澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

DHCスラップ「反撃」訴訟・附帯控訴状 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第169弾

DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論は、1月27日(月)午前11時? 511号法廷でおこなわれる。ことは、表現の自由にも、政治とカネの問題にも、消費者の利益にも関わる。是非、多くの方に傍聴いただきたい。

昨年(2019年)10月4日、東京地裁民事第1部で一審の勝訴判決を得た。この判決は、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を訴えたスラップは違法であると明確に断じた。だから、認容の金額(110万円)にかかわらず、勝利感の強い判決で、当方から積極的に控訴する気持にはならなかった。

ところが、被告側DHC・吉田嘉明が控訴し、私は被控訴人となった。控訴審に付き合いを余儀なくされる立場に立つと、660万円の請求に対する110万円の認容額の少なさに不満が募る。そこで、昨日(1月14日)、弁護団の議を経て、弁護団長の光前さんから附帯控訴状を提出してもらった。その抜粋を掲載する。

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附 帯 控 訴 状(抜粋)

2020年(令和2年)1月14日

東京高等裁判所第5民事部 御中

附帯控訴人(被控訴人、第1審原告) 澤 藤 統一郎
附帯被控訴人訴訟代理人弁護士    光 前 幸 一 外

附帯被控訴人(控訴人、第1審被告) 吉 田 嘉 明
附帯被控訴人(控訴人、第1審被告) 株式会社ディーエイチシー
代表者代表取締役          吉 田 嘉 明

損害賠償請求附帯控訴事件
訴訟物の価額    550万円
貼用印紙額   4万8000円

被控訴人(附帯控訴人)は、上記当事者間の東京高等裁判所令和1年(ネ)第4710号損害賠償請求控訴事件に附帯して、同控訴事件の第1審である東京地方裁判所平成29年(ワ)第38149号損害賠償請求反訴事件について2019年(令和1年)10月4日に言い渡された判決に対して控訴を提起する。

第1 附帯控訴の趣旨
1 原判決中附帯控訴人敗訴部分を取り消す。
2 附帯被控訴人らは、附帯控訴人に対し、連帯して660万円及びこれに対する2014年(平成26年)8月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第1、2審とも附帯被控訴人らの負担とする。
4 仮執行宣言

第2 附帯控訴の理由
1 原判決に対する附帯控訴人の不服
(1) 原判決は、附帯被控訴人両名による前件訴訟等(東京地方裁判所平成26年(ワ)第9408号事件、およびその控訴事件ならびに上告受理申立事件)の提起を附帯控訴人に対する違法な行為と認め、不法行為の成立を認定した。
従って原判決は、本来当該違法行為から生じた被害者(附帯控訴人)の全損害の賠償を加害者(附帯被控訴人)に命じなければならないところ、そうなっていない。財産的損害をまったく認めなかった点において、そのような体裁さえとっていないものと指摘せざるを得ない。
(2) 差額説に立つ限り、不法行為に因果関係を有する積極消極の全損害の金銭賠償によって、不法行為被害者の経済状態が不法行為以前に回復されなければならない。しかし、原判決は、その視点を欠き、附帯被控訴人(原審被告)の有責を認めながら、被害者(附帯控訴人)が打撃を受けた経済状態を回復しようとの観念がない。
原判決には、誠実に被害者の財産的・精神的損害の内容や深刻さに思いを致すところはなく、損害を金額に見積もる際の慎重さも欠いて、名目的あるいは象徴的な損害賠償額を命じる判決をもって足りるとしている。この原審裁判所の姿勢は、その点において明らかに誤っており、原判決の損害に関する判断は是正されなければならない。
(3) さらに、不法行為損害賠償制度の理念には、同種違法行為の再発予防の効果と機能を期待する側面がある。同種の違法行為の再発を予防するためには、相応の金額の賠償を命じる判決が必要である。
附帯被控訴人吉田嘉明は自らの経済力を誇示する人物であって、いわゆるスラップ訴訟の常習者でもある。経済力とスラップ訴訟常習とは無関係ではない。通常の金銭感覚をもつ者にとっては、弁護士費用や民事訴訟費用法に定められた手数料(以下、「貼用印紙」)などの費用負担が障壁となって、勝訴の見込みが薄い提訴には軽々に踏み切ることができない。経済的強者であって、かつ勝訴を目的とせず被告となる者に多大な負担を与える目的をもつ者のみが、いたずらに高額請求の提訴に及ぶことになる。これがスラップ訴訟であり、前件訴訟はまさしくその典型にほかならない。
前件訴訟の訴額は金銭請求部分だけで6000万円であった。その標準的な弁護士費用は、現在なお弁護士界で標準的な規準とされている「(旧)日弁連報酬等基準」によって算定されるべきであり、附帯被控訴人もこの規準に従って弁護士費用を負担したものと推認することに合理性がある。
附帯被控訴人らは、勝訴の見込みのない事件の提訴を訴訟代理人弁護士に依頼したのであるから、弁護士費用としては着手金の支払いだけが負担になるところ、同基準によれば、各審級ごとに必要な着手金額は、249万円である。結局、その3倍である747万円が前件訴訟において附帯被控訴人らが負担した弁護士費用である。確実な反証のない限り、そのように推認すべきである。
また、前件訴訟の訴状に貼付すべき印紙額は、6000万円の損害賠償請求部分に限っても20万円を要し、控訴状には30万円、上告受理申立書には40万円が必要となる。附帯被控訴人らは、少なくとも合計90万円の印紙貼付費用を負担した。
以上のとおり、弁護士費用と貼用印紙とを併せて計837万円となる。附帯被控訴人らはこの支出を負担と感じることなく、勝訴の見込みのない前件訴訟の提訴に及んだものである。
原判決が請求を認容した110万円は、この附帯被控訴人らの実費負担金額に比してまことに過小というほかはない。837万円の費用負担に110万を上乗せしても947万円である。見方によっては947万円の出捐を覚悟しさえすれば、同様のスラップ訴訟の提起を繰り返すことが可能ということなのである。同種事件を10件も提起した附帯被控訴人らにとって、自分を批判する言論を封じるための費用として、さしたる負担ではない。結局、附帯被控訴人らには、この程度の認容金額では到底同種違法行為再発の予防効果を期待することができないことになる。
この点からも、原判決の損害賠償認容額はまことに不十分で、再考を要するものと言わねばならない。

2 原審における損害額の主張(略)
(4) 以上の損害合計金額の内金として、660万円の賠償を請求する。

3 損害額についての原判決の認定
以上の請求に関する原判決の判断は以下のとおりである。
(1) 原告は、前件訴訟に係る弁護士費用500万円を損害として主張する。
しかしながら、原告は、前件訴訟及び本件訴訟を通じて、訴訟追行に関して原告自身が出捐した費用の総額が200万円である旨を供述している(原告本人14頁、15頁)。
当該供述を前提とすると、上記出捐に係る費用には、前件訴訟に係る弁護士費用以外の費用が相当程度含まれるものと推認するほかなく,一方で,原告は、前件訴訟に係る弁護士費用のうち、自らが出損した部分について、他の客観的証拠を提出していない。
以上によれば、前件訴訟の弁護士費用に係る損害の発生を認めるに足りる証拠はないものというほかない。
(2) また、被告らによる前件訴訟の提起等については、原告において、応訴の負担等があったものと認められる反面、以上述べたところに照らせば、敗訴の可能性(多額の損害賠償債務の負担)の観点から、原告の精神的な損害を過大に評価することは困難である。その他、本件に現れた一切の事情を総合すると、原告の精神的損害に対する慰謝料として100万円を認めるのが相当である。
そして、原告が本件を提起せざるを得なかったことについての弁護士費用としては、上記損害額合計100万円の1割に相当する10万円を認めるのが相当である。

