(2021年2月4日)
できるだけ、元号に関する書物は読んでおきたい。最近、「元号戦記」(野口武則・角川新書)に目を通した。「近代日本、改元の深層」という副題に若干の違和感を覚えたが、決して元号礼賛本ではない。とは言え、元号批判の論陣を張っているわけでもない。
当然のことながら地の文章は全て西暦表示で統一されており、奥付の発行年月日は「2020年10月10日」とスッキリしている。あとがきだけが「2020(令和2)年8月」となっていて、「令和」が顔を出し画竜点睛を欠いている。その微温的なところが社会の現状の反映でもあろうか。
著者は毎日新聞の「元号問題担当」記者。7年余に渡る新元号探求の「奮闘」ぶりが描かれている。客観的に見れば、つまらぬことにご苦労様というしかないのだが、この奮闘の中でいろんなことが見えてくる。そのことはそれなりに興味深く、やや大仰ではあるもののこの書物の惹句は的はずれではない。
密室政治の極致、元号選定。繰り広げられるマスコミのスクープ合戦に、政治利用をたくらむ政治家、そして熱狂する国民。
しかし、実は昭和も平成も令和も、たった一人の人間と一つの家が支えていた!
そもそも、誰が考え、誰が頼み、誰が決めていて、そもそも制度は誰が創り上げ、そして担ってきたのか?
安倍改元の真相はもとより、元号制度の黒衣を追った衝撃スクープ!!
実は、現在の元号は明治以降のわずかな歴史で創られた「新しい伝統」に過ぎない。
大日本帝国時代の遺制である元号は、いかにして、民主主義国家・日本の戦後にも埋め込まれてきたのか。
令和改元ブームの狂騒の裏で、制度を下支えてきた真の黒衣に初めて迫る。
元号制度の根幹は、砂上の楼閣と化していた――。
知られざる実態を、7年半に及ぶ取材によって新聞記者が白日のもとにさらす。渾身のルポ!
個人的には、東大駒場の中国語クラス(Eクラス)に連なる懐かしい名前がいくつも出てくる。工藤篁・戸川芳郎・石川忠久・田仲一成・伏屋和彦…。が、多くの読者に興味はなかろう。
明治に一世一元となって以来、大正・昭和・平成・令和の改元において新元号策定を支えてきたのは、東大文学部中国哲学科と宇野哲人・宇野精一・宇野茂彦という三代にわたる学者の家系であったという。
宇野家は、「漢学の家元」みたいなもので、初代の哲人が明治天皇から恩賜の銀時計を「拝領」して以来の皇室との関係だという。東京帝大時代の中国哲学科の教授で、「昭和前期は国策だった中国研究のトップ」に位置していた人物。現天皇(徳仁)の命名者でもあるという。
戦後は宇野精一(1910年-2008年)がキーマンとなった。彼は、東大文学部中国哲学科の教授で、退官後には「英霊にこたえる会」「日本を守る国民会議」などの設立に関わり元号法制化運動を推進した。晩年には、日本会議の顧問も務めている。その彼がこう言っている。
「元号の問題は、政治思想、社会思想、民族思想、文化等の見地から総合的に考へるべきもので、法律だけの問題ではありません。又、年代表記の問題ですから、過去の先祖、現在生きてゐる我々、これから生れてくる子孫とのつながりにおいて見るべきものであります。まさしく歴史と伝統を如何に認識するかに拘る大問題であります」「元号は、…めでたい文字を用ゐ、理想を掲げてその実現に祈りをこめたものであります。が、最も卒直明快に申せば、天皇陛下を仰ぐか否か、といふことであります」「元号は、国民の日常生活に一番関係が深いものであります。」「王に對する忠誠の念を王の立てた暦を使ふことで明示する象微行為」「つまり、領土の版図を確定することと、王の名を直接に口にしないといふ習慣、この二つが重なり色々に考へられた末に生れた天子の治世を示す名称、それが元号ではないかと私は考へてゐる」
こんなことを聞かされて、あなたは、なお元号を使用することができるだろうか。
一方、宇野家三代に対置されるのが、戸川芳郎(東大文学部中国哲学科教授・文学部長)である。
彼は元号を批判し続けている。元号とは「そもそも近代天皇制と密着し帝王の時空統治擢を象徴する」ものであり、「君主の御代でもない本邦において、…主権在民の憲法を得たのちのちまでもこれを使用する」のは不合理。「精紳的鎖國政策には、私も従おうとは思わない」と元号不使用まで宣言している。
1989年の平成改元当時、戸川は東大文学部長だった。新元号発表翌日の1月8日の朝日新聞には、「『なごやか元年』とか『しあわせ元年』などひらがなでいいのではないか」という戸川のコメントが掲載されている。元号廃止論者としての皮肉を込めてのもの。
私(野口)は疑問をぶつけたが、戸川の答えは元号廃止論者として明快だった。
「東京大の中国哲学が元号を考えるのではないのですか」「常識として知らなければいけないが、王朝体制の元号について研究はやらない」
宇野家系の学者は、戸川の後任となった東大名誉教授を「左翼」と呼んでいるという。戸川のように戦後の共産党活動に加わったわけではないが、皇室を尊崇する保守ではないとの趣旨だという。一方、戸川も宇野家のことを「あれは学問ですか? 家学でしょ」と批判したのを、戸川を知る中国史学者は聞いたことがあるという。
天皇制を支えるイデオロギーの祖述が学問であろうはずもない。明快な戸川芳郎の喝破に拍手を送りたい。
(2021年1月30日)
例年2月は弁護士会選挙の時期。だが、今年(2021年)は2年任期の日弁連会長選挙はない。そして、私の所属する単位弁護士会である東京弁護士会(会員数8700)も選挙がない。会長・副会長(定員6名)・常議員(定員80名)・監事(定員2名)の座を争って、華々しい選挙戦があってしかるべきだが、どこでどう調整がつくのか立候補者が定員で収まって選挙はなくなった。
本来であれば2月5日(金)が投開票である。勝れて理念的な存在である弁護士会には、弁護士のありかた、弁護士会のありかた、司法や司法行政のありかた、そしてこの社会の人権や民主主義のありかたについても、選挙を通じての熱い議論があってしかるべきだが、それがないのはややさびしい。
私は、弁護士のありかたは市民社会の関心事であるべきだと思っている。選挙戦における主張の応酬はできるだけお伝えしたいところだが、今年はそれができない。とは言え、東弁の選挙公報には、会長・副会長・監事各候補者のなかなか熱い公約が掲載されている。弁護士会、なかなかの水準だと思う。
今年の特徴として、多くの候補者がコロナ対策に触れている。コロナ禍にともなう会員の減収と会の財政問題にも。しかし、それだけにはとどまらない。弁護士自治の堅持、立憲主義の擁護、憲法価値の実現、人権の尊重、弱者の司法アクセス等々についての理念を語っている。
会長候補者は矢吹公敏氏。事実上の次期会長である。この人の所信(選挙公報に掲載した公約)は決して熱くはないが、真っ当と評価できよう。その一部を引用させていただく。
