澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

同性婚容認と、日の丸・君が代強制

昨日フランス下院で同性カップルの結婚を認める法律が成立した。賛成331、反対225で可決と報じられている。もともと、同法案はオランド大統領の公約のひとつ、唐突な出来事ではない。

デンマークやオランダで、同性の結婚を認める法制度が成立したときは衝撃だったが、今や国単位では14か国目の立法。文明とは、かく伝播し、かく進歩するものか、という感慨がある。同性婚の容認は、寛容の文化の象徴にほかならない。

これに比して、社会の非寛容さを象徴するのが、我が国における「日の丸・君が代」の強制。本日午前10時から東京都教育委員会の定例会。ウェブサイトを覗くと、「東京都公立学校教員等の懲戒処分等について」と議案が掲記されている。ご丁寧に「非公開になることが見込まれます」との併記がある。

前例の通りに本日処分が出されると、10・23通達発出以来の累計処分者数は450名となる。なんと非寛容な国、非寛容な社会。息苦しさを拭えない。

文明諸国での同性婚合法化の趨勢は、人の生き方の多様性を相互に認めあうことが普遍的な価値であることの証左といえよう。そのことは、少数者の生き方に寛容であることと同義なのだ。世の圧倒的多数は、異性との結婚を望み異性間の夫婦で子を生み育てることを幸福とする価値観をもっている。しかし、圧倒的に少数とはいえ、同性をパートナーとして共に人生を過ごそうとする人が存在するならば、そのような人の価値観を尊重して、そのような生き方を容認する制度を整えるのが成熟した社会のあり方なのだ。少数者が生き易い寛容な社会は、すべての人に生き易い社会なのだから。

これに反して、愛国心を振りかざし国旗国歌を尊重すべきだとして、すべての教員に卒業式・入学式での国旗起立・国歌斉唱を徹底せずんば非ず、という非寛容な社会はまことに生きにくい。行政が、これが社会のオーソドックスと決め、これを受け容れがたいとする人を含めて全員に強制するのは、社会の非成熟の表れにほかならない。自分が自分であるための一人ひとりの生き方や価値観が認められない社会は、なんと生きにくい息苦しい社会であることか。

同性婚を認める国と、日の丸・君が代強制がまかりとおる国との対比は、そのまま人権や民主々義の成熟度の対比でもある。日本国憲法13条は、個人の尊厳の根拠条文として、先進文明諸国の憲法原則と遜色ないはずなのだが‥。

話題を変えて、もう一題。
  『根津神社つつじ祭り』
公園や街路でツツジがきれいに咲いている。やっぱり今年も根津神社に行ってきた。2000坪の曙の里(江戸時代にこう呼ばれていた)に100種3000株の色とりどりのツツジが植わっている。遠くから見ると、表面に赤やピンクや白の花をびっしり付けた、数え切れないほどの緑色のお椀が伏せてあるように見える。風情には欠けるけれど、人工的で、整然として、くっきりとしてきれいで、おとぎの国の庭はきっとこんなかしらと思う。このように整った形で毎年見世物にするのは、大変な苦労と労力がいる。きっちり刈り込んでも花を付ける常緑で丈夫な種類のツツジのみにできることだ。
 5代将軍綱吉に子が無く、兄の子綱豊(6代家宣)を養嗣子に定めるにあたり、宝永3年(1706年)綱豊の生地に産土神である根津神社を移造した。華麗な権現造りの社殿群が今も残って、重要文化財に指定されている。「只泥深き葭原(あしはら)なりけるを。宝永の頃材木許多(あまた)十文字に組み立てて之を足代とし。漸く地形を固め」作ったらしい。(加瀬順一著「元根津・根津神社・根津権現」より) 本郷台地と上野台地の間の根津谷はまわりの水を集めて藍染川が流れる低湿地だった。その川が流れ込むのが上野不忍池だ。もともと江戸は現在の日比谷公園まで東京湾が入り込み、日比谷入江と言われていたほど陸地は後退していた。江戸に入った徳川家康は城郭整備だけでなく、神田上水、神田川の付け替え、河川や道路整備、入江の埋め立てなどインフラ整備を精力的に行った。いわゆる天下普請だ。5代家綱もそれにならって、家康の尊称の権現様を名前につけて、「根津権現」を天下普請したのである。
 門前町には遊郭ができて、明治21年(1988年)、近くに東京大学の前身が置かれ、ふさわしくないとして須崎に移転させられるまで、屈指の盛り場として賑わっていたという。その傍らを流れる藍染川は水はけが悪く、よく氾濫したので、大正10年(1921年)暗渠工事が始まった。今となっては、「谷根千」散策を楽しむ観光客には、「へびみち」がその跡だと解るばかり。 
(2013年4月25日)

ひとつの判決の意義と影響

弁護士の仕事は法廷ばかりではない。しかし、法廷は主戦場だ。40年弁護士生活を続けてきても、出廷の度に緊張する。緊張の舞台での勝訴判決は掛け値なしに嬉しい。いつもは批判ばかりしている裁判所だが、勝訴判決の日は別だ。自分が人の役に立ったという充実感が、弁護士人生の醍醐味。そして、判決は同種の問題を抱える人の権利の伸長に影響する。多くの人の役に立ちうるのだ。

体制の根幹に関わる憲法問題では裁判所はその職責を果たしていない。しかし、医療過誤や消費者事件などでは裁判所の果たしている役割は大きい。労働事件についても評価ができるだろう。

本日の判決は、新生児の心疾患診断義務違反を問う医療過誤事件。昨年10月25日に1審の全面勝訴判決を得て、本日東京高裁第20民事部(裁判長坂井満,主任太田武聖各裁判官)で控訴棄却判決を得た。

請求額(5880万円)の満額を認容されたというだけではなく、医師によるカルテ改竄を再度認め、死亡の機序、2点の過失主張も、因果関係も、全て請求原因のとおりに認められた。

生後38日で亡くなった「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」(AS)である。大動脈弁狭窄症は先天性疾患である「二尖大動脈弁」に起因するもので、左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって体循環の動脈血流出に支障が生じた。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡に至った。

大動脈弁狭窄症は診断が可能であるだけでなく治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって専門医への搬送が可能となり、姑息的カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。

したがって、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患である。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。

以上が1審における原告の主張であり、1審判決は原告の主張を、ほぼ全面的に認めた。これを不服とする控訴理由の骨格は、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」をキーワードとする以下の各点。
(1) 機序
 優華ちゃんの死因となった原疾患は「大動脈弁狭窄症(AS)」ではなく、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」である。
(2) 過失
 産科医にCritical ASの診断を求めることは不可能を強いるものである。
(3) 損害
 Critical ASである以上、優華ちゃんが適切な治療を受けて延命したとしても、予後は極めて不良であり、労働能力は期待できない。
(4) カルテ改ざん
 カルテの内容はCritical ASとして合理的に説明可能で改ざんはない。

