澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

谷垣禎一さん、重要法案にふさわしい徹底審議をお願いする

私は、自民党という政党を、けっして、大資本の利益の代弁者としてのみ見てきたわけではない。とりわけ、わが故郷岩手の地での自民党は、農民・漁民や中小業者の利益代弁者としての性格を色濃く持っていた。自民党は一色ではない。少なくとも、ついこの間までは。代表する利益集団も様々であり、思想も幅広い。「国民政党」といえば聞こえはよいが、実は鵺のごとき、異質な者の連合体でしかない。しかしまあ、なんと強靱な鵺であろうか。

鵺のごとき自民党という形容には、同党が安倍晋三のごとき唾棄すべき極右からのみ成り立っているわけではないという認識にもとづいている。とりわけ、かつては保守本流を任じていた宏池会に連なる、大平・鈴木・宮沢・加藤、そして古賀・谷垣などの諸氏には、「自由・民主」の理念を掲げた党名に恥じないリベラルな雰囲気を感じさせるものがあった。

とりわけ、弁護士でもある谷垣禎一議員には、自民党内の良識を代表するリベラル派として好意を感じていた。よく知られているとおり、同議員は、かつて「われら自民党議員『スパイ防止法案』に反対する」という論稿を「中央公論」1987年4月号に掲載している。その内容たるや、リベラル派議員としての面目躍如たるものがある。

同論文のリードは、次のとおり。
「わが国が自由と民主主義にもとづく国家体制を前提とする限り、国政に関する情報は主権者たる国民に対し基本的に開かれていなければならない。国民がこれにアクセスすることは自由であるのが原則なのだ。そしてこの国政に関する情報に、防衛情報が含められていることも論を俟たない」

1985年時点での国会の論争で、「国家機密法」(提案側は「スパイ防止法」)の法案に反対した側の論理を、さすがに正確に捉え巧みにまとめている。このような趣旨の論文を雑誌に発表した経過は、同論文自体が以下のように語っている。

自民党内で、「日本はスパイ天国であり、スパイ防止法を制定する必要がある」との議論が高まったのは、1980年1月の宮永元陸将補による防衛庁秘密文書漏えい事件。これを機に、党内に特別小委員会が設けられ、
同年4月に「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(第1次案)
82年7月に、第2次案
84年「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(第3次案)
85年6月、第3次案を第102通常国会に自民党案として提案したが、
同年12月、103臨時国会で審議未了廃案。
86年5月、党総務会に「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(3次案に修正を施したもの)提案 激しい議論になる。
同年11月 谷垣・白川(勝彦)の起案で、計12名の議員が反対の1次意見書提出。
同年12月 谷垣・白川が詳細な逐条の2次反対意見書を提出。
87年4月 中央公論に論文と、両意見書を掲載

なお、連名した当時の12人の自民党議員たちは以下のとおり。
大島理森(衆)、太田誠一(衆)、熊谷弘(衆)、熊川次男(衆)、白川勝彦(衆)、杉浦正建(衆)、谷垣禎一(衆)、鳩山由紀夫(衆)、村上誠一郎(衆)、谷津義男(衆)、石井一二(衆)、佐藤栄佐久(参)

当ブログでも紹介したとおり、村上誠一郎議員だけは、今回の「秘密保護法案」に明確な反対意見を表明している。その首尾一貫した姿勢は賞賛に値する。もちろん、秘密の範囲を大きく広げたこと、精密な罰則規定を盛り込んで萎縮効果を狙っていること、適性評価の制度を新設したことなど、「特定秘密保護法」は、かつての「スパイ防止法」より格段に「悪く」なっている。谷垣議員や大島議員は、態度を変えたことについて、説明の責任があろう。

それにしても、87年の谷垣論文は、いま参考にすべき点を多々含むものとなっている。少し、重要部分を抜き書きしてみる。

「国民が国政に関する情報にアクセスすることは自由であることが原則なのだ。」「(防衛秘密は)あくまで原則に対する例外であるから、何でも秘密だというのでは、自由の原則が崩れてしまう。例外の認定は限定的でなければならないのだ。まして刑罰で秘密を守ろうという場合は、よくよく絞りをかけておかないと人の活動をいたずらに萎縮させることになりかねない」「しかし、秘密は例外であり、例外の認定は限定的でなければならないという考え方は、現在のスパイ防止法のとるところではない」

「この法案については、ジャーナリストの取材活動への制約や一般人にまで処罰が及ぶことへの警戒が語られるが、自由であるべき政治活動が制約され、萎縮するのではないかという点も私は危惧する」

「多くの人が、この法案の犯罪構成要件の絞りが十分でないと指摘している…。このような批判に対しては、運用のよろしきと判例による絞りによってこの難点を解消できるという人がある。しかし、どんな行為が処罰されるかは判決が出るまでわからないというのであれば、人は『ヤバいかも知れない』と思った途端にその行動を(本来許されている行為かも知れないのに)トーン・ダウンさせるであろう。このような萎縮効果の積み重ねこそが、自由な社会にとって一番問題なのである」

「(処罰の対象とされている)情報収集活動については、それが本来国民の自由な活動に属すべきことがらであるから、特に違法性の高い行為=本来のスパイ活動に限定して処罰規定を設けるべきだと考える」

以上の記述の「スパイ防止法」を「特定秘密保護法」に置き換えれば、そのまま中央公論の来月号の記事になる。その言やまことによし、である。とりわけ、スパイ防止法案を、「このような発想でつくられた法案が、国家による情報統制法の色彩を持つことを避けられない」との記述は、さすがにリベラル派ならではのもの。

「いまになって、態度を変えて怪しからん」と論難しても詮方なきこと。しかし、谷垣さん、あなたの良心にお願いしたい。この法案は、そもそも立法事実に欠けている。少なくとも、この法律を早期に成立させなければならない理由は皆無である。性急な審議の促進にも、審議未了の打ち切りにも、一片の道理もない。この法案のもつ意味の重大性にふさわしく、十分な時間をかけて論議を徹底していただきたい。かつてはあなた自身も指摘したとおり、問題点は数え切れないほどある。十分に審議を尽くすなかで、国民の十分な理解に基づく賛否の意見分布を見極めていただきたい。それこそが、「わが国が自由と民主主義にもとづく国家体制を前提とする限りの大原則」ではないか。法案の問題点を、国民の目から隠すための審議の打ち切りなどは、絶対にあってはならない。
(2013年11月16日)

維新・みんなの両党に申し上げるーここは踏みとどまっていただきたい。

まずは率直に申しあげる。このところの維新の衰退、みんなの伸び悩みの原因は明らかだ。「第3極」としての存在感を失ったから。つまりは、有権者の目に、自民の補完勢力としてしか映らなくなったからではないか。

いま、その有権者が、今国会での最大対決法案の審議の行方を見守っている。各党の動向は、主権者の監視のなかで検証に晒されているのだ。維新・みんなの両党に真率に申し上げたい。「やはり、自民党の補完勢力じゃないか」「所詮は自民党の別働隊でしかなかったのか」と、国民に烙印を押されるようなことがないようにお願いしたい。

自民党と妥協し法案修正に手を貸し、問題満載のこの法案の審議を打ち切って、特定秘密保護法制定に一役果たすとすれば、歴史に悪名を残す間もなく、有権者から見捨てられて消滅することになりかねない。にもかかわらず、自民党に「貸しをつくる」つもりだというのなら、状況の読み違えも甚だしい。