弁護士全体の課題への対応
(1)弁護士自治の充実を
弁護士の自治は弁護士の独立を保障する制度です。この弁護士自治を守るために、法テラス、弁護士費用保険、法曹人口(特に、女性の法曹人口)、貸与制世代の会員などの課題に向き合っていかなければなりません。また、組織内弁護士の方々とも意見交換をしていく必要があります。さらに、会務も透明性があり、説明責任を果たせるような運営が求められます。
(2)司法の独立の中心となる活動を
司法が市民からより信頼され司法の独立を守るために、裁判所や検察庁と、時に厳しい意見を率直に述べ合うためにもさらに相互に信頼関係を深めていく必要があります。また、弁護士会が掲げる政策の実現には、立法府や行政府とも連携する取り組みが大切だと考えます。
(3)市民とともに歩む活動を
弁護士自治が弁護士法を通じて国民から負託されたものである限り、市民社会と連携する弁護士会でなければなりません。NGOなどとの協力も必要であり、またメディアへの適切かつ幅の広い対応も求められます。加えて、ジェンダー、LGBTQ、子ども、高齢者、障がい者の方々への法的サービスを欠かしてはなりません。
また、市民社会が政府や経済界に対して監督的な役割を持てるように、市民社会の側に立ってその活動を支援する取り組みが必要です。例えば、ビジネスと人権にかかわる取り組みが考えられます。
(4)憲法的価値の維持と民主主義の堅持へ
立憲民主主義は、我が国の憲法の拠って立つ礎です。加憲問題、憲法改正問題(改正手続規定に関するものを含む)、国家緊急権の問題など立憲主義にかかわる問題に積極的に意見を述べる必要があります。また、報道の自由や表現の自由など、民主主義の根幹にかかわる人権問題にも積極的に意見を述べていくべきです。
(5)法の支配の強化に向けた活動を
我が国の法手続は他国に比して遅れている課題があると言われています。IT化を含む民事司法改革や弁護人の立会い権などの被疑者・被告人の権利拡充含む刑事司法改革など弁護士会が取り組むべき課題に積極的に関与していきたいと考えています。犯罪被害者支援の拡充(犯罪被害者の権利保障、被害者参加制度の拡充、損害回復手段や経済的支援制度の拡充等)もその一つです。
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もう一つ、東弁選挙公報についてのご報告を。
9名の立候補者が所信(公約)を寄せている。経歴の紹介を西暦表示だけで行っている人が8名。たった一人だけが、西暦表示を主として元号表示を括弧に入れている。いったい何のための西暦・元号併記なのだろうか。この人も、本文では全て西暦表示である。そろそろ、元号使用は廃絶されつつあるとの実感。
ところが、公的な場面となるとガラリと変わる。選挙公報の選管作成部分の記載は全部元号表示で統一されている。昭和・平成・令和、3元号混在の摩訶不思議の世界。それぞれの候補者が、「私はA天皇の時代に生まれ、B天皇の時代に弁護士登録をし、C天皇の時代に立候補しました」と表示されている。こういう愚劣な事態は一刻も早く止めようではないか。
(2021年1月27日)
昨日のNHK(Web)報道に我が目を疑った。「日本の国旗損壊 刑法改正し処罰規定検討 自民 下村政調会長」というのだ。このコロナ禍の緊急事態に、不要不急極まる右翼の蠢動。もしや、本気で火事場泥棒を狙っているのだろうか。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210126/k10012834121000.html
「日本の国旗を壊したり汚したりした場合の対応として、自民党の下村政務調査会長は、刑法を改正して処罰規定を設けることを検討する考えを示しました。
自民党の高市・前総務大臣らの議員グループは26日、下村政務調査会長と会談し、刑法には外国の国旗を壊したり汚したりした場合の処罰規定はあるものの、日本の国旗については規定がないとして法改正を訴えました。これに対し下村氏は「必要な法改正だ」と応じ、法改正を検討する考えを示しました。
このあと高市氏は記者団に対し「日本の名誉を守るのは究極の使命の1つで、外国の国旗損壊と日本の国旗損壊を同等の刑罰でしっかりと対応することが重要だ。改正案を今の国会に提出したい」と述べました。」
いかにも唐突な「国旗損壊罪」創設という刑法改正の提案。誰が見ても不要不急の極みだが、「改正案を今国会に提出したい」とは穏やかでない。読売は、法案の内容にまで踏み込んで、こう報じている。
「自民党は26日、日本を侮辱する目的で日の丸を傷つけたり汚したりする行為を処罰できる「国旗損壊罪」を新設する刑法改正案を今国会に議員立法で提出する方針を固めた。下村政調会長が、党の保守系有志議員でつくる「保守団結の会」による提出要請を了承した。
改正案は刑罰として「2年以下の懲役か20万円以下の罰金」を科すとしている。自民党は、野党時代の2012年にも同様の改正案を国会提出し、廃案となっている。」
閣法としての取り扱いではなく、法制審議会への諮問もない。連立与党間の摺り合わせもないようだ。何よりも、こんな立法を必要とする立法事実は皆無であり、世論の盛り上がりもない。自民党が本気になって、こんな法案成立の意気込みをもっているとは、とうてい考え難い。にもかかわらず、右翼議員パフォーマンスの材料として、「国旗」がもてあそばれているのだ。
はて? 「保守団結の会」? ようやく思い出した。昨年(2020年)6月自民党内右翼が選択的夫婦別姓制度への賛否で割れてスピンオフした、あの最右派集団であったか。何しろ、稲田朋美の右派姿勢の不徹底に失望したと批判して、それよりも右の議員43名が再結集したという報道だった。 昨年暮れに、新たに顧問として、安倍晋三、古屋圭司、高市早苗などという札付き右翼を入会させているという。
この「団結の会」の信条は、何よりも《伝統的家族観》。そして《皇室の尊崇と皇統の護持》だという。《伝統的家族観》と《皇室の尊崇と皇統の護持》、そして《国旗の尊厳》とが彼らの頭の中では直結している。かつての教育勅語ウィルスが絶滅を免れて、こういう宿主の脳髄中に生存を続け、この三者を強固に結びつけているのだ。このウイルスの発現症状は、発熱でも咳嗽でもない。思考能力が侵され、「忠君愛国」「富国強兵」「万世一系」「民族差別」「皇国弥栄」等々の根拠のない空っぽのスローガンのマインドコントロール下に制圧されることになる。
端的に言えば《伝統的家族観》とは【男尊女卑】【家父長制】と同義である。《皇室の尊崇と皇統の護持》とは【人間の差別の肯定と固定化】を意味する。こういう人間観・社会観をもったグループが、男尊女卑と差別を基調とする国家の象徴としての国旗を大事としてもてあそんでいるのだ。