4 前件訴訟による財産的損害を認めない原判決の誤り
(1) 以上のとおり、附帯控訴人が主張する損害費目と損害額は次のとおりである。
?前件訴訟応訴のための財産的損害(弁護士費用)少なくとも500万円
?前件訴訟提起による精神的損害(慰謝料) ???  少なくとも500万円
?本件訴訟提起のための弁護士費用            100万円
?損害合計1100万円の内金660万円の請求
これに対する、原判決の認定は、以下のとおりとなっている。
?前件訴訟応訴のための財産的損害(弁護士費用)   ゼロ
?前件訴訟提起による精神的損害(慰謝料)???   100万円
?本件訴訟提起のための弁護士費用        10万円
?合計認容額                 110万円
(2) 以上の3費目の内、前件訴訟提起等による財産的損害(応訴費用)をまったく認めなかった原判決の判断が際だって不当というべきである。
弁護士を依頼して民事訴訟を追行する場合、その費用負担がゼロであることはあり得ない。しかも、原判決は「原告は、前件訴訟及び本件訴訟を通じて、訴訟追行に関して原告自身が出捐した費用の総額が200万円である旨を供述している(原告本人14頁、15頁)。」ことまでは認定している。にもかかわらず、前件訴訟に関しての訴訟追行のための弁護士費用出捐についての特定に欠けるとして、この費目での損害をまったく認めなかった。これは、極めて偏頗な認定というしかない。原告(附帯控訴人)自身が出捐した費用の全額が、違法な被告(附帯被控訴人)らの前件訴訟提起がなければ出捐の必要のない、相当因果関係を有する出捐であることが明らかだからである。
仮に原審裁判所が当該費目の損害額の認定のためには、出捐実額の主張と立証が必要だと考えたとすれば、その旨の釈明を求めるべきであった。あるいは、民事訴訟法248条の活用によって、相当な金額を認定すべきでもあった。このような手続のないまま、不意打ちでのゼロ認定は、民事訴訟におけるあるべき裁判所の姿勢ではない。
(3) 原審での原告(附帯控訴人)の応訴費用の損害額についての主張は、出捐の実額ではなく「通常生ずべき相当額」をもって認定すべきであり、その相当額の認定は「旧弁護士会報酬規程」における「弁護士報酬標準額」によるべきであるとの主張であった。附帯控訴人は、当審においてなお、主位的にはこの主張を維持するものである。
不法行為による損害の有無や金額の認定には、個別性の高いものとして、実損害額の証明を必要とする範疇のものと、損害実額の証明には馴染まず、規範的な相当額を認定すべき範疇のものとがある。
民事訴訟の被告とされた者が訴訟追行のために弁護士を依頼することはごく自然なことであり、その依頼には費用の負担が伴うことも自明である。必然的に生じるこの負担を損害として把握するに際しては、その額は実出捐額ではなく、規範的な相当額として認定すべきものである。
仮に、弁護士費用としての出捐実額が相当額を超えたとしても、その超過分は相当因果関係ある損害とは見なしがたい。また、仮に、実出捐額が相当額に満たないとしても、その偶然的事情を不法行為者の利益とすることは許されない。
また、不法行為制度における違法行為抑止の効果を期待する側面からも、被害者の出捐実額によらない「通常生ずべき相当額」を損害として認定することが求められる。そのことが、いたずらに高額な請求におよぶ不当訴訟の横行を抑止することになるからである。
(4) 原判決も、本件訴訟提起の弁護士費用については10万円を認めているが、これに関して出捐実額の証明を求めてはいない。個別の具体的証明ないまま、「相当の」損害額を10万円として、同額の賠償請求を認容している。
これは、不法行為被害者が、訴訟追行を余儀なくされたことに付随する財産的損害である訴訟追行費用を、出捐の実額を損害とするものではなく、規範的に定まる「通常生ずべき相当額」を損害と把握していることを示している。
本件訴訟の訴訟追行費用をこのように認めながら、前件訴訟の訴訟追行費用をまったく認めなかった原判決の判断には、明らかな矛盾がある。
(5) 前件訴訟における附帯被控訴人ら(前件訴訟・原告ら)の一連の違法行為は、提訴だけでなく、請求の拡張であり、控訴であり、上告受理申立でもある。本来訴訟委任契約は各審級ごとになされ、弁護士費用の負担も各審級ごとになされる。応訴費用の「相当額」は、各審級ごとの着手金と事件終了後の成功報酬となる。附帯控訴人は、依頼した弁護士の努力によって勝訴を得たのであるから、当然に標準的な各審級ごとの着手金と成功報酬を支払わねばならないことになる。旧弁護士会報酬規程から、その標準額を算出すると、
着手金は、249万円×3=747万円
成功報酬は、6000×0.06+138万円=498万円
総計では、1245万円となる。
この訴額を設定したのは、附帯被控訴人ら自身である。それに相応する負担を甘受すべきである。そのようにして始めて、違法行為を抑止し、再発防止を期待することが可能となる。
(6) これまで、違法な提訴による損害賠償を認容した判決例において、応訴費用(弁護士費用)を損害と認定することについて論じたものは極めて少ない。
しかし、最近いわゆるスラップ訴訟が横行する状況下に、応訴費用を違法な提訴の損害として認定する判決が現れている。
その典型判決が、判例時報2354・60に紹介されている、2017年(平成29年)7月19日東京地方裁判所民事第41部判決(平成28年(ワ)第29284号損害賠償請求事件)である。
同誌は、同判決の「判示事項」として、「NHKの受託会社の従業員が放送受信契約締結勧奨のために訪問したことが不法行為に当たるとして提起された別件訴訟につき、権利が事実的、法律的根拠を欠くことを知りながら、業務を妨害する目的であえて提訴したもので、裁判制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠く不当訴訟であるとして、別件訴訟の原告と提訴を促し訴状の作成に関与した者との共同不法行為責任を認めた事例」と紹介しているが、より注目すべきはその損害の認定である。
同事件においては、原告の請求が「別件訴訟」の応訴費用についてだけのものであり、判決は訴訟追行に必要な弁護士費用として原告(別件訴訟被告)が支払った54万円の全額を、「相当」と認めた。
このNHKを被告とする「別件訴訟」は、訴額10万円に過ぎない。しかも、本人訴訟である。松戸簡裁に提起されて、千葉地裁松戸支部に移送されたのが2015年(平成27年)10月8日。その後NHKが弁護士費用を支払い、翌16年(平成28年)2月19日には判決に至っている。考えうる限り迅速に審理が終了して判決に至った簡易な事案であって、この判決は控訴なく確定している。
引用の東京地裁民事41部判決は、訴額10万円の損害賠償請求事件における被告NHK側の応訴費用である弁護士費用54万円全額を損害として認定し、その賠償を命じた。
これに比して、本件附帯被控訴人DHCと吉田嘉明が提起した、本件における前件訴訟は訴額6000万円の損害賠償請求事件である。しかも原告側は本人訴訟ではなく訴訟代理人が付いている。さらに、一審だけでなく、控訴審も上告受理申立審まである。それでいて、応訴に不可欠な弁護士費用の負担を損害額としてまったく認めず、その部分の認容額がゼロだという。この極端な不権衡は明らかに不当というほかはない。
(7) なお、同判決の損害額に関する下記の判示が注目される。この考え方は、本件においても、十分に斟酌されるべきである。
「被告らは、訴額が10万円にすぎない別件訴訟の弁護士費用として54万円もの費用をかける必要はなく、因果関係がない旨主張する。しかしながら、応訴の費用として通常生ずべき金額は、弁護士に対する委任の有無、当該訴訟における訴額及び当該訴訟の有する社会的影響力等の諸要素を考慮して判断すべきものであるところ、受信契約締結の勧奨が不法行為に該当するとして、原告に対する損害賠償請求訴訟が相当数提起されており、その勝敗が、係属中の他の訴訟や今後同種の訴訟が提起される可能性に影響を及ぼし得るものであること等を踏まえれば、前記認定金額が不相当であるとか相当因果関係がないということはできず、被告らの主張は採用することができない。」
以上のとおり、同判決も、応訴費用の損害額を「応訴の費用として通常生ずべき金額」としている。また、その通常生ずべき金額の多寡を決するには、「当該訴訟における訴額及び当該訴訟の有する社会的影響力等の諸要素を考慮して判断すべきもの」「原告に対する損害賠償請求訴訟が相当数提起されており、その勝敗が、係属中の他の訴訟や今後同種の訴訟が提起される可能性に影響を及ぼし得るものであること等を踏まえ」るとしていることが、重要である。本件においても、前件訴訟の勝敗がスラップ訴訟提起常習者としての附帯被控訴人らが今後同種訴訟を繰り返し提起する可能性に影響を及ぼし得るものであるからである。
(8) 附帯控訴人は、違法な前件訴訟を提起されたために220万円の出捐を余儀なくされた。
なお、原審での本人尋問では附帯控訴人は自らの出捐額を200万円と述べているが、これは正確な金額ではない。同人は確実な記憶だけを控えめに述べたもので、その後確認したところでは、合計出捐額は220万円である。具体的には後述する。
これに対して、原判決が経済的損害として認めたものは、わずかに10万円に過ぎない。2件の民事訴訟の追行を弁護士に依頼し、しかも、いずれも上訴の審級を重ねるに至っている。その弁護士費用が10万円で済むはずはない。
違法な行為あれば、それに起因する損害を賠償せしめるということが法の正義である。原判決がその正義を実現をしていないことがあまりに明かというべきである。
前述のとおり、そもそも前件訴訟で成算もないままに6000万円という高額な訴額を設定したのは、違法な訴訟を提起した両名の反訴被告(附帯被控訴人)自身である。裁判所が、この不当訴訟の高額請求についての応訴費用負担の重大性を看過して、これに対する標準的な弁護士費用の損害賠償を認めないのでは、違法なスラップ訴訟の横行を黙認するばかりか、スラップ訴訟提起を奨励するに等しい。経済的強者である反訴被告(附帯被控訴人)らは自由に不当訴訟を提起することができる一方、訴訟提起を受けた者は応訴費用の負担をまかなうことができなくなるからである。このことは、表現の自由が逼塞した恐るべき社会を招来するすることに繋がる。
以上のとおり、附帯控訴人の前件訴訟における弁護士費用負担の損害は、出捐実額ではなく、標準的な弁護士費用である(旧)日弁連報酬等基準によって算定されるべきであり、その額は少なくとも500万円を下らない。