国民は法案の危険性について急速に理解を深めつつある。廃案を求める国民世論は飛躍的に盛りあがりつつある。パブコメを見よ、各紙の世論調査の変化を見よ。メディアも到底黙殺し得ず、ここに来て叛骨のジャーナリストの本領発揮の発言が目立つようになっている。明らかに、廃案を求める潮流が、与党と政権を圧倒しつつある。自・公は、国会の中では多数でも、この問題では国民世論に孤立しつつあるではないか。

だからこそ、安倍政権と自・公の与党は焦りを見せて、審議の打ち切りを強行しようとしている。しかし、今までこの法律なくて誰も何の痛痒も感じていない。多くの反対声明の真っ先に、「そもそも立法事実がない」(わざわざ刑罰権を発動して禁止の法律を作るべき根拠たる事実がない)、「立法の必要性を欠いている」と指摘されているとおりである。だから促進側は、せいぜいが「これまでなかったことが不自然」程度のことしか言えないのだ。早期成立にも、審議促進にも一点の道理もない。数々の疑問点について審議を尽くすべきことこそ、民主々義の要諦。審議の日程を切り詰め、ことさらに進行を急いで、強行採決をたくらむことは、国民からの非難を浴びるだけ。あえて、その非難の矢面に立つべく、自・公に追随するなど愚かなことではないか。

考えても見よ。両党とも、官僚支配打破が旗印のはずではなかったか。法案が成立した場合には、発足段階で40万件と言われる特定秘密の指定は政治家にできることではない、官僚が行うのだ。秘密の管理も、秘密の解除も、実は官僚が行う。官僚が自分に不都合な情報を秘密指定することはたやすいこと。古来、情報を掌握する者が実質において権力者となる。特定秘密として握った情報は、行政の透明性の要請からも、説明責任からも除外される。そして、小出しの情報で国政を誘導できる。特定秘密保護法の制定とは、官僚の権力掌握の源泉をつくってやることではないか。「強行採決色を薄めたい与党の演出に使われるような修正に応じるようなことがあれば、その姿勢の真偽すら問われよう」との常識的な指摘にどう反論できるというのか。

この法案は、稀代の悪法と言うほかない。「良い面も悪い面もある」などという生やさしいものではない。「国民主権を尊重する立ち場からの、行政情報透明性確保の要請」と「行政の便宜を第一義とする立ち場からの、行政が秘匿を欲する情報の国民への秘密確保の要請」の厳しい相克において、行政情報の透明性を廃して、露骨に秘密保護に偏重しているのが基本構造の正体。これは、国民からの監視を避けて行政の恣意を可能とする。その結果として、時の政権の思惑で政治を誘導できることになる。そのことが「新しい戦前」をつくる時代の転換点ともなりかねない。安倍内閣の危険なホンネを忖度すれば、背筋が寒くなる。

「平和を指向するのか戦争をできるようにするのか」「人権を伸長するのか、切り詰めるのか」「民主々義を増進するのか形骸化するのか」「議会制民主々義を発展させるのか、その危機をもたらすのか」「国民の知る権利を尊重するのか、ないがしろにするのか」「罪刑法定主義を擁護するのか放擲するのか」「戦前のごとき公安警察の復活を許すのか、許さないのか」…。特定秘密保護法案は、あらゆる問題において、良い方向へのベクトルをまったく持たない。どこをどう切り取っても、危険な悪法にしかならないのだ。

もうひとつ指摘しておきたい。「小さく産んで大きく育てる」という言葉がある。自・公は、最悪の場合はこの立場を取ろうとしているのだ。つまりは、「大きく産むこと」が困難ならば、小さくともまず産むことが大切、という考え方だ。いったん産みおとすまでが一苦労。あとは、気長に大きく育てればよい。治安維持法も軍機保護法も「小さく生まれて、大きく凶暴に育った」。 あの手口を学んでみようとしているのだ。

治安維持法は、1925年に「小さく」生まれた。但し、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」と、天皇制を変革し資本主義を否定する思想を処罰する、その基本枠組みはしっかりと持つものだった。
これが、1928年と1941年の2度にわたって大改正されて、「とてつもなく大きく」育った。条文が全7ヶ条だったものが全65ヶ条になっただけでなく、処罰範囲も拡がり、極端なまでに重罰化され、特別の刑事訴訟手続までが法定された。

軍機保護法も同じ。1899年に制定されたが、戦時色が強くなった1937年に全面改正され、さらに太平洋戦争開戦直前の1941年にも改正されて完成体となっている。軍事機密を防衛するために、一般人も処罰対象にし、報道の自由を圧殺した。今次の特定秘密保護法案と基本構造を同じくするものだ。

国民弾圧法規としての危険な本質は修正によっても変わらない。「修正させた」ことは何の手柄にもならない。「法案成立に手を貸した」ことの汚名と国民からの批判を覚悟しなければならない。だから、重ねて、維新・みんなの両党に申し上げる。ここは踏みとどまってもらわねばならない。法案の修正に応じて自・公に妥協するのではなく、あくまで廃案の姿勢を貫いていただきたい。監視している国民の期待に応え、批判に耐えうる態度を貫いていただきたい。
(2013年11月15日)

 *************************************************************************本日、日弁連から下記のメールが届いた。ご紹介しておきたい。

  ◇◇◇◇ JFBA通信 No.135(通算No.222) ◇◇◇◇
   2013.11.15発行
  日本弁護士連合会 広報室

☆。..:*゜「STOP!『秘密保護法』11.21大集会」へご参加ください *:..。☆
日弁連は、「STOP!『秘密保護法』11.21大集会実行委員会」主催の集会の後援をしています。奮ってご参加ください。
 日時:11月21日(木)18時30分開会 19時30分国会請願デモ
 会場:日比谷野外音楽堂
 詳細はこちら。 http://www.himituho.com/

民主党の混沌ー特定秘密保護法案への対応 

特定秘密保護法案の成否に大きく関わるものとして民主党の動向が注目されている。反対を貫くのか、自民党との妥協策に走るのか。

「毎日」の13日朝刊トップが「特定秘密保護法案 民主反対へ 修正協議応じず」と打ち、大きく耳目を集めた。そして、「北海道新聞」が続いて、同日の夕刊1面で、「民主 秘密保護法案反対へ 自公は維新と修正協議」と記事を出した。

「毎日」の記事のキモは、「民主党幹部は12日、毎日新聞の取材に、海江田万里代表ら党執行部が11日に同法案に反対で臨む方針を確認したことを明らかにしたうえで『採決で反対するだけか、対案を出すかはまだ決めていない』と説明した」というもの。

道新は、「民主党幹部は同日、仮に与党側との修正協議を行っても、大幅な内容変更は困難との見通しを示した上で『一部を修正した程度で法案に賛成すれば、民主党の存在意義がなくなる』と述べた」「国会審議で秘密指定が妥当かどうか検証できないなどの問題点が明らかになったことに加え、同法案に対する世論も厳しいため、海江田万里代表ら党執行部が反対に傾いた」としている。

