「憲法への招待・新版」(渋谷秀樹)をお勧めする
立教大学大学院の渋谷秀樹さんが、本年2月20日「憲法への招待・新版」(岩波新書)を発刊した。特定秘密保護法への厳しい言及が印象的である。旧版の出版が、2001年11月。同書では同年の9・11事件とテロ特措法問題への言及がある。憲法学は時代と切り結ばざるをえない。「最新」のトピックスに触れつつ、憲法の基本理念や構造を解説するこの書の新版発行を歓迎したい。
5章の分野で計24の設問。その解説を通じて憲法の基本原則を説くという構成は、新版も旧版と変わらない。5章とは、「憲法とは何か」(憲法総論)、「人権とはそもそも何か」(人権総論)、「どのような人権が保障されるのか」(人権各論)、「政府を動かす原理は何か」(統治行為総論)、「政府の活動内容は具体的にどのようなものか」(統治行為各論)。
渋谷さんには、「日の丸・君が代」強制を差し止めようという「予防訴訟」の控訴審で、研究者としての証言をいただいた。弁護団からの要請に、いったんは躊躇されたようだった。その上で、「これまで研究者として実務とは一線を画すべきだと考え、そのような依頼に応じたことはなかった。しかし、この問題は極めて深刻な憲法問題として受けとめざるをえず、看過できない」として、お引き受けいただいた。
「憲法への招待」旧版には日の丸・君が代問題への言及はなかった。新版では、24の設問のひとつとして「『日の丸』と『君が代』の強制はなぜ問題か」がつけ加えられ、11ページにわたる解説がなされている。思想・良心の自由(憲法19条)を侵害するとの問題としてだけではなく、教育を受ける権利(26条)や、公務員としての教師の権利の問題まで踏み込んだ内容となっている。もちろん、必ずしも「日の丸・君が代」弁護団の切り口とまったく同じというわけではないが、まことに心強い。
それにしても、憲法をめぐる事態の変遷が激しいことを思わずにはおられない。旧版でも、「憲法とは何か」(憲法総論)の4設問で「立憲主義」の解説に力が注がれていたが、新版ではさらにその理解の重要性が強調されている。とりわけ、旧版にはなかった「憲法改正手続を定める憲法96条は改正できるか」のインパクトは大きい。極めて明瞭に、「憲法制定権力がルールの世界における憲法改正権の行使の方法を書き込んだものが改正規範なので、ルールの世界にある改正規範は根本規範と一体化して存在している」「主権の所在や行使の方法に関する根本規範が変更されない限りは、改正できない、あるいは改正してはいけないということが論理上の約束事、つまり公理なのです」と言いきっている。
また、特定秘密保護法の危険に警鐘が鳴らされている。はしがきの中に、「2013年12月に制定された「特定秘密保護法」は、権力者の手許にある情報を国民には見せない根拠を政府に与えるもので、政治の現状と政策を国民が知る権利を侵害して民主主義の基盤を掘り崩そうとするものです。また、国民相互の監視と密告を奨励して息苦しい監視社会を築きあげ、さらに真理を追求する科学的精神を萎縮させようとする毒素を隠しもった法律です」とまことに手厳しい指摘がなされている。
さらに、人権各論の中で「特定秘密保護法」の小項目を起こして解説がなされ(74?76頁)ており、その結論が次のようにまとめられている。
「この法律は、明治憲法下の戦争遂行時の情報管制の時代に時計を巻き戻そうとしているとしか見えないのです」
旧版のあと書きの最終行で、筆者は「平和への祈りを込めて」との一文を亡き母への献辞としている。新版では平和への祈りがさらに切迫した調子を帯びており、はしがきに次の一文がある。
「憲法9条の定める平和主義は、大規模に人間の生命を奪う戦争の禁止を、日本一国のみならず地球規模の視点から規定したもので、立憲主義の到達点を示しています。戦前の大日本帝国憲法のもとでは「個人」よりも「全体」に価値をおきました。その大義のもとに多くの尊い生命が失われたことを決して忘れてはならないのです」