5 前件訴訟における精神的損害
(1) (略)
(2) なお、原判決は「敗訴の可能性(多額の損害賠償債務の負担)の観点から、原告の精神的な損害を過大に評価することは困難である。」と説示する。
つまりは、一見して請求認容となり得ない訴訟なのだから、こんな提訴の被告とされたところで痛痒を感じるところはなく、精神的被害が大きいとは言えない、との趣意だが、それは一面的な見方に過ぎない。
敗訴の可能性が小だということは、提訴の違法性がより大であることを意味する。一方敗訴の可能性が大だということは違法性の程度が小ということを示している。とすれば、原判決は、違法性が大なる場合には慰謝料額を低額とし、違法性が小なる場合には慰謝料額が高額になるという奇妙な相関を認めていることになる。通常の法感覚も、訴訟実務もその逆である。違法性の高い行為による被害には、高額の慰謝料をもって、精神的損害の慰藉が行われなければならない。
また、現実には、不当訴訟の被害者は、当該不当訴訟における敗訴可能性の有無・濃淡にかかわらず、応訴のためには全力を尽くさざるを得ず、その割くべき時間や労力にさしたる差異はない。荒唐無稽な不当提訴であればあるほど煩わしさや腹立たしさは募るものでもあって、精神的な被害は大きいというべきである。

6 本件訴訟追行費用について
(1) 原判決は、慰謝料として認容した損害額100万円の10%を本件訴訟追行費用とみとめた。当然に十分な金額ではない。10万円の弁護士費用で、訴訟追行が可能であるはずはなく、まったく非現実的で形式的な「損害」の認定である。
原審裁判所のこのような姿勢は、違法行為による損害回復のために不可欠な費用を非現実的で形式的なものにとどめるものとして、違法な被害を被った被害者に対して、被害回復の法的措置への意欲を抑制して、加害者の立場に加担するものと言わざるを得ない。
(2) この点についても、前記引用の2017年(平成29年)7月19日東京地方裁判所民事第41部判決の次の説示を参考にすべきである。
「応訴の費用として通常生ずべき金額は、弁護士に対する委任の有無、当該訴訟における訴額及び当該訴訟の有する社会的影響力等の諸要素を考慮して判断すべきものである」
これは本件訴訟追行費用については、次のように読み替えることができる。
「不法行為による損害を賠償すべき訴訟追行のための弁護士費用として通常生ずべき金額は、当該訴訟における訴額及び当該訴訟の有する社会的影響力、事件の複雑さ等の諸要素を考慮して判断すべきものである」
前述のとおり、同引用判決では訴額10万円の事件で、応訴費用として54万円の弁護士費用を損害として認めた。この程度の費用なくしては、弁護士を依頼しての本格的な訴訟追行は現実的に不可能なのである。この理は、本件訴訟追行費用においても、生かされなければならない。
(3) 事件の規模、社会的影響力、複雑さ等々の諸要素を考慮すれば、前件訴訟による損害額の如何にかかわらず、本件訴訟追行費用たる弁護士費用としては、100万円が相当である。

7 前件訴訟追行費用についての主張の追加
(1) 附帯控訴人は、前述のとおり、飽くまでも前件訴訟追行費用としての損害額は、現実の出捐額ではなく、規範的な意味での損害と把握して、当該訴訟に必要な標準的弁護士費用額とすべきことを主位的主張として維持する。
しかし、貴裁判所の心証が必ずしも附帯控訴人の主位的主張に与しない場合に備えて、以下の負担実額の主張を追加する。
(以下略)
8 結論
以上のとおり、損害額の認定において過小な原判決の附帯控訴人敗訴部分は取り消されなければならず、改めて附帯被控訴人ら両名に、附帯控訴人に対して連帯して660万円及びこれに対する2014年(平成26年)8月29日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を支払うよう、求める。

附 属 書 類

附帯控訴状副本                  2通

(2020年1月15日)

DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審では、附帯控訴を予定 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第168弾

DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論は、1月27日(月)午前11時? 511号法廷でおこなわれる。ことは、表現の自由にも、政治とカネの問題にも、消費者の利益にも関わる問題である。是非、多くの方に傍聴いただきたい。

昨年(2019年)10月4日、東京地裁民事第1部で一審の勝訴判決を得た。この判決は、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を訴えたスラップは違法であると明確に断じた。だから、請求認容額(110万円)にかかわらず、勝利感の強い判決で、当方から積極的に控訴する気持にはならなかった。

ところが、被告側DHC・吉田嘉明が控訴し、私は被控訴人となった。控訴審に付き合いを余儀なくされる立場に立つと、660万円の請求に対する110万円の認容額の少なさに不満が募るようになった。そこで、附帯控訴をすることとなった。

原審で原告が請求した損害は以下の3費目である。なお、前件訴訟というのが、DHC・吉田嘉明が私に仕掛けたスラップ訴訟のことであり、本件訴訟が反撃訴訟のことである。
?前件訴訟応訴のための財産的損害(弁護士費用)
?前件訴訟提起による精神的損害(慰謝料)
?本件訴訟提起のための弁護士費用
この三者を合計した損害の内金として660万円を請求した。

これに対する、原判決の認定は、以下のとおりとなっている。
?前件訴訟応訴のための財産的損害(弁護士費用)ゼロ
?前件訴訟提起による精神的損害(慰謝料)???  100万円
?本件訴訟提起のための弁護士費用       10万円

まず慰謝料の額が低い。その理由を判決は、「敗訴の可能性(多額の損害賠償債務の負担)の観点から,原告の精神的な損害を過大に評価することは困難である。」という。噛み砕いて言えば、「こんな荒唐無稽の訴訟をされたところで、被告(澤藤)が負けるはずもないのだから、大した心配をすることはなかったでしょう」というのだ。それはなかろう。訴訟が荒唐無稽であればあるほど腹立たしさは募るものなのだ。また、敗訴可能性の濃淡にかかわらず、応訴のための時間と労力を割かねばならない煩わしさには多大なものがある。到底100万円では納得しがたい。

