澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

弁護士が被告になって?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第4弾

20年ほど以前のことだが、「ドクター」というアメリカ映画が話題となった。その宣伝のキャッチフレーズが、「ある日、医者は患者になった。そして、医者は人間になった」というのもの。映画の中身よりは、この秀逸なキャッチフレーズに心を惹かれた。

私の場合は、「ある日、弁護士は被告になった。そして、弁護士は真に人の痛みが分かる人間になった」ように思う。

映画の主人公は外科医。ガンを宣告され、自らが患者の立場になることで、今まで医療者の立場から見てきた医療現場を患者の目で見直すことになる。患者になって初めて見えてくるもの、分かってくることがあるのだ。もしかしたら、患者にならねば、医療の本質が分からないのかも知れない。

私は、これまで多数の医療過誤事件に携わってきた。例外なく、患者側代理人としてである。医師が患者として医療過誤被害を主張する事件を何件か経験している。医師の家族の事件も相当数に上る。関係する医師は、「ある日、医者は医療過誤事件の原告となった。そして、医者はより良き医師となった」。そんな例を見ている。見てはいるが、自分のこととしての理解はなかった。

今回、はからずも、弁護士である私が被告となった。もちろん初めての経験。事前の打診も要請も警告もない。ある日突然訴状が届いて私は被告となった。それも、「2000万円を支払え」というもの。なんとも、不愉快極まる体験である。

しかし、思う。私は弁護士だからまだよい。闘う手段を心得ている。弁護士でない市民がこのような訴訟を提起されたら、どんなにか心細いことだろう。どのようにして対応すべきか、それこそ右往左往せざるを得ないことになる。信頼できる力量を持った弁護士にどうすれば接触できるだろうか。費用はどうなるだろうか。敗訴したらどうしよう‥。ようやく、訴訟の当事者となっている依頼者の気持ちを、自分に引きつけて理解できるようになったと思う。

自分が被告の身になって、スラップ訴訟というものの威嚇効果の大きさを実感する。あらためて、金の力で批判の言論を封じようという輩に怒りを禁じ得ない。

この間、いろんな人に『DHCスラップ訴訟』で名誉毀損と指摘された私の3本のブログを読んでいただいての感想を聞いた。多くは、「なぜこんなことが裁判になるのか理解できない」「こんな程度のことすらものを言えないとなったら、それこそたいへんな世の中になってしまう」というものだった。中でこんな感想も聞いた。

「弁護士のあなただからこそ、最前線でがんばってもらいたい」
そうなのだ。私は、弁護士として一歩も引けない立ち場にある。

私が弁護士という職業を選択したのは、自由業としての故だ。宮仕えは性に合わない。権力やカネのあるものに擦り寄る生き方はまっぴらだ。弁護士なら、プライドを保持した生き方ができるだろう。これまで、苦楽はあったものの、理念を貫いた職業生活を送ることができた。弁護士という自由な職業がこの世に存在したことをこの上なくありがたいと思っている。

しかし、弁護士の自由とは、弁護士のためにあるものではない。近代市民社会が必要として創り出したものだ。言わば、市民から与えられた自由、あるいは市民から預けられた自由なのだ。その自由の本来は市民社会の総体としての利益に奉仕すべきもので、儲かる方に就く自由、権力に擦り寄る自由ではない。

弁護士の自由とは、権力からの自由、金力からの自由である。市民の立場に立って、権力や金力と立ち向かうとき、それにへつらう必要のないことの保障としての自由なのだ。市民の利益の擁護を徹底すること、市民の自由を獲得し増進すること、金権による腐敗から民主的な社会を防衛すること、そのために働くためにこそ保障された弁護士の自由なのだ。

さあ今、私は自分の自由をそのような任務に行使すべき立場に立たされている。社会から与えられた自由に内在する責務として、金権と闘い、言論弾圧と闘うべき責務を負っている。私は、一歩も引いてはならないことを自覚しなければならない。

「ある日、弁護士は被告になった。そして、弁護士は一歩も引かない人間になった」
(2014年7月16日)
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「言っちゃった 金で政治を買ってると」?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第3弾

過日の毎日新聞・万能川柳欄の一句。知らない人の作句だが、この内容はみごとに私のことなのだ。ぜひともこの作者に、私のブログとスラップ訴訟を知ってもらいたい。そして次の句作のネタにしていただきたい。

DHCの会長が、みんなの党渡辺喜美代表に8億円の金銭を渡していた。そのことが明らかになって、世間の風当たりはカネを受けとった側に強かった。しかし私は、「カネで政治を買おうとした」側に批判の目を向けなければならないとブログに書いた。まさしく、「言っちゃった 金で政治を買ってると」というわけだ。それに対する2000万円のスラップ訴訟提起なのである。