このグループの「筆頭発起人」を名乗っているのが高鳥修一(新潟6区)。稲田朋美同様安倍晋三側近と言われた議員。彼はこう発言している。
「日本では、国家を侮辱する目的で他国の国旗を損壊すると罪になりますが、自国の国旗を踏みにじることは自由となっています。」「自国の国旗を侮辱することに対して各国で禁止する規定があるのは自然なことだと思いますが、日本ではそれも表現の自由という意見があり、他国の国旗は尊重しても自国の国旗は踏みにじって構わないことになっています。」
「いかにもアンバランスな状況を是正する為に、…今国会に法案を提出することになりました。既に平成24(2012)年に一度党内手続きを終え国会に提出されているので、下村政調会長からは、自民党として了解した(再度の党内手続きは不要)。委員長提案は難しくても各党に説明するようにとの指示がありました。早速、関係者に説明にかかっています。」
何という安直さ。何という軽薄さ。こんなに軽々しく刑法をいじられてはたまらない。しかも、ことは国民の人権と国家の権力との関係の根本に関わる。我が国の憲法体系の根幹にも関わる議論が必要な問題なのだ。
自民党は、2012年発表の改憲草案で、「第3条(国旗及び国歌)」の条文を作ろうとしている。
第1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
この国旗国歌尊重義務こそが、旧大日本帝国で猖獗を極めた教育勅語ウィルスの所産にほかならない。後遺障害というよりは、今の世の変異株というべきであろう。
なお、現行憲法の外国国章損壊罪は次のとおりの条文で、その保護法益は「我が国(日本)の円滑な外交作用」と考えられる。当該国旗が象徴する国家の尊厳というものではない。
第92条 第1項 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
同2項 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
(2021年1月16日)
早朝の散歩コースは、ときに変わる。特に理由はなく、まったく気まぐれに。いつもは本郷三丁目交差点を左折して、湯島から不忍池に向かうのだが、今日はなんとなく交差点を直進して神田明神の境内を覗いてみた。信心のカケラも持ち合わせていないこの身のこと、決して詣でたわけではない。失礼にはならないようには気をつけながら眺めてきただけ。
まだ、ここの境内は正月モード。昇殿参拝を受け付けていた。個人コースは、1万円、2万円、3万円の参拝料。会社・法人コースは、3万円、5万円、7万円、そして10万円以上と看板が掛かっており、早朝から申込みの列ができていた。
資本主義とは大したもの、信仰も習俗も経済原則に呑み込んでしまうのだ。1万円コースでは1万円相当の御利益があり、3万円コースではその3倍の御利益があるに違いない。少なくとも、善男善女はそう考えざるを得ない。商売繁盛・社運興隆・心願成就・除災厄除・学業成就・良縁祈願…、ご利益の有無も対価の金額次第。
私は神社めぐりの際には、参詣者が奉納するミニ絵馬を眺める。庶民のささやかな、しかし切実な願いに、心が和んだり痛んだり、共感したり反発したり。そして、必ず日付に注目する。西暦表示か元号かが関心事。最近は、どこの神社の奉納絵馬も、西暦表示派が圧倒している。本日の神田明神は、「2021年」の表示がほぼ8割。「令和3年」は2割に満たない。
ここに祭神として祀られている平将門とは、ときの朱雀天皇に敵対して自ら「新皇」と称し、坂東の独立を宣言した人物。今の世なら内乱罪の首謀者である。当然に、朝敵となって討伐されたが、民衆の人気故に、死して平将門命となり祭神として祀られている。
天皇に対する反逆者として死亡した「平将門の命(みこと)」が一世一元の元号使用を快しとするはずはない。果たして、「令和3年」表示派に、御利益を与える寛容さがあるだろうか。
改めて考える。この国では長く朝廷こそが「正統」であった。しかし、朝廷に深い怨みを抱く菅原道真や平将門が民衆に人気を博していることは興味深い。朝敵という「異端」を祀ろうという庶民の心意気に敬意を表したい。
正統に対峙する「異論」こそが、民主主義に死活に重要なのだ。朝敵という「異端」を神として祀るなどは、「異論」表明の最たるもの。とすれば、湯島天神も、神田明神も、「民主主義神社」であったか。賽銭を投じる気持ちまでにはならないが、明治神宮には背を向けても神田明神には一礼くらいはしてもよいのかもしれない。
(2021年1月14日)
一昨日(1月12日)お昼休み時間の「本郷・湯島九条の会」月例街宣行動について、報告しておきたい。
この日はあいにくの霙まじりの冷雨の日、しかも2度目の緊急事態宣言が出たばかり。常連の何人かがお休みをされた。活動参加者は、これまでにない少数の9名。
それでも、賑々しい手作りプラスターは十分に人目を惹いた。
「会食パーティ閉めて、国会開け」
「ダンマリスガ首相「お答えを差し控える」111回」
「それは当たらない。壊れたレコード。棒読み。支離滅裂。答弁不能」
「学術会議は軍事研究のご意見番、任命拒否は許さない」
「保健所の増設・拡充を」
「選挙に行こう。冷たい自助の人はいらない」
いつも、トップにマイクを握るのは、地域の活動家・石井彰さん、本郷3丁目の株式会社国際書院という出版社の社長さんである。仲間内では「社長」と呼ばれている方。「社長」はコロナ禍を気遣うお話しから、今年が憲法公布75年になることを述べて、何よりも平和が大切であり、この長期間の平和を守った「平和憲法」の擁護を呼びかけた。そして、今年は総選挙と都議会議員選挙の年、憲法を守り生かす政治勢力を大きくしようと、滑舌のよいハリのある声で訴えられた。
その演説の中で、「私ももうすぐ80に手が届く歳に」と聞かされて驚いた。そんなお歳にはとても見えない。「だから、子や孫に平和な時代を残したい」とおっしゃる、その心意気が若さの秘訣であろうか。そして、もう一つ、「月に一度の活動を始めて、既に8年になります」と言う。ウーン、そんなにもなるか。この間、行動を中止にしたのは、台風に見舞われたたった一度だけ。
事後に、石井さんから、みんなにメールがきた。
「9名の方々が参集し演説の途中から小雪がちらつく新年初の昼街宣になりました。
