は先月の選挙で初当選したばかりの新米市長。自民党県連総務会長の経歴を持ち、自民党県連から推薦を受けた元県議。前市長で、選挙戦に敗れたのが、現職の竹越久高氏。元県議で、元民主党県連代表代行の経歴。選挙は接戦で389票差であった。
同講演は市が上野さんに昨秋に依頼したもの。今年2月に広報し、164人の参加希望があった一方、上野さんのツイッターやコラムでの発言を例に「公費で催す講演会の講師としてふさわしくない」という意見が約10件メールなどで寄せられたという。ふさわしくない理由は、上野さんの演題とは無関係のテーマでの発言内容。これを今年2月に初当選した望月清賢市長が問題視し、市は3月に中止を決めた。旧民主党市長時代に企画した講演会を、新自民党市長が中止という構図となったのだ。
市から上野さんに対する、講演会中止の通知書は以下の素っ気ないものだったという。(上野さんのブログから)
「市民講演会中止について
山梨市長 望月清賢
春寒の候、先生におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。また、日頃から高齢者保健福祉行政にご理解・ご協力をいただき感謝申し上げます。
さて、来る3月18日に実施を予定しておりました市民講演会についてですが、市民の皆様から様々なご意見をいただく中で、講演会当日の運営に支障を来す恐れがあることから、やむを得ず中止とさせていただくこととなりました。
誠に申し訳ありませんがご了承いただきますようお願い申し上げます。」
中止理由として述べられているのは、「講演会当日の運営に支障を来す恐れがあること」の一点であって、その余の理由はまったく述べられていない。
これに対する上野さんご自身の長文のブログ記事の掲載がある。以下はその抜粋。
「もちろんお願いされたからといって「ご了承」できるわけがありません。
いちいち反論するのもうざったいですが、言うべきことを言っておくと、以下のとおりです。
?すでに市が決定し、告知と募集までした講演会を、講師の考えに賛同できないという少数の「市民」のメール等のクレームで中止するとはあってはならないことです。
?「講演会当日の運営に支障を来す恐れ」とありますが、具体的に脅迫や警告を受けたのか、と聞くと、それはまったくない、とのこと。何もないのに先取りして中止とは過剰な自主規制です。まんがいち脅迫や警告があったとしても、一部の脅しに行政が屈してはならないことは当然でしょう。警備をして実施すればよいだけの話です。
?上野の「過去の発言」はすべて講演依頼を受けたときにはわかっていたこと。新しい情報は何もありません。最初から問題なら上野に講師の依頼をしなければよいだけの話です。となれば、講師依頼の時と中止の時とでは、上野の側に変化はなく、講師の適切さについての判断が行政側で変化したことになります。前市長が了承した企画を、政権が変わったからと言って現市長が覆してもよいものでしょうか。
?「過去の発言」のやり玉にあげられているのが「悩みのるつぼ」の回答。「熟女にお願いしなさい」という回答のどこが問題なのでしょうか。「依頼」であって「強制」ではありませんし、「相手のいやがることはぜったいにしないこと」それに「避妊の準備も忘れずに」と書いてあります。淫行条例に違反するという指摘もありましたが、中学生に性交を禁じる法律はありません。成人が児童(18歳未満だそうです)に「みだらな行為」をすることは禁止されていますが、中学生が大人に「お願い」するのを禁じることはできないでしょう。15歳といえば昔なら元服の年齢。妻を娶ることもできました。この回答を問題視するひとたちはまさか「結婚まで童貞を守りなさい」とは言わないでしょうね?
?『セクシィギャルの大研究』『スカートの下の劇場』をきちんと読んでみてください。いずれも実証研究にもとづいた、そうは見えないけれど学術書です。『セクシィギャルの大研究』はCM写真の記号論的研究、『スカートの下の劇場』は下着の歴史研究です。いずれのタイトルにも「セックス」も「パンティ」も入っていません。仮に入っていたからといって何が問題なのでしょう?まさか性を論じることがタブーだというのではないでしょうね?性を論じる人物は、それだけで講師として不適任だと?
