本日(9月2日)午後1時15分、東京地裁631号法廷で、私自身が被告にされている「DHCスラップ訴訟」の判決が言い渡された。被告代理人席も傍聴席も、被告の支援者で満席だった。原告代理人席だけが、ポッカリ空席。その法廷での言い渡し。原告(DHC・吉田嘉明)の請求はすべて棄却となった。被告(澤藤)の全面勝訴である。
たくさんの方から「勝訴おめでとう」と声をかけていただいきました。弁護団の皆さま、支援をしてくださった皆さまに、感謝を申し上げます。この1年余の間、孤独を感じることなく「もっとも幸せな被告」であり続けられたことは、ひとえに皆さまのおかげです。感謝しきれない思いです。
原告両名の、私に対する請求は以下の3点。
1 6000万円の損害賠償
2 ブログ「憲法日記」5本の記事削除
3 謝罪文をブログに掲載せよ
このすべてが、斥けられた。
この件で被告になっているのは形の上では私(澤藤)だが、実は私だけでなく「政治的言論の自由」「政治とカネにまつわる問題についての批判の自由」「消費者利益の擁護に向けた言論の自由」も、私と一緒に被告席に立たされてきた。光前弁護士を筆頭にする被告弁護団は、澤藤を勝訴させるというよりは、表現の自由を擁護するために、かくも熱意をもって訴訟活動をしてくれたのだ。だから今日は、憲法21条の表現の自由が少し微笑み、その輝きを増したように思う。
にもかかわらず、キーワードは「言論の萎縮」だ。のびのびと言論の自由が謳歌される社会でなくてはならない。無責任言論の放任を奨励しているわけではなく、市民の誰もが、権力や経済的・社会的強者に対して、遠慮なく批判の言論を行使できなければならないのだ。強者の側には、言論による批判を甘受すべき寛容が求められる。仮に、誤った言論で攻撃されれば、反論すれば済むことだ。
本件は、典型的な経済強者による、自己に不都合な言論の封殺を狙ってのスラップ訴訟である。判決はスラップとして「却下」までは認めなかったが、被告が当ブログで、本件訴訟をスラップと表現したことを違法ではないとして、一定の理解を示した。今後、「スラップの抗弁」が繰り返され、いつの日か裁判所がこれを認める日が来るだろう。
DHC・吉田は、この訴訟で萎縮効果を狙った。本件と類似の高額損害賠償請求訴訟の提起は10件である。萎縮効果は被告にされた者に限定されない。むしろ、それ以外の多くの市民やジャーナリストに及んでいる。「DHCを批判すると面倒だ」「触らぬ神に祟りなし」という萎縮効果は、言論封殺効果でもある。このような萎縮効果を認めてはならない。言論の自由を実質化するために、DHC・吉田らに対する制裁が必要ではないか。そのような社会的合意の形成に力を尽くしたいと思う。
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あらためて、本日判決の事件の概要をご紹介しておく。
係属裁判所 東京地方裁判所民事第24部合議A係
事件番号 平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)の両名
被告 澤藤統一郎(職業・弁護士)
裁判長裁判官 阪本勝
陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一外110名(計111名)
請求の趣旨 6000万円の賠償とブログ削除・謝罪広告掲載の請求
原告が違法と主張する被告の言論の内容
吉田嘉明(DHC)が渡辺喜美(みんなの党)に対して
政治資金8億円を交付したことについての批判
(「不透明なカネによって政治を歪める」ことの批判
「行政の規制に服する事業者が政治にカネを出して
規制の緩和を行おうとする」ことへの批判)
この判決が持つ意味
*「政治的言論の自由」を手厚く保障したこと
*「政治とカネ」をめぐる論評の自由が特に手厚く保障されたこと
*消費者利益をめぐる論評の自由が強く保障されたこと
論評の内容はサプリメント販売の規制緩和(機能性表示食品問題)への批判
*公権力だけでなく、経済的社会的強者も言論による批判を甘受すべきとされたこと
*高額損害賠償請求訴訟を提起しての言論妨害(スラップ)について、判決に一定の問題意識が感じられること。
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本日の判決を一読しての印象は、たいへん堅実で緻密な書きぶりであるということ。A3の主張対照表5枚を含む42頁。かなりのボリュームである。最高裁判例の枠組みに従った手固い判断。その枠組みは必ずしも被告弁護団の主張を全面的に取り入れたものではない。しかし、むしろそれ故に上級審での逆転の危うさを感じさせないものになっている。
原告は、ブログ5件中の16個所をつまみ出して、この16個所の記事が違法で名誉毀損に当たると主張した。判決は、そのうち1個所は原告吉田に関わるものでないとして、15個所について判断している。15個所のすべてについて、「事実の摘示」か「意見ないし論評」かを検討して、全部を「意見ないし論評」とした。しかも当該論評がすべて原告吉田の社会的評価を低下させるものと判断した。
私のブログ記事は、ことさらに吉田の社会的評価を低下させることを目的としてなされたものではない。しかし、吉田の行動に対する批判が、吉田の社会的評価の低下を伴うことはやむを得ないことなのだ。そのことに遠慮していては、言うべきことを言えないことになる。
私のブログが吉田の社会的評価を低下させるものではあるが、違法ではないことについて、判決は次のとおり述べている。
「本件各記述(澤藤ブログ)は,いずれも意見ないし論評の表明であり,公共の利害に関する事実に限り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできないから,違法性を欠くものというべきである。」
これだけ読むと随分とハードルが高そうな印象を受ける。
なにしろ、「(1)公共の利害に関する事実に限り」「(2)その目的が専ら公益を図ることにあって」「(3)その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており」「(4)前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ」「(5)人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱していない」ことが違法でないための要件だというのだから。
しかし、意見ないし論評についての公共性・公益性のハードルも、「前提事実の重要な部分について真実であることの証明」のハードルもけっして高くはない。「重要な部分」でよいのだし、仮に真実性の証明ができなくても「真実と信じるについての相当性」があればよい。私の場合は、多くが吉田自身の手記にもとづいて書いているのだからほとんど何の問題もない。むしろ、意識される問題点は「(5)人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱していない」ことだけなのだが、これとて私のブログのレベル(行為の批判はしても、人格攻撃はしない)なら、なんの問題もない。
やや長文になるが、私がサプリメント販売の規制緩和(機能性表示食品問題)に関連して吉田を批判したプログの問題部分と、裁判所の判断を引用しておきたい。
(2014年4月2日ブログ)「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、『官僚と闘う』の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。
これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」
(判決)「上記各記述(ブログ記事)は,本件朝日新聞記事の内容に触れ,原告らが,広告を用いて消費者に無用なあるいは安全性の不十分なサプリメントを買わせて儲けようとの意図を持っており,そのために金員の交付を受けた政治家が,必要な規制緩和等を行うという関係があることを指摘し,暗に原告吉田と渡辺議員にもそのような持ちつ持たれつの関係があるのではないかという意見ないし論評を表明したものであるところ,それらの前提としている事実の重要な部分は,…?渡辺議員が平成26年3月31日付けの自己のブログで『DHC会長からの借入金について』と題する記事を掲載し,その中で,原告吉田と渡辺議員との関係について記載したこと,?マスコミを使った大量の広告,宣伝により,サプリメントが販売されている事実,?サプリメント業界において規制緩和を求める動きが存在する事実,?原告会社において,過去に機能性の評価が不十分であったり,安全性に問題があるサプリメントが販売されていた事実である。
そして,証拠(乙2の2)によれば,?の事実が認められ,?の事実は公知の事実である。?の事実については,具体例として,日本経済団体連合会が,平成19年11月,ヘルスケア産業の規制改革要望を提出し,アメリカのように企業の責任で病名を含む効能効果の表現を可能とする表示制度の導入を求めたこと(乙7)や,社団法人日本通信販売協会が,平成20年6月にガイドラインを策定し,表示規制の緩和を進めようとしていたこと(乙10)が挙げられる。?の事実については,原告会社が,シャンピニオンエキスと称する成分を含む食品について,口臭,体臭及び便臭を消す効果が得られるかのように示す表示をして販売していたが,表示の裏付けとなる合理的な根拠を示す資料を提出できず,平成21年に公正取引委員会から排除命令を受けたこと(乙3の8の2),また,平成15年に,原告会社のメリロートが原因と疑われる肝機能障害の事例が報告されたこと(乙3の3),平成16年には,原告会社のメリロートを含む健康食品に,医薬品で定められている1日の服用量の2倍を超えるクマリンが含まれていたこと(乙3の5)が認められる。
そうすると,上記意見ないし論評の前提としている事実の重要部分については,いずれも真実であることの証明があったといえる。」
私には、判決が、企業の事業活動や企業と政治との結びつきを批判する言論に萎縮があってはならない、と呼びかけているように読めるのだが…。
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《DHCスラップ訴訟経過の概略》
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)掲載
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下昨日(9月1日)の第50弾まで
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審
2015年9月 2日 判決言い渡し期日
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《関連他事件について》
DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップ(いずれも、吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供を批判したもの)は合計10件あります。その内の1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になりました。10月に、4番目の判決予定があるようです。
DHC・吉田は、関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、東京高等裁判所での抗告審もいずれも棄却の決定。
本日の私の判決を含めて、合計9連敗です。これが、高額請求訴訟の判決結果。
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仮にもし、本日の判決が私の敗訴だったら…。
私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
何度でも繰り返さなければならない。
「スラップに成功体験をさせてはならない」と。
(2015年9月2日)
明後日(9月2日)東京地裁で、私自身が被告にされている「DHCスラップ訴訟」の判決が言い渡されます。報道に値する判決になるはずですので、ぜひ取材のうえ報道されるよう要請いたします。
そして、この判決を契機として、表現の自由保障の重要性や、経済的強者が民事訴訟を濫発して自分に不都合な言論を封殺しようという「スラップ訴訟」の弊害と防止策などについて、ぜひ掘り下げて言論界の話題にしていただくようお願いいたします。
この件で被告になっているのは私ですが、実は私だけでなく「政治的言論の自由」「政治とカネにまつわる問題についての批判の自由」「消費者利益の擁護に向けた言論の自由」なども、私と一緒に被告席に立たされています。その意味では、すべてのディアがご自分の問題としても関心をもたざるを得ない訴訟であり判決だと思います。
《当日の予定》は以下のとおりです。
午後1時15分 判決言い渡し(631号法廷)
午後1時30分 判決勝利報告集会(一弁講堂・弁護士会館12階)
午後3時30分 記者会見(司法記者クラブ)
《判決を迎える事件の特定》
東京地方裁判所民事第24部合議A係
平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)の両名
被告 澤藤統一郎(職業・弁護士)
裁判長裁判官 阪本勝
陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一 外110名(計111名)
