澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

天皇の戦争責任を論じることに臆してはならない

8月には戦争について、思い、語り、考えなければならない。一億国民のすべてを巻き込んだだけでなく、その10倍を遙かに超える近隣諸国の民衆に計り知れない悲惨をもたらしたあの戦争。まずは、事実を曲げることなくその実態を掘り起こし、記録し、けっして風化させない努力を継続しなければならない。

それだけではない。なぜあの戦争がおきたのか、誰にどのような責任があるのか、を厳しく問わなければならない。そのようにして過去と向かい合ってこそ、ふたたびの愚行と惨禍を繰り返さないことが可能となる。

戦争の責任はすべての国民にあったという一億総懺悔論がある。けっして、荒唐無稽な考え方ではない。あの戦争を多くの国民(当時は「臣民」だった)が熱狂的に支持し積極的に加担したことは否定し得ない。多くの国民が近隣諸国の植民地支配や侵略戦争を待望し、他国民衆の犠牲において自らの繁栄を望んだ歴史的事実を消すことができない。傍観した国民はその姿勢に責任を持たねばならないし、戦争に反対した国民さえもが力量不足の責任を問われるべきという立論がある。

しかし、一億総懺悔では、各々の立場や役割に応じた責任の質や大小を明らかにすることができない。不再戦の反省の糧とはならない。それぞれの立場や実際に演じた役割に応じた戦争責任の大小を考えるとすれば、その第一に責任を問われるべきが、昭和天皇裕仁であることはあまりに明白である。

真摯に戦争を考え、ふたたびの戦争を起こさぬようにと戦争の原因と責任に思いをめぐらすときに、A級戦犯の上に君臨していた天皇の戦争責任に論及すべきは当然である。東条英機以下のA級戦犯の戦争責任には論及しながら、天皇の責任に言及することをタブー視する風潮はまことに危険である。戦前の民主主義の欠如が、大きな戦争の原因だったのだから。再びの天皇の権威確立はふたたびの戦争への道となりかねないのだ。天皇こそは、誰もがもっとも批判の対象としなければならない存在である。天皇への批判を躊躇させるこの社会の空気に、敢えて抗わねばならない。

8月15日が近づくと、「終戦のご聖断」を天皇の功績の如くにいう神話が繰り返される。このような言論は、愚かなものというだけでなく、歴史を偽る危険なものと考えなければならない。

本日の東京新聞は、全2面を割いて「逃し続けた終戦機会 負の過去に向き合え」という特集記事を掲載している。加藤陽子東大教授の「語り」を中心とする企画で、労作と評価できるものではある。が、向き合うべき「負の過去」として加害責任が述べられていない。「逃し続けた終戦機会」における天皇裕仁の責任についてもまったく言及がない。リベラル派を以て任じる東京新聞が、いったいなにを遠慮しているのだ。そのようなメディアの姿勢が、天皇タブーを作りだし拡大していくのではないか。

「天皇の戦争責任」という井上清(京都大学名誉教授)の名著がある。私の手元にあるのは、1975年8月15日初版の現代評論社本だが、著者没後の2004年に「井上清・史論集〈4〉天皇の戦争責任」として岩波現代文庫所収となっている。

この書で明解にされていることは、天皇が単なる捺印ロボットではなかったということである。積極的に東条を首相に据えて、周到に開戦を準備した天皇の開戦責任に疑問の余地はない。

「聖断をもって終戦を決意し、平和をもたらした天皇」というストーリーは天皇自身が語っているところだが、「遅すぎた聖断」であることは明白な事実である。東京新聞企画も、「逃し続けた終戦機会」として、終戦の決断の可能性あった機会6時点をとらえて解説している。その最初の機会が、1943年2月のガダルカナル撤退。2番目が44年7月のサイパン陥落、3番目が44年9月26日天皇が初めて終戦に言及したことが記録として確認できるこの日だという。そして4番目が45年3月10日の東京大空襲の被害のあと。そのあと5月にも6月にも、終戦のチャンスがあったとされている。

それでも東京新聞である。政権の御用新聞ではない。この企画の末尾の記事を転載しておきたい。

「岩手県の軍人の戦死時期を調べた研究によれば、その9割近くが最後の1年半に集中していた。310万人の日本人が死亡し、アジアに与えた惨禍は計り知れない太平洋戦争。やめ時は何度もあった。」

直接には天皇の責任に触れていないが、「やめ時は何度もあったが、遅れたために多くの命が失われたこと」は明記されているのだ。

なぜやめられなかったか。いうまでもなく、国体の護持にこだわったからである。国民の命よりも天皇制擁護を優先した結果が、遅すぎた敗戦を招いてあたら多くの命を失うことになった。それが、310万人の9割の命だという。

米軍による本土空襲は200以上の都市におよび、死者100万人といわれる。1945年8月にはいってからだけでも、水戸、八王子、長岡、富山、前橋、高崎、佐賀、広島、豊川、福山、八幡、長崎、大湊、釜石、花巻、熊本、久留米、加治木、長野、上田、熊谷、岩国、光、小田原、伊勢崎、秋田と、8月15日の終戦当日まで及んでいる。累々たる瓦礫と死傷者の山。国体護持にこだわった一人の男の逡巡が奪った命と言って過言ではない。

井上清は、その書の末尾に、「天皇の戦争責任を問う現代的意味」という項を設けて次のように結んでいる。

「天皇は輔弼機関のいうがままに動くので責任は輔弼機関にあり、天皇にはないという論法に、何の根拠もない。
 東条首相はそのひんぴんたる内奏癖によって、天皇の意向をいちいち確かめながら、それを実現するように努力したのであって、天皇をつんぼさじきに置いて、勝手に戦争にふみ切り、天皇にいやいやながら裁可させたのではない。そして東条は、赤松秘書官の手記によれば、天皇親政の問題に関連して、つぎのように語っている。
 『憲法で「天皇は神聖にして侵すべからず」とあるのを解して、学者は、天皇には何の責任もないと論じている。然し、自分は大東亜戦争開戦前の御決断に至る間の御上の御心持をお察しして、天皇は皇祖皇霊に対し奉り大いなる御責任を痛感せられておる御模様を拝察できた。臣下たる我々は戦争に勝てるかということのみ考えていたのである。それに比べて比較にならぬ程の大きな御責任の下で、御決断になったものである。これは開戦1ヵ月余になって始めて拝承できた払の体験である』。
 ほかでもない内奏癖の東条首相が、天皇はいかに重大な責任感をもって開戦を『御決断になった』かを述べている。
 対米英戦争の開始も、天皇の責任をもった「御決断」によって行なわれた。同様に1931年9月開始の中国東北地方侵略いらいの不断に拡大した中国侵略戦争も、天皇の主体的な「御裁可」とその前段の「御内意」により実現されたのであった。

 占領軍の極東国際軍事法廷は、天皇裕仁の責任をすこしも問わなかった。それはアメリカ政府の政治的方針によることであったとはいえ、われわれ日本人民がその当時無力であったためでもある。降伏決定はもっぱら日本の支配層の最上層部のみによって、人民には極秘のうちに、『国体』すなわち天皇制護持のためにのみ行なわれた。人民は降伏決定に何ら積極的な役割を果すことがなかった。そして降伏後も人民の大多数はなお天皇制護持の呪文にしばりつづけられた。日本人民は天皇の戦争責任を問う大運動をおこすことはできなかった。
 アメリカ帝国主義は、天皇の責任を追及するのではなく、反対に天皇をアメリカの日本支配の道具に利用する道を選んだ。しかも現代日本の支配層は、自由民主党の憲法改定案の方向が示すように、天皇を、やがては日本国の元首とし、法制上にも日本軍国主義の最高指揮者として明確にしようとしている。
 この状況のもとで、1931?45年の戦争における天皇裕仁の責任を明白にすることは、たんなる過去のせんぎだてではなく、現在の軍国主義再起に反対するたたかいの、思想的文化的な戦線でのもっとも重要なことである、といわざるをえない。」

憲法を壊し戦争法案を上程した安倍政権のもとで、しかも天皇責任論タブー視の言論状況の中で、井上清が1975年に発した警告を受け止めなければならない。民主主義の欠如こそが最大の戦争の要因なのだから。
(2015年8月5日)

メルケルの爪の垢を煎じて、安倍晋三に飲ませたら…

第2次大戦の敗戦から70周年。この事情は日本もドイツも変わらない。そのドイツでは、ナチス・ドイツ降伏の5月8日を目前にして、メルケル首相の活発な動きが注目されている。