?というわけで上野は「過去の発言」について、天にも地にも恥じるところはありません。しかも以上の「過去の発言」のいずれも今回のテーマである「介護」には無関係です。それを理由に「中止」を決定するのは言いがかりとしか思えません。」
「これからは周辺情報からの憶測です。
?上野の発言のうち、安倍政権批判が気に入らない人々が市長の周辺にいたようです。
?前市長(民主党)から現市長(自民党)に政権交代して、前市長のやったことをことごとく否定したい、と思ったようすも。
?安倍政権が誕生して地方の保守派がいきおいづき、このくらいのこと、と安直に考えて講演会つぶしをやってしまったと。
もし以上の「憶測」が正しいとすれば、こういうことがまかりとおってはなりません。山梨市のみならず他の自治体においても同様のことが起きる可能性を未然に防がなければなりません。
こういうことはあってもらっては困ることですから、山梨市長には根拠のない憶測にすぎない、ときっぱり否定していただき、わたしや一部の市民の方の疑念を晴らしていただくことを期待します。」
市の講演会中止が報じられたのが3月14日、上記ブログが3月15日付のもの。その後16日に一転開催することととなり、当初の予定のとおり本日(18日)開催となった。
市によると、中止が報じられた14日以降、市民から開催を求める意見が相次いだことから、市の担当者が望月清賢市長に翻意を促し、一転、開催が決まった。担当者が16日夜、上野さんに電話で伝えた。その際、「介護以外の話をしない」ことを上野さんに確認し、同意を得たという。
講演会の中止については、「介護は今の社会が避けて通れない切実な問題で、多くの人が示唆を得たいと望んでいた。学ぶ機会を奪われた」などとして、市民が抗議する動きも出ていた(朝日)、と報じられている。
決然たる上野さんご自身の怒りがあり、市民とメディアの支持があったことが、「中止撤回」の成果となった。
不当には、まず当事者が断固として怒ろう。そして、当事者を孤立させぬように支援をしよう。見て見ぬふりをするのではなく、声を挙げなければならない。今回はみごとなその成果である。上野千鶴子さんと、それを支えた山梨市民に惜しみない拍手を送りたい。
(2014年3月18日)
本日(3月17日)、14名の原告が東京「君が代」裁判第4次訴訟を東京地裁に提訴し、東京地裁民事11部に係属した。懲戒処分取消と国家賠償を求める訴えである。具体的には、2010?13年の戒告、減給、停職の処分19件について取り消しを求めている。また、国家賠償の請求額は各処分1件ごとに各55万円。
10・23通達発出以来10年を経ての新たな提訴である。1次訴訟・2次訴訟の確定判決では、減給以上の処分については裁量権逸脱濫用にあたるとして勝訴したが、違憲の主張は否定された。なんとか、この判決を覆そうとの意気込みに満ちた130ページの訴状を提出した。
また、本日東京地裁民事19部の、東京「再雇用拒否」第3次訴訟第1回口頭弁論が527号法廷で開かれた。原告3名の感動的な意見陳述が行われた。その内容をご紹介する。但し、個人の特定を避けての掲載なので、陳述そのままではない。
いずれも、「君が代」不起立を理由に、再雇用を拒否された事件。
Nさんはクリスチャンとして、Wさんは肢体不自由児教育の実践者として、そしてKさんは「君が代」が戦争に果たした歴史的役割から、それぞれの理由で「君が代」を歌うことができないとしている。
法廷での凛とした陳述の雰囲気を味わっていただきたい。
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Nさんの陳述
1 経歴 略
2 職務命令に従えなかった理由と経過
私は、旧教育基本法の前文「教育の力」という言葉に希望をもって教員になりました。
2003年、「10・23通達」発出後は、誇りと自信をもって教育を行っていた教員が、職務命令で脅かされる事態になったのです。公立の学校現場には、様々な生徒が存在します。
中国・韓国の在日外国人ばかりでなく、パキスタンなどからの外国籍の生徒もいて、さまざまな考えのある人もいるのです。いまだかつてなかった形の職務命令で、「君が代」で起立させようという都教委の意図に戦慄を覚えました。
私は、カトリック信者でもあります。神道の象徴と思われる「日の丸」の前で「君が代」とともに起立することはできません。その結果、2007年3月30日に戒告処分を受けました。