《この事件が持つ意味》
*政治的言論が保障されなければならないこと。
*「政治とカネ」をめぐる論評の自由が特に保障されねばならないこと。
論評の内容は「カネで政治を買う」ことへの批判。
*消費者利益をめぐる論評の自由が強く保障されねばならないこと。
論評の内容はサプリメント販売の規制緩和(機能性表示食品問題)への批判。
*公権力だけでなく、経済的社会的強者も言論による批判を甘受すべきこと。
*高額損害賠償請求訴訟を提起しての言論妨害が許されないこと。
《予想される判決の内容》
この日の判決は、DHC・吉田嘉明の自己に不都合な言論を封殺しようとした不当な意図を挫いて、政治的言論の自由を再確認し、市民や消費者の立場からの、企業や行政や経済的強者への批判の権利を保障する内容になるはずです。判決の主文もさることながら、理由がより注目されるところ。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)掲載
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月 4日 答弁書提出(本案前・訴権の濫用却下、本案では棄却を求める)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下本日の第50弾まで
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生講演)
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
『DHCスラップ訴訟』関連記事
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審
2015年9月 2日 判決言い渡し期日
《本日の勝訴報告集会》
13時30分?15時 第一東京弁護士会講堂
弁護団長 経過と判決内容の説明 今後の展望 質疑応答
常任弁護団から、あるべきスラップ訴訟対策提言試案
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
スラップ常習提訴者や提携弁護士に対する抑止・制裁のあり方
スラップ対策の制度つくり など
被告本人 お礼とご挨拶
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《関連他事件について》
DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップ(いずれも、吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供を批判したもの)は合計10件あります。その内の1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、
本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、
6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、
その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は
本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、
8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、
やはり、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になるようです。
DHC・吉田は、同種2事件で各一審と控訴審計4回の判決を受けてすべて敗訴となっています。
DHC・吉田は、関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、抗告審も敗訴。これで、合計8連敗です。
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《スラップに成功体験をさせてはならない》
私は、多くの人の支援や励ましに恵まれた「幸福な被告」です。しかし、被告が常に法的、財政的、精神的な支援に恵まれる訳ではありません。スラップの被害に遭った者がペンの矛先を鈍らせることも十分にあり得ることと言わざるを得まらん。だから、恵まれた立場にある私は、声を大にして、DHC・吉田の不当を叫び続けなければならない。そして、スラップの根絶に力を尽くさなければならない、そう思っています。
その思いを、下記のとおり結審法廷の被告陳述書で述べています。
《被告本人意見陳述》(2015年7月1日結審の法廷で)
口頭弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、現在は、6000万円を支払え、とされる立場です。当然のことながら、心穏やかではいられません。このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる原告らの提訴を許すことができません。
私は、憲法で保障された「表現の自由」を行使したのです。本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなることに関しての社会への警告なのです。むしろ私は、社会に有益で有用な情報や意見を発信したのだと確信しています。被告とされる筋合いはありえません。この点について、ぜひ十分なご理解をいただきたいと存じます。
関連してもう一点お願いいたします。原告の訴状では、私の書いた文章がずたずたに細切れにされ、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。細切れにせずに、各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、私の記事が、いずれも非難すべきところのない真っ当な言論であることをご理解いただけると存じます。
私は、45年の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題を、民主主義の根幹に関わるものととらえて、関心を持ち続けてきました。また、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、「官僚規制の緩和」や「既得権益擁護の規制撤廃」などという名目で、実は事業者の利益のために、消費者保護の制度や運用が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログに、色濃く反映しています。
私の「憲法日記」と表題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在のものは、2013年4月1日に開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新821日を記録しています。このブログは権力者や社会的強者に対する批判の視点で貫かれていますが、そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
昨年3月「週刊新潮」誌上に吉田嘉明手記が発表される以前は、私はDHCや原告吉田への関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的での言論であることに、一点の疑義もありません。
原告らは、私の言論によって社会的評価を低下した、と主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つく人のあろうことは、法が想定していることなのです。誰をも傷つけることのない人畜無害の言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。仮に原告両名が、私の憲法上の権利行使としての言論によって、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならないのです。
そのことを当然とする根拠を3点上げておきたいと思います。
その第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。行政の規制と対峙しこれを不服とする立場にもあります。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与しました。さらに、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したのです。自分に都合のよいことだけは言っておいて、批判は許さないなどということが通用するはずはありません。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであることです。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであることです。本来、真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地はありません。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎないのです。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄です。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、原告吉田はこれを甘受しなければならないのです。
にもかかわらず、吉田は私をいきなり提訴しました。しかも、私だけでなく10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起しています。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという試みが「スラップ訴訟」です。本件こそが、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。原告吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのです。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意しました。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けなければならない、これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせています。
その決意が、私のブログでの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日(6月30日)までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
貴裁判所には、本件のごとき濫訴は法の許すところではないことを明確に宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却して、司法の使命を果たされるよう要請申し上げます。
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なお、メディア関係者以外の一般の方に訴えます。
法廷傍聴も、法廷後の勝訴報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さま、政治とカネの問題や、消費者問題に関心のある方、ぜひご参加ください。
(2015年8月31日)
私が被告とされているスラップ(言論封殺目的)訴訟。9月2日の判決言い渡し期日が間近となりました。その日のスケジュールを再度お伝えします。
9月2日(水)
13時15分 東京地裁631号法廷 判決言い渡し
(東京地裁庁舎南側(正面入口から入構して右側)6階)
13時30分 勝訴判決報告集会 第一東京弁護士会(弁護士会館12階)
この日の判決は、
DHC・吉田嘉明の言論封殺の意図を挫いて、
政治的言論が自由であることを再確認し、
市民や消費者の立場からの、
企業や行政や経済的強者への遠慮のない批判の権利を保障する
そのような内容になるはずです。
この日を表現の自由の勝利の日として祝賀しようではありませんか。
法廷傍聴も報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さまに、ご参加を呼びかけます。
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DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップは合計10件あります。その内、1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、
本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、
6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、
その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は
本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、