ところが、13日付の民主党ホームページの記載内容は、すこし様子が違う。同党「広報委員会」名の発表は、タイトルを「特定秘密保護法案に関する一部報道に『事実と違うもの』と抗議 松原国対委員長」としている。毎日や道新の報道を真っ向否定するのではないが、「法案に反対とは言われたくない」との態度がありあり。自民との協議の余地も残しておきたいとの腹と読める。内部での意見の不一致が解消されていないということなのだろう。続いて次のように述べている。

「民主党は13日昼、国会対策役員・理事合同会議を開いた。松原仁国会対策委員長は冒頭のあいさつで、特定秘密保護法案に関し、『民主党が与党との修正協議には入らず反対する方針を固めた』とする同日の一部報道を取り上げ、…『事実と違うもの』だと抗議の意を表した。これに関連し、国家安全保障特別委員会では、特定秘密保護法案と情報公開法改正案の審議が本格化していると述べ、さらに議論を深めていくとした」というもの。

また、同党ホームページに、「役員会で『特定秘密の保護に関する法律案』に関する論点整理(メモ)を提示」とも掲載されている。「同メモは、政府案についての問題点を50項目にわたって整理したもの」「民主党としては修正案か対案を準備する方向だ」「国会審議のなかで、いろいろ問題点が浮かび上がってきた。答弁はまだまだ不十分だ」「与党にも窓は開いている」‥。

以上の記事を読んでもなにが方針かは分からない。要するに、方針は混沌としているとしか言いようがないのだろう。

ところで、「50項目の論点整理(メモ)」は、昨日来、民主党ホームページからダウンロードできる。A4・8ページの分量だが、結構な読みごたえがある。

たとえば、「『秘密保護法』制定の必要性」と標題された、冒頭の3項目は以下のとおり。

(なぜ新規立法が必要なのか)
○現在の国家公務員法、自衛隊法などの秘密保護法制では、どこがどのように問題なのか。「防衛秘密」、「特別防衛秘密」などの制度で対応できるのではないか。なぜ現行法では駄目で、新規立法が必要なのか。現行法の見直しで対応することは政府として検討したのか。

(立法の目的に合致するのか)
○政府は、外国の情報機関からの情報提供を受けるとともに共有するために必要と説明している。そもそも米国など外国からの要請がどこまでのものなのか。本法律によって外国の情報機関が情報提供・共有をするという確証はあるのか。その理由は何か。

(肝心な運用はすべて政令にゆだねられ、政府の都合で運用されるおそれ。)
○本法案は、以下のように、「特定秘密」の範囲および指定、管理や有効期限、指定者や適正評価、「知る権利」、刑罰対象行為などで、数多くの曖昧な点がある。しかし、これらの統一的な運用を図るために必要な基準は、有識者の意見を聞くものの、すべて政令に委ねられ(第18条、第20条)、政府が定めて運用することになっている。これでは、時の権力の恣意性によらない民主的で公正な運用を保障することができないのではないか。基準とともに、実際の運用についても、国会が関与して国民の監視ができるような仕組みを検討する必要があるのではないか。

以上の3項目の「徹底追及」「徹底解明」が、今月中に審議できようとはとても考えがたい。50項目全部となればなおさらのこと。この50項目のホームページでの公表を根拠に、「徹底審議を通じて廃案に追い込む姿勢」と見ることもできようし、「与党にも窓は開いている」と「自民党との妥協を探る姿勢」を見ることもできる。

私の理解だが、民主党内にも意見はさまざまなのだろう。この混沌がどう収束するかは、今のところ予断を許さない。毎日も道新も、民主党が反対に転じた理由として「同法案に対する世論の厳しい反応」を挙げている。もしかしたら、まだ「世論の厳しさ」の伝わり方が十分ではないのかも知れない。

そこで、やはり11月21日(木)午後6時半の STOP!「秘密保護法」11・21大集会が大きな意味をもつことになりそう。この集会が法案審議の帰趨を決めることになるかも知れない。

同集会には、日弁連が後援することが正式に決まった。山岸憲司会長が登壇して挨拶することになるだろう。私も万余の群衆の一人として参加する。その数を、その声を、その力を、与野党にも政府にも見せつけよう。そして、民主党を励まそうではないか。
(2013年11月14日)

STOP!「秘密保護法」11・21大集会へ!

お互い、仕事は忙しい。
プライベートの時間も惜しい。
夜は寒いし、からだもきつい。
それでも、21日だけは都合をつけて、
日比谷に行こう。
日比谷野音の大集会に。

俺があがいてどうなるものか。
文句はあるけど、おっくうだ。
ウチでのんびりしていたい。
それでもこの日は時間を割いて、
日比谷に行こう。
日比谷野音の大集会に。

それは秘密だ知ってはならぬ。
知ろうとすれば厳罰だ。
何がヒミツか、それさえヒミツ。
何も見えない、聞こえない。
真っ暗闇の危ない世界。
どこへ引かれて行くのやら。
アベノ独裁、まっぴらだ。

昔、大人に言ったっけ。
 どうして戦争しちゃったの。
 どうして戦争止めなかったの。
 どうして抵抗しなかった。
今に、子どもに言われるぞ。
 どうして、あの日に日比谷に行かなかったの。

今のうちならまだ間に合う。
今のうちなら、文句が言える。
今ならこその大集会。
その今だから、日比谷に行こう。
日比谷野音の大集会に。

みんなが風と日和を読みながら、
お互い時流を眺めてる。
一人ひとりが寄り集って、
万余の数となるならば、
万余のシュプレヒコールが響き合う。
声は届くぞ、与野党に。
アベノ耳にも突き刺さる。

大群衆の情熱で、風が起こるし、流れができる。
日和を見ていた風見鶏、きっと慌てて向き変える。

「今こそ声をあげよう!11・21大集会」へ!
STOP!「秘密保護法」11・21大集会へ!
11月21日(木)午後6時半
日比谷野外音楽堂へ そしてその後のデモ行進に。
東京以外の各地でも、同じ時間の大集会に。

幟があったら幟をもって
幟がなければ、プラカードつくり、
それもなければ手ぶらでも。

仲間があれば連れだって、
仲間がなければ誰かを誘い、
それもなければ一人でも。

時間があったら最後まで、
時間がなければちょっとだけ。
ともかく行こう。この日だけは。

割いた時間は無駄にはならぬ。
一人ひとりのその声が、
 悪法退治の主役となって、
 民主々義をつくり出す。
 平和な社会をつくり出す。
 揺るぎない新たな歴史をつくり出す。

21日は日比谷に行こう。
日比谷野音の大集会に。
(2013年11月13日)

特定秘密保護法案ー反対世論は沸騰しつつある

本日(11月12日)の「毎日」は、一面トップに「特定秘密保護法案『反対』59%」の大見出し。これに「審議『慎重に』75%」と続いている。同紙が11月9、10両日に実施した世論調査の結果だ。心なし、誇らしげな紙面。

「毎日」は、特定秘密保護法案賛否の世論調査結果を10月4日にも発表している。その前回調査結果へのブーイングを同日付の当ブログで取りあげた。
  https://article9.jp/wordpress/?p=1286
10月冒頭の前回調査では、特定秘密保護法「必要でない」は15%に過ぎず、「必要だ」が57%を占めた。同じ「毎日」が本日発表した調査結果は、賛否の数値が劇的に逆転している。秘密保護法案「反対」59%、「賛成」29%である。質問事項が精密になったこともあるが、明らかに世論はこの1か月で大きく動いた。「毎日」自身が、「国会審議などで法案の問題点が明らかになりつつあり、世論の慎重論につながったとみられる」と解説している。いっそうの宣伝活動を強めることによって、反対世論はさらに大きくなる。もうすぐ廃案に手が届く。その確かな手応えが感じられる。