なによりも、前件スラップ訴訟に応訴のための弁護士費用負担分を認めなかったことが不服である。

この金額は本来多額である。訴額6000万円の事件だと弁護士費用の標準額は旧弁護士会報酬規程に則って着手金が247万円である。しかも、これが各審級で必要となる。成功報酬は678万円である。私が、この標準額を弁護団に支払うとなれば、1425万円となる。その一部でも、違法なスラップを提訴したDHC・吉田嘉明に支払わせなければならない。

実は、これまで、違法なスラップ提訴による損害賠償を認容した判決例において、弁護士費用を損害と認定したものは極めて少ない。ところが、最近N国がこの種の判例を作ってくれている。その典型が、判例時報2354号60頁に紹介されている、2017年7月19日東京地方裁判所民事第41部判決。

同判決は、「NHKの受託会社の従業員が放送受信契約締結勧奨のために訪問したことが不法行為に当たるとして提起された別件訴訟につき、権利が事実的、法律的根拠を欠くことを知りながら、業務を妨害する目的であえて提訴したもので、裁判制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠く不当訴訟であるとして、別件訴訟の原告と提訴を促し訴状の作成に関与した者との共同不法行為責任を認めた事例」と紹介されている。

端的に言えば、N国の指示に従って、視聴者の一人がNHKを被告とする10万円の損害賠償訴訟を提起し,当然のごとくに敗訴した。ところが問題はそれで収まらない。この訴訟をスラップと考えたNHKが、逆に54万円の弁護士費用について損害賠償訴訟を提起してその全額が認容されたという事件である。

注目すべきはNHKの請求が「別件訴訟」の応訴費用についてだけのものであり、判決は訴訟追行に必要な弁護士費用としてNHKが弁護士に支払った54万円の全額を、「相当」と認めた。「別件訴訟」は訴額10万円に過ぎない。しかも、原告2人(視聴者とN国幹部)とも弁護士をつけない本人訴訟である。考えられる限り迅速に審理が終了して判決に至った簡易な事案であって、この判決は控訴なく確定している。

それでも、東京地裁民事41部は、訴額10万円の損害賠償請求事件における被告側の応訴費用である弁護士費用54万円全額を損害として認定し,その賠償を認定した。

これと比較すれば、DHC・吉田嘉明の私(澤藤)に対する前件スラップ訴訟は、訴額6000万円の大型損害賠償請求事件である。しかも原告側は本人訴訟ではなく弁護士が訴訟代理人として付いている。さらに、一審だけでなく、控訴審も上告受理申立審までフルコースを闘った。それでいて、応訴に不可欠な弁護士費用の負担を損害額としてまったく認めず、その部分の認容額がゼロだという。この極端な不権衡は明らかに不当というほかはない。

 N国事件判決中に次の説示がある。不当提訴の応訴費用を相当な損害として認定するには、「当該訴訟における訴額及び当該訴訟の有する社会的影響力等の諸要素を考慮して判断すべきもの」「原告に対する損害賠償請求訴訟が相当数提起されており、その勝敗が、係属中の他の訴訟や今後同種の訴訟が提起される可能性に影響を及ぼし得るものであること等を踏まえ」る、というのである。

DHC案件においても、DHC・吉田嘉明から私(澤藤)に対する前件訴訟の勝敗が、スラップ訴訟提起常習者としてDHC・吉田嘉明の行動に、大きく影響する。私が十分な勝ち方をすれば、吉田嘉明はこれに懲りて、今後同種のスラップ訴訟の提起を断念することになろうる。しかし、私が十分な勝ち方をしなければ、吉田嘉明は懲りることなく、またスラップを続けるだろう。

私の勝訴は社会を益することになり、吉田嘉明が勝てば社会を害することになるのだ。
(2020年1月8日)

DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論は、2020年1月27日(月)午前11時? 511号法廷。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第167弾

DHCスラップ「反撃」訴訟では、本年(2019年)10月4日に一審東京地裁民事第1部での勝訴判決を得た。

判決主文は、請求の一部を認容して、DHC・吉田嘉明にして110万円(+遅延損害金)を支払えと命じるもの。訴訟費用負担は、原告(澤藤)が6分の1、被告ら(DHC・吉田嘉明)が6分の5という興味深い割合。

この判決にも被告(DHC・吉田嘉明)が控訴して、東京高等裁判所第5民事部に継続した。12月4日付で控訴理由書が提出され、第1回口頭弁論期日が、2020年1月27日(月)午前11時に指定されている。場所は地裁・高裁庁舎の5階、511号法廷。是非、傍聴にお越し下さい。

あらためて、この訴訟の概要についてお伝えし、ご支援をお願いしたい。

この事件は、典型的なスラップ訴訟である。スラップ訴訟とは、法に関わる社会現象であって、成文法に出てくる用語ではなく、厳密な定義があるわけでもない。常識的に理解されているところでは、「特定の表現を封殺する目的で提起される民事訴訟」を指す。封殺目的の「表現」の多くは言論だが、個人の行為や集団行動を対象とすることもある。その多くは、「社会的強者から」の「社会的に有益な表現」に対する攻撃である。その提訴という手段を通じて表現者を威嚇・恫喝せしめる側面に着目して、「威嚇訴訟」「恫喝訴訟」とも呼ばれる。典型的には、被告を威嚇・恫喝するにふさわしい、高額の損害賠償請求となっている。まさしく、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として提起したDHCスラップ訴訟がそのような典型としての、世のイメージのとおりの訴訟である。

スラップは、その意図と効果において表現の自由封殺の反社会性をもちながら、国民の権利とされている民事訴訟提起を手段とするところに、スラップ特有の違法性判断の困難さがつきまとう。また、それが、スラップ提起者の付け目でもある。

私は、当ブログを毎日書き続けている。権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫している内容。「当たり障りのないことは書かない。当たり障りのあることだけを書く」をモットーとして、連続更新は本日で、2459回である。
2014年春、このブログでサプリメント販売大手DHCのオーナー吉田嘉明を批判した。彼自身が週刊新潮の手記「さらば、器量なき政治家・渡辺喜美」で暴露した、みんなの党の党首(当時)渡辺喜美に政治資金として8億円の裏金を提供した事実を、「政治を金で買おうという薄汚い行為」と手厳しく批判したもの。

そして、吉田の裏金政治資金提供の動機を「利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの」として消費者問題の視点から批判した。
DHC・吉田嘉明がスラップ訴訟で、違法と主張したブログ記事の主要な一つが、次の記載である。
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。
これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」

これは、消費者に有益な情報である。このような言論が違法として封殺されてはならない。スラップ訴訟とは、市民に有益な情報を遮断しようというものである。スラップは本来表現の自由に敵対する違法な行為なのだ。

私は、突然に、生まれて初めて被告とされた。提訴時の請求慰謝料額は2000万円。私は、「黙れ」と恫喝されたと理解し、弁護士として絶対に黙ってはならないと覚悟を決めた。同じブログに、猛烈に「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めた。本日がその第167弾にあたる。

このシリーズを書き始めたとたんに、DHC・吉田嘉明側の弁護士(今村憲・二弁)から警告があり、慰謝料請求金額は6000万円に拡張された。吉田自ら、提訴の動機を告白しているに等しい。
スラップの対象となった私のブログは、政治とカネをめぐっての政治的言論であり、「消費者利益擁護の行政規制を緩和・撤廃してはならない」と警告を発するもので、社会に許容される言論というよりは、民主主義社会に有益な言論にほかならない。

当然のことながら、このスラップ訴訟は、私の勝訴で確定した。しかし、DHC・吉田側が意図した、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の社会的な効果は残されている。スラップを違法とする「反撃訴訟」が必要と考えた。

こうして、DHCスラップ「反撃」訴訟が提起され、去る10月4日、その一審勝訴の判決を得た。先行の「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、慰謝料等110万円の賠償を命じたもの。係属裁判所は東京地裁民事1部(前澤達朗裁判長)である。

この判決は、大要次のように判断している。
「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」

私の側は控訴しなかったが、DHC・吉田嘉明の側が控訴した。これから、控訴審が始まる。その第1回が、1月27日である。決定的に勝ちたいと思う。ご支援をお願いしたい。表現の自由の確立のために。
(2019年12月25日)