8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、
やはり、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になるようです。
DHC・吉田は、同種事件で4回の判決を受けてすべて敗訴となっています。
関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、抗告審も敗訴。これで、合計8連敗です。
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下記の動画がユーチューブにアップされていることを教えてもらいました。
TBSが、烏賀陽弘道さんを取材して作成した「JNNルポルタージュ・報道の魂」という番組のアーカイブ画像です。
パート1?3までありますが、とても分かり易くスラップとは何か、なぜスラップ対策が必要かを語っています。ぜひ、ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=NciG6PbVjqk
烏賀陽さんは、「オリコン事件」と言われる典型スラップで5000万円の請求を受け苦労の末に実質的な勝利を手にします。勝利してオリコンには支払わなくてもよいことにはなりましたが、「応訴費用や訴訟期間中の減収など失った金銭(概算で1000万円弱)」は返ってきません。「心身の苦痛はひどいものだった」が、これも癒されません。
スラップとは標的とした人物に対する「イヤガラセ提訴」ですから、被害が生じることは当然なのです。これを放置していてよいのか、という当事者としての問題意識から、烏賀陽さんは「訴訟大国」アメリカに調査に出かけます。
アメリカ50州のうち28州(人口カバー率だと72%)に「反スラップ法」が制定されているそうです。その内容は必ずしも同じではありませんが、典型的には次のようなものです。
スラップを提訴された被告は、「この訴訟はスラップである」と動議を出すことができます。この動議の要件は、公共の利害にかかわる意見表明が攻撃されているということだけでよい。すると、原告側は勝訴の蓋然性を裁判所に証明しなければならない。名誉毀損訴訟の場合では、「被告に現実の悪意が存在すること」の立証が必要だというのです。原告がこの立証に不成功なら、そこで請求は棄却になります。それだけではなく、「弁護士費用移転」の効果が発生するというのです。原告は、被告が負担した弁護士の費用まで、被告に支払わねばなりません。これで、スラップ防止の実を挙げているというのです。
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私も、当事者としてスラップに向かい合い、スラップ防止の策を考えなければなりません。
DHC・吉田は、カネに飽かせて、負けてもともとの濫訴をしています。これに対する厳正な制裁が必要です。十分な制裁があって初めて濫訴の防止が可能になります。現行の民事訴訟制度で出来ることはなんだろう。立法政策として、可能なことはなんだろう。一審判決を機に、十分考え社会に提案してみたいと思います。自分でできることは実践もしてみたい。
烏賀陽さんの近著「スラップ訴訟とは何かー裁判制度の悪用から言論の自由を守る」(現代人文社)では、カリフォルニア州のスラップ専門弁護士のコメントを紹介しています。
「例えて言うなら、カリフォルニア州の反スラップ法は、キバがいくつも並んだサメの歯のようなものです。いったん食いつかれると、次々にキバが食い込んで抜け出せなくなる。それでも提訴しますか、とクライアントに警告する。…たいていは思いとどまります」
このアメリカの反スラップ立法も、言論の自由を厚く擁護する判例の積み重ねが生みだしたものだ。日本においても、まずは個別の事件できちんと勝ち切って、判例を積み重ねるところが出発点なのだろう。
(2015年8月22日)
私が被告とされているスラップ(言論封殺目的)訴訟。7月1日に結審して、判決言い渡しは9月2日となった。その日のスケジュールをお伝えします。
9月2日(水)
13時15分 東京地裁631号法廷 判決言い渡し
(東京地裁庁舎南側(正面入口から入構して右側)6階)
13時30分 勝訴判決報告集会 第一東京弁護士会(弁護士会館12階)
この日を祝賀の日として集おうではありませんか。
判決は、DHC・吉田嘉明の言論封殺の意図を挫いて、
政治的な言論の自由を確認し、
市民や消費者の立場からの、企業や行政への遠慮のない批判を保障する
そのような内容になるはずです。
法廷傍聴も報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さまに、ご参加されるようお願いいたします。
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判決言い渡しとなる訴訟は、以下のとおり。
東京地方裁判所民事第24部合議A係平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)
被告 澤藤統一郎
裁判長裁判官 阪本勝 陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭の3名
被告代理人弁護士 光前幸一以下111名
請求内容は、当初2000万円の損害賠償請求。私の3本のブログが、DHCと吉田嘉明の名誉を傷つけたというもの。この提訴を言論封殺目的の不当訴訟だと当ブログで反撃(今日まで48本)したところ、その内の2本が、さらに名誉を毀損するものとして請求を拡張。6000万円の請求となった。提訴時には、ブログ3本で2000万円。請求拡張では、提訴批判のブログ1本が2000万円である。信じがたいことが現実に起こるのだ。
なお、経過は本ブログに全部掲載している。1本2000万円の値がついたブログもぜひお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連記事
前回、7月1日の結審法廷で、私は10分間の意見陳述をした。「スラップに成功体験をさせてはならない」という主旨である。
仮に、本件で私の言論が、いささかでも違法と判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなる。原告吉田嘉明に成功体験を与えたら、吉田自身が図に乗るだけではない。本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになる。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることになる。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはない。
DHC・吉田は、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならない。強調すべき根拠が3点ある。
第1 原告らの「公人性」が著しく高いこと。もともと吉田は単なる「私人」ではなく、多数人の健康に関わるサプリメントの製造販売を業とする巨大企業のオーナーで、行政の規制と対峙しこれを不服とすることを公言する人物である。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与し、さらにそのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立った。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したというべきである。
第2 私(澤藤)の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであること。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の核心。もしも、この私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまう。
第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであること。真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地がない。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎない。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、吉田はこれを甘受しなければならない。
吉田は私を含む10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起した。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという典型的なスラップ訴訟である。吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのだ。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意した。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けよう。これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせている。
前回結審後の報告集会では、光前弁護団長の経過と争点についての解説があった。光前さんは、「本格的に、政治的な言論の自由と切り結んだ判決を期待する」ことを表明した。勝訴判決であればよいというのではなく、勝ち方を問題としているのだ。
そして、何人かの弁護団員から、「請求棄却の勝訴判決を得ただけでは不十分ではないか」「DHCに対する効果的な制裁を考えるべきだ」という意見が相次いだ。
勝訴判決のあと、「DHC・吉田やその取り巻きに対する効果的な制裁」を考えよう。言論の自由のための闘いの一環として。
(2015年7月23日)
DHCスラップ訴訟は本日結審。次回判決言い渡し期日は9月2日午後1時15分と指定された。
賑やかな結審法廷となった。満員の傍聴席に顔をそろえたのは、私の家族、妹、姪、学生時代の同級生、昔の依頼者、今戦いを共にしている仲間たち、30名の弁護団、そして私のブログを読んで駆けつけていただいた初対面の人たち。なんとも心強く、ありがたい。
私は、意見陳述で思いの丈を吐露した。いくつかのバージョンを経て、本日アップするものが、法廷での私の発言。10分間で朗読できるよう贅言を殺いだ最終版が、まとまりの良い意を尽くした文章になったと思う。なお、朗読しているうちに、「スラップに成功体験をさせてはならない」という言葉が突然出てきた。まことにそのとおりである。
報告集会は、光前弁護団長の解説で始まり、私の挨拶で終わった。
光前さんは、「本格的に、政治的な言論の自由と切り結んだ判決を期待する」ことを表明した。そして、何人かの弁護団員から、「請求棄却の勝訴判決を得ただけでは不十分ではないか」「DHCに対する効果的な制裁を考えるべきだ」という意見が相次いだ。
なお、本年1月15日1審判決があったDHC対折本弁護士事件の控訴審は、4月23日に東京高等裁判所第24民事部で一回結審し、6月25日控訴棄却判決となった旨の報告があった。折本さんは、「粛々と勝ちに行く方針」を実践されて勝訴した。仮にDHC側が上告受理申立をしても逆転はあり得ない。これで、DHC・吉田は、仮処分と本訴を併せて、7戦7敗である。既にDHC・吉田の濫訴は明白になったと言うべきであろう。
私は、多くの人の支援や励ましに恵まれた「幸福な被告」である。しかし、被告が常に法的、財政的、精神的な支援に恵まれる訳ではない。スラップの被害に遭った者がペンの矛先を鈍らせることも十分にあり得ることと言わざるを得ない。だから、恵まれた立場にある私は、声を大にして、DHC・吉田の不当を叫び続けなければならない。そして、スラップの根絶に力を尽くさなければならないと思う。
次回、判決法廷と、その後の報告集会については、後刻お知らせします。皆さま、ぜひまた、傍聴と集会参加をお願いします。
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被 告 本 人 意 見 陳 述
弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、現在は、6000万円を支払え、とされる立場です。当然のことながら、心穏やかではいられません。このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる原告らの提訴を許すことができません。
私は、憲法で保障された「表現の自由」を行使したのです。本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなることに関しての社会への警告なのです。むしろ私は、社会に有益で有用な情報や意見を発信したのだと確信しています。被告とされる筋合いはありえません。この点について、ぜひ十分なご理解をいただきたいと存じます。
関連してもう一点お願いいたします。原告の訴状では、私の書いた文章がずたずたに細切れにされ、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけがされ、「違法な文章」に仕立て上げられようとしています。細切れにせずに、各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、私の記事が、いずれも非難すべきところのない真っ当な言論であることをご理解いただけると存じます。