教員は、自分の教える教科を通して生き方を教えているのです。国語の教科の中で朝の会や昼休みの余暇活動の場で、これでもかと突きつけられる生徒たちの思いを受けて、自分の人生で得た知識や信念を教えているのです。
現在の特別支援学校の生徒たちの6割の生徒は、施設で生活しています。障害が重いからとか保護者の養育能力がないからという様々な理由から家庭を離れて寮で集団生活を送っています。虐待や性的暴力を受けた生徒もいます。共通しているのは、家族から見捨てられたという気持ちがあり、自分の存在を否定されたという思いがあるのです。自己肯定感が得られず、自分の存在そのものに自信がもてずに自暴自棄になり暴力をふるう生徒も多くいます。この生徒たちに正面から立ち向かえるのは、自分の生き様であり教育に対する信念しかありません。
3 1回目の不起立に至る経過
2007年3月の卒業式で初めての「君が代」不起立をしてから、校長・副校長の注視を受けてきました。「不起立」以後、私の業績評価は総合評価がCとなりました。定年退職2年前の2008年11月10日、校長室へ呼ばれると「3年を過ぎている。来年の人事構想にない」という通告でした。定年まであと2年を残していましたが、特別支援学校への異動を余儀なくされました。
雪の降る2010年3月、新しい特別支援学校の異動面接のときには、自分の思いをはっきりさせておいたほうがよい考え「カトリック信者である。そのため卒・入学式では『君が代』で起立できない」ことと「定年まで2年しかないので、高等部の2年生を希望する」ことを要望しました。高等部2年生の担任になった私は、学年の教員に「カトリックの信者であるので、『君が代』で起立できない」旨を話し、理解を求めました。その年の入学式も卒業式も2時間年休をとりました。ところが定年最後の学年は持ち上がりを希望していたにも関わらず、また2年生でした。
入学式は、2時間年休をとりましたが、卒業式の前には何度も「卒業式をどうするのか」という聞き取りがありました。2011年3月の卒業式は、昨年担任した生徒の卒業式です。そのとき既に非常勤教員採用を拒否されていました。私にとって、教員としての最後の卒業式となるので是非とも参加したいと考えて、卒業式に出席しました。しかし、前に述べた理由で「君が代」で起立しませんでした。
久しぶりに出席する卒業式の生徒の門出を祝う感動で、涙が止まりませんでした。
たった2年間しかいなかった特別支援学校ですが、同窓会等の催し物案内が届きます。卒業生の顔を見ることは元教員にとって楽しみです。夏には同窓会、今年1月12日には、「成人を祝う会」に出席し、お祝いを述べてきました。
4 不起立処分後の不利益
2度目の不起立を理由として、2011年3月30日に減給10分の1、1月の減給処分を受けました。でも、私にとって一番大きな不利益は、非常勤教員の選考を受けて採用を拒否されたことです。
また退職した年の4月、担任した生徒たちが沖縄修学旅行に行くことになっていて、ボランティアとして引率に加わることになっていました。「しおり」も完成して、楽しみにしていました。ところが、不起立を理由に、ボランティアすら取り消しになってしまいました。
5 裁判所に期待すること
非常勤教員等の募集要項には、処分2年以内の者の欠格条項があります。私は、処分を受けてから約4年近く経っています。また処分歴があっても採用されている人も多いですが、「君が代不起立」処分の者は100%採用を拒否され、5年を超えないと採用されていません。これは憲法で保障された平等・公平の原則に違反すると思います。
また自分の不採用にいたる経過を開示請求しましたが、審査会を経たあとでも墨塗りのままです。「任命権者が不合格であることを証明しなければならない」という判例が多くある中、あまりにも不公平・不平等です。
貴裁判所には、都教委に対して墨塗りの部分を明らかにさせてほしいと切望いたします。
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Wさんの陳述
1 障がい児学校での日々