コロナのせいか人影は多くありませんでしたが、それでも参加者はそれぞれプラスターを持ち、マイクはコロナ災厄は菅義偉政権による人災だと訴えました。さらに都立・公社病院の「独法化」を進める東京都は、この期に及んでなお都立病院独法化推進をやめようとはせず、1月都議会では独法化へ向けての定款採択を狙っていることを糾弾しました。そして国家は国民によって成立し、政府は選挙で国民によって選ばれた議員によってつくられている、国民一人ひとりの声、行動によって新しい私たちの政府をつくることができる、このことを力強く訴えました。
わたしたちの訴えにじっと聴き入っていた白髪のご婦人の方がおられ、聴き終わると、小さく頭を下げて信号を渡って行きました。こうしたお一人おひとりの力こそが歴史を変えていくことに確信を持ちました。
今年こそ、本当に憲法を護り活かす、わたしたちの政府をつくる明るい記念すべき年にしようではありませんか。
街宣をやっていると、何かしらの反応に出会う。じっと訴えを聞いてくれるありがたい方もいるが、何かしらの悪罵を投げつける「ヘンな人」もいる。また、ヘンなのかヘンではないのか、よく分からない人もいる。
先月の訴えのとき、突然に話しかけてきた初老の男性がいた。ヘンな感じではなく、とても落ちついた雰囲気の人。「あなた方は、9条だけを守ろうとお考えなのですか」と聞いてきたのだ。
「日本国憲法は平和憲法です。9条が大切なのはもちろんですが、前文を含む憲法の全条文が平和のための歯止めですから、憲法の全体を守ろうというのが9条の会のメンバーの考え方だと思います」
「ということは、天皇の存在も認めるということですね」。ああ、そうか。そういう人なのか。
「私たちは政党ではありませんから、みな思想が同じということではありません。天皇制についての考え方もいろいろです。私個人としては、常々あんなものはないに越したことはないと考えています。」
「でも、憲法には天皇の存在が書き込まれていますね。憲法を改正しようということですか」
「将来の課題としては憲法から天皇制をなくしたいところです。でも、そのことは今危急の課題ではない。いまはむしろ、天皇の元首化や天皇の権威を高めるためのあらゆる方策を阻止することが大切だと考えています」
「どうしてそんなに、天皇制を否定するのですか。理解できませんね」
「天皇は人間平等の対立物でしょう。あらゆる差別の根源ですよ。そして、国民を見下す権威として主権者の自立を損なう。為政者にとっては国民を操作するための便利な魔法の杖で、かつての戦争に天皇は徹底して利用されたではないですか。また、同じことがおきかねない。」
「驚きました。天皇があって日本がまとまっているのでありませんか」
「天皇なければ国民がまとまれないなんていうのは、国民をバカにした話。天皇を中心とした国民のまとまりなんて、まっぴらご免ですね」
「あなた方、市民と野党の共闘で新しい政府をと言ってましたね。天皇に対する考えがこんなに違うのでは、野党の共闘なんてできっこないでしょう」
「そんなことはないでしょう。共闘とは、思想を統一することではありません。天皇制についての考え方を統一しなければ、当面の共同の行動ができないわけではない。もっと大事なことでの意見の一致があればよい」
「憲法を守ろうというのなら、天皇制も守ってもらわなければ…」
「天皇制なんて、憲法の隅っこですよ。天皇の存在感を限りなく希薄にして、もっと大事な人権や民主主義や平和をこそ守らなければ…」
(2021年1月6日)
例年、暮れから正月の休みには、まとまったものを読みたいと何冊かの本を取りそろえる。が、結局は時間がとれない。今年も、年の瀬に飛び込んできた解雇事件もあり、ヤマ場の医療過誤事件の起案もあった。「日の丸・君が代」処分撤回の第5次提訴も近づいている。やり残した仕事がはかどらぬ間に、正月休みが終わった。結局は例年のとおりの、何もなしえぬ繰り返しである。
取りそろえた一冊に、津田左右吉の「古事記及び日本書紀の研究[完全版]」(毎日ワンズ)がある。刊行の日が2020年11月3日。菅新政権がその正体を露わにした、学術会議会員任命拒否事件の直後のこと。多くの人が、学問の自由を弾圧した戦前の歴史を意識して、この書を手に取った。私もその一人だ。
が、なんとも締まらない書物である。巻頭に、南原繁の「津田左右吉博士のこと」と題する一文がある。これがいけない。これを一読して、本文を読む気が失せる。
南原繁とは、戦後の新生東大の総長だった人物。政治学者である。吉田茂政権の「片面講和」方針を批判して、吉田から「曲学阿世の徒」と非難されても屈しなかった硬骨漢との印象もあるが、この巻頭言ではこう言っている。
「津田左右吉博士の研究は、そもそも出版法などに触れるものではない。その研究方法は古典の本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場である。そして、研究の関心は日本の国民思想史にあった。裁判になった博士の古典研究にしても、『古事記』『日本書紀』は歴史的事実としては曖昧であり、物語、神話にすぎないという主張であった。その結果、天皇の神聖性も否定せざるを得ないし、仲哀天皇以前の記述も不確かであるという結論がなされたのである。」
これだけで筆を止めておけばよいものを、南原はこう続けている。
「右翼や検察側は片言隻句をとらえて攻撃したが、全体を読めば、国を思い、皇室を敬愛する情に満ちているのである。」
また南原は、同じ文書で戦後の津田左右吉について、こうも言っている。
「博士は、われわれから見て保守的にすぎると思われるくらいに皇室の尊厳を説き、日本の伝統を高く評価された。まことに終始一貫した態度をとられた学者であった。」
津田の「皇室を敬愛する情に満ち」「終始一貫、皇室の尊厳を説き、日本の伝統を高く評価した」姿勢を、「学者として」立派な態度と、褒むべきニュアンスで語っている。このことは、南原自身の地金をよく表しているというべきだろう。これが、政治学者であり、東大総長なのだ。
また、この書は読者に頗る不親切な書である。いったいこの書物のどこがどのように、右翼から、また検事から攻撃され、当時の「天皇の裁判所」がどう裁いたか。この書を読もうとする人に、語るところがない。今の読者の関心は、記紀の内容や解釈にあるのではなく、戦前天皇制下の表現の自由や学問の自由、さらには司法の独立の如何を知りたいのだ。
南原の巻頭の一文を除けば、この300余頁の書は、最後の下記3行を読めば足りる。
『古事記』及びそれに応ずる部分の『日本書紀』の記載は、歴史ではなくして物語である。そして物語は歴史よりもかえってよく国民の思想を語るものである。これが本書において、反覆証明しようとしたところである。
確かに、この書は真っ向から天皇制を批判し、その虚構を暴こうという姿勢とは無縁である。後年に至って「皇室を敬愛する情に満ち」「皇室の尊厳を説く」と、評されるこの程度の表現や「学問」が、何故に、どのように、当時の天皇制から弾圧されたか。そのことをしっかりと把握しておくことは、今の世の、表現の自由、学問の自由の危うさを再確認することでもある。