私は、45年の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題を、民主主義の根幹に関わるものととらえて、関心を持ち続けてきました。また、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、「官僚規制の緩和」や「既得権益擁護の規制撤廃」などという名目で、実は事業者の利益のために、消費者保護の制度や運用が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログに、色濃く反映しています。
私の「憲法日記」と表題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在のものは、2013年4月1日に開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新821日を記録しています。このブログは権力者や社会的強者に対する批判の視点で貫かれていますが、そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
昨年3月「週刊新潮」誌上に吉田嘉明手記が発表される以前は、私はDHCや原告吉田への関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的での言論であることに、一点の疑義もありません。
原告らは、私の言論によって社会的評価を低下した、と主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つく人のあろうことは、法が想定していることなのです。誰をも傷つけることのない人畜無害の言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。仮に原告両名が、私の憲法上の権利行使としての言論によって、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならないのです。
そのことを当然とする根拠を3点上げておきたいと思います。
その第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。行政の規制と対峙しこれを不服とする立場にもあります。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与しました。さらに、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したのです。自分に都合のよいことだけは言っておいて、批判は許さないなどということが通用するはずはありません。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであることです。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであることです。本来、真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地はありません。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎないのです。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄です。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、原告吉田はこれを甘受しなければならないのです。
にもかかわらず、吉田は私をいきなり提訴しました。しかも、私だけでなく10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起しています。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという試みが「スラップ訴訟」です。本件こそが、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。原告吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのです。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意しました。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けなければならない、これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせています。
その決意が、私のブログでの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
貴裁判所には、本件のごとき濫訴は法の許すところではないことを明確に宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却して、司法の使命を果たされるよう要請申し上げます。
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『DHCスラップ訴訟』第8回弁論について
東京地方裁判所民事第24部合議A係
平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)
被告 澤藤統一郎
裁判長裁判官 阪本勝 陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一 外110名
《前回期日から本日までの経過》
4月22日 第7回(実質第6回)口頭弁論
5月11日 被告準備書面(6) 被告「主張対照表・補充改訂版」提出
6月12日 原告準備書面6・原告吉田陳述書提出、被告本人陳述書提出
7月 1日 (本日)15時? 631号法廷 第8回(実質第7回)弁論 結審
15時30分? 東京弁護士会508号・報告集会
《本日の法廷》
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述(10分)。
その後に弁論終結、判決期日指定。
《本日の報告集会》
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室
弁護団長 本日までの経過説明(常任弁護団から補充)
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
☆判決報告集会の持ち方
☆他のDHCスラップ訴訟被告との連携
☆原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼とご挨拶
《この事件の 持つ意味》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評 「カネで政治を買う」ことへの批判
*具体的には、サプリメント規制緩和(機能性表示食品問題)を求めるもの
*言論妨害の主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*言論妨害態様が、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)となっている。
※争点 「表現の自由」「訴権の濫用」「公正な論評」「政治とカネ」「規制緩和」
《具体的な争点》
※名誉毀損訴訟では、言論を「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別する。
本件をそのどちららのタイプの事案とするかが問題となっている。
☆原告は、ブログの記事のひとつひとつを「事実の摘示」と主張。
☆被告は、全てが政治的「論評」だという主張。
※事実摘示型の言論は原則違法とされ、
(1)当該の言論が公共の事項に係るもので、(公共性)
(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(公益性)
(3)その内容が主要な点において真実である(真実性)
(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)(相当性)
が立証された場合に違その言論の法性が阻却される。
(被告(表現者)の側が、真実性や真実相当性の立証の責任を負担する)
※論評型は、「既知の事実を前提とした批判(評価)が社会的評価を低下させる言論」
真実性や真実相当性は前提事実については必要だが、論評自体は、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないとされる。
《事件の発端とその後の経過》(問題とされたのはブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連記事
4月16日 原告ら提訴(係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長)
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月 4日 答弁書提出(本案前・訴権の濫用却下、本案では棄却を求める)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日以後 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
第2弾「万国のブロガー団結せよ」
第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
第4弾「弁護士が被告になって」 現在第46弾まで
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」と、8月8日「第15弾」
9月17日 第3回(実質第2回)弁論期日。
11月12日 第4回(実質第3回)口頭弁論
12月24日 第5回(実質第4回)口頭弁論
1月15日 東京地裁民事第30部 DHC対折本弁護士事件判決 DHC完敗
2月25日 第6回(実質第5回)口頭弁論
3月24日 東京地裁民事第23部 DHC対宋文洲氏事件判決 DHC完敗
4月22日 第7回(実質第6回)口頭弁論 裁判長交代 阪本勝判事
7月 1日 第8回(実質第7回)口頭弁論 結審 判決日指定
9月 2日 13時15分 631号法廷 判決言渡し
その後、報告集会(場所未定)と記者会見を予定
(2015年7月1日)
私自身が被告とされているDHCスラップ訴訟は、明後日(7月1日・水曜日)午後に結審予定となっています。公開の法廷で裁判を受けることは国民の権利ですし、法廷傍聴も国民の権利です。どなたでも法廷にお入りください。身分証明も不要ですし、名前を登録する必要もありません。但し、今回も抽選はありません。傍聴席が満杯になればご遠慮いただかざるを得ません。その場合は、報告集会にお越しください。こちらは立ち見でも、参加可能です。
その7月1日(水)の予定は以下のとおり。
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述(10分)。
その後に弁論終結、判決期日指定。
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
弁護団長 本日までの経過説明(常任弁護団から補充)
田島泰彦上智大教授 ミニ講演
本件訴訟の各論点解説とこの訴訟を闘うことの意義
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
・感想意見の交換
・判決報告集会の持ち方
・他のDHCスラップ訴訟被告との連携
・原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼とご挨拶
7月1日法廷では、私が口頭で10分間の意見陳述をします。本日は、その原稿を掲載します。10分間の朗読原稿なので、意を尽くしているとは言い難いのですが、が、短くて読み易く、何がどのように問題なのか、要点を把握しやすいと思います。ぜひ、ご一読ください。
この日、結審となって次回は判決期日となります。この判決は、主文だけでなく、判決理由が注目されるところです。問題は、憲法上の言論の自由に関わるだけではありません。政治とカネの問題にも、消費者問題の視点からの規制緩和問題にも関連しています。
ところで、「昔武富士、今DHC」。悪名高いスラップ訴訟の常連企業です。武富士はつぶれて過去の存在となりましたが、スラップ受任常連弁護士は健在です。DHCもその受任弁護士も健在。今後もスラップ訴訟が繰り返される恐れは払拭できません。これを防止するためには、ひとつひとつのスラップ事件で提訴の不当を明確にする判決を積み上げていくことが重要だと思います。
DHCは労働組合運動に対する恫喝訴訟などの前歴もありますが、「8億円裏金事件」批判に対するものとしては10件のスラップを提訴しました。そのうち1件は取り下げ、2件で一審判決が出ています。もちろん、DHC側の完敗。関連した仮処分事件が2件あり、これも地裁と抗告審の高裁で、DHCは完敗しています。今のところ、DHCは6戦6敗。おそらくは、私の判決が7敗目となるはず。ご注目をお願いいたします。
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H26年(ワ)第9408号