「伊藤詩織・#MeToo訴訟」の反訴はスラップだ

伊藤詩織さんの山口敬之に対する損害賠償請求訴訟。昨日(12月18日)、よい判決となった。公にしにくい性被害の不当を訴えて声を上げた、伊藤さんの勇気と正義感に敬意を表したい。
被害者は私憤で立ち上がるが、行動を持続するには,私憤を公憤に昇華させなければならない。でなければ社会の支持を得られないからだ。はらずも、伊藤さんの行動はそのお手本になった。
被害者伊藤さんの支援の人びとのピュアな雰囲気と、加害者側の応援団の臭気芬々との対比が一興である。この醜悪な山口応援団の面々を見れば、その背後に安倍晋三ありきという指摘にも頷かざるを得ない。応援団に誰が加わっているのか、その面子というものは、ものを言わずともそれ自体で多くを語るものなのだ。

私は、判決全文を読んでいない。裁判所が作成した「要旨」を読む限りだが、客観状況に照らして、被告山口のレイプは明白で、十分に刑事事件としての起訴と公判維持に耐え得る案件だと思われる。何ゆえ山口が不起訴になったのか、その背後に官邸の指示や要請はなかったのか。あらためて、本格ジャーナリズムの切り込みを期待したい。

ところで、私の格別の関心は、この事件の「反訴」にある。
伊藤さんが、慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したのが、2017年9月。被告山口は、今年(2019年)2月に反訴を提起した。
この反訴は、「(伊藤が)山口の行為をレイプと社会に公表することで、(山口の)名誉が毀損された」とする損害賠償請求訴訟。その慰謝料請求額が1億3000万円という高額で話題となった。

これは、スラップの一種である。訴訟という舞台での高額損害賠償請求をもって、原告を恫喝しているのだ。伊藤さんと同じ立場で訴訟を企図する性被害者たちの提訴萎縮効果をも招くものとなっている。

こういう非常識な反訴提起という訴訟戦術には、代理人弁護士の個性が大きく関与している。この弁護士は、愛知県弁護士会に所属する北口雅章弁護士。実はこの人、自身のブログに、伊藤さんの訴えについて「裁判に提出されている証拠に照らせば、全くの虚偽・虚構・妄想」と記載。被害の様子をつづった伊藤さんの手記の出版は「(山口の)名誉・社会的信用を著しく毀損する犯罪的行為」と書き込んでアップした。このブログは今は消去されて読めないが、弁護士としての品位を欠くものとして、懲戒手続が進行している。

懲戒請求は、まず綱紀委員会で審査される。ここで、懲戒審査相当の議決あって始めて懲戒委員会が審査を開始する。

愛知県弁護士会の綱紀委員会は、本年(2019年)9月12日、当該ブログの内容は、伊藤さんの名誉感情を害し、人格権を侵害するものと認定し、「過度に侮蔑的侮辱的な表現を頻繁に交えながら具体的詳細に述べ、一般に公表する行為は、弁護士としての品位を失うべき非行に該当すると判断した」と報じられている。

被懲戒者側は、「虚偽の事実の宣伝広告によって山口の名誉が毀損されていることに対する正当防衛」と主張したが、綱紀委員会は一蹴している。北口は、この議決を受けてブログ記事を削除している。もちろん、それでも懲戒委員会の審査が進行中である。

私は愛知県弁護士会が同弁護士に対して厳しい懲戒処分をするよう期待する。スラップ訴訟提起の不当・違法は明らかで、これを主導する弁護士には、制裁あってしかるべきなのだ。私は、「スラップやった弁護士は懲戒」の定着を望ましいと思っている。厳密には、本件は「代理人となってスラップを主導したから懲戒」という事案ではない。「スラップの主張を、ブログでも品位を欠く態様で公表したから懲戒」なのだ。しかし、本件は望ましい懲戒への、栄光ある第1歩の案件となるやも知れない。

さて、当然のことながら、山口からのこの反訴請求は全部棄却された。「判決要旨」は、まことに素っ気なく、次のようにまとめている。

【(原告伊藤の)被告(山口)に対する不法行為の構成】
 原告(伊藤)は自らの体験・経緯を明らかにし、広く社会で議論することが、性犯罪の被害者を取り巻く法的・社会的状況の改善につながるとして公表に及んだ。
 公共の利害にかかわる事実につき、専ら公益を図る目的で表現されたものと認めるのが相当であること、その摘示する事実は真実であると認められることからすると、公表は名誉毀損による不法行為を構成しない。プライバシー侵害による不法行為も構成しない。

 なお、1億3000万円の反訴提起に必要な印紙額は41万円。山口が本件判決を不服として控訴するとなれば、訴額は本訴反訴合計で1億3330万円。必要な印紙額は63万3000円となる。もちろん、弁護士費用は別途必要となる。庶民には大金だが、稼いでいる記者には大したものではないのかも知れない。
(2019年12月19日)

「私も、ホテルでのDHC製品排斥の声をあげた」― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第166弾

11月28日付で、下記のブログを掲載した。
ホテルでのDHC製品不使用のお願い― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第165弾
https://article9.jp/wordpress/?p=13858

その内容は、私が宿泊した「KKRホテル博多」の備品にDHCの製品が使われていたことを不快として、同ホテルの支配人宛にDHC製品ボイコットを要請した依頼文である。

これに早速の反応があって驚いた。ホテルの支配人からの返答ではなく、「同様のことを同時期に私もしました」という、なんとも嬉しい下記のご連絡をいただいたのだ。

澤藤 統一郎様
突然のご通知をお許し下さい。これまで、澤藤さんの東京地裁でのDHCスラップ裁判のほとんどを傍聴してきた者です。

さて、私も2019年11月28日付けの「憲法日記」のブログの内容と同じことをしました。
11月25日大阪梅田の大阪東急REIホテルに1泊したのですが、女性客への特典アメニティとしてDHCのモノが配られていました。このホテルのアンケートにDHC吉田がやってきたことを書き、今後DHCのモノは配らないように、使わないようにと書いておきました。
ホテル業界からDHCを葬ってやりたいものと思います。東急ホテルズが、あの『ゴートーケイタ』と呼ばれた五島慶太の悪辣さを今も引きずっているなら、このままかもしれませんが、DHCは使わないようにと声をあげることは大切なことと思います。
少しでも安ければそれだけでよいという業界も業者も数多くあります。私の居住地に展開している「地域生協」でも、これまで『DHC製品2割引』などという販促キャンペーンを繰り返しやっていましたが、その都度、DHCの悪行を強く本部に伝えてきました。そのためか、最近はDHC販促キャンペーンがチラシに載らなくなった気がします。

あらゆるところからDHCを駆逐するように、声を上げたいと思います。多くの日本人は、自分が感じる、『おかしい』、『へんだ』、『それは悪いことだ』という思いを、表に出しません。おそらくは、その場の空気を読むように巧妙に作られてきた教育システムと社会慣習のシステムによるものでしょうね。
感じたこと、言いたいことを素直に口に出せば、『発達障害』とされてしまいかねないこの日本では、声をあげることが一苦労ではあるのですが。

ところで、この度の「アベ桜」の問題。今度こそはアベ政権を蹴散らしたいと思っています。「森友」と「加計」と「桜」、二重にも三重にも、懲らしめなければなりません。とにかく、アベを辞めさせなければなりません。

お騒がせしました。November 30,2019

私は、ブログにアップした文章をプリントアウトして郵送した。この方は、ホテルのアンケートに対する回答に、「DHC吉田がやってきたことを書き、今後DHCのモノは配らないように、使わないようにと書いておきました」というのだ。

このようなDHCを糾弾する顧客の声を、ホテルというサービス業者が無視することはできない。「デマとヘイトとスラップのDHC」を追い詰める手段は裁判だけではない。自分が感じる、『おかしい』『へんだ』『それは悪いことだ』という思いを、日々率直に表現していくことこそが大切なのだと思う。
(2019年12月2日)

ホテルでのDHC製品不使用のお願い― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第165弾

「KKRホテル博多」支配人殿
貴ホテルに2泊した者です。
この間の行き届いたおもてなしに感謝いたします。フロントの笑顔の対応も清潔な室内も、心地よいものでした。リーズナブルな価格で高いサービスを受けたと満足しています。