戦前の野蛮な天皇制政府による学問の自由への弾圧は、1933年京都帝大滝川幸辰事件に始まり、1935年東京帝大天皇機関説事件で決定的な転換点を経て、1940年津田左右吉事件でトドメを刺すことになる。
太平洋戦争開戦の前年である1940年は、天皇制にとっては皇紀2600年の祝賀の年であった。その年の紀元節(2月10日)の日に、津田左右吉の4著作(『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史研究』、『上代日本の社会及び思想』、いずれも岩波書店出版)が発売禁止処分となった。当時の出版法第19条を根拠とするものである。
そして、同年3月8日、津田左右吉と岩波茂雄の2人が起訴された。罰条は、不敬罪でも治安維持法でもなく、「皇室の尊厳を冒涜した」とする出版法第26条違反であった。南原の巻頭言に「20回あまり尋問が傍聴禁止のまま行なわれた」とこの裁判の様子が描かれている。天皇の権威にかかわる問題が、公開の法廷で論議されてはならないのだ。
翌1937年5月21日、東京地裁は有罪判決を言い渡す。津田は禁錮3月、岩波は禁錮2月、いずれも執行猶予2年の量刑であった。公訴事実は5件あったが、その4件は無罪で1件だけが有罪となった。結果として、起訴対象となった4点の内、『古事記及び日本書紀の研究』の内容のみが有罪とされた。
何が有罪とされたのか。これがひどい。「初代神武から第14代仲哀までの皇室の系譜は、史実としての信頼性に欠ける」という同書の記述が、「皇室の尊厳を冒涜するもの」と認定された。これでは、歴史は語れない。これでは学問は成り立たない。恐るべし、天皇制司法である。
なお、判決には、検事からも被告人からも控訴があったが、「裁判所が受理する以前に時効となり、この事件そのものが免訴となってしまった。これは戦争末期の混乱によるものと思われる」と、南原は記している。
古事記・日本書紀は、天皇の神聖性の根源となる虚妄の「神話」である。神代と上古の記述を誰も史実だとは思わない。しかし、これを作り話と広言することは、「皇室の尊厳を冒漬すること」にならざるを得ないのだ。それが、天皇制という、一億総マインドコントロール下の時代相であり、天皇の裁判所もその呪縛の中にあった。
あらためて、学問の自由というものの重大さ、貴重さを思う。
(2020年12月16日)
自民党内の夫婦別姓論議が熱い。もっとも、熱いのは一方的に右翼・守旧派の面々の発言だけのこと。そろそろ自民党も世論の良識に耳を傾けざるを得ないかと思わせる事態だったが、危機感を感じてか、頑迷固陋の守旧派が巻き返した様子。やれやれ、自民党の本質はしばらく変わることはなさそうである。
自民党の「女性活躍推進特別委員会」(委員長・森雅子)が、政府の第5次「男女共同参画基本計画」の改定案をめぐる議論を開始したのが12月1日。焦点となったのは選択的夫婦別姓採用の可否である。昨日(12月15日)の結論は、政府原案が大きく後退してしまったと報じられている。
朝日の見出しは、「夫婦別姓の表現、自民が変更 反対派の異論受け大幅後退」
毎日は、「夫婦別姓、自民保守派抵抗 『更なる検討』で決着 男女共同参画計画案」
時事は、「自民、選択的夫婦別姓削除し了承=男女参画計画」
法制審議会が選択的夫婦別姓の制度を提案して、「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申したのが、1996年2月のこと。以来、20余年も寝かされっぱなしの課題となっている。この法改正を阻んでいるのは、守旧派の家族観をめぐるイデオロギーにほかならない。
別姓推進派の見解については、法務省がホームページに次のようにまとめている。
現在の民法のもとでは,結婚に際して,男性又は女性のいずれか一方が,必ず氏を改めなければなりません。そして,現実には,男性の氏を選び,女性が氏を改める例が圧倒的多数です。ところが,女性の社会進出等に伴い,改氏による社会的な不便・不利益を指摘されてきたことなどを背景に,選択的夫婦別氏制度の導入を求める意見があります。
選択的夫婦別姓とは、全員に別姓を強制するわけではない。同姓を選びたい人は同姓でよい、別姓を選択したい人の意向を尊重しようという、個人の人格尊重の立場からはまことに当然の制度である。これに対して、どの夫婦も同姓でなくてはならないというのはお節介にもほどがある。現実に、不便・不利益が顕在化しているのだから、現行法を改正すべきが理の当然であろう。
ところが自民党内には、明治以来の「伝統的な家族観」を重視する議員が多いのだという。今回の自民党委員会でも、「別姓の容認は家族観を根底から覆す」という声高な発言があったようだ。
その結果、現行の第4次基本計画に入っている「選択的夫婦別氏制度の導入」の文言が削られ、「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史を踏まえ」という記述がこれに代わった。さらに、第5次案を策定するにあたっての原案には盛り込まれていた、「実家の姓が絶えることを心配して結婚に踏み切れず少子化の一因となっている」などの意見や、「国際社会において、夫婦の同氏を法律で義務付けている国は、日本以外に見当たらない」との記述は、反対派の指摘を受けて削除されたという。自民党って、こりゃダメだ。
私は、選択的夫婦別姓制度に対する反対理由として、「伝統的な家族観に反する」以上の説明を聞いたことがない。「伝統的な家族観」とは、儒教道徳における「修身斉家治国平天下」の「斉家」である。統治者は「家」になぞらえて統治機構を作った。「家」の秩序の崩壊は、国家秩序の崩壊でもあった。国家秩序維持の手段として、女性は「家」に閉じ込められた。自民党守旧派のイデオロギーは、その残滓以外のなにものでもない。
選択的夫婦別姓制度の実現を阻んでいるものは、自立し独立した対等な男女の婚姻観とは、まったく異質な「伝統的な家族観」であり、「戸籍制度と一体となった夫婦同氏制度の歴史」なのだ。
さらに、古賀攻(毎日新聞元論説委員長)が、本日(12月16日)の朝刊コラム「水説 出口のない原理主義」で、こう言っている。
どんな形でも夫婦別姓は、家族の解体へと導く個人の絶対視であり、ひいては家系の連続性や日本人の精神構造を崩す、と彼ら(注ー自民党右派)は訴える。この硬直的なロジックは、実は本丸での攻防につながっている。天皇制のあり方だ。
皇統は男系男子以外ない。旧皇族の皇籍復帰で守れ、という思考からすると、夫婦別姓は女系天皇をもたらすアリの一穴になる。