被 告 本 人 意 見 陳 述
東京地方裁判所民事24部御中
被告本人 澤 藤 統一郎
口頭弁論終結に際して、意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、心ならずもの応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、途中請求の拡張があって6000万円の支払いを請求される立場とされています。当然のことながら、心穏やかではいられません。不当な提訴と確信しつつも、むしろ不当な提訴と確信するからこそ、このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる本件提訴を許すことができません。
私に違法と判断される行為や落ち度があったはずはありません。私は、憲法で保障されている「表現の自由」を行使したに過ぎないのです。むしろ、私は社会に有益で有用な言論を発信したのだと確信しています。提訴され被告とされる筋合いはありえません。
本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなっていることに関しての社会への警告なのです。この点について、十分なご理解をいただきたいと存じます。
なお、もう一点お願いしておきたいことがあります。私の書いた文章が、原告の訴状ではずたずたに細切れにされています。原告は、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。貴裁判所には、原告が違法と非難する5本の各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、各ブログ記事が、いずれも非難すべきところのない言論であることをご理解いただけるものと確信しています。
私は、40年余の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題には関心を持ち続けてきました。また、消費者問題にも強く関心をもち、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験してきました。弁護士会内の消費者委員会活動にも積極的に関与し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、官僚規制の緩和や規制撤廃の名目で、実は事業者の利益拡大の観点から消費者保護の社会的規制が攻撃され、その結果消費者保護行政が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログの内容に反映しています。
私の「憲法日記」と標題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在継続中のものは、2013年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新記録は821日となりました。公権力や社会的強者に対する批判の視点で貫かれています。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
2014年3月に「週刊新潮」誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCや原告吉田への個人的関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑義もありません。
本件訴訟では、原告両名が、私の言論によって名誉を侵害されたと主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つけられる人の存在を想定してのものにほかなりません。誰をも傷つけることのない言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。原告両名は、まさしく私の権利行使としての言論による名誉や信用の毀損という「被害」を甘受しなければならない立場にあります。
このことを自明という理由の第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。しかも、原告吉田は週刊誌に手記を発表することによって自らの意思で「私人性」を放棄し、「公人性」を獲得したのです。
もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与した人物なのです。しかも、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。週刊誌を利用して自分に都合のよいことだけは言いっ放しにして、批判は許さないなどということが通用するはずはないのです。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマにおけるものだからです。原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱しているというのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となってしまいます。民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論がすべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づいて、常識的な推論をもとに論評しているに過ぎないことです。意見や論評を自由に公表し得ることこそが、表現の自由の真髄です。私の言論は、すべて吉田自身が公表した手記を素材として、常識的に推論し論評したに過ぎないのですから、事実の立証も、相当性の立証も問題となる余地はなく、私の論評がどんなに手厳しいものであったとしても、原告吉田はこれを甘受せざるを得ないのです。
にもかかわらず、吉田は私を提訴しました。カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が「スラップ訴訟」です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。原告吉田が私をだまらせようとして、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したことに疑問の余地はありません。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、もっともっと大きな声で、何度も繰りかえし、原告吉田の提訴の不当を徹底して叫び続けなければならない、そう決意しました。
その決意の結果が、同じブログへの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、渡辺喜美だけでなく原告吉田側をも批判する論評は私だけでなく数多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という恫喝によって、批判の言論を委縮させ封じこめようという意図をもってのことというべきです。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却していただくよう要請いたします。
(2015年6月29日)
私が被告とされているDHCスラップ訴訟は、7月1日に結審予定となっている。、
その7月1日(水)の予定は以下のとおり。
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述。その後に弁論終結。
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
弁護団長 経過説明
田島泰彦上智大教授 ミニ講演
本件訴訟の各論点の解説とこの訴訟を闘うことの意義
弁護団・傍聴者 意見交換
判決報告集会の持ち方
他のDHCスラップ訴訟被告との連携
原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼と挨拶DHCスラップ訴訟
7月1日法廷では、私が口頭で意見陳述をする予定。その予定稿を掲載する。やや長文だが、読み物としても面白いのではなかろうか。この日、結審となって次回は判決期日となる。ぜひ、ご注目いただきたい。憲法上の言論の自由に関わるだけではない。政治とカネの問題にも、消費者問題の視点からの規制緩和問題にも関連している。
心底から思う。こんなスラップ訴訟の横行を許してはならない。そのためには、まず勝訴判決を取らなければならない。
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目 次
はじめにー本意見陳述の目的と大意
1 私の立場
2 ブログ「憲法日記」について
3 「本件ブログ記事」執筆の動機
4 言論の自由についての私の基本的な理解
5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題問題の視点
7 原告らの「本件提訴」の目的とその不当
8 原告DHC・吉田の関連スラップ訴訟
おわりにー本件判決が持つであろう意味
はじめにー本意見陳述の目的と大意
口頭弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し上げます。
本件の法律的な論点については、被告代理人が準備書面で主張し尽くしています。私の陳述は、必ずしも法的構成にとらわれることなく、被告本人として周辺の事情について裁判官のご理解を得たいとするものです。ぜひ、耳を傾けていただくようお願いいたします。
私は、人生ではじめての経験として突然に被告本人となり、この1年余の期間、心ならずも被告として応訴を余儀なくされる立場に置かれて来ました。当初は2000万円、途中請求の拡張があって6000万円の支払いを請求される立場の被告です。当然のことながら、心穏やかではいられません。不当な提訴と確信しつつも、あるいは不当な提訴と確信するからこそ、不愉快極まりない体験を強いられています。
どんな提訴に対しても、応訴には、時間も労力も、そしてある程度の費用もかかります。軽率で不当な提訴が、被告とされる者にいかに大きな有形無形の負担を強いるものであるか、身に沁みて実感しています。この理不尽極まる事態を受容しえません。到底、納得することができません。
どう考えても、私に違法と判断される行為や落ち度があったはずはありません。私は、憲法で保障されている「言論の自由」を行使したに過ぎないのです。いや、むしろ、私は民主主義社会の主権者のひとりとして、社会に有益で有用な言論を発信したのだと確信しています。提訴され被告とされる筋合いはありえません。
本件で問題とされた私の言論は、政治とカネにまつわっての民主主義的政治過程攪乱への批判であり、消費者利益が危うくなっていることに関しての社会への警告です。「民主主義の政治過程をカネの力で攪乱してはならない」という自明の大原則に照らして厳しく批判されるべき原告吉田の行為に対して、必要で適切な批判と警告の言論にほかなりません。
この点についての私の真意を裁判官の皆さまに、十分ご理解をいただきたく、以下のとおり意見を申し述べます。
なお、もう一点お願いしておきたいことがあります。私の書いた文章が、原告の訴状ではずたずたに細切れにされています。貴裁判所の指示で作成された「主張対照表」においても同様です。原告は、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。貴裁判所には、くれぐれも、原告が恣にした細切れのバラバラ文章の印象で、違法性の有無を判断することのないようにお願いしたいのです。
まずは原告が違法と非難する5本の各ブログの文章全体を、私が書いたとおりの文章としてよくお読みいただくようにお願いいたします。文章全体をお読みいただくことで、常識的な理性と感性からは、各記事が、非難すべきところのない政治的言論であることをご理解いただけるものと確信しています。
1 私の立場
私は、司法修習23期の弁護士です。学生時代に、松川事件被告人の救援運動や鹿地亘氏事件の支援運動に携わったことなどから、弁護士を志望しました。修習生の時代に青年法律家協会の活動に加わり、「法は社会的弱者の権利擁護のためにある。司法は弱者の権利救済を実現するための手続である」と確信するようになり、そのような「法や司法本来の理念を実現する法曹になろう」と思い立ちました。
1971年に弁護士登録して、今年が45年目となります。この間、労働事件、消費者事件、医療・薬害訴訟、教育関係事件、職場の性差別撤廃・政教分離・国旗国歌強制反対・平和的生存権などの憲法訴訟に携わってまいりました。常に弱者の側、つまりは、労働者・消費者・患者・市民・国民の側に立って、公権力や大企業、カネや権威を持つ者と対峙して、微力ながらも弁護士本来の仕事をしてまいりました。概ね、これまで初心を忘れることなく職業生活を送ってきたとのいささかの自負があります。
とりわけ、日本国憲法を携えて実務法律家として職業生活を送ることができたことを何よりの人生の好運と考え、憲法擁護、平和・人権・民主主義の憲法理念の擁護のための姿勢を堅持してきたつもりです。
本件に関連していえば、政治資金規正法や公職選挙法問題については、刑事弁護実務において携わった経験から、また、いくつかの選挙運動に関係したことから、関心をもち続けてきました。政治資金規正法の理念である政治資金の透明性確保の要求については、民主主義の基礎をなす制度として強く共感し、カネで政治を動かそうとすることへの強い嫌悪と警戒感を有してきました。