しかしながら、たった一つの不満ないし不快があり、善処方をお願いいたしたく、一筆したためる次第です。

バス室におかれているアメニティグッズの中に、「DHCアメニティ」ブランドの製品がありました。シャンプー・コンディショナー、そしてボディシャンプーの3品です。これが、たいへんに不愉快で不満なことなのです。私だけでなく、DHC製品の備え付けと使用に不快を覚える宿泊客はけっして少なくはないと思うのです。

DHCは、沖縄の平和運動を支援する運動、在日差別をなくそうとする運動に携わる方々からは、デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)と呼ばれています。DHCのオーナーである吉田嘉明という人物が、非常識な在日差別を広言することで知られており、DHCの子会社DHCテレビ制作の番組「ニュース女子」が沖縄の平和運動に対する悪質極まるデマを放映したからです。また、DHCはそのオーナーの民族差別言動の故に、韓国社会でのDHC製品不買運動にさらされてもいます。

さらに、DHC・吉田嘉明は、スラップ訴訟常習者としても知られています。自分を批判する言論を嫌い、その言論を封殺するために高額の民事損害賠償請求訴訟を提起するのです。民主主義社会の基礎をなす「表現の自由」の敵対者といわねばなりません。

実は私も、吉田嘉明のスラップ訴訟提起の被害者の一人です。吉田が、政治家・渡辺喜美に政治資金8億円の裏金を提供したことを批判して、2000万円の慰謝料請求のスラップ訴訟を提起されて被告とされました。しかも、この訴訟を不当なスラップ訴訟だと批判したとたんに、2000万円の請求額は,6000万円に跳ね上がりました。

当然のことながら、この訴訟は私の全面勝訴で終わりました。地裁・高裁・最高裁のすべてでの完勝の判決を得たのです。しかし、それだけでは不十分と考え、DHC・吉田嘉明のスラップの提起を違法とする損害賠償請求訴訟を私の方から提起しました。去る10月4日、私の言い分が認められ、DHC側に110万円の支払いを命じる一審判決が出たところです。

この経緯は、私のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に詳しく述べていますので、下記URLで、ご覧いただけたらありがたいと存じます。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12

私は、DHCに対する個人的な私憤だけで、DHCを指弾しているのではありません。DHC・吉田嘉明は、明らかに民主主義や人権の敵対者です。民主主義や人権を大切に思う、良識ある消費者はDHC製品を購入しないことで、社会に貢献できることを自覚しています。良識ある事業者も同様です。貴ホテルがDHC製品を扱わないとすることが、準公的な立場にある事業者の良識を示すものと考える次第です。

のみならず、DHC製品の使用は、経営戦略上の不利を招くものと指摘せざるを得ません。DHC・吉田嘉明の「思想」は日本人を本来的に優れた民族とし、近隣諸国の国民や民族を劣ったもの不道義なものとする、根拠のない「優越思想」なのです。このような馬鹿げた、時代錯誤の妄言を吐く会社の製品を、貴ホテルが無自覚に取り扱うことは、心ある日本人客に違和感を与えることにもなりますが、何よりも国外からの宿泊客に不愉快な思いをさせることになります。

むしろ、民族差別やデマで高名なDHCと縁を切ったとすることが、経営戦略して正しいあり方と確信する次第です。そのような、取引先からの圧力によって、DHCや吉田嘉明には、心からの反省をしてもらいたいのです。あるいは、心からの反省は無理としても、せめて差別言動のない会社となり、DHCテレビにも、デマやヘイトの報道を自粛してもらいたいのです。

貴ホテルの発展を願うとともに、併せて人権や民主主義、表現の自由や近隣諸国との協調と平和を望む立場から、DHC製品を貴ホテルでお使いになることのないよう、お願い申しあげます。
(2019年11月28日)

DHCスラップ「反撃」訴訟・控訴審弁護団にご参加のお願い ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第164弾

弁護士の皆様にお願いいたします。ぜひ、DHC訴訟の弁護団にご参加下さい。依頼者は、形式的には私(澤藤)ですが、実質的には「表現の自由」なのです。

私は、サプリメント販売最大手のDHCと、そのオーナーの吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟を提起されて被告となりました。請求金額は当初2000万円、私がこれをスラップと指弾すると、とたんに6000万円に跳ね上がりました。DHC・吉田嘉明自身がスラップの意図を自白しているにほかなりません。

このスラップ訴訟は、一審・二審・上告受理申立審とも私の勝訴で確定しました。しかし、私は被告事件の勝訴だけでは納得できません。DHC・吉田嘉明はスラップを提起して敗訴はしたものの、「DHC・吉田嘉明を批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の効果は社会に残されたままだからです。

私は、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴が,スラップとして違法であると主張し、損害賠償請求訴訟を提起しました。これが「『反撃』訴訟」です。
2019年10月4日,東京地裁民事1部でその一審判決が言い渡され、110万円の認容判決となりました。DHC・吉田嘉明はこれを不服として控訴し、舞台は東京高裁(第5民事部)での控訴審に移ります。当然に付帯控訴して、賠償額の増額をめざして争うことになります。その被控訴人側代理人として弁護団にご参加いただきたいのです。ぜひ、弁護団のメーリングリストに参加してご発言下さい。

なお、DHC・吉田嘉明のスラップは、私の「憲法日記」というブログの記事に対するものです。このブログは毎日書き続けて、既に連続更新2400回を超えていますが、権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫しています。

スラップの対象となったのは、
 (1)吉田嘉明が政治家渡辺喜美に8億円の政治資金(裏金)を提供したのは、
  「政治を金で買おうとしたもの」である
 (2)吉田の裏金提供の動機は利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの
 (3)金権政治防止のためには政治資金の流れは徹底して透明でなければならない
と指摘したものです。さらに、
 (4)スラップ提訴は違法であると指摘したことも、スラップの対象とされています。
というわけで、この訴訟は「表現の自由」・「消費者問題」・「規制緩和」・「政治資金規正」・「裁判を受ける権利」などの論点満載となっています。ぜひ、よろしくお願いします。

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DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過の概略

 発端は、吉田嘉明自身の週刊新潮手記の掲載である。自らの渡辺喜美への8億円裏金提供を暴露する記事となっている。その直後に、私がブロクで吉田嘉明を批判する3件のブログ記事を書いた。この「言論」を封殺する意図で、吉田嘉明と株式会社DHCの両名が原告となって、私を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行の「DHCスラップ訴訟」。同訴訟の請求額は提訴時2000万円だったが、提訴直後に請求が拡張されて6000万円となった。
DHCスラップ訴訟では、東京地裁一審判決が請求を全部棄却し、東京高裁の控訴審が控訴を棄却、さらにDHC・吉田嘉明は最高裁に上告受理を申立てたが不受理となって私の勝訴が確定した。
確定後、私からDHC・吉田嘉明の両名に、スラップ提起を違法として訴訟外で600万円の損害賠償請求をしたところ、この両名から債務不存在確認請求訴訟が提起され、再び私は被告の座に着くこととなった。
「反撃」訴訟はその反訴としてなされたもので、「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に損害賠償請求を求めたのもの。判決は、手堅くきっぱりとスラップの違法性を認定した。
なお、私の吉田嘉明批判は、吉田自身の週刊誌の手記の内容を対象とするもので、同様の批判の言論は数多くあった。吉田は、そのうちの10件を選んで、同時期にスラップの提訴をしている。時系列での経過は下記のとおり。

2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円の請求に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。スラップの違法を認める。
2019年10月15日 反訴被告ら控訴。

(2019年11月27日)

DHC・吉田嘉明、DHCスラップ「反撃」訴訟判決に控訴 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第163弾

 お知らせしたとおり、10月4日にDHC反撃訴訟の判決が言い渡され、私(澤藤)が勝訴した。本日(10月18日)が控訴期限。私の側は控訴しなかったが、DHC・吉田嘉明の側が控訴した。これから、控訴審が始まる。DHC・吉田嘉明が控訴人となり、私(澤藤)が被控訴人となる。