なるほど、「伝統的な家族観」とは「天皇制を支える家族観」ということであり、「夫婦別姓は伝統的な家族観に反する」とは「夫婦別姓が現行天皇制の解体を招くアリの一穴」だというのだ。これは興味深い。つまりは、現行の天皇制とは、同姓を強制する家族制度を通じて、個人の自立や両性の対等平等の確立、女性の社会進出の障害になっているということなのだ。
天皇制は罪が深い。夫婦別姓の実現を阻むだけではない。個人の自立や両性の平等、そして女性の社会進出の敵対物となっている。
(2020年12月8日)
本日は定例の「本郷・湯島9条の会」の街宣活動の日。これが、文京母親会議の「12月8日行動」と重なった。本郷三丁目交差点では、いつにないにぎやかさ。マスク姿の22名が、マイクを持ち、プラスターを掲げ、「赤紙」を配った。平和を願う市民の運動おとろえず、である。
私にまでマイクはわたってこなかった。だから、下記は漠然と考えていた発言予定の内容。
12月8日です。1941年の本日未明、帝国海軍の機動部隊がハワイ・オアフ島のパールハーバーを攻撃しました。太平洋戦争の開戦です。現地時間では、12月7日・日曜日の早朝を狙った奇襲は、宣戦布告なく、交渉打ち切りの最後通告もない、日本のだまし討ちでした。
当時、日本は中国との間に10年も戦争を続けていました。中国との戦争の泥沼にはまった日本が、さらに強大な国を相手に始めた展望のない戦争。しかし、79年前のこの日、NHKが報じる大本営発表の大戦果に、日本中が沸き返ったといいます。
いくつか今日述べておくべき感想があります。国民は開戦のその日まで、軍の動きも内閣の動きも、まったく知りませんでした。知らされてもいなければ、知る術もなかったのです。それでも知ろうとすればスパイとして処罰される世の中。そんな時代に逆戻りさせてはなりません。政府のやることの透明性を確保し、説明責任を全うさせなければなりません。国民の表現の自由、政府に反対する行動の自由を大切にしなければならないと、あらためて思います。いまの政権が真っ当なものではないだけに、国民の不断の努力が必要だと思います。
私たちの父母・祖父母の時代の日本人は、大本営発表の戦果に歓呼の声を上げました。勝てそうな戦争なら支持をしたということです。そして、4年後の夏に、国土を焼き払われ、多くの死者を出して敗戦の憂き目を見ることになります。戦争は、決して負けたから悲惨なのではなく、勝者にも甚大な被害をもたらします。全ての人々にこの上ない悲劇、不幸をもたらします。二度と戦争の惨禍は繰り返させない。その決意を、今日こそ再確認すべきではありませんか。
戦争をたくらむ指導者に欺されてはなりません。鬼畜米英や暴支膺懲などという、スローガンに踊らされてはなりません。他民族に対する敵愾心や優越意識は、極めて危険です。民族差別を許してはならないのです。安倍政権の発足当たりから、差別的な言動が繁くなっています。ネットの空間でも、リアルの世界でも。この動きを批判して、差別を許さない社会の空気を作っていく努力を重ねようではありませんか。
もう一つ、申し上げたい。一国を戦争に導こうとする者は、決して戦争狂の恐ろしい形相をしているわけでも、好戦的で威嚇的な言動をしているわけでもないということです。むしろ、平和を望むポーズをとりつつ、「平和を望む我が国はこんなに隠忍自重してきたのに、好戦的な敵国の振る舞い堪えがたく、自衛のために開戦のやむなきに至った」というのです。これに、欺されてはなりません。
天皇が作った和歌を御製といいます。明治天皇(睦仁)の御製として最も有名なのが、
「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
というものでしょう。
事情を知らずにこの歌だけを読むと、明治天皇(睦仁)は、まるで平和主義者のごとくです。「世界中の人々がみんな兄弟のように仲良くしなければならないと私は思っているのだが、どうしてこんなにも平和を掻き乱す時代の波風がたちさわぐのだろう」というのです。「波風のたちさわぐ」は、あたかも自分の意思とは無関係な平和にたいする障碍のようではありませんか。つまり、「私は平和を願っているのだが、どうしてその平和は実現しないのだろう。嘆かわしいことだ」と言っているのです。
しかしこの歌、実は、日露戦争の開戦直前に、ロシアに対する先制攻撃を決定した当時の作とされています。「たちさわぐ波風」は、これから自分が作り出そうとしている対露開戦を意味するものとして読むと景色はまったく変わってきます。
「世界中の人々がみんな兄弟のように仲良くしなければならないとは私も思っているのだが、どうして戦争を決意せざるをえないことになってしまうのだろう」と言うことになります。「本当は平和を望んでいるのだけど、マ、しょうがない。戦争の仕掛けもやむを得ないね」ともとれます。
明治維新以後、日本は侵略戦争を続けてきました。しかし、表向きは「平和を望む」と言い続けたのです。「平和を望みなが、戦争もやむを得ない」として、積極的に侵略戦争を重ねてきました。この歌は、その文脈の中にあります。
そして、この歌は太平洋戦争開戦を決定した「1941年9月6日御前会議」の席で昭和天皇(裕仁)が読み上げたことで知られています。読みようによっては、「自分も祖父同様、平和を願いつつも不本意な開戦を決意せざるを得ない」と責任逃れのカムフラージュをしたようでもあり、「今や平和は空論に過ぎず、ここに開戦を決意する」と意思表明したようにも読めます。
いずれにせよ、「よもの海みなはらからと思ふ世に」(世界の平和を望む)は、枕詞のごとくに必ず謳われるのです。自分は平和主義者だ。しかし、敵は、平和を望まない。だからやむなく戦争を始める。戦争するとなれば、こちらから先制攻撃することに躊躇してはおられない。
睦仁も裕仁も、こうして大戦争を始めました。戦争指導者とは、「平和を望むポーズで、戦争を決意する」ものと知るべきだとおもうのです。それが、今につながる教訓ではないでしょうか。
(2020年12月7日)
大村秀章愛知県知事に対する大義のないリコール運動。その署名の偽造・水増し疑惑がいよいよ本格的にメディアに報じられるところとなってきた。この動き、河村たかしと高須克弥とが前面に出てはしゃいでいた印象だが、実務を支えた事務局長は田中孝博という人物。元は減税日本に所属し、現在は維新の愛知5区支部長で同選挙区からの公認立候補予定者である。なるほど、類は友を呼ぶというわけだ。醜悪なトライアングル。
この問題、ネットで疑惑として話題となり、当ブログでも何度か取りあげた。最近のものでは、以下を参照されたい。
リコール署名の偽造・水増しは、犯罪である。その隠蔽は許されない。