5月2日、メルケルは国民に歴史と向き合うよう呼びかける映像メッセージを政府ホームページに公開した。「『歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任がある』と訴えている」「ドイツ国内のユダヤ系の施設を警官が警備している現状を『恥だ』とし、『意見を異にする人々が攻撃されるのは間違っている』と指摘。学校や社会でも歴史の知識を広めていくことの重要性を強調した」(朝日)という。このビデオでは、「独国内で戦争責任に対する意識が希薄になっていることについて『歴史に終止符はない』と強い口調で警告。『ドイツ人はナチ時代に引き起こした出来事に真摯に向き合う特別な責任がある』と述べ、戦後70年を一つの『終止符』とする考えを戒めた」「人種差別や迫害は『二度と起こしてはならない』と訴えた(毎日)とも報じられている。

また、メルケルは3日、4万人以上が犠牲となった独南部のダッハウ強制収容所の解放70年式典で演説し、「『我々の社会には差別や迫害、反ユダヤ主義の居場所があってはならず、そのためにあらゆる法的手段で闘い続ける』と述べ、ナチス時代の記憶を世代を超えて受け継ぐ重要性を訴えた」「式典には、収容所の生存者約130人や解放に立ち会った元米兵6人も参加。メルケル氏は『収容所の経験者が、まだ自らの経験を語ってくれるのは幸運なことだ』と述べた(毎日)。「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と語ってもいる(朝日)。

同所の演説では、「『われわれは、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ』と述べ、一部の若者らにみられる反ユダヤ主義や、極右勢力による中東出身者を狙った犯罪に強い懸念を示しました」(NHK)、「昨年起きたベルギーのユダヤ博物館のテロ事件などを例に、今もユダヤ人への憎しみが存在すると指摘。『決して目を閉じてはならない』と呼び掛けた(共同)」とも報じられている。

さらに、メルケルは、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花する。「ウクライナ危機でロシアと対立していても『第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ』と理解を求めた」(朝日)という。

世に、尊敬される指導者、敬服に値する政治というものはあるものだ、と感服するしかない。安倍晋三に、メルケルの爪の垢を煎じて飲ませたい。そうすれば、次のことくらいは言えるようになるのではないか。

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某日、安倍晋三は、こう語った。
「歴史に終止符はない。我々日本人は、過去天皇制政府がおこなった近隣諸国民に対する蛮行について、敗戦時意図的に隠滅し隠蔽された証拠を誠実に探し出して、よく見極め注意深く敏感に対応する責任がある。学校でも、社会でも過去の日本人がした行為について、歴史の知識を広めていくことの重要性は最大限に強調されなければならない」
「われわれは、皆、私たちの国がした蛮行のすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、日本国民に課せられた義務にほかならない」
「現在なお、歴史修正主義が横行し、被害者からの抗議の声やそれを伝える報道を『捏造』と切り捨て、あまつさえ排外主義の極みとしてのヘイトスピーチが野放しとなっている現状を大いに恥辱だと認識しなければならない」
「日本人は、旧天皇制の時代に引き起こした、侵略戦争と植民地支配に真摯に向き合う特別な責任がある。これまで、その責任に真摯に向き合って来なかったことに鑑みれば、戦後70年を一つの終止符として、『もうそろそろこの辺で謝罪は済んだのではないか』『いつまで謝れというのだ』『これからは未来志向で』などという被害者の感情を無視した無礼で無神経な発言は厳に慎まなければならない」
「人種差別や民族迫害は、絶対に再び犯してはならない。我々の社会には差別や迫害、他国への威嚇や武力行使があってはならず、そのような邪悪な意図の撲滅のために、あらゆる法的手段で闘い続ける覚悟をもたねばならない」
「天皇制政府と皇軍が被侵略国や植民地の民衆に与えた底知れない恐怖を、我々は今は声を発することのできない犠牲者のためだけでなく、我々自身のために、そして将来の世代のためにも、決して忘れてはならない」
「脱却すべきは戦後レジームからではなく、非道な旧天皇制のアンシャンレジームの残滓からである」「取り戻すべき日本とは、国民主権と人権と平和を大原則とする日本国憲法の理念に忠実な日本のことでなければならない」
「厳粛に宣言する。われわれは、日本と日本国民の名誉にかけて、決して過去に目を閉じることなく誠実にその責任に向かい合うことを誓う」

こうすれば、日本は近隣諸国からの脅威と認識されることなく、真の友好関係を築いてアジアの主要国として繁栄していくことができるだろう。もちろん、戦争法の整備による戦争準備は不要になろう。

ところで、国民はそれにふさわしい政府や政治家をもつ、という。ドイツはワイツゼッカーやメルケルの政府をもった。日本は、安倍や橋下のレベルの政府や政治家しか持てない。このレベルが、日本国民にふさわしいということなのだろうか。私も、恥の文化に生きる日本人の一人である。まったくお恥ずかしい限り。
(2015年5月5日)

「屈辱の日」の沖縄県民大集会と、心ない靖国参拝

昨4月28日は、サンフランシスコ講和条約発効の日。1952年に日本が独立を回復した日でもあるが、片面講和によって日本が東西対立の一方に組み込まれた日でもある。また、沖縄にとっては、本土から切り離されて、アメリカの施政下に置かれることになった「屈辱の日」にほかならない。

この日、那覇では「4・28県民屈辱の日」に超党派の県民大集会が開催された。本日の琉球新報が報じる見出しは、「辺野古新基地拒否 2500人結集 『屈辱に終止符を』 4・28県民大集会 」というもの。

「県議会与党5会派と市民団体らの実行委員会による『止めよう辺野古新基地建設! 民意無視の日米首脳会談糾弾! 4・28県民屈辱の日 県民大集会』が28日、那覇市の県民広場で開かれた。約2500人(主催者発表)が集まった。日米首脳会談で名護市辺野古の新基地建設推進が再確認される見通しであることについて登壇者が『新基地建設は絶対許さない』と強調すると歓声や拍手が鳴り響き、日米両政府による新たな『屈辱』の阻止に向け思いを一つにした。」

ときあたかも、オバマー安倍の日米両首脳が満面の笑みをもって「新たな屈辱」をつくりつつある。

よく知られているとおり、63年前の「沖縄の屈辱」には、昭和天皇(裕仁)が深く関わっている。「天皇の沖縄メッセージ」あるいは「昭和天皇の琉球処分」といわれるものだ。

この天皇の愚行は、1947年9月22日のGHQ政治顧問シーボルトから本国のマーシャル国務長官宛書簡に公式記録として残されている。標題は、「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」というもの。寺崎英成がGHQを訪問して伝えた天皇の意向が明記されている。寺崎は当時宮内省御用掛、英語に堪能でマッカーサーと天皇との会談全部の通訳を務めたことで知られている。

シーボルトの国務長官宛て書簡のなかに次の一文がある。
「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。」

ややわかりにくいが、「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」の原文は、次のとおり。
a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
「self-interest」を「保身」と訳すれば理解しやすい。

これにシーボルト自身の「マッカーサー元帥のための覚書」(同月20日付)が添付されている。こちらの文書が文意明瞭で分かりやすい。以下、全文の訳文。

「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私(シーボルト)に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役だち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような『事件』をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借?25年ないし50年あるいはそれ以上?の擬制(fiction)にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心をもたないことを日本国民に納得させ、またこれにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様な権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講話という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。
W・J・シーボルト」

この天皇(裕仁)の書簡を目にして怒らぬ沖縄県民がいるはずはない。いや、まっとうな日本国民すべてが怒らねばならない。当時既に天皇の政治権能は剥奪されていた。にもかかわらず、天皇は言わずもがなの沖縄の売り渡しを自らの意思として積極的に申し出ていたのだ。「疑いもなく私利(保身)にもとづいた希望」として、である。沖縄が、4月28日を「屈辱の日」と記憶するのは当然のことなのだ。

沖縄の心を知ってか知らずか、無神経に「主権回復の日」に舞い上がる輩もいる。稲田朋美自民党政調会長などがその典型。昨日(4月28日)、天皇の神社であり軍国神社でもある靖国に参拝している。特に、この日を選んでのことだという。米国に滞在中の安倍にエールを送っているつもりなのか、それとも風当たりが強くなることを無視しているのだろうか。

安倍政権では、高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、それに有村治子女性活躍相が、春の例大祭に合わせて靖国参拝をしている。これに稲田が加わって「靖国シスターズ」のそろい踏みだ。

靖国とは、「侵略戦争を美化する宣伝センター」(赤旗)である。これはみごとに真実を衝いた言い回しだ。「そこへの参拝や真榊奉納は同神社と同じ立場に身を置くことを示すもの」(同)という指摘は、政治家がおこなえばまさしくそのとおり。