古来、政治にはカネが大きくものをいった。お代官様は、越後屋から密かにカネを受けとっているのが通り相場。見えないところでうごめく巨額のカネが、政治の公正を歪めてきた。

民主主義の成熟には、金権政治からの脱却という大きな課題がある。この点について、丸山眞男が1952年に発刊した「政治の世界」(同名の岩波文庫に所載)の中に次のような一文がある。

「第一次大戦の頃、或るアメリカの経済学者が、『われわれの社会は一方、政治権力が大衆に与えられているのに他方、経済的権力が少数階級の手中にある限り、常に不安定で、爆発的な化合物たるを免れないであろう。最後にはこの二つの力のうちどっちかが支配するだろう。金権政治がデモクラシーを買取ってしまうか、それともデモクラシーが金権政治を投票によって斥けるかどちらかである』(H.Lasswell)と警告していますが、いまやますます激化して行くこの矛盾を解決しうるかどうかに、代議制の将来はかかっているといっても過言ではないでしょう」

第一次大戦の勃発はちょうど100年も昔のこと。そのころから、社会の基本構造をどう見るかに関わる年季の入った論争が行われてきた。「政治権力が大衆に与えられている」という民主主義の美しい原理は、実は社会の病理を解決するほどの現実的な力を持っていない。端的に言えば、「大衆に与えられている政治権力」とは見せかけだけのもので、社会を動かす実権は「少数階級の経済的権力」が握っているのだ。

この「大衆にあるとされている政治的権力」と、「少数階級が握っている経済的権力」との角逐が、この社会の基本構造をかたちづくっている。前記丸山の引用するハロルド・ラスウェルの言葉を借りれば、両者の角逐は、「金権政治がデモクラシーを買取ってしまうか、それともデモクラシーが金権政治を投票によって斥けるか」どちらかの決着まで続くことになる。まさしく、今の日本の政治もそのような角逐の途上にある。

言うまでもなく、社会の建前は、デモクラシーを是とし金権政治を非とする。民主主義の徹底を正義とし、金権をもってこれを攪乱しようという策動を不正義とする。

だから、「金権政治がデモクラシーを買取ってしまう」という手法は、基本的に隠密裡に行われる。裏金がうごめく世界なのだ。そのアンダーワールドにおいては、裏金を動かす人物がご主人様であり、裏金に拝跪してこれを押し戴く政治家がそのパシリである。かくて政治は、ご主人様のご意向を汲む方向に流される。

見かけの上の「人民の人民による人民のための政治」は、内実において「金主の金主による金主のための政治」となりかねない。

だから、この種の事案に対する徹底した批判が重要なのだ。そして、批判を封じようとするスラップ訴訟への批判はさらに重要といわねばならない。
(2014年7月15日)

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万国のブロガー団結せよ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾

「ブロガーは自らの思想や感性の表明に関して、妨害されることのない表現の自由を希求する。わけてもブロガーが望むものは、権力や経済的強者あるいは社会的権威に対する批判の自由である。プロガーの表現に不適切なところがあれば、相互の対抗言論によって是正されるべきである。ブロガーの表現の自由が実現するときにこそ、民主主義革命は成就する。万国のブロガー万歳。万国のブロガー団結せよ」

『DHCスラップ訴訟』の被告になって以来、ブログ・ブロガーを見る私の目は明らかに変わってきた。私もブロガーの1人だが、ブロガーというのはたいした存在なのだ。これまでの歴史において、表現の自由とは実質において「メディアの自由」でしかなかった。それは企業としての新聞社・雑誌社・出版社・放送局主体の自由であって、主権者国民はその受け手の地位に留め置かれてきた。メディア主体の表現の受け手は、せいぜいが「知る権利」の主体でしかない。

ブログというツールを手に入れたことによって、ようやく主権者一人ひとりが、個人として実質的に表現の自由の主体となろうとしている。憲法21条を真に個人の人権と構想することが可能となってきた。「個人が権利主体となった表現の自由」を手放してはならない。

だから、「立て、万国のブロガーよ」であり、「万国のブロガー団結せよ」なのである。各ブロガーの思想や信条の差異は、今あげつらう局面ではない。経済的な強者が自己への批判のブログに目を光らせて、批判のブロガーを狙って、高額損害賠償請求の濫訴を提起している現実がある。他人事と見過ごさないで、ブロガーの表現の自由を確立するために声を上げていただきたい。とりわけ、弁護士ブロガー諸君のご支援を期待したい。

いかなる憲法においても、その人権カタログの中心に「表現の自由」が位置を占めている。社会における「表現の自由」実現の如何こそが、その社会の人権と民主主義の到達度の尺度である。文明度のバロメータと言っても過言でない。