また、市民が弱者として経済的強者に対峙する消費者問題にも強く関心をもち、広範な消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験してきました。弁護士会内の消費者委員会活動にも積極的に関与し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤め、消費者問題をテーマにした日弁連人権擁護大会シンポジウムの実行委員長も経験しています。消費者問題に取り組む中で、官僚規制の緩和や規制撤廃の名目で、実は事業者の利益拡大の観点から消費者保護の社会的規制が攻撃され、その結果消費者保護行政が後退していくことに危機感を募らせてきました。この規制緩和策への警戒感は、現実の消費者被害や被害者に直接に向き合う中で獲得した心構えとして、貴重なものと考えています。
2 ブログ「憲法日記」について
私は、インターネットに「澤藤統一郎の憲法日記」と標題するブログを書き続けています。これも、弁護士としての職業的な使命の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。とりわけ、弁護士としての行動の理念的な指針となるべき憲法を擁護する立場を鮮明にし、憲法や憲法の理念について、実務法律家の視点からときどきの話題のテーマを取り上げて書き続けているものです。
以前にも断続してブログを書いた経験がありますが、現在継続中のものは、第2次安倍政権の発足に危機感を持ち、その改憲路線に警鐘を鳴らすことを主たる目的として、2013年1月1日から書き始めたものです。当初は、以前私が事務局長を務めていた、日本民主法律家協会のホームページの片隅を借りていたのですが、同年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めました。幅広く憲法関連問題を題材として、途切れることなく毎日記事を掲載しています。もちろん顕名で、自分の身分を明示し、自分の言論の内容に責任をもっての記事です。
このブログを書き続けて、本年6月9日で、連続更新記録は800日となりました。この間、私のブログは、公権力や権威や社会的強者に対する批判の姿勢で貫かれています。政権や大企業や天皇制などを批判することにおいて遠慮してはならないと自分に言い聞かせながら書き続けています。そのような視点で世の中を見据えて、批判すべきを遠慮なく批判しなければならない。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
3 「本件記事」執筆の動機
2014年3月に週刊新潮誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCという企業とは馴染みがなく、主としてサプリメントを製造販売する大手の企業の一つとしか認識はありませんでした。もっともサプリメントについては、多くは実際上効果が期待できないのに、あたかも健康や病気の回復に寄与するかのような大量宣伝によって販売されていることを問題視すべきだとは思い続けていました。
業界に問題ありとは思っていましたが、DHCや原告吉田には個人的な関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについて、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑いもありません。
4 言論の自由についての私の基本的な理解
本件訴訟では、原告(DHCと吉田嘉明)両名が、被告の言論によって名誉を侵害されたと主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つけられる人の存在を想定してのものにほかなりません。傷つけられるものは、人の名誉であり信用であり、あるいは名誉感情でありプライバシーです。
そのような人格的な利益を傷つけられる人の存在を想定したうえで、なお、人を傷つける言論が自由であり権利であると保障されているものと理解しています。誰をも傷つけることのない言論は、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。
視点を変えれば、本来自由を保障された言論によって傷つけられる「被害者」は、その被害を甘受せざるを得ないことになります。DHCと吉田嘉明の原告両名は、まさしく私の権利行使としての言論による名誉や信用の毀損(社会的評価の低下)という「被害」を甘受しなければならない立場にあります。これは、憲法21条が表現の自由を保障していることの当然の帰結といわねばなりません。
もちろん、法が無制限に表現の自由を認めているわけではありません。「被害者」の人格的利益も守るべき価値として、「表現する側の自由」と「被害を受けるものとの人格的利益」とを衡量しています。本件の場合には、この衡量の結果はあまりに明白で、原告DHCと原告吉田嘉明が「被害」を甘受しなければならないことは自明といってもよいと考えられます。
その理由の第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。しかも、原告吉田は週刊誌に手記を発表することによって自らの意思で「私人性」を放棄し、「公人性」を前面に押し出したのです。
もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。これだけで「公人」性は十分というべきでしょう。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出し提供して政治に関与した人物なのです。しかも、そのことを自ら暴露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったというべきです。自分で、週刊誌を利用して、自分に都合のよいことだけは言いっ放しにして、批判は許さない、などということが通用するはずはないのです。まずは、この点が強調されなければなりません。
その第2点は、私のブログに掲載された、原告らの名誉を侵害するとされている言論が、優れて公共の利害に関わることです。
無色透明の言論というものも、具体的な言論の内容に関わらない表現の自由というものも考えられません。必ず言論の内容に則して表現の自由の有無が判断されます。原告吉田は、自分がした政治に関わる行為に対する批判の言論を甘受すべきなのです。しかも、政治とカネというきわめて公共性の高いシビアなテーマにおいて、政治資金規正法の理念を逸脱しているというのが、私の批判の内容なのです。これは、甘受するしかないはずです。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となってしまいます。民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論がけっして勝手な事実を摘示するものではなく、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づいて、常識的な推論をもとに論評しているに過ぎないことです。意見や論評を自由に公表し得ることこそが、表現の自由の真髄です。私の原告吉田に対する批判の論評が表現の自由を逸脱しているなどということは絶対にあり得ません。これを違法とすれば、それこそ言論の自由は窒息してしまいます。
仮に私が、世に知られていない原告らの行状を暴露する事実を摘示したとすれば、その真実性や真実であると信じたことについての相当性の立証が問題となります。しかし、私の言論は、すべて吉田自身が公表した手記を素材として、常識的に推論し論評したに過ぎないのですから、事実の立証も、相当性の立証も問題となる余地はなく、私の論評がどんなに手厳しいものであったとしても、原告吉田はこれを甘受せざるを得ないのです。
5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
私のDHC・吉田両原告に対する批判は、純粋に政治的な言論です。原告吉田が、小なりとはいえ公党の党首に巨額のカネを拠出したことは、カネで政治を買う行為にほかならない、というものです。
原告吉田はその手記で、「私の経営する会社…の主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」と不満を述べています。その文脈で、「官僚たちが手を出せば出すほど日本の産業はおかしくなっている」「官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と続けています。
もちろん、原告吉田自身、「自社の利益のために8億円を政治家に渡した」などと露骨に表現ができるわけはありません。しかし、原告吉田の手記は、事実上そのように述べたに等しいというのが、私の意見であり論評です。これは、原告吉田の手記を読んだ者が合理的に到達し得る常識的な見解の表明に過ぎないのです。そして、このような批判は、政治とカネにまつわる不祥事が絶えない現実を改善するために、必要であり有益な言論なのです。
政治資金規正法は、その第1条(目的)において、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるように」としています。まさしく、私は、「不断の監視と批判」の言論をもって法の期待に応え、「民主政治の健全な発達に寄与」しようとしたのです。
原告吉田は、明らかに法の理念に反する巨額の政治資金を公党の党首に拠出したのです。しかも、不透明極まる態様においてです。この瞬間に、原告らは、政治家や公務員と同等に、いやそれ以上に拠出したカネにまつわる問題について国民からの徹底した批判を甘受し受忍すべき立場に立ったのです。これだけのことをやっておいて、「批判は許さない」と開き直ることは、それこそ許されないのです。
6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題の視点
私はブログにおいて、8億円の拠出が政治資金規正法の理念に反するというだけでなく、原告吉田の政治家への巨額拠出と行政の規制緩和との関わりを消費者問題としての視点から指摘し批判しました。
薬品・食品の業界は、国民の生命や健康に直接関わる事業として、厚労省と消費者庁にまたがって厳重な規制対象となっています。個々の国民に製品の安全に注意するよう警告しても無意味なことは明らかなのですから、国民に代わって行政が企業の提供する商品の安全性や広告宣伝の適正化についての必要な規制をしなければなりません。国民に提供される商品の安全を重視する立場からは、典型的な社会的規制である消費者行政上の規制を軽々に緩和してはならないはずです。しかし、企業は利潤追求を目的とする組織ですから、消費者の利益を犠牲にしても利潤を追求する衝動をもちます。業界の立場からは、規制はコストであり、規制は業務拡大への桎梏と意識されます。規制を緩和すれば利益の拡大につながると考えます。だから、行政規制に服する立場にある企業は、なんとかして規制緩和を実現したいと画策するのです。これがきわめて常識的な見解です。私は、長年消費者問題に携わって、この常識を我が身の血肉としてきました。
私のブログ記事は、なんのために彼が政治家に巨額の政治資金を提供したのか、という動機に関して、私は原告吉田の政治家への巨額なカネの拠出は行政の規制緩和を狙ったものと指摘し、彼のいう「官僚機構の打破」の内実として機能性表示食品制度導入問題を取り上げました。このようなものの見方は、極めて常識的なものであり、立証を求められる筋合いのものではありません。機能性表示食品制度は、アベノミクスの「第3の矢」の目玉の一つです。つまりは経済の活性化策として導入がはかられたもので、厳格な社会的規制の厳守という消費者利益の保護は二の次とされているのです。
私のブログの記載のなかで、最も問題とされているのは次の記事です。
「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、『官僚と闘う』の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携」
今読み直してみて、どこにもなんの問題もないと思います。消費者問題をライフワークとしてきた弁護士として、これくらいのことを社会に発信しなくては、職責を全うしたことにならないとさえ思います。
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される」とはガルブレイスの説示によるものです。彼は、一足早く消費社会を迎えていたアメリカの現実の経済が、消費者主権ではなく生産者主権の下にあることを指摘しました。彼の「生産者主権」の議論は、わが国においても消費者問題を論ずる上での大きな影響を及ぼしました。ガルブレイスが指摘するとおり、今日の消費者が自立した存在ではなく、自らの欲望まで大企業に支配され、操作される存在であるとの認識は、わが国の消費者保護論の共通の認識ーつまりは常識となっているものです。
このような基本認識のとおりに、現実に多くの消費者被害が発生しました。だから、消費者保護が必要なことは当然と考えられてきたのです。被害を追いかけるかたちで消費者保護の法制が次第に整備されてくるそのような時代に私は弁護士としての職業生活を送りました。ところが、それに対する事業者からの巻き返しを理論づけたのが「規制緩和論」です。「行政による事前規制は緩和せよ撤廃せよ」「規制緩和なくして強い経済の復活はあり得ない」という経済成長優先が基調となっています。企業あるいは事業者にとって、消費者保護の規制は利益追求の桎梏なのです。消費者の安全よりも企業の利益を優先する規制緩和・規制撤廃の政治があってはじめて日本の経済は再生するというわけです。