私の手許に「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編)がある。初版が1950年8月15日で、私の蔵書は1980年の第9版。「唯一の地上戦」の沖縄県民の辛酸の記録だが、450頁のこの書の相当部分の紙幅を割いて、県民が日本軍から受けた惨たる仕打ちが克明に報告されている。靖国神社とは、沖縄県民の命とプライドを蹂躙した皇軍兵士を神として祀るところでもある。「沖縄屈辱の日」を敢えて選んでの稲田の参拝は、さらに沖縄県民を侮辱するものと言わねばならない。

独立を回復した記念の日に、広島でも長崎でも、東京大空襲被害地でも、摩文仁でもなく、なぜことさらに軍国神社靖国参拝となるのだろうか。主権回復のうえは、何よりも軍事施設への関心を示すことが大切だというアピールと解するほかはない。これは戦争を反省していない証しではないか。

しかも、である。朝日によれば、「参拝後、稲田氏は『国のために命を捧げた方々に感謝と敬意、追悼の気持ちを持って参拝することは、主権国家の責務、権利だ』と語った。」という。これは看過できない。

稲田の言う『靖国参拝は、主権国家の責務、権利だ』は、問題発言だ。憲法は、国家の宗教への関わりを厳しく禁じている。公党の要職にある人物の政教分離への無理解に呆れる。これが、弁護士の発言だというのだから、同業者としてお恥ずかしい限り。

菅官房長官よ、安倍晋三の靖国への真榊奉納については、「私人としての行動であり、政府として見解を申し上げることはない」と言ったあなただ。「靖国参拝は主権国家としての権利」と言ってのけた稲田発言をどう聞くのか。

明けて今日(4月29日)が、最高位の戦争責任を負うべき立場にあり、戦後においても自らの保身のために(based upon self-interest)沖縄に屈辱をもたらした、その人の誕生日である。

この日を「昭和の日」として奉祝するなどは、沖縄の屈辱をさらに深めることにほかならない。せめて、歴史を省みて、辺野古基地新設反対の県民世論に寄り添う思いを固める日としようではないか。
(2015年4月29日)

東京・神戸・高知・信濃毎日各社説のまっとうさー大学の国旗国歌問題

本日もしつこく、安倍政権の大学に対する国旗国歌押しつけ問題を取り上げる。私は、この10年、教育の場への国旗国歌強制を不当とする訴訟に取り組んできた。この訴訟に携わった者の責務として、この問題では発言しなければならないと肚を決めている。しつこさには、目をつぶっていただきたい。

昨日のブログに、東京新聞の社説がこの問題に触れないことを嘆いた。明けて今日(4月17日)、期待に応えて同紙の社説が政権批判を論じた。これで中央紙の政権批判派が4紙となり、政権への無批判ベッタリ追随派が2紙となった。4対2の色分けは、まだ言論界が全体として健全な批判精神をもっていることを示している。

数だけではない。内容においても、政権批判派は政権ベッタリ派を圧倒している。主張の説得力も格調も段違いだ。社説を比較する限りでのことだが、なぜ、読売や産経のような新聞が淘汰されずに生き延びているのか、不思議でならない。もしかしたら、両紙の読者は、他紙を読んだことがないのかしら、などと思わせる。

東京の社説は、「大学と国旗国歌 自主自律の気概こそ」という、まことに正攻法。真っ向勝負の東京新聞らしい。

冒頭の一節が引き締まっている。
「国立大学の卒業式や入学式で日の丸掲揚、君が代斉唱を求める安倍政権の動きは、大学の自治を脅かす圧力になりかねない。統制を強めるほど、教育研究は色あせ、学問の発展は望めなくなる。」

その理由や根拠は次のように簡潔に述べられている。
「大学の自治は、憲法が定める学問の自由を守る砦である。教育研究はもちろん、人事や予算、施設管理といった学内の運営に対する外野からの干渉は許されない。だからこそ、九年前の教育基本法の改正では、大学の自主性、自律性の尊重を義務付ける条文が盛り込まれたのではなかったか。」

「大学は世界の平和と人類の福祉に貢献するという原点を忘れないでもらいたい。真理を探究し、新しい価値を創造する。日本の未来のためにも、自治の精神を貫く気概を持つべきだ。」

東京新聞は、露骨に大学の自治への介入を試みている政権を批判するとともに、大学に政権の強要に屈するな、と呼びかけている。私たちも、その両者に目を向ける必要がありそうだ。

昨日は、地方紙の旗手として道新の社説を取り上げたが、新たに神戸新聞、高知新聞、信濃毎日の各社説が目に留まった(そのほかに、東京の親会社である中日新聞は、東京新聞と同じ社説を掲げているがこれは除く)。それぞれに多様な特色があって実に面白い。

まずは、神戸新聞。「国旗国歌の要請/強要でないと言うのだが」というタイトル。飄々としたしたたかさを感じさせる文体。どちらかといえば硬派ではない軟派。直球派ではない軟投派だ。

社説の冒頭で「『お願い』と言いながら威圧的なのが気がかりだ。」という。言われて見ればそのとおり。確かに下村文科省の態度は、「威圧的」だ。到底、人に「お願い」しようという姿勢ではない。

決めつけずに、したたかに次のように言っている。
「国旗国歌法の成立時、当時の小渕恵三首相が『強制するものではない』と述べたことも想起したい。下村氏も『お願いであり、するかしないかは各大学の判断。強要ではない』」とは話している。しかし、単なる『お願い』と受け止めにくい状況がある。国立大の運営費交付金は削減傾向が続いており、大学側からは『教育や研究の質の低下を招きかねない』との悲鳴が上がっている。一方で改革に積極的な大学には交付金を重点配分することも検討されている。そんな中、首相の『税金によって賄われていることを鑑みれば』の発言だ。『要請』は受ける側にとって圧力のように響く。」

次いで、「【国旗国歌要請】大学の自主性に委ねよ」という高知新聞。こちらは硬派だ。直球のストレート勝負。要点を抜き出せば以下のとおり。

「政治が、大学の式典の中身にまで口を挟むのは問題があると言わざるを得ない。」
「政治権力などの干渉を受けず、全構成員の意思に基づいて教育研究や管理に当たる『大学の自治』は、憲法が保障する『学問の自由』に不可欠な制度とされている。2006年改正の教育基本法でも、それまでなかった大学の条文が設けられ、『自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」としている。
「国が『お願い』だと主張しても、いまの国立大学は『圧力』と受け止めかねない状況にある。」「兵糧攻めへの恐怖は大きい。」

そして、硬派の硬派たる所以が末尾の一節。
「下村文科相は会見で圧力を否定し、『強要ではない』と強調した。しかし、集団的自衛権行使容認をはじめ、安倍政権に見られる強引な政策展開からは不安は募る。注視し続ける必要がある。」
ごもっとも。よく言っていただいた。腹に据えかねるとして、吐き出された一文ではないか。

そして、信濃毎日新聞である。「大学に国旗国歌 『法にのっとる』のなら」という標題。これは他にない法的ロジックの社説。

「大学の自治を軽んじる動きが続いている。」

「戦前には、大学の研究内容に国家が介入した。例えば滝川事件では京都帝大教授が自由主義的との理由で文相に辞職に追い込まれた。学問の自由が妨げられた反省に立って大学自治の仕組みがつくられたことを忘れてはならない。」

「大学は深く真理を探究する場である。教育基本法もそううたう。続けて『大学については、自主性、自律性が尊重されなければならない』と定めている。法にのっとって、と言うなら、政権の介入こそ慎まなければならない。」

これまで、8紙の政権批判派社説と、2紙の政権ベッタリ派社説を見てきた。7紙が2紙を圧倒していると言ってよい。論点は出尽くした感がある。東京社説の言うとおり、政権を批判する世論を作るとともに、大学人を励ますことも実践の課題となる。

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ここからは、付録。
東京新聞社説の中に、次の一文がある。前後とのつながりは明瞭でない。
「2004年の園遊会での一幕があらためて思い出される。
東京都教育委員だった棋士の故米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を揚げ、国歌を斉唱させるのが、私の仕事です』と語ると、天皇陛下は『やはり強制になるということでないことが望ましいと思います』と返されたのだった。」

なぜ、唐突に天皇が持ち出されたのか。天皇がこう言ったからどうなんだ、とは書いていない。だから、論評は難しい。が、この「米長対天皇問答事件」は、私に印象が強い。米長と天皇の両者に問題ありとして、当時のブログに2度書いた。今、それを読み返してみると、私は少しも変わっていない。少しも進歩していない。十年一日のごとく同じことを繰り返しているのだ。但し、ペンの切れ味は落ちていると嘆かざるを得ない。

