澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

天皇制に奉仕する「家学」は、「学問」ではありえない。

(2021年2月4日)
できるだけ、元号に関する書物は読んでおきたい。最近、「元号戦記」(野口武則・角川新書)に目を通した。「近代日本、改元の深層」という副題に若干の違和感を覚えたが、決して元号礼賛本ではない。とは言え、元号批判の論陣を張っているわけでもない。

当然のことながら地の文章は全て西暦表示で統一されており、奥付の発行年月日は「2020年10月10日」とスッキリしている。あとがきだけが「2020(令和2)年8月」となっていて、「令和」が顔を出し画竜点睛を欠いている。その微温的なところが社会の現状の反映でもあろうか。

著者は毎日新聞の「元号問題担当」記者。7年余に渡る新元号探求の「奮闘」ぶりが描かれている。客観的に見れば、つまらぬことにご苦労様というしかないのだが、この奮闘の中でいろんなことが見えてくる。そのことはそれなりに興味深く、やや大仰ではあるもののこの書物の惹句は的はずれではない。

密室政治の極致、元号選定。繰り広げられるマスコミのスクープ合戦に、政治利用をたくらむ政治家、そして熱狂する国民。
しかし、実は昭和も平成も令和も、たった一人の人間と一つの家が支えていた!
そもそも、誰が考え、誰が頼み、誰が決めていて、そもそも制度は誰が創り上げ、そして担ってきたのか?
安倍改元の真相はもとより、元号制度の黒衣を追った衝撃スクープ!!

実は、現在の元号は明治以降のわずかな歴史で創られた「新しい伝統」に過ぎない。
大日本帝国時代の遺制である元号は、いかにして、民主主義国家・日本の戦後にも埋め込まれてきたのか。
令和改元ブームの狂騒の裏で、制度を下支えてきた真の黒衣に初めて迫る。

元号制度の根幹は、砂上の楼閣と化していた――。
知られざる実態を、7年半に及ぶ取材によって新聞記者が白日のもとにさらす。渾身のルポ!

 個人的には、東大駒場の中国語クラス(Eクラス)に連なる懐かしい名前がいくつも出てくる。工藤篁・戸川芳郎・石川忠久・田仲一成・伏屋和彦…。が、多くの読者に興味はなかろう。

明治に一世一元となって以来、大正・昭和・平成・令和の改元において新元号策定を支えてきたのは、東大文学部中国哲学科と宇野哲人・宇野精一・宇野茂彦という三代にわたる学者の家系であったという。

宇野家は、「漢学の家元」みたいなもので、初代の哲人が明治天皇から恩賜の銀時計を「拝領」して以来の皇室との関係だという。東京帝大時代の中国哲学科の教授で、「昭和前期は国策だった中国研究のトップ」に位置していた人物。現天皇(徳仁)の命名者でもあるという。

戦後は宇野精一(1910年-2008年)がキーマンとなった。彼は、東大文学部中国哲学科の教授で、退官後には「英霊にこたえる会」「日本を守る国民会議」などの設立に関わり元号法制化運動を推進した。晩年には、日本会議の顧問も務めている。その彼がこう言っている。

 「元号の問題は、政治思想、社会思想、民族思想、文化等の見地から総合的に考へるべきもので、法律だけの問題ではありません。又、年代表記の問題ですから、過去の先祖、現在生きてゐる我々、これから生れてくる子孫とのつながりにおいて見るべきものであります。まさしく歴史と伝統を如何に認識するかに拘る大問題であります」「元号は、…めでたい文字を用ゐ、理想を掲げてその実現に祈りをこめたものであります。が、最も卒直明快に申せば、天皇陛下を仰ぐか否か、といふことであります」「元号は、国民の日常生活に一番関係が深いものであります。」「王に對する忠誠の念を王の立てた暦を使ふことで明示する象微行為「つまり、領土の版図を確定することと、王の名を直接に口にしないといふ習慣、この二つが重なり色々に考へられた末に生れた天子の治世を示す名称、それが元号ではないかと私は考へてゐる」

こんなことを聞かされて、あなたは、なお元号を使用することができるだろうか。

一方、宇野家三代に対置されるのが、戸川芳郎(東大文学部中国哲学科教授・文学部長)である。
彼は元号を批判し続けている。元号とは「そもそも近代天皇制と密着し帝王の時空統治擢を象徴する」ものであり、「君主の御代でもない本邦において、…主権在民の憲法を得たのちのちまでもこれを使用する」のは不合理。「精紳的鎖國政策には、私も従おうとは思わない」と元号不使用まで宣言している。

1989年の平成改元当時、戸川は東大文学部長だった。新元号発表翌日の1月8日の朝日新聞には、「『なごやか元年』とか『しあわせ元年』などひらがなでいいのではないか」という戸川のコメントが掲載されている。元号廃止論者としての皮肉を込めてのもの。

私(野口)は疑問をぶつけたが、戸川の答えは元号廃止論者として明快だった。
「東京大の中国哲学が元号を考えるのではないのですか」「常識として知らなければいけないが、王朝体制の元号について研究はやらない」

宇野家系の学者は、戸川の後任となった東大名誉教授を「左翼」と呼んでいるという。戸川のように戦後の共産党活動に加わったわけではないが、皇室を尊崇する保守ではないとの趣旨だという。一方、戸川も宇野家のことを「あれは学問ですか? 家学でしょ」と批判したのを、戸川を知る中国史学者は聞いたことがあるという。

天皇制を支えるイデオロギーの祖述が学問であろうはずもない。明快な戸川芳郎の喝破に拍手を送りたい。

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