私は、…入都以来肢体不自由校に勤務してきました。そしてほとんど、超重度重複障がい児と言われる子ども達を担当しました。彼らとノンバーバル・コミュニケーション(言葉によらないコミュニケーション)を築いていく面白さ、「もう一つの世界」が見える面白さ、私は価値転換を迫られ、人間というもののコアをいつも考えさせられました。相手に自分のすべてをさらして初めて自分の限界や相手への尊敬を体感できる世界でした。そうして私は、子ども達から沢山教えられ、「主体性」と「関係性」が大変重要であると考え実践してきました。
2 10・2 3通達
そんな中、2003年10・23通達が都教委から出されました。この通達は私たちが大事にしてきた卒業式そのものを壊してしまいました。
通達前の2003年3月の卒業式はフロア形式、口の宇型対面方式で、私のクラスの生徒は、習いたての電動車椅子を、自ら操作してフロア中央に証書をもらいにいき、参列者全員の大きな拍手と歓声をうけました。校長も素晴らしい式だと感激していました。
ところが、通達後は、壇上使用だけで、フロアでの電動車椅子走行は許されなくなりました。ある生徒は、自分の意志とは関わりなく手や足が暴発的に動き、自分で舌や唇を噛み切ったり、関節に入った力を緩められず泣き叫ぶなどそれはそれは大変な生活をしていました。担任は、自信と生きる希望につなげようと、電動車椅子の練習を提案、親をいれて3人4脚で頑張ってきました。その熱意で生徒は電動車椅子の操作が奇蹟的に上達しました。そして巣立ちの日、みんなに、証書を受け取るときの自分の精一杯頑張っている姿を見てもらいたいと願ったのでした。同じ病気の弟がなくなっていたので生きている日の自分をみんなの中に残したい、と切実な思いだったと思います。
しかし、この誇らしい小さな希望は、フロアで証書を受け取ることは「都教委が許可しないからだめだ。」と昨年と同じ校長にはねつけられました。担任は悔し涙で不起立しました。
大事な卒業生を、最も輝かして送り出すことができない。絶対この通達は間違っている、この命令には従えない、担任の気持ちは痛いほど良くわかりました。私自身は、君が代起立時にトイレ介助で会場から出ないようにさせるため、受け持ち児におむっを付けろ、といわれ、屈辱と怒りに身がふるえ、絶対に従いたくないと思いました。
「通達」は人間の尊厳を卑しめ、教育を破壊しています。このことを私は身をもって告発します。
間違った通達と命令には従えません。
3 停職処分の過酷さ
自分の良心、教育信念を曲げられない私は、否応なく不起立を繰り返すこととなり、停職処分を受けるに至りました。子どもに真摯に向き合おうとすると、子どもから引き離されてしまう。大変な苦しみでした。
誰にとっても今日という日は大事です。が、夭折していく彼らにとって、今日のこの日の、家族、友達、先生だちと過ごす時間の大切さ、短い生命だが、精一杯生ききる日のこの貴重さは格別なものがあります。
4 採用拒否されて
しかし、都教委が私の静かな40秒の不起立に対して加えた制裁は、停職処分だけではありませんでした。2010年11月、翌年3月の定年退職を迎え、非常勤教員採用を申し込み、面接にいきました。
面接者は、私に2点質問しました。培ってきた実力のうち何を最も生かしたいか、ペテランとして若い教員をどう育てていくか。私は丁寧に答えています。しかし、1月、校長から申し渡されたのは、採用拒否でした。
ところが、情報開示資料によると、戒告処分はおろか停職処分を受けた人も採用されていました。他方、「日の丸・君が代」で処分された者だけが100%拒否されていたのです。
とどのつまり、都教委が「日の丸・君が代」で処分を受けた者だけを、思想的な理由で排除している、これが非常勤教員不合格の正体ではないでしょうか。いったい、裁量権をもつ者は、その権力をそのように恣意的、差別的に行使して良いものでしょうか。
私は子ども達との関わりを熱望していました。生徒達への音楽療法を通じた関わりも、差別され苦しむ生徒達への権利学習も、板橋駅へのエレペーター設置要求も、多民族多文化の共生社会の一員として朝鮮学校やアイヌの人だちとの文化交流も、定着には道半ばであり、私はさらに努力したいと考えていました。
それらを断ち切った都教委に対して、謝罪と損害賠償を求めます。
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Kさんの陳述
私は、…退職までに6校の高校に勤務し、定年退職しました。