当時は日民協のホームページに連載していた「事務局長日記」、そのアーカイブ2件を再録して披露しておきたい。

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2004年10月29日(金)米長邦雄を糾弾する  
以下は、朝日の報道。
「天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます』と話しかけられた際、『やはり、強制になるということではないことが望ましい』と述べた。」

共同通信は、以下のとおり。
「東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、天皇陛下が招待者との会話の中で、学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について『強制になるということでないことが望ましいですね』と発言された。
棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄さん(61)が『日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます』と述べたことに対し、陛下が答えた。」

問題の第1は、米長が天皇の政治的利用をたくらんだこと。これは、現行憲法下の禁じ手である。天皇制は人畜無害を前提にかろうじて存続が許されているからだ。もともと、天皇は政治的利用の道具であった。そのことが天皇制批判の最大の根拠である。天皇の政治的利用をたくらんだ者の責任は徹底的に糾弾されなければならない。二歩を打った棋士米長はその瞬間に負けなのだ。天皇制存続派にとっても米長の行為は愚かで苦々しいものであろう。

問題の第2は、米長の意図とは違ったものにせよ、天皇が政治的な発言をしたことにある。国旗国歌問題について、天皇がものを言う資格など全くない。自ら望んだ会話ではないにせよ、出過ぎた発言である。天皇には口を慎むよう、厳重注意が必要だ。

問題の第3は、宮内庁の発言である。
羽毛田信吾次長は「国旗や国歌は自発的に掲げ、歌うのが望ましいありようという一般的な常識を述べたもの」と話した(共同通信)という。冗談ではない。少なくとも私は、そのような「一般的な常識」の存在を認めない。毎日に拠れば、羽毛田は、天皇の真意を確認しての会見という。「一般常識として歌うのが望ましい」との認識を天皇が有していたという発言自体が大きな問題だ。羽毛田見解が天皇の発言を「国民が自発的に国旗国歌を掲揚・斉唱するのが望ましい」との内容と釈明したとすれば、天皇の責任をさらに重大化するものである。

天皇は黙っておればよい。誰とも口を利かぬがよい。それが、人畜無害を貫く唯一のあり方なのだ。彼の場合、何を言っても「物言えばくちびる寒し秋の風」なのだから。

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2004年10月31日(日)米長君、君に教育委員は務まらない  

米長邦雄君、君は教育委員にふさわしくない。潔く辞任したまえ。
君は、棋士として名をなしたそうだ。産経新聞社主催の棋聖戦では不思議と強くて「永世棋聖」を名乗っていると聞く。僕も将棋は好きだがまったくのヘボ。永世棋聖がどのくらいのものだか、君がどのくらい強いのか理解はできない。

しかし、これだけは僕にも分かる。君は盤外のことはよく分からないのだ。そして盤外では、自分の指し手に相手がどう対応するのか、まったく読めない。将棋ができることがエライわけではなく、将棋しかできないことが愚かでもない。問題は、盤外での君が、愚かを通り越してルール違反をしたこと。禁じ手を指したのだ。即負けなのだよ。教育委員が務まるわけがない。

本来、教育委員というのは、重い任務なのだよ。日本の将来の少なくとも一部に責任を持たねばならない。将棋を指すこととは、根本的に異なる。それなりの見識がなければならない。床屋談義のレベルで務まるものではないのだ。不見識を露呈した君は、その任務に堪え得ない。だから、一日も早く辞めたまえ。それが、若者の将来のためでもあり、君自身のためでもある。

君は園遊会で、天皇に次のように話しかけた。
「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
このことは、複数のマスコミ報道が一致している。ところが君のホームページを見ると、国旗国歌問題については何の会話もなかった如くだ。この姿勢はフェアではなかろう。君のやり方は姑息だ。ちっともさわやかではない。

君が天皇へ話しかけた言葉に不見識が露呈されている。君の頭の中がよくみえる。君は、子どもたちの無限の可能性を引き出す教育という崇高な営みについて何も考えてはいない。教育について何も分かってはいない。国旗・国歌問題だけが「私の仕事」と信じこんでいるのだ。しかも、天皇からさえ批判された「強制」が君のこれまでの仕事なのだ。

君は棋聖なのだから、自分が一手を指すまえに相手の二手目の応手を読むだろう。それなくしては一手を指せない。きみは、天皇に話しかけるに際して、相手の反応をどう読んだのか。いったい天皇のどんな返答を期待したのだろうか。願わくは「しっかりやってくださいね」という激励、少なくとも「そうですか。ご苦労様」という消極的同意を期待したものと判断せざるを得ない。でなくては、棋士米長にあるまじき無意味な発語。君がどんなに否定してもそのような状況でのそのような意味を持つ発言なのだ。

これは、天皇の政治的利用以外の何ものでもない。君も知ってのとおり、日本には最高規範として日本国憲法というものがある。憲法では天皇の存在は認められているが、厳格に政治的な権能は制約されている。そもそも、天皇の存在自体が憲法の本筋として定められている国民主権原理に矛盾しかねない。政治的にまったく無権限・無色ということでかろうじて憲法に位置を占めているのが、天皇という存在なのだ。だから、天皇の政治的利用は、誰の立場からもタブーなのだ。君は、そのタブーをおかしたのだよ。不見識を通り越して、ルール違反・禁じ手だという所以だ。

天皇が、君の問いかけに対して、こう答えたと報じられている。
「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」
君と一心同体の産経だけが、、「望ましい」でなく、「好ましい」としているそうだが、どちらでも大差はない。

これは、天皇としてあるまじき政治的発言ではないか。誰が考えても、学校教育の現場での国旗国歌のあり方が政治的テーマでないはずがない。しかも今、強制の波は現実の課題として押し寄せ、大量処分と訴訟にまで発展している。政治的に大きく割れた意見のその一方の肩をもつ発言を天皇がしたのだ。由々しき事態である。この問題発言を引き出したのは、米長君、君だ。君自身が責任をとらねばならない。

もっとも、君もさぞかし驚いただろう。天皇は、君がやっている「日の丸・君が代」強制の事実を知っていたのだ。しかも、それに批判的な見解をもっていた。都教委が現場の教師に起立・斉唱を強制し、これを拒否した教員を大量処分した事実に関心を持ちよく新聞も読んでいたのだろう。即座に、強制反対を口にしたのは、予てからこの事態を苦々しく見ていたからに違いない。皮肉なことだが、君とその仲間がやっていたことは、天皇の「お気に召す」ことではなかったのだ。

この天皇の発言に対する、君の三手目の指し手が次のとおりだ。
「ああ、もう、もちろんそうです」「ほんとにもう、すばらしいお言葉をいただきましてありがとうございました」
これをどう理解すればよいのだろう。君は多分天皇崇拝主義者なのだろうね。だから、天皇に反論したりはせず、滑稽なほど迎合した発言になってしまったのだろう。それはともかく、君は、「強制でないことが望ましい」に対して、「もちろんそう。すばらしいお言葉ありがとう」と言ったのだよ。天皇の前でのこの言葉を、まさか、撤回ということはあるまいね。今後は「すばらしいお言葉」を無視して、「日の丸・君が代」の強制を続けることなどできはすまい。

実は、君の一手目がルール違反で敗着。指し継いでも、相手の二手目が絶妙手で君の負け。三手目は詰んだあとの無駄な指し手。

もう君には、教育委員の重責は務まらない。やることがあるとすれば、君の言のとおり強制を望ましくないとして、処分を撤回すること。それができないのなら、すぐに辞めたまえ。君の流儀は「さわやか流」というそうではないか。この際さわやかに潔く辞めることが、君の名誉をいささかなりとも救うせめてもの「形作り」なのだから。

主権者としての主体性を鍛えようーいささかも天皇を美化してはならない

「天賦人権・民賦国権」という対句は河上肇の書(「日本独特の国家主義」)に出て来る。当時の日本の「天賦国権・国賦人権」という実態を批判するために用いられた。河上肇は漢詩の名手としても知られた人。さすがにうまいことをいう。

「天賦人権・民賦国権」とは、「人権はほかならぬ天から与えられた生得のものだが、公権力は人民がこしらえたものに過ぎない。ところが、天皇制の我が国ではさかさまだ。まるで、天皇制国家権力が天から授かったもので、人民個人の権利は公権力によって創設されたごとくではないか」という意であろう。