これに対する被控訴人(遺族側)の反論は以下のとおり。
(1)「Critical ASはASではない」とは、「白馬は馬に非ず」と同様の詭弁である。
(2)「Critical」であるか否かにかかわらず、「AS」である以上は、心拍出量が保たれている限り聴診による診断が可能であり、全身状態悪化からも診断が可能である。
 また、新生児診療に携わるすべての医師が心疾患疑診の診断と専門医への搬送の必要についての的確な判断ができなくてはならない。 
(3)明確な否定的統計がない以上、平均的な算定による逸失利益額を減額すべきではない。
(4)カルテの改ざんは形式・内容の両面において明らかである。

以上の各論点について、原審だけでなく、控訴審判決も、患者側の言い分によく耳を傾け、理解してもらったという印象が深い。

判決の次の1節がキーポイントである。
「重症大動脈弁狭窄症は大動脈弁の狭窄が重度な大動脈弁狭窄症の一群であり,大動脈弁狭窄症とは異なって重症大動脈弁狭窄症という特別の疾患があるわけではないから,その診断方法は大動脈弁狭窄症の重症度のいかんにかかわらず同じであると解される。したがって,優華の大動脈弁狭窄症が重症であったとしても,‥低心拍出量症候群が進行して左室からの心拍出量が減少した可能性があると考えられる生後24日以前においては,十分な心拍出量があったものと推認されるので,その間であれば,聴診により収縮期の雑音を聴き取れる状態にあったと推認される」

記者会見の際に、記者から「この判決が臨床にどう影響すると思うか」という質問があった。その問題意識や、すこぶる良し。

「本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきました。一審判決後医療側は、『このような医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発しました。しかし、そんなことはない。東大輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきたのです。
患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがあることを否めません。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をします。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきました。
患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。本日の判決もそのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に影響を及ぼすものと考えます。
具体的には、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、技能を研鑚し態勢を整備しなければならないし、ぜひそうしていただきたい」

そう、この5年間この事件にかけた時間と労力は、意義ある判決となって結実したのだ。苦労して獲得したひとつの判決の意義がもたらす充実感である。

とはいうものの、実はこの勝訴は、ひとえに誠実で力量のある複数の協力医に巡り逢えたことの賜物。とりわけ中心になって訴訟を支えていただいた医師には、足を向けては寝られない。
その医師にも、本日の勝訴判決を我がことの如くに喜んでいただいた。
(2013年4月24日)

靖国参拝の意味するもの

靖国神社の春季例大祭に、安倍首相が真榊(まさかき)を奉納し、麻生副総理が参拝した。さらに、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久元厚生労働相)の所属議員168人が合同で参拝した。これらの一連の動きが、韓国外相訪日取りやめという事態を招いている。

ところが、尾辻氏は23日参拝後に記者会見し、靖国参拝を巡る中国、韓国の反発について「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ。反発はよく理解できない」と述べた、という。また、高市早苗氏は記者団に「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題。外交問題になる方が絶対におかしい」と語った、と報道されている。

「反発はよく理解できない」では、見識を問われる。「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題」では、アジアとの外交関係処理の能力欠如といわざるを得ない。

例大祭とは、靖国神社最大の定例祭典である。起源は、1869(明治2)年9月、兵部省が東京招魂社の祭典を定めたところから。その際には、正月3日(伏見戦争記念日)、5月15日(上野戦争記念日)、5月18日(函館降伏日)、そして9月22日(会津降服日)の4日であった。要するに戊辰戦役での官軍戦勝日である。戦没者慰霊よりは官軍戦勝記念日の色彩が濃厚といえよう。賊軍とされた側にとっては不愉快極まりない日程の決め方。

1879(明治12)年東京招魂社が改称して別格官弊社靖国神社に列格した際に、例大祭日は5月6日と11月6日の年2回と改められた。11月6日は会津降服日の太陽暦への換算の日である。5月6日の方は、その半年の間隔を置いた日。政府と靖国神社の、内戦における官軍戦勝へのこだわりが良く見える。会津の人々にとって、また、奥州羽越列藩同盟に参加した31藩の「敗者」側の人々にとって、靖国は飽くまで勝者の側の宗教的軍事施設であった。

その性格が変わるのが、日清・日露の戦役を経たあと。1912(大正元)年に、陸・海軍省は靖国神社の例大祭を、4月30日(日露戦争勝利後の陸軍大観兵式記念日)と10月23日(同じく海軍大観艦式記念日)と改めた。ここに、軍事施設としての靖国神社は、内戦の軍隊に対応する宗教施設から、侵略戦争軍隊対応施設となった。
さすがに戦後の宗教法人靖国神社が陸海軍の記念日をそのまま例大祭の日とすることは憚られたものか、現在の春秋の例大祭は、4月21日?23日と10月17日 ?20日である。

「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ」との言には既にいくつかのごまかしがある。

まず「英霊」という言葉が、特定のイデオロギーを織り込んだもの。世界に類例のない原爆による死者も、沖縄地上戦における県民死者も、そして空襲被害者も、「英霊」と呼ばれることはない。皇軍の戦死者のみが、天皇への忠誠死ゆえに「すぐれたみたま」とされる。明らかな死者の差別である。このことは、死者に対する遺族補償の極端な差別につながっている。

「英霊への参拝」は、単に死者を悼むことではない。軍人軍属の戦死を特別に宗教的に意味付けて、戦死者を祭神として祀り、この神に対して特定の宗教的な拝礼を行うことである。侵略戦争も、戦争責任も、当該死者の生前の行動のすべてが捨象されて、批判が失われる。戦争における加害者性などは想像するだに許されない。

もともと、国家神道自体が同様の目的をもった政治的支配の道具としてつくり出された。天皇を神の子孫でありかつ現人神として、天皇が統治する国家の正統性への批判を許さない。すべての王権神授説と同様に、天皇位を人間界を超えた神聖な存在に由来するものと権威付け、支配の道具とするものである。もっとも、日本の古色蒼然たる天皇位の神聖化は19世紀後半という、先進各国が市民革命を終えたあとに時期遅れて開花した徒花であった。

靖国は国家神道における軍国主義的側面を代表する存在である。軍事的宗教施設でもあり、宗教的軍事施設でもあった。国民皆兵による富国強兵策を実現する手段として、大きな役割を果たした。国民は、国定教科書における修身の授業で、「君のため国のために、命を捨てる」ことこそ、臣民の最高道徳と叩き込まれた。

侵略戦争へ国民を駆りたてた靖国神社に、公的立場にあるものが関わってはならない。それが、2000万人の近隣諸国の犠牲と210万人の我が国自身の国民の犠牲という高価な代償によって購った政教分離の原則である。

侵略戦争の標的となった近隣諸国の民衆はその被害を忘れることはできない。我が国の戦争への反省が不十分で、自らの手で戦争責任追及をなしえなかったことが、靖国参拝などに噴出する。まだ、戦後は終わっていない。「戦後レジームからの脱却」をさせてはならない。