なにゆえ表現の自由がかくも重要で不可欠なのか。昔からなじんできた、佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)」が、みごとな要約をしている。

「思想は、自らの要求として、外部に表現され、伝達されることを欲する。人は思想の交流によって人格を形成することができる。かくして、思想表現の自由の価値は、第一に、それが人間人格の尊厳とその発展のために不可欠であることに求められる。また、民主政治はいろいろの思想の共存の上に成り立つ。かくして、思想表現の自由の価値は、第二にそれが民主主義の基盤のために不可欠であることに求められる」

まず、人はものを考えこれを他に伝えることを本性とする。だから、人間存在の根源的要求として表現の自由が尊重されねばならない。また、政治社会の視点からは、表現の自由は民主主義に原理的に不可欠、というのだ。

このような古典的なそもそも論には、メディアの登場はない。インターネット・デバイスの発展によって、古典的なそもそも論の世界に回帰することが可能となりつつある。要するに、主権者の誰もが、不特定多数の他者に情報や思想を伝達する手段を獲得しつつあるのだ。これは、表現の自由が人格の自己実現に資するという観点からも、民主的政治過程に不可欠という観点からも、個人を表現の自由の主体とする画期的な様相の転換である。人権も民主主義も、形式的なものから実質的なものへの進化の可能性を秘めている。

憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。ブロガーこそは、今や先進的な「言論の自由」の実質的担い手である。

私は、一ブロガーとして、経済的強者を「カネで政治を壟断しようとした」と批判して、被批判者から高額損害賠償請求訴訟の提起を受けた。はからずも、ブロガーを代表する立ち場で、経済的強者と対峙している。

この際、私は全国のブロガーに呼び掛ける。ブロガーの権利を守るべく、あなたのブログでも、呼応して声を上げていただきたい。「『DHCスラップ訴訟』は不当だ」と。「カネの力で政治に介入しようとした経済的な強者は、あの程度の批判は当然に甘受しなければならない」と。また、「言論を萎縮させるスラップ訴訟は許さない」と。

さらに、全ての表現者に訴えたい。表現の自由の敵対者に手痛い反撃が必要であることを。スラップ訴訟は、明日には、あなたの身に起こりうるのだから。

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         クロスズメバチの自衛権
ホタルブクロも桃色月見草も花を咲き終えて、だらしなく野放図に伸びすぎた。申し訳ないが、花が終われば来年までお役御免だ。情け容赦もなくざくざくと刈り倒した。
と、ハチが何匹もとびだしてきて、飛び回っている。ミツバチぐらいの大きさで、ブンブンとうるさい。でもよく見ると、黄色の縞ではなくて、白黒の縞模様の胴体が、ミツバチよりずっとスリムだ。そして何倍もしつこくて、振り払っても振り払っても退却の気配が見えない。

と、突然脚をさされた。ズキンと痛い。指も手の付け根も、そのうえ背中まで刺された。長袖長ズボンの着衣のうえからだ。これはただ事ではないと気がついたときには、時すでに遅くまわりじゅうブンブンと取り囲まれてしまった。手を振り回し、一目散に駆けだした。しかし、敵は攻撃の手を緩めない。駆けても駆けてもついてくる。結局、あとでわかったことだが、6匹の狙撃兵を引き連れて、家に逃げ込んだ。蚊取り線香を振り回そうが、新聞紙でたたこうが、攻撃の手は緩めてくれない。激戦の末、一匹は風呂場に閉じ込め、5匹はたたき落とした。我が方の勝利。しかし我が方も無傷ではない。4カ所刺されてかなりの重症。たたいたために網戸は無残にも大穴を開けて損傷。

さされた場所は痛いことも痛いが、どんどんふくれてくるのが不気味。「アナフィラキーショック」という言葉が頭を駆け巡る。救急車を呼ぶべきか、自分で病院へ行くべきか。以前にもキイロスズメバチやアシナガバチに刺されていて、その時は大丈夫だったけれど、今度はダメじゃないかなどとどんどん気が弱くなる。

結局、今回は気を強く持った私の勝ち。痛いのを我慢していたら、3日後には痒くて痒くてたまらなくなり、1週間後にはポチンと刺し痕が赤く残った。今回は事なきを得たが、次回刺されたら、救急車のお世話にならなければならないかもしれない。

いろいろ調べて、我が敵はクロスズメバチだと判明した。毎年、2階の軒下にキイロスズメバチが一抱えもあるほどの立派な巣を作る。ところがどうしたことか、今年は気配も見せない。その隙を突いて、今まで見たこともないクロスズメバチが出現した。クロスズメバチは地下に巣を作るらしい。目のわるい私がその出入り口でも踏みつけてしまったのではないだろうか。怖くて激戦が始まった場所に近づけない。真相解明ができないのが残念だ。