毎日の今回調査は、1か月前の前回調査と比較して詳細であり、質問項目も増えている。今国会での審議の在り方についての質問と回答は重要だ。結果は、以下のとおり。
  「今の国会で成立させるべきだ」   8%
  「今国会にこだわらない慎重審議」 75%
  「廃案にすべきだ」           11%
解説は、「(合わせて)86%が会期内成立に否定的」。しかも、「安倍内閣を支持する層では「慎重審議」は81%とさらに上昇し、自民支持層でも79%に達した。法案に賛成する層でも「慎重審議」は76%を占めている」としている。当ブログで「風向きが変り始めた」と紹介した共同通信の調査結果(10月28日)と符節が合っている。

さらに興味深いのは、「法案成立後、政府が都合の悪い情報を隠すおそれがあると思うかどうかを尋ねたところ、「思う」が85%を占め、政府の「情報隠し」への懸念が強いことを裏付けた」ということ。これは心強い。政府を信頼できないとする世論が85%で、「思わない」という頑固な政府信頼派の10%は除くとしても、この法案反対には9割の国民の声を揃えることが可能だとの示唆ではないか。

なお、「毎日」は、本日も「秘密保護法法案を問う」シリーズの社説第6弾を掲載している。「歴史研究」について「検証の手立てを失う」というもの。締めくくりが、「歴史研究が妨げられることは単に専門家たちの問題ではない。研究の積み重ねが、やがて教科書にも生かされ、国民全体に共有されていく。現代の専門家が困ることは、未来の国民が困ることにつながる」と、さすがに説得力がある。

「朝日」も本日の紙面で世論調査の結果を公表した。ここでも、次のとおり「反対」が「賛成」を上回っている。

特定秘密保護法案の賛否について聞いたところ、
  「賛成」は30%で、
  「反対」の42%の方が多かった。
  「その他・答えない」は28%だった。

また、特定秘密保護法ができることで、秘密情報の範囲が広がっていく不安をどの程度感じるか、4択で尋ねると、「感じる」と答えた人は「大いに」19%、「ある程度」49%を合わせて68%にのぼった。「あまり感じない」は22%で、「まったく感じない」は5%だった。

本日は朝日も社説を書いている。「秘密保護法案 極秘が支えた安全神話」というもの。16年前に朝日が入手して報じた「原発テロ対策」から話しを始め、「原発の安全神話を支えたのは、秘密をつくりたがる官僚体質と、それを許した政府の不作為ではなかったか」と問題を提起している。これも肯ける。

その朝日に、「週刊朝日」の広告。その中に、「本誌は特定秘密保護法に反対します」との宣言文があって「運命の人 西山太吉氏の警告」の記事が掲載されている。これは良い。私も、「当法律事務所は特定秘密保護法に反対します」と宣言しよう。多くの人に続いてもらいたい。

また、各紙が、昨日(11日)なされた、テレビ番組に出演しているキャスターやジャーナリスト8人の記者会見と反対声明を大きく報じている。自発的に集まったという8人は、鳥越俊太郎、金平茂紀、田勢康弘、田原総一朗、岸井成格、川村晃司、青木理、大谷昭宏。これに、赤江珠緒、吉永みち子も名を連ねているという。この顔ぶれは凄い。どう凄いかはともかく、新聞を読まないテレビ族に影響は大きい。

この件を報じた「東京」は、「国家のヒミツ『息苦しく非民主的』ジャーナリスト会見」と見出を打った。
「田原さんは『秘密をチェックする機関もなく、内閣の承認で永遠に情報公開されない。こんなばかばかしい法律があってはならない』と厳しく批判した」「会見では秘密の範囲のあいまいさなどに不安の声が噴出。田勢康弘さんは『いつの時代も政府は拡大解釈し、隠し、ウソをつく。これを前提に考えるべきだ。これほど危ない法案はない』と述べた」「川村晃司さんは『正当な取材なら罪に問わないというが、正当かどうかを決めるのは国。メディア規制の法案だ』と指摘し、報道する側の萎縮効果を懸念した」「声明は『秘密の多い国家は息苦しく、非民主的。特定秘密保護法案の法制化を黙視できない』としている。声明に同調するが、名前を出せないというテレビ関係者もいるといい、金平茂紀さんは『この息苦しさこそ秘密保護法の本質。修正ではなく、廃案にすべきだ』と主張した」と報じている。

さらに、各紙が日本外国特派員協会(東京都千代田区)の、昨日(11日)付けの声明発表を報じている。日本外国特派員協会(東京都千代田区)とは、日本で取材する外国報道機関の特派員の団体で、約2千人が所属しているという。その特派員たちが日本の国会議員にもの申すのは、極めて異例のこと。日本で取材活動をする外国人記者にとって、他人事ではなく、自らの職業的使命に抵触し、場合によっては逮捕・起訴の危険を感じざるをえないということなのだ。

赤旗の報道は以下のとおり。要約しようと思ったが、ハサミを入れがたい。赤旗を講読していない方はぜひ目をお通しいただきたい。

日本外国特派員協会(ルーシー・バーミンガム会長)は11日、日本の国会議員にたいし、「『特定秘密保護法案』は報道の自由および民主主義の根本を脅かす悪法であり、撤回、または大幅修正を勧告する」とした会長名の声明を発表しました。

声明は、同法案に「強い懸念を持っている」と表明。その理由として、記者を起訴と懲役刑の対象にしかねない条文と、それに準ずる一部与党議員の発言をあげています。

 また、「政府と政治家の活動に関する秘密を明らかにして、国民に知らせることが調査報道の真髄だ」と述べ、「調査報道は犯罪行為ではなく、むしろ民主主義の抑制と均衡のシステムに不可欠な役割を果たしている」と強調しています。

 声明は、法案の条文では「報道の自由」が憲法上の権利ではなく、「政府高官が、『充分な配慮を示すべき』案件にすぎなくなっていることを示唆している」と指摘。ジャーナリストへの脅し文句も含まれ、「これは報道メディアに対する直接的な威嚇であり、個別のケースにおいて許せないほどに拡大解釈ができる」「政府・官僚が存分にジャーナリストを起訴できるよう、お墨付きを与えることになる」と批判しています。

 その上で、同法案の全面的な撤回または、「将来の日本の民主主義と報道活動への脅威をなくすような大幅な改定」を求めています。

以上のとおり、特定秘密保護法案に対する反対世論は沸騰し始めている。しかし、与党と安倍政権とは、反対世論の盛り上がりを恐れて、審理の打ち切りと早期の強行採決に持ち込むおそれがある。「自民党国対幹部は、『21日までに参院に送付する』と述べ、会期内成立の方針に変わりはないことを強調した」というのが、現在報じられている政府与党の審議予定状況。

11月21日(木)夕刻には、特定秘密保護法反対陣営総決起の日比谷野音大集会とデモ行進が予定されている。それまでの10日間に、どれだけの世論形成ができるか、時間との勝負の様相だ。
(2013年11月12日)