もひとつのコラム。
 『朝三暮四』
 大学生が奨学金の返済に四苦八苦していることが大きな話題になっている。今日(4月23日)付け毎日新聞の一面に「給付奨学金大学生も」と大きな活字が踊っていた。安倍内閣やるじゃないかと喜んで、記事を読んでがっかりした。。財源は「現行の高校授業料無償化のための予算4000億円を削って充当する」という。高校生の親に所得制限をかけて授業料を徴収して、大学生の給付奨学金にする。予算をあちらからこちらへ移動するだけだ。所帯年収700万円以上から徴収ということになれば、5割の高校生は授業料を納めなければならなくなる。朝4個夕3個のトチの実の配分に文句を言ったら、高校生の授業料無償をけずって、大学生になったら奨学金を給付するから喜んでくれというわけである。総量は同じ。馬鹿にしている。朝三暮四だ。
 誰がこんなこと考えるのかとあきれる。4月19日には安倍首相は「保育園の待機児童を17年までにゼロにする」と言った。これも内容を詳細に見れば、「女性の活用」のためで、子供のことを本気で考えているようには見えない。そもそも、保育所というのは3種類ある。まず「認可保育園」は国が定めた設置基準をクリアして、知事に認可された施設。公的補助があるので、保育料は月額2万から4万円。「認証保育所」は東京都独自の制度で、都と区が補助をするので、保育料は7から8万円。そのほかに「認可外保育所」があ。基準はあってもごく緩い。保育料は10から15万円になるという。
 安倍首相は「認可保育園」を作るとは言っていない。保護者側は「規制緩和による認可基準の切り下げは望まない。安心安全な保育所を拡大して欲しい」といっている。保育料にこんなに差があるなら、「認可外保育所」がいくら出来ても、女性は安心して働きに出られない。
 2月12日に安倍首相が経団連にお願いした「賃上げ」も同じだ。米倉会長は、「業績が改善した企業はまずボーナスを引き上げ、収益が伸びたら賃金を引き上げる企業も出てくるでしょう」ととぼけた答えをしている。それを受けてローソンなど2,3の企業が3パーセント前後賃上げしたと報道された。しかし、実際は一部上場企業はせいぜい定昇分、7割の労働者が働いている中小企業はもっと厳しく、派遣・パートはわずかにマイナスという調査統計が出ている。
 よくよく見ていないと「スピード感」や「決める政治」に惑わされてしまう。支持率7割という数字に圧倒されて、気後れして黙ってしまう。
 もう少ししたら、トリクルダウンしてくるからと我慢しているうちに、掴んだのは物価高と消費税アップだけ、とならないように切に願う。今日も暗い話題で元気は出ない。

(2013年4月23日)

「日本維新の会」の古くささ

私の故郷岩手の郷土史家のリーダー格に、森嘉兵衛という岩手大学教授がいた。三閉伊大一揆の研究で名高い。

その人の厖大な著作の中に、「維新か復古か」という読み物がある。幕末・維新期における南部藩の内情をほぼ100頁にまとめたもの。紹介したいのは、その冒頭に掲げられた、森氏自身の作と思われる詩(らしきもの)。以下はその抜粋。

「士・農・工・商」
差別の時代は過ぎ去った

「広く会議を興し万機公論に決すべし」
「四民平等」
確かに差別の世界は
過ぎ去ったはずである

「上・下」「官武・庶民」
みなひとつになるというが
新しい差別が
また始まるのではないか

いや われわれは
「旧来の陋習を破り
天地の公道に基づく」のだ

「天地の公道」とはなんだろう
「知識を世界に求め
大に皇基を振起する」ことである

しかし
知識を世界に求めることは維新だが
大に皇基を振起することは
復古ではないか

維新とはすべてこれ改むることであるが
復古とは古に復することである

維新とは差別をなくすることだが
復古とは新しい差別を立てることではないか

森氏は、「維新」の中に「復古」をみている。そして復古の中の新しい差別を見とがめている。「維新」とは進歩だ。人を身分制度の束縛から解き放ち平等にすることだ。ところが、実は「大いに皇基を振起する」という中間項を媒介に、維新は「復古」の毒をもつものとなったのではないか。「復古」とは、新しい差別なのだ。

「日本維新の会」なるものが、この森氏の指摘にピタリである。
「維新」とは「これあらたむる」ことであるから、これまでにない新しいものの如くである。しかし、それはイメージだけで実は古くさいことこの上ない。看板は革新であり進歩であるが、実態は「復古」そのもの。しかも、この復古は毒性が強い。

維新の会の綱領というものが発表された。
第1項が、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」というもの。

ここで語られるのは、なによりも日本・国家・民族であって国民ではない。しかも、平和を「非現実的な共同幻想」とし、日本国憲法を占領憲法と侮蔑する。

さらに見よ。新自由主義政策のオンパレードを。
「自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。
 政府の過剰な関与を見直し、自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする。
公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。
既得権益と闘う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る」

明治「維新」が「皇基の振起」を中間項として「復古」に傾いて新しい差別を作りだしたごとく、日本「維新」の会は、「極端な新自由主義」を中間項として「復古」に傾き、新しい格差と貧困を作りだそうとしている。

公助の制限、道州制、労働市場の流動化‥いずれも経済的な強者の要求である。そして極めつけが、憲法と平和への剥き出しの敵意。

「橋下・維新の会」と「石原・立ち上がれ」との醜悪な合流は、一見「維新」と「復古」との奇妙な融合に見える。しかし、「維新」それ自体が「復古」の要素強く、新自由主義も国家主義も、反平和主義・反人権の立ち場で共通し、改憲要求で一致できるのだ。

いま、森嘉兵衛ありせば、語るであろう。
「本来の維新とは人と人との差別をなくすることだが
『日本維新の会』はすべての分野に競争を持ち込み
勝者と敗者の新しい差別を立ようとしている
そのような政策は維新というに値しない
『日本復古の会』と改称すべきだろう」

 
もう一つエッセイをサービス
  『何という国だ』
 少子化少子化と騒いでいる。騒いでいるけど政府は本気で対策など立てようとしてはいない。
 給料はどんどん下がって、夫婦共働きしなければ、まともな生活は出来ない。労働基準法無視のブラック企業がふえて、残業はさせるは残業代は踏み倒すわ。文句言いたくても、護ってくれる組合はない。これでは子供などつくれるはずがない。何とか、工夫、やり繰りして玉のような赤ちゃんを授かったとしても、今度は安心して預けられる保育園がない。安倍首相は唐突に、待機児童はなくすと言い出したけれど、「認可保育園」を増やすとは言っていない。保育条件が悪く保育料が高ければ、親は安心して子供を預けて働けない。すくすく育って、やっと学校へ入れば、いじめ問題、体罰問題が待ち受けていて、最悪の場合は子供が自殺しかねない。受験のために学校とは別に、塾や習い事にもやらなければならない。お金がかかる。親は必死に働かなければならない。
 めでたく大学に入学できても、5割ほどの学生は奨学金のお世話にならなければやっていけない。授業料(学部によってばらつきはあるが、初年度だけで、国立で82万円弱、私立で131万円強)がたかいし、くわえて下宿生なら生活費がかかる。授業料の免除はほぼ無いし、奨学金は給付ではない。だから、大学を出たときには700万円もの借金を背負ってしまうことさえある。「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)のなかに、「アメリカの大学生が借金漬けだ」と書いてあって驚いたが、5年遅れて日本の大学生が同じ苦境に立たされている。そのうえ就職難が待っている。今年は内定者8割などと厚労省の発表(3月15日)があったが(この数字はにわかには信じられないけれど)、内定していない8万人は今どうしているのだろうか。大学3年生の時から就職活動に神経をすり減らし、その費用の捻出にも苦しむ。「就活」自殺者が増えているようだ。たとえ就職できても、全労働者の3分の1は非正規雇用だ。就職してすぐに退職するするものも多い。ブラック企業の罠もある。過労自殺させられてしまう。15歳から34歳の若い世代で死因の第一位が自殺だということは驚くべき事実だ。青春ではなくて黒春だ。
 大人だって、アベノミクスで景気が良くなるなどと楽観している場合ではない。株が上がるといってもあなたの株ではない。土地が上がるといっても、売っちゃえば住む処が無くなる。固定資産税だけが確実に上がる。親が亡くなって相続税が払えない、ここで商売続けられないと泣いたのを忘れたか。
 老人だって、インフレになれば実質的に年金は切り下げだ。物価と消費税は確実に上がる。
 なんだか春なのにお先真っ暗。
(2013年4月22日)