長野県などではクロスズメバチの幼虫が珍重されて、食されていると聞く。かなりの美味らしい。何とか掘り出して、敵討ちをしてやりたいとも思うが、返り討ちに遭うのが落ちだと思ってあきらめている。

それにつけても、クロスズメバチにしてみれば、外敵からの急迫不正の侵害に対する自衛権の行使だったわけだ。普段は全く攻撃性はないと解説書に書いてある。しかし万が一理不尽にも我が一族が外敵から攻撃されれば、一致団結してひるむところなく剣をとって闘う。専守防衛の姿勢が徹底しているのだ。それもこれも、全員に等しく、守るべき大切なものがあってのことだ。

人間の場合はどうか。専守防衛を超えて集団的自衛権の行使までやりたくてしょうがない。できることなら他国を侵略して植民地化してしまいたい。そのための自衛ならざる戦争を厭わない。しかも、守るべき多くをもつ者のために、持たざる者が武器を取って命を落とす。この不平等と、不平等をカムフラージュするイデオロギーが耐えがたい。

集団的自衛権行使容認の人間は、専守防衛に徹したクロスズメバチに劣る。痛い目にあって、よくよく考えた貴重な結論。
(2014年7月14日)

いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。

その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。

私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。

DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。

私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。

  http://article9.jp/wordpress/?p=2371
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 
  http://article9.jp/wordpress/?p=2386
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
  http://article9.jp/wordpress/?p=2426
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない

是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。

DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。

原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。

万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。

本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。

このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。

応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。

本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。

なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。

是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
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渡辺喜美・みんなの党元代表告発の意義

昨日(6月2日)、全国の憲法研究者ら16名が、渡辺喜美・みんなの党元代表をを政治資金規正法違反・公職選挙法違反で刑事告発し、告発状を東京地検特捜部に送付した。その代理人となった弁護士は24名。私もその一人に名を連ねている。

告発状の全文とマスコミ報道については、下記「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」のブログを参照されたい。

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51774337.html
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51774454.html

告発状は26頁に及ぶ。いくつかの場合分けをしているので、やや複雑で読み通すのには多少の根気が必要である。

主たる告発事実は、被告発人がDHCの吉田会長から2012年に借入れた5億円のうち、みんなの党の選挙活動・政治活動と支出が報告されたものを除いた2億5000万円についてのもの。これが、政治活動資金として借入れたものであれば、被告発人には政治資金規正法上の政治資金収支報告書に「借入金」としての記載義務があるのに、これを怠った虚偽記載罪または不記載罪が成立する。また、選挙運動資金としての借入であれば、公職選挙法上の選挙運動収支報告義務の対象となるのに、これを怠った不記載罪が成立する、というもの。

もう一つの告発事実は、2010年以降の合計8億円の借入の内、計9000万円(被告発人の支出5500万円、被告発人の妻の支出3500万円)につき「支出」における虚偽記載罪・不記載罪(政治資金規正法違反)または届出前の支出禁止違反の罪(政治資金規正法違反)の事実があるというもの。

報道されているとおり、2010年に授受あった3億円については借用書が作成されているが、2012年の5億円については借用書がない。それでも、告発状が「本件5億円は『みんなの党』の政治活動(選挙運動活動を含む)のために吉田会長から被告発人渡辺喜美が借りたものである」としているのは、手堅く立件を求める立ち場からにほかならない。

みんなの党は2009年2月に設立されている。以後、被告発人渡辺が集めた金は8億円だけではない。

たとえば、次の事実もある。
「2009年春、被告発人渡辺喜美は夫人とともに吉田会長の自宅を訪問し、夫人は『いよいよ新党を立ち上げますが、お金がなくて困っています。地元の栃木に不動産があるので買っていただけないでしょうか。会長、助けてください』と言ったので、吉田会長は、同年6月26日、言い値の1億8458万円でその物件(「渡辺美智雄経営センター」名義)を購入したが、そのカネが新党立ち上げにどのように活用されたのかについては全く不明のままである。」

「被告発人渡辺喜美は、2010年には、Aから3月26日に5000万円を借入し、その全額を3日後の同月29日に「みんなの党」に貸付けているし、6月18日にはAから4000万円を、Bから2本の4000万円を、それぞれ借入し、それらの合計額1億2000万円を3日後の同月21日に「みんなの党」に貸付けている。そして、6月30日に吉田会長から3億円を借入れた後、7月13日、Aに9000万円を、Bに8000万円を返済し、12月29日吉田会長に8000万円を返済している。」(みんなの党調査チーム報告書)