https://article9.jp/wordpress/?p=15962 (2020年11月23日)
その偽造署名疑惑、明らかに局面は変わった。これまで、この運動を支えていた複数の人々が、告発者として名乗りを上げ、12月4日記者会見を開いたのだ。各紙、各テレビ局が、この告発内容を報じ、自らも取材し始めている。どうせ、成立見込みのないリコール運動に大したニュースバリューはないが、名古屋市長が関わった運動に大量の偽造署名疑惑があるとなれば、報道の価値は十分である。
まずは、読売新聞記事を紹介しよう。河村や高須のイデオロギーに遠慮するところなく、事実を伝えている。
高須克弥院長らの知事リコール運動「署名7?8割が偽造だろう」…請求代表者ら
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らによる愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動で、署名集めの請求代表者となっている男性らが4日、県庁で記者会見し、「署名簿に偽造が疑われる不審点が多数見つかった」と主張した。
記者会見したのは複数の請求代表者、街頭活動で署名を集めたり、署名簿に番号を割り振る作業に参加したりしたボランティアら。
会見で請求代表者らは「提出前の署名簿には、明らかに同一の筆跡とみられるものが多数あった。指印も同一とみられる」などと説明。選挙管理委員会に提出した名簿の真偽を各選管を訪ねて確認中という請求代表者の1人は「7?8割が偽造だろう」と述べた。
リコール活動を担っていた田中孝博事務局長は取材に対し、「不正を行う時間はなかった」などと語り、事務局の偽造署名への関与を否定した。
また、共同は、「愛知県知事リコール運動で『不正署名多数』と参加者」として、下記の記事を配信した。
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らが展開した愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)運動を巡り、署名活動を担った男性らが4日、名古屋市内で記者会見し「不正な署名が多数あった」と主張した。リコール運動の事務局は不正を否定した。
大村知事は4日の会見で「署名の不正が行われていたら日本の民主主義を揺るがすことになる。関係者が明らかにしてほしい」と指摘した。
男性らは運動発起人の「請求代表者」や署名集めの委任を受けた「受任者」として活動した。会見で「明らかに同一筆跡の署名が多数あった」と証言。瀬戸市で活動した水野昇さん(68)は「一生懸命署名を集めた人は怒っている。真実を解明したい」と語った。
リコール運動事務局の担当者は取材に「不正行為をやる理由がない」と否定した上で「一部受任者が不正の証拠と称し署名簿を盗んだ疑いがある」と訴えた。
高須氏らは11月、43万5231人分の署名を各選挙管理委員会に提出。解職の賛否を問う住民投票実施に必要な法定数約86万6000人の半分ほどにとどまった。県選管によると、提出署名が法定数を満たさない限り、署名が有効かの審査は行わない。(共同)
さらに、地元「東海テレビ」の報道が素晴らしい。誰にも忖度するところのない報道。ぜひ、これを視聴いただきたい。
https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20201204_150292
愛知県の大村知事に対するリコール署名活動を巡り、ある疑惑が浮上しました。署名集めをしたグループなどが4日に会見し、「同じ人物が複数の署名を偽造した疑いがある」と訴えました。
不正に署名された疑いのある住所へ実際に向かってみると、驚きの事実が明らかになりました。
4日午後、愛知県庁で会見を開いたのは、大村知事に対するリコール署名で実際に署名を集めた「受任者」らのグループや、その責任者にあたる「請求代表者」。会見の場で訴えたのは『署名集め”不正”疑惑』です。
請求代表者:
「筆跡が全部同じである。誰かが住民データを側に置いて、それをずっと丸写ししていったんだろうな」
なんと「同じ人が複数の署名を書き、偽造した疑いがある」と訴えたのです。
去年開かれた『あいちトリエンナーレ』を巡り、高須クリニックの高須克弥院長と名古屋市の河村たかし市長が進めた、大村知事のリコール運動。
11月、高須院長の体調不良が理由で、署名集めは途中で終了しましたが、2か月で必要な署名の半数にあたる43万余りの署名が集まりました。その署名に浮上した今回の疑惑。一体どういうことなのか…。
実際に、署名簿のコピーを見せてもらうと…。
リコール署名元受任者の水野さん:
「日にちが違うし、名前がほとんど同筆跡なんですよ」
別々の人の名前が書かれた文字を抜き出してみると、「子」や「増」などよく似た筆跡がいくつもあり、書かれた署名の住所を並べてみても、確かに似ているように見えます。
不審な点に気付いたという水野昇さんは、受任者として集まった署名を提出する作業を手伝っていた11月4日、同一人物とみられる筆跡があることに気付いたといいます。
水野さん:
「誰が見たって筆跡一緒ですよ。量から見て計画的です。驚きました」
水野さんによると、なんと300余りの署名が、たった2人の手によって書かれた可能性があるといいます。
不正は実際に行われていたのでしょうか。名簿に書かれた尾張旭市内の住所に向かってみると、衝撃の事実が明らかになりました。
Q.こちらの住所・お名前は、ご自身で間違いないですか?
署名簿に記載されていた人:
「間違いありません、生年月日もあってるし。ただこの筆跡には全然覚えがないんです。(Q.リコール署名された?)書いたことはありません。書いてません」
住所と名前が一致する人物はいましたが、「署名を書いていない」ことが明らかになりました。さらに別の住所でも…。
Q.こちらご自身ですか?
署名簿に記載されていた別の人:
「えぇ、私ですけど字が違うな…。(書いた覚えは)ないです」
Q.この(署名の)お名前は娘さんですか?
また別の人:
「はい、娘です。今いないです、嫁いで。もう20年くらい前」
取材した5人のうち、2人が「署名を書いていない」と証言。さらに残りの3人は、記載された住所に住んでいませんでした。
請求代表者:
「各選管を回っています。それで不正とみられる署名簿が8割」
不正とみられる署名は蟹江町などでも確認されていて、署名集めの責任者にあたる請求代表者らは、地方自治法違反の疑いで刑事告発を検討。警察と相談を進めています。
今回浮上した不正疑惑について、リコール活動を全面的に支援していた河村市長は…。
Q.不正疑惑についてどのように受け止めている?