河上自身が、「日本現代の国家主義によれば,国家は目的にして個人はその手段なり。国家は第一義のものにして個人は第二義のものなり。個人はただ国家の発達を計るための道具機関として始めて存在の価値を有す。」「しかるに西洋人の主義は,国家主義にあらずして個人主義なり。故に彼らの主義によれば,個人が目的にして国家はその手段たり。個人は第一義のものにして国家は第二義のものなり。国家はただ個人の生存を完うするための道具機関として始めて存在の価値を有す」と明快に解説している。

これを、ひとひねりして、「天賦民権・民賦国権」と言ってみたい。天をもち出すことにいささかのためらいはあるが、天(自然権)が民権を授け、その民権が公権力をつくったということを表現する端的なスローガンとしてである。

「天賦人権」というときの「人」は、飽くまで個人だ。基本的人権は自然人に生得に存在するという思想を表現する。これに対して、「天賦民権」というときの「民」は集合名詞だ。主権者としての国民総体をいう。前者が人権論に関わり、後者は立憲主義に関わる。「天→民→国」という序列は、それぞれの権利の根拠を表すものでもある。人民が主体となって公権力の根拠たる憲法をつくったという立憲主義を表明するスローガンとして分かり易く適切ではないか。

中江兆民の「三酔人経綸問答」に、「恢復の民権」と「恩賜の民権」という言葉が出て来る。該当の箇所は以下のとおり。

「世の所謂民権なる者は、自ら二種あり。英仏の民権は恢復的の民権なり。下より進みて之を取りし者なり。世また一種恩賜の民権と称すべき者あり。上より恵みて之を与ふる者なり。恢復的の民権は下より進取するが故に、その分量の多寡は、我の随意に定むる所なり。恩賜の民権は上より恵与するが故に、その分量の多寡は、我の得て定むる所に非ざるなり。」

「恢復の民権」とは、「下より進みて之を取りしもの」というのだから、人民が勝ち取った欠けるところのない民権である。これに対して、「上より恵みて之を与ふるもの」という「恩賜の民権」があるという。権力者の妥協によって人民に与えられた欠けた民権といってよかろう。ここで論じられている民権は、明らかに人民主権であって、個人の基本的人権ではない。

河上のいう「民権」が、「下より進みて之を取りしもの」で、「上より恵みて之を与ふるもの」でないことは明確である。民主主義社会において、主権者国民が恩賜の民権をありがたがっている図は滑稽というだけでなく、危険きわまりない。

「恩賜の民権」は、慈悲深い国王という神話を基礎として成立する。かつては、「慈愛深き天皇が臣民たる赤子を慈しんだ」という神話が語られた。植民地支配下の子どもたちにまで、である。いままた、「慈愛深き天皇皇后両陛下が被災住民に心配りをされる」「ペリリュー島で斃れた兵士に哀悼の意を捧げられた」などの、慈悲深い天皇像作りがおこなわれている。これに無警戒であってはならない。

天皇制とは、天皇を傀儡として徹底的に利用した支配層の演出政治であった。国民の理性を封じ、国民の精神生活に深く介入して、国民全体を洗脳しようとした非合理的な体制であった。その演出の基本が、天皇を神格化するとともに、慈愛深い家父長というイメージを作ることにあった。

戦後社会の支配の仕組みにおける、象徴天皇の利用価値を侮ってはならない。現天皇の意思を忖度して君側の奸を攻撃する類の言説をやめよう。親しみある天皇像、リベラルな天皇像、平和を祈る天皇像は、「天賦民権・民賦国権」の思想を徹底する観点からは危険といわざるを得ない。もちろん、「恩賜の民権」などの思想の残滓があってはならない。われわれは、主権者として自立した主体性を徹底して鍛えなければならない。そのためには、天皇の言動だけでなく、その存在自体への批判にも躊躇があってはならない。
(2015年4月13日)

天皇のパラオ行報道ー「陛下」は無用。「玉砕」もやめよう。

今回の天皇(明仁)夫妻パラオ諸島訪問に言いたいこと、言うべきことは多くあるが、まずはその報道への「不快感」を表明しなければならない。

人は、それぞれである。それぞれに、快と不快の基準がある。「天皇皇后両陛下」という文字に出会うと、私の中の不快指数がピクンとはね上がる。「陛下」は無用、「天皇」だけで十分だ。もう一つ「玉砕」という用語も不快だ。

「陛」の字を訓では「きざはし」とよむ。階段一般だけではなく、特に天子の宮殿に登る階段を意味する。その階段の下の場所が「陛下」である。臣下が天子に直接にものを言うことはない。取り次の側近の居場所である階段の下が婉曲に天子を指す言葉となり、さらに天子の尊称となったという。殿下、閣下、台下、猊下など皆この手の熟語。人間の貴賎の格差を意識的に拡大し誇張しようとした文化的演出の名残である。

詳しいことは知らないが、手許の辞書には史記の「始皇帝本義」からの引用がある。中国の古代世界で、権力を獲得したものが自らを権威づけるための造語、あるいはいつの時代にも跋扈している「権力者におもねる文化人」たちがつくりだした言葉であろう。

これを明治政府が真似した。旧皇室典範第4章「敬稱」が次の2か条を定めていた。
第17條 天皇太皇太后皇太后皇后ノ敬稱ハ陛下トス
第18條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃?親王王王妃女王ノ敬稱ハ殿下トス

陛下は、「天皇」と「太皇太后」「皇太后」「皇后」(これを「三后」と言った)にだけ使われた。「皇太子」「皇太子妃」「皇太孫」「皇太孫妃」「親王」「親王妃」「?親王」「王」「王妃」「女王」などの皇族の敬称は殿下である。マルクスが喝破したとおり、国王の最大の任務は生殖にある。血統を絶やさないためのシステムとして皇室・皇族を制度化し、これを「陛下」や「殿下」と呼ばせた。

「陛下」の敬称をもつ人格は、そのまま大逆罪の行為客体ともされていた。
旧刑法第116条 天皇・三后・皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
未遂も死刑であり、死刑以外の選択刑はなかった。三審制度は適用されず、大審院のみの一審だった。天皇制国家は、法治国家の形式だけは整備したが、その内実が恐怖国家であったことがよく分かる。

大逆罪に加えて、使い勝手のよい不敬罪があった。こちらは戦後削除された現行刑法典旧条文を引く。
第74条1項 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス
同条2項 神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ

構成要件的行為が「不敬の行為」である。これなら自由自在の解釈が可能。なんだってしょっぴくことができる。権力にとっての魔法の杖だ。今の政権も、こんな便利なものが欲しくてたまらないことだろう。

皇室典範自体には「陛下」の敬称使用を強制する規定はない。不敬罪がその強制を担保していたといえよう。もちろん、いま不敬罪はない。にもかかわらず、なにゆえメディアはかくも「陛下」の使用にこだわるのか。

もう一つ。「玉砕」である。これは「瓦全」の対語。人が節義のために潔く死ぬることは、玉が砕け散るごとく美しい。価値のない瓦のごとく不名誉なまま生きながらえるべきではない、ということなのだ。沖縄に伝わる「ぬちどう宝」(命こそ、かけがえのない宝もの)とは正反対の思想。戦死を無駄死にではないと美化するために探してきた言葉が「玉砕」だ。「散華」も同じ。戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」も、瓦全を戒め玉砕を命じたもの。

この「玉砕」が、宮内庁のホームページの「パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)」に堂々と出て来る。(「陛下」だけでなく、「お言葉」も、私の不快指数を刺激する)
「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました」という使われ方。サイパン訪問の際にも同様だったとのこと。

これも、古代中国での言葉を天皇制政府が探し出して再活用したもの。「戦死は無駄死にではない」という究極の上から目線で、国民の死を飾り立てるための大本営用語なのだ。太平洋戦争での軍人軍属戦没者の大半は、戦闘死ではない。惨めな餓死、あるいは弱った体での感染症死だったことが常識になっている(「飢え死にした英霊たち」藤原彰)。美しい死でも、勇ましい死でもなかった。これを美化してはならない。今ごろ、天皇が無神経に「玉砕」などという言葉を使ってはいけない。

差別用語の使用禁止が、時に言葉狩りとして煩わしく感じられる。が、指摘される度に襟を正そうと思う。過剰にならないよう抑制すべき面はあるものの、差別用語を禁止して死語にしようとする努力が差別をなくすることにつながることは否定し得ない。このことは既に社会の共通認識になっている。その一方で、「天皇皇后両陛下」「皇太子殿下」などの「(逆)差別用語」や、「玉砕」など戦争美化用語が大手を振っているのは何故か。

このような言葉を死語にしなくてはならない。私の不快指数だけの問題ではないのだから。
(2015年4月12日)