告発状にも明記されているとおり、現行の政治資金規正法の立法の趣旨は「隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」。また、「政治資金規正法は、全体としては、政治家個人への不明朗な資金提供を全面的に禁止し、政党中心の政治資金の調達及び政治資金の流れの一掃の透明化をめざすもの」でもある。

今回の事態は、億単位の金が政治資金として隠密裡に授受されている実態を明らかにした。政治活動の公明と公正は、地に落ちていると言わねばならない。政党中心の政治資金の調達及び政治資金の流れの一掃の透明化のために、捜査当局には徹底した事実の究明を期待したい。わが国の民主主義の健全な発展のために。いや、再生のために。
(2014年6月3日)

渡辺喜美さん政治家はお辞めなさい

私が盛岡にいたころ、もう30年余の以前のことだ。地元紙で宮古市内の教会を主宰していたキリスト教の牧師さんの不祥事疑惑が報じられた。不祥事の内容は、教会が経営する施設の建設に絡むものだったが、詳しくは憶えていない。

この事件、疑惑が疑惑のまま葬られた。任意の捜査もあった記憶だが、刑事事件としての立件はなく、関係する役所の部門も動かなかった。結局は地元紙の先走った大袈裟な報道という印象だけを残して幕引きとなった。その幕引きの際に、「日本キリスト教団奥羽教区」が声明を出した。「この疑惑に関しては徹底して内部調査を遂げて、責任の有無を解明する」という趣旨のもの。誰もが、常識的に体裁だけの声明だと受けとめた。私もそう思った。

ところが、半年ほど後だったと思う。誰もが事件を忘れたころになって、教団の調査結果が発表され、これが地元の各紙を賑わせた。詳細な事実経過の認定がなされ、渦中の牧師さんの弁明は虚偽だと断罪された。その牧師さんは解任されたと記憶している。大きな衝撃を受けたのだから、私の記憶の大筋に間違いはない。

教団が、身内の不祥事を暴かねばならない必然性はなかった。調査結果を無難なものにすることもできた。しかし、調査を担当した者たちは、キリスト者として真実に向かいあった。おそらくは神に恥じない態度を自らに課したのであろう。いささかも身内に甘い態度はとらなかった。真実に忠実な姿勢を貫いた結果が、隠せるものを隠すことなく、身内に有罪を宣告したのだ。わたしは、このときキリスト教というもの、クリスチャンというものを大したものだと思った。この組織には、間違いなく自浄能力がある。

一人の牧師の不祥事は印象に薄く、その非違を糺した教団の潔癖さ、厳正さが印象に刻み込まれて、私はキリスト教への畏敬の念を深めた。このローカルなニュースが、岩手靖国訴訟の原告団の中心に位置した2人の牧師(井上二郎さん・渡辺敬直さん)との信頼関係の構築に少なからぬ影響があったと思う。

医療過誤でも、製造物責任でも、欠陥住宅でも、運転事故でも、また舌禍でも筆禍でも、人には過ちがつきまとう。その過ちにどう対処するかで、人は測られる。場合によっては、間違ったことへの対応のみごとさで、却って信頼を勝ち得ることすらある。とりわけ、組織に属する個人が過ちを犯した場合、組織がどのようにその過ちについての透明性・公開性を徹底して説明責任を全うするか。それによって、その組織の将来の命運が分かれると言って過言でない。自浄能力のない組織には、未来がない。企業でも、官庁でも、政党でも、民主運動組織でも。

そんな目で見た、みんなの党前代表の「8億円『借り入れ』事件調査結果」は、世人の信頼を勝ちうるものとはなっていない。「やっぱりこの程度の調査しかできないのか」という失望感が大きい。とはいうものの、私は24頁に過ぎないこの報告書を読む機会に恵まれない。だから、「この党に将来はない」と切って捨てるだけの自信はまだない。みんなの党のホームページには掲載されるだろうと待っていたが、どうもその気はなさそうだ。マスコミ各社には配布されたようだが、これをアップしてくれたところは見あたらない。

党のホームページに掲載された記者会見の動画と、各社の報道を見る限りと断ってのことだが、どのメディアも納得していない。

調査の諮問事項は3点あったはず。
(1) 公職選挙法違反の事実の有無
(2) 政治資金規正法違反の事実の有無
(3) 社会的道義的に問題がないか
そのいずれについても、党は問題ないことが確認されたといい、各社とも問題が残ったとしている。