アベノミクスの一環としての機能性表示食品制度は、まさしく経済活性化のための規制緩和です。コンセプトは、「消費者の安全よりは、まず企業の利益」「企業が情報を提供するのだから、消費者注意で行けばよい」「消費者が賢くなればよい」「消費者被害には事後の救済という対応でよい」という考え方です。消費者サイドからは、けっして受け容れることが出来ません。
機能性表示食品制度は本年4月から実施されています。報道では「機能性表示食品として消費者庁に届け出した食品の中には、以前、特定保健用食品(トクホ)として国に申請し、「証拠不十分」と却下されたものも交じっている」とされています。「トクホ落ち」という業界用語で語られる食品が、今や機能性表示食品として堂々と宣伝されることになったのです。まさしく、企業のための規制緩和策以外の何ものでもないのです。
原告吉田の手記が発表された当時、機能性表示食品制度導入の可否が具体的な検討課題となっていました。「経済活性が最優先。国民の安全は犠牲になってもやむを得ない」という基本路線に、業界は大いに喜びました。国民の安全を最優先と考える側からは当然に反発の声があがりました。もちろん、日弁連も反対の立場を明確にしています。そのような時期に、私は機能性表示食品制度導入問題に触れて、「DHC吉田が8億円出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての『規制緩和という政治』を買い取りたいからなのだと合点がいく」とブログに表現をしました。まことに適切な指摘だったと思います。
7 「本件提訴」の目的とその不当
カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が「スラップ訴訟」です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。私の口を封じようとしたのはDHC会長の原告吉田嘉明。彼が不愉快として封じようとした私の言論は、私がブログ「憲法日記」に書いた3本の記事。政治とカネにまつわる政治的批判の言論。そして原告吉田の政治資金提供の動機を規制緩和を通じての営利追求にあるとした、消費者問題の視点からの指摘の言論です。これらが社会的に有用な言論であることは既述のとおりです。
原告吉田が私をだまらせようとして、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したことに疑問の余地はありません。私は、原告吉田から「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならないと決意しました。もっともっと大きな声で、何度も繰りかえし、原告吉田の不当を叫び続けなければならない。その結果が、同じブログへの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。6月12日現在で、44回書き連ねたことになります。読み直してみるとなかなかに充実した内容で、貴重な問題提起になり得ていると思います。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
8 原告DHC・吉田の関連スラップ訴訟
原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、政治資金8億円を裏金として受けとっていた「みんなの党」渡辺喜美代表に対して、ごうごうたる非難が巻きおこりました。8億円の内、3億円については借用証が作成されたとのことですが、5億円については貸金であることを示す書類はないようです。カネの動きも、貸金にしては極めて不自然。そのほかにも、渡辺側の不動産を原告吉田が渡辺の言い値で購入したことも明らかとなりました。このような巨額のカネが、政治資金規正法にもとづく届出のない裏金として動いていたのです。
この事件について、渡辺だけでなく原告DHC・吉田側をも批判する論評も多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という爆弾により、市井の言論を委縮させ、更なる批判言論を封じ込むという効果を狙ってのものというべきです。
10件もの提訴自体が、明らかに濫訴であることを物語っています。また、原告吉田が公表した手記を契機に、同じような原告DHC・吉田批判が、彼らの経済的支配の埒外にあるミニコミに噴出したのは、その批判(言論)内容が多くの人に共通した、普遍的な推論と所見であることを推認させるものと考えられます。
東京地裁に提起された訴訟10件の賠償請求額は最低2000万円、最高2億円です。私は当初「最低ライン」の2000万円でしたが、その後ブログに「口封じのDHCスラップ訴訟を許さない」と書き続けて、請求額は6000万円に増額となっています。
その10件のうち、折本和司弁護士(横浜弁護士会)が被告になっている事件は今年の1月15日に第1号判決となり、次いで3月24日に被告S氏についての第2号判決が、いずれも「原告完敗・被告完勝」の結果となりました。私の事件がこれに続く第3号判決になることが予想されます。
そのほかに、関連する2件の仮処分申立事件があって、それぞれに申立の却下決定(東京地裁保全担当部)と抗告却下決定(東京高裁)があります。判決2件とこの4件を合計して計6件、原告DHC・吉田は連戦連敗なのです。私は、可能な限りの記録閲覧をしていますが、今後も、原告DHC・吉田の連敗記録が途切れることはありえないと確信しています。
本年3月24日に東京地裁民事第23部合議部(宮坂昌利裁判長)が、私のブログなどに比較して手厳しいツイッターでの発言について、なんの躊躇もなく、名誉毀損も侮辱も否定して、原告の請求を棄却しています。注目すべきはこの判決の中に次のような判示があることです。
「そもそも問題の週刊誌掲載手記は、原告吉田が自ら『世に問うてみたい』として掲載したもので、さまざまな立場からの意見が投げかけられるであろうことは、吉田が当然に予想していたはずである」「問題とされているツイッターの各記述は、この手記の公表をきっかけに行われたもので、その手記の内容を踏まえつつ、批判的な言論活動を展開するにとどまるもので、不法行為の成立を認めることはできない」
私の事件での被告準備書面は、原告吉田が週刊新潮に手記を発表して、「自ら政治家(みんなの党渡辺喜美)にカネを提供したことを暴露した」という事実を捉えて、「私人性の放棄」と構成しています。これに対して宮坂判決は、原告吉田が「自ら積極的に公人性を獲得した」と判断したのです。
おわりにー本件判決が持つであろう意味
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
仮に私のブログの表現によって原告らに不快とするところがあったとしても、原告はそれを甘受し受忍しなければなりません。原告両名はこの上ない経済的強者です。サプリメントや化粧品など国民の健康に直接関わる事業の経営者でもあります。原告らは社会に多大の影響を与える地位にある者として、社会からの批判に謙虚に耳を傾けねばならない立場にあります。
原告らの提訴自体が違法であることは明白です。貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣告の上却下し、あるいは請求を棄却して、一刻も早く私を被告の座から解放していただくよう要請いたします。
なお、最後に一言いたします。スラップ訴訟提起の重要な狙いとして、「論点すりかえ効果」と「潜在的言論封殺効果」があるといわれています。
本来は、原告吉田嘉明が小なりとはいえ公党の党首(渡辺喜美)に8億円もの政治資金を拠出していたこと、しかもそれが表に出て来ないで闇にうごめいていたことこそが、政治資金規正法の理念に照らして重大問題であったはずです。私の指摘もそこにありました。ところが、その重要な問題が、いまは私のブログの記載が、あるいは原告DHC・吉田からスラップを受けて被告とされたライターの記述が原告DHC・吉田に対する名誉毀損にあたるか否かという矮小化された論点にすり替えられてしまっています。
さらに、本件スラップ訴訟は、けっして私の言論だけを封殺の標的にしているのではありません。私に、あるいは他の9人に対しスラップ訴訟を仕掛けることによって、同じような発言をしようとした無数の潜在的表現者を威嚇し萎縮させて、潜在的言論封殺効果を狙っているのです。だから私は、自分ひとりが勝訴しただけでは喜べない立場にあります。
本件不当訴訟を仕掛けたことに対して、原告DHC・吉田やこれを幇助したその取り巻きに対する相応のペナルティがなければ、スラップ訴訟は「やり得」に終わってしまいます。やり得を払拭し、再発の防止の効果を挙げるために有益な判決を期待しています。
以上のとおり、本件は優れて憲法21条の問題ではありますが、それだけではなく政治資金規正法の理念の問題でもあり、消費者問題と規制緩和の問題でもあり、民事訴訟を濫用しての言論萎縮効果の問題でもあります。これらの問題にも十分配慮され、公正かつ妥当な判決の言い渡しによって、貴裁判所がその職責を果たされるよう、期待申し上げる次第です。
(2015年6月14日)
カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴がスラップ訴訟である。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされた。私の口を封じようとしたのはDHC会長の吉田嘉明。彼が不愉快として封じようとした私の言論は、私がこのブログに書いた3本の記事。政治とカネにまつわる政治的批判の言論。そして吉田の政治資金提供の動機を規制緩和を通じての営利追求にあるとして、消費者問題の視点からの問題指摘である。社会的に有用な言論であることに疑問の余地はない。
吉田は私をだまらせようと、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起した。私は、吉田から「黙れ」と恫喝されたのだ。だから私は、さらに大きな声で繰りかえし吉田の不当を叫び続けなければならないと決意した。その結果が、本ブログの「DHCスラップ訴訟」を許さないシリーズ。本日で、44回書き連ねたことになる。読み直してみるとなかなかに、貴重な問題提起になり得ていると思う。吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、2000万円の請求を6000万円に拡張した。自らスラップの目的を証明したに等しい。
その「DHCスラップ訴訟」が提訴以来約1年を経て、7月1日に結審になる。この日、私が意見陳述をして弁論が終結する。そして、判決言い渡しの日が決まる。ぜひ、ご注目いただきたい。法廷にも報告集会にもご参集をお願いしたい。
7月1日(水)の予定は以下のとおり。
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述。その後に弁論終結。
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
弁護団長 経過説明
田島泰彦上智大教授 ミニ講演
本件訴訟の各論点の解説とこの訴訟を闘うことの意義
弁護団・傍聴者 意見交換
判決報告集会の持ち方
他のDHCスラップ訴訟被告との連携
原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼と挨拶
DHCと吉田嘉明は、私と同じテーマの言論を封じるために、計10件のスラップ訴訟を提起した。その内1件は取り下げ、残る9件のうちの2件で一審判決が出ている。もちろん、DHC吉田側の全面敗訴である。そのほかに、関連する2件の仮処分申立事件があって、それぞれに申立の却下決定(東京地裁保全担当部)と抗告却下決定(東京高裁)がある。判決2件とこの4件を合計して計6件。DHC吉田は連戦連敗なのだ。私の件が本訴での3件目判決となる。経過から見て、DHC吉田の連敗記録が途切れることはありえない。
本年3月24日に東京地裁民事第23部の合議体(宮坂昌利裁判長)の、請求棄却判決が、私のブログなどに比較して手厳しいツイッターでの発言について、なんの躊躇もなく、名誉毀損も侮辱も否定して、原告の請求を棄却している。注目すべきはこの判決の中に次のような判示があること。
「そもそも問題の週刊誌掲載手記は、原告吉田が自ら『世に問うてみたい』として掲載したもので、さまざまな立場からの意見が投げかけられるであろうことは、吉田が当然に予想していたはずである」「問題とされているツイッターの各記述は、この手記の公表をきっかけに行われたもので、その手記の内容を踏まえつつ、批判的な言論活動を展開するにとどまるもので、不法行為の成立を認めることはできない」
私の事件での被告準備書面は、吉田が週刊新潮に手記を発表して、「自ら政治家(みんなの党渡辺喜美)にカネを提供したことを曝露した」という事実を捉えて、「私人性の放棄」と構成している。これに対して宮坂判決は、吉田が「自ら積極的に公人性を獲得した」と判断したのだ。
この一連の判決・決定の流れの中で、私の事件が万が一にも敗訴になることはありえない。しかし、烏賀陽弘道さんの指摘では、スラップ訴訟提起の重要な狙いとして、「論点すりかえ効果」と「潜在的言論封殺効果」があるという。