 普通、控訴審の期間は長くかからない。私が被告になった、「DHCスラップ訴訟」も、口頭弁論期日は1回開かれただけで、即日結審となった。皆様に、もう少しのご支援をお願いしたい。

もう一度、事案と判決の内容を整理しておきたい。

私が、当ブログに吉田嘉明を批判する記事を掲載した。DHC・吉田嘉明が、その記事によって名誉を毀損されたとして、私を被告とする損害賠償請求訴訟を提起した。この訴訟が、「DHCスラップ訴訟」(あるいは「前件訴訟」)である。
そのDHCスラップ訴訟では、一審・控訴審そして最高裁への上訴のフルコースで、私が勝訴して確定した。

しかし、私はそれだけでは納得できなかった。私は、DHC・吉田嘉明の私に対する訴訟は、社会的な強者が、自分(吉田嘉明)に対する批判を封殺する目的で提訴した典型的なスラップ訴訟として違法であることを理由に、損害賠償請求訴訟を提起した。これが「DHCスラップ『反撃』訴訟」である。

その一審で私が勝訴し、敗訴のDHC・吉田嘉明が、一審判決に不服として東京高裁に控訴した、というのが現段階である。

私が一貫して主張しているものが、表現の自由である。仮に、DHC・吉田嘉明のこんな訴訟がまかり通ることになれば、民主主義社会を支える表現の自由が枯死してしまう。私こそが表現の自由の旗を持ち、DHC・吉田嘉明がこれに敵対する者なのだ。

しかし、当然のことながら、「表現の自由」が常に他の憲法価値に優越するわけではない。
Aの表現がBの社会的評価を貶めるとき、「Aの表現の自由」と「Bの人格権」とが衝突して調整を要することになる。Bが自らの人格権を違法に侵害されたとして損害賠償請求の訴えを提起すれば、Aに違法性阻却要件具備の挙証責任が課されて審理されるのが現在の訴訟実務。
その訴訟でBが結果として敗訴しても、直ちに不当な訴えを提起したことにはならない。結果として負けた訴訟が、すべてスラップということではない。社会の正義の感覚とは相容れない司法の壁に跳ね返されて、勝つべくして勝てない訴訟はたくさんある。これを違法・不当な訴訟とは言わない。

では、どのような場合に、Bの提訴が不当・違法な訴訟となるのか。どのような状況で、どのような要件を具備した場合に、スラップと呼ぶべき違法な訴訟として、提訴自体を不法行為に問うことができるのか。まだ、必ずしも明確な基準が設定されているとは言いがたい。

つまり、「結果としては勝てなかったが、争う価値ありという提訴」と、「そのような提訴自体が違法となる提訴」をどこで分けるべきかは微妙な問題が残されている。しかし、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴の違法性は、そのような微妙な境界事例ではない。歴としたスラップ、明々白々な違法提訴なのだ。そのことを反映して、DHCスラップ『反撃』訴訟一審判決は、逡巡のあとのない、迷いのない判断を示している。

裁判所の判断の枠組みは、民事訴訟裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠く場合にあたるか否かというものである。

判決の論理の出発点は、次の最高裁判例である。

「訴えの提起は,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り,相手方に対する違法行為になるものというべきである(最高裁判所・1988(昭和63)年1月26日第三小法廷判決)。

その上で、大要次のように判断する。

「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して訴えを提起し、損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについても、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が澤藤に対する違法行為になる」

噛み砕いて言えば、こんなものである。
「澤藤ブログが、DHC・吉田嘉明の耳には痛く面白くないとしても、裁判をしてもどうせ勝てっこない。しかも、勝てっこないことは分かっていたはず。仮にそのことが分かっていなかったとしても、普通の人なら容易にが分かったはずなのだから、そんな提訴はしてはいけない。してはいけない提訴をしたことは澤藤に対する違法行為として、損害賠償の責任を負わねばならない」ということでもある。

問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
A「客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」

つまり、これがスラップ勝利の方程式。
A+(B1orB2)=スラップ

吉田の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定する。この判定過程が、この判決の神髄。当該判示部分の冒頭を抜き書きする。

原告澤藤ブログ(5本)は,本件(吉田嘉明の週刊新潮)手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を前提に、他の情報を付加することなく、原告が考える政治と金銭との健全な関係の観点から、本件(8億円)貸付について、被告吉田の内心の推察を試みつつ批判を加えようとするものと読み取ることができる。そうすると、原告ブログは、本件手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を元にした社会的な評価や推論であることが理解可能である記述部分や,人の内心に係る一般的な行為の動機の問題である記述部分からなり、被告吉田の本件(8億円)貸付の動機についての事実の摘示を含むものと解することはできないのであり、このことは、一般の読者において同様の理解が容易というべきである

控訴しても、この結論が変わるはずはない。付帯控訴によって、賠償金の増額はあり得る。その控訴審の進行は、当ブロクで詳細に報告したい。引き続きのご支援をお願いいたします。
(2019年10月18日)

N国・立花さん、いったん口にしたスラップの提訴。ぜひおやりなさい。

私は、根は親切なタチだ。多少は、お節介でもある。だから、このブログでも、何人かの人には親切心から、「おやめなさい」と言ってきた。

しかし、私が万人に親切であるわけはない。相手によっては、不親切心からの思惑あって「おやめなさい」と言うこともあれば、うまく行かないことを見越して「ぜひおやりなさい」とけしかけることだってある。

ところで、N国の立花孝志さん。あなたは、10月4日の記者会見で、小西洋之参院議員に対する民事訴訟の提訴を宣言された。小西さんの立花批判発言を名誉毀損として損害賠償請求の提訴をすると明言された。記者会見とは国民の代表への語りかけの場。あなたは、国民への約束をされた。政治家に二言はあるまじきこと。このスラップまだ提訴になっていないようだが、どうなさったか。ぜひ、おやりなさい。早くおやりなさい。躊躇していてはなりません。グズグズしているのは、あなたらしくない。

あれから10日も経っている。一度口にしたことは速やかに実行しましょう。そうでないと、政治家失格。いや、社会人失格。「埼玉補選出馬準備で忙しい」なんて言い訳は止めましょう。あなたらしくもない。名誉毀損損害賠償請求の訴状を書くのは簡単なこと。だれにだって書ける。立花さん、あなただって自分で書ける。自分で書くのが面倒なら、どんな弁護士にでも依頼さえすればよい。訴状だけならたやすく書ける。あなたは、埼玉補選に専念しておいてよいのだ。

私は、2014年4月8日、当ブログに「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」という、DHC・吉田嘉明批判の記事を書いた。そうしたら、DHC・吉田嘉明は4月16日に私を名誉毀損で提訴した。吉田嘉明かDHCの誰かが、そのブログを最初に読んだのは、どう考えても4月9日以降のこと。とすれば、提訴を決意し弁護士に相談して依頼し、弁護士が受任して訴状を書いて提出するまで、一週間という期間でしかなかった。

しかも、この一週間は、DHCの顧問弁護士(今村憲)が、多くの吉田嘉明批判言論から、「確実に勝訴の見込みがあると判断」される事案をセレクトする作業期間を含んでいる。その一週間に、私のDHC・吉田嘉明批判のブログも「確実に勝訴の見込みがあると判断」されて、提訴対象とされたのだ。

あなたの場合の時系列を確認しておこう。
まずは、あなたのユーチューブ発言があった。

「人間の天敵はいないから、結局人間が人間を殺さざるを得ないのが戦争だと思ってる」「ある意味ものすごい大ざっぱに言うと、そういうあほみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう、みたいな。やる気はないけど、それを目指したら、結局そういうことになるのかな」「うちで飼っている猫とあまり変わらない人いっぱいいますよ。そういう人はご飯をあげたら繁殖するんですよ、言い方悪いけど、いっぱい子供産むんですよ、やることないから。避妊に対する知識もないし」「人種差別やめようとは思ったことない」「差別やいじめは神様が作った摂理だから、本能に対して逆らうことになるでしょ。だって誰かを差別したり、誰かをいじめることによって自分が安心できるっていう、人間持っている本来の摂理なので、それが本当に正しいのかって言うのはすごく疑問がある」