毎日の要約が分かりやすい。
「報告書は、借入金が渡辺氏自身の選挙費用に使用された事実はなく、『渡辺氏から党に、供託金(2回の国政選挙で計3億5400万円)等の選挙資金として貸し付けられた』とし、公職選挙法違反にはならないとした。さらに『政治団体ではなく渡辺氏個人に対する融資と確認した』との理由で、政治資金規正法違反にも当たらないとした。
渡辺氏が『妻の口座に5億円近くがそっくり残っていた』とした点については、『2012年から13年に計5億円が渡辺氏の口座から妻の口座に移動』と説明。『投資や運用はされず、普通預金口座のまま』と指摘し、『政界再編に備えたという渡辺氏の説明を裏付ける事実』とした。
そのうえで、渡辺氏が3年10カ月間で約5500万円、妻は1年4カ月間に約3500万円を使ったと明らかにした。渡辺氏は使途を『党首と党首夫人として、党勢拡大のための活動に関連して、会合や情報収集で使用した』と説明したが、利用明細書の入手は一部にとどまったという。
また、渡辺氏は吉田氏以外の複数の第三者から計6億1500万円を借り入れ、うち1億4500万円が未返済であることも判明した。渡辺氏の意向で第三者の名前は明らかになっていない。」

以上の説明の限りでは「(2) 政治資金規正法違反」の疑惑濃厚といわざるを得ない。「党首と党首夫人として、党勢拡大のための活動に関連して、会合や情報収集で使用した」金は明らかに政治資金なのだから、その明細を特定して届出の有無を確認しなくてはならない。それができていないことは、政治資金規正法違反のないことの解明には至っていない。

また、「(3) 社会的道義的に問題」だらけではないか。法は、金で政治が歪められることを防止するために、政治資金の透明性の確保を要求しているのだ。表に出せない汚い金をこそこそと動かしているからには、道義的責任は明々白々だ。渡辺は「『法的にも社会的・道義的にも問題ないとの判断をいただいた』とのコメントを発表した」という。本当にそう思っているのなら、調査委員はカムフラージュに使われたに過ぎない。

そして、「(1) 公職選挙法違反の事実の有無」である。選挙運動費用収支報告書と預金通帳の字面だけを見ていれば、違法は見えてこない。調査とは、字面だけでは見えてこないものに切り込まねばならない。DHCの吉田から出た金で供託金が支払われた選挙に関して、選挙運動費用はどうまかなわれたのか、疑惑の使途不明金が、報告書に記載されていない選挙運動費用として注ぎこまれた事実はないのか、その調査がおこなれて初めて疑惑の有無についての結論が出せる。浅尾慶一郎党代表の記者会見では、「任意の調査の限界」を強調するだけのもので、本気で調査をやる気も、やらせる気も、感じられない。

次のようにも報道されている(毎日)。疑惑だらけだ。
「9000万円の用途は主にカード代金の決済だった。記者会見では、決済の明細内容への質問が集中。飲食店や旅館の宿泊代、交通費などが含まれるとしたが、三谷座長らが明確にあげたのは、被ばくした牛の保護をしている非営利団体へのわら代の寄付だけだった。渡辺前代表は明細書を『個人のプライバシー』を盾に、一部を塗りつぶして提出したといい、三谷氏は『これ以上は任意の調査なのでできない』とお手上げ状態であることも明かした。」

「渡辺前代表へ2012年衆院選前に5億円が貸し付けられたのは、夫人が化粧品会社会長に『離婚する』とのメールを送った当日だった。12日後に2億円、翌年には計3億円が移動し『関連があるのでは』という点も検討されたが、『離婚したままだが、すぐに復縁し現在は事実婚状態』とする渡辺氏の説明を調査チームは『不合理ではない』と受け入れた。」

本日の東京社説が次のように指摘している。
「渡辺氏は以前、これらの支出を党勢拡大のためと説明していた。だとしたら党の政治資金であり、個人的な支出と結論づけるのは無理があるのではないか。
このような論法がまかり通るなら、個人的な支出だと言い張り、政治資金や選挙運動費用を収支報告書に記載しないことが横行しかねない。そうなれば法による規制はさらに形骸化する。」
「渡辺氏が8億円とは別に、5カ所から計6億1500万円を借りていたことも新たに分かった。ところが、誰から借りたのか、何に使ったのかは、全く解明されていない。やはり強制力を持たない身内による調査では限界がある。司直の出番を待たずとも、国会に真相解明の意欲があるのなら、証人喚問に踏みきるしかあるまい。」
これが、衆目の一致するところ。

やはり、「渡辺喜美さん政治家はお辞めなさい」というほかはない。そして、前代表の議員辞職があろうとなかろうと、みんなの党に未来はなかろう。
(2014年4月26日)

政治資金の動きはガラス張りでなければならない

本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。

 朝日新聞  渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
 毎日新聞  渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
 東京新聞  渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
 日本経済  党首辞任はけじめにならない
 読売新聞  渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ 
 産経新聞  渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る