いかなる犯罪者にも黙秘権を

ボストン爆発事件に関連して、毎日新聞に概要以下の報道がある。

「米国では刑事事件の容疑者に対し、黙秘権や、弁護士の立ち会いを求める権利などを通告する手続きが原則として確立され、『ミランダ警告』と呼ばれる。この警告を行わない場合、取り調べで得られた証拠は裁判で使用できない。
だが、公共の安全に関わる場合は同原則に例外が認められるという。ジョハル容疑者は爆発物を隠していたり共犯者がいたりする可能性があるため、当局は徹底的に尋問し情報を得たい意向だという。
米国では01年米同時多発テロ後、当時のブッシュ政権がテロ容疑者と見なした人物を令状なしで米海軍グアンタナモ基地(キューバ)の収容所に長期間拘束し、拷問だと疑われるような手段で尋問。人権擁護団体などから厳しく批判された。」

アメリカの刑事司法原則よ、しっかりせよ。このような事例でこそ、人権の普遍性が試される。アメリカの法文化が本物かが問われている。犯罪の結果が重大だからとして例外を認め、黙秘権を否定して拷問を認めるようなことがあってならない。いささかでも例外を認めれば、その例外の穴は際限なく大きく広がっていく。原則の絶対性を守れるかどうか、それこそが試金石だ。

このことが他人事でなく気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案を思い起こすから。

日本国憲法36条は、(拷問及び残虐な刑罰の禁止)と標題を付して、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と定める。言うまでもなく、天皇制政府が行った数知れぬ野蛮な拷問の反省と、これを再び繰り返さないという決意を示したものである。

ところがこれを自民党は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。」と改めようと提案している。「絶対にこれを禁ずる。」の条文から、ことさらに「絶対に」の3文字を削除しようというのだ。明らかに、「時と場合によっては」「事案の中身によっては」「公の秩序を維持するために必要不可欠な場合は」、例外を認めようとの思惑が透けて見える。

「黙秘権」あるいは「自己負罪拒否特権」は、公権力と対峙する人間の尊厳を認める基底的な人権である。この原則がいささかも、ないがしろにされてはならない。自民党はこの恥ずべき改正草案を撤回すべきであるし、オバマも自民党並みになってはならない。

付録のエッセイ
   『食卓の葉っぱ』
 柏餅の季節になった。ちょっと前は桜餅。普通、柏の葉っぱは食べない。桜の方は、葉っぱごと食べる。食べ物に利用される葉っぱについて少々。
「柏餅」 カシワの葉っぱは、保存した前年の葉を使う。毛が生えてゴワゴワして食べる気にはならない。でもほのかな香りはある。カシワは炊葉の意味で、食物を盛る葉のことをいった。(牧野・植物図鑑) 西日本では、サルトリイバラ(猿捕イバラ)のつやつやした葉二枚で挟んだものを柏餅といっている。
「桜餅」 大島桜の葉を使う。芳香はクマリン。こちらは柔らかいのでいくらでも食べられそうだが、肝毒性があるのでほどほどに。
「粽(ちまき)」 米を竹の皮に包んで蒸す。竹や笹は防腐、殺菌作用がある。ちまきは武士の戦場での携帯食、保存食として考えだされた。
「笹飴」 夏目漱石の「坊ちゃん」のなかで「何をみやげに買ってきてやろう」という問いに、ばあやの清が「越後の笹飴が食べたい」と答えて、有名になった。笹に飴を包んで、保存したもの。
「笹団子」 ヨモギを混ぜて団子を作り、中にあんこを入れて、笹の葉に包んだもの。やはり笹の葉の防腐、殺菌作用を利用した。
「ゲットウの葉」 ショウガ科。沖縄では、アロマオイルにも利用される甘い香りを放つ葉っぱをいろいろに利用する。ムーチーを包んで蒸したお餅。肉や魚を包んで蒸し焼き料理を作る。
「めはりずし」 漬けた高菜の大きな葉っぱを拡げて、おにぎりやおすしを包んで食べる。
「シソの葉」 シソの香りは胃液分泌を促し、食欲を増す。和製ハーブ。刺身のつま。味噌や唐辛子をくるんだもの。肉を包んでパリッと揚げたもの。そのほか利用の仕方はいろいろ。
「サンショウ」 冷や奴、タケノコの煮付けなどに付け合わせる。味噌と一緒に摺って、コンニャクに付けて焼いた味噌田楽。こう書いているだけで香ばしい匂いがしてくる。
「葉蘭」 薄いが、硬くてつやがある。長楕円形で50センチメートルもあるので、そのままお皿代わりに使ったり、カットしてお鮨やお弁当のしきりに使う。
「ナンテン」 健胃、解熱、鎮咳の生薬。折り詰めなどに添えて、防腐剤にする。
「椎の葉」 「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」(万葉集) 謀反の罪で19歳で絞首刑になった有間の皇子の歌。椎の葉は小さいので、枝ごと切りとった葉の集まりの上に、神へのお供えをして息災を祈ったといわれている。祈りは届かなかったようだ。
 みな昔は庭に植えてあったり、近所から採ってきて、季節季節に使ったものだ。子供のうちから慣れ親しんで利用法も飲み込んでいた。いまはみなパック詰めになって、売られている商品になってしまった。生の葉っぱは高価なものなので、印刷したビニールで代用されて、味も香りもない邪魔者扱いされていることさえある。全部そうなってしまえば、次のような事件も起こらない。
数年前、食堂の料理の飾りに使われた葉っぱを食べた客が中毒した事件が起きた。その葉が「アジサイ」。これを食べると、過呼吸、痙攣、麻痺から死に至る。みずみずしく柔らかそうに見えるけれど、絶対口にしてはいけない。もうすぐ美しいアジサイの花がが咲く。別名「七変化」という。