「STOP! 秘密保護法共同行動」の街頭宣伝活動で

ご紹介いただきました日本民主法律家協会の澤藤です。有楽町をご通行の皆様、ぜひ耳をお貸しください。私は、特定秘密保護法の成立は議会制民主々義の危機だと申し上げたい。なんの誇張でもない、正真正銘の民主々義の危機。そのような意味で、この法案は稀代の悪法というにふさわしい。

先程から何人もの弁士が語っているとおり、特定秘密保護法とは「行政機関の長(各省大臣等)が国民に知らせてはならないとする情報を特定秘密に指定してこれを国民の目の届かないところに隠蔽し、この情報を国民に知らせようとする者に重罰を科す」という基本構造をもった法律です。国民の目と耳を塞ぎ、主権者である国民の知る権利をないがしろにするもの。そのことによって、国民が正確な情報に基づいて自分の意見を形成して政治に参加するという、民主々義の根本を堀崩すものとならざるをえません。

当然のことながら、「知る権利を侵害される国民」の中には国会議員もふくまれます。国会議員も、正確な情報に基づいて意見を形成して国会審議に参加するという、国民から付託された使命を全うすることができなくなります。本来国会は国権の最高機関であって行政府には優位に立ちます。国政調査権を行使して行政を監督すべき立ち場にあります。ところが、特定秘密保護法が成立すれば、知る権利を侵害された国会は最高機関としての役割を果たせなくなります。国会の使命として最も重要な、戦争と平和、国際協調や外交の問題について、行政機関の長が許可した範囲の情報しか入手できないことになるからです。

戦前には、民主々義は存在しませんでした。立法権は天皇にあり、貴衆両院からなる帝国議会は天皇の「協賛機関」に過ぎませんでした。国民は、敗戦という高価な代償をもって日本国憲法を獲得し、その中に国民主権原理という大事な柱を据え付けました。国会は国権の最高機関として、行政の暴走への十分な監視監督ができなくてはなりません。

条文を引用すれば、憲法62条は「両議院は各々国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と各院の国政調査権を定めています。これを承けた国会法や議院証言法は、政府が国会への報告の義務を負うこと、求められた証言や資料提出の義務を定めています。どうしても義務を履行できない場合には、「国家の重大な利益に悪影響を及ぼす」との声明を内閣が出さなければなりません。

ところが、特定秘密保護法案は、国会と行政の立ち場を行政優位に逆転します。これでは、国会は行政の暴走をチェックすることができません。これが、議会制民主々義の危機という理由です。

特定秘密保護法案では、国会が行政に求めた情報の提供について、それが特定秘密にあたる場合には、行政機関の長が「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき」にだけ国会の要求に応じればよいことにされています。つまりは、諾否の権限を行政の側が握っているのです。しかも、行政機関の長が国会に特定秘密を提供する場合にも、国会は非公開の秘密会でなくてはならないのです。主権者である傍聴人も、国民の知る権利に奉仕すべき立ち場にあるメディアの記者たちも閉め出した密室での「特定秘密のこっそり提供」なのです。

まだ先があります。秘密会で提供された特定秘密を知った国会議員が、これを政党の幹部に報告しても、仲間との政策議論の場で口にしても、あるいは調査依頼のために政策秘書に漏らしても、最高刑懲役5年の犯罪なのです。その議員に働きかけて情報を得て、記事を書こうとした気骨ある記者も処罰対象となります。

かくも厳重に秘匿される「特定秘密」とはなんでしょうか。「安全保障にかかわる情報で、4分野(外交・防衛・スパイ・テロ)の法律列挙事項に関する、特に秘匿を要するもの」というのです。外交問題にしても防衛事項にしても、主権者である国民が最も知ることを望み、最も知らねばならないものです。このような特定秘密の指定件数は、法が成立すればまず40万件を超えると言われています。

内容が重要でしかも厖大な秘密情報。それが隠蔽されたままでは、平和を守り戦争を防止するための国会審議はまったくできません。日米間に密約はないのか、非核3原則は守られているのか、日本に寄港している核艦船に放射線漏えいはないのか、オスプレイの構造上の欠陥はないのか、国内原発の構造は安全なのか、TPPでは主権が売り渡されているのではないか、自衛隊も公安調査庁も警察も平和を求める市民団体の監視を行っているのではないか、国民のプラバシー侵害を行っているのではないか‥、幾多の重要問題が秘密にされ国会の審議は形骸化してしまいます。しかも、「何が秘密かはヒミツ」なのですから、時の政権に不都合な情報が特定秘密に紛れ込むことは大いにあり得るところです。

特定秘密保護法は、国会の権威、国会の権限を貶めるものです。国会に対する行政優位、実質的には官僚優位をもたらし、議会制民主々義の危機を招くものです。保守も革新もなく、国民からの付託を受けた国会議員が、自らの使命や権能の失墜をもたらす法案に賛成することが理解できません。民主々義を大切に思う多くの人々の力を結集してこの法案を廃案に追い込もうではありませんか。
(2013年11月11日)

ようやくエンジンがかかってきたー「毎日」を評価する。

11月7日に特定秘密保護法案が衆議院で審議入りした。その翌日(8日)の各紙は、明確な反対の論調で充実した紙面を構成した。朝・毎・東京の各紙が、一面トップで取り上げ、政治面だけでなく社会面でも、解説記事としても総力をあげている。また、各紙各様に渾身の社説を掲載している。日本のジャーナリズムいまだ健在。ようやくエンジンがかかってきたの感がある。願わくは、廃案までのこの論調とテンションの持続を。もっとも、「読売」だけの読者は、社会に重要な事件が起きていることをまったく知らないで過ごしているのではないか。結局は、大新聞が時の政権の民主々義破壊に手を貸しているということ。その影響や恐るべしである。

「朝日」の8日付社説は、「市民の自由をむしばむ」と標題されたもの。「米軍基地や原子力発電所などにかかわる情報を得ようとだれかと話し合っただけでも一般市民が処罰されかねない。社会全体にそんな不自由や緊張をもたらす危うさをはらんでいる」「その指摘はけっして杞憂ではない。この法案に賛成することはできない」「特定秘密保護法案はまず取り下げる。真っ先に政府がやるべきは、情報公開法や公文書管理法の中身を充実させることだ」と言っている。

「東京」の8日付社説は、タイトルに「廃案」の2文字をいれている。「特定秘密保護法案 議員の良識で廃案へ」というもの。
「秘密に該当しない情報さえ、恣意的に封殺しうるのが、この法案である。行政機関の「長」が「秘密」というワッペンを貼れば、国民から秘匿できるのだ」「何より深刻なのは国会議員さえ処罰し、言論を封じ込めることだ。特定秘密については、国政調査権も及ばない。行政権のみが強くなってしまう。重要な安全保障政策について、議論が不可能になる国会とはいったい何だろう。議員こそ危機感を持ち、与野党を問わず、反対に立つべきだ」「三権分立の原理が働かないうえ、平和主義や基本的人権も侵害されうる。憲法原理を踏み越えた法案である」と、まことに明快。そして、法案への批判の姿勢がまことに手厳しい。

そして、「毎日」である。8日付社説のタイトルは「秘密保護法案を問う 重ねて廃案を求める」というもの。「重ねて」というとおり、毎日は連日以下のとおりの「秘密保護法案を問う」シリーズの社説を掲げて、警鐘を鳴らしている。
 11月5日「秘密保護法案を問う 国民の知る権利」
 11月6日「秘密保護法案を問う 国の情報公開」
 11月7日「秘密保護法案を問う 国政調査権」