「上から目線に怒り」という翁長知事発言は、沖縄受難の歴史が語らせたものだ

沖縄は、近代以後唯一地上戦の舞台となった日本の国土である。70年前の今ころ、沖縄は「鉄の嵐」が吹きすさぶ戦場であった。

近代日本の一連の対外戦争はすべて侵略戦争であったから、戦場は常に「外地」にあった。日本人にとって、戦地とは遠い「外地」のことであり、男は海を越えて戦地に出征し、女と子どもは内地で銃後を守った。

ところが、太平洋戦争の末期、本土の都市や軍事施設が空襲や艦砲射撃を受けるようになり、ついに沖縄が凄惨な戦地となった。まったく勝ち目のない戦争。時間を稼いで本土への米軍の進攻を遅らせることだけが目的の絶望的な戦場。沖縄は本土の捨て石とされたのだ。

1945年3月26日、米軍は慶良間諸島の座間味島に上陸する。日本軍の指示による住民の集団自決の悲劇があったとされるのはこのときだ。本年3月2日の当ブログで紹介した松村包一さんの詩が次のように呟いている。

  集団自決せよとは
  誰も命令しなかった??という
  が 生きて虜囚の辱めを受けるなと
  手榴弾を配った奴はいる

そして、4月1日早朝、米軍は沖縄本島読谷村の楚辺海岸に上陸する。この日、日本軍沖縄守備隊の反撃はなく、その日の内に米軍は読谷、嘉手納の両飛行場を制圧する。以来、米軍は南北両方向に進攻を開始し沖縄全土が戦場と化した。6月23日に日本軍の組織的抵抗が終息するまで、沖縄の地形が変わるほどの苛烈な戦いが続いて、3か月間での死者数は20万人余におよんだ。知られている、ひめゆり部隊や健児隊の悲劇は、そのほんの一部に過ぎない。

沖縄県平和祈念資料館のホームページに、「平和の礎」に刻銘された戦死者の総数と国(県)別の内訳について次の記載がある。
「平成25年6月23日現在の241,227名(の内訳)は次のようになっています。沖縄県149,291名、県外77,364名、米国 14,009名、英国 82名、台湾 34名、大韓民国 365名、朝鮮民主主義人民共和国82名です。」

生身の人間の命を統計上の数字と化してはならない。戦死者数24万余。これだけの数の痛み・恐れ・悲しみ、そして絶望の末の死という悲劇があったのだ。

翁長・菅会談がおこなわれた4月5日は70年前小磯国昭内閣が政権を投げ出した日に当たる。4月7日に急遽鈴木貫太郎内閣が成立し、この内閣が降伏を決意することになる。小磯は陸軍大将、鈴木は海軍大将、ともに最高級の軍人であった。

鈴木は、後継首班指名の重臣会議では主戦論を力説している。戦後、彼はこれを陸軍を欺くためのカムフラージュだというが真偽のほどは分からない。沖縄で、20万の命が失われているそのとき、最高責任者である天皇とその重臣たちの関心は、沖縄県民の命ではなく、天皇制護持のみにあった。主戦論も和平論も、国体護持にどちらが有益かという観点から述べられたものである。

1944年7月、3万の死者を出したサイパン玉砕を契機に東条英機内閣が辞職した。以来、誰の目にも日本の敗戦は必至であった。しかし、天皇とその部下たちが戦争終結を決断できなかったのは、何よりも国体の護持にこだわったからである。

近衛奏上文が下記のごとく述べているとおり、支配層は敗戦よりも戦後の民主化に恐怖を感じていた。近衛の早期和平論は、その方が国体護持に有利だからというものである。
「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、…敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候」

国体護持に保証を得る時間を稼ぐために、沖縄は捨て石とされ無辜の住民が殺害された。終戦が半年早ければ、あるいは1945年の年頭から本気で降伏交渉を開始していれば、東京大空襲の無残な被害も、沖縄地上戦の惨劇も、広島と長崎の悲劇も防げたのである。

その責任を負うべきは、まずは天皇であり、その側近である。このことを曖昧にしてはならないが、沖縄を犠牲にして焦土化をまぬがれた本土の国民も応分の責任と負い目を感じなければならない。

太平洋戦争を遡って、沖縄の受難の歴史は島津侵攻から始まる。さらに武力を背景とした明治政府の琉球処分があって、戦前の差別と抑圧がある。沖縄地上戦の悲劇のあとには占領の悲劇が続く。このときも、昭和天皇(裕仁)のGHQ宛て「天皇メッセージ」によって沖縄占領が継続され、米軍の土地取り上げと基地被害が深刻化する。そして、1972年の本土復帰は基地付き核付きのものとなって現在に至っている。

沖縄の本土に対する怒りは察するにあまりある。「上からの目線で『粛々』ということばを使えば使うほど、沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」という、昨日(4月5日)の翁長知事の発言は、よほど腹に据えかねてのこと。これは、長い沖縄県民の受難の歴史が、知事の口を借り語らせたものと知るべきだ。心して聞かねばならない。

沖縄の痛みは日本国民の痛み。沖縄の平和は日本の平和だ。新基地建設を拒否する毅然たる沖縄の態度に心からの拍手で、連帯の気持を表したい。
(2015年4月6日)

すべてのハラスメントを一掃して、個人の尊厳が確立された社会を

個人の尊厳は尊重されねばならない。しかし、現実の社会生活においては、強者があり弱者がある。富める者があり貧しき者がある。生まれながらにして貴しとされる一群があり、人種・民族・門地により差別される人々がある。時として、強者は横暴になり、弱者の尊厳が踏みにじられる。

憲法は「すべて国民は個人として尊重される」(13条)と宣言し、「法の下の平等」(14条)を説く。これは社会に蔓延する、個人の尊厳への蹂躙や差別の言動を許さないとする法の理念の表明というだけではない。その理念を実現するための実効性ある法体系整備の保障をも意味している。個人の尊厳と平等が確立された社会を実現するには、憲法13条や14条をツールとして使いこなさねばならない。

その具体的な手法の一つとして、社会は「ハラスメント(Harassment)」という概念をつくり出した。弱い立場にある者、差別される側からの、人間の尊厳を侵害する行為の告発を正当化し勇気づけるための用語である。言葉が人を励まし行動を促すのだ。

ハラスメントの元祖は、「セクハラ」(セクシャル・ハラスメント)である。弱い立場にある女性の尊厳を傷つける心ない男性側の言動を意味する。ジェンダー・ハラスメントと言ってもよい。強者の弱者に対する不当な人権侵害は糾弾されなければならないとする基本構造がここに示されている。

同じく、職場の上司がその立場を笠に着て、部下に対してする不当な言動は「パワハラ」(パワーハラスメント)となる。企業こそは人間関係の強弱が最もくっきりと表れるところ。取引先ハラスメントも、下請けハラスメントもあるだろうし、古典的には労組活動家ハラスメントも、権利主張にうるさい社員ハラスメントもある。

強者の不当な言動が被害者を精神的に痛めつける側面に着目するときは、「モラハラ」(モラルハラスメント)とされる。セクハラも、パワハラも、モラハラの要素を抜きにはなりたたない。

強者が弱者に対してその尊厳を蹂躙する不当な言動という基本構造から、個別のテーマで無数のハラスメント類型が生じる。

学校を舞台にした校長や管理職から教職員に対する陰湿なイヤガラセは、スクールハラスメント、あるいはキャンパス・ハラスメントとして把握される。部活やクラスのイジメやシゴキも、これに当たる。大学の場でのこととなれば、「アカハラ」(アカデミック・ハラスメント)である。

職場や学園で、「俺の注いだ酒が飲めないと言うのか」「さあ呑め。イッキ、イッキ」という、「アルハラ」(アルコール・ハラスメント)。周囲の迷惑を顧みず、煙を撒き散らす「スモハラ」(スモーク・ハラスメント)。

もっと深刻なのが、「結婚を機に退職するんだろう」「戦力落ちるんだから、職場に迷惑」という「マリッジ・ハラスメント」。そして、最高裁が「妊娠を理由にした降格は男女雇用機会均等法に違反する」と判決してにわかに脚光を浴びることになった「マタニティ・ハラスメント」(マタハラ)である。差別は職場だけでなく家庭生活にもある。DVにまで至らなくとも「ドメステック・ハラスメント」があり、「家事労働ハラスメント」も指摘されている。

それ以外でも、人間関係の強弱あるところにハラスメントは付きものである。医師の患者に対する「ドクハラ」(ドクター・ハラスメント)、弁護士のハラスメントも大いにありうる。聖職者の信者に対する「レリジャス・ハラスメント」もあるだろう。ヘイトスピーチとされているものは、「民族(差別)ハラスメント」「人種(差別)ハラスメント」にほかならない。