4月28日は「祝うべき日」ではない。

1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は「独立」した。同時に、日米安全保障条約が発効して日本は、固くアメリカに「従属」することになった。沖縄・奄美・小笠原は本土から切り離され、アメリカ高等弁務官の施政下におかれた。それ故この日は、沖縄の人々には「屈辱の日」と記憶されることとなった。

私は、1966年の暮れ、返還前の沖縄に1か月ほど滞在したことがある。テト休戦によるベトナム帰りの米兵が那覇の町にあふれた時期でもあり、12年に1度の祭りという久高島のイザイホーが行われているときでもあった。

当時私は大学4年生だったが、就活とは無縁なアルバイト生活を送っていた。琉球大学と東大との合同チームが、大規模な沖縄の社会調査をするということになって、その調査員として応募し、まことに得難い貴重な経験をさせてもらった。

日の出埠頭から2泊3日の荒天の船旅だった。船中から伊江島の塔頭を眺めて那覇港にはいり、生まれて初めてのパスポートを手に、出入国審査や関税手続を経験して、沖縄の土地を踏みしめた。そこは、ドルが流通する経済社会であり、車輛が右側車線を走行する本土とは異なる世界であった。

輝く自然と魅力あふれる文化が根付いた小宇宙。しかし、異民族の支配を受け基地に囲まれたという限りでは「屈辱の世界」。日本国憲法の及ばない異空間でもあった。

4月28日は、沖縄にとっては本土と天皇によってアメリカに売り渡された「屈辱の日」、本土にとっては沖縄を売り渡した「恥ずべき日」に違いない。私は民族主義者ではないが、この日を祝おうという発想がどこから来るものか理解しがたい。

これを解き明かすのが、2011年2月に設立された「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」の設立趣意書の一節。「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設が、主権国家としてなすべき最優先手順であった」と記載されているとのこと。ああ、そういうことか。そういうことならよく分かる。

すべては歴史認識の問題なのだ。安倍晋三らにとっては、日本国憲法とは、占領軍が日本国民に押し付けた憲法でしかない。「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」にもとづいて制定された日本国憲法は、そもそも正当性をもたない。彼らにとっての「主権回復」とは、押し付けられた憲法を清算すること、天皇を戴く国の憲法として書き換えることなのだ。

彼らに、侵略戦争への反省はない。戦争の惨禍への悔悟もない。今度は負けないように精強な国防軍を作ろう。それを可能とする自主憲法を制定しよう。そのような自主憲法制定が可能になった日として、4月28日を記念しよう。そして、その日を、日本民族の歴史、伝統、文化にふさわしい憲法を作る決意を固める日としよう。

これが安倍自民の本音である。とんでもない。4月28日を祝うことなど、断じてするものか。

国家安全保障基本法は改憲手続き抜きの9条改憲

本日正午から「4・19国家安全保障基本法案反対院内集会」。主催団体の中に日民協も名を連ねている関係から、私も参加した。
基調報告は日民協の清水雅彦さん(日体大・憲法)、特別報告として自由法曹団の森孝博さん。そして、福島みどり(社)、井上哲士(共)の両参院議員が挨拶をされた。

清水さんが12か条の法案の内容と危険性とを要領よく解説し、森さんが背景事情を報告した。いずれも短時間ながら密度の濃い内容。その後に、発言を求められた。これ以上何を言うべきことがあろうか。

「私は、『基本法』という形での立法改憲に注目すべきことを申しあげます。今、40本の『基本法』があります。原子力基本法、環境基本法、中小企業基本法、消費者基本法‥等々。その第1号がご存知の教育基本法。憲法における教育の理念を具体化する形で、教育分野の法体系の基本を定めたものです。準憲法としての位置づけを得て、他の学校教育法や教育委員会法(地教行法)などの上位法とされています。

国家安全保障基本法もそのような位置づけのものとして提案されていると見なくてはなりません。つまりは、憲法の下に一つのまとまった法体系を作りあげようとするものです。ただし、教育基本法が、憲法の理念を忠実に具体化する内容をもったものとして立法されたのに対して、国家安全保障基本法は違憲の内容をもって法の下克上を行おうとするものにほかなりません。

基本法であるということは、当然に下位法の存在が予定されています。法案自体に、『集団自衛事態法』『国際平和協力法』という法案名が見えますし、既存の法律も、こと安全保障に関する限りこの上位法のもとに再編されることにならざるを得ません。教育の内容にも、秘密保全の整備にも、関わってくることになる。

ということは、この法律が9条改憲への地ならしという側面をもつだけでなく、仮にこの内容で基本法として成立し、国家安全保障法体系が完成するとすれば、集団的自衛権容認にとどまらず、憲法の平和主義の理念が空洞化してしまい、実質的に改憲手続き抜きの改憲が実行されてしまうことになりかねません。」

夜は、文京革新懇主催の連続憲法講座。第4回の本日のテーマは、赤嶺政賢さんを招いての「沖縄と憲法」。実に生々しい現地の運動の報告だった。「革新の共闘のために献身しつつ、ややもするとぶれる共闘を引き締めているのが沖縄での我が党の役割」と誇らしげであった。

昼に1時間、夜に2時間。たっぷりと憲法問題を学習した密度の濃い1日。

東京都の教育委員は事実を知らされていない

教育情報課長でいらっしゃいますね。弁護士の澤藤と申します。本日の要請行動の申し入れ団体である「被処分者の会」の訴訟事件を担当している弁護団の一員として、意見を申しあげます。

先ほど会の代表から、お手渡しした「申入書」、「要請書」、そして「補足説明書」はいずれも簡にして要を得た正確な内容となっています。極めて要領よく、訴訟の経過、そして昨年1月16日の最高裁判決の趣旨が要約されています。判決の結論だけでなく、最高裁が都教委に何を求めているのかを根拠を示して明らかにしています。その正確な理解の上に、これまで処分を受けて裁判をしてきた立ち場から、なんとか教育現場の紛争を解決したいとの願いを込めた具体的な申し入れや要請になっています。

まずは、その写しを、6名の教育委員の皆様にお渡しして、よくお読みいただきたい。

こんなことを申しあげるのは、教育委員6名は、教育委員会自身が被告になっている訴訟の判決書をまったく読んでいないのではないか。内容を知らないのではないか、そう疑問を持たざるを得ないからです。判決を読む意欲も能力もないのであれば、せめて本日お手渡しした書面に記載されている正確な要約を熟読いただきたい。

昨年1月16日の最高裁判決の直後に、都教委は臨時会議を開きました。開会から閉会までわずか8分。なんの議論も意見交換もなく、司会以外の委員の発言は、「異議なし」のひと言だけ。こんな教育委員では困る。こんな教育委員会では、なんの役にも立たない。

しかも、全員異議なしとしてなされた決議を見ると、あたかも都教委を被告として提起された訴訟において、原告の教員側が全面敗訴したごとく記載されている。もしかしたら、各教育委員は、その文書の記載が真実であると、本当にそう信じ込んでいるのではないか。そう危惧せざるを得ない。

その訴訟の控訴審では、当時168名いた一審原告の全員が勝訴判決を得た。一人ひとりの不起立や不伴奏の動機は、真摯な思想・良心の発露であって、これを懲戒処分の対象とすることは懲戒権の濫用として許されないという素晴らしい判決だった。このことを教育委員各氏はご存じだろうか。