シリーズ第4弾となる11月8日の社説は、タイトルに「廃案を求める」と明記した。「この法案は、憲法の基本原理である国民主権や基本的人権を侵害する恐れがある。憲法で国権の最高機関と位置づけられた国会が、「特定秘密」の指定・更新を一手に行う行政をチェックできない。訴追された国民が適正な刑事手続きを受けられない可能性も残る。憲法で保障された「表現の自由」に支えられる国民の「知る権利」も損なわれる」「7日の審議でも根本的な法案への疑問に明快な答弁はなかった。法案には反対だ。重ねて廃案を求める」と明快だ。さらに、「法案概要が公表されたのは9月である。今から議論を始めてこの国会で成立を図ろうとすること自体、土台無理な話だ」という指摘も。まことに真っ当な内容。

そして、毎日は本日(11月10日)シリーズ第5弾の社説を掲出した。「秘密保護法案を問う テロ・スパイ捜査」である。
「そもそも、テロ・スパイ活動防止のために特定秘密の指定が不可欠なのか」と疑問を呈し、「特定秘密を隠れみのに、公安捜査が暴走し、歯止めが利かなくなる恐れはないか。そちらの方が心配だ」「(2010年に流出した)警視庁公安部の国際テロ捜査に関する内部資料には、在日イスラム教徒や捜査協力者約1000人分の名前や住所、顔写真、交友関係などの個人情報も含まれていた。問題なのは、こうして集められた個人情報にテロとは無関係のものが多数含まれていたことだ。国際結婚したり、イスラム教徒だったりしただけでテロリストと結びつけられた例があった」「スパイ活動の防止にも同じことが言えるが、人を監視することによって得られる情報は、国民の人権やプライバシーと衝突する危険性をはらむ」という指摘である。ここには、権力は信頼できない、権力を信頼してはならない、というジャーナリストの本能が語られている。

また、本日の毎日8面の特集記事「特定秘密保護法案 成立したらー市民生活こうなる」に感心した。読者に訴える力がある。

タイトルのとおり、法成立後に起こりうる市民生活への影響を「三つのケース」で考察している。
 ケース1 原発の津波対策を調べる住民 「そそのかし」で有罪
 ケース2 オスプレイ計画を尋ねる議員 行政が裁量で情報秘匿
 ケース3 自衛官が内部告発、米の盗聴 内容の違法性問われず

よくできた想定なので、是非直接にお読みいただきたい。
http://mainichi.jp/shimen/news/m20131110ddm010010003000c.html

日下・青島・臺の「毎日」3記者に敬意を表したい。私たちも、これにならって、この法案が成立したら市民生活にどのような具体的影響が生じるのか、誰もがよく分かるような事例を積み上げていかねばならない。

本日の赤旗には、昨日(9日)札幌弁護士会が主催した秘密保護法に反対する市民集会に550人が参集したという記事が載っている。その集会での寸劇が好評だったとのこと。特定秘密保護法違反(特定秘密漏えいの教唆)で逮捕された記者の弁護活動が、秘密の壁に阻まれて‥という内容。

この危険な法案。何度「危険」を繰り返しても聞く人の耳にははいらない。どのように危険なのか、いったいどんなことが起こるのか。人権に、民主々義に、そして平和に、どのような影響が及ぶことになるのか。法案の内容を正確に押さえたうえで、訴える工夫を凝らしたい。
(2013年11月10日)

刑事司法制度が危ういー第44回司法制度研究集会

本日(11月9日)は、日本民主法律家協会の第44回司法制度研究集会。憲法の理念を正確に反映する司法をいかに構築するか。そのような問題意識で続けてきた集会の今年のテーマは、「徹底批判・『新時代の刑事司法制度』ー冤罪と捜査機関の暴走を防げるのか」というもの。このテーマを取りあげた理由は、実務を担った司法制度委員会が以下のとおりにまとめている。

法制審議会に「新時代の刑事司法制度特別部会」が設けられており、まもなく刑事司法改革についての最終案がとりまとめられる。これに基づく刑事訴訟法改正法案などが、来年の通常国会に提出される予定と言われている。その多岐にわたる内容は、「改革」どころか、被疑者・被告人の人権保障に逆行するだけでなく、犯罪捜査の枠を超えて市民生活を脅かす重大な危険を含んでいる。

そもそも「特別部会」は、2010年に発覚した大阪地検特捜部によるフロッピー改竄事件という重大な検察不祥事と、厚労省事件、布川事件、足利事件、志布志事件などの冤罪事件に対する深刻な反省を踏まえ、「検察の在り方検討会議」をへて、2011年に、取調偏重、供述調書偏重の刑事司法に対する抜本的改革案の法制化をめざすために発足したはずだった。

多くの国民は、「特別部会」の委員に、冤罪被害者である村木厚子厚労省元局長や、映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督が入ったこともあって、いよいよ取調べの全面可視化や検察官の手持ち証拠の全面的な開示など、刑事司法を透明化し、冤罪を防止できる法制度が実現するのではないかと期待している。ところが、2013年1月に発表された特別部会の「基本構想」は、特別部会での人権保障強化の意見をほとんど反映していない、国民の期待に完全に逆行するものとなっている。

例えば、被疑者取調べの録音・録画制度については「取調べや捜査の機能等に大きな支障が生じることのないような制度設計を行う必要がある」などとしてその対象範囲を「取調官の裁量に委ねる」案を提示している。事前の全面証拠開示は「被告人に虚偽の弁解を許すことになる」などとして検討課題にもしていない。取調べへの弁護人立会権は「取調べという供述収集手法の在り方を根本的に変質させてその機能を大幅に減退させる」ことを理由に否定している。あからさまに捜査権限の維持を最優先にし、冤罪防止や人権保障の方向で刑事司法改革には著しく消極的な姿勢をみせている。

他方で、通信傍受の拡大、会話傍受の導入、司法取引、自白事件の簡易迅速処理、被告人の証言適格等々、警察・検察権限のさらなる強化と刑事裁判の簡易迅速化のための新たな制度作りを強く打ち出している。通信・会話傍受などは、犯罪捜査の枠を超えて濫用される危険もはらんでいる。

こうした「基本構想」とそれに続く「作業分科会」の中間報告に対しては、刑事法学者95名(9月10日現在)が批判の意見書をとりまとめており、マスコミにも一部批判的論調がみられるが、まだまだその内容が十分に知られていない。第44回司法制度研究集会では、このような法制審における議論の問題点・危険性を徹底的に検証・批判するとともに、真に必要な刑事司法改革とは何かについて、考え、議論する場としたい。

本日の集会の基調報告は、渕野貴生氏(立命館大学教授)による「法制審『新時代の刑事司法制度』を批判し、あるべき刑事司法改革を考える」
問題提起者として、大久保真紀氏(朝日新聞編集委員・元鹿児島総局デスク)「志布志事件における虚偽自白強要の実態」、客野美喜子氏(「なくせ冤罪!市民評議会」代表)「冤罪被害者と市民が要望する刑事司法改革」、泉澤章弁護士「新しい捜査手法の濫用の危険性」
そして、会場からの質疑・討論の発言が充実していた。
詳細は「法と民主主義」12月号の報告に譲るので、是非ご覧いただきたい。