河村名古屋市長:
「まず不正不正言っとるけど、無効ですわね、それ。考えられんですよ、審査ですぐ分かるんだから、無効って」
一方、大村知事は…。
大村愛知県知事:
「いろんな情報が私の耳にも入ってきますけれども、投票の偽装と署名の偽造はですね、全く同じ量刑・同じ罰則・罪でありますから、軽くない。事実関係は明らかにされなければならない。関係者は事実関係を明らかにする義務がある」
現在、各地の選管で保管されている署名は、1月にもリコール活動をしていた団体に返却されますが、団体の事務局は「プライバシー保護のため、署名簿は溶かして処分する」としています。
醜悪なトライアングル、やることがいかにも汚い。潔さがない。高須が「リコールの会が仮提出した署名簿は、封印したまま僕の目の前で溶解液に入れて破棄する方針だ。万が一、リコールの会が集めた署名簿の情報が漏洩した場合、すべて責任は取ります」と発言している。
なんという姑息な発言。組織的な大量の署名偽造疑惑が問題とされている。もちろん、高須自身も、その疑惑の首謀者として被疑者の一人とならざるを得ない。にもかかわらず、自ら疑惑を晴らす努力をしょうというのではなく、疑惑の証拠となるべき署名簿を溶解してしまおうというのだ。サクラ疑惑を追及されるや、直ちに名簿を廃棄した、かの前政権並みの汚い手口。「関係者は事実関係を明らかにする義務がある」という、大村知事の提言が虚しい。しかも、「リコールの会が集めた署名簿の情報が漏洩した場合、すべて責任は取ります」と上辺を飾っての取り繕いがみっともない。
関係者の内、高須には最初から特に失うものの持ち合わせはない。維新の傷も大したことはなかろう。しかし、河村の政治生命には致命的な傷が付くのではないか。署名の偽造に少しでも関わっていればアウトだし、直接には不正署名に関わりなくとも、軽挙妄動のみっともなさが際立つことになる。犯罪との指摘を含む不正行為が、自分が肩入れした運動で生じたのだ。事務を担当した田中は、元は減税日本に所属していた知己でもある。監督不行き届きの政治責任は免れない。
記者会見に臨んだ者たちは刑事告発を検討中だという。ぜひとも厳正な捜査の結果を待ちたい。健全な民主主義のために。
(2020年11月13日)
タイの首都バンコクが、若者たちの大規模なデモで揺れている。デモの要求は、プラユット軍事政権の退陣、憲法の改正、そして王政改革の三本柱。中でも注目されるのが王政改革の要求であるという。これまでタイでは王政批判はタブーとされてきた。いまだに不敬罪があり、王室批判は最長15年の刑になりうるという。その不敬罪を覚悟での民主化要求のデモのうねりなのだ。素晴らしいことではないか。日本の我々も、この心意気を学びたいと思う。
私にとって、タイは身近な国ではない。30年も昔、自衛隊のPKO活動を視察にカンボジアに行ったとき、空路がバンコク経由だった。行きと帰りの各一泊。それだけが、タイに触れた体験。チャオプラヤー川に沿った寺院様の建築が立ち並ぶ仏都の風景と、道路の混雑・喧噪が印象のすべてである。
思い出すことがある。大学で多少言葉を交わした同学年のタイからの留学生がペンケ・プラチョンパチャヌックさんという女性だった。「ペンケ」とは、三日月のことだと聞いた記憶があるが、半世紀以上昔のこととて自信はない。たまたま彼女は、私たちに王室への敬愛の念を語り、私たちは冷笑で応じた。「日本では、良識ある市民は、まったく皇室を尊敬などしていませんよ」などと言った覚えがある。印象に残ったのは、世界にはこんな若者までが王制を肯定している国もあるのか、というカルチャーショック。
そのタイで、この夏ころから政権批判が王政改革要求運動に発展してきている。王室への公然たる批判は前例のないことだという。これまでタブーとされてきた王室批判が噴出し、公然と「王室改革」の要求が語られ、大規模なデモの要求になっている。多くの人の意識改革なしにはなしえないことだ。
学生を中心とする政権民主化要求のスローガンの中には、
「王室を巡る表現の自由の容認」
「不敬罪の撤廃」
「王室予算の見直し」
などが掲げられているという。
改革要求は王室に向けられたものだが、現国王のワチラロンコンなる人物の評判が最悪である。この人、タイ国元首としての仕事に関心はない。バンコックには不在で、ドイツのリゾートホテルに滞在して優雅に暮らすご身分。4度の結婚や100年ぶりの側室復活ということでも話題の人。およそ、国民からの敬愛を受ける人ではない。
一方、この評判悪過ぎの現国王の前任者が、父王のプミポン。こちらは、人格者として国民からの敬愛を一身に集めた人だったという。在位期間70年に及んだが評判は最高だった。貧困対策で農村に足を運び、軍と市民が衝突する危機的状況をたびたび仲裁した。国民に寄り添い、国民の模範となる姿勢をアピールした。
興味深いことは、追い詰められているプラユット政権の態度。首相はこう言うのだ。
「若者たちの政治的意見の表明はよい。しかし、君主制を巡る議論は行き過ぎだ」と。
評判の悪い王でも、王は王。王政が軍事政権を支える強靱な土台の役割を担っていることを、軍事政権はよく認識しているのだ。それゆえ、民衆の王政批判は許せないと言うのだ。
極端に評判の良かった前国王と、極端に評判の悪い現国王。思考のシミュレーションに格好の教材である。評判のよい王も悪い王も、王は王。民主主義の対立物である。しかし、その役割は飽くまで異なる。国民からの評判のよい前国王の時代には王室批判は困難であった。前国王とて巨万の富を国民から奪い貪っていたにもかかわらず、である。しかし、今や評判最悪の現国王には遠慮のない批判が盛り上がっている。
評判最悪の王なればこそ、王室批判の運動に火を付け、その火に油を注いでいる。客観的には、評判の良い国王は民主化のブレーキとなり、評判最悪の現王が民主化のアクセルとなった。
客観的には、「悪王こそが、民主化推進のよい働きをする王」である。これを裏から見れば、「評判の良い王こそが、民主化推進に障碍として立ちはだかる悪王」なのだ。どこかの国の、誰かのことを評価する際に噛みしめねばならない。