これまで多くの生徒と接してきましたが、そこで私が学んだことは生徒は一人一人個性を持っており、それを尊重することが大切であるということです。
何か問題行動を起こすにしても、そこに至るまでには様々な原因があります。それを見ないで、問題行動を起こしたら機械的に処分をするということだけでは生徒を本当に立ち直らせることは出来ません。
これは生徒指導だけでなく、学習指導やクラスで生徒に対するときにも必要な考えであると思います。一人一人の個性を大切にする教育が生徒の力を伸ばすことにつながると考えています。
生徒指導が大変な学校や学習意欲が充分とは言えない生徒が多い学校も経験しました。このような学校では生徒との信頼関係を作るよう努めましたが、中学時代から教員に対する不信感を持つ生徒もいて、話が出来るようになるまでは長い時間がかかることもありました。担任をしても大変なことが多くありましたが、3年間接している内に生徒が成長し自立していき、卒業式を迎えることが出来たときは教員をやっていてよかったと思いました。
都立高校で私が教員生活を始めた頃は学校運営に関すること、生徒指導に関することなどは職員会議で話し合い決定していました。意見がいろいろあり、議論に時間がかかることもありましたが、充分に議論を尽くした決定を校長も教職員も尊重していました。このような中で信頼関係も出来、私も教員として成長することが出来ました。
しかし1990年代頃から、職員会議の決定を管理職が尊重しないことが度々起こるようになりました。特に入学式、卒業式のあり方について職員会議の決定が守られないことが多くなりました。
そして2003年10月23日に東京都教育委員会より通達が出されてからは学校の決定権は完全になくなりました。卒業式の椅子の配置まで事細かに教育委員会が言ってきました。それまでは卒業式の「君が代」斉唱時に起立斉唱をしない教職員がいても処分されることはありませんでした。「君が代」については様々な思いをいだく人がいて、斉唱を強制することは思想、信条の自由にも関係することと考えてのことであったと思います。しかしこの通達以降は、学校行事で「君が代」斉唱時に起立斉唱しない教職員は一律に懲戒処分を受けるようになりました。
私も「君が代」を歌うことは出来ませんでした。「君が代」が第二次世界大戦では戦意高揚のために使われたこと、侵略の象徴としてあったことなどを考えると歌うことは出来ません。また歌を歌うことを一律に強制することもおかしいと思いました。
この通達後の最初の卒業式で私は「君が代」斉唱時に不起立であったとして戒告処分を受けました。その後の入学式や卒業式では「君が代」斉唱のことを考えると体調不調になり休暇を取ったり、式場外での仕事を担当したりで斉唱時に式場にいないときは処分されることはありませんでした。
その後、卒業式での不起立などを理由に、2005年4月に淵江高校に異動になり、異動後すぐに1学年担任になりました。1学年担任のため入学式式場にいない訳にはいきません。「君が代」斉唱時どうするか迷いました。しかし異動してすぐのことで、職場で相談できる人もいませんでした。処分のことを考えると異動後すぐの不起立は出来ませんでした。私にとって最大の屈辱でした。今でも思い出すと苦痛です。
その3年後に担任学年の卒業式を迎えました。再び処分されることを考えると迷いはありましたが、3年前のことを考えると、自分の信条に反して「君が代」斉唱時に起立することはどうしても出来ないと思いました。この卒業式で不起立であったため再度の処分を受けました。
2011年3月の定年退職を前に退職後の再雇用制度である「非常勤教員」を希望しましたが、採用を拒否されました。このため退職後も教員生活を続けるという生きがいを奪われ、生活保障も奪われました。不合格の理由は上記の処分以外に考えられません。元の処分自体不当なことですが、更に追い打ちをかけられた気がします。
このまま黙っていては、この不当なことを認めることになり、自分の信条が否定されると思いこの度の提訴に至りました。
貴裁判所におかれては是非とも公正な判断をして下さるようお願い致します。
(2014年3月17日)
2014年はビキニ被ばく事件から60年。本日の公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会では、当然のことながら被ばく60年の記念事業が話題となった。