集会の基調報告や各パネラーそして会場発言で印象に残ったことは、近年刑事司法の分野において、「人権よりは治安・秩序」「個人よりは国家・社会」という理念転換の風潮が著しいということ。訴訟における一審裁判官の職権主義、控訴審での事後審としての運用の厳格さ、再審についての明らかな方針転換。そして、立法や法改正の分野でも「法制審・新時代の刑事司法制度」である。底にあるものとしては、政府主導の「司法改革」路線以来一貫した傾向との見方もできるが、近年の変化は見落とせない。

パネラーのお一人から、「所詮権力というものはこういうものと切り捨てるだけでは、適切な改善策につながらない。治安や秩序、あるいは安全安心を求める国民世論の傾向を見なくてはならない」「この傾向への対応が必要ではないか」という発言があった。

そのとおりだと思う。治安・秩序弱体化のデマやプロパガンタの部分とは徹底して切り結び、実体を伴う部分に関してはその原因を解明する努力がが必要である。そのうえで、人権としての被疑者・被告人の権利の大切さを訴えなければならない。

また、「なによりも刑事司法における冤罪の実態や、冤罪の温床となっている取り調べの実態などの諸事実がほとんど国民に知らされていないことが問題で、これを具体的に知ってもらう努力をしなければならない。知ってもらうことによって人の意見は確実に変わる」との発言が説得力あるものだった。

自民党の改憲草案を見よ。「国民のうえに国家があり、国家が天皇を戴いている」という構図が政権与党によって臆面もなく語られるご時世である。国民の人権は、公序公益によっていかようにも切り縮められると公言されている。格差社会の進展がもたらす社会不安を逆手にとって、秩序・治安の強化や天皇の権威を持ちだしてのナショナリズムないしは共同体意識醸成による社会の再統一がはかられようとしているのだ。刑事法分野の「揺り戻し」も、その一分野なのだろう。

たまたま司研集会の会場に近い衆議院憲政記念館で「戦後日本の再出発特別展」を見た。充実した内容でお薦めしたい。期間は月末まで。特別展ではなく、常設展の展示の中に、1942年の翼賛選挙のポスターが目を惹いた。「自由は国を亡ぼす。推薦で行きませう」というもの。個人の尊厳や自由ではない、国家が大事。「天皇が大事。滅私奉公の大政翼賛会推薦候補に投票しましょう」というのだ。安倍政権が世を煽っている思想そのものではないか。この大政翼賛イデオロギーと闘わねばならないのだ。

もうひとつ、司研集会で印象に残ったこと。渕野さんが、会場からの質問に促されるかたちで、「理論と実務の架橋」というテーマで発言された。ひたすら理念を語り続けることが、研究者としての使命だという趣旨のもの。短期的には無力に見えても、必ず実務への影響を及ぼすことに繋がるものとの信念を感じさせられる発言だった。

研究者の問題提起は、実務家が真摯に受けとめなくてはならない。実務家が人権を擁護する活動をするには世論に支えられなければならない。法制審の危険な動きについても、まずは、法律家の任意団体や弁護士会が受けとめ取り上げ発信しなければならない。そして、マスメディアを通じて世論を形成し抵抗する現実の力を作りあげなければならない。

そのような運動の第一歩としての司研集会となったと思う。
(2013年11月9日)

山本太郎議員に、なにゆえの「厳重注意」なのか。

日本国憲法は103ヶ条から成る。9条(戦争の放棄)や13条(個人の尊重)、21条(表現の自由)、あるいは96条(改正手続)のような話題性満載の「花形」条文から、普段は目立たない「地味な」条文まで種々様々。58条2項などは、普段はその存在を忘れられている「地味派条文」の典型だろう。

憲法58条2項(議院規則・懲罰) 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

この規定に基づく除名決議は、過去に衆議院で1回だけという。それも、60年以上前の話。除名に至らない懲罰事例も参議院では前例がないのではないか。衆議院でもここ6年はないようだ。

ところが、はからずも参議院でこの条文を参照しなければならない事態が2件続いている。山本太郎議員と、アントニオ猪木議員についてである。

国会法は、憲法58条2項の「院内の秩序を乱した」に値する議員の行為を「懲罰事犯」と言っているが、何が懲罰事犯にあたるかの明示はない。ただ、その典型例として「正当な理由のない会議欠席」を挙げ、以下のとおり、一定の場合には議長が懲罰委員会に付託することとしている。

国会法124条 議員が正当な理由がなくて召集日から7日以内に召集に応じないため、又は正当な理由がなくて会議又は委員会に欠席したため、若しくは請暇の期限を過ぎたため、議長が、特に招状を発し、その招状を受け取つた日から7日以内に、なお、故なく出席しない者は、議長が、これを懲罰委員会に付する。

参議院規則も同様に、何が懲罰事犯にあたるかの明示はなく、国会法に加えて次の典型例を挙げている。まさしく、院内の秩序を保つための規定である。

参議院規則235条 議長の制止又は発言取消の命に従わない者に対しては、議長は、国会法第116条によりこれを処分する(発言禁止・退場)の外、なお、懲罰事犯として、これを懲罰委員会に付託することができる。
 委員長の制止又は発言取消の命に従わない者に対しては、委員長は、第51条によりこれを処分する(発言取り消し・発言禁止・退場)の外、なお、懲罰事犯として、これを議長に報告し処分を求めることができる。

また、懲罰の種類は次のとおり、国会法に定められている。
国会法第122条  懲罰は、左の通りとする。
 一  公開議場における戒告
 二  公開議場における陳謝
 三  一定期間の登院停止
 四  除名

懲罰に付すための手続も厳格である。もちろん、懲罰委員会が開催されなければならない。また、参議院規則では戒告の場合にも懲罰委員会が起草し、その報告書と共にこれを議長に提出することとなっている(参議院規則241条)。

さて、本日(11月8日)夕刊には、山本太郎議員に対する参議院の対応が報じられている。

同議員は10月31日に開かれた秋の園遊会で、天皇に手紙を手渡した。これが与野党の一部から「非常識だ」と批判され、岩城光英議運委員長の事情聴取を受けていた。

「毎日」の報道は以下のとおり。
「山崎正昭参院議長は8日、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参院議員(無所属)に対して厳重注意した上で皇室行事への出席を認めないとする処分を伝えた。同日午前の参院議院運営委員会理事会で決定した。自民党は山本氏に対し、皇室行事への出席自粛を求める方針だったが、より厳しい処分となった。」

「朝日」は以下のとおり。
「参院の山崎正昭議長は8日、山本太郎参院議員(無所属)を呼び、園遊会で天皇陛下に手紙を渡した行動について『参院の品位を落とすものだ。参院議員としての自覚を持ち、院の体面を汚さないよう肝に銘じて行動してほしい』と厳重注意し、今後は皇室行事への出席を認めないと伝えた。山崎議長は13日の本会議で山本氏への注意を報告する。」

どうやら、参院議長から山本議員に、「参院の品位を落とす」行為があったとして、「口頭厳重注意」と「皇室行事への出席を認めないとする処分」が通知された模様。いずれにしても、憲法58条2項に定められ、国会法や参院規則で具体化された懲罰ではない。「口頭厳重注意」という懲罰はなく、また定められた懲罰の手続を踏んでいないのだから明白なこと。これ以外のバッシングの手段がなかったということだろう。