安倍政権の福祉切り捨てや労働者使い捨て政策は、国民に対する「アベノハラスメント」(アベハラ)である。本土の沖縄県民に対する居丈高な接し方は、「沖縄ハラスメント」(オキハラ)ではないか。

東京都教育委員会が管轄下の教職員に「ひのきみハラスメント」を継続中なのはよく知られているところ。これとは別に、「テンハラ」という分野がある。「天皇制ハラスメント」である。「畏れ多くも天皇に対する敬意を欠く輩には、断固たる対応をしなければならない」とする公安警察の常軌を逸したやり口をいう。ハラスメントの主体は警察、強者としてこれ以上のものはない。テーマは天皇の神聖性の擁護、民主主義社会にこれほど危険なものはない。典型的には次のような例である。

市民団体「立川自衛隊監視テント村」のメンバーであるAさんは、半年以上にわたって公安刑事の執拗な尾行・嫌がらせを受けた経験がある。その尾行の発端となったのは天皇来訪に対する抗議の意思表示だった。
国民体育大会の競技観戦のためにAさんの近所に天皇夫妻がやって来た。市は広報で市民に「奉送迎」を呼びかけ、大量の日の丸小旗を配布した。このときAさんは、「全ての市民が天皇を歓迎しているわけではない」ことを示そうと、日の丸を振る市民の傍らで、天皇の車に向けて「もう来るな」と書いた小さな布を掲げた。それだけのこと。「憲法で保障された最低限ともいえる意思表示でした」というのがAさんの言。

その数日後から公安刑事の尾行が始まった。尾行は、決まって天皇が皇居を離れてどこかに出かける日に行われた。自宅付近・職場・テント村の活動現場などAさんは行く先々で複数の公安刑事につきまとわれた。刑事は隠れることもなく、Aさんに数メートルまで接近したり、職場のドア越しに大声を出すといった嫌がらせまでしたという。そして、極めつけが「あんなことしたんだからずっとつきまとってやる」というAさんに対する暴言。これが、テンハラだ。

Aさんを支援する立川自衛隊監視テント村や三多摩労働者法律センターは、次のように言っている。
「これまでも、天皇の行く先々で同様のことが行われてきました。国体や全国植樹祭といった天皇行事が行われるたびに、公安警察による嫌がらせや、微罪をでっち上げて逮捕する予防弾圧が繰り返されてきました。『不敬罪』の時代ではありません。天皇制に批判的な表現は、天皇の前でも当然保障されるべきです」

すべてのハラスメントを一掃して、個々人の尊厳と平等が擁護される社会でありたいものだと思う。
(2015年3月29日)

愚かなり 自民党女性局長

八紘一宇とは、かつての天皇制日本による全世界に向けた侵略宣言にほかならない。しかも、単なる戦時スローガンではなく、閣議決定文書に出て来る。1940年7月26日第2次近衛内閣の「基本国策要綱」である。その「根本方針」の冒頭に次の一文がある。

「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ根本トシ先ツ皇国ヲ核心トシ日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」

紘とは紐あるいは綱のこと。八紘とは大地の八方にはりわたされた綱の意。そこから転じて全世界を表す。全世界を一宇(一つの家)にすることが、皇国の国是(基本方針)というのだ。一宇には家長がいる。当然のこととして、天皇が世界をひとまとめにした家の家長に納まることを想定している。「皇国を中核とする大東亜の新秩序を建設する」というのはとりあえずのこと、究極には世界全体を天皇の支配下に置こうというのだ。

「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」「不逞鮮人」「鬼畜米英」「興亜奉国」「五族共和」「大東亜共栄圏」「大東亜新秩序」等々と同じく、侵略戦争や植民地支配を正当化しようとした造語として、今は死語であり禁句である。他国の主権を蹂躙し、他国民の人権をないがしろにして省みるところのない、恥ずべきスローガンなのだ。到底公の場で口にできる言葉ではない。

ところが、この言葉が国会の質疑の中で飛び出した。3月16日の参院予算委員会の質問でのこと、国会議員の口からである。恐るべき時代錯誤と言わねばならない。

私は世の中のことをよく知らない。三原じゅん子という参議院議員の存在を知らなかった。この議員が元は女優で不良少女の役柄で売り出した人であったこと、役柄さながらに記者に暴行を加えて逮捕された経歴の持ち主であることなど、今回の「八紘一宇」発言で初めて知ったことだ。

この人が「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べている。こんな者が議員となっている。これが自民党の議員のレベルなのだ。しかも党の女性局長だそうだ。安倍政権と、八紘一宇と、愚かで浅はかな女性局長。実はよくお似合いなのかもしれない。

この人には、八紘一宇のなんたるかについての自覚がない。ものを知らないにもほどかある。いま、こんなことを言って、安倍政権や自民党にだけではなく、日本が近隣諸国からどのように見られることになるのか。そのことの認識はまったくなさそうなのだ。

自分の存在を目立たせたいと思っても、哀しいかな本格的な政策論議などなしうる能力がない。ならば、セリフの暗記は役者の心得。世間を驚かせる「危険な言葉」をシナリオのとおりに発することで、天下の耳目を集めたい。そんなところだろう。この発言には誰だって驚く。「八紘一宇」発言は確かに世間を驚かせたが、世間は何よりも発言者の愚かさと不見識に驚ろいたのだ。

発言内容を確認しておきたい。八紘一宇が出てきた発言は、麻生財務相に対する質問と、安倍首相に対する質問とにおいてのものである。質問は、租税回避問題についてであった。歴史認識や教育や教科書採択や、あるいは戦争や植民地支配の問題ではない。八紘一宇が出て来るのが、あまりに唐突なのだ。その(ほぼ)全文を引用しておきたい。

「三原参院議員:私はそもそもこの租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の、影の部分に、もう、私たちが目を背け続けるのはできないのではないかと、そこまで来ているのではないかと思えてなりません。そこで、皆様方にご紹介したいのがですね、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)になさむ」とおっしゃったことに由来する言葉です。今日皆様方のお手元には資料を配布させていただいておりますが、改めてご紹介させていただきたいと思います。これは昭和13年に書かれた『建国』という書物でございます。

『八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる』

ということでございます。これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと、私は思えてならないんです。麻生大臣、いかが、この考えに対して、いかがお考えになられますでしょうか。」

「三原参院議員:これは現在ではですね、BEPS(税源浸食と利益移転)と呼ばれる行動計画が、何とか税の抜け道を防ごうという検討がなされていることも存じ上げておりますけれども、ここからが問題なんですが、ある国が抜けがけをすることによってですね、今大臣がおっしゃったとおりなんで、せっかくの国際協調を台なしにしてしまう、つまり99の国がですね、せっかく足並みを揃えて同じ税率にしたとしても、たったひとつの国が抜けがけをして税率を低くしてしまえば、またそこが税の抜け道になってしまう、こういった懸念が述べられております。

総理、ここで、私は八紘一宇の理念というものが大事ではないかと思います。税の歪みは国家の歪みどころか、世界の歪みにつながっております。この八紘一宇の理念の下にですね、世界がひとつの家族のように睦み合い、助け合えるように、そんな経済、および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものをですね、安部総理こそがイニシアティブをとって提案すべき、世界中に提案していくべきだと思うのですが、いかがでしょうか?」

三原議員は、麻生財務相に対する質問の中で、清水芳太郎『建国』の抜粋をパネルに用意し、これを読み上げた。こんなものを礼賛する感性が恐ろしい。こんな批判精神に乏しい人物を育てたことにおいて、戦後教育は反省を迫られている。この『建国』からの抜粋の部分について、批判をしておきたい。

『八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。』

そんな馬鹿な。国際関係を戦前の「家」になぞらえる、あまりのばかばかしさ。世界のどこにも通用し得ない議論。聞くことすら恥ずかしい。「世界が一家族のように睦み合うべき」とするのは、「一番強い家長を核とする秩序」を想定している偏頗なイデオロギーにほかならない。他国を侵略して、天皇の支配を貫徹することによって新しい世界秩序をつくり出そうという無茶苦茶な話でもある。「一番強いものが弱いもののために働いてやる制度」とは、「強い」「弱い」「働いてやる」の3語が、差別意識丸出しというだけでなく、「3・1事件」や関東大震災時の朝鮮人虐殺などの歴史に鑑み、虚妄も極まれりといわざるを得ない。こんな妄言を素晴らしいと思う歪んだ感性は、相手国や国民に対する根拠のない選民思想の上にしかなり立たない。

『これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。』

日本こそが、近隣諸国に対して、弱肉強食策をとり、弱い国を搾取し、力によって無理を通して、弱い民族をしいたげてきた。八紘一宇の思想は、その帝国主義的侵略主義、他国民に際する差別意識の上になり立っているのだ。その差別意識は完膚なきまでにたたきのめされて、我が国は徹底して反省したのだ。今にして、八紘一宇礼賛とは、歴史を知らないにもほどがある。

『世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる』

あからさまに日本を「世界中で一番強い国」として、自国が世界を支配するときに、世界平和が実現するという「論理」である。中国にも、朝鮮にも、ロシアにも欧米にも、「世界中で一番強い国」となる資格を認めない。日本だけが強い国であり神の国という、嗤うべき選民意識と言わざるを得ない。

いかに愚かな自民党議員といえども、一昔前なら、「八紘一宇」を口にすることはできなかったであろう。露呈された安倍政権を支える議員のレベルを嗤い飛ばす気持ちにはなれない。時代の空気はここまで回帰してしまったのか。民主主義はここまで衰退してしまったのか。自民党安倍政権の危うさの一面を見るようで気持が重い。

もしかしたら、日本の国力が衰退して国際的地位が低下しつつあることへの危機感の歪んだ表れなのかも知れない。それにしても、歴史と現実を踏まえた、もう少しマシな議論をしてもらいたい。
(2015年3月19日)

松谷みよ子さんが語った「治安維持法・思想弾圧・国家機密法」

今日3月15日は、民主主義と人権に関心を持つ者にとって忘れてはならない日。思想弾圧に猛威を振るった治安維持法が、本格的に牙をむいた日である。

多喜二の小説「1928年3月15日」で知られるこの日の午前5時、全国の治安警察は一斉に日本共産党員の自宅や、労農党本部、無産青年同盟、無産者新聞社などを家宅捜索し1568名を逮捕、その内484名を起訴した。第1次共産党弾圧である。被逮捕者に対する拷問が苛烈を極めたことはよく知られている。皇軍の戦地での恥ずべき蛮行と並んで、天皇制政府の醜悪な側面を露呈させた恥部といってよい。

悪名高い治安維持法は、男子普通選挙法(衆議院議員選挙法改正法)とセットで、1925年3月に成立し、同年4月22日施行となった。その第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」であった。後に、法「改正」を重ねて刑は死刑を含むものとなる。

「国体ヲ変革シ」とは、天皇制を否定して国民主権原理にもとづく民主主義国家を建設しようという思想と運動を意味している。これが犯罪、しかも死刑に当たるというのだ。

「私有財産制度ヲ否認スル」とは、生産財を社会の共有にすることによって格差や貧困のない社会を目ざそうということ。これも危険思想故に犯罪とされた。天皇制政府が誰と結託していたかを雄弁に物語っている。

治安維持法は、「3.15」「4.16」、そして多喜二を虐殺した。まずは共産党に向いた治安維持法の牙は、社会民主主義者にも、自由主義者にも、平和主義者にも、労働・農民運動家にも、そして宗教者にも生け贄の対象を拡大していった。そのために、民衆は「滅多な口を利いてはならない」と政府を恐れた。その民衆にさらに容赦なく、天皇制政府は思想統制を強め、過酷な弾圧を続けた。

民衆の立場から、その実態を掘り起こす優れた作業がいくつも公にされているが、その一つとして、松谷みよ子の「現代民話考」の一巻、「銃後」に「思想弾圧」がある。

「現代民話考」は、広い分野にわたって全国の民間伝承を採話したもので、全12巻に及ぶ。初版は立風書房だが、今は筑摩文庫で復刻されているようだ。その第6巻(第2期・?)が「銃後 思想弾圧・空襲・沖縄戦・引き上げ」となっている。なお、第2巻(第1期・?)が「軍隊 徴兵検査・新兵のころ」というもの。民衆の伝承が、これほど戦争に関わるものになっているのだ。

以下は、「銃後」の前書きに当たる「銃後考」の抜粋である。戦争の時代を生き抜いた知性と良心が語る言葉である。児童文学者としての優しさに満ちた感性が、強靱な理性に支えられたものであることがよくわかる。

「安維持法の名のもと思想統制が進められ、労組、農民組合などの運動に参加する人びと、自由人、社会思想を持つ人びとが検挙され、凄じい拷問がくりひろげられた。昭和8年、小林多喜二が築地署で特高による拷問で死亡した事件は心ある人びとに大きな衝撃を与えた。そしてこれらの思想弾圧があってこそ、天皇を神とし、大東亜を共栄圈とする思想も、銃後の思想統一もゆるぎないものにつくりあげられていったのである。その意味で今回、第一章を思想弾圧・禁止とした。」

「あの当時、非国民の恪印は死とつながる恐怖であった。日本国民のあるものは、幼い日からの軍国教育によって、ある者はしんそこ日本は神国であると信じ、大東亜共栄圈の理想を共有した。しかし、ある人びと、前述したクリスチャンや、思想的にこの戦争は正しくないと感じ、何等かのかたちで抵抗した人びともいる。‥無垢の愛に地をたたき、狂うほどの悲しみをあらわにした。「息子を返せ! 東条のバカヤロー」「天皇のヤロウー どんなにしたってきかないから!」これらの言葉が官憲に聞えたらどうなるか、当時を生きた人なら誰でもが知っている。また、福島の‥は、貧農の母が髪ふり乱し「おらの息子を連れて行くな」と出征の行列に泣きすがったと伝える。庶民の心のほとばしりを私は大切に思うのである。」

437頁のこの書には、かなり長い「あとがき」がある。松谷みよ子の息遣いが聞こえてくるようだ。「ちょっと気になること」として、「一つの花」事件の顛末が書かれている。「一つの花」とは、小学校の教科書に載った短編小説の題名。作中のおおぜいの見送りのない出征風景が「捏造」として、産経の批判のキャンペーンにさらされたことが「事件」である。

これを松谷は、「『一つの花』における見送りのない出征風景はこのように、見送りのない出征?戦争の悲惨?アカ、という図式をはめられ、新たなる伝説をつくりあげられていく。バカバカしいことながら、笑ってはすまされないことであった。」

としたうえで、こう続けている。
「先日、京都へ行ったとき、国旗掲揚、君が代が教育の場で強制されてきた、となげく声を聞いた。これは他県ではずいぶん前から聞かされたことであった。国旗があがる間、どこにいてもぱっと直立不動の姿勢をとらされるという話も聞いた。また、昭和61年11月10日には、天皇在位60年を奉祝して、二重橋前から銀座、日本橋などに提灯行列、日の丸、天皇陛下万歳のさけびで湧いた。偶然通りかかった知人は、戦時中のシンガポール陥落の提灯行列を思い浮べ、歳月が40年前に逆戻りしたような恐ろしさを覚えたという。この前の戦争が、天皇を現人神と神格化し、平和を希求する思想をアカときめつけて全国民を戦争への道に駈り立てていった、そのことはすでにあきらかである。この道は、いつかきた道、戦後だ戦後だといっているうちに、あたりの風景は戦前に変りつつあるのではないか。そして、風景を塗り変えようとする手と、「一つの花」事件とが無縁のものとは考えられないのである。国家機密法が繰り返し上程されようとしていることとも無縁ではない。

いま、なにかが水面下で不気味にふくれあがりつつある。「一つの花」見送りのない出征事件は、いまから8年前になる。しかし遠い地鳴りのようなこの出来事を、私たちは忘れてはなるまい。一つ、一つの事件、それはごく小さく、とるに足りぬもののように見える。しかし、その小さな出来事が積み重なることによって、私たちの感性はいつしか馴らされ、気がついてみれば戦争への道をふたたび歩いている。そういうことがないとどうしていえようか。「ねえ、あのとき、どうして戦争に反対しなかったの?」子どもたちにそう問われることのないように、私たちは、常にするどく、感性を磨かねばと思う。卵を抱いた母鳥のように。」

松谷みよ子さんは、2月28日に永眠された。あらためて、警世の人を失ったことを悔やまざるを得ない。この書が上梓されたのは1987年4月であった。松谷さんがたびたび言及している国家機密法(自民党側はこれを「スパイ防止法」と呼んだ)は、1985年に国会上程されて廃案となり、87年ころには再提出が懸念されていた。いま、これに替わって特定秘密保護法が成立してしまった。また、産経の役割は相変わらずである。

松谷さんの言をかみしめたい。「小さな出来事の積み重ねに感性を馴らされてはならない」。しかし、今や安倍政権の所為は、「小さな出来事の積み重ね」の域を超えている。今を再びの戦前とし、後世に再びの「治安維持法・思想弾圧」の伝承を語らせる歴史を繰り返してはならない。
(2015年3月15日)

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