第五福竜丸被ばく60年目の3月1日(土)、「3.1ビキニ・福竜丸60記念のつどい」と題して、記念コンサートと記念講演会が盛大に行われた。はやばやとチケットは完売の盛況だった。期せずしてビキニ被災60周年は、東電福島第1原発事故後の放射線汚染問題と重なり、大きな反響を呼んでいる。各メディアがそれぞれに、ビキニデー関連の個性ある特集記事を組んでいる。
第五福竜丸展示館の展示内容は、いつも同じなのではない。船体は変わらないが、パネルや展示品は半年ごとに展示替えが行われている。今年度の展示内容は、いずれも60年記念企画展示で、前半が「水爆の時代をたどるー所蔵資料から見える第五福竜丸の被ばく」。後半が「特別展『第五福竜丸とアート』」、岡本太郎や池田龍雄をはじめとする著名作家の第五福竜丸に関連したテーマの展覧会を行う。
また、連続市民講座が4回にわたって行われる。その第1回が、4月20日(日)午後1時?5時。場所は、明治学院大学白金校舎。報告者は、池田長生、岡野眞治、水口憲哉、青山道夫らの各氏。60年前の「事件」に若い科学者として立ち会った方々の報告を聞く貴重な機会である。出席予約は、第五福竜丸平和協会まで。
なお、夢の島にある第五福竜丸展示館は、2016年に開館40周年を迎える。美濃部都政時代に開館した展示館もはや40年。船体だけでなく、館全体が老朽化している。抜本的なメンテナンスが必要な時期となっている。これまで、館の訪問者は500万人を超えている。原水爆禁止運動のモニュメントとしても、原発事故被曝問題を考える場としても、館の存在には大きな意義がある。世論を背景に東京都に然るべく要請を続けなければならない。
さて、もうひとつの記念事業が、記念出版である。「第五福竜丸は航海中ービキニ水爆被災事件と被ばく漁船60年の記録」が、3月1日に発刊された。その帯に、次のように記されている。
「60年前の3月、日本社会は放射能の恐怖に揺れていた。
1854年3月1日、太平洋ビキニ環礁における米軍水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被ばくした。戦後日本の転換点となった事件の全容とその後の第五福竜丸がたどった運命、日本から世界にひろがっていった反核運動、マーシャル諸島をはじめとする世界の核実験被害、第五福竜丸と核をめぐる芸術家の表現など、『第五福竜丸展示館』が収集・研究を進める最新の資料とともに明らかにする」
この惹句に偽りはない。事件の経過における被ばく者の急性放射能症の恐怖は今改めて、原発事故の恐怖を呼び起こす。事件の衝撃と、それを機に巻き起こった原水爆禁止運動の経過もくわしい。補償をめぐる日米交渉の経過も良く分かる。そして、ビキニだけではない世界の核実験被害の状況もよく取材されている。第五福竜丸関連の、文献資料の一覧や、小説、絵本、映画、絵画、彫刻などのアートも紹介されている。
30周年にも、50周年にも、祈念の記録集が出版されているが、さすがに今回のものが質量ともに重厚なものとなっている。発売は「現代企画室」。定価は、2000円+税(送料は200円)。写真満載のB5版215ページ。多くの人の善意で、廉価にできている。協会がいただいた「焼津平和賞」の賞金を作成費に充てていることも廉価にできた理由。
「第五福竜丸は、今も航海中」なのだ。原水爆のない未来を目指し、核なき世界を目指しての第五福竜丸の旅は、まだ終わりが見えていない。第五福竜丸とともに、核兵器の恐怖も放射線被曝の心配もない、平和で安全な世界を目指す旅を共にしていただくように、多くの人々に呼び掛けたい。その旅のチャート(海図)として、この記念記録集はこの上ない優れものである。是非とも、この出版物の普及にお力添えをいただきたい。
なお、東京都立第五福竜丸展示館への連絡方法は
東京都江東区夢の島2丁目1-1 夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
E-Mail:fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp
URLは http://d5f.org/top.htm
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月16日)