各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。

毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。

もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。

DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。

自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。

政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。

仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。

主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。

政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。

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      向島(墨堤)のあのご婦人はまぼろしであったのだろうか
花の季節は忙しく、疲れる。天気模様を見ながら、仕事のあいまをぬって、チャンスを逃さないように、果敢に出かけなければならない。とかく気ぜわしい。

今日は「江戸の花見」。墨堤(ぼくてい)へ繰り出した。吾妻橋を墨田区側に渡って、隅田川の河岸の遊歩道に下りた。下水臭い匂いが鼻につくが、10分もすれば慣れて気にならなくなる。広々とした隅田川の流れとどこからもみえるスカイツリーをバックにした青空のおかげだ。川の両岸を飾る主役のソメイヨシノは盛りをとうに過ぎてしまったが、風に舞う花びらと散り敷いたピンクの道路は別の美しさがある。人が少なく、名残の春をしみじみ味わえる。

隅田川沿いには3本の遊歩道がある。1本は川岸の小道。ジョギングやイヌの散歩道。2本目は小道から2メートルほど高いところを通る幅1間ほどの道。高い位置にあるので、浅草(台東区)側の桜並木もスカイツリーもよく見える。テント張りの出店も出ている。道端にソメイヨシノがずらりと植えられていて、盛りの頃の人出は歩くのも難しかったろうと想像される。その外側に2車線の車道が走っている。

その車道を隔てて、3本目の小道がある。それが今日のお目当て。ソメイヨシノだけでは花の季節が短すぎることに気がついた墨田区公園課がその3本目の小道に39種76本のサトザクラを植えた。こちらはやっと咲き始めた品種がならんでいる。真っ白な「白妙」、ふっくらとした薄いピンクの「一葉」、黄色い「鬱金」、緑色の「御衣黄」など珍しい花が植えられている。

もともと隅田川堤に桜を植えたのは8代将軍徳川吉宗であった。隅田川の水質保全と水害対策のため、向島の堤に桜を植えたといわれている。「江戸名所花暦」(岡山鳥)に「隅田川は江戸第一の花の名所にして、此花は享保の頃、依台命(たいめいによって)植えし処の物にして、今も枝を折ることを禁ずるは、諸人のしる所なり。堤曲行にして木母寺大門へ向かう所、左右より桜の枝おいかさなりて、くものうちに入るかと思うばかりなり。」と記されている。また、「東都第一の花の名所にして、彼岸桜より咲き出でて一重、八重追々に咲きつづき、弥生の末まで花のたゆることなし」とも書かれているので、上野とならぶ江戸の三大名所、隅田川堤や飛鳥山でも花は一か月は咲き続けていたと思われる。

その古いサクラの名前や図は伝えられているが、現物は失われてしまったものが沢山ある。それを研究者や園芸家が見つけ出したり、再生させる懸命の努力を続けてきた。墨田区公園課もその努力を引き継いで、3本目の小道に結晶させようとしている。あと5年もすれば、一か月といわず二か月も咲き続ける桜の名所が出来上がるだろう。但し、残念なのは、この3本目の道の上を首都高向島線が通っていること。騒音と圧迫感はサクラの美しさも、花見の風情も吹き飛ばしてしまう。

その高速道路の暗い影の下で、夢のような薄いピンクのサクラ「衣通姫(そとおりひめ)」の前に佇んでいると、年配のご婦人が突然、「ここに防空壕がありまして、東京大空襲の時、14歳の私は焼夷弾が花火のように降ってくるのを見ていたんです」と話しかけてきた。マスクをかけたくぐもった声が「隅田川には毎日毎日たくさんの死体が流れてきたんです」とつづける。「何もかにもみんな焼けて、亀戸の向こうまでずっと見渡せました」「70年が夢のようです。せめてスカイツリーが建ったのを見れたのがよかったと思います」と、耳を近づけなければ聞こえないような声で話す。目だけが、強く光っている。

しばらく話を交わして別れて、言問橋の上で隅田川の波間に漂う都鳥が鳴き交わす声を聞いていると、あのご婦人が実在の方であったのか自信がなくなってきた。桜に酔った日のまぼろしではなかったか。
(2014年4月8日)

「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。

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椨の木(タブノキ)

私がひそかにトトロの木と名付けている大きな木がある。高さも幅も20メートルぐらいのパラソル型で、巨大なブロッコリーがドンとおいてあるようにみえる。宮崎駿の映画「となりのトトロ」ができてから、全国で多くの巨樹が「トトロの木」と名付けられている。たいていは杉やケヤキ。私のは、椨(タブ)の木。