以上のあなたの発言批判を小西さんが、ツイッターに書き込んだ。これが9月27日のこと。

空前絶後の暴言。
憲法、国連憲章の全否定に等しい。
参議院規則第207条では、「議員は、議院の品位を重んじなければならない。」と明記されている。
この規則への違反は、憲法58条により懲罰処分、すなわち、除名(議席はく奪)も可能だ。
参議院の与野党の責任が問われている。

なるほど、参議院規則には、下記の各条文がある。小西さんのツイッターによるあなたへの批判の意見は、荒唐無稽なものではない。

第207条 議員は、議院の品位を重んじなければならない。
第245条 議院を騒がし又は議院の体面を汚し、その情状が特に重い者に対しては、登院を停止し、又は除名することができる。

この批判を不服とするあなたは、「小西さんに対話を求めたが応じなかった」として、10月3日に「小西氏の国会事務所を動画撮影しながら突撃した」と報じられている。

そして、翌4日の記者会見での提訴発言となった。この日程なら、小西さんを被告とする訴状を準備して、会見場で配布することもできたはず。まさか、やる気もないのに、口だけ発言ではなかったのでしょうね。そして、念のため。今さら、提訴は止めたなんて言わないでしょうね。

あなたは、同じ会見で「(小西さんが)謝罪すれば別だが、徹底的にやる」と豪語した旨報じられています。まさか、小西さんがあなたに謝罪することがあるなど、本心でお考えではないですよね。あなたは、「(議員会館での)撮影禁止は知っていたが、わざと問題のある行為をすることで先方に逃げられないようにしている」と述べたそうですがね。実は、逃げられなくなったのはあなたの方なんですよ。もう、退路はない。徹底的にやらざるを得ないのですよ。

あなたの発言は、憲法の理念に照らして、また国連憲章に照らして、社会の良識に照らして、到底看過し得ない。あなたは国会議員の任に堪えない。

10月2日の毎日社説が、的確にあなたを批判している。
「今度は『虐殺』という暴言 これ以上許してはならぬ」
https://mainichi.jp/articles/20191002/ddm/005/070/122000c

「国会は直ちに厳しく対処すべきである。そうでないと日本はこうした暴言を容認していると国際社会から見なされかねない。」

これが良識というもの。

「議院の品位を重んじなければならないとする参議院規則に違反し、除名も可能だ」という、この小西議員の発言は、真っ当な表現の自由の行使として、違法となる疑念は露ほどもない。

立花さん。この発言を不服として批判するのは、それが小西議員への人格攻撃や事実に基づかない誹謗中傷に至らぬ限りは、あなたの表現の自由に属することだ。しかし、提訴という手段で、小西議員に応訴の負担をかけるのは、スラップとして違法となる。結局あなたは、損害賠償の責めを負わねばならない。

小西議員の発言に違法の要素はなく、あなたの提訴がまったく勝ち目のないことは、明々白々というべきだ。にもかかわらず敢えてするあなたの提訴は、嫌がらせ以外の何ものでもない典型的なスラップ訴訟。民事訴訟制度の趣旨目的を大きく逸脱した提訴となる。

だから、立花さん。「もう参議院議員は辞めたのだから、小西さんへの提訴も取り止めた」などと、言い訳をしてはいけない。あなたは、いままた、参議院議員を目指しているではないか。

だから、N国の久保田学・立川市議が、フリーライターちだい氏を名誉毀損で訴えた、あのスラップ訴訟と同様に、立花さん、あなたはスラップ訴訟を提訴して完敗するしかない。そして、その反訴でも潔く負けていただきたい。そうして、スラップの汚さ、スラップの害悪、さらにはスラップ提起が自らに跳ね返ってくるリスクを世に知らしめることが、せめてものあなたの政治家としての社会への貢献になるのではないか。

だから、重ねて申しあげる。立花さん、小西議員に対するスラップを、ぜひおやりなさい。早急におやりなさい。躊躇することはありませんよ。善は急げ、不善も急げ、というではありませんか。
(2019年10月14日)

私は何を書いて、DHC・吉田嘉明からスラップの標的とされたか。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第162弾

10月4日スラップ「反撃」訴訟の勝訴判決以来、会う人ごとに「おめでとう」「よかったね」と言われ続けている。とても気分は良い。そして、「この裁判を知ってからDHCは買ってないよ」「ウチは、DHCは以前から買ってない」と,多くの人から聞かされる。面倒を厭わず闘い続けた甲斐があったと思う。本当によかった。弁護団や支援の皆様には感謝の言葉しかない。

しかし、なかには、「いったい、DHCと吉田嘉明にどんな悪口を言って、裁判までされたの?」という質問をする方もいる。かすかに、「裁判までされたのは、よほどのことを言ったからでしょう」というニュアンスが感じられる。

そこで、私が、名誉毀損として訴えられたブログのすべてを掲載しておきたい。そのブログは全部で5本。名誉毀損とされた表現の個所は合計16個所ある。これを並べてお読みいただきたい。私のブログは吉田嘉明を厳しく批判するものだ。吉田の耳に痛いことは当然として、この私の言論が許されざる違法なものであるかどうか、読者ご自身の憲法感覚でご判断いただきたい。

2014年3月27日、吉田嘉明の独占手記「さらば器量なき政治家・渡辺喜美」掲載の週刊新潮(4月3日号)が発売になった。私は、これを批判するブログを3本書いて、DHC・吉田嘉明から、2000万円の損害賠償請求の訴えの提起を受けた。損害賠償請求と併せて、ブログ記事の削除と謝罪文掲載の請求もあった。私のブログ記事掲載は、同年3月31日、4月2日、4月8日のこと。これを違法とするDHC・吉田嘉明の訴え提起は、4月16日のことだった。

その3本の「2000万円相当ブログ」は下記のとおり。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

この提訴の訴状に不備があったのか、訴状の私への送達は遅れて、5月16日となった。友人と相談して、弁護団態勢を組む目途が付いた頃から、私は不退転の決意で反撃に出た。当ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの掲載を開始したのだ。その第1回が、同年7月13日のこと。
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在162弾まで)

以上のとおり、私は猛烈に書き続けた。怒りこそが、エネルギーの源泉である。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの最初の方ものは、読み物としてもできのよい面白いものではないか。

しかし、吉田嘉明にしてみれば、黙れと恫喝したのに反撃されたことが面白くないものと映ったようだ。8月29日付の書面で、2000万円の損害賠償請求金額は6000万円に跳ね上がった。その根拠とされたものが、第1弾と、第15弾の2本のブログ、第1弾の5個所と、第2弾の1個所が名誉毀損の表現部分だという。

https://article9.jp/wordpress/?p=3036(2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

https://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

以上の経過で、損害賠償請求の根拠とされた私のブログは、合計2000万円相当の3本と、合計4000万円相当の2本となった。これを以下のとおり、再掲しておきたい。なお、赤字部分が名誉毀損表現として特定された文章である。

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「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

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「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。
(2014年4月2日)

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政治資金の動きはガラス張りでなければならない

本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。

朝日新聞  渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
毎日新聞  渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
東京新聞  渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
日本経済  党首辞任はけじめにならない
読売新聞  渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ
産経新聞  渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る

各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。

毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。

もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。

DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。

自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。

政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。

仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。

主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。

政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。
(2014年4月8日)

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いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。

その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。

私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。

DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。

私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。

DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。

原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。

万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。

本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。

このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。

応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。

本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。

なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。

是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
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「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。

政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」

立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。

改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。

キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。

砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。

「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。

今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。

どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。

事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。

にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。

この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。

憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。(2014年8月8日)

私に「6000万円支払え」と訴訟を提起した根拠が、以上のブログ記事である。これを違法として「6000万円支払え」と請求した人物が、DHCの吉田嘉明。読者諸賢の読後感はいかがだろうか。

問題は2段階ある。まずは、この内容の言論が違法とされてよいのか、ということ。そして、この内容の言論を違法として提訴し、表現者に応訴の負担をかけることが許されるのか、ということ。

私は、改めて読み直して、いずれの記事も正鵠を射たものであり、DHC・吉田嘉明の提訴違法について改めて確信を深めている。

(2019年10月9日)

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