そして、新版のあとがき最後の一行は、「正義が邪悪なものに打ち克ち、美しい日本の平和と自由が永遠に続くことを祈って」というもの。こんなことは教科書には書けない。オーソドックスな憲法学者にも熱い血が流れている。そして今は、その熱さを外に出さざるをえないのだ。
私の理解だが、今、正義と邪悪なものとが激しくせめぎ合っている。仮にも正義が敗れるようなことがあれば、「美しい日本の平和と自由」が失われかねない。正義が打ち克つためには多くの人に、憲法の理念や構造をしっかり理解してもらわねばならない。そのためにも、多くの人にこの書をお勧めしたい。
****************************************************************************
天候不順の3月の園芸家
3月18日には高知で、19日には福岡、佐賀、宮崎で桜の開花宣言がされた。それなのに、昨日今日の、この寒さはどうしたことだ。春分の日の21日、低気圧の影響で北日本では強い風と大雪。北海道根室市では観測史上最高の115センチの積雪があったという。東京では暖房を入れて、真冬のコートを着込んで強い北風と寒さに震えた。
例年、桜よりも半月は早く咲くスモモの白い花も、蕾をちょっとほころばせて、開こうかどうしようか考え込んでいる。桜の名所上野公園も、ぼんぼりをつるしてロープを張って、お花見の準備は万端整えたが、肝心の花が咲かない。そのうえ、こんなに寒くてはとうていお花見気分は盛り上がらない。陣取りのブルーシートもみえない。
「匂いでわかるのか、暗号でわかるのか、それとも何か秘密の合図があるのか。園芸家どおしのあいだで、どうして相手も園芸家だということがわかるのか、これは秘密にしておく。しかし、たとえ劇場の廊下であろうと、喫茶店であろうと、医者の待合室であろうと、彼らがひと目でおたがいを見わけることは事実だ。最初の会話がまず、天候に関する意見の交換だ。『いや、私の記憶では、まったく、今年みたいな、こんな春は今までなかったですよ』それから話題はうつって、雨量のこと、ダリアのこと、化学肥料のこと、ダッチ・アイリスのことにおよぶ。・・・さらにイチゴの話になり、アメリカのカタログ、今年の寒害、アブラムシ、アスターといったことが話題になる。劇場の廊下に立っているタキシード姿の男。しかしそれは、単にうわべにすぎない。もっと深い、もっとリアルな現実なおいては、それは、手にシャベルと如露を持った二人の園芸家なのだ。」
「時計が止まると、まず分解してみて、つぎに時計屋にもっていく。自動車が動かなくなると、ボンネットをあげ、モーターの中に指を突っ込んで、修理工をよぶ。なんでも調節し、修理することができる。ただ、天候だけはどうにもならない。どんなに騒ごうと、どんなに誇大妄想に取りつかれようと、どんなに改革熱にかられようと、どんなに好奇心にもえようと、どんなに悪たれ口をきこうと天候だけはだめだ。時がみちて法則にかなえば、蕾は開き、芽は伸びる。そのとき、きみは謙虚な気持ちになって、人間の無力なことを悟り、『忍耐がすべての知恵の母』だ、ということがわかるだろう。」(カレル・チャペック「園芸家12カ月」の3月の園芸家より)
2014年3月の日本の天候がこんなに不順で、史上まれにみるほどの雪が積もったりするのは、もうすぐ上がる消費税のせいかもしれない。いやきっとそうだ。すべては、安倍政権のせいなのだ。いくら安倍政権が公共事業予算をお手盛りしても、「アベノミクス」景気はこれから急速にしぼんで冷え切ることになるだろう。3月の大荒れでお寒い天候は、その4月以降の景気を暗示し予言しているのに違いない。
そうした暗い気分を吹き飛ばすために、上野公園に出ていた植木屋さんで、「オンツツジ」(温躑躅)を衝動買い。落葉性ツツジなので葉はないけれど、上向きにスラリと伸びた細い枝の先にはとんがった蕾がたくさんついている。来月末には朱紅色の花がたくさん咲くはず。薄めの柔らかい大ぶりの葉は新緑だけでなく、秋には黄紅葉して、二度も楽しめる。こうして3月の園芸家は「忍耐」する。
(2014年3月22日)