1月16日最高裁判決は戒告の処分を受けた者については逆転判決としたが、減給・停職の処分を受けた者については、控訴審判決を維持して処分を取り消した。つまりは、戒告は認めたが、それ以上の重い処分は懲戒権の濫用として違法と判断した。このことを6人の教育委員は知らされていないのではないか。

あなた方教育庁の官僚は、自分たちに都合のよい情報しか教育委員に知らせようとしないのでないか。異議なしとしか言わない教育委員を、取捨選択した情報で操っているのではないか。そう疑惑を持たざるを得ない。だから、本日の各書面は教育委員に手渡してよくお読みいただきたい。

もう一つ申しあげたい。今日お渡しした各文書に記載されているとおり、日の丸・君が代強制事件の最高裁判決には、異例の補足意見がたくさん付いている。そこで裁判官の本音が語られている。違憲か合憲か、適法か違法か、という問題は別として、「教育を受ける子どもの立ち場を尊重して現場の混乱を解消する努力をせよ」という裁判官のつぶやきが聞こえる。都教委は、これを受けとめて問題を解決する方向に動こうという気持があるのか。それとも判決に背を向けて紛争を拡大しようとしているのか。

私どもも、きっぱりと違憲と言わない最高裁には大いに不満だ。しかし、行政に甘いその最高裁でさえ、都教委のやり方はいくら何でも酷すぎる、と減給以上は違法とした。ところが今回、敢えて最高裁に挑戦するごとくに減給処分を行い、さらに服務事故再発防止研修を格段に強化して、新たな紛争の火種を蒔いた。

これではいけない。各教育委員には、現場の実態も最高裁判決の内容もよく知っていただきたい。最高裁の示唆を正確に受けとめて、紛争を解決する方向に舵を取る決断をしていただきたい。

今月は新装開店サービス期間。もう1点のエッセイを。

『文京女性のパワーに期待』
7月には参院選。その結果次第では、改憲の動きに火が付くことになりかねない。なんとしても、改憲阻止の政党を選挙で勝たせたい。私は、もっとも頼もしい改憲阻止勢力として、日本共産党の力量に期待したい。
 その参院選の前哨戦として6月に都議選がある。ここでも日本共産党の議席増を期待する。都議選で弾みを付けての、参院選での勝利が改憲阻止につながる。日本の将来の希望を開く。
 4月16日開かれた「文京女性のつどい」で、共産党の都議選候補者として小竹ひろ子さんが紹介された。文京区は定員2名の激戦区。小竹さんは過去に第一位で2回の当選を果たした輝かしい実績を持っている。残念ながら現在は浪々の身。
 経歴を見れば私より3歳年上のお姉さん。その若々しさに、びっくりする。「何としても困っている人の役に立ちたい」「そのための政策を実現させたい」という熱意に圧倒される。ちょっと無骨で、丈夫そうで、頼りがいがあるところもいい。
 東京都には認可保育園に入所できない3万人の待機児童がいる。特別養護老人ホームの入所待ちも4万3千人という。財源がないのではない。8700億円の都債の積み立てがあるという。問題はそれをどう使うかだ。子どものこと老人のことをわがこととして真剣に考えれば、選挙には真剣にならざるを得ない。国益なんか横に置いて、まずは私益を優先して考えよう。投票は遠慮することなく私益を優先で。
 口先でごまかす、不誠実な猪瀬知事にはまったく期待できない。都議会の方も125議席中、日本共産党8議席ではあまりにも非力。ここはなんとか小竹さんに当選してもらわなければならない。知的で、たくましい文京の女性の力で何とかしたいものだ。

 さて、この頃、選挙の候補者というものについてしみじみ考えさせられる機会があつた。選挙は候補者で当落が決まるものでないことは承知だ。武田信玄だって、上杉謙信だって時の利なくば敗れざるを得ない。しかし、破れた者のうち後世の人気者として語り継がれる者がいる。それはその人物の魅力に人々の胸が躍るからだ。
 候補者は選挙の顔だ。選挙の勝敗はさておいても、悔いなき戦いが出来るかどうかは、おおいに候補者の資質、魅力にかかっている。候補者たる者、人を魅了する人物を演じようとする覚悟が必要だ。
 当たり前のことながら、候補者は立候補する前に合理的で説得力のある公約、スローガンをもたなくてはならない。そしてそれを吟味し、まず自分が納得し、支援者はもとより、選挙民を説得できる確信にまで高めなければならない。自分の腹に落ちて初めて、選挙民に届くのだ。
 公約を実現するための方策や手段についても、綿密に考えることが必要だ。そんなことは周りがあとで考えてくれるなどと期待する甘ったれは厳禁。そして、選挙期間になったら、周りを自分の熱意に巻き込み、励まし、時々刻々起きていることに気配りし、不都合なことが起きれば、自分が責任をとる覚悟で臨まなくてはならない。そうしなければ、支援者は安心して選挙運動ができない。
 選挙資金のためのカンパも集めなければならない。協力やカンパに感謝する愛嬌も必要だ。ここではいわゆる腰の低さが力を発揮する。
 そのうえ、いかなる情勢にもかかわらず、何が何でも勝利するという気概と信念は不可欠だ。応援している者にそれを感じ取らせる熱情が必要だ。

 良きに計らえという殿様選挙など論外だが、以上のことを全部一人で出来るはずはない。そこで有能で信頼に足る、協力者が是非とも必要になる。多ければ多い方がいい。推薦者がたいていその役を担う。なまじ候補者に虚名がある場合は悲惨だ。はじめは選挙運動が盛り上がるが、虚名と知らずに推薦し協力したものは、しばらくは踏みとどまるが、離れていく。結局は虚名を利用せんとする者が残って選挙運動を壟断する。不快な選挙結果がまっている。
 誠実で信頼に足る候補者には、政策と人柄に共鳴したしっかりした協力者ができて、たとえ選挙に負けても、次回を期そうという継続的な期待が残る。
 そんな宮沢賢治の「アメニモマケズ」のようなことなんて、自分には出来るものかというなら、はた迷惑な立候補などして、カンパを集めたりしないことだ。人には向き不向きというものがある。候補者、政治家以外の道を選ぶべきだ。
 以上はあくまで私が応援できる候補者の基準だ。いまの世の中、そんな基準に合わない人ほど当選しているじゃないかという不快な現実がある。それならなおさら、負けても負けてもチャレンジし続ける、誠実で愚直な候補者にこそ期待し、応援を大きくしていかなければ、私たちの夢の実現などかなわない。
 小竹さんの必死の訴えと朗らかな熱意に巻き込まれたのか、以上のようなことを感じた次第。

10・23通達関連訴訟を概観する

「訴訟と判決の推移」
※ 学校行事において国旗国歌への敬意表明を強制する教職員への職務命令は、日本国憲法の「思想良心の自由保障」規定(憲法19条)に反し、また「教師の教育の自由」(憲法23条)を侵害し、教育行政による教育への不当な支配を禁じた教育基本法10条1項(2006年改正後は16条)に違反するものである。また、懲戒権の濫用とされれば、懲戒処分は違法となり取消されなければならない。処分後の違憲・違法・懲戒権濫用を根拠とした処分取消請求が、一般的な訴訟の形態である。