タブは珍しい木というわけではないが、見てはいてもこれと意識していない人が多いと思う。クスノキ科である。遠くからみれば色の濃いどっしりとしたクスノキと思うかもしれない。中国、台湾、沖縄 、九州、四国、本州の暖地に生える照葉樹である。寒い東北地方では比較的暖かい海岸近くにヤブツバキなどと一緒に生えている。日本古来の森林の原植生を構成する樹である。シイやカシやクスノキやツバキそれにタブノキなどの暗い森が昔の日本の照葉樹林帯を覆っていたのだろう。各地でクス、しほだま(潮玉)、イヌグス、ヤマグス、タマグス(玉樟)、モチノキ、タモなどいろいろな呼び名でよばれている。

タブノキは役に立つ木である。古く、大木を断ち割って丸木舟を作った。建材、家具材としても貴重なものであった。皮や葉は乾燥させて、粉に曳いて、仏壇に供える線香の原料とした。八丈島特産の黄八丈の樺色の糸はタブの皮を染料として泥染めされた。
タブノキ教教祖といわれる宮脇昭・横浜国立大学名誉教授は東日本大震災後に、海岸線にタブノキの「森の長城」を築こうとしている。タブノキは海水にも強いし、根が深く張るので松と較べればずっと防潮の役に立つ。

水だけでなく防火の役にも立つ。1976年山形県酒田市は1000軒を焼失する大火にみまわれた。その時、西側にあった2本のタブの大木によって、江戸時代からの豪農、豪商であった本間家は類焼を免れた。被災後、酒田市は「タブノキ一本、消防車一台」といって、タブ、モチ、シイなどの常緑樹の植樹を推奨した。

タブはことほど素晴らしい木なのに、丸木舟や線香や黄八丈とともに現代日本人の記憶から失われようとしている。

私のタブノキはたった1本で立っている。あと1カ月もすると、花祭りの時期を迎える。枝々の先に燭台のような花穂を立ち上げる。薄緑色の小さな地味な花穂がオレンジ色の薄紙の苞で大切に包まれている。遠くからみると、木全体がオレンジ色の花で覆われたようにみえる。花穂と同時にでてくる新葉も橙色をして、ピカピカ輝いているので、あの花盛りの木は何の木だろうと思われる。このころのクスノキも黄緑色の花と新葉で覆われるので、美しく目立つ。これら照葉樹は5月には花を咲かせ輝きながら、同時に古い葉を落とす。秋の落葉樹の美しい落ち葉のような風情はなくて、人はただ重たく嵩張る落ち葉掃きにうんざりして、切り倒そうかなどと物騒な考えがわいてくる。

モミジやサクラのような落葉樹はかろやかさ、明るさ、儚さで現代人の好みにあう。それにひきかえ、常緑照葉樹は暗く重厚なので敬遠されるようだ。神社仏閣の神樹はたいてい常緑樹で、見る人を圧迫し、萎縮させ、畏れ多く近づきがたい気分にさせる。地球や生命の永続と自己の卑小さを思い起こさせ、厳粛で敬虔な気持ちにもさせる。私のタブノキはまだその域にはほど遠く、大きなブロッコリーのようで可愛らしい。いつか幹がコブコブになって、雷にうたれた主幹が折れて、脇から出た何本もの萌芽が若葉をつけて、木全体が小山のようになって、しめ縄なんか張られるのを想像する。でも私がその姿を見ることはない。
(2014年4月2日)

「憲法日記」365日連続更新

日民協ホームページの間借り生活に別れを告げて、引っ越し先として当ブログを開設したのが昨年の4月1日。その日から数えて、本日が365日目に当たる。この間一日の休載もなく、365日間連続して更新した。この面倒なブログにお付き合いいただいたありがたい読者とともに、一周年連続更新を祝うこととしよう。

間借りは窮屈でいけない。みすぼらしくとも、自前の持ち家が精神的にはのびのびとしてよろしい。せっかくのブログが、大家への気兼ねで、卑屈に筆の鈍ることがないとも限らない。一国一城望むじゃないが、せめて持ちたや自前のブログ。

365日書き続けての実感として言っておきたい。ブログとは、言論戦におけるこの上ない貧者の武器である。誰もが手にしうるツールとして、表現の自由を画に描いた餅に終わらせず、表現の自由を実質化する手段としての優れものである。まことに貴重な存在なのだ。

当ブログも、発足当初しばらくは日に3桁のアクセスにとどまっていた。しかし、おいおいアクセス数はアップして、「宇都宮君、立候補はおやめなさい」の33回シリーズ後半では、毎日7000?8000人の読者を得た。多くの人からの共感や支持、励ましに接することもできた。これを紙に印刷して配布するなどは、個人の力では絶対に不可能。ブログあればこそ、個人が大組織と対等の言論戦が可能となる。弱者の泣き寝入りを防止し、事実と倫理と論理における正当性に、適切な社会的評価を獲得せしめる。ブログ万歳である。

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          「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

さて、「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

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