しかし、「厳重注意」は、法定の懲罰ではないが、参院議長がその公的な資格においてする同議員の行為への否定的な評価である。謂わば、法定手続を僣脱した「戒告」にほかならない。参院議長に「懲罰ならざる懲罰」を言い渡す権限があるとは到底考えがたい。

権限の根拠として考え得るのは、「国会法第19条 各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する。」の中の、「議院の秩序を保持する」に付随する権限であろう。しかし、山本議員の行為は、院外でのものであり、「議院の秩序」には何の関係もない。この条文を根拠に、各院の議長が議員の院外の行為に介入できるとする先例としてはならない。

先に見たとおり、憲法58条2項は、「院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる」とする。「これ以外の場合には懲罰はできない」との反対解釈が成り立つ。院内の秩序に無関係な山本議員の行為について、議長が「懲罰同様の効果を有する厳重注意」を発する権限があるとする解釈は牽強付会と言わざるをえない。

厳重注意可能という解釈は、参院法制局のアドバイスによるものであろう。おそらくは、このアドバイスは、公務員の懲戒制度のアナロジーとしての発想によるもの。「法定されている公務員の懲戒は、戒告・減給・停職・免職の4種類だけ。しかし、戒告に至らない厳重注意や文書訓告などの、事実上の軽微な処分の発令が慣行化している。議長から議員に対しても同じことがいえるはず」という安易な類推である。選挙によって国民からの権限付託を受けた国会議員と院の議長との関係を、職務上の指揮命令に従うべき義務を負う一般職公務員とその上司との関係と同一視するもので、まことに乱暴な議論というほかはない。議長は、議員の上司ではない。一年生議員もベテランも、議員も議長も国民からの負託を受けている点で同等であって、差異はない。

そもそも、客として園遊会に招かれた国会議員が平穏に天皇に文書を渡すことが、なにゆえに「議院の秩序をみだす行為」たりうるのか、さらには、なにゆえ「参院の品位を落とすもの」であり、「院の体面を汚すもの」となりうるのか、理解を超えた認識である。バッシングの高まりを恐れて、天皇の権威を尊重するポーズをとって見せたというだけのことに過ぎない。

もっとも、山本議員にはこの点に抗議し争う意向はないごとくで、「『陛下に心労をお掛けした。猛省しなければならない』と謝罪の意向を示し『国権の最高機関の一員である自覚を深く持たなければいけないことを再認識した』と語った」と報道されている。この報道を前提としてでのことだが、この発言こそ議員としての不見識を露呈するもの。国民から付託を受けた国会議員たる者、自らの行為についての報告も釈明も謝罪も反省も、すべては国民に向かって行わねばならない。常に、国民に対して語りかけ、国民の声に耳を傾け、国民の理解を得、国民の利益のために行動すべきである。天皇に向けての謝罪と反省があって国民に向けてはなされていないことこそが、議員として猛省すべき点である。また、今回の行動の反省として「国権の最高機関の一員であることの再確認」というのも不適切。国会の最高機関性の在り方が問題なのではなく、国会議員として国民の代表であることの自覚の欠如が問題なのだ。

だがもしも、単なるバッシング以上に、右翼の暴力などによる具体的な危害の恐怖が伏在していたとすれば、問題はより深刻で、同議員には気の毒なことというほかはない。
(2013年11月8日)

「特定秘密保護法案」廃案の展望

谷内正太郎(やち しょうたろう)という元外務官僚が、突然に時の人となった。本日(11月7日)、衆院本会議を通過した国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案が参院でも可決されて成立すれば、政府がこの人を国家安全保障局の初代局長に充てる予定と報じられている。「内定」しているとの報道もある。現在は内閣官房参与となっているこの人、内閣法制局長官やNHK経営委員に続く、露骨な安倍身勝手人事(アベノヒイキ)の一環である。

この時の人が、11月4日都内のホテルで開かれたシンポジウムに出席した。もちろん、市民団体の学習会などではない。「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)が「安倍政権発足10か月?集団的自衛権と日本の防衛」をテーマに開催したもの。例の「ある日気がついたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」という麻生太郎の未曾有の発言が飛び出した、あの舞台なのだ。谷内氏のほか、自民党の佐藤正久前防衛政務官、田久保忠衛杏林大名誉教授なども出席したという。

この舞台で、彼は安倍政権が進める集団的自衛権行使容認に関して、「行使できるように憲法解釈を変更すべきだ」と訴え、「どこの国も集団的自衛権は保有しているし行使できる。実際に行使するかは政治判断、政策の問題だ。『地球の果てまで米国と一緒になって戦争をするのか』という議論があるが、ほとんどナンセンスだ」と述べたと報じられている。さすがに、「アベノヒイキ」に律儀な忠義ぶり。

さすがに、「集団的自衛権の行使を容認しても、地球の果てまで米国と一緒になって戦争をすることができるようにはならない」とウソは言えない。「憲法解釈の変更によって、地球の果てまで米国と一緒になって戦争をすることはできることになるが、当面そのような政策の選択はない」と言っているに過ぎないのだ。

私が注目したのは、これを報じる「毎日」の小さな記事。次のように言っている。
「谷内正太郎内閣官房参与は4日、東京都内で開かれたシンポジウムで、安倍政権が集団的自衛権の行使を容認する判断を来春以降に先送りした理由について『もっと広く国民に説明する必要がある』と述べ、与党の公明党の慎重姿勢に加え、世論調査での支持低迷があったとした。谷内氏は『集団的自衛権に肯定的な世論が多かったが、現実的な政治課題となったら、慎重論が増え、賛成派より反対派が多くなった』と説明。一方で、『個別のケースで質問すると、日本は集団的自衛権を行使した方がいいという回答が増える』と述べ、解釈変更に向けた環境作りとして、世論の理解を得るため努力を尽くしていく考えを強調した。解釈変更を判断する時期については『政権としてはタイミングは決めていないが、安倍晋三首相には強い思い入れがある』と述べるにとどめた。」

世論調査を分析して世論の動向を見きわめて、集団的自衛権の行使容認は現時点で軽々にはできないと判断している。政治家ならぬ官僚ですら、かくも世論の動向に敏感なのだ。彼らとて愚かではない。ひたすらに法案を通すことだけを至上の課題とはしていない。数を恃んでゴリ押しに法案を可決しても、世論のブーイングで内閣が危うくなるのでは、差し引きの計算が合わないこととなる。状況次第では、「集団的自衛権の行使容認の無期限先送り」という判断も十分にありうるということだ。

焦眉の課題となった特定秘密保護法案についても同じこと。NSC法案の衆議院採決では、自・公・民・維・みんなが賛成に回ったが、特定秘密保護法では同じようには行くまい。最新の共同通信の世論調査で、反対が過半数を超えている。反対運動の盛り上がりは急速である。さらに、マスコミ論調が明らかに変化している。世論が、議員や政党の動揺をさそい、国会内の雰囲気も変えつつある。結局は世論の動向次第で、自民党中枢は「ゴリ押ししてでも法案の成立を狙うべきか、それとも無理して大火傷をすることを避けるべきか」の選択をすることになる。議席の数だけで法案の成立が決まるというものではないのだ。

国家機密法を廃案とした1985年当時を思い出す。今回も稀代の悪法を廃案にする展望は開けつつある。
(2013年11月7日)

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