※ ところが、本件では必ずしも一般的ではない形態の訴訟が先行した。国旗国歌強制を予防しようという意図から、職務命令や処分が出される前に予め「起立・斉唱・伴奏の義務のないことの確認」と「処分の差し止め」の判決を求める訴訟である。
「日の丸・君が代強制反対予防訴訟」と名付けたこの訴訟が、もっとも大型の集団訴訟(一審判決時原告数401名)となり、その後の訴訟運動の中核を担った。そして、一審では全面勝訴の判決を得て大きな社会的反響をもたらした。

※ 予防訴訟の第一陣の提起が2004年1月30日、判決言い渡しが2006年9月21日であった。東京地裁民事第36部の裁判長の名称を冠して、「難波孝一判決」と呼ばれるこの判決は、「日の丸・君が代」の果たした歴史的役割を重視し、これを受容しがたいとする者への強制は、憲法19条に違反することを明言した。最初の提訴における、しかも最大規模の集団訴訟での全面勝訴は、原告団を勇気づけ確信を与えるに十分なものであった。反面、石原教育行政に与えた衝撃ははかりしれない。

※ この勝訴判決が関連訴訟全体の流れを形作ることになるかと思われたが、事態は暗転した。10・23通達以前のピアノ伴奏命令拒否に対する懲戒処分事件の最高裁判決が2007年2月27日に言い渡された。「ピアノ伴奏という外部行為の強制と、その教員の内面の思想良心の侵害とは、一般的客観的に不可分に結びつくとは言えない」として19条違反には当たらないとし、懲戒処分(戒告)違憲・違法の主張を斥けた。

※ 奇妙な理屈の判決でも最高裁判決には下級審裁判官を拘束する現実的な力がある。この判決のあと、多くの処分取消請求訴訟が、この最高裁の論理を踏襲した。その結果、敗訴判決が続いた。これに一石を投じたのが、2011年3月10日の東京高裁・大橋寛明判決である。同判決は、「最高裁が処分を違憲ではないと言っている以上これに従わざるを得ない」としながら、すべての被処分者について、「自らの思想・良心に忠実であろうという、やむにやまれぬ動機による不起立・不伴奏」であることを認めて、戒告を含む全処分を懲戒権濫用として取消し、教員の人権を救済した。

※ このような経過の後、2011年5月から7月にかけて一連の最高裁判決が言い渡しとなった。ピアノ判決の論理とはやや異なって、「外部行為と内心との切り離し論」だけに終始するのではなく、国旗国歌への敬意表明の強制が思想良心の間接的な制約となることは認めた。しかし、間接的制約に過ぎないから、公権力に厳格な違憲審査の必要はなく、緩やかな審査基準の適用で制約の合理性・必要性が認められるから合憲とされた。

※ そして、今のところ最新の、処分取消を求める第一次集団訴訟の最高裁判決(2012年1月16日)が、裁量権濫用論において「原則として戒告程度は違法といえないが、減給以上は処分量定重きに失して裁量権濫用にあたり違法」と、戒告と減給との間で線引きをした。我々にも不満ではあるが、都教委にはそれ以上の痛打となった。最高裁から、「東京都の教育行政は健全な社会通念のうえからは、とんでもない非常識。到底法秩序が容認できないこと」と叱責を受けたのだから。

※ ここまでが現状だが、しかし、まだ思想弾圧は終わらない。訴訟という形での抵抗も続いている。いま、10・23通達関連訴訟で、最高裁に係属中のものは6件を数える。処分が続く限り新訴が提起される。東京地裁にも6件が係属している。

「判決についての見解」
※ 日本の裁判所は、憲法の規定のうえでは、立法に対しても行政に対しても、憲法適合性を審査し合違憲を判断する権限をもっている。しかし、伝統的にその権限の行使には極めて臆病で、立法府に対しても行政庁に対しても過度に慎重である。このことは、「司法謙抑主義」あるいは「司法消極主義」という用語で表現される。
その根底には、民主々義的な基盤を持たない司法は、国民多数の支持によって構成されている国会や内閣、あるいは自治体の判断をできるだけ尊重すべきだという、三権分立についての基本的な理解がある。

※ しかし、人権とは本来公権力との対峙において擁護されなければならない。公権力が多数派によって構成される以上、宿命的に多数派から疎まれる人権のみが擁護を必要とする。民主々義尊重という司法消極主義は、必然的に人権切り捨てにつながる。憲法の番人であり人権の砦であるべき裁判所は、その職責を果たし得ていない。
日の丸・君が代強制問題においても、司法消極主義がわざわいして、憲法学界の通説的見解を採用することなく、公権力側におもねった偏頗な判決となっている。明らかに秩序を優先して人権を軽視した、その論理において説得力をもたない。

※ その司法が、「戒告にとどまる限り処分違法とは言えない」が、「減給処分以上は原則裁量権の逸脱濫用に当たる」として、処分量定には一定の歯止めをかけたことの意味は大きい。また、合憲と判断した多くの裁判官が異例の補足意見を付して、各教員の思想・良心に忠実であろうとする真摯な動機を認め、その心理的葛藤に思いを寄せていることも特筆に値する。さらに、「紛争を解決して自由闊達な教育が実践されていくことが切に望まれる」と提言していることは重く受け止めねばならない。

※ また、堂々たる反対意見を述べた宮川光治裁判官は、憲法学の定説の立場から、揺るぎのない違憲論を貫いている。さらに注目すべきは、「教育をつかさどる教員であるからこそ、一般行政に携わる者とは異なって、自由が保障されなければならない側面がある」と、19条論にとどまらず、教育の自由(23条)にも踏み込んだ見解を述べていることが注目に値する。

※ 私たちは、司法への批判はあるが絶望はしない。裁判所への説得を継続し、判例を変更して違憲判決を獲得するための営々たる努力の積み重ねが課題となっている。
そのための正面作戦としては、宮川裁判官反対意見の判断枠組み自体を多数意見に転化することではあるが、それだけではたりない。
まずは、間接制約論の枠組みを維持しつつ必要性・合理性の判断においてこれを否定する事実を積み上げることが必要であろう。また、最高裁がまだ判断していない論点、たとえば「国民に対する国旗国歌強制は、立憲主義の原則上国家の権限を踰越するものとしてなしえない」という主張、教育の自由の侵害、国際人権論での新判断を求める主張などが考えられる。

※ とりわけ、教育の自由侵害の主張は重要である。
公権力の正当性の根拠となる多数決原理は教育内容には及ばない。国民多数の代表をもって正当とされる公権力も教育内容への介入はなしえない。公権力としての教育行政のなしうることは、厳格に教育条件整備に限定されるのが原則で、教育の機会均等や教育水準確保という要請からの例外が認められる場合においても、大綱的基準のレベルを逸脱してはならない。これを逸脱しての教育行政の教育内容への介入は、教育基本法が禁じる不当な支配に当たる。この理は、旭川学テ大法廷判決が確認しているところである。
 10・23通達は、卒入学式という学校の教育活動において、国家主義の立場から国家の象徴に対する国民の敬意の表明を望ましい徳目として受容すべきとする内容の教育として、教基法16条の不当な支配に当たり違法である。
この点についての応答なく沈黙を続けている最高裁に、新たな判断を迫る努力と工夫が必要となっている。