本来は、吉田嘉明が小なりとはいえ公党の党首(渡辺喜美)に8億円もの政治資金を拠出していたこと、しかもそれが表に出て来ないで闇にうごめいていたことこそが、政治資金規正法の理念に照らして問題であったはず。私の指摘もそこにあった。ところが、その重要な問題が、いまは澤藤のブログの記載が吉田に対する名誉毀損にあたるか否かという矮小化された論点にすり替えられてしまっている。この論点すりかえの不当を声を大にして、問題にし続けなければならない。
さらに、本件スラップ訴訟は、けっして澤藤の言論だけを封殺の標的にしているのではない。澤藤に訴訟を仕掛けることによって、同じような発言をしようとした無数の潜在的表現者を威嚇し萎縮させて、潜在的言論封殺効果を狙っているのだ。だから私は、自分ひとりが勝訴の見通しをもつに至ったというだけで喜ぶことはできない。
このような不当訴訟を仕掛けたことに対して、DHC・吉田やその取り巻きに対する相応のペナルティがなければ、スラップ訴訟は「やり得」に終わってしまう。やり得を払拭し、再発の防止の効果を挙げるために何をなすべきか。反撃について、知恵を絞りたいし、大いに汗もかきたい。心ある多くの方と、この点についてよく相談し、実効性のある対応策をとりたいと考えている。
皆さま、7月1日(水)15時の法廷(東京地裁631号)とその後の報告集会(東弁508号)に足を運んでください。よろしくお願いいたします。
(2015年6月5日)
「俳人・9条の会 新緑の集い」にお招きを受けて、報告した。テーマは、9条ではなく「『思想の自由』と『表現の自由』の今ー権力と社会的圧力に抗して」というもの。準備の過程で、なるほどこのテーマであれば私こそ語るにふさわしい、と考えるようになった。
「日の丸・君が代」強制と靖国問題とで思想・良心・信仰の自由の問題に触れ、DHCスラップ訴訟で表現の自由を語った。いずれも、私自身が関わる問題である。聞いてもらわずにはおられない。
精神生活の基礎を形づくるものとして、思想は自由である。人が人であるために、自分が自分であるために、憲法によって保障される以前から、思想は本来的に自由なのだ。
思想のほとばしりである言論も本来的に自由でなくてはならない。表現の自由を侵害するものは、公権力と社会的圧力である。公権力は法的強制をもって言論を封じ、社会多数派はその同調圧力で個人の言論を封じる。
フォーマルには、社会的多数者の意思が権力の意思となり、国や自治体が言論を規制する。インフォーマルには、社会的多数派の圧力が、個人の言論を萎縮させ、非権力的に言論を抑制する。
個人の言論が、多数者の意思によって圧迫を受けてはならない。表現の自由とは、本来的に少数者の権利であって、多くの人にとって不愉快で耳障りな表現こそが権利として保障されなければならない。民主々義社会では、多数派が権力を構成するのだから、社会的な圧力は容易に公権力による規制に転化する。だからこそ、権力が憎む表現、多数が眉をしかめる表現の自由が権利として守られねばならない。
社会的な言論抑圧のレベルでは、
多数派の意思→圧力→少数派の萎縮→多数派の増長→圧力の強化→さらなる萎縮
という負のスパイラルを警戒しなければならない。言論の萎縮は、さらなる圧力をもたらし、さらなる後退を余儀なくさせる。
社会的多数派の耳に心地よくない言論とは、政権に対する批判、与党勢力に対する批判、天皇や皇族の言動に対する批判、「日の丸・君が代」強制への批判、ナショナリズムへの批判、最高裁の判決に対する批判、ノーベル賞の権威などに対する批判等々の言論である。このような権力や権威に対する批判の言論の自由が保障されなければならない。
そして、ダブルスタンダードなく、反体制内権力や革新内部の多数派にも批判が必要だ。たとえば、選挙をカネで歪める動きについて、保守派だけを批判するのは片手落ち、革新陣営の選挙違反にも遠慮のない批判の言論が保障されなければならない。それなくしては緊張感を欠くこととなり、革新陣営の腐敗が免れないことになる。いかなる組織にも、運動にも、下から上への批判が不可欠なのだ。
このようなときであればこそ、表現者は萎縮してはならない。自主規制して言論を躊躇してはならない。社会的圧力に抗して、遠慮することなく、いうべきことをはっきりと言わねばならない。でないと、今日の言論の保障は、明日には期待できなくなるかも知れないのだから。
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懇親会にまでご招待いただきありがとうございます。本席では、天皇の発言が話題となっていますので、この点についてもう少しお話しさせてください。
私は、本来人間は平等だという常識的な考えもっていますから、天皇という貴種が存在するなどとは思いもよりません。天皇を特別な存在とし、血筋故に貴いとか、文化的伝統を受け継いだ尊敬すべき人格だとかという虚構を一切認めません。
「象徴天皇は憲法的存在だから認めてもよいのではないか」という議論は当然になり立ちます。制度としては天皇の存在を認めざるを得ません。しかし、天皇が象徴であることから、天皇をこのように処遇すべきだという、法的な効果は何もないのです。「象徴」とは、権限や権能を持たないことを意味するだけの用語に過ぎません。天皇の存在を可能な限り希薄なものとして扱うこと、最終的にはフェイドアウトに至らしめること、それが国民主権原理の憲法に最も整合的な正しい理解だと私は思っています。
「象徴天皇は、存在しても特に害はないのではないか」というご意見もあろうかと思います。しかし、私は違う意見です。今なお、象徴天皇は危険な存在だと思うのです。その危険は、国民の天皇への親近感があればあるほど、増せば増すほどなのです。国民に慕われる天皇であればこそ、為政者にとって利用価値は高まろうというものです。
先ほど、高屋窓秋という俳人のご紹介の中で、嫌いなものは「奴隷制」というお話しがありました。奴隷制とは、人を肉体的に隷属させるだけでなく、精神的な独立を奪い、その人の人格的主体性まで抹殺してしまいます。
奴隷根性という嫌な言葉があります。奴隷が、奴隷主に精神的に服従してしまった状態を指します。客観的には人権を蹂躙され過酷な収奪をされているにかかわらず、ほんの少しのご主人の思いやりや温情に感動するのです。「なんとご慈悲深いご主人様」というわけです。奴隷同士が、お互いに、「自分のご主人様の方が立派」と張り合ったりもすることになります。
旧憲法下の、天皇と臣民は、よく似た関係にありました。天皇は、臣民を忠良なる赤子として憐れみ、臣民は慈悲深い天皇をいただく幸せを教え込まれたのです。これを「臣民根性」と言いましょう。明治維新以来、70年余にわたって刷り込まれた臣民根性は、主権者となったはずの日本国民からまだ抜けきっていないと判断せざるを得ません。
天皇制とは、日本国民を個人として自立させない枷として作用してきました。臣民根性の完全な払拭なくして、日本国民は主権者意識を獲得できない。天皇制の呪縛を断ち切ってはじめて、個人の主体性を回復できる、私はそう考えています。
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本日の私の報告の中で、「権力を信頼することは権力を腐敗させること、権力には猜疑の目をもっての批判が不可欠だ。それあってこそ、健全な権力を維持することができる」「この理は、たとえ民主勢力が政権を取っても、あるいはいかなる民主的な政府が成立したとしても変わらない」というくだりがあった。
これに対して、「本当に民主的な政府にも、批判が必要なのか」という質問があって、時間切れとなった。一応、追加して触れておきたい。
完全に「民主的な政府」となどというものはありえない。より民主的な政府を目ざさなければならない。また、いかなる権力も、権力が成立した瞬間から腐敗の進行を始める。従って、ある政府を、より民主的にするためにも、腐敗を防止するためにも、民衆の忌憚のない批判が絶対に必要なのだ。選挙は大きな国民の政府への批判の機会であるが、これだけに限られない。日常的な批判の言論が実質的に保障されなければならない。
国民の批判を実質的に保障するとは、権力運用の透明性が確保されていなければならず、権力が批判に寛容でこれを受容し生かす制度を完備していなければならない。
そこまでしても権力が腐敗を免れれることができるか、おそらくは無理だろう。そのときには、政権交代の受け皿が用意されていなければならない。こうしたサイクルで、民主主義は命永らえていくのではないだろうか。
(2015年4月26日)
本日(4月22日)の「DHCスラップ訴訟」法廷傍聴に、そしてまた法廷後の報告集会にも多数ご参集いただき、まことにありがとうございます。
前回2月25日の法廷から今日までの間に、二つのできごとがありました。
その一つは、3月24日に、民事第23部の合議体(宮坂昌利裁判長)でDHCスラップ訴訟の二つ目の判決が言い渡されました。もちろん原告の請求を棄却した判決。DHCと吉田両名の完敗です。裁判長の名をとって宮坂判決ということにしましよう。私は、まだ宮坂判決の全文を読んではいません。しかし、何度か記録を閲覧して、双方の主張をよく把握しています。また、内容を伝え聞いてもいます。
この事件で被告にされた方は、ツイッターで相当に遠慮のない発言をしています。趣旨は、私のブログとほとんど同じ。しかし、吉田や渡辺に対する舌鋒の鋭さは私の及ぶところではありません。これに較べれば、私のブログなど温和しいもの。あるいは生温いもの。その手厳しいツイッターでの発言について、宮坂判決は、なんの躊躇もなく、名誉毀損も侮辱も否定して、原告の請求を棄却しています。
注目すべきはこの判決の中に次のような趣旨の判示があるとのことです(正確な引用ではありません)。
「そもそも問題の週刊誌掲載手記は、原告吉田が自ら『世に問うてみたい』として掲載したもので、さまざまな立場からの意見が投げかけられるであろうことは、吉田が当然に予想していたはずである」「問題とされているツイッターの各記述は、この手記の公表をきっかけに行われたもので、その手記の内容を踏まえつつ、批判的な言論活動を展開するにとどまるもので、不法行為の成立を認めることはできない」
私の事件の被告準備書面では、吉田が週刊新潮に手記を発表して、「自ら政治家にカネを提供したことを曝露した」という事実を捉えて、「私人性の放棄」と主張しました。これに比較して、宮坂判決ではむしろ、吉田は「自ら積極的に公人性を獲得した」と判断したと言ってよいと思います。
1月15日の折本判決、そして3月24日の宮坂判決と、当然のことながらDHC・吉田側全面敗訴の判決が重なりました。この流れの中で、私の事件も万が一にも敗訴はありえないものと確信するに至っています。
但し、これを喜んでばかりはおられません。先ほどの法廷後の報告集会における烏賀陽弘道さんのミニ講演にあったとおり、スラップ訴訟提起の重要な狙いとして、「論点すりかえ効果」と、「潜在的言論封殺効果」があることを考慮しなければなりません。
本当は、吉田嘉明が政治家に対して8億円もの政治資金を拠出していたこと、しかもそれが表に出て来ないで闇にうごめいていたことこそが、政治資金規正法の理念に照らして問題であったはずです。ところが、その重要な問題が、いまは澤藤のブログの記載が名誉毀損にあたるか否かという矮小化された論点にすり替えられてしまっています。この論点すりかえを声を大にして、問題にし続けなければならないと思います。
そして、スラップ訴訟が言論封殺を目的とするものであることは明らかですが、けっして澤藤の言論だけを封殺の標的にしているのではありません。澤藤に訴訟を仕掛けることによって、同じような発言をしようとした無数の潜在的表現者を威嚇し萎縮させて、潜在的言論封殺効果を狙っているのです。ですから、自分が勝訴の見通しをもつに至ったというだけで喜ぶわけにはまいりません。このような不当訴訟を仕掛けたことに対するDHC・吉田に対する相応のペナルティがなければ、スラップ訴訟の効果を払拭し、再発の防止をすることができないのです。是非、皆さまとこの点についてよく相談し、実効性のある対応策をとりたいと思います。
さて、二つ目のできごとです。
法廷を傍聴された方はお気づきのとおり、裁判長が交代となりました。前任の石栗正子裁判長は4月1日付で東京家裁に転出となり、後任は、前大阪地方裁判所の総括裁判官だった阪本勝判事です。
新裁判長は明らかに、訴訟の終結を見通して本日の法廷に臨んだという印象です。発言の端々から、書面を十分に読み込んだという自信が感じられました。次回までに、原被告各一通の準備書面と、原告吉田の陳述書、そして被告本人である私の陳述書を提出して、次回結審と決まりました。
次回期日は、7月1日(水)午後3時。631号法廷です。
この法廷で、私が被告本人としての陳述書を要約して朗読します。スラップ訴訟の不当性と表現の自由の重要性を、民主主義になりかわって裁判所に訴えることになります。そして、この法廷で判決言い渡し期日が決まることになります。是非皆さま、法廷を満席にして、ご声援をお願いいたします。
そして、閉廷後の報告集会も賑やかに盛大にやりましょう。多くの皆さまのご発言をお願いいたします。
あらためて思います。DHCスラップ訴訟とは、政治的言論の封殺であり、カネで政治を動かそうという策動批判の抑止であり、また規制緩和による消費者利益侵害への批判の制圧でもあり、さらには司法を言論弾圧に悪用することでもあります。多くの方が、それぞれの問題意識から、このDHCスラップ訴訟に関心をもって、ご支援いただいていることとは思います。今回は直接の被害者の立場に立たされた私が、攻撃されている民主主義的諸理念を代理して、DHCスラップ訴訟の不当を訴えなければならないと思っています。
皆さま、お忙しいとは存じますが、7月1日(水)15時のご予定を確保していただきますよう、よろしくお願いいたします。
(2015年4月22日)