(2013年4月17日)

東京都の教育委員は、その職責を自覚せよ

都教委は、管轄下の教員に踏み絵を踏ませ続けて10年になろうとしている。現在、この醜悪な思想弾圧の責任をもつべきは以下の教育委員6名である。
木村孟(委員長)・内館牧子・竹花豊・乙武洋匡・山口香・比留間英人(教育長)

踏み絵は、わが国の権力者の独創的な発明になる思想弾圧のノウハウである。公権力が民衆に対して、禁教の聖像を踏むことを命じ、拒否者には過酷な弾圧が予告される。権力の思惑は、権力が憎む宗教を公示するとともに、信仰者をあぶり出し、過酷な弾圧の威嚇を通じて思想の統制をはかることにある。

自らの意に反した行為を命じられた信仰者は、過酷な制裁を覚悟して信仰を貫ぬくか、あるいは保身のために心ならずも聖像を足蹴にすることによって信仰者としての心の痛みを甘受するか、深刻なジレンマに陥る。

10・23通達を発出した都教委の思惑は、「日の丸・君が代」に敬意を表明できないとする思想をあぶり出し、これに過酷な懲戒を科することによって、思想の「弾圧」と「善導」とをはかることにある。

このことによって、都内公立校の誠実な教職員は400年前のキリシタンと同様の立場に置かれることとなった。懲戒処分を覚悟して自らの教員としての良心を貫くか、保身のために心ならずも良心を裏切るか、のジレンマである。

都教委は400年前にキリシタン弾圧を行った権力者の正統なDNA承継者であるだけでなく、その悪智恵で新たなひと工夫をつけ加えた。それが「累積加重システム」である。懲戒処分の度ごとに、機械的に処分の量定が重くなる。思想・良心を転向するか、信仰を捨てるまで処分は重くなり続け、ついには教職から追放されることになる。「累積加重システム」は、「転向強要システム」または、「背教強要システム」にほかならない。

ところが、この「転向強要システム」が破綻した。昨年1月16日の最高裁(第一小法廷)判決は、職務命令や処分の違憲までは認めなかったものの、思想良心を理由とする真摯な動機による不起立・不斉唱について、戒告はともかく減給以上の処分とすることは懲戒権の逸脱・濫用として違法とし、減給・停職の重い処分を取り消した。行政に大甘の最高裁も、さすがに都教委のやりかたは酷いと言わざるを得なかったのである。

最高裁にたしなめられて、都教委は少しは反省しただろうか。とんでもない。まったく反省しようとしない。「累積加重システムが認められなければ、別の手段で不埒な思想の持ち主を痛めつけてやろう」これが都教委の発想である。

累積加重システムに代わる嫌がらせ手段のひとつが、服務事故再発防止研修の強化である。再発防止研修は、体罰やセクハラなどの不祥事を起こした教員に反省を求め再発を防止するための研修である。しかし、思想や良心、信仰を理由とする行為を懲罰の対象としていることの方がまちがっている。被処分者に反省は馴染まない。むしろ、反省を迫ることが思想良心の新たな侵害になりうる。

現実には、昨年から研修のあり方が変わった。かつてはなかった事前研修なるものとして受講前の課題についての報告作成が義務づけられた。1回だけだった研修センターでの研修は2回になった。その2回の間に、所属校研修が新設された。その回数が半端ではない。昨年の例では12回繰り返された例が報告されている。そして、センター研修の時間も、100分から200分に倍加した。

「なぜ、昨年から再発防止研修の回数や内容が変わったのか?」という問に、都教委は、「平成24(2012)年1月24日教育委員会臨時会議の議決に基づくもの」と回答している。いったい、その日にどんな議論がなされたのだろうか。

当日の議事録はインターネットで公開されている。ぜひご覧いただきたい。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/past_ka.htm

当時の委員は、下記の6名。
木村孟(委員長)・内館牧子・竹花豊・瀬古利彦・川淵三郎・大原正行(教育長)
会議の始まりが8時30分で終了が8時38分、会議の全時間がわずか8分間である。しかも、議事次第での開会・点呼・取材・傍聴許可・会議録署名人指名の手続で少なくとも3分はかかったものと思われる。マスコミ4社がカメラを入室させてセットするだけでも相当の時間ではないか。実質審議はおそらく5分未満。

この日の議案は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」だけ。8日前の最高裁判決の都合のよいところだけを抜き書きして、ますます「日の丸・君が代」強制を徹底する決議の採択だけである。事務局が案文を読み上げ、「原案のとおり決定してよろしゅうございますか。─〈異議なし〉─それでは、本件につきましては原案のとおり承認いただきました。以上で、本日の教育委員会を終了します」というだけの安直なもの。質疑も意見交換もまったくない。猪瀬知事の言を借りれば「あほみたいな話だ」。この「あほみたいな」臨時会議に基づいて、現場を泣かせる研修強化が行われている。「異議なし」と言うしか能のない教育委員では困るのだ。異議なしという決議の影響を理解したうえでの容認ならもっと困る。教育の本質や憲法の理念に思いをいたした教育委員であっていただきたい。

参考までに決議の全文は以下のとおり。

入学式、卒業式等における国歌掲揚及び国歌斉唱について
教育の目的は、人格の完成と、国家や社会の形成者の育成にあることは普遍の原理であり、とりわけ、政治や経済を始め様々な分野で国際化が急速に進展している現代においては、国際社会で尊敬され、信頼され、世界を舞台に活躍できる日本人を育成しなければならない。
そのためには、児童・生徒一人一人に、我が国の歴史や文化を尊重し、自国の一員としての自覚をもたせることが必要である。また、国家の象徴である国旗及び国歌に対して、正しい認識をもたせるとともに、我が国の国旗及び国歌の意義を理解させ、それらを尊重する態度を育てることが大切である。
学校においては、様々な教育活動が行われているが、特に、入学式や卒業式は、学校生活における重要な節目として、全校の児童・生徒及び教職員が一堂に会して行う教育活動であり、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上で貴重な教育の機会である。こうした意義を踏まえ、入学式、卒業式等においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導することが、学習指導要領に示されており、このことを適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である。また、国歌斉唱時の起立斉唱等を教員に求めた校長の職務命令が合憲であることは、平成24年1月16日の最高裁判決でも改めて認められたところである。
都教育委員会は、この最高裁判決の趣旨を踏まえつつ、一人一人の教員が、教育における国旗掲揚及び国歌斉唱の意義と教育者としての責務を認識し、学習指導要領に基づき、各学校の入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱が適正に実施されるよう、万全を期していく。
都教育委員会は、委員総意の下、以上のことを確認した。
平成24年1月24日  東